2017年09月19日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ 2の1 ネタバレなし編

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台風と共に夏も去ってしまい、あぁ、今年も夏の海の「う」の字も見られなかった…と涙目になっております銀の匙です。

だからという訳でもないんですけど、ヤン・ミーとマーク・チャオが熱演してる《三生三世十里桃花》を途中で投げ出し(そりゃ、話も面白いし、ヒロインを演じるヤン・ミーは一児のママとは思えないほどチャーミングで素敵なドラマだったんだけど、桃は春だし崑崙山が舞台の回は季節感がなくて、って当たり前か…)、リゾート気分満載の、男子版ラブロマンス付きメアリー・ポピンズ《那片星空,那片海》(「あの星空、あの海。」)に乗り換えてしまいました。

絵面がパステルカラーで美しく、青中心のコスチュームも綺麗で大変目の保養になったのですが、ファンタジックなお話の底に、原作由来と思われる重いテーマの錨がついてて結構面白く見ました。

32話しかないから夏の終わりと共に見終わってしまったんですけど、中国語版はよく見るとタイトル文字の脇にちっさ〜く「I」の文字が。

続きがあるのね…!

早速DVDを取り寄せて観よう!と思ったら、本国でも放映自体が今年(2017年)の10月以降らしい。

なぜ、夏の話を秋にやる!?

それはともかく、このロスをどうしてくれようかと思う間もなく、同じく、タイトルに原作小説からの改変と表示があったので、いっちょその原作を読んでみようかと思いたった次第(忙しいとか言って、ヒマなのか?…いえ、問題山積のため現実逃避ですホントすみません)。

てわけで、前置き長かったですが、本自体は2日もあればスキマ時間で十分読めます。ぱっと見、同じ描写を何回も使いまわしてる印象で、何これケータイ小説?みたいな箇所が多いのは否めないものの、時々ちらほらと作者の古典の素養を見せつけるような部分もあったりします。

どうやら作者はただもんじゃなさそうだし、話も単なるライトノベルって訳でもなさそうだ…とは思いはすれど、最初の1、2章は特に、格段ワクワクするようなエピソードでもないので、後ろの展開を知らないと投げ出してしまいそう。

いきなり原作から読んだ人は偉いな〜、と思ったら、作者は《宮廷女官若曦》の桐華さんなんですね。なるほど、実績があるので、みんな頑張って読んだわけか…。

ということで、これから読まれる方もいらっしゃるでしょうから、
今回は「これから読む方向け」に重大なネタバレをしない程度に簡単なあらすじ+テレビドラマとの大きな違い(ネタバレしない範囲)と感想にとどめておき、

次回は「小説は読まないと思うが、章ごとの内容が知りたい方向け(ネタバレ)」+テレビドラマとの細かい比較と感想を書く、

という構成で、さっそく参りましょう!



さて、いくらネタバレなしとは言っても登場人物の紹介ぐらいはしておくと、主人公は沈螺〈シェン・ルオ/ドラマではクオ・ビーティンが演じます〉という女性で、小説全体が彼女の一人称視点で書かれています。

つまり、プロローグ(これはテレビドラマの最初にアニメで登場した内容と全く同じ)を除いては、沈螺が知らないことは読者にも伏せられています。

なので、彼女の家に現れた謎の人物が何者なのかは、しばらく読まないと分かりません。

いきなりビックリなのですが、小説はドラマ前半の重要人物だった沈螺のおじいさんが亡くなってから始まります。逆に、テレビドラマにはついに登場しなかった、沈螺のお父さん、お父さんの再婚相手(継母)、腹違いの弟がしょっぱなから登場します。

ということで、ヒロインは複雑な家庭環境の紹介と共にかなり暗い雰囲気を醸し出しつつ、故郷の島のおじいさんの家の敷地で行き倒れている、服はボロボロなのに「優雅なピアニストのような手指をした」浮浪者(?)を助けるわけですが、何せ状況が立て込んでいるので哀れ浮浪者はちらっと出たきり、章の終わりの方まで放置されてしまいます。

そうこうするうち、家には父親が依頼した「周不聞〈チョウ・ブウェン/ドラマでは隋嘆良が演じます〉弁護士」がリュウとした身なりで現れ、テキパキと遺産相続の手続きが進みます。

結局、現金は弟が、おじいさんが住んでいた古い家は沈螺が相続することに決まるのですが、弟はかなりわがままな性格で、沈螺が必死に抵抗したにもかかわらず、おじいさんが残した銅鏡を取り上げ、一家は沈螺を残して今住んでいる上海に帰ってしまいます。

ようやく静かになって、おじいさんとの別れに泣き崩れた沈螺はここでようやく浮浪者の存在を思い出します(というか、思い出さざるを得なくなったのですが)。

彼がまた、助けられたというのに冷淡な態度で、無表情な上に口数も極端に少なく、待っていろと言われればじっと座って待ち、出て行けと言われれば出ていこうとする素直(?)な人物で、沈螺は仕方なく独りであれこれ喋っているうちに、彼に、この家に残って働かないかともちかけることになります。

実は沈螺は、おじいさんの介護をしようと仕事をやめて島に戻ってきてしまったため、家を民宿にして経営しようと考えており、人手が必要だったのでした。

男性はあっさりと提案を承諾し、呉居藍(ウー・ジュイラン/ドラマ版ではウィリアム・フォンが演じます)と名乗ります。

彼は掃除洗濯食事の支度と、言われた家事は完璧にこなす一方、洗濯機やテレビ、パソコンといった電化製品は見たこともなかった様子で、沈螺はいったいどんな山奥から来たのだろうかと内心驚きます。そこへ、幼馴染みの江易盛(ジャン・イーション/ドラマでは黄明が演じます)医師が、周不聞弁護士と共にやってきます。

実は周弁護士は沈螺の幼馴染みの李大頭〈リー・ダートウ〉で、父親の死後、母の再婚に伴って継父の養子になり、海外で暮らしていて島に戻ってきたところでした。

話に加わった呉居藍は、いきなり自分は沈螺の従兄だと言い出し、プログラマをしていたと自己紹介をします。ちょっと前までパソコンの使い方も知らなかった(っていうか見たことなかった?)くせに、一体この人は何者なんでしょうか…。



第3章まではこんな感じで、プロローグから始まり、全19章プラス、エピローグで終わります。ドラマをご覧になった方はお分かりかと思いますが、ここまででも小説とは内容がかなり違います。

ドラマでも、お話の舞台はいちおう中国国内になっているものの、ファンタジーっぽくぼかしているのに対して、原作はもっと中国色を濃厚に感じる設定になっています。

そして残念なお知らせですが、原作には宿敵の安佐〈アンズゥオ/ドラマではサニー・ワンが演じます〉は出ません
ドラマでは第2部の予告にまで出てるのに…しかも、クオ・ビーティンのお兄さん役で。
(予告編はこちら↓
 https://www.youtube.com/watch?v=CqD8XP_-NBU )

しかも、演じてるサニー・ワンご本人の境遇が、かなり呉居藍と被ってるんですけど(どこが被ってるかはネタバレになるから内緒。どうですか、ドラマをご覧になった皆様?)。

悲報はさておき、最初に書きました通り、小説の方は沈螺の視点から書かれているので、逆に、彼女がどんな人だか良く分かりづらいんですよね…。

描写のかなりの部分は彼女の独白が占めているのですが、情に篤い女性に見せたいらしいにも関わらず、状況説明も彼女の独白が担っているので、ずいぶんと冷静に観察・計算してる人だなという印象を受けてしまい、ドラマのような溌剌とした魅力に欠けるように思います。容姿についての描写もないし…。

呉居藍については、もう少しは描写があるのですが、どうも片側からだけライトを当てているような平板な感じな上に、あらすじですでにお分かりのように、口数が少なく、品格があって言葉で誤魔化すようなことはしない、という人物像と、咄嗟に身分を偽るようなことが言える人、という描写が矛盾しています。これについては作者もまずいと思ったのか、沈螺に後であれこれ考察させているんですけど、キャラが分裂している印象は拭えません。

ドラマの方は、一貫して寡黙なイメージを崩さず、誤解を受けたり、追及されたりすると「物凄く不機嫌そうな顔で相手を睨んで押し黙る」という、メアリー・ポピンズそっくりな必殺技で通します。

(ディズニー映画しかご覧になってない方はご存知ないかもしれませんが、ナニーとしてバンクス家に雇われているメアリー・ポピンズは、原作ではこの技でいつも雇い主を怯えさせているんですね〜♪)

一方、ドラマで気の利いたセリフがあると、ほとんどは原作からの引用のようなので、そういう面からするとさすがは人気作家さんだと感心したりもします。

それに、おおすじ韓流ドラマのあらすじで観たような内容(「星から来たあなた」とか…)に見えるけど、後ろにこの作品なりの(ドラマともやや違う)テーマが見え隠れする点が、単なるエンタメ小説とは違うところ。

でも「宮崎駿のアニメみたいな空」とかって自然描写は、小説としてどうなんだろう…。いえ、クール・ジャパンをお取り上げくださり、ありがとうございます! これからもご贔屓に!

ということで、ちょっと先になるかと思いますが、次回のエントリーではネタバレを含んでドラマと小説を共にご紹介したいと思います。

では、次回2の2、ネタバレ編にてお会いしましょう!

posted by 銀の匙 at 10:05| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

マンチェスター・バイ・ザ・シー(注意表記以降、ストーリーの結末に触れています)

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最初、「海辺のマンチェスター」って意味のタイトルなのかと勘違いしており、なんでイギリスの話なのに車が道路の右側を走ってるんだろう…EUから離脱して左側通行はやめたんだっけ?とか妙なことを考えてました。道路脇に星条旗が出てきたので、はっ、アメリカの話か! とようやく気づきはしたのですが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」までで、アメリカのマサチューセッツ州にある、町の名前なんですね…(恥)。

お話は、仲良くしていた兄の訃報を聞いて、その海辺の町に戻ってきた弟・リーと彼を取り巻く人々を描きます。

リーも元々この小さな町に住んでいたのですが、ある事件をきっかけに町を離れ、ボストンで修理屋として働いています。

兄は心臓の持病があり妻とも離婚していたことから、亡くなる前に高校生の息子の後見人として弟を指名し、ボストンから兄の家に引っ越して面倒を見るよう、遺言を残していました。

しかし、それはリーにとってはあまりにも辛い選択でした。甥っ子は住み慣れた場所、友達のいるこの町を離れたくないと抵抗するものの、それを打ち消すように、彼を連れて早くボストンへ戻ろうとするリー。しかし、その間にも、過去につながる記憶や人々と接点を持たざるを得なくなります。そして…。



2017年のアカデミー脚本賞を取った作品ですが、無理に作り込んだところのない自然な展開で、それだけにいっそう、主人公の鬱屈が心に沁みます。

カトリックの子だくさんで飲んだくれで喧嘩っ早くて愛想が悪くて暗くて…と、ある種ステレオタイプ(たぶんアイルランド系の人??)の人物像ではあるものの、現実にいそうな、いかにも自ら不幸を招き寄せそうな男を、ケイシー・アフレックが体現しています。

これほどの打撃を受けたあとでも、そうそう都合よく人が変われるはずもないし、救いや慰めが得られるわけもありません。ただ、主人公自身のほんの少しの変化と、彼を取り巻く人々―別れた妻や父を亡くしたばかりの甥っ子までもがー何かの形で力になろうとしているのを見ると、わずかではあるけれど、希望の光が見えてくるような気がします。


ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
補助席も出る大盛況。
今年の話題作としてまた上映される機会もあるかと思います。
どうぞお見逃しなく。

以下、ストーリーの核心に触れています。これからご覧になる方はここまで。













ボストンで孤独な暮らしを続けるリーが、兄危篤の報を受けて故郷の町へ帰り、兄の居た日々を思い出したりしているうちに向き合わざるを得なくなる事件とは、自分の不注意で自宅を全焼させ、子供たちを失い、妻とは離婚するという救いようのない出来事。

小さな町のこととて、周りは彼の名を聞けば事件を思い出すし、今は再婚している妻とも顔を合わせることになってしまい、彼はどんどん追い詰められたような感じになってくる。それでも、兄が亡くなった当初の自暴自棄のような態度からは少し冷静になってきて、自分はどうしても過去を克服できないながらも、克服できないことを自覚し、甥っ子のためにしてやれる範囲の手立てを考えてやることはできるようになっている。

これがいわゆる「感動作」だったりすると、新しい愛を見つけてみたり、甥っ子と気持ちが通ったりみたいな描写があるのでしょうが、この映画はそんな安っぽいところに逃げてない。

ただ、エンドロールの波音を聞きながら、厳しい寒さに耐えなければならないこの町の冬景色が美しいように、厳しい運命に生きるからこそ、彼の行く手に救いがあってほしいと祈るような気持ちになる、静かで力強い良作です



posted by 銀の匙 at 20:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ありがとう、 トニ・エルドマン

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暑いところに暑苦しいチラシ画像、失礼いたしました。

この毛むくじゃらの図に添えられたコピーが、全てを物語っております。

「愛は不毛じゃない」

さ…

…寒っ!

一言でこの映画の本質を表した、まさに秀逸なるコピーでありますが、お話はまさにこの通り、全編これ全然笑えない、しばらく考え込む、腹立たしくなる、あるいは気づかない、痛々しいおやじギャクがさく裂しております。

いや、ギャグというよりは、イタズラというかむしろ嫌がらせの領域に両足を突っ込んでいるのですが、それでもヴィンフリートはめげません。多国籍企業で働く氷のようなキャリアウーマン、イネスの父として、娘を心配するあまりに後をつけまわす、カルガモの逆バージョンみたいなことを平気でやってのけます。

娘の海外出張先・ルーマニアに堂々と乗り込み、明らかに厄介者扱いされるだけでは飽き足らず、妙なカツラに謎の入れ歯をはめて、勝手に人生コンサルタント、トニ・エルドマンを名乗り、娘の行くところ行くところに現れ、結果的に仕事の邪魔ばかり。

そんな強烈かまってちゃんな父親の行状に切れ者イネスもだんだん歯車が狂ってきて、上司や同僚を交えた大事な場面で、ついに突拍子もない行動に出てしまいます…。



いや〜、わたくし、リアルで行動がトニ・エルドマンそっくりの傑作なお父さんを存じ上げているのですが、端から見てるとすごく面白いんですけど、娘さんは相当ウザく思っているでしょうね...。映画館でこのお2人にトークショーをしてもらったらどうかと思うけど、娘さんはきっとうんとは言わないだろうな(笑)

もっとも、自分は娘の立場とはいえ、ヴィンフリートの気持ちはすごくよく分かります。いつまでも小さな子どもにしか見えない娘が、大人ぶって危なっかしいことばかりしている。ただもうおろおろと、後ろにくっついてちょっかいを出すことしかできない。

娘の方は絶対心底嫌なんだと思いますが(笑)、どこかで、自分の今している仕事の非道さを感じていたのでしょう。何とかそれにフタをしてクールに振る舞ってきたけれど、ついに臨界点に達するときが来る。それは、父の存在がなければ、こうも早く表面化しなかったものかも知れない。

娘と違って父は芸術家(音楽家)なので、奇行もそれなりに許されてきたのでしょうが、いきなり思い切ったことやっちゃう娘も、やはりそのDNAを受け継いでいたんでしょうかね…?

この映画を観るまで、ルーマニアってどんなところか全然知らなかったのですが、今はこんな感じなんですね。石油資源を求めて企業が群がり始めているようですが、日本でもときどきルーマニアの話を見聞きするようになったのはそのせいなんだろうか、と思ったりしていました。ちょっとトニ・エルドマンにちょっかい出されているのかも知れません。

なんて、映画を観ながらあれこれ詮索するヒマがたっぷりあります。全体に話の展開がスローだし、エルドマンは笑えないし。

ハリウッドでリメイクの企画があるそうで、それだと気の利いたエピソードやら盛り上がるシーンやらが巧みに配置され、飽きず、楽しく、感動しながら観られるのでしょう。だけど、私はこの作品の、訥々とした不器用なベタさが愛おしいです。

単館公開は終了しましたが、秋口からまた全国各地で上映されるようなので、機会があればぜひご覧になってみてください。
posted by 銀の匙 at 13:39| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

【注意表記以降、ネタバレあり】ウィリアム・フォン主演「あの星空、あの海。」(那片星空 那片海〜Starry Night Starry Sea)放映開始

*追記しました

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皆様、残暑お見舞い申し上げます。

プロジェクト2個目の終了まであと1か月…。息も絶え絶えの銀の匙です。
夏休みもないので、せめて海辺のリゾートにでも行ったつもりになりたい皆さま、ご一緒に、このリゾート気分満載のテレビドラマを視聴いたしましょう。

それがこちらの中国ドラマ、「あの星空、あの海。(那片星空 那片海 Starry Night Starry Sea」。8月17日からアジアドラマチックTVにて字幕版で放映だそうです。

原色満載!ド派手でにぎやかな中国ドラマ!の先入観を覆す、パステルカラーの美しい海、美しい島、なんで皆あんなにステキな家に住んでるの?と思うようなセット、新海誠監督ばりの美しい背景もさることながら、主人公男女の美しさにバッタリ倒れてしまいそうです。

特に主役・レグルス(レゴラスかと思った)=呉居藍(ウー・ジュイラン)を演じたウィリアム・フォン! 最初の何話かは(又吉シーンを除き)、これ、ウィリアム・フォンのプロモーションビデオか何かですか?と思うようなシーンだらけ。

奇跡のアラフォーというにはお肌きれいすぎて、まさか全編フォトショッ…ゴホゴホ、いえいえ、いつまでも若いまま、という設定がこれほどピッタリな人選もないかと。

ここのところ続けて文芸作品に出ていたので、もうこういうアイドル恋愛ドラマ路線は卒業したのかと思っていたのですが、ある種、ご自分への挑戦(笑)なのでしょうか…。

今回は非常に絵柄が綺麗な作品なので、(たまに、ドーラン塗り過ぎ?みたいなシーンもなくはないけど)、これまで見た作品の作品の中では一番美人に映ってると思う…恐るべし39歳!

演技について言うと、前半部分は、またまた例の、じいーーっと相手の眼を見るってやつばっかりで、確かに大変お綺麗なことは間違いないんですけれども、ついつい、むかし共演した女優、ヤン・ミ―兄貴なら「韓流みたいな役者さん」とキッツいコメントを進呈して鼻でせせら笑いそうだ...と思っちゃいました。

でも、そこは百花賞主演男優賞をお獲りになったお方、立ってるだけで王者の威厳と気品を感じさせる、ドラマ中盤以降の演技はさすがなものです。

しかもやっぱりヒロインより手がきれい。

とはいえヒロイン沈螺(シェン・ルオ)も評判の美人さん、クオ・ビーティン。吹石さんと仲間由紀恵さんを足した感じの好感度の高いキャラクターです。

どうしたってウィリアム・フォンが目立つように作ってるので埋もれがちですけど、通常の中華ドラマに比べるとツイストの少ない本ドラマ(ってか、他のドラマが起伏ありすぎ)が飽きずに見られるのは、ヒロインの魅力に負うところが大きいと思います。

脇役も王萌黎やサニー・ワンなど、ステキな役者さんが揃っています。

お話は、たま〜にオイオイ!と突っ込みたくなる箇所もないとは言えませんが、あらすじからはちょっと想像できない、穏やかで優しい空気感のある作品。

これはきっと、主なロケ地(台湾の澎湖諸島だと聞きました)の良さもあるんでしょうね。

かなりベタなドラマではありますが、一流のCG、一流の俳優、一流のスタッフが大真面目にやれば、B級といえどもここまで上品に持ってこれるという良い見本。音楽もステキです。

これから観る方もいらっしゃると思うのでストーリーは以下のネタバレ注意表記以前は伏せますが、都会でのキャリアアップの夢破れ故郷の島に戻ってきた沈螺のステキなお家(ホントにステキなんですよ、この家が。ここに住みたいな〜)に当たり前のように居座る、文豪・又吉先生…もとい、常に無表情でニコリともせず(ヒロインに氷山みたいな顔とか、恋敵にあんな氷山みたいな野郎のどこがいいとか、言われています・笑)、所持金もないのに高そうな服を着て、掃除洗濯料理も完璧と、なぜか女子力の高い呉居藍(ははは)。

彼はこの屋敷に関係する誰か、もしくは何かを探しにやってきたらしい。

小螺の入院中の祖父や、幼馴染の江易盛(ジャン・イーション)医師・骨董商の周不聞〈チョウ・.ブウェン〉/大頭(ダートウ)は、いきなり現れたうさんくさい居候を警戒しますが(ってそりゃそうよね)、呉居藍には数々の謎の特技があり、次第に小螺は彼を頼るようになります。そんなある日、骨董商のボスから大頭に連絡が入るのですが…。


そもそも設定を聞いたときに、チャウ・シンチーの『美人魚』で警官が描いてた妙な男の人魚の絵を思い出してしまい腹筋が引きつりそうだったんですが、その後も天然なのか何なのか、『山海経』の「鮫人」の図が出てきたり、かと思うと、表情をピクリとも動かさない正当派二枚目のスタイルで数々の笑えるシチュエーションを演じるウィリアム・フォンが可笑しくて、ロマコメなのかな?と思いきや、アクションシーンもあり、中国ドラマのおもてなし精神は健在です。

途中、唐代の包丁さばきを披露するシーンがあるんですが、たまたま読んでいた本(教養書です!)に、唐代の文人たちの間に流行った習俗について書かれたくだりがあり、文人たちがパーティを開いて、包丁さばきを自慢したと書かれていて、切り身が宙を舞うとか、例によって大げさな描写がそっくりそのまま再現されていて驚きました。文章で読むとへえぇって思うんだけど、俳優さんが演じてるとつい…笑ってゴメン!(ここのセリフにいきなり日本が出てきたのでビックリしたけど)

このシーン、スタントなしで、各アングルをワンカットで撮ってるんですね。ダンスの振付みたいに動作を覚えるのかな…?

では、論より証拠、華麗な包丁さばきをご覧ください。

http://tv.sohu.com/20170210/n480395304.shtml
(環境によって、最初に広告が入ったり、逆に広告が出ないで画面が止まることがありますが、1分くらいそのまま待ってみてください)

ま、基本は恋愛ものなので、少女マンガ的作品がお好きな方におススメです。

ただ、美しい夢のような純愛ロマンスかと思ってると、そこは主演がウィリアム・フォンなので、またしても例の不実な…いえいえ、何でもありません!

お姫様だっこシーンも当然ありましたが、今回はロングショットでしたね。ロケで島に移動するときに船でケガしたそうなので、大事を取ったのでしょうか。そういうことにしておこう。

百度にあるこのスチル集はまあまあ感じ出てます。

https://baike.baidu.com/pic/%E9%82%A3%E7%89%87%E6%98%9F%E7%A9%BA%E9%82%A3%E7%89%87%E6%B5%B7/17834701/19832721/7dd98d1001e9390182ab6ae77cec54e737d196ba?fr=lemma&ct=cover#aid=19832721&pic=7dd98d1001e9390182ab6ae77cec54e737d196ba

放映前のオリジナル宣伝では素敵なスチル壁紙集があったんだけど、放映が終了したからか、今は見つからなくなってしまいました。もし探し出せたらお知らせしますね。

日本用の番宣、インタビューもございますが、この予告編は、あらゆる意味でヒドイ...(泣)。たぶん、元々オリジナルの予告編がこれだったんでしょうけど、本編とはだいぶイメージ違う感じです。もっと、静かで夢のようにきれいな画の場面が多いです。↓

http://www.so-netme.co.jp/adtv/ningyoou/index.html

第一部・32話分のお話はほとんどの場面が現代なのですが、二部以降は唐代を舞台にしたパートもあるらしいので、ぜひ続けていただきたいです。予告を観ましたが、今度は中間色を多用したまた別の美しさがある画面だったので、期待できそうです。

かつて見たことがあるテレビドラマの中でも(っていっても大して数見てませんけど)、1,2を争う美しい絵柄をぜひご堪能ください!

ただいま、小説も読んでますので、後日別記事で感想をお知らせしようと思います。

以下は大変重大なネタバレを含みますので、ご覧になっていない方はここまで。











そろそろ大丈夫かな...?

さて、すでにご覧になった皆様、別にストーリーの結末が分かっても気にしない、という勇者な皆様、こんばんは。

突然現れた居候の呉居藍、実はすでに1000年以上も生きている人魚王だったのですが、心を許した人間に生命力の源である「霊珠」を騙し取られ、ようやく150年後にそのありかを突き止め、取り戻しにやってきた先が、ヒロイン・沈螺が先祖代々住んでいる家だった、という設定でございます。

呉居藍は霊珠を失ってしまったためにかなり弱っており、探索を始めた時点で、このままでは余命が3か月。

彼は霊珠の在りかを感じ取れるはずなのですが、なかなか見つかりません。しかも、同じく霊珠を狙う黒魔術師・安佐(アンズゥオ)までが、大頭を手先として暗躍し始めます。

霊珠の生命力は死者をも蘇らせる力があり、安佐は育ての親を蘇らせたいと(ってそれゾンビ)、必死で霊珠の行方を追っていたのです。

やがて、安佐に追い詰められた沈螺が、海に転落する事故が起こります。そのとき呉居藍は、彼女の体内に霊珠が隠されていることを知りました。

人魚王を補佐する白魔術師によれば、霊珠が人間の体内にある場合、取り出す方法は2つ。黒魔術師の持つ剣で動脈を割くか、真実の愛による口づけか。

これを聞いて、よしっとばかりに突然張り切り出す呉居藍の豹変ぶりが笑っちゃうのですが、沈螺も彼を憎からず思ってはいるものの、両親の不仲を見て育っているので誰かを愛そうという気にならないらしく、努力はすべからく空振りに終わります。

ところがそのうち、実は沈螺は幼いころに溺れたことがあり、霊珠の力で生き返ったのだ(ってそれゾンビ)ということが呉居藍の知るところとなります。霊珠を奪回していまえば、それによって永らえている人間は命を失ってしまうのです。

かくして呉居藍は、自分が犠牲になることで、沈螺を守ろうとするのでした...。

*

この手の話が身につまされすぎる視聴者としては、自分は犠牲になって相手を助けるってあなた、残された方はさらに耐え難かろう(霊珠で復活した人はどのくらい生きられるんでしょうかね)と思うとフィクションなのにつら〜い気持ちになってくるんですけど、頑張って観終わった後、なぁんだ、だったら、ずっと2人でキスしてれば問題ないんじゃないの?あるいはお互いに1か月ずつ持っててチャージするとかさぁ...などどつい無粋な方向に考えてしまうあたり、こういう純愛ドラマ観る資格まるでないっすね。

とはいえ、この話がなかなか良くできてると思ったのは、第一部だけ観た限りでは、当初、信用した相手に手ひどく裏切られた挙句、霊珠を取られてしまったことが、回り回って小螺を救うことになったというところ。もし、霊珠が盗まれなければ、彼女は幼い頃に海の事故で亡くなってそれっきりだったはずですから。

仇の子孫でありながら、なぜか彼女と恋に墜ちてしまう呉居藍。それは写真にあった150年前か、あるいはいつも首から下げている玉〈ぎょく〉を受け取った唐代の昔か、ともあれ彼の遠い過去の出来事と関係があるらしい、という点は第1部ではほのめかされたままで終わります。この段階では、過去に愛する女性を守り切れずに失い、そのことを後悔し続けていた呉居藍は、小螺を救うことでようやくその責め苦を手放すことができたわけで、まさに禍福はあざなえる縄の如しを地で行く展開と言えましょう。

ってことで、当然、あの茫洋とした、でもとても美しい大結局には続きがあるということなんでしょうけど、
それにしたって、なにが悲しくて大結局から観なくちゃいけないのか、ホント、実験器具から屋根から水槽まで超音波で破壊しそうになったんですけど! いくらなんでも酷くないですか??!!

確かに、大体の中華ドラマって、オープニングとエンディングの場面をよーーーーく観察すると、どこかに結末のネタバレがあるんですよね。

だけど。

だからといって、予告編の後半全部が大結局って、酷すぎる!!!

いくらなんでもこれはナシでしょう…。しかも、本編の80%以上を占める、主役2人の癒し系なシーンはほとんど出てこないし。この予告編が中国で放映されたものだったら、わざわざ日本放送用に変更する訳にもいかないのかも知れませんけどね。

ここで怒ってどうするなんだけど、何だかなーー。後でこれが結末だったと知って、驚いて欲しいのか、ホントに意味不明。今後はこういうの勘弁してもらいたいです…((ノД`)・゜・。シクシクシクシク、あっ真珠が…ひでぶッツ)

ネタバレとか言って愚痴っただけでスミマセン。お話同様、この悲しみの持って行き場に困ってるので、早く第二部を放映してください(今度はステキな予告編期待しています...)

posted by 銀の匙 at 12:04| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

タレンタイム 優しい歌

(すみません、時間がないので、ちょこっとだけ。)

マレーシアのヤスミン・アフマド監督による2009年の作品。
残念ながら監督さんは公開年に突然の脳出血により亡くなられたということですが、日本人をお祖母さまに持つという監督の出自も反映されているような、心に響く作品です。

マレーシアの、とある高校の音楽祭を舞台に、いくつかの恋模様が描かれます。高校生が主役の爽やかな物語の中に、多民族社会マレーシアならではのエピソードが、各民族の伝統曲を含む音楽の数々と共に綴られていきます。

最初は何か、東南アジアらしい、のんびりした感じの映画なのですが、途中、とある事件が起こるのをきっかけに、さまざまなエピソードが収束してテンポアップし、深みのあるストーリーになって行きます。ユーモアとペーソスがちょうど良い具合にブレンドされてる感じです。

同じ高校の中に、宗教も生活習慣も文化の背景も違う生徒たちが同じくらいずつの数集まってるというのは、楽しそうではありますが、一歩間違うとなかなか大変そうだな〜という印象です。

ヒロインの女子高生の家族、インド系らしい男子の家族、マレー系らしい男子の家族、中国系の男子の家族なんかが登場するんですが、最初の方は、誰が誰の家族かを伏せながら話が進んだりするため、ヒロインの女子高生のご家庭の構成がサッパリ理解できず(一夫多妻なのかと本気で思ってた←コラ)、なんか複雑なおうちなのかと勝手に誤解したりとか(わざとそういう展開にしたのかも知れないけど。)

そうしたよく分かんない状況の中でも(いえすみません私が分かってなかっただけです)皆をつなぐ、愛と音楽の偉大さよ。

「優しい歌」という日本語タイトルが本当にピッタリの素晴らしいラストシーン、機会があったら、是非ぜひ是非ぜひご覧ください。

全国のいくつかの映画館(東京、埼玉、長野、広島)で7月21日(金)まで、アンコール上映しているようなので、お見逃しなく。

ユジク阿佐ヶ谷で観ましたが、補助席が出る大盛況。

観終わったお客さんが口々に、映画館の人に向かって「いい映画をありがとう」とお礼を言って去るという、そんな作品でした。
posted by 銀の匙 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


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posted by 銀の匙 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン 2017 感想

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昼も

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夜も…

皆様こんばんは。今年に入ってから大きなイベント3つのお手伝いで忙しく、ようやく2つ目が終わってホッとしております。

おかげさまで期間中はお天気に恵まれ、つつがなく会期を終えましたラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン。有楽町/日比谷の国際フォーラムを主会場に開催されるゴールデン・ウィークの音楽のお祭りです。

今回も出演側に回ったため、5月4日の有料公演は1プログラムしかチケットを取っていませんでしたが、実は観客参加型の面白そうな無料公演が夜にあり、観客としては今年はそこからの参戦となりました。

今年のテーマ、「ラ・ダンス」にこれ以上ふさわしいプログラムはないのではと思わせた、「阿波踊り」です。踊りは高円寺の連が担当しましたが、お囃子はわざわざ徳島から駆けつけたそうです。

420年の歴史を誇るこの踊り、ホールEの八角形のステージを上手く使った踊りのフォーメーションも一見の価値がありましたが、音楽の催しにふさわしく、やはり演奏が凄かったですね。

なにしろ、歌がほとんどの箇所でお囃子を無視して進行します。入りもあんまり関係ないし、拍子も違うし、メロディも違います。お囃子は歌の伴奏なんかじゃなくて、自立してます。

すぐ横で音楽が鳴っているのに、敢えて外しながら歌うというのは、結構難しいんじゃないかと思います。

こういう、各パートが何らかの形でタイミングをわざと外しながら進行する音楽は、邦楽をかじった方なら特に珍しくは感じないでしょうが、クラシックやってる人にはきっと斬新だったでしょうというか、一周回って現代音楽っぽかったです。ときどき、洋楽を取り入れてるのか?と思わせる箇所があるのもエスニック音楽を取り入れた現代音楽の趣き(笑)。

ダンスもミニマルなパターンを使った複雑な進行で、洋モノを見慣れた目には新鮮です。

団長さんは天皇陛下の傘寿をお祝いして、御前で阿波踊りを披露したことがあるそうですが、そのとき宮内庁から、「踊るアホウに見る○○○」はやめてください!とお達しがあったのだとか…(ネタかしら…?)

地上で集客してから地下で演奏したのが効いたのか、スピーカーで外部に流れてたのか、とにかく、国際フォーラムガラス棟の地下は踊りが進むにつれてどんどん人が溢れだし、ものすごい熱気です。途中、観客も飛び入り参加、中から団長のお目がねにかなった数組がピックアップされて、その人たちだけで踊りを披露するという演出がありました。

日本人だけでなく、中国組、ロシア組も交じってましたが、さすが精鋭(?)だけあって、自由な発想でのびのび踊っていてお上手でした。

日本の誇るこのダンス、世界各国へ派遣されているとかで、先週はスペイン、来週はポーランド…と海外公演の過密スケジュールはX-JAPAN並み。こういうの受けるでしょうね、ホント、面白いもん。

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この後、舞台をぐるりと囲んでみんな踊り出してしまい、ステージ下も大熱狂でした

昂奮さめやらぬまま、続きましては21:45〜 ホールAでのプログラム番号116番。
フランス国立ロワール管弦楽団とピアノの小曽根真さんの競演。

トランペットのエリック宮城さんも登場し、何が始まるのかと思ったら、ラヴェルのボレロ。
そもそもボレロって曲自体が盛り上がるようにできてるから、狙い通り会場も物凄く盛り上がっていましたが、自分的にはどうもちょっと違う気がしました。

だって、少ない楽器の奏でる弱い音から始まって、どんどん音量が大きくなり、楽器も増えていくのがこの曲の基本線。全編アレンジするならともかく、基本は変えないで、一部分だけピアノを足したりトランペットを足したりすると、形が崩れちゃう。スタンディングオベーションするほどの出来だったのかどうか、甚だ疑問です。

むしろ、ちょこっとやってくれた1回目のアンコールの方が面白かったんだけど、これはショスタコーヴィチからのインプロヴィゼーションでした。そういえば、初めて小曽根さんを、そしてショスタコーヴィチを聴いたのがコレだったなあ(それ以来どっちも大ファンになったのでした)、たぶん前回と全然違うアレンジになってたと思うけど、宮城さんと息も合ってて最高でした。

翌5月5日は昼からの鑑賞。
13:45〜 ホールB7のプログラム番号223
ファンダンゴ・バロックです。

テンベンベというメキシコの民俗音楽グループが演奏するということで、ソンブレロかぶってカラムーチョ!みたいな音楽なのかなあと(←何も分かっていません)勝手に想像していたところ、バロックギターでバッハかなんかっぽい実に典雅な音楽が始まったので、かなり意表を突かれました。

と、そのうちに、その流れのまま自然といい具合にリズムとか歌あたりがカラムーチョ!になってくるんですが、それでも優雅さを失わない不思議な味のある音楽で、キレのいいバロック音楽って感じでした。

聞くところによれば、ヨーロッパで流行っていたバロックが同時代に南アメリカに流入して出来上がってきたものとのこと。なるほどねえ...舶来音楽と土着音楽のノリがミックスして出来たってあたり、J-Popみたいなもんでしょうかねえ...(←相変わらず分かってません)

続いて、同じB7のホールでプログラム番号224を聴きました。

ピアノの連弾ということで来てみたら、舞台の上は異種格闘技世界王者決定戦としか見えませんでしたが、とりあえずボリス・ベレゾフスキーとアレクサンドル・ギンジンが闘いました。

2人がお友達なのかどうかはよく分かりませんが、イスを奪いあったり(いえ、それで殴り合ったんじゃありません・笑)、ベレゾフスキーが楽譜を楽屋に忘れてきちゃったりと大変リラックスした雰囲気でした。

最初はピアノ2台で向かいあって弾いていましたが、1台を2人で連弾する曲もありました。巨漢2人が並んで演奏するありさまは窮屈ながらも微笑ましい光景でした。ビジュアルがインパクトありすぎて、耳がすっかりお留守になってしまったのが唯一の難点です。

5月6日
本日が最終日。
16:30〜 ホールCのプログラム344を聴きました。
今回諸事情によりオネゲルを聴きそびれたため、これが一番楽しみなプログラムでした。

タン・ドゥン パッサカリア〜風と鳥の秘密
ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調op.38
ヴィクトロワ 踊る天使

常にゴージャスな演奏を聴かせるウラル・フィルと、背中で魅せる指揮がモットー(?)のドミトリー・リスに加えて、巨体なのに思い切りよすぎる演奏でブレーキ壊れてるボリス・白くま・ベレゾフスキーの組み合わせ。

これは、当たるを幸い全てをなぎ倒していくであろう演奏が期待されます。

と、公演の数日前から臨戦態勢に入っていたら、事務局からプログラム344のお客様宛てメールが届きました。

すわ、また白くまが倒れたのか…(去年、それで楽しみにしてたプログラムがキャンセルに…泣)とドキドキしてメールを開くと、観客参加型なのでよかったら音源をダウンロードしてねん(はぁと)、当日リスちゃんの指揮に合わせて再生してくれたら参加できちゃうわよん(以上は意訳)という内容で一安心。

駅のホームで時々騙される電子音の鳥のさえずりによく似た音源を、熱心に聴き込んでから会場に向かいます。

タン・ドゥンのパッサカリアという作品、仕掛けの面白い曲なので、初めて聴く方は以下をちょっと飛ばしていただいた方が驚きがあっていいかも知れません。(音楽にもネタバレ注意というのがあるんですね..)



いいですか? 行きますよ?

まず、曲が始まると、指揮者はやおら観客の方を向き、おもむろに、携帯のボタンを押すよう、指示を出します。音源は全員同じ(はず)ですが、指揮者がブロックを指定して合図を出すため、スタートのタイミングが違うので、会場のあちこちで、音源が少しずつずれて再生されます。

しばらくすると、会場が林の中のように、あちこちから聴こえる鳥のさえずりで満たされます。

音源が途絶えてしまう前に、静かにオーケストラの曲が始まります。音源の中にあったモチーフも含まれていて、やがて大きくなって行きます。ビックリするほど激しくなったかと思うと、いきなりオーケストラの人たちが歌い始めます。

始まる前、楽屋から合唱の練習の声が聞こえたので、合唱団が出るのかな??と思っていたのですが、まさか楽団員が歌うという演出だったとは…。

そのうち歌はざわめきの声にも、林の中の生き物の声にも聞こえるような音に変化してゆき、かと思うと指パッチンが入ったり、また音楽に戻って映画音楽のようにドラマティックに盛り上がったり、魔術的な雰囲気を湛えたりと、林の中で道に迷って幻惑されたようなとても面白い曲でした。メリハリの効いた演奏で、すごく良かったです。

続いてはハチャトゥリアンのピアノ協奏曲。
こちらはボリス・ベレゾフスキーが登場。相当な技巧とパワーを求められる曲かと思いますが、妙に恰好をつけたり盛り上げたりせず、なんだか練習曲みたいに簡単そうに弾いていて、こっちは開いた口がふさがりませんでした。

ピアノ、オーケストラ共に迷いが全くない果断な演奏で、ソリを引いて駆ける馬車や吹き付ける雪が通り過ぎるように感じたり、目の前にぱっと大雪原が広がったり、まるで音の一大スペクタクルが繰り広げられているようでした。

曲が終わると、どうやら会心の出来だったらしく、ピアニストと指揮者がハグしていました。実はベレゾフスキーの出番はこの1曲だけで、この後、もう1曲あるからと拍手もさほど熱烈ではなかったのが悔やまれます。

最後の曲はヴィクトロワの踊る天使という日本初演の曲でした。どうやら日本の太鼓の曲にインスピレーションを得た作品らしく、かと思うと急にボードヴィルみたいな軽妙なパートにスイッチしたりする変わった曲でした。

パーカッション大活躍ですさまじかったのですが、もっと凄かったのは指揮のドミトリー・リスでした。ドラムソロを付きっ切りで指揮してるって、凄すぎる(笑)。指揮自体がキレッキレのダンスみたいでした。

最後は、作曲者のヴィクトロワさんが登場して万雷の拍手をもらっていました。

ということで、LFJが終わってはたと気づいたのは、2017年ももう半分近く過ぎているというこの事実…。いやいや、楽しい時が過ぎていくのは早いものですね。どうか、来年もつつがなく開催されますように…。

ちなみに、昨年(2016年)の感想は→こちら です。
posted by 銀の匙 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

江戸と北京

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数々ゲットしたグッズの中の1つ(手帳)。「万寿慶典」という絵巻をモチーフにしています。

実は明日(2017年4月9日・日曜)で終わってしまうので、ご興味ある方はぜひ足をお運びいただきたい良展。

グッズ売り場も充実してます(はぁと)。上の手帳を始め、江戸代表の『熙代照覧』、北京代表の『万寿慶典』をモチーフにしたマスキングテープ、関連書籍等々、お宝集結。無料で入れますのでぜひぜひ。

18世紀の都市と暮らし、と副題にあります通り、清朝北京も江戸東京も現代と地続きの都市で、いまの北京や東京の風俗習慣とつながっているところが多々見受けられます。

双方、精緻な絵巻物が展示されており、江戸って本屋さん多かったんだな〜とか、北京って役人だらけだな〜、なんか花を這わせたお洒落なラティス状のものがあるけど何だろう?とか、こまごまと描かれた人物や町の様子を見るだけでも楽しいです。

実物も、衣食住の場面に合わせて取り揃えられており、お年玉として使われた縁起物のお金(圧歳銭)や、中国の公務員試験・科挙の答案とカンニングペーパーなど、写真で見たことはあったけど、ようやく本物を拝むことができました。

似てて、違って、おもしろい。という展覧会のコピーは全くその通りで、年中行事や子どもの遊びなど、似てるけどちょっと違うもの、てっきり中国のかと思ってたら日本のだったりするものなど、興味深いアイテムがたくさん。

会期末ということもあって、お客さんはいっぱい来てましたが、場所がゆったりしてるせいか、混雑した感じではありませんでした。

近くの隅田川でのお花見、プラス、定評ある常設展示と合わせて、ゆっくりご覧になってみてください。

博物館の7階には見晴らしのよい和食レストランがあるほか、1,2階に洋食レストランもあり。JR両国駅の飲食店も充実しています。

1階の墨田区の物産を扱うショップでは、言問団子等、江戸時代からの名物お菓子もそろっていて、東京らしいお土産選びに困っている方にもおススメです。

江戸東京博物館
" target="_blank">https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
都営地下鉄大江戸線 両国駅からほぼ直結。
JR両国駅からもすぐです。
posted by 銀の匙 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴースト・イン・ザ・シェル(表示以降、ネタバレです)

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↑初日にIMAXで見た記念にいただきました。

士郎正宗のコミックがクレジットされていましたが、実質は押井守監督のアニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を下敷きに実写化したもの(たぶん)。

密林のように建て込んだ高層住宅からわずかに覗く空を横切る飛行機、暗い海にダイブする主人公等々、アニメがそのまま現実化したようなシーンの数々。

映像・キャストとも限りなくゴージャスで、絵づらはイメージ通り。

観る前は、スカーレット・ヨハンソンの草薙素子って何さ...と思っていたけど、全く違和感がありませんでした(劇中、名前はキリアン少佐ですが)。

ということで、どうせ見るなら大きい画面でスカヨハを拝みましょう。

以下、ちょっとした感想のみですが、ストーリー(アニメ、実写とも)に触れています。ネタバレ絶対アウトな方はここまで。












ということで、映像は限りなく押井アニメの印象に近かったけれど、“ゴースト”は宿ってなかったって感じでしたね...。文化の深い溝を感じたというか…。

アニメと全く同じじゃマズいから、せめてストーリーは変えなくちゃって事情は当然あるでしょうが、まるで方向性がアベコベです。

ここまで映像が似てる以上、監督さんか、脚本家か、誰かはじっくりアニメを観たんだろうけど、きっと心の底では元の作品に納得いってなかったんだろうなあと思ってしまいました。

アニメでも確かに主人公の草薙素子は、全身がサイボーグの自分は、人間じゃなくて疑似の自我を持ってるだけなんじゃないかと思っていましたが、だからって自分が人間だと証明したいと思ってるわけじゃないだろうし、日本の観客は、人間らしくあるための努力を素子はなぜしない?!とか思わないのではないでしょうか。

しかしどうやら、この監督さん(あるいは監督じゃなくて、映画会社のエライ人かも知れないけど)は、どこまで人工化しようと人間はヒューマニティーを追求してるはずだと思ってるらしいし、人工物は人間のコントロール下にないと落ち着かないらしい。

だから、義体化の合理的(?)な理由も付け加えないとヘンだし、凄腕のハッカーが実はプログラムが自我を持ったもので、あまつさえ、主人公がそれと進んで融合するなんてアニメ版の話は受け入れがたかったのかもしれません。

アニメは、仮想現実やなりすましなどの事象を描いて、時代を先取りしていたと評価されていますが、いま観ても古びて見えないのは、その底にある問いが心と身体の関係、人間の存在という普遍的なものだからだし、新しく感じるのは、人工知能やロボット技術が日常的になった時代の意識のありようが描かれているからだと思うんだけど、どうでしょう。

つい、だからハリウッド映画なんて…とか、キリスト教文化圏って…とか言いたくなってしまうけど、ハリウッド映画にも『ブレードランナー』みたいな映画があるし、ここは解釈の違いと捉えるしかないんでしょうね...。

まあ、押井アニメを観てモヤモヤした人は実写版の方が納得いくだろうし、アニメ版のセリフの多さに辟易した人(→私)も今度は画面に集中でき、映像美を堪能できたのは幸いでした。キャストは全員最高だったので、続編ができれば、公安9課のメンバーにもっと活躍してほしいなぁ..。

ちなみに、大人の事情か原作リスペクトか分かりませんが、スカーレット・ヨハンソン演じるキリアン少佐が、日本人・草薙素子の脳を移植したもの(そして、移植後なぜか白人)って設定とか、ヒデオって名前の彼氏がいた(そして移植後なぜか白人)とかって設定、ありましたっけ? 一番盛り上げるはずの場面で「なんでやねん!」とIMAXの巨大スクリーンに向かって、思いっきりツッコミそうになったんですけど…。

109シネマズ二子玉川で観ました。
ここのスクリーンは巨大で、前の方で観るとスクリーン全部を見渡すのが困難。
3Dだと船酔い状態になります。
少し前過ぎる感じはありますが、F・G列ぐらいだと没入感があっていいかも。


ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 03:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

posted by 銀の匙 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする