2014年12月31日

蘭陵王(テレビドラマ14/走馬看花編 第8話)

いよいよ2014年もあと少し。
皆さまにとって、今年はどんな年だったでしょうか。
なぜか本放送も終わって半年近く経ったところで、蘭陵王の時代に散歩に出かけたまま帰って来られなくなるとは、年の初めには全く予想しておりませんでした私です...。

さて、春は花粉症、夏はデング熱、秋は残暑&長雨&台風に悩まされる東京地方、もはや散歩の好機は冬しか残されていません。幸か不幸か雪がほとんど降らないので、徘徊するにはもってこい。

この「散歩」という言葉、ルーツは蘭陵王の時代あたりに遡るらしいです(ホントかどうか、裏はなかなか取りづらいけど…)。どうしてなのか、まず、マクラは魯迅〈ろ じん〉先生にご説明いただきましょう。

1927年、芥川龍之介が亡くなった年ですが、広東で、《阿Q正伝》でおなじみの魯迅先生が講演会を開きました。演題は、

「魏晋の気風および文章と、薬および酒の関係」

竹林の七賢を筆頭に、前をはだけた、だらしない服装が流行った南北朝の時代、どうしてそんなことになったか、文学にはどういう影響があったかを名探偵・魯迅先生が考察したハイブローな講演ではありますが、登場するのは文学者とはいえ風呂にも入らない汚ギャル系男子とか、今でい言えば腰パン相当の服装がだらしないチャラ男(死語?)とかの面々。

そんなの古代中国にもいたのねぇ〜と思ったら、危険ドラッグをやってたとこまで同じらしい。

このドラッグ、「寒食散」〈かんしょくさん〉と呼ばれて貴族の間で大流行。400年の間に100万人の人が服用したというからスゴイです。やった人がどうなったかというと、これがまた、どこかで見たような末路に。

ここはひとつ、科学史の泰斗・川原秀城先生の訳文で、蘭陵王たちの1つ前の時代、北魏の道武帝ご乱心のありさまをご覧いただきましょう。

喜怒は常軌を逸し、心配事が心より去らず、あるいは数日食事をとらず、あるいは終夜一睡もせず夜明けにいたる。責任を転嫁し、百僚左右どれも信じられない、などと罵詈暴言〈ばりぼうげん〉をはく。日夜を徹して、ぶつぶつと独語し、端からみれば、あたかも傍らに鬼物が仕えているかのようである。

はては過去の成敗得失を思いおこし、朝臣が御前にいたるや、旧怨をもって殺害する。旧怨がなくても顔色変動、あるいは喘息不調...些末なことを理由にして、自ら手打ちにする。死者は無残にも天安殿の前にさらした。まさに暗君の典型である。皇甫謐〈こうほ ひつ〉は「寒食散服用者は、薬が発動すれば、もともと聡明であっても、頑固愚昧になる」と述べている…


これって、後々、ドラマで皇太子・高緯〈こう い〉が飲まされた薬に似てますよね…。
でも、「寒食散」はどう考えても危険なドラッグなのに、100万もの人が服用するなんて、当時の人はそんなにハイになりたかったのか、インスピレーションを必要としていたのかしらん。

ということでもないらしく、当時はこの薬が不老長生に役立つと信じられていたようなんですね。服用すると身体が熱くなるので、服はまともに着ていられず、冷たいものを食べたり、あちこち歩き回って熱を発散(散行)しないといけなかったらしい。この「散行」がやがて「散歩」という言葉になった、そうです。この語源説、イマイチ確信が持てませんが…。

錬丹術もそうですけど、どうも薬と毒の関係には怪しいところがあります。

良薬は口に苦し」って言葉、ご存じですよね。なんと中国ではこれの別バージョンのことわざがあって、同じくらい良く使われてたみたいなんです。その別バージョンとは、

毒薬は口に苦し」

んなアホな…。味が分かる前に死んじゃうよ?と思いましたが、そこがミソ。どうミソかは、引き続き、川原先生の本からご紹介させていただきましょう。

書名もズバリ、『毒薬は口に苦し』。では、どうぞ。(...は中略の印)

「良薬は口に苦し」…出典は前漢の劉向〈りゅう きょう〉(前82-前6)の『説苑』〈ぜいえん〉正諫編にあり、孔子の言として「良薬は口に苦きも病に利あり、忠言は耳に逆らうも行に利あり」とのべている。

中国古代には、それと同じ内容がすこし字句を変えて書かれたこともある。
毒薬は口に苦きも病に利あり、忠言は耳に払(さか)らうも、明主はこれを聴く。功を致すことを知っているからである」
というのがそれであり、司馬遷の『史記』淮南衡山列伝などにみえる。

『史記』からの引用句と『説苑』の句の相違点は、ただ「良薬は口に苦し」の「良薬」が「毒薬」に変わっているところだけであり、両句の意味するところはまったく等しく、「毒薬」も「良薬」とほとんど同じことを意味している。

当時、「毒薬」と「良薬」が同じ意味で用いられていたことは、この二つの用例がどちらも多数存在していることからいって、疑うことはできない。

『周礼』によれば…医師という職種は…「毒薬」を集めて、医療に供するのがその職務であるという。そこでは「毒薬」は生命にあだをなす薬物という意味ではなく、まったく逆に、顕著な治療効果を期待することのできる薬物、作用の強い薬という意味で使われている…。

一方『周礼』や『史記』が書かれた時代にも「毒薬」が命に危害をなす薬物、という意味で使われていたことは、まぎれもない事実である。人を傷つけ殺そうとする場面に、毒薬という字句が頻繁にあらわれることは、今日とすこしも変わらない。

たとえば『史記』晋世家には、晋公を暗殺しようとして、「毒薬を胙(そ:神に供える肉)のなかにおく」とあり、『東観漢記』耿恭〈こうきょう〉伝に耿恭が毒矢をつくろうと「毒薬をもって矢につけた」などとある。


なんと、良い薬は作用が強いので、毒とも認識されていたのですね…いえむしろ、現代ではそれが無視されてると言った方がいいんでしょうか。

ということで、毒矢に当たった主人公・蘭陵王が昏睡してるスキに、お話は、第8話へと進みます。前回は→こちらへ、第1回からご覧になりたい方は、→こちらへどうぞ。

第7話までのあらすじ

国境にある“賤民村”で、斉の第四皇子、高長恭〈こう ちょうきょう/ガオ・チャンゴン〉=蘭陵王〈らんりょうおう/ランリンワン〉=四爺(よんじい/スーイエ)は、敵対する周の皇帝・宇文邕〈うぶん よう/ユィウェン・ヨン〉を捕えます。

しかし、皇帝を身寄りのない貧民・“阿怪”〈あかい/アーグァイ〉だと信じ、必死で命乞いする楊雪舞〈よう せつぶ/ヤン・シュエウー〉の疑いを解くのに手間取り、彼をまんまと奪回されたうえ、四爺は敵の毒矢に当たって倒れてしまいます。

周国秘伝の毒薬「百歩散」〈はくほさん〉の解毒薬は、周に行かなければ手に入りません。ついに雪舞は韓暁冬〈かん きょうとう/ハン・シャオドン〉と共に、宇文邕の元へと向かいます。

宇文邕は権臣・宇文護〈うぶん ご/ユィウェン・フー〉を牽制し、斉の要衝・洛陽〈らくよう/ルオヤン〉城を陥落させて皇帝の威信を高めようと画策しています。雪舞が解毒薬を求めてやって来ることは計算の上。その助けを得れば天下を得られるという伝説の「天女」の末裔・雪舞を利用し、勝利をさらに確実なものにしようとして…。


洛陽城に向かう船の上、皇帝陛下は隣に楊雪舞を従え、閲兵式のまっ最中です。
行軍中には雪も降るという冬空の下、ご苦労さまでございます、陛下。と、思ったら、船べりになぜかヘビが!

ほらほら、あなたの生まれついてのがやってきたわよ…!

もう12月ですから、冷血動物はそろそろ冬眠するころじゃないかと思いますが、
その前に栄養を蓄えておかないと。

と思っているのか、食いつきっぷりが良いですよね。

蘭陵王参上…じゃない、ヘビ出現の騒ぎに、解毒薬の守備をしている兵士も甲板に出てしまいます。
この人たちは禁衛軍なんでしょうか? 仮面はつけてないけど…

積み荷を管理していた係の人は、
“放了硫磺粉”(硫黄の粉を撒きました)
と主張していますが、現代に行われた実験によると、硫黄の粉を撒いてもヘビ避けにはならないそうです...。

それはさておき。
必死で命乞いをする係の人の言う、
“上有高堂”
“高堂”とは、父母のことです。

同居している両親は家の一番良い場所に部屋がありました。他の建物より高い場所に居る、というところから来た言葉です。直接「両親」というのを避けて敬意を表します。

その人の名前じゃなくて、居る場所で呼ぶことで敬意を示すやり方ってありますよね。たとえば、“陛下”とか“殿下”っていうのも宮殿の階段の下、建物を降りた下、のことです。

って、宇文邕あなた、階段の下に住んでるの? ハリー・ポッターじゃあるまいし(隠忍12年って、フィジカルに物置部屋に住んでたんだろうか…)。

と言うのはもちろん違いまして、昔、身分の低い人はエライ人に直接声を掛けることはできず、階段の下にいる側近の人(例:宇文神挙さん)に取り次いでもらわなくちゃいけなかったので、「皇帝さまの陛下にいるひとに申し上げます☆」って意味で使ったようですね。

だからと言って、宇文神挙に向かって“陛下”とか、楊士深に向かって“殿下”とか呼んだら、トラのおやつにされちゃうと思いますけど、ねえ、殿下?

と呼んでみたら、四爺は起きていました。
夢で雪舞を見た、とおっしゃっておいでですが、たった今まで周にいましたよね?
今度は雪舞じゃなくて、宇文神挙に退治されちゃったけど…(それで起きたのね)

ナイスタイミングで退治されちゃったので、雪舞が宇文邕の毒を吸い出すという、目撃してれば再起不能なシーンを見ずに済んだのは不幸中の幸いでしたね、四爺…(笑)。

ちなみに、必死に命乞いしてた割に、係の人はその様子をじっと観察してるあたり余裕ありますが、この人も仕込みだったんでしょうか。このあと、周の国でその様子を仲間にしゃべった禁衛軍の人ってまさかこの人なんですかしら?

ってことは、後の方の回で四爺が化けたのはこの人…?
体格は似ている部分もあるのかも知れませんが…

それは先の回の話なのでこの辺にしておきますが、とにかく、野生の勘で、退治された後にとんでもないシーンがあるかも、と察知したのか、リモコン操作で使い魔ばかりをフィーチャーしてると主人公の座を陛下に奪われるかも、と危機を感じたのか(奪われて困るものはもっと他にある気もするが)、四爺は画面に映ってはみたものの、努力もむなしくまた倒れちゃいました。

さて、もう一方の使い魔・韓暁冬〈かん きょうとう/ハン・シャオドン〉は、絶賛お仕事の真っ最中。
引き出しの中に秘薬=毒薬の“百歩散”〈はくほさん〉を見つけます。

さて“百歩散”
いかにも武侠小説とかに出てきそうな名前ですが、ホントにこういう薬が存在してたかどうかは分かりません

ここで思い出されるのは先ほどの四爺…いや、毒蛇。

雪舞は、
色彩鮮豔 頭成三角必定是有劇毒之蛇
「色が鮮やかで頭が三角形のヘビは強い毒を持っているの」
と説明していましたね。

頭が三角で色が鮮やか。むむ、これは…。

台湾には、頭が三角で色の鮮やかな毒蛇がおり、その名もズバリ、“百歩蛇”〈ひゃっぽだ〉。

名前の由来は「咬まれれば百歩の内に死ぬ(ほどの猛毒)」という事からとか。

恐らく、周の秘薬はこのあたりが出どころなんじゃないかと思われます。
解毒薬があれば治るなんて、すっごいご都合主義の展開だこと…と一瞬思いましたが、血清で蛇の毒を消せるのと同じ発想なんでしょうね。

そういえば、暁冬が開けた引き出しの中には他に、“五歩散”てなものもありましたね…(ひぃっ!)。

と怯えていたら、戻ってきた兵士にバッチリ見つかってしまいます。ここ、吹き替えでは、
「何者だ」
「ただの客だが」

って、普通の会話になっちゃってて、惜しいですよね…。中国語では、

“什麼人”
(何者だ)
“客人”(よそ者だ)
と、いちおう、ギャグなんですけど。

第3話で「いらんかね」「銅貨〈どうか〉1枚」「どうかね」「そうかね」、ばあちゃんの病気は2文字で「奇病」、そしてこの回ではおしまいの方のシーンで「ふとんがふっとんだ〜」等々等、頼んでもいないのにブリリアントなギャクを噛ましつづけてくださいました吹き替えチーム、肝心のところで惜しかった…!

上の中国語をギャクで訳すのは冬休みの宿題にしますので、やってくるように。

しかし、皇帝陛下がかまされたのはギャクではなく毒蛇でしたので、雪舞はおろおろしています。

そんな雪舞を見上げる陛下のめちゃくちゃ嬉しそうなお顔が大変キュート(はぁと)

つか、ダニエル・チャンは全編通して、割合きちんと時代劇の所作で演技していますが、ここだけ何かちょっと芸風変わってますけど良いんですかね?

毒蛇の危機も、士気を高めるための仕込みと知って、かぶりを振る雪舞。
腹も立つでしょうよ、それは。

しかし、ダニエル宇文邕はのほほんとしたもの。
意外な収穫があった、と喜んでおられます。アシナ皇后が一足先に都・長安に帰っているので鼻の下を、いや、羽根をのばしているのでしょうか。

“原來還是挺關心朕的”(実は朕の事を気にかけておったか)なんて、いい気なことを、よくもまあ。

どれどれ、日本語じゃどう言ってるのかな...と吹き替えを見てちょっとびっくり。
いきなり「そなたは朕を愛しておる」と来ましたか!

煎じ詰めればそうですが、陛下、ちょっと煎じ詰めすぎなのでは?

こりゃーあれだ、きっと、エライ人だから直接雪舞に言わないで、

宇文邕→宇文神挙→禁衛兵A→禁衛兵B→禁衛兵C→通訳→禁衛兵Z…って回ってる間に、伝言ゲームで意味変わっちゃったのでしょうかね。

それをやっと聞いた雪舞の、心底呆れたって感じの表情が笑えるんですけど…。

そんな、一方的に和やかなムードのところへ、衛兵が保管庫で捕えた暁冬を連れてきます。それを見た皇帝陛下は上着を後ろに払い、腰に手を当てるエラソーなポーズを取ります。

だけど、その下の衣装がびみょ〜ですよねえ。前掛けしてる、いなせな酒屋のお兄さんみたいに見えちゃって、ちょっと…

しかし、せっかく(一方的に)いいムードだったところに邪魔が入ったラメラメ衣装の三河屋さんは、相当マジ切れしています。

“給我拖出去,斬!”(つまみ出して斬れ!)

ここの言い回しも中国語らしくて面白いですね。“給我”はgive meの意味なんですが、命令文で使うと、かなり激烈な口調になります。

“給我滾!”(失せろ!)とか。

日本語でいうと「くれ給え」か? かなり印象違うけど。

恩を忘れたの!?と雪舞は叫んでますが、恩どころか暁冬の存在自体気づいてなかったみたいよ、後の回を見ると。

いずれにせよ、暁冬にしてみれば、宇文邕はばあちゃんの仇、情けを掛けられるのはまっぴら御免らしく、
“有本事殺我”(根性があるなら俺を殺してみろよ!)
とか挑発しています。ダメだって、ホントにやりかねないから、この人。

雪舞もさすがにこれはマズイと思ったようで、必死にかばった結果、皇帝陛下は珍しくも折れて、
“容後發落”(追って沙汰をする)と言い捨てて出て行きます。

去り際、暁冬に託された「百歩散」の包みを眺める雪舞。
周では、床に席(座布団)ではなく、座椅子のようなものに座っているようです。
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散薬をお湯に溶かす手つきがとてもきれい…と見とれていると、彼女はいきなりちゃぶ台…もとい、茶器をひっくり返します。

どうもこの毒は内臓から吸収されるタイプらしくて、いきなり引きつけのような、激烈な症状が出て、お付きの人も、戻ってきた宇文邕も大慌てです。

“只要有朕在 朕就不會讓你死”(朕が居る限り、死なせはせぬ)
「朕が居る限り 死んではならぬ」って、またまた陛下。
おや、この日本語のセリフは、重大なシーンで出てくるセリフでは!? しゃべる人は違うけど…。

そうそう、こうやって、大事なセリフを、シチュエーションを変え、人を変えて使い回すのが、この脚本の特徴でしたよね。そうすることで、運命の残酷さがいっそう際立ってくるんですが、それはまた先のお話にて。

さて、ほとんど瀕死の楊雪舞は、今度は陛下の思惑を盾にとり、解毒薬を飲めば暁冬を釈放すると約束させます。誓いの言葉は、

“君無戲言”(君主に戯言なし)

四爺と違って宇文邕自身はこの誓いを破りませんでしたが、宇文神挙は暁冬を帰すのは危険と考え、後を追わせます。さすがの「できる男」宇文神挙も、ハンカチが速乾性素材とは気が付かなかったのでしょうか。

しかしまあ、「アラジンと魔法のランプ」じゃないですけど、お願いごとをするときは、細部まで気を付けないといけませんね。四爺じゃあるまいし、馬で来た人を歩いて帰らすなんて、気が利かないったら…。

「暁冬を馬に乗せて斉の陣営の門番に引き渡して。飛燕か国宝の宝玉をお土産につけて。そうしたら飲んであげる」とかって交渉しないとねぇ…(雪舞と暁冬、2人まとめて斬られちゃうかもだけど)

帰る道すがら、暁冬を追撃してきた兵士は、
“那你就去陰曹地府伸冤吧”(せいぜい閻魔さまのお役所で恨み事を訴える事だな)と言います。つまり、吹き替えの通り、「地獄の門で命乞いするがよい」ってことですね。

5日目。四爺は伏せたままで、軍医も半ばあきらめ顔です。
傍らに置かれたこのお花、なかなか日持ちがするようですね。

さて、周の軍勢は三門峽〈さんもんきょう/サンメンシャア〉を超え、洛陽に向かって進撃中です。
三門峡は洛陽の西にあり、ここで黄河の流れが三つに分かれています。それぞれの峡谷は「人門」「神門」「鬼門」と呼ばれており、現代では巨大なダムもある、交通の要所です。

宇文神挙から状況の報告を受ける皇帝陛下。斉の斛律光〈こくりつ こう/フーリュィ・グアン〉将軍を伏兵で足止めしているとの知らせに、さすがの斛律光も“孤掌難鳴”(一つの手では拍手は鳴らない)だ、独りでは何も出来まい、とご満悦です。

実は敵の総大将は、かくかくしかじかな訳で、皇太子の高緯です、と宇文神挙が見てきたような報告をすると、っていうか全く筒抜けですが、それでは高緯は“暗渡陳倉之計”にかかったな、とさらに興が乗っておられます。

“暗渡陳倉”(ひそかに陳倉を渡る)というのは、「三十六計」の1つ。「三十六計」とは、中国兵法の代表的な36の計略を、南宋時代にまとめた書と言われています。ただ、まとめた時期が新しいだけで、計略自体は前から知られているものです。

ちなみに、第36番目は「走為上」(逃げるのを上策とする)。ここから、「三十六計、逃げるにしかず」って言われるようになったんですね。

このドラマでも、「三十六計」の中から、すでにいくつも出てきています。

第6計 「声東撃西」(東に声して西を撃つ)…第4話
第8計 「暗渡陳倉」(ひそかに陳倉を渡る)…第8話
第15計 「調虎離山」(虎をあしらって山を離れしむ)…第4話、11話
第31計 「美人計」(美人の計)…第6話

“暗渡陳倉”とは、劉邦の軍師・韓信が項羽を撃退するために採った策略で、敵の注意を他の場所に引きつけ、こっそり目的地(この場合は「陳倉」)へ到達する、という戦略のことを言います。

ガッチリ罠を仕掛けられてるとも知らず、分かれ道に差し掛かる皇太子・高緯のご一行様。
鳥が飛び立つのを見て、祖珽〈そ てい〉は言います。

“孫子兵法曰 鳥起者 伏也”(「孫子」の兵法に曰く、鳥の起つ者は、伏なり)

これは、「行軍篇」にある言葉です。鳥の飛び立つところには伏兵がいる…そこで、迂回ルートを選択しますが、今度は動物の気配すらない。そこで、吉か凶かを占ってみよと高緯が命じます。

祖珽の小指の爪が伸びてるのがとっても気になる今日この頃、中国女子の「こんなメンズはナシ」十か条に、「小指の爪なんか伸ばしてる男」が入ってるらしいのですが、祖珽がなぜこんなイケてないことをしてるのかは、何かのおまじないかもしれないけど、私にはちょっとわかりません。

ただ、この指で数えているような動作は意味があって、筮竹の代わりに、指で卦を立てているのです。

出た卦の口訣は、
「鼎沸風波 孤舟渡河」
つまり、
“卦上顯示 暗藏危機”(危機が隠れているという卦が出ております)

この卦は「大不吉」の卦らしいのですが、果たせるかな、伏兵には襲撃され、尉遅迥に追撃されと、さんざんな状況です。

解説者の宇文邕さん、いかがですか?

「高緯は才に長けているわけではないが、
さりとて無学ではない
兵法ぐらいは熟読しておろう」


しかも読んでたのは高緯じゃなくて祖珽だったっつー疑惑も…。

まるでモニターでチェックしてるような宇文邕さん、コメントお願いします。
“兵者 跪道也”(兵とは、詭道である)

戦争の本質は「偽りの方法」である。こちらに十分な戦力や能力があるのに、
敵にはあたかもそうでないかのように見せかけるものである...


これは、《孫子》冒頭の「計篇」の一節です。(訳は後述の湯浅先生本による)

さて、《孫子》。

《孫子》とは春秋時代の終わりごろ(紀元前500年代?)に成立した兵法書です。

湯浅邦弘先生の『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 孫子・三十六計』(角川書店)は、手軽な文庫判の入門書なのですが、注釈書や日本の訳本などについても簡潔な紹介があり、本格的に読みたい方にも、まずはこの一冊を強くお勧めいたします。

そんな戦争の仕方の本なんて、興味ない…とおっしゃる方も多いかと思いますが、この本は、ただ戦いの仕方を解説している本じゃあございません。

しょっぱなから、こんなことが書いてあります。

「孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。」
戦争とは、国家の一大事である。人の生死を決める分岐点であり、国家の存亡を左右する道であるから、これを深く洞察しないわけにはいかない。


湯浅先生は、こう解説します。
杜撰な企画のもとに発動された戦いは、悲惨な結果を招きます。中国の兵書は、戦場での戦闘技術を説く書ではありません。戦闘を始めるまでに、何が必要であるかを強調する書です。

「孫子曰く、およそ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ…是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」

孫子は言う。およそ軍隊を運用する際の原則は、敵国を保全するのを最上の策とし、敵国を撃破して勝利するのは次善の策である。敵の軍団を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の軍団を撃破して勝利するのは次善の策である…これゆえ、百戦して百勝するというのは最善の方策ではない。戦闘を行わずに敵の兵力を屈服させるというのが最善の方策である。

「ゆえに、上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む」
だから、最上の軍隊の在り方というのは、敵の謀略を見ぬいてそれを事前に打ち破ることであり、その次は、敵国と同盟国との外交関係を分断することであり、その次は、敵の野戦軍を撃破することであり、最も下手なのは、敵の城を攻撃することである。


つまり、戦争を仕掛けるというのは最終手段であって、簡単に武力に訴えたり、国力を削ぐ長期戦をすることを堅く戒めているのです。

こうしてみると、国内で自分の威信を高めるために出兵して洛陽城を攻めてしまう宇文邕も、父君に能力を認めさせるために兵権を奪ってしまう高緯も、《孫子》的にはダメダメです。

彼を知り己を知れば、百戦して殆〈あやう〉うからず。
彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」


とは、「風林火山」と並んで、《孫子》の中でも一番知られている言葉かと思いますが、このように、情報を重んじているのも《孫子》の特徴です。

さて、四爺大ピンチの刻限まで残るところ2日で周の水軍から脱出した韓暁冬。

徒歩だったり襲撃されたりと時間を食ったはずなのに、意外に早く斉の陣営にたどり着きましたね。

結局、がけがら落ちたらショートカットだったって、そういうことかしら?

それにしても、韓暁冬を知ってる人が陣地にいたのは幸いでした。さもなきゃ、門前払いだったかも…。

そして、命からがら暁冬が持ち帰ってきてくれたものの、入手の経緯の詳細を知ったら、たとえ助かるって言われてもちょっと考えちゃうかな〜的な解毒薬を飲んで、四爺は何とか復活を果たします。

まさか宇文邕が解毒薬をくれるはずもあるまいと、真相を確かめに、重傷を負った暁冬を見舞う四爺。

深手の訳を聞かれて暁冬は日本語では、
「ウソつき野郎の宇文邕のせいさ」

と答えていますが、うすうす予想がつくと思いますけど、中国語はそんなお上品なことでは済まず、

“宇文邕這個王八蛋”(F***野郎の宇文邕め)、と、皇族の前で言うかこんな単語レベルの発言をしています。(解説は自粛とさせていただきます)

そのあたり、四爺は「大儀であったな」と軽くスル―しています。

しかし、来訪のウラ目的である雪舞の消息は分かりません。そこで四爺は、
「雪舞は命の恩人だ。必ず連れ戻す。雪舞のことは私が守る。」と宣言なさっておられます。

中国語はだいたい同じ意味なんですけど、こんな感じ。

“雪舞對我多次捨命相救 我一定要把她救回來
我再也不能讓她以身涉險了”
(雪舞は何度も命がけで私を助けてくれた。必ず彼女を助け出さなければ。もう二度と身を危険にさらすようなことはさせない)

って、何度も指摘してすみませんけど四爺、雪舞が助けてくれたのは、あなたが頼んだからじゃないの?

今や壁ドンの牙城を切り崩す勢いと言われている新トレンド、
「肩ズン」までして…。

2013年の時点でこれとは、ホント、少女マンガのトレンドを心ニクイまでに押さえた作品ですこと。

さて、雪舞のお手柄は、肩ズンされたり解毒薬を入手したりというだけではなく、斉軍勝利の鍵となる情報を伝えたことでした。

高延宗(こう えんそう/ガオ・イェンツォン)=安徳王(あんとくおう/アンドゥワン)=五爺(ウーイエ)は喜んで、

“我馬上把消息轉去長安”(すぐに噂を長安に流そう)と言います。“馬上”とは、馬上ゆたかな美少年…って意味ではなくて、すぐに、ってことです。いや、それはどうでもいいですが、何百キロも離れた長安にすぐ噂を流すって、どうやって…?

という視聴者の疑問は永遠に解決されることはないのですが、方法はわからないまでも、こうして噂を流して状況を操作するのは、このドラマの中でもまた出てきますし、史実にもいろいろあります。斛律光将軍が殺されてしまうのも、彼を亡き者にせんと、祖珽が流した噂が始まりだったのです...。

まさに戦わずして勝つ上策を提供した四爺を、段韶太師は、
“運籌帷幄 決勝千里之外”(はかりごとを帷幄のうちにめぐらせ、千里の外で勝ちを決する)という、ここまで何度も出てきた言葉で誉めそやします。

しかし、他人の手柄を横取りしたりはしない四爺は、これは雪舞が授けてくれた策だと言います。ちょっとした事ですが、こういうところが、臣下に慕われるゆえんなのでしょうか…。

一方、人民の上に君臨する宇文邕も、雪舞に向かって、牽制英雄、英雄を知る、な度量を披露しています。

“高長恭也算是個當時良將
如果 他願意輔佐朕的話 朕也無疑會引之為棟樑
無奈”

「高長恭といえば当代の名将だ。
もしあの者にその気さえあれば、朕の重臣に迎えてもよいのだが、
残念だ」


ま、ずいぶん余裕ですこと。

洛陽城北の邙山〈ぼうざん〉で、「斉の命運は尽きるであろう」
と、また例のからかうような口調で言います。

しかし雪舞は敢然と受けて立ち、

謀事在人 成事在天(人は計画することしかできない、達成できるかどうかは、天が決める)
「出来るか否かは天が決めるわ。」

そして、邙山での戦いは、蘭陵王が大勝する、と告げます。宇文邕は、

“荒謬”
「たわごとだ」と一蹴しますが、

「巫族の予言は外れたことがない」と、雪舞は強い口調で返します。

このシーンのアリエルは毅然としていてとてもカッコいいですね。

こう言われて、宇文邕は、
“朕不會相信你的預言 因為朕從來就不相信命”(そなたの予言など信じるものか。朕はこれまで宿命など信じたことがない)
そして、
“神佛阻路 遇神殺神 遇佛殺佛”
「神も仏も朕を阻むなら倒すまでのこと」
と言い放つと、そこらじゅうに四爺避けの硫黄の粉でも撒きそうな勢いで退去します。

このシーンを見ると、ダニエルはいかにもそういうこと言いそうな人だよなぁと思ってしまうんですが、日本語版DVDのインタビューを見るとそうでもないらしく、宇文邕に共感できない点を聞かれて―

彼(宇文邕)が歴史上行った大きな改革の一つが“減仏”(廃仏)です。…
(中略)
僕の信仰の理念から言えば、殺生だとか、廃仏などのようなことは、
どうやったってできません。


てな風に答えているのが、信仰心の篤い香港人らしい感じです。

ウィリアムが同じインタビューで、ほぼ真逆のことを言ってるのが面白いですね。

“我是相信可以通过努力来改变自己的命运,如果一切都上天注定好的话,我们什么事情都不会做了。
对于兰陵王来讲,虽然他有这样一个身世,这样一个...但是他也一直跟自己的命运做抗战。一直在争取”

(僕は、運命は努力によって変えられると信じてるんです。すべてが予め決まってるなら、僕らは何もできなくなってしまう。蘭陵王にしても、彼はああいう境遇に生まれついたわけですけど、常に自分の運命と戦い、努力を重ねていたと思います)

こちらは、いかにも文化大革命の後に生まれた、現代中国の人って感じのコメント…。

ところ変わって斉の陣営。出陣にあたって五爺が言います。

“明天午時 我們就可以到洛陽城北的邙山”(あしたの午時(うまどき)には、邙山に到達できるだろう)
早朝 陣地を発って、昼夜兼行で36時間近く。いやぁ、大変です。

まもなく宇文邕の10万の兵が押し寄せてくる洛陽城を、わずか500騎で救えるのかといぶかる五爺。

しかし、四爺は決然として言います。尉遅迥に包囲され、洛陽城は疲弊している。そこへ乗り込めば、
“定能振奮士氣 大家一鼓作氣 興許還有一線機會”(士気は奮い立ち、そこに勝機が生まれるかもしれない)

段太師も謎めいた言葉を漏らします。

“我們只能靠 天時地利人和了”
(我らが頼れるのは、天の時、地の利、人の和だけです)


そうは言っても戦場は寒そうです。
雪が降ってる…

寒くて惨めな籠城戦の最中、“探子”(偵察兵)の首は切られるわ、軍令は徹底されないわで、洛陽城の高緯は相当落ち込んでいます。

そんなときに、不用意に「蘭陵王が援軍に来てくれる」とか将士が言いだしたものだから、高緯は、

“不要跟我提蘭陵王!”
「蘭陵王の名前を出すな!」
と怒鳴ってしまいます。

言ってしまったあとですが、感心なことに、彼は素早くフォローします。
“蘭陵王中毒甚深 自己的安危還不能確定 我怎麼指望他再去救別人呢”
自分の身さえ危ういのに、助けてもらおうなどと思うわけにはいかない、という言葉、とっさにしてはなかなかなものです。

10万の敵に取り囲まれた洛陽城。
吊り橋も曲がっちゃって痛々しい…。

そんな洛陽を救うべく、四爺は出陣に当たって兵士を鼓舞します。
斉が天下を取っていれば、子どもたちは、キング牧師の演説みたいに、暗唱させられたかも知れませんね…。

ここはぜひ、中国語音声で、声を担当した張震さんの名調子をお聞きになってみてください。

眾將士們
今天 我們要以五百人馬迎戰
我們是為了大齊而戰
無論 是生是死 是成是敗
你們都是我大齊最勇猛的將士
邙山 是敵人的修羅場
是我們的英雄塚
大不了黃泉相見


特に終盤の「邙山は敵の修羅場、我ら英雄の墓標だ」 
というくだりは印象的で、オープニングの歌詞にも取られています。
(歌って暗唱しましょう!)

出陣にあたって、皆は杯を割ってますが、これは普通、山賊とかがやることで(…)正規軍はこんなことしません。

ただ、四爺の言葉にもある通り、ほとんど死を覚悟して戦場に赴く状況なので、“敢死隊”(決死隊)だ、という覚悟を込めたのでしょう。

そんなクリフハンガーの場面で、来年に続く…。

では、皆さま、今年も大変お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。
来年も、どうぞよろしく!

続きの第9話は→こちらです。

posted by 銀の匙 at 05:03| Comment(8) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まあこんな年の瀬に8話をありがとうございます!

そうなんですよね、繰り返しのシチュエーションやセリフ。
雪舞も長恭さまも何度も「添い遂げる」という言葉(共白髪まで、とかも)を使っていましたが、聞くたびに
生涯添い遂げることが難しい時世なんだな、と感じていました。
現代も別の意味で添い遂げるのが難しいですけどね♪

少し前に「本当に残酷な中国史」という本を読み終えましたが
(ああもうこうやって手軽に資治通鑑を読み解こうとして。。)
不老不死の仙丹を高洋や高緯は服用していたのではないか、という記述がありました。
物乞いのパフォーマンスも、曼陀羅華も史実に基づいた内容だったのですね。

三十六計の兵法についても、なんだか策ばかりに頼って「正面突破」とか「大将戦」「タイマン」「Let it go」を美徳とする日本人の考えとはずいぶん違うなと思いました。(すんません、どこか間違ってるww)
前出の本にも日本人を「おぼこい民族」と評されていました。決して肯定的な意味でなく。
私は見たことありませんが中国の後宮のドラマは陰湿な策略が渦を巻いているそうですね。
それに比べたら皇后になるまでのテイジのしたことなんてカワイイもんらしいですね。
私にしたら重たくて辛くて仕方なかったですけど。
9話で仔馬陛下と長恭さまが弓を射合うシーンも兵法から言えばおかしくないですか?
みてるほうはとても萌えるシーンですけど!(はあと)

で、8話の萌えシーン、長恭さまの演説。素敵ですね〜♪
7話で高緯が出陣したときの演説とは格が違う!あれは自分に酔ってます。
ここで完全に高長恭にオチました。(←いらん情報。)
銀の匙さんのいうところの「ウラ目的」がいっそう長恭さまを際立たせました。

年明けには9話ですね(圧力)。楽しみにしています。
私は1日2日ともに仕事でーす。

Posted by びち at 2014年12月31日 13:27
こんばんは♪年の瀬押し迫ったお忙しい時期にもかかわらずの更新をありがとうございます!

蘭陵王6話の回に初コメントさせて頂いたりんりんです♪ご丁寧にコメント返しまで頂けた事、嬉しくて感謝しています。

あの後、遡って皆様のコメントも拝見しましたところ、こちらのコメント欄は、ブログ内容に比例してコメントまでディープで奥深い世界でビックリしました。余りに幼稚な自分のコメが恥ずかしくて…!

ですが、まだまだ蘭陵王の世界から抜け出せないでいる私には、銀の匙さんのブログが何より楽しみなので、ここはひとつ、「大人の会話に首を突っ込みたがる子供」って事で、是非とも来年から(?!)お仲間に入れて頂きますよう、お願いにあがった次第です。

今年の後半は、蘭陵王のおかげでたくさんトキメキました。それを更に奥深く楽しませて下さった銀の匙さんに改めてお礼を…!ありがとうございました♪
今後の更新ま楽しみにしています(*^^*)
Posted by りんりん at 2014年12月31日 20:23
あけましておめでとうございます!
年末の慌ただしいときに更新、ありがとうございました。

27日からスカパーLaLaTVで蘭陵王の一挙放送があっているのですが、今日つけたら偶然36話をやっていて、初めて見るかのようにウルウルしながら見入ってしまいました。
思えば昨年の今ごろはウィリアム・フォンの名前すら知らなかったのに、こうして年明け早々からここに書き込んでるなんて、人生どこで何にすっ転ぶかわかりませんね(笑)

さて、毒と散歩と兵法についての解説、ありがとうございました!
作用と副作用は表裏一体ですし、そういう意味では毒と薬は同じものだと言えるかもしれませんね。

“什麼人”(何者だ)
“客人”(よそ者だ)
って、さらっとギャグがかましてあったんですね。中国語がわからないと、こういうところも口惜しい。

反して、ダチョウ倶楽部ばりの暁冬のふとんギャグとか、あとの偽道士のふざけた口調なんかは吹き替え版オリジナルなんですね。意図はイマイチ不明ですが^^;

それにしても宇文ヨウってきっと、これまで狙って落ちなかった女性はいなかったのでしょうね。自分の身体を心配してるのは雪舞が自分に好意を寄せてる証拠と得意そうだけど、たぶん雪舞は相手が暁冬でも阿文でも、同じように看病すると思うんだけどな…^m^

ところで、“孤掌難鳴”(一つの手では拍手は鳴らない)という言い回し、中国では一般的なのでしょうか。禅の公案の「隻手の声」を連想したのですが…(時代が合わないので、直接関係はないでしょうけど)

出陣のシーン、演説も雄叫びも、かっこいいですよね!
杯を割るのは決死隊ということもあるでしょうし、暁冬たち”非正規軍”も加えて、一種のゲリラ戦法を取るという意味合いもあるのでしょうか。

それと、前回のスレに戻りますが、黄色についての説明、ありがとうございました!
この時代ではまだ、黄色は皇帝の色ではなかったんですね。そういえば、黄巾の乱というのもありましたね。

それから、雪舞の取る行動と使命とのズレですが…。
「蘭陵王のみが民に平安を与えられる」というおばあさまの占いがポイントなのかなあと思いました。
つまり、雪舞が蘭陵王を守ること=結果的に民に平安を与えることになる、という風につなげているのかなあと…。


☆びちさん

私も後宮のドラマのドロドロは非常に苦手で、見る気になりません。実は蘭陵王も、20〜27話あたりは、すべてが露見する場面だけを楽しみに、自分を励ましながら見てました^^;

それと、新年にあたって?びちさんにお願いがあるのですが…
ノベライズには、41話?あたりに入るはずだった幻のシーン(長恭が禁衛軍に扮して潜入し雪舞に言葉をかけられるシーン)があるとか。
ネタバレになるのでずっと先で構いませんので、その部分を訳していただけないでしょうか?


☆りんりんさん

初めまして。
バカなことばかり書いてて恐縮です^^;
私は、蘭陵王ロス状態であちこち徘徊したものの満たされず、悶々としていたところをこちらのブログに救ってもらいました。
同病同士、どうぞよろしくお願いします^^



ということで、新年早々、長たらしいコメント失礼しました!
今年も更新を日々楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします\(^o^)/
Posted by 銀 at 2015年01月01日 02:14
びちさん:

明けましておめでとうございます…って、今日も明日もお仕事なのですか…!! それはぜひ四爺に「大儀であったな」って、ねぎらっていただきたいものですよね…。

今日は昼間お出かけをしましたが、交通機関や警察、消防などはもちろんのこと、年々、お正月の1日から営業しているお店も増えていて、こういう方々のおかげで平穏無事にお正月を過ごせることに感謝の気持ちでいっぱいです。

ご紹介した《孫子》の冒頭には、この本が書かれる前の戦争の様子が書かれています。それは、戦争の日取りも予め段取りされていて、貴族戦士たちの一騎打ちなどで勝敗が決まる戦いだったそうです。

ところが、春秋時代も終わりのころになると、戦争は国と国との命運をかけ、何年も続き、国民も総動員される悲惨なものに替わってしまいました。

《孫子》はそうした、抗うことのできない時代の流れの中でも、計略や情報戦を重視することにより、何とか戦争を回避し、悪くても交戦の被害を最小限に食い止め、無駄な争いを起こさせないための書物でした。

このドラマは戦争に明け暮れる時代を舞台にしてはいますが、不完全ではあるものの、楊雪舞を通じて、人の本性が善であること、理由はどうあれ、人を押しのけて何かを得ようとしたときに、どのような悲劇が人を襲うかを描いていると思います。

私のブログは本当にちっぽけなものですが、「指輪物語」や「蘭陵王」のようなドラマを紹介することによって、国は違っても、争いごとを無益と思い、相手の立場を思いやることのできる人がたくさんいるのだという当たり前の事を、改めて皆さまとシェアできたらと願っております。

昨年はびちさんのコメントでいろいろと勉強させていただき、本当に有意義でした。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

Posted by 銀の匙 at 2015年01月01日 23:20
りんりんさん:

明けましておめでとうございます!
そして、年末年始のお忙しい中、コメントをいただき、ありがとうございました。

ご覧のとおり、せっかくの「ラブ史劇」(?)なのに、ラブ部分の盛りが弱く、ロマンチックなシーンを噛みしめたい皆さま方をガッカリさせることもしばしば、しかも、よせばいいのに要らんツッコミでせっかくのドラマを破壊してるような気がしなくもないのですが(気がするだけ?)、少しでもお気に召していただける部分があれば、嬉しいです。ときどき悪ノリしてるところは、それぞれのキャラへの愛ゆえと思召して、どうかお許しを…

お書きくださったとおり、皆さまのコメントはとてもレベルが高くて、いつも拝読するのが楽しみです。全然お答えできないことも多く、高緯殿下に倣って「良い質問だぞ!」と逃げを打つこともありますが、どうか広い心でご覧いただければと…。

ということで、どのようなご感想、コメントも有り難く承ります。お気軽においでいただければ嬉しいです。

私自身はキレッキレの宇文ヨウ的な方よりは、ホノボノした段韶太師のような方に付いていきたいなぁ、と思っておりますので、よろしければ、どうぞのんびりムードでお付き合いくださいませ。

それでは、どうぞ今年もよろしくお願いいたします!


Posted by 銀の匙 at 2015年01月01日 23:49
銀さん:

明けましておめでとうございます!

おかげさまで旧年中はいろいろと勉強もさせていただき、本当にありがとうございました。もとはと言えば、これも銀さんが仮面…いえ、コメントを残していってくださったおかげです。

そうですか、一挙放送があったんですね。テレビで見られる方が羨ましい…。


温泉に行ったら美人のお姉さんが湯治に来ていたり、何か踏んで転びそうになったなと思ったら自分が渡した大事な玉佩だったり、人生何につまづくか、わからないものですよね…。

ギャクですが、中国語の方はダチョウ倶楽部以下(ってレベル低すぎ?)だったので、吹き替えチームにギャグとは認識されてなくてスルーされてたりして(哀)。ちなみに個人的に8話でいちばん笑えたのは、ギャグよりも冒頭のヘビの、「恵方巻ゲット!!」的食いつきだったです。

宇文ヨウ、ホントあの自信はどっから出てくるんでしょうね。スープを飲まされてないから?ああ、でも宇文ヨウなら、たとえまずくても、なんて余計なことは言わずにゴクゴク飲んじゃいそうな気もしなくもないです。


禅の公案「隻手の声」のご紹介、ありがとうございました。こういうのがあるんですね。

“孤掌難鳴”の出処は「韓非子」なので、日本でも読まれていたとは思います。ただ、たぶん意味するところは違うんじゃないでしょうか。

公案を「一人では何もできませんよ」という意味に解釈するということは、もちろんできるとは思いますけど、私が愚考するに、逆に「両手で鳴ってる音」は聞こえてるように思うけど、その中の「片手が鳴る音」は意識してないでしょ?という意味ではないかと…あまり自信はありませんが。(すみません、禅にはぜんぜん詳しくなくて…ってあれっ!?)

“孤掌難鳴”の方はもう少し具体的な比喩で、「二人が同じ考えだからこそこういう事になる」(喧嘩両成敗、に少し似たニュアンス)というケースと、「一人で出来ることには大したことはない」(ドラマはこっち)と使われるようです。

後者はよくスポーツニュースとかで今でも使います。ストライカーが頑張っただけでは点が取れなかったとかね。

ちなみに、現代の中国の「黄色」は日本でいう「ピンク」の意味です…。「黄色電影」といえば…むむむむむ。

雪舞はね…蘭陵王を守ること=結果的に民に平安を与えることになる…という当初の考えは一体どうしちゃったんでしょうね。おばあ様も困ったお人ですよ、まったく。要らん情報を与えないように。

この辺はかなり先の話なので、ちょっとネタバレは避けましてまた先の機会にお話しいたしましょう。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

Posted by 銀の匙 at 2015年01月02日 02:46
>もとはと言えば、これも銀さんが仮面…いえ、コメントを残していってくださったおかげです。

仮面を置いていくといいことがあると、四爺に教えられました^^

>ああ、でも宇文ヨウなら、たとえまずくても、なんて余計なことは言わずにゴクゴク飲んじゃいそうな気もしなくもないです。

確かに(笑)

“孤掌難鳴”についてのさらなる解説、ありがとうございます!
文脈によって二つの意味あいがあるんですね。なるほど…。
特にサッカーの喩えはとてもわかりやすかったです^^

>(すみません、禅にはぜんぜん詳しくなくて…ってあれっ!?)

えっと…スルーした方が良いですか?^m^

ちなみに、私も禅のことはぜんぜん知らなくてあれ?)、ただ、大学の卒論でとりあげたJ.D.サリンジャーの「ナインストーリーズ」(英文科出身です)の扉にこの公案が書いてあったから、知っただけなのです。

>ちなみに、現代の中国の「黄色」は日本でいう「ピンク」の意味です…。「黄色電影」といえば…むむむむむ。

えっ、そうなんですか!!
それは混乱しそう(>_<)
黄巾の乱の時代はちゃんと、黄色=黄色だったんですよね?いったいなぜ、いつの間にそんなことに…。

>この辺はかなり先の話なので、ちょっとネタバレは避けましてまた先の機会にお話しいたしましょう。

はい、この先も楽しみにしています。よろしくお願いします^^
Posted by 銀 at 2015年01月03日 01:27
銀さん:

お返事、ありがとうございます。四爺直伝の技、効き目抜群でございます…。

なんと、禅の公案のお話は、サリンジャーからだったのですね。
それにしても英文科でいらっしゃるって羨ましすぎる…

ケルアックを読んで、正岡子規ってスゴイ人だったんだ、と初めて知ったのですが、サリンジャーが短編集の扉に公案を置いたというのも面白いですね。

アメリカ文学も奥が深いわ…。
Posted by 銀の匙 at 2015年01月04日 02:36
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