2014年11月01日

蘭陵王(テレビドラマ9/走馬看花編 第5話)

先週は「東京国際映画祭」と「中国映画週間」がダブルで開催されたため(というか、後者は前者の企画の1本)、映画を何本か見ました。

ただ、「東京…」の方は前売りの電子チケットのシステムがとても不親切で、行けなくなった映画のチケットを誰かに譲ることが難しく、お財布にも痛かったし、何より、舞台挨拶のある回にボコボコ空席を作って(複数席分買ったので…)本当に申し訳なかったです。

転売を避けるためなのかも知れませんが、たかが1300円のチケットを買うのに個人情報を細かいところまで登録しないといけないため大変不評で、周りの人は「絶対行かない、あの映画祭」と口をそろえて文句を言ってました。

どうか女媧さまお願いです。アレクサンドル・コット監督の『草原の実験』をロードショー公開してください! 行きそびれて悲しいです!!

と、女媧〈じょか〉さまへのお参りも済んだところで、ようやくたどり着きました第5話。(ここまでのお話は、[第1話] [第2話] [第3話] [第4話] でご覧ください。)

この回と、次の第6回は破壊力抜群、私はひそかに「インドラ神の回」と呼んでます(まあそれも、20番台を見るまでだったけど…)。

第6回は話の流れ上、しょうがないとは思いますが、第5話の方は話の流れがそもそも破壊的。私が監督だったら、この脚本は絶対ダメだしすると思う。

でも、このままオンエアされたってことは、特に問題にはならなかった、というか、ストーリーの進行上必要だということなんでしょうね。私は未だに納得がいかないけど…。

第5話のあらすじ

丹州城〈たんしゅうじょう〉に囚われた義兄弟、斛律須達〈こくりつ しゅだつ〉の奪回に成功した蘭陵王=高長恭〈こう ちょうきょう〉=四爺(スーイエ)一行ですが、城門は閉ざされ、城外へ出ることができません。見回りにきた敵将・尉遅迥〈うっち けい〉将軍が、物陰に隠れて機をうかがう彼らの目前に近づいたとき、城内の食糧庫が爆発、将軍は現場へと急ぎ、単身、火樹銀花〈かじゅぎんか;爆発物〉を仕掛けて回っていた楊雪舞〈よう せつぶ〉を捕えます。

一方、雪舞に託された火薬で城門を爆破し、脱出に成功した四爺一行でしたが、落ち合う時刻になっても雪舞が現れません。城内へ探しに戻ろうとする四爺を、段韶〈だん しょう〉太師と安徳王=高延宗〈こう えんそう〉=五爺〈ウーイエ〉が諌めますが…。


前回、丹州城がどこにあるか分からないと書きましたが、現代の中国では、さすがに街単位ではないものの、街路名になると、なぜか、ある都市の中に別の都市の名前をつけた道がたくさん存在します。

たとえば、北京の目抜き通りは「長安街」だし、上海の目抜き通りは「南京路」です。私は長いこと、森川久美先生の傑作マンガ『南京路(ロード)に花吹雪』(→こんな本)の舞台は南京だと勘違いしており、大変恥ずかしい思いをしました…。

そうだ、女に見まごう絶世の美青年というのは、『南京路…』の主人公、黄子満(ワン・ツーマン)のような人のことを言うんじゃない?

えぇ、おっほん、なんでこんな紛らわしいことをするのか知りたいな、と思っていたら、やっぱり不思議に思った人がいたらしく、ネットで代わりに聞いてくれているので、その答えをご紹介しましょう。以下は検索サイト「Baidu」に載っていた回答ですが、似た話を聞いたことがあるので、恐らく正しいのではないかと思います。(原文は中国語。訳はてきとー)

Q:上海の繁華街にある道には、なぜ中国の他の都市の名前がついているのですか?

A:イギリス租界では当初、道の名前の付け方に決まりはありませんでした。1862年、(アメリカとイギリスによる)共同租界となるときに、双方の意見を調整して、南北方向の道は中国各地の省名を、東西方向の道には都市名を付ける、という原則を定めました。

行政官たちは、自らに巨大な利益をもたらしてくれた「南京条約」を記念して、もともと派克弄(パークレーン)だった道を「南京路」と命名しました。


当時の上海は欧米列強の支配下にあったため、道の名前も彼らが付けたんですね。植民地になってない都市でも同様なのは、このやり方に倣ったからなのでしょうか…。

それはさておき、たぶん丹州にある丹州城内(ちなみに“城”とは、前にも書きましたが「町」のことです)。尉遅迥将軍は、食糧庫に火をつけた賊の捜索中です。

籠城戦に備えて備蓄してあるので、食糧庫は街の生命線。当然警戒は厳重なはずですが、兵士らは、虎の化け物が出たと言って逃げ回っています。しかしそこは尉遅迥将軍、

「じかに確かめようぞ。かような真似をするのは、いかなる命知らずだ」
“本將軍倒要看看 是哪個不怕死的 吃了熊心豹子膽”

とおっしゃっておられます。ここで“倒”と言っているのは、「皆が逃げているのとは逆に」自分は見てみたい、という意味です。

後ろの言葉は直訳すると、死を恐れないどのような輩が、熊の心臓や豹の胆嚢を食べたものか、ということですが、非常に大胆な事をする、という意味です。“大膽”(大胆)というのは中国語でも言いますが、胆嚢が度胸を司ってると考えたのでしょうか…?

中国語にはこの手の「○心○胆」というパターンの成語がたくさんありますが(テストにもきっとよく出るであろう)、“琴心劍膽”(繊細な心と大胆さを兼ね備えている)“提心吊膽”(びくびくしている)というのはよく使います。

前の言葉はいかにも武侠小説っぽいですよね。

で、命知らずを捕まえてみればそれは小娘。ひと目で高長恭のヨメと見てとるとは、さすがは将軍、見回りの兵士とは格が違います。

一方、厳重に閉ざされた城門を開けるため、段韶は雪舞から預かった火薬の包みを四爺に渡します。城門に仕掛けて3つを混ぜなければならないので、ここでは矢に括り付けて城門まで飛ばすという作戦。

このとき、四爺は城門の正面から3回、矢を射ますが、替えの矢を持ってないのになぜそんなことが出来るんだとNG集でツッコまれていましたね。

それより、見た感じ4cm四方くらいの紙包みなのに、3回射て3回とも命中させるとは、さすがは斉の“戰神”。きっと弓の教え方も上手かったことでしょう。

彼が弓術を教えた斉の皇太子・高緯(こう い)は、城門の上から弓を射て、見事、二矢とも、思ったところに命中させてます。何てこった…(泣)

さて、雪舞がここで段韶に託したのは火薬ですが、かなり後の方の回で、お世話になった家の人に、マッチを作るシーンも出てきます。

史実でも、マッチは斉の宮女が発明したという説があるので、ご覧いただきましょう。

周の建徳6(577)年(蘭陵王が亡くなって2年後。この年、周の皇帝・宇文邕(うぶん よう)は斉を攻略したが、病を得て撤兵した)、斉は戦のため、物資が非常に乏しく、妃たちも困窮していた。

そのとき、宮女のひとりが松の木を紙のように薄く削って硫黄に付け、火種を作る方法を思いつき、“発燭”という名前で呼び、これを売って生計の足しにした。

(《輟耕録》てっこうろく/《資治通鑑》しじつがん;訳はてきとー)

斉には本当に雪舞みたいな賢い女性がいたんですね。

肝心の雪舞の方は、おおっ、やっぱり寒中水泳をして鍛えて…じゃなく、お堀に臨んだ高殿から、尉遅迥に逆さ吊りにされてます。息が出来ないとかいう問題の前に、できればこの池には落ちたくないものです。

たまにはお堀の掃除くらいしないと、詰まって困ることになるかもよ、と視聴者が心配していると、何だか外が騒がしい。尉遅迥は、おや?掃除の人が来たかな? という顔をしてますが、特に何の計略も仕掛けてないようだし、まさか彼女を奪回にくるとは思ってなかったのでしょうか。

つーか、蘭陵王以外は誰もこの展開を予想してなかったんでしょうね。

第一、丹州城だって狭くはないのに、なんですぐ居場所が分かったんでしょう。やっぱりあの玉佩〈ぎょくはい〉に何か仕掛けが…? と思う間もなく、

“殺一個手無寸鐵的女子 算什麼好漢!”
(手に寸鉄も持たぬ=武器も持ってない女子を殺すなど それでも男か !)

と、階段をすんごい勢いで上がってくる人が!

寸鉄どころか爆弾持ってるなんてヤバすぎる(悪い意味で)…という尉遅迥の抗議なんか、聞いちゃ〜いね〜四爺ですが、、事情を知らない尉遅迥からしたら、ヨメ(ま、本当のヨメとは思ってないでしょうが)に危険な任務を押し付けてるお前には言われたくない、と思ったに違いありません。

中国には、“不到長城非好漢”(万里の長城に行きつかなければ、立派な男とは言えない)という言葉があって、北京案内とかにありがちな宣伝文句として書いてありますが、時代劇とかで“好漢”といえば、「英雄」って意味のときもあるけど、《水滸伝》でも分かる通り、たいていは盗賊とか野盗の類。

盗賊に、面と向かって盗賊とか言ったら殺されちゃいますもんね。“好漢”って言って、ヨイショしとかないと。

で、こちらの好漢は、画面で見る限りでは、少なくとも20人はメッタ斬りにして駆け上がってくるのですが(あ〜怖)、そのとき、吹き替えでも原語版でも、
ふにゃ〜っ!

と言ってるように聞こえるんだけど、気のせいかしら? 

中国武術をやってる人に聞いたところ、一気に爆発的な力を出すのを“發力”といい、この時の呼吸法が拳法によっていろいろあるらしい。

ブルース・リーのいわゆる「怪鳥音」「アチョーッ!」っていうやつ)とかがその例なのですが、さすがに、「ふにゃ〜っ!」って言うのは聞いたことない、と証言してくれました。

そりゃそうでしょう、私も初耳です。

笑って力が抜けちゃったのか、尉遅迥はかなり劣勢。

四爺はここで何度か切りつけて、特にトドメは指しませんが、なぜここまで来て見逃しちゃうの? 私なら袈裟がけに…と思うけど、須達を法に則って処刑しようとしたように、たぶん、戦闘中でもないのに、敵の将軍を勝手に斬り殺したりしちゃいけないんでしょうかね。本当のところはよく分かりませんが…。

四爺の方は、お堀に落とされた雪舞を追って、あの汚い水の中へ飛び込みます。お堀は外までつながってるんですね、さっき、お城を出るのはあんなに大変だったのに、今度はずいぶんあっさり逃げて来られたけど…。もう警戒を解いちゃってたのでしょうか。

ここで雪舞に、
“蘭陵王 你怎麼回來”(蘭陵王、なぜ戻ってきたの?)

と聞かれて、いちいち直訳すると、

“我在女媧面前發過誓,收了你的襟帶 我要保護你的 難道你忘了嗎?”
(女媧神の前で誓いを立てたし、あなたの帯も受け取った。
 私はあなたを守らなければ。よもやあなたは、それを忘れた訳ではないでしょう?)


とは言ってるけど、ここで、なぜ蘭陵王と分かった?とは聞いてませんよね。

段太師たちは、出来れば本当の身分は伏せておきたかったようなので、彼らが雪舞に話した可能性はあまり高くない。とすれば、高長恭の名を記した玉佩から分かったのだと推測したということでしょう。

玉佩が通行証代わりになるという話は寡聞にして知らないのですが、っていうか、そもそもこんな迷子札みたいに持ち主の名前が彫られている玉佩も見たことないのですが、このドラマの第7話で、皇帝の装身具(ここでは“長命鎖”)を示して謁見を願い出るシーンがあります。

玉佩ではないのですが、第3話では宿屋夫婦に武官の印を見せるシーンがありましたし、歴史上も、皇帝の使者の印として各種の“牌子”がありました。また、たとえば、“兵符”という割符のようなものがあり、命令が確かに皇帝からのものであることを伝える仕組みを担っていたのです。なので、視聴者としては、まあそんなものだろうと勝手に納得して見とけばよいのでしょう。

その後、壺口関に戻る途中で、
“雪舞姑娘,離開丹州城後 為什麼還要回來”
(雪舞どの、丹州城を離れてから、なぜまた戻って来られた?)

と聞いているのは、城門を出た後に玉佩の文字に気が付いたはずと思っているからでしょう。
(さもなきゃ、速く走らせようと、手形がつくほど馬のお尻を強く叩く理由もないし)

雪舞もなぜ分かったかは当然察しがついていると思ったのか、「あなたが蘭陵王だと分かったからよ」とだけ答えています。

ああ、でも雪舞、四爺が聞きたかったのはそんなことじゃないと思うわ、と気を揉む視聴者の心の叫びが聞こえたのか、雪舞はいきなり、「直接伝えたい“忠告”がある」と切り出す。

言われて四爺は、またいちいち直訳すると、
“如果雪舞姑娘若不嫌棄的話,明晚能否與長恭一起用膳 我們可以慢慢說”
(もし雪舞どのがお嫌でなければ、明日の晩、長恭と夕餉をご一緒することはできませんか、そうすればゆっくり話すことができるでしょう)
と言います。

ご覧ください、このものすごーーーく丁寧な物言いを。

「もしもお嫌でなければ」の“如果〜的話”のif節、「私と食事をすることが出来るかどうか」“能否”could you 〜could not?の疑問節を使ってます。

英語でもそうですが、これは人に物を頼むときの、ほどんど最大級の丁寧表現です。…が、言い方はともかく、後で書く通り、この場でこの発言は、ちょっと頂けないと思う。

それはさておき、こうまでしてお誘いするディナーとは一体…?

さて、壺口関についてみれば、やっと救い出した須達は虫の息。その有様を見て雪舞は、

“頭一後悔沒有好好兒學醫”
(きちんと医術を学ばなかった事を、初めて後悔した)

と言っていますが、ちゃんと勉強しないために後悔するのは医術だけじゃありません。この後数回分のうちに雪舞には、「料理」「裁縫」「人を見る目」等々、おばあ様の教えを守らず、身に付けなかったばかりに後悔することが山ほど待ってます。

続けて、
“但我就算留在這兒 見蘭陵王一面 也不能洩露他的命運啊”
(だけど、ここに留まって蘭陵王に会うと言っても、彼に運命を教える訳にはいかない)
と言っています。私はどうもここが良く分からないのですが、話したらダメと言われていたんでしたっけ。とりあえず、ドラマの中ではそういう箇所はなかったように思うのですが…。

第2話で雪舞は、“天機不可洩漏”(天の秘密は漏らしてはならない)と言っていますが、これは普通に慣用句であって(時が来るまで話せない、という意味)、そういうタブーが設定されているようにも思えません。

なぜって、雪舞はこう思い込んでいるらしいのに、もう一つの予言、すなわち、蘭陵王は鄭氏という女性を妃に娶るという方については、次のシーンでいとも簡単に本人にしゃべってしまうからです。どうにも解せない…。

そんなことを追及してる間に、楊士深が呼びに来ます。

その時は明るかったのに、席につくころには日が暮れている。
食事をしてるところは、一体どこなのでしょうか。

12月だというのにハスの葉は枯れてないし、背後に桜だか梅だか咲いているし、お皿の上には百合の花。ひょっとして、これはどちらかの夢の中なのか、あるいは周の麗正殿のように、南半球に存在してる場所なのでしょうか。

だってそうでしょう、陣地の中にこんな場所あるはずないし、
第一、義兄弟が危ないっていうのに、ハス池の真ん中で優雅に食事をしてるなんて、人としてありえない。

もし私が斉の兵卒だったとしたら、こんな時にデートしてる将校について行くなんて、絶対嫌ですね。

まだ第5話だというのに、ここでキャラを破壊してどうする?!

蘭陵王のこれまでの言動からして、ここのシーンは本当に納得いかないし、むしろない方が話が分かりやすいと思う。

何とか成り立ちそうな解釈としては、コメントいただいてなるほどと思いましたけど、これは五爺の演出という線。それはありかもしれません。四爺、すごく居心地悪そうだもん。

五爺は、このままだと兄上は絶対ヨメをもらわないだろうと見て取って、気を利かせて無理やりセッティングしたのでしょうか。

ま、先ほど四爺は「ゆっくり話をしましょう発言」をしていたので、雪舞の話は聞くつもりだったのでしょうが、はっきり言って私は、斛律須達の安否が危ぶまれる場面でああいう態度なのも、かなり四爺らしくないと思いました。

ともかく、一視聴者の分際で監督に逆らってもしょうがないので、ここはおとなしく話についていってみることにしましょう。

さて、夕食会場は風が強かったのか、それともさんざん待たされたせいか、あるいは兵士に見つからないように陣地からものすごく遠い場所だからか、ロウソクのロウが溶け出してスゴイことになってます。しかもロウソクの色が赤い…。

覚えてらっしゃいますか、は何の色か。華燭の典赤いロウソクを灯すお祝い)という言葉があるように、婚礼の象徴です。

追記:アップロードしてから気が付きましたが、斉の陣営ではロウソクの色は全部赤なんですね(ナショナルカラーだからか、カルフールでまとめ買いしたからでしょうか)。失礼しました…。でも、婚礼のとき赤いロウソクを灯すというのは本当です。

一方で池の中には“蓮花燈”が浮かんでいます。ここでは極楽浄土の演出っぽいのですが、本来は日本の灯篭流しと一緒で、死者を弔うためのもの。この状況下では不吉な飾り付けです。

さて、ようやく雪舞がやってくると、かなり緊張して待ってたらしい四爺は、入り口側の席に座るように促します。

こらこら、客を下座に座らすか?!(ま、四爺が入り口の方に座っちゃったら、雪舞は逃げ場がなくなるからいいのか(?))

壺口関についてこれが2日目なので、何か食べさせてはもらったんだろうけど、南汾州城からあまりきちんと食事はしてないだろうと思われるすきっ腹の雪舞に向かって、四爺は“敬酒”をすると言いだす。

“敬酒”というのは、今でも宴会なんかではホストがゲストにする儀礼です。時代劇なんかでは将が部下をねぎらったり、祝杯を挙げたり、お世話になった方にお礼としてお酒を勧めます。

これが“敬三杯”となると、伝統劇で夫君に捧げたりする例も思い出されますが、私は“謎語”(なぞなぞ)を思い出しちゃいます。

“喝完三杯酒”(三杯の酒を飲み終える)ってな〜んだ。四字熟語で答えてください(^_^)

謎の答えは、“一乾二淨”(一掃する、まっさらにする)

この言葉は、エンディングの歌詞の最初の一言目ですね。
歌詞で言ってる意味は、さまざまな感情を一度真っ新にする、ということ。

話を戻すと、四爺は武将だから、部下をねぎらうときのつもりでやってるのかも知れないけど、ついつい、前回も紹介しました婚礼の時の儀式“分杯帳裡”)を思い出しちゃいますね。

思わせぶりなお膳立てをしつらえて、何を言い出すのかと思えば、一杯目は、危険を顧みず 「須達を共に助け出してくれたこと」への感謝の言葉。

ここで雪舞が、流星に願い事をするというシーンがありますが、そういう習慣、昔からあったのでしょうか。

諸葛孔明が陣地で没したときに、流星だか彗星だかが落ちて、司馬仲達〈しば ちゅうたつ〉がそれと察したという『三国志演義』にあるように、昔の中国で流れ星といえば、たいていは凶兆じゃないかと思いますが…。ま、中国って言っても広うござんすからね(なげやり)。

四爺の方はすでに須達のことはもう無理だと悟っている様子で、勝手に回想モードに入っておられます。

ここで、突然、ジャイアンとスネ夫が登場して囃し立ててます。

「高長恭 高長恭 いつも母様探してる 母様探して泣いている」

ここ、原語では
“高長恭 沒有娘 送進宮 傻傻望著 一場空”
恭、宮、空がgong gong kongで韻を踏んでます。ちなみに“娘”(ニャン)とは「お母さん」のことです。
中国語ラップ、面白いので中国語音声にして聞いてみてください...なんて、いじめに加担しちゃダメですよね。家宝(?)のファー付き冠をかぶった小須達も怒ってます。

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ここで、“大王子、二王子”と怒られているのは誰なんでしょう。

直接のお兄様方とすると、河南王 高孝瑜〈こう こうゆ〉と広寧王 高孝珩〈こう こうこう〉ということになりますね。ただ、お父さんの高澄〈こう ちょう〉が若くして亡くなったので、四爺が母親の元から宮廷に引き取られた後に、兄弟と同じお屋敷で育てられたのかどうか分かりません。しかも、あとでドラマでも出てくる通り、兄弟全員、母親が違います(だから、お母さんのことを言っていじめているんですね)。

なお、安徳王(五爺)の伝記を読むと、彼は叔父の高洋(文宣帝)に可愛がられたということなので、そのお屋敷にいたとすると、ここに居た大王子と二王子は、高洋の息子である、長男の高殷と二男の高紹徳という事になるんでしょうか。親族が多いと名前を覚えるのも大変です。
 
それはさておき、母親は取り上げられ、(誰かはわかんないけど)お兄様方にはいじめられ、話し相手はウサギだけ…。

はて、どこかにいましたよね。似たような感じの人が。話し相手はカエルだったけど。

ともあれ、四爺は、流れ星にお願いしようと立ちあがった雪舞が座るまで、全く視線を外しません。

いよいよ何か言うかと、思わず見守ってしまう、問題の二杯目。

ここからは、言ってることと思ってることが真逆という、この2人の典型的な会話のパターンなので、セリフを読んでるだけでは真意がよく分かりません。

カメラワークが雄弁に語るシークエンスでもあるので、ここは画面と合わせて見てみましょう。

まず、四爺は杯を挙げて、
“長恭要謝謝雪舞姑娘”(長恭は雪舞どのに感謝します)
日本語は「命の危険を冒して」
でカメラが切り替わって目を伏せている雪舞が映る。

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“直生死于度外”(生命の危険を度外視して)と言われて目を上げる。
日本語は「花嫁になってくれた」
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日本語は、「心より感謝する」と言いますが、
中国語はいきなりここで、“與長恭假成親”(長恭と偽の婚儀を挙げてくれた)と言い、カメラは二杯目を飲み干す四爺を映します。
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“假成親”(偽の婚儀)と言われて、思わず雪舞は目を伏せてしまう。
日本語は無言の箇所なので、なぜ目を伏せるのかはよく分からない。
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そしてまた、目を上げる雪舞。
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するとカメラが四爺を映します 四爺はいったん目を伏せて、
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“成親之事”
「婚儀は全て」
と切り出すと、視線を上げて雪舞を見ます。
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「忘れてよい あれはただの芝居だ」 
日本語は大変上品に訳していますが、中国語の方は結構、単刀直入です。
“姑娘不必介意 你還是清白之身”
“還是”は「まだ」、“清白”は、ここでは「純潔」という意味です。
しかも中国語の方はずっと“姑娘”(お嬢さん)と呼んでいて、丁寧というか、少し距離を置いた感じを出しています。

ここで一瞬カメラが切り替わって、雪舞の表情を映します。
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四爺がすかさず、
“與長恭毫無關係”(長恭とは全く何の関係もありません)
日本語は、「私と君には何もない」(ここはさっきの中国語のニュアンスをさりげなく匂わせる上手い訳)
ときっぱり言うと(というか、自分を励ますように言うと)、
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雪舞は目を泳がせたあげく、
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注いであった酒を飲み干してしまう。
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文字通り「乾杯」してしまう雪舞を見て、四爺は、
“姑娘 不要喝那麼急”
(お嬢さん、そんなに慌てて飲んではいけない)

と言いますが、そんな心配もなんのその、
“四爺多慮了”(四爺、ご心配は要りません;もう目が座ってる)“我知道 這只是權宜之計” (単に計略だったなんて分かってるわ;とまたちょっと目が泳ぐ)
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四爺はもうほとんど涙目になっていて、思わず下を向いてしまう。 
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雪舞はため息をつくと、「そうだ」といって何かを取り出すしぐさをする。
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「そうだ」と言われた方は、顔を上げていますが、やっぱり涙目になっている。 
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カメラは雪舞に切り替わり、
“這玉佩看起來頗為珍貴”「この玉佩は貴重なものなのでしょう?」と言っていますが、手元は映しません。
四爺にカメラが切り変わって、
“還是還給四爺吧”「あなたにお返しするわ」 

ここで初めて手がアップになります。
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“不用 贈與之物 哪有退回之理”
(その必要はありません。贈ったものを返すなんて、そんな道理があるものですか)
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でここで、目が座ってる雪舞が映る。四爺は続けて、
“這玉佩 雪舞姑娘留著 改日來齊國 出示這玉佩”
(この玉佩は、雪舞どのが持っていてください。この先 斉に来たときに この玉佩を示せば)
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とここで玉佩がアップになって
“自然能找到長恭”
(自ずと長恭を探し出すことができるでしょう)
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言われた雪舞は目を上げて、首を振ると、また目を伏せてしまう。
“我不回來了 為什麼要回來”
(私はもう戻らないわ どうして戻って来なくちゃいけないの)
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で、ここでカメラが切り替わって、四爺がさらに下を向いてしまう。
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そこへ、もうかなり酔っぱらっているっぽい雪舞が畳み掛けて
“奶奶說,在你的未來,有姓鄭的姑娘等著四爺 不是我”
(おばあ様は言ったもの あなたの未来には鄭という苗字の女性が待っているって。私じゃないの)
と言いながら、手酌でまた一杯ついでいる。
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四爺は目を伏せていて、つと顔を上げると、
“奶奶說的話很靈驗的”(おばあ様の言葉は霊験あらたかなのよ) 
と,雪舞が痛飲しております。

斉の国の、この時代の食材や料理について紹介した本に《斉民要術》というのがあります。先の回でこの本自体も登場しますので、そのときご紹介するとして、本によると当時、もうかなり強いお酒があったみたいで、雄山閣の本から訳をお借りすると、

「三升も飲めば、深酔いをし、水をかけてやらないとかならず死ぬ」(ウルチキビ酒)
「多く飲めば人を殺すことになりかねない。少なければ、酔死とはいわれず、毒殺と疑われる。よほど酒量を節し、軽々しく飲んではならない」(モチキビ酒)


とか、恐ろしいこと書いてございます。

そんな恐ろしいものをぐい飲みしちゃう雪舞。

ようやく我に返ったのか四爺が側に寄ると、似たような話を繰り返して酔いつぶれてしまいます。

ここで四爺が“你看你”と言います。あなた自身を見てごらん、というような意味ですが、相手がやったことに対して、何てこった、というときに言います。ここの訳「まいったな…」は上手いですね。

結局、三杯目を本人には言えずじまいだった四爺ですが、実際のところ、雪舞が起きて聞いてたとしても、事態は何ら変わらなかったと思われます。なんて恐ろしい呪いがかかっているのでしょうか…。

そして、四爺にとって、ここまで延々ご紹介してきたこのシーンの意味を一言でいえば、

それは、


ふられた。



ってことです。

...とでも五爺に言ったのでしょうか、
翌朝には、四爺は姿を現しません。

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たぶん自分が村から持ってきた?タオル(忘れた方は第2話を見なおしてみましょう!)を前に二日酔いの雪舞はぼおっととしていますが、手首にはしっかり玉佩がかかっていて、着替えをもってきた五爺が見てないはずはない。

しかも、「ふられた」にしては、雪舞が四爺に会いたがっているのが、せっかくキャンドル・ディナーを演出した(のか?)五爺としては釈然としなかったことでしょう。

五爺はこの玉佩の特別な意味を知っています。しかし、この段階では視聴者は(雪舞も)そこまでは知りません。

なので、ここでは特別な意味の方は除外して、一般的に言って玉佩とは何か、考えてみることにしましょう。

愛情の印として相手に贈る、自分の身の周りの品のことを“定情物”と言います。ポピュラーなのは指輪やイヤリング、櫛、香袋、かんざしなど、直接身に着けているものです。

装飾品の他に、相手の髪の毛をひと房持っている(これは、尉遅迥将軍にもらった、夫婦2人の髪をまとめた“結髮”とは違います)、というのもありますが、何となく想像はつくかと思いますけど、髪の毛だと、形見の品に近い、滅多に逢えない相手のものということが多いです。遠くへ行ってしまう人、不倫の相手、などなど…

で、玉佩ですが、「佩」(おびる)という字が示す通り、飾りとして身に着けているもので、君子の徳を表すとされていました。五爺は剣につけてるし、こんな“衣冠禽獣”(人間の服を着たケダモノ)まで、ちゃんと下げております。

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(腰帯から下げている、オレンジの輪っかみたいなものが玉佩です)

玉佩は、かなり時代が下るまでは高価な装飾品で、婚約の品として贈られることもあったし、男性がいつも身に着けている品なので、“定情物”の定番で、詩にも詠われています。

三国時代、繁欽の「定情詩」は、ひとめ惚れした相手に恋の印を贈る、という内容の長い詩で、いろいろな“定情物”が出てきますが、その中の一節。

何以結恩情 美玉綴羅纓 何を以てか恩情を結ばん 美玉(びぎょく) 羅纓(らえい)に綴る

「恩情を結ぶ」というのは、愛情を確かにするということ。
ここの「美玉」玉佩を指すと思われます(美の字を佩にしている本もあるので)。

羅纓というのは色糸で作った組みひもみたいなもので、女性が身に着けるもの。

ちなみに日本の本には、これを、冠のひも、と解釈しているものもあります(纓には「帽子のひも」という意味もある)。そうだとすると、玉は女性が身に着けているもので、それを男性が冠のひもに通している、ということになりますが、私は、この詩の場合に限って言えば、ひもは女性のもので、玉は男性のものだと思います。

この詩は女性の心を詠んでいますので、全体の意味としては「自分の帯に愛しい人の玉佩を結わえつけることで、愛情の印にする」ということだと思います。

女性に玉佩を贈る、ということはそれだけで、“定情物”を渡してる=愛を告白してる、と受け取られてしまうかもしれない。だから、四爺は丹州城で玉佩を雪舞に渡したとき、わざわざ「これを旅費に換えて」と言ってるわけです。

え、なんで? 好きならそう言ったらいいじゃない?と思いますよね。
なぜ四爺は、あんなことを言ったのでしょうか。

このドラマはいちおうラブ・ストーリーなので(ですよね?)、このとき四爺がどう思ってたかなんて書くのは野暮な話で、観た方それぞれが好きなように受け取ればいいと思っているのですが、コメントもいろいろ頂きましたし、観た方それぞれのお考えを聞くのも楽しいと思いますので、あくまでも、この時点まで分かっていることを下敷きに、以下に自分の推測を書きますね。(“拋磚引玉”(レンガを投げて、玉を引き寄せる)ってヤツですね。)

「旅費にして」と言ってる理由の一つは、やはりその場で、玉佩に刻まれた名前を見られないためでしょう。
路銀代わりといえばじっくり見たりはしないでしょうから。

現にこの後、五爺がこれは路銀といって袋をわたしてますけど、雪舞は受け取った後、特段中味を改めたりはしてませんよね。これを仮に「兄上から君に」みたいなこと言って渡したとすれば、当然、注意して見ることでしょう。

彼女はあんなに蘭陵王に会いたがっていたのだから、玉佩に刻まれた名前を見れば、きっと訪ねてくるでしょう。でも、それはここ、丹州城を無事に脱出した後の話です。だからその場では悟られてはいけないと思っている、というのが一つ。

もう一つの理由は、雪舞に負担をかけたくなかったから。

ここまでの話でも分かるように、誰かの恩義を受けるということは、大変なことです。何とかして返さなくちゃいけない。

禁を破って助けてくれたのなら、何も置いていくなと言われても、せめて帯には飾りをつけてあげる。偽の花嫁になって助けてくれたのなら、ネッシーが棲息してそうなお堀に飛び込んででも助けてあげる。

どうしても返せなければ、この後すぐに登場する、さる高貴なお方のように「仇」で返す、ってウルトラCもありますけど。

ただでさえ玉は高価なものなのだから、おいそれとは受け取れないでしょう。だから、ここまでの御礼ですから気にしないで受け取ってください、食べ物や宿代に換えていただいて構わない、つまらないものなので、と言ってる、ということですね。

そして、もう一つの理由は、すでに第4話で語っています。

“雪舞姑娘 並非一般人 如果讓人知道她的真正身份 恐怕要天下大亂”
(雪舞どのは普通の娘ではない。もし本当の身分が人に知られれば、おそらく天下は大混乱に陥るだろう)

それを聞いて五爺は、ま〜たまた兄上がヘンな言い訳してるよ、という顔をしていますが、蘭陵王にとっては冗談ごとじゃありません。

得天女者 得天下(天女を得た者が天下を得る)とは、このドラマの中の大事な決まり事で、皆が知っているし、多くの人が信じています。

雪舞は行く先々でリケジョの才能を発揮して、科学の力で奇跡を起こし、「天女さま」と崇められますが、そういう評判は、単なる噂レベル。

しかし、四爺は第2話ですでに、雪舞の出身地の村娘が彼女を「巫族の天女」と言うのを聞いています。

彼は敬虔ではあっても君子であり、孔子さま言うところの「怪力乱神を語らず」(理性で説明できないことには首を突っ込まない)というタイプかと思われますので、天女を味方につければ天下が統一できるなんて、信じているとは思えません。

しかし、人から“戰神”(軍神)と呼ばれ、また軍を統率する身として、人の噂の怖さは思い知っていることでしょう。

「天女を得る者は天下を得る」と皆が信じているとすれば、楊雪舞を巡って争いが起きるかも知れないし、臣下の分際で思い上がっていると揉めるのは必至です。自分はともかく、彼女をそんなことに巻き込みたくないと思うのは、蘭陵王の性格からすれば当然でしょう。

このあたりは、ドラマのテーマに関係してくると私は思っているし、もう少し先に行くと、さらにはっきりするので、またその時にゆっくりお話ししましょう。

ともあれ、天下が乱れるもとになるのならば民草の生活にかかわりますから、個人の感情は、彼の価値観の中では優先順位の下位に置かれているのでしょう。

というわけで、彼は一貫して、雪舞からは一歩身を引く態度をとっているものと思われます。

第1話で彼は壺口関から白山村の近くにやってきて、偶然に雪舞と会います。そのときも、玉佩はきっと持っていたでしょう。第3話では作戦のために変装して丹州城に向かったのに玉佩を持っていたほどですから、療養の折に、いつも身に着けているものを外す特段の理由も見当たりません。

白山村で雪舞に会ったとき、彼女が普通の娘だったら、二度とは会えない相手だったとしても、ひょっとして、何か理由をつけて別れ際に彼女に玉佩を渡していたかも知れない。しかし、四爺はそうしませんでした。
いちおう、おばあ様には何も残すな、彼女の事は忘れろと言われているんだし、何よりも、ここで自分の身分を明かすことはできないと思ったのでしょう。玉佩を渡してしまえば、名前が書いてあるだけに、雪舞は外の世界へ彼を探しに来るかもしれない。それは望ましくありません。

そこで代わりに、雪舞が作った帯に飾りをつけてあげる。きれいだから雪舞は喜ぶだろうし、帯は誰かに渡すでしょうから、雪舞に直接残したわけじゃない。でも、雪舞が結婚する人にあげるのだから、彼女の側にはいつもある、秘かな“定情物”のようなものだとも取れる。

特別な帯になる、というのはあなた(雪舞)にとって、でもあり、四爺にとって、でもある。切ないですね…。

追記:なぜ、四爺がこの段階で彼女に玉佩を渡していたかも知れない(つまり、最愛の人であると思い定めたかも知れない)と思ったか、根拠を書いてませんでしたね…。

第4話で雪舞が花嫁衣裳を着て降りてきたときに、つまずいた彼女を支えて、そのままじっと見つめているというシーンがありました。五爺はそれを見て、「兄上が女性をずっと眺めてるなんて珍しいな」と言って冷やかしていますが、実は、五爺が知らないだけで、第1話の時点からすでに、四爺はかなり長いこと、じっと雪舞を見つめています。

珍獣を見る目つき(笑)なのかもしれませんが、その夜にずっと雪舞の手を取ってたことを思い出してください。後に鄭児(ていじ)に「お高く止まって、品行方正でいらっしゃること」と鼻で嗤われた四爺が、あるいは、ここまで出てきたシーンでいえば温泉でのぼせた雪舞に上着をかけてあげたときに、「男女の間のことで誤解されるといけないから上着をかけただけ」とわざわざ言ってる四爺が、滅多なことじゃそんなことしないと思います…。



さて、2回目に会ったときには、第4話の別れ際に玉佩を渡しています。

その前の第3話で雪舞に、御礼として出来る限りのことをする、と言い、蘭陵王に会わせよう、と約束しますね。

実はこの時点で、彼はもう、玉佩を彼女に渡すつもりだったのだと思います。この時は、雪舞は自分から外へ出てきたのだから、禁は解けたと思ったにしてもそれほどおかしくありません。

彼女は玉佩に刻まれた名を見れば絶対訪ねてくるから、ずっと先にはなるだろうけど、約束は必ず履行されると、彼には確信があったのでしょう。

それでも彼は、彼女が善良だから助けてくれるんだと、雪舞自身に言い、自分に言い聞かせている。

五爺なんてこなれた人だから、兄上が酔っ払いのふりまでして彼に、「雪舞どのは義に篤い人で…」と説明したり、花嫁衣裳を着た彼女にわざわざ御礼を言ったりしてるのなんて、フェイクだととっくに見破ってます。

婚礼の行列が出発するときに、どうせ好きなんでしょう、本当に結婚したら?と聞いてますもんね。

でも、思い出してください。別れる直前に四爺は、さりげなく帯を雪舞に返してますよね。誰か良い人に渡して、というような事まで言う。このとき、帯に飾りがついてないとすると、回収したんですよね。なぜ?

それは、この時点でも四爺はまだ、村に帰った方が彼女にとっては幸せだと思っているということだと思います。天女の身分で外の世界に出れば、どんな危ない目に遭うかわからない。すでに、尉遅迥に死にそうな目に遭わされていたのですから。

やっぱり彼女は村へ帰さなければいけないし、そうだとすると帯は返さなければいけない。だって、雪舞を返すのは、彼女を村の男と結婚させて、幸せに暮らしてもらうためなんだから。

代わりに、自分の方では、本人には言わないけど、大事な玉佩を贈る。贈っただけの合理的な理由(蘭陵王に会わせるという約束を守るため)はあると、後で彼女も納得してくれるでしょう。そして彼女には帯を返して、帯につけた飾りは(回収していたとするならば)彼女からの“定情物”として受け取っておく。

人に贈ったものを、贈り主に突き返す道理はないんですよね? ですけど、自分で回収するなら、その限りじゃないですからね。

…ちょっと憶測が入ってしまいましたが、私の解釈はそういうことです。

だから、壺口関に行くときに、四爺が何か期待してるような素振りなのは本当に解せないんですけど、ここはきっとどなたかが納得のいく説明をしてくださるとして、

じゃ、あのキャンドル・ディナーのシーンは一体何だったんでしょう。

一杯目は普通に御礼のため
二杯目は思いっきり突き放しておいて、
三杯目は突然、(本人は聞いてないけど)いかに相手が素晴らしく、そんな人に会えたことは天の恵みだというようなことを言う…。

結局、何が言いたいの?

ツンデレか?

ツンデレなのか?!



私の解釈はこうです。

一杯目は、義理堅い人としては当然の行動ですよね。

二杯目は、雪舞に何か後戻りできなくなるようなことを言われる前に、自分は何とも思ってないし、あなたには他の人と結婚する資格が十分にあります、と先手を打って言う必要があった。

村に留まるのが彼女にとって幸せなのだとしたら、村の男性と結婚してもらわなくちゃいけませんからね。

そう、彼は身を引くつもりだった、雪舞の相手が村人である限りは…。

この二杯目を切り出すときに、四爺に大変な葛藤があったと思うのは、言う前に、じっと雪舞を見ているからです。

いくら雪舞が優しい人だと言ったって、好きでもない人を命がけで助けるとは、さすがの四爺も思ってないでしょう。でも彼女のためには、本心を偽ってでも、ここで突き放したことを言う必要があった。

お堀で雪舞を助けたときに、なぜ戻ってきたの、と聞かれて、

“我在女媧娘娘面前起過誓 收了你的襟帶 我要保護你的。 難道你忘了嗎?”
(女媧様の前で誓いを立てたし、帯も受け取ったのだから、あなたを守らなければ。まさか忘れたわけではないでしょう?)

と言ってますね。

もう少しで彼女は殺されるとこだった。何とか助けるのが間に合ったとき彼が言えた、これがギリギリのラインだったのかと思われます。

じゃ、三杯目は一体何なんでしょう。

以下も全くの憶測ですけど、
二杯目を何とか言いきって、雪舞が納得したとしても、やっぱり自分を好きになる人なんて誰もいないのだと彼女に思わせて、せっかくつけた自信を失わせることがないように。

そして、さらに言えば、彼としては、彼女が前に言った通りの太平の世の中になったら、訪ねに来てほしいという気持ちもあったのかと思います。天の計らいで会えたのだから、縁があればまた会えるでしょう、という意味なのでしょう(まさか、もう会いには来ない、と言われるとは想定外だったでしょうね…)。

世の中にはいろいろな優しさがあると思いますけど、心に沁みる優しさですよね。
雪舞が聞いてないのが、本当に残念です。

ということで、キャンドル・ディナーのシーンはちゃんと意味があったのですが(監督すみませんでした)、やっぱりこのシーン、座りの悪いのは否めない気がします。

五爺としては困っちゃいますよね。せっかく上手くいくかと思っていたら、兄上は彼に見送り役をさせて理由もろくに言わない。

なぜちゃんと理由を言ってないと分かるかというと、この後、また似たようなシチュエーションがあって、四爺の方が五爺に「雪舞の予言」についてどう思うかと聞いているからです。

五爺が場をセッティングしたなら、当然、なぜ今朝になって会わないと言いだしたのか、理由を問いただすぐらいはするでしょう。どうせ、四爺はまた第4話と似たようなことを言って、その方が雪舞には幸せなはずだくらいは付け足したんでしょう。知らないけど。

実際のところ、ディナーのシーンには、四爺的にもう1つ隠れた意味があったんじゃないかな〜とも思いますが、それは玉佩の特別な意味がわかったところで、もう一度検討してみることにしましょう。

とにかく五爺は何て命令されたのかわかりませんが、雪舞に“盤纏”(路銀)を渡して、“希望你早日回到家鄉” (早く故郷に帰れますように)という、無責任なことを平気で言います。

まったく、「今後のご活躍をお祈り申し上げます」のお祈りメールよりひどい。

それに輪をかけて無責任な四爺は、自分がかつて周兵に追撃された道を、女ひとり徒歩で出ていく雪舞の背中を見つめて、日本語は「どうか幸せに」、中国語では、
“楊雪舞 願你一生平安”(あなたの一生が平安でありますように)
と言います。

ここで、相手のために思う一番大事なことが“平安”だ、というのが分かります。大事な伏線ですね…。

…って、こんなご時世で、ひとりで平安に、生きて村に帰れるとでも思ってるのでしょうか。

一生が平安どころか一秒後も危ないのに。あたりにはオオカミ男(@びちさん)、マングース周の皇帝などの魑魅魍魎が徘徊しているんですよ!

ときどき、本当にこの人どうかしていると思う事があるのですが、今がまさにそれです。昨晩の思いやりは流れ星と共にどっかに飛んで行ってしまったのか?!

それに、この手の無責任男、なんだか最近銀幕で見た気が…。

ひょっとしてあなた様の1400年後の子孫が例の、“不主动、不拒绝、不负责”(誘わない 拒まない 責任取らない)がモットーの蔣亮亮(ジャン リャンリャン)なのですか?!

このツケは、すぐ(8分後くらい?)に1400倍にはなって戻ってくるから、見てらっしゃい!!

と、視聴者が暴れ出すことを予測してか、さっとカメラは切り替わりまして、こちら周の宮殿。

尉遅迥将軍、お顔の傷が痛々しいわ…何もそんなところにサインして貰わなくたって…。
と、心配する視聴者をよそに、失踪した皇帝を、

“北起臨河 南至沅江”

までくまなく探した、とおっしゃってます。って、地名に間違いがなければ、この間は1090kmほどあるんですが…東京から札幌までの距離なんですけど。B5判の本の中のウォーリーだって簡単には見つからないのに、日本縦断サイズの場所で見つけようって方が無理なんじゃ…。

しかし、アシナ皇后は、「今回は蘭陵王を逃がしたけれど、今度会ったら私の分もサインもらってきて」…じゃなくて、「また捕まえる機会はあるでしょう」と、傷にグリグリと塩を塗り込む。いやはや、将軍も楽じゃありません。

一方、無事に南汾州城にたどり着いた雪舞。
いったい何日かかったんでしょうか。
ここで、タイムラインを見てみることにしましょう。

(1日目)昼間の壺口関で、五爺は明後日の昼に処刑があると言い、その日の夜に出発している。
ということは、
(2日目)馬で次の日の夜までに南汾州城につき、一泊    (南汾州城にて1泊) 
(3日目)翌朝、丹州城に着き、昼までに刑場に到着している。
                             (観光:丹州城の処刑場)
(4日目)その日のうちに丹州城を脱出して、おそらく同日夜のうちに壺口関。
                             (壺口関にて1泊)
(5日目)自由行動。ショッピングなどお楽しみください。  (壺口関にて1泊)
     (オプショナル:キャンドル・ディナー。添乗員がご一緒します)
(6日目)雪舞は2泊した翌朝に出発。

歩きだったので何日かかったか分かりませんが、夜に南汾州城に着いている。
壺口関から南汾州城まで、馬に乗って平均時速10kmくらいで進んで、8時間くらいで着くとすると80km。人間が時速3kmくらいで歩いたとして、27時間くらいですかね…?そうすると、休憩したりすれば4,5日はかかったかも知れません。

私にはどうにもこの位置関係がよく分からないのですが、壺口関から白山村に戻るのに、南汾州城を経由する必要があるんでしょうか。

それはさておき、途中に宿屋なんかもなさそうだから、疲れてやっと元来た汾州客捨に戻ったのに、そこには何とアダモちゃんが!(←古すぎる!)

今なら絶対ありえないであろうこのネタ、訳語でも当然いまは、“賤民村”なんて言葉は使えないので、吹き替えは「吹き溜まり」とか「貧しい村」とか呼んでます。

とにかく、またもや拾得物(今度は仮面から人に昇格)を拾い、「吹き溜まり」まで届けにいく、自称・私は良い人、またの名を学習しない女・楊雪舞。

親切にも、食べるものを買いに行ってあげるのですが、死にそうな割には、いっちょ前にリクエストもするのが、たかが拾得物のくせに実に図々しい行状であります。

お店の人には一発で、
「恩をで返されるぞ」
と見抜かれてますよね。

それでも村まで来てみると、なんとそこには韓暁冬(かん きょうとう)が。

ここで会ったが100年目。雪舞は台湾中国語全開で、暁冬をいびりにかかります。この2人がしゃべってるときは普通の話し言葉になっているので、突然現代にワープしたみたいです。

ってことは、100年目じゃなくて、1400年目か?

14倍かどうかはともかく、拾得物は彼によって、“阿怪”(アーグヮイ)と名付けられます。だいぶ先に、2人はまた会う事になるんですが、阿怪は名付け親の暁冬の事なんてすっかり忘れているらしい。帝王級の恩知らずっぷりです。

追記:この“阿怪”の“阿”って何なのか、ご質問をいただいたので書いておきます。

これは日本語で、女性の名前の前につける「お」と大体一緒です。「死んだはずだよ おとみさん」の「お」ですね(他に上手い例が見つからなくて)。

日本のテレビドラマ『おしん』は中国でも放送されて大人気だったそうですが、中国語のタイトルは《阿信》(アーシン)です。

中国語の方は女性につけるとは限らず、たとえば魯迅の有名な小説に《阿Q正传》あきゅうせいでん、というのがありますが、「阿Q」とはQさん、という意味です。

北中国では同じシチュエーションで“小”を使うことが多く、たぶん上海以南で良く使うんじゃないかと思います(あまり断定できなくてすみません)

そのせいかどうか、なんかあか抜けてないニュアンスがあります。この先の回で、ずばり、“阿土”(田舎っぺ)という呼び名を推戴する方が登場されますので、そのとき覚えてたら、またご紹介いたしましょう。


さてゴッドファーザー兼名探偵・暁冬は阿怪を見て言います。

「よく見てみろよ、身なりこそ同じようだけど、身体つきが何となく違う
背も結構ある それに手がちっとも荒れてない 苦労したことのない手だ」


身体つきが何となく違う、というと私が思い出すのは『三国志』に登場する、劉備玄徳(りゅうび げんとく)の有名な話なんですが、

「腕が膝に届き、耳が大きく、自分で自分の耳を見ることができた」って、Pーポ君か?!

さて、一方の壺口関。

手当の甲斐もなく斛律須達は亡くなってしまい、彼が遺言代わりにもたらした「周の皇帝が斉の領内にいる」という情報を何とか生かそうと、蘭陵王一行は必死の捜索を始めます。

このあと、皇帝が結構ちょくちょく(笑)斉に来ると知れば、ここまで焦らなくても良かったでしょうが、それは視聴者のみぞ知る。

この皇帝、五爺に
「よもや、かの悪名高き周の君主が斉にいようとは…」
って言われてるけど、いったい何したの?(このは確かに悪いこと(笑)してますが…)

このドラマを全部見終わっても、いったい彼がこの前に何したのかはわからないんですけど…。

過去の事はともあれ、未来の悪行は、これから嫌というほどご堪能いただけます。
次回・第6話はいよいよ、自称天敵同士がいきなり激突する頂上対決、

ハブマングース:血で血を洗う戦いの巻

乞う ご期待!(→こちら
posted by 銀の匙 at 11:45| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いきなりの「南京路に花吹雪」の登場にビックリ!そして南京路が南京じゃなく上海だと知って2度ビックリ。
まさか条約から来た名前だったとは・・・
(「南京路に花吹雪」大好きでした!もしかしたら本棚のどこかにまだあるかも)

そして、マッチの発明がこの時代の斉だったとは。もしかして、その史実も雪舞の造形の元になったのかもしれませんね。
玉佩の説明もすごく勉強になりました。
単なる男性のお洒落グッズかと思ったら、君子の徳を表す大事なしるしでもあったのですね。

村で玉佩を渡さなかった理由や、帯に付けた飾りを「回収」した理由の銀の匙さん式解釈も、か〜なり納得でした。
もうそれで正解でいいんじゃないでしょうか(笑)

それにしても、蘭陵王が尉遅迥にとどめを刺さないのもですが、尉遅迥がそのあと何もしてこないのも妙ですよね。
顔を切られたくらいで戦意喪失したのでしょうか(顔切られるの慣れてそうですが)。

問題のロマンティックディナーですが、陣地の中で、しかも義兄弟が危篤という状況で、蘭陵王のような性格の人が催すのは私も少し違和感がありました。
実は「流れ星にお願い」も、乙女ちっくすぎてちょっと気恥ずかしかったです。
身も蓋もない言い方ですが、ここは、女性の視聴者を獲得するための大人の事情的シーンかと思いました。

まあそれはともかくとして、この場面での二人のやりとりについての部分、私が漠然と感じていたことが文章にされていて感動しました。
3つの言葉を言った順序と、その内容についてです。
実は高長恭の人となりをすごく表している場面ですよね。

雪舞のためを思う優しさゆえの「断ち切る」言葉や、それとは裏腹の葛藤が透けて見える表情・・・
雪舞が来る前も、二つ目の言葉を言う前(流れ星の直前)も、すごく思いつめた表情していますよね。「もう二度と会わない」と言われた時は動揺を隠せてないし。

銀の匙さんの書かれた「心に沁みる優しさ」という言葉、本当にその通りだと思って、とても嬉しかったです。
宇文ようの、ある意味、視聴者にとっては「わかりやすい」優しさと比べて、高長恭の優しさは相手を思いやりすぎるあまりにわかりづらく、まだるっこしくさえ感じられてしまう。

でも私はこの優しさがとても好きで、だから途中、いろいろツッコミどころがあっても、お尻ぺんぺんしたくなるような場面があっても、なんとか耐えぬけました(笑)。

高長恭は無私・無欲で、自分の命にも財産や地位にも執着がないうえに、義理堅すぎて情に厚くて相手のことばかり考えてしまう人だと思います(雪舞から「見てられない」と言われてしまってましたね。そのへんお互い様だと思うけど)。

でも、そんな無私・無欲な生き方をしてきた人間が、雪舞という生涯ただ一人の相手と出会ったことで、雪舞を自分のそばに置きたいという「欲」(悪い意味ではなく、何かを欲する心、という意味です)を持つ。
その二つが相反するときの、高長恭の中でのその二つのギリギリのバランスやせめぎあいに惹かれます(この5話もそうだし、13話や、35・36話、41話〜44話あたり)。

高長恭にとっては、天女というリスクを持ち、さらに天真爛漫で優しい性格というリスクを持っている雪舞を守るのが一番大切なこと。そのためには自分の欲は捨て、自分との間には何もなかったこととして村に返し、村の男と結婚して幸せに暮らすように仕向ける必要があった。
私も、高長恭は雪舞には何も言わずに身を引くつもりだったと思います。
「もう一度会いたい」というのが、長恭の持てる精いっぱいの「欲」だったのかなと。

玉佩で四爺の想いの深さを知った五弟とは、たぶん言い争いになったと思います。
でも結局ちゃんとした説明はもらえないままで、納得しないまま雪舞を送ることになったから、五弟はあんなに浮かない表情だったんじゃないかな。四爺は自分で見送ったら雪舞を引き止めてしまいそうで、顔を見せなかったのかなあと思いました。

すいません、あまりにも長くなったんでここらでやめますがその前に一つだけ。

先日「桃さんのしあわせ」という映画を見ていたとき、「阿桃と呼んで」「阿梅と呼んで」というセリフが出てきました。
調べたら、親しみをこめて呼ぶときにつける、というような説明があったのですが、これって阿怪の「阿」と同じですよね?
「阿」が苗字なのか、それとも苗字なしの「阿怪」なのかなとちょっと疑問に思っていました。

以上、長文たいへん失礼しました!!
Posted by 銀 at 2014年11月03日 04:22
こんばんは♪
UPありがとうございます。

なんだかコメント入れるたびに「ハードルあげちゃってるかな?」と申し訳ない気持ちになるのですが、ほら、私、「深く掘り下げるタイプ」の人間ですし、銀さん同様、マニアックに語れるのが何より楽しいのです。
水を差すような発言しちゃってるかもしれませんが、「一個人の見解」だとお気になさらずに銀の匙さんの世界観を堪能させてくださいませ。


簡潔に感想をば

・先日、ブックオフ(って全国展開ですか?古本屋です。)に娘を連れて行って知ったのですが「銀の匙」って漫画の題名からとられたのですか?(つか最初がそこ?w)
・「ジャンリャンリャン」って最初は「チャン・リン・シャン」と某シャンプーCM 女優のように読んじゃいました。(次はここww)
・玉佩の件、ありがとうございました。理解しました。
・恒例の三択がなかったですね。ちょい、淋しい。
・全編通してのキーワード「平安」がまたでましたね!
・前回のユシンの詩、私はどう調べても辿りつけなかったんですが、途中からだったからなんだ!それと同様、西洲曲も途中から詠んでいますよね。
銀の匙さん、こういうところがありがたいのです!謝謝!

4話・5話・6話、大好きなんです。少女漫画脳をもつババアには美味しすぎるシチュエーションですわ。。。あ自分でバラしちゃった。
お互いの心と裏腹な言動に傷つき、それでさえ相手の平安を第一に考える。
せつないほどの愛の形。。長恭さまの「愛」を的確に説明されてるなと。
長くなってしまいますが言わせて下さい。

鈍感長恭さまの心はよくわかりませんが(けど大好きですが)
鈍感雪舞の心は少女漫画脳ババアには痛いほどよくわかるのです。(なのでこの物語の原創故事小説を書いた、プロデューサーでもあるフランキー・チェンさんは少女漫画脳をもつ女性だと勝手に認定してます。)

「水中チュー」のあとの「我在ジョカ面前〜」のセリフ、女性にはドキドキものです。もちろん雪舞にも。
けれど楊林氏の天啓に縛られている雪舞は、高殿の、その甘い言葉を鵜呑みにしてはいけない、鵜呑みにしたら自分がつらい目に合うだけだ。とわかっています。
彼女は常に自分の気持ちにブレーキをかけていますが、同時に長恭さまに会いたい気持ちはセーブできずにいるようです。
丹州城の城門で高殿の正体が高長恭だと知って、彼の身に危険が迫っている、と引き返しますが、この時にはもう楊林氏の天啓を一通り知っているのですから、蘭陵王は兄弟の手にかかり死ぬ、悲惨な死を遂げる、はずなので敵と戦って死ぬなんてことはありえないのです。おばあさまのお告げを信じている限りは。
なのに危険が迫っている、伝えに行かねば、助けにいかねば、というのは「伝えにいきたい」「助けにいきたい」→→「会いたい」のだと思います。
何故戻ってきたと聞かれて、(あなたにもう一度会いたかったから、とは言えず、というか自分でも気付かず)蘭陵王とわかって、直接話すことがある、と言ったのだと思ってます。

で、壺口関、明るくなってから軍営に入ってるので夜通し馬を走らせたと推測します。車中泊でなく馬中泊ですね。

壺口関で初めて、須達がかなり衰弱しているということを雪舞は知るわけです。ただでさえ須達で心を痛めている長恭さまに「あんた1年以内に死ぬから」「兄弟に気をつけな」とは言えないなと。

食事の席を設けさせるといっても軍営の兵士たちにそんなことを命令するわけにはいかない、ので頼める唯一の人、五弟に頼んだのでしょうが、彼ははりきりすぎですwwレッドカーペットですもんね。笑。
そして気のきいた挨拶もせず、「座ろう」ですものね。
なんなんだ!ババアはがっかりだよ。。

ここで私、尋ねたいのです。
長恭さまの小さい頃の回想、明らかに須達のほうが年上ですよね。義兄弟の契りもかわしている。何故「四哥」と彼は呼ぶのですか?立場はどうあれ、年長者を「哥」と呼ぶのではないのですか?高緯も皇帝になってからも長恭さまを「四哥」と呼んでますよね?まさかあの回想で一番ジャイアンヅラしておいて一番の年下なのでしょうか?

そして問題の2杯目ですよ
長恭さまは落ち込んだり、照れたり、必ず下を向いちゃうクセがあるようです。2話で「私の眼には君は特別に映ってるよ」とやや告白めいたセリフを言った後、照れて下をむいちゃうの、ババアには、キャー!カワエエエ!の嵐でございました。ハイ、いらん情報でした。

玉佩の件ですが、蘭陵王にはこうやってもう会ったんですから偽の婚儀のお礼はしたわけです。
「次に雪舞が斉にきたときには〜」のくだりは私的には?です。
だって村の外に出るなという村の掟は知っているのだから。
その禁をやぶって仮面を届けてくれたのも知ってるくせに、自分とは無関係とまで冷たい事を言い切って、自分に会いに来ると考えたでしょうか?
で、銀の匙さんの言うとおり、常に持ち歩いてますね。だとするとスーイエの四次元ポケットの容量たるや。。。ああだからあんなに恰幅のよい腹まわ。。。以下自粛。
(ここ、昨夜書きながら、一回寝たあとコメントいれよう、の間に銀さんの素晴らしいコメントがいれられていました。そうですね、ちいさなちいさな願い。。いつか、会いに来てほしい。。素敵。)

長恭さまも「もう二度と戻らない」と言われてふられたと思っているかもしれませんが雪舞もふられたと思って傷ついているのですよ。もうやけっぱちです。そうよ、そうだったわ、馬鹿ね、アタシったら何を期待していたの?偽の婚儀だったし、この人には自分ではない未来のオンリーワンの女性がいるんだった、と酒をあおり、頭の中を占めている、「長恭さまの運命の女性」を酔いに任せて話してしまってるんでしょう。「私ではない」「帯を渡したって私にはどうすることもできない」これってかなりな告白だと思いますが、鈍感長恭さまの耳には届かなかったのでしょうか?届いてたとしても長恭さまの決心は変わらずですか、はい、納得です。

お互いにふられたと感じた翌日の別れの朝、長恭さまは顔をみせませんが私の推測では、もちろん別れるのがつらい、引き留めてしまいそうだ、
もひとつは、玉佩をかえされそうだから(笑)
雪舞も、「もう会わない」と言った以上、長恭さまにたどり着く印篭(?)なんて必要ないですもんね。
けど五弟に、四爺に返しといて、と渡さなかったのはやはり雪舞も、せめてもの長恭さまとの思い出の品、と持って帰りたかったんだと思います。
これで本当に縁が切れましたね。
もう二度と会うことはないと思っているからこそ、天啓を告げなければ、と雪舞は考えたと思います。

ああ、いいですね!銀の匙さんの考える「雪舞への愛」。
涙を誘うほどにいじらしいです。
見返りを求めない愛。最初は暁冬だけでなくこの二人もそうだったんですよねえ。
あの拾いもんをするまでは。。。
(銀さんのコメント、長恭さまの雪舞への愛がまた的確すぎて!今回私落第のようです。。。追試お願いします。。。)
Posted by びち at 2014年11月03日 11:16
銀さん、こんばんは。
早速のコメント、ありがとうございます。これで第6話も続ける勇気が何とか…(だって、怖いんだもん、四爺が)。

第5回はこっ恥ずかしいシーンが多かったので、つい、プランB(マジメに解説)を採用してしまいましたが、お付き合いいただけてホッとしております。

尉遅迥が何もしてこなかったの、本当に不思議ですよね。相当痛かったんでしょうねぇ(実は、顔に元からある古傷も高長恭に斬られた跡だったりして)。頼りの部下も、全員なぎ倒されてるから役に立たなかったんでしょうね。お気の毒に…。

ディナーの翌朝に五爺が何て言われたのかは説明がありませんが、五爺は、言われた内容に納得してないというお考えはその通りだと思います。

もっと言えば、彼は言い訳を全く信用していません。それは次の第6話の彼の「やっぱりね」という表情と、その表情をしたシチュエーションを見れば明白です。

それは、四爺が雪舞を心配してる、とあからさまに分かることを言ったりしたときで、あんなこと言ったくせに、やっぱり好きなんじゃん、と思ったということなんでしょう。とすれば、「あんなこと」の内容は察しがつくというものです。

四爺が見送りに来なかったのも、おっしゃる通りの理由だと思います。これを男女裏返しにしたシーンがこの先出てきますよね。

このドラマの脚本の巧妙なところはこういうところで、同じモチーフを人や立場を変えて繰り返すことで、その前の同じモチーフの意味を登場人物に悟らせたり、視聴者に気づかせたり、お話に奥行を持たせたり、ということをやってます(46話分もエピソードを思いつかなかったのでネタを使い回した...ってことはないと思いたい)。

このエントリーの最終回では、モチーフの配置を分析して、脚本の構造を考える予定にしてましたが、ストーリーの踊り場にあたる回で毎回書くかもしれません。

高長恭と楊雪舞は、生い立ちも似ているし、価値観も似ています。銀さんが指摘された高長恭の長所のご指摘は鋭いと思います。

私は、ここがこの作品全体のテーマ(を設定してるかどうかは分かりませんが)だと思いますが、それが何かがはっきりセリフに出るのは10番台の後半と毒殺の直前なので、そこに来たらまた考えてみたいと思います。そこまで行きますように…。

それから、“阿”っていうのが何か、ご質問ありがとうございます。ちょっと長くなるので、本文に追記してみましたが、“阿”は「おしん」の「お」と一緒です。お怪さん、って感じ(??)

他にも言葉足らずなところがあったので、ちょっと本文に追記しておきました。いつも本当にありがとうございます〜! セリフを入力するだけでビビって手が震えるのですが、第6回も何とか頑張ります!
Posted by 銀の匙 at 2014年11月03日 22:45
びちさん、こんばんは!

いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

まずはこのハンドルネームなんですけど、『指輪物語』ゆかりの名前です。主人公の伯父さん(ビルボ・バギンズ)には困った親戚がいて、その連中が家に来るたびに先祖伝来の銀のスプーンが減っていくという話からです。

他にも、よく「猫の缶詰ですか?」(←微妙に意味が違うと思う)と聞かれるけど、違います!!

ちなみに、本ブログの名前palantirは「見る石」という意味で、同じく『指輪物語』の中に出てくる、離れた場所の出来事が見えるという“危険な”アイテムの名前です。


そうそう、ご指摘を受けて初めて気が付きましたけど、楊雪舞の視点が全く書いてませんね(… )ありがとうございます。

第1話からすでにおばあ様にクギ刺されてるし、第4話で、「またあなたに逢えるかしら」なんて言ってるし、ここではヤケ酒飲んでるし、四爺と違って分かりやすいからもう自明かなと思って…。

彼女は彼女で、ここは相手が何て言おうともう会わないって言わなくちゃいけないと思ってるし、四爺は四爺で相手が何と言おうとあれは偽の結婚でした、よそへお嫁入りしてくださいって言わなきゃいけないと思ってるし、お互い相手のために言ってるつもりが、がっつり傷ついているのが実に何というか、このパターンをあと2、3回は観なきゃいけないのかと思うと…ええっと。


彼女の気持ちはともかく、彼女の行動として、四爺が蘭陵王と同じ人だったのが重大な…いえ、これも、もっともっとずっと先の話題ですね。

私の脳はロマンチック細胞が死滅しているので、水チューのシーンを見ると、ハプニングで起こるキスシーンのバリエーションAか(つい最近某台湾ドラマでも見た…)とか思ってしまうんですが、このお話的にはヒロインのファーストキスが宇文ヨウじゃまずかろうという大人の事情なのかと理解しております。

そういう意味で言うと、ロマンチックディナーのシーンも絶対に宇文ヨウの出現前に置かなければならないので、第5話以外は場所がないですよね…。(と書いてて自分でも夢がないと思う今日このごろ)

私はいま、

「あんた1年以内に死ぬから」
「兄弟に気をつけな」

っていう雪舞が見てみたくてたまりません!

…やっぱりラブストーリーを楽しむには全然向いてないみたい。ロマンチックなシーンについては、夢を破壊しそうなので、おとなしく、びちさん、銀さんについていこうと思います...。

それから、丹州城から壺口関に帰るまでに、夜も行軍してたか野営していたかも知れないというのは全然考えてもみませんでした。なるほど、距離的にみてそうかもしれませんね。

義兄弟間の呼び方ですが、これは特に実年齢が上の人が兄になるとは限りません。「桃園の義」についても、誰を兄にするかをどう決めるべきかに関する逸話が残っています。

西遊記なんて、三蔵法師の弟子になった順ですよね。

高緯が高長恭を「四哥」と呼んでる理由ですが、まず、回想シーンで出てきたふたりの王子はどちらも皇太子ではないんじゃないかと思います。歳は高緯の方が下のはずです。

考えられる人物は、記事でも書いた通り実の兄2人か、文宣帝のところの皇子です。

ただ、ドラマはどこまで史実を反映してるかよくわかりません。エンディングに出演者全員のテロップが出てくるので確認すれば分かるかも。

史実を見ると、高緯が直接蘭陵王に話しかける場面があるのですが、残念ながら呼び名が出てきません。

蘭陵王が“四爺”なのは、文襄帝の第四皇子だからなのですが、だとすると高緯に「四」哥って呼ばれるのはヘンですよね。

ほかに考えられるケースとしては、高長恭が現皇帝のどの兄弟の子かによらず同世代の中で4番目であるか、皇位継承権が4番目、ということぐらいしか思いつきません。たぶん、どっちも違うんじゃないかと思いますが、よく分かりません。すみません…。
Posted by 銀の匙 at 2014年11月04日 01:13
前回長々と書いたくせに追記すみません(>_<)
セリフを入力するだけでビビって手が震えるだなんて…とてもとても楽しみにしているので、これからもどうぞよろしくお願いします。四爺に怒られそうになったら、フクさん呼んできますから^^

“阿怪”の“阿”の説明、ありがとうございました!やっぱり「阿Q正伝」の阿も同じなんですね。お富さん、おしん、でスッキリ合点でした(笑)

で…“阿土”の謎がここで解けて、そうだったのか〜!!とこちらもようやく合点が行きました。おそらく中国語圏の人にとっては変な名前なんだろうなとは推察していたものの、ピンと来ずにいたんです。

なるほど〜、”田舎っぺ”という意味だったんですね。ありがとうございます!
その場面まで来たら、ぜひ「氷児」という名前の方の解説もお願いします<(_ _)>

>同じモチーフを人や立場を変えて繰り返すことで、その前の同じモチーフの意味を登場人物に悟らせたり、視聴者に気づかせたり、お話に奥行を持たせたり、ということをやってます

これ、46話を見たときに私も感じました(遅)。

そして…ちょっと戻って、白山村でのこと。
踏雪の治療をする雪舞を熱く見つめたシーンに続く、雪舞の実験室(?)の場面も、長恭の心の動きが伝わってきて好きなんです。

雪舞のユニークさが描かれるコミカルな場面ですが、カエルを見るときと部屋を見回すとき以外、長恭は吸い寄せられるように雪舞を目で追っているんですよね。カメラが後ろから撮っているときも、高長恭の目は片時も雪舞から離れない。これって、恋している男の行動ですよね。

そんな状態でいるときに雪舞が村の娘たちからひどい仕打ちを受けているのを目にしてしまい、ほっておけない、守ってあげたいという思いも一気に高まったのでしょう。
(もしも雪舞が飛燕みたいな性格だったら、いくら天女でも長恭はそんなに心配しなかっただろうな…)

それにしても、お互い惹かれあってはいるけど、ここまでのところは、雪舞よりも長恭の方がより想いが深い感じがしますね。

P.S.
本題からはズレますが、「指輪物語」は小説を大学時代に読み、映画ではアラゴルンに堕ちました(はぁと)

P.P.S
びちさん、私も相当な少女漫画脳です。このドラマを見たとき、「アンジェリク」とか「風の行方」とか、往年の少女漫画をしっかり連想しましたから(笑)
Posted by 銀 at 2014年11月05日 02:01
銀さん

追加コメント、ありがとうございます。

そうか、魔除けにフクさん呼ばなくちゃ。フクさ〜ん!(←なぜか後ろから押されて、トラの真ん前に…)

うぅ、ぶるぶる。

吹き替え版をみたら、四爺が優しくて癒されました。今後6話は中国語で観るのやめよっと(←煽る煽る)

飛燕が天女だったらちょっと面白かったかも知れませんよね。性格あのままだったら、天下を得るって言われても宇文ヨウも願い下げだったかも…

五爺や高緯、フクさんまで、雪舞に一瞬がっかりしてるみたいなので、ひょっとすると、アリエル雪舞は四爺の脳内で変換されてる姿で、実際のビジュアルは飛燕みたいだったりして、と『黄金時代』のヒロインによる脳内変換な蕭軍を観た後では思う私です。

白山村の2人のシーンは初々しくてどれもいいですよね。お部屋のシーンの四爺の表情、私もとても好きです(お部屋を見回すときもなかなかカワイイ)。

その前に温泉で雪舞に、とっとと帰って、と言われたときに、口答えもせず(脚本にセリフがなかったから仕方ないんでしょうけど)目だけはマジメな顔をして、でもじーーっと雪舞から視線を外さないところも好きですね。

いっそ四爺も帰らないで神隠しに遭ったことにしといたらよかったのに、と思うほどですが(五爺が泣くからダメかしら)、ま、おばあ様に、至らないムコとしてこき使われて、結局、1年以内にうんぬん、という運命は変えられないのではという気は若干しますけれども。

白山村に住んだら、絶対「四郎」じゃなくて、雪舞にもらったあだ名の方で呼ばれることでしょう。カワイそうな四爺。ははははは…♪

P.S. 
北京語で四爺の声を担当してる方は、指輪物語の映画ではファラミアの声を演じられたそうです。

ファラミアって立ち位置が四爺と似てると思う今日この頃です。(じゃ、アラゴルンは宇文ヨウなのだろうか…)
Posted by 銀の匙 at 2014年11月06日 01:23
こんばんは。
しつこくここにコメント入れさせていただきます事、お許し願います。

銀の匙さんの解釈を踏まえてもう一度1話から見る。
泣けて仕方がありません。
あのラストを頭に思い描いてもう一度1話から見る。
泣けて泣けて。

銀の匙さん、銀さん、御両人が不自然だとおっしゃったとおり、原作本にはキャンドルディナーのシーンはありませんでした。

壺口関に戻ったらもともと着ていた服に着替えさせてすぐに五弟に見送りさせていました。
雪舞はその時、五弟に「同姓の兄弟に気をつけるように」と進言しています。
後ろから四爺が見つめるシーンは同じ。。その時は結髪を握っていました。

この原作本、「A是B」程度の中国語解読力の私には手つかずなのですが、ドラマを見ながら照らし合わせて読み進めています。(いや読んでない。感じている。)

1粒で2度おいしいグリコよりも何度も美味しい蘭陵王。

銀の匙さんの解釈願いたいのは楊林氏の予言。
「1年以内に死ぬ」
3年の停戦協定を結んで蘭陵王の死あたりに誰かが
「まもなく停戦の期限が切れる」
とかなんとか言っていますが。
ここで楊林氏の予言が違うなあと感じたのです。
年表作りましょう!ついでに蘭陵王府の敷地図も!

次回をお待ちしています。(あ、また圧力かけちゃった。)
Posted by びち at 2014年11月14日 22:06
すみません、くだらないことを。

指輪物語。。ハリポタやナルニア国物語。。一緒くたにしてはそれぞれのファンにはどつかれそうですが。。。なかでも読書は雑食派な私はダレン・シャンがお気に入りでしたなー。。映画にしたら指輪物語がピカイチでしたね。

銀の匙さんのお話された「世説新語」、読んでおりますが。。。かなり難しいです。かなりキレておりますね。噛みしめ、噛みくだいて読み進めております。。。。
Posted by びち at 2014年11月14日 22:16
びちさん、こんばんは。

コメント、ありがとうございます。記事の間があいちゃって失礼いたしました。

平日は帰りが遅いので、作業できても1時間くらいなんですが、中国語版を見直すのに43分、吹き替え版を見るのにプラス43分かかるので、見るのだけで4日くらいかかっちゃって。

面白いから良いんですけど、やっぱり時間は食いますね…。

>年表作りましょう!

この手の話を鑑賞するときに私が最初にやることは、各回ごとの単語帳を作ることと、年表を作ることです(史学部出身の悲しい性<さが>・笑)

なので、実はもう年表は作ってあります。ただ…これを見て面白いのは、たぶん史学部出身の人だけです(ははは)。

楊林氏の予言がどうなってるのかは、話全体の構造に関係がある(と愚考する)ため、最後に考察いたします。

いつも有益なコメント、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いいたします(強要)<(_ _)>
Posted by 銀の匙 at 2014年11月18日 01:18
びちさん:

コメントが前後しましたが、原作本を何とか感じよう、解読しようという、その姿勢が素晴らしいですね。

原作本のデータを見るとA5判くらいのサイズで350ページ弱ってことは、1話につき平均7ページ。すごく大胆にお話をはしょってない限り、各話あらすじで終わりそうな気もするんですけど…。

絵や動きで表現されていることを文章にしてしまうと、余韻がなくなる気がして、難しいですよね。小説の映像化にどうしても不満が残るように、面白い映像作品のノベライズっていうのも、成功するのはなかなか大変みたい。

『世説新語』お読みになっているとか。お話は細切れですが、昔もいまも変わらない、人間の業みたいなものが面白いですよね。
Posted by 銀の匙 at 2014年11月19日 01:00
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