2015年04月28日

蘭陵王(テレビドラマ19/蘭陵王入陣曲:前編 第10話の3)

*“詞牌”部分が分かりづらかったので、説明を追記しました。

皆さま、こんにちは。

東京ではろくにお花見もできないうちに、桜が散ってしまいました。これからゴールデンウィークにかけては、北東北や北海道に桜前線が移っていくのでしょうね。

しかしながら、千年前なら、実は東京だって、今がお花見の季節なのですよ(えっ、そのころ東京は海の底だったんじゃ…というツッコミは湾岸に埋め立てさせていただきます)。

だって、清少納言さんも言ってるでしょ(あれ、納言さん、まだ居たの…?)

櫻の花びらおほきに、葉色こきが、枝ほそくて咲きたる。(枕草子37段)
(桜は断然、花びらが「おおきに」(ってThank youじゃないですよ)、葉の色の濃いのが、細い枝に咲いてるタイプよね)

八重桜だったら、今が見ごろですよね。うちの周りもまだ咲いてます。

葉も出てるし、花びら「多い」し。

でも、昔はきっと山桜だから、葉もあって、花びらが「大きい」のが良かったのかも知れませんけど。どっちの意味だったんでしょうね、納言さん(清少納言さん、今度こそハケて頂いてOKです)。

そんな桜(ってどんな桜?)を見に、円安の今年は海外からもお客様がたくさん見えました。

なぜか知らないけど、横浜中華街に行ったら、周りは中国・台湾・香港からのお客様でいっぱい。国に帰ったらもれなく中華街なのに、なんでわざわざ日本まで来て中華街を観光するのか、やや不思議。

昔、関東で中華圏の大衆音楽や映画の情報を仕入れようと思ったら、ここに来るしかなかったので、ちょくちょく通ったものですが、今や海外からのお客様を当て込んでいるのか、メインストリートにも和雑貨の店が進出しています。

そして、その店先には、究極の「和もの」と思しき、とある物体が!

では、ここで3択です。
中華街の店先にあった、和ものの「ある物体」とは何でしょうか?!

1)巨大な招き猫(ありそう)

2)巨大な天津甘栗(甘栗は中国にもありますけど、ふつうは“糖炒栗子”って言います)

3)巨大な相撲レスラー(重言?)

4)その他(ざっくりしすぎ)

その正体をお知らせする前に、まずはお呼びしましょう、さんざん予告した本日のスペシャル・ゲスト、紫式部さん!

式部さん!?

んー…お支度がまだのようです。
登場されるまで、まずは式部さんの作品の方を鑑賞しときましょう。

いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり……


(タイムラインはわかんないけどぉ、
セレブ女子ばっかフィーチャーした婚活スポットでぇ、
かなーり残念なプロフなのにぃ、
超モテ期なアゲアゲ女子がいたらしいょ?)


で始まる(のか?)、ご存じ、『源氏物語』。
千年の昔から、女子をときめかせてきたイケメン男子のラブ・ストーリー。
いわずと知れた、日本文学の古典中の古典でございます。

その冒頭に登場する超モテ女子こそ、桐壺〈きりつぼ〉の更衣〈こうい〉
ところが、たいしたことない身分のくせに帝〈みかど〉のご寵愛を受けるなんてくやし〜!と、
後宮の女性たちはもちろん、その後ろ盾となっている貴族たちにも妬まれてしまいます。

皇帝が楊貴妃を寵愛したことが元で、国が乱れた唐の例もある…などと噂され、
いじめられた心労が祟ってか、生まれた皇子がわずか3歳のときに、
はかなくなってしまわれたのでございます。

忘れ形見の皇子は輝くばかりに美しく、光〈ひかる〉の君と呼ばれ、
帝ご自慢の皇子となられます。

しかし、最愛の桐壺の更衣を失って悲嘆に暮れる帝の元に
藤壺〈ふじつぼ〉の宮が嫁ぐと、
光の君は彼女に母の面影を重ね、
やがて理想の女性として、道ならぬ激しい思慕の情を寄せるように……

って、コレ、「蘭陵王」の話じゃないじゃん。いったい何の関係が?

前回はほとんど無理やり清少納言を引っ張り込んでたし、
なんかまた、無理やりこじつけようとしてるでしょ?

と、これまでの実績から、皆々さまのお疑いはごもっともな事でございます。

が、実は、細い細い糸ではありますが(赤くはない)、少しは関係あるのでございますよ、
『源氏物語』と「蘭陵王」は。

ってことで疑惑をガン無視して続けると、

光の君はお美しく利発で、文武両道歌舞音曲と、何事にも優れておいでの御方。
帝のご寵愛にもひとかたならぬものがございましたが、
惜しむらくは母君の身分が低く、帝位は継げぬお立場、
親王としたままでは国が乱れ、民が苦しむもとになると忠告する者も出ます。

そこで帝はご決意あそばされ、光の君を臣籍へ移して、「源」姓を賜りました。
だから主人公は「源氏」なんですね。

ほら、どこかに似たお立場の方がいらっしゃるでしょ?

建国の元勲を父と仰ぐ皇子といえども、母親の身分は流浪の妓女。
遠く離れた都にまで歌舞音曲三昧の噂が伝わって、
皇太子殿下の御前で、闇練していた宴会芸を披露させられる羽目になった方が……。

ということで、前置き超長くなりましたが参りましょう、第10話

すみません、今回、あまりにも資料が多くてまとめきれないという、私によくあるマズいパターンに陥ってしまいましたため、2回に分けてアップいたします。

っていうか、ただ単に、今回、資料代が5ケタになっちゃったので、勿体ないからなるべく使おう、というビンボー根性の発露なのですが…。そのせいで、ちょっと中途半端なエントリーですが、どうぞお許しください。

さて、あまり間が空いたので、書いてる私も直前がどんな話だったか忘れてしまいました。
前回はこんな感じです(記事は→こちら)。

えっと、ものすごいハードな戦いに勝利した翌日、やっと二人っきりでラブラブ朝ごはんとシャレこもうとしたところ、いきなりヒロイン・楊雪舞〈よう せつぶ/ヤン・シュエウー〉に拒否られて、涙目の我らがヒーロー、蘭陵王〈らんりょうおう/ランリンワン〉=高長恭〈こう ちょうきょう/ガオ・チャンゴン〉=四爺〈スーイエ〉。

しかし、さすが、転んでもただでは起きない無敵の武将、副都・洛陽で皇太子が主催する戦勝祝賀パーティーに呼び出され、これ幸いと雪舞を強制ヨメ対応に。

やむを得ぬ仕儀とはいえ、いったん皇太子に渡した兵権を正式に取り戻しもしないうちに、勝手に周とのバトルフィールドを仕切った出過ぎた四爺の振る舞いに、はらわた煮えくりかえっているであろう、皇太子の腹心・祖珽〈そ てい/ズー・ティン〉。

そんなところへ、のこのこ女連れでやってきた四爺。

しかも、ホストに断りもなく(皇太子・高緯〈こう い/ガオ・ウェイ〉は知らなかったみたいですよね)、招待者リストに貧民どもを追加するとは…。

何とか穏便に、皇太子に花を持たせて宴会を終わりたかったのでしょうが、どっこいそうは問屋が卸しません。

ムリでしょ、ここまでやったら。

蘭陵王を除こうとする祖珽は、戦場ばかりか宴会まで仕切った蘭陵王の僭越ぶりを印象づけようと、兵士たちに、特設ステージでのエキシビジョンをとり行わせます…。


*

祝賀会にかこつけて、形勢逆転の策を練っていたであろう祖珽。このステージも、絶対仕込んであったのでしょう。

が、思惑はともかく、レッドカーペットに参集した文武百官の皆さんは、思い思いにナショナルカラーのを着こなしていらっしゃって見ごたえがございますので、ここで吉例のファッション・チェック参りましょう。

まずは、この時代に有ったんですかね?なスタンドカラーに刺繍をほどこした赤主体の衣装の四爺と、襟元にさりげなくをあしらい、の上にを重ねたなかなか難易度の高い色合わせの五爺の美形兄弟。

渋いの袷で決めた斛律〈こくりつ〉将軍、の冠が目をひく楊士深は、ふだんが軍服だけに、なかなか新鮮です。

なかでも、銀鼠の袷の襟元からさりげなくを覗かせた段韶〈だん しょう〉大師は上級者の装いと言えましょう。

そして、こちらも赤主体のステージには太鼓と、なぜか金の鳥居
角笛による入場行進に引き続き、いきなり《蘭陵王入陣曲》〈らんりょうおうにゅうじんきょく〉が披露されます。

って、え... コレ?

どうみてもヤンキー様御一同の組体操にしか見えないんですけど…?

と、ほとんど怒りが沸々とわいてきた視聴者の神経を逆なでするようにナレーション登場(あれ、あなたも、まだいたんだ…)。

そうです、このシーンは字幕/ナレーションにある通り、史実に基づくものです。

“《資治通鑑》 卷169 177 齊蘭陵武王長恭 貌美而勇 以邙山之捷威名大盛
武士歌之為 蘭陵王入陣曲 齊主忌之”


(『資治通鑑』〈しじつがん〉、巻169,177によると、斉の蘭陵武王 長恭は容貌が美しい上に勇敢で、邙山〈ぼうざん〉の戦いでその名を轟かせた。士卒はこれを歌い、《蘭陵王入陣曲》とした。斉の君主はそれを忌み嫌った)

ドラマではこの時点で高緯は皇太子ですが、史実では、この時点ですでに即位してますので、史書のいう斉主とは高緯のことかと思います。

《蘭陵王入陣曲》というのは、史書のこの記述を見る限りでは、最初はダンスなしで、歌だけだったようですね。

それはともかく、危なっかしいとはいえこのドラマ、ここまで何となくは時代考証の成果を取り入れていたのに、肝心のシーンがこの有様って、どういうこと?

ここまで見てまいりました通り、1400年も前の時代の風俗習慣を知るには、墓や史書に頼るしか手がなかったのですが、《蘭陵王入陣曲》今も残ってるんだから、その例外じゃないですか。

…え、残ってるって、どういうこと?

それをお話する前に、まずは中国での状況から見てみましょう。

まず、この曲が《資治通鑑》でまでフィーチャーされているのは、この史書が書かれた当時(宋代)にも、読み手が曲名を知っていたからではないかと思われます。

宋代に流行った韻文のスタイルに“詞”cí〈ツー〉というのがありました。

これは今ふうに言えば歌詞のことです。

メロディーの方はみんなが知っており、たとえば、山本リンダの「狙いうち」という曲があったとすると(すいません、またも昭和な例で)、そのメロディーに、

♪ みなみうらわ にしうらわ ひがしうらわ きたうらわ(中略)
 …うらわにゃ7つの駅がある ♪


という歌詞を後からつける訳です。

ま、替え歌ですね(すみません、関東地方限定のネタで)。

現代(21世紀)のポップスは、たいてい曲が先にあって後から歌詞を嵌めこみますので、ある意味、宋詞の後継者といえるでしょう(か?)。

詞に戻りますと、当初はメロディーに載せて歌われていたものが、そのうちメロディーではなく、声調の上げ下げパターンだけになり、歌わずに詠まれるものになっていったようです。

この上げ下げパターンのことを「平仄」〈ひょうそく〉といいます。

日本語に「平仄を合わせる」っていう言い回しがありますが、元は、パターンに沿って文字を配列して詩を作ることから来ています。

前の回でお話しましたように、中国ではこのドラマの時代、つまり魏晋南北朝の頃に、漢字1字1字の発音に上げ下げパターンがあることが意識され始めたと言われています。当時はそれは“平、上、去、入”「四声」とされていました。

そのうち、まっすぐに発音する“平”と、上がったり、下がったり、詰まったりした(であろう)残りの3つをグループ分けして、前者を“平”、後者チームを“仄”と呼びました。

詞を作るときに使うその組み合わせパターンは“詞牌”cípái〈ツーパイ〉といって何百とあり、一つ一つに名前がついていました。

《蘭陵王》もその一つです。

追記:ここがだいぶ分かりにくかったので、例を足してみました。

たとえば、「里の秋」という童謡がありますね。
メロディーはこんな風↓
satono.jpg

テレサ・テンさんが中国語でカバーしており、中華圏ではよく知られています。

又见炊烟升起
yòujiànchuīyānshēngqǐ
ヨウ4ジェン4 チュイ1イェン1 ション1チー3 
かまどから煙がのぼり 

暮色罩大地
mùsè zhàodàdì
ムー4スー4 ヂャオ4ダー4ディー4
暮れ色がまた大地を覆う

想问阵阵炊烟
xiǎngwènchénchénchuīyān
シャン3ウェン4チェン2チェン2チュイ1イェン1
たなびく煙よ 

你要去哪里
nǐyàoqùnǎlǐ
ニー3ヤオ4チュイー4ナー3(→2)リー3
あなたはどこへ行くの

ってことで、中国語の歌詞には、元々漢字自体に上げ下げがあります(1,2,3,4の数字)。メロディーがあるときは、ある程度、元の上げ下げは無視して歌ってるのですが、上手い作詞家だと、漢字の上げ下げとメロディーの上げ下げがある程度呼応しています(この歌だと4行目はかなりメロディーの上げ下げと漢字の上げ下げが近い)。

441113
44444
342211
34433

この歌詞は現代語ですが、昔風に、声調の1を“平”、2,3,4を“仄”に置き換えてみるとこうなります。

仄仄平平平仄
仄仄仄仄仄
仄仄仄仄平平
仄仄仄仄仄

そのうち、「里の秋」のメロディーの方は忘れられて、この“仄仄平平平仄 仄仄仄仄仄…”というパターンだけが“詞牌”として残ります。“詞牌”の名前は「里の秋」になることでしょう。

そして、今度は“詞牌”「里の秋」に漢字を当てはめて、新しい“詞”が作られる、という訳です。

詞牌にはいろいろな分類の仕方がありますが、《蘭陵王》“三畳”に分類されます。この“畳”は、「起きて半畳、寝て一畳」の畳じゃなくて、段落のことです。

って説明しても、何の事やらって感じかと思いますので、ここで実際に《蘭陵王》パターンを使って書かれた詞をみてみましょう。

この詞を書いたのは、北宋時代の周邦彦〈しゅう ほうげん〉(1056-1121)という人です。当時の皇帝・徽宗〈きそう〉(あの、ハトの絵とか描いた人)に引き立てられた文人で、音楽の才能に秀でていたそうです。

それでは、彼の代表作の一つ、《蘭陵王》柳 をご覧いただきましょう。
先ほどの例でいうと、

「狙いうち」《蘭陵王》 
「うらわにゃ7つの駅がある」=柳

に相当します。

上の行が《蘭陵王》のメロディー、下が実際の歌詞です。太字は韻を踏んでいる字です。

まずは中国詩研究の大家、村上哲見先生の書き下し文でご覧いただきましょう。

仄平仄
柳陰       柳の陰は直〈なお〉く

平仄平平仄仄
煙裏絲絲弄    煙裏に糸糸〈しし〉碧〈へき〉を弄〈もてあそ〉ぶ

平平仄 平仄仄平
隋堤上 曾見幾番  隋堤〈ずいてい〉の上 曾〈かつ〉て見し 幾番〈いくたび〉か 


仄仄平平仄平仄
拂水飄綿送行   水を払い綿を飄〈ひるが〉えして行色〈こうしょく〉を送りしを 

平平仄仄仄
登臨望故    登臨〈とうりん〉して故国を望む 

平仄
       誰か識〈し〉らん

平平仄仄
京華倦     京華〈けいか〉の倦客〈けんかく〉を 

平平仄 平仄仄平
長亭路 年去歲來 長亭の路〈みち〉 年去り歳〈とし〉来り 

平仄平平仄平仄
應折柔條過千  応〈まさ〉に柔条〈じゅうじょう〉を折〈たお〉ること千尺を過ぐべし

*

平平仄平仄
閑尋舊蹤     閑〈のどか〉に旧き蹤跡〈しょうせき〉を尋ぬ     

仄仄仄平平
又酒趁哀絃     又た 酒は哀絃〈あいげん〉を趁〈お〉い

平仄平仄
燈照離       灯は離席を照らす

平平平仄平平仄
梨花榆火催寒   梨の花 楡〈にれ〉の火 寒食〈かんしょく〉を促す

平仄仄平仄
愁一箭風快     愁うるは 一箭〈いっせん〉の風快〈はや〉く 

仄平平仄
半篙波暖      半篙〈はんこう〉の波暖かくして  

平平平仄仄仄仄
回頭迢遞便數   頭〈こうべ〉を回らせば迢遞〈ちょうてい〉として便〈すなわち〉     数駅なる
仄平仄平仄  
望人在天     人の天北〈てんほく〉に在るを望むならん

*

平仄
        悽惻〈せいそく〉たり  

仄平仄
恨堆       恨〈うらみ〉は堆積す  

仄仄仄平平
漸別浦縈回     漸く別浦〈べつぽ〉は縈回〈えいかい〉し  

平仄平仄
津堠岑    津堠〈しんこう〉は岑寂〈しんじゃく〉たり  

平平仄仄平平仄
斜陽冉冉春無  斜陽冉冉〈ぜんぜん〉として春は極まり無し 

仄仄仄平仄
念月榭攜手     念〈おも〉う 月榭〈げっしゃ〉に手を携え

仄平平仄
露橋聞      露橋〈ろきょう〉に笛を聞きしを

平平平仄
沈思前事      前事を沈思すれば

仄仄仄
似夢裏       夢裏〈むり〉の似〈ごと〉く

仄仄仄
淚暗       涙 暗〈ひそか〉に滴〈したた〉る


ご覧の通り、詞は3つのパートに分かれています。

最後の2行なんて今年のヒットチャートに入ってる曲にありそうな歌詞ですね。
いかにも、ダニエル・チャンあたりが歌っていそうです。

ただ、書き下し文でもやっぱりちょっと分かりにくいので、いま風に解釈してみましょうか。
(間違ってたら私の責任で、書き下し文のせいではありません)

柳の並木
春霞のなか そのしなやかな枝の緑が踊る
いにしえの隋の運河の堤に立ち 幾度となく見た
枝が河面を撫で 柳絮が舞って 旅人を見送るのを
高みに登り はるか故郷を望めば
誰が知ろう
都に疲れた わが旅人の心を
街道筋に 歳月が来ては去り
手折った柳は 優に千尺を超す

そぞろに馴染みの場所を尋ねれば 
またも哀しげな曲が伴する酒席
灯は別れの宴を照らす
梨の花 楡の火 寒食節も急ぎ足に過ぎる
悲しいかな 行く人を乗せた船は矢のように速く
棹の半ばまで浸す波はぬるんで
振り向けばはや いくつもの宿場を過ぎ
北のかた 見送る私は遙か

悲しみよ
やるせない胸の想いが積もりゆく
別れの岸辺に寄せるのは波ばかり
渡し場は静まり
夕陽はゆっくりと沈み 春は深まりゆく
月に照らされたあずまやで 手を携え
露たちこめる橋で笛の音を聞いた
過ぎた日に思いを巡らせれば
全ては夢のようで
私はそっと涙する


春霞の中、次々と都を離れていく友を見送る詩人。

旅の無事を祈って、別れの印に柳の枝を贈るんですね。
これは漢代の頃から続く風習です。

ちなみに、《蘭陵王》“詞牌”は、別名を《蘭陵王 慢》と言いました。

“慢”とは「ゆっくりしている;遅い」という意味です。

他にも“慢”の字がついている“詞牌”があり、いずれも長編なので、これは「長い曲」ということですが、元の字の意味からすると、メロディーがあった当時、この曲は「スローバラード」だった、という可能性も考えられます。

もっとも、最初から遅い場合はわざわざ“慢”とは言わず、いくつかのバリエーションがある場合に、遅い方を“慢”と呼んでいた、という可能性もありますが…。

ってなことで、宋代には詞になってる《蘭陵王》ですが、もう少し時代を遡ると、またちょっと様子が違っています。

《旧唐書》〈くとうじょ〉という史書は、五代十国時代の945年に成立したとされているので、先ほどの《資治通鑑》よりは100年ほどドラマに近い時代に書かれたものです。

その巻29にはこうあります。

“《大面》出於北齊。”
(「大面」という演目は北斉由来の曲である。)

“北齊蘭陵王長恭,才武而面美,常著假面以對敵。”
(北斉の蘭陵王長恭は、才武兼備、容貌も美しく、常に仮面をつけて敵に対した。)

“嘗擊周師金墉城下,勇冠三軍,”
(かつて周の軍を金墉城下〈きんようじょうか〉に撃ち、その勇猛果敢さは全軍一であった。)

“齊人壯之,為此舞以效其指麾擊刺之容,謂之《蘭陵王入陣曲》”
(斉の人々はこれを壮挙とした。この舞はその采配や剣を振るうさまにならったもので、『蘭陵王入陣曲』と言う。)

おっと、この時点では、仮面をかぶった人が、采配をふるったり、剣を振るったりして舞う、踊りのようです。これはテレビドラマにかなり印象が近いですね。

則天武后が宴会を開いたときにも上演されたくらいポピュラーだったらしい(《全唐文》)。

しかし、人気とは儚いもの、先ほど《旧唐書》で引用した記述の直前には、こんなことが書いてあります。

“歌舞戲,有《大面》…(中略)等戲。玄宗以其非正聲,置教坊於禁中以處之。”
(歌舞劇には《大面》…等の演目があった。玄宗皇帝はこれらを正統な音楽とは認めず、[音楽を司る]「教坊」を宮廷に置き、これらの曲を処置した)

ってことで、残念ながら、唐代のうちにこのプログラムは上演禁止になってしまいました。がーーーん。

え、でもさっき、今も残ってるって言いましたよね。
こんなんで、どうして今も残っているなんて言えるのかって?

その理由は、《蘭陵王入陣曲》の歴史を解説した、ドキュメンタリーでご覧いただくことに致しましょう。

中国中央電視台(CCTV)の《探索・発現》という番組の《尋找「蘭陵王入陣曲」》(「蘭陵王入陣曲」を求めて)という回です。

30分ほどの番組ですが、蘭陵王の碑や陵墓の様子が観られるのはもちろん、称号の由来となった領地、山東省棗荘市塩山県蘭陵鎮(…何か微妙にイナカっぽい地名ですけど)も登場します。

ちなみに、陵墓の前に、現代に作られたとおぼしき蘭陵王の塑像が立っているのですが、手には、次回ご紹介する予定の、とある仮面を持ち、“明光鎧”第9話こちら参照)を纏っています。これは、これから述べる研究の結果、新しく作られたものと思われます。当然、このヴィジュアルも、ドラマの参考になったことでしょう。

ちなみに、イケメンかどうかと言うと…。

えっと。気を取り直して、この番組を観れば、この曲が日本と因縁浅からぬものであることがお分かりいただけると思いますし、研究に際しても日本側の多大な協力があったことが、ちゃんと取り上げられています。

番組はフェニックス・ニューメディアのサイトに正規のVが挙がっているので、リンク先からご覧いただけます(たまにサーバーの調子が悪くなるみたいですけど…)。

http://v.ifeng.com/documentary/culture/201109/a110f459-0e8c-407b-bb0e-c2b258fde326.shtml

ぜひ、サイトで実際の番組をご覧いただきたいと思いますが、残念ながら字幕がないので、以下、簡単に内容をご紹介しておきましょう。例によって私のてきとーな訳でお送りいたします。

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《蘭陵王入陣曲》は、中国では失われて久しかったものの、“大面”(仮面戯)という歌舞ジャンルの嚆矢として重要視され、どのようなものであったか、長年、関心を持たれ続けた作品でした。

1956年、京劇の名優・梅蘭芳〈メイ・ランファン〉が、中国京劇代表団を率いて来日した際(こんな映像、残ってるんですね、ビックリした)、熱田神宮で雅楽の《陵王》を観て、中国古代の音楽が日本に保存されていたことに驚いた、というエピソードが伝わっています。

そして、1962年、毛沢東がある会議の席上、蘭陵王の武勇に触れ、さらに、「彼を称えた曲が作られ、それは日本にまだ残っているそうだ」と発言したとされています。

果たして、日本のこの雅楽の《陵王》は、千年以上も前に失われた、中国の《蘭陵王入陣曲》と同じものなのでしょうか。

そうだとしたら、どのように伝わったのでしょうか。

北朝史研究者の馬忠理先生は、この曲についての調査を進めており、1986年、日本で開催された中国黄河文明展のため訪日した際、日本の研究者たちの協力を得て、多くの資料を収集し、古代の日本ではこの曲が、相撲や競弓といった大きな催しの際に演じられるなど、大変重視されたことを知ります。

意外だったのは、成り立ちから予想される勇猛・激烈な舞曲ではなく、踊りは緩やかで、曲は寂しげなものであったこと。

《陵王》のルーツについては、日中両国で、大きく分けて3つの説、すなわち「唐楽」説、「林邑八楽〈りんゆうはちがく〉」説、「インドの竜王舞」が習合した説、が唱えられていました。

馬忠理先生は、雅楽の演者が着用する紅袍〈ほう〉裲襠〈りょうとう〉に着目しました。北斉の墓から出土する武士たちは、当時流行した裲襠(袖なしの貫頭衣)の鎧を着ているからです。踊りの衣装なので刺繍に替わってはいるものの、それは鉄で出来た裲襠の鎧を模したもので、そこから、この踊りは中国由来のものなのではないかと考えたのです。

もう1つの「林邑八楽」の説というのは、「林邑(チャンパ)の仏僧が伝えた8つの曲のうちの一つであり、胡服をまとい、インドの仮面をつけ、調性は元来、インド系の“沙陀調”であった」というものです。

馬先生はこれについても考察し、“沙陀”が勅勒〈ちょくろく〉族(斛律〈こくりつ〉将軍の出自でしたね)同様、突厥〈とっけつ〉の一部であることを突き止めました。当時の軍人には突厥など“胡”の出身者が多かったので、この調性を採用したのも不思議はありません。

日本の『古事類苑』所収の「智仁要録」には、蘭陵王、高陵王、羅陵王と称するものは中華調、壱越調、沙陀調である、と記されています。

源光の『大日本史』の記載によれば「本朝(日本)に伝わる楽制 五音六律は隋唐楽に始まる」とされ、蘭陵王の曲調は唐楽である、とされています。

崔令欽〈さい れいきん〉は《教坊記》〈きょうぼうき〉(玄宗皇帝の時代(712-755)に書かれた「教坊」について記録した本)の中で、

“代面戲起源北齊時”
(〈代面〉は北斉に始まる)

“蘭陵王長恭性膽勇而貌婦人
自嫌不足以威敵 乃刻木為面 臨陣著之”

(蘭陵王長恭は性格は勇敢だったが容貌は女人のようだった。
自身、敵を畏れさせるには足りないことを嫌い、
木彫りの仮面をつけ、これを着けて戦に臨んだ)


としています。

(*話の本筋とは関係なくて恐縮ですが、《旧唐書》ではジャンル名が「大面」なのに《教坊記》では「代面」になっています。このことから、「大」と「代」の発音が、当時は同じだったんじゃないかと思われます。

現代語では“大”はdà 、“代”はdàiで発音が違いますが、たとえば広東語では今でもどちらもdaaiですし、日本語でも「ダイ」で一緒ですよね)

段安節〈だんあんせつ〉の《楽府雑録》〈がふぞうろく〉(唐代の900年ごろに書かれた)には、この曲の演じ手は、

“衣紫 腰金 執鞭”
(紫の衣装を着て、腰に金の帯を巻き、鞭(棒状の武器)を手にしていた)

とあります。

(*あれ、衣装はじゃないんだ...と思いましたが、唐代には親王の色は「」とされていたためかと思います。ただ、この記述からすると、雅楽の『陵王』の衣装が赤なのはちょっと解せない気もします。

衣装が特定の決め手なら、色も当然、関係あると思うんですが…あるいはこの辺に、何か伝承上のミッシング・リンクがあるのかも知れません)

ともあれ、《蘭陵王入陣曲》は蘭陵王が死を賜った後も演奏され続け、仮面をつけた男子が武器を手にした舞が付き、
劇のように演じられた可能性があるということです。

その後、隋の宮廷舞曲の一つに数えられ、また、この曲を手本に、秦王(のちの唐太宗)・李世民〈り せいみん〉の武勇を称えて作られた《秦王破陣曲》は唐の宮廷でもてはやされました。

しかし、玄宗の時代にはこの曲も含め、正統な音楽でないとされた曲は演奏が禁じられ、村々を巡って演じることも許されなくなり、中国では散逸してしまいました。

一方、日本が派遣した遣隋使、遣唐使は隋・唐の音楽を学んで持ち帰り、『日本史』礼楽志の記載によれば、中国から伝わった曲は150に登り、そのなかには「破陣楽」「蘭陵王」等が含まれているとあります。

「舞楽図」には「蘭陵王」の舞姿が描かれており、画題に「蘭陵王 唐朝準大曲 一人舞」と記されています。

それにしても、武将の舞なのに勇壮な剣舞ではないのでしょうか。

唐の開元11(723)年、この曲は「軟舞」に列せられました。
唐の舞踊は文・武に分かれており、武舞は「健舞」、文舞は「軟舞」とされ、
2つのスタイルは全く違っていました。

この曲は長く宮廷で踊られるうちに、華麗な文舞へと変化していったのでしょう。

日本に持ち込んだのが遣唐使だったのか、林邑(ベトナム)の仏僧だったかはともかく、唐代であれば、すでに「軟舞」だったものと思われます。

日本ではこの曲を大変珍重し、「襲名」「秘伝」などの形式で厳格に伝承してきたため、日本的な要素が付け加わったにせよ、かなり元の面影を留めていると言えるでしょう。

1992年、南都楽所の笠置侃一先生等が蘭陵王の墓所に参拝、墓前で《蘭陵王入陣曲》を奉納したということです。

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番組自体、かなりはしょった紹介になっているので、以前にもご紹介しましたが、詳しくは馬忠理先生ご自身による考察(日本語訳は→こちら)をご参照ください。

本当にこれだけの証拠で断言できるんだろうか…とか、ややツッコミたくなる箇所はありますが、だいたい話の筋は通っているかと思います。

つまり、ここまでの話をかいつまんでいうと、

《蘭陵王入陣曲》は、北斉の伝説的な武将、蘭陵王を称える歌として作られ、仮面劇として演じられた。

非常に人気があったが、中国では音楽と踊りは唐代で消滅してしまい、メロディーの骨組み部分だけが、次の時代まで伝わった。どこの時点からかはともかく、テンポの遅い曲だったようだ。

一方、遣唐使経由か、仏僧経由かは不明であるが、唐代の「軟舞」のバージョンが日本に伝わり、雅楽の演目の一つ『陵王』として、大事に保存された。

と、いうことらしい。

ここに、《蘭陵王》と日本との細いけれど、重要なつながりが明らかになりました。

雅楽の《陵王》は現在も重要な演目で、雅楽といえばこの演目を思い出す方も多いのではないでしょうか。

そのせいかどうか、なぜか、こんなところにも進出…↓

s-omikuji.jpg

これが冒頭ご紹介した、横浜中華街で見かけた「和物アイテム」。
からくりおみくじです。

人形が持ってるものは扇ですが、装束は明らかに《蘭陵王》のものですよね。
この前をたくさんの観光客が通り過ぎていきますが、全然気づかれてないみたい。

このからくりでは、バックにある建物は神社のようですが、有名な厳島神社の《蘭陵王》の写真を見ると、たいてい、バックに鳥居が映っています。

ということで、恐らく、ドラマの製作陣は、

1)厳島神社の写真を参考にしたため、《蘭陵王》が演じられた当時の背景として「鳥居」状のものがあったはず、と思った

あるいは、
2)んなはずないと思いはしたが、現在もこの演目を遺している現場へのリスペクトとして採用した

等等の理由により、第10話のステージに鳥居を登場させたのでしょう。

床に座る習慣とか、昔風の衣装とか、失われた踊りの名残とかが日本に残っているのなら、ステージの背景だって当時の物に近いものが遺されてるんだろう、って考えたって別におかしくないですもんね。

日本に来る中国系の観光客の皆さんの中には、とうの昔に中国で失われてしまった昔の風習が日本には残っている、ということをよくご存じで、わざわざそれを見に来る方もいるらしい。

来日してわざわざ中華街に行くのも、日本の旅行者で梅干しを持って海外に行く人がいるように、ちょっと中華料理が恋しくなったから、とか、日本食は馴れなくて、という理由のほかに、昔風の料理や街並みが見られるかも、という期待もあるのでしょうね。

記事の前半で、ついヤンキー体操をdisってしまいましたが、実はこのドラマ、主題歌はロックで、タイトルは「蘭陵王入陣曲」。物語の中では歌を歌ってなかったものの、蘭陵王が現代の人だったら、こんなロック仕立てになるだろう、というイメージなんでしょうね。そういう意味では、時代考証はバッチリなのかも知れません。

21世紀に聞くと、雅楽の「蘭陵王」は「はなもげら〜」みたいなノンキな曲に聴こえますが、当時は人気チューンだったんですから、よそ(西域)から来た流行の音楽、今でいえばロック的なノリだったに違いありません。

さて、遣唐使の時代、最新流行の洋楽(?)としてもてはやされた《蘭陵王》
当然、当時の人気小説にも登場するはずです。

てことで、ここでようやく式部さんの登場になるのですが、さて、いかなる仕儀にあいなりますことか。

大変中途半端ではございますが、この続きはまた次回。

そして次回には、式部さん以外にも日本文学界からもう一人、大物ゲストをお招きする予定です。
この方こそ、私が《蘭陵王》を知るきっかけになったお方。
詳しくは、→こちら の記事にて!
posted by 銀の匙 at 23:58| Comment(12) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
銀の匙さま

光源氏と蘭陵王!
ごもっともな、珍重なる説、感服しております。
確かに、共通点多々あるようで、とても楽しくなりますね。

雅楽を真剣に舞ってる姿、ビデオわからないながら、拝見。
あの真摯な姿勢、こんなに遊んじゃってよいのだろうかと
しばし、自問自答。

このブログへたどり着く前にかなり蘭陵王でネット検索いたしました。その中で素敵と思ったのが、厳島神社の陵王の舞です。鳥居はそのせいではないかと、思ってました。
只調べるうちに、陵王の舞が厳島神社特有のものではなく超人気の演目であることも判明。私の頭は????でした。
でも今回の説明で胸のしこりがスーッと消えました。

蘭陵王入陣曲!私の手に負えるものではないですが、一応、言わんとすることは理解できたよう?
一言でいえば、言葉に音楽性を持たせる?

私なりに漢文も調べ始めたなかに、名詩を読まれた場所の写真集の中で解説してるのが秀逸。その中に蘭領という地名が出てきます。蘭陵の美酒!?そこが蘭陵王の領地かしらなどと思っていたのですが。きっとあのビデオにあった住所なのでしょうね。
李白の客中作という七言絶句です。(まだその詩の良さもよくはわかりません。)

遅刻の心配無用です。ライブ疲れのせいか、風邪をひき、とうとう休みました。
次回紫式部の登場、楽しみにしております。
 御返事の遅れなど気になさらないでください。記事を書いてくださるだけで十分ですので。余力があればで結構でございます。
Posted by 深雪 at 2015年05月01日 10:49
深雪さん

こんばんは。

陵王の舞は、もともと宮中で演じられたもので、その後、寺院で演じられました。厳島神社へ伝えられたものは、大阪四天王寺の系統だそうです。

伝えられた系統によって、面など装束にも細かい違いがあると聞きました。伝承の系統は、日本側の史料に詳しい記載があります。

詞牌のところ、分かりにくくて申し訳ありません。しばらくしてから読み返すと、書いた本人にも意味不明なところがありましたので、若干追記いたしました。


ここでは、言葉に音楽性を持たせるのではなく、その逆で、音楽(メロディー)の方が消滅してしまって、言葉のイントネーションだけが引き継がれている、ということです。

李白の「客中作」のご紹介、ありがとうございました。酒豪の詩仙にふさわしい詩ですね。蘭陵郡の名産品はお酒なんですね。

「蘭陵」という地名は、楚の屈原(くつげん)がつけた、という伝説があるそうです。

屈原といえば「端午の節句」。5月にふさわしい話題、ありがとうございます。勉強になりました。

風邪をひかれたとのこと、季節の変わり目、どうかくれぐれもご自愛ください!
Posted by 銀の匙 at 2015年05月02日 02:01
銀の匙さま

早速の返コメント恐縮です。
私も、コメント公開後、平仄が音楽性になるんだろうかと
ふと思いました。メロディーが消滅してると言っているのにです、追加説明までさせて、ごめんなさい。

中国語とても難しいのですが、四大文明発祥時の言語で現代まで残る唯一の言語という事実が好奇心をそそります。
ここに気づかせてくださった,銀の匙さんに感謝します。
毎回の力作ほんとうにはまります。ヤンキーの組み体操に熱を出す程はまる幼児性の持ち主ではありますが。
ではおやすみなさい。
Posted by 深雪 at 2015年05月03日 00:56
こんばんは。

ご体調の方いかがでしょうか。
どうぞお大事になさってくださいね。

>中国語…四大文明発祥時の言語で現代まで残る唯一の言語という事実

...かどうかは、私には皆目見当つかないですね…(^^ゞ

深雪さんがご自身でいろいろ勉強されて得た結論ということかと思いますが、中国語の探究のきっかけとして、本ブログがお役に立ってるなら嬉しいです。

引き続き、よろしくお願いいたします。
Posted by 銀の匙 at 2015年05月05日 00:11
GWも終盤に差し掛かるころになって、やっと清少納言さんに会いに来られました〜。

それにしても、蘭陵王のスレッドに「光源氏」が登場するなんて、なかなかないですよね(笑)
いや、そういうところが良いのですけど^^
半端な王族は中国も日本も等しく扱いに頭を悩ませるところなんですね。

「蘭陵王入陣曲」、たっぷりスペースを取っての解説をありがとうございます^^
蘭陵王関連では史実にのっとった重要なモチーフの一つですもんね。
この場面での段韶大師、銀鼠の濃淡の無地+柄ON柄に赤のさし色を効かせて、渋いですよね!

「入陣曲」、このドラマで知ったのでてっきり踊りのことだと思い込んでいましたが、歌だったのですね。
ドラマでは、ただ歌ってもビジュアル的に決まらないので、演出上、時代考証を無視したのでしょうか。

平仄、たいへん勉強になりました。
中国語をまったく知らない身で123と振り当てられた数字を見ていたら、なぜか「eeny meeny miny mo…」という言葉遊びのイントネーションを連想しました。

もともとメロディのあったものが、そのメロディが忘れられ、音の上げ下げのパターンだけが残る・・・
そういうことがあるんですね。
なんとなく、口承だと、歌詞は変遷していってもメロディだけは(少しずつ変わりながらも)残るように思っていたのは、私が日本人だからなのかもしれないなとも思いました。

ドキュメンタリーの抄訳もありがとうございます!
おかげで、中国語がわからなくても映像の意味がなんとなく掴めて面白かったです。
祖国中国では音楽も踊りも散逸してしまった唐代の「蘭陵王入陣曲」が海をわたった日本で残っているなんて、なんだかロマンを感じます。

厳島神社はとても好きでこれまでも何度か旅行で訪れておりまして(特にひと気のない夜や早朝が好きです)、ぜひいつか薪能も見たいと思っていましたが、よもやこんなところで繋がってくるとは思いませんでした。
いつか厳島神社で陵王を見られたらいいな。

ということで、書き込みにはなかなか来られませんが、次回、大物ゲストの登場も楽しみにお待ちしております!

P.S.
イタリアではサッカーも見に行きました。と書いて、そういえば私も、北海道から鹿児島まで、サッカーを見るために旅している人間(現在進行形)だったんだと思い出しました。
フランスやイギリス、香港、韓国にもサッカーを見に行きました。往復4,000円かかるくらいで映画館に行くのを躊躇するなんて、愛が足りませんかね(笑)

P.P.S.
先日なにか調べ物をしていたときに、ニュージーランド航空の「ホビット 決戦のゆくえ」バージョンの機内安全ビデオを見つけました。
面白いですね、あれ^m^
Posted by 銀 at 2015年05月05日 03:04
銀さん、こんにちは。

あっという間にGWも終わってしまいますが、のんびりお過ごしになれましたか。

よい気候の時期ですし、現在進行形の方のイベントもいろいろお忙しかったのではないでしょうか。

こちらは、ギャラが要らないと思って(資料代は掛かったけど)、関係ない大物を召喚三昧しているうちに、肝心のドラマの出演者を呼ぶのを忘れてしまいました(汗

次回はいい加減呼ばないと、ますます何のブログかわからなくなりそうなので、気を引き締めて行きたいと思います。

でもY先生、M先生もお呼びしないといけないし、ステージ狭いから太っ腹な方まで載せきれるかどうか…

☆∈ ====(‥d)ロケツト パーンチ!

コメントでご指摘をいただいて気が付いたのですが、歌なのにメロディがなくなっても伝承されるというのは、英語や日本語だと、どういう事だか分かりづらいですよね。

中国語では、最初の有名な詩集「詩経」からして「ソングブック」(?)みたいなものでして、もともとは歌われていたものだったようです。

このように、古代から、メロディは忘れられちゃったけど押韻のパターンだけ残ったというケースがままあり、他の言葉から見ると特殊だということを忘れてました…。

ドラマの方も、実は、主題歌を「蘭陵王入陣曲」というタイトルにしているのはきっと、蘭陵王が現代の人だったら、こんなロック仕立てになるだろう、というイメージなんでしょうね。

21世紀に聞くと、雅楽の「蘭陵王」は「はなもげら〜」みたいなノンキな曲に聴こえますが、当時は人気チューンだったんですから、今でいえばロック的なノリだったに違いありません。

きっと光GENJIみたいなステージだったんですよ(って、源氏つながりにしても、もはや古すぎるか…)。肝心のこの部分も記事に書くの忘れてた。ちょっと付け足しておきます。

ってことで、次回はもうちょいロマン(ス)の内容を増強いたしますので、お見捨てなきよう、よしなにお願いいたします。 合掌。

PS.機内ビデオ、面白いですよね〜。ニュージーランドのテレビ局が、エルフ語で天気予報、というバージョンもあるんですが、あれも面白かったです(ちゃんと、本職のアナウンサーの人が特訓してやったらしい)

http://nzlife.net/archives/6161
↑(ニュージーランドに永住した日本の方が開設してるブログですが、英語を勉強している方には他の記事も面白いかも…。)

そういや、私の方は映画を観るためにニュージーランドくんだりまで出かけたことあったんでした...

サッカーは現場に行かないとみられないから、銀さんの行動はある意味正しい(?)と思いますが、今日び、映画なんて自宅にいても観られるのに、ホント意味不明な行動です。

しかし、現地に行ってみますと、公開当時は機内安全ビデオどころか、空港から映画館から本屋さんまでもれなく「指輪仕様」になってて、国を挙げてのオタクっぷりに呆れたものでしたが、その後、ノルウェーに行ったら、遺跡から自然環境まで、素で国中が「ローハン」仕様になっていたのには、正直恐れ入りました。^^
Posted by 銀の匙 at 2015年05月06日 11:53
「蘭陵王」出演者およびY先生、M先生のお出ましを大人しく待っていたのですが(書き込みはPCからじゃないとできないけど、ロムはスマフォからできるので)、なかなか更新が来ないので、ちょっとつっつきに来ました^m^

エルフ語での天気予報のご紹介、ありがとうございます。
面白かったです〜!!
こういうの大好き^^

銀の匙さんはわざわざニュージーランドまで映画を見に行ったんですね!
でも、機内から空港、映画館から本屋さんまで国をあげて指輪仕様になってたなんて、それは大金かけて行く価値あったと思います。
私だって見てみたいと思いましたもん^^

>サッカーは現場に行かないとみられないから、銀さんの行動はある意味正しい(?)

ありがとうございます(笑)
と言っても、スタジアムで生観戦して、帰宅したら地上波で録画したその試合を見て、さらにスカパーで同じ試合を見て、さらにさらにハイライト番組を見たりもしますけど・・・

だって、地上波では勝っても、スカパー放映ではどうなるかわからないじゃないですか( ̄▽ ̄) ね?

って、なんでこんなとこでオタ自慢しあってるんでしょうか私たち(笑)

でもせっかくなので、オタつながりで(笑)ひとつ。

このあいだふと思いついて、「蘭陵王」の登場人物を「ロード・オブ・ザ・リング」にあてはめて遊んでおりまして。
さしずめ、「The Lord of the Rings」ならぬ「The Lord of the Masks」ってとこですね。

アラゴルンはもちろん四爺として、じゃあ宇文ヨウは・・・ファラミアかな??
神挙はもう、”斉国のレゴラス”って呼んじゃってもいいくらいだと個人的に考えております(笑)

善の世界から悪へと堕落し、人の心を操り世界に害をなす存在となったサウロンは、ぜひ鄭児に演じてもらいたい。
同じく、本来は善の側だったのに悪の世界に堕ちたサルマンには、高緯を。
ガンダルフはおばあ様として(当たり役の予感)、ピピンは・・・誰でしょう。暁冬かなあ。

問題は雪舞ですが・・・やはりここはフロド?!
(いやそうするとフロドとアラゴルンがラヴになってしまう・・・@@;)

すいません、おバカをやりすぎましたね^^;
あまりにも忙しかったので、ストレスが溜まっていたのです・・・。

銀の匙さんから
ヽ( 0\0)ノ┌θ)3゜)・*゜・ ライダーキック!
ってされないうちに退散します^^
ロマン(ス)、楽しみにしております!
Posted by 銀 at 2015年05月22日 19:17
銀さん

おはようございます。

何だか、相変わらず超お忙しいみたいですね。どうか四爺みたいに過労で倒れないよう、くれぐれもご自愛くださいね。

そんなお忙しい中、絶妙なタイミング(笑)でのご登場、さすがは銀さん。

いやぁ実は次のエントリーも異様に(意味なく)長くなってしまい、やっとY先生のパートが終わったけど、M先生のパートが手つかずだ...と、正直投げ出しそうになっていたのですが、何でお分かりになったんですか…パランティアか…?

でも、給油していただいたので頑張ります!(ロマン(ス)のパートは先に書いて確保してありますのでご安心ください!)

で、サッカーですが、なるほど、そういうことがあるのですね。京都テレビとLaLaTVでは勝つ国が違ってた!とか(笑)、現実的に、読売新聞では僅差だったけど中日新聞では歴史的大敗、ってジャイ○ンツみたいなこともありそうですもんね…(笑)

NZの方は、空港につくと、空港ビルの2階に実物大のオークがびっしり貼りついており、手に手に武器をもってこちらを伺っていました。

到着したばかりの観光客を挑発する国って…どうなの?(笑)

ここへ来なければ台湾に3回行けた、とチラッとは思いましたが(贅沢しなければそのくらいの差です)、オークにおもてなしを頂く機会もまずないと思いますので、満足しました。

「指輪」はおいといても、自然が満喫できる国で、お金がたまったら、是非もう1度行ってみたいです。

そして、こんな指輪物語はイヤだ!じゃなくて、中つ国仮面物語、の配役発表、ありがとうございました。主人公近辺は、なんだか、別の需要(?)がありそうですね。

仮面夫婦としてはとガラドリエルとケレボルン、ってこともあり得ますが、ケレボルンの四爺はイヤです!(だいたい、普通の人はケレボルンって言われても覚えてないと思う今日この頃)

一発で四爺を仕留めた弓術の持ち主、宇文神挙がレゴラス、に異論はございません!

楊雪舞は…やっぱりエオウィンじゃないかな。とすると、彼女と結婚できるのはファラミアなので(あっ、ネタバレだった?)、四爺はファラミア、アラゴルンは宇文ヨウになりますね。

素晴らしい女性は手に入れたけど国は治められなかったファラミアの境遇は四爺に似てるし、国と皇后さま(アルウェン)は手に入れたけど、皇后よりは先に世を去らなければいけない運命のために、彼女を不幸にしてしまった国王アラゴルンは宇文ヨウ、というラインもあるかと…。

う〜む、主要キャストは決めにくいので、外堀を埋めてみると、

中つ国→中国(まんまやんけ)

スープ→スープ(同上)

飛かげ→踏雪

アセラス→舞草

御目様→国宝の宝珠

ってことで、ぽんと宝珠を投げ出した宇文ヨウはアラゴルンじゃなく、ビルボ・バギンズに決定しました。

ってことは、自動的に彼のアホな息子がフロドに決定です。ということは、彼の御守をする楊堅がアラゴルン。

なんてこった…。

ってことで、ちょうど時間となりました♪ 次回もお見捨てなく、よろしくお願いいたします!(書き逃げ)

Posted by 銀の匙 at 2015年05月23日 10:27
毎回、詳しい解説ありがとうございます。
楽譜というものがなかった時代、声調だけが残ったなんて興味深いです。

今まで「蘭陵王入陣曲」は日本初演が東大寺の大仏開眼法要だと思い込んでましたが、演奏曲を調べると、蘭陵王、陵王の名前はないですね…でも仏哲が伝えた林邑楽に分類されるようなので、そこらへんがごっちゃになったかも?

また、以前にNHK(Eテレ?)でやっていた音楽学習番組で、雅楽は大陸から伝わった当時はもっとテンポが速かったが、平安時代になって貴族の好みに合わせてテンポが遅くなっていった、と説明されていました。確かに、今聴くと(見ると)「蘭陵王入陣曲」は眠たくなってしまいそうなくらいゆっくりですが、原曲は五月天のようなロック調だったのかもしれないなぁ、と思っています。
Posted by ruizi at 2015年05月28日 05:12
ruiziさん

こんばんは。いらっしゃいませ!

大仏開眼と陵王の関係は興味深いですね。このもよおしに仏哲がかかわっていたのですから、そちら経由で伝わったとすれば、演じられてもおかしくないと思いますが…。

蘭陵王が伝来した年は『教訓抄』では未詳となっているので、本当のところは分からず、唐招提寺預かりになった、というのと、孝謙天皇(在位:749−758)のときに改変があったというのは恐らく確実なので、開眼法要(752年)に演奏されたかどうかはともかく、その前後には日本に伝えられていたものと思われます。

Eテレで雅楽の番組なんてやっていたんですね。見てなくて残念です... 。

次回の記事は源氏物語との関連をご紹介しますが、記事を書くときにみつけた『源氏物語』に登場する雅楽の再現、というサイトは、ご覧になったかも知れませんが、実際の動画があって、面白かったです。

http://w3.kcua.ac.jp/jtm/archives/takuwa_gakudan/genji1.html

結構速いんですね…そりゃ昔の人も、あんまり遅かったら寝ちゃうかも。

ということで、引き続きよろしくお願いいたします!
Posted by 銀の匙 at 2015年05月29日 01:10
銀の匙さま

 宝箱をひっくりかえしたような11話がもう出たというのに、今更な話ですみません。

 ここで、声調を音楽と混同した事。
上手な作詞家は声調とメロディーを合わせるということ。今やっと理解できます。
詞碑しかりです。

 7月の初めに、声調のアプリを購入。自分の発音の声調が波形で確認できるという優れものです。滅茶苦茶な波形に苦笑。

勉強は振り出しに。

声調を覚えるよい方法はないかと暗中模索中。
今これかと試しているのが、2語の声調の組み合わせ16通りを覚えること。日本の都市、横浜、神戸、東京などなじみのある表を発見。
東京は1+1横浜は2+1。北京は3+1だから小樽(3+1)だわと思ったときに。ここを思い出しました。

詞碑、感覚で理解できたんです。
型があるんだ!

七転び八起の散々な独学で、どうなることやら? 
一銭にもならんのですが楽しいんです。
こんな素敵なところにもお邪魔させてもらえるし。

 ご親切な銀の匙さま、感謝しております。
Posted by 深雪 at 2015年07月23日 17:35
深雪さん、こんにちは。

いま、NHKの語学講座では声調確認ソフトが大活躍だそうですね。

やはり、基本って大事ですよね。

コツコツやる方はかならず上達すると思います。自分は面倒くさいので、ついついサボってしまい、それでいつも抜かれちゃうんだけど…。

ウィリアム・フォンも言ってます。大事なのは遣り甲斐。お金いっぱい持ってて、何するの?って。

いつかきっといい事ありますよ。
ということで引き続き、どうぞよろしく!
Posted by 銀の匙 at 2015年07月25日 12:56
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