2016年05月23日

山河ノスタルジア 《山河故人》/注記以降、ストーリーの結末に触れています

監督の名前で映画を観に行くことはあまりしませんが、ジャ・ジャンクー(賈 樟柯)監督は例外で、第1作の『一瞬の夢』(《小武》)以降、日本で公開されたものはほとんど観ています。

市井の人を主役に据え、誰の身にも起こりそうな出来事を描きながら、どこかにふっと大きな飛躍がある。そのギャップが面白いし、ストーリーや映像の時間の流れに余白がたくさん取ってあり、観る人がさまざまに思いを巡らせることができるのも魅力だと思います。

どんなストーリー、と聞かれて何十字かに要約してしまうと、全然映画の中身を伝えたことにならないという、その手の作品ばかりです。

今回の『山河ノスタルジア』は、ちょっとこれまでの彼の作品とは毛色が違うように感じられましたが、これまでとは別のアングルから、やはり観る人の心にぐっと触れてくる映画でした。

例によって紹介するのがとても難しいストーリーで、映画を観終わったあとで配給の作品紹介を見てみたら、確かに間違いじゃないんだけど、ちょっとこれは違うんじゃないかと思ってしまいました。

ということで、上手く伝えられるか分かりませんが、何とかご紹介してみると...。

物語は1999年、新しい世紀を迎えようとする中国の田舎町、山西省の汾陽〈ふんよう/フェンヤン〉から始まります。いかにも田舎の町にいそうな女性、タオと、彼女と付き合いたい2人の男性、ジンシェンとリャンズ。ジンシェンは当時の経済の自由化に上手く乗っかって羽振りがよく、一方のリャンズはすでに過去の産業である鉱山で働いています。

どうやらどちらかが特に好きなわけでもなさそうなタオですが、結局、2人の男性のもめごとをやめさせるような形でジンシェンと付き合うことになり、リャンズは町を離れる決意をします。

時は流れて2014年、病を得て町に戻ったリャンズは、療養費を工面するために古なじみと顔を合わせる羽目になります。そして…


まずは、物語の舞台を汾陽にした、というのがとても効いてると思います。監督の出身地だそうなのですが、第三者の目でみれば、お世辞にも麗しい山河とは言えない埃っぽい町で、言葉はなまりがきつくて聞き取りづらく、まさに「ザ・中国」な田舎の町です。

他に登場する上海とか、オーストラリアとか、そういった場所がいかにも現代的なのに対して、汾陽は根っこが田舎のまま。だからこそ、昔ながらの駅舎をピカピカの超特急が通過していくシーンなんかが、SFのように感じてしまいます。

一方でこの地は、中国史の古い伝統が詰まっている場所でもあります。いまちょうど別エントリーでずっと見ているテレビドラマ《蘭陵王》(→記事はこちら)なんて、舞台はちょうどこの場所です。リャンズの奥さんの出身地は邯鄲〈かんたん/ハンダン〉、つまり数々の王朝が都をおいた、かつての鄴〈ぎょう〉城です。

何千年の歴史の積み重ねも時代の流れの中にあっけなく置き去りにされていくなか、画面には、要所要所で地元の名酒「汾酒」が映り、田舎を捨てて海外に出ていく男の名は皮肉にも晋生〈ジンション=山西省生まれ〉。

古なじみ(故人)が根無し草のように散ってはまた吹き寄せられてくる光景に身を置きながら、タオは、時の流れの中で気づいていくことについて想いを馳せます。

黄河は、その岸辺に立つ者たちの想いには頓着せぬかのように、あるいは人々の感傷を映し出すかのように、氷の塊を運びながら、ただ滔々と流れて行くのです。

自分もちょうど物語の始まった時代の中国しか知らないので、記憶の中の中国はちょうど映画の最初の方のシーンとそっくりで、懐かしいなあと思いながら観ておりました。服装とか、ディスコでの踊り方とか、町中のお店とか、人々の挙措動作とか、本当にあんな感じです。

今はきっと見る影もなく変わっているに違いありません。昔が良かったとかそういう話ではなく、当時日本から中国に行ったときは、タイムマシンにでも乗せられたように、話に聞く昔をリアルタイムで再現されたような気がしていたし、いま中国に行けば、玉手箱を開けた浦島太郎みたいに、一気に同時代の国になっていることでしょう。外から見る以上に、中に居る人にとってはすさまじい変化だったのではないかと思います。

で、ジャ・ジャンクーの映画はこのように、誰にでも起こりそうなこと、の部分が実際の出来事に題材を取っていたりして非常にリアルなため、監督の御膝元の中国では身につまされすぎてドキュメンタリー作家みたいに思われているようですが、現実の出来事や、中国の世相・社会問題に引きつけた視点だけで彼の映画を観るのはちょっともったいないなあという気がします。

この作品は彼の映画にしては珍しくエモーショナルな描写があるのですが、それでも過度に感情的にならずに、登場人物たちの感情を丁寧にすくいあげながら物語が進みます。普通なら、そのまま良質の文芸作品としてまとまってしまいそうなところ、ジャ・ジャンクーは時空を鮮やかに飛び越え、その先の物語を語ってみせるのです。

中国は、一度の人生の中にしては時間的にも距離的にも隔たりが大きすぎる経験を誰もがする時代です。
この映画で描かれているようなことをわが身に置き換えて観る人も少なくないでしょう。

そして、中国の観客でなくても、この美しい映画を観て涙が止まらなくなるのは、誰しも記憶の中に懐かしい風景や大切な人がいて、しかもそれは永遠ではないことを改めて思い起こすからかも知れません。

渋谷Bunkamura ル・シネマ1で観ました。
縦に長い劇場なので、あまり後ろだと見づらいかも。
観やすい席はF、Gの6、7番あたりです。

以下、お話の結末に触れています。
ネタバレOKな方のみ、以下をどうぞ。











さて、ネタバレもOKになりましたところで、お話をもう少し詳しく振り返ってみましょう。

まずは1999年の第1パート。
タオはジンシェンとの結婚式にぜひ出席して欲しいとリャンズの家を訪ねますが、リャンズは招待状を家に置いたまま、家に錠をするとその鍵を放り投げ、町を出て他の省で暮らすといって出て行ってしまいます。

時は流れて2014年。ここが第2パートになります。
肺病にかかったリャンズは妻子と共に、汾陽に戻ってきます。古なじみを訪ねて療養費を借りようとしたのですが、逆に借金をして海外に出稼ぎに行くという話を聞かされてしまいます。

結局、妻が、置いたままの招待状からタオを尋ねあて、タオはリャンズの元を訪れて、資金と、彼が捨てて行った家の鍵を渡します。

タオの方は、実はすでにジンシェンと別れてしまっていて、二人の間の子ども、ダオラー(到楽/米ドルの意味でジンシェンが名づけた)は父親が引き取り、上海で育てています。タオの父が亡くなり、葬儀のために汾陽へやってきた7歳のダオラーは、タブレット端末で上海の後妻と話してばかりで、タオにはろくに口もききません。

上海への帰途、飛行機も特急も使わず、鈍行列車に乗るのを不思議がるダオラーに、

「各駅列車ならそれだけ長く一緒にいられるでしょう?」

と言い、タオは汾陽の家の合鍵を、ダオラー自身の家でもあるのだからと言って渡します。
しかしダオラーはタオの事にも、鍵の事にも興味がありません。これから移住するオーストラリアの美しい風景だけに関心があるのです。

そして、ここからがいよいよ、ジャ・ジャンクーらしい第3パートに入ります。

物語はいきなり、2025年。
オーストラリアの大学にいるらしいダオラーは、もう英語しか覚えていません。父のジンシェンはピーターと呼ばれていますが、別にオーストラリアが好きなわけではないらしく、「反腐敗運動」の影響で、帰国すれば逮捕されるのではないかと怯えているだけです。

ダオラー自身は何にも興味が持てず、大学を辞めて自由になりたいとばかり考えています。父には反発し、大学教師のミアに母のことを聞かれても、自分には母はいないと答えるばかり。

ところが、彼はいつしか、親子ほど年の離れたミアに惹かれていく。そして、彼は当時も、そしてこれまでも全く関心を寄せていなかったかのような母のことを突然に思いだし、ミアに告げるのです。

母の名前はタオだ。「波」と同じだ、と。

窓から、初老の女性が外を見ています。かつてジンシェンに、犬の寿命なんて15年だと言われていながら、彼女は犬を連れ、かつてジンシェンとドライブに出かけた黄河べりへと出かけます。雪のちらつく中、彼女はふと、ディスコを踊り始めます。

Go,West! 

当時流行っていたディスコソングに大きな波の音がかぶり、歌をかき消して行きます。無心に踊るタオを独り残して…。


字幕は人名がカタカナなので分かりづらいと思いますが、タオは漢字だと「波濤」の「濤」と書き、これがラストと呼応しています。

ご覧いただいたように、映画の中ではエピソードがオムニバスのようにブツ切りになっており、ジンシェンの2番目の奥さんはどうなったのかとか、リャンズはその後どうしたのかとか、ダオラーを上海に帰したあと、タオは何をしていたのか、今でも息子の事を思い出すのかどうかなどの、登場人物の細かい描写は一切ありません。

なので、ある程度登場人物に感情移入はできるものの、その時点、その時点で焦点が当たる人がいるだけです。まるで《水滸伝》みたいに、特定の主人公がおらず、いくつかのエピソードを通して全体として物語が成り立っています。間の話は観客が補完しながら、人によっては特に補完しないままなため、全体としてこういった雰囲気、ということしか言えないのです。

だから、母と子の愛の物語…みたいなストーリー紹介だと、それはそうでしょうけど、それは暗示されているだけで、だから良いんじゃないかな、と思うわけです。

暗示の例としては、たとえば、劇中に登場する重要な歌にサリー・イップ(葉 蒨文)の歌った《珍重》というのがあります。

この歌は3つのパートすべてに登場しています。確かに流行った曲ではありますが、最初のシーンでは、なんでこれ?みたいな印象しかないのですが、ラストを見ると、この歌でなければならなかった訳がよく分かります。

歌詞は(拙訳ですが)こんな感じです。

突然に沈黙が訪れ またあなたを振り返る
涙に潤む瞳は 胸の想いと悲しみを隠しきれない
積もる想いをどこから話せばよいものか
遠く離れたこの地で ひたすらあなたを思う
夜は長く あなたを懐かしむ私に寄り添ってくれる 
そちらはもう寒さが訪れ、
行く手には雪がちらついていることでしょう


もう一方の《Go West!》の方は、本当に90年代当時大流行りだったので、単にそれで採用されたのかも知れませんが、当時の人が歌詞を意識していたかどうかはともかく、今いる場所を離れて西へ西へと開拓していけばいい事がある、「西側」(資本主義諸国)を目指せば幸せが訪れる、という当時の信念を表現するのに使ったんじゃないかな、とチラッと思いました。

この映画を、現代中国の時代や世相を切り取った作品と見るならば、拝金主義や時代に流されて、使い道もよく分からないお金や自由を手にして結局は自分を失くしてしまうジンシェン、出稼ぎ労働者として格差社会の底辺に沈んでしまったリャンズ、アイデンティティを失い虚無感にさいなまれるダオラーは、特に掘り下げて描かれている訳でもなく、登場人物というよりは、それらの事象を象徴するアイコンに過ぎません。

一方、この映画を、母と子の強い絆を描いたエモーショナルなものと見るならば、ジンシェンやリャンズは脇役で、世相や時代は舞台装置にしか過ぎません。

しかし、ジャ・ジャンクー監督の特に優れているところは、この2つが1つの作品の中で、分かちがたく重要な要素として描かれているところなのだと思います。

つまり、ある人の存在は世界から見ればごく小さなもので、時代の流れには逆らえない取るに足らないものであり、逆に、だからこそ、そういう無数の人たちが組み合わさることで世界というものが成り立っており、誰もが世界の重要な一部分であるということを、しみじみと感じさせるということです。

予備知識なしに観てもきっと面白いと思うし、監督がさらりと用意した舞台装置を味わいながら観ても楽しめる、そんな作品だと思います。ぜひご覧になってみてください。

そのほかの映画に関するエントリーは→こちらから、
フェイバリット映画100のリストは→こちら です。


作品情報
山河ノスタルジア|映画情報のぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日 2016 ナチュール 第3日目(5月5日)感想

東京国際フォーラムで開催されているクラシック音楽の祭典、本日は最終日でした。

初日(5月3日)のレポートは→こちら
2日目(5月4日)のレポートは→こちら です。

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こんな風に、通路から無料コンサート(赤いステージで行われる)を見る事ができます。

会場はアクセス至便。東京メトロ有楽町駅、日比谷駅からいずれも直結、JR有楽町駅からも至近距離にあります。実は、JR東京駅丸の内出口からも歩ける距離です。信号待ちもあるので、15分くらいでしょうか。銀座までは徒歩10分くらいです。

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出口Dの方向へ。

地下鉄からだと地下1階から連絡通路を通ります。
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駅からですとABCDのうちDホールが一番近く、Aまではさらに通路を5分ほど余計に上がらないといけません。

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改札を出て席に着くまで、開演間際だと15分は見ておいた方が無難です。Dホールは近いのですが、エレベータに乗ったり乗り換えたりで、結構時間がかかります。地上広場からだとそれぞれ5分強というところでしょうか。


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さて、本日は最終日でしたが、3つのプログラムを聴きました。

まずは自然へのオマージュ 公演番号No.324、ローザンヌ声楽アンサンブルによる小品集です。

プーランク:7つの歌(白い雪、ほとんどゆがまずに 新しい夜に すべての権利 美とそれに似たもの マリー、光る)
ドビュッシー:シャルル・ドルレアンの詩による3つの歌(神よ!眺めるのはよいものだ、太鼓の音を聞くとき、冬はただの厄介者)
ラヴェル:3つの歌(ニコレット、楽園の美しい羽の小鳥、ロンド)
ヒンデミット:リルケの詩による6つのシャンソン(牡鹿 白鳥 みんなが去って 春 冬に 果樹園)
フォーレ:魔人たち(ジン)op.12、ラシーヌの賛歌 op.11

いずれもフランスの小粋な作品で、フォーレを除いては伴奏なしのアカペラを楽しみました。
ローザンヌといえば毎年、合唱の神様ミシェル・コルボの指揮でフォーレのレクイエムなど大掛かりな宗教曲を聴いてきましたが、こうした小品を聴くと、メンバーひとりひとりも優れた歌い手だということがよく分かりました。

ソロパートもありますが、ソロ歌手のような突出した歌声ではなく、アンサンブルによく溶け込んでいます。
不協和音や実験的な曲の響きも大変美しかったです。

続きましては公演番号325番のボリス・ベレゾフスキー…のはずだったのですが、今回は急病のため代役をレミ・ジュニエが務めました。

公演に先立って、音楽祭ディレクターのルネ・マルタンさんが経緯を説明してくれました。

ベレゾフスキーさんからは、ほんの少し前にものすごく体調が悪いと電話があったそうです。主治医から10日間は安静にしなさいと言われ、来日は諦めたとのこと。

思い起こせば東日本大震災の年、震災のわずか2か月後に開催されたラ・フォル・ジュルネでは、地震と原発事故の影響で公演キャンセルが相継ぐ中、いつも通り来日してくれて、本当に励まされました。そのベレゾフスキーさんが来日できないとは、病状がとても心配です。一日も早いご回復をお祈りしています。

そんな大物の代役を務めたレミ・ジュニエさんは巻き毛の若い衆なのですが、マルタンさん曰く、ベレゾフスキーさんが大変気に入っているピアニストだそうで、「カルト・ブランシュ」(曲目は当日発表)という演奏会に呼んで、一緒に出演したりされたのだとか。

まずはベートーベンのピアノ・ソナタ14番「月光」と、ショパンのピアノ・ソナタ第3番を弾いてくれましたが、表面は線が細く、冷静に弾き進めながらも、湧き起こる激情を制御しきれない、といった風情の演奏を聴かせてくれました。これはまあ、定番をソツなくこなした感じでしたが、その次が凄かった。

ステージにはチェリストのアンリ・ド・マルケットが登場し、やおらバルトークのラプソディ第1番が始まりました。貫録のマルケットの演奏にも、ジュニエは堂々互角に応え、全く臆しません。その、一見飄々としたツンデレな演奏スタイルがものすごくこの曲に似合っていて、思わず吹き出しそうでした。

タイミングを合わせるためにコンタクトを取る一瞬は戦友同士の雰囲気ですが、次の瞬間は2人の間に火花が散るようでした。いきさつが残念ではありましたが、今年一番の名演奏を聴かせてもらいました。

今年最後に聴いたプログラムは、初日の追加公演No.777で感動したので急遽追加で取ったNo.356 ユーリ・ファヴォリンのピアノでした。

曲はケクランのペルシャの時 pp.65 全曲です。

旅立ちの前の午睡、キャラバン(午睡中の夢)、暗がりの山登り、すがすがしい朝、高い山間にて、町を望む、街道を横切る、夜の歌、テラスから見る月の光、オバド、真昼の陽ざしを受けるばらの花、石像の泉の近くの日陰で、アラベスク、日暮れ時の丘陵、語り部、夜の平穏、墓地にて、真夜中のイスラム教修道僧たち

と、各楽章のタイトルも魅力的です。

このタイトルから連想されるような異国情緒あふれるリズムやメロディもところどころに潜んではいるものの、全体としては近現代曲らしい響きなのですが、譜面を読んだら途方に暮れそうなこの曲を、見事に立体化して描き出していました。

こちらは椅子に座っていながらも、まどろみに誘われたり、砂嵐に巻き込まれたり、夕暮れの斜めの陽光を頬に浴びたりしながら1時間を過ごしました。

あまり知られていない作曲家を聴きに来ようという人たちだから気合いが入っているのか、お客さんもプロ(?)で、出だしや曲間などには吸い付くような緊張感のある静寂を作りだしていました。常にガサガサ落着きのないことが多いラ・フォル・ジュルネでは稀有の体験でした。

異様な緊張のうちに曲が終わると、ピアニストはニッコリして、チャイコフスキーのユーモレスカ、と言って愉快な曲を1曲、プレゼントしてくれました。万雷の拍手で、和やかムードのうちにプログラムは終了しました。

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会場を去るのも名残惜しく、しばらく地上広場で風に吹かれていました。簡易テーブルを囲んで偶然相席になった人たちと話が弾んだり、最終日だからか通路際に座っていたからか、次々知り合いが通りかかるので乾杯したりと、ちょっとしたパーティー気分のうちに、今年のお祭りも過ぎていきました。

本当に楽しいひとときをありがとうございました。

来年2017年のテーマは「ダンス」だとか。
こんな大がかりな催しを維持していくのは大変なことだと思いますが、どうか来年も恙なく開催されますように…!

posted by 銀の匙 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日 2016 ナチュール 第2日目(5月4日)感想

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皆さま、こんばんは。

有楽町/日比谷の東京国際フォーラムで行われている熱狂の日も、はや中日となりました。
(昨日の初日の様子は→こちら

さすがに昨日に比べると人出も増え、地上広場は賑やかになっていました。
しかし、今年は、例年だったら前売りの段階で売り切れてしまうであろう良い公演が、まだ買えるんですね…。↓

http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/timetable/index3.php

諦めずに、パソコンでゲットしてから会場に行くか、ガラス棟の中に当日券売り場があるのでその場でゲットして、ぜひお祭りに参加なさってください! ビックリするようないいプログラムにまだ空きがあります。

でも、この音楽祭の趣旨からいえば、ふらっと来てふらっと入れる方が楽しいですよね。その意味では、今年の混み具合くらいでちょうど良いんだろうけど、あまり収益が悪化すると開催されなくなっちゃうだろうし、難しいところですよね。

日比谷駅から会場のホールに向かうとき必ず通るガラス棟のB1階は、ガラスでできた渡り廊下のようになっていて、B2階で行われているキオスクコンサートの会場を上から横切る形になります。下でキオスクコンサートをやっていると、ガラス越しにのぞくことができます。音も流してくれているのでその場でも楽しめますが、当日の半券を持っていると、会場内に入ることもできます。

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たまたま昨日聞いたvoces8が出ていて、ものすごい人だかりでした。有料コンサートでやっていた歌もうたっていましたが、ところどころ観客参加型のワークショップ形式になっていて、コンサートより面白かったです(笑)

舞台はぐるりと360度お客さんに囲まれているので、ウェーブをさせたり、それぞれ自分の前にいるメンバーの出す音(カッコウやハチの羽音、日の光など)を真似して歌わせたりして、全員合わせると1つの曲になる、というのをやってました。

アカペラというと取りつきにくいですが、こうやって組み立てるものなんだなあとよく分かる、優れたパフォーマンスだったと思います。最後まで聞きたかったけど、楽しみにしていた公演の時間が迫ってきたので、泣く泣くその場を後にしました。

さて、有料公演の開演前には、いつも注意事項などのアナウンスが流れるのですが、今年はなかなか凝っていて、各会場にプロジェクターで森が映し出され、自然の音がチャイムがわりに使われています。

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ホールAの様子(もちろん、開演前にスマホは電源を切りました)

公式HPによると、「耳のためのシネマ」(レポートは初日の感想記事に→こちら)のボリスさんが採集した本物の自然の音だそうです。

ホールA : モリヒバリ
ホールB7 : カッコウ
ホールB5 : ミソサザイ
ホールC : ウタツグミ
ホールD7 : ヤツガシラ
G409 : コオロギ
日比谷野音 : サヨナキドリ

本日最初に聞いたプログラムNo.212はヒバリの賑やかな声で始まりました。
毎年楽しみにしている、小曽根真さん登場の絶対外さないプログラム。今年も期待以上の面白さでした。

舞台の上には2台のピアノ。まずはピアニスト1人とヴァオリニストが登場。さて何だろう、と思ったら、弾いてるのはピアノのはずなのに、なぜか琴みたいな音が…そして、やおら始まった「春の海」。

そういえば、この曲きちんと通して聞いたことなかったなぁと思いつつも、会場はすっかりお正月モード。
舞台に登場したもう一人のピアニスト、小曽根さんも開口一番、

「皆さま、明けましておめでとうございます(笑)」

その後、観客のために種明かしをしてくれましたが、スタインウェイに貼ってはがせる粘着テープをつけただけでした。ピアノの弦にさまざまなものを取り付ける、プリペアドピアノのような凝った仕掛けをしているのかと思ったら、工夫次第で簡単にできるものなんですね。

続いて小曽根さんがラテンを1曲弾いてくれて、その後、予告されていたサン・サーンスの動物の謝肉祭が始まりました。

これも「春の海」同様、全部を通して聞いたことがなかったので、とても新鮮でした。ところどころにさりげなく、嫌味のない形でジャズの味付けがされていて、それも良かったです。

ピアノの小曽根真さん、江口玲さん、ヴァイオリンの ドミトリ・マフチンさん、矢部達哉さん、ヴィオラのジェラール・コセさん、チェロの宮田大さん、コントラバスの山本修さん、フルートの工藤重典さん、クラリネットの吉田誠さん、マリンバの安江佐和子さんと、いずれも腕利きのメンバーが揃い、息の合った演奏を聴かせてくれました。

途中、有名な「白鳥」の章がありますが、何度も聴いたことのある、いまさらな曲なのに、今日のチェロは格別に素晴らしくて、思わず涙が出てしまいました。伴奏に回ったピアノも、控えめながら、水や光のキラキラした様子が目に浮かぶようでした。

アンコールはピアノの掛け合いから派手な終曲の追い込みを再演奏してくれましたが、そこに今回の人気者、ナチュールおじさん(勝手に命名)も参戦、大盛り上がりで終了しました。あぁ〜楽しかった!

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ナチュールおじさん(?) ガラス棟入り口の展示付近に出没して皆から記念撮影をせがまれていました。このプログラムの前に、Aホールの入り口でお見かけしたので、おや? と思っていたのですが…


続きましては、No.266の北欧の自然を鑑賞です。

ロケ地めぐり…じゃないや、お宅訪問までしてしまったグリーグはじめ、大好きな北欧の作曲家たちの作品を集めたピアノプログラムということで、選んでみました。曲目は以下の通りです。

パルムグレン:五月の夜(《4つの春の夜》op.27から)
ペッテション=ベリエル:夏の歌、ローンテニス(《フレースエーの花々》 第1巻 op.16から)
シベリウス:ピヒラヤの花咲くとき、孤独な松の木、ポプラ、白樺の木、樅の木(《5つの小品/樹の組曲》op.75から)
シベリウス:ひな菊、カーネーション(《5つの小品/花の組曲》op.85から)
グリーグ:ノクターン、小川、春に寄す、トロルドハウゲンの婚礼の日 (《抒情小曲集》から)

初めて入ったG409のお部屋はこじんまりとしてとてもコージー。153席しかないため毎回競争率が非常に高く、今回は取れてラッキーでした。

演奏はきちんとしていたのですが、体操の曲みたいで面白かった1曲を除くと、どちらかというとおとなしい曲を、曲想に忠実におとなしく弾いた感じで、ちょっと印象が薄くて…。

そして最後はNo.257でこれもピアノソロ。
実は、同じ時間の別のプログラムを予約したつもりだったのに、会場のB7をD7と間違えて取っちゃいました。毎年何か一つはポカをやってしまうのですが、今回はコレでした(哀)

アンヌ・ケフェレックさんによるこちらも好プログラムなのは分かっていたのですが、前に聴いたことがあるからパスしよっと、と思っていたのにそれは許されなかったようですw

曲目はこちら。

ドビュッシー:水の反映(《映像》第1集から)
ドビュッシー:オンディーヌ(《前奏曲集》第2巻から)
ドビュッシー:沈める寺(《前奏曲集》第1巻から)
ケクラン:漁師たちの歌(《陸景と海景》op.63から)
ラヴェル:海原の小舟(《鏡》から)
リスト:悲しみのゴンドラ Sz.200/2
リスト:波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ(《2つの伝説》から)

演奏はもちろんさすがの貫録で、どこからこんな音がと思うぐらい迫力のある演奏でしたが、さらに良かったのはアンコール曲。

良く眠れるように、とヘンデルのメヌエットを弾いてくれました。

この方の演奏はフランスの作曲家の曲しか聴いたことがなかったのですが、透明感のある、典雅でしかも優しい、大変素晴らしい演奏でした。おかげで良く眠るどころか興奮してしまい、帰宅がだいぶ遅くなっちゃいました。

とは言え、こんな静かで優しげな、しかも子守唄がわりに弾いてくれた曲が終わった後で、ヴラボーッツ!って怒鳴るのはホントに勘弁して欲しいです。頼むからやめて…。

ということで、明日は最終日。初日に聴いて良かった奏者のチケットがまだ売っていたので、急遽追加して聴きに参ります。

では、また明日!(記事は→こちら

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2016年05月03日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016 1日目(5月3日)感想

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皆さま、こんばんは。

今年も恒例、有楽町/日比谷の国際フォーラムを主会場に開催されるゴールデン・ウィークの音楽のお祭りに、出演者と観客として参加しております。

今年は前夜祭には参加せず、第1日目の午後から出かけました。

少し曇り空で爽やかな風が吹き、オープンエアの催しには絶好のコンディション…だったのですが、一番混むはずの午後の時間帯でもどことなく人出が少なく、例年なら長蛇の列になる地上広場の屋台村も、並ばずすいすい買えるのに何となく危機感を覚える初日でした。

音楽祭全体のテーマが、「自然」という漠然としたものだったのが影響したのでしょうか。それとも、不景気を反映してるのでしょうか。何とか来年も開催できるだけの入場者が集まって欲しいものです。

沈んだ気分に追い打ちをかけるように、楽しみにしていたピアニスト、ボリス・ベレゾフスキー来日キャンセルの報せ。いの一番にチケットを押さえただけに大ショック。急病とのことで残念ですが、来年は元気で来日してくれますように…。

さて、初日の今日、最初に聞いたのは実は普通の音楽ではなくこちら、「耳のためのシネマ」

入場前にアイマスクを受けとり、開演を待ちます。まずは、プログラムの創作者、ボリス・ジョリヴェさんから挨拶があり、たくさんの作曲家による作品、ということでスタートします。

目を閉じて耳を澄ませていると、さまざまな音が聞こえてきます。

鈴のような音。泡立つような音。風切り羽根や、重い何かが移動するような音。嵐が吹き荒れるような音。
電子音のようなものも混ざっています。
大きい音、小さい音、近い音、遠い音。

鳥のうたや小川の流れのように、すぐ分かるものもあるし、見当もつかない音もあります。
アブのような音がすると頭のてっぺんが痒くなるし、風の音が唸ると砂粒が頬に当たったような感覚があり、ハエの音がしたときは思わず振り払おうと手を動かしてしまいました。

最後は、同じ単語が、まるで下から上へ立ちのぼるように移動しながら唱えられていく声で終わります。

終わった後、ボリスさんが少し解説をしてくれました。作品に使われた音はすべて自然音で、氷の移動する音
、蜘蛛の鳴き声(!)などは採集にとても苦労したそうです。

質疑応答もあり、自然の中だけではなく、たとえば東京では、また他の都市とは違った音がするので、熱心に収集したのだとか。さすがです。

続きまして、今度は合唱のプログラム(No.135)。
VOCES8はイギリスのヴォーカルグループで、美しいアカペラを聞かせてくれました。宗教曲とポップスが混ざっているという凝ったプログラムでしたが、編曲が上手いのか、ポップスも彼らのスタイルに似合っていてどちらも楽しめました。

曲目はこちら↓

シュッツ:天は神の栄光を語る SWV.386(《宗教的合唱曲集》op.11)
メンデルスゾーン:なぜなら彼は天使たちに命じて(詩篇第91番)
ドイツ民謡:マリアはいばらの森を通り
ベネット:生きとし生けるものは
ウィールクス:ヴェスタはラトモス山を駆けおりつつ
コズマ(ローランド・ロバートソン編):枯葉
スコットランド民謡(ターナー編):オー・ワリー・ワリー
アメリカ民謡(ヒューイット・ジョーンズ編):シェナンドー
マクリーン(ジム・クレメンツ編):星の降る夜
ジョン&ミシェル・フィリップス(ジム・クレメンツ編):夢のカリフォルニア

アンコールもあり、ライオンキングから1曲歌ってくれました。

頑張って日本語でMCをしてくれたり、会場出口ではメンバーがお見送りをして一人ひとりに握手をしてくれたりと、小ホールでのリサイタルを思わせる親密な雰囲気でした。

今日の最後は急遽設定された追加公演(No.777)。
「夜」にちなんだ作品を集めて、と題して、

ジョナス・ヴィトー(ピアノ)
チャイコフスキー:5月 白夜(《四季》op.37bから)

ユーリ・ファヴォリン(ピアノ)
ケクラン:夕べの歌、テラスに差す月光、夜の回教僧たち〜荒れ果てた地に差す月光(《ペルシャの時》 op.65から)

ルイス=フェルナンド・ぺレス(ピアノ)
ショパン:夜想曲 ハ短調 op.48-1→こちらは
グラナドス:《ゴイェスカス》より「マハと夜鳴きウグイス」に変更
ショパン:ノクターン 変ニ長調 作品27-2

ソプラノ&ピアノ
ドヴォルザーク:月に寄せる歌 (オペラ《ルサルカ》 第1幕より)
ストラヴィンスキー:ノー・ワード・フロム・トム(トムからは何の便りもない)(オペラ《放蕩者のなりゆき》 第1幕より)

今回の目玉奏者ばかりを集めたプログラムとのことで、たぶんどなたの演奏も初めて聴いたと思いますが、ことに2番目のユーリ・ファヴォリン、この人の演奏は凄かった。

間の取り方が絶妙なのと、音のくっきりとした立ち上がりが美しく、すっかり聞き入ってしまいました。ケクランのこの曲、録音を聴いたときはどうしようかと思うほど退屈だったのに、こんなに素晴らしい曲だったとはおみそれ致しました。

最後に歌曲もあって、歌の方は響かない会場でソプラノの人が歌うには低い音が多かったのか、かなりドスコイ入っていたうえ、高い音はのどを締め付けられてるような感じでちょっと厳しかったですが、伴奏はとても良かったです。ドヴォルザークはチェコ語の歌詞でしたが、歌詞カードをみたら千野栄一先生の訳でした。

ということで、明日も引き続き行ってまいります!


posted by 銀の匙 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする