
柔らかなモノクロの画面に、ティンパニー奏者のギアを捜して駆け回るおじさんが登場すると、観ている方はもう映画に入り込んでしまいます。
ギアの出番は最後の最後。すべりこみセーフで間に合い、だだだだ〜!!と景気よく曲を締めます。マエストロの不機嫌そうな顔も何のその、彼は楽団員の間でも人気者です。
ギアの行動はお調子者そのもの。街へ出れば、トビリシ中の人が知り合いかと思うほどで、出会った人と小さな約束をいろいろしては、一番面白そうな約束へふらふら流れていってしまう。万事ゆったりして時間がありそうなこの街で、彼一人が人気タレントのようにせわしないのです。
この作品は1970年代に撮られたそうですが、背景に写っているゲオルギア(グルジア)のトロリーバスや職場の様子、小さな事件でもわっと出来る人だかりなどに、80年代の中国を思い出しました。友達優先に何でも都合しちゃうところとか、友達の友達が気軽に人んちに泊まりにきちゃうところとか、価値観というか行動パターンも良く似ています。もともと文化は全然違うはずなのに、体制が同じっていうのは面白いものです。
さて、何をするにも移り気で、簡単に約束をすっぽかしちゃうギア。こういうタイプの人全員を煮詰めて出来たような彼の行動の数々に、いるいる、こんな人…と思わず苦笑してしまいます。悪気は全然ないんですよね、面白いことが好きなだけで。可愛い女の子を見たら、とりあえず口説かなくてはいられないし、頼まれたらハイよと引き受けずにはいられない。本人としては皆のためにやってるつもりもあるのですが、人生最大限まで有効活用!な態度は、周りがスローライフだけにいささか小狡く見えたりもして悩ましいものです。
そうやってせわしなく流れるエピソードの川下りをしているうちに、何となく自分の耳が鋭くなったような感じを覚えます。映像はとてもリアルなのに、音の世界は違います。まるでこちらに、ギアの音楽家の耳が乗り移ったかのようです。普段は無視する雑多な音や、通りの車の音や汽車の音はあるべき大きさより大きく聞こえます。映画全体に素晴らしい音楽が次々と登場しますが、ギアの行動のようにそれは切れ切れで、誰かの部屋で鳴っているのか、通りの音なのか、はたまたBGMなのか判然としません。
映像で見る、一見ペーソス喜劇みたいなストーリーの展開と、耳で聴く無意識の世界の点描。この二つが組み合わさって、映画の中に不思議な時間の流れを感じました。今日起こったことみたいだし、昨日起こってたことみたいだし、永遠に繰り返すことかもしれない。ギア自身に起こることなんか、本当はどうでもいいのかもしれない。
オタル・イオセリアニ監督映画祭でしたので、続けて「素敵な歌と舟はゆく」を見ました。この作品には、「歌う…」と同様のモチーフがたくさん登場します。語り口もより洗練され、いかにもフランスが舞台らしい小粋な作品ではありますが、どちらかというと「歌う…」の方が好き。
それにしてもどっちとも、可愛い女の子がわんさと出てくるなあ…。
なお、同監督の「群盗、第七章」の感想はこちら。
2004年7月23日まで。
渋谷シネ・アミューズ


