2005年01月19日

オペラ座バレエと大野一雄

オペラ座

去年(2004年)の秋(9月25日,土)に見た公演の話題ですが、今年までロングランとのことでしたので、備忘のために書いておくことにしました。

パリの旧オペラ座(ガルニエ)といえば映画でも有名で、まずはこの建物の中が見たかったのです。2000年に初めて訪れたときはあいにく改修中だったため、今回は何の演目でもいいからやっているのを見よう、という消極的なチョイスでありました。

何しろフランス語ができませんので、当日券を買うのはまず無理だと思い、オペラ座のHPから切符を予約しておきました。このHPには英語表示がありますので、フランス語がわからなくても大丈夫です。予約の最後に予約番号を控えるか、予約番号が表示されているページをプリントアウトして当日持参します。席は大体のゾーンが選べるようになっていて、その日はとても見やすい良い席が取れました。

当日は8時からの公演でしたが、遅くとも開演30分前にはチケットと引き換えにくるように、と書いてあり、地方から夕方パリに戻ったのでギリギリセーフでした。入り口ではまず持ち物チェックがあります。中へ入り、どこで引き換えてくれるのだろうとウロウロしていると、右手に並ぶ列と、階段の正面に三々五々ひとが固まっているのと、2つ流れができています。どうも右は当日券の列のようだ、と思いつつ、係員らしき人にプリントアウトを見せてみたのですが、英語ページだったせいか、えーっと??という顔をされてしまいました。しょうがない、階段の上のギャルソンに聞こう…とプリントアウトを差し出したら、はい、交換をはじめます、みたいなことを宣言して、私の分から引き換えてくれちゃいました(下で待ってた皆さん、ごめんなさい…)。

私の行った日が特別だったのかどうか知りませんが、係員の人が綺麗なのにはびっくりしました。皆が萩尾望都の絵から抜け出してきたような感じです。ひょっとして、ここは顔で職員を採用してるんだろうかと思ったほどです。

緞帳

席についてあたりを見てみると、演目がモダンのせいもあるのか、思ったより皆ふだん着っぽい格好をしています。バレエ学校の生徒さんかな、というような若い人たちもちらほら見かけました。

今回の演目は三人のコレオグラファーの名をそのままとって「Bell,Lander,Robbins」と題され、それぞれが「Etudes」「Veronique Doisneau」「Glass Pieces」の1作ずつを振付けた三本立てでした。

正直、私にはモダンの良さというのがよくわかりません(汗)。クラシックは素直に綺麗だと思うし、ローザスみたいな現代ダンスは面白いと思うけど、モダンバレエの、テクニックはほぼクラシックバレエのままで感情表現は自前、というのがどうも中途半端な気がしていたからです。

今回の1つめの演目「Etudes」は練習風景がそのまま舞台に上がってきたようなもので、さすがに踊りは上手いと思ったものの、あまり印象に残りませんでした。

オペラ座バレエ
最後の演目はフィリップ・グラスが音楽を担当し、全般に健康体操みたいな雰囲気が面白かった作品です(↑写真はカーテンコールのときに撮ったもの)。女性だけの群舞、男性だけの群舞、女性と男性の組み合わせという、いろいろなバリエーションが登場しますが、なんといっても男性の群舞は際立っていました。男性の舞踊手は女性の支え手か添え物扱いにしかみられていなかったのが、近年一転して注目を集めていますけれども、この作品の中では力強さやスピードをアピールする振り付けになっていて、男性が主な踊り手の西洋のダンスってこんな感じだったかも?と思わせるようなところがありました。

廊下

幕間の休憩時間には20分づつあるので、席を立ってカウンターで飲み物を注文してみたり、中を見学したりできます。エレベータもありますし、階段でも登れます。上の方には個室もあって、入り口に一人ずつ係りの人が詰めているのが見えました。大広間のような場所は圧巻で、天井にはびっしりと絵か描かれ、吊り下げられたシャンデリアのまばゆい光に照らされています。しかも描かれた人物は巻き毛巻き毛巻き毛のオンパレード…ここを見るだけで眼の容量はオーバー気味です。

さて、二番目の演目は、演じたバレリーナの名前がタイトルになっています。彼女は練習着を着て舞台の真ん中に立ち、お客さんに話しかけます。バレリーナが口を利くというのに意表をつかれ、何かの解説だろうかと思ってみていると、彼女は拍子を口ずさみながら踊ってみせます。舞台の端から端へ移動するだけですが、息が切れてしばらくはしゃべれません。映画「エトワール」で見た、出番が終わって舞台裏に引っ込んだバレリーナのようだと思いながら見ていました。そうやって来る日も来る日も練習するわけです。

そしていよいよ舞台!という晴れがましい日のありさまが再現されます。彼女は舞台衣装を着て、一人で舞台に立っています。バックに流れるのは白鳥の湖。白いチュチュを着た彼女は、手をすっと前で重ねて立っています。音楽は盛り上がりますが、ときどき首の向きを変えたり、足の位置を変えたりするだけ。そう、彼女は、舞台の中央で踊るエトワールの後ろに控えている、「その他大勢」の役なのです。ほとんど動きはありませんが、それでも彼女は白鳥みたいに立っており、舞台に一人だけにもかかわらず、あまり気配を感じさせません。踊らない踊りなのです。

この舞台を見ていて、2年ほど前にシアターXで見た、大野一雄さんの舞踏を思い出しました。もう90歳をとうに越えた大野さんは、立ち上がることもできません。椅子に座り、お弟子さんにかつがれて、小さな舞台に登場します。心もち、顔をあげると、そこに華麗なワルツの音楽が流れてきます。大野さんは何かに憧れるかのように、手を前に伸ばします。舞踏家が動けないとはどのようなことか、その心情を思うととても辛く感じる一瞬です。と、芸術家らしい、長くて繊細な指が少しだけ動きます。動きといえばたったそれだけ…。それでもこの老舞踏家の指さす先に、華麗に踊る彼の姿がはっきりと見えるのです。そのうちに曲はハワイアンになったり、移り変わっていきますが、彼は眠ったまま動きません。それでも観客は、彼が夢の中で踊っていることを知っている。この舞台の衝撃はいまでも忘れることができません。

今回オペラ座で見たこの演目では、彼女はほとんど動いていませんが、確実に踊りの一部分にはなっています。その意味では、踊らないことによる究極の踊りという境地とは違うのでしょう。ただ、いつも「脇役でしかない人のペーソス喜劇」という軽い作品というだけでもないように思いました。

この演目、最後の方で別の人が出てきて、座って見ている彼女の前で、軽々と自由に踊ってみせるシーンがあります。それは、結局いつも人が踊るのを見ているだけ…というダメ押し的なシーンにも取れましたが、もう一方で、彼女の憧れの中では、こういう風に踊っている、というようにも(大野さんの場合は、その部分は観客が付け加えるわけですけれども)取れるような気がしたのです。
posted by 銀の匙 at 02:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月04日

2003-2004年の目次

2003年〜2004年の記事の目次はこちらです。
posted by 銀の匙 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | バックナンバー目次 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月02日

グランマ・モーゼス展

moses

素朴なフォークアートという触れ込みで見に行ったんですが、予想に反して、現代アートっぽいのに驚きました。

砂糖カエデからメープルシロップを作る、楽しい農作業の光景。雪の日のソリ遊び。大変だけれどにぎやかな農家の引越し。農村から力強く立ち上がる虹。

描かれている風景は、そのまま「大草原の小さな家」の挿し絵になってしまいそうな、1900年代前半のアメリカの農村ですし、画家も70歳にして本格的に絵を描きだしたおばあちゃん。でも絵は紛れもなく現代のものです。どうしてそう感じるのか考えながら見ていました。

彼女の絵は、素朴で暖かく、美しいものを題材にしているところが、ちょっと谷内六郎の絵に似ています。稚拙に見える人物の描き方などもそうです。しかし、画面に描き込まれているものの配置や距離感が、普通見慣れた絵画とは全然違っています。見ているうちに現実世界を見失ってしまいそうな奇妙な感覚に陥ります。

色彩も独特です。印刷物を見ると割合沈んだ色のようですが、実際の作品は、油絵絵の具のチューブから出してそのままみたいな色や、ピンク、水色がかった緑などアクリル絵の具みたいな色も多く、かなり強烈な色遣いで、とても現実の農村の色合いには見えません。

不思議に思いながら展示をみていくと、「下絵」の展示があり、謎の一端がわかったような気がしました。

これらの絵は、目の前にあるものをそのままスケッチしたのではなく、昔の記憶を呼び起こすために、新聞や雑誌のイラストを切り抜いて再構成したものを元に作り上げられたものだったのです。だから、「コラージュ」で作られた、シュールレアリズムの絵みたいな感じがしたのでしょう。

また、モーゼスおばあさんは、絵を描き始めたのこそ70歳になってからですが、それより前は刺繍で風景画を作っていて、大変評判がよかったのだそうです。あの独特の色遣いは、現実の景色の色というより、染められた糸の色なのかもしれません。

そして、これらの特徴は、厳しい現実と結びついています。絵が描かれた時期には、すでに彼女がモチーフにしたような、にぎやかで豊かなアメリカの農村の風景は失われてしまっていました。おばあちゃんは、記憶の中にある懐かしくも美しい農村の風景を見てもらうために、昔の新聞や雑誌のイラストから、昔の風景を蘇らせるしかありませんでした。

絵筆を執ったのは、高齢になって、刺繍ができなくなったため、家族に絵を描くよう勧められたからだそうです。

しかし、そうした背景とは切り離して絵を見ると、そこには、ノスタルジックな風景画という以外の、1950年代のコンテンポラリー絵画という確固たる作品の価値が存在するように私には思えました。

Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
2005年1月30日(日)まで
posted by 銀の匙 at 19:35| Comment(2) | TrackBack(1) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月01日

カンフーハッスル

kunfu

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、本年の初映画鑑賞はチャウ・シンチー監督・主演の「カンフーハッスル」。
サブタイトルを見たときは、思わず唸りました。
チャウ・シンチーの芸風は一言でいうと「無厘頭(モウレイタウ)」。この言葉はとてもポピュラーな広東語なんですけど、日本語にでぴたっとくる言い回しがなく、翻訳するときいつも頭を抱えてました。かろうじて「ナンセンス」という訳語でお茶を濁してみたりして…。

今回のサブタイトルは、たぶんこの言葉から連想されたものでしょう。
「ありえねー。」
うーむ!お見事でございます。

さて、映画の方の感想はというと、正月からとんでもないもの見ちゃったと申しましょうか。そこまでやるか!なクドいギャグは変わっていないんですが、前作の「少林サッカー」などで見せたほんわかムードは影を潜め、ダークな色合いが濃くなっています。

主役のチャウ・シンチーは相変わらずの負け犬っぷりなのですが、今回は精神的にも追い詰められて見え、ドキッとしてしまいました。これまでの作品にも、ところどころシニカルな部分が隠し味としてあったものの、本作は表面にそれが出ていて、ちょっと病的で怖かったです。意図してではなく、彼が本来持つ狂気の深淵を覗き見てしまったような気さえしました。お願い、周伯!長生きしてね…と思っちゃったのでございます。それとも、ブルース・リーへの敬慕を込めて作られたというだけに、リーの狂気の部分もきちんと移植してきたということなのでしょうか。だったらいいんだけど…。

とはいえ、何かヤバくないですか?と思いつつも反射的に笑えてしまうのがコメディーの困ったところ。今回もきっちり笑うところは笑わせていただきました。ただ、香港で見たらもっとリアクション良かっただろうなぁというシーンがたくさんあったのは勿体なかったです。

チャウ・シンチーは仕草ばかりでなくセリフでも笑わせるタイプなんですが、マシンガントークなので、字幕が追いつかなかったのは仕方ないですね。かなり大人向けのギャクもあったり…。大家夫妻が名を名乗るシーンは武侠小説(金庸)のパロディなんで、きっと本場ではドッと受けたことでしょう。カンフー映画のほかにも、LotRのパロディじゃないのかしら?(効果音も一緒みたいだったし)というシーンもありました。

時代が文化大革命の頃に設定されているそうですが、衣装や背景がレトロで、1930年代くらいの話かと思っちゃいました。懐かしの中国歌謡曲も流れたりして、そちらの方のファンにも楽しめるでしょう。いかにもカンフー映画っぽいサントラも雰囲気出してます。

エンドクレジットにはコレオグラファーとして「燃えよデブゴン」サモ・ハン・キンポーの名が挙がっていました。彼のアクションは、コメディアンっぽいビジュアルとは裏腹に、本格的には見えるんですけど容赦ない感じなんですよね…これも暗くなった一因かもしれません。

1時間39分
渋谷ジョイシネマ 
この劇場、前から10番目くらいの列でもまだ近すぎて辛いです。
なるべく後ろの方で観た方がいいかも。
posted by 銀の匙 at 23:56| Comment(4) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする