2014年11月24日

蘭陵王(テレビドラマ11/走馬看花編 第7話の1)

さて、前回第6話(→こちら)で、いよいよ登場しました周の皇帝・宇文邕(うぶん よう)。

演じますは香港の大歌手・ダニエル・チャン(陳暁東)。

浙江電視台で行われた制作発表会の写真とか見ると(→コレ)、事務員のお兄さん(ウィリアム・フォン)、歌のお姉さん(アリエル・リン)、クラブの受付係(?)(ロナルド・チャイ;翟天臨)、スポーツジムのイントラ(ウェイ・チェンシャン)に交じって、独り、香港スター様のオーラを放っておられます。

ってことで、今回はまず、ダニエル・チャンの公式インタビューからご覧ください。(→ソースはこちら

ダニエル・チャンは、南方アクセントのある標準中国語で話しています。

(ダニエル)このドラマで僕は宇文邕(うぶん よう)を演じています。
彼は実在の人物で、一代の覇主でした。
周りの環境のおかげで、彼は自分の気持ちを抑え、耐え忍ぶことを学びました。
それができなければ、いつどこで殺されてしまうかわからなかったからです。


(アリエル)東哥(ダニエル兄さん)は、ホントは宇文邕とはかなり違います。

宇文邕の衣装で、ダニエルがセットに入っていく。

(インタビュアー)今日演じるのはどのシーンですか?
(ダニエル)演じるのは…第31話の第15Aですね。はははは。(ご機嫌麗しい)

にこやかなおじさま(?)・宇文護(うぶん ご)と二人、妙な踊りを披露しているダニエル。
(アリエル)なぜかと言うと、とてもネアカだし、

今度は宇文神挙(うぶん しんきょ)に妙な踊りを披露しているダニエル。
(アリエル)話し好きだし、

下々の者を引き連れて歩いてくるシーン。
(アリエル)朗らかなの。

(ダニエル)獅子座はいいよ。思いやりがあって、
 子どもを可愛がるし、家庭的で、
 金銭運にも恵まれて、芯が強くて上昇志向がある。 
 僕の月の星座が獅子座なんだ。あっはっは..


月の星座とは、生まれたときに月がある星座のこと。普通、○○座というと、どの星座に「太陽が」あったかを指しますが、そちらが表の性格を表し、月の星座は裏の性格を表すんだそうです(ホントかいな)。

くだらない話を、本物の皇帝の訓話のように熱心に拝聴する宇文神挙とアシナ皇后も笑える..。

(ダニエル)皆の者、下がれ!(声が裏返っている)
(スタッフ)音痴だな。
(ダニエル)皆の者、下がれ! 下がれって!

第6話のセットでインタビューに答えているダニエル。(この髪型、キュートです陛下)

(ダニエル)このシーンはつまり…僕は周の皇帝なんですけど…
蘭陵王に正体を見破られて、あそこの闘技場に連れて来られるんですね。
彼は自分とではなくて、トラと戦わせるように仕組むんです。


遠くに、檻の中をうろうろするトラが見える。

(ダニエル)すごく遠いとこから、スタッフがトラを連れてきたのが聞こえてきたので、「こっちに連れてくるな」って言ったんですよ。そしたら、「怖くない、怖くない」って言うから、「いやオレは怖いんだ、ダメダメ連れてくんなって無理無理無理無理!」」

スタッフと話し合っているダニエル。
(ダニエル)トラと心を通わせろって? 馬ならまだしも…。ああ、いっちょ通じさせてみるか。
(スタッフ)トラなんてネコとおんなじだってば。

トラを組み伏せているダニエル。
(スタッフ)どいて、どいて!

(インタビュアー)トラの背にまたがるって自分から提案したそうですね。
(ダニエル)そのくらいは行けると思って。
(インタビュアー)そのあとトラと組み合って転がるんですよね、1カットまるまる。
(ダニエル)ひゃぁ…。
(ダニエル)良いシーンに仕上がると思いますよ。
 皆さんこれまで観たことのない、本物の虎と人間によるシーンですからね。


第6話のシーン、スタントじゃなかったんですね。なんつームチャぶり。
監督、あなたは宇文護か、高一族の末裔なのですか?

監督の意外なルーツが明らかになったところで(←なっていません)、行ってみましょう、第7話

ちなみに前回の第6話は→こちら です。
最初からご覧になりたい方は第1話(→こちら)からどうぞ。

第7話のあらすじ

南汾州城(なんふんしゅうじょう)で拾った奇怪な人物を、“阿怪”(怪 かい/アーグヮイ)と名付けて“賤民村”へ連れてきた楊雪舞(よう せつぶ/ヤン・シュエウー)。しかし、何と彼は、周の皇帝・宇文邕(うぶん よう/ユィウェン ヨン)でした。皇后の出身地・突厥(とっけつ)に援軍を頼みに行き、疫病に倒れて斉の国にいたのです。

宇文邕を見事生け捕りにした蘭陵王(らんりょうおう)=高長恭(こう ちょうきょう/ガオ チャンゴン)=四爺(スーイエ)でしたが、楊雪舞に壁ドンしてるすきに(あれ、何か、はしょっちゃった?)、宇文邕を奪回された上、自身は毒矢に当たって倒れてしまいます…。


雪舞の必死の命乞いの甲斐あって(…)、宇文邕は無事逃げおおせ、周軍の奇襲から辛くも逃れた村人たちはトラの代わりに檻に入れられています(違った?)。

そこへ現れた安徳王(あんとくおう)=高延宗(こう えんそう)=五爺(ウーイエ)は、
“我四哥只是受了點輕傷 沒什麼大事”(兄上は軽傷だ。大したことはない)
と説明すると雪舞を檻から出し、

“他想見雪舞姑娘”(兄上が雪舞どのに会いたいそうだ)

と言います。雪舞は、
“他沒事了嗎?”(無事だったの?)
と聞きますが、五爺はそれには答えず、

“記得 打扮得漂亮點”(いいかい、綺麗に着飾っておいで)
と言います。

それを聞いた村人たちが好き勝手言うので(吹き替えは相変わらず「見初める」と上品ですが、中国語の方は“受寵幸”(寵愛を受ける)と結構露骨…)、韓暁冬(かん きょうとう/ハン・シャオドン)は、
“別胡說八道”(デタラメぬかすな)
と叱っています。

この“胡說八道”、前の2文字だけでも「デタラメ」という意味です(4文字だとさらにパワーアップ)。

そもそも「デタラメ」って言葉自体、「マラルメ」とか「マクラメ」とか「アキラメ」とどこが違うのか、見てるうちにゲシュタルト崩壊を起こしそう(いや、単語単位でゲシュタルト崩壊はムリか…)な不思議な言葉の上に、漢字で「出鱈目」って書くのもデタラメらしくて困っちゃうんですが、中国語の“胡說八道”も妙な言葉です。

どうやらこの言葉も、このドラマの時代、すなわち魏晋南北朝にルーツがあるらしい。

中国は大陸国なので、四方八方を別の国に取り囲まれています。

で、囲んでる側をdisって、「東夷」(とうい)、「北狄」(ほくてき)、「西戎」(せいじゅう)、「南蛮」(なんばん)と呼んでた、というのは世界史とかで習ったことあるかと思います。

まあ、どう考えても、周りの民族の方が強いから、腕っぷしじゃ勝てないのでせめて口先では勝とうとした、というのが私の「中華・口だけ番長説」なのですが、どうもこういう言葉は使い勝手が良いらしくてどんどん使い道が拡大され、日本もポルトガルのこと「南蛮」って呼んでたりしますよね(「カレー南蛮」に至っては、訳わかんないし)。

ということからも分かりますように、北の方に居る野蛮人、っていってもざっくりしすぎな上に指す場所も中国が伸び縮みすると変わるので、秦漢時代以降は、西方〜北方にいる遊牧民を一般には“胡人”と呼んでたらしい(この言葉は元々は、場所に関係なく、漢民族じゃない野蛮人、という意味だったそうですが)。

で、あの野蛮人どもが話す(“說”)とワケわからん、というのが“胡說”

英語で同じような表現に“ It's Greek to me.”(それは私にとってはギリシャ語=ワケわからん)っていうのがありますが、フランス語ではギリシャ語の部分が「中国語」らしいです。

だんだん、説明自体がワケわからなくなりつつありますが、ともかく、実感を持って感じられるくらい、北中国の漢人が「胡人」と接触するようになったのが五胡十六国(ごこじゅうろっこく)、つまり、ドラマの舞台・南北朝が始まる一個前の時代だったということで、この言い回しが使われるようになったのもその頃とされております。

どうせ、“胡”が強くなった→どや顔でしゃべられると耳障り→ヤツらの言葉なんてデタラメだ、という具合に発展していったに違いありません(憶測)。

アシナ皇后は“胡”の代表格・匈奴(きょうど)の出身だし、宇文邕(うぶん よう)も“胡”の鮮卑(せんぴ)族の出身。これらの民族の人たちの中には、イラン、トルコにつながる系統の人も多かったようで、たとえばアシナ皇后のパパは、青い目をしていたと史書に記されています。

尉遅一族も“胡”の出身だったので、ドラマの尉遅迥(うっちけい)は琥珀色の瞳どまりですが、《狄仁傑》で尉遅真金を演じたウィリアム・フォンは赤毛灰青色(設定はだったかも)の瞳をしています。

西北方面がルーツと思われるものは今でも、「胡瓜」「胡弓」「胡麻」等々、漢字で書くと“胡”の字がついてますよね。

ってことで、宇文邕の御前でうっかり“胡說!”とか言うと、首が飛ぶ可能性がありますから気を付けるように。って、ちょっと聞いてる? 暁冬(シャオドン)?

ま、いっか。この回、後の方で、五爺も祖珽(そ てい)に向かって言ってるから。
でも、人がせっかく説明してるというのに、暁冬は村人のゴシップに気を取られて、それどこじゃありません。

「結婚式を挙げたらしい」
「実は夫婦らしい」
「新婚旅行は丹州城だったらしい」(←あ、これは言ってないか)

という無責任な噂に、複雑な表情の韓暁冬。

庶民がゴシップを広めるのは、昔も相当早かったらしい。次の回で作戦にも使われています、って、ほれ見たことか! 「新婚さんいらっしゃい」作戦なんかに加担すると、ヨメに行けなくなるじゃないの!

と全国の視聴者が警告しているというのに、分かってるんだか分かってないんだか、雪舞は素直に五爺が持ってきた服に着替えています。

ちょっと仏像チックですが、色遣いもとても綺麗で雪舞に似合ってますよね…

ってちょっと、だから何で野営地に女のドレスがあるんだって。

丹州城の隠れ家といい、ここのサーカステントと言い、誰かそういう趣味の人でもいるのかと、テントの中に乗り込んで問いただそうとする(してません)雪舞に向かって、赤シャツ、いやさ四爺が背中で語る(?)このセリフ。

“到我身邊來”(私のそばに来てくれ)
“我需要你” これはまんま、吹き替え(「君が必要だ」)通り。

言われた雪舞の“啊 ?”って顔がなんかスゴイんですけど。(アリエル、これはどういう指示を受けた演技なの?)

っつーか、ここは英語の“I need you.”と誤解して欲しかったんだろうけど、中国語としては、これだけだと翻訳調だし、文章が終わってない感じがします。気を持たせようとしてるんだろうけど、若干無理があるな…。

雪舞はこの後もたれかかってくる四爺を押しのけてるけど、アリエルの表情からは(やっぱりこの人すごく重いわ…!)って心の叫びがひしひしと伝わって参ります。

“我真的很需要你 幫我”(本当にあなたが必要なんだ 私を助けてくれ)

はい、そうですね。これが中国語としては普通の言い方だと思います。ここはまた無理やり気を持たせようという脚本家の計略(?)で、わざと“我真的很需要你”“幫我”の間をあけたセリフになってますが、おそらくこの2つで1文で、頭から訳すと「私には本当にあなたの助けが必要です」となります。

ひとつ前のセリフは、後ろ(“幫我”)が省略されていたんですね。中国語的には、文字通り「需要」の意味(たとえば、「世界が君を待っている!」みたいな場合ね)じゃない限りは、後ろにもう一個動詞をつけて、「〜することが」必要です、にしないと、すごく座りが悪い感じがします(歌のタイトルとかなら、このままもアリだと思いますけど)。

さて、そんな考察をしている余裕もなさそうな四爺、毒矢に当たって今にも死にそうです。

軽傷だったはずでは?と驚いている雪舞に、士気が乱れるから負傷のことは絶対に伏せなければならないと説明しています。

この手の話は日本にもあるし、中国史でもチンギス・ハンとか諸葛孔明とか、いろいろありますよね。後者は「死せる諸葛、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす」という諺にもなってて有名です。

史実では、四爺の父君・高澄(こう ちょう)も、その父(四爺にとっては祖父)・高歓(こうかん)が西魏(周の前身)との交戦中に病没したのを隠しています。

という事で、五爺に着替えを持っていかせて、わざわざ村人に誤解させるように仕向けたのは四爺の策だったらしいですが、なんだか勝手にどんどん外堀を埋めてるように感じるのは私だけでしょうか。“醉翁之意不在酒”(酔翁の意は酒にあらず=本心は別にある)、なんて第3話を彷彿とさせる言葉を思い出してしまいますが、さすが虫の息とはいえ四爺、おぬしも策士よのう。

しかしそれも命あっての物種、策士・四爺はここぞと高一族秘伝の「おねだり」技を開陳しております。

“現在 我只有請你幫我了”(いまや、私はあなたに助けをお願いするしかない)
“你是天女 一定會有辦法的 一定要幫我”(あなたは天女だ。必ずや何とかできるはずだ。どうにかして私を助けてくれ)
もはや、頼んでるんだか脅してるんだか分からん…

ここで四爺が倒れてしまうので、雪舞が軍医を呼びます(待機させといて良かったですね、四爺)。

“大夫!”ダイフ!というのは、吹き替えで「先生!」と呼んでる通り、敬称です。時代劇っぽい言葉ですが、実は21世紀でも使われています。酔っぱらって歌舞伎町を歩いていると、韓暁冬さえ「社長さん!」と呼ばれてしまうのと一緒です(ちょっと違うかな)。

そんなエライ人も匙やら槍やら投げてしまう四爺の病状。ちなみに諦めてるとき投げる匙とは、薬を調合するときの匙だそうです。と、枕元でトリビアを披露しついでに、段太師が毒薬の名前を教えてくれます。それは、「周秘伝の毒薬「百歩散」(はくほさん)」。これについては、第8回でもうちょい詳しく出てきますので、そのときに。

周の秘伝なので、斉の国には解毒薬がない、ときいて雪舞は思わず、

“怎麼會這樣”(なんでこんな事に)と言います。これを聞いた楊士深、吼える吼える。
“怎麼會這樣 難道你不知道嗎?”(なぜこんな事にだと?まさか自分は知らないとでも?)。八つ当たり(この場合はそうとも言えないですけど)する癖は主従共通のようです。

八つ当たりしたって四爺は治らないと知っている賢い五爺は、兄に引き続き、家伝の「おねだり技」を繰り出してきます。

“楊雪舞 我想你一定會知道”(楊雪舞よ、君にはよく分かっていると思うんだが)
“之前我四哥要殺掉阿怪易如反掌”(兄上は、阿怪を殺そうと思えば「手のひらを返すように」簡単だった)

ここで注目していただきたいのは、五爺が皇帝陛下を「宇文邕」と言わずに、雪舞が呼んでいたように、“阿怪”と言うことです。さすが人心掌握に長けた兄弟、勘所をよく心得ていますね。

もう1つ面白いのは「手のひらを返す」という言い方。日本語じゃ「手のひら返し」っていうと全然別の意味ですよね(同じ意味なら「赤子の手をひねる」かな)。

中国語を習う人は必ず先生に注意されてると思いますが、中国語には日本語と漢字が似てても意味が違う語というのが結構あり、甚だしきは、漢字が全くおんなじなのに意味が全然違う、というのもあります。

有名どころでは、
“老婆”→妻
“娘”→お母さん
“手紙”→トイレットペーパー
“工作”→仕事
“失神”→油断する(日本語の「失神」と同じ意味の場合もある)
“質問”→問いただす、非難する
“湯”→スープ(温泉で「男湯」「女湯」という文字を見て悶絶する、という笑い話は日本に旅行した中国人観光客の鉄板ネタ)
なんてのがございます。こういうのを同形異義語といいます。

他にも、簡体字(簡略化した漢字)が原因でよく分からなくなってる、
“手机”→携帯電話
なんてのもございます。

後ほど、四爺は“失神”してトリの煮え湯…いや、“湯”を飲まされることになっちゃうんですね。(実態はそれに近いが…)油断禁物です。

おっと、五爺の話の腰を折ってしまいましたが、続く言葉をいちいち訳すと、
“可是他沒那麼做 是因為他認同你的想法”(でも兄上は、そう(阿怪を殺すこと)はしなかった。それは、君の考えに共鳴したからだ)

“不想做一個濫殺無辜的人”(罪のないものを殺めるような者ではありたくないと)

“才會花時間找證據給你看”(その一心で、時間をかけて君に証明した)

“你應該明白他的用心了吧”(君にはその心配りが分かるはずだ)

ということで、長々しゃべっていますが煎じ詰めれば、吹き替えの訳の通り、「そなたのためだった」っつーことですわね。

分かったところで、そうそう治す手立てもあるわけじゃなし、雪舞は取りあえず看病要員としてその場に残ることに。ただこの病人、瀕死の割にワガママで、「寒い」って言うので火を起こそうとすると、「行くな」って言うし、どうすりゃいいのよ!?とか、イラつかないあたりが、「困ってる人を放っておけない」雪舞の偉いところ。

ただ、添い寝してあげるのはいいんですけど、雪舞の腕が傷口にぶつかりそう…。

と視聴者がくだらないことを心配しはじめたので、カメラは周へ飛びます。

傷口を小突かれそうで寝るに寝られない四爺と違って、睡眠もばっちり取れた皇帝陛下。髪もばっちりオールバックに結い上げています。被っているのは“冕冠”(べんかん)という礼帽で、皇帝陛下ならスダレが前後に12本ずつなくちゃいけないのですが、11本しか見えないような。

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陛下たちは“竜船”に乗り、テロップによると、“黃河汾河交界口”(黄河と汾河の合流地点)にいるらしい。現代のGoogleアースでみると、合流地点は山西省萬榮縣榮河鎮廟前村あたり。

この“汾河”流域の名産品としては白酒(バイジュウ)の代表的なブランド“汾酒”がございます。アルコール度数は60度(!)。火を噴きそうです。そしてこのお酒、なんと正史《北斉書》に記載があるのです。

武成帝・高湛(こう たん;高緯(こう い)の父君)は河南康献王・高孝瑜(こう こうゆ;蘭陵王の一番上の兄君)と同年で仲が良く、彼にこんな文書をよこした。「私は“汾清”“汾酒”のルーツになった酒)を二杯飲むから、君も鄴(ぎょう)の都で二杯飲んでくれ」

アル中 酒好きの武成帝らしいエピソードです。ちなみに高孝瑜という人は、剛毅な偉丈夫ながら謙虚な人柄で、文学を愛し、ひと目で10行を読んで間違いがない、という速読術の持ち主だったそうです。かわいそうに、結局、彼はこんなに仲の良かった高湛に殺されてしまいます。

悲劇の兄弟の四男坊‧四爺も命は旦夕(たんせき)に迫り、その功績を讃えちゃったりして、宇文邕の中では、もはや過去の人(おいおいおい)。

彼の心は、はや皮算用の世界に遊んでおります。
“如此江山 難怪群雄逐鹿”(かくのごとき山河を 群雄が争うのも無理からぬことよ)

皇帝陛下の言ってる“逐鹿”とは、天下を取るために相い争う、ということ。猟師が獲物である「鹿」を追う、という意味の他、古代に“涿鹿”という場所で天下分け目の決戦があり、その後、中国という国が固まったところから、「鹿」=中国文明の中心地である“中原”(ちゅうげん)を指すようになった、という説もあります。

覇権を争う、という意味で良く使われるのは「中原に鹿を逐う」(覇権を争う)という成語ですが、その出典は唐の魏徴の超有名ポエム「述懐」です。     
       
中原初逐鹿 投筆事戎軒(中原 初めて鹿を逐い 筆を投じて戎軒(じゅうけん)を事とす)
縱計不就 慷慨志猶存 (縦横の計は就(な)らざりしも 慷慨の志は猶お存せり)
杖策謁天子 驅馬出關門 (策を杖(つ)きて天子に謁(まみ)え 馬を駆りて関門を出(い)ず)

人生感意氣 功名誰復論(人生 意気に感ず 功名 誰か復た論ぜん)
                  
最後の一連、心意気に感じて行動するのが人生だ、手柄や名誉をうんぬんするのは、後世の人に任せておけばよい、というくだりは良く知られてますよね。

これは、魏徴が、自軍に加わってくださいと武将にお願いしに行ったときに作った詩らしいのですが、このポエムを囁かれたらすぐ説得されちゃいそうです。こんなおねだり技もあるのですね(ちなみに「初めて鹿を」を「還(ま)た鹿を」、「策(ムチ)を杖きて」を「策に依りて」にしてるテキストもあります)。

トナカイより、やっぱ鹿だよなぁ…と皇帝陛下が遠い目をしていると、忠臣・神挙が甲板に現れます。

“據探子來報”(密偵からの報せによりますと)
“高長恭軍中夜夜歌舞昇平 他還迷戀上一個叫楊雪舞的女子 納為小妾 日夜痴纏”
「高長恭は夜ごと歌舞に興じ、楊雪舞という女子を側女にし、痴情に溺れているそうです」

吹き替えは全く原文通りなんだけど、日本語で聴くとなんかスゴイな…。
いえ、中国語でも少なからぬショックを陛下に与えたようで、“納為小妾”のところで宇文邕は目を伏せてます。

しかし、そこは隠忍12年の皇帝陛下、心の動揺は押し隠して卓見を述べられます。

“高長恭這麼做根本是欲蓋彌彰”(高長恭はこのような策を弄して却って馬脚を現しておるわ)

これだと分かりづらいので(皇帝陛下がイケズなのはよく分かりますが)、吹き替えの方は馬脚の中身を表に出して、「ならば高長恭はかなり容体が悪いと見える」と言っています。

“當然他也知道騙不了朕 他要騙是他的齊軍”(むろん、彼とて朕を欺けないことは承知しておる。欺きたいのは己の斉軍の方だ)

まあ、あなたみたいな“騙子”(イカサマ野郎)を騙すのは、さすがの四爺といえども困難至極なことでしょうよ。

“當然作為萬軍之首 他也不可能 把他受傷的消息轉出去 否則必定不戰而敗”(当然、万軍の長として、己の負傷を漏らすことは絶対にできぬ。さもなくば、戦わずして敗れるは必至)

ドラゴンボートに乗っていながら、遠く離れた四爺の策をピタリと当てる皇帝陛下。そりゃ、指揮官が都合の悪い事は伏せるという過去例はわんさとあるからこの場合は当然ですが、ここで強調されているのは、彼には四爺の言葉に隠されている意味を推測できる洞察力がある、ということでしょう。

遡ってみると、まず、“賤民村”で四爺が周の禁衛軍の装束の切れ端を手に、「全て拾い上げた」と言っているのはハッタリだと見抜いていたはずです。そこで考えることは当然、四爺も援軍が来ると見抜いたはずだから、何とか時間を稼がなければならない、ということ。

そこでわざと四爺を挑発するような言動をして、護送されるまでの時間を引き延ばそうとする策に出る訳ですね(壁ドンしてもらいたかったという可能性は排除できませんが…)。

他の場合なら、こんな小細工に四爺も引っかかる筈ないのですが、楊雪舞のことが絡むと彼は全く冷静さを失ってしまうらしい(と、ご本人が後の方の回で告白してくださいます)。

宇文邕は四爺が楊雪舞に対峙していたとき、口調は非常に厳しいながら軍令を翻したりする様子を観察していたと、何か言うたびにいちいち阿怪を映すカメラワークが雄弁に語っております。当然、四爺の弱みはこの女だと、たちどころに見抜いたことでしょうよ。

「美人関が越えられない」(第6回)のは、言ってる人の方じゃなくて言われてる人の方だったんですよ四爺。

と、皇帝陛下の顰にならってくだらないトリビアで引き延ばしていたら、今回の記事、まだ15分ぶんじゃないですか。この回、まだあと3分の2も残ってる!(ひぇ〜)。そして私はこれから、必ず感想を書きます、と約束した映画を観に行かねば…。

ということで、非常に中途半端ですがこの辺でいったんレポートを斉の国にお返しいたします。次回は「四爺、煮え湯を飲まされる」の段、しばしご猶予を!

次はくだらないトリビアで盛るのはやめにしよっと…(→こちら
posted by 銀の匙 at 21:20| Comment(8) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

蘭陵王(テレビドラマ10/走馬看花編 第6話)

一年で一番忙しい夏の時期を何とか倒れずに乗り切った...と思っていたら、もう一年で二番目に忙しい、年末時期ではないですか。

まあ、夏は忙しいのが3か月続くけど、冬は年さえ明ければちょっとノンビリできるから、マシといえばマシなのですが、その手前の11月は少し余裕があるせいか、次から次へと出張の予定が入ってて泣きそう。これで「何とか熱」で倒れたり、敵国(はぃ?)に、ぼっちで置き去りにされたら、帰る気力もなくなっちゃうかも。

そう思うと、周の皇帝はサバイブしてエラいなぁ、と尊敬の念を新たにする今日この頃です。

ということで、ついに2ケタ台に突入の『蘭陵王』エントリー、続きもサクサク参りましょう。前回の第5話(→こちら)ではついうっかり、柄にもなくマジメなこと書いてしまいましたが、今回はネタで引っ張りたいところ。

では参りましょう、第6話、またの名を壁ドンの回!

第6話のあらすじ

斉(せい)軍の作戦に大きく貢献しながら、用が済んだらお供もつけてもらえず、馬さえ貸してもらえずに、国境の駐屯地・壺口関(ここうかん)から独り寂しく故郷の村へと帰る楊雪舞(よう せつぶ)。

途中の旅籠兼女郎屋でダッコちゃん人形行き倒れた、背も結構あり、苦労したことがない手を持つ奇妙な人物を拾い、吹き溜まりの村まで連れてきます。

そこには何と、女郎屋へ彼女を売りとばした韓暁冬(かん きょうとう)が住んでいました。雪舞になじられて、境遇の辛さを訴えつつも、いちおう素直に謝った暁冬は、行き倒れた男を「怪」(かい)と名付けます。

怪の回復を待って家に送り届けなければ、安心して村に帰れない…と心配する雪舞に、官兵が村を焼き払おうとしているとの知らせが…。


さて、上から目線どころか崖上から垂直に、“賤民村”(吹き溜まりの村)を見下ろしている蘭陵王(らんりょうおう)=高長恭(こう ちょうきょう)=四爺(スーイエ)と、安徳王(あんとくおう)=高延宗(こう えんそう)=五爺(ウーイエ)の一行。

亡くなった斛律須達(こくりつ しゅだつ)がもたらした、周の皇帝が斉の領内にいるとの報告を受けて、必死の捜索中です。

五爺は、
“如今最怕這周賊之首在留在齊國之內 是有什麼陰謀”(今いちばん恐ろしいのは、周の輩の親玉が斉の領域にいるのは、何かを企んでるのではないかということだ)とおっしゃっておられますが、周の君主は日頃の行いが悪いせいか、日本語では一足飛びに、
「よもや かの悪名高き周の君主が斉にいようとは」
と、がっちりテロリスト認定されております。

それを聞いた四爺のお答えは、
“不管付出任何代價 一定要把他找出來”(どんな代償を払っても、必ず奴を探し出せ)

中国語の四爺は「探し出す」までですが、日本語の四爺はちょっぴり強気で、
「いかなる代償を払っても 必ずや捕える
とおっしゃっておられます。

結果的に、中国語の四爺は有言実行でしたが、日本語の四爺は…おっと、この先は続きを見てからですが、代償の方はいろんな意味で痛かったですね。あはははは(←他人事)。

もはや、“賤民村”以外に潜んでいる場所はなかろう、ということで、臣下の楊士深(よう ししん)は、
“寧枉勿縱”(たとえ罪のない者を巻き添えにすることになっても、逃すことはできません)と言ってます。つまり、その1人を捕えるために、犠牲が出るのはやむを得ない、というところでしょうか。

でもさ、“如有違令者格殺無論”(命令に反する者は問答無用で斬る)って言ってるけど、命令に従っても殺されちゃうのでは…?

と怯える村人の最前列に飛び出してくる雪舞。

もう永遠に逢えないものと思っていたら、こんなにあっさり再会するなんて、いくらテレビドラマとはいえ脚本手抜きしすぎじゃないですか…?と、ツッコむのさえバカバカしいこの展開(あ、つい本音が)。

とはいえ、放っておくわけにもいかないし、彼女だけ包囲の外に出そうとするけど、当然、そんな誘いに乗る雪舞じゃありません。しかも、なんで来ない、って…意外に雪舞の性格を把握してませんね、この兄弟は。

ここで雪舞は土下座して軍令を取り下げるようお願いするのですが、楊士深に“大膽”(ダーダン)って怒られます。

なのに、“賤民”って何よ、あなたや私、みんなと同じ人間じゃない、とか言うもんだから、ついに楊士深がキレて、今度は“放肆!”(ファンスー!)って怒鳴ってます。

“放肆!”とは、ここでは「無礼な!」という意味で、辞書的には「勝手なふるまいをする;無礼な言動をする」ってことです。日本語だったら、「頭(ず)が高い!」っていう場面でしょうか。

雪舞のやってることがまさにそれ(…)なんですが、この漢字2文字でなぜそういう意味になるんだろ?と思いましたところ、「中国華文教育網」(→こちら)という、中国政府がやってる華僑向けのサイトに解説を見つけましたのでご紹介します。(訳は例によっててきとー)

もしも目上の人の前で傲慢な態度を取っていると、“放肆 !”(ファンスー!)と叱られます。辞典には、
「軽々しく勝手気ままな振る舞い。良くない意味で使う。」とありますが、もともとは死人を指す言葉でした。


 “肆”とはもともと陳列するという意味で、『周礼』(しゅらい)によれば、天子が崩御した際、祭祀をつかさどる役人はその遺体を陳列し(これを“大肆”(ダースー)と呼んだ)、決められた手順で洗い清めなければなりませんでした。

周代には
“肆師”(スーシ)という官職もあり、遺体を安置する場所や祭祀の道具などを並べる役でした。

 のち、処刑後に遺体をさらすことも
“肆”と呼ぶようになりました。『周礼』の規定では、遺体をさらすのは3日間と決められていました。そうすることで貶める意味を込めたわけです。“放肆”“放”とは追い払う、捨て去るという意味で、合わせて、処刑した屍を市中にさらすことを意味しました。

 中国の伝統的な社会では、身分が上の者、目上の者を敬うことを重要視していたため、もしそうした人たちの前で出過ぎたことをした場合は、脅しとして「晒し首にするぞ」と言ったのです。

今ではそれが人を叱るときのことばになったという訳です。

だって。

げに恐ろしや、楊士深
ま、四爺ほどじゃないけどね)。

“賤民”どもと“王爺”(ここでは殿下)では
比べ物にならん、と楊士深に怒られて、それでも頑張る雪舞は、ここにいるのは同じ人間、と言って、今度は四爺に“婦人之仁”って叱られてます。

“婦人之仁”とは女の子に向かって失礼な…。

この成句は、優柔不断な優しさ、とか大局を考慮しない慈悲、というようなときに使います。が…出典は《史記》の「淮陰侯列伝」で、劉邦の部下であった韓信(淮陰侯)が、敵王・項羽を評した言葉から来ています。

いわく、項羽は人に慈悲の心をもって接し、不幸な目に遭った人のために涙を流し、食料などを分け与えるというけれども、配下の武将が功を立て、褒賞を与えるべきときになると、とたんに物惜しみして恨みをかう「婦人の仁」の持ち主にすぎない、ということです。

しかし、さすがに800年前には項羽その人だったという負い目があるのか、日本の視聴者に「女の浅知恵」みたいなこと言ったらどんな目に遭わされるか分からない、という正常な判断力が働いたのか、吹き替えの四爺は「浅はかな考えだ」と言ってますね。

で、もっともな理由として、ここで対処しないと、もっとたくさんの罪もない人が犠牲になる、と言う四爺に向かって、まだ口答えする雪舞。

“生病不一定會死 也不是就該死”(病気だからって必ず死ぬわけじゃないし、死罪にすべきでもないわ)

何とかして助けないと、という雪舞と、ここに必ず須達が言ってた周の者が潜んでいる、という楊士深の間で、四爺は思いっきり板挟みになってます。

さきほど四爺は、つい口が滑っていましたが、疫病の封じ込め、といういかにも合理的な表向きの「大局的」理由のほかに、背後には、第3話で斛律光(こくりつ こう)将軍が指摘した「大局」があり、そっちはもっと厄介なので、目先のことしか見ていない雪舞に向けて、思わず「婦人の仁」という言葉が出てしまったのかも知れません。

とにかく、ここで威信を失うわけにも行かず、斉の将軍たちは馬から降りません。

しかし、四爺が動揺していることは誰の目にも明らか。うーん、これはまずい展開です。

第8話で日本語の解説書を含め、詳しくご紹介しようと思いますが、中国の兵法書として有名な《孫子》の冒頭に、将軍の大事な5つの資質が挙げられています。それは、

「智、信、仁、勇、厳」

の5つです。

『孫子』についての本は日本でもいろいろ出ていますが、私が特にお勧めしたい湯浅邦弘先生による解説本の解釈を見ると、

「智とは、情報を的確に分析し、混乱の中にあっても冷静な決断を下せる知性です。」

「信とは、国家に忠誠をつくし、君主からも士卒からも信頼を得られるような信義の心です。」

「仁とは、士卒の生命を尊重し、間諜(スパイ)の隠密活動にも心をめぐらすことのできる思いやりの気持ちです。」

「勇とは、敵を恐れず、常に最前線にあって采配を振るい、ときには敵中を突破して活路を開くような勇気です。」

「厳とは、私情に溺れることなく、規律を適用できるような厳正さです」


とあります。ここを読むと、四爺とは、まさにこれらの条件に当てはまるような人物として描かれていることが分かりますが、この5つの中で一番必要で、一番難しいのが5番目の資質、すなわち「」で、四爺は、どうやらここが弱いようです。

『三国志』の諸葛孔明は、一番信頼していた武将である馬謖〈ば しょく〉を、軍令違反を侵したために処刑しました。「泣いて馬謖を斬る」という諺の元になった有名な史実ですが、軍を預かるものには必要とされる厳しさです。

一方の四爺は、軍令違反の常習者だった斛律須達への日ごろの処分が甘く、結局、彼を失う羽目になったにもかかわらず、この場面でもいったん出した軍令を、こともあろうに女の進言で翻すという、軍の統率者としてあるまじき行動を取ってしまいます。

こういう行動が得てして命取りになると、一行は早くも第7話で思い知らされるわけですが、結果から見るとそうとばかりも言い切れないのが、このドラマの面白いところ。

ということは、この時点では監督と脚本家以外知らないので、とりあえず先を見てみますと、

“雪舞斗膽 懇請四爺收回成命”(雪舞は恐れながら申し上げます。四若様におかれては、どうかご命令をお取り下げください)と食い下がる雪舞に、楊士深は、

“大膽!你當自己是什麼人。膽敢讓四爺收回軍令。四爺乃是大齊的將軍,這賤民村原歸他所管轄 你怎麼敢質疑四爺的決定”(出すぎた真似を。殿下に軍令を撤回せよと申すか。殿下は大斉国の将軍、この村もむろん殿下がお治めの場所、ご決断に口を差し挟むとは何事か)

と申し渡しています。

兵士たちの手前、甘い顔もできないので四爺も困ったでしょうが、ここは口調だけは厳しく、しかし実際のところはかなり譲歩した妥協策を提示して去っていきます。

このときに楊士深と交わしている会話は、

“四爺 可是那個人”(しかし殿下、あの者は…)
“瘟疫不除 這個人也要待在村子裡面 也活不過七日”
(疫病が鎮まらなければ、村にとどまるほかはない。ならば7日は持たぬであろう)
と言ってます。

中国語では恐らく村に潜んでいる周の者を指しているのかと思いますが、日本語は「あの娘」になってて、雪舞を指しています。げげ、四爺がめちゃくちゃ冷血…(しかもタイミングよく、画面では四爺が雪舞を睨んでるし)。

しかし、こんな恐ろしい言葉を投げつけられても、四爺の考えをよく理解しているらしい雪舞は、村人たちの前で必死にフォローしています。

さて、こんなに皆が怖がっている“病瘟”「疫病」とは一体何の病気だったのでしょうか。

正史には、歴代帝王の事績を記す章があり、天変地異や疫病の流行も、治世の記録の中に記されています。《北斉書》では、後主(高緯)の統治していた565年12月に疫病が大流行した、と記されています。ちょうど洪水が起こった時期と重なり、河南では10人いれば4,5人が亡くなったほどの大災厄だったようです。

この時代に東アジアで流行った疫病としては、天然痘が有名です。「交通と疫病」(→原文はこちら)の論文を見ると、遣隋使などが持ち帰り、日本でも猛威を振るったらしい。

ただ、下痢とか発熱とか、雪舞の言ってる症状からすると天然痘ではなさそうで、腸チフスなどでしょうか。史実の、洪水の後に起こった病気というのからヒントを得たとすると、そうした類の病気のようです。

さて、斉軍は、ものすごい勢いで“賤民村”の近くに本格的なテント小屋を設営したものと思われます。まさに、木下大サーカス並み!(ということが、あとで分かる)

戻ってきた四爺は、さっきは須達の矢じりを出してきたポケットから、今度は結髪(ゆいがみ)を取り出しています。何でも出てくるドラえもんポケット、ホントに四次元につながっているとしか思えません。

ここで第2話(→こちら)に引き続き、盛大にため息をついておられます。(はい、これで、なぜ第2話でため息をついてたか、はっきりしましたね)

そこへ楊士深がこれまたすごい剣幕で飛び込んできて、“賤民村”に問題の人物がいるとの疑いがあるのだから、我らは“速戰速決”すべきです、と訴えてます。

あんたさっき楊雪舞に、「四爺は大斉国の将軍様であらせられるぞ、軍令を取り消せとは何事か!?」って吼えてなかったっけ?、と意地悪な視聴者は、ついツッコんでしまいますが、楊士深とは史実でもこういうキャラでしたね。(→史実編

初在瀛州,行參軍陽士深表列其贓,免官。
(瀛州にいた当初、行参軍(官名)の陽士深(ようししん)が「(長恭は)戦利品を貪り、法を枉(ま)げている」と上奏したため、長恭が免官になったことがあった。)

上官である皇子の不行跡をチクるとは、史実の楊士深は良い度胸をしているのですが、実はこの不行跡は長恭の策で、チクられるということ自体が織り込み済みでした。それにまんまと引っかかる(ま、誰かが引っかかってくれないと策になりませんが)あたりが、いかにも楊士深。

しかし、王爺さえ恐れぬ直言こそ、楊士深の持ち味。たまには空気読んでほしいときもあるけど…。

で今回は、逃げられたらそれは“放虎歸山”(トラを山に放つのも同然)だと訴えてます。

あっ、そうか!(…あ、いえ、なんでもない)、横で聞いてる五爺と段韶(だん しょう)太師は困り顔です。

ちなみに“放虎歸山”の出典は明代の許仲琳《封神演義》第十一回の“所謂縱龍入海,放虎歸山,必生後悔。” (それはいわば、龍を海に戻し、虎を山に返すというもの、必ず後悔の元になる)が今んとこ一番古いらしい。

ここで四爺は、かなり無理のある代案を話してきかせますが、優しい段太師は、
“引蛇出洞”(ヘビを巣穴から引きずりだすという策ですな)と応じています。

この言葉は割合新しい言葉らしくて、私の成語辞典には出てきません。ともあれ、おびき出すのはヘビじゃなくてマングースではないのか? という疑惑はぬぐえません。

しかし四爺は、そんな疑惑にもお構いなしで、

“密切注意雪舞的身體狀況 讓最好的軍醫隨時待命 確保她七日之內安然無恙”(雪舞の健康状態にはよくよく気を配り、いちばん優れた軍医を待機させておけ。7日の間、息災で過ごせるように計らうように)

と、楊士深の神経を逆なでするようなことを命令しています。

本当はこんなこと、とりわけ楊士深の前では、命令するべきじゃないと思う。彼も相当納得いかない顔をしています。(結果的に、この後の非常事態時に応急手当の人員が確保されてたというメリットはありましたが…)

五爺と太師が目配せしてますが、五爺はともかく、太師はこの命令の意味するところを、あまり分かってないんじゃないかと...。

まあ、いいや。

ヘビでも苦肉でもいいんですが、とにかく軍令は下されたので、作戦に沿って、「周のスパイが交わす合図」とやらを村の周りで吹き鳴らす斉の軍団。

画面ではチラッとしか見えないので、何を吹いているのかはよく分かりませんが、ぱっと見、何となく“骨笛”というものに似ています。新石器時代からある笛の一種で、7000年前の有名な河姆渡(かぼと)遺跡からも出土しています。狩りや合図に使われたと考えられていたということで、昔っから用途は変わってないんですね。

で、これを聞いた阿怪は、ふらふらとコブラみたいに壺から出てきちゃう…じゃなくて、寝棚から這い出してしまいます(あんたマングースの方じゃなかったの?)。

彼のお世話をしに現れた雪舞は、動けないはずの阿怪が見えないので、こう言います。

“人呢?”

日本語だと、どこに行ったの?と言うシチュエーションですが、こういうとき、中国語では“人呢 ?”と言います。あの人は? というニュアンスでしょうか。とても中国語らしい言い回しだな〜って思います。

こういうのって普通、辞書にも載ってませんよね。ドラマを見て言葉を覚えるって、こういうのが強みだよな〜と思うケースの一つです。

と、感心してる場合じゃなく、ここで雪舞が必死で阿怪を止めるもんだから、スパイをおびき出そうという斉側の努力も無駄骨に終わってしまいます。

後で楊士深が雪舞に、「お前がいちいちいちいち邪魔立てしなければ、今ごろ周の回し者を捕えていたのに!」と怒り狂うシーンがありますが、知らないところでもう一個「いち」を足していたと知ったら、その場で斬り捨ててたかも知れません...ああ、あのとき丹州城で「処置」しておけば…!

ほんと、あれこれ現場に口を出す、上官のヨメほど始末に負えないものはありません。士深ってサッチー健在なりし頃の、南海ホークスの選手みたい。ご苦労なことです…。

そうそう、ヨメを放置している上官も同罪です。

合図に呼ばれて夜道に出ていく阿怪を追って、雪舞は一緒に洞窟に転げ落ちてしまいますが、さすがに放置のままでは気になったのか、四爺も様子を見に来たようです。

え? だって、雪舞はヘビに向かって(中国語版では)“四爺、四爺!”と呼んでるじゃない?

だめよ進宝マングースのいる場所に四爺 ハブを召喚しちゃ…!

と、視聴者に誤解を与えないためか、吹き替えでは「高どの」の後、「助けて」と付け足してますね(賢い方策)。

それにしても、あの玉佩はやっぱり何かの通信装置だったらしく(少なくともトランシーバー機能は搭載)、本陣にいる四爺が顔を上げます。

どうやら“賤民村”とは時差がある場所のようで、こちらは昼です。
あるいは、落ちてからヘビが出るまで数時間気絶していて、外は明るくなってるのかも知れません。

ここで四爺がお子様ランチ用の旗みたいなのを立ててる大きな砂場のようなものは、“沙盤”といいます。
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ことばも機能も、まさに「サンドボックス」そのもので、戦局のシミュレーションのために使います。

ここで四爺が何をシミュレーションしているのかは大いなる謎ですが、ともあれ、機密に属することなので、この場所には限られた人しか入ることができません。勝手に入れば死罪です(「水滸伝」だったか何だったか忘れたけど、陥れられて間違えて入ってしまい、斬刑に処された人がいたって話を読んだことがあります)。

一方、まだ夜らしい洞窟の中で、熱を出してるらしい阿怪のために、雪舞は例の帯を熱さまシート代わりに使ってます。

おおっ、熱さまシートも彼女の発明か?

…っていうか、踏雪の時と言い、今回といい、どうも雪舞はこの帯を、洗っとけばまた使えるしくらいに軽く認識してるのではと思えてなりません。この帯に重大な意義を見出してるらしい四爺(と阿怪)には申し訳ないんですが…。

しかも、つぶってる目(阿怪ってまつげ長いな〜と変なこと感心する私)の上で手をパタパタされて、“放心睡吧”(安心してお休みなさい)って言われても、なかなか難しいと思います。

さて、2人は暁冬たちによって助け出されますが、洞窟での観察から疫病克服のヒントをつかみ、ここからが招財、進宝の油売り、または香具師・楊雪舞の本領発揮です!(待ってました!)

街中でお客を集めてモノを売る、このスキルは後々役に立つかと思われます(を売ったりとかね)。

さて、お立合い、まずは泥水を清水に変える、これは第1話で五爺が「天女の奇跡」の噂ばなしをしてるときには話していましたね。

次なるは灰で枯れ木に花を、アダモちゃんをイケメンに変えてみせやしょう。灰かぶりがシンデレラとはこれ如何に。ちなみに、中国語で「シンデレラ」のことを“灰姑娘”(ホイグーニャン)と言います。

1400年後に、蘭陵王の血を引く北京のコピーライター、蔣亮亮(ジャン リャンリャン)が、今日は自分の誕生日だと言い張る女の子のムチャぶりでステージに上げられ、歌わされる歌のタイトルです(しかも琵琶…じゃないや、ギターまで弾かされてたょ)。

どんなに頑張ったところで、あと20話ほど先に行ったところで聴ける、阿怪のプロフェッショナルな歌声とは比べ物になりませんが、彼と誰かさんを比べると何されるか分からないから先行きましょう、先!

草木灰が汚れ落としに使えるのは、灰がアルカリ性で油を中和するからです。年末年始のお掃除に重曹を使う方もいらっしゃると思いますが、同じ原理ですよね。

さて、お掃除といえば“雄黄酒”も登場しています。これは雪舞の言うとおり、昔から、“殺菌 驅蟲 解五毒”(殺菌、虫除け、五毒を除く)のに効果ありとされてきた薬酒で、端午の節句のときに使います(昔は飲んだらしいのですが、実は身体によくない成分が入っているので、今は額や耳たぶなどにつけることになってるそうです)

「五毒」とは私の持ってる辞書によると、蛇・蟾蜍(ひきがえる)・蜈蚣(むかで)・蝎(さそり)・壁虎(やもり)の5つの害悪。ああ、四爺も招財・進宝も退治されてしまうのね...。

中国の悲恋ストーリーの古典に「白蛇伝」っていうのがありますが、ヒロインの正体がヘビだとバレてしまうのは、端午の節句に“雄黄酒”を飲んでしまったからでした。

この話、忘れ物を届けて恋が始まるところといい、医学に精通したヒロインといい、なんだかどっかで聞いたことあるよなー的なストーリーなんですが(い?)、私などはウィリアム・フォンを見るとどうしても、白蛇と恋仲になる許仙(きょせん)の役にピッタリだ…と思っちゃいます。

閑話休題(それはさておき)。

雪舞に顔を拭かれて呆然としていた阿怪ですが(面が割れたらマズイことがあるのだろうか…)、リーチを生かして人助けなどしています。

夜にはみんなでキャンプファイアー! いやぁ、楽しそうですね。

イヌの口から食べ物を奪っていたというのに、食卓に3品以上は並んでいるのですが、どうしたのでしょう。お買い物にもいけないと愚痴っていたのに…“野菜”かな?

ちなみに中国語で“野菜”というと文字通り、野山に生えてる食べられる植物という意味で、日本語の「野菜」にあたる言葉は“蔬菜”と言います。

阿怪が食事するときの姿勢の良いこと、惚れ惚れしますね。掃き溜めに鶴、吹き溜まりに阿怪。皆からおかずを提供され、にっこりしたお顔が実にノーブルであります。

“賤民”の前では馬から降りもしない四爺と違って、“賤民”がじか箸で取ってくれたおかずをちゃんと食べるあたりも、好感度大であります。

もうこの時点で只者じゃないってバレそうなもんですが…。

さて、そんな楽しい宴に加わることもできず、暗〜い雰囲気の斉軍本陣。外は明るいのに、相変わらず盛大にロウソクを燃やしております。

この時代、ロウソクというのは一般に使われるようになってまもなく、結構な贅沢品だったようです(だから、大事なディナーのときに、クリスマス時の青色LEDばりに点していたのでしょう)。

こちら(→HP)に、中国思想といえばこの方! 坂出祥伸先生による、中国のロウソクに関する考察がありますので、原文をご覧いただきたいのですが、簡単に引用させていただくと、

「蝋燭」と二字熟して登場するのは、三国時代も過ぎて晋代(三世紀後半から五世紀初)になってからのようである。『世説新語』汰侈(たし)篇に「王君(王(おうがい))は糒(いび)(干した飯)をあたため、石季倫(石崇)は蝋燭で炊を作した」とあるのが初見らしいが、ただし、ここでは蝋燭は燈火用ではなくて燃料用である。とはいうものの、蝋燭が燈火として用いられていたことを前提として、石季倫が当時まだ貴重なものであった蝋燭を炊飯の燃料としたという豪勢ぶりを説いているのである。(中略)

『晋書』には、周嵩が酒に酔って兄・に「あなたの才能は私に及ばないのに、どうして重名をほしいままにしているのか」と言って、燃えている蝋燭を投げつけたという話が見えている。これは明らかに燈火として用いていた蝋燭である。(中略)

 南北朝時代には南では燈火用として蝋燭がかなり普及していたものと思われるが、一方、北方では蝋燭が欠乏していたようで、劉義恭(劉宋・高武帝の子)が北魏に遣いした時、北魏の世祖に「蝋燭十梃」を献上したという(『魏書』巻五十三)。梃は棒状のものを数える量詞であるから、十本になる。献上品としては少ない感がするが、蝋燭は北方ではまだ貴重品とされていたのであろう。

 南朝の梁から北朝の西魏、さらに北周に仕えた詩人・庚信(お、庚信がまた出ましたね)の賦「無題」に「燼の高さ疑うらくは数翦、心(しん)湿り暫く然え(もえ)難し、銅荷は涙蝋を承け、鉄鋏もて浮煙を染す」とあって、「涙蝋」「心(芯)」の語からして棒状に成形された蝋燭だと分かる。(中略)

(唐代になっても)その使用の範囲は都長安や東都洛陽のような大都市の、しかも王侯貴族など上流階級の家屋に限られていたのであろう。


ということで、ここでは上流階級の将軍たちが、ほしいままにロウソクを点しておられますところ、伝令が入ってきます(楊士深だって許可をいただいてから入ってきたのに、伝令の分際で本陣にいきなり飛び込んできたら、ホントは首を刎ねられちゃうんじゃないかと思いますが)。

命の危険を侵して本陣に飛び込んできた伝令が一言、「“賤民村”の雪舞さんが」と言ったとたんに、「雪舞がどうかしたか?」と緊張する四爺。

その口調に驚いたのか、太師がちら見しています。

「桶に泥水を入れれば清水になり、その水を沸かして飲めば疫病にはかからない。そして、“鹹米湯”は下痢を治すそうです...」と伝令に言われて、顔を見合わせる二人。

“這雪舞姑娘 太神奇了”(雪舞どのは誠に不思議なお方だ)
“一會兒只身燒掉周國的糧倉,一會兒又使渾水變成清水,她到底是什麼人哪”
(たった一人で周の食糧庫を焼き尽くしたかと思えば、泥水を清水に変えてみせる。いったい彼女は何者なのですか)と太師は驚きます。

それを聞いた五弟の、含み笑いがいいですよね…

何とか表情を変えないように努力している四爺ですが、無駄無駄、嬉しそうなのがバレてるって。

太師は、丹州城での雪舞の活躍は知っているけど、南汾州城(なんふんしゅうじょう)でのくだりを知らないので(さらに、第10話に行くと、その辺の機微にはあまり敏感じゃない人らしいことが五弟のセリフから分かる)、雪舞が蘭陵王を助けようとしていたことは知っているけど、四爺が彼女をどう思ってるかは、あまり察知してない模様です。

さて、皇帝のいない周国。ようやくアシナ皇后の愁眉を開く知らせが訪れます。視聴者にとっては、皇帝を迎えに参りますと退出する尉遅迥将軍のお召し物が、五爺と色違いじゃないかと気になってしょうがない一幕です。

“賤民村”ではサンシェイドも新調され、いきなり秋の大運動会的な雰囲気になっております。

いま、ドラマの舞台になっている斉とは南北朝時代の国号ですが、戦国時代に山東省あたりにあった国が“斉”で、おそらくそれを意識してつけた名前と思われます。そのもともとの斉の国がサッカーの発祥の地、という説があるのでご紹介しましょう。

《戦国策》《史記》に“蹴鞠”についての記述があり、中国の戦国時代(今から2300年前)、当時の斉の都・臨淄(リンシ)で盛んだったこと、また、兵士の訓練のために使われていたことがわかります。いま日本でもサッカーのことを「蹴球(しゅうきゅう)」と呼ぶことがあるように、“蹴”は蹴る、“鞠”は「まり」の意味です(現代中国語では“足球”(ズゥチウ)と言います)。

唐代には非常に普及したようで、杜甫の詩にも歌われています。また、この頃、ゴールも作られ、女子サッカーも盛んに行われたそうです。

使われていたボールは、毛皮(と言っても、フェルトのようなものでしょうか)をくくったようなものから2枚の皮を接ぎ合せたものになり、唐代には8枚を継いで、中には動物の膀胱を入れて膨らましていたそうです。

膀胱をボール代わりに使うという話、昔『大草原の小さな家』で読んだことあるな〜。おうちでベーコンを作ったり、しっぽを焼いて食べたり、自給自足も大変だなって子ども心に思ったものです。

話が逸れましたが、そんなレクリエーション活動ができるのも雪舞のおかげ、まるで伝説の天女さまのようだ、と皆様、崇めておられます。

そんな楽しそうな活動に参加できなかった四爺は、よほど悔しかったのか、まるでシンデレラで舞踏会に呼ばれなかった意地悪なお姉さまのように(ってそれは「いばら姫」だったっけ?)、軍を率いて、この和やかな雰囲気をぶち壊しにやってきます。

来歴不明な村民はすべて捕らえよ、と相変わらず、ヒールに徹してる四爺です。

疑わしい村人を整列させると、河を流れていた、刺繍を施した黒い布を示して、雪舞にこれが何か分かるか、と聞いています。雪舞はすぐさま“黒色馴鹿”(「黒色馴鹿」よ)(普通名詞ではなくて、「ミツウロコ」とか「サガリフジ」とかと同じく、図柄の名称です)って答えますが…なぜ知ってる?

村の外へろくに出たこともないのに、そんなこと知ってるなんてヘンですよね。だからか、日本語の方は単に「黒い鹿だわ」と言っています。えっと、金色の鹿に見えるのは私だけでしょうか。

ちなみに“馴鹿”とはトナカイのことです。えっ、中国で何でトナカイよ?と思いましたが、今も北方にはいるらしい。

当時は21世紀よりも寒かったので、もう少し南の方でもトナカイを見られたのかも知れませんね。本当に周の禁衛軍(近衛部隊)のマークが“黒色馴鹿”だったのかどうかは、調べたんですが分かりませんでした。とりあえず、ここまでも何度か、アシナ皇后が登場するシーンでさりげなくその図柄が示されています。

とにかく、当然ですが、阿怪は第一容疑者としてがっつり疑われています。ここで雪舞は阿怪の命乞いを始めますが、なんと韓暁冬(かん きょうとう)まで口添えしています。しかし阿怪は後で韓暁冬に会ったとき、このこともすっかり忘れてしまったらしくて(以下略)

四爺が黙ってるのをいいことに、雪舞がどんどん言い募るので、ついにまた楊士深に“放肆!”って叱られます(イエローカード2枚ですから、次は退場よ)

そして楊士深が雪舞に向かって剣を振るったおかげで、阿怪は口を利けない哀れな貧民から一転、ヒロインをかばう白馬の王子様に変身です。四爺は今のとこ表面的には冷静に、雪舞を諭し、阿怪を捕らえさせます。

端からみても、かなり出すぎた雪舞の振る舞いですが、まだ阿怪を取り戻そうとする彼女の行動に業を煮やした楊士深は、

“敢在眾人面前挑戰四爺的權威”(大勢の目の前で、殿下の権威に挑戦するとは)

吹き替えでは「身の程知らずもたいがいにせよ。第四皇子に盾つくとは」と言ってますね。

もっと言ったれ、楊士深! 

彼自身、気がついているかどうか分かりませんが、これは雪舞にとって、大変重要な忠告でした。

前には尉遅迥(うっち けい)に、「自分が賢いと思っていると身を滅ぼすぞ」という、貴重で有り難い忠告を頂戴したのに全然聞いてませんでしたね。おばあ様にも、蘭陵王にも、楊士深にも、そして尉遅迥にさえ、大事な忠告を受けていたのに全然聞いてなかった雪舞。

あとで(って14話くらい先かな)さんざん泣く羽目になるけど、それは自業自得というものです。

と、視聴者が楊士深の肩を持っている一方で、捕えられた阿怪と蘭陵王がついにサシで対決しています。どうして自分の身分を自分で暴露したのか、と問い詰められて、阿怪は、

“自古英雄難過美人關”(いにしえの昔より、英雄も美人で身を誤るというではないか)と答えています。って英雄とか自分で言うか?っていうか、だとすると美人って楊雪舞?とか、視聴者が混乱をきたしているところへ次の一言。

“在心愛的女人遇到危險的時候 我怎麼可以袖手旁觀呢”(愛する女性が危険にさらされているときに、手をこまねいていることなどできると思うか)

“袖手旁觀”とは、手を袖に入れたまま何もしない、という成語です(中国の伝統衣装は袖が広いので)。この言葉、同義語は“見死不救”(見て見ぬふりはできない)です。

おっと、これは雪舞のモット―ですよね。

続けて言うわ言うわ、
“在我疾病交集之時 是楊雪舞救了我”(私が病に伏していたとき、私を助けてくれたのが楊雪舞だった)
“逃過齊兵的追殺”(斉兵の追っ手から逃してくれて)
“在賤民村的每一夜”(村では夜ごと)
“雪舞姑娘不眠不休地照顧我”(雪舞どのは夜も寝ずに看病してくれた)
“她為我更衣 梳洗 怕我一病不起”(私の衣を替え、髪をくしけずり、顔を洗い、私の死を恐れた)
“還有...”(そして…)

いやいやいや、服も着たきりだし、髪型も替えてないじゃない。顔だって洗ったのはあの一回きりでしょ!とネタを振る皇帝陛下に全国の視聴者がツッコんでるのが目に見えるようですが、帝王の勘なのか何なのか、これまで合わせて15分くらいしか蘭陵王と接触してないのに、彼の弱点が楊雪舞だと、ばっちり嗅ぎつけているらしい。

雪舞が村で何か言ったときに勘付いたのかも知れないけど。

でもこの人も、わかんない人ですね。

風雪12年、宇文護の下で穏忍自重してた割には、ここで四爺を挑発して、何か良い事あるわけ?
瞬間湯沸かし器みたいな人だったら、首刎ねられちゃうわよ?

しかし、度を失わせる策だったとしたら、大当たり。

武将たるもの、敵に弱みを悟られては負けも同然。
(好みを悟られてもダメなのは、第18話(だったかな)あたりの、食事のエピソードで出てきますね)

孫子も言ってるでしょう、「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」
ここでこんなに分かりやすく動揺してどうするよ。

しかし、そんな兵法の基本のキも吹っ飛んでいる蘭陵王は、これまでの余裕の態度がどこかに行ってしまい、守攻が完全に逆転してることにも気づいてません。

足元に落ちた例の帯を取り上げて、“這是哪而來的”(これはどこから来た?)
って、思いっきり話し言葉になってる蘭陵王に、

“你說呢?”(お前なら何と言う?=お前はどう思う?)

って返し、最高です、陛下。
(日本語の「知りたいか」って憎々しい訳も、上から目線の感じが出てて上手いね)

雪舞が謁見を願い出ていると聞いて、
“看著他”(見張っておけ)っていうときの声が低くて怖いよ〜!(声を担当している張震さん、グッジョブです!)

この勢いのまま、雪舞の前に出れば、どうなるか。

しかも雪舞と来たら、開口一番、
“你沒傷害阿怪吧”(怪を傷つけたりしてないでしょうね)
と来たもんだ。

四爺が「まだあいつを怪と呼ぶか!須達の受けた苦しみは奴の数千倍だ!」と吼えたので(吼えたあとにちょっと顔を背けたのは、さすがに言い過ぎたと思ったからでしょう)、雪舞はここまで使っていた“你”(二―;あなた)をやめて、いきなり“您”(ニン;あなた様)と敬語にスイッチします。

つまりこれは、雪舞が四爺とは距離を取り、情に訴えるのはやめて冷静に説得しよう、というストラテジーを採用したことを指します(つまり、あなたは冷静じゃない、と指摘してるのと同じことです)。

確かに、阿怪がなぜスパイだと分かるのか、彼は無実だ、という訴えに対して、四爺の答えは全然ロジカルじゃありませんが、

ああ、頼む雪舞、火に油を注ぐのはやめて…怖いよ〜!

ちなみに中国語でも火に油を注ぐは“火上加油”です。“加油”だけだと「頑張れ」なのにね…。

それはどうでもいいけど!

“我明白”(私にはわかります)
と雪舞が言うのを聞いて四爺が顔をそむけるのは、「お前はわかってない」という意味です。
お願い雪舞、いい加減、気づいてよ!という視聴者と四爺の心の声をまるっきり無視した挙句、あろうことか蘭陵王をdisり始める雪舞。

言い争いでは勝てないと思ったか、あまりにも自分の気持ちを分かってくれないので焦れたのか、ついに蘭陵王は彼女をフィジカルに押しのけてしまいます。(ああ、もう四爺と呼ぶにはあまりに怖すぎる、この人…)

それでも負けない雪舞。とりあえずここからは吹き替えでご覧ください!

「今のあなたは無実の民を虐げている。あなたよりも怪は良い人よ」
と聞いて、思わず振り向き、雪舞に詰め寄る蘭陵王。

「何と申した この私が あやつに劣ると言うか」
「そうよ、話も聞かずに…無実の人を苦しめ…」
ここでついに、雪舞の後ろの柱を殴ってしまう。

「聞くに堪えぬたわ言を二度と口にするでないぞ」
「楊雪舞 君が信ずるは目に映るものだけか」
「よかろう、真実を見せてつかわす」

あらま、日本語の上品なこと。
これなら蘭陵王のイメージはそれほど崩れなくて済みますが、中国語の方は、
かなり怖いですよ。

それでは、背筋も凍る元のセリフをお聞きいただきましょう!

“現在的你 正在迫害一個 手無寸鐵的百姓。”(今のあなたは 身に寸鉄も帯びない一人の民を虐げている)

ここは吹き替えと同じ。手に寸鉄も帯びない、とは武器も持たないという意味です。爆弾は鉄じゃないから含まれない…とは詭弁です(ただし、バナナはおやつに含まれません)。

百姓というのは、農家に限らず平民一般を指します。

“在我看來,連阿怪都比你善良”(見たところ、怪ですらあなたよりは善良だわ)

こう言われて蘭陵王は物理的に距離を詰め、低い声で言います。

“你說什麼?”(何だと?)

これは口語で、かなりな詰問調です。日常、これを言えば、ほぼケンカになるでしょう。

実は前の方の回で、皇帝が行方不明になったと聞いて、アシナ皇后も宇文神挙に同じように言ってますが、あちらはもともと身分の差を示す言い方なので問題にならないんですけど(詰問調なのは同じですが)、これまで身分差を感じさせないように接してきた四爺と雪舞の間ではこれはかなりショッキングな物言いです。

このせりふの怖い方向へのバリエーションとしては、

“你在說什麼?”(何を言ってるんだ)
“你到底在說什麼? ”(いったい何が言いたい?)

がございます。これを言われたら、とりあえず柱の影に隠れてください。トラに直撃される恐れがあります。

もっと軽いニュアンスで言うときもありますけど、それはかなり親しい間柄で、「あんた、なんてこと言うのよ〜(笑)」みたいな場合です。   

“你說我還不如那個騙子”(お前は、私があの騙りにも及ばないと言うのか。)

これも相当きつい言い方。

“騙子”(ピィエンヅ)って言うのは、そうね…イカサマ野郎、くらいのニュアンスですかね。さすがに皇子さまは滅多な事では言わないんじゃないでしょうか、こんな言葉。この剣幕にかなり気圧される雪舞。って、そりゃそうでしょう!ここまで、雪舞にはとても丁寧な言葉遣いだったんだもの。

しかし、ここに至っても何とか言い返そうとする雪舞。勇者というか、何というか…。

“是啊 你蠻不講理”(そうよ、筋が通ってない)

ですが、内心相当動揺しているのか、思わず台湾中国語になってます。

“你手刃無辜”(無実の者を手ずから斬り殺そうと…)

売り言葉に買い言葉で、雪舞も結構きつい事を…ただ、いちおうこれは書き言葉なので、ニュアンスとしては身分が上の人に話している感じはあります。

こう言われて本当に怒った(というか追い詰められた)蘭陵王。ついに言葉ではなく、手が出てしまいます。

“再也不要讓本王聽到”(二度と余に聞かせるな)

ここに間があるのが怖いよー!!

“本王不如誰的話”(余が誰かに及ばぬという事を)

ここまで、雪舞には“長恭”と自称してたのに、いきなり“本王”という、自身の身分を感じさせる主語と、“再也不要”(二度と〜するな)という強い否定の命令形に加えて“讓〜”(〜させる)の構文を使って、日本語よりもさらに上から目線の言葉遣いになってます。

日本語の方は秒数の制約に加えて、口の形の関係もあるのか、雪舞のセリフをはさんで訳さざるを得なかったらしく、「聞くに堪えぬたわ言」(何が聞くに堪えないかは曖昧になってるけど)と、この前のセリフの、「この私」でトータルとして“本王”のニュアンスを上手く伝えていますね。

それより、怒るポイントがここって、おかしいでしょう!?

怒ってるのは、今言ってることについてじゃない、というサインなのですが、雪舞は全然気づきません。(っていうか、このシチュエーションで考え事はさすがの雪舞にもムリ)

“楊雪舞 你很盲目”(楊雪舞よ、お前には何も見えていない)

こういうシチュエーションで、面と向かってフルネームで呼ぶのは、怒ってるときです。第1話でおばあ様も使ってましたね。よく聞け、みたいな感じかな? これは英語での場合と似てますね。面白いな…いや、面白がってる場合じゃないって。

後ろの言葉は差別語への配慮もあるのか、日本語では次のセリフと合わせて処理していますね。

“你相信你所看到的”

ここは、お前はお前が見たものを信じる、ということです。直前の言葉と合わせると、そういう人なんだな、と決めつけるようなニュアンスも感じます。

“好 本王就證明給你看”
直訳すると、よろしい、この私がお前に証明して見せよう、ということですね。

柱を一回殴ったくらいじゃ収まらなかったのか、去り際に「負ければ奴の命で償わせる」と怒鳴って、もう一回殴ってます。

こ、怖…。

翌日、決闘の場に引き出された阿怪は、蘭陵王を見るなりこう噛まします。

“都說蘭陵王英勇善戰”(皆が蘭陵王は勇敢で善く戦うと言っている)

ふーん。周の偉い人もそういう認識なんですね。

しかし、お世辞(?)には乗らない蘭陵王はずっと余裕の冷笑を浮かべ、お相手はこちらだ、とトラを引き出します。(まったく、誰が悪役だか分かりゃしない)

でも、待ってください? 何で陣地にトラがいるんでしょうね。

さあ、ここで吉例の三択、いってみましょうか。

1.木下大サーカスへようこそ! 当サーカスの目玉の出し物はトラでございます。
→動物愛護の観点から、見世物はいかがなものか。

2.あれほど言ったのに、何でトラを放ったんですか。でも、あなたのために捕まえておきました。
→臣下の鑑。

3.武官の印。
→やっぱ本物もいないとね。

4.ペットとして。
→四択目ですが、数をかぞえられるほど冷静ではいられません!

正解は…楊士深に免じてか?

つか、トラが逃げ出したらどうする気なんでしょう。

さて、この戦いがどうなったかはじっくり本編をご覧いただきたいのですが、とりあえずは四爺の狙い通り、周の皇帝が姿を現します。

「ついに正体を現したな、周の皇帝、宇文邕(うぶん よう)よ」と、勝ち誇ったあまり、またパタリロの口元になっている蘭陵王の言葉に、雪舞は思わず、

“周武帝 宇文邕!?”

ってあなた、皇帝の名前を呼び捨てにしちゃダメじゃない、というより前に、武帝は諡号(おくりな)だってばさ、こらっ!

諡号っていうのは、死んだ後に贈られる名前なの。生前につけちゃダメ!(っていうか、生前には誰も知らないはず)

まさか巫族の予言か?!

さすがに吹き替えの雪舞は、呼び捨てにはしてるけど諡号で呼ぶようなヘマはしていません。

しかし、四爺のパタリロ的余裕な態度と、失礼千万な中国語版のヨメの言動が仇となり、皇帝を迎えに現れた周の禁衛軍の活躍で、斉の陣営は大混乱に陥ります。

どさくさに紛れて、宇文邕は雪舞にプレゼントを渡していますが、こんなに混乱しててもしっかりもらっとくあたり、雪舞もなかなかのものです。

そして、雨あられと矢がふりそそぐなか、何ともない暁冬と皇帝陛下は、蘭陵王に指摘されるまでもなく、本当に運がよい2人と言えましょう。

それにしても、これまで尉遅迥将軍が何年かかってもやられっぱなしだった蘭陵王に、ただの1矢で致命傷を負わせるとは、宇文神挙(うぶん しんきょ)将軍、さすがです!

っていうか、タイミング的に、雪舞のために払った矢が神挙の放った矢で、刺さった矢は別のとこから飛んできたってことですか? しかも、最初に矢が刺さった位置と次に矢を抑えてる位置が違うって、NG番組で指摘されてましたね。

そんな修羅場に斉の陣営の方に戻ってしまう皇帝陛下を見た神挙の、驚いた顔が大変印象的です。

迎えに来た尉遅迥将軍に着せかけてもらった高そうな毛皮のコートがよく似合う皇帝陛下ですが、ここで“平身”(こうべを上げよ)と言われているのは尉遅将軍だけなのに、後ろの人もみんな立ち上がっちゃっていいの?

雪舞は最後の2分でやっと自分の過ちを反省しますが、この場で反省すべき点は何か、というと、

「自分とあの詐欺師を比べた」(四爺)でもなく
「自分に人を見る目がなかった」(雪舞)でもなく
「みんなあいつに騙された。一番悪いのはあいつ」(暁冬)でもなく、

蘭陵王の判断を雪舞が信じてなかった。

これに尽きると思います。彼女はここで気が付かなかったために、のちのち決定的なダメージを蒙ることになる。その意味で、先ほどの「四爺の権威に逆らうとは」という楊士深の発言がこの場では一番的を射ていたと思われます。

毒矢の的となって射られた人は、それどこじゃないでしょうが…。

ということで、とっとと次回に続く!(→こちら
posted by 銀の匙 at 03:14| Comment(12) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

蘭陵王(テレビドラマ9/走馬看花編 第5話)

先週は「東京国際映画祭」と「中国映画週間」がダブルで開催されたため(というか、後者は前者の企画の1本)、映画を何本か見ました。

ただ、「東京…」の方は前売りの電子チケットのシステムがとても不親切で、行けなくなった映画のチケットを誰かに譲ることが難しく、お財布にも痛かったし、何より、舞台挨拶のある回にボコボコ空席を作って(複数席分買ったので…)本当に申し訳なかったです。

転売を避けるためなのかも知れませんが、たかが1300円のチケットを買うのに個人情報を細かいところまで登録しないといけないため大変不評で、周りの人は「絶対行かない、あの映画祭」と口をそろえて文句を言ってました。

どうか女媧さまお願いです。アレクサンドル・コット監督の『草原の実験』をロードショー公開してください! 行きそびれて悲しいです!!

と、女媧〈じょか〉さまへのお参りも済んだところで、ようやくたどり着きました第5話。(ここまでのお話は、[第1話] [第2話] [第3話] [第4話] でご覧ください。)

この回と、次の第6回は破壊力抜群、私はひそかに「インドラ神の回」と呼んでます(まあそれも、20番台を見るまでだったけど…)。

第6回は話の流れ上、しょうがないとは思いますが、第5話の方は話の流れがそもそも破壊的。私が監督だったら、この脚本は絶対ダメだしすると思う。

でも、このままオンエアされたってことは、特に問題にはならなかった、というか、ストーリーの進行上必要だということなんでしょうね。私は未だに納得がいかないけど…。

第5話のあらすじ

丹州城〈たんしゅうじょう〉に囚われた義兄弟、斛律須達〈こくりつ しゅだつ〉の奪回に成功した蘭陵王=高長恭〈こう ちょうきょう〉=四爺(スーイエ)一行ですが、城門は閉ざされ、城外へ出ることができません。見回りにきた敵将・尉遅迥〈うっち けい〉将軍が、物陰に隠れて機をうかがう彼らの目前に近づいたとき、城内の食糧庫が爆発、将軍は現場へと急ぎ、単身、火樹銀花〈かじゅぎんか;爆発物〉を仕掛けて回っていた楊雪舞〈よう せつぶ〉を捕えます。

一方、雪舞に託された火薬で城門を爆破し、脱出に成功した四爺一行でしたが、落ち合う時刻になっても雪舞が現れません。城内へ探しに戻ろうとする四爺を、段韶〈だん しょう〉太師と安徳王=高延宗〈こう えんそう〉=五爺〈ウーイエ〉が諌めますが…。


前回、丹州城がどこにあるか分からないと書きましたが、現代の中国では、さすがに街単位ではないものの、街路名になると、なぜか、ある都市の中に別の都市の名前をつけた道がたくさん存在します。

たとえば、北京の目抜き通りは「長安街」だし、上海の目抜き通りは「南京路」です。私は長いこと、森川久美先生の傑作マンガ『南京路(ロード)に花吹雪』(→こんな本)の舞台は南京だと勘違いしており、大変恥ずかしい思いをしました…。

そうだ、女に見まごう絶世の美青年というのは、『南京路…』の主人公、黄子満(ワン・ツーマン)のような人のことを言うんじゃない?

えぇ、おっほん、なんでこんな紛らわしいことをするのか知りたいな、と思っていたら、やっぱり不思議に思った人がいたらしく、ネットで代わりに聞いてくれているので、その答えをご紹介しましょう。以下は検索サイト「Baidu」に載っていた回答ですが、似た話を聞いたことがあるので、恐らく正しいのではないかと思います。(原文は中国語。訳はてきとー)

Q:上海の繁華街にある道には、なぜ中国の他の都市の名前がついているのですか?

A:イギリス租界では当初、道の名前の付け方に決まりはありませんでした。1862年、(アメリカとイギリスによる)共同租界となるときに、双方の意見を調整して、南北方向の道は中国各地の省名を、東西方向の道には都市名を付ける、という原則を定めました。

行政官たちは、自らに巨大な利益をもたらしてくれた「南京条約」を記念して、もともと派克弄(パークレーン)だった道を「南京路」と命名しました。


当時の上海は欧米列強の支配下にあったため、道の名前も彼らが付けたんですね。植民地になってない都市でも同様なのは、このやり方に倣ったからなのでしょうか…。

それはさておき、たぶん丹州にある丹州城内(ちなみに“城”とは、前にも書きましたが「町」のことです)。尉遅迥将軍は、食糧庫に火をつけた賊の捜索中です。

籠城戦に備えて備蓄してあるので、食糧庫は街の生命線。当然警戒は厳重なはずですが、兵士らは、虎の化け物が出たと言って逃げ回っています。しかしそこは尉遅迥将軍、

「じかに確かめようぞ。かような真似をするのは、いかなる命知らずだ」
“本將軍倒要看看 是哪個不怕死的 吃了熊心豹子膽”

とおっしゃっておられます。ここで“倒”と言っているのは、「皆が逃げているのとは逆に」自分は見てみたい、という意味です。

後ろの言葉は直訳すると、死を恐れないどのような輩が、熊の心臓や豹の胆嚢を食べたものか、ということですが、非常に大胆な事をする、という意味です。“大膽”(大胆)というのは中国語でも言いますが、胆嚢が度胸を司ってると考えたのでしょうか…?

中国語にはこの手の「○心○胆」というパターンの成語がたくさんありますが(テストにもきっとよく出るであろう)、“琴心劍膽”(繊細な心と大胆さを兼ね備えている)“提心吊膽”(びくびくしている)というのはよく使います。

前の言葉はいかにも武侠小説っぽいですよね。

で、命知らずを捕まえてみればそれは小娘。ひと目で高長恭のヨメと見てとるとは、さすがは将軍、見回りの兵士とは格が違います。

一方、厳重に閉ざされた城門を開けるため、段韶は雪舞から預かった火薬の包みを四爺に渡します。城門に仕掛けて3つを混ぜなければならないので、ここでは矢に括り付けて城門まで飛ばすという作戦。

このとき、四爺は城門の正面から3回、矢を射ますが、替えの矢を持ってないのになぜそんなことが出来るんだとNG集でツッコまれていましたね。

それより、見た感じ4cm四方くらいの紙包みなのに、3回射て3回とも命中させるとは、さすがは斉の“戰神”。きっと弓の教え方も上手かったことでしょう。

彼が弓術を教えた斉の皇太子・高緯(こう い)は、城門の上から弓を射て、見事、二矢とも、思ったところに命中させてます。何てこった…(泣)

さて、雪舞がここで段韶に託したのは火薬ですが、かなり後の方の回で、お世話になった家の人に、マッチを作るシーンも出てきます。

史実でも、マッチは斉の宮女が発明したという説があるので、ご覧いただきましょう。

周の建徳6(577)年(蘭陵王が亡くなって2年後。この年、周の皇帝・宇文邕(うぶん よう)は斉を攻略したが、病を得て撤兵した)、斉は戦のため、物資が非常に乏しく、妃たちも困窮していた。

そのとき、宮女のひとりが松の木を紙のように薄く削って硫黄に付け、火種を作る方法を思いつき、“発燭”という名前で呼び、これを売って生計の足しにした。

(《輟耕録》てっこうろく/《資治通鑑》しじつがん;訳はてきとー)

斉には本当に雪舞みたいな賢い女性がいたんですね。

肝心の雪舞の方は、おおっ、やっぱり寒中水泳をして鍛えて…じゃなく、お堀に臨んだ高殿から、尉遅迥に逆さ吊りにされてます。息が出来ないとかいう問題の前に、できればこの池には落ちたくないものです。

たまにはお堀の掃除くらいしないと、詰まって困ることになるかもよ、と視聴者が心配していると、何だか外が騒がしい。尉遅迥は、おや?掃除の人が来たかな? という顔をしてますが、特に何の計略も仕掛けてないようだし、まさか彼女を奪回にくるとは思ってなかったのでしょうか。

つーか、蘭陵王以外は誰もこの展開を予想してなかったんでしょうね。

第一、丹州城だって狭くはないのに、なんですぐ居場所が分かったんでしょう。やっぱりあの玉佩〈ぎょくはい〉に何か仕掛けが…? と思う間もなく、

“殺一個手無寸鐵的女子 算什麼好漢!”
(手に寸鉄も持たぬ=武器も持ってない女子を殺すなど それでも男か !)

と、階段をすんごい勢いで上がってくる人が!

寸鉄どころか爆弾持ってるなんてヤバすぎる(悪い意味で)…という尉遅迥の抗議なんか、聞いちゃ〜いね〜四爺ですが、、事情を知らない尉遅迥からしたら、ヨメ(ま、本当のヨメとは思ってないでしょうが)に危険な任務を押し付けてるお前には言われたくない、と思ったに違いありません。

中国には、“不到長城非好漢”(万里の長城に行きつかなければ、立派な男とは言えない)という言葉があって、北京案内とかにありがちな宣伝文句として書いてありますが、時代劇とかで“好漢”といえば、「英雄」って意味のときもあるけど、《水滸伝》でも分かる通り、たいていは盗賊とか野盗の類。

盗賊に、面と向かって盗賊とか言ったら殺されちゃいますもんね。“好漢”って言って、ヨイショしとかないと。

で、こちらの好漢は、画面で見る限りでは、少なくとも20人はメッタ斬りにして駆け上がってくるのですが(あ〜怖)、そのとき、吹き替えでも原語版でも、
ふにゃ〜っ!

と言ってるように聞こえるんだけど、気のせいかしら? 

中国武術をやってる人に聞いたところ、一気に爆発的な力を出すのを“發力”といい、この時の呼吸法が拳法によっていろいろあるらしい。

ブルース・リーのいわゆる「怪鳥音」「アチョーッ!」っていうやつ)とかがその例なのですが、さすがに、「ふにゃ〜っ!」って言うのは聞いたことない、と証言してくれました。

そりゃそうでしょう、私も初耳です。

笑って力が抜けちゃったのか、尉遅迥はかなり劣勢。

四爺はここで何度か切りつけて、特にトドメは指しませんが、なぜここまで来て見逃しちゃうの? 私なら袈裟がけに…と思うけど、須達を法に則って処刑しようとしたように、たぶん、戦闘中でもないのに、敵の将軍を勝手に斬り殺したりしちゃいけないんでしょうかね。本当のところはよく分かりませんが…。

四爺の方は、お堀に落とされた雪舞を追って、あの汚い水の中へ飛び込みます。お堀は外までつながってるんですね、さっき、お城を出るのはあんなに大変だったのに、今度はずいぶんあっさり逃げて来られたけど…。もう警戒を解いちゃってたのでしょうか。

ここで雪舞に、
“蘭陵王 你怎麼回來”(蘭陵王、なぜ戻ってきたの?)

と聞かれて、いちいち直訳すると、

“我在女媧面前發過誓,收了你的襟帶 我要保護你的 難道你忘了嗎?”
(女媧神の前で誓いを立てたし、あなたの帯も受け取った。
 私はあなたを守らなければ。よもやあなたは、それを忘れた訳ではないでしょう?)


とは言ってるけど、ここで、なぜ蘭陵王と分かった?とは聞いてませんよね。

段太師たちは、出来れば本当の身分は伏せておきたかったようなので、彼らが雪舞に話した可能性はあまり高くない。とすれば、高長恭の名を記した玉佩から分かったのだと推測したということでしょう。

玉佩が通行証代わりになるという話は寡聞にして知らないのですが、っていうか、そもそもこんな迷子札みたいに持ち主の名前が彫られている玉佩も見たことないのですが、このドラマの第7話で、皇帝の装身具(ここでは“長命鎖”)を示して謁見を願い出るシーンがあります。

玉佩ではないのですが、第3話では宿屋夫婦に武官の印を見せるシーンがありましたし、歴史上も、皇帝の使者の印として各種の“牌子”がありました。また、たとえば、“兵符”という割符のようなものがあり、命令が確かに皇帝からのものであることを伝える仕組みを担っていたのです。なので、視聴者としては、まあそんなものだろうと勝手に納得して見とけばよいのでしょう。

その後、壺口関に戻る途中で、
“雪舞姑娘,離開丹州城後 為什麼還要回來”
(雪舞どの、丹州城を離れてから、なぜまた戻って来られた?)

と聞いているのは、城門を出た後に玉佩の文字に気が付いたはずと思っているからでしょう。
(さもなきゃ、速く走らせようと、手形がつくほど馬のお尻を強く叩く理由もないし)

雪舞もなぜ分かったかは当然察しがついていると思ったのか、「あなたが蘭陵王だと分かったからよ」とだけ答えています。

ああ、でも雪舞、四爺が聞きたかったのはそんなことじゃないと思うわ、と気を揉む視聴者の心の叫びが聞こえたのか、雪舞はいきなり、「直接伝えたい“忠告”がある」と切り出す。

言われて四爺は、またいちいち直訳すると、
“如果雪舞姑娘若不嫌棄的話,明晚能否與長恭一起用膳 我們可以慢慢說”
(もし雪舞どのがお嫌でなければ、明日の晩、長恭と夕餉をご一緒することはできませんか、そうすればゆっくり話すことができるでしょう)
と言います。

ご覧ください、このものすごーーーく丁寧な物言いを。

「もしもお嫌でなければ」の“如果〜的話”のif節、「私と食事をすることが出来るかどうか」“能否”could you 〜could not?の疑問節を使ってます。

英語でもそうですが、これは人に物を頼むときの、ほどんど最大級の丁寧表現です。…が、言い方はともかく、後で書く通り、この場でこの発言は、ちょっと頂けないと思う。

それはさておき、こうまでしてお誘いするディナーとは一体…?

さて、壺口関についてみれば、やっと救い出した須達は虫の息。その有様を見て雪舞は、

“頭一後悔沒有好好兒學醫”
(きちんと医術を学ばなかった事を、初めて後悔した)

と言っていますが、ちゃんと勉強しないために後悔するのは医術だけじゃありません。この後数回分のうちに雪舞には、「料理」「裁縫」「人を見る目」等々、おばあ様の教えを守らず、身に付けなかったばかりに後悔することが山ほど待ってます。

続けて、
“但我就算留在這兒 見蘭陵王一面 也不能洩露他的命運啊”
(だけど、ここに留まって蘭陵王に会うと言っても、彼に運命を教える訳にはいかない)
と言っています。私はどうもここが良く分からないのですが、話したらダメと言われていたんでしたっけ。とりあえず、ドラマの中ではそういう箇所はなかったように思うのですが…。

第2話で雪舞は、“天機不可洩漏”(天の秘密は漏らしてはならない)と言っていますが、これは普通に慣用句であって(時が来るまで話せない、という意味)、そういうタブーが設定されているようにも思えません。

なぜって、雪舞はこう思い込んでいるらしいのに、もう一つの予言、すなわち、蘭陵王は鄭氏という女性を妃に娶るという方については、次のシーンでいとも簡単に本人にしゃべってしまうからです。どうにも解せない…。

そんなことを追及してる間に、楊士深が呼びに来ます。

その時は明るかったのに、席につくころには日が暮れている。
食事をしてるところは、一体どこなのでしょうか。

12月だというのにハスの葉は枯れてないし、背後に桜だか梅だか咲いているし、お皿の上には百合の花。ひょっとして、これはどちらかの夢の中なのか、あるいは周の麗正殿のように、南半球に存在してる場所なのでしょうか。

だってそうでしょう、陣地の中にこんな場所あるはずないし、
第一、義兄弟が危ないっていうのに、ハス池の真ん中で優雅に食事をしてるなんて、人としてありえない。

もし私が斉の兵卒だったとしたら、こんな時にデートしてる将校について行くなんて、絶対嫌ですね。

まだ第5話だというのに、ここでキャラを破壊してどうする?!

蘭陵王のこれまでの言動からして、ここのシーンは本当に納得いかないし、むしろない方が話が分かりやすいと思う。

何とか成り立ちそうな解釈としては、コメントいただいてなるほどと思いましたけど、これは五爺の演出という線。それはありかもしれません。四爺、すごく居心地悪そうだもん。

五爺は、このままだと兄上は絶対ヨメをもらわないだろうと見て取って、気を利かせて無理やりセッティングしたのでしょうか。

ま、先ほど四爺は「ゆっくり話をしましょう発言」をしていたので、雪舞の話は聞くつもりだったのでしょうが、はっきり言って私は、斛律須達の安否が危ぶまれる場面でああいう態度なのも、かなり四爺らしくないと思いました。

ともかく、一視聴者の分際で監督に逆らってもしょうがないので、ここはおとなしく話についていってみることにしましょう。

さて、夕食会場は風が強かったのか、それともさんざん待たされたせいか、あるいは兵士に見つからないように陣地からものすごく遠い場所だからか、ロウソクのロウが溶け出してスゴイことになってます。しかもロウソクの色が赤い…。

覚えてらっしゃいますか、は何の色か。華燭の典赤いロウソクを灯すお祝い)という言葉があるように、婚礼の象徴です。

追記:アップロードしてから気が付きましたが、斉の陣営ではロウソクの色は全部赤なんですね(ナショナルカラーだからか、カルフールでまとめ買いしたからでしょうか)。失礼しました…。でも、婚礼のとき赤いロウソクを灯すというのは本当です。

一方で池の中には“蓮花燈”が浮かんでいます。ここでは極楽浄土の演出っぽいのですが、本来は日本の灯篭流しと一緒で、死者を弔うためのもの。この状況下では不吉な飾り付けです。

さて、ようやく雪舞がやってくると、かなり緊張して待ってたらしい四爺は、入り口側の席に座るように促します。

こらこら、客を下座に座らすか?!(ま、四爺が入り口の方に座っちゃったら、雪舞は逃げ場がなくなるからいいのか(?))

壺口関についてこれが2日目なので、何か食べさせてはもらったんだろうけど、南汾州城からあまりきちんと食事はしてないだろうと思われるすきっ腹の雪舞に向かって、四爺は“敬酒”をすると言いだす。

“敬酒”というのは、今でも宴会なんかではホストがゲストにする儀礼です。時代劇なんかでは将が部下をねぎらったり、祝杯を挙げたり、お世話になった方にお礼としてお酒を勧めます。

これが“敬三杯”となると、伝統劇で夫君に捧げたりする例も思い出されますが、私は“謎語”(なぞなぞ)を思い出しちゃいます。

“喝完三杯酒”(三杯の酒を飲み終える)ってな〜んだ。四字熟語で答えてください(^_^)

謎の答えは、“一乾二淨”(一掃する、まっさらにする)

この言葉は、エンディングの歌詞の最初の一言目ですね。
歌詞で言ってる意味は、さまざまな感情を一度真っ新にする、ということ。

話を戻すと、四爺は武将だから、部下をねぎらうときのつもりでやってるのかも知れないけど、ついつい、前回も紹介しました婚礼の時の儀式“分杯帳裡”)を思い出しちゃいますね。

思わせぶりなお膳立てをしつらえて、何を言い出すのかと思えば、一杯目は、危険を顧みず 「須達を共に助け出してくれたこと」への感謝の言葉。

ここで雪舞が、流星に願い事をするというシーンがありますが、そういう習慣、昔からあったのでしょうか。

諸葛孔明が陣地で没したときに、流星だか彗星だかが落ちて、司馬仲達〈しば ちゅうたつ〉がそれと察したという『三国志演義』にあるように、昔の中国で流れ星といえば、たいていは凶兆じゃないかと思いますが…。ま、中国って言っても広うござんすからね(なげやり)。

四爺の方はすでに須達のことはもう無理だと悟っている様子で、勝手に回想モードに入っておられます。

ここで、突然、ジャイアンとスネ夫が登場して囃し立ててます。

「高長恭 高長恭 いつも母様探してる 母様探して泣いている」

ここ、原語では
“高長恭 沒有娘 送進宮 傻傻望著 一場空”
恭、宮、空がgong gong kongで韻を踏んでます。ちなみに“娘”(ニャン)とは「お母さん」のことです。
中国語ラップ、面白いので中国語音声にして聞いてみてください...なんて、いじめに加担しちゃダメですよね。家宝(?)のファー付き冠をかぶった小須達も怒ってます。

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ここで、“大王子、二王子”と怒られているのは誰なんでしょう。

直接のお兄様方とすると、河南王 高孝瑜〈こう こうゆ〉と広寧王 高孝珩〈こう こうこう〉ということになりますね。ただ、お父さんの高澄〈こう ちょう〉が若くして亡くなったので、四爺が母親の元から宮廷に引き取られた後に、兄弟と同じお屋敷で育てられたのかどうか分かりません。しかも、あとでドラマでも出てくる通り、兄弟全員、母親が違います(だから、お母さんのことを言っていじめているんですね)。

なお、安徳王(五爺)の伝記を読むと、彼は叔父の高洋(文宣帝)に可愛がられたということなので、そのお屋敷にいたとすると、ここに居た大王子と二王子は、高洋の息子である、長男の高殷と二男の高紹徳という事になるんでしょうか。親族が多いと名前を覚えるのも大変です。
 
それはさておき、母親は取り上げられ、(誰かはわかんないけど)お兄様方にはいじめられ、話し相手はウサギだけ…。

はて、どこかにいましたよね。似たような感じの人が。話し相手はカエルだったけど。

ともあれ、四爺は、流れ星にお願いしようと立ちあがった雪舞が座るまで、全く視線を外しません。

いよいよ何か言うかと、思わず見守ってしまう、問題の二杯目。

ここからは、言ってることと思ってることが真逆という、この2人の典型的な会話のパターンなので、セリフを読んでるだけでは真意がよく分かりません。

カメラワークが雄弁に語るシークエンスでもあるので、ここは画面と合わせて見てみましょう。

まず、四爺は杯を挙げて、
“長恭要謝謝雪舞姑娘”(長恭は雪舞どのに感謝します)
日本語は「命の危険を冒して」
でカメラが切り替わって目を伏せている雪舞が映る。

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“直生死于度外”(生命の危険を度外視して)と言われて目を上げる。
日本語は「花嫁になってくれた」
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日本語は、「心より感謝する」と言いますが、
中国語はいきなりここで、“與長恭假成親”(長恭と偽の婚儀を挙げてくれた)と言い、カメラは二杯目を飲み干す四爺を映します。
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“假成親”(偽の婚儀)と言われて、思わず雪舞は目を伏せてしまう。
日本語は無言の箇所なので、なぜ目を伏せるのかはよく分からない。
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そしてまた、目を上げる雪舞。
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するとカメラが四爺を映します 四爺はいったん目を伏せて、
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“成親之事”
「婚儀は全て」
と切り出すと、視線を上げて雪舞を見ます。
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「忘れてよい あれはただの芝居だ」 
日本語は大変上品に訳していますが、中国語の方は結構、単刀直入です。
“姑娘不必介意 你還是清白之身”
“還是”は「まだ」、“清白”は、ここでは「純潔」という意味です。
しかも中国語の方はずっと“姑娘”(お嬢さん)と呼んでいて、丁寧というか、少し距離を置いた感じを出しています。

ここで一瞬カメラが切り替わって、雪舞の表情を映します。
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四爺がすかさず、
“與長恭毫無關係”(長恭とは全く何の関係もありません)
日本語は、「私と君には何もない」(ここはさっきの中国語のニュアンスをさりげなく匂わせる上手い訳)
ときっぱり言うと(というか、自分を励ますように言うと)、
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雪舞は目を泳がせたあげく、
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注いであった酒を飲み干してしまう。
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文字通り「乾杯」してしまう雪舞を見て、四爺は、
“姑娘 不要喝那麼急”
(お嬢さん、そんなに慌てて飲んではいけない)

と言いますが、そんな心配もなんのその、
“四爺多慮了”(四爺、ご心配は要りません;もう目が座ってる)“我知道 這只是權宜之計” (単に計略だったなんて分かってるわ;とまたちょっと目が泳ぐ)
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四爺はもうほとんど涙目になっていて、思わず下を向いてしまう。 
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雪舞はため息をつくと、「そうだ」といって何かを取り出すしぐさをする。
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「そうだ」と言われた方は、顔を上げていますが、やっぱり涙目になっている。 
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カメラは雪舞に切り替わり、
“這玉佩看起來頗為珍貴”「この玉佩は貴重なものなのでしょう?」と言っていますが、手元は映しません。
四爺にカメラが切り変わって、
“還是還給四爺吧”「あなたにお返しするわ」 

ここで初めて手がアップになります。
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“不用 贈與之物 哪有退回之理”
(その必要はありません。贈ったものを返すなんて、そんな道理があるものですか)
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でここで、目が座ってる雪舞が映る。四爺は続けて、
“這玉佩 雪舞姑娘留著 改日來齊國 出示這玉佩”
(この玉佩は、雪舞どのが持っていてください。この先 斉に来たときに この玉佩を示せば)
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とここで玉佩がアップになって
“自然能找到長恭”
(自ずと長恭を探し出すことができるでしょう)
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言われた雪舞は目を上げて、首を振ると、また目を伏せてしまう。
“我不回來了 為什麼要回來”
(私はもう戻らないわ どうして戻って来なくちゃいけないの)
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で、ここでカメラが切り替わって、四爺がさらに下を向いてしまう。
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そこへ、もうかなり酔っぱらっているっぽい雪舞が畳み掛けて
“奶奶說,在你的未來,有姓鄭的姑娘等著四爺 不是我”
(おばあ様は言ったもの あなたの未来には鄭という苗字の女性が待っているって。私じゃないの)
と言いながら、手酌でまた一杯ついでいる。
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四爺は目を伏せていて、つと顔を上げると、
“奶奶說的話很靈驗的”(おばあ様の言葉は霊験あらたかなのよ) 
と,雪舞が痛飲しております。

斉の国の、この時代の食材や料理について紹介した本に《斉民要術》というのがあります。先の回でこの本自体も登場しますので、そのときご紹介するとして、本によると当時、もうかなり強いお酒があったみたいで、雄山閣の本から訳をお借りすると、

「三升も飲めば、深酔いをし、水をかけてやらないとかならず死ぬ」(ウルチキビ酒)
「多く飲めば人を殺すことになりかねない。少なければ、酔死とはいわれず、毒殺と疑われる。よほど酒量を節し、軽々しく飲んではならない」(モチキビ酒)


とか、恐ろしいこと書いてございます。

そんな恐ろしいものをぐい飲みしちゃう雪舞。

ようやく我に返ったのか四爺が側に寄ると、似たような話を繰り返して酔いつぶれてしまいます。

ここで四爺が“你看你”と言います。あなた自身を見てごらん、というような意味ですが、相手がやったことに対して、何てこった、というときに言います。ここの訳「まいったな…」は上手いですね。

結局、三杯目を本人には言えずじまいだった四爺ですが、実際のところ、雪舞が起きて聞いてたとしても、事態は何ら変わらなかったと思われます。なんて恐ろしい呪いがかかっているのでしょうか…。

そして、四爺にとって、ここまで延々ご紹介してきたこのシーンの意味を一言でいえば、

それは、


ふられた。



ってことです。

...とでも五爺に言ったのでしょうか、
翌朝には、四爺は姿を現しません。

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たぶん自分が村から持ってきた?タオル(忘れた方は第2話を見なおしてみましょう!)を前に二日酔いの雪舞はぼおっととしていますが、手首にはしっかり玉佩がかかっていて、着替えをもってきた五爺が見てないはずはない。

しかも、「ふられた」にしては、雪舞が四爺に会いたがっているのが、せっかくキャンドル・ディナーを演出した(のか?)五爺としては釈然としなかったことでしょう。

五爺はこの玉佩の特別な意味を知っています。しかし、この段階では視聴者は(雪舞も)そこまでは知りません。

なので、ここでは特別な意味の方は除外して、一般的に言って玉佩とは何か、考えてみることにしましょう。

愛情の印として相手に贈る、自分の身の周りの品のことを“定情物”と言います。ポピュラーなのは指輪やイヤリング、櫛、香袋、かんざしなど、直接身に着けているものです。

装飾品の他に、相手の髪の毛をひと房持っている(これは、尉遅迥将軍にもらった、夫婦2人の髪をまとめた“結髮”とは違います)、というのもありますが、何となく想像はつくかと思いますけど、髪の毛だと、形見の品に近い、滅多に逢えない相手のものということが多いです。遠くへ行ってしまう人、不倫の相手、などなど…

で、玉佩ですが、「佩」(おびる)という字が示す通り、飾りとして身に着けているもので、君子の徳を表すとされていました。五爺は剣につけてるし、こんな“衣冠禽獣”(人間の服を着たケダモノ)まで、ちゃんと下げております。

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(腰帯から下げている、オレンジの輪っかみたいなものが玉佩です)

玉佩は、かなり時代が下るまでは高価な装飾品で、婚約の品として贈られることもあったし、男性がいつも身に着けている品なので、“定情物”の定番で、詩にも詠われています。

三国時代、繁欽の「定情詩」は、ひとめ惚れした相手に恋の印を贈る、という内容の長い詩で、いろいろな“定情物”が出てきますが、その中の一節。

何以結恩情 美玉綴羅纓 何を以てか恩情を結ばん 美玉(びぎょく) 羅纓(らえい)に綴る

「恩情を結ぶ」というのは、愛情を確かにするということ。
ここの「美玉」玉佩を指すと思われます(美の字を佩にしている本もあるので)。

羅纓というのは色糸で作った組みひもみたいなもので、女性が身に着けるもの。

ちなみに日本の本には、これを、冠のひも、と解釈しているものもあります(纓には「帽子のひも」という意味もある)。そうだとすると、玉は女性が身に着けているもので、それを男性が冠のひもに通している、ということになりますが、私は、この詩の場合に限って言えば、ひもは女性のもので、玉は男性のものだと思います。

この詩は女性の心を詠んでいますので、全体の意味としては「自分の帯に愛しい人の玉佩を結わえつけることで、愛情の印にする」ということだと思います。

女性に玉佩を贈る、ということはそれだけで、“定情物”を渡してる=愛を告白してる、と受け取られてしまうかもしれない。だから、四爺は丹州城で玉佩を雪舞に渡したとき、わざわざ「これを旅費に換えて」と言ってるわけです。

え、なんで? 好きならそう言ったらいいじゃない?と思いますよね。
なぜ四爺は、あんなことを言ったのでしょうか。

このドラマはいちおうラブ・ストーリーなので(ですよね?)、このとき四爺がどう思ってたかなんて書くのは野暮な話で、観た方それぞれが好きなように受け取ればいいと思っているのですが、コメントもいろいろ頂きましたし、観た方それぞれのお考えを聞くのも楽しいと思いますので、あくまでも、この時点まで分かっていることを下敷きに、以下に自分の推測を書きますね。(“拋磚引玉”(レンガを投げて、玉を引き寄せる)ってヤツですね。)

「旅費にして」と言ってる理由の一つは、やはりその場で、玉佩に刻まれた名前を見られないためでしょう。
路銀代わりといえばじっくり見たりはしないでしょうから。

現にこの後、五爺がこれは路銀といって袋をわたしてますけど、雪舞は受け取った後、特段中味を改めたりはしてませんよね。これを仮に「兄上から君に」みたいなこと言って渡したとすれば、当然、注意して見ることでしょう。

彼女はあんなに蘭陵王に会いたがっていたのだから、玉佩に刻まれた名前を見れば、きっと訪ねてくるでしょう。でも、それはここ、丹州城を無事に脱出した後の話です。だからその場では悟られてはいけないと思っている、というのが一つ。

もう一つの理由は、雪舞に負担をかけたくなかったから。

ここまでの話でも分かるように、誰かの恩義を受けるということは、大変なことです。何とかして返さなくちゃいけない。

禁を破って助けてくれたのなら、何も置いていくなと言われても、せめて帯には飾りをつけてあげる。偽の花嫁になって助けてくれたのなら、ネッシーが棲息してそうなお堀に飛び込んででも助けてあげる。

どうしても返せなければ、この後すぐに登場する、さる高貴なお方のように「仇」で返す、ってウルトラCもありますけど。

ただでさえ玉は高価なものなのだから、おいそれとは受け取れないでしょう。だから、ここまでの御礼ですから気にしないで受け取ってください、食べ物や宿代に換えていただいて構わない、つまらないものなので、と言ってる、ということですね。

そして、もう一つの理由は、すでに第4話で語っています。

“雪舞姑娘 並非一般人 如果讓人知道她的真正身份 恐怕要天下大亂”
(雪舞どのは普通の娘ではない。もし本当の身分が人に知られれば、おそらく天下は大混乱に陥るだろう)

それを聞いて五爺は、ま〜たまた兄上がヘンな言い訳してるよ、という顔をしていますが、蘭陵王にとっては冗談ごとじゃありません。

得天女者 得天下(天女を得た者が天下を得る)とは、このドラマの中の大事な決まり事で、皆が知っているし、多くの人が信じています。

雪舞は行く先々でリケジョの才能を発揮して、科学の力で奇跡を起こし、「天女さま」と崇められますが、そういう評判は、単なる噂レベル。

しかし、四爺は第2話ですでに、雪舞の出身地の村娘が彼女を「巫族の天女」と言うのを聞いています。

彼は敬虔ではあっても君子であり、孔子さま言うところの「怪力乱神を語らず」(理性で説明できないことには首を突っ込まない)というタイプかと思われますので、天女を味方につければ天下が統一できるなんて、信じているとは思えません。

しかし、人から“戰神”(軍神)と呼ばれ、また軍を統率する身として、人の噂の怖さは思い知っていることでしょう。

「天女を得る者は天下を得る」と皆が信じているとすれば、楊雪舞を巡って争いが起きるかも知れないし、臣下の分際で思い上がっていると揉めるのは必至です。自分はともかく、彼女をそんなことに巻き込みたくないと思うのは、蘭陵王の性格からすれば当然でしょう。

このあたりは、ドラマのテーマに関係してくると私は思っているし、もう少し先に行くと、さらにはっきりするので、またその時にゆっくりお話ししましょう。

ともあれ、天下が乱れるもとになるのならば民草の生活にかかわりますから、個人の感情は、彼の価値観の中では優先順位の下位に置かれているのでしょう。

というわけで、彼は一貫して、雪舞からは一歩身を引く態度をとっているものと思われます。

第1話で彼は壺口関から白山村の近くにやってきて、偶然に雪舞と会います。そのときも、玉佩はきっと持っていたでしょう。第3話では作戦のために変装して丹州城に向かったのに玉佩を持っていたほどですから、療養の折に、いつも身に着けているものを外す特段の理由も見当たりません。

白山村で雪舞に会ったとき、彼女が普通の娘だったら、二度とは会えない相手だったとしても、ひょっとして、何か理由をつけて別れ際に彼女に玉佩を渡していたかも知れない。しかし、四爺はそうしませんでした。
いちおう、おばあ様には何も残すな、彼女の事は忘れろと言われているんだし、何よりも、ここで自分の身分を明かすことはできないと思ったのでしょう。玉佩を渡してしまえば、名前が書いてあるだけに、雪舞は外の世界へ彼を探しに来るかもしれない。それは望ましくありません。

そこで代わりに、雪舞が作った帯に飾りをつけてあげる。きれいだから雪舞は喜ぶだろうし、帯は誰かに渡すでしょうから、雪舞に直接残したわけじゃない。でも、雪舞が結婚する人にあげるのだから、彼女の側にはいつもある、秘かな“定情物”のようなものだとも取れる。

特別な帯になる、というのはあなた(雪舞)にとって、でもあり、四爺にとって、でもある。切ないですね…。

追記:なぜ、四爺がこの段階で彼女に玉佩を渡していたかも知れない(つまり、最愛の人であると思い定めたかも知れない)と思ったか、根拠を書いてませんでしたね…。

第4話で雪舞が花嫁衣裳を着て降りてきたときに、つまずいた彼女を支えて、そのままじっと見つめているというシーンがありました。五爺はそれを見て、「兄上が女性をずっと眺めてるなんて珍しいな」と言って冷やかしていますが、実は、五爺が知らないだけで、第1話の時点からすでに、四爺はかなり長いこと、じっと雪舞を見つめています。

珍獣を見る目つき(笑)なのかもしれませんが、その夜にずっと雪舞の手を取ってたことを思い出してください。後に鄭児(ていじ)に「お高く止まって、品行方正でいらっしゃること」と鼻で嗤われた四爺が、あるいは、ここまで出てきたシーンでいえば温泉でのぼせた雪舞に上着をかけてあげたときに、「男女の間のことで誤解されるといけないから上着をかけただけ」とわざわざ言ってる四爺が、滅多なことじゃそんなことしないと思います…。



さて、2回目に会ったときには、第4話の別れ際に玉佩を渡しています。

その前の第3話で雪舞に、御礼として出来る限りのことをする、と言い、蘭陵王に会わせよう、と約束しますね。

実はこの時点で、彼はもう、玉佩を彼女に渡すつもりだったのだと思います。この時は、雪舞は自分から外へ出てきたのだから、禁は解けたと思ったにしてもそれほどおかしくありません。

彼女は玉佩に刻まれた名を見れば絶対訪ねてくるから、ずっと先にはなるだろうけど、約束は必ず履行されると、彼には確信があったのでしょう。

それでも彼は、彼女が善良だから助けてくれるんだと、雪舞自身に言い、自分に言い聞かせている。

五爺なんてこなれた人だから、兄上が酔っ払いのふりまでして彼に、「雪舞どのは義に篤い人で…」と説明したり、花嫁衣裳を着た彼女にわざわざ御礼を言ったりしてるのなんて、フェイクだととっくに見破ってます。

婚礼の行列が出発するときに、どうせ好きなんでしょう、本当に結婚したら?と聞いてますもんね。

でも、思い出してください。別れる直前に四爺は、さりげなく帯を雪舞に返してますよね。誰か良い人に渡して、というような事まで言う。このとき、帯に飾りがついてないとすると、回収したんですよね。なぜ?

それは、この時点でも四爺はまだ、村に帰った方が彼女にとっては幸せだと思っているということだと思います。天女の身分で外の世界に出れば、どんな危ない目に遭うかわからない。すでに、尉遅迥に死にそうな目に遭わされていたのですから。

やっぱり彼女は村へ帰さなければいけないし、そうだとすると帯は返さなければいけない。だって、雪舞を返すのは、彼女を村の男と結婚させて、幸せに暮らしてもらうためなんだから。

代わりに、自分の方では、本人には言わないけど、大事な玉佩を贈る。贈っただけの合理的な理由(蘭陵王に会わせるという約束を守るため)はあると、後で彼女も納得してくれるでしょう。そして彼女には帯を返して、帯につけた飾りは(回収していたとするならば)彼女からの“定情物”として受け取っておく。

人に贈ったものを、贈り主に突き返す道理はないんですよね? ですけど、自分で回収するなら、その限りじゃないですからね。

…ちょっと憶測が入ってしまいましたが、私の解釈はそういうことです。

だから、壺口関に行くときに、四爺が何か期待してるような素振りなのは本当に解せないんですけど、ここはきっとどなたかが納得のいく説明をしてくださるとして、

じゃ、あのキャンドル・ディナーのシーンは一体何だったんでしょう。

一杯目は普通に御礼のため
二杯目は思いっきり突き放しておいて、
三杯目は突然、(本人は聞いてないけど)いかに相手が素晴らしく、そんな人に会えたことは天の恵みだというようなことを言う…。

結局、何が言いたいの?

ツンデレか?

ツンデレなのか?!



私の解釈はこうです。

一杯目は、義理堅い人としては当然の行動ですよね。

二杯目は、雪舞に何か後戻りできなくなるようなことを言われる前に、自分は何とも思ってないし、あなたには他の人と結婚する資格が十分にあります、と先手を打って言う必要があった。

村に留まるのが彼女にとって幸せなのだとしたら、村の男性と結婚してもらわなくちゃいけませんからね。

そう、彼は身を引くつもりだった、雪舞の相手が村人である限りは…。

この二杯目を切り出すときに、四爺に大変な葛藤があったと思うのは、言う前に、じっと雪舞を見ているからです。

いくら雪舞が優しい人だと言ったって、好きでもない人を命がけで助けるとは、さすがの四爺も思ってないでしょう。でも彼女のためには、本心を偽ってでも、ここで突き放したことを言う必要があった。

お堀で雪舞を助けたときに、なぜ戻ってきたの、と聞かれて、

“我在女媧娘娘面前起過誓 收了你的襟帶 我要保護你的。 難道你忘了嗎?”
(女媧様の前で誓いを立てたし、帯も受け取ったのだから、あなたを守らなければ。まさか忘れたわけではないでしょう?)

と言ってますね。

もう少しで彼女は殺されるとこだった。何とか助けるのが間に合ったとき彼が言えた、これがギリギリのラインだったのかと思われます。

じゃ、三杯目は一体何なんでしょう。

以下も全くの憶測ですけど、
二杯目を何とか言いきって、雪舞が納得したとしても、やっぱり自分を好きになる人なんて誰もいないのだと彼女に思わせて、せっかくつけた自信を失わせることがないように。

そして、さらに言えば、彼としては、彼女が前に言った通りの太平の世の中になったら、訪ねに来てほしいという気持ちもあったのかと思います。天の計らいで会えたのだから、縁があればまた会えるでしょう、という意味なのでしょう(まさか、もう会いには来ない、と言われるとは想定外だったでしょうね…)。

世の中にはいろいろな優しさがあると思いますけど、心に沁みる優しさですよね。
雪舞が聞いてないのが、本当に残念です。

ということで、キャンドル・ディナーのシーンはちゃんと意味があったのですが(監督すみませんでした)、やっぱりこのシーン、座りの悪いのは否めない気がします。

五爺としては困っちゃいますよね。せっかく上手くいくかと思っていたら、兄上は彼に見送り役をさせて理由もろくに言わない。

なぜちゃんと理由を言ってないと分かるかというと、この後、また似たようなシチュエーションがあって、四爺の方が五爺に「雪舞の予言」についてどう思うかと聞いているからです。

五爺が場をセッティングしたなら、当然、なぜ今朝になって会わないと言いだしたのか、理由を問いただすぐらいはするでしょう。どうせ、四爺はまた第4話と似たようなことを言って、その方が雪舞には幸せなはずだくらいは付け足したんでしょう。知らないけど。

実際のところ、ディナーのシーンには、四爺的にもう1つ隠れた意味があったんじゃないかな〜とも思いますが、それは玉佩の特別な意味がわかったところで、もう一度検討してみることにしましょう。

とにかく五爺は何て命令されたのかわかりませんが、雪舞に“盤纏”(路銀)を渡して、“希望你早日回到家鄉” (早く故郷に帰れますように)という、無責任なことを平気で言います。

まったく、「今後のご活躍をお祈り申し上げます」のお祈りメールよりひどい。

それに輪をかけて無責任な四爺は、自分がかつて周兵に追撃された道を、女ひとり徒歩で出ていく雪舞の背中を見つめて、日本語は「どうか幸せに」、中国語では、
“楊雪舞 願你一生平安”(あなたの一生が平安でありますように)
と言います。

ここで、相手のために思う一番大事なことが“平安”だ、というのが分かります。大事な伏線ですね…。

…って、こんなご時世で、ひとりで平安に、生きて村に帰れるとでも思ってるのでしょうか。

一生が平安どころか一秒後も危ないのに。あたりにはオオカミ男(@びちさん)、マングース周の皇帝などの魑魅魍魎が徘徊しているんですよ!

ときどき、本当にこの人どうかしていると思う事があるのですが、今がまさにそれです。昨晩の思いやりは流れ星と共にどっかに飛んで行ってしまったのか?!

それに、この手の無責任男、なんだか最近銀幕で見た気が…。

ひょっとしてあなた様の1400年後の子孫が例の、“不主动、不拒绝、不负责”(誘わない 拒まない 責任取らない)がモットーの蔣亮亮(ジャン リャンリャン)なのですか?!

このツケは、すぐ(8分後くらい?)に1400倍にはなって戻ってくるから、見てらっしゃい!!

と、視聴者が暴れ出すことを予測してか、さっとカメラは切り替わりまして、こちら周の宮殿。

尉遅迥将軍、お顔の傷が痛々しいわ…何もそんなところにサインして貰わなくたって…。
と、心配する視聴者をよそに、失踪した皇帝を、

“北起臨河 南至沅江”

までくまなく探した、とおっしゃってます。って、地名に間違いがなければ、この間は1090kmほどあるんですが…東京から札幌までの距離なんですけど。B5判の本の中のウォーリーだって簡単には見つからないのに、日本縦断サイズの場所で見つけようって方が無理なんじゃ…。

しかし、アシナ皇后は、「今回は蘭陵王を逃がしたけれど、今度会ったら私の分もサインもらってきて」…じゃなくて、「また捕まえる機会はあるでしょう」と、傷にグリグリと塩を塗り込む。いやはや、将軍も楽じゃありません。

一方、無事に南汾州城にたどり着いた雪舞。
いったい何日かかったんでしょうか。
ここで、タイムラインを見てみることにしましょう。

(1日目)昼間の壺口関で、五爺は明後日の昼に処刑があると言い、その日の夜に出発している。
ということは、
(2日目)馬で次の日の夜までに南汾州城につき、一泊    (南汾州城にて1泊) 
(3日目)翌朝、丹州城に着き、昼までに刑場に到着している。
                             (観光:丹州城の処刑場)
(4日目)その日のうちに丹州城を脱出して、おそらく同日夜のうちに壺口関。
                             (壺口関にて1泊)
(5日目)自由行動。ショッピングなどお楽しみください。  (壺口関にて1泊)
     (オプショナル:キャンドル・ディナー。添乗員がご一緒します)
(6日目)雪舞は2泊した翌朝に出発。

歩きだったので何日かかったか分かりませんが、夜に南汾州城に着いている。
壺口関から南汾州城まで、馬に乗って平均時速10kmくらいで進んで、8時間くらいで着くとすると80km。人間が時速3kmくらいで歩いたとして、27時間くらいですかね…?そうすると、休憩したりすれば4,5日はかかったかも知れません。

私にはどうにもこの位置関係がよく分からないのですが、壺口関から白山村に戻るのに、南汾州城を経由する必要があるんでしょうか。

それはさておき、途中に宿屋なんかもなさそうだから、疲れてやっと元来た汾州客捨に戻ったのに、そこには何とアダモちゃんが!(←古すぎる!)

今なら絶対ありえないであろうこのネタ、訳語でも当然いまは、“賤民村”なんて言葉は使えないので、吹き替えは「吹き溜まり」とか「貧しい村」とか呼んでます。

とにかく、またもや拾得物(今度は仮面から人に昇格)を拾い、「吹き溜まり」まで届けにいく、自称・私は良い人、またの名を学習しない女・楊雪舞。

親切にも、食べるものを買いに行ってあげるのですが、死にそうな割には、いっちょ前にリクエストもするのが、たかが拾得物のくせに実に図々しい行状であります。

お店の人には一発で、
「恩をで返されるぞ」
と見抜かれてますよね。

それでも村まで来てみると、なんとそこには韓暁冬(かん きょうとう)が。

ここで会ったが100年目。雪舞は台湾中国語全開で、暁冬をいびりにかかります。この2人がしゃべってるときは普通の話し言葉になっているので、突然現代にワープしたみたいです。

ってことは、100年目じゃなくて、1400年目か?

14倍かどうかはともかく、拾得物は彼によって、“阿怪”(アーグヮイ)と名付けられます。だいぶ先に、2人はまた会う事になるんですが、阿怪は名付け親の暁冬の事なんてすっかり忘れているらしい。帝王級の恩知らずっぷりです。

追記:この“阿怪”の“阿”って何なのか、ご質問をいただいたので書いておきます。

これは日本語で、女性の名前の前につける「お」と大体一緒です。「死んだはずだよ おとみさん」の「お」ですね(他に上手い例が見つからなくて)。

日本のテレビドラマ『おしん』は中国でも放送されて大人気だったそうですが、中国語のタイトルは《阿信》(アーシン)です。

中国語の方は女性につけるとは限らず、たとえば魯迅の有名な小説に《阿Q正传》あきゅうせいでん、というのがありますが、「阿Q」とはQさん、という意味です。

北中国では同じシチュエーションで“小”を使うことが多く、たぶん上海以南で良く使うんじゃないかと思います(あまり断定できなくてすみません)

そのせいかどうか、なんかあか抜けてないニュアンスがあります。この先の回で、ずばり、“阿土”(田舎っぺ)という呼び名を推戴する方が登場されますので、そのとき覚えてたら、またご紹介いたしましょう。


さてゴッドファーザー兼名探偵・暁冬は阿怪を見て言います。

「よく見てみろよ、身なりこそ同じようだけど、身体つきが何となく違う
背も結構ある それに手がちっとも荒れてない 苦労したことのない手だ」


身体つきが何となく違う、というと私が思い出すのは『三国志』に登場する、劉備玄徳(りゅうび げんとく)の有名な話なんですが、

「腕が膝に届き、耳が大きく、自分で自分の耳を見ることができた」って、Pーポ君か?!

さて、一方の壺口関。

手当の甲斐もなく斛律須達は亡くなってしまい、彼が遺言代わりにもたらした「周の皇帝が斉の領内にいる」という情報を何とか生かそうと、蘭陵王一行は必死の捜索を始めます。

このあと、皇帝が結構ちょくちょく(笑)斉に来ると知れば、ここまで焦らなくても良かったでしょうが、それは視聴者のみぞ知る。

この皇帝、五爺に
「よもや、かの悪名高き周の君主が斉にいようとは…」
って言われてるけど、いったい何したの?(このは確かに悪いこと(笑)してますが…)

このドラマを全部見終わっても、いったい彼がこの前に何したのかはわからないんですけど…。

過去の事はともあれ、未来の悪行は、これから嫌というほどご堪能いただけます。
次回・第6話はいよいよ、自称天敵同士がいきなり激突する頂上対決、

ハブマングース:血で血を洗う戦いの巻

乞う ご期待!(→こちら
posted by 銀の匙 at 11:45| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする