2016年08月11日

シング・ストリート 未来へのうた(注記以降、ストーリーの結末に触れています)

ジョン・カーニー監督のアイルランド映画。

劇場に入るといきなりデュランデュランの♪リオ、リオ、リオ・グランデを踊って渡る〜♪のサビの部分がかかってて、映画館もオリンピック仕様なのかぁと思いましたがもちろん違いました。

劇中、この歌がストーリーの重要なカギを握っちゃうような映画、といえば、歌を知ってる方はお分かりかと思いますが、物語が設定されてる時代から、かかってる音楽、登場人物のファッション、街並み、ストーリー展開に至るまで、全てが正しくこの曲と同じく80年代風であります。

リアルタイムで知ってると、この時代の何もかもがどことなくダサく感じてしまうのですが、席を埋め尽くした若者たちは全然そうは思わなかったらしく、あちこちから聞こえてくる感想は、「面白かったよね」「オシャレだったね」って...本当に? 

見回せば、リアルタイム世代っぽい人たちは皆押し黙り、胸中複雑であろうことが窺えます。だからって、もちろんダメな映画ではありません。いえ、なかなかいい映画だったです。

複雑だった訳は何となく分かりますがそれはちょっと置いといて、まずA面(死語)から行きますと、舞台はド不景気の真っただ中のアイルランド。音楽好きの少年・コナーは、親が失業してしまったため、ガラの悪い学校へ転校する羽目に。ところが、モデル志望の少女・ラフィーナに一目惚れするや、バンドのビデオに出演を持ち掛けるという口実で興味を惹くことに成功。

そこから急きょバンドを立ち上げるという、泥縄もいいところの展開なんですが、同じく音楽好きの兄・ブレンダンや学校仲間の協力も得て、なかなか良い感じのバンド「シング・ストリート」を結成し、ラフィーナにも認められるようになる。

しかし、当時のアイルランドはドン詰まりで、若者たちの唯一の希望は隣国ロンドンに渡ることでした。ラフィーナもモデルとしての成功を夢見て、海を渡ってしまうのですが…



そもそも、80年代のニューロマンティックにドン引きしていた身としては、デュランデュランのMVが出てきた時点できゃーすみません来るところを間違いましたあのーおなか一杯なんで早退していいですか?と逃げが入っていたのですが、兄上の言う通りベースラインに注意して聞いてみると、なかなかカッコいいサウンドではないですか。

やはり先入観というのはいけませんね。音楽の使い方も絶妙で、お母様の浮気のシーンでさりげなくホール&オーツの「マン・イーター」(男好き)が流れたり、君は自分の行く道を決めたんだね、というザ・キュアーのIn between daysの歌詞が被るようなシーンがあったりとか、歌詞とストーリも上手くシンクロしていましたね。

分かってしまうと逆に薄っぺらく感じるのかも知れないけど、知らない人のために、挿入歌の訳も字幕に入ってたら面白かったかも。

「シング・ストリート」が「作曲」するオリジナル楽曲も、巧みに80年代風にアレンジしてあって実に心憎いです。コナー役のフェルディア・ウォルシュ=ピーロはこれが映画初出演だそうですが、ピュアな感じがとてもよく出ていて、歌声も心に響きます。

コナーは、お兄ちゃんにMVを見せてもらうと、たちまち影響されて翌朝同じような格好になってたり、鼻歌を歌っているうちに両親の怒鳴りあう会話が歌詞に交じってしまったりと、バンド少年あるあるな大人しいイジメられっ子なのかと思っていたら、結構な気骨の持ち主。

劇中、どんな音楽をやるんだ?と聞かれて、懐古趣味じゃないやつ。未来派だよ。と何度も答えていたのにグッと来ました。

だから、この映画も、舞台装置としては80年代を借りているのですが、その時代にこだわって懐かしむという作りにはなっておらず、あくまでもそこから飛び出して未来を創る、という視点で作られています。そこが爽やかだし前向きで良かったです。

80年代を象徴する映画として、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が出てきましたが、校則にうるさい校長も「お前がモーツァルトなら私はサリエリか?」と言ったりして、実は映画「アマデウス」を観てたのかな〜と思ったり、戒律がやたり厳しいと思ってたイエズス会の学校の方がずっとおとなしいらしかったり、と細々したところも面白かったです。

ということで、以下はお話の先までご紹介しますので、
これからご覧になる方への推薦の辞はここまで。

ヒューマントラストシネマ有楽町 スクリーン1で見ました。
見やすい席はF席かG席です。
F席は前が通路なので、広々していますが、
通路を挟んだ前のE席と高さがほとんど同じなので、
座高が低い人はG席の方がいいかも…。

(この先はネタバレになります)










さて。

爽やかに感動している若者たちを斜めに見ながら、おじさん、おばさんは暗い顔の人が多かったですね。

今になってみると、EUからうっかり離脱してしまった(?)イギリス人がアイルランドのパスポートをとるために必死になってたりとか、事態はかなり複雑に変化しているのですが、映画のストーリーの方はテンプレ展開なので、そこが食い足りない、という大人もいたかと思います。

また、かなりの人がお兄ちゃんのブレンダンに感情移入してしまったせいもあるかも知れません。
こちらが暗黒面…いや映画のB面ですね。

意味の分かんない規則でがんじがらめに縛ってくる校長の目の前で、校長を批判する歌をうたい、美人で賢いガールフレンドと新天地へカッコよく旅立っていく弟。

両親の喧嘩の防波堤になり、自分の理想は挫折しても弟に音楽のイロハを教え手助けしたにも関わらず、弟から家でゴロゴロしてるだけのように非難されて、自分が荒野を切り開いたから末っ子のお前が通れるんだとキレてしまう兄。

全国の長男・長女の観衆の皆さんが心の中で、「そーだそーだ!」と叫んでいたのが聞こえるようです。

だけどお兄ちゃん、自分は「ロックとはリスクだ」と言いながら、結局のところ本当の意味でリスクは取ってなかった。音楽についてのオタクな知識はあるけど、彼にとって音楽は逃避先で、表現者として弟のように行動していなかった。そのことを痛感しているので、何かに憑かれたように、弟の旅立ちを助けます。きっと、相当気持ちが高ぶっていたのでしょう。

小さなボートでアイルランドを離れ、ウェールズに向かおうとする二人(って、パスポートとか要らないのかな?)を岸辺で見送りながら、降り出した驟雨の中で Yes, Yes! とまるで自分に言い聞かせるように言う彼の心中を考えると、お兄ちゃんの方に年や立場が近い者は実に複雑な気持ちです。

コナーは言っていましたね。
自分はフューチャリスト(未来派)なんだ、と。

この未来とは彼ら14歳の未来なのであり、大人たちは彼らに主役を譲り、手助けする存在に過ぎません。たかが映画でそんなこと思い知らされたくはなかったですが、それが現実です。

物語の中で彼らの両親は飲んだくれ、喧嘩をし、不倫をし、とロクなことをしていません。ラフィーナに至っては、保護施設で育ったのです。でも彼女は、そんな傍目にはどうかと思うような親の、子どもへの愛情を繊細に、敏感に感じ取っています。

80年代のコナーは2016年の今、彼らの両親に近い年のはずですが、果たしてどうなっているのでしょうか…。

普遍的な物語のフォーマットを下敷きにして、永遠の青春映画として作りながら、一方では、80年代という時代の楔を打ち込むことによって、決して昔は良かった式のおとぎ話にはしていません。そんなところがちょっとほろ苦い、余韻のある映画だと思います。

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ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする