2017年11月12日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編3

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皆様こんばんは。今回、ドラマ版の方の説明が長くなったのでかなり膨大です。でも分けるといつ終わるかわからなくなりそうなので、予定通りいきます。このパートは、小説の2つのテーマが表れている重要部分。こなすので精いっぱいでしたので、また戻って書き直すかも…。

小説の方は、ヒロイン沈螺〈シェン・ルオ〉(ドラマではクオ・ビーティンが演じます)の押しに負ける形で、呉居藍〈ウー・ジュイラン〉(ドラマではウィリアム・フォンが演じます)がついに自分の正体を明かします。

ネタバレあり編 第1回(1話〜3話)はこちらから。
        第2回(4話〜7話)はこちらからどうぞ。

第8章
呉居藍の華麗な包丁さばきはSNSで拡散されて大騒ぎになった。

彼が包丁をふるいながら朗詠した杜甫の詩の一節、“饔人受鱼鲛人手,洗鱼磨刀鱼眼红。”(漁師〈鲛人〉が魚を板さんへ 魚を洗って包丁研いで 魚は獲れたて ぴっちぴち)から、“饔子(板さん)というあだ名まで付く始末。

宿にも問い合わせが殺到したけれど、どうせ“醉翁之意不在酒”(酔翁の意は酒にあらず)、つまり呉居藍目当てに違いない。宿は休業して、一見さんお断わりのレストランとして営業することに決めた。
*
ようやく「経済危機」も一段落して余裕の出た沈螺は、呉居藍、江易盛を誘って海へ遊びに出かけます。

シュノーケリングに参加しない沈螺に呉居藍が訳をきくと、江易盛が替わりに答えます。沈螺は子どものときに溺れたことがあり、それ以来絶対に泳がない。ひいおじいさんは漁の達人で、20メートルも素潜りできたという伝説があるのに...。

江易盛がシュノーケリングをしているとき、呉居藍は改めて、事の経緯を沈螺に尋ねます。
*
私が7歳のとき、おじいちゃんは不仲の息子と嫁を心配して一家を島に呼び、仲直りさせようとしたの。ところが、おじいちゃんの出した船から海に降りて泳いでいると、両親はそこでもケンカを始めてしまった。足がつって助けを求めても全然気づいてくれない。

結局おじいちゃんが助けてくれたって聞いたけど、意識が戻ったその日、両親の離婚が決まったの。
*
全然気にしないと言えば嘘になるけど、“一切过去的事都只是过”(過ぎたことは過ぎたこと)、気にしても仕方ないわ、と沈螺はさばさばした調子で話します。

家に戻ると、なんと空き巣と鉢合わせになります。呉居藍が組み伏せ、何も盗られなかったものの、江易盛は却って心配そうな様子で、呉居藍はどう考えても怪しいと言い出します。

沈螺が特殊な訓練を受けたスパイか、タイムスリップしてきたのではと言うと、江易盛はバカバカしいテレビドラマの見過ぎだと一蹴しますが、自分も全く見当がつかないと困惑顔です。沈螺は明日は約束の満月の日だから、呉居藍は全てを説明してくれるはず、と思います。

陰暦8月15日は中秋節、沈螺の26歳の誕生日でもありました。散歩に付き合った呉居藍は沈螺に、前の満月の日と同じ海岸で落ち合おうと言いますが、誰かに付けられていることに気づくと、「走れと言ったら振り返らずに逃げろ」と厳命します。言われた通りにした沈螺は急いで江易盛を呼びに行きますが、現場に戻ってみると呉居藍の姿はどこにもありませんでした。

〜〜〜
いちばん最初のエントリーでもご紹介しましたが、活き造り(笑)のシーンはなかなか面白いですよね。
http://tv.sohu.com/20170210/n480395304.shtml

左右の手を同じように使えるというのはドラマでは出てきませんが、このシーンで見ることができます。

さて、ドラマでは皆で海に行くシーンはありませんが、沈螺が溺れた話は重要ポイントなので当然出てきます。ただ、小説とドラマではかなり状況が違います。

小説の方は、呉居藍が何者かも、沈螺のことをどう思っているかも分からないこの段階で登場し、読者がそろそろ忘れたころ、にわかに浮上してきます。

ドラマの方は、視聴者には呉居藍の目的が分かっているので、もう少し複雑に推移します。

沈螺のおじいちゃんは、かつて祖先の杜少林が呉居藍を騙して手に入れた霊珠の、「容器」を病室に隠し持っていました。霊珠は金と引き換えに黒魔術師に渡すはずだったのですが、杜少林は黒魔術師をも騙して、金と霊珠、両方を持って南の島へ逐電したのです。

孫娘の彼氏を演じていた呉居藍が、実は霊珠の本来の持ち主だったことを悟ったおじいちゃんは、彼を山林に呼び出します。返すと見せかけて呉居藍を刺そうとしますが、当然相手になりません。彼の激しい怒りに触れ、おじいちゃんはしぶしぶ「容器」を差し出すと、自分はどうなっても良いが、沈螺は何も知らないので助けてやってくれと懇願します。

呉居藍は高齢に免じて赦しを与えるといい、容器を開けようとしたところで、黒魔術の継承者である安佐〈アン・ズゥオ〉にそれを奪われます。安佐は養い親を病で失い、霊珠の力で復活させたいと狙っていたのでした。
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安佐

格闘の末、安佐から容器を取り返したものの、中には何も入っていません。その日のうちにおじいちゃんも亡くなり、かくして霊珠探索は仕切り直しになってしまいます。

諦めきれない安佐は、今度は沈螺を狙います。安佐に追い詰められた挙句、崖から海に落ちてしまいますが、助けに来た呉居藍は海中で光芒を放つ沈螺を見て、霊珠が彼女の体内に隠されていると気づきます。

白魔術師ヴァイオレットの孫娘・巫靓靓(ウー・リャンリャン)は、狡猾な杜少林の子孫らしいやり口だと憤ります。ヴァイオレットは話を聞き、霊珠を取り出す方法は2つあると告げます。1つは黒魔術師の持つ魔刀で手首から取り出すこと、もう1つは真実の口づけだと。
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巫靓靓

仇の子孫に心を許してはいけないとさんざん注意されてきたにも拘わらず、そして、常に氷山のような態度を崩さなかったにも拘わらず、沈螺を好きなことがバレバレだった呉居藍ですが、今や大義名分があるのでここぞと口説きにかかります。ところが思いがけず、自分は愛情なんか信じていないという沈螺の手ひどい拒絶に遭います。

ついには江易盛まで動員して必死の呉居藍。しかし、ひょんなことから沈螺がかつて溺れたことがあると知り、突然手のひらを返したように氷山に戻ってしまいます...。

*

なぜ溺れたと聞いただけで態度が豹変したのか、ドラマの方だけを見ていると分かったような分からないような感じなんですが、実は小説の終盤で明かされる、ドラマ版に登場しないある事柄を、呉居藍も白魔術師も知っていたからなんです。

設定が違うといえば、小説ではご覧のように、陰暦の8月15日が沈螺の誕生日です。ドラマの方は呉居藍がニセの恋人を演じる口裏合わせのために沈螺から身長体重誕生日などの個人情報を聞かれ、嫌々答えた誕生日が陰暦6月15日でした。

呉居藍は霊珠を失ったために、特に満月の日は生命力が衰え、代わりに霊珠の存在に敏感になります。明確には言ってませんでしたが、人間の体内にあると感じ取れないということなんでしょうね。そんな有様だというのに沈螺は海辺の店でサプライズの誕生日パーティーを企画してしまい、安佐の意を受けて周不聞が手配した連中に襲撃されてしまいます。

ドラマの方は襲撃失敗となるのですが、小説版は如何に…?

第9章

結局その晩も、次の日も呉居藍は帰って来ず、襲撃者もろとも消えてしまったかのようだった。夜になっても何の知らせもない。呉居藍が言っていた約束の海岸に行ってみることにした。海は荒れ始めたけれど、もうあと少しだけ待ってみよう…

だんだん海は大しけとなり、流されそうになったとき、誰かが私を助け上げた。呉居藍!

嵐が収まり満月が海を照らすと、呉居藍は距離を保ったまま、黙ってこちらを見ている。
波の上に優雅に座っているかのような姿勢で、その腰から下は銀色に輝く深い青の魚の尾びれに見えた。

私はもう死ぬのかしら?助けられたと思ったけど、死ぬ前の幻を見てるんじゃないの?
それともまさか…コスプレ?

呉居藍はそのまま泳いでみせた。その尾びれの動きの美しいこと、人に作れるものじゃない。やっぱり幻じゃないんだ... 。
*
朝が来て、呉居藍は何事もなかったように磯辺に戻ってきました。沈螺が自分の気持ちは変わらないというと、後で必ず後悔する、と彼は答えます。

沈螺が、ほんの少しでも自分が好きか聞かせてほしいと頼むと、彼は言葉では答えませんでしたが…
“勒得我几乎喘不过气来,肋骨都觉得痛,…我觉得,他不是只有一点点喜欢我,而是很多很多,就像白雪皑皑的山峰,虽然表面全是坚冰,可在地底深处,翻涌的却是滚烫的岩浆。”

(あまりに力いっぱい抱き締められたので、息が止まりそうになり、肋骨が悲鳴を上げた...ううん、ほんの少しなんて話じゃない。その逆よ。氷に閉ざされたように見える雪山も、その地下深くには灼熱の溶岩が滾っているように。)
〜〜〜

これは、小説から入った人には相当意外な展開じゃないでしょうか。月夜に変身するって言ったら、オオカミ男じゃね?って普通、思いますよねー。悪くて火星人とか…。人魚が泳ぎが得意だとか、嵐を呼ぶとか、海の上では万能ってあたりはまだ説得力ありますが、海の中に住んでるのに、ご飯作ったり楽器弾いたり、建物建てたりってスキルが、なぜ必要?

小説では明白に「海中」に住んでいるとあるのですが、ドラマはヘンだと思ったのかどうか、第2季では洞窟のような場所(つまりは陸)に住んでいる設定にしています。確かに、中国の仙人とか妖怪とかは「洞」に住んでますけど、ほとんど陸地にいるんだったら尾ひれとか要らないんじゃないでしょうか。トドと同じで陸ではゴロゴロしてるっていうなら分かるかど…。

ま、追究しても意味ないですけど。

第10章
四度めのトラブルを心配した江易盛は呉居藍に、誰がやったか分かるまで、沈螺を一人にしないでくれと頼んで帰って行きます。呉居藍はソファでハリル・ジブラーンの『預言者』という本を読んでいました。

*
襲撃者の1人は手首にホクロがあった。そういえば引ったくり犯の同じ位置にホクロがあったっけ。
それでは、私たちを狙った同じ人物の犯行ということね。でも私には心当たりがない。呉居藍は――
「ある」

でも、もう皆死んだはずだ、と呉居藍はこともなげに言います。上陸したのは3回だけで、今回は恨まれるとしたら周不聞以外にはない。前に上陸した1865年にちょっとした事件があった。でも地球の反対側だ。

その前は開元8年。西暦720年、盛唐の時代。

私は急いで《唐詩鑑賞辞典》を開いてみた。王維(720-761)唐代の詩人、字は摩詰〈まきつ〉。

「王維と知り合い?」
「ああ」
「李白は?」
「何度か酒を酌み交わして、剣も戦わせた」
「杜甫は?」
「僕は顔かたちが変わらないから、ひとところに長くはいられない。上元2年、蜀で会った」

呉居藍は淡々とした表情だったけど、私はそれ以上聞くのはやめた。繁栄の頂点から没落のどん底に落ちた時代、本で読んでも胸が痛むのに、当事者ならなおさらだ。
「そのあとはどうしたの」
「大歴6年、西暦771年に舟山群島から船にのって、日本に知人を訪ねた。あいにく亡くなって半年経っていて、唐招提寺に半年滞在したあと海に戻った」
*
呉居藍は、自分と一緒にいれば、一つの場所にずっと住み続けることはできないから、あちこち彷徨い歩くことになるだろう、知り合いも家もなく、老いた君は隣にいる自分を恐れ、恨むはずだ。襲撃者が誰かはっきりさせたら自分はここを出ていく、と言います。それでも諦めようとしない沈螺に呉居藍は3枚の絵を差し出します。

1枚目は病床に臥せている若い沈螺と呉居藍を描いたもの。
2枚目は十数年後
3枚目は数十年後。

どの絵も呉居藍は変わらないのに、自分は年老いていくという事実を突きつけられて沈螺は黙り込みます。

部屋に戻って絵を前に考えた挙句、戻ってきた彼女は呉居藍に言います。3枚の絵の中の自分は変わっても、一番必要なときに、いつもあなたがそばにいる。“不离不弃”(どんなときも傍にいる)、いい誓いじゃない?

呉居藍は呆気に取られた後、悲しげな目で遠くを見つめます。沈螺は突然、彼の視点から絵を見るようになります。自分は若いまま、相手が年老いて死んでいくのを見るのはどんな気持ちだろう...。

“很久后,他收回了目光,凝视着我,开口说道:“爱一个人应该是希望他过得快乐幸福。你很清楚自己时间有限,短暂的陪伴后,就会离开我,给我留下长久的痛苦,为什么还要坚持开始?”

(長い沈黙のあと、彼は私に視線を戻して、口を開いた。「誰かを愛したなら、相手が楽しく幸せであって欲しいと願うはず。自分の時間が限られていると知りながら、ほんの束の間そばにいて、その後の長い長い時間、苦しみの中に放っていくというなら、そもそもなぜ最初からやめておかないんだ?)

そこで沈螺はやっと気づきます。自分に必要な勇気や犠牲よりも、呉居藍の方がもっとたくさんの勇気や犠牲を必要とするのかも知れないと。

〜〜〜
ここのくだりはドラマでは少し引き延ばした感じで使われています。印象に残る場面なのですが、第2季では杜甫も李白も出て来なくてかなりガッカリです。第3季があったら出てくるんでしょうか?ないだろうな…。

小説では日本にも滞在していたんですね。唐招提寺って僧侶以外の人も泊まってよかったんでしょうか。あるいは三蔵法師として… o(・_・)9@ ハリケーンアッパー!!

3枚の絵のシーンはドラマ版にも出てきますが、ドラマの設定ではどう考えても呉居藍の方が寿命が短いので、意味が分かりづらいシーンになってしまったのはやや残念。ただ、最後まで見るとまたちょっと別の意味も見えてくる気がします。

第11章
呉居藍の問いに答えを出せないまま2日が経ったところで、呉居藍は夜勤中の江易盛に会いに病院へ行こうと言い出します。ついて行った沈螺は、病院でさまざまな光景を目にします。
“生老病死、怨憎会、爱别离、求不得―−”(生病老死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦…)

突然彼女は、階段の隅で声を忍んで泣いている男性を目にします。おじいちゃんが入院したとき、ちょうど奥さんが病気になって看病に来ていた林瀚〈リン・ハン〉でした。

軽快して退院したはずが再発し、ここ数日の命だというのです。
二人はまだ結婚したばかり、これからという矢先の出来事に、もはやどう慰めていいかもわからない沈螺は思います。

長い長い寿命を持つ呉居藍から見れば、自分はすでに不治の病に侵された病人と変わらない。

彼女は呉居藍に顔を合わせる気になれず、独り、ビールを買って海岸に歩いて行きます。

“繁星密布、星光璀璨。迷蒙的泪光中,数以万计的星辰光芒闪耀,显得离我好近,似乎伸出手就可以拥有它们。多么像吴居蓝啊!那么耀眼地出现,成了你的整片星空,让世间所有的宝石都黯然失色。但是,你只能看着,永远都不能拥有!”
(満天を埋め尽くした星々が輝いている。かすんだ目に数えきれないほどの星がきらめき、まるで手を伸ばせばつかめそうだった。何て呉居藍に似ているんだろう。目が眩むほどのきらめきで心を埋め尽くし、どんな宝石も色あせるほどなのに、ただ遠くから眺めるだけで決して手に入れることはできない)

そこへ突然呉居藍から電話が掛かってきます。咄嗟に、途中で友達に会って飲んでいると言ってしまう沈螺。
電話を切ると酒の勢いで呉居藍の名前を声の限りに叫び始めます。もしこれで返事がかえってきたら、それは運命が諦めるなと言ってるんだとめちゃくちゃなことを思いながら。しかし、声が枯れるまで叫んでも、当然返事は帰ってきません。ふと、彼女の心に1つの考えが浮かびます。もし彼を知りたいと思うなら、彼が言ったことではなく、言わないことに耳を傾けなくちゃ―。

携帯を掛けると、思った通り、どこか遠くから耳慣れた着信音が聞こえてきます。
そして何事もなかったような顔で、呉居藍が現れます。

言いたいことはいろいろあったのに、つい、こそこそ隠れて何してたのよ、と詰問する沈螺。呉居藍は淡々と、江易盛に君を一人にしないと約束したからと答えます。

ということは、最初の最初からずっと近くで目撃してたということか…。

悔しいやら悲しいやらで号泣する沈螺でしたが、ついに、
「絶対に諦めないから、死んだあとはせいぜい悲しんでちょうだい。どうせ短い命なんだからあなたに預けるわ」と言い出します。
呉居藍はじっと彼女を見つめると、

“他平静地问:“这就是你的选择?”
我坚定地说:“这就是我的选择!”
他平静地问:“就算会给你带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给我带来痛苦!”
他平静地问:“就算会给我带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给你带来痛苦!”
吴居蓝微微而笑,斩钉截铁地说:“好!”

(彼は静かに言った。これが君の答えか?
私はきっぱりと言った。  これが私の答えよ。
彼は静かに尋ねた。    たとえ痛みを伴うとしても?
私はきっぱりと答えた。  たとえ痛みを伴うとしても。
彼は静かにまた尋ねた。  僕に痛みをもたらすとしても?
私はまたきっぱりと答えた。あなたに痛みをもたらすとしても。
呉居藍はかすかに微笑んで、決然として言った。いいだろう。)

〜〜〜
ドラマでは、直接、林瀚の話は出てきませんが、冒頭でおじいちゃんの入院のシーンがあり、沈螺自身の体験として描かれています。このパートに出てくる“爱别离、求不得”は、呉居藍がかつての想い人、白一唅(バイ・イーハン)について語ったときのセリフに使われていました。仏教から来ていて、「四苦八苦」という言葉はここから来たそうです。

真ん中のお酒のシーンは、ちょっとアレンジした形で何度か出てきます。

最後のシーンは少しだけ形を変えて、ドラマ版でも3枚の絵のエピソードの最後に使われています。この後、ドラマは少し補っていて、そのまま2人で家まで帰ってくると、沈螺が、さっきはどういうつもりだったか、ダメ押しして聞くんですね。

そうまでしても呉居藍がハッキリ言わないので、沈螺がちょっと拗ねて、「あなたはいつも言いたいことを半分までしか言わないので分からないわ。私はあなたのお腹の中の虫じゃないんだから、ハッキリ言って」と迫ります。

呉居藍は相変わらず何も言いませんが、今度は態度で示します。これを文字で書くと可愛くないので、ぜひドラマをご覧になってみてください。

ということで、次回はついに巫靓靓の登場です。

posted by 銀の匙 at 22:13| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編2

*コメントのお返事から少し記事に追記しました。

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さて、前回(→こちら)に引き続きまして、《那片星空,那片海》(あの星空、あの海。)の小説の世界を、ドラマにも寄り道しながら散歩して参りましょう。

ある日突然、ヒロインの沈螺(シェン・ルオ)の前に現れた主人公・呉居藍(ウー・ジュイラン)。

テレビ版の方では沈螺(シェン・ルオ)の小間使い(?)として働いているので「メアリー・ポピンズ」ですが、小説の方は民宿の従業員(?)なので、なんだろう...「千と千尋」かな(笑)

第4章
朝起きると、中庭の机の上に朝食が置いてありました。「あなたが作ったの?」とつい聞くと、「僕じゃなければ君か?」と沸点の低い答えが。普通なら軽い冗談みたいな会話なのに、なぜか知能指数を疑われてるように聞こえるのは…私だけ?

シンプルな朝がゆは専門店並みの味、これは確かに他人の料理を一刀両断、“难吃”(まずい)とダメ出しする資格はあるわ...とダメ出しされてる沈螺は不承不承納得します。
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パソコンをいじっている呉居藍は、食物連鎖の頂点に君臨する生き物のようで冷酷な威圧感に満ちています。でもあの日、妙な服を着てよれよれだった姿を思い出すと怖くも何ともない、と沈螺はつい、呉居藍の頬をつねってしまいます。指を食いちぎらんばかりの勢いで睨まれたので、急いでその手は引っ込めたものの…。

よせばいいのに「五つ星ホテルのシェフでもおかしくないのに、どうしてこんなところで倒れてたの?」と聞く沈螺。案の定、カエルを睨む毒蛇のようなまなざしを向ける呉居藍。しかし、ややあって彼は「誰にでも上手くいかないときはある。自分は最近運が悪かった」とだけ答えます。

その言葉に呼応するかのように、銀行からおろしてきた家の改修費用をひったくられてしまう沈螺。オートバイに引きずられてケガをした彼女を、呉居藍は抱きかかえて病院に連れていきます。

心配した江易盛は呉居藍の携帯番号を聞こうとしますが、沈螺は何とか取り繕います。呉居藍が携帯はおろか、手続きのための身分証すら持っていないことに気づいたからです。

貯金もほとんど底をついたと沈螺が嘆くと「金は稼げばいい。命があってよかった」と淡々と言う呉居藍に沈螺は「運が悪くてここに来たって言ったわね。じゃ、居る間は出来る限り手助けするから」と約束します。

利き手のケガが不自由なのではと様子を見に来た江易盛と周不言でしたが、かえって呉居藍の料理を振る舞われることになります。呉居藍は取り箸で絶えずおかずを沈螺に取り分け、自分はもう一方の手で箸を使って優雅に食事をし、「自分は左右同じに使える」と事も無げに言うのでした。 

その晩、周不言がやってきて、困っているだろうから、この家を高値で買うと言い出します。ここは思い出の家だから売れない、と沈螺がやんわり断っているにもかかわらず、いつまでも食い下がる彼女に呉居藍は、「うるさい」とひと言いって鼻先で門を閉めてしまいます。
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周不言
〜〜〜

ドラマには直接同じシーンはありませんが、おじいちゃんの遺産相続に現れた継母の裏で(安佐の手先である)周不聞が暗躍していたり、兄を慕う周不言(周不聞とは血縁関係がない)が沈螺を困らせたり、という形で表れています。

安佐はドラマだけに登場する人物で、小説では最後の方に出てくる、ある人物がモデルと思われます。彼は養い親を復活させるべく、ドラマでは骨董商の周不聞を操る形で霊珠を付け狙います。やることは冷酷非道なのに動機が純粋という困った人。さらに困ったことに、彼はドラマの第2季ではヒロインのお兄さん役で登場し、またもや親孝行のために困った行動を続けるんですね...。

しかし、中国では親孝行は絶対善。

去年、中国で公開されたスター・ウォーズ《星球大战:原力觉醒》(フォースの覚醒)は、万里の長城まで使った大プロモーションを行った割に、さっぱりヒットしませんでした。

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写真は「ねとらぼ」より

なんで?と中国の人に聞いたら、IQを疑われてるかのような、まるで呉居藍が沈螺を睨むような目つきで

「中国で、子どもが親を殺すなんて親不孝な話がヒットするわけないじゃん」

と冷たく言い放たれてしまいました。あっ、そ。

第5章
思わぬアクシデントはありましたが、改修工事がスタートします。沈螺はケガをしているので、呉居藍が工事を監督しているのですが、その手厳しいこと。職人さんたちのプライドをへし折っても全然意に意に介していません。仕方なく、

吴居蓝扮K脸,我扮红脸,他打了棒子,我就给枣。
(呉居藍はお目付役、私がなだめ役、彼がムチなら私がアメに回るしかなかった)

一方で沈螺は思います。彼は確かにボスの私より偉そうにはしてるけど、仕事ぶりはとても真面目で丁寧だし、お願いしたことに絶対口答えしたりしないわ。

そのうち、呉居藍が賄いを作ったり、仕事の見本をみせたりすることで、職人も彼を誉めるようになります。

工事が佳境に入ると、騒音で部屋にはいられず、沈螺は離れでMP3を聴きながらおじいちゃんの愛読書《唐诗鉴赏辞典》を読み始めます。気が付くと呉居藍もやってきて、ある詩を熱心に眺めています。

それは王維の《新秦郡松树歌》という詩で、沈螺は、当時文壇でもてはやされた王維ほどの万能の美青年が、高潔でありながら優雅な松の樹に例えた相手は、一体どれほどの人物だったのかしら、と思います。呉居藍は「摩詰のお世辞なんか真剣に考えたって意味ない」と言いながら、微笑みを浮かべて嬉しそう。

何だかモヤモヤする沈螺ですが、MP3のイヤホンを片方、呉居藍に渡します。《夏夜星空海》という曲を彼も気に入ったようでした。

改修が終わって最初に来た宿泊客はなんと周不聞でした。彼は改修済の部屋ではなく、元からある部屋に泊まりたいと希望します。ところが沈螺が呉居藍に使わせていると聞いて、おじいちゃんの部屋は誰にも使わせないと思っていたのにと周不聞は驚きます。沈螺は「呉居藍は身内だから」と言い訳しますが、自分でもなぜそう思うのか、内心困惑していました。

小さい頃から不仲な両親を見て育っているので、沈螺は恋愛や結婚に何の幻想も抱いていません。もし結婚するなら、安定した生活を送り、落ち着いた周不聞は理想の相手なはず。でも…。

〜〜〜〜
“红脸”“K脸”というのは京劇の隈取から来た言葉です。京劇は隈取の色でキャラの性格が分かるようになっていて、たとえば顔の真ん中を真っ白に塗った人は道化役(だから「面白い」んですね)。

“红脸”は正義漢、“K脸”は謹厳実直、堅物の役の隈取です。

日本語の「アメ」のところが中国語では“ナツメ”なのも興味深いところ。

小説の沈螺は大卒で、貧しくて学校にも行っていないと思っていた呉居藍が唐詩の本に興味を示すのに驚くのですが、すぐに「人を低いところから見るのはイヌだけよ」と自分を叱り、ノーベル文学賞をとった莫言だって小学校も出てないと考えなおします。

2人の読んでいた本は銘柄まで指定があって(笑)上海辞书出版社《唐诗鉴赏辞典》という本です。日本で言うと古典大系みたいな本でしょうか、実在するロングセラーです。

この回も直接はドラマに登場しませんが、呉居藍がナンパの一環(?)として贈ったラブレターに詩が書いてありました。確か詩経の一節だったかと思いますが、素朴な愛情を読んだ詩として綿々と愛されているという他に、唐代の人にとっては唐詩は同時代文学(!)なので、さらに古い詩経こそ教養の証で、呉居藍もそれを見聞きしていたという意味もあるんじゃないでしょうか。

第6回
まずいことに、沈螺はどうやら呉居藍が好きになってしまったのではないかとうろたえます。

いったん気づくと、雑草のように焼き払うことも、紙ごみのように焼き捨てることもできない厄介な感情を何とか薄めようと必死になる沈螺。

“我一直认为这世界没有永恒…
不管是一段爱情,还是一个誓言;不管是一座山,还是一片海;甚至我们所在的地球、照耀我们的太阳、容纳一切的宇宙,只要有足够长的时间,都终将会死亡消失。


(この世界に永遠などないと私は思っていた。どんな愛も誓いも、山も海も、私たちの住む地球も、私たちを照らす太陽も、全てを包む宇宙でさえも、長い年月ののちにはすべて死に絶えて消えてしまうのだと)

だったら自分の取るに足らない愛情なんて、時間さえあれば消えてしまうはずと彼女は考えます。

彼女は呉居藍にいちいち「すみません」「ありがとう」「申し訳ないですが」と礼儀正しく接し、何とか距離を置こうと努めます。

満月の夜、遊びに来た江易盛に沈螺は、呉居藍が親戚でもなんでもないと告白し、自分はとても現実的なのに「あんな人を好きになるなんて、“渣男”(クズ男)を好きになるよりもっと悲惨だ」と話したのを呉居藍に聞かれてしまいます。

パソコンの検索履歴に“渣男”という言葉を発見した沈螺は、夜中になっても帰ってこない呉居藍を狂ったように探しまわります。

明け方になってようやく戻ってきた彼に必死で謝る沈螺。でも呉居藍は用事があって出かけただけだと相変わらず冷淡な態度を変えません。一方の周不聞は沈螺の慌てぶりを見て、事の真相に気づきます。彼は、自分なら安定した生活と未来が約束できると沈螺に迫りますが、沈螺は拒否します。

自分が必要と思っていたものは何だろう。食べ物も着る物も買うことができるし代わりがある。でも呉居藍はひとりしかいない...。彼女は呉居藍に向かって、ついに自分の思いを告げます。

〜〜〜
ってまだ第6章なのに…展開速っ!

とはいえ、本は実質19章で終わりだから、章数だけでいえば、32回のドラマよりはだいぶ少ないとは言えますが…。 

ドラマの沈螺は明らかに最初から呉居藍が気に入ってるのですが、しばらくは恋愛そのものを拒否する態度を取っています。ドラマの方の呉居藍はせりふでは明確に否定しているものの、態度が拒否していないという演出。

一方、小説では、呉居藍がどう思っているかの手がかりは非常に乏しく、ひょっとしたら沈螺の独り相撲かも、と思わせるように書かれています。このあたり、メディアの違いで面白いですね。

この章でもうひとつ面白いと思ったのは、あいさつ言葉に対する中国の人の考え方です。「ありがとう」「すみません」「どうぞ」…などなど、日本では人間関係の基本ですが、中国ではこれを言う対象は「よその人」で、身内じゃないってことなんですね。

第7章

这几天,我一直在思索,表白后到底有几种结果。
我愿意,我也喜欢你……
是接受。
对不起,你是个好人,但是我……
是拒绝。
太突然,我要考虑一下……
是没有接受,也没有拒绝。
应该只有这三种结果了。
那么,吴居蓝的“我知道了”算什么呢?


(ここ数日、私は考えていた。告白したら、結果はどうなるかっていうと、
僕も君が好きだった...
なら、Yes。
すまない、君は良い人だけど、僕は…
なら、No。
そんなこと急に言われても。少し考えさせてくれ…
なら、保留。
返事はこの3つしかないはずじゃない?
だったら、呉居藍の「わかった」っていうのは、何なわけ?)


どう考えても承諾ではないけど、拒否でもなさそうだし…。
でも、呉居藍は行き倒れて死にそうなときでさえ、人が作った食事を「まずい」と言い放った男。当然、恋愛の好みはもっとうるさいはずと沈螺もあきらめ顔です。

しばらくよそには行かない、と言われたのはいいけれど、ひったくりの被害と改修とで貯蓄は底をついてしまい、貝殻細工づくりも大した助けにはならず、ついに沈螺は、拒否されて部屋を引き払った周不聞に相談しようとします。呉居藍はそれを止めて、何やら流木で作りはじめます。出来上がったのは古琴。沈螺はこんなものが売れるのかといぶかりながら、密かに江易盛に文化人に声をかけるよう頼みます。

一方の呉居藍は大きなマグロを釣ってくると、古琴を見に集まった人たちから料金を徴収して「魚膾宴」を開きます。唐代で盛んだった、文人がその場で包丁をふるって刺身を振る舞うもので、二刀流の包丁さばきと、それに続く古琴での《夏夜星空海》の演奏に客人たちは大満足。

1年分の生活費に近い金額を払って客たちが帰ったあと、呉居藍はそれを全部沈螺にくれると言います。沈螺はここまでしてくれた理由は、ただ人助けのためではないはずと詰問します。呉居藍は、自分の来歴も知らないのにと言いますが、沈螺は手をつかんで離しません。ついに呉居藍は次の満月まで気が変わらなかったら、自分は、と言いさして、いつまで手をつかんでるつもりかと聞きます。

沈螺が自分のしていることに気づいて赤くなると、呉居藍はその頬をつねってひと言“礼尚往来”(礼には礼をもって返す)とだけ言うと、あっけに取られている沈螺を残して「お休み」と部屋に引っ込んでしまいます。

今ごろ仕返しするなんて!と沈螺は呆れつつ、でも絶対仕返しする気なら、もっと他のこともしとくんだった、と思うのでした。

〜〜〜
唐代の文人は詩を書くだけでなく、文武や芸事にも通じていたらしく、武器は剣、楽器は古琴をたしなむのが定番でした。日本でいえば笛みたいなものでしょうか? 李白も包丁をとって客人をもてなしたといいます。

この章は絵になる内容ということもあってか、テレビ版でもばっちり使われていますね。

宴の魚はテレビ版では“海鳳凰”と言っていますが、小説版では“蓝鳍金枪鱼”(ミナミマグロ)。日本で高値で競られてニュースになった、という描写があるので、クロマグロのつもりかもしれません。

中国ではホスト自ら腕をふるって膾をふるまうというパフォーマンスの他に、古代には、お魚はやっぱり膾じゃないと、という人もいたようです。膾好きはやはり当たる人も多かったらしく、三国時代にお刺身好きだった陳登は、寄生虫にやられて名医の華陀に助けられましたが、再発するよって言われていたのに刺身を食べるのをやめず、再発したときには華陀がいなかったので助かりませんでした。いつまでも居ると思うな、親と華陀…なんちゃって。

衛生状態がよくなかったり、素材が新鮮でないと、やはり生食は危険ですよね。だから、中国では刺身が廃れてしまったのでしょう。

時代をさかのぼると、膾にしたのは魚ばかりではなかったらしく、鴻門の会で劉邦を助けに向かった樊噲(はんかい)に、項羽がブタのショルダー肉をふるまうシーンがあります。当然これは生肉。樊噲が躊躇せず食べたので、項羽から「壮士なり」という賛辞を受けたんですね。

今はどうか分かりませんが、昔、中国で少数民族の自治区にいくと、区のお知らせとかが壁に貼ってあり、「ブタ肉を生で食べるのはやめましょう!」みたいな標語とともにマンガが描かれてました。その内容は、酒の席で勇を競って生肉を食べて倒れる...みたいな内容で、こりゃやめさせるのは無理だわ...と思った記憶があります。

さて。“礼尚往来”はテレビでもとても印象的なセリフで、こんな可愛らしいシーンに使われています。

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まったく千年も顔がフリーズしてるんだから

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この方がよっぽど可愛いわ/筆貸して 

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何したの?/礼には礼をもって返したよ

ただ、もうドラマも終盤なので、シーンとしては可愛らしいけど、シチュエーションとしては本当につらい場面ですね…。

ということで、次回は早くも小説は折り返しに入ります。

この続きは、那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編2 でそうぞ。



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2017年10月28日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編1

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《那片星空,那片海》(あの星空、あの海。)は、小さな南の島での、たった3カ月の恋を描いた物語。

桐華さんの同名小説からテレビドラマ化され、主役の呉居藍〈ウー・ジュイラン〉をウィリアム・フォンが、ヒロインの沈螺〈シェン・ルオ〉をクオ・ビーティンが演じています。

ってことで、前回のネタバレなし編に引き続きまして、今度はネタバレありで、お話を見て参りましょう。

小説を読んでみると改めて、テレビドラマは上手いことつまんで作ってるな〜と感心します。主人公の口数が少ない、という設定もあるのでしょうが、あまりセリフに頼らないで、俳優の動作や表情、カット割りに登場人物の気持ちを語らせる進行はドラマならでは。

小説の方はというと、(私の感覚では)文体とか描写とか、かなり俗っぽい印象なんですけど、最後の最後でいきなりものすごく哲学的な高みにのぼっていくという、なかなか奥深い作品であります。

小説とドラマを両方見て納得したところも結構あります。たとえば、〈時間〉にまつわる3枚の絵のエピソードとか、霊珠の効力の話とか、白魔術師がなぜ人魚王に忠義を尽くしているのかとか、その辺の話はドラマ(少なくとも第1部)では説明が端折られてるので取ってつけたような感じがするんですが、小説ではより具体的で、プロットの進行に巧みに絡んできます。

特に、「3枚の絵のエピソード」は、ドラマではすごく唐突な印象で、呉居藍よ、自分をそんな美化して描いてどうするの…(笑)としか思えなかったんですけど、なるほど、小説ではかなり印象に残る話なんですね。

この物語には大きなポイントになるテーマが2つあるのですが、エピソードの順番などの関係で、小説とドラマではそれぞれの比重が逆転していて、片方のテーマを見落としがちです。

でも、小説とドラマの両方を見ることで、それぞれが2つのテーマをきちんと織り込んでいることが分かり、もう少し深く話をとらえることができたような気がします。

と言うわけで、皆さまドラマの方はご覧になったでしょうが、いちおう、ドラマ(全32話)のおさらいもしつつ、小説(プロローグ+20章)を見ていくことにいたしましょう。



プロローグ
このパートは、小説もドラマも全く同じで、ドラマの方はナレーションが小説をそのまま読み、画面はアニメで表現されています。

月光の下、死神が鎌を振るって、ある男子の命を刈り取ろうとしています。この運命を逃れる術を尋ねる男子に、死神は、お前のために命を投げうってくれる少女を探し、その魂を差し出させれば助かるだろう、と告げます。どうやったらそんなことが出来るのか、と尋ねる男子。死神は、少女が心からお前を愛するようにすればよい、と教えます。するとまた、どうしたら心から愛してくれるのか、と尋ねる男子。

死神は、いい加減、自分でググれ!!とは言わず(よっぽど言いたかったでしょうけど)、ニヤリと笑うと、自分の心を相手に差し出せばよいのさ、と答えます。
〜〜〜
小説では、この部分が、がっつり罠になっているのですが、ドラマでは、関係あるようなないような微妙な感じです。ひょっとしたら、ドラマの第2部か3部の伏線になっているのかも知れません。分かんないけど...。

第1章
おじいちゃんの葬儀の翌朝、「私」は早く起きて、庭の掃除をしていました。ここは小さい頃住んでいた、南の島にあるおじいちゃんの古い家で、「私」はおじいちゃんの看病のために戻っていたのです。

掃除の途中で外塀にある門を開けると、上は海員服、下は観光客が履くような短パンというおかしな身なりの素足の男が、意識を失って倒れ込んできます。

助けを呼ぼうと電話をかけているうちに、男は目を覚まして、医者を呼ぶなと言ったきり黙ってしまいます。その眼を見た「私」は、まるで満天の星が輝く夏の夜の海が映し出されているような、不思議な気持ちに囚われるのでした。

“那是怎样一双惊心动魄的眼眸 K中透着靛蓝,深邃、平静、辽阔,像是风平浪静、繁星满天时的夏夜大海,整个璀璨的星空都被它吞纳,整个宇宙的秘密都藏在其间,让人忍不住凝望、探究”
(それはどんなにか心震える瞳だったことだろう―深い青を湛えたその黒い瞳は、静かで、深く、そして果てしなく、まるで風も波もない、満天に星が輝く夏の海のようで、星々を散りばめた空のすべてを、宇宙の秘密のすべてを宿し、見つめずにはいられない、その奥にあるものを知らずにはいられないと思わせた)

男が所望する水を飲ませている頃には、葬儀のために上海から祖父の家に戻ってきた父、継母、そして腹違いの弟が起きてきます。

そこへ、きちんとした身なりをした、上品な男性が訪ねてきます。遺産相続の手続きのために島外から呼ばれだ弁護士の周不聞〈チョウ・ブウェン〉氏で、彼の裁定で14歳の弟はすべての預金を相続し、25歳の「私」・沈螺〈シェン・ルオ〉はおじいさんの家を相続することになります。
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周不聞

手続きも済み、帰り際に、弟は家に残されていた古い鏡を持ちだそうとして沈螺と大ケンカになります。沈螺の抵抗もむなしく鏡は持ち去られ、独り残された彼女は、堰を切ったように泣き出します。そこで彼女は、今朝行き倒れていた男がまだその場に居て、こちらを見ていることに気づくのでした…。

〜〜〜〜〜〜

この時点では迷い込んだ野良猫を保護したような気分でいた沈螺。ボロボロの猫ほど情が移ってしまうものですが、果たして…。

ドラマの方は、つかみが大事ということか、第1話の冒頭はド派手にニューヨークのシーンから始まり(豪華な予算で結構ですこと〜☆)、視聴者は最初から、主人公の又吉…いえ、レグルスが常人ならざる人物で、女魔術師の老ヴァイオレットの招きで海からやってきたことを知ります。

レグルスは150年前、友人とばかり思っていた杜少林という男に、生命の源である「霊珠」をだまし取られ、あと3か月の命。そんなギリギリのタイミングで、ついにヴィオレットは杜少林の逃亡先である、南の島の古い家を探し出し、そこに霊珠があるはずだと彼に告げます。

もっと激怒しても良さそうなもんですが、登場したばかりのレグルスは淡々とした様子で、それほど奪回に積極的にも見えません。

(実はこの回を見ているときは気づいてなかったんですけど、後の方の回になって思い返すと、小説で重きが置かれたポイントは、実はドラマでもちゃんと初回から設定され、表現されていたんですね…。なのでこのシーンはとても重要)

ちなみに、ドラマでは継母は出てくるんですが、お父さんと弟は画面には出ません。

第2章
身内とのみっともないケンカを行き倒れの浮浪者にずっと目撃されていたと気づいて、憤る沈螺。しかし、彼が他に頼る人もない身だと分かると、彼を引き留めて、ここで働かないかと持ち掛けます。しばらくの沈黙ののち、相手は承諾し、呉居藍と名乗ります。

シャワーを浴びて、白いシャツと黒いズボン、というシンプルな服に着替えた呉居藍を見た沈螺は驚きます。
“夕阳在天,人影在地,他白衫K裤,笔直地站在那里,巍巍如孤松立,轩轩如朝霞举,眉目如画,色转皎然,几乎不像尘世中人。”
(空を染める夕陽を受けて、大地に影が伸びている。白いシャツに黒いズボンのすらりとした立ち姿は 独りそびえる松か 立ちのぼる霞を思わせた。整った目鼻立ち、抜けるような白い肌、まるでこの世のものならぬ雰囲気をまとっていた)

それでも、彼を完全に信用したわけではない沈螺は、その夜、万一の用心にと寝室のドアの前に空き瓶を立て並べて休むのでした。

〜〜〜
呉居藍の美しさに圧倒される沈螺ですが、古典的な形容詞を使って、彼が時代を超える存在であることを匂わせています。

それにしても呉居藍…。日本語で言ったら、野比のび太とか伊奈かっぺいみたいな安易なネーミング、呉居藍(吾居藍:私は藍色(=海)に住んでいる、と同音)といい、江易盛(江医師、と同音)といい、朱一様(豚みたい、と同音)、といい、巫リャンリャン(美貌の魔女の意味)といい、何でこんなに投げやりな名づけなの?とドラマを見てたときは思ったもんですが、原作を読むと江易盛は子どもの頃からあだ名が江医師だったとかって書いてある。確信犯(誤用)だったのか。

まあ、お話と切り離せば呉居藍ってなかなか素敵な名前だけど…。

小説でもドラマでも、沈螺がおじいさんから引き継いだ家がとても重要な役割を果たします。小説の家の描写は見事なんですが、ドラマの再現度もスゴイですね。住みたいな、こんな家。

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小説では、この家を周不言が気に入ったことからトラブルが始まるのですが、ドラマでは淡々として穏やかな日々の素晴らしさの象徴として、要所要所で家の風景が映ります。


第3章
翌朝、ビンが倒れずに立っているのを見て、沈螺はホッとします。窓を開けると、晴れた空の下、鮮やかな花が咲き誇る庭で、呉居藍が洗濯物を干しています。
“这么一幕简单平常的家居景象,竟然让我的心刹那变得柔软温暖”
(こんな何てこともない日常の風景に、私の心はたちまち和んで温かくなった)

…とほっこりしたのもつかの間、彼女は呉居藍が、洗濯機も使わず、いえ、洗剤も使わず、パソコンを恐らく見たことがなく、下手をするとエアコンもレンジも冷蔵庫も使ったことがないのではと気づきます。どんな山奥から来たのか、あるいは実家が信じられないほど貧乏なのかと訝るものの、プライドが高そうな呉居藍を傷つけないように、さりげなく説明書をそろえて、見ておくように促します。

そこへ、幼馴染の外科医・江易盛が、昨日の周弁護士と、その従妹の周不言を連れて遊びに来ます。礼儀正しく弁護士に接する沈螺に江医師は大笑い。実は彼は高校の頃、江医師、沈螺と仲良し三人組で、彼女に人生初のラブレターをくれた李敬(あだなは大頭〈ダートウ〉)だったのです。父親の死後、彼は島を離れ、母の再婚相手と養子縁組をして名前を変えていたのでした。

呉居藍は彼らに、自分は沈螺のいとこで、プログラマをしていると自己紹介します。無愛想だけどウソをつかないのが彼の長所だと思っていた…っつーか、さっきまでパソコンの使い方知らなかったよね?と、沈螺は驚きますが、ウソをつかないのではなく、不必要なウソはつかないのだと考えを改めます。周不言は沈螺の家が気に入り、高額の家賃で借りたいと申し出ますが、沈螺はここで民宿をするつもりだからと断ります。

〜〜〜

ドラマの呉居藍もビール瓶に侵入を阻まれますが(笑)、手で触れずに物が動かせるので意味なかったですね。ドラマの沈螺は、彼が江医師の連れてきた“禁欲系”という触れ込みのボーイフレンド候補だと勘違いして家に泊めてしまいます。

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情にもろいけどケンカに強い、鉄火肌?のヒロイン・沈螺

私は長年「草食系」の中国語訳が“禁欲系”なんだと勘違いしてましたが、かなり意味が違いました(恥・すみません、トレンドに疎くて)。代表的な人物は《花千骨》〈はなせんこつ〉でウォレス・フォ(霍建华)が演じた白子画あたりだそうなんですが、外見はクールでも内に秘めたる情熱が、というとむしろ《琅琊榜》(ろうやぼう)でフー・ゴー(古歌)が演じた梅長蘇がイメージ通りなんだけど…。まぁ、いいや。

ドラマの呉居藍は小螺の同情を引き、“卖萌”(「萌え」を売ったわけね・笑)成功して置いてもらうんですが、民宿経営の人手に雇われたわけではなく、当初はただの居候です。とりあえず、恩返しのつもりか炊事したり洗濯したり掃除したり自主的にやってるんですけど、リモコンをさわったらいきなりテレビがついて…

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驚いて、壊した(笑)ので、働いて弁償するというトホホな展開に。

さて、ドラマの方の大きな改変の1つは、初盤ではおじいちゃんがまだ入院している設定になっていることです。おじいちゃんが自分亡き後の沈螺を心配して、彼氏はいないのか、連れて来なさいとしつこいために、沈螺は呉居藍を恋人に仕立てて凌ごうとします。

呉居藍は呉居藍で、彼が霊珠の行方を知っているはずだと疑い、ついにはおじいちゃんに殺されそうになります。この人の好さそうなおじいちゃんがどうして…という謎は中盤で明らかになりますが、謎解きの役割に加えて、去り行く運命のおじいちゃんと残される沈螺というプロットが、後半にリフレインされる展開になり、テーマに奥行きを与えています。

小説ではこの形でのリフレインがないのね、と思っていたら、ちょっと違う形で用意されているんですね。
そのあたりも続けて見ていきましょう!ということで、今回はここまで。

posted by 銀の匙 at 16:39| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

ベイビー・ドライバー

実は先日、音の良い劇場で観ようと立川シネマシティの席を予約しといたのに、天候に阻まれて断念。それでも執念で再チャレンジいたしました。

立川まで行く時間がどうしても取れなかったのと、お金を損したのがちょっと悔しくて(←映画館のせいじゃなくて天気のせいですが)、新宿の別の映画館で観たのですが…

悪いことは言いません。
絶対音響の良い映画館で観ましょう!

クライムものは残虐だからやだなぁと思っていましたが、そんな苦手意識を吹っ飛ばす音作りに、グッとくること請け合いです。

歌や楽器で出す音だけじゃなくて、身の回りのどんな音も、町の喧噪も人の話し声も雑音も、すべては音楽だと常々思っていますが、この映画はまさにそれを体感させてくれます。

主役の「ベイビー」は幼い頃の交通事故が原因で耳鳴りが止まず、それを誤魔化すために音楽が手放せません。アーティストの演奏を聴くばかりでなく、自分でも録音機を駆使して素材を集め、ミックスして面白い音源を作り出します。その音楽に乗り、彼は自在に車を操ります。

その天才的なドライビングテクニックを見込んで、町の麻薬王が強盗の「逃がし屋」として彼を使っています。協力したくなくても、養い親やガールフレンドの安全を考えると仕事を断れないベイビー。麻薬王は、次の仕事が終われば解放してやると約束するのですが…。



全編を彩るご機嫌なナンバーはもちろん、音にピタリと嵌るベイビーの一挙一動から目が離せません。クールに見えて心の優しいベイビーは当然のこと、ガールフレンドのデボラも慎ましやかながら機転の利く良い娘で、とても魅力的です。

彼女には「ドライバーの仕事をしているが、もう辞める」と言っていたベイビーですが、無理やり仕事を手伝わされた上に、彼女が働くダイナーに仕事で組まされたワルたちを連れて入る羽目になってしまいます。

この店は嫌いだから入りたくない、と、いつも無口なベイビーが珍しく抵抗したために、却って知り合いがいると嗅ぎつけられてしまう。

ワルの一人が、注文を取りに来たデボラに「この店が嫌いなんだとよ」というと、瞬時に状況を悟って、ベイビーと知り合いということを微塵も感じさせず、震えながら「それではアンケートにご記入ください、改善させていただきます」と咄嗟に答えるシーンがとても好き。

かなりスリルのある展開の割に最後が非常にマイルドなのが、ハードボイルド好きの方の評価が辛い一因でしょうが、救いのあるこの甘い展開が清教徒っぽさを感じさせて、私は好きです。せっかくハリウッド映画なんだから、厳しい現実より、こういう人の善意を感じさせるラストでなくちゃ…。


敢えて名は秘す新宿の映画館で観ました。
音の焦点がボケててイライラしました。
担当の方は、調整頑張ってください! よろしくお願いします。

posted by 銀の匙 at 01:23| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ 2の1 ネタバレなし編

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台風と共に夏も去ってしまい、あぁ、今年も夏の海の「う」の字も見られなかった…と涙目になっております銀の匙です。

だからという訳でもないんですけど、ヤン・ミーとマーク・チャオが熱演してる《三生三世十里桃花》を途中で投げ出し(そりゃ、話も面白いし、ヒロインを演じるヤン・ミーは一児のママとは思えないほどチャーミングで素敵なドラマだったんだけど、桃は春だし崑崙山が舞台の回は季節感がなくて、って当たり前か…)、リゾート気分満載の、男子版ラブロマンス付きメアリー・ポピンズ《那片星空,那片海》(「あの星空、あの海。」)に乗り換えてしまいました。

絵面がパステルカラーで美しく、青中心のコスチュームも綺麗で大変目の保養になったのですが、ファンタジックなお話の底に、原作由来と思われる重いテーマの錨がついてて結構面白く見ました。

32話しかないから夏の終わりと共に見終わってしまったんですけど、中国語版はよく見るとタイトル文字の脇にちっさ〜く「I」の文字が。

続きがあるのね…!

早速DVDを取り寄せて観よう!と思ったら、本国でも放映自体が今年(2017年)の10月以降らしい。

なぜ、夏の話を秋にやる!?
(追記:↑ 第二季が始まりましたが、最初の方のエピソードに中秋節が出てきます。ってことは、秋の話なんですね...。失礼しました!
夏の海の続きは秋の海 ♪いまは〜もう秋〜 だれ〜もいない海〜(泣;;)


それはともかく、このロスをどうしてくれようかと思う間もなく、同じく、タイトルに原作小説からの改変と表示があったので、いっちょその原作を読んでみようかと思いたった次第(忙しいとか言って、ヒマなのか?…いえ、問題山積のため現実逃避ですホントすみません)。

てわけで、前置き長かったですが、本自体は2日もあればスキマ時間で十分読めます。ぱっと見、同じ描写を何回も使いまわしてる印象で、何これケータイ小説?みたいな箇所が多いのは否めないものの、時々ちらほらと作者の古典の素養を見せつけるような部分もあったりします。

どうやら作者はただもんじゃなさそうだし、話も単なるライトノベルって訳でもなさそうだ…とは思いはすれど、最初の1、2章は特に、格段ワクワクするようなエピソードでもないので、後ろの展開を知らないと投げ出してしまいそう。

いきなり原作から読んだ人は偉いな〜、と思ったら、作者は《宮廷女官若曦》の桐華さんなんですね。なるほど、実績があるので、みんな頑張って読んだわけか…。

ということで、これから読まれる方もいらっしゃるでしょうから、
今回は「これから読む方向け」に重大なネタバレをしない程度に簡単なあらすじ+テレビドラマとの大きな違い(ネタバレしない範囲)と感想にとどめておき、

次回は「小説は読まないと思うが、章ごとの内容が知りたい方向け(ネタバレ)」+テレビドラマとの細かい比較と感想を書く、

という構成で、さっそく参りましょう!



さて、いくらネタバレなしとは言っても登場人物の紹介ぐらいはしておくと、主人公は沈螺〈シェン・ルオ/ドラマではクオ・ビーティンが演じます〉という女性で、小説全体が彼女の一人称視点で書かれています。

つまり、プロローグ(これはテレビドラマの最初にアニメで登場した内容と全く同じ)を除いては、沈螺が知らないことは読者にも伏せられています。

なので、彼女の家に現れた謎の人物が何者なのかは、しばらく読まないと分かりません。

いきなりビックリなのですが、小説はドラマ前半の重要人物だった沈螺のおじいさんが亡くなってから始まります。逆に、テレビドラマにはついに登場しなかった、沈螺のお父さん、お父さんの再婚相手(継母)、腹違いの弟がしょっぱなから登場します。

ということで、ヒロインは複雑な家庭環境の紹介と共にかなり暗い雰囲気を醸し出しつつ、故郷の島のおじいさんの家の敷地で行き倒れている、服はボロボロなのに「優雅なピアニストのような手指をした」浮浪者(?)を助けるわけですが、何せ状況が立て込んでいるので哀れ浮浪者はちらっと出たきり、章の終わりの方まで放置されてしまいます。

そうこうするうち、家には父親が依頼した「周不聞〈チョウ・ブウェン/ドラマでは隋嘆良が演じます〉弁護士」がリュウとした身なりで現れ、テキパキと遺産相続の手続きが進みます。

結局、現金は弟が、おじいさんが住んでいた古い家は沈螺が相続することに決まるのですが、弟はかなりわがままな性格で、沈螺が必死に抵抗したにもかかわらず、おじいさんが残した銅鏡を取り上げ、一家は沈螺を残して今住んでいる上海に帰ってしまいます。

ようやく静かになって、おじいさんとの別れに泣き崩れた沈螺はここでようやく浮浪者の存在を思い出します(というか、思い出さざるを得なくなったのですが)。

彼がまた、助けられたというのに冷淡な態度で、無表情な上に口数も極端に少なく、待っていろと言われればじっと座って待ち、出て行けと言われれば出ていこうとする素直(?)な人物で、沈螺は仕方なく独りであれこれ喋っているうちに、彼に、この家に残って働かないかともちかけることになります。

実は沈螺は、おじいさんの介護をしようと仕事をやめて島に戻ってきてしまったため、家を民宿にして経営しようと考えており、人手が必要だったのでした。

男性はあっさりと提案を承諾し、呉居藍(ウー・ジュイラン/ドラマ版ではウィリアム・フォンが演じます)と名乗ります。

彼は掃除洗濯食事の支度と、言われた家事は完璧にこなす一方、洗濯機やテレビ、パソコンといった電化製品は見たこともなかった様子で、沈螺はいったいどんな山奥から来たのだろうかと内心驚きます。そこへ、幼馴染みの江易盛(ジャン・イーション/ドラマでは黄明が演じます)医師が、周不聞弁護士と共にやってきます。

実は周弁護士は沈螺の幼馴染みの李大頭〈リー・ダートウ〉で、父親の死後、母の再婚に伴って継父の養子になり、海外で暮らしていて島に戻ってきたところでした。

話に加わった呉居藍は、いきなり自分は沈螺の従兄だと言い出し、プログラマをしていたと自己紹介をします。ちょっと前までパソコンの使い方も知らなかった(っていうか見たことなかった?)くせに、一体この人は何者なんでしょうか…。



第3章まではこんな感じで、プロローグから始まり、全19章プラス、エピローグで終わります。ドラマをご覧になった方はお分かりかと思いますが、ここまででも小説とは内容がかなり違います。

ドラマでも、お話の舞台はいちおう中国国内になっているものの、ファンタジーっぽくぼかしているのに対して、原作はもっと中国色を濃厚に感じる設定になっています。

そして残念なお知らせですが、原作には宿敵の安佐〈アンズゥオ/ドラマではサニー・ワンが演じます〉は出ません
ドラマでは第2部の予告にまで出てるのに…しかも、クオ・ビーティンのお兄さん役で。
(予告編はこちら↓
 https://www.youtube.com/watch?v=CqD8XP_-NBU )

しかも、演じてるサニー・ワンご本人の境遇が、かなり呉居藍と被ってるんですけど(どこが被ってるかはネタバレになるから内緒。どうですか、ドラマをご覧になった皆様?)。

悲報はさておき、最初に書きました通り、小説の方は沈螺の視点から書かれているので、逆に、彼女がどんな人だか良く分かりづらいんですよね…。

描写のかなりの部分は彼女の独白が占めているのですが、情に篤い女性に見せたいらしいにも関わらず、状況説明も彼女の独白が担っているので、ずいぶんと冷静に観察・計算してる人だなという印象を受けてしまい、ドラマのような溌剌とした魅力に欠けるように思います。容姿についての描写もないし…。

呉居藍については、もう少しは描写があるのですが、どうも片側からだけライトを当てているような平板な感じな上に、あらすじですでにお分かりのように、口数が少なく、品格があって言葉で誤魔化すようなことはしない、という人物像と、咄嗟に身分を偽るようなことが言える人、という描写が矛盾しています。これについては作者もまずいと思ったのか、沈螺に後であれこれ考察させているんですけど、キャラが分裂している印象は拭えません。

ドラマの方は、一貫して寡黙なイメージを崩さず、誤解を受けたり、追及されたりすると「物凄く不機嫌そうな顔で相手を睨んで押し黙る」という、メアリー・ポピンズそっくりな必殺技で通します。

(ディズニー映画しかご覧になってない方はご存知ないかもしれませんが、ナニーとしてバンクス家に雇われているメアリー・ポピンズは、原作ではこの技でいつも雇い主を怯えさせているんですね〜♪)

一方、ドラマで気の利いたセリフがあると、ほとんどは原作からの引用のようなので、そういう面からするとさすがは人気作家さんだと感心したりもします。

それに、おおすじ韓流ドラマのあらすじで観たような内容(「星から来たあなた」とか…)に見えるけど、後ろにこの作品なりの(ドラマともやや違う)テーマが見え隠れする点が、単なるエンタメ小説とは違うところ。

でも「宮崎駿のアニメみたいな空」とかって自然描写は、小説としてどうなんだろう…。いえ、クール・ジャパンをお取り上げくださり、ありがとうございます! これからもご贔屓に!

ということで、ちょっと先になるかと思いますが、次回のエントリーではネタバレを含んでドラマと小説を共にご紹介したいと思います。

では、次回2の2、ネタバレ編→こちらにてお会いしましょう!

posted by 銀の匙 at 10:05| Comment(6) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

マンチェスター・バイ・ザ・シー(注意表記以降、ストーリーの結末に触れています)

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最初、「海辺のマンチェスター」って意味のタイトルなのかと勘違いしており、なんでイギリスの話なのに車が道路の右側を走ってるんだろう…EUから離脱して左側通行はやめたんだっけ?とか妙なことを考えてました。道路脇に星条旗が出てきたので、はっ、アメリカの話か! とようやく気づきはしたのですが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」までで、アメリカのマサチューセッツ州にある、町の名前なんですね…(恥)。

お話は、仲良くしていた兄の訃報を聞いて、その海辺の町に戻ってきた弟・リーと彼を取り巻く人々を描きます。

リーも元々この小さな町に住んでいたのですが、ある事件をきっかけに町を離れ、ボストンで修理屋として働いています。

兄は心臓の持病があり妻とも離婚していたことから、亡くなる前に高校生の息子の後見人として弟を指名し、ボストンから兄の家に引っ越して面倒を見るよう、遺言を残していました。

しかし、それはリーにとってはあまりにも辛い選択でした。甥っ子は住み慣れた場所、友達のいるこの町を離れたくないと抵抗するものの、それを打ち消すように、彼を連れて早くボストンへ戻ろうとするリー。しかし、その間にも、過去につながる記憶や人々と接点を持たざるを得なくなります。そして…。



2017年のアカデミー脚本賞を取った作品ですが、無理に作り込んだところのない自然な展開で、それだけにいっそう、主人公の鬱屈が心に沁みます。

カトリックの子だくさんで飲んだくれで喧嘩っ早くて愛想が悪くて暗くて…と、ある種ステレオタイプ(たぶんアイルランド系の人??)の人物像ではあるものの、現実にいそうな、いかにも自ら不幸を招き寄せそうな男を、ケイシー・アフレックが体現しています。

これほどの打撃を受けたあとでも、そうそう都合よく人が変われるはずもないし、救いや慰めが得られるわけもありません。ただ、主人公自身のほんの少しの変化と、彼を取り巻く人々―別れた妻や父を亡くしたばかりの甥っ子までもがー何かの形で力になろうとしているのを見ると、わずかではあるけれど、希望の光が見えてくるような気がします。


ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
補助席も出る大盛況。
今年の話題作としてまた上映される機会もあるかと思います。
どうぞお見逃しなく。

以下、ストーリーの核心に触れています。これからご覧になる方はここまで。













ボストンで孤独な暮らしを続けるリーが、兄危篤の報を受けて故郷の町へ帰り、兄の居た日々を思い出したりしているうちに向き合わざるを得なくなる事件とは、自分の不注意で自宅を全焼させ、子供たちを失い、妻とは離婚するという救いようのない出来事。

小さな町のこととて、周りは彼の名を聞けば事件を思い出すし、今は再婚している妻とも顔を合わせることになってしまい、彼はどんどん追い詰められたような感じになってくる。それでも、兄が亡くなった当初の自暴自棄のような態度からは少し冷静になってきて、自分はどうしても過去を克服できないながらも、克服できないことを自覚し、甥っ子のためにしてやれる範囲の手立てを考えてやることはできるようになっている。

これがいわゆる「感動作」だったりすると、新しい愛を見つけてみたり、甥っ子と気持ちが通ったりみたいな描写があるのでしょうが、この映画はそんな安っぽいところに逃げてない。

ただ、エンドロールの波音を聞きながら、厳しい寒さに耐えなければならないこの町の冬景色が美しいように、厳しい運命に生きるからこそ、彼の行く手に救いがあってほしいと祈るような気持ちになる、静かで力強い良作です



posted by 銀の匙 at 20:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ありがとう、 トニ・エルドマン

s-tonierdmann.jpg

暑いところに暑苦しいチラシ画像、失礼いたしました。

この毛むくじゃらの図に添えられたコピーが、全てを物語っております。

「愛は不毛じゃない」

さ…

…寒っ!

一言でこの映画の本質を表した、まさに秀逸なるコピーでありますが、お話はまさにこの通り、全編これ全然笑えない、しばらく考え込む、腹立たしくなる、あるいは気づかない、痛々しいおやじギャクがさく裂しております。

いや、ギャグというよりは、イタズラというかむしろ嫌がらせの領域に両足を突っ込んでいるのですが、それでもヴィンフリートはめげません。多国籍企業で働く氷のようなキャリアウーマン、イネスの父として、娘を心配するあまりに後をつけまわす、カルガモの逆バージョンみたいなことを平気でやってのけます。

娘の海外出張先・ルーマニアに堂々と乗り込み、明らかに厄介者扱いされるだけでは飽き足らず、妙なカツラに謎の入れ歯をはめて、勝手に人生コンサルタント、トニ・エルドマンを名乗り、娘の行くところ行くところに現れ、結果的に仕事の邪魔ばかり。

そんな強烈かまってちゃんな父親の行状に切れ者イネスもだんだん歯車が狂ってきて、上司や同僚を交えた大事な場面で、ついに突拍子もない行動に出てしまいます…。



いや〜、わたくし、リアルで行動がトニ・エルドマンそっくりの傑作なお父さんを存じ上げているのですが、端から見てるとすごく面白いんですけど、娘さんは相当ウザく思っているでしょうね...。映画館でこのお2人にトークショーをしてもらったらどうかと思うけど、娘さんはきっとうんとは言わないだろうな(笑)

もっとも、自分は娘の立場とはいえ、ヴィンフリートの気持ちはすごくよく分かります。いつまでも小さな子どもにしか見えない娘が、大人ぶって危なっかしいことばかりしている。ただもうおろおろと、後ろにくっついてちょっかいを出すことしかできない。

娘の方は絶対心底嫌なんだと思いますが(笑)、どこかで、自分の今している仕事の非道さを感じていたのでしょう。何とかそれにフタをしてクールに振る舞ってきたけれど、ついに臨界点に達するときが来る。それは、父の存在がなければ、こうも早く表面化しなかったものかも知れない。

娘と違って父は芸術家(音楽家)なので、奇行もそれなりに許されてきたのでしょうが、いきなり思い切ったことやっちゃう娘も、やはりそのDNAを受け継いでいたんでしょうかね…?

この映画を観るまで、ルーマニアってどんなところか全然知らなかったのですが、今はこんな感じなんですね。石油資源を求めて企業が群がり始めているようですが、日本でもときどきルーマニアの話を見聞きするようになったのはそのせいなんだろうか、と思ったりしていました。ちょっとトニ・エルドマンにちょっかい出されているのかも知れません。

なんて、映画を観ながらあれこれ詮索するヒマがたっぷりあります。全体に話の展開がスローだし、エルドマンは笑えないし。

ハリウッドでリメイクの企画があるそうで、それだと気の利いたエピソードやら盛り上がるシーンやらが巧みに配置され、飽きず、楽しく、感動しながら観られるのでしょう。だけど、私はこの作品の、訥々とした不器用なベタさが愛おしいです。

単館公開は終了しましたが、秋口からまた全国各地で上映されるようなので、機会があればぜひご覧になってみてください。
posted by 銀の匙 at 13:39| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

【注意表記以降、ネタバレあり】ウィリアム・フォン主演「あの星空、あの海。」(那片星空 那片海〜Starry Night Starry Sea)放映開始

*追記しました

s-napian1.jpg

皆様、残暑お見舞い申し上げます。

プロジェクト2個目の終了まであと1か月…。息も絶え絶えの銀の匙です。
夏休みもないので、せめて海辺のリゾートにでも行ったつもりになりたい皆さま、ご一緒に、このリゾート気分満載のテレビドラマを視聴いたしましょう。

それがこちらの中国ドラマ、「あの星空、あの海。(那片星空 那片海 Starry Night Starry Sea」。8月17日からアジアドラマチックTVにて字幕版で放映だそうです。

原色満載!ド派手でにぎやかな中国ドラマ!の先入観を覆す、パステルカラーの美しい海、美しい島、なんで皆あんなにステキな家に住んでるの?と思うようなセット、新海誠監督ばりの美しい背景もさることながら、主人公男女の美しさにバッタリ倒れてしまいそうです。

特に主役・レグルス(レゴラスかと思った)=呉居藍(ウー・ジュイラン)を演じたウィリアム・フォン! 最初の何話かは(又吉シーンを除き)、これ、ウィリアム・フォンのプロモーションビデオか何かですか?と思うようなシーンだらけ。

奇跡のアラフォーというにはお肌きれいすぎて、まさか全編フォトショッ…ゴホゴホ、いえいえ、いつまでも若いまま、という設定がこれほどピッタリな人選もないかと。

ここのところ続けて文芸作品に出ていたので、もうこういうアイドル恋愛ドラマ路線は卒業したのかと思っていたのですが、ある種、ご自分への挑戦(笑)なのでしょうか…。

今回は非常に絵柄が綺麗な作品なので、(たまに、ドーラン塗り過ぎ?みたいなシーンもなくはないけど)、これまで見た作品の作品の中では一番美人に映ってると思う…恐るべし39歳!

演技について言うと、前半部分は、またまた例の、じいーーっと相手の眼を見るってやつばっかりで、確かに大変お綺麗なことは間違いないんですけれども、ついつい、むかし共演した女優、ヤン・ミ―兄貴なら「韓流みたいな役者さん」とキッツいコメントを進呈して鼻でせせら笑いそうだ...と思っちゃいました。

でも、そこは百花賞主演男優賞をお獲りになったお方、立ってるだけで王者の威厳と気品を感じさせる、ドラマ中盤以降の演技はさすがなものです。

しかもやっぱりヒロインより手がきれい。

とはいえヒロイン沈螺(シェン・ルオ)も評判の美人さん、クオ・ビーティン。吹石さんと仲間由紀恵さんを足した感じの好感度の高いキャラクターです。

どうしたってウィリアム・フォンが目立つように作ってるので埋もれがちですけど、通常の中華ドラマに比べるとツイストの少ない本ドラマ(ってか、他のドラマが起伏ありすぎ)が飽きずに見られるのは、ヒロインの魅力に負うところが大きいと思います。

脇役も王萌黎やサニー・ワンなど、ステキな役者さんが揃っています。

お話は、たま〜にオイオイ!と突っ込みたくなる箇所もないとは言えませんが、あらすじからはちょっと想像できない、穏やかで優しい空気感のある作品。

これはきっと、主なロケ地(台湾の澎湖諸島だと聞きました)の良さもあるんでしょうね。

かなりベタなドラマではありますが、一流のCG、一流の俳優、一流のスタッフが大真面目にやれば、B級といえどもここまで上品に持ってこれるという良い見本。音楽もステキです。

これから観る方もいらっしゃると思うのでストーリーは以下のネタバレ注意表記以前は伏せますが、都会でのキャリアアップの夢破れ故郷の島に戻ってきた沈螺のステキなお家(ホントにステキなんですよ、この家が。ここに住みたいな〜)に当たり前のように居座る、文豪・又吉先生…もとい、常に無表情でニコリともせず(ヒロインに氷山みたいな顔とか、恋敵にあんな氷山みたいな野郎のどこがいいとか、言われています・笑)、所持金もないのに高そうな服を着て、掃除洗濯料理も完璧と、なぜか女子力の高い呉居藍(ははは)。

彼はこの屋敷に関係する誰か、もしくは何かを探しにやってきたらしい。

小螺の入院中の祖父や、幼馴染の江易盛(ジャン・イーション)医師・骨董商の周不聞〈チョウ・.ブウェン〉/大頭(ダートウ)は、いきなり現れたうさんくさい居候を警戒しますが(ってそりゃそうよね)、呉居藍には数々の謎の特技があり、次第に小螺は彼を頼るようになります。そんなある日、骨董商のボスから大頭に連絡が入るのですが…。


そもそも設定を聞いたときに、チャウ・シンチーの『美人魚』で警官が描いてた妙な男の人魚の絵を思い出してしまい腹筋が引きつりそうだったんですが、その後も天然なのか何なのか、『山海経』の「鮫人」の図が出てきたり、かと思うと、表情をピクリとも動かさない正当派二枚目のスタイルで数々の笑えるシチュエーションを演じるウィリアム・フォンが可笑しくて、ロマコメなのかな?と思いきや、アクションシーンもあり、中国ドラマのおもてなし精神は健在です。

途中、唐代の包丁さばきを披露するシーンがあるんですが、たまたま読んでいた本(教養書です!)に、唐代の文人たちの間に流行った習俗について書かれたくだりがあり、文人たちがパーティを開いて、包丁さばきを自慢したと書かれていて、切り身が宙を舞うとか、例によって大げさな描写がそっくりそのまま再現されていて驚きました。文章で読むとへえぇって思うんだけど、俳優さんが演じてるとつい…笑ってゴメン!(ここのセリフにいきなり日本が出てきたのでビックリしたけど)

このシーン、スタントなしで、各アングルをワンカットで撮ってるんですね。ダンスの振付みたいに動作を覚えるのかな…?

では、論より証拠、華麗な包丁さばきをご覧ください。

http://tv.sohu.com/20170210/n480395304.shtml
(環境によって、最初に広告が入ったり、逆に広告が出ないで画面が止まることがありますが、1分くらいそのまま待ってみてください)

ま、基本は恋愛ものなので、少女マンガ的作品がお好きな方におススメです。

ただ、美しい夢のような純愛ロマンスかと思ってると、そこは主演がウィリアム・フォンなので、またしても例の不実な…いえいえ、何でもありません!

お姫様だっこシーンも当然ありましたが、今回はロングショットでしたね。ロケで島に移動するときに船でケガしたそうなので、大事を取ったのでしょうか。そういうことにしておこう。

百度にあるこのスチル集はまあまあ感じ出てます。

https://baike.baidu.com/pic/%E9%82%A3%E7%89%87%E6%98%9F%E7%A9%BA%E9%82%A3%E7%89%87%E6%B5%B7/17834701/19832721/7dd98d1001e9390182ab6ae77cec54e737d196ba?fr=lemma&ct=cover#aid=19832721&pic=7dd98d1001e9390182ab6ae77cec54e737d196ba

放映前のオリジナル宣伝では素敵なスチル壁紙集があったんだけど、放映が終了したからか、今は見つからなくなってしまいました。もし探し出せたらお知らせしますね。

日本用の番宣、インタビューもございますが、この予告編は、あらゆる意味でヒドイ...(泣)。たぶん、元々オリジナルの予告編がこれだったんでしょうけど、本編とはだいぶイメージ違う感じです。もっと、静かで夢のようにきれいな画の場面が多いです。↓

http://www.so-netme.co.jp/adtv/ningyoou/index.html

第一部・32話分のお話はほとんどの場面が現代なのですが、二部以降は唐代を舞台にしたパートもあるらしいので、ぜひ続けていただきたいです。予告を観ましたが、今度は中間色を多用したまた別の美しさがある画面だったので、期待できそうです。

かつて見たことがあるテレビドラマの中でも(っていっても大して数見てませんけど)、1,2を争う美しい絵柄をぜひご堪能ください!

ただいま、小説も読んでますので、後日別記事で感想をお知らせしようと思います。
→とりあえず読んだので、まずはネタバレなしの記事は→こちら


以下は大変重大なネタバレを含みますので、ご覧になっていない方はここまで。











そろそろ大丈夫かな...?

さて、すでにご覧になった皆様、別にストーリーの結末が分かっても気にしない、という勇者な皆様、こんばんは。

突然現れた居候の呉居藍、実はすでに1000年以上も生きている人魚王だったのですが、心を許した人間に生命力の源である「霊珠」を騙し取られ、ようやく150年後にそのありかを突き止め、取り戻しにやってきた先が、ヒロイン・沈螺が先祖代々住んでいる家だった、という設定でございます。

呉居藍は霊珠を失ってしまったためにかなり弱っており、探索を始めた時点で、このままでは余命が3か月。

彼は霊珠の在りかを感じ取れるはずなのですが、なかなか見つかりません。しかも、同じく霊珠を狙う黒魔術師・安佐(アンズゥオ)までが、大頭を手先として暗躍し始めます。

霊珠の生命力は死者をも蘇らせる力があり、安佐は育ての親を蘇らせたいと(ってそれゾンビ)、必死で霊珠の行方を追っていたのです。

やがて、安佐に追い詰められた沈螺が、海に転落する事故が起こります。そのとき呉居藍は、彼女の体内に霊珠が隠されていることを知りました。

人魚王を補佐する白魔術師によれば、霊珠が人間の体内にある場合、取り出す方法は2つ。黒魔術師の持つ剣で動脈を割くか、真実の愛による口づけか。

これを聞いて、よしっとばかりに突然張り切り出す呉居藍の豹変ぶりが笑っちゃうのですが、沈螺も彼を憎からず思ってはいるものの、両親の不仲を見て育っているので誰かを愛そうという気にならないらしく、努力はすべからく空振りに終わります。

ところがそのうち、実は沈螺は幼いころに溺れたことがあり、霊珠の力で生き返ったのだ(ってそれゾンビ)ということが呉居藍の知るところとなります。霊珠を奪回していまえば、それによって永らえている人間は命を失ってしまうのです。

かくして呉居藍は、自分が犠牲になることで、沈螺を守ろうとするのでした...。

*

この手の話が身につまされすぎる視聴者としては、自分は犠牲になって相手を助けるってあなた、残された方はさらに耐え難かろう(霊珠で復活した人はどのくらい生きられるんでしょうかね)と思うとフィクションなのにつら〜い気持ちになってくるんですけど、頑張って観終わった後、なぁんだ、だったら、ずっと2人でキスしてれば問題ないんじゃないの?あるいはお互いに1か月ずつ持っててチャージするとかさぁ...などどつい無粋な方向に考えてしまうあたり、こういう純愛ドラマ観る資格まるでないっすね。

とはいえ、この話がなかなか良くできてると思ったのは、第一部だけ観た限りでは、当初、信用した相手に手ひどく裏切られた挙句、霊珠を取られてしまったことが、回り回って小螺を救うことになったというところ。もし、霊珠が盗まれなければ、彼女は幼い頃に海の事故で亡くなってそれっきりだったはずですから。

仇の子孫でありながら、なぜか彼女と恋に墜ちてしまう呉居藍。それは写真にあった150年前か、あるいはいつも首から下げている玉〈ぎょく〉を受け取った唐代の昔か、ともあれ彼の遠い過去の出来事と関係があるらしい、という点は第1部ではほのめかされたままで終わります。この段階では、過去に愛する女性を守り切れずに失い、そのことを後悔し続けていた呉居藍は、小螺を救うことでようやくその責め苦を手放すことができたわけで、まさに禍福はあざなえる縄の如しを地で行く展開と言えましょう。

ってことで、当然、あの茫洋とした、でもとても美しい大結局には続きがあるということなんでしょうけど、
それにしたって、なにが悲しくて大結局から観なくちゃいけないのか、ホント、実験器具から屋根から水槽まで超音波で破壊しそうになったんですけど! いくらなんでも酷くないですか??!!

確かに、大体の中華ドラマって、オープニングとエンディングの場面をよーーーーく観察すると、どこかに結末のネタバレがあるんですよね。

だけど。

だからといって、予告編の後半全部が大結局って、酷すぎる!!!

いくらなんでもこれはナシでしょう…。しかも、本編の80%以上を占める、主役2人の癒し系なシーンはほとんど出てこないし。この予告編が中国で放映されたものだったら、わざわざ日本放送用に変更する訳にもいかないのかも知れませんけどね。

ここで怒ってどうするなんだけど、何だかなーー。後でこれが結末だったと知って、驚いて欲しいのか、ホントに意味不明。

確かに、この大結局はこれまでみたあらゆる映画、ドラマのラストの中でも5本の指に入る名シーンだとは思います、ただ、単独でご披露する必要もないんじゃないかと…。今後はこういうの勘弁してもらいたいです…((ノД`)・゜・。シクシクシクシク、あっ真珠が…ひでぶッツ)

ネタバレとか言って愚痴っただけでスミマセン。お話同様、この悲しみの持って行き場に困ってるので、早く第二部を放映してください(今度はステキな予告編期待しています...)

原作小説と比較したネタバレ編は→こちらから

posted by 銀の匙 at 12:04| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

タレンタイム 優しい歌

(すみません、時間がないので、ちょこっとだけ。)

マレーシアのヤスミン・アフマド監督による2009年の作品。
残念ながら監督さんは公開年に突然の脳出血により亡くなられたということですが、日本人をお祖母さまに持つという監督の出自も反映されているような、心に響く作品です。

マレーシアの、とある高校の音楽祭を舞台に、いくつかの恋模様が描かれます。高校生が主役の爽やかな物語の中に、多民族社会マレーシアならではのエピソードが、各民族の伝統曲を含む音楽の数々と共に綴られていきます。

最初は何か、東南アジアらしい、のんびりした感じの映画なのですが、途中、とある事件が起こるのをきっかけに、さまざまなエピソードが収束してテンポアップし、深みのあるストーリーになって行きます。ユーモアとペーソスがちょうど良い具合にブレンドされてる感じです。

同じ高校の中に、宗教も生活習慣も文化の背景も違う生徒たちが同じくらいずつの数集まってるというのは、楽しそうではありますが、一歩間違うとなかなか大変そうだな〜という印象です。

ヒロインの女子高生の家族、インド系らしい男子の家族、マレー系らしい男子の家族、中国系の男子の家族なんかが登場するんですが、最初の方は、誰が誰の家族かを伏せながら話が進んだりするため、ヒロインの女子高生のご家庭の構成がサッパリ理解できず(一夫多妻なのかと本気で思ってた←コラ)、なんか複雑なおうちなのかと勝手に誤解したりとか(わざとそういう展開にしたのかも知れないけど。)

そうしたよく分かんない状況の中でも(いえすみません私が分かってなかっただけです)皆をつなぐ、愛と音楽の偉大さよ。

「優しい歌」という日本語タイトルが本当にピッタリの素晴らしいラストシーン、機会があったら、是非ぜひ是非ぜひご覧ください。

全国のいくつかの映画館(東京、埼玉、長野、広島)で7月21日(金)まで、アンコール上映しているようなので、お見逃しなく。

ユジク阿佐ヶ谷で観ましたが、補助席が出る大盛況。

観終わったお客さんが口々に、映画館の人に向かって「いい映画をありがとう」とお礼を言って去るという、そんな作品でした。
posted by 銀の匙 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


BLAME!|映画情報のぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする