2016年08月18日

蘭陵王(テレビドラマ30/走馬看花編 第18話)

皆さま、こんにちは。

不肖わたくしは違いますが、世間様は楽しい夏休み。
帰省する方もいらっしゃれば、
旅行する方もいらっしゃるかも知れませんね。

どうせなら遠くに旅したいなあ、と思われた皆さま。
実は、日本にいながらにして、1400年前の北斉にトリップできる場所があるのですよ!

ってまたまた〜、レンタルDVD屋とかっていうのがオチなんでしょ?とお疑いを受けるのは、これまでの実績からして当然の報い(?)ではございますが、いえいえ、ちゃんとリアルなものです。

ひょっとしたら夏休みを利用して都内にいらっしゃる方もおられるかもと思い、急いでエントリーしました。なので、この記事はあとから内容を追記させていただくことがあるかと思いますが、とりあえず。

なお、私が知ってるのは東京のスポットだけですが、ちゃんと調べれば、日本で他にも北斉気分を体験できるところはあるのかも。

と、思わせぶりな前ふりから早速まいりましょう、第18話
なお、前回の第17話は→こちら から、蘭陵王関係のエントリーをご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*

斉国の皇子・蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉との婚儀を間近に控えながら、敵国・周の皇帝=宇文邕<うぶん よう/Yuwen Yong>=「余を仔ブタと呼んでも良い」陛下の、姪のやまいを治してほしいとの懇願にほだされ、周の宮廷に赴いた、天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉。

ミッションを無事果たしたうえ、宿敵であった宇文護を除くことにも貢献した天女に、宇文邕はますますメロメロです。

しかし、近衛兵に身をやつして密かに雪舞を見守っていた蘭陵王が、横取りを許すはずもなし。

国境近くまで2人を追ってきた宇文邕は引き際に、3年の間は斉を攻めないと約束し、停戦協定書を手渡します。

蘭陵王は「斉の民に代わって感謝する」と、それを受け取るのですが…


*

さて、爽やかに晴れました北斉の都・鄴〈ぎょう/Ye〉の朝。
時の皇帝・武成帝の御前で、四爺が停戦について報告しています。

古代、皇帝の御前での会議は、今みたいに午後いちでミーティング、って訳じゃなく、「朝議」という言葉がありますように、朝行われていました。

朝っていってもいろいろありますが、真面目な皇帝だと「日の出」に設定したため、都の端っこに住んでる大臣とかは参内するのに夜明け前から支度しなくちゃいけなかったらしい。

とはいえ、普通は「卯の刻〈うのこく〉」(朝6時くらい)に設定されていたらしく、出勤することを“応卯”といい、そのとき、ちゃんと出勤してるかどうか点呼を取るのを“点卯”といいました。

なので、今でも点呼や出勤時にタイムレコーダーを押すのを“点卯”といったりするそうです。

まさか6時出勤じゃないとは思いますけど…。

ってことで皆さん早起きして参集しておられる中、蘭陵王は宇文邕から預かった停戦協定を渡します。

皇帝はいちおう喜んでくれているのですが、でも普通、臣下が停戦協定なんかいきなり持ってきたら疑わない?

そもそも、毎朝“点卯”してるはずなのに、突然1か月無断欠勤したわけでしょう、弟の安徳王〈あんとくおう/Ande Wang〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉=五爺〈ウーイエ/Wu Ye〉に託して説明はしたんでしょうけど、一体何て言い訳したのやら。

そんなの、本当の事を言えばいいじゃないか…とお思いでしょうが、王、王妃の身分で勝手によその国に滞在したり、あまつさえ、ディズニーランドに行ったりしたら、エライ人の逆鱗に触れるに決まっています。

しかも、この回にも出てきますが雪舞は婚礼を控えた身、親族の男性にだって接触してはいけないのですから…

そこへもってきて突然の停戦協定。使節として赴いたわけでもないし、ましてや皇帝でもないのに、蘭陵王に受け取る資格があるんだろうか…。

と、祖珽〈そ てい〉がこの場に居たら絶対ツッコんだと思うけど、誰も気が付かないのか華麗にスルーされているので仕方ありません。

皇帝はこのめでたい報せを御仏に感謝するため、寺院を建立しようと言い出します。

四爺が民の負担を思って難色を示すと、皇太子の高緯〈こう い/Gao Wei〉は「民の教化のため」「父君は頑固な頭痛を患っているが、仏寺を建立して軽快している」と言い出します。

ここで段紹〈だん しょう/〉太師が反対の理由として持ち出した、わが国では10人に1人が出家している、という話はあながち大げさでもなかったらしく、隣国・周でも同じ理由で困っていたようです。

史実の宇文邕もドラマ同様、神仏の祟りを恐れず「廃仏」を行いますが、おかげで後世の評判はさんざんで、「三武一宗の法難」なんて山○世界史の教科書にまで載っており、21世紀の日本の受験生からさえ、暗記の負担を増やしやがって…と呪われる始末です。

ちなみに「三武一宗」とは、中国史を通して仏教徒を迫害した4人の皇帝のことで、北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗のこと。

寺院を建立して今、民に恨まれるのが嫌か、
廃仏をして後々ワールドワイドにdisられるのが嫌か、
微妙なチョイスですね。

ともかく、この場は寺院建立を皇太子に任せることが決まり、蘭陵王には婚礼の祝いの品として、大玉圭〈けい〉一対が贈られます。

圭はオベリスクのような形をした平たい礼器で、それ自体になにか効能があるわけではありませんが、古くは伝説の帝・禹〈う〉が、治水で功績を挙げた功績により贈られたといわれる、由緒正しきお品です。一説には、長さを測る工具を象り、国を治める決まりを象徴しているとも言われます。

ご興味のある方はこちら↓の解説ビデオをご覧くださいませ。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjk2MDEwMDg=.html

ということで、着々と婚儀の外堀が埋まっていくのですが、現代の庶民の結婚式さえ様々なしきたりが残ってるくらいですから、当時の婚礼の煩わしさは想像に難くありません。

蘭陵王のお屋敷には中央官庁から、儀式を司るお役目の官女たちが派遣されてきます。

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このお帽子がインパクトありますよね。少し形は違いますが、唐時代の俑(よう:土でできた人形)にも似たものがあります。

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4人はシンクロナイズドスイミングのように隊列を崩さず、入口で馬を洗っている下女に取次を頼むと、相手は挨拶もせず、マナーが全然なってません。

当然、礼部の人間としてはムカついています。

“早耳聞 四王爺待下人 太過ェ厚”
(かねがね 第四皇子殿下が 下々の者にお優しすぎるとは聞いていた)

“府上規矩 日漸松散”
(お屋敷の規律は 日ごとに緩んでいるとね)

“今日一見 果然 就連一個小丫鬟都這麼無禮”
(今日来てみれば 噂通り 卑しい下女まで無礼千万)

“聽說 這天女王妃 也是個不守禮法之人”
(聞くところでは この天女の王妃さまも 礼儀をわきまえぬお方とか)

“你們還記得嗎 皇上首次召見她”
(覚えておいでか 陛下に初めて拝謁した折に)

“她竟然為了一介百姓 讓皇上苦候多時呢” 
(一介の民草のために 陛下を長いことお待たせしたお人)

“無論如何 我們身負皇命” 
(我らは陛下からのご命令に従い 何としてでも) 

“定要讓四王爺的大婚”
(第四皇子のご婚礼を)

“一切按照禮法祖制而行
(代々のしきたりに則って進めねばならぬ)

一介の民草のために、陛下をお待たせした...とは、第11話(→こちら)で周との戦いから凱旋した折、わらじを縫って欲しいと頼まれて雪舞が参内に遅刻した、あのエピソードですよね。

もう7話も前のこと、ホントいつまでもくどくどと…。

しかし、しきたりを大事にする人たちには前例がとても大事なので、記憶力もいいのかも知れませんよね(棒読み)。

強権発動する気まんまんで家令に取り次いでもらってみれば、さっきの無作法な小娘が王妃殿下とは。

宮女四人は地面に這いつくばってはいますが、内心どんな悪態をついているか、知れたもんじゃありません。
それでもさすが言葉遣いは、

“有眼無珠”
(目が節穴でございました)

と殊勝なことをおっしゃっておられます。

こんなに礼儀にうるさいくせに、エライ人の前で帽子も脱がないのは不思議なんですが、当時の中国では帽子(冠)を被ってることが身分の証であり、礼儀だったんですね。その辺はおフランスと違います。

そして、這いつくばったが最後“平身”(おもてを上げよ)と言わないと、そのまんまらしいです。いつまでも言わなかったらどうするんだろう…?

みたいな実験はさすがにやらない雪舞ですが、それをいいことに、礼部の皆さんは公務執行に熱心なご様子です。職務柄ではあるのでしょうが、いったいナゼ?

と思っていると、宮女たちはググッと近づき、雪舞の髪型を整えると提案します。そしてその理由は、

“梳結鬟式髮式”
(結いあげたおぐしは)

“透露出巍峨瞻望的高貴”
(仰ぎ見るべき高貴なご身分を表します)

はい、そうですね。
たかが数十年の王朝で「代々のしきたり」なんて片腹痛いわ! と思ってしまいますが、たかが数十年だから、余計マナーにうるさいのです。

例えば、ヴェルサイユ宮殿。

あなたが王妃さまだったとしましょう。

ちょっと喉が渇いたから、水を飲みたい。

と、思っても、そこらのメイドさんを呼んでコップを持ってこさせる、みたいなことは出来ません。

王妃の用事を直接聞く侍女→水を持ってくる給仕係→台所に行く係→台所で水を汲む係…

と、バケツリレー状態でようやく水が届きます。

着替えともなれば、下着を渡す係と衣装を渡す係がバラバラなうえに、その場に身分が高い人が居合わせれば、その人が王妃に下着を渡す役を務めなければなりません。

かくして着替えもバケツリレー状態で、冬にそんな目にあったマリー・アントワネットは凍え死にそうになったとか。

あまりにもバカバカしく感じたのでしょうか、彼女は宮殿の女主人になるや、これらのしきたりを廃止してしまいます。それが悲劇の引き金になるとも知らずに....。

一方、蘭陵王府のばらは、まだ人の言いつけを聞かなければならない身分。

礼部の宮女たちに、
“不能留下一點話柄“
(物笑いの種になるようなことは避けなければ)

四王爺のために、と言われちゃうと、従う以外ないですよね。

“禮部侍女 真是出了名的難纏呢”
(礼部の女官は名うての手ごわさだわい…)
と、家令の王さんもタメイキです。

一方こちらはお気楽な四爺五爺ご兄弟。

なんで馬車に乗らずに歩く、皆に注目されるのが好きなの?

と五爺に聞かれて四爺は、しばらく都に帰ってなかったから懐かしい的なこと言っていますけど、庶民の街をこんなタカラヅカみたいなカッコして歩いたら、物見高い人々に取り巻かれて前に進めるわけないと思うのは私だけでしょうか。

黒マスクで変装して21世紀の上海を歩いていたって、スター様はパパラッチに追い回されているというのに、1400年前の娯楽に飢えてる田舎町で皆が見て見ぬふりしてくれるなんて、あり得ないでしょう!

しかし、あの兄弟にかかわったらヤベっ!と思われているのかエキストラの教育が行き届いているのか、道行くギャラリーからむしろ避けられてるような雰囲気の中、四爺は、

“看看有什麼好玩的東西 賣給雪舞啊”
(何か面白いものを 雪舞に買ってあげようと思って)

と言います。
 五爺が、兄上はいつも未来の“四嫂”(四兄のヨメ)の事を思ってるんだな、
とからかうと、嬉しそうにするのが良いですね。

“其實我就喜歡你四艘 無拘無束的性格“
(私はお前の義姉上の 何にもとらわれない性格が好きなんだ)

“比那些講究繁文縟節的大家閨秀 強多了。”
(些細な建前ばかり気にする良家の令嬢なんかよりずっと良い)

答える五爺の言葉を借りれば、このドラマの力関係は、

尉遅迥〈うっち けい〉<宇文邕〈うぶんよう〉<雪舞(せつぶ)

ですが、最上級はどうやら、

<礼部の官女

だったみたいですね。

二人が息抜きから戻ると、お屋敷には早速彼女たちが待ち構えています。

その「すぐやる」ぶりに、もう来たのか!と驚く四爺。

“四王爺 五王爺 請安”
(第四皇子、第五皇子にはご機嫌うるわしく)

と、お作法に則った正式な挨拶を受けると五爺は、

“在府內 叫五爺就可以了”
(屋敷では五の若様でよい)

と返します。すると官女は

“祖法禮制不可輕廢 侍女不敢造次”
(古くからのしきたりを 私めが軽々しくやめることはできません) 

と言います。

つまり、これまで聞きなれていた“四爺”“五爺”というのは実は簡素な呼び方で、正式には“四王爺”“五王爺”と呼ばなければならかったということですね。

さすがに“王爺”は皇族にしか使えませんが、“四爺”“五爺”なら、大店の坊ちゃんなどにも使える呼び方です。

ばらは何て呼んでもばらの香りがするとは言うけどね...と思っていると、そこへ突然チェブラーシカ登場…

当然、お気楽兄弟には大受けしています。
アシナ皇后の髪型ほどじゃないですが、この時代の髪型はまさに凶器ですね。
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全力でよけて〜っ!

ホント、妙な髪型ですが、実は日本でも当時のヘアスタイルの様子を知ることができます。
こちらの↓ 俑〈よう〉は、東京国立博物館所蔵の唐代のものですが、
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そっくりですよね。

これから毎日この髪型なんで、慣れてくださいって言われてもな…という顔をしている雪舞の手をひっぱって、サラメシならぬ王爺メシに移行する蘭陵王ですが…。

このちゃぶ台、ちょっと低くないですか?

セットの作り方間違えてるんじゃないかしら。

そうかと思うと、五爺はちょうどよさそうなんだけど…

よく見ると全員、ちゃぶ台から上の高さがバラバラ(笑)
きっと全員、座り方がバラバラなのに違いない。

なんか急に掘りごたつ式じゃない居酒屋に座らされちゃった外人招待客みたいな面持ちで、雪舞は食事時に後ろに誰か立ってるのって慣れないわ、とほっぺを膨らませています。

五爺は、
“金枝玉葉 王妃都是如此”
(高貴な王妃さまとはこういうものなのさ)
と相変わらずからかいモード。

《金枝玉葉》といえば、『君さえいれば/金枝玉葉』って、ベタなタイトルの香港映画がありましたよね。この映画では「至高の」という意味で、別に王族は出てこなかったと思うけど、香港では『ローマの休日』を《金枝玉葉》と訳しています。

さて、セレブリティな雪舞さまですが、危なっかしい手つきで青椒肉絲っぽいおかずに手を伸ばすと、「同じおかずに4回箸をつけてはなりません。」と官女の指導が入ります。

理由が「好みを知られると毒を盛られるから」

ってそんな、全部に毒入れられたらどうすんのよ。

仔ブタ陛下なんて、唯一のスープに毒を盛られたんだから、逃げようがないじゃないですか。

まったくこういうルールって...と呆れていると、さすが“上有政策、下有対策”(上に政策があれば、下には対抗策あり)のお国柄、皇子自ら、

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“這是本王夾的。不違反祖制吧。”
(これは余が箸をつけたのだ。しきたりには反していまい)
ってそんなヘリクツ…。

と思ったら、引き続き、第6話の阿怪を彷彿とさせるおかずあげっこ合戦が始まってしまいます。
なんだか和気あいあいで楽しそうですよね。

やっぱり、煩い礼儀作法なんかやめた方が…と思ってしまいますが、本当にそれでいいのでしょうか。

ではここで、もう一度ご登場いただきましょう。
ベルサイユに咲く可憐なばら、マリー・アントワネット王妃様!

史実の彼女はわずか14歳で、母である女帝マリア・テレジアの君臨するオーストリアから、ルイ15世が君臨するフランスへ嫁いで来ます。

ヴェルサイユ宮殿では何をするにも事細かに作法が決まっており、当時皇太子妃だったマリーは辟易していたそうですが、彼女がとりわけ嫌ったのは、見物人の前で食事をするというしきたりだったと言います。

当時、地方から宮廷を訪れる人は、王や王家の人々の食事風景を見物するのが楽しみだったんだそうです。

旭山動物園じゃあるまいし、

もぐもぐタイムかよ!?

と、外国から来た皇太子妃は相当ムカついていたようで、夫のルイ16世が即位し王妃となるや、次々としきたりを取りやめてしまいます。

事細かに厳格に守られたこれらのしきたりは、当然、ブルボン王家に代々伝わる格式のあるマナーかと思われるでしょうが、実際にはその多くは、太陽王・ルイ14世の時代に定められたものでした。

そう、煩いマナーは、絶対王政の身分制度の厳格さを下々の者に思い知らせるために作られたのです。

つまり、礼部の宮女たちの言ってることはいちいちごもっとも。
さしたる能力もないくせに自分の絶対的な権威を認めさせたいのなら、しきたりの守り手であることを、常に誇示していなければならないのです。

さもないといつかは貴族や庶民にナメられ、断頭台に一直線です。

若者がついつい校則を破りたくなってしまうのも、校則を絶対破らせまいという人たちがいるのも、その延長線上なのかもしれません。

制服の裏に龍虎の刺繍をしてみたり、古代中国の衣装に肩モールつけてみたりのささやかな抵抗は、無意識のうちに相手の設定した権威に逆らおうという本能の表れなのでしょう。

さて。

ありがちな学園ドラマのラストシーンみたいに、手に手を取って、お屋敷を抜け出す二人。

でも残念ながら、ドラマはここでハッピーエンドって訳じゃない。

踏雪の迷惑も顧みず、(横幅が)大物な将軍と王妃は、2人乗りして街を出ていきます。

大向こうから“四爺!”と声がかかると、ファンの声援かしらと思い込む、このバカップルを何とかしてください、

楽しそうな2人のドライブに声を上げたのは…

蘭陵王を陥れる計画に利用された、元皇后の元侍女、鄭児〈てい じ/Zhen Er〉。

官奴として彼女が働かされていたのは、皇太子が差配する寺院の建築現場。

このシーンを観て、つい、おおっ! と声が出てしまいましたが、この第18話の最初のシーンで皇帝が「寺院を建立する」と言ったとき、私は唐招提寺みたいな木造の建物を作るんだとばかり思っておりました。

そうそう、この時代に作られていたのは、石窟寺院なんですよね。

特に北魏の時代から、北斉になっても延々と作られていた「龍門石窟」は現在世界遺産に登録されているほどです。

当時これを造らされた人から見れば、貴重な財産と労力を費やしてこんなもの、バッカじゃね?と思うのは当然ですが、結局何百年かの後に、子孫に観光資源を与えてくれるのもこういう無駄遣いな訳で、どうせやるならとことんやった方がいいんじゃないかな...? と、現在進行中の壮大な無駄遣いを負担しなければならない都民の端くれとしては、北斉の皆さまの胸中お察し申し上げますでございます。

石窟寺院には壁画や彫刻が収められており、中国の彫刻芸術の頂点にあったのは、南北朝時代と言われています。なんせ需要がありますもんね。

東京では、雪舞のヘアスタイルのフィギュアをみることができる、上野の東京国立博物館(東博)や、青山の根津美術館に、北斉時代の彫刻が展示されており、間近に見ることができます。

こちらは東博の菩薩立像。

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説明書きを読むと…
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なんと北斉の文宣帝のために造られた像です。

お次はファッションの街・表参道駅から歩いて10分ほどの、根津美術館。エントランスに飾られておりますのは、

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北斉の塑像の数々。

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ってことで、博物館に行けば今でも簡単に北斉の人に会うことができるのです!

しかも、世界史の教科書で、ガンダーラ仏の写真などをご覧になった方はご記憶かと思うのですが、彫られているものは仏さまとはいえ、モデルはやっぱり現地住民でしょうから、顔つきが土地土地で違います。

「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

と与謝野晶子さんも詠んでいますように、仏さまによっては、現地の人の理想のタイプが反映されたお顔立ちのものもあるはず。

南北朝の歴史について書かれたこちらの本の表紙↓ もそうした彫刻の1つなんでしょうけど、「蘭陵王」ってこんな顔だちだったんじゃないかな…と私は密かに考えております

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『図説中国文明史5 魏晋南北朝』(創元社)より

今、この表紙の塑像に似てるタイプの人っていえば、例えば、北方男子代表の井柏然〈ジン ボーラン/Jin Boran〉とか…。
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彼が今、ウィリアム・フォンが別れたニーニーさんのステディだということなので、そこにも何となくご縁を感じる...

いえいえ、そんなゴシップ、どうでもよいのですが、この時点で仲良しも頂点の軍神と天女は、第9話で登場した蘭陵王の幼少期の家で、おままごとのような生活を始めます。

“從現在起 我不是爺 也不是蘭陵王”
(いまから、私は皇子でもないし、蘭陵王でもない)

“妳呢,也不是天女 也不是王妃”
(君も天女でも 王妃でもない)

そういう蘭陵王をからかって、雪舞は言います。

“看你這麼一副氣宇軒昂 炯炯有神的樣子”
(気品があって堂々としていて、目力のある立派な風采だから…)

“我就叫你 阿土”
(あなたのことは、「阿土」って呼ぶわね)

ここ、笑うとこですから!

“阿〜”っていうのは、親しみを込めて相手の名前につける言葉で、日本でいえば「おしん」の「お」にあたります。

で、「おしん」とかと同じく、“小〜”“老〜”なんかに比べると、やっぱりちょっとダサい雰囲気。

それでもって、“土”とは、田舎くさい、ということ。

“土土的 tu tu de”は「超田舎くさい」

“阿土 A Tu”は「田舎っぺ」

と、そういうことです。

こんなこと言われて田舎っぺ大将軍はどういうリアクションかと思えば、

“好,我看你一副冰雪聰慧的樣子”
(よろしい、じゃ、とっても頭がよさそうだから)

“ 我就叫你 冰兒。怎麼樣?”
(君のことは“氷児”と呼ぼう。どうだい?)

“冰兒 Bing Er”という名前自体には特別な意味はないですが、蘭陵王の言った“冰雪聰慧”という言葉から連想されるように、賢い、頭が切れるというイメージがあります。

日本のスマホのサービスに、女子高生AI(?)がお友達になってレスを返してくれる、「りんな」というのがありますが、中国ではそれに先立って同様のAIが開発されており、名前はずばり、「小冰」ちゃん。

命名の由来は分かりませんが、一般に賢い美少女が連想されるんでしょうね、きっと。

なので雪舞は、

“你怎麼不取一個難聽點的名字。我就叫你阿土呢”
(なんでもっとヘンテコな名前にしないの。私はあなたを“阿土”って呼んでるのに)

と抗議しますが、

“冰兒不是很好嗎。冰雪聰明 就這樣”
(氷児はいい名前だろ。頭が切れて賢い。決まりだ)

“你明明知道我會內疚。不不不 我叫阿草好了”
(私がやましい思いをするって知ってるくせに。だめだめ、“阿草”がいいわよ)

“阿草 A Cao”にも決まった意味はありませんが、「民草」というように、草には取るに足りないもの、という意味があり、また、「草書」という言葉があるように、いい加減とか大ざっぱという意味もあります。どっちにしても、カッコ悪い名前には違いありません。

四爺は、そんな名前で奥さんを呼ぶなんて嫌なのか、全然取り合ってませんね。
優しいのね。はははは。

そんな二人の夜ご飯は麺料理。
北方中国の主食は小麦なので、庶民の主食は今でも麺料理が中心です。
お焼きやクレープ、マントウ、麺など、外でも売ってますが、家庭でも普通に粉から作ります。

さすが、粉もん文化の発祥地!

しかし、阿土は浮かない顔をしています。

皇帝からお叱りを受けたのか、周が攻めてきたのかと気をもむ氷児に、
「めんどりが半日も卵を産まなくて…」と答える阿土。

そんなこと、と呆れる氷児に阿土は答えます。

“民以食為天 老母雞不下蛋 對我來說 就是最大的事了”
(民は食を以って天と為す。めんどりが卵を産まないのは
私にとっては一番の問題だ)


いやいやそれより私ども視聴者は、あなた方の衣装の方が問題なんですが、この服装はまさか例の…。

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しかし、すでに第10話は遠い過去になってる蘭陵王は、阿土丸出しでしゃべっています。

“我現在是阿土 管她誰當皇帝啊”
(今の私は阿土だよ。誰が皇帝かなんて関係ない)

漢文を習われた方ならピンと来るでしょうが、ここの台詞は、中国で古代から理想とされる政治について話しています。

《十八史略》にこんな話が載っています。

伝説の皇帝・堯〈ぎょう〉は、仁と徳を備えた立派な皇帝でしたが、即位して五十年、果たして自分がきちんと天下を治めているかどうか、疑問に思っていました。

そこである日、お忍びで町中に出てみると、歌をうたう老人に出くわします。

ここを原文でみると…

有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、
(老人あり 哺を含みて腹を鼓し、壌を撃ちて歌いて曰く)

日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食
(日出でて作し 日入りて息う 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らう)

帝力何有於我哉
(帝力何ぞ我にあらんや、と)

老人がいた。
食べ物をほおばりながら腹鼓を打ち、地べたを踏み鳴らして歌うには、

日が出たら働き、日が沈んだら休む 井戸を掘って飲み、田を耕して食う

皇帝さまなんか わしに何の関わりもない

ここから「鼓腹撃壌〈こふくげきじょう〉」(よい政治が行われ、人々が平和で楽しむこと)という言葉ができました。

これは、「上善〈じょうぜん〉 水の如し」と一緒で、理想の政治は淡々として、無為〈むい〉であるべき、
という考え方に基づいています。

しかし、無為とは言ってますが、帝堯も太陽のような仁徳の持ち主ということで、率先垂範したので天下が泰平だったのです。

つまり、庶民の知らないところで、ハクチョウは水かきをしなくちゃ、ダメなんですよ。

いにしえの聖帝・堯とと同じ場所に国を構えた斉の皇子のくせに、♪おいらにゃ関係ねぇ♪ なんて庶民みたいなことを言ってどうするの。

そのブーメランは同じ放送時間内にたちまち返ってくるのですが、それはそのとき見るとして、一方の石窟寺院。

埃まみれの現場で、ズタボロになりながら働いている鄭児。

第17話までは、蘭陵王と宇文邕の動向が交互に描かれることが多かったですが、この第18話からは、いよいよ楊雪舞と鄭児が交互に描かれるようになっていきます。

鄭児を演じているのは、毛林林〈ニキータ・マオ/Mao Linlin〉さん。
ドラマではあまりに美人で近寄りがたい雰囲気ですが、
素顔は小粋なパリジェンヌっぽい、とてもキュートな女性です。

ということで、以下のインタビューは、ぜひ映像もご覧ください。
こちら

*

いま「蘭陵王」が放映されている関係で、たくさんの視聴者の方からいろいろなご意見をいただいてます。

このドラマはきっと人気が出るだろうとは思っていたんですけど、
ここまで熱心に観てくださり、反響が大きくなろうとは予想外でした。

いろいろなご批評について、私は聞かない、見ない、考えないというタイプではありません。
逆に、きちんと読んで、考えています。

なぜなら、視聴者の皆様が私にくださるご意見はとても大切ですし、的を射ていると思っているからです。微博には、私の至らない点について長大な論考の形でご指摘いただいている記事もあり、心から感謝しています。

ドラマに入り込んでしまって、リアルな事として受け止め、実際の私も鄭児のような人だと思っていらっしゃるご意見は、笑って見過ごせばよいのですから。

実は憎まれ役はこれがはじめてではなくて、賀軍翔〈マイク・ハー/He Junxiang〉と共演した《加油媽媽》(がんばれ、ママ)でも演じています。一度経験があるので、淡々と受け止めようという心の準備もしっかりできているんです。

それに、今ドラマはちょうど中盤。最後までご覧いただければ、どの登場人物についても、新しい見方をしていただけると信じています。このドラマでは誰もがそれぞれの辛さと悲しみを抱えているということを。

もう一度演じるチャンスがあったら、私はまた鄭児の役を選ぶと思います。私は彼女がとても愛おしいと思うし、すごいとも思う。愛のために全世界を敵に回す勇気を持っているんですから。

−鄭児は愛のために間違った道を選んでしまいました。 もしあなたの親友だったら、どうしますか。

すぐに止めます。
“硬拆一座廟 也不毀一椿姻緣” (祠を壊すことはあっても 夫婦の縁を壊してはいけない)とかって言いますけど、
もし一人の男性が世界のすべてになってしまったら、自分というものがなくなってしまいます。

私なら彼女を引っ張って、自分を見つめ直してもらいます。

欲しいものは何なのか どうしたいのか 周りにいる人たちの中で自分を分け与えて その愛の力で守る価値がある人 心を砕くべき人は誰なのか。自分のすることには責任が伴うのだと必ず忠告するでしょう。

−《蘭陵王》の中で、一番印象に残った演技は何ですか?

最期の部分でしょうね…あ、でもまだそこまで放送してないんですよね、言ってもいいですか?

あの部分については、(脚本家の)玉珊さんにとても感謝しているんです。

それから監督と、仲間たちにも。みんなで力を合わせた結果ですから。

もともとのオリジナルの脚本では、高緯〈こう い/Gao Wei〉と私が揃って死を迎えるとあるだけで、豊かに肉付けされたエピソードではありませんでした。

私は後ろ手にしばられているんですが、高緯はそれをゆるめて、手をさすってくれる。一人の男性が、命の瀬戸際に、こんな風にしてくれるなんて。

そのとき私は、その優しいしぐさに涙が滝のように流れてしまって、泣きすぎたので撮影がストップしてしまいました。

しかも彼は自分で考えて、お芝居を少し足したんですね。懐から「緯」という字が書かれた紙を取り出すんです。私たちが16歳のころ、まだ若かったときのものです。

歳月を遠く隔てて 私たちはすっかり変わってしまいました。

彼は暗君だし私は妖后。

だけど彼がその紙を取り出したとたん、私たちは戻れるんです。あの天真爛漫で、無邪気だったころに。

とても感動的なシーンで、私も心打たれました。

−共演したい俳優さんはいますか?

もちろんいますよ! すごく好きな俳優さんがいるんです。
でも向こうは私が長年彼を愛してるなんて知ってるわけないですけど。
私が好きなのは皆さんが「アイアンマン」って呼んでる、トニー(・スターク)なんです。

《復讐者連盟》(『アベンジャーズ』)でこんなセリフがあるでしょう。

敵が聞くんですね、
「お前からこのポンコツの鉄くずを除けたら何が残る」
「金持ちで慈善家でそのうえイケメンなところかな」
こんな風にちょっとヤンチャで、でも正義感にあふれているところが好きなの。

ですけど、まずはもうちょい英語ができるようにしないと共演どころじゃないですよね。さもないと私の言ってることも分かってもらえなくて意思の疎通ができないでしょうし。憧れの人のために頑張らなくちゃ。

(中略)

−鄭児は美の化身ですが、あなたが思う美とは?

そうですね、まず誠実なこと、ナチュラルで飾らないなら、女性としてすでに美しいと思います。いま、女性の目標はいろいろありますよね。欧米の女優さんだったり、韓国の女優さんだったり。

だけど、自分の持っているものを捨ててはいけないと思います。純粋で素朴なところをね。だってそれは得難いものだからです。

私はアリエル・リンがとても好きなんです。正直に言うと、彼女が出たドラマをたくさん見てはいませんし、しかも最初からラストまで見た作品もなかったんですけど、共演してから《我可能不會愛你》(『イタズラな恋愛白書』)を見て、すごく自然な演技だと感じました。

実際の彼女もとても誠実な人なんです。彼女は自分に必要なものが分かっていて、現場で撮影の合間に英語の本を読んでいます。留学の準備で。人にも優しいし、とても彼女が好きですね。

私はもちろん、自分の母も好きです。それは母が私の母だからだし、スーパーマンみたいに360度死角がなく、私を守ってくれます。とても愛してるし、私も母を守るでしょう。

―女優以外にしたい仕事はありますか?

そういえば子どもの頃はいろいろな事をしました。昔は絵を習っていたんです。そのあとひょんなきっかけで
演技の勉強をすることになりました。

北京に来てから仕事があまり順調ではなかったこともありました。

子ども番組の司会をしたり、現代劇に出演したり。学校での代表作は《三毛流浪記》で、私は男装して三毛を演じました。

もし将来チャンスがあれば、デザインにかかわる仕事がしてみたいです。
なぜって私には他に得意なこともないし、お芝居以外で、絵だけが少しだけ自信を持たせてくれるものなんです。将来、デザインにかかわれればいいですね。

―10月8日はお誕生日ですね。どんな風に過ごす予定ですか。

お仕事が入らないといいなあと思いますね。そうすれば自然に目が覚めるまでゆっくり寝ていられるので。

朝寝坊の心配をしなくてもいい、 こんな大事な一日に目にくまができてないかとか心配しなくていい。

誕生日に願い事をするとしたら、若さを保ちたいってことですね。
大事ですよ、特に女性にとっては。

年々、今年は26歳なんでしょ、27歳なんでしょ、と言われるのが耐えられなくなってくるんですよ。
ですから、今年のお願いとしては、年を取りませんように、ってことですね。


最後は、若手女優さんならではのやりとりだったですかね... 。

鄭児同様、とってもけなげなニキータですが、可哀想に、庶民にはやっぱりかなり役柄とだぶって誤解されてるらしく、ウィリアム・フォンのお母様は息子さんに「悪人の役だけはやっちゃだめ。毛林林も(高緯役の)翟天臨も悪者のイメージがついちゃったでしょ」と諭しておられました...(哀)

さて、物語の中の鄭児はといえば、世間知らずで純粋な部分がクローズアップされています。

のちのち、なんであそこまでストーカーをこじらせたんだろうかと、観ている皆がイライラすることになるんですが、つまりは彼女があまりにも世間が狭く、あまりにも純粋であったのがその大きな原因だということが、しっかり描写されています。

そして雪舞だって、世間を知らず純粋だったことは、鄭児とあまり変わらなかった。

だから、実はこの二人は、本当にちょっとした違いで、運命が分かれてしまったとも言えるんじゃないでしょうか。

…ですが、それは物語全体の重要なキーだと私は考えているので、現段階ではあまり突っ込まずに先に行ってみましょう。

鄭児は、同じ境遇の官奴の女性に簡単に心を許し、打ち明け話をしてしまう。

そういえば、こんな感じの人、他にもいませんでしたっけ?

別れ際、命を懸けて忘れ物を届けた相手に、お礼として、

「あまり簡単に人を信じるなよ」

というアドバイスだけを受け取って返されちゃった人が。

信じた相手が悪かった(いや、もう一人の人の信じた相手も相当悪かったですが)鄭児は、蘭陵王からもらった大事な金の細工物を失う羽目になってしまったうえに、言葉通りに逃げ出してみたもののそれは罠で、見張りの兵につかまってしまう。

なんかこう、鄭児が必要以上にツイてないのも、なぜか観てる人をイライラさせるんですが、物語の表面には出てこない、その理由に思い至ると、このお話は本当に良くできてるなーと改めて感動を覚えます。

それはさておき。

二人のために世界はある状態のバカップルのおままごとにはますます拍車がかかっております。

白山村で鍛えた雪舞…いや、氷児の鍼治療の腕前は確かなようで、卵は大豊作。

阿土は、天女の名もだてではないな、
これはちょっと“大材小用”だ、と少しからかうように言います。

“大材小用”というのは、大物をつまらない用事に使うという意味。
だから、ご自分で言ってはダメですよ!

日本語では「役不足」が適訳なはずなのですが、こう訳すと一般の人(⊃自分)は「力不足」の意味に取るケースが過半数(文化庁調べ)なので、訳語に使えません...。

さて、何が不足かはともかく、天女様は偉大だということは、阿土も認める紛れもない事実。しかし、お話はこれから先、どんどん雪舞を「役不足」の方向へ追いやっていくんですね。

ここは本当に何気ないシーンだし、特に大きな意味はないのかも知れませんが、第1話で蘭陵王と会ったのは、メンドリの江夫人が逃げ出したことからだったのを思い出すと、本作の周到な脚本家のこと、このシーンにもさりげなく伏線が張られているような気がしてなりません。

一億総活躍社会の21世紀日本でさえ、一般女性ならば早く孫の顔をみたいとせっつかれ、東宮妃ならばその存在価値は御世継ぎを産むこと、というシビアな事実から考えますに、1400年前の宮廷で、蘭陵王の言うような、何事にもとらわれない女性でいることは難しい。

このシーンは、中盤以降のドラマの成り行きを暗示すると共に、雪舞のこれから置かれる立場の象徴とも言えます。

一般論として良いか悪いかという話ではなく、幸せのかたちは本当に人それぞれ。

一人の子のよい母でいることが似合う人もいれば、
雪舞のように、民全体のために働くことを運命づけられた人もいる。

お屋敷の中に彼女を閉じ込めとくのが良いことなのか、それはこれからおいおい分かることでしょう。

聡明な氷児は、もちろん言わせっぱなしではありません。

“我這還好,待會啊 有個大齊戰神 有去賣雞蛋啦”
(こっちはまだマシよ。しばらくするとね、大斉国の軍神が、卵を売りに行くそうよ)

…ってことで、卵を売りに行く羽目になる阿土。

よくヤンキーが駐車場でやってるような姿勢で地べたにしゃがんでますね。

s-18-2.jpg

この姿勢、もともとは田んぼのあぜ道で休むときのもの、と聞いたことあるんだけど、
いま試しにちょっと真似してみたら、疲れるんですけど! 休めないんですけど!(((( ゚д゚))) 
運動不足がヤバい…(悪い意味で)

阿土の方は、商売あがったりではあるものの、
向かいの屋台で親子が、

「停戦は蘭陵王のおかげ」
「本当に斉の国の“棟樑”(大黒柱)だよ」

と言うのを聞いて嬉しそう。

しかし彼らの間には、周に移住すれば、良田をもらえて、三年は税も免除される、という、宇文邕の新公約が知れわたっている様子。

“哪像咱們的高家皇帝 停戰之後 只知道建什麼鬼佛寺的”
(うちの高家の皇帝は似ても似つかないな 停戦したら くだらない寺を作るしか能がないなんて)

とまあ、言いたい放題。

宇文邕が停戦した狙いはまさにコレ。
産業を立て直して、国力もつけて、その後、斉を滅ぼそうという算段。

人口が増える=生産人口と兵隊の数に直結してた当時は(今でも基本、そのようですが)、民を引き付けておくことも結構大事だったみたいですね。

こっちの政治が良くないと思えば、さっさと国を乗り換えるドライさも(今でも基本、そのようですが)、長年の蓄積あったればこそ。

「鼓腹撃壌」なんて言ってないで頑張らないと、民に逃げられちゃいますよ、高家の旦那さま。

違った、今は阿土でしたね。
彼が、もしもホントに庶民だったら、実はこんな情けない人だったのかも…。
でも、しっかり者の奥さんがいるから、大丈夫。

ここはアリエルの声の演技がとっても可愛いので、ぜひぜひ中国語の音声でご覧くださいね。

“老闆 我要買蛋”
(店長さん、卵くださいな)

“老闆 laoban”というのは、お店のご主人のこと。だけど今は結構、ボスとか、シャチョーさん、みたいな意味でもよく使います。

どうみても“老闆”にゃー見えない阿土は浮かない顔をしています。 
そんな様子じゃ売れないわ、と雪舞に言われて、立ち上がり、笠も脱いで呼び込みをかけるのですが、

“來 買 買雞蛋”
(さぁ、買った買った、たまご…)

と、途中でふにゃふにゃに…。

五爺が煽った割には、蘭陵王って庶民に知られてないんでしょうか。

いや、そもそも、知られてなくたって、兜を脱いだら兵士が見とれるほどの美貌のはずなんだけど...。

雪舞はここでレジェンドのネジを巻きに入ります。

“你平時是怎麼鼓勵你的士兵們 打仗的呀 你的士氣呢 快”
(いつもはどうやって部下を激励して戦わせてるのよ あなたの士気はどうしたの、早く!)

と、ここで“加油”(頑張って)もらうために、文字通り燃料を補給してる氷児ですが、ウィリアム・フォンの顔が真っ赤なのは、

1)アリエルのアドリブだったのでビックリした
2)芝居です。演劇大学出の一流俳優様だもん、当然でしょ
3)アリエルに密かに喉輪を決められた

のどれでしょう?

やっぱ、オレンジのチークかな?

とにかく給油効果は絶大で、張震さんのいい声がさらにスケールアップ。

“這裡的雞蛋 最滋補!”
(うちの卵は栄養たっぷり!)

たちまちあたりは黒山の人だかりに。

ちなみに、押すな押すなの大賑わいのことを、中国語では“下水餃” (水餃子を鍋に入れる)
と言います。

特に海やプールが人でいっぱい、なんて時は鉄板のフレーズ。

確かに、水餃子をゆでると、鍋の中で押し合いへし合いプカプカ浮いてるので言いえて妙。

まさに夫唱婦随のエール交換で、がっぽり稼いだ二人。
阿土は、ほくほく顔です。

“我覺的我們應該去大吃一頓”
(ぱーっと景気よく食べに行かなくちゃ)

“慶祝我阿土的事業 飛黃騰達”
(阿土の商売が トントン拍子に行ったんだから)

“飛黃騰達”第16話でご紹介したトーク番組(→こちら)http://palantir2.seesaa.net/article/437126292.htmlで、アーロン・クォックの話の中に出てきた表現ですね。

そういや蘭陵王は以前、子どもを追い払おうと、大金を渡してたって実績がありましたね。

阿土になっても、治ってないな?

当然、しまり屋さんの氷児はそんなこと許しません。

“持家不易啊 哪能隨意吃喝”
(家計の切り盛りは大変なのよ 無駄遣いしちゃだめ)

“我先去買一些你愛吃的食材”
(あなたの好きな食材を買っておくわ)

“黃昏時刻 家裡見”
(夕方におうちで落ち合いましょ)

ん〜、氷児、いい奥さんになれるよ、と言うべきところで!
阿土は全世界の視聴者を代表してツッコみます。

“可是我記得你只會煮蛋”
(だけど君は確か ゆで卵しか作れないんじゃなかった?)

“哪有啊”
(そんなことないわよ)

籠でぶたれて物理的に距離が縮まったのをいいことに(?)阿土は雪舞の手を取っていいます。

“一個只會煮蛋 一個只賣雞蛋”
(一人は卵をゆでるしか能がないし、一人は卵を売るしか能がない)

“我們真是太配了”
(私たちは本当にお似合いだ)

“你在說什麼”
(何を言い出すのよ全く)

ご本人たちが言うまでもなく、実にお似合いのお二人さまと比べるかのように、寺院建築の現場では、鄭児がさらに悲惨な目に遭わされています。

人々は彼女に、どこかで聞いたような陰口を投げつけます。

「人を信じすぎる」 
「次に生まれてくるときは、もう少し賢くなるんだな」…

そして光と影の交差は、次の第19話でクライマックスに達します。

光あるところに、影がある。

人生の栄光と挫折を1話のうちに織りなす、次回・第19話→こちらのエントリーをお楽しみに。


posted by 銀の匙 at 01:34| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする