2014年10月25日

息もできないほど/我想和你好好的(ネタバレです)

中国映画週間2014で見ました。李蔚然(リー・ウェイラン)監督作品。

実は、全く違う映画を観る予定だったのですが、手違いで入れなくなってしまい、代わりに取ってもらいました。お礼に感想を書いておきます。全然見る予定がなかったので事前に話さえ知らなかったのですが、とても面白かったし、良い映画でした。

今週はウィリアム・フォン強化週間なのか、アン・ホイ監督の《黄金時代》(→感想はこちら)と併せて2本も主演映画を観ちゃいました。それだけたくさん映画に出てるってことか、人気があるってことか…。


以下、結末までのあらすじを書いていますのでご注意ください。




お話の舞台は現代の北京。

停まってる車にいきなり乗りこんできて「出してよ」と命令する女。運転席にいた男は「オレは運転手かよ」と怒っているのですが、「車を壊されたくなかったら出すな」という男が現れるにいたって、いきなりカーチェイスが始まります。何とか振り切って車を止めた途端、女は礼も言わず、至極当然のごとく車を降りて、タクシーに乗って去ってしまう。

何だこりゃ。

すると今回はウィリアム・フォンは運転手の役なのか…?あるいはあの女の子のアッシー君(古いですね)なのかしら、と思っていると、次のシーンではスタジオみたいなところにいて、広告の撮影を見学している。じゃ、撮影助手の役なの…?でも、特に仕事らしいことはしてないし…。

で、その広告に出てた女の子を「送っていって」と言われて、初めて昨日の女の子だと気づく。ってことはあの子は彼女でもなんでもなかった(面識さえなかった)ってことか。まさか後で女の子に指摘された通り、“骗子”(詐欺師)の役…?

と、最初のうち、何だか話がよく呑み込めなかったのですが、だんだん分かってきたのは、彼(蒋亮亮 ジャン リャンリャン)は広告会社に勤めるしがないコピーライターで、女の子(喵喵 ミャオミャオ)はブレイク寸前の女優さんらしいということ。

送って行った帰りにミャオミャオとご飯を食べて、そのお姉さんが出てるお店で“灰姑娘”(シンデレラ)とかいう出来損ないのフォークソングみたいな歌を歌わされたりして、すっかり気に入られたらしい。

北京で流行の最先端っていうと、オシャレでこういう感じなんだな〜と、あか抜けてない頃が好きだった者にはちょいと寂しさも感じられますが、映像も部屋の中など、わざとフラットに撮ったり、街中の景色を最近流行りのミニチュア風に撮ったりして、とても洗練された感じです。

ついでに言うと、エンドロールを見ると提携先としてネット企業がずらりとならんでいたり、タイアップと称してノキアと組んでたり(なので、劇中の携帯は呼び出し音もノキア)、パソコンの中の画像が提携先のフィギュアだったりと、よくも悪くも広告畑出身の監督さんらしいメディア戦略も垣間見え、そのあたりも現代的だなと思ってしまいました。

さて、亮亮がちょうど引っ越そうとしていたところに、手伝いを買って出て、荷物と一緒にそのまま新居に来てしまった喵喵。なんだかいい雰囲気になったところで、いきなり元カノ、梅梅(メイメイ)が現れ、自分の置いて行った弦(彼女は古典音楽家)を探そうと、引っ越し荷物の山を漁り始めます。慌てるでもなく、のほほんと応対する亮亮。これまで付き合ってきた女の子の名前を並べ立てた挙句、自分は“不主动、不拒绝、不负责”(誘わない、拒まない、責任は取らない)って主義だとのたまう。

結局、二人はなし崩し的に同棲を始め、よくもこんな男の元に留まろうと思ったもんだ...と呆れたのもつかの間、喵喵の方も人の事は言えない行状で、まあ、ある意味お似合いのカップルではあります。

ところが、喵喵の方はかなり本気になってしまう。亮亮は、(彼のできる範囲内で)誠実に対応はしてるのですが、元カノとの関係もゆるいし、良く言えば女の子に優しいので、喵喵はだんだん不安にかられるようになり、携帯の履歴をみたり、元カノの写真を燃やしたり、だんだん常軌を逸してくる。

さすがの亮亮もキレてしまい、大家さんの前で大ゲンカをして飛び出し、下まで降りたところで喵喵から電話が来る。上を見て、と言われて振り向くと、18階の部屋から今にも飛び降りそうな彼女が見える。慌てた亮亮は電話口で説得しながら階段を駆け上がってるのですが、最後には毛沢東まで持ち出して忠誠を誓わされる、ここの対話が笑えます。

しかし、勝利を収めた喵喵のエキセントリックな行動はますますエスカレートする一方。彼女がテレビドラマのロケで3か月留守にすることになると(字幕では出てなかったけど“横店”に行く、と言ってましたね。そこは日本でいえば太秦の撮影所みたいなところで巨大なロケ地。《蘭陵王》もそこでロケしたそうです)、亮亮は空港で「旧正月には両親に合わせよう」とか言い出したりして、心のこもったお見送り。しかし彼女が出かけた途端、笑顔満開で同僚とクラブへ繰り出し、自由を満喫…しようとしたら、そこへ喵喵からの電話が…。

家にいるという嘘はもちろん見破られ、次の日帰宅すると、なんと家には喵喵の姿が。彼女の束縛はだんだんきつくなり、カードの残高を調べられたり、家には隠しカメラを仕掛けられていると知って、亮亮は「お前は頭がおかしい!」と言い捨て、今度こそ飛び出してしまいます。

追いかけてきた彼女に、上着は私が買ってあげたものよ、と言われれば上着を脱ぎ捨て、ズボンも私が買ってあげたと言われてズボンも脱ぎ捨てて逃げる亮亮が哀れ…もうこうなると自業自得とかって言ったらカワイそう。

ランニングとパンツ姿でタクシーに乗り込み、タクシーの運転手に「お客さん…行動芸術(パフォーマンス・アート)かい?」って言われるのがまた笑える(中国では“行動芸術”と称してストリーキングが流行ってるらしいので…)けど、本人はそれどこじゃありません。

同僚に頼んで逃げ込んだ先にも、結局喵喵が現れ、もはやホラーの域に達したところで、彼女は言います。「別れるから最後に送って行って」
そして二人は最初会ったときと同じように、無言で車に乗る…。
  *
車を壊され、冒頭から放送禁止用語を叫びまくる亮亮に、いったい中国の映倫ってナニを検閲してるんだろうと驚きを禁じ得ないこの映画、ウィリアム・フォンが嫉妬に狂った女に悩まされる不実な男の役を演じてるのを2本続けて見たことになるんですが、いったい何の意図が? いかにもそういうことしそう、という理由で決めたキャスティングなのでしょうか(謎)。

ていうか、中国の女の人ってこういう人が多いのか?

でも、多かったら映画にはならないでしょうから、それほどでもないんでしょうけど(と思いたい)。

倪妮(ニー・ニー)演じる喵喵は金持ちのぼんぼんに、オレに囲われないか?と持ちかけられて断ってますが、そういうのはイヤだと思ってるくせに、自分の方は実質上、亮亮を囲っ(“包养”)てて、相手もそれがイヤだということがどうしても分からないらしい。

原タイトル(《我想和你好好的》)通り、せっかく、お互い相手に良くしようと思っているのに、手にしたものを失いたくないあまりに、却って失ってしまう愚かな女の役、一歩間違えばただの怖いひとで終わりそうなところ、女王様然とした態度の裏に純情可憐な心を秘めた、倪妮のツンデレ演技が光っております。

亮亮の方も彼女が好きで、合わせようといろいろ努力はするものの、手を洗えだのなんだの、あれこれ指図されて反抗したくなる気持ち、分かるなぁ〜。

終盤では、“一点儿自由都没有”ちょっとの自由さえない、“像个囚犯”囚人みたいだ、と思ってしまう。もうこれはラブストーリーとかっていうより、尊厳を懸けた人間の戦いの様相を呈しております。

邦題の『息もできないほど』は「息もできないほど」愛してるのかと思わせて(喵喵の方は、あるいはそうかも)、「息もできないほど」束縛されてるという意味だったとは、なかなかやりますね。

亮亮は玄関先でやいのやいの言われ、ガラス瓶を自分の頭で叩き割って出勤してしまい(ドリフかよ…。これよく時代劇とかで、失敗した人がわざと自分を殴ったりするのに似てる)、プレゼンの時に頭から血を流してるのに気付いたときの茫然とした表情は、実に忘れがたいものがあります。

ちなみにこのプレゼン、コピー案から推すと“中国移動”(チャイナモバイル)の広告だったみたいですね。プレゼンが行き詰まり、代案を出せと言われて亮亮はノートに、“我能!”(オレならヤれる!)ってヘタウマ(?)なでっかい字で書いてますが、喵喵のために書いた手書きのお手紙とはだいぶ筆跡が違うような…。

亮亮は、不安がる喵喵に子どもを作ろうと提案し、「良いママになる自信がない」と言われると、じゃあ歳を取ったら誰が面倒みてくれるんだ、と聞く。“我伺候你”(私がお世話をするわ;かなり「かしずく」に近いニュアンス)と言われると、“那你先死了呢”(君が先に死んだらどうするんだ)…この問いへの答えが「毒殺するわ」なのが笑えるんですけど、その辺にいくらでもいそうな、こんなどうしようもないくらい普通の(情けない)男(そして、やっぱり劇中でお料理したりしている)の役に、ウィリアム・フォンは本当にピッタリです。

一つだけ言わせていただくと、オフィス勤めであろうコピーライターのくせに、ずいぶん日焼けしてるのが気になるんですが、広告をロケして撮ってるからかな。あと、最初から最後までものすごく眠そうで、働き過ぎじゃないかと、ちょっと心配です。会社勤めも大変ですね、どうかご自愛ください!

*ちなみに、ウィリアム・フォンさんへのインタビュー番組は、テレビドラマ「蘭陵王」を1話ずつ楽しむ記事→こちら で途切れ途切れにご紹介しております。この「息もできないほど」製作中のエピソードは第11話の記事→こちら に登場します。よろしければどうぞご覧ください。 


プリンスシネマ シアター1で見ました。
こじんまりしてますが、とてもいいシートです。
見やすい席は、D、E列あたり。
posted by 銀の匙 at 09:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄金時代 The Golden Era/アン・ホイ(ストーリーの内容に触れています)

感想を書くと約束したので、ちょっと「蘭陵王」はお休みして映画の話題を…(ウィリアム・フォンが出てるので、関係はあるといえばある)

香港の女性監督、許鞍華(アン・ホイ)の作品。六本木で行われた東京国際映画祭で見ました。

1930年代に活躍し、31歳で夭折した女性作家・蕭紅(シャオホン)の生涯を描いた作品です。

アン・ホイの作品を見たのは《客途秋恨》以来、2作目なんですが、ザ・文芸作品な感じといい、全体に歯切れが悪くてもやもやしてるところといい、観終わった感じが良く似ています。(《客…》は70年代の大分を舞台にした映画なんですが、いちばん心に残ったのは、どてっ腹にでかでかと「JR」と書かれた列車が通過するシーンでした...トホホ)

映画は、いきなり、死んだ蕭紅がこちらを向いてモノローグをしゃべるシーンから始まります。いかにも作家らしい、常人にはない雰囲気。演じる湯唯(タン・ウェイ)の人物造形は実に見事です。

舞台は彼女の幼年時代の回想へ、そして酷薄な父の元を離れ、ハルビンの街へと舞台を移していきます。蕭紅は、決められた結婚を振り切って弟や家族をどん底に追いやり、自らは捨てた婚約者を頼るという、腺病質の割に、やることが大胆な人。でも映画では薄幸そうなビジュアルのおかげか、恋多き女でも悪女みたいでもなく、どちらかというと、むしろ成り行き任せな印象を受けます。

当時、結婚は親同士が決めるもので、当人たちの意思は全く尊重されませんでした。その時代の、革命に身を投じた人たちの話を読んでいると、ひょっとして自由恋愛したいがために革命に参加したんじゃないかと思われる人もちらほらと…。

さて、頼った相手が蒸発してしまい、宿代が払えずに閉じ込められた彼女の元へ、作品を読んでその才能を見込んだ作家、蕭軍(シャオジュン)が訪ねてきます。その後、二人は、“二蕭”と称され、作家カップルとして知られる存在になるのですが…。

日中戦争の戦火の迫る中、ハルビンから青島へ、そして上海、重慶、延安へと、流浪の人生を送る蕭紅。彼女を取り巻く、魯迅、丁玲、端木ら、近代の詩人や作家たちは、皆、劇中、突然カメラを向き(かなりドキッとするのですが)、まるでインタビューに答えるように蕭紅について語ります。

一人の作家の伝記でありながら、こうした体裁をとることで、映画全体が作り物めいて、切れ切れに寸断された印象を受けます。また、租界―中国でありながら外国が「借りている」(実際には「占領」しているのですが)場所―の建物内のシーンが多いのも、中国の中なのに異国のような、どことなく現実ばなれした感じを受けます。

なので、この作品はドキュメンタリー的に撮ろうとしたというよりは、蕭紅の意識の流れを映像化したというのに近いと思われます。画面がとても綺麗なので飽きずに見られるものの、観客を何とか突き放そうとする映画を3時間は、なかなか辛いものがございました。ただ、その距離感こそが、この映画の評価すべき点の一つでしょう。

さて、主要な登場人物がカメラに向かって訥々と語る中、最も重要な人物であるにも関わらず、そういうシーンが一切ない不実な男、蕭軍。蕭紅の才能に惹かれたくせに、彼女の方が才能が上だと周りに言われると、浮気はするわ、女は殴るわ、カメラの方を向くのは、浮気してるときと魯迅先生に手を振ってるときだけという、ロクでもない男(なんか、この人こういう役多くないですか?)。

もちろん、蕭紅が好きになるほどの人なので、素敵なところもいろいろあるんですけど、自分で軍隊に入ったりして、どちらかといえば武闘派というか、けっこう粗暴なところもある、いわゆる“東北大男子漢”だったらしい。映画の青年っぽいビジュアルは、ひょっとしたら蕭紅の心の中の姿を映像化したのかも…(笑)。

演じる奇跡の40歳(←四捨五入しちゃダメダメ)、ウィリアム・フォン(馮紹峰)は、やればできるじゃん、ちゃんと北方訛りでしゃべってはいるのですが、何かどこか東北男子の感じがしないのは、なぜなんでしょう…。声が細いせいですかね…? コーヒーの飲み方とか、物の食べ方とかで東北の人らしさを出して頑張ってはいるんですが、女を殴ったら返り討ちに遭いそうだからか、曰く言い難い微妙な間違い感が…。

蕭軍はゲリラ戦に参加するためにいったん蕭紅と別れ、のちに西安で再会します。ところがそこで、二人は永遠に別れてしまう。別れる間際、蕭紅と、彼女を気遣う端木、いきなり現れた蕭軍の三人で、おそらく第三者の目からは相当な修羅場が展開されているはずが、蕭紅の目から見ているせいか、蕭軍のやることがどことなく間が抜けて、可愛らしい感じさえします。

ここは、蕭軍と端木、それぞれが遺した記録を基に、二通りの成り行きを続けて再現していて、蕭軍は別れ話を聞いたとたんに、ものすごい勢いで顔を洗って、いきなりかなだらいの水を被ってみたり、かと思うと、端木の回想通り、二人の前で、誰かを殴り殺しそうな勢いなのに、置いてあったアコーディオンをいきなり取り上げて弾いてみたり、実験的なシーンで面白かったです。

蕭紅の作品は、他の同時代の作家たちと違って時局と一線を画していたため、発表当時は広く受け入れられたわけではなかったようですが、後世高く評価されています。その辺の微妙なニュアンスを映画化できたのも、香港出身のアン・ホイ監督ならではなのかも知れません。

ついでにいうと、魯迅や蕭紅は日本とも縁があり、映画でも中国専門書の内山書店が出てきたり、神保町が出てきたり、夏目漱石の話題や日本人作家の訪問シーンがあったり、蕭紅は日本留学時代を「黄金時代」と呼んだりしています(日本に居たことが理由ではなかったみたいですけど)。

《客途秋恨》で描いたように、監督さんのお母様が日本の方だそうで、日中戦争や香港占領などのシーンと合わせて、上手くバランスの取れた扱いになっていると思います。

芸術家同士、あるいは似た才能を持つもの同士の結婚で起きる葛藤や、文壇の複雑な人間関係への倦怠感、作品そのものよりゴシップが噂のタネになってしまうことに対するやるせなさ、創作と時局など、巧みに織り込んでおり、いろいろと考えさせられる作品です。

追記:この《黄金時代》の解釈について、ウィリアム・フォンが答えているインタビューを見ました。彼は、「創作をする上では、(お金にも困らず、静かな環境にあった)日本留学時代は黄金時代だったかも知れないけれど、彼女は親しい人から離れて、うら悲しい寂しさの中にいた。貧しくはあっても、蕭軍と暮らしたハルピン時代こそが彼女の「黄金時代」だったはずだ」と言っています。

確かに、ナレーションで流れる彼女の言葉にはどこか強がっているような、皮肉にも(遠く異国にいるという)こうした境遇こそが黄金時代なのだ、と言っているようなニュアンスが含まれてると思います。が、一方では、一人の作家として、愛する人からも離れ、全てが背景に退いてしまったような奇妙な解放感が黄金時代と感じさせたのではないかとも思います。創作とは、結局は孤独な行為なのですから…。



六本木ヒルズ シアター2で見ました。
段差が大きく、見やすい劇場です。通路の後ろになるH列か、画面に没頭したいならF列かG列がいいかも。
posted by 銀の匙 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月17日

蘭陵王(テレビドラマ8/走馬看花編 第4話)

皆さま、こんばんは。
第4話は情報量が非常に多い回のため、記事も長大になってしまいました。時間も普段の2倍近くかかりましたが、その割に、あまり中身はなくて、ただ調べ物をしたから記録しときましたみたいな感じになってしまいましたこと、お許しください。

いや〜、年を取ると話が長くなって困りもんじゃのう。ふぉっ、ふおっ、ふおっ。
助さんも聞きなさい、格さんも聞きなさい…。(

ちなみに、前回(第3話)はこちらです。

第4話のあらすじ

ベクトル真逆の間宮兄弟こと、高家のナンパ四男坊・五男坊は、
首尾よく田舎娘をナンパして花嫁に仕立て上げ、丹州城(たんしゅうじょう)に囚われた義兄弟の救出に向かうのでありました。

何のことやらよく分からない? すいません、失礼しました。

大人数で敵国の拠点に潜り込むため、花嫁行列を装ってみた蘭陵王=高長恭〈こう ちょうきょう〉=四爺〈スーイエ〉一行ですが、当然のごとく敵将・尉遅迥(うっち けい)に疑われ、いいようにからかわれた挙句、見張りつきで斛律須達〈こくりつ しゅだつ〉の奪回作戦に挑むこととなります。

一方、敵国・周のアシナ皇后は、援軍の要請のため自ら突厥〈とっけつ〉に出向いた夫君・宇文邕〈うぶん よう〉が、行方知れずになっているとの知らせに、救出に向かうよう、腹心の臣下・宇文神挙〈うぶん しんきょ〉に命じます。

花嫁に扮した楊雪舞(よう せつぶ)は、城内の隠れ家にたどり着いた途端、お役御免で追い出されてしまいます。それでも別れ際に、はるばる届けにやってきた仮面を渡し、四爺から路銀代わりにと、玉佩〈ぎょくはい〉を貰い受けるのでした。

城門を出ようとした雪舞は、玉佩の文字を見て、ようやく四爺が蘭陵王だと気づきます(遅いよ)。尉遅迥が城門を締め切り、蘭陵王を生け捕りにしようと企んでいると知り、助太刀すべく刑場へ向かうのですが…。



さて、南汾州城〈なんふんしゅうじょう〉の怪しげな旅籠に立ち寄り、花嫁役の妓女を調達するはずが、なぜか女衒〈ぜげん〉に捕まった雪舞を買い取る羽目に陥る四爺ご一行様。

時間もないし、さっさと事情を説明して協力してもらえば良いものを、なんでこんな手の込んだ芝居をしたのでしょうか。

だって別に女の子なら誰でも良かったんでしょ?

そりゃー、もちろん役得狙い(はぁと)ということもあるかもですが(誰か桶持ってきて、桶!

そうだ、雪舞の凶器(桶)ですが、これも気になるなぁ。水を入れて使った後がありますが、手でも洗ったのでしょうか(化粧はしたままだし、靴は履いてるし、服は着たまんまみたいですもんね)。

通常、北中国にああいうサイズの桶があると、それは足を洗うためなんですが。

…いえ、気になるのは桶じゃなく、旅籠に入る直前の四爺のセリフです。

「有去無回」という言葉、吹き替えの通り、「ルビコン川を渡る」(後戻りできない)の意味の方ならいいんですが、“肉包子打狗”(「肉まんを犬にぶつける」―もう戻らない)の方だったらイヤですね。

↑こういうダジャレみたいな決まり文句を、中国語では“歇後语”(シエホウユィ)と言います。上の句だけ言い、後ろは普通言いません。

日常よく聞くのは、
“老王賣瓜−自賣自誇”(王さんが瓜を売る―自画自賛)とか。

“劉備借荊州―借無回頭”(劉備玄徳が荊州(けいしゅう)を借りる―借りたら返さない)とか。

この「歇後语」という修辞形式は、史実でも、このドラマの時代(南北朝)ごろに大流行したのだそうです。

あ、肉まん食べてる場合じゃなかった。次のセリフはもっと怖いんだった。

“不會走漏風聲”(秘密を漏らすこともない)って…。
よくて丹州城に置き去りにするか、最悪、始末してしまうつもりだったのでしょうか…(ひえぇぇ)。

ところが、目の前の女の子は兄上と知り合いらしい。このとき、弟君の、安徳王〈あんとくおう〉=高延宗〈こう えんそう〉=五爺〈ウーイエ〉が、彼女と兄がどういう知り合いと思ったかは、女神・女媧〈じょか〉ニャンニャンのみぞ知る。

プラス、この女の子ときたら、第四皇子殿下に向かって“衣冠禽獸”(紳士のなりをしたけだもの)などと、忠臣・楊士深(よう ししん)がこの場にいたら(いなくてホント良かった)、即、手打ちなセリフを吠え立ててます。

そりゃ、五爺はこの娘に大役を割り振るのは躊躇するでしょうよ…

五爺が反対したらしいことは、ひと芝居うってみて、やっぱり雪舞が助太刀してくれた後に四爺が言う、
“五弟 你看 雪舞姑娘果然是重情重義吧”
(弟よ見たか、雪舞どのはやはり情義を重んじるお人だ)
というセリフで分かりますよね。

続けて、高家の宝刀・必殺「おねだり」技を駆使しはじめる四爺。

このとき雪舞に、「ここまで来たのは仮面を返すため」と言われても、特に何の反応も示してません(絶対忘れてる)。畳み掛けて、「何でも欲しいものを用意しよう」“決不食言”(決して約束をたがえません)ってセリフに思わず吹きました(“食言而肥”言質を食べて自分が肥え太る=約束を破って自分の利益にする、って言葉を思い出した)。

ついには、蘭陵王に会わせてあげるからと、雪舞の協力を取り付けますが、その時の、“君子一言 駟馬難追”(君子が口に出した一言は、四頭立ての馬車でも追いつけない=君子に二言なし)という約束の方は、かろうじて守れて良かったですね、つーか、もう目の前にいるんだから、ほとんど詐欺ですよね。

(お雪:雪舞)「そうすれば、水戸のご老公に会わせていただけるのですね!」
(黄門:長恭)「ふおっふおっふおっ」
(助さん:五爺)「…。(ちっ、ナンパはどっちだよ)」
(格さん:士深)「…。(現場の苦労も知らんと)」

ってことでしょう…?
いや、四爺の場合は暴れん坊将軍かな。

と、ここまでが第3話(前置き長くてすみません)。

話は決まり、花嫁にお化粧をと、宿のおかみが現れて、自分が化粧すればまるで別人、と瓜を売り始めます(私を斉のざわちんて呼んで、なんちて)。

ここで吹き替えでは、
「あかぬけないガチョウも美しい白鳥に生まれ変わるからね」
と言ってますが、ガチョウって言われたくらいで雪舞も大人げない反応。
でも中国語では、
爛泥也能扶得上牆ぐちゃぐちゃの泥だって壁に塗れるくらいにはなるから)

って言われているので、お怒りごもっとも。

ま、塗った結果、
把你捧到手心里疼
(手のひらで捧げ持つほどお気に召してくださる)
んなら許すか…。

この“捧到手心里”はエンディングの歌詞にも同様の言葉がありますが、大切なものを手のひらに掬って捧げもっているという、聞くだにロマンチックな言葉。日本だと、目の中に入れても痛くない、がやや近いでしょうか(あまりロマンチックじゃないけど)。

なお、うっとりしてるところに申し訳ないですが、この部屋のインテリア、覚えておいてくださいませ。

さて、一階では五爺と、バッチリ花婿の装束に着替えた四爺が丹州城のガイドマップを前に打ち合わせ中です。

蘭陵王は武将の割に、結構な衣装持ちのようですが、今回のお召し物はお持ち込みの、
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この↑中の服の着回しですよね、きっと。一番中に見える赤の服は、この後も内側に着ておられます。
(私ゃてっきり、撮影用の衣装なんだから、重ね着に見える部分は襟だけ内側に縫い付けてるのかと思っていたのですが、本当に重ね着してるんですね。そりゃ暑いはずよ。)

四爺に限らず、中国の武将は赤いシャツを着てることが多いようで、中国の人に何で?って聞いたら、血がついてもわかんないからに決まってるじゃん、とそんな常識も知らないのかくらいの勢いで嘲笑われました。加えて斉の装束が史実でも赤だということもあるんですが、それはまた後の回(→第7話、→第9話)にて。

さて、流血沙汰とどういう関係があるのかは不明ですが、中国ではお祝いごとの色はと決まっており、伝統的な結婚式では赤い衣装を着ます。ただ、いつの時代からそうなのかは、参考書がまだ届いてないので、はっきりしたことが言えなくてすみません。

四爺がたすきのように前に掛けているのは大紅花といい、 これを掛けるのは実は明代くらいからの習慣だそうです。まあ、時代劇の花婿は何時代の話だろうとだいたい付けているので、これが花婿、という矢印とでも思っていただければ幸いです。

ちなみに、中国の結婚用品は何から何まで赤く、招待状もです。これが届くとご祝儀の心配をしなくてはならないので、招待客は“紅色炸彈”(赤い爆弾)という物騒な名前で呼んでます。後の方のシーンで、段韶が敵の守備兵に渡しているのもきっと紅包(ご祝儀)ですね。(ふつうは結婚する側がもらうもんだと思うけど)

中国語では“紅”という言葉は「人気がある」という意味なんですが、ロシアでも赤が良い色らしく、「赤の広場」とは赤い色に塗られた広場でも、革命の広場でもなく、元は「美しい広場」という意味なんだと聞きました。

と、無駄話をしているうちにだんだん夜も明けてきて、支度のできた雪舞が下りてきます。

そして思わず立ち上がる五爺と四爺の後ろに掛かってる、「青菜豆腐」ってメニューが気になってしょうがないのですが、お酒のつまみでしょうか。今では中華と言えば炒め物!が相場ですが、この時代、特に斉では、まだ煮物がメニューの中心でした。このお話もまた今度。

ここで、五爺は、
這是那位不男不女得雪舞姑娘,
(これがあの男か女かよくわからない雪舞どのか)
と言います。意味合いとしては吹き替えの「あれがあのおてんばで男勝りの雪舞どのか」ということなんでしょうが、見てくれも女の子らしくない、という意味がたぶんに含まれております(殺)

何せ、村娘たちにさえ、
男人婆(おとこ女!)
と言われてる(ハイ、いい意味は1ミリも含まれておりません)ので、女人と見まごう当社比)高長恭とは、ホント、お似合いだと思います。

っていうか、キャスティング的には、女人に見えるといわれてそうでもないウィリアム高長恭と、男の子みたいといわれてるけどそうでもないアリエル楊雪舞はよいコンビ、というべきか。

ここで、五爺は、吹き替えでは「見間違えるほどの美しさだ」と言ってますが、中国語では、

人真不可貌相啊 
(人はホント、見てくれじゃないね)

と言ってます。言いたいことはたぶん吹き替えと同じだったんでしょうが、
あまりにビックリしたのか、何か言葉の使い方を間違ってません?
この言葉、セットで使うことが多くて、

人不可貌相,海不可斗量
(人は見た目に寄らぬもの、海は升では量れない)

というのが決まり文句です。見た目は男の子みたいだったけど、実は女らしい器量の持ち主だったんだなあ、と言いたかったんでしょうかしらね。さすが斉のざわちん、侮れません!

ここで、婚礼の間、顔を隠すための団扇を渡されて、雪舞は
「庾信(ゆ しん)の詩にもこうあるわ 「夫婦(めおと) 床前(しょうぜん)に扇をしりぞく」、これが今の習慣なのよね」
“庾信的詩裏曾寫過 分杯帳裏 卻扇床前”

と言っています。
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この習慣自体を“卻扇”(チュエシャン)と言います。この習俗の始まりは例の本を見ることが出来たら補足するとして、雪舞が言う詩の方は、やっと見つかったので、ご紹介いたしましょう。

この詩はちょうどドラマと同じくらいの時代を生きた文人・庾信の、《為上黄侯世子與婦書》の一節です。

昔仙人導引 尚刻三秋;神女將梳 猶期九日

未能龍飛劍匣 鶴別琴臺 莫不衔怨而心悲 聞猿而下淚

人非新市 何處尋家? 別異邯鄲,那應知路?

想鏡中看影 當不含啼;欄外將花 居然俱笑

分杯張裏 卻扇床前 故是不思 何時能憶?

當學海神 追潮風而來往;勿如織女 待填河而相見。

                 (《芸文類聚》閨情[32-1])

南北朝時代の詩集をひっくり返してもなかなか出てこないので、こうあるわ、って、こうないじゃん! 詩としては散逸したのかと怒っていたら、『芸文類聚』(げいもんるいじゅう)に載ってた。知ってたらかなり時間の節約になったのに…(怒)

『芸文類聚』というのは、『これでスピーチも安心!お題別名言集』みたいなもので(え?)、「ジュエリー」とか「ファッション」とか「ホラー」とか「魔法」(←ホントにそういう内容なの!)とかカテゴリー別に詩や文章を集めた、唐代の本です。

この詩の作者・庾信は513年に生まれ(斛律光(こくりつ こう)将軍より2歳年上)、ちょうど南北朝が終わり、隋が建国された年(581年)に亡くなりました。おばあ様が言うとおり、雪舞たちにとっては、まさに同時代の作家です。つまり、先ほどのセリフは、

「村上春樹の「扇をめぐる冒険」に書いてあったのよね」

ということでしょうか…

やれやれ。

おばあ様に「星めぐりが悪い」と一言の元に切って捨てられた南朝でしたが、当時、「六朝(りくちょう)文化」と呼ばれる文化が栄えており、庾信は梁の宮廷に使える詩人でした。使者として西魏に滞在する間に政変が起きて帰国できなくなり、そのまま、西魏に替わって起こった周に留まりました。

557年、つまりドラマでいえば第一話で楊堅が出てきた時点で、梁は滅び、陳に替わりました。帰る国の無くなった庾信は望郷の詩人として後代まで知られることとなったのです。

ただ、同時代とは言っても、この詩は斉が滅んだあとに書かれたらしいという説が有力。おばあ様は、詩の内容も予言したのかもしれませんけど…(ははは)。
 
この詩は、政変によって20年も南北に別れ、離れ離れになってしまった夫から南朝にいる妻に宛てて、という内容になっています。無理やり解読してみた大意は(間違ってたらゴメン)、

むかし、仙人は養生のため三年の後の、巫山の神女は節句の日の、
再会を約束したと言う

一対の宝剣は離されれば龍となって消え 
離別された妻の嘆きを奏でる琴の調べは 涙を誘う 

故郷の外に帰る家はなく 異郷にあっては道に迷うばかり

鏡を覗いて泣くこともなく、共に摘む花は咲きほころんでいたあの頃

婚礼の日、帳の中で杯を取り交わし 花嫁の扇を下ろした光景を 
懐かしまないならば いつ憶いだすと言うのか

潮風に乗って行き来する海神のようでありたい 
河が埋まるまでは会えぬ織姫のようにではなく


って雪舞よ、またこんな詩、(お芝居とはいえ)婚礼のときに詠んでどうする。

自分で自分に呪いをかけてる人たちはしばらく放っとくとして、
この詩に詠われた卻扇という言葉は、『世説新語』(せせつしんご)に載ってるエピソードから採られたということなので、そっちも見てみることにしましょう。

こうしていつも資料探しの無間地獄にはまっていくのですが、私はこの『世説新語』という本がとても好きなので、しばしお付き合いくださいませ。

『世説新語』というのは雪舞たちの時代の100年前くらいに、南朝で書かれた本で、いわば人物のエピソード集のようなもの。「disる」「ずるい人」「どケチ」など、36の章に分かれていて、なかには「イケメン」という章もございます(本当です!!)

ひとつひとつのエピソードはすごく短いのですが、すぐにドラマか映画に仕立てられそうな話がたくさん。

ものは証拠に、「イケメン」の章から一つご覧いただきましょう。井波律子先生の読みやすい日本語訳があるので、省エネして引用させていただきます。

潘岳(はんがく)はスタイルが言いようもなく美しく、顔つきがハンサムだった。若いころ、はじき弓を小わきにかかえて、洛陽の道に出ると、出会った女たちはみな手をつないで、彼をとりかこんだ。

左思(さし)はこれまた言いようのない醜男(原文の「絶醜」っていうのが何ともはや)だったが、やはり潘岳の真似をしてぶらついた。
すると婆さん連中からいっせいに唾を吐きかけられ、しょげかえって引き上げた。


ひ、ひど〜い。

さて、卻扇の方は「ずるい人」のエピソードの中に出てきます。ちょっと長いので、はしょり気味に引用させていただくと、

温公は妻を亡くした…おばに娘の結婚相手をさがしてもらいたいと頼まれ、二、三日後に報告して言った。
「嫁入り先が決まりましたよ」…

婚礼が済み、交礼(新郎新婦が顔を合わせて挨拶する)の段になると、娘は手で紗の扇を押し開き、手を打って大笑いしながら言った
「私は最初からおじいちゃん(温公)じゃないかと思っていたけど、やっぱり思ったとおりだったわ」


これが…あのロマンチックな詩の典拠って、どうなの?

1500年前の人の感性はいまいち理解しがいたものがありますが、引用した『世説新語』は平凡社の東洋文庫に入っています。面白いのでぜひ、ぜひ、読んでみてください。作者があと100年遅く生まれてたら、絶対に高一族のエピソードも入れてくれたでしょうに、残念無念!

なんで漢文なんて勉強しなくちゃいけないのよ〜とギャルに聞かれたら、私は絶対こう答えますね。

そりゃあなた、『史記』『世説新語』『資治通鑑』(しじつがん)をナマで読むためよ。

またも話が飛びましたが、いまや、ドラマに出てくるような古式ゆかしい結婚式は、本場ではたぶん見られないと思います。

が、ここまで、紹介した中にも、床に座る習慣等、いくつかあったように、
こうした中国の古来の習俗が、驚くことに今でも、日本で見られることがあります(→http://www.misawa-world.com/loca_wasoujitaku/oiedatinosaho.html

↑ここに紹介されている中で特に興味深いのが、ドラマ同様、

・「扇子で顔をふさぐ」というところと、

・必ず花嫁さんに年配の女性が付き添うということ(第19話の婚礼シーンで皇太后が現れたのは、恐らくこの習俗のためでしょう。だから、段太師や斛律将軍では本来はダメなんだと思います)、

・花嫁さんを通せんぼする習慣(香港では、迎えの人をなかなか入れない、という形で残っている)

・先祖、両親に挨拶するところ(中国の礼法では、同様にした後、夫婦がお互いに挨拶をします。結婚の儀式で一番重要なのはこの箇所なのですが、第19話では前の二つを省略してしまったため、物陰から見ていた鄭児が、こんなのまともな婚礼ではない…と思っている訳です)、

 それから、
・昔の祝言は夕方から行われることが多かった、というくだりです。

古来、婚礼は夕方から行われました(なので昏礼と言った)。通常、陰陽が交代する時間だから…といった説明がされていますが、近代の歴史学者・郭沫若(かくまつじゃく)は、これは古代の略奪婚の名残だろうと言っています。

婚礼前の儀式で一番大切なのが、迎親という、花婿が花嫁を迎えにいくステップなのですが(ドラマのこの場面では、でっかく「本日開店」じゃないや、「迎親」って書いた赤い看板持っている人がいますね)、そういうところに略奪婚の面影があると言うのです。

略奪とは言いませんが、よそ様のお嬢さんにとんでもない事を頼んでいるので少しは良心が咎めるのか、四爺は雪舞に、

姑娘義氣相助 再次表示感謝
(義を重んじて力を貸してくださること、重ねて感謝します)と言っています。

男女7歳にして席を同じうせずの時代に、いくら計略とはいえ派手に結婚式をしたのがバレでもしたら、誰ももらってくれないどころの騒ぎではありません。
(ま、戦乱の時代だから、実際には再婚した人も多かったでしょうが…。)責任とって結婚してくださいといわれても文句はいえないのでは…あ、それが狙いか?

ええと。少しは悪いと思っているのか、下心をカムフラージュするためか良くわかりませんが、隣に女将もいるっていうのに、秘密の計画をしゃべっていいんでしょうか。

事成之後 一定把妳平安地回到村里
(事が終われば、きっと村に送り届けます)

ともおっしゃってますが、このお方の「きっと」は、まったく信用なりません。

五爺がからかっているときは真面目に応対している(でも何となく嬉しいのが隠しきれない)くせに、わざわざ雪舞に,

剛剛忘了說 雪舞姑娘這身打扮 比白山村任何姑娘都要美
(先ほどは言い忘れましたが、雪舞どのの花嫁姿は白山村の誰よりも美しい)

だって。
この弟にしてこの兄ありのセリフを言うあたり、なんかキャラ的にどうなのでしょうか。いえ、実は弟と似たり寄ったりのキャラだというのが真相なんでしょうよ。

と、視聴者を呆れさせておいて、画面は周の国へ。
12月というのに、麗正殿にはやっぱりハスの花が咲いております。

ここでアシナ皇后が碁を打ちながら、左手では数珠を繰っているのにご注目ください。

そこへ登場するのが、われらが統領・宇文神挙〈うぶん しんきょ〉。
演じているのは中国の俳優さん、レオン・ワン(王峥)。そうそう、いかにも北中国っぽいっていうのはこういう感じの人です。彼に比べるとウィリアム・フォンは、「江南の才子」って感じですよね〜。

そういや、ウィリアム・フォンといい、レオン・ワンといい、なぜ中国の俳優さんなのに英文名があるの? そりゃ、香港の俳優さんなら、イギリスの植民地だったんだから、分からなくもないけど…。(最近じゃ外資系で働いてる一般人も英文名を付けてるんですってね。モモコとか。でもそれって英文名なの?)

なぜか最近日本では、中国の俳優さんを漢字じゃなくてカタカナだけで書くから、英文名の方が分かりやすいっていえば分かりやすいですけどね。(フォンシャオフォン、下から読んでもフォンシャオフォン…。失礼しました〜)

でも、いやしくも日本人なら、ハリウッドに進出した俳優さんが「ウィリアム真田」とか、「レオン渡辺」とか名乗るなんて、あり得ないですよね(あだ名ならあるかも知れないけど)。

こういうところ、中国の人は結構、臨機応変だなと思います。意外に相手に合わせるというか、グローバル・スタンダードに合わせるのが好きだしね…。そのあたり、日本人が中国に対して勝手に抱いてるイメージとはだいぶ違うんじゃないでしょうか。

宇文神挙は史書ではだいぶ褒められてる人。活躍するときにまたご紹介するとして、ここでは皇帝が迷子になっていると報告しに来ます。周の皇帝・宇文邕〈うぶん よう〉。出だしからして世話の焼ける人です。

そんな困った人が徘徊しているとはつゆ知らず、花嫁行列は進みます。花婿を載せた踏雪も、赤いリボン(“大紅花”)をつけていますね。この風習、現代でも残っています。現代になるとこんな感じ。

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そこへ、段韶〈だん しょう〉太師(たいし)が行く手を遮り、こう言います。
「この齢までお仕えしてきたのですぞ、殿下のお心も読めぬようでは臣下失格です。」
 
んですけど、ルートはともかく花婿に化けるってことまでお見通しだった段太師は、
おばあ様の向こうを張る占い師だったのか、
“運籌策帷帳之中,決勝於千里之外”(帷幄のうちに策を巡らし、勝ちを千里の外に決する)ってタイプだったのか、(『史記』高祖本紀から。この話は、少し先に雪舞が高緯に言うセリフに出てきます)
婚礼の行列に化けたら?ってアドバイスしようと思ったらその通りだったのか、
宇文邕並みに、常に四爺にセンサーを貼り付けていたのか…
(やんちゃされたら困るから、五爺に張り付けてたのかもしれないけど)

そんで何、止めに来たわけ?と、太師に頭が上がらないらしい四爺は緊張していますが、
“老夫自知是無法阻止四爺你的”
(この老いぼれ、四爺を止める手立てはないと承知しております)
と言われ、怒られるのかと思ったらそうでもなかったのでホッとしてるっぽい笑顔が、怒られなくてすんだ子どもみたいでカワイイですね。

この表情、全編を通して、段太師と雪舞にしか見せてないと思います(現皇帝と皇太后に向かって笑顔を見せるシーンはありますが、もう少しよそゆきの顔です)。この2人にだけは、気を許してたってことでしょうね。

ところで、段韶はここで、吹き替えでは「殿下」って呼んじゃってます(雪舞は輿の中から熱心に聞いている(いつもの必殺技・笑)。
皇子以外の人を殿下なんて呼びますかね…?

それに、なんで四爺は殿下で五爺が延宗さまって呼ばれているのかも謎ですね。

中国語では四爺と呼んでいるので素性がばれないでしょうが、むしろ、段韶を“太師”(タイシ)と呼んでいるのがヤバいです。太師とは元々皇帝の先生を指す言葉で、臣下としては最高の位です。そんな人に敬語を使われちゃうのは皇族以外ありえません。

加えて五爺がダメ押しで、
「おばあ様がご覧になったらきっと大喜びなさるぞ」
吹き替えは上手く逃げましたが、中国語では、

皇姥姥要是知道你娶親 肯定開心死了
(もし皇太后さまが、兄上が花嫁を迎えると知ったら、死ぬほど喜ばれることだろう)
って、言っちゃいました。雪舞は全然予想してなかったために、気づかなかったのでしょうか…。

はてさて、関係ない話で回り道をして、ようやくたどり着きました丹州城。町の入り口にある門の守備隊長に事情を聞かれ、段韶は「兄が大病を患い、厄払いにと甥が婚礼を挙げることに」と答えています。

ここの厄払い(“沖喜”)とは、吉事によって凶事を追い払う、ということで、病気の親の平癒を願ってその子が嫁取りをしたり、甚だしきは、病人が嫁をもらったりします(ひぇ〜)。

ここで守備隊長は段太師の話し方から、同じ陵城の者だな、と言っています。陵城っていうのがどこかは分かりませんが(山東省にそういう地名はあるけど、明らかに斉の領土なので、守備隊長の出身地とは思えません)、後で尉遅迥に「おぬしも丹州の人間なら…」と言われており、四爺も実家が丹州城内にある、と説明しているので、丹州のどこかにあるのでしょう。

最初、さすがは段太師、斉じゃない、よその土地の方言を真似してしゃべるなんてお茶の子さいさいなのね、と思ったけど、第1話のエピソードを見る限りでは、丹州城は斉の領地だったこともあるようなので、ドラマでは本当にここの出身という設定なのかも知れません。

当時、斉も周も、国内を州に分けており、丹州は今でいう陝西省延安あたりにあったらしく、だとすると、中国十大方言の一つ、“晋話”(山西方言)をしゃべれるということですね。ただ、そもそも、丹州城という町が丹州にあるとも限らないけど…。

今の日本だったら、秋田県秋田市とか鹿児島県鹿児島市とか普通にありますが、中国で、州内に州名と同じ名の町があるかどうかは疑問です(少なくとも現代の中国で、州にあたる“省”の名前とその中心“省都”の名前は全部違います)。

国境にあるってだけで、実はどこだかはっきりしない丹州城に入ると、城門(町の入り口)に向かって右側に竹の足場が組まれており、工事中のように見えます。何を作ってるのでしょうか。

旅籠で四爺と五爺が見てたガイドマップだと民家になってるんだけど…あてにならないんじゃない、あの地図?
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その建物の城門側に、「法身非相分」という碑が見えます。なぜ町角にあんなものがあるのか、寡聞にして知らないのですが、この言葉は『金剛般若経』の一節(また般若か…)です。てことは、改修中の建物はお寺なんでしょうか(別のドラマで使うセットを先に建てちゃったから、急いで隠してたりして)。

部分全体についてはこちらに素晴らしい超訳→http://bunchin.com/choyaku/kongo/kongo026.htmlがあるのでご参照いただきたいのですが、それによりますと、この語のここでの意味は「外から見てもわからない」ということ。該当部分を引用させていただくと、そのココロは、

「ブッダはこんな姿かたちだ」、などと思い込むものがいる。
「ブッダはこんな声をしている」、などと思い込むものがいる。
そんなヤツらは、私を見ることができない。
そんな方法で私を見ることは、できないのだ!


ということだそうです(何て素晴らしい訳なんだ)。うーむ。しかも、実にこの後のシーンとよく呼応しておりますね。

丹州城の街中を移動するとき、もう一つ、「化無所化分」と書かれた石灯籠のようなものが見えます。

古代、街中にああいった経文からの一節を記した碑があちこちに建てられたことがあったのではないかと、資料をひっくり返しておりました。

現代は経文こそ書いてないけど、街中にいろんなスローガン(「人人講礼貌 処処有文明」ひとりひとりのマナーで 住みよい社会に とか)のでっかい看板が出てるから、そのようなものかと思ったんですけど、特に証拠も見つからず…。

でも、石碑同士は近くに建ってるようなので、この界隈はお寺の勢力圏なのかもしれません。

「化無所化分」、これは「法身非相分」の一個前の節で「私は誰も救わない 皆を救えるなんて思う人が如来な訳ないだろ」ということが書いてある節らしいです。

前の「私が誰だか お前にはわからない」と合わせると、ま、ひょっとしたら高長恭のことかも知れないし、もっと何か意味があるのかも知れないし、何かセットを作るとき参考にした資料にあっただけで、話とは全然関係ないかも知れないし。誰かこれも監督さんに聞いてくださると嬉しいんですけど…。

さて、婚礼の列に紛れて関を突破するっていうの、よくある手ですよね。ごく最近も何かで見たわ…確か《錦衣衛》(「処刑剣」)じゃなかったっけ...。

ま、さすがに尉遅迥〈うっち けい〉はドニー・イェンのファンじゃないと思うのでこの映画も見てないとは思いますが、当然この行列を疑っています(ドニーのファンではなくても、蘭陵王のファンではないかと私は秘かに疑っているのですが)。

“本將軍今天要抓的 是一個長相俊美 容貌出眾的齊國奸細”
(わたしが今日捕えようとしているのは、抜きんでて優れた容姿をもつ斉の間者だ)

と宣言しておられますところ、吹き替えでは、
「いまわれわれが捜しておる斉の回し者は どんな美女にも引けをとらぬ たぐいまれなる美貌の男と聞く」
(ちょ、吹き替えは何でこんなに盛ってるの?)

続くセリフは、吹き替えも原文そのままの訳。

我看你扮成個女人 倒有幾分姿色
「おぬしは化粧でもすれば 女人で通用しそうだな」

ええっーーつ? 何言ってんの、無理無理無理無理無理!!
あぁ、ここにも目の悪い人がひとり…将軍、国境に皇帝を探しに行く前に、眼医者にいらした方が良いのでは…。

しかもここにもう1つ罠があるのですが、「化粧でもすれば」って言ってるけど、実はこの時代の男性は普通にお化粧してたらしいんですね(→第7話の記事参照)。蘭陵王なんてああ見えて(どう見えて?)貴族だから、当然きちんとメイクくらいしていたでしょう。つまり常に女人で通用した、と…。
ついでに言うと、当然、尉遅迥将軍もメイクしてたはず。

おっほん、ここで段韶がすかさず一言。

“將軍真會開玩笑啊”(将軍はまこと冗談がお上手です)
ホントその通り!

お世辞まで言って何とか通してもらえそうになったのに、馬車が動いたとたん、隠していた矢が地面に落ちてしまう。

“分明是有鬼”(絶対何か怪しい)
と言われて雪舞は、自分は「蘇毗王国」から来て云々、と矢の講釈を始める。

と、こんな緊迫した場面にもかかわらず、「蘇毗(そび)王国」って聞いたとたんに、四爺が例の笑いを堪えてる顔になっています。またまたやってるな、と思ったんでしょうね。

しかも、咄嗟に妙な作り話を…と思ったら、「蘇毗王国」っていうのは実在した国らしい上に、確かにあんな表情になってしまう国のようなのです。

《北史》卷九十七、西域列伝に「女国」についての記載があります。

そこは女が王として国を治めている。王の姓は蘇毗,字は末羯(まっかつ)、在位は二十年

女国、というのはなかなか魅力あるテーマのようで、日本でも論文を書かれた方がいらっしゃいます(→http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/145760/1/jor006_6_409.pdf 論文はPDFになっていて参照できますが、何せ1942年発表の論文なので、文中、用語に難のある箇所があります。どうかお気になさいませんよう)

「東洋史研究」という、古くからある大変真面目な学術雑誌に載ってる大変真面目な論文なんですけど、論文中に出てくる、「女王、女軍総出でカシミール軍をことごとく悩殺し、大敗北させた『エロティク作戦』」って、いったい何なわけ?

学術論文でさえこの体たらく、ますます怪しいと踏んだ尉遅迥は、女媧廟(じょかびょう)にお参りに行けとか言い出し、もはや一行をからかってるとしか思えません

女媧について書きだすと、年が明けても書き終わらないことになるのでやめときますが、中国では人間を作った神様とされています。このドラマでも後でまた出てくるので、そのときネタが少なかったら、また書くかもしれません。

藤崎竜先生の傑作マンガ『封神演義』(ほうしんえんぎ)ではラスボスとされており(あ、ごめん、ネタバレだった?)、その神通力たるや宇宙人クラス(ってか、まんま宇宙人)、でもお祈りしたって聞いちゃーくれないって感じではありますな。

“凡是拜過女媧廟的沒有一個不白頭偕老的”
(女媧廟へお参りした者で、共白髪まで添い遂げなかった者はおりません)
って大師も太鼓判押してるのに…(泣)

とにかく、『封神演義』は元のお話(いちおう中国の古典文学なんですけど)もマンガもホントに面白い。まだ『封神演義』読んでない方は、いないとは思うけどぜひ、ぜひ読んでください、お願いします!

さて、視聴者のお祈りは済んだところで(?)主人公様の入場。
“情非得己”(致し方ない) とか言ってる割に、四爺は結構嬉しそうです。

ここで結婚の誓いの言葉を言うのですが、こんな習慣、あるのでしょうか。何か急に嘘っぽくなった気がするのですが、まあ中国は広いし、歴史も長いから、こんな習慣もあるのかも知れません(投げやり)。

中国語の方は、私、高四郎は、と女媧さまの祟りも怖れず偽名(四男坊には違いないから、偽名とも言いきれないか…)で誓っていますが、日本語は、「女媧さま 本日わたくしは妻を娶ります…」と名乗らずに済ませています。

雪舞は困ったような顔をしますが、尉遅迥もビビらすあの表情で睨まれたら、蛇に睨まれた進宝のようなもの。蘇毗王国から来た割には流暢に、「本日わたくしは夫のもとに嫁ぎます…」と応答するんですが、こっちも吹き替えでは名前を言わないで済ませていますね。だって女王さまの苗字が「蘇毗」なんて国から嫁いで来た人が、「楊雪舞」なんて、普通の(漢民族っぽい)名前のはず、ないじゃない…。

絶対怪しいよな〜と思ってる、ピンクの渦巻きをしょった尉遅迥、ここでいきなり刀を抜きます(この渦巻きはお線香です)。

四爺は雪舞を自然に後ろに庇ってますが、これも絶対怪しいって。
いきなり切りつけられて、こんな落ち着き払ってる一般人なんてありえないもんね。

視聴者さえ見破ってるのに将軍が見誤るはずもなく、でも蘭陵王の大ファンと思しき尉遅迥は、一部記念に貰っとこっと、いうことなのか、ニコニコと結髮(ゆいがみ)の儀式を進めております。

晴れて二人は夫婦、と言われて、雪舞は思わず左の手をふりほどこうとしますが、どういう訳か、右の手はがっちり四爺の肘をつかんでいます。乙女の心理は複雑ですね。ここで四爺の後ろに隠れてるアリエル、とってもカワイイです。

後の回を見ると、この尉遅迥からのプレゼントを、四爺は肌身離さず持っていたのが分かります(ふつうは女性が保管してるものだそうですが、そこはやはり女子力の高いお方ということで)。

ところがお話も終盤になると、これを雪舞が持ってるんですね…。

さて、お目当ての蘭陵王には喜んで受け取ってもらえた尉遅迥のプレゼントでしたが、ヨメにも別のプレゼントを渡そうとしたところ、あっさり断られてしまいます。

種がいっぱい詰まったザクロは、現代中国でも子孫繁栄の象徴。そのルーツは本当に、このドラマの時代である斉の頃から始まったようで、斉の歴史を書いた正史《北斉書》に登場しますが、何と五爺のエピソードだったんです(また、あんたか!)。

《北斉史》魏収伝によると、安徳王が李祖収の娘を妃に迎えた折に、当時の皇帝だった文宣帝・高洋が、妃の実家に招かれます。高洋は安徳王のお父さん、高澄の弟にあたる人なので、蘭陵王、安徳王にとっては叔父さんです。高洋は幼いころから賢く、絡まった糸をほどけと言われて、刀で切り裂いたのが「快刀乱麻を断つ」という言葉の元になったと言われております。

雪舞が第3話で気づいたように、斉は製鉄と焼き物づくりで栄えましたが、それはこの皇帝の政策によります。ま、高一族なので、性格はやっぱり、ファンキーなのですが(詳しくは第9話の記事→こちらをご覧くださいね)。

さて、妃の母堂は皇帝に大きなザクロを献呈しますが、文宣帝は意味が分からず(斉の皇帝なのにさ)、捨てちゃいますこらこらっ!)。

臣下の魏収に「ザクロの中には種子(子ども)がたくさん詰まっております。安徳王は新婚なので、妃の母堂は子孫が増えるようにと欲しておいでなのですよ」と説明され、文宣帝は大喜び、さっさと拾ってこいと命令し、褒美に二匹の錦を賜ったそうな。

ということで、おめでたい絵柄には、子どもの脇にでっかいザクロ、というのが定番となっております。
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こういう吉祥の図柄、由来を知らないと、文宣帝じゃなくても、何だかな〜な感じかと思います。他にもポピュラーなのは、例の南汾客捨の部屋の装飾文様で、コレ↓(第3話)
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蝙蝠の図柄、お分かりでしょうか。蝙蝠は中国語でBianfu(ビェンフー)と発音しますが、「遍福」(漏れなくラッキー)と同音なので、吉祥図案とされております。こんな旅館でラッキーとは皮肉ですが…。ま、四爺にとってはそうだったかも。

すっかり忘れていましたが、スターさまは退場してしまい、尉遅迥将軍の場面でしたね。吹き替えは、「蘇毗から嫁いで来た花嫁が斉の習慣に詳しいとは、おかしいではないか」と言っているので、隣に立ってるエラの張った副官が、さすが将軍賢くていらっしゃる、と称賛のまなざしなのですが、中国語は、
“若不是你在齊國做過過年奸細 這齊國的習俗連我都不知道”(もしも斉で長年スパイでもしない限り、こんな習俗、私さえ知らない)
とおっしゃってます。

ってあなたは隣の国の人なんですから、白山村(斉でも周でもないらしい)出身の雪舞と条件は変わんないわよ。

ただ単に教養が足りないだけでは? と、副官のまなざしも、心なしか疑惑含みのような気が…いえいえ、当該国の皇帝さえ知らなかったんだから、隣の国の将軍が知ってるはずないですよね(と、フォローしてみる)。

さて、城内の忍者屋敷隠れ家についたご一行さま。門を開けてくれるのは、この先の回で四爺が謀叛の疑いで牢屋に入れられたときに、ローストチキン(またかい)を差し入れしてくれた、あの兵士じゃないでしょうか。前々から地味にお側に仕えていたのですね。

この緊迫した場面で恐縮ですが、皆さまこの忍者屋敷の内装をとくとご覧ください。壁に飾られたこの絵、どこかで見覚えありません?
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そうそう、先ほども話に出ました旅籠・南汾客捨の壁にもありましたよ↓(第3話)。
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人気画家だったんですかね?(南北朝時代のラッセンかしら…)あるいは、以前、四爺がお忍びでお泊りあそばした折にもらってきて飾っ…いえ、な〜んでもございませんっ!

まだまだ、お宅拝見は続きますよ。ほら、ここの後ろに飾られている書、気になりますよねぇ…
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文字が書かれてると、何が何でも解読しないと気が済まない私。篆書なので、何とか私にも解読できますぜ。最初の行には「張」、最後の行には「高山流水」という字が見えます…とほとんど執念で文字を拾って探してみると、あった! で、でもこれって…。

張一片風帆凌波澜船儿停在月湖畔
江水匯朝北轉我面向南遙望二千年前的石臺
俞伯牙和鐘子期他們的故事從春秋開始就流傳
疏林繁花無言拜子期安葬的江岸有座古琴臺
山巍巍水洋洋高山流水古琴揚


屏風に書いてあるのはここまでですが、
この詩はこんな風に続きます。

我焚香,為峦你再撫一段
秋風寒秋風凉知我音者在漢陽 你說搖琴有六忌八絕七不彈
月復缺月又圓為誰痛心又彷徨 弦可接,琴可復,再覓知音難
出漢江入長江從舟北上不復往 叶落淚两行,愁把青絲亂
你静静聽我輕輕彈琴声悠悠繞山巒
風雨停雲漸散樹影斑駁了單檐殿下漢白玉石案
音奏知音彈石碑上残留的餘音永世傳回轉
七弦声声断伯牙绝弦焚琴處叫作古琴臺


書かれている内容そのものは、「知音」という語の元になった、有名なエピソードから取られています。

春秋時代、俞伯牙(ゆ はくが)という琴の名手がいました。彼の友人、鐘子期(しょう しき)は、伯牙が山を思って奏でているときは「山が見えるようだ」、河を思って奏でているときは「河の流れのようだ」と曲想をピタリと当てたのです。子期が亡くなると、伯牙は琴を壊し、弦を切って、二度と弾くことはありませんでした。

ここから、ロケンロールは千秋楽のステージでギターを壊すことに…ではなく、「知音」というと自分をよく理解してくれる人、という意味になったんだそうです。

今でもそういう意味はあるらしいんですけど、巷では「彼氏/彼女」とか、もうちょい下卑た意味とか、指すことがあるらしくて、むかし中国で『知音』という雑誌を見かけて手に取ろうとしたら(音楽雑誌かと思った、尉遅迥並みに教養のない、残念な私)、友達に「ダメダメそんなの読んじゃ」って止められたことがあります。いったい何の雑誌だったんだろー。後でこっそり見てみればよかったー。

それはともかく、屏風に書かれた詩みたいなもの、どんなエラい詩人の作品かと思ったら、実はこんなポップス調の曲↓の歌詞らしいです。
http://www.tudou.com/programs/view/Z6-CYD_Dt2Q/

なんでそんなもの、屏風に書いてあるの? カラオケの練習用かしら...?
隣の部屋に立食パーティー用か、白いテーブルクロスのかかった丸テーブルも用意されてるみたいだし。

と、いつかここで開かれるべき、蘭陵王主催のディナーショーの幻に浸っていると、そういやそのために来たんでした須達〈しゅだつ〉奪還の話を皆が始めます。四爺は、

“我們絕不能讓老將軍 白髮人送K髮人”
(老将軍に、白髪の人(年配の人)が黒髪の人(若い人)を弔うようなことをさせては絶対にいけない)
と情に篤いことをおっしゃいますが、楊士深に、

四爺 這個姑娘怎麼處置?
(この娘はどうします)
って言われると、ああそうだ、君、用は済んだからさっさと帰って、と言わんばかり。

だいたいがこの楊士深の「処置」って言葉がすごい怖いんですけど、考え過ぎかな…。

ここで四爺はごく冷静に、着替えを用意しておいたって言ってますが、いつよ?っつーか、この服を着て城門までたどり着いたときに、「小娘」って呼ばれてるってことは女物の服のようですが、誰のよ?(まさか余興用じゃないですよね?)

それでも一応、見送りに出るくらいの誠意は見せる四爺は、自分もすっかり忘れてたらしい仮面を渡されて、
“四郎福薄 若能早一日認識姑娘的話 定能結起摯友”
(四郎は福運に恵まれませんでした、お嬢さんと知り合うのがほんの少し早ければ、きっと親友になれたことでしょう)
と、この期に及んでまだ四郎かい、と四方八方から突撃されそうなセリフをおっしゃっています。

せっかく遠路はるばるここまで来て、この場で帯を返されちゃった雪舞の表情がいいですね…

がっかりしたのを見てとったのか、それともちゃんと準備してたのか、ここで四爺は、迷子札…じゃなかった、玉佩(ぎょくはい)を差し出して、旅費に替えてね、と言っている。

あとで鄭児(ていじ)が四爺に玉で作った装飾品を渡したときには、愛情の印だと意味をちゃんと把握していた雪舞。この時点ではまさか知らなかった...んな訳ないか(ただ、鄭児のときも、雪舞は「女性が玉を贈るのは」うんぬん、と言っていたので、男性から贈るときにはそういう意味ではないと思っていたのかも知れません)。

とにかく、何で今コレを? と尋ねないのが不思議なほどの重要アイテム、なぜこの場で渡したのか、雪舞はともかく視聴者は謎に思いますよね?

それでは吉例の3択、参りましょう。

1)忘れ物は確かに受け取りました、という受領のサイン
 →名前書いてあるもんね

2)単に、助けてもらったお礼の品
 →鄭児からもらったときは、「それ以上の意味はない」と断言しておられました

3)1度あることは2度ある。2度あることは、3度ある。
 どうせまた戻ってくると思っているので、ファストパスがわりとして

4)眠かったのでつい。
→この第4話、旅籠の外でのシーンと、隠れ家シーンのウィリアム・フォン、すごく眠そうじゃないですか…?旅籠で寝ずに作戦を練ってた(笑)のかも知れませんが、尉遅迥の手前、居眠りしたらヤバくない?

5)旅費。1割のお礼プラスアルファ。
→正解

…取りあえず、お焼きと取り換える前に、名前に気づいて良かった良かった。

旅費に換えて、と言ったのは、余計な負担を雪舞に掛けないための配慮だったのでしょうが、一方で、この先の回で宇文邕が“長命鎖”というお守りを雪舞に渡した意味と同様に、これを持ってまた斉にくれば、高長恭=蘭陵王に取り次がれるはずなので、蘭陵王に会わせるという約束を守るためでもあったのでしょう。

おばあ様には、また逆らいますけどね。

(それにしても、贈ったものを贈り主に返す道理はないと、四爺はこの先の回で雪舞にはっきり言ってますので、この時点でもう最愛の人は決定済み、ということなんですね。ずいぶん思い切ったものです...。)

でもそれは雪舞には言わずに(こういうところは、やけに奥ゆかしい)、ゆけ、って叩いた馬のおしりに手形が…(そんなに強く叩かなくてもいいのに)でもそんなに大事な人を、こんな戦乱のさなか、独りで馬に乗せて出してどうする気なんでしょう。

たしかに、楊雪舞は自力でダンジョンから脱出しかけた女(同じ手口で四爺が後年、危ないところを助かったほど)。困ったからって泣いて助けを待ってるタイプではありませんが、逆に手もなくオレオレ詐欺にひっかかるタイプ。

簡単に人を信じるなって言ったって無理なことは、四爺、あなたが一番よくご存じのはず。

心配じゃなかったのでしょうか。

と、視聴者さえドキドキしているのに、雪舞は結局独り(と一匹)で西門までやってきます。あれ? 門を守ってる人、さっき検問やって蘭陵王一行を通しちゃった人じゃないですか? 尉遅迥将軍、処分はしなかったのね。それとも東西南北を守る、4つ子の兄弟なのかな?

ここで町の人は、蘭陵王を称して“甕中捉鱉”(瓶の中のスッポン)と言ってます。

羊の次はスッポン…。(吹き替えでは、あとで雪舞が「袋のネズミ」と言っていますけどね)。

このとき、中止になった行事が「鬼やらい」だってことで、今は12月だとわかります。みんな軽装なのに、あんまり寒そうじゃないですよね。ちなみに、現代の延安市付近の12月の平均気温は、最高4度、最低マイナス9度。寒中水泳でもして鍛えてるのか、昔の人は寒さに強いなぁ…。

と感心していると、見回りの兵士の前に、よろよろと現れる段韶太師。ああ〜1枚で銅貨1枚の焼きもちをあんなにたくさん粗末にして…(きっと、雪舞を買ったおつりの、あのぴかぴか(新しい)金銀珠宝で買ったに違いない)

お宝に目がくらんでいる隙に、兵士を倒して装束を頂戴する五爺一行。安徳王は普通の兵士よりもいい兜をかぶりたいためか、隊長さんを襲撃したようです。てか、こんな泥縄で何してるのよ。
女の着替えを用意しないで、周軍の装束を用意しとかんかい!

段韶の方はといえば、あ、あれれれ、またさっきの門番の人が見回り? 段太師と同郷だとか言ったのに、忘れたのでしょうか…?しかもさっき会ったばかりの雪舞のことも忘れたっぽい。

飛び出してきた雪舞も取りあえず許されて、再会した雪舞と段太師。開口一番、雪舞が、城門が封鎖され、蘭陵王がつかまってしまう、と言うので、大師は、どうして四爺の身分を知ってるの、と聞いてますが、ここまで気が付かなかったのがヘンなくらいですよ。

吹き替えでは、この後雪舞は、「とにかく知らせなくてはと思い戻ってきたの」と言いますが、中国語ではもっと具体的に、“就想幫你們解圍的”(包囲を解く手助けをしようと思って)と言うので段韶は、そんなこと出来るわけないと思っているから慌てるわけです。

ここで雪舞が言うのが、“調虎離山”の計。(虎を山からおびき出す)、という意味で、先の回で、妃選びの時に鄭児が使う技。「三十六計」の一つです(「三十六計」については、第8話→こちらの記事をご覧くださいね)。

一方の尉遅迥。刑の執行を前に、ちらっと上を見ています。恐らく、処刑の時刻になったかどうか、確かめているのでしょう。刑を執行する時間、午時三刻は、太陽がちょうど中央に昇り、影が一番短くなる時間です。

見極めると、机の上に木の板を投げていますが、これを“斬首令牌”と言います。 斬首の刑を命令する札、ということで、国が法に基づいて処刑するので、これなしで勝手に首を斬ったりしてはいけません。札には篆文で、令、斬と書いてあるのが見えます。

せっかく色紙じゃなくて斬首令の札まで用意して高長恭を待ってるのに、さっぱり現れないので尉遅迥はガッカリしたのか、ファンを大切にしない人よね…じゃなくて、視兄弟如敝履(兄弟を草履扱いだ) 、とdisっています。

それを聞いて、五爺は腹を立ててるのですが、こらこら五爺、鼻の頭にしわ寄せてると見つかっちゃいますよ

ここで、いきなり火の玉が飛んでくるのですが、慌てふためく守備兵の中に、ただ刀をもってトリプルサルコウしてるだけの兵士がいるのが笑えます。

尉遅迥の傍らで、刑の執行を宣言していた文官は、なぜかこのとき、斬首令牌を数枚回収して逃げていて、さすが。死んでも令牌を離しませんでした、職務を全うされるお姿、感服いたします…と思ったら、ちゃっかり机の後ろに隠れて、牌を盾がわりに振り回しています。なんだ、このために持って逃げたの?(呆)

放てと言われて、弓手が一斉に矢を放ちますが、矢って石にも突き刺さるんですかね?「思う一念 岩をも通す」ってことわざがあるけど、あれは、ふつうは刺さんないから言うんじゃないのでしょうか。

このことわざ、出典は《史記》とされており、そこには、老将軍・李広が、草むらの中の石を虎と思って弓を射、見事に突き立てた、という故事が載っています。この話、後日譚もありまして、李広がその後、石と分かってから射ても、もう二度と石に矢を立てることは出来なかったということになっております。

ちなみに、ここで使っている兵器は“弩”(ど)といい、弓と違ってさほどの訓練をせずに使えるため、人海戦術で戦う場合は重宝された武器のようです。

そこへいきなり文字通りの横やりが入って、後ろに倒れ込む尉遅迥。

“高長恭在此!”(高長恭はここに居る!)「参上!」って、そりゃそうですけど、噴いたじゃないですか。
しかも、すご、日本語はエコーがかかってるんですけど! ここで視聴者笑わせてどうする!?

っていうか、こんなにのんびり降りてきたらハリネズミになるのではと心配するのは視聴者だけなのでしょうか。

弓手(と言っても、正確には構えてるのは“弩”(ど)ですね)は、あまりの成り行きに茫然としています。

だってそりゃそうよ。ヒーローショーに仮面ライダーが来るかと思って待ってたら、どや顔のスパイダーマンが来たんじゃ、キャラ違いだもん。

それに、装填に普通の弓よりも時間がかかる“弩”では、とっさに二の矢を射るのはきっと難しかったのでしょう。

ちなみに刑場まではどうやって来たんだろ、この人。途中の道は封鎖されてるはずだもんね(守備兵を全員なぎ倒してきたのでしょうか。この人ならやりかねないけど…ぶるぶる)

それともまさか、全編空中経由ですか?(禁衛軍より雑技団がお似合い)

似合うと言えば、四爺は、斉の軍服より周の服の方が数十倍似合ってると思う(笑)。さすがにこの人用の衣装はお家に用意してあったんでしょうね。コスプレが好きな同士、どうぞ尉遅迥将軍と仲良くね。

言われるまでもなく、将軍は斬られることはないと分かってるから言いたい放題。「これがお前の素顔か」の次は「大したことないな」というのかと思ったぜ浜ちゃん。

“高長恭 原來這就是你的真面目 你終於現身了”
「高長恭よ これがお前の素顔か とうとう面が割れたな」
と返したくなるのも分かるけど、口の利き方に気を付けないと、キレたら何するかわかりませんよ、この皇子。

原文の“真面目”はマジメじゃなくて「廬山(ろざん)の真面目(真の姿)」の方の意味です。吹き替えの「面が割れたな」は「真面目」と「現身」(姿を現す)を兼ねてて、なかなか上手い訳ですね。

さて、スーさん…じゃなく、段韶太師が馬車で迎えに現れ(この人もいったいどうやって来たのやら)、尉遅迥を人質に、まんまと須達を奪回した四爺一行。

しかし須達はもはや、虫の息です。それでも何とか、重大な情報を伝えようと四爺を呼びますが、話を聞きながら、四爺はさりげなく、須達の乱れた髪を払ってあげています。確かに、しゃべりづらそうだもんね。でもこのときの手つきがきれいで思わずみとれてしまいます。

後で雪舞にも同じことをしてあげていますが、優しい気持ちが表れている仕草で、私は好きですね…。

さて、四爺たちの乗る爆走馬車のおかげで、丹州の町は賠償金いくらになるのか考えたくないほどメチャクチャなことに。楊士深が、追手を妨害するために足場を倒したために、工事中の人が門だか牌坊だかに乗り上げてるのが凄すぎる。

しかし城門が閉まっているため、丹州城を脱出することができません。物陰に隠れていると、前から尉遅迥がやってくる。困ったところに、雪舞が兵糧庫に仕掛けた爆薬が爆発して、まんまと尉遅迥をおびき出すことに成功します。

ここで四爺は段韶に向かって、「実に見事な作戦だ」と褒めていますが、ここの原文は“聲東擊西之計”と言っています。「東と言っといて西を討つ」…。なんかこういうのありましたよね、何だっけ?

あっち向いてホイ?

ちなみに、中国語ではアホか?!というとき、“傻瓜”(シャーグワ)と言うのですが(あとで雪舞が、こともあろうに蘭陵王に向かって言っている)、他にも西瓜とか南瓜とか、東西南北の瓜があるので、人をコケにするとき、言葉遊び風に、こう言います。
“東(冬)瓜,西瓜,南瓜,北瓜,還有一個大傻瓜”
(トウガン、スイカ、南カボチャに北カボチャ、も一つおまけに、どてカボチャ)

右見て、左見て、バカを見る…こんな連中を相手に戦わなくちゃいけないなんて、尉遅迥将軍もホント、お疲れ様です。

やれやれ…と思ったところで、次回(→こちら)に続く。
posted by 銀の匙 at 01:44| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月05日

蘭陵王(テレビドラマ7/走馬看花編 第3話)

おばあ様の机上のカメよりのろく、ぼつぼつ更新しております『蘭陵王』関係のエントリー。第3、4話は一回分でアップしようかと思ったら、4話が長くなりそうだったので、とりあえず3話を先に(って言っても、結局3話も長くなっちゃいましたけど)。

ヨタ話とはいえ、いちおうウラを取っとこうと、参考文献を中国に注文したら返事も来ない…って、ちょうど今は国慶節(建国記念日。10月1日です)の連休だったんですね。北中国は今がちょうど、一年でいちばん良い季節を迎える頃です。

前回(第2話こちら)に引き続き、1400年前の中国では、爽やかな秋空(たぶん。晩秋かな?)のもと、血みどろの戦いが続いておりました…。ちなみに、第1話からご覧になりたい方は、→こちらへどうぞ。

第3話のあらすじ
お供もつれず連絡もなく、勝手に一晩いなくなった高長恭〈こう ちょうきょう〉=蘭陵王〈らんりょうおう〉=四爺〈スーイエ〉を探しに、これまた一人で陣中を出てしまった配下の将・斛律須達〈こくりつ しゅだつ〉は、敵将・尉遲迥〈うっち けい〉の計略にはまり、捕えられてしまう。

丹州城〈たんしゅうじょう〉で処刑が行われると聞いた四爺は、須達の奪回へ向かいます。

一方、晴れの成人式がさんざんな結果に終わり、部屋に戻った楊雪舞〈よう せつぶ〉は、四爺が置き忘れた仮面に気づき、届けようと村を出る。

村から一番近い町、南汾州城〈なんふんしゅうじょう〉へ辿り着いた雪舞は、通りがかりの男に因縁をつけられる。彼女を救った若者は韓暁冬〈かん きょうとう〉と名乗り、近くの旅籠へ案内してくれるのですが…



さて、」蘭陵王がお供を連れてないのはデフォルトらしく、(史実編:こちら)でもご紹介しました通り、史書にもエピソードが出てきます。

嘗入朝而僕從盡散,唯有一人,長恭獨還,無所譴罰。
かつて参内した折に、従者が皆いなくなり、一人きりになってしまったことがあった。長恭は独りで帰り、誰も罰しなかった。

ぼっちな皇子さま…カワイそうに。従者の採用試験からして考え直した方がよいのでは、と思う今日この頃ですが(少なくとも顔では選んでないってことが後の回で明らかに)、ドラマの第9話を見ると、四爺は、たまに自らぼっち生活に突入することがあったようです(セレブなのに自らぼっちって、キアヌ・リーブスみたいね)。

掃除洗濯、裁縫に料理と、蘭陵王の「女子力」(@びちさん)が高いのはそのせいかも知れません。

しかし、特に女子力を養っていない浅野忠信、いえ、斛律須達は、コスプレも見破れず(てか女子力といったい何の関係が?)、今や周の領地となってしまった丹州城へ連れ去られてしまいます。とはいえ、元はといえば自分のアバンチュール(違いましたっけ?)のせいじゃないですか、四爺様。罪もない楊士深(よう ししん)に八つ当たりしてはいけません。

一方、村娘たちの予言通りさすがは巫族の末裔たち!)、雪舞のせいで、戦隊ヒロイン4人衆の出陣式 いやさ、村娘たちの成人式は終わりがグズグズに。

ゴーカイイエロー、じゃなくて、黄色の衣装に身を包んだ傷心の楊雪舞は、部屋に戻ってくるなり、般若の仮面を目にします。
しかもきちんと立てかけてある。
目印を残していくなんて、まさか少年探偵団のBDバッジか(知ってる人いるかな)?

あのね四爺、あなたが策士なのは分かりました。でも、忘れ物を届けて恋が…って作戦、ありがち過ぎて、ちょっとどうなんでしょうか。

それにこういうの、ふつうは女子がやるんじゃないの?…おっと、映画『アメリ』でを忘れものをしたのは男子でしたっけね(別にアメリとお近づきになりたかった訳ではないでしょうけど)
…と思ったら、まんまと引っかかってるよ、おい!

ということで、四爺が後ほど指摘してくださいますように、金銀珠宝の価値も知らなければ、ありがちなナンパにも気づかない楊雪舞は、おばあ様の、だめんずに引っかからないで欲しいという願いも空しく、故郷の村を後にしてしまいます。

簡単に人を信じるなよ、という四爺様の忠告、この時点で言うべきでした(後の実績を見ると、言ってもムダだったとは思いますけどね)。

振り返る雪舞の耳に、「おいしそうなウサギをつかまえた」っていう村人たちのノンビリした会話が聞こえてきます。「後でうちに食べに来いよ」とか言ってるのを聞いて、思わず微笑む雪舞…。

ありゃ? 吹き替え版は村人の会話が入ってないんですね。
もちろん大筋には全く関係ないけど。

肉食が原則禁忌で、肉といえば鳥か、鳥とごまかしたウサギだった江戸時代の日本と違って(だからウサギを一羽二羽と数える、という話は良く知られていますよね)、中国の内陸部は魚も取れませんし、がっつりお肉を食べてたようです。ウサギはきっと、良い獲物だったんでしょうね(あとで周の皇帝もウサギ狩りをしておられます)。

ジビエと言えば、本場はおフランスでしょうか(「うさぎおいしーフランス人」@村上春樹)。以前、『パリ 地下都市の歴史』っていう、とっても面白い本を読んだことがあるのですが、それによると、パリの地下にネコの遺骨が大量に埋まってた場所があり、何だろうと調べてみると、地上は有名な老舗ウサギ料理屋の跡地だったとか…。

中国でももちろん、ウサギはペットとしても飼います。子ども時代の四爺はペットのウサギを可愛がってました…

雪舞はガマガエル四爺はウサギ

ホント、お似合いのお二人ですこと。

偶然かどうか、どちらも月に関係のある動物ですね。
日本では月で思い出すお話といえば、まずはかぐや姫だと思うけど、中国ではたぶん、「嫦娥」(じょうが)の話でしょう。

この話にはいろいろなバリエーションがありますが、一番ポピュラーなのは、こんな話。

むかしむかし、上帝の子である10個の太陽が一気に空に現れたとき、后羿(こうげい)という弓の名手が9つの太陽を射落とし、地上は灼熱地獄から免れました。

しかし子を殺された上帝は当然怒り狂い、彼を神仙界から追放してしまいました。哀れに思った西王母(せいおうぼ)は、彼に不老不死の薬を与えましたが、妻の仙女・嫦娥は夫の留守を見計らい、一人で薬を飲んでしまいます。

嫦娥は仙界に戻れたものの、月の宮で独り寂しく夫を思い、兎に薬を搗かせているということです(罪によりガマガエルになった、という説も…)。

なんか微妙...ではありますが、悲恋といえば、これも悲恋でしょうね…。

またもや妙な悲恋フラグが追加されたとも知らず、村の門を出る雪舞の頭上を横切るのは、パトロール中の五色鳥でしょうか。きっとおばあ様にチクリに行ったのですね。

そして雪舞は、滅多に村の外にも出なかったのに、

「いつか長老様が 村から日の出の方に進むと大きな街に着くと言っていたわ。たしか南汾州城よね」

という、これだけの情報を元に歩き出してしまいます。あたりに人も住んでなさそうだし、般若の面にGPSがついてるわけでもないし、ちょっとズレたらどうするつもりだったのでしょうか。それとも道が1本しかないのか…(道案内のゴラムはいないし、五爺や宇文邕(うぶん よう)みたいな危ない人もいることだし、気を付けないと。)

ちなみに、中国では「街」というのは「通り」のことで、たとえば、「長安街」といえば「長安通り」という意味です。

じゃあ街は何て言うのかというと、それが「城(市)」。「古城」といえば、たいていは古い町のことです。
正確にいうと、「城」というのは、街を囲んでいる城壁のこと。
中国の古い町は通常、二重の城壁に囲まれていて、外側を「郭」、内側を「城」と呼びます。まさに、リアル『進撃の巨人』ですな。

さて、四爺たちが守護する壺口関〈ここうかん〉には、援軍を連れた落雕大将軍〈らくちょうたいしょうぐん〉、斛律光〈こくりつ こう〉が到着します。そこへ太師〈たいし〉・段韶〈だん しょう〉もやってくる。

四爺が“大将軍”のことを“老将軍”といっているのは、もちろん、年齢爺さんシフトの法則で敬意の表現です。

ドラマでは出てきませんが、斛律光は四爺の父、高澄〈こうちょう〉に、腹心の都督〈ととく〉として仕えていました。高澄と共に狩りに行ったときに、見事、雕(ワシ)を射落とし、「落雕」という美称で呼ばれるようになった訳です。

蘭陵王と安徳王のお父さん・高澄の頃には斉はまだ建国されておらず、したがって高澄はその前身となった東魏の臣でした。斉は、彼がわずか29歳で殺害されたあと、弟の高洋が建てた国です。それでも、斛律光が「先の皇帝に申し訳が立たない」と言っているのは、蘭陵王の父君を指しているものと思われます。

このお父さん、蘭陵王と安徳王を足して2で割ったようなファンキーな人だった模様で、後の方(第9話。記事は→こちら)で四爺が迷惑そうに述懐しています。

そんな人にお仕えしてたなんて、斛律光将軍の堪忍袋の緒は鉄で出来てたに違いありません。つーか、高一族奇人変人大集合なので、聞かん坊皇子・高長恭なんかカワイイもんです。一族郎党の皆様方の詳しい話はまた後(第9話。記事は→こちら)で。

そんなことより、私の目は、もふもふっとした斛律光のファー付き冠に釘付けです。
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このさりげない流し目がイカす

今回はどうもウサギつながりの模様。家訓なのか、須達も子供のころはファーつきでしたね。

ここで安徳王=高延宗(こう えんそう)=五爺(ウーイエ)が日本語では、「須達は明後日処刑される」と日にちだけ言っていますが、中国語の方は「明後日の午(うま)どき」と時間も言っています。

これは、時間まで正確に伝えているというよりは、昔からお芝居などでは斬刑は午時三刻にするものと決まっているので、一種の決まり文句です(草木も眠る、丑三(うしみ)つ時、みたいなもんですね)。

古代中国の時間の表し方は昔の日本と同じで(というか、日本が中国に倣った)、子、丑、寅…の十二支で時間を表していて、午、つまりうまの刻はちょうどお昼を挟んだ前後2時間(午前、午後って言いますよね)。

助けに行くと言い張る四爺を、大将軍は一喝します。
宮中太子黨那些人巴不得四爺出錯。(太子の取り巻きどもは四爺がしくじるのを待ち構えておるのですぞ)

でたな太子党

ここでの意味は本来の意味(皇太子を支持する一派)ですが、今の中国で「太子党」といえば、高級幹部の二世グループのこと。王朝が交代しようと革命が起きようと、一人称が無慮多数から“我”一個になろうと、こういうところはなかなか変わらないものなのですね…。

さて、ところ変わって周の都・長安にある宮廷。なぜかお堀には、ハスの花が咲き乱れております(長安が南半球にあったとは知らなかった)。

ここでアップになる鹿のマーク、大事な場面でまた出てきますので、一種の伏線ですね。
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優雅に流れる楽の音は、琵琶,古琴,箜篌(くご。ハープのような楽器)が奏でているようです。

魏晋南北朝の時代は、中国の音楽の歴史の上で一大転換点とされています。中でも、アシナ皇后が周に嫁入りした際(568年)に突厥〈とっけつ〉から連れてきた、蘇祇婆〈そぎば/Sujiva〉という琵琶の名手が大きな役割を果たしたそうです。古琴はともかく、琵琶とか箜篌とか、見るからに音訳字なので、中国にもとからあった楽器じゃないということが分かります。

琵琶はこの時代、大いに流行り、斉の皇太子・高緯〈こうい〉も、史実では琵琶を弾くのが好きだったようです。ドラマでは、重要人物・鄭児〈ていじ〉が弾いてみせてくれます。

もう一つ、面白いのは将棋のシーン。
中国語では“象棋”(シャンチー)といい、スポーツの一種とみなされていますが、実は、宇文邕〈うぶん よう〉が作ったという説があるのです。これについては、本人が指してるときにまたご紹介いたしましょう。

このような風雅な趣味のアシナ皇后の元へ、尉遲迥がわざわざ拝謁しに来たのですが、いったい何の用事かイマイチはっきりしません。ただ蘭陵王を捕まえるっていう自慢ばなしをしに来たんですかしら? いえ、ホウレンソウ?

ここで将軍は、たとえ蘭陵王が三頭六臂だったとしても、と力説しておられますが、つまりはこんな様子だということですね(http://www.kohfukuji.com/property/cultural/001.html

そして、「幾重にも取り巻いて、生け捕りにしてみせましょう」と言ったとたんに「ふっ…(笑)」って皇后ニャンニャンに鼻で嗤(わら)われてるように思うのは被害妄想なのでしょうか…。

アシナ皇后は「あの蘭陵王には いくたびもしてやられた」とおっしゃっておられますが、言葉の端々にあんたがという主語が見え隠れしているようで、尉遲将軍は憮然とした表情をしております。

憮然としついでに、「これまでの戦で、あやつ(蘭陵王)の面相を見た者はおりませぬ」…と言っていますが、壺口関から面もつけずに出ていったのを、あんなにワイワイ大勢で追撃してるじゃないですか。

あっ、分かった!!

この次の回でも出てきますが、尉遲迥は日頃から蘭陵王を「どんな美女にも引けをとらぬ、たぐいまれなる美貌の持ち主」と思い込んでいるようなのです。蘭陵王っぽい服を着ているけど、そこそこイケメンな程度かなぁ、な面相の男(失礼!)のことは、影武者と思ってるに違いありません!

なるほど、これで、第1話の温泉場であんなに良いチャンスだったのに、周兵が策も施さずにやられ放題だった訳が分かりました。

しかし皇后陛下は優しいので、蘭陵王を捕えれば、突厥の父が軍を貸してくれるでしょう、と喜んでおられます。

実はアシナ皇后のパパは、斉・周、両方にいい顔してるのでした。
なんと、我が娘を嫁がせる、と斉にも周にも同時に言ってたらしいのです。しびれを切らした周が嫁を迎えに行ったときもアレコレ誤魔化そうとしたのですが、ちょうど落雷があり、天の怒りを恐れて、不承不承、アシナ皇后を差し出したらしいです。

そりゃそうでしょう! 実力が伯仲してるのに、どっちかについたら危ないもんね。第一、音楽の一件でも分かる通り、突厥が文化面でも、軍事面でも、北朝の2国より劣るという訳でもないのですから…。

一方、南汾州城にやってきた雪舞。
お金も持ってないし、一見しておのぼりさんと分かるらしい。たちまち、にせスカウトの餌食となってしまいます。

ここで現れた韓暁冬(かん きょうとう)は、颯爽とカンフーで悪漢を退治する…訳ではなく、遠くから石を投げてるだけで、何だかダサい印象は免れませんが、実は、“飛石”は立派な武芸(第2話で四爺もやってた)。『水滸伝』の好漢たちの中には、この技の得意なのが縁でヨメ取りに成功した人(張清)さえいるんです。

さて、食事ができるところ、ということで韓暁冬が雪舞を連れてきた旅籠、「南汾客捨」。つい「竜門客棧」(ドラゴン・イン)とか思い出してしまう私はカンフー映画の見すぎです。

でも展開はまー似たり寄ったり。

今日はここに泊まっていくといいよ、と言われた雪舞は、
“太好了 我還以為 又要在露宿荒郊野外了”
(よかった、また野宿しなくちゃいけないかと思ってたので)
と言います。最初見たときは、割と村から近いのかと思っていたけど、やはり少なくとも2日はかかる場所のようですね。

で、韓暁冬は問わず語りに、自分の祖母の話をする。
「ばあちゃんの病気を2文字で表すと」
のあと、中国語では、“邪門”(妙ちきりん)と言っているのですが、ジェスチャーで2、を示しているので、日本語でも合わせなくちゃいけません。そこで、2文字で「奇病」だ、っていうのは上手いですね。

この奇病、老眼の一種ではと思われますが、漢方では目と肝臓はつながっていると考えられているため、“明目清肝”の効用がある、舒筋草を処方する雪舞。ここへ来るとき、城門の外で見た、という目撃情報まで提供していますが、でも、残念ながら北中国にはあまり生えてないかも…。

中国の気候変動を調べた本によると、魏晋南北朝は今より平均気温が2度くらい低いらしい。だったらなおのこと、暖かい場所を好む「舒筋草」は生えてなさそうです。

と、ここで暁冬が注文したのは、“酪漿”“胡餅”“煮饃”
“酪漿”はたぶん、牛乳というよりは、少し発酵させた、ヨーグルトドリンクみたいなものかと思われます。
(ここで暁冬が「じゃ、ヨーグルトドリンクください」って言ったらちょっと面白かったかも)
“胡餅”は、外で銅貨1枚で売ってたお焼きみたいなもの。運んできたお膳に載ってます。
“煮饃”は、脇のお鍋の中にあるのがたぶんそう。今でもこのあたりの地方の名物だと思います。
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        この右の方にあるやつね。↑

この後、雪舞は、

→眠り薬入りのヨーグルトドリンク飲んで倒れる→須達奪回作戦に駆り出される→馬に乗せて帰される→壺口関に同行する→食事に呼ばれたと思ったら乾杯させられる

ってことで、途中で何か食べさせてもらってない限り、すきっ腹に強いお酒を飲んだことになるので、第5話(記事は→こちら)で、ちょっと飲んでもすぐ倒れるのは理の当然ですね。

ちょっと先に行きすぎちゃいましたが、ここで雪舞は、地下のダンジョンに閉じ込められちゃう。

他の捕らわれた娘たちが言っている、
“羊頭狗肉”は文字通り、看板は羊なのに売ってるのはイヌの肉、ということ。ってことは、当然ながら羊の肉の方が高級品だったということですね。

すきっ腹にはあまり嬉しくない話題のところへ、馬に乗ってやってきたのは四爺さまご一行。

ところで四爺、どうしてこんな店知ってるの?

とは、このシチュエーションではさすがの五爺もツッコミませんでしたね。

ここで四爺は、吹き替えでは「(ここまできたら)後戻りはできない」と言っていますが、中国語では“有去無回”(行きはあるが帰りはない)と言っています。

いったいどういう意味なんだろう…主語は誰なんでしょうか(まさか利用される女の子じゃないよね?)…背筋がぞくぞくっとするんですが、冷血四爺の本領発揮でしょうか…?

かと思えば、続きはまるっきり三の線。

酔っ払いを装う下手な芝居、の芝居(はぁ、もうツッコむ気力も起きない)、
なんですけど、結構悪乗りしてません? 
こんな店を知ってるところといい、
この先の回で、夜のなんとか…と呼ばれてるのはあながち冗談でも、あぁ、いえいえ。

その有様を睨みつける雪舞。アリエル・リンはメイクしだいで百変化なのが面白い女優さんですが、この回は特に(若かりし頃の)松田聖子(神田沙也加のお母さん)に似てる…

まともに雪舞を見るのがコワいのか、手元の金銀珠宝(といっても、真珠しか見えないけど)を披露してくださる四爺。先の方の回で鄭児(ていじ)が盗んだジュエリーは、たぶんこれですよね?
蘭陵王府にはこれしか宝飾品がないのか、当時は一律こういうお宝しかないのか、いったい何なんでしょう。古銭みたいに、どこでもこれで通用してたりして。

取りあえず、悪乗りついでに、これ1個で楊雪舞3人分、とほざいておいでです。(えーっと蘭陵王に換算すると…
でも雪舞、大丈夫よ!あと23話ほど我慢すれば、太っ腹皇帝のおかげで、太っ腹王の何倍もの価格になりますからね!(「時価」ってヤツかしら)

ここで雪舞は、こんなところで娘を買わないで、正妻を迎えればいい、と言っていますが、四爺が力説してる、我が家は男子に恵まれないから父を喜ばせてやりたい、という話を聞いてなかったらしい。っていうか、きっと理解してなかったんですね。先の方で出てきますが、そんなの別に女の子を産めばいいくらいに思っているみたい。

でも、古代中国では、男の子がいないと祖先の祭りが絶えてしまうし、族譜に名前が載らなくなる。王侯貴族にとっては、まさに死活問題なのですが。

いまは一人っ子政策ですが、老後の面倒を見てもらえると女子を欲しがる親も増えているそうです。しかし、伝統社会では、男子を産まない妃なんて暇を出されてしまうほど、男子が重要視されていました。ずーっと女の子ばかり続くと、ついには生まれた女子に“来弟”なんて名前をつけてしまう。

小説で、登場人物の7人姉妹に、“来弟、招弟、领弟、想弟、盼弟(弟を待ち望む)念弟(弟が来るように念じる)、求弟”なんて名前をつけたなんて小説もありましたっけ(現実世界でもありそうで怖い)。

雪舞の「女の子」発言のときは、それもいいねくらいな事を言う四爺ですが、もちろん本音は違います。後で嫌というほど出てきますから、お楽しみに。

さて、桶でしたたか殴られた四爺。日本語ではカモですが、中国語じゃ“大肥羊”(まるまる太った羊)という言い方をするのが言い得て妙過ぎ

悪漢が板についてる楊士深は、取り分を八割、というとき、自然にジェスチェーをしています。
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これが「八」のジェスチャー。

八は漢字の形に似てるので、まぁまぁ類推が効くと思いますが、この先の回で、高緯が6、という場面もあり、やっぱり「六」のジェスチャーをしています。そちらはちょっと上級編。ご注目ください(第7話→記事はこちら)。

ここで、雪舞のいう、上輩子欠你(前世でよほど借りがあったのかしら)は、仏教が盛んだったこの時代にピッタリのセリフですね。

こんなセクハラおっさん、放っときゃいいのに、やはり見捨てることが出来ずに戻ってきた雪舞。
この人すごく重いわ…って、雪舞、そんなに実感込めて言わないで(笑)

そこへいきなり現れる黒装束の怪しい男たち。抜いて入ってきたのは、剣というより刀っぽいですね。忍者風の装束だから日本刀だったりして…(笑)

しかも、脅す言葉が“姑娘”(お嬢さん)だって。言葉遣いが丁寧な賊(はははは)。

後を引き取り、起き上がった四爺は、雪舞に向かって、
“任務危險且艱巨”(任務は危険で非常に困難です)
“所以無論如何還請你答應我們”(だから何としてでも力を貸して頂きたいのです)
って、まるで論理がメチャクチャです。

それでも“蘭陵王”という餌にまんまと食いついてくる雪舞。この、しめた!っていうアリエルの顔がすごく好きです。

さて、下の階で晩酌なんかしている四爺と五爺。その脇で炙られてるのは…!
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やっぱり、ご馳走って言えば、これよね…。

そして約束破りがお約束の四爺は、「褒美を取らせる」といった舌の根も乾かぬうちから、“軍牌”(武官の印)を持ち出して旅籠屋夫妻を脅しています。
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これが武官の印ですが、よく見ると、陣中にも掲げられています。
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こういうのはまだ分かるのですが、ときどき、調度品で謎のデジャヴが起こるときがあります。それはまた、そのときに。

そうそう、さっきは午の刻でしたが、こんどは施しをする時間帯を未(ひつじ)の刻に指定していますね。
未の刻とは、午の刻の次の時間帯(午後1時から3時)のこと。

そして四爺から、最後のリクエストがございます。
「上におる花嫁の支度を頼む」…(まっ、吹き替えは上品ね)

ここ、中国語では、
“把樓上的新娘幫我打扮得漂亮點”
いちいち訳すと、(上にいる花嫁を私のために綺麗に着飾らせて化粧しておいてくれ)ですってさ。

ちっ、この兄弟、油断もスキもあったもんじゃない…。

ってことで、ナンパ兄弟の救出行は次回へと続く!→こちら
posted by 銀の匙 at 19:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする