2016年12月31日

蘭陵王(テレビドラマ31/走馬看花編 第19話)

皆様、ご無沙汰しておりました。

インフルエンザやノロウィルスなど冬の定番が猛威を振るうなか、お変わりなくお過ごしでしょうか。どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

さて、残すところわずかということで今年を振り返ってみると、一番の番狂わせだったのは、米国大統領選挙ではないでしょうか。

まさかの“川普”(Chuangpu=トランプ)大統領誕生!

ホント、お金の使い道に困ってる人は羨ましいですこと、負けると分かってる大統領選に出馬して楽しむために大金はたくって、そうそう出来ることじゃないざます、庶民の想像力を超えるSF的セレブ樣ざんすね...などと思っていた視聴者(←他人事だと思って傍観)が浅はかでございました。

アメリカ国民も、何考えてんだかな〜と失礼な感想を抱きつつも、でもまあ、これはこれでアメリカらしい選択なのかも知れません。

1つの党がもう8年も政権を担当してるんだし、いい加減替えどきかも、と思ったか。

少数弱者ばかり贔屓するなんてズルい、オレたちも大変なんだぜ、と一般庶民が思ったか。

ビョーキなんて自己責任じゃねえか、てめーの失敗はてめーで落とし前つけろよ、なんでオレの稼いだ大事な金を貧乏人の医療費に使われなきゃなんねえんだよ、と思ったか。

etc.etcのセコイ理由はいろいろ考えつくけど、なんだかんだ言って、政治屋や役人どもがコソコソ何でも決めてしまうのが気に食わねえ、いっちょ素人代表にやらせてみようじゃねえか、って辺りも大きかったのではないでしょうか(こういう話題だとどうしても長屋のご隠居みたいな口調になっちゃう)。

さすがはアメリカ樣! ザッツ・フロンティア・スピリッツ!

そんなに政府が信用ならないんでしょうか。元々、開拓者精神で、あまり国に介入してほしくないという主義の人たちも多いとは聞いていますが、それにしても大胆っつーか、勇気ありますねぇ...でも日本では真似しないで欲しい。こちとら開拓者精神皆無なんで。

しかしアメリカにだって私のような小心者も少なくないのか、真剣にカナダに移民しようと思ってる人とか、やっぱり居るらしいですね。

そういえば、イギリスのEU離脱のときに、冗談じゃねえや、オレは海賊王に…いやさ、アイルランド人になる!ってパスポートを申請した人もいるみたい。

国破れても山河はあるけど、国民がいなくなったら貴族さまも食いっぱぐれてしまいますよ。ましてや、兵隊の数が国の存亡を握っている、戦乱の時代にあってはね…。

ということで、行ってみましょう、第19話
なお、前回の第18話→こちら から、第1話は→こちらから、蘭陵王関係のエントリーを最初からご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*
紆余曲折というか右往左往したものの、蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉と天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉は晴れて婚礼を執り行うこととなりました。

しかし、セレブ婚にはしきたりが付き物。細かい儀礼を押し付けられ、安眠もままならない雪舞の様子を見かねて、蘭陵王は彼女を、邙山〈ぼうざん〉の戦いの後で過ごした、長安郊外の家へと連れ出します。

お互いを阿土〈あと/A Tu〉、冰児〈ひょうじ/Bing Er〉と呼んで、のんびり暮らしているかに見える二人ですが、蘭陵王は民の心が高家から離れていることに、密かに心を痛めていました...。




さて、前回から引き続き、蘭陵王が昔お母さまと暮らしていた旧居の庭先。

画面からだと季節がよく分かりません。北中国で花が咲いてるってことは、5月から11月の間のはずだけど…。

軒先に吊るしてある赤いものは、唐辛子でしょうか。

おや、その先には女子力の高い武将が火を起こしてます。
こんなところでキャンプファイヤー!! のわけないですよね。
台所が家の外にあるんだ...冬どうするんだろ。

よく北海道の友達から聞かされる、雪国あるあるの1つに、その辺に車を止めて年末旅行に行って、帰ってみたら屋根まで埋まっちゃっててどこにあるか分かんなくなった、というのがございます。

で、どうすんの車?と聞いたら、そりゃ来春までサヨウナラ〜♪ ってあんた、関東者だと思って担いでるでしょ?!

とつい先日までは思っておりましたが、札幌大雪3日間雑魚寝のニュースを見たら、すっかり考えを改めました。ネタかと思っててごめんね。

ってことで、この地方は大雪降ったら来春まで台所よサヨウナラ〜♪なのかなぁ、と思ってるところへ、奥さんがお買い物から帰ってきます。包みを開けた四爺は、傍目にもガッカリしている様子。どうやらサツマイモはあまりお好きじゃないらしい。

ってあなた、今は阿土でしょうに。贅沢言ってる場合か?

ちなみに、日本の標準語では「サツマイモ」って言いますが、漢字で書くと薩摩芋。中南米原産の植物が、中国経由で入ってきたそうです。昔は都内の小学校なんかだと、サツマイモを栽培して江戸の飢饉を救った大岡越前と青木昆陽〈あおきこんよう〉の話とか聞かされたもんです。

中国語では“蕃薯”。中国にもともとあったものではないということが、字面からも分かります。伝わったのは明代・16世紀頃らしい。

ってことで、サツマイモ的な何かに見えますが、きっと別のものなんでしょう。ああ、よかった、これで楽屋に焼イモの差し入れができますね、皆様。

差し入れと言えば、第14話で差し入れしてもらってましたが、四爺はローストチキンがお好きなんですね...。

好物にパクつく軍神を天女が追究します。

“還不從實招來”
(まだしらを切るつもり?)
“你不是說過 夫妻同心 其利斷金嗎”
(言ったじゃない、夫婦が心を合わせれば、金属さえ切れるほどの力になるって)

“其利斷金”はとても古い言い回しで、《易経》にすでにある言葉だとか。元々は、夫婦に限らず、二人で力を合わせれば金物も切断できる、という言い方だったようで、だからこそ、ピンで何でも切ってしまう、十三代目石川五右衛門の凄さが分かろうというものです。

そうです、四爺は、斬鉄剣の使い手だったわけではなく(またつまらぬギャグを言ってしまった)、税金が重すぎて民が周に移住しようとしているのを見て悩んでたんですね。

そんな自分を支えようとしてくれる雪舞に、芝居がかった口調で四爺は言います。

“得妻如此 本王 本阿土夫復何求啊”
(かくの如き妻を得て 王たる者…いや、阿土たる者また何を求めんや)

もちろん、これは雪舞を心配させまいとして言っているのですが、この2人はこの後もずっと、ついに最終回に至るまで、この調子でお互いの心配事を相手に隠しがちなんですね。

もちろん、思いやりの気持ちから出ていることなんでしょうけど、その作戦はどうも裏目に出やすいみたいですね...。

雪舞も冗談めかした言い方ながら、

“嫁雞隨雞 嫁王也就只能當王妃了”
(ニワトリに嫁げばニワトリに従い、王に嫁げば王妃になるしかないわ)

と、四爺に言います。

このセリフ、蘭陵王カテゴリーの最初の方でもご紹介したことがありますが、元々は、「ニワトリに嫁げばニワトリに、イヌに嫁げばイヌに従うしかない」という慣用句です。王妃ってイヌ並みなのか(いえ、イヌに嫁げば、ですからつまり、誰かさんがイn…

( -_-)=○()゜O゜) ひでぶッ

そして、さんざん悩まされた宮中のしきたりについても、

“我統統都不怕 叫他們放馬過來吧”
(全然怖くないわ 全力でかかってらっしゃい)
と言います。

日本語で「かかって来い!」っていうと、人が向かってくるイメージですが、中国語だと馬を放すんですね。

…ちと、イヤかも。

ベン・ハーに乱入しかねないほど気合が入った雪舞を見て、四爺は慌てて言います。

“别 千万别变”

そのままがいい、決して変わらないで、とは誰しも思うことでしょうが、残念ながらそうは行かないのが世の習い。
さもなきゃ週刊文○がこんなに儲かったりしませんって。

幸か不幸か斉のパパラッチからの追跡の目は逃れているらしいセレブの四爺は、毎年ここに来て、阿土 冰児として暮らそう、などとお気楽なことを言っております。

そういや、中国語でパパラッチのことを“狗仔隊”(イヌ軍団)と言うんでした。おほほ。イヌ将軍にふさわしい追っかけですこと。

でもなんでイヌなんだろ?とちょっと疑問に思ったのでBaidu先生に聞いてみたところ、ちゃんと本家のパパラッチと関係あるらしい。

元々はフェリーニの1958年の映画『甘い生活』の登場人物の名前から来た言葉で、そういう人を香港では省略して「パピー」(子犬)と呼んでたらしい。プラス、獲物を追い回すイヌのイメージもあって出来た訳語だそうです。

たとえパパラッチに追いかけられようと、新婚のお二人には「甘い生活」でしょうね、お幸せに…。

と思う間もなく、すぐ次のシーンは、夜の冷たい土に触れる剝き出しの足。作業現場から逃げ出そうとしていた鄭児が捕まって、罰を受けているところ。

この後は、寺院建立の過酷な労働や官奴同士の騙し合いなど、凄惨な場面が続きます。

そしてそれが終わるとすぐ、蘭陵王府の幸せな婚礼の準備の場面。
その玄関先に倒れて、お屋敷に担ぎ込まれて介抱される鄭児…。

甘いものと辛いものを交互に出されるとついパクパク量を越してしまいますが、それにしても、なんでこう、鄭児ときたらせっかくのいいところに水を差すように現れるんだろ、邪魔よ…って思いますよね、ふつう。

もちろん、そう思わせるためにやってるんだろうけど。

あ、ちょっと先を急ぎすぎちゃいましたが、婚礼の準備をしながら、四爺に、礼部の官女を妾として娶っとけ、と厳命された五爺が(違いましたっけ?)、だいたいの女は娶っておいたが、どうしても落ちないのがいた...じゃなくて、どうしても省略できないしきたりがある、と言いだします。

“新娘來到青廬外 要由新娘的娘家這邊 最年長的長輩牽她而入”
(花嫁が入り口まできたら、花嫁の親族の中で最年長の者が手を引いて中に入らなければならない)

だけど義姉上は鄴〈ぎょう〉の都に一人の親族もいないから、と困り顔。

前回の婚礼(?)の時、ちょっとご紹介しましたが(→第4話 こちら )、これはとても古いしきたりのようで、日本でもこの習俗をまだ残している地方があります。

それから、五爺のセリフにある“青廬”というのは、漢代から唐のころまで、北中国の婚礼のときにしつらえられた黒いテントのことです。

中国語では“青”が「黒」を指すことがある、というのは第12話(→こちら)のとき、お話ししましたね。

今の中国では婚礼の色がのため、史実通りの飾りつけだと視聴者がピンと来ないと思ったのか、このドラマでは黒のテントは出てきません。

蘭陵王の時代は中国の南北で婚礼のしきたりもかなり異なっていたようで、花嫁が扇で顔を隠す“卻扇”は実は南朝の習慣です。

婚礼の衣装の方は、何色だったのかはちょっとはっきりしません。

とにかく、ではなかったんじゃないかと思いますが、この花嫁と来たら遊びほうけていてお屋敷に帰ってくるのもギリギリだし、いまさら違う色って言われてもサイズ直すだけで手いっぱいなんですよ! ルパンじゃあるまいし婚礼衣装の仮縫いしてるときクラリスを連れ出さないでくださいっ!

と、怒っている小翠がとってもキュートですね。

そんな華やかな場面も一転、お屋敷に担ぎ込まれた鄭児が目を覚まし、四爺や雪舞たちの前で、例の香袋の件(→第13話 こちら)について、膝立ちになって許しを乞います。

鄭児は香袋について、

“他告訴我 那香囊 可以保佑四爺一家安康的”
(祖珽は私に この香り袋は四爺ご一家のご清栄をお祈りするものと言いました)
と釈明していますが…。

おや...? 祖珽はそんなこと言ってましたっけ?

それを聞いてる韓暁冬の、超イラついてるッツって感じの小芝居がちょっと見ものです。

そんな視線をものともせず、鄭児の様子がだんだんエスカレートして、ついにぶっとい樹(あ、すみません。ちょっと言葉が良くないですね。恰幅の良い樹、でしょうか)に止まったセミみたいな態勢になったのを小翠が見かねてか、明日は婚礼なんだから皆休まないと、と宣言します。

せっかくの祝賀ムードに暗雲が垂れ込める一方で、婚礼のことを初めて知った鄭児は泣き崩れます。

彼女は言います。

“他怎麼能夠成親呢”
(あの人は どうして妻を娶ったりできるの)

…って、考えてみればおかしなセリフですよね。

でも、このセリフには対になってるセリフがあったのですが…。
それを思い出すまもなく、鄭児は言います。

“四爺 此刻坐在您身邊 準備大婚的 本該是我呀
我才應該是你的良配
我才應該是這棟王府的王妃啊”

(四爺、いまあなたの隣に座って婚礼の準備をしているのは、私のはず。私こそあなたの伴侶にふさわしい。私こそがこの蘭陵王府の王妃なのよ)

おいおい、ちょっと待て! 一体何を根拠に…とテレビの前の視聴者は例外なく思ってるはずですが、いや、みんな落ち着け!!

まず、鄭児は基本的に、楊雪舞に騙されたと思ってるんですね。

自分は正々堂々、お妃選びに参加した。確かに皇后の後ろ盾はあるかも知れませんが、出されたお題はきちんとこなしたし、香袋の一件を除いては、何もやましいことはしていない(と、鄭児的には認識していることでしょう)。

翻って楊雪舞は、「四爺をお願い」というようなことをわざわざ言い、油断させておいて抜け駆けした…。

だったら自分も遠慮しない、そう思うのは理の当然です。

そしてここで、思い出す人は、ハタと思い出す。

思い出すって、何を…?

しかし、今は楊雪舞の生涯最良の日、その辺のダークなことは今回の記事の最後で考えることにして、まずは花嫁の様子を見に行きましょう。

小翠マジックで美しい花嫁になった楊雪舞は、今やおなじみの“卻扇”を渡されます。これで顔を隠していないと、

“一輩子被四爺管得牢牢的”
(一生、四爺に束縛されますよ)

と忠告される雪舞。てっきりキリスト教式のヴェールみたいなものなのかと思っていたら、違うのですね。
でも、ってことは、この時代、“卻扇”さえしとけば女性もゲス放題だったのかしら? そんなことないと思うんだけど…。

どっちでもいいゴシップ記事に気を取られていたせいか(違います)、いよいよ吉時が到来して出発というところになって、小翠が付き添い人の事を思い出します。こちらの方は束縛どころではなく、それがないと、

“這婚姻不幸福的”
(不幸な結婚生活になります)

って小翠、間に合いそうもないこのタイミングで宣言するのってどうよ? と思うけど、雪舞はしっかりと答えます。

“不會的 小翠 從此以後 我會把四爺的平安 還有百姓們過的好不好 放在我個人的幸福前面”
(そんなことはないわ 小翠。これから先、四爺の「平安」と、民がよい暮らしを送れることが、自分の幸せより大事なの)

う〜む、やっぱり「平安」が…いえいえ、ホントにそうなら良かったんだけど…。

一方、花嫁の苦悩を知ってか知らずか、到着を待つ花婿の方はニコニコ嬉しそうです。

荒地の魔女みたいな毛皮の襟巻をして、黒い婚礼衣装を着た四爺は、このままシャンソンくらい歌いだしそうな雰囲気ですが、それをぶち壊すかのように、五爺が、二度めだから慣れたもんだよなあ、てなことを言います。

ここの“一回生二回熟”(1回目は未熟だけど 2回目からはベテランの域)というのは、第10話(→こちら)でも五爺が言ってましたね。

そこへ、招待客の斛律〈こくりつ〉将軍と段太師が婚礼の贈り物をします。

斛律将軍の贈り物は宿鉄刀。
段太師の贈り物は諸葛武侯(諸葛孔明)の二十四篇。

文武に長けた人にふさわしい贈り物ですね。
しかし、二人はやはり五爺と同様、雪舞の付き添い人について心配しています。

当の雪舞はさらに動揺しているのですが、そこへ現れたのが我らが皇太后さま。

四爺の頼みで、雪舞を養女、すなわち皇女として嫁がせることにしたと言います。

“你看 我這個孫兒當丈夫 夠貼心吧”
(どう、私の孫は夫として十分思いやりがあろう?)

確かにその通りですが、その四爺だって、ホームでのお式なのに、親族は五爺とおばあさましか出席してないんじゃ…? 

実質上、天涯孤独な者同士、やはりお似合いのカップルと言うべきでしょうか。

そんなお似合いの二人を前に、かなりの上座に立っている暁冬の切ない表情がグッと来ますね。

そしていよいよ花嫁が花婿と向かい合うと、幕の後ろに用意された絵が披露されます。

非常に再現度高い絵ですが、いったい誰が描いたんでしょう…?

四爺の実のお兄様(二爺)、広寧王・高孝珩〈こう こうこう〉は絵が上手く、本物そっくりの鷹の絵を描いたりしていたそうなので、お願いしたのかな?

でも、絵が上手い人ほど見てないものは描かないから、これはやはり多芸な大将軍自らが絵筆を執られたんでしょうね。さもなきゃ、お兄様に「小弟が禁衛軍に化けたところ、未来の妻に覗き魔と間違われて叱られました」等々、縷々説明しないといけなくて辛すぎる。 

そうしてみると、各幅、四爺ならではの観察眼の鋭さが伺われます。
最後の一幅、おかず3品に先にお箸をつけてるのは雪舞ですね。

奥さんになっても四爺にお料理させてるのね。

ちなみに中国ではお箸の遠い方を持つと遠いところにお嫁にいく、といわれております。この絵を見ると当たってるのかも。アンニュイな視線を飛ばしている子供は、髪型からして坊んですな。

中国で男子が尊ばれることは日本の比じゃないので、誰もがお世継ぎ(=坊ん)を待ち望んでいることを表しております。

ここで雪舞は感涙にむせんでいるのですが、それを見る新郎の嬉しそうなこと、たいていは緊張してるのが普通だから、ここまで喜んでる花婿も珍しい。

やっぱり五爺の言う通り、“一回生 二回熟”ってことで…とか言ったら殴られそうですが、普通、結婚式といえば女子の夢だと思うんだけど、付き合わされる男子の方はどう思っているのか、それがよく分かるVがございますので、早速ご覧いただきましょう。

2014年9月17日の《大牌駕到》です。
(http://v.qq.com/x/cover/wdynmjl08dxqlei/t00150h7tt0.html)

司会はこの時期、まだ華少さんでした。懐かしい!

トークは出身地の話題から入っています。

司=司会者(華少)
馮=馮紹峰(ウィリアム・フォン)

:まずは上海人ってトピックから行きましょうか。
 上海の男性というと、いろいろ評判良いですよね。
 たとえば、気遣いが細やかだとか 
 料理するのが好きだとか、
 奥さんを大事にするとか、お金にきちんとしてるとか、
 そういうところってあります?

:残念ながら、上海人が備えてる長所の多くが僕にはないです。
 たとえば、先ほどおっしゃった料理ですけど、僕は台所に立つのがすごく嫌いなんです。
 それから、上海人は割合、良い意味のこだわりがあるんですけど、僕はそのへん、大まかで。
:あなたはファッションにこだわりがあるタイプの男性じゃないんですか。
:身なりは本当にいい加減です。
 凝った時期もありましたよ。その頃はちょっと外出するのも大変でした。何を着ようか考えこんじゃって。どんなコーディネートにしようかなとか。
 でも仕事を始めると、衣装とかメイクだとかそんなことばかりでだんだん飽きてきてしまって、普段は見てくれに特別気を遣うようなことはしなくなってしまいました。今は特に何も考えずに、適当に手に取った服を着てそのまま出かける感じです。
:あなたはせっかちな方なんですか。
:そうですね、割とそうです。
  思い立ったらすぐやろうとします。
  先延ばしにするのは嫌ですね。
:怒りっぽいですか。
:ここ数年、だいぶましになりました。
  もっと若いときはすぐに腹を立ててました。
:そうなんですね。
:(ニコニコして)ええ。



なになになに…? 

ずいぶんサラッと話が進んでますけど、この人料理が出来ないの??

何せ中国は基本、共働きですから、家事のできない男性なんか伴侶として問題外です。

まあ、お金持ちなら家事は外注でしょうが、最初の頃にお話しましたけど、皆様、中国のイケメンの条件、覚えていらっしゃいますか。

「料理ができる」はマストでしたよね。



じゃ、まさか、この方は中国ではイケメンにカウントされないのでは?

しかも、すぐに激おこ?

それはちょっと、どうなの…?

…………えっと、とりあえず、気を取り直して先に行ってみましょう。



(5:08ごろから)
:上海ではバイクに乗りますよ。メカっぽいものが好きなので。BMWとか、ドュカッティとか。



そんなこと言って彼は現住所の北京でもバイクに乗ってたらしく、自虐というか自慢というかな写真記事をブログにアップしたところ、それを見た天津交通警察に、バイクに乗るときは所定の位置にプレートを掲げてくださいと叱られた上、罰金プラス点数引かれて免停になり、カワイソーに、投稿者に「馮おじさん、カッコつけたいなら交通ルールに気をつけましょう」とコメントされていました・笑。

所属事務所からは、登録もあり、プレートも免許もちゃんとしてますとコメントが出ていましたが、結局何だったんでしょうかね? ネタ?



:地獄猫(ヘルキャット)はどうですか。最高時速が260とか280とかのやつ。
:バイクですけど、あまり飛ばすのはお勧めしません。
:そうですか。事故ったことあります?
:すごく前ですが、あります。実は、そんなに飛ばしてた訳じゃないんですけど、たぶん路面が滑りやすかったか、何か思いがけないことがあって転倒したんですよ。そのまま車の下に滑りこんでしまったんです。
:そりゃツイてましたね。
:運がツイてたかどうかは知りませんけど、ナニはツイてるんで。
(いきなりの下ネタに苦笑する司会者&お客さん)

  *

この後、彼はとうとうとメカ愛を語ります。
時計、バイク、カメラ、オーディオ…金喰い虫な趣味のオンパレード(笑)

料理ができなくてキレやすくて下ネタな上に金使いが荒いわけですか。

ダメだこりゃ…。

  *

:カメラは何台持ってるんですか?
:そんな何台もじゃないですよ。
:またまた。そんなことありえないでしょ。
:いま使ってるのは、韓寒(『いつか、また』(《後会無期》の監督)がプレゼントしてくれた「微単」です。
:ああ、「微単」。



「微単」というのは、ソニーが中国向けに発売した、ミラーレスのデジタル一眼レフのことです。



:僕が腕を骨折したときあったでしょう。その骨折したときに、彼はどうもやましさを埋め合わせるためにくれたらしいんです。実際には彼には全く関係なかったですけど、それでカメラをくれた。
 それでね、カメラ本体は高いものじゃないんですけどね、自分で別売りのレンズを買ったらそれが高かった。(テロップ:大損しちゃった)
:大体推測がつきますよね。彼は本体だけくれたんでしょ。
:そうです。使い勝手はいいですよ。(テロップ:気を使いますねぇ〜(有苦难言))



少し飛ばして、番組の終わりの方の関連の話題を見てみましょう。
これは、視聴者からの質問に答えるコーナー。23:42からです。

質問は「高級車が好きだそうですね。仕事を始めたばかりで、もうスゴイ車に乗ってたとか、ホントですか」



:いま言えるのは…やっぱり見せびらかすのはよくないな、ってことです。(笑)
:(笑)バレてますかね。
:つまり僕に言えるのは…ただ車が好きってことだけです。(テロップ:しどろもどろ)
  とにかくメカが好きなんですよ。車に限りません。
:いま車何台持ってるのか聞いてもいいですか。
:2台です。
:2台ね。高いんでしょ?
:まあまあですね。(テロップ 自信満々 (底气十足))
:まあまあね。
:思うに、車をたくさん持ってるのって、意味ないですね。
  価値は下がっていくし、運転する暇もないし。
  置いておくだけって本当にもったいないです。車に申し訳ない。

 *

さて、ちょいと戻って、別の話題をみてみましょう。

《黄金時代》でウィリアム・フォンが演じた蕭軍(シャオ・ジュン/Xiao Jun:実在の作家で、映画の主人公・蕭紅の夫だった)の恋愛観についての話題から、ウィリアム自身の恋愛の話に移っています。当時彼は、女優のニーニー(倪妮)と結婚間近だと公表していました。司会者から、ふつうは隠すんじゃないんですかと聞かれて、こそこそ付き合うのは嫌だった、と答えています。

 * 

15:00ごろから
:この映画の恋愛はご自身の恋愛観に影響を及ぼすと思いますか?
:彼の間違いのいくつかは参考になりますけどね。僕は役柄と自分自身とは、はっきり分けているので。
 例えば、蕭軍は、熱しやすく気ままだった。それは僕自身の恋愛観とは全く違います。
:そこが興味深いんですけど、じゃ、あなたの恋愛観ってどんな風なんですか。
:彼の当時の心境とはもちろん違います。なぜって僕にはとても落ち着いた関係の相手がいるわけですし、全然別物ですよ。
 ときどき摩擦があったり、いろいろな出来事はありますけど、
:そりゃ、当然ですよね。
:それは乗り越えられるものです。
(中略)
:あなたは今年、もう36歳ですよね。
:ふつうは数えでいうんだとすると、37です。
:じゃ、アラフォーってことですね。それはいいことですよ。男性にとって、成熟するということは偉大なことです。
 結婚については心構えがあるんでしょうか。
:先日、友達の結婚式に出たんですけど、とても感動しました。
:では、自分でもそんな式を挙げたいと希望してるでしょう。
:それはやはりセレモニーは必要だと思います。
 人生の中では大事な部分だから、ないと何かが欠けているような…(と、なぜか非常にアンニュイな表情で語るウィリアム)
 それに皆お互いをもっと大切に思うし、見守ってもらえるわけだし、と思うんです。  
:焦ってます?
:そりゃ、両親は見たがってますよ。僕はきっといつか、自分にもそんなときが来て、同じようにそんな幸せな気持ちをお裾分けできるんじゃないかと信じているんです。



女性は、結婚式を自分をお披露目するため(?)にする、というケースもよく見聞きしますけど、男性は、周りの人のため、特に両親のために式をするという人も多いですね。

なので、昔のお式では、花婿・花嫁がまず天地に向かって、それから両親、そしてお互いに三度、礼をする、というのが結婚式のメインのセレモニーでした。

しかし、そんなしきたりに拘らない四爺と雪舞は、“卻扇”も礼拝もすっ飛ばしてしまいます。しかも二人とも、この場に両親がいないですし。

そこで五爺が気を利かせて、“夫妻對拜”(新郎新婦が互いに礼をする)をやったら?と声を掛けるんですね。

その場は和やかムードで式が進んでいますが、皆がみんな好意的に見ているとは限りません。少なくとも、祝宴に招かれなかった鄭児は、こんなことを言っています。

“既沒有高堂 又不懂拜天地 連卻扇都不用
楊雪舞 你放心 
我與四爺的婚禮絕對不會如此輕率的”

(両親もいなければ天地への礼も知らない
“卻扇”さえしない式だなんて
楊雪舞よ どうぞ安心してちょうだい
私と四爺のときは こんないい加減な婚礼はしないから)


なんかだんだん鄭児が怖くなってくるんですけど、事件になるようなストーカーの思考回路ってこんな感じなのでしょうか…?

もちろん、ストーカーは許されることじゃないですが、じゃ鄭児は雪舞から四爺を略奪しようとしてるのか、と言われれば、そこは微妙ですよね。

よく考えてみれば雪舞は、蘭陵王とは結ばれる運命ではない、と自分で言ってたんですから。

雪舞が運命に打ち克ち、やっと蘭陵王と結ばれるということは、当然そこから弾かれてしまう人がいるということ。

鄭児自身は知りようもないことですけど、おばあさまの占いによれば、蘭陵王が生涯愛するのは鄭氏の女性ただ一人。それは運命によって決められていることなのです。史実でもそうだし、この物語の中でもそのはずだった。楊雪舞はそれを変えてしまったわけです。

彼女は途中まで、お妃になる人は鄭氏なのだから、自分は身を引くとずっと公言していました。その通りなら、きっと鄭児が正妃になっていたことでしょう。

鄭児自身は運命の定めたまま、蘭陵王と知り合い、その伴侶となるルートを変えていないだけなのです。なぜこれほどまで彼に執着するのかも分からないまま…。

彼女は、いわばJR東海のようなもので、決まったレールから外れれば転覆脱線するしかない。スバル・楊雪舞・インプレッサのように、人の運命に突っ込んでも助かるような特技は持っていないんです。

楊雪舞は官奴になった鄭児を助けて欲しいというようなことを四爺に言ったり、この後も鄭児に対して強い態度が取れない。

皆、それは雪舞の優しさだと言うけれど、私は違うと思う。

略奪とは言いませんが、雪舞は占いの結果を知っているのですから、鄭児に対してどこかにやましい気持ちがあるはず。それが意識的にか無意識的にか、現れているのではないでしょうか。

脚本も、雪舞に手放しの幸福は与えません。

彼女自身は確かに当初の運命に操られることはなかった。でも、彼女の選択によって、別の人の運命が、その人が知らない、望まないうちに書き換えられてしまった。そして雪舞の方は、自分のしたことを知っている。

この先、彼女の行く手に常に影が差しているのは、このことと無関係ではないはずです。

そしてこの先どこまでが、変えたと思った運命の仕業なのか、それは雪舞の、そして鄭児はもちろん、預かり知らぬところなのです。

この回のラストの鄭児を見ると、私はいつも谷川俊太郎の「黄金の魚」という詩を思い出します。

しあわせは ふしあわせを やしないにして はなひらく

どんなよろこびの ふかいうみにも ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

運命の仕業とはいえ、なんて悲しい人なのでしょうか…。



次回は、少し趣向を変えて、お話の中盤である20番台を概観する予定です。

予定よりちょっと暗い話で終わっちゃいましたけど、もしよろしければ、続きもどうぞお楽しみに。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!



posted by 銀の匙 at 02:48| Comment(14) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする