2015年05月24日

蘭陵王(テレビドラマ20/蘭陵王入陣曲:後編 第10話の4)

皆さま、こんにちは。

今回、《蘭陵王入陣曲》にまつわる史実/伝承の続きを書いていたら、やっぱりどんどん長くなってしまいました。

読みづらいので、大変申し訳ないのですが、第10話を今回と、もうあと1回(5まで)続けさせていただければと思います。

四爺並みの約束不履行状態、不覚…いえ、深くお詫び申し上げます。

いい加減、飽きた方も多いことと存じますが、日本と蘭陵王を結ぶ重要ライン、ここが私にとっては全編で一番興味深い部分なので、豪華ゲストに免じて、どうかお許しをば…。

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さて、ドラマ《蘭陵王》の第10話では、皇太子・高緯〈こう い/Gao Wei〉の御前で、尉遅真金〈うっち しんきん/Yuchi Zhenjin〉ならぬ、斉のヤンキー兵士の皆さまが、蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈よんじい/Siye〉を称えるダンス、《蘭陵王入陣曲》〈らんりょうおうにゅうじんきょく〉を披露しておられます。

史書によれば最初はまず歌があったはずのこの踊り、歌の方は、調性が(漢民族から見れば)エキゾチックな胡楽のものだったということからも分かります通り、西域風の音楽だったはず。

前回(→こちら)にもちらっと追記いたしましたが、当時の人気曲だったということは、現代でいえば、ちょうどこのドラマの主題歌「蘭陵王入陣曲」がロック仕立てなのと重なるイメージなのでしょう。

この曲、時代が下って唐代には演奏禁止になってしまったと前回書きましたが、理由の一つは、この曲が、古来、儀礼用の音楽として伝承されている礼楽ではなくて、西方渡りの宴会用の音楽(燕楽)に分類されたかららしい。

蘭陵王の時代、突厥〈とっけつ〉出身のアシナ皇后(宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉の奥さん)が、琵琶の名手・蘇祇婆〈そぎば/Sujiva〉を連れてきたことが、中国音楽に大きな影響を与えたという話をいたしました(→第3回)。

続く隋、唐の時代も中央アジア系の音楽は大人気。

しかも、口から火を吹く幻術とか、バレエ『海賊』の32回転フェッテもビックリの胡旋舞〈こせんぶ〉とかとコンボで来られちゃ、辛気臭い礼楽とか誰も聞きませんって。

てことでは困るということなのか、蛇メタは不良の音楽、学園祭では演奏禁止ってことなのか(青○学院大学かいっ!)、礼楽(雅楽)は保護されて、燕楽は禁止されてしまいます。

ところが、遣隋使、遣唐使が学んで持ち帰ったのは、当時、中国の宮中でも盛んに演奏されていた禁止される前の「燕楽」の方でした。

だから、日本の「雅楽」は中国でいう「雅楽」じゃなくて、実は宴会用の方の音楽。

ややこしいですが、そういう訳で、高貴な方々を前に宴会で披露されるのは、この曲のDNAに組み込まれてるらしい。

雅楽は日本に伝わった後、唐や林邑(ベトナム)から伝わったものは「左方」、朝鮮半島経由で伝わったものは「右方」に大別されました。演奏に携わった近衛府〈このえふ〉(宮廷の警護を担当した部署)が左右に分かれていたからとも言われています(雅楽の歴史をざっと知りたい方は→こちら

装束を見ると分かります通り、左方の舞は赤系の装束、右方の舞は緑系の装束で統一されています。なので、前篇で、《蘭陵王入陣曲》の衣装がだったという記録を紹介しましたが、元が何色の衣装だろうと、あまり関係なかったのかも知れません。

さて、ここまでずっと、《蘭陵王入陣曲》が日本に伝わった後の舞曲を《蘭陵王》と呼んできましたが、《蘭陵王》は当曲としての曲目で、舞としては《陵王》という名で呼ばれます。

「当曲」というのは何かというと、舞楽曲はオペラみたいに一連のプログラムになっていて、

まずは前奏があり(「星条旗よ永遠なれ」)、

舞手が登場する「出手」〈でるて〉のときの音楽(「ロッキーのテーマ」)が流れ、

いよいよその舞いの曲「当曲」「アイズ・オブ・タイガー」)となります。
《陵王》では、ここの曲が《蘭陵王》

そして舞手が退場する「入手」〈いるて〉の音楽(「メジャー・オブ・ザ・マン」)で終わります。

《陵王》は左の舞で、右の《落蹲》〈らくそん〉/《納曽利》〈なそり〉と対にして舞われます。

競馬〈くらべうま〉や相撲〈すまい〉など、勝ち負けのある催しで左近衛府〈さこんえふ〉が勝ったときに演奏されるなど、平安朝の日本でも大人気。

てことは、当代の超人気ノベル『源氏物語』にも当然出てくるはず!

…と気楽に読もうとしたけどこの話、『指輪物語』並みに長いな。全部読むのはかったるい。

ちょっと式部さん、《蘭陵王》が何巻に出てくるか教えてくださいな。

式部さん?

…お支度がまだのようです。じゃ、ここはズルしてさくっと漫画で探してみるか。

『源氏物語』の漫画化といえば、ご存じ、大和和紀先生の『あさきゆめみし』

いやーお恥ずかしい話ですけど、私、実はこの作品読んだことなくて、今回のエントリーを書くために全10巻の電子書籍を大人買いしてしまいました(おかげで今月の財政がピンチに…トホホ)。

漫画だって言ったって、すごい力作、結局、全部読むのに1か月もかかっちゃいましたけど、その甲斐あって、ございましたよ、《陵王》にまつわるエピソードが。

『あさきゆめみし』は、作者の大和和紀先生による解釈に基づいて書かれ、さらにオリジナルのエピソードも加わっていますが、原作のテーマやエッセンスを丹念に拾い上げて構築されており、文字から漫画へとかなり大きな媒体の変更にも関わらず、原作に忠実な印象を受けます。

《陵王》関連のシーンは、4箇所あります(見落としてなければ)。

原作で最初に登場するのは「若菜〈わかな〉」の帖で、帝50歳のバースデー・パーティーのリハーサルのとき貴族の幼い子弟たちが踊る曲目の一つとして出てきます。

『源氏物語』については、昔、古典の時間に習った方も多いことでしょうが、ここでちょっと、お話の方を思い出してみましょう。

光源氏は母の面影を宿すという父帝の愛妃・藤壷〈ふじつぼ〉の宮への思慕の念を抑えることができず(マザコンともいう)、ついには不義の子である、のちの冷泉〈れいぜい〉帝を成してしまいます。

時は過ぎ、光源氏の好敵手・頭中将〈とうのちゅうじょう〉の息子・柏木衛門督〈かしわぎえもんのかみ〉は、光源氏の正室である皇女・女三の宮に恋い焦がれ、ついに懐妊させてしまいます。

ああ、因果は巡る、糸車!

しかし、柏木は「若菜」の巻のリハーサルシーンで、その過ちをすでに源氏に知られていると悟り、恐怖のあまり病に伏し、不義の子・薫〈かおる〉を遺し、若くして亡くなってしまうのです。

同じような事したくせに、柏木を追い詰めた光源氏に思わずムッとしてしまう展開ですが、自分の罪の重さを違う形で突きつけられたわけで、実は光源氏も相当堪えたものと見えます。

という事で、「若菜」のリハーサルシーン自体は『源氏物語』のクライマックスに近い場面です。

ここで、幼い貴族の子弟たちが雅楽の舞を舞いますが、それは光源氏が18歳の頃、ライバルの頭中将と共に、藤壷の宮も見守る中で、見事な「青海波」〈せいがいは〉の舞を披露した、「紅葉賀」〈もみじのが〉の帖の有名なシーンを彷彿とさせます。

「紅葉賀」のこのシーンもまた、源氏の実父である桐壷帝の父、一の院の50歳のバースデー・パーティーのリハーサルでした。

なぜ藤壷の宮も見ていたのかというと、懐妊していたので気がふさぐだろうからと、心優しい桐壷帝が彼女を楽しませるために、わざわざ御所でリハーサルを催行したからです。

しかし、藤壷の宮が宿していたのは、実は源氏の子だったのです…。

そして、「若菜」の巻で光源氏は、自分の罪と二重写しになるシチュエーションに身を置き、子どもたちの世代が踊るのを見守る年齢になってしまっているのです。

『あさきゆめみし』にも、しっかりこの大事なシーンは出てきますが、残念ながら、登場する舞いは、装束からして《陵王》ではなさそうです。ただ、原作のこの場面での《陵王》もあまり大きい扱いではなく、世代交代を印象付ける小道具のような感じです。

しかし、この後の「御法〈みのり〉」「橋姫」の帖では、漫画、原作とも、物語に深みを与える重要な役割を与えられています。

ただし、『源氏物語』の中での意味を知るには、《陵王》のもう一つの顔を知らなければなりません。

ってことで、物語の順番的には後ですが、まずは「橋姫」の方からご覧いただきましょう。

「橋姫」は『源氏物語』の後日譚にあたる『宇治十帖』の中のお話。

今は亡き光源氏の末子であるはずの薫は、自分の出生に疑問を抱いて出家を望み、仏に深く帰依している、叔父の八の宮(第八皇子)を訪ね、宇治にやってきます。

では、ここからの場面は、『あさきゆめみし』からご覧いただきましょう。

その夜も薫が宮を訪ねると、お屋敷からは琵琶の音が聞こえてきます。

宮は不在で、長女の大君〈おおいぎみ〉、次女の中の君〈なかのきみ〉がライブセッションをして楽しんでいたのです。

薫がこっそり覗いていると、雲間から月が顔を出し、姫君たちの姿を照らし出します。

(中の君)お姉さま ごらんなさいませ
     わたくしが琵琶の撥〈ばち〉で招いたら
     月が雲から顔をだしましたよ

(大君) まあ おかしい…変なことを思いついたものね
     入り日を撥で招き返したというお話は聞いたことがあるけれど…

(中の君)だって琵琶の撥をおさめる場所は隠月〈いんげつ〉というでしょ
     だからそんなに縁のないお話じゃないわ


薫は、2人の姫君が、宇治の橋を守る「橋姫」のようだと見とれる、という、この帖のタイトルにもなったシーンです。

琵琶の胴には、「覆手」(エレキギターでいう「ブリッジ」)に隠れて、向かいの人からは見えない、「隠月」と呼ばれる楕円形の穴があり、撥をしまうときは柄をこの穴に差し込む。なので、撥は月に縁がある、と言ったらしいです。

2人の会話の流れは、原作通り。
ついでだから、原作も見てみましょう。

簀子〈すのこ〉にいと寒げに、身細く萎えばめる童一人、同じさまなる大人などゐたり。

内なる人、一人柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前に置きて、

撥〈ばち〉を手まさぐりにしつつゐたるに、

雲隠れたりつる月のにはかにいと明かくさし出でたれば、

「 扇〈あふぎ〉ならで、これしても月は招きつべかりけり 」
 
とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげに 匂ひやかなるべし。

添ひ臥したる人は、琴の上に傾きかかりて、

「 入る日を返す撥〈ばち〉こそありけれ、さま異にも思ひ及びたまふ御心かな」

 とて、うち笑ひたるけはひ、今少し重りかによしづきたり。

「 及ばずとも、これも月に離るるものかは」

など、はかなきことを、うち解けのたまひ交はしたるけはひども、

さらによそに思ひやりしには似ず、いとあはれになつかしうをかし。

昔物語などに語り伝へて、若き女房などの読むをも聞くに、必ずかやうのことを言ひたる、

さしもあらざりけむ、と憎く推しはからるるを、

げにあはれなるものの隈ありぬべき世なりけりと、心移りぬべし。



さすがに式部さん、美文でいらっしゃいますね…と持ち上げときたいとこですが、古文じゃ何が何だか謎なので、ここは1つ、「日本古典文学全集」(小学館)所収の『源氏物語』から、現代語訳を引用させていただきましょう。

簀子〈すのこ〉には、いかにも寒そうにして、

痩せてよれよれの格好の女童〈めのわらわ〉が一人、

また同じ姿をした女房などがいる。

内にいる人は、一人は柱に少し隠れていて、

琵琶を前に置いて撥を手まさぐりしながらすわっていたが、

雲に隠れていた月が急に明るくさし出てきたので、

「扇ではなく、これでも月は招き寄せることができそうなものでした」と言って、

撥からちょっと月をのぞいたその顔は

たいそうかわいらしげでつやつやと美しいようである。

物に寄り添って横になっている人は、琴の上にもたれかかって、

「夕日を呼び返す撥というものはあったけれども、

変わったことを思いつかれるお心だこと」

と言って、にっこり笑う様子は、

もう少し重々しく嗜〈たしな〉みのある風情である。

「そこまでは及ばないにしても、これも月に縁のないわけではございません」

などと、たわいもないことをうちくつろいで話しあっていらっしゃるお二人の様子が、

まるでよそながら想像していたのとは違って、

ほんと胸にしみるようなやさしさで興そそられる。

昔物語などに語り伝えて、若い女房などが読むのを聞くのにも、

必ずこのような姫君のことを言っている。

それをまさかそんなこともなかったのだろう、

とつい反感の抱かれるものであるが、

なるほど人目につかず味わいぶかいこともありうる世の中だったのかと、

心が動かされるに違いない。



……ん〜。現代語でもまだ なんだけど (^_^;)

じゃ、例によって、私の翻案訳を足しときましょう。
雰囲気ぶち壊しになりますが、私のすることなんで、お許しください。

(薫はライブ会場の入り口で出待ち中。警備員に「困ります」と咎められますが、オレは常連だし追っかけでもグルーピーでもないんだからさ、とVIPの身内の特権で居直っています)

エアコン効きすぎたアリーナ席で声援を送ってる、メイド姿のファンたちは寒そうだ。
そこへ、ステージ裏のプリンセス・プリンセスの会話が聞こえてくる。

柱の陰に座っているアナの前にはドラムが置いてあるけど、
バックステージは暗いので、スティックを取ろうと手探りしている。

と、月光をイメージしたライトがついて明るくなったので、

「裕次郎じゃなくて、スティックだって月が呼べるんだから」

と暗闇に浮かぶその顔は、めちゃ美人。

脇にいるエルサは、エレキにもたれかかって

「裕次郎が呼んだのは嵐よ。月に吠えたのは朔太郎でしょ。常識ないんだから。

 裕次郎って言えば、太陽を呼び戻すスティックの話は聞いたことあるけどね」

とお姉さまらしく上から目線の微笑みに、アナは、

「それを言うなら「太陽に吠えろ」!だいたい朔太郎って江戸時代かなんかの人じゃん。あたしが知ってるのは昭和までなの!それにスティックは、いちおう満月(ドラム)に関係だってあるでしょっ」

なんて、どうでもいい会話をしている2人が想定外にカワイイ。

よくJKが読んでるマンガとかに、場末のライブハウスから美人過ぎる姉妹がデビュー!なんてエピソード、絶対出てくるよね。ありえねーだろ、そんなもん。けっ、とか思ってたけど、いやぁ、あるんだな、これが。ちょっと感動…。


さあ、もうちょい状況がお分かりいただけたでしょうか。
もっと分かんなくなった、とか言わないように。

…って、すいませんけどコレ、『陵王』の「り」の字も出てきませんけど…?

そ、そぅねぇ。

と思って、源氏物語の注釈を研究されている渋谷栄一先生のサイトをよぉく見ると、エルサ、いやさ、大君のセリフに注があり、

 『源氏釈』は、「還城楽陵王を危ぶめむとするに、日の暮るれば、撥して日を手掻きたまふに、引き返されたる也」と注す。舞楽「陵王」の所作を踏まえた発言。

とあります。

「源氏釈」というのは、『源氏物語』の現存する一番古い注釈本のことで、1156年にはもう成立していた、ということは、物語成立から100年くらい以内に書かれたものです。

お話の書かれた当時は、それなりの教養のある人なら、「撥で日を招く動作」=陵王の振り付けだ!って分かったけど、注の書かれたころは、ちょっと説明しとかないと分かりづらかった、ということなのでしょう。

今だったらさしずめ、

「ムーンウォーク」といえば、あぁ、マイコ〜の「ビリージーン」に出てくるアレね

と分かるけど、世の中全員平成生まれになったら、

舞妓さんてダレそれ?

てなものなのでしょう。

話を元に戻すと、《陵王》に「入る日を返す撥〈ばち〉」という振り付けがあるのは分かりましたが、じゃ、この振り付けは蘭陵王とどういう関係があるのでしょうか。

ここに一つ、また別の要素が絡んできます。

当時、雅楽といえば、遣隋使や遣唐使が命がけで海を渡って学んで来たり、貴い仏僧たちが伝えたりしたもので、全曲を簡単に人に教えたりはせず、口伝でこっそり跡継ぎだけに教える、とか、振り付けや衣装なんかを勝手に替えてはダメで、変更できるのは帝のご命令による場合のみ、みたいな状況だったようです。

しかし、時は下って鎌倉時代、日本は動乱の時代に入ります。

左舞を伝承する狛〈こま〉家の楽人・狛近真〈こま ちかざね〉は興福寺に属し、南都楽所〈なんとがくそ〉(覚えてらっしゃいますか、20世紀に、蘭陵王の墓所の前で雅楽を奉納したのは南都楽所の笠置先生でしたね→こちら)の中核でもありました。

彼はこの動乱の時代、家伝としてバラバラに継承され、家が絶えれば消滅してしまうであろう舞曲の現状を憂い、その行く末を案じ、口伝を絶やさないように記録を進めたのです。

その後、記録は左右の舞曲の口伝を集めた『教訓抄』としてまとめられました。

そういう訳で、1233年成立のこの楽書には舞曲にまつわる伝承が豊富に盛り込まれており、曲の由来や振り付け、変更箇所などが事細かに記されています。

そんな貴重な資料を、なんとスゴイことに、ネットで見ることが出来ます。

http://www.emuseum.jp/detail/101074/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D297%26num%3D7

e国宝…スゴいネーミングだけど、確かにイイ!

しかし、いくら原文ったって、これ↑を読みこなせる人はそう多くはないでしょう。ってことで、ちょっとズルして、活字に起こした「日本思想大系」版から、内容を見ることにいたしましょう。

「教訓抄」は、大系の第23巻「古代中世芸術論」に収録されてる…んですけどさ。

なんでこんな基本図書を品切れにするかな、岩波書店も?

おかげでまた余計な出費が増えたじゃないですか。

まあ、かなり世に出回った本らしくて、たまたま見つけた古本が元の定価(2,200円)より安くて済みはしましたけど。

この本、他にも「作庭記」「入木抄」「無名草子」「古来風躰抄」「老のくりごと」といった重要論考が収録されているので、この手の芸術論がお好きな方にはマストバイの一冊かと思われます。

それはともかく、さっそく《陵王》に関するパートを見てみると、あるわあるわ巻頭近くに、延々11ページにもわたって書かれています。

・舞曲の構成から
・面のこと
・曲の由来
・「囀」の歌詞
・舞例
・「生〈いき〉陵王」と言われた舞人のこと
・勝負事のときの演奏法
・調性の話
・聖武天皇の第二皇女・高野姫(孝謙天皇)がことにこの曲を気に入っていたというエピソード
・狛家から失くなった面が興福寺の門に掛けてあったエピソード
・舞具(捊〈ばち〉)は蘭陵王入陣のときの鞭(棒状の武器)の姿であること
・高野天皇の時代に捊のサイズを縮めたこと…

などなど、重要項目がずらりと並んでいます。

これを読むと、

・面は「武部様〈たけべのよう〉」と「長恭仮面様〈ちょうきょうかめんよう〉」の二種類あった

ことが分かりますし、

・舞曲の中の「囀」〈さえずり〉というパートには元は歌詞があって、舞う人がうたっていた

ことも分かります。

はしょるのは勿体ないくらいなんですが、そういう訳にもいかないので、お好きな方は本に当たっていただくとして、この場に関係ある部分を見てみましょう。

まずは、振り付けについてです。

乱序一帖。此内〔有別名〕日掻返手〈ひをかきかへすて〉〔桴飛手。〕〈ばちをひるがえすて〉、青蛉〈とんぼう〉返手、角走手、遊返手、大膝巻〈をひざまき〉、小膝巻〈こひざまき〉。

「乱序」というのは入場の音楽。ここの振り付けに、日掻返手〈ひをかきかへすて〉、別名・桴飛手〈ばちをひるがえすて〉というのがある、ということなのでしょう。

続いて、曲の由来について、書かれています(原文は漢字とカタカナで書き下し文のスタイルになっていますが、カタカナだと読みづらいので、ひらがなに直しました)。

此曲の由来は、通典と申文に申たるは、大国北斉に、蘭陵王長恭と申ける人、国をしづめんがために、軍〈いくさ〉に出給ふに、件王ならびなき才智武勇にして形うつくしくをはしければ、軍をばせずして、偏に将軍をみたてまつらむ、とのみしければ、其様を心得給て、仮面を着して後にして、周師(いくさ)金墉〈きんよう〉城(せい)下にうつ。

さて世こぞりて勇、三軍にかぶらしめて、此舞を作。

指麾撃刺(くきげきらつ)のかたちこれを習。

これをもてあそぶに、天下泰平国土ゆたか也。

仍て、《蘭陵王入陣〈しうじむの〉曲》と云。此朝〔伝〕来様未勘出。

尾張連浜主(おはりのむらじはまぬし)の流を正説とする也。

蓮道譜に云、此曲沙門仏哲へ渡す。

唐招提寺留置也。


『通典』〈つてん〉という書物によれば、大国北斉に蘭陵王長恭という人がいて、国を鎮めるために戦いに出たが、王は抜きんでた知恵と武勇の持ち主で、容姿が大変に美しく、(兵士が)戦わずにひたすら王の姿を拝もうとばかりするために、仮面を着け、後に周を金墉の街にて破りました。

三軍に冠たる勇を称え、この舞を作りました。

その指揮のありさま、武器を振るう様子に倣ったものです。

この舞により、天下泰平、国は豊かになりました。

そこで《蘭陵王入陣曲》と名付けられました。我が国に渡来した事情は明らかになっていません。

尾張連浜主の流派が基本とされます。

「蓮道譜」によれば、この曲はベトナムの僧に伝えられ、唐招提寺に伝承されたということです。


以上は私のてきとーな解釈ですので、レポートとか書かれる方は写したりしないできちんと原文に当たっていただきたいのですが、ともあれ、まとめると、

・《陵王》は高長恭の武勇を称える舞だった
・舞いの名は《蘭陵王入陣曲》と言った
・日本に来た経路は不明
・尾張連浜主という人が正統な継承者だった
・ベトナムの僧が伝えたという話が「蓮道譜」に載っている

ということのようです。

尾張連浜主という人は楽人で、836年に遣唐使として渡唐しましたが、その前に《陵王》を舞った記録があるので、少なくとも最初の段階では、彼が直接習ってきたという訳ではなさそうです。

「蓮道譜」がなんであるかは、『教訓抄』の注にも未詳とあり、不明です。

ここまでは皆さまおなじみの話かと思いますが、実は『教訓抄』には、続けてこんな話が載っています。

又云、脂那国〈しなこく〉〔に〕一人王あり。

となりの国の王と天子をあらそひける間に、彼王崩畢。

其子即位して、なをあらそひをやまざりければ、太子王の陵に向ひ給て、なげき申され給ひければ、

忽墓内〈つかのうち〉にこゑあり、雷電〈らいでん〉して占〈しめて〉子王〈このおう〉に云く、

「汝なげくことなかれ」とて、則現此形赴戦陣竜顔美鬚髯〈せん〉不異。

日すでにくれにをよびて、戦やぶれぬべし。

爰父王飛〈とばして〉神魂〈しんこんを〉日を掻〈まねくを〉。

仍蒼天〈そうてん〉午時成了。

さて合戦。如思国をうちとりてけり。

さて世こぞりて、これを歌舞す。

名〈なづく〉「没日還午楽〈ぼつじつかんごらく〉」と。

雖無本文、自古者伝也。



何だか分かりにくい文章ですが、またまたテキトーに解釈してみると、


別説によれば、脂那国にいたある王が、となりの国の王と争ううちに亡くなった。

その子が即位したが、争いは止まない。子が父の陵墓に向かって嘆くと、

雷電が起こり、声がして、

「嘆くには及ばぬぞ」と言い、姿を現したが、それは戦に向かう竜顔・美髯の姿であった。

日はすでに暮れて、まさに戦に敗れようとするとき、

父王は神魂を飛ばして日を呼び戻した。

そのため、空は真昼となった。

そして、如思国を成敗することができた。

これを称えて歌舞が作られ、「没日還午楽〈ぼつじつかんごらく〉」と名付けられた。

しかるべき出典などもないが、古くから伝えられているのである。


あらら…? これはまた全然違う系統のお話ですね。
でも、こちらの話の方が、「日を呼び戻す」という振り付けの説明にはなっている気がする。

そして、『源氏物語』の「御法〈みのり〉」に出てくる《陵王》は、恐らくこのエピソードを踏まえているものと思われます。

それでは、その場面を「日本古典文学全集」(小学館)から見てみましょう(読みやすいように、改行を多くしています)。

三月〈やよひ〉の十日なれば、

花盛りにて、空のけしきなどもうららかにものおもしろく、

仏のおわすなる所のありさま遠からず思ひやられて、

ことなる深き心もなき人さへ罪を失ひつべし…(中略)

夜もすがら、尊きことにうちあはせたる鼓の声絶えずおもしろし。

ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、

霞の間より見えたる花のいろいろ、

なほ春に心とまりぬべくにほひわたりて、

百千鳥〈ももちどり〉の囀〈さへづり〉も笛の音に劣らぬ心地して、

もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、

陵王の舞ひて急になるほどの末つ方の楽、

はなやかににぎははしく聞こゆるに、

皆人の脱ぎかけたる物のいろいろなども、

もののをりからにをかしうのみ見ゆ。

親王〈みこ〉たち上達部〈かむだちめ〉の中にも、

物の上手〈じゃうず〉ども、手残さず遊びたまふ。

上下心地よげに、興ある気色どもなるを見たまふにも、

残り少なしと身を思したる御心の中には、

よろづの事あはれにおぼえたまふ。


時は今でいう4月初め、ちょうど桜の満開のころ、
紫の上〈むらさきのうえ〉は、出家を希望するも
源氏の反対に遭ってかなわず、
代わりにと盛大な法要を催します。

彼女は幼いころ光源氏に見初められて以来、
常に一番大切な人として遇されてきました。
それでもなお、源氏の君が次々と別の女人に心を移すのに秘かに心を痛め、
皇女・三の宮が正妻として降嫁してくるに及んで、
ついに病に倒れてしまいます。

実際のところ、女三の宮の降嫁自体、
成り行きでなってしまったようなもので、
源氏の君は格別彼女を気に入ったという訳でもなく、
結局、先にご紹介しました通り、女三の宮はまたも成り行きで柏木と不倫してしまいます。

源氏と女三の宮は、そんな形ばかりの結びつきであったのに、
身分が下なばかりに女三の宮に居場所を奪われてしまった
紫の上はお気の毒としか言いようがありません。

加えて、源氏が彼女自身というよりは、
藤壷の宮の身代わりのような形で愛していたということも、
きっと分かっていたのでしょう。

彼女はもう、永らえることも望まず、
早まりゆく「陵王」の曲のテンポや、舞の華やかさに、
残り少ないわが身を振り返って感慨にふけり、
法要に招いた、源氏が寵愛する他の女性たちに心づくしの和歌を贈ります。

皆は紫の上の心情を察しながらも、このような優れた女人が
世を去られるに忍びず、ずっとお元気でと、返歌を贈るのでした…。



今や全編のヒロイン、紫の上の生命は尽きようとしている。

どうか奇跡が起こり、息を吹き返して欲しいと願う
光源氏の願いも虚しく、

入る日を戻し、失われかけた勝利を呼び戻す、
絢爛たる陵王の舞に伴われながら…。

涙なしには読めないこの場面、日本文学の最高峰と褒めたたえられるだけはあります。
さすがは式部さん!

《陵王》の舞も、「没日還午楽」の物語の影をうっすらと漂わせながら、とても効果的に使われていますね。

この出自のあまりよくわからない「没日還午楽」の物語、何となく仏典に関係ありそうで、やはり「陵王」の直接のルーツは東南アジアの方の舞曲なんだろうか…とまた迷い始めてしまいます。

と、『源氏物語』の大系本の方の「橋姫」の注をみると、こんなことが書いてあります。

 「中の君のいう月は日の誤解であると笑うのであろう。

『楽家録』によれば陵王舞の秘曲に「入日ヲ麾〈さしまね〉ク手」という舞曲があり、太鼓に合わせて大回りに疾走しながら、急に右後をふり向いて桴〈ばち〉(鼓を打つ柄・槌)を上にあげて空を仰ぐ動作をする。

ここでは琵琶の「撥」に「桴」をかけて戯れたのである。

なお古注は「戈〈か〉ヲ援〈ひ〉イテ日をヒ〈さしまね〉ク」(淮南子・覧冥訓)の故事を引く。

琵琶の撥を収める場所を「隠月」と呼ぶところから、二者の関係の深さを言った。」


とあります。

なに、『淮南子』〈えなんじ〉とな?

『淮南子』とは紀元前120年ころ、つまり漢の時代に、淮南王・劉安が編纂させた本で、老荘思想、儒家思想、神話伝説、などなど、多岐にわたる内容のウンチク本。

その中の一章「覧冥訓」は、女媧〈じょか〉さまや月の女神・嫦娥〈じょうが〉の神話・伝説も含まれた章です。

大系本の注が言う箇所を探してみると…。

武王伐紂,渡于孟津,陽侯之波,逆流而擊,疾風晦冥,人馬不相見。

於是武王左操黃鉞,右秉白旄,瞋目而ヒ之,曰:

「余任天下,誰敢害吾意者!」

於是,風濟而波罷。魯陽公與韓構難,戰酣日暮,

援戈而ヒ之,日為之反三舍。

夫全性保真,不虧其身,遭急迫難,精通於天。

若乃未始出其宗者,何為而不成。

夫死生同域,不可脅陵。


ここは、明治44年版の田岡嶺雲『和訳淮南子』の力を借りて、解釈してみると…

(周の)武王が(殷の)紂王を征伐したとき、孟津という場所から(黄河を)渡った。

(波の神である)陽侯の波が逆流して撃ち、疾風が起こり、天地は暗くなり、

人馬も見えなくなった。そこで武王は、左に(兵権の象徴である)黃鉞を握り、

右に軍旗を掲げて、目をいからして

「私が来たからには、誰にも邪魔立てはさせぬ」

と叫んだ。すると風は止み、波は収まった。

またあるとき、魯の陽公は韓と敵対していた。戦がたけなわのときに、日が落ちようとした。

そこで、戈を振るって太陽を差し招いた。

すると、太陽は三度も空に戻った。

外界に惑わされず己を保ち、自らを損ねることのない者は、

危機に当たって、その誠が天に通じるのであろう。

道から外れることがなければ、必ずや何事をも成し遂げる。

生と死とを同一視する境地に在る者を脅かすことなどできない。




う〜ん…。

実はこの箇所、「魯陽日をさしまねく」(=不可能を可能にする)という諺にもなっているほど知られたエピソード。

『教訓抄』にも、「没日還午楽」の記述よりもかなり後に、小さな扱いではあるものの、《陵王》の由来の一つとしてこの故事が載っています。

『淮南子』は、蘭陵王の時代よりも600年も前の本なので、まずはこの話があり、それに蘭陵王の武勇を当てはめ、所作の名称にも流用した、と考えた方がつじつまが合いそうですね。

ってことで、「没日還午楽」の話は当時、よく知られていたみたいではありますが、

・この『淮南子』の話の別バージョン

か、あるいは、

・仏教説話か何かで似た話があって、いつの間にかすり替わってしまった

か、あるいは、

・元々、《陵王》は唐楽だったけれど、日本へは、それを習い覚えた林邑僧が伝えた。
そのとき、「没日還午楽」の話もセットになっていた

ということではないでしょうか。まるっきり推測ですが…。

このあたりをさらに研究すれば面白いのでしょうが、それは専門の方にお任せするとしましょう。

ご覧いただいたように、『源氏物語』では雅楽が大変重要な役割を果たしていますが、記述と現在の舞曲が違っているものも当然あるので、文献などから当時の演奏を再現するという試みもされています。

http://w3.kcua.ac.jp/jtm/archives/takuwa_gakudan/genji1.html

当時の演奏は、現代の演奏に比べるとテンポがかなり速かったようですね。

さて、『源氏物語』と《陵王》に関するお話、実は『あさきゆめみし』にはもう1つあります。最後に、そちらに行ってみましょう。

紫の上が催した大法要を描く、「御法〈みのり〉」の帖、先ほどは原作をご覧いただきましたが、もちろん『あさきゆめみし』にも取られており、《陵王》もバッチリ描かれています。

しかし、その持つ意味合いは、原作と同様であると同時に、マンガオリジナルのニュアンスも込められているようです。

前にもご紹介しました通り、『あさきゆめみし』には少しですが、オリジナルのエピソードが付け加えられています。そして、《陵王》の舞いに関するエピソードは、そんなオリジナルの一つなのです。

ではご覧いただきましょう。マンガでは「其の22」にあたる章です。

原作の帖名「朝顔」は、源氏の君と、この帖のヒロイン・槿〈あさがお〉の姫君が交わした

(源氏) 見しをりの露わすられぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん

(槿の君)秋果てて霧の籬〈まがき〉にむすぼほれ あるかなきかにうつる朝顔

という歌から取られています。

槿の君は源氏が若いころから憧れていたいとこです。
その父君が亡くなられたお見舞いを口実に、言い寄ろうとする源氏(またかい…)。
父君が亡くなり、後ろ盾がなくなった槿の君に、周りは源氏との縁組を勧めます。

自身の高い身分であれば正妻に迎えられるであろうし、源氏に好意ももっているものの、
姫君はこの縁組に気が進みません。

彼女の脳裏によぎるのは、愛人の元へ通う夫を送り出した夜、
独り、《陵王》を舞う母の姿でした。



母は ひとり静かに舞っていた
深窓の姫君で 立ち歩くことさえまれだった母が…
それは見おぼえた陵王の舞の足だった…

陵王は北斉の王だったという
世にもまれな美貌であったため
おそろしい面で素顔をかくして戦〈いくさ〉にのぞんだという…

ああ…
母はけっして
心静かではなかったのだ

陵王とは反対に
母は…
すべての妻たちは
怒りや涙を
面にかくして
女の戦をたたかわねばならなかったのだ



闇の中で、母の姿と雅楽の舞姿がオーバーラップする、
少女漫画ならではの繊細なビジュアルと相まって、美しく印象深い場面です。

ここで縁組を承諾してしまえば、自分も母と同じ道を歩むことになる。
うわさに聞く源氏の奥方・紫の上をも巻き込んでしまう…。

悩んだ末、槿の君は意志を貫き通し、源氏の求婚を退けてしまいます。

《陵王》の仮面を物語に織り込んだアプローチ、原作にはないエピソードですが、
全く違和感を感じません。

そして、物語は進み、「御法」の帖へ。

法要の場に鮮やかに現れる《陵王》の舞姿は、紫の上が最後に目にする素晴らしい輝きであると共に、光輝く主人公・源氏の輝かしい姿の象徴であり、また読者には、朝顔の君の母の姿とその運命を、紫の上に重ねさせる意味合いを持っています。

まさに、《陵王》が物語を深める大切な役割を担っているんですね。

そして実は、蘭陵王の仮面を物語の重要なキーとして使った日本の作品は他にもございます。
しかも、作者や物語の登場人物ばかりではなく、蘭陵王自身の美意識をも反映するものとして…。

それでは、豪華ゲストをもう一名お招きいたしましょう。
三島由紀夫さんです。

『蘭陵王』は、1969年11月に書かれた、彼の最後の短編小説です。

当時、三島は陸上自衛隊に体験入隊していました。

演習の済んだあと、体験隊の小隊長である、京都の大学生Sが、習っている横笛を聞かせにやってきます。

Sが吹いた曲は「蘭陵王」という名曲で、その故事を思い出しながら、三島は深い感慨を受け、しばらくは言葉もありませんでした。すべてがこの横笛を聴き、蘭陵王を聴くのにふさわしい夜だったのです。



舞曲に使われる蘭陵王の面は、顎を別に紐で吊り下げ、龍を象った恐ろしい相貌で名高い。これは人も知るとおり、北斉の蘭陵王長恭が、おのれのやさしい顔を隠すために怪奇な面をつけて、五百騎を率いて出陣した故事にもとづいた曲である。

蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥じてはいなかったにちがいない。むしろ自らひそかにそれを矜っていたかもしれない。しかし戦いが、是非なく獰猛な仮面を着けることを強いたのである。

しかし又、蘭陵王はそれを少しも悲しまなかったかもしれない。或いは心ひそかに喜びとしていたかもしれない。なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかわり、それだけ彼のやさしい美しい顔は、傷一つ負わずに永遠に護られることになったからである。

本当は死がその秘密を明かすべきだったが、蘭陵王は死ななかった。却って周の大軍を、金墉城下に撃破して凱旋したのである。…



笛が、息もたえだえの瀕死の抒情と、あふれる生命の奔溢する抒情と、相反する二つのものに、等しく関わり合っているのを私は見出した。蘭陵王は出陣した。そのときこの二種の抒情の、絶対的なすがたが、奇怪な仮面の形であらわれたのであった。きりきりと引きしぼられた弓のような澄んだ絶対的抒情が。



三島由紀夫といえば、そのナルシストっぷりがこっ恥ずかしく、どうも苦手な作家ではあるのですが、その美意識はやはりさすがなものです。

自伝的作品「仮面の告白」で大ブレークしただけに、この作品も、まさかとは思うけど、蘭陵王と自分を重ねたりとか…してないよね? とか、どうしても邪念を払いのけることが出来なくて困ってしまうのですが、それでもなお、この作品に描かれた「美意識」には素直に感動を覚えます。

文庫にしてたった10ページの小品ですので、ぜひ、お読みいただきたいと思います。

ってなわけで、私の蘭陵王のイメージはこの幽玄なる三島の短編がデフォルトのため、テレビドラマで仮面のデザイン(としか、見えないんですが…)をハンコの取っ手にしちゃったり↓
s-epi_7_2.jpg

ヤンキーに踊らせてみたり、

はては太っ腹にしてみたり、

等々、等々のアレンジは実に腹に据えかねるものがあり、

正直、11話以降のホームドラマみたいな展開も内心、許しがたいものがあるのですが、この物語の本場の皆さまのなさることに、東えびすの口をはさむ資格があろう筈もなし。

って言うか、まだこのドラマの白眉、第10話のエントリー終わってないのですが、いい加減、間が空きすぎてしまったので、ここで1回、区切って記事をアップさせていただきます。

ロマンスの行方は、申し訳ないですが、また→次回にて!
posted by 銀の匙 at 23:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
銀の匙さま
昨夜、野良仕事に疲れて早寝する前にブログチェック。
な、なんと、銀さん、絶妙なる催促コメント!
銀さん、いや銀ちゃま、ありがとうございます。
御陰さまで、出るわ、出るわ、立証に継ぐ立証。
個人的には、銀の匙さんが・・・・ですと書けば、あらそうですかと思うのですが。
教訓抄や淮南子がなくてもです。
でも、あると勉強してるような気分になれますね。
ただの妄想とは違いますからね。ありがたいことです。
そして、積ん読中の谷崎源氏、初めて開きました。
本当に、嬉しいです。案外読みやすい。
しかも、絵巻の解説までありました。
一体、何年積ん読してたのかしら?これを、機会に読破できると良いのですが。
朝顔はしかたありませんが、橋姫や御法は確認できました。
若菜はなが〜いので、これからゆっくり確認いたします。
三島由紀夫の陵王ですが、これを読むのが大変なんです。
短編なために、それだけでは、本には、なり得ません。
私も、読もうとして、我が家、家捜ししました。どうやら、引っ越しのときに、捨てたらしい。
三島由紀夫=ナルシストで〜〜〜すよね。
あまり、好みではなかったようです。
で、アマゾンへ。駄目でした。皆無なんです。
次回は銀さん待望のロマンス編でしょうか?
これからの、ややこしい展開私も好みではありませんが?

Lanling Wang などとピンインを併記すると雰囲気でます。
中国語始めて、4ヶ月。無謀にも始めたなと、つくづく思います。リスニングどころか、発音もおぼつきません。
全部cha,chi,chuに聞こえるのに、cha とzha,あるいはchi,zhi,ji とqiの区別ってできるときが来るのでしょうか?
しかも無声音多し。無声音ばかり続くと、窒息?
鼻で息して、話せるのだろうか?
とか愚問を自問自答してます。バカなんです。
改めて、銀の匙さま凄いと思います。
まだ声調にまでは意識が行けません。辞書が声調の1声から
4声へと並んでいるのには、最近気づきましたけれど。
このブログの蘭陵王が続いている間は続けようかと思っております。では、次回もよろしくお願いいたします。





Posted by 深雪 at 2015年05月26日 00:33
深雪さん、こんばんは。

おぉ、野良仕事!
本当は今ごろが一番、外の仕事もはかどる時期なのに、何だか関東は暑くてしょうがありません。今日も31度を超えてて、アスファルトが溶けそうでした。

涼しいところにお住まいだったらいいんですが、どうぞ熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいね。

「蘭陵王」の記事は、元々リクエスト・ベースなので、ある程度ご要望があれば続けますが、もうドラマの放映からだいぶ過ぎちゃいましたし(って、書くのが遅いだけなんですが)、私が興味あるのは史実の方なので、ほぼフィクションになってしまう11話以降は、実はあまり興味が持てなくて。すみませんねぇ…。

三島の作品は新潮から「鍵のかかる部屋」というタイトルで出てる文庫に収録されています。590円と大変お安いので、読む本を切らしたときにでもぜひどうぞ。

『源氏物語』の現代語訳は原文の要素を漏れなく盛り込もうとしてるせいか、どうも読みづらくて…。谷崎源氏も結局読まずじまいでしたが、マンガを読んだ今なら、却って読みやすいかも…(?)

ということで、梅雨の前に夏が来ちゃいましたが、どうぞご自愛ください。
Posted by 銀の匙 at 2015年05月28日 00:38
蘭陵王入陣曲についてのさらなる詳細な解説、ありがとうございます^^
しかも今回のエントリーのために「あさきゆめみし」を全巻購入とは・・・
あたかもツルの恩返しのごとき身を削っての更新、まことにかたじけなく存じます。

それにしても、てっきりこじつけかと思った(すいません)「源氏物語」と「蘭陵王」との間に、そんな繋がりがあったとは。

「あさきゆめみし」、名作の誉れ高いマンガにもかかわらず私も最近まで読んだことがなかったのですが、去年、図書館で見かけたときに、思い切って全巻一気読みをしました。

実は学生時代に授業で「源氏物語」(のごく一部)を習ったとき、光源氏がただのマザコンの鬼畜にしか思えずはなはだ苛ついたため(すいませんすいません)、田辺聖子の小説等、関連本ふくめずっと敬遠していたのですが、このマンガくらいは一般常識として一度は押さえておかねばなるまいと思って読んだのでした。

今回のポストを読んで、「あさきゆめみし」の陵王の舞のシーンをうっすらと思い出してきました。
こうして改めてその場面の説明を読むと、まるで映画のような情景ですね。

青くさい学生の頃にはダメンズの女性遍歴物語にしか思えませんでしたが、大人になって読んでみると(と言ってもマンガだけですが)、むしろ後半の葛藤や諦念、”あわれ”や無常観こそが主題なんだろうなと思えました。
(ちなみに、「源氏物語」のなかで唯一好きだった登場人物が、槿の君でした・・・)

で、田中芳樹の方は知っていたのですが(まだ読んではいないのですが)、三島由紀夫にも「蘭陵王」という作品があったのですね!

同じく三島由紀夫は苦手で、ほとんど読んでおらず、知らなかったです・・・。
こちらも、見かけたら読んでみますね。

それと、スレ違いですが、「仮面物語」のおバカネタにおつきあいいただいて、ありがとうございました!
(後で気付いたのですが、間違えて神挙を斉国と書いちゃってますね・・・^^;)

ニュージーランドは行ってみたい国のひとつで、テカポ湖やミルフォードサウンド、フラワーフェスティバル等々、旅行の計画だけは何度か立てたことがあります(結局実現できてないですが)。
オークのお出迎え、受けてみたかったです。夢に出てきて夜うなされそうですけど。

宇文ヨウとビルボの共通点には気づきませんでした(笑)
楊堅=アラゴルン、意外に納得のオチかも?(オチかい!)

スレ違い続きですが、「いつか、また」。
見に行こうと思い切って休みを取ってたはみたものの、朝8時前に家を出て快速とバスを乗り継いで片道2時間以上かけて上映館に行くか、もしくは新幹線とバスで片道2,000円以上かけて行くか・・・と考えてたら萎えてしまいました。
近隣の映画館かスカパーでやるのを、待つことにします・・・(根性なし)。

次回はいよいよ、ロマンチック部門担当の出番のようですね。スタンバッときます^m^


P.S.
深雪さま
独学で頑張っておられる様子、本当にすごいと思います。
窒息しないように気をつけて、精進を続けてくださいませ(^^)/
Posted by 銀ちゃま at 2015年05月28日 09:07
銀さん 改め銀ちゃま?

こんばんは。

そりゃ思いますよね、また、こじつけだろ〜って。まんまとひっかかりましたね、清少納言さんまで動員して仕掛けた三十六計に…(おほほほほほ〜!)

ってNZじゃあるまいし、お客様を罠にかけて、いったい何がしたいんでしょうか…(マジ意味不明)。でも、ミルフォードサウンドとか、本当に良かったのでぜひお出かけください。
サッカーはないですが、オールブラックスはありますんで…。

私もお金がたまったら、世界一の散歩道・ミルフォードトラックを一度歩いてみたいです。

いやぁ光源氏がマザコンの鬼畜なのはデフォルトでしょう!あとがきを読むと、大和和紀先生も、どうしても好きになれなかったと正直に書いていらっしゃいました(笑)。

そうは言っても、おっしゃる通り、恋愛悲劇や因果応報譚で終わらせずに、しみじみとした「もののあはれ」に昇華したあたり、日本文学の最高峰の名に恥じない作品ですね…と、マンガを読んでようやく理解できました(爆)

三島もちょっと…全般的にはアレなんですが、『蘭陵王』は(珍しくも)本当に良かったので、機会があったらぜひご覧になってみてください。こちらは「幽玄」がしっくりくる作品です。

田中芳樹さんは…うーん、歴史小説によくある、ノベライズもの風だったらどうしよう、と思って手を出せていません…。違ってたらゴメンなさい...。

そして、「いつか、また」ですが、これがどういう訳か、観たときよりもしばらく経ってからの方が、じわじわ来る作品なんですね…。

ガソリンスタンドのシーンとか、飛行場のシーンとか、山道のシーンとか、何でもない箇所をときどきふっと思い出します。(あるいは、思いだし笑いをしてアブナイ人になってます)。

一緒に観た人は、ホントにくだらない、と当初怒ってましたが、観てからだいぶ経った今になっても、無意識に会話の中で映画のセリフを使ってるのが、聞いてるこっちは秘かにオカシイです(怒るだろうから、指摘しないけど…)

大画面で観なきゃいけない!というような大げさな作品でもないので、スカパーあたりでやってくれると良いですね。

ではでは、次回もよろしくお願いいたします!
Posted by 銀の匙 at 2015年05月29日 01:33
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