2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


BLAME!|映画情報のぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン 2017 感想

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昼も

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夜も…

皆様こんばんは。今年に入ってから大きなイベント3つのお手伝いで忙しく、ようやく2つ目が終わってホッとしております。

おかげさまで期間中はお天気に恵まれ、つつがなく会期を終えましたラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン。有楽町/日比谷の国際フォーラムを主会場に開催されるゴールデン・ウィークの音楽のお祭りです。

今回も出演側に回ったため、5月4日の有料公演は1プログラムしかチケットを取っていませんでしたが、実は観客参加型の面白そうな無料公演が夜にあり、観客としては今年はそこからの参戦となりました。

今年のテーマ、「ラ・ダンス」にこれ以上ふさわしいプログラムはないのではと思わせた、「阿波踊り」です。踊りは高円寺の連が担当しましたが、お囃子はわざわざ徳島から駆けつけたそうです。

420年の歴史を誇るこの踊り、ホールEの八角形のステージを上手く使った踊りのフォーメーションも一見の価値がありましたが、音楽の催しにふさわしく、やはり演奏が凄かったですね。

なにしろ、歌がほとんどの箇所でお囃子を無視して進行します。入りもあんまり関係ないし、拍子も違うし、メロディも違います。お囃子は歌の伴奏なんかじゃなくて、自立してます。

すぐ横で音楽が鳴っているのに、敢えて外しながら歌うというのは、結構難しいんじゃないかと思います。

こういう、各パートが何らかの形でタイミングをわざと外しながら進行する音楽は、邦楽をかじった方なら特に珍しくは感じないでしょうが、クラシックやってる人にはきっと斬新だったでしょうというか、一周回って現代音楽っぽかったです。ときどき、洋楽を取り入れてるのか?と思わせる箇所があるのもエスニック音楽を取り入れた現代音楽の趣き(笑)。

ダンスもミニマルなパターンを使った複雑な進行で、洋モノを見慣れた目には新鮮です。

団長さんは天皇陛下の傘寿をお祝いして、御前で阿波踊りを披露したことがあるそうですが、そのとき宮内庁から、「踊るアホウに見る○○○」はやめてください!とお達しがあったのだとか…(ネタかしら…?)

地上で集客してから地下で演奏したのが効いたのか、スピーカーで外部に流れてたのか、とにかく、国際フォーラムガラス棟の地下は踊りが進むにつれてどんどん人が溢れだし、ものすごい熱気です。途中、観客も飛び入り参加、中から団長のお目がねにかなった数組がピックアップされて、その人たちだけで踊りを披露するという演出がありました。

日本人だけでなく、中国組、ロシア組も交じってましたが、さすが精鋭(?)だけあって、自由な発想でのびのび踊っていてお上手でした。

日本の誇るこのダンス、世界各国へ派遣されているとかで、先週はスペイン、来週はポーランド…と海外公演の過密スケジュールはX-JAPAN並み。こういうの受けるでしょうね、ホント、面白いもん。

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この後、舞台をぐるりと囲んでみんな踊り出してしまい、ステージ下も大熱狂でした

昂奮さめやらぬまま、続きましては21:45〜 ホールAでのプログラム番号116番。
フランス国立ロワール管弦楽団とピアノの小曽根真さんの競演。

トランペットのエリック宮城さんも登場し、何が始まるのかと思ったら、ラヴェルのボレロ。
そもそもボレロって曲自体が盛り上がるようにできてるから、狙い通り会場も物凄く盛り上がっていましたが、自分的にはどうもちょっと違う気がしました。

だって、少ない楽器の奏でる弱い音から始まって、どんどん音量が大きくなり、楽器も増えていくのがこの曲の基本線。全編アレンジするならともかく、基本は変えないで、一部分だけピアノを足したりトランペットを足したりすると、形が崩れちゃう。スタンディングオベーションするほどの出来だったのかどうか、甚だ疑問です。

むしろ、ちょこっとやってくれた1回目のアンコールの方が面白かったんだけど、これはショスタコーヴィチからのインプロヴィゼーションでした。そういえば、初めて小曽根さんを、そしてショスタコーヴィチを聴いたのがコレだったなあ(それ以来どっちも大ファンになったのでした)、たぶん前回と全然違うアレンジになってたと思うけど、宮城さんと息も合ってて最高でした。

翌5月5日は昼からの鑑賞。
13:45〜 ホールB7のプログラム番号223
ファンダンゴ・バロックです。

テンベンベというメキシコの民俗音楽グループが演奏するということで、ソンブレロかぶってカラムーチョ!みたいな音楽なのかなあと(←何も分かっていません)勝手に想像していたところ、バロックギターでバッハかなんかっぽい実に典雅な音楽が始まったので、かなり意表を突かれました。

と、そのうちに、その流れのまま自然といい具合にリズムとか歌あたりがカラムーチョ!になってくるんですが、それでも優雅さを失わない不思議な味のある音楽で、キレのいいバロック音楽って感じでした。

聞くところによれば、ヨーロッパで流行っていたバロックが同時代に南アメリカに流入して出来上がってきたものとのこと。なるほどねえ...舶来音楽と土着音楽のノリがミックスして出来たってあたり、J-Popみたいなもんでしょうかねえ...(←相変わらず分かってません)

続いて、同じB7のホールでプログラム番号224を聴きました。

ピアノの連弾ということで来てみたら、舞台の上は異種格闘技世界王者決定戦としか見えませんでしたが、とりあえずボリス・ベレゾフスキーとアレクサンドル・ギンジンが闘いました。

2人がお友達なのかどうかはよく分かりませんが、イスを奪いあったり(いえ、それで殴り合ったんじゃありません・笑)、ベレゾフスキーが楽譜を楽屋に忘れてきちゃったりと大変リラックスした雰囲気でした。

最初はピアノ2台で向かいあって弾いていましたが、1台を2人で連弾する曲もありました。巨漢2人が並んで演奏するありさまは窮屈ながらも微笑ましい光景でした。ビジュアルがインパクトありすぎて、耳がすっかりお留守になってしまったのが唯一の難点です。

5月6日
本日が最終日。
16:30〜 ホールCのプログラム344を聴きました。
今回諸事情によりオネゲルを聴きそびれたため、これが一番楽しみなプログラムでした。

タン・ドゥン パッサカリア〜風と鳥の秘密
ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調op.38
ヴィクトロワ 踊る天使

常にゴージャスな演奏を聴かせるウラル・フィルと、背中で魅せる指揮がモットー(?)のドミトリー・リスに加えて、巨体なのに思い切りよすぎる演奏でブレーキ壊れてるボリス・白くま・ベレゾフスキーの組み合わせ。

これは、当たるを幸い全てをなぎ倒していくであろう演奏が期待されます。

と、公演の数日前から臨戦態勢に入っていたら、事務局からプログラム344のお客様宛てメールが届きました。

すわ、また白くまが倒れたのか…(去年、それで楽しみにしてたプログラムがキャンセルに…泣)とドキドキしてメールを開くと、観客参加型なのでよかったら音源をダウンロードしてねん(はぁと)、当日リスちゃんの指揮に合わせて再生してくれたら参加できちゃうわよん(以上は意訳)という内容で一安心。

駅のホームで時々騙される電子音の鳥のさえずりによく似た音源を、熱心に聴き込んでから会場に向かいます。

タン・ドゥンのパッサカリアという作品、仕掛けの面白い曲なので、初めて聴く方は以下をちょっと飛ばしていただいた方が驚きがあっていいかも知れません。(音楽にもネタバレ注意というのがあるんですね..)



いいですか? 行きますよ?

まず、曲が始まると、指揮者はやおら観客の方を向き、おもむろに、携帯のボタンを押すよう、指示を出します。音源は全員同じ(はず)ですが、指揮者がブロックを指定して合図を出すため、スタートのタイミングが違うので、会場のあちこちで、音源が少しずつずれて再生されます。

しばらくすると、会場が林の中のように、あちこちから聴こえる鳥のさえずりで満たされます。

音源が途絶えてしまう前に、静かにオーケストラの曲が始まります。音源の中にあったモチーフも含まれていて、やがて大きくなって行きます。ビックリするほど激しくなったかと思うと、いきなりオーケストラの人たちが歌い始めます。

始まる前、楽屋から合唱の練習の声が聞こえたので、合唱団が出るのかな??と思っていたのですが、まさか楽団員が歌うという演出だったとは…。

そのうち歌はざわめきの声にも、林の中の生き物の声にも聞こえるような音に変化してゆき、かと思うと指パッチンが入ったり、また音楽に戻って映画音楽のようにドラマティックに盛り上がったり、魔術的な雰囲気を湛えたりと、林の中で道に迷って幻惑されたようなとても面白い曲でした。メリハリの効いた演奏で、すごく良かったです。

続いてはハチャトゥリアンのピアノ協奏曲。
こちらはボリス・ベレゾフスキーが登場。相当な技巧とパワーを求められる曲かと思いますが、妙に恰好をつけたり盛り上げたりせず、なんだか練習曲みたいに簡単そうに弾いていて、こっちは開いた口がふさがりませんでした。

ピアノ、オーケストラ共に迷いが全くない果断な演奏で、ソリを引いて駆ける馬車や吹き付ける雪が通り過ぎるように感じたり、目の前にぱっと大雪原が広がったり、まるで音の一大スペクタクルが繰り広げられているようでした。

曲が終わると、どうやら会心の出来だったらしく、ピアニストと指揮者がハグしていました。実はベレゾフスキーの出番はこの1曲だけで、この後、もう1曲あるからと拍手もさほど熱烈ではなかったのが悔やまれます。

最後の曲はヴィクトロワの踊る天使という日本初演の曲でした。どうやら日本の太鼓の曲にインスピレーションを得た作品らしく、かと思うと急にボードヴィルみたいな軽妙なパートにスイッチしたりする変わった曲でした。

パーカッション大活躍ですさまじかったのですが、もっと凄かったのは指揮のドミトリー・リスでした。ドラムソロを付きっ切りで指揮してるって、凄すぎる(笑)。指揮自体がキレッキレのダンスみたいでした。

最後は、作曲者のヴィクトロワさんが登場して万雷の拍手をもらっていました。

ということで、LFJが終わってはたと気づいたのは、2017年ももう半分近く過ぎているというこの事実…。いやいや、楽しい時が過ぎていくのは早いものですね。どうか、来年もつつがなく開催されますように…。

ちなみに、昨年(2016年)の感想は→こちら です。
posted by 銀の匙 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

江戸と北京

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数々ゲットしたグッズの中の1つ(手帳)。「万寿慶典」という絵巻をモチーフにしています。

実は明日(2017年4月9日・日曜)で終わってしまうので、ご興味ある方はぜひ足をお運びいただきたい良展。

グッズ売り場も充実してます(はぁと)。上の手帳を始め、江戸代表の『熙代照覧』、北京代表の『万寿慶典』をモチーフにしたマスキングテープ、関連書籍等々、お宝集結。無料で入れますのでぜひぜひ。

18世紀の都市と暮らし、と副題にあります通り、清朝北京も江戸東京も現代と地続きの都市で、いまの北京や東京の風俗習慣とつながっているところが多々見受けられます。

双方、精緻な絵巻物が展示されており、江戸って本屋さん多かったんだな〜とか、北京って役人だらけだな〜、なんか花を這わせたお洒落なラティス状のものがあるけど何だろう?とか、こまごまと描かれた人物や町の様子を見るだけでも楽しいです。

実物も、衣食住の場面に合わせて取り揃えられており、お年玉として使われた縁起物のお金(圧歳銭)や、中国の公務員試験・科挙の答案とカンニングペーパーなど、写真で見たことはあったけど、ようやく本物を拝むことができました。

似てて、違って、おもしろい。という展覧会のコピーは全くその通りで、年中行事や子どもの遊びなど、似てるけどちょっと違うもの、てっきり中国のかと思ってたら日本のだったりするものなど、興味深いアイテムがたくさん。

会期末ということもあって、お客さんはいっぱい来てましたが、場所がゆったりしてるせいか、混雑した感じではありませんでした。

近くの隅田川でのお花見、プラス、定評ある常設展示と合わせて、ゆっくりご覧になってみてください。

博物館の7階には見晴らしのよい和食レストランがあるほか、1,2階に洋食レストランもあり。JR両国駅の飲食店も充実しています。

1階の墨田区の物産を扱うショップでは、言問団子等、江戸時代からの名物お菓子もそろっていて、東京らしいお土産選びに困っている方にもおススメです。

江戸東京博物館
" target="_blank">https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
都営地下鉄大江戸線 両国駅からほぼ直結。
JR両国駅からもすぐです。
posted by 銀の匙 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴースト・イン・ザ・シェル(表示以降、ネタバレです)

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↑初日にIMAXで見た記念にいただきました。

士郎正宗のコミックがクレジットされていましたが、実質は押井守監督のアニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を下敷きに実写化したもの(たぶん)。

密林のように建て込んだ高層住宅からわずかに覗く空を横切る飛行機、暗い海にダイブする主人公等々、アニメがそのまま現実化したようなシーンの数々。

映像・キャストとも限りなくゴージャスで、絵づらはイメージ通り。

観る前は、スカーレット・ヨハンソンの草薙素子って何さ...と思っていたけど、全く違和感がありませんでした(劇中、名前はキリアン少佐ですが)。

ということで、どうせ見るなら大きい画面でスカヨハを拝みましょう。

以下、ちょっとした感想のみですが、ストーリー(アニメ、実写とも)に触れています。ネタバレ絶対アウトな方はここまで。












ということで、映像は限りなく押井アニメの印象に近かったけれど、“ゴースト”は宿ってなかったって感じでしたね...。文化の深い溝を感じたというか…。

アニメと全く同じじゃマズいから、せめてストーリーは変えなくちゃって事情は当然あるでしょうが、まるで方向性がアベコベです。

ここまで映像が似てる以上、監督さんか、脚本家か、誰かはじっくりアニメを観たんだろうけど、きっと心の底では元の作品に納得いってなかったんだろうなあと思ってしまいました。

アニメでも確かに主人公の草薙素子は、全身がサイボーグの自分は、人間じゃなくて疑似の自我を持ってるだけなんじゃないかと思っていましたが、だからって自分が人間だと証明したいと思ってるわけじゃないだろうし、日本の観客は、人間らしくあるための努力を素子はなぜしない?!とか思わないのではないでしょうか。

しかしどうやら、この監督さん(あるいは監督じゃなくて、映画会社のエライ人かも知れないけど)は、どこまで人工化しようと人間はヒューマニティーを追求してるはずだと思ってるらしいし、人工物は人間のコントロール下にないと落ち着かないらしい。

だから、義体化の合理的(?)な理由も付け加えないとヘンだし、凄腕のハッカーが実はプログラムが自我を持ったもので、あまつさえ、主人公がそれと進んで融合するなんてアニメ版の話は受け入れがたかったのかもしれません。

アニメは、仮想現実やなりすましなどの事象を描いて、時代を先取りしていたと評価されていますが、いま観ても古びて見えないのは、その底にある問いが心と身体の関係、人間の存在という普遍的なものだからだし、新しく感じるのは、人工知能やロボット技術が日常的になった時代の意識のありようが描かれているからだと思うんだけど、どうでしょう。

つい、だからハリウッド映画なんて…とか、キリスト教文化圏って…とか言いたくなってしまうけど、ハリウッド映画にも『ブレードランナー』みたいな映画があるし、ここは解釈の違いと捉えるしかないんでしょうね...。

まあ、押井アニメを観てモヤモヤした人は実写版の方が納得いくだろうし、アニメ版のセリフの多さに辟易した人(→私)も今度は画面に集中でき、映像美を堪能できたのは幸いでした。キャストは全員最高だったので、続編ができれば、公安9課のメンバーにもっと活躍してほしいなぁ..。

ちなみに、大人の事情か原作リスペクトか分かりませんが、スカーレット・ヨハンソン演じるキリアン少佐が、日本人・草薙素子の脳を移植したもの(そして、移植後なぜか白人)って設定とか、ヒデオって名前の彼氏がいた(そして移植後なぜか白人)とかって設定、ありましたっけ? 一番盛り上げるはずの場面で「なんでやねん!」とIMAXの巨大スクリーンに向かって、思いっきりツッコミそうになったんですけど…。

109シネマズ二子玉川で観ました。
ここのスクリーンは巨大で、前の方で観るとスクリーン全部を見渡すのが困難。
3Dだと船酔い状態になります。
少し前過ぎる感じはありますが、F・G列ぐらいだと没入感があっていいかも。


ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 03:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

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2017年02月04日

Mayday(五月天) Re:DNA 2017復刻版コンサート

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(コンサート終了後、撮影させていただきました)

台湾の5ピース・バンド、五月天の日本武道館公演に行ってまいりました。

何せ、日本公演があると知ったのが1週間前。慌ててチケットぴあをポチッとしたら、何と、すでに金曜の公演の最後の一枚でした...(どんだけ情弱なんだ)。

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ちょっと現場で確認したいことがあったので大枚(8,800円)はたいて入場いたしましたが、実は彼らの曲は3曲くらいしか知らず、最上階までギッチリ埋まった座席を見下ろしながら、野暮用で席を占領しちゃってごめんなさい…と、心で謝っておりました。

事前にはリードボーカル・阿信〈アシン〉の名前しか知らない体たらくでしたが、さすが台湾のナンバーワン・バンド、キャッチ―な曲が次から次へと繰り出されてきます。演出もとても洗練されていて、正面のビジュアルと会場のライティングが同期するという演出なども見応えがありました。

日本のお客さんもかなり入っているはずなのですが、何しろ武道館は巨大なので、印象としては8割くらいが台湾の人って感じでした。

香港でコンサートに行くと、ホイッスルを吹いたり曲の間に叫んだり(コンサートに音の出るものを持参するな、バカたれがっ!)、マナーの悪い観客に悩まされてきたのでちょっと心配でしたが、わざわざ日本に来るような大人ばかりだからか、台湾の観客は熱狂的な曲では立って踊り、バラードではきちんと座って聞くなど演出に合わせたメリハリのある行動を取り、とても好感のもてるマナーでした。

台湾のコンサートは参加型なのか、お客とステージが掛け合いで歌ったり、「知足」という曲では携帯のライトを星のように点灯させたりと皆さん息が合ってます。

私はステージ脇に近い、正面が観づらい席に座っていたんですが、そのおかけで、ステージの向かい、ボーカリストの正面に見える2階席のバルコニーに、巨大な電光掲示版カンペが出ているのに気が付きました。

おーっほっほ、正義は勝つ!

今のところみんなの生演奏つきカラオケ大会の後塵を拝しているけれど、そのうち知ってる曲をやったら高歌放吟してくれる!

と、後半に入って、こんなニワカな私にも優しい、《傷心的人別聴慢歌》とか、大ヒットナンバーをいくつかやってくれたのですが、彼らの代表作だからか、なぜか全部日本語歌詞で歌っていて、お客さんが微妙に引いていました。

いえ、ボーカルは外国語を歌ってるとは思わせない伸びのある歌唱で、すごくクリアな発音で上手かったですけど、お客さんはほら、一緒に歌う気満々だったのに日本語じゃちょっと…せめて1番を日本語、2番を中国語とかにしてくれたら、みんなハッピーだったのに。

途中、MCが入るとステージ奥のスクリーンに機械翻訳(? 良く見えなかったので不明)が出るようでしたが、メンバーは面白がって皆でむちゃくちゃ言っていました。

アンコールが終わっても、まだお客さんが続きを要求するので、「会場使用時間がオーバーしちゃってるんだけど…」といいつつも、お正月だし、お年玉だと思って…ところで日本にお年玉なんてあるんだっけ?日本のお客さん、答えてください!みたいなやり取りもありました。(みんな「ある〜(はぁと)」って日本語で答えてたのがスゴイな。)

アンコールのアンコールにやってくれた、新曲のSong for you は日本語でしたが、やはりキャッチ―でいい曲でしたね...聞いてみたい方はこちらにサンプルが→ http://www.mayday.jp/jiden/

ということで公演1日目は無事終了。

♪君がいる〜から〜とコーラスパートを口ずさみつつ、やっぱりライブは予習してナンボよね、と毎回同じ反省をしつつ、家路についたのでございます。




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2017年02月03日

ハドソン川の奇跡(ストーリーの結末に触れています)

「ぴあ映画生活」では毎年映画ファンによるその年のベスト映画を選ぶ投票があります。今年はお声を掛けていただいたので投票に参加しました。一次投票で数を絞り、二次投票でベスト10を選ぶのですが、高得点で二次に進んだこの映画、いつもタイミングが悪くて見逃しておりました。

支持が高い映画を観てないのに他のを推すのもどうかと思って、結局二次投票には参加しませんでしたが、年が明けてようやく映画館で観ることができ、その判断は正しかったな〜と思いました。去年観てたら絶対一位に推していたと思います。

2009年1月、アメリカの飛行機が鳥の群れと衝突したことで両エンジン停止のトラブルに見舞われ、ニューヨークのハドソン川に不時着水するという事故がありました。本作は、その実話を元にした映画です。

事故から着水までの手に汗握る再現シーンや、その後、真冬の川から乗客乗員155名全員が生還した迫真の脱出シーンも素晴らしかったのですが、実はこの作品の主題は事故時の再現ではありません。

安全確保のため死力を尽くし、英雄となってめでたしめでたし...となるべき機長が、判断ミスのため飛行機を墜落させた殺人未遂の容疑者扱いを食らうという、口あんぐりな後日譚だったのでした。

ハドソン川の奇跡を起こしたベテランパイロット・サレンバーガー(サリー)機長は、事故の原因を究明している国家運輸安全委員会に呼ばれます。調査した結果、事故機は川に着水せずとも、出発地のニューヨーク・ラガーディア空港に引き返すか、近くの別の空港に着陸できたはずだ、というのです。

サリー機長は、副操縦士のジェフと共に、自分たちの判断の正しさについて説明に努めますが、委員会は、実は片方のエンジンはわずかながら生きていたというデータや、同じ条件でコンピュータでのシミュレーションを行い、無事に空港に着陸できたという検証結果を元に、疑惑を厳しく追及し始めます。

これらのデータと、コクピットで感じた状況との違いに困惑する機長たち。エンジンも確かに止まっていたはずだと主張するのですが、実機は川に沈んで検証は不可能。二人はどんどん追い詰められて行きます。

いよいよ、検証結果と、コクピットでの二人のやり取りの録音が公開される公聴会の日となりました。開催中、リアルタイムでのパイロットによるシミュレーション中継を要求し、会に臨んだ二人。果たして彼らの判断は間違っていたのでしょうか―?


(以下、ストーリーの結末に触れています)






委員会の聴き取りから公聴会までの緊迫した状況を機長の目線から見せるパートが軸となっていますが、その合間に事故機に乗り合わせた人たちや居合わせた観光ヘリ、救助隊、機長と妻との短い電話でのやりとりなど、周辺のエピソードを効果的に配置して、当時の状況を立体的に再現しています。

同時に、短い切れ切れのシーンですが、サリー機長のこれまでのフライト人生を挿入することにより、プロフェッショナルとしての生き様も描き切っています。

いや〜ホントに機長って大変。フライト中は多くの人命を預かってる上に、必死の努力で大惨事を回避したのに、こんなやいのやいの追究されるなんて、私なら絶対折れそう...。

しかし、そこは機長。

クライマックスの公聴会シーン。かなり打撃は受けたものの、彼はとことん沈着冷静であり、委員会が動かぬ証拠として絶対視する「データ」の問題点を“人的要素”が欠如していることだ、と簡潔、かつ明確に指摘します。

そして、公聴会の場で中継される、パイロットによる再現シミュレーション。

結果はやはり、コンピュータの出した結論と同じく、空港への着陸が可能であるというもの。

しかし、機長は毅然として言います。このパイロットたちは何が起こるか、どう対処するかを事前に知らされ、訓練している。彼らの条件は未曾有の事故に直面した我々とは異なっている、と。

そして、シミュレーションパイロットたちは、事故当時と同様に、鳥に直撃されてからの対処とエンジン回復への努力の時間として35秒間待った後に、コンピュータの計算通りの行動を取ります。結果は着陸失敗、市街地での衝突と大惨事に…。

その結果を見届けた後、公聴会の参加者はヘッドホンをつけ、事故発生から着水までわずか208秒間の、コクピットでの機長と副操縦士のやりとりを聞くことになります。誰もが経験したことのない、マニュアルのない状況で2人がいかに冷静に最大限の努力をしたか、観客も共に固唾を呑んで見守ることになるのです。

聞き終わった後、委員会のメンバーはいみじくも言います。これまで何度も事故時の録音は聞いてきたが、当事者である機長と副操縦士の前で聞くのは初めてだった、と。

簡単なようで、この一言の意味は重いものがあります。

全員生還できたのは機長の働きによるもの、というコメントが紹介されたあとで、機長は、クルーや管制官、救助隊など全員の力だ、と淡々と語ります。

その言葉の通り、本作には、機長を始め、誠実に仕事を行うプロフェッショナルが全編に登場します。

最後の一人まで救助されたか何度も確認し、責任を全うして機を離れる機長。最後の最後まで事故機を安全に誘導しようと力を尽くす管制官。危機的な状況にも冷静さを失わないキャビンアテンダントたち、事故を見て即座に救助に動くフェリー...。

とにかく、みんな地道に仕事をしてるんですが、悪役?の国家運輸安全委員会も、国民的な英雄を前に予断を排し、プロフェッショナルに徹するという点では負けてないな〜と感心しました。

そして監督のクリント・イーストウッド。

だらだらと長い映画が多い中、これだけの内容を1時間半にまとめ上げたプロ中のプロの手腕に脱帽です。

遠くまで行く乗り物についての映画だというのに、お話はニューヨーク(とニュージャージー?)の中で完結してしまうんですが、お話のテンポとか、ほんのちらっと出てくる街中での描写なんかに、ニューヨークの粋を感じます。

特にラストシーン、公聴会の最後に、また同じ事態が起きたら、何か違う対処をすると思いますが、と聞かれて副操縦士の答えが一言。

「今度は7月にします」

粋だねぇ...。


早稲田松竹で観ました。
スクリーンは割合大きく、綺麗なシートや広めのトイレなど、設備面も快適。
基本は2本立て上映。
周囲もにぎやかで、家の近くなら通い詰めちゃいそうな映画館です。

ハドソン川の奇跡|映画情報のぴあ映画生活
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2017年01月26日

MX4D上映 ルパン三世 カリオストロの城

lupin.jpg
↑劇場でいただいたポストカード

なんでまた唐突に再上映されているのでしょう、御大に何かあったのでは…ぶるぶる…と正月から縁起でもないこと考えておりました鑑賞者ですが、今年は原作ルパン三世の50周年だったんですね。

電車を乗り継いで劇場まで観に行った○十年前が昨日のことのように思い出されます。当時はすごく面白いと思ったけど、今観たらガッカリかも…と思ったけど、そんなことありませんでした。

いきなりド派手に登場するルパン三世の「お仕事紹介」のシーンから一転、のどかな田園風景やバディ・次元との息の合ったやりとり、またまたド派手なカーチェイス、雨の中、静かに現れる五右衛門…静と動のコントラストはお見事のひと言。

イタリアに行ったら、フィアットに乗ってる男子ってみんなリアルにルパンみたいなチンピラで、しかもどこからせしめてきたんだか車にルパン三世のステッカー貼ってるんで本気で驚いたんですけど、実写なら○栗さんに頼むより、イタリアでロケした方がいいんじゃ…?

と、話は逸れましたがこの作品、はるか昔、たった一回見ただけなのに、ほとんどのシーンをかなり正確に覚えていたのは、シーンのつなぎや構図、動きがよく練られていて、ピタリと決まっていたためだと思います。

せりふも節回しまで記憶の通りでしたが、こちらはやはりベテラン陣の演技力のおかげでしょうね。一度聴いたら忘れられない、山田・ルパンや、キャラにピタリとハマった納谷・銭形、小林・次元、増山・不二子のセリフ回し、セリフこんだけでギャラいくらもらったんだろう井上・五右衛門の渋い美声も、クリアな音声で蘇っています。

それにしても、なぜIMAXとかじゃなくてMX4Dなんだろうと不思議に思っていたのですが、アクションが多いし、水しぶきが出るとか、ボコボコになぐられるとか、MXのエフェクトが効くシーンが考えていた以上にてんこ盛りで、ああ、本当にマンガ映画の楽しさが味わえる作品だったんだな…と改めて思いました。

六本木ヒルズで観たんですが、観に来るガイジンさんの多いこと多いこと。日本語が全然わからない方々ばかりのようで、チケットカウンターの人が対応に追われてました。字幕ないですよ、って教えてあげないと困るんじゃないだろうか…あるいは、字幕付き上映をやるとか?

いえいえ、言葉が分からなくたって、絶対この面白さは分かりますよね。

期間限定上映だそうですので、お見逃しなく!

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8はMX4D専用です。座席は抜群の座り心地。
観やすい席はD〜Fの8,9,10番あたりでしょうか。
私は少し後ろ目が好きですが、割と段差がないので、
座高の低い方はご用心です。



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2017年01月06日

こころに剣士を(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

奈良美智の絵に出てくるような、あるいは「ロッタちゃん」の映画に出てくるような、目ヂカラのある女の子が出てくる予告に惹かれて観に行ってみましたエストニア=フィンランド=ドイツ合作映画。

例によって全く予備知識がなかったため、登場人物たちのしゃべってる言葉にまず面喰いました。

すごくフィンランド語に雰囲気が似てるんだけど、でも全然聞き取れない。

むしろ、なぜか大人は皆しゃべれるらしいロシア語の方が分かる(って言っても、ロシア語のセリフが“もしもし”とか“誰ですか”とか“ちょいとお兄さん”とか“そこの女子!”とか、初級レベルだったからですが・笑)…。

書き文字はみんなキリル文字だしロシア語だ(文書とか、街角の表示(“パン屋”とか)...と気になってたら、だんだん分かってきたのは、お話の舞台になってるエストニアはソ連に併合されているので公式にはロシア語が使われていて、エストニアの地元の人は地元の言葉でしゃべってるらしい、ということ。

冒頭に、ほんの数行の字幕で説明された時代背景が、後々重苦しくのしかかってきます。

しかし、映画全体の印象は水彩画のように素朴で淡々としていて、もろもろのことはひっそりと暗示されるだけで感動の押しつけもなければ感情の爆発も残虐シーンもなく、それでいて軽やかに、そしてしみじみと温かい気持ちが残る秀作です。

お話は第二次世界大戦後のエストニア。素朴な片田舎に、大都会・レニングラードの大学を出たという教員志望の若者・エンデルがやってきます。

見るからに人付き合いが悪そうで、子どもも好きそうには到底見えず、引きこもりな感じなのに教員志望??という第一印象は全然間違っておらず、彼は実際、人付き合いも悪ければ子どもも苦手な根暗青年で、教員になったのは単に人目を避ける必要があったからなのでした。

よくもこんな怪しげな人を簡単に採用するね...と思ったら、そこは校長先生、裏ではがっつり疑っています。

エンデルは校長の命令に従って、課外の運動部をはじめますが、用具を取り上げられたりの妨害に遭い、結局、彼自身が選手だったフェンシングの部活を立ち上げます。

例によって子どもの指導なんか全く興味なさそうなエンデルなのですが、田舎町なこととて子どもは新鮮な活動に飢えており、好奇心いっぱいで部活に参加します。その人気ぶりや、エンデルの学歴も面白くない校長はいろいろと妨害や粗さがしを始め、ついに彼のひた隠しにする秘密に辿りつきます。

一方のエンデルも、レニングラードにいる親友から目立つことはするな、もっと遠くに逃げろと忠告されるのですが、グズグズと煮え切らない態度でいるうちに、子どもたちはフェンシングの全国大会に出たいと言い出します。

開催地レニングラードに行くことはエンデルにとって、命を危険にさらすことに等しい行為です。しかし、彼にフェンシング部を立ち上げる決意をさせた女の子・マルタや、辛い状況にいる男の子・ヤーンなど、子どもたちの願いに背中を押される形で、エンデルは行動を起こします...。

少しサスペンス風味の部分もありはするものの、全体としては出来事をドラマチックに演出するでもなく、登場人物も、押しなべておとなしい感じの人たちばかりで本当にあっさりした味わいですが、それが却って時代背景の異常さを浮き立たせているかのようで好感のもてる映画です。

これ以上のストーリー紹介はネタバレになりますので、これからご覧になる方はここまで。ストーリーの結末が分かってもOKな方は、映画館の紹介以降もどうぞご覧ください。

以下、お話の結末に触れています。










最後のテロップで、このお話が実話だったのだと初めて知りました。いちおうハッピーエンドでホッと胸をなでおろしましたが、当時の身の処し方の難しさを映画館を出た後でじわじわと感じました。

エストニアは第一次大戦後、ロシアから独立したものの、ソ連の侵攻によって併合されてしまいます。そのあと、ドイツに占領され、またソ連に占領され、という繰り返しで、その間、男子は対ソ連のナチス・ドイツ軍に加わったり、ソ連の赤軍に加わったりしていました。

エンデルは第二次大戦中にドイツ軍に加わった、という理由でソ連当局から追われる身だったのです。そりゃソ連から見れば敵、しかもナチス・ドイツなんですから聞こえも悪いですが、上記のようなエストニアの状況からすると、ソ連を追い出すためにドイツ軍に加勢するという人だって当然いたことでしょう。

校長も映画で見る限りは私怨と嫉妬に駆られてエンデルを密告したようにしか思えませんが、エストニアの人がどのくらいソ連を支持していたかはともかく、ナチスの残党狩りと言えば世間も(国際的にも?)通るでしょうし、なかなか複雑です。

戦争とそれに続くこの状況で男手のほとんどないこの町では、保護者会といっても参加するのは老夫婦ばかり。大人も子どもも何かみんな精気がなく常におどおどしているような印象だし、エンデルも積極的に生徒と関わろうとはしていない感じを受けます。

しかし、彼は結局、思い切って逃げるのをやめ、フェンシング大会に出るために子どもたちを引率してレニングラードに向かいます。

元々、エンデルもそんなに決意が堅いわけではなかったと思うのですが、校長の意向に反してフェンシング部を存続させようと、ささやかな、しかし勇気ある一歩を踏み出してくれたヤーンのおじいさんや、おずおずとながら部の存続に賛成の挙手をしてくれた保護者の人たち、強い目力でエンデルに決断を迫ったマルタなど、小さな積み重ねが彼を後押ししてくれたに違いありません。

物語の舞台になったハープサルという町の湿原や森などの自然の美しさや、その駅も素朴で良い感じなのですが、今も昔もそのままの佇まいのようですね。エンデルに声を掛けた女性教師のカドリが掛けていたショールは模様からして、町特産のハープサル・ショールではないでしょうか。さりげないけれど、確かな地元への愛が伺えるのも、この映画の良さだと思います。

ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。
JR有楽町駅至近でアクセス良好。
小さい方のスクリーン2は席数も少ないですが、それなりに傾斜があるようで、まあまあな劇場です。
観やすい席はC,D列の5,6あたりです。

posted by 銀の匙 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

蘭陵王(テレビドラマ31/走馬看花編 第19話)

皆様、ご無沙汰しておりました。

インフルエンザやノロウィルスなど冬の定番が猛威を振るうなか、お変わりなくお過ごしでしょうか。どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

さて、残すところわずかということで今年を振り返ってみると、一番の番狂わせだったのは、米国大統領選挙ではないでしょうか。

まさかの“川普”(Chuangpu=トランプ)大統領誕生!

ホント、お金の使い道に困ってる人は羨ましいですこと、負けると分かってる大統領選に出馬して楽しむために大金はたくって、そうそう出来ることじゃないざます、庶民の想像力を超えるSF的セレブ樣ざんすね...などと思っていた視聴者(←他人事だと思って傍観)が浅はかでございました。

アメリカ国民も、何考えてんだかな〜と失礼な感想を抱きつつも、でもまあ、これはこれでアメリカらしい選択なのかも知れません。

1つの党がもう8年も政権を担当してるんだし、いい加減替えどきかも、と思ったか。

少数弱者ばかり贔屓するなんてズルい、オレたちも大変なんだぜ、と一般庶民が思ったか。

ビョーキなんて自己責任じゃねえか、てめーの失敗はてめーで落とし前つけろよ、なんでオレの稼いだ大事な金を貧乏人の医療費に使われなきゃなんねえんだよ、と思ったか。

etc.etcのセコイ理由はいろいろ考えつくけど、なんだかんだ言って、政治屋や役人どもがコソコソ何でも決めてしまうのが気に食わねえ、いっちょ素人代表にやらせてみようじゃねえか、って辺りも大きかったのではないでしょうか(こういう話題だとどうしても長屋のご隠居みたいな口調になっちゃう)。

さすがはアメリカ樣! ザッツ・フロンティア・スピリッツ!

そんなに政府が信用ならないんでしょうか。元々、開拓者精神で、あまり国に介入してほしくないという主義の人たちも多いとは聞いていますが、それにしても大胆っつーか、勇気ありますねぇ...でも日本では真似しないで欲しい。こちとら開拓者精神皆無なんで。

しかしアメリカにだって私のような小心者も少なくないのか、真剣にカナダに移民しようと思ってる人とか、やっぱり居るらしいですね。

そういえば、イギリスのEU離脱のときに、冗談じゃねえや、オレは海賊王に…いやさ、アイルランド人になる!ってパスポートを申請した人もいるみたい。

国破れても山河はあるけど、国民がいなくなったら貴族さまも食いっぱぐれてしまいますよ。ましてや、兵隊の数が国の存亡を握っている、戦乱の時代にあってはね…。

ということで、行ってみましょう、第19話
なお、前回の第18話→こちら から、第1話は→こちらから、蘭陵王関係のエントリーを最初からご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*
紆余曲折というか右往左往したものの、蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉と天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉は晴れて婚礼を執り行うこととなりました。

しかし、セレブ婚にはしきたりが付き物。細かい儀礼を押し付けられ、安眠もままならない雪舞の様子を見かねて、蘭陵王は彼女を、邙山〈ぼうざん〉の戦いの後で過ごした、長安郊外の家へと連れ出します。

お互いを阿土〈あと/A Tu〉、冰児〈ひょうじ/Bing Er〉と呼んで、のんびり暮らしているかに見える二人ですが、蘭陵王は民の心が高家から離れていることに、密かに心を痛めていました...。




さて、前回から引き続き、蘭陵王が昔お母さまと暮らしていた旧居の庭先。

画面からだと季節がよく分かりません。北中国で花が咲いてるってことは、5月から11月の間のはずだけど…。

軒先に吊るしてある赤いものは、唐辛子でしょうか。

おや、その先には女子力の高い武将が火を起こしてます。
こんなところでキャンプファイヤー!! のわけないですよね。
台所が家の外にあるんだ...冬どうするんだろ。

よく北海道の友達から聞かされる、雪国あるあるの1つに、その辺に車を止めて年末旅行に行って、帰ってみたら屋根まで埋まっちゃっててどこにあるか分かんなくなった、というのがございます。

で、どうすんの車?と聞いたら、そりゃ来春までサヨウナラ〜♪ ってあんた、関東者だと思って担いでるでしょ?!

とつい先日までは思っておりましたが、札幌大雪3日間雑魚寝のニュースを見たら、すっかり考えを改めました。ネタかと思っててごめんね。

ってことで、この地方は大雪降ったら来春まで台所よサヨウナラ〜♪なのかなぁ、と思ってるところへ、奥さんがお買い物から帰ってきます。包みを開けた四爺は、傍目にもガッカリしている様子。どうやらサツマイモはあまりお好きじゃないらしい。

ってあなた、今は阿土でしょうに。贅沢言ってる場合か?

ちなみに、日本の標準語では「サツマイモ」って言いますが、漢字で書くと薩摩芋。中南米原産の植物が、中国経由で入ってきたそうです。昔は都内の小学校なんかだと、サツマイモを栽培して江戸の飢饉を救った大岡越前と青木昆陽〈あおきこんよう〉の話とか聞かされたもんです。

中国語では“蕃薯”。中国にもともとあったものではないということが、字面からも分かります。伝わったのは明代・16世紀頃らしい。

ってことで、サツマイモ的な何かに見えますが、きっと別のものなんでしょう。ああ、よかった、これで楽屋に焼イモの差し入れができますね、皆様。

差し入れと言えば、第14話で差し入れしてもらってましたが、四爺はローストチキンがお好きなんですね...。

好物にパクつく軍神を天女が追究します。

“還不從實招來”
(まだしらを切るつもり?)
“你不是說過 夫妻同心 其利斷金嗎”
(言ったじゃない、夫婦が心を合わせれば、金属さえ切れるほどの力になるって)

“其利斷金”はとても古い言い回しで、《易経》にすでにある言葉だとか。元々は、夫婦に限らず、二人で力を合わせれば金物も切断できる、という言い方だったようで、だからこそ、ピンで何でも切ってしまう、十三代目石川五右衛門の凄さが分かろうというものです。

そうです、四爺は、斬鉄剣の使い手だったわけではなく(またつまらぬギャグを言ってしまった)、税金が重すぎて民が周に移住しようとしているのを見て悩んでたんですね。

そんな自分を支えようとしてくれる雪舞に、芝居がかった口調で四爺は言います。

“得妻如此 本王 本阿土夫復何求啊”
(かくの如き妻を得て 王たる者…いや、阿土たる者また何を求めんや)

もちろん、これは雪舞を心配させまいとして言っているのですが、この2人はこの後もずっと、ついに最終回に至るまで、この調子でお互いの心配事を相手に隠しがちなんですね。

もちろん、思いやりの気持ちから出ていることなんでしょうけど、その作戦はどうも裏目に出やすいみたいですね...。

雪舞も冗談めかした言い方ながら、

“嫁雞隨雞 嫁王也就只能當王妃了”
(ニワトリに嫁げばニワトリに従い、王に嫁げば王妃になるしかないわ)

と、四爺に言います。

このセリフ、蘭陵王カテゴリーの最初の方でもご紹介したことがありますが、元々は、「ニワトリに嫁げばニワトリに、イヌに嫁げばイヌに従うしかない」という慣用句です。王妃ってイヌ並みなのか(いえ、イヌに嫁げば、ですからつまり、誰かさんがイn…

( -_-)=○()゜O゜) ひでぶッ

そして、さんざん悩まされた宮中のしきたりについても、

“我統統都不怕 叫他們放馬過來吧”
(全然怖くないわ 全力でかかってらっしゃい)
と言います。

日本語で「かかって来い!」っていうと、人が向かってくるイメージですが、中国語だと馬を放すんですね。

…ちと、イヤかも。

ベン・ハーに乱入しかねないほど気合が入った雪舞を見て、四爺は慌てて言います。

“别 千万别变”

そのままがいい、決して変わらないで、とは誰しも思うことでしょうが、残念ながらそうは行かないのが世の習い。
さもなきゃ週刊文○がこんなに儲かったりしませんって。

幸か不幸か斉のパパラッチからの追跡の目は逃れているらしいセレブの四爺は、毎年ここに来て、阿土 冰児として暮らそう、などとお気楽なことを言っております。

そういや、中国語でパパラッチのことを“狗仔隊”(イヌ軍団)と言うんでした。おほほ。イヌ将軍にふさわしい追っかけですこと。

でもなんでイヌなんだろ?とちょっと疑問に思ったのでBaidu先生に聞いてみたところ、ちゃんと本家のパパラッチと関係あるらしい。

元々はフェリーニの1958年の映画『甘い生活』の登場人物の名前から来た言葉で、そういう人を香港では省略して「パピー」(子犬)と呼んでたらしい。プラス、獲物を追い回すイヌのイメージもあって出来た訳語だそうです。

たとえパパラッチに追いかけられようと、新婚のお二人には「甘い生活」でしょうね、お幸せに…。

と思う間もなく、すぐ次のシーンは、夜の冷たい土に触れる剝き出しの足。作業現場から逃げ出そうとしていた鄭児が捕まって、罰を受けているところ。

この後は、寺院建立の過酷な労働や官奴同士の騙し合いなど、凄惨な場面が続きます。

そしてそれが終わるとすぐ、蘭陵王府の幸せな婚礼の準備の場面。
その玄関先に倒れて、お屋敷に担ぎ込まれて介抱される鄭児…。

甘いものと辛いものを交互に出されるとついパクパク量を越してしまいますが、それにしても、なんでこう、鄭児ときたらせっかくのいいところに水を差すように現れるんだろ、邪魔よ…って思いますよね、ふつう。

もちろん、そう思わせるためにやってるんだろうけど。

あ、ちょっと先を急ぎすぎちゃいましたが、婚礼の準備をしながら、四爺に、礼部の官女を妾として娶っとけ、と厳命された五爺が(違いましたっけ?)、だいたいの女は娶っておいたが、どうしても落ちないのがいた...じゃなくて、どうしても省略できないしきたりがある、と言いだします。

“新娘來到青廬外 要由新娘的娘家這邊 最年長的長輩牽她而入”
(花嫁が入り口まできたら、花嫁の親族の中で最年長の者が手を引いて中に入らなければならない)

だけど義姉上は鄴〈ぎょう〉の都に一人の親族もいないから、と困り顔。

前回の婚礼(?)の時、ちょっとご紹介しましたが(→第4話 こちら )、これはとても古いしきたりのようで、日本でもこの習俗をまだ残している地方があります。

それから、五爺のセリフにある“青廬”というのは、漢代から唐のころまで、北中国の婚礼のときにしつらえられた黒いテントのことです。

中国語では“青”が「黒」を指すことがある、というのは第12話(→こちら)のとき、お話ししましたね。

今の中国では婚礼の色がのため、史実通りの飾りつけだと視聴者がピンと来ないと思ったのか、このドラマでは黒のテントは出てきません。

蘭陵王の時代は中国の南北で婚礼のしきたりもかなり異なっていたようで、花嫁が扇で顔を隠す“卻扇”は実は南朝の習慣です。

婚礼の衣装の方は、何色だったのかはちょっとはっきりしません。

とにかく、ではなかったんじゃないかと思いますが、この花嫁と来たら遊びほうけていてお屋敷に帰ってくるのもギリギリだし、いまさら違う色って言われてもサイズ直すだけで手いっぱいなんですよ! ルパンじゃあるまいし婚礼衣装の仮縫いしてるときクラリスを連れ出さないでくださいっ!

と、怒っている小翠がとってもキュートですね。

そんな華やかな場面も一転、お屋敷に担ぎ込まれた鄭児が目を覚まし、四爺や雪舞たちの前で、例の香袋の件(→第13話 こちら)について、膝立ちになって許しを乞います。

鄭児は香袋について、

“他告訴我 那香囊 可以保佑四爺一家安康的”
(祖珽は私に この香り袋は四爺ご一家のご清栄をお祈りするものと言いました)
と釈明していますが…。

おや...? 祖珽はそんなこと言ってましたっけ?

それを聞いてる韓暁冬の、超イラついてるッツって感じの小芝居がちょっと見ものです。

そんな視線をものともせず、鄭児の様子がだんだんエスカレートして、ついにぶっとい樹(あ、すみません。ちょっと言葉が良くないですね。恰幅の良い樹、でしょうか)に止まったセミみたいな態勢になったのを小翠が見かねてか、明日は婚礼なんだから皆休まないと、と宣言します。

せっかくの祝賀ムードに暗雲が垂れ込める一方で、婚礼のことを初めて知った鄭児は泣き崩れます。

彼女は言います。

“他怎麼能夠成親呢”
(あの人は どうして妻を娶ったりできるの)

…って、考えてみればおかしなセリフですよね。

でも、このセリフには対になってるセリフがあったのですが…。
それを思い出すまもなく、鄭児は言います。

“四爺 此刻坐在您身邊 準備大婚的 本該是我呀
我才應該是你的良配
我才應該是這棟王府的王妃啊”

(四爺、いまあなたの隣に座って婚礼の準備をしているのは、私のはず。私こそあなたの伴侶にふさわしい。私こそがこの蘭陵王府の王妃なのよ)

おいおい、ちょっと待て! 一体何を根拠に…とテレビの前の視聴者は例外なく思ってるはずですが、いや、みんな落ち着け!!

まず、鄭児は基本的に、楊雪舞に騙されたと思ってるんですね。

自分は正々堂々、お妃選びに参加した。確かに皇后の後ろ盾はあるかも知れませんが、出されたお題はきちんとこなしたし、香袋の一件を除いては、何もやましいことはしていない(と、鄭児的には認識していることでしょう)。

翻って楊雪舞は、「四爺をお願い」というようなことをわざわざ言い、油断させておいて抜け駆けした…。

だったら自分も遠慮しない、そう思うのは理の当然です。

そしてここで、思い出す人は、ハタと思い出す。

思い出すって、何を…?

しかし、今は楊雪舞の生涯最良の日、その辺のダークなことは今回の記事の最後で考えることにして、まずは花嫁の様子を見に行きましょう。

小翠マジックで美しい花嫁になった楊雪舞は、今やおなじみの“卻扇”を渡されます。これで顔を隠していないと、

“一輩子被四爺管得牢牢的”
(一生、四爺に束縛されますよ)

と忠告される雪舞。てっきりキリスト教式のヴェールみたいなものなのかと思っていたら、違うのですね。
でも、ってことは、この時代、“卻扇”さえしとけば女性もゲス放題だったのかしら? そんなことないと思うんだけど…。

どっちでもいいゴシップ記事に気を取られていたせいか(違います)、いよいよ吉時が到来して出発というところになって、小翠が付き添い人の事を思い出します。こちらの方は束縛どころではなく、それがないと、

“這婚姻不幸福的”
(不幸な結婚生活になります)

って小翠、間に合いそうもないこのタイミングで宣言するのってどうよ? と思うけど、雪舞はしっかりと答えます。

“不會的 小翠 從此以後 我會把四爺的平安 還有百姓們過的好不好 放在我個人的幸福前面”
(そんなことはないわ 小翠。これから先、四爺の「平安」と、民がよい暮らしを送れることが、自分の幸せより大事なの)

う〜む、やっぱり「平安」が…いえいえ、ホントにそうなら良かったんだけど…。

一方、花嫁の苦悩を知ってか知らずか、到着を待つ花婿の方はニコニコ嬉しそうです。

荒地の魔女みたいな毛皮の襟巻をして、黒い婚礼衣装を着た四爺は、このままシャンソンくらい歌いだしそうな雰囲気ですが、それをぶち壊すかのように、五爺が、二度めだから慣れたもんだよなあ、てなことを言います。

ここの“一回生二回熟”(1回目は未熟だけど 2回目からはベテランの域)というのは、第10話(→こちら)でも五爺が言ってましたね。

そこへ、招待客の斛律〈こくりつ〉将軍と段太師が婚礼の贈り物をします。

斛律将軍の贈り物は宿鉄刀。
段太師の贈り物は諸葛武侯(諸葛孔明)の二十四篇。

文武に長けた人にふさわしい贈り物ですね。
しかし、二人はやはり五爺と同様、雪舞の付き添い人について心配しています。

当の雪舞はさらに動揺しているのですが、そこへ現れたのが我らが皇太后さま。

四爺の頼みで、雪舞を養女、すなわち皇女として嫁がせることにしたと言います。

“你看 我這個孫兒當丈夫 夠貼心吧”
(どう、私の孫は夫として十分思いやりがあろう?)

確かにその通りですが、その四爺だって、ホームでのお式なのに、親族は五爺とおばあさましか出席してないんじゃ…? 

実質上、天涯孤独な者同士、やはりお似合いのカップルと言うべきでしょうか。

そんなお似合いの二人を前に、かなりの上座に立っている暁冬の切ない表情がグッと来ますね。

そしていよいよ花嫁が花婿と向かい合うと、幕の後ろに用意された絵が披露されます。

非常に再現度高い絵ですが、いったい誰が描いたんでしょう…?

四爺の実のお兄様(二爺)、広寧王・高孝珩〈こう こうこう〉は絵が上手く、本物そっくりの鷹の絵を描いたりしていたそうなので、お願いしたのかな?

でも、絵が上手い人ほど見てないものは描かないから、これはやはり多芸な大将軍自らが絵筆を執られたんでしょうね。さもなきゃ、お兄様に「小弟が禁衛軍に化けたところ、未来の妻に覗き魔と間違われて叱られました」等々、縷々説明しないといけなくて辛すぎる。 

そうしてみると、各幅、四爺ならではの観察眼の鋭さが伺われます。
最後の一幅、おかず3品に先にお箸をつけてるのは雪舞ですね。

奥さんになっても四爺にお料理させてるのね。

ちなみに中国ではお箸の遠い方を持つと遠いところにお嫁にいく、といわれております。この絵を見ると当たってるのかも。アンニュイな視線を飛ばしている子供は、髪型からして坊んですな。

中国で男子が尊ばれることは日本の比じゃないので、誰もがお世継ぎ(=坊ん)を待ち望んでいることを表しております。

ここで雪舞は感涙にむせんでいるのですが、それを見る新郎の嬉しそうなこと、たいていは緊張してるのが普通だから、ここまで喜んでる花婿も珍しい。

やっぱり五爺の言う通り、“一回生 二回熟”ってことで…とか言ったら殴られそうですが、普通、結婚式といえば女子の夢だと思うんだけど、付き合わされる男子の方はどう思っているのか、それがよく分かるVがございますので、早速ご覧いただきましょう。

2014年9月17日の《大牌駕到》です。
(http://v.qq.com/x/cover/wdynmjl08dxqlei/t00150h7tt0.html)

司会はこの時期、まだ華少さんでした。懐かしい!

トークは出身地の話題から入っています。

司=司会者(華少)
馮=馮紹峰(ウィリアム・フォン)

:まずは上海人ってトピックから行きましょうか。
 上海の男性というと、いろいろ評判良いですよね。
 たとえば、気遣いが細やかだとか 
 料理するのが好きだとか、
 奥さんを大事にするとか、お金にきちんとしてるとか、
 そういうところってあります?

:残念ながら、上海人が備えてる長所の多くが僕にはないです。
 たとえば、先ほどおっしゃった料理ですけど、僕は台所に立つのがすごく嫌いなんです。
 それから、上海人は割合、良い意味のこだわりがあるんですけど、僕はそのへん、大まかで。
:あなたはファッションにこだわりがあるタイプの男性じゃないんですか。
:身なりは本当にいい加減です。
 凝った時期もありましたよ。その頃はちょっと外出するのも大変でした。何を着ようか考えこんじゃって。どんなコーディネートにしようかなとか。
 でも仕事を始めると、衣装とかメイクだとかそんなことばかりでだんだん飽きてきてしまって、普段は見てくれに特別気を遣うようなことはしなくなってしまいました。今は特に何も考えずに、適当に手に取った服を着てそのまま出かける感じです。
:あなたはせっかちな方なんですか。
:そうですね、割とそうです。
  思い立ったらすぐやろうとします。
  先延ばしにするのは嫌ですね。
:怒りっぽいですか。
:ここ数年、だいぶましになりました。
  もっと若いときはすぐに腹を立ててました。
:そうなんですね。
:(ニコニコして)ええ。



なになになに…? 

ずいぶんサラッと話が進んでますけど、この人料理が出来ないの??

何せ中国は基本、共働きですから、家事のできない男性なんか伴侶として問題外です。

まあ、お金持ちなら家事は外注でしょうが、最初の頃にお話しましたけど、皆様、中国のイケメンの条件、覚えていらっしゃいますか。

「料理ができる」はマストでしたよね。



じゃ、まさか、この方は中国ではイケメンにカウントされないのでは?

しかも、すぐに激おこ?

それはちょっと、どうなの…?

…………えっと、とりあえず、気を取り直して先に行ってみましょう。



(5:08ごろから)
:上海ではバイクに乗りますよ。メカっぽいものが好きなので。BMWとか、ドュカッティとか。



そんなこと言って彼は現住所の北京でもバイクに乗ってたらしく、自虐というか自慢というかな写真記事をブログにアップしたところ、それを見た天津交通警察に、バイクに乗るときは所定の位置にプレートを掲げてくださいと叱られた上、罰金プラス点数引かれて免停になり、カワイソーに、投稿者に「馮おじさん、カッコつけたいなら交通ルールに気をつけましょう」とコメントされていました・笑。

所属事務所からは、登録もあり、プレートも免許もちゃんとしてますとコメントが出ていましたが、結局何だったんでしょうかね? ネタ?



:地獄猫(ヘルキャット)はどうですか。最高時速が260とか280とかのやつ。
:バイクですけど、あまり飛ばすのはお勧めしません。
:そうですか。事故ったことあります?
:すごく前ですが、あります。実は、そんなに飛ばしてた訳じゃないんですけど、たぶん路面が滑りやすかったか、何か思いがけないことがあって転倒したんですよ。そのまま車の下に滑りこんでしまったんです。
:そりゃツイてましたね。
:運がツイてたかどうかは知りませんけど、ナニはツイてるんで。
(いきなりの下ネタに苦笑する司会者&お客さん)

  *

この後、彼はとうとうとメカ愛を語ります。
時計、バイク、カメラ、オーディオ…金喰い虫な趣味のオンパレード(笑)

料理ができなくてキレやすくて下ネタな上に金使いが荒いわけですか。

ダメだこりゃ…。

  *

:カメラは何台持ってるんですか?
:そんな何台もじゃないですよ。
:またまた。そんなことありえないでしょ。
:いま使ってるのは、韓寒(『いつか、また』(《後会無期》の監督)がプレゼントしてくれた「微単」です。
:ああ、「微単」。



「微単」というのは、ソニーが中国向けに発売した、ミラーレスのデジタル一眼レフのことです。



:僕が腕を骨折したときあったでしょう。その骨折したときに、彼はどうもやましさを埋め合わせるためにくれたらしいんです。実際には彼には全く関係なかったですけど、それでカメラをくれた。
 それでね、カメラ本体は高いものじゃないんですけどね、自分で別売りのレンズを買ったらそれが高かった。(テロップ:大損しちゃった)
:大体推測がつきますよね。彼は本体だけくれたんでしょ。
:そうです。使い勝手はいいですよ。(テロップ:気を使いますねぇ〜(有苦难言))



少し飛ばして、番組の終わりの方の関連の話題を見てみましょう。
これは、視聴者からの質問に答えるコーナー。23:42からです。

質問は「高級車が好きだそうですね。仕事を始めたばかりで、もうスゴイ車に乗ってたとか、ホントですか」



:いま言えるのは…やっぱり見せびらかすのはよくないな、ってことです。(笑)
:(笑)バレてますかね。
:つまり僕に言えるのは…ただ車が好きってことだけです。(テロップ:しどろもどろ)
  とにかくメカが好きなんですよ。車に限りません。
:いま車何台持ってるのか聞いてもいいですか。
:2台です。
:2台ね。高いんでしょ?
:まあまあですね。(テロップ 自信満々 (底气十足))
:まあまあね。
:思うに、車をたくさん持ってるのって、意味ないですね。
  価値は下がっていくし、運転する暇もないし。
  置いておくだけって本当にもったいないです。車に申し訳ない。

 *

さて、ちょいと戻って、別の話題をみてみましょう。

《黄金時代》でウィリアム・フォンが演じた蕭軍(シャオ・ジュン/Xiao Jun:実在の作家で、映画の主人公・蕭紅の夫だった)の恋愛観についての話題から、ウィリアム自身の恋愛の話に移っています。当時彼は、女優のニーニー(倪妮)と結婚間近だと公表していました。司会者から、ふつうは隠すんじゃないんですかと聞かれて、こそこそ付き合うのは嫌だった、と答えています。

 * 

15:00ごろから
:この映画の恋愛はご自身の恋愛観に影響を及ぼすと思いますか?
:彼の間違いのいくつかは参考になりますけどね。僕は役柄と自分自身とは、はっきり分けているので。
 例えば、蕭軍は、熱しやすく気ままだった。それは僕自身の恋愛観とは全く違います。
:そこが興味深いんですけど、じゃ、あなたの恋愛観ってどんな風なんですか。
:彼の当時の心境とはもちろん違います。なぜって僕にはとても落ち着いた関係の相手がいるわけですし、全然別物ですよ。
 ときどき摩擦があったり、いろいろな出来事はありますけど、
:そりゃ、当然ですよね。
:それは乗り越えられるものです。
(中略)
:あなたは今年、もう36歳ですよね。
:ふつうは数えでいうんだとすると、37です。
:じゃ、アラフォーってことですね。それはいいことですよ。男性にとって、成熟するということは偉大なことです。
 結婚については心構えがあるんでしょうか。
:先日、友達の結婚式に出たんですけど、とても感動しました。
:では、自分でもそんな式を挙げたいと希望してるでしょう。
:それはやはりセレモニーは必要だと思います。
 人生の中では大事な部分だから、ないと何かが欠けているような…(と、なぜか非常にアンニュイな表情で語るウィリアム)
 それに皆お互いをもっと大切に思うし、見守ってもらえるわけだし、と思うんです。  
:焦ってます?
:そりゃ、両親は見たがってますよ。僕はきっといつか、自分にもそんなときが来て、同じようにそんな幸せな気持ちをお裾分けできるんじゃないかと信じているんです。



女性は、結婚式を自分をお披露目するため(?)にする、というケースもよく見聞きしますけど、男性は、周りの人のため、特に両親のために式をするという人も多いですね。

なので、昔のお式では、花婿・花嫁がまず天地に向かって、それから両親、そしてお互いに三度、礼をする、というのが結婚式のメインのセレモニーでした。

しかし、そんなしきたりに拘らない四爺と雪舞は、“卻扇”も礼拝もすっ飛ばしてしまいます。しかも二人とも、この場に両親がいないですし。

そこで五爺が気を利かせて、“夫妻對拜”(新郎新婦が互いに礼をする)をやったら?と声を掛けるんですね。

その場は和やかムードで式が進んでいますが、皆がみんな好意的に見ているとは限りません。少なくとも、祝宴に招かれなかった鄭児は、こんなことを言っています。

“既沒有高堂 又不懂拜天地 連卻扇都不用
楊雪舞 你放心 
我與四爺的婚禮絕對不會如此輕率的”

(両親もいなければ天地への礼も知らない
“卻扇”さえしない式だなんて
楊雪舞よ どうぞ安心してちょうだい
私と四爺のときは こんないい加減な婚礼はしないから)


なんかだんだん鄭児が怖くなってくるんですけど、事件になるようなストーカーの思考回路ってこんな感じなのでしょうか…?

もちろん、ストーカーは許されることじゃないですが、じゃ鄭児は雪舞から四爺を略奪しようとしてるのか、と言われれば、そこは微妙ですよね。

よく考えてみれば雪舞は、蘭陵王とは結ばれる運命ではない、と自分で言ってたんですから。

雪舞が運命に打ち克ち、やっと蘭陵王と結ばれるということは、当然そこから弾かれてしまう人がいるということ。

鄭児自身は知りようもないことですけど、おばあさまの占いによれば、蘭陵王が生涯愛するのは鄭氏の女性ただ一人。それは運命によって決められていることなのです。史実でもそうだし、この物語の中でもそのはずだった。楊雪舞はそれを変えてしまったわけです。

彼女は途中まで、お妃になる人は鄭氏なのだから、自分は身を引くとずっと公言していました。その通りなら、きっと鄭児が正妃になっていたことでしょう。

鄭児自身は運命の定めたまま、蘭陵王と知り合い、その伴侶となるルートを変えていないだけなのです。なぜこれほどまで彼に執着するのかも分からないまま…。

彼女は、いわばJR東海のようなもので、決まったレールから外れれば転覆脱線するしかない。スバル・楊雪舞・インプレッサのように、人の運命に突っ込んでも助かるような特技は持っていないんです。

楊雪舞は官奴になった鄭児を助けて欲しいというようなことを四爺に言ったり、この後も鄭児に対して強い態度が取れない。

皆、それは雪舞の優しさだと言うけれど、私は違うと思う。

略奪とは言いませんが、雪舞は占いの結果を知っているのですから、鄭児に対してどこかにやましい気持ちがあるはず。それが意識的にか無意識的にか、現れているのではないでしょうか。

脚本も、雪舞に手放しの幸福は与えません。

彼女自身は確かに当初の運命に操られることはなかった。でも、彼女の選択によって、別の人の運命が、その人が知らない、望まないうちに書き換えられてしまった。そして雪舞の方は、自分のしたことを知っている。

この先、彼女の行く手に常に影が差しているのは、このことと無関係ではないはずです。

そしてこの先どこまでが、変えたと思った運命の仕業なのか、それは雪舞の、そして鄭児はもちろん、預かり知らぬところなのです。

この回のラストの鄭児を見ると、私はいつも谷川俊太郎の「黄金の魚」という詩を思い出します。

しあわせは ふしあわせを やしないにして はなひらく

どんなよろこびの ふかいうみにも ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

運命の仕業とはいえ、なんて悲しい人なのでしょうか…。



次回は、少し趣向を変えて、お話の中盤である20番台を概観する予定です。

予定よりちょっと暗い話で終わっちゃいましたけど、もしよろしければ、続きもどうぞお楽しみに。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!



posted by 銀の匙 at 02:48| Comment(13) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする