2015年09月11日

蘭陵王(テレビドラマ23/走馬看花編 第12話)の1

皆さま、こんにちは。

9月9日の重陽の節句も過ぎまして、いい加減夏も終わったはずなのに、やたら蒸し暑い東京地方でございます。

今年の夏もキツかった。

仕事で2度ほど九州に行きましたが東京の方が暑かった。
(ウワサによれば、北海道の方が沖縄より暑い日があったらしいけど)。

しかし、そんな日々も終わり、何かしなくちゃいけないんですが、相変わらずダラダラと更新もせず、そのうち、ひたいの上に、

けれど けれどで
なんにもしない

みつを


って紙貼られちゃうんじゃないかとビビっている今日この頃です。

封印される前に、先に行きましょう。

第12話ね…(ため息)

この回は珍しく、斉でのシーンしか出てきませんが、思えばこの回から、主人公の蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈よんじいスーイエ/Si Ye〉とヒロイン・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉の困った行動パターンのループが始まるのでありました。

ここまでは、雪舞が四爺を突き放すような事を言うと、四爺はただ困惑するばかりだったのですが、物語の舞台が北斉の都・鄴〈ぎょう/Ye〉、つまりホームに移ったせいか、今度は四爺まで子どもじみた、拗ねたような行動を採るようになるので、だんだんすれ違いが修復しづらくなってくるんですよね…。

こんな展開になろうとは、一桁台の頃は思ってもおりませなんだ。トホホホホ。

現時点では、状況悪化の原因はひとり雪舞にある、と私は思うのですが、しかし、この回の雪舞がホント、可愛いんだな…。おじさん、もう何やっても許しちゃうよ?(←なぜかおじさんモードに入っている

ということで、しぶしぶとですが参りましょう、第12話

今回、かなり長くなってしまいました。
いい気になってトーク番組を紹介してたら結構なボリュームで…。あまり記事が長いと読みづらいので、2回に分けてお届けいたします。

前回のお話(第11話)は→こちらへどうぞ。

前回は、蘭陵王一行が北周との戦いから凱旋し、洛陽での皇太子主催の祝賀の宴も終わり、都に帰って、帰宅もせずに朝議に出席したところ、戦勝報告の席で「正妃選び大会」の話が降ってわいた、ってまるでゆかの後方伸身宙返り4回ひねり(シライ)のような展開になったとこまででした。

さて、いきなり登場、「蘭陵王府」(蘭陵王の邸宅)。
正面にはど〜んと「朱雀」のマーク。
周の禁衛軍のマークは「黒色馴鹿」でしたが、斉のマークはコレらしい。蘭陵王のマントにも描かれていましたね。

ちなみに、ドラマでは北周のマークは“馴鹿”(トナカイ)になってます。

は、北周のナショナル・カラーでしたね。それは史書に記載があるんですが、マークの方は、本当に“馴鹿”だったのかどうか、資料は見つかりませんでした。

ただ、彼らのルーツである“鮮卑”〈せんぴ/Xianbei〉族のトーテムは、確かに“馴鹿”だったらしく、中国の「中国林業網」(http://zgslgy.forestry.gov.cn/portal/slgy/s/2328/content-514344.html)の説明によりますと、鮮卑族はもともと、現在では大興安嶺〈だいこうあんれい〉と呼ばれている、トナカイが棲息する場所に住んでいて、そこを「大鮮卑山」と呼んでいたらしい。

鮮卑族は、紀元2世紀ごろに南へ大移動を開始しますが、それを先導したのも“馴鹿”だった、ということで、マークにも採用されたのでしょうか。

牛に引かれるのは善光寺参りですが、トナカイに引かれるのはサンタと相場が決まっています。

てことは、あの人もサンタの一味だったのか。

黒い衣装のブラック・サンタはちとイヤですが、実際のとこ、クリスマス前には「深夜残業」や「サビ残」必須ですからね…。

ともあれ、いまでも大興安嶺のあたりにはトナカイが棲息しており、少数民族であるエヴェンキ族が、トナカイを家畜として生活しているそうです(別にプレゼントを配って歩いているわけではないと思いますが)。

一方、北斉のマークが“朱雀”〈すざく/Zhuque〉なのは、高洋の墓の壁画に、でっかい朱雀の絵が描いてあったからなんでしょうかね…?(「中国新聞網」→http://www.chinanews.com/cul/2012/01-30/3629638.shtmlに復刻の様子が出ています)

相変わらず、肝心なところはテキトーに、妙なところは細かく考証してるとおぼしき本ドラマであります。

お屋敷の立派な門構えの外には盆栽、中には幾重にも鳥居が連なり、石灯籠が配置されているのが見えます。

家の中は、宮殿同様、入るなり大きな香炉があって、やっぱり寺っぽいしつらえです。

外は神社で、中はお寺。パーソナル神仏習合って感じ?

もちろん、盆栽は中国がルーツだし(中国語では“盆景”といいます)、石灯籠だって中国にあるし、鳥居にしたって、諸説はありますが、恐らく元をたどれば中国に行きつくのでしょう。

形が似てるってことでいうと、第4話で、楊士深〈よう ししん/Yang Shishen〉御するところの暴走馬車が破壊しまくった街の門(“牌坊”)があります。

意味が似てるってことでいうと、今も雲南省など、稲作をしている少数民族の地域に残っている、鳥がてっぺんに止まった形の柱があります。

文字通り「鳥」「居」る柱ですね。(どんなものかご覧になりたい方は、松岡正剛さんが、こちら→https://1000ya.isis.ne.jp/1141.htmlに写真つきで紹介されています)

いま、鳥居の習俗を遺している少数民族は、日本からは遠い西南地域に住んでいますが、昔々は長江流域に住んでいたそうなので、ここから稲作のノウハウと一緒に鳥居が日本に伝わってきたというのは十分あり得る話です。

ま、このドラマで鳥居が登場するのは、恐らく、第10話(記事は→こちら)で見た通り、今も陵王の舞いが残っている、厳島神社との絡みでしょうけど…。後ろの灯篭の並びっぷりもそっくりですし。真実はぜひ、監督さんに伺いたいものですね。

さて、邸宅の門をくぐると、中では必死の大掃除が行われています。皇太子の発言によれば、蘭陵王はもう1年も都に帰っていないとのことだったので、当然、使用人は遊び暮らしていたに違いありません。

そこへ現場監督らしき人が現れて、スタッフを叱りとばします。
“四爺從不責罵下人 四爺對你們好全把你們慣壞了”
(四若様はこれまで使用人をお咎めになったことがなかった。良くしすぎて、お前たちをダメにしている)

意味としては、四爺が使用人に甘いから、皆付け上がってサボっている、ということなんですが、それは別に四爺が悪いんじゃないでしょ。

これは恐らく、「蘭陵王が宮中に参内したら、お付きの者が勝手にいなくなってしまったけれど、王は独りで戻ってきて、特にお咎めはなかった」、という史実のエピソードを敷衍したものかと思われます。

使用人に厳しくてもdisられ、優しくてもdisられと、ご主人も楽じゃないっすね。

ここで、主を迎えるのにお茶を用意する様子が出てきます。

お茶は南方の作物ですので、魏晋南北朝の当時、北方では、まだ貴重な飲み物だったのでしょうか。

お茶が薄いぞ…って怒られた、侍女頭(?)の“小翠”〈しょうすい/Xiao Cui〉は、以前、(薄いと思って)お茶を入れ替えたら、無駄をするなと若様にお小言を頂戴しました、と口答えしています。

ほら、お小言いうときだってあるんじゃない。

吉川英治『三国志』のファーストシーンは、確か、劉備が、洛陽から運ばれてきたお茶を買いに行くシーンだったように記憶しているのですが、あとがきかなにかで、当時はお茶が貴重品だったのでこういうエピソードを入れた、と書いてあったように思います(すみません、引っ越しで本が見当たらず、うろおぼえです...)。

だとすると、同じ回の後半に、韓暁冬が露天でお茶を頼んでるシーンがありますが、そんな庶民レベルまで行きわたってたとも思えないんですが…。

しかし一方で、むしろ宋代まで、茶は庶民の間でも広く飲まれた廉価な飲み物で、魏晋南北朝の王侯貴族は質素倹約の美風を示す…あるいはひけらかす…ためにお茶を飲んだ、という説もあります(→こちら)。

確かに、宴席を設けてお酒を出していれば、やれ肉だ何だと費用がかさんだでしょうが、宴会やお供え物に酒ではなくお茶を供していれば、茶菓の接待で済みますからね。

ってことで、韓暁冬のお茶シーンもそうそうあり得ない話じゃないみたい。あるいは当時、もうすでに現代と同じように、庶民用のお茶もあれば高級茶葉もあったのかも知れません。

お茶といえば、1980年代に、西安にある法門寺の地下に地下宮殿が見つかり、そこから当時(唐代・860年ごろ)の茶道具が出土しました。調査の結果、当時は今の日本と同じように、使っていた茶葉は抹茶だったようです。

日常的にそうだったのか、茶会の時だけだったのかは分かりませんが、少なくとも7世紀までは、茶葉を固めたものを粉にしてお湯に溶かす方式が主流だったようです。

さて、1年以上都を空けていたあるじと五弟が家に帰ってくると、お屋敷の中は新車発表会のような飾り付けがされていて、何だか見慣れない様子です。

あぁ、また留守の間に勝手にモーターショーかパーティー開催してたな?と察した五爺は(いえ違います)、

“連鴛鴦紅布幔都給掛上了”
(赤いオシドリの幕まで飾り付けてるんだな)
と言います。

それはともかく、四爺の服もかみしも風で、隣に立ってるモールばりばり肩章ございます宝塚な五爺と並ぶと、一体いつの時代のどの場所なんだか、画面には時空を超えた、謎のエキゾチックムードが充満しております。

時代考証にこだわりがあるのか、ないのか、ややこしいので、できればどっちかにしてもらいたいものです。

それにしてもウィリアム・フォンは本当にベージュが似合いませんね。
この回、映りが非常に悪いですが、衣装のせいもあると思う。
衣装係の方には、ヨコシマとベージュはやめるように進言したいです。

いえ、衣装はどうでも良いですが、オシドリが夫婦仲良しの象徴なのは中国も同様です。

しかし、鳥関係のHPをみると(これとか→http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1399.html)、実は冬ごとにパートナーを替えてるらしいので、実はそんな含みも…ごほごほごほごほ。

そういえば、“鴛鴦”で思い出すものにもう1つ、香港のレトロ風喫茶店に行くと必ず出るメニューがあったんでした。

それは“鴛鴦茶”というものなんですが、何だかお分かりでしょうか。

実は、インスタントコーヒーとティーバックの紅茶を混ぜたもの(ぶふー!)。

お店の人の説明を聞いた途端、別のにします、と速攻断ってしまった私ですが、香港人の間では、「寿司にコーラ」と同じくらい定番のソウルフードメニューらしく、誰に聞いても「普通においしいよ」って言うし、スーパーに行くと、「緑茶」「紅茶」「プーアル茶」のティーバックと並んで「鴛鴦茶」のティーバックが並んでいるんですね…。

そんな(部外者にとっては)食い合わせの悪そうな2つの事柄が、関係者の皆様にとっては好ましいということがあるらしく、使用人の皆様にとって、側室と正室を一緒に娶るということは大変ラッキーな組み合わせのようで、こんなお祝いが述べられます。

“恭喜四爺雙喜臨門
府上不僅多了一位少夫人
四爺還將選娶正妃”

(四若様、重ねての吉事お祝い申し上げます。ご側室を迎えられただけでなく、正妃もお迎えになられるとはおめでたい)

日本では、七五三などお祝い事には奇数が尊ばれますが、中国では対になる数字が喜ばれるので、一度に二つのお祝いがある、というのはとてもおめでたいことなのです。

ダブルハピネス、と香港では言ってましたが、喜びが二つある、ということでこんな字まで発明されています。



この字はシー(xi)と読むらしいです。

と、当の主役2人は、喜ぶどころか、どちらも浮かない顔をしています。

日本語で聞いているとそれほどでもないですが、中国語では前にも申しました通り、事あるごとにきっちり相手の称号を呼ぶのが敬語がわり。

当然ここではいちいち、使用人たちが雪舞の事を“少夫人”(ご側室さま)と呼ぶので、呼ばれる方はそーとー気に障ってると思いますね。

四爺も皆が呼ぶたびにハラハラした表情を隠せません。
寿命縮みそう、こんな生活。

ちなみに日本語吹き替えの方では、「楊夫人」と訳しています(英語だったら、マダム・ヤ〜ン♪ ☆(゚o゚(○=(-_-○. )
つい聞き流してしまいますが、何とか上記のニュアンスを出そうという工夫とご苦労をひしひしと感じますね。

中国の人は通常、結婚しても苗字を変えませんが、その理由の一端には、恐らく一夫多妻の習慣があったのではないかと私は睨んでおります。

つまり、同じ家に何人も夫人がいるうえ、素封家の出ともなれば、それぞれが実家の権勢を背負っていますので、その人は出身(苗字)とセットで認識されているということですね。

だから、ここの翻訳の「楊夫人」という呼び名には、他に「李夫人」だの「王夫人」だのが出現する可能性がありますよ、という含みを持たせているんでしょうね。

中国女性の結婚後の苗字については、もう1つ別のパターンもあるのですが、実はこのドラマにも目立たないながら重要なシーンで登場するので、そのときご紹介いたしましょう。

小翠と呼ばれていた侍女頭も、先ほどまで明るい顔をしていたのに何だか浮かない表情になり、
“我們大家表現的不夠好”(私たちの歓迎の仕方がお気に召さなかったのかしら)と言います。

“表現”という単語、日中に共通ですが、こんな風に使い方は全然違うんですね。ここでは「態度」というような意味です。

心優しい五爺は慌てて言います。
“你們別放在心上啊” (お前たち、どうか気にしないでおくれよ)

“放在心上”は「心の上に置く」=気にする、という意味です。
ってことでこの後、五爺はずっと、至らぬ兄上のフォローをすることになるのでありました。

お屋敷にやってきた一日目から、使用人を困惑させ、四爺の寿命を縮ませ(あ、さすがにコレの主語は雪舞じゃないか)、五爺にフォローさせるなど、全く何てヨメでしょう…と、と責めるわけにもいかない使用人頭は、

“老王早將西房整理好了”(わたくしめ、西のお部屋をご用意しておきました)

と、何とか場を持たせようと頑張ります。

おお、この方は王さんっていうのですね。第12話も3分を回ったところで、ようやく判明です。ただし、この方の役職はハッキリしません。

“老王”というのは、
“安徳“蘭陵“老
っつー訳ではなく、王って苗字の人への呼び名です。

若いときには“小王”〈シャオワン/Xiao Wang〉と呼ばれてたことでしょう“老王”〈ラオワン/Lao Wang〉さん、何か誰かに似ているような気がしますが、どうしても思い出せません。間寛平?…違うな…分かった方、コメント欄で教えてください!

取りあえず、現段階では、「天才バカボン」が中華圏でリメイクされたら、パパ役に抜擢されそうなビジュアル、とだけ申し上げておきましょう。

さて、この時代の住宅については、陶器でできた家の模型が出土していたりしますが、物見やぐらみたいな建物があって、周りは塀に囲まれた場所だったようです。

北魏の時代に書かれた《洛陽伽藍記》という本によると、洛陽にある鮮卑貴族の屋敷には、必ず園林があったらしい。

都市の中は区画整理されているため、貴族は一般に400平方メートルの敷地に屋敷を建造していました。

王府なら一般貴族の邸宅よりは広いのでしょうが、400平米っていうと、242畳分、約120坪、東京ドーム約0.085個分なので、すごく広いって訳でもないですね。たとえば、日本で120坪の土地に家を建てたらこんな感じ。→http://www.ttj-studio.jp/heimen.html

ただし、手狭なのは街中の家であって、貴族は郊外に荘園を持っており、第10話の1(→こちら)でちょっとご紹介した、当代の詩にも読まれた“金谷園”のように、その中は小川が流れ、園林が築かれるなど、贅沢三昧なしつらえだったようです。

さらに、自分ちではありませんが、自分の領地となればもっと広大です。以前、楊士深が“賤民村”を焼き払おうとしたときに、ここも殿下のご領地、と言っていましたね。蘭陵王は“蘭陵郡”を領地としてもらってるので蘭陵王と呼ばれるのですが、他にも戦功があるたびに、褒美として領地をもらってて(“加封”と言います)、全部合わせれば相当な面積だろうと思います。

さて、ドラマでの建物は、当時そうだったかどうかはともかく、“四合院”風に見えます。

四合院〈しごういん/siheyuan〉とはどういう建物なのかは、「中国文化」(YouTubeの動画です。音(ナレーション)が出ますので気を付けてください→こちらや、「中華文物網」(→こちら)に、北京の例ですが詳しい紹介があるので、興味のある方はぜひどうぞ。

ドラマでは、王族の邸宅なので、「文物網」の図版の中では下から二番目の、恭王府あたりを参考にしているのではと思われます。…あるいは、セットをまんま流用してるのかも^^;

この様式の建築の特徴は、ひと言でいうと、アメリカにあるという、ゲーテッドコミュニティの個人平屋版みたいなものです。

まず、敷地をぐるりと塀で囲み、大門を設けます。

大門を入ると、正面には目隠しになる衝立のような壁があり、回り込んで入ると、中庭があります。大きな邸宅であれば、中庭にたどりつくまでに、いくつか庭を通る形になります。大きな中庭を囲んで正面北側に主室、その左右に寝室、庭をはさんで東西に部屋を配置します。

主家の男子の部屋は東におかれ、女子は西の部屋に住みます。

中国の有名な古典恋愛小説に《西廂記》(西の部屋の記)というのがありますが、これは、ヒロインの住まうお部屋から来ているタイトルなのでしょう。

ちなみに、西洋では恋を取り持つのは「キューピッド」ですが、中国では“紅娘”(ホンニャン/Hongniang)と言います。それは、このお話で主人公2人の中を取り持つ侍女の名前から来ています。

さて、中国の住居建築として、四合院スタイルはかなり古い歴史があるらしく、なんと周の時代の遺跡からも出てくるようです。

しかし、南北朝時代は一般に、四合院のように敷地の真ん中に大きな空間を作るのではなく、お寺の境内のように、直線状に建物を配置するのが流行っていたようです。

こちらは唐代のお屋敷の様子です↓が、たぶんこれに近い感じでしょうね。
s-唐代の家 中国古代常識.jpg
(《中国古代常識》より)



ここで王さんは、
“按照王府祖例 四爺的側室房外 須建造守福花園”
(先祖伝来のしきたりにならって、若様の側室のお部屋のそとには、「守福花園」をしつらえなければなりません)
と言っていますが…。

は? “守福花園”って何じゃらほい。

香港では安っぽいマンションの名前“○○花園”って付いてることが多く(きっと、英語の○○Garden…って住宅地の名前からの連想でしょう)、“○○飯店”がレストランだかホテルだか分かりにくいのと同様、激しく外国人を翻弄するのですが、それはともかく、建ててどうするのよ、自分とこの部屋の外にそんな安っぽい名前のマンション。

ってゆうか、そんな習慣、聞いたこともないし…と言う前に、建国15年かそこらでしきたりもへったくれもないでしょう…! 

と、無駄遣いはダメだとお小言を喰らったのにもめげず、視聴者がへそで茶を沸かし直していると、白山村のエリカ様もガーデンプレイスなんかよりヒルズ住人を目指しているらしく、

“反正我也不會長住”
(どうせ私も長くは住まないし)

と冷たいお言葉です。

そんな2人の会話を不作法にも立ち聞きしている四爺。ついに雪舞に向かって吠えたてます。

“你就這麼不想住在府裡嗎”
(それほどまで屋敷に住みたくないのか)

言われた雪舞の態度は全然カワイくないですが、表情は百恵ちゃんぽくて、ひょっとして全ドラマ中一番好きかも。

しかし、ツンデレって言葉もなかろう南北朝の四爺は、鑑賞の余裕もなさそうです。
というか、彼女と目を合わせるのが怖いらしい。

この後の「どうしたら良いか分からない!」という動作は、時代劇っぽいですね。

“就算選妃的事情發生又如何。
這并不表示本王就可以讓你走”

(「お妃選び」の話が出たからといって、何事のほどもなかろう。立ち去る許しを与えた事にはなるまい)

と、手を振る動作もそうですね。手のひらが見えますが、生命線長いな…じゃなくて、ほら出た! “本王”ですよ。
何とか自分の権威を絶対的に見せよう(そして、言う事を聞いてもらおう)、という心理が働いてるんでしょうね。

でも、あなただって、腐っても(?)斉の軍神。

向かいから強そうなドブネズミが来ると、いきなり立ち上がったり毛を逆立てたり、2倍のサイズになって何とかビビらせようとする、弱っちいネコみたいな真似はやめたらどうですか。

いえ、雪舞がドブネズミ並みだとか言いたいわけではなく、日本語は続くセリフとつなげて訳していますが、若干、原文とはニュアンスが変わっています。

「なぜ かように嫌がる。后選びを行うと言うのも、屋敷を出ていかせるつもりはない。側室として、気兼ねなどせずに、堂々としておればよいのだ」

この訳は、先ほどの次のセリフと次のセリフの合体ワザです。
“你還是本王的妾”
“也沒有人不允許你 享受少夫人的待遇嘛”

せっかく第11話では“妾”「妻」と訳していたんですから、こここそ、日本語にするなら「私の妻」でしょうね。

あなたは私の妻なのだし、その待遇を受ける資格がある、ということです。
ここで「側室」と訳してしまうと、正妻じゃないけど側室の扱いは受けられるから、という別のニュアンスが加わってしまいそうです。

ここで“妾”が見下だす意味になっていないことは、次の雪舞のセリフでわかります。

“這世界上 不是是是都如人意的。
四爺 你一定會輸
把少夫人的待遇浪費在過客的身上 有何意義呢”

(この世の中、何事も人の思う通りという訳にはいかないわ。
四爺、あなたは必ず負ける。
ただ通り過ぎる者のために、あたら妻のための(豪華な)しつらえをするなんて、
どんな意味があるというの)


ここで雪舞の言う「人間の意思通りにはいかない」というのは、
平たくいえば、運命に逆らうことなどできない、という意味ですね。

雪舞は、四爺には天命とか、運命とかっていう言葉が響かないので、逆側から表現したのでしょう。
“浪費”(無駄に使う)という言い方からして、ここでの“少夫人的待遇”とは、側室あつかい、ということではなく、「厚遇」ということなのでしょう。

このセリフで雪舞の言った“過客”とは、『おくのほそ道』の冒頭、「月日〈つきひ〉は百代〈はくたい〉の過客〈かかく〉にして 行きかう年もまた旅人なり」の「過客」と同じ意味です。

松尾芭蕉によって書かれたこの文章は、唐の詩人・李白の《春夜宴桃李園序》(春夜桃李園に宴するの序)の冒頭、「夫れ天地は万物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり」を踏まえています。

ついでなので、李白の方を見てみましょう。

夫天地者 萬物之逆旅也 天地は万物の旅籠であって
光陰者 百代之過客也  年月は永遠の旅人なのだ

而浮生若夢 為歡幾何  浮世は夢のようなもの 楽しめるときは幾らもない
古人秉燭夜遊,良有以也 古の人は夜も蠟燭を灯して遊んだが それも道理だ

況陽春召我以煙景    まして時は春、たなびく霞は招き
大塊假我以文章     大自然は文〈あや〉を与えたもう

會桃李之芳園      桃李の香る庭園につどい
序天倫之樂事      兄弟打ち解けて語らおうではないか 

羣季俊秀 皆為惠連   諸弟は謝恵連のごとき才の持ち主
吾人詠歌 獨慚康樂   わが歌はその従兄・謝霊運に並びもつかぬ

幽賞未已 高談轉清   幽玄なる景色を愛で 風雅な語らいは尽きず  
開瓊筵以坐花      華やかな敷物に坐して花を眺め
飛羽觴而醉月      酒杯は飛び交い月に酔いしれる

不有佳作 何伸雅懷   佳き詩を詠めばこそ 風流というもの
如詩不成 罰依金谷酒數 詠めぬ者は 金谷園に倣って罰杯を受けよ

4行目、いにしえの人はロウソクを灯して夜も遊んだ、という件は、《古詩十九首》

生年不满百 常懷千歲憂 生きて寿命は百なのに 千年の憂いを溜めこむなんて 
昼短苦夜長 何不秉燭遊昼は短く 辛い夜は長い 蠟燭を手に 遊ぼうじゃないか

を踏まえていると言われます。

最終行の“金谷園”は、これまでにも何度か出ましたね。

金谷園は晋の時代、洛陽郊外に築かれた豪華な庭園で、あるじの石崇〈せき すう〉が、ここで詩を詠めなかったものは罰として酒三斗を飲むべし、という文を作ったことから、のちに、酒席の罰は酒三杯になったと言われております。

なんと「駆けつけ三杯」のルーツは、こんなところにあったんですねぇ…(←ホントかどうか知らないけど)

この石崇も美男子で有名で、蘭陵王と同じく渤海出身の人です。古代、あのあたりには美男のDNAでも流通していたのでしょうか?

そんでまた、詩が作れなければ一気飲みだ!とか、独り身の者は結婚してはならぬ。どうしてもと言うなら阿呆とするがよい、尼寺へ行け!とか、そんなにイヤなら、部屋住まいはやめろ、薪小屋に住め!とか、いきなりステーキ、じゃなくいきなり極端なこと言い出すDNAも受け継いでいるらしいですよね(ハムレットも渤海出身だったのか…

ステーキがお好きかどうかは分かりませんが、渤海出身の貴族様はたいそうご機嫌を損ねていらっしゃいます。

“好啊 那你連夫人的房都別住了 住柴房去好了。
現在就走”

(それなら夫人の部屋に留まることもなかろう。薪小屋に行くがよい。すぐにだ!)

ああ、こんな事言う四爺も「らしく」なければ、雪舞が、あっ、そう、とばかりに出ていこうとすると、すぐに前言を翻して、

“本王不是那個意思。本王說氣話而已”
(本心で申したのではない。腹立ちまぎれに言ったまでのこと)

とご機嫌取りをするのも「らしく」ない…。

そして、何を言い出すかと思えば、

“按照我們的賭注,本王還沒有輸 別得意的太早。”(賭けにだって負けたわけではないぞ。喜ぶのはまだ早い)

と捨て台詞(って言うのか、この場合??)を残して去ってゆきます。もうホント、どうしたら良いか分かんないんでしょうね。少なくとも、それは分かりました。

しかし、最初ドラマを見たときは、彼のこういう態度はこの場だけの、むしろ相手を想うあまりに採ってしまった行動だろうと思っていたんですけど、先の回を見ると、実は冷静に見えて、激高しやすいというか、感情的なことが絡むとこういう後先のことをよく考えない行動を採る人だってことが、割合シビアに描かれていくんですね。

思い出せば前の方の回にだって、少しずつ小出しにこの性格が描写されていました。むむ、この脚本家、できるな…。

つーかさぁ、雪舞は最初っから実家に帰るって言ってるんですから。
四爺、人の話聞いてる?
聞く気あるの?

と思ったかどうか、日本語の雪舞はそれでも可愛げを忘れず、

「鈍いひと。私が喜ぶと?」

って言っていますが、中国語の雪舞様はそんなもんじゃ済みませんから。

“傻瓜。 我怎麼會得意呢”
(バカ。なんで私が喜ばなくちゃいけないのよ)

ちょっと、奥様、お聞きになりました?
なんと、皇族さまに向かって

“傻瓜。”(シャーグワ/shagua/バカ。)

ですってよ。

そんな国家機密を漏らして、生きて斉の国境を出られるとでも?

しかし、ひどい事言われてる間にも、四爺は雪舞の安全を案じ、五爺に相談しています。

自分は太子の取り巻きたちにとって、

“眼中釘 肉中刺”
(目の中の釘、肉の中のトゲだ)

とおっしゃっていますが、字づらからして、邪魔者っていうより痛そう。この言い回し自体は割合新しく、清代くらいからの用例しかないようです。

五爺は、祖珽〈そ てい/Zu Ting〉に手を出させるような真似はさせない、と力強くおっしゃっていますが、果たして…。

さて、祖珽の方は皇后と対策を協議中。
祖珽いわくの四爺の人物評とは、

“為人嚴謹 無偏好 又不好女色”
(人柄は厳格にして公正、女色も好みません)

って、何か褒めてるように聞こえるのは私だけ?

四爺なんか、前の前の回(→第10話。こちら)で、祖珽のお尻にカンザシ投げつけて転ばしたあげく、

“怎麼摔了個狗吃屎啊
以後走路小心點 千萬別再摔了”

(何だってフンを喰らう犬のように、よつん這いに倒れていらっしゃるのです。
歩くときは気を付けて、二度と転ばぬようになさることですな)


なんて、聞くに堪えない言葉まで投げつけたくせに、これのどこが厳格で公正よ?!

となぜか祖珽の肩を持ってしまう視聴者ですが、祖珽は酔っぱらってて覚えてないのかしら?

ま、

つまずいたって
いいじゃないか
にんげんだもの。


一方の日本語訳は上手いこと、四爺をこき下ろしてる感じを出しました。
「なにしろ高長恭は風流をしらぬ堅物。色事を好みませぬゆえ、あやつがこれだと選ぶ娘を送り込むとなると、たやすくはありますまい。」

ふーん、いっちょまえに選り好みか〜。

そこで皇后が選んだのが“鄭兒”〈ヂェンアル/Zhenr〉。
名前はまだない。

つか、みんな鄭兒って呼んでるけど、この人、名前が鄭なんですか?
それとも、苗字が鄭なの?

そもそも、雪舞がしょっちゅう言ってる“鄭妃”って誰?

という私の疑問に答えてくれるものは何もないんですが、とりあえずドラマの方から言うと、“英国公”の遺児で皇后の宮女になり、皇太子・高緯〈ガオ ウェイ/Gao Wei〉とも顔見知りである、という設定になっています。

“英国公”という爵位自体は唐代以降に設置されたようなので、この設定はフィクションでしょうが、“国公”は臣下への爵位としては最高位なので、その子女であれば、王妃どころか皇后に選ばれたとしてもおかしくはない身分と思われます。

一方、史実の方は、正史に
“長恭謂妃鄭氏曰”
(長恭はその妃、鄭氏に言った。)

とされているだけで、名前も分からず、続いてセリフが1行あるだけ。

“妃曰:「何不求見天顏。」”
(妃は言った。「なぜ、皇帝陛下にお目通りを願わないのですか」)

アホちゃうか、皇帝から毒を賜ってるのにお目通りもないもんだ...と思いますが(あらいけない。雪舞につられて言葉が汚くなってしまいましたわ)、この夫妻、どうやらどちらも、あまり世間ずれしていない模様です。

この記述、プラス、安徳王の伝記に、

蘭陵死、妃鄭氏以頸珠施佛。廣寧王使贖之。延宗手書以諫、而淚滿紙。
(蘭陵王が亡くなると、妃の鄭氏は首飾りを寄進した。広寧王(二爺)はこれを買い戻そうとした。延宗(五爺)は手紙を書いてそれを諌めたが、便箋は涙でぐちゃぐちゃだった。)

という記述があるので、蘭陵王のお妃は“鄭妃”だとされているわけです。

何と言っても、彼女は皇族の正妃。その辺の踏雪の…いや、ウマの骨とは違って(踏雪ゴメン!)、どこか良いとこのお嬢さんのはず、というのはドラマのこの回を見ても分かりますね。

そして、“鄭妃”というからには、彼女の苗字は“鄭”のはず。

では、いったい彼女は何者なのでしょうか。

ここは名探偵ディー判事を召喚したいところですが、場所は洛陽で近いけど、時代は唐代はまだ先なのでちと諦め、近場で探すことにしましょう。

まず、私がやってみたのは、《北斉書》の列伝の検索。

この時代の史料である《北斉書》は列伝体で書かれていますので、つまり人物エピソード毎の記録だということです。

皇帝の事績が書かれた〈帝紀〉の次は、皇后や臣下について書かれた〈列伝〉になります。

有力貴族からお妃を選ぶとすれば、列伝に一族が誰かは必ず入ってるはず…と思ったけど、列伝42巻まであるのに鄭姓の人ってなかなか出てこないな〜。40巻にいる鄭仲礼は外戚、と…。

ちょっと待て。

“鄭”って苗字の女性、そういや前にも出てきた気がする。名前は確か…鄭大車〈てい だいしゃ/Cheng Dache〉

さきほどの鄭仲礼は滎陽郡開封出身で、その姉は…鄭大車。

あんまり思い出したくないけど、第9話の2(→こちら)でご紹介した、この御方。

四爺のパパ・高澄〈こう ちょう/Gao Cheng〉の義母のくせに、高澄と密通した人です。

“馮翊太妃鄭氏,名大車,嚴祖妹也。初為魏廣平王妃。遷鄴後,神武納之,寵冠後庭…”
(馮翊太妃〈ひょうよくたいひ〉鄭氏〈ていし〉は名を大車と言った。鄭厳祖〈てい げんそ〉の妹であった。はじめ、魏の広平王の妃であった。東魏が鄴〈ぎょう〉に遷都して後、神武帝に側室として迎えられ、誰よりも寵愛を受けた…)

神武之征劉蠡升,文襄蒸於大車。神武還,一婢告之,二婢為證。神武杖文襄一百而幽之,武明后亦見隔絕。
(高歓が劉蠡升〈りゅう れいしょう〉の討伐に遠征していたとき、高澄は大車と密通した。帝が帰京すると、1人の召使い女がこれを密告し、2人がその証人となった。高歓は高澄を百叩きの刑に処し、幽閉したうえ、その母たる皇后とも行き来を断ってしまった。)

つまり、蘭陵王のじっちゃんである高歓の側室でありながら、蘭陵王のパパ・高澄とも懇ろになったうえにですよ、ここには書いてないけど、高歓との間の実子、馮翊王・高潤(高澄の異母弟。33歳の若さで亡くなりましたが、この人もイケメンだったと史書にある)とも関係があったと噂されている人物。

鄭姓で妃となれば、この鄭大車と親戚とか?

まさかね。

…でも気になるな。そこで、ちょっと「兄」と書かれている鄭厳祖の方を調べてみると…。

《北史》の校勘によると、彼は鄭大車の兄ではなく父だったらしく、滎陽郡開封県(現在の河南省開封市)の人で、その父は鄭道昭

なんと…!

つまり、鄭大車という人は、校勘が正しければ、北魏(→東魏→北斉となります)の有名な書道家、鄭道昭の孫にあたる女性なのです。

書道をやった方はご存知かと思いますが、鄭道昭の書は日本の書道に大きな影響を与えています。wikiによれば、あの相田みつをさんの書道界デビュー作品は、鄭道昭の代表作、《鄭文公碑》の模写(臨模)だったらしい。

よもや、こんなとこでつながってるとは…。

何だかだんだん話がズレてきましたが(いいかげんだもの)、この大物文人・鄭道昭は兄弟がみな北魏の重臣。つまり、滎陽開封がルーツの鄭氏は、古代から綿々と続く名門の一族なのです。

当時、北中国では鮮卑などの胡族が支配者階級に君臨していましたが、彼らだけでは中国を統治することはできませんでした。また、彼らも、中国の支配者となったからには、周辺民族ではなく、中華の王として、洗練された南朝の文化のような貴族社会を築くことを目指していました。

貴族であるためには、結婚相手もつりあう家柄であることが大切です。そこで、北魏(→東魏→北斉と続きます)の時代に、帝室と通婚できる家柄を認定しました。

そのうち、第一級の貴族とされたのが、范陽〈はんよう〉の蘆〈ろ〉氏、清河の崔〈さい〉氏、滎陽の鄭氏、太原の王氏、趙郡の李氏でした。(川勝義雄『魏晋南北朝』

この鄭一族、現代まで続くその歴史が、中国中央テレビの歴史番組でもわざわざ特集で取り上げられているほどです。(→こちら

詳しくは、上の動画でご覧いただければと思いますが、そのルーツは周代(仔ブタ陛下の周じゃなくて、殷の次の周)、紀元前806年に遡ります。周王の一族なんで、そのときは王と同じ“姫”姓でした。

その年に封じられた国の名が鄭だったのですが、のちに鄭国は滅ぼされてしまい、国名を取って“鄭”氏を名乗った、とされています。

皇帝の末裔で、苗字を他からいただいちゃうなんて、なんだか、どっかで聞いたような話ですね。

ま、それは後々詮索するように致しますが、北斉の成り上がり王族、高氏にしてみれば、彼らのような由緒ただしき名門と縁組をすることは大変重要だったことでしょう。なので、蘭陵王の妃・鄭妃も、この名門・滎陽開封の鄭一族の出身だったはずです。

ちなみに、高緯の異母弟、南陽王・高綽〈こう しゃく/Gao Chuo〉のお妃も鄭妃と言いました。

彼女も滎陽開封の鄭氏出身と思われますが、高綽が高緯に殺され、北斉が滅びた後、北周の皇帝・宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉に寵愛されたと言われています。

旦那さんが亡くなって、宇文邕の寵愛を受ける。
これもなんだか、どっかで聞いたような話ですね。

それはともかく。

鄭大車のような、あの高澄パパも手を出すほどの名高い美女がいる一族の出身と思しく、さらに「蘭陵王は皇帝から褒美に美女を送られても、一人を受け取っただけで後は返してしまった」と史書にあるように、大変な寵愛を受けた蘭陵王妃・鄭妃は、ビジュアル、もしくは人柄が、それなりの人だったと思われます。

史書にも記載がある以上、ドラマに鄭妃が登場するのは必然なのですが、「蘭陵王に釣りあう身分」「美女」「(最初は)良い人柄」の3点も、それなりに史実に沿って、ドラマの鄭児の設定に反映されているものと思われます。

さて、そんな鄭児は、蘭陵王のお妃候補に選ばれて、秘かに彼女に恋する皇太子・高緯〈こう い/Gao Wei〉の落胆も知らず、追憶にふけっています。

このシーンで鄭児と一緒に宮中を抜け出したのが、同じく宮女の馮小憐〈ふう しょうれん/Feng Xiaolian〉。 

彼女も史実の人物で、琵琶と歌舞に優れ、北斉を滅ぼした傾国の美女とされ、唐代の大詩人・李商隠がそのトンデモぶりを、がっつり詩に詠んでいるほどです。

ドラマではあっと驚く仕掛けになっておりますが、相当先のお話なので、ここはとりあえず、戻って回想シーンの方に参りましょう。

こっそり宮中を抜け出して、街へ遊びに行ったと思しき鄭児と小憐の2人。見回りの兵士に見つかりそうになり、物陰に隠れますが、鄭児は通路にかんざしを落としてしまいます。

兵士が不審に思ったところに、四爺が登場して、こう言います。

「私の侍女のものだ。安徳王の宴が始まった。行くがよい。」

ここは少し若い表情をして、吹き替えの声も頑張って若い感じにしていますね。

ウィリアム・フォンは以前インタビューで(→第9話の2)、同時期に《錦鎖秋》《虎山行》の2つのドラマを撮ったと言っていました。

この2本、片方は「文」、片方は「武」の芝居、とカテゴリーは違うものの、時代は民国初頭、お話の舞台は南中国、お召し物は長衫、髪型はスケベ分け 断髪、どっちもいいとこのぼんぼんで遊び人、と、かなり似通ったキャラ。

その割には、どちらも全く別の人に見える好演だったんですが、年齢自体も10歳は違って見えました。なので、同じドラマで同じ人物を10年演じ分けるくらいは訳ない…はずです(同じキャラでそう見えないときがある、っていうのは問題だけど)。

そりゃいいんですけど、このときの衣装が、数年後?のシーンと全くおんなじですよね。
さすが贅沢を嫌う蘭陵王、着たきり雀なんでしょうか。

しかし、相手が朱雀ではなく雀とは夢にも思ってない(おばあ様さえ高緯が雀だと思ってたくらいだし)、二人に向かって、さすがはあの中国史きってのプレイボーイ・高澄の皇子の面目躍如か、ニッコリして話しかけます。

“我見過你” (どこかで会ったね)

こんなの、いまどき渋谷のニセスカウト野郎でも言わないって。
と思うようなセリフを聞いて、ちょっと嬉しそうな鄭児。

ですが続くセリフは、

“你不是皇后的侍女嗎? 難道你不知道這兒的規矩嗎?”(皇后さまの侍女では? 宮中の決まりを知らないわけではあるまい)

だったので、ちょっとバツが悪そう。

この時代の決まりがどうだったのかはよく分かりませんが、《宮》なんか見てると、宮殿には入るのも難しいけど、出るのも特別な許しが必要だったらしい。

しかし、宮女の境遇に同情していた四爺は、イエローカードを出しただけで立ち去ろうとします。

“以後出來的時候 小心點,啊”(次に抜け出すときは注意することだ、わかったね)

しかし、逆ナンパを忘れていない鄭児は(こちらも、さすがは鄭大車の親戚。あ、ドラマは違うのか)、助けの手を差し伸べてくれた王子様の名前を聞き出し、

“日後有機會 一定會報答王爺的”
(この先機会があれば、必ず殿下に御恩をお返しいたします)と誓います。

言われた四爺は、もうあんまり関わりあいになりたくなかったのかどうか、宮女が手にもっていたものを取りあげて、

“這個就算你報恩了 以後要小心點”(これで借りは返してもらったことにしよう。次からは気を付けるんだよ)と言って去ってゆきます。

このまゆ玉のような真っ赤なお菓子は、サンザシの実の飴がけ、“糖葫蘆”〈タンフールー/tanghulu〉ですね。北中国では、冬になると屋台でたくさん売っています。売り歩く人もいました。食べたことないけど…。

それにしても、こんな庶民のオヤツを取り上げたばっかりに…高くついたなこりゃ。

しかも、この人、奥から出てきて、また奥に戻ってしまいましたが、何しに出てきたんでしょう…?五爺主催の宴会には、出なくていいの?

ね、カツアゲはいいけど、元々の用事、忘れてないですか四爺。

…いや、久しぶりに女の子と口を利いたので、結構、心臓バクバクだったりして。

だって中の人も、クールな顔して女の子の前にでると…。

アラフォーの今になっても相変わらずで、クラスメートからさんざんっぱらからかわれている、女の子を前にするとつい出てしまうウィリアム・フォンのくせとは何でしょう。

長くなったので、その答えはまた次回!(記事はこちら第12話の2
posted by 銀の匙 at 01:53| Comment(8) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする