2015年06月07日

蘭陵王(テレビドラマ21/走馬看花編 第10話の5)

【ネタバレ注意!】今回のエントリーは、後半に『宮 パレス1』(《宮鎖心玉》)、『宮 パレス2』(《宮鎖珠簾》)の重大なネタバレを含んでいます(なんでまた…)。

ネタバレの内容がある箇所に入る前に注記を致しますが、これから楽しみたい方は十分ご注意ください!
飛ばして読みたい方は、注記部分に来たら、記事の一番下から戻ってご覧ください。

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皆さま、こんにちは。

ここんとこ、蒸し暑いせいか、いつもにも増してボケッとしており、先日もボケッとネットニュースを見ていたら、ディーン・フジオカさんがNHKの朝ドラに出る、という話題がヘッドラインに上がっていました。

ディーンさんといえば、台湾のテレビドラマ『王子様をオトせ!』(《就是要你愛上我》)でちょっとチャラい広告代理店の敏腕ディレクターを演じていましたっけ。

これまで、アジア圏のドラマに出てくる日本人っていうと大抵は、

兵隊だったり(泣)
アホな観光客だったり(泣)
チンギス・ハンだったり(泣)
外国語のセリフが上手くしゃべれないので寡黙な人だったり(泣)

とロクなもんじゃなかったのに(いえ、モンゴルの皆さん、チンギス・ハン自体は偉大な方です!)、ディーンさん演じるディーンは、チャラいけど心優しく仕事のデキる男!

しかも、ドラマの登場シーンで彼は、「日本人」という理由でも憧れの的になっており、そのおかげで、劇中「日本語」がカッコいい言葉として時々登場するのも、見てるこちらは大変嬉しく有り難かったものでございます。

それでいて、近づきにくい訳ではなく、仲間として溶け込んでいる、感じ良い人の役。
ディーンさん演じるディーンのおかげで、日本人の株が相当上がったことは間違いなし。

ドラマのあらすじは、
ドジっ子コピーライターだけど明るく人情派のヒロイン・亮亮(リャンリャン。おや、どっかで聞いたような設定と名前の組み合わせだこと・笑)が、クールでやり手の若社長・齋翼(チー・イー)が、事もあろうに1つ屋根の下に住むことになり、反発しながらも惹かれあう、という、これまた何だかどっかで観たような内容。

でも、作り事とはいえ、台湾の会社の様子や社員の暮らしぶりなんかも垣間見え、こういうの日本と同じだな〜とか、この辺は全然違うな〜とか、比較しながら観てると結構面白いです。

私はこのドラマ、またしても資料として観たのですが、なぜか「メイキング」「エピソード」というのが本放送と同じかそれ以上の時間数あって、観終わったらまたへとへとでした。

ドラマではどうもダサイ印象を免れない若社長役・炎亞綸(アーロン)が、メイキングで見ると何だか素敵な人に見えたのは、なぜでしょう?(疲れてたせいかな)。

立ち居振る舞いがきちんとしているし、子役の皆さま方に人気あるのも好感度高いです。

さて、ネットニュースといえば、ここのところ中国の方は、大物カップル、ウィリアム・フォン(馮紹峰)とニー・ニー(倪妮)の破局の話題で持ちきりでしたね…。

プライベートなことなので、詳細は報道されていませんし、詮索するような事柄でもないですが、2人ともあのペースで仕事してたら、結婚したとしても、「たまに会う」程度で、一緒に生活するってとこまで行かないんじゃないでしょうか。

今日はモンゴル、明日は横店、売れっ子俳優も楽じゃないですよね。

戦場から戦場をわたり歩いて明日をも知れない身、とは、雪舞のおばあ様が蘭陵王(らんりょうおう/Lanling Wang)=高長恭(こう ちょうきょう/Gao Changgong)=四爺(スーイエ/Si Ye)を評して、婿として不適格!という理由として述べたうちの一つですが、演じてる御方だって、状況としては、さほど変わらないかも…。

と、話題が出張先からドラマに戻ったところで、参りましょう、第10話の5

前回のお話はこちら(→第10話の4)です。



さて、宇文邕(うぶん よう/Yuweng Yong)率いる周の大軍を何とか退けた、斉の副都・洛陽(らくよう/Luoyang)では戦勝の祝賀会が行われています。

皇太子・高緯(こう い/Gao Wei)は、従兄の蘭陵王が、兵士が《蘭陵王入陣曲》(→第10話の3第10話の4)という踊りまで作って慕っているのを目のあたりにし、内心不快ながらも、その働きをねぎらいます。

この場面の皇太子役、ロナルド・チャイの演技は本当に素晴らしい。

“只不過四哥 正如曲中所說 你只帶了區區
五百騎 這麼深入敵營 實在是讓人擔心哪
這樣萬一有什麼閃失 恐怕追悔莫及呀”

(しかし四兄、曲でも歌っているように、
たった500騎で敵陣深くまで入りこむなど、
まこと肝が冷える思いであったぞ。
思いがけぬ危険が及べば 悔いても遅いではないか) 


ここで高緯が「曲」と言っているのは、兵士たちが披露した《蘭陵王入陣曲》のこと。とすると、祝賀会のテレビ中継ではカットされてしまいましたが、歌もあったのですね。

それに蘭陵王はこう答えます。

“太子 國即是家 長恭定當全力以赴
自然不會考慮這麼多”


(皇太子殿下、国とはすなわち家です。
長恭は当然のこととして、全力を尽くしたまで、
あれこれと考える余地はございませんでした)


ここのやりとりは、口語風に直されていますが、ほぼ史書の記述通りです。
→史実編
「入陣太深,失利悔無所及。」
「敵の陣地深くに入りすぎだ。危うくなったら後悔しても間に合わないではないか」

對曰:「家事親切,不覺遂然。」
「自分にとって大切な家の大事です。考えるまでもなく飛び込んでしまいました」と答えた。

史実では、このやりとりが悲劇の引き金となるのですが、なぜ、

“国事”(国の大事)

“家事”(家の大事)
と言ってはダメなのでしょうか。世界は一家、人類は皆兄弟なのに…。

そう思うのは権力とは縁のない視聴者だけで、国政を左右する人の考えはまた違うようです。国を私物と思っていいのは皇帝だけ!従兄といえども、皇位に関係ない四爺がそんな事を言い出すのは、国をわがものと思っている証拠と見られるため、絶対に口にしてはならないセリフだったのです…。

早速、この失言を皇太子の側近・祖珽〈そ てい/Zu Ting〉にツッコまれますが、口下手な蘭陵王にしゃべらせたら、またどんなマズイ失言があるか分からない、と思ったのか、四爺を差し置いて雪舞が口を出します。

とうとうとまくし立てる雪舞に、祖珽が
“雪舞姑娘 你這是欲蓋彌彰吧”
(雪舞どのは、かばい立てしようでもいうおつもりか) 
というのが火に油を注いだのか、雪舞はついうっかり、

“雪舞雖然不是與四爺門當戶對,但好歹時女媧面前 明媒正娶的妾 夫唱婦隨是很正常的呀”
(雪舞は四爺と釣りあう家柄ではございませんが、ともかくも女媧さまの前で正式に婚礼を挙げた身、夫の言に従うのは当たり前ではございませんか)と言ってしまいます。

このセリフを言ってるときの蘭陵王の嬉しそうな顔を見てください…。

勢いが止まらなくなってしまったのか、雪舞は、祖珽は“弄臣”(佞臣) で、太子と四爺の“離間”を目論んでいる、などと要らないことまで言ってしまいます。

って言うか、蘭陵王の失言もまずかったですが、雪舞と来たら、かばうつもりがダメ押ししてどうする?!

さすが夫唱婦随

言い募ったあとに、雪舞は我に返ったのか、あちゃ〜という表情をしてますが、その様子を見ている四爺の表情が結構面白いですね。

太子は、この場は謝罪を受け入れて、戻って飲み直そう、と大人の対応です。

一方、雪舞は部屋に下がると、鏡の中の自分を叱ります。しかし、言ってしまったことは取り消せません。分かるわ、この、つい調子に乗り過ぎちゃったときのバツの悪いこと…。

そこへやってきて、雪舞にからむ祖珽。雪舞は必死に謝りますが、酔った勢いで祖珽も言いたい放題です。あわやというところで、現れた四爺は、“妖女”などという一言を投げつけて退散しようとする祖珽を狙い、雪舞からかんざしを一本抜いて投げます。

これは第2話で四爺が、第3話で暁冬が見せた“飛石”という武芸の応用編ですね。(説明は→第3話

かんざしは見事、お尻に命中。四爺は、転んだ祖珽をからかって、

「これはこれはみっともない。少々飲み過ぎですぞ。何ともぶざまななりだ。気をつけてお帰りください。またつまずかぬよう。」 

って、日本語はそれなりに身分の高い人っぽいセリフになっていますが、中国語は脚本からしてあんた誰、って感じ。

“哎呀,太卜大人 您真的是喝多了 怎麼摔了個狗吃屎啊
以後走路小心點 千萬別再摔了”


(あいや、太卜どの、飲み過ぎでいらっしゃいますよ。何だってフンを喰らう犬のように、よつん這いに倒れていらっしゃるのです。歩くときは気を付けて、二度と転ばぬようになさることですな) 

祖珽に向かって何てことを。まさかあなたも飲み過ぎじゃないんですか?

いやいや、雪舞のこととなると、途端に冷静さを失う四爺にも困ったものです。
証拠のかんざしがお尻に刺さったまま逃がしちゃって、良いものかしら...?

この後のシーン、吹き替えの訳が大変上手いので、そちらでご覧いただきましょう。
( )内はほぼ直訳です。

「何ゆえ あなたまで」 
“你為什麼要這樣”
(何だってこんな…) 

「君を侮辱した。黙っていろというのか。」 
“他欺負你啊 難道你要我袖手旁觀嗎”
(君にちょっかいを出したんだぞ。私に手を束ねていろというのか) 

「頼んでないわ!私のことは良いの。」 
“我不要你救我 我寧願被那祖珽欺負”
(あなたに助けて欲しくなんかない 別に祖珽に侮辱されても構わないわ) 

「私をかばったりしないで!」
“我也不要你替我說話 為我出氣”
(あなたに言い返させたり 仕返ししたりして欲しくないのよ)

「あなたを巻き添えにしたくないの!」
“我不要你為我惹禍上身啊”
(私のために、あなたの身の上に災いがふりかかって欲しくないの)

3回も“不要”(して欲しくない)と厳しく拒絶されたので、四爺は相当しょんぼりして、

“你別生氣了”(怒らないで)

と言います。

あらまあこの二人、ここは完璧に現代劇の芝居になっちゃってる…

しかもこの男性、どう見ても高長恭じゃないんですけど…。

この表情、いったい誰なんだ...とずっとモヤモヤしてたんですけど、今年の年頭に『宮〜パレス』(《宮鎖心玉》)を観たら、やっと分かりましたよ。

ねぇ、“八阿哥”(第八皇子/Bā Àge)?



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ここ以降、『宮』シリーズのラストに関係する、重大なネタバレがございますので、まだご覧になってない方は閲覧にご注意くださいませ…。

ネタバレが終わる箇所にも注記してございますので、飛ばしてご覧になりたい方はいったん文末までスクロールし、注記箇所の直後へ戻ってご覧ください。

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『宮』は現代女性の洛晴川(らく せいせん/Luo Qingchuan。ヤン・ミーが演じた)が康熙(Kangxi)帝末期の清朝へタイムスリップしてしまうお話。宮廷(紫禁城)で宮女として仕えることになった彼女を巡る、康熙帝の“阿哥àge”たち(“阿哥”は満州語で「皇子」のこと)の争奪戦がストーリーの中心になってます。

ウィリアム・フォンは康熙帝の第八番目の皇子、“八阿哥”(バーアァグ/Bā Àge)を演じています。彼の役どころは、まさに『花より男子』の道明寺司(どうみょうじ つかさ)。

皇子の身分をかさに着て、一見、やりたい放題のわがままな乱暴者ですが、思い込んだら一途なところがあり、最初は反目していた晴川を見初めてからは、とにかく強引に押しまくるという、道明寺そのもののキャラ。

かなりの部分がそういうラブコメテイストなので、辮髪〈べんぱつ〉と衣装に騙されてるけど、ウィリアム・フォンの演技はかなり現代劇っぽいとき多いですよね。

だから、共演したヒロイン役のヤン・ミーに「韓流?」って鼻で嗤われてた訳ですけど(→ヤン・ミーご本人による告発はこちらのインタビュー番組《超級訪問》から)。

そして、続編の《宮鎖珠簾》(『宮2』)を観ると、さらなる衝撃が…。
もうこの際なんで、ラストシーンのネタバレを書いちゃいますけど(《宮》のエントリーじゃないから。はははは)、『宮 1』を観た直後は、やっぱり中国の一般庶民にウケたければ、こういうハッピーエンドじゃないとダメよね…と思ったもんです。

しかし、よく考えたら、あれはハッピーエンドなのか?

晴川を巡って争っていた皇子のうち、第四皇子(ミッキー・ホーが演じた)が即位すると、恋に加えて権力争いのライバルでもあった第八皇子は、厳しい立場に立たされます。
これは史実通り。

自分を巡って2人が争わないようにと、晴川は現代に戻るのですが、彼女が去ったあと、結局、第八皇子は罪人として監禁される身分となり、名前も“阿其那āqínà”と改名させられる。
これも史実通り。

彼は監禁先でひどい扱いを受け、ついには亡くなってしまう訳ですが、ドラマのラストでは、彼も現代にタイムスリップして生き延びることになります。

ちなみに、魯迅先生によると、“阿其那”とは満洲語で「豚」という意味らしい。

魯迅先生のエッセイ《抄靶子》には、まさに『宮 1』の最終回のシーン、雍正帝が兄弟を除く前に、まず“阿其那”“塞思K”に改名させた、という話が出てきます。

でも、魯迅先生もエッセイに書いている通り、この2つの満州語の意味が何なのかは、実はよく分かっていないそうです。何と現代では、満州語自体が消滅の危機に瀕しているので…。

エッセイで魯迅先生は、執筆当時、列強の支配下にあった上海で、征服者の手先となっている上海人を例の皮肉たっぷりの筆致で描いています。

タイトルの《抄靶子》とは、今でいう、「職務質問」や「持ち物検査」にあたるのですが、それを上海では「標的を探す」と称する、という話になっています。

彼らは同胞を人間ではなく“靶子”(標的)と呼ぶのだ。

中国では人道を重視しているので、人間を害したりはしない。害されるのは「人間」ではないのだから。…満州人も中国で統治者になるや、たちまちその立派な習俗に感化された。雍正帝は兄弟を除く前に、まず彼らを“阿其那”“塞思K”に改名させた。満州語はよく分からないが、恐らく「豚」「犬」の意味だろう...

えっと、話がずれましたが、いくら清朝の次は中華民国とはいえ、300年の間の文化の差は大きいので(そもそも、中華民国からは漢人が天下取ってるし)、庶民の晴川が300年前の清朝に行くのに比べて、皇族の“八阿哥”が現代に来る方が絶対、慣れなくて困ると思う。それにあの、庶民を人とは思ってない性格、苦労しそうよね…。

だいたい“戶口”(戸籍)だってないのに、現代中国でどうすんだろ。ま、お話だし、私がそんなこと心配しなくてもいいか…。

って思いながら、続編の『宮 2』を観たらビックリ仰天。

ヤン・ミーは続編の第1話、36話、37話(最終回)に、ウィリアム・フォンは第1話、37話に出てきますが、第1話の冒頭は、紫禁城のテラスで、いきなり雍正帝(ようせいてい:元の第四皇子)と第八皇子が、晴川を巡って争う場面から始まります。

このシーンのウィリアム・フォンは、どうしちゃったのかと思うほどカッコいいんですけど(一瞬ね)、次のシーンがスゴすぎる。

実はこの場面は現代に戻った晴川の夢(おいおい)、もしくは彼女が書いてる脚本のワンシーン。

今や押しも押されもせぬ大シナリオライター兼アクトレスになった晴川は、広くはあるがかなり趣味悪いインテリアの自宅で、仕事をしながら寝てしまったらしい。

そこへ彼女を気遣う、夫の「第八皇子」が現れるんですけど!

このビジュアル、辮髪より笑えるわ〜!(お腹痛い)

10年後に《超級訪問》(まだやってたら)にまた出演して、このシーンを見せられたら、ご本人様ですら失神間違いなし(武士の情けで画像は割愛)。

あ〜それはともかく、晴川は働いてるけど、仕事に出かける彼女を見送ってる第八皇子は何してるんだろ。
どうも何もしてないように見えますが…。

タイムスリップしても年齢は変わらないんだとすると、40代のはずですが(ま、ご本人様の実年齢相当)、書道や中国画、歌(この作品も張震さんが吹き替えてますが、歌だけはご本人の声みたい)に踊りに民族楽器、武術に馬術もできる上に、本物の清朝の人なんだから(??)、時代劇の役者さんにピッタリなんじゃない?

晴川の実家は骨董品屋さんなんだから、むかし、おうち(紫禁城)で使ってた食器の鑑定の仕事なんてバッチリ出来そうだし、何しろ彼が作品を書けば、大清国の廉親王・胤禩本人の真筆なんだから高く売れそうなものなのに…。

何だか、こう考えると蘭陵王より芸術方面のスキルがある分、上の気がするけど、現代男子に必須の「女子力スキル」に全く欠けているのが、敗因(何の?)なのでしょうか。

いや、就職あっせんの話はどうでもいいんだった。

問題は、北京に住んでるくせに何で浙江ナンバーの車で晴川を迎えに来るのか!

ってことではなく(晴川が仕事してるロケ地が浙江省で、第八皇子はわざわざ飛行機でやって来て、空港でレンタカー借りたのかも知れないしね。レンタカーで“標致biāozhì”(プジョー)ってスゴイけどさ)、

いきなり“電腦”(パソコン)とか、“趕飛機”(フライトに遅れるよ)とかってセリフをさらりと言っちゃうことでもなく、

セリフを言ってるあなた様は一体誰なの?

全然、第八皇子には見えませんよ?

ずいぶん適応能力が高いのねぇ…と視聴者は疑っておりますが、そういや、彼の母親は現代人だったんですよね。とはいえ、古代で生活してたことしかないんだし、いくらなんでもウィリアム・フォンだって、なりは現代風でも人物としては第八皇子だと分かって演技をしているはず。

と思って、もう一回よく見ると、確かに第八皇子の時も、ときどきこんな表情してましたっけね。
ただ単に髪型が辮髪だっただけで。

だからもう、次のシーンに出てる人なんて誰だかよく分かんないけど、髪型が四爺だから四爺なんでしょうよ(投げている)。



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《宮》のネタバレは以上です(いったい何の意味が…)。



さて、誰だかわかりませんが蘭陵王の装束をしている男性は、雪舞の脇に回り込んで必死に訴えています。

“你要是不在意我 你怎麼可能為了我 只身潛入周國一身試毒
只為了替我取解藥 你怎麼可能讓我相信 你對我沒有感情呢”

(もし私のことなど慕ってもいないのなら、
どうして、たった独り周に赴き、
毒を飲むなどということができるんだ。
私の解毒薬を手に入れるためだけに。
どうやって信じろと言うんだ 
私のことを何とも思っていないなどと)


って…暁冬の事は無視ですか?

“你到底在怕什麼”
(いったい何をそんなに気にしている)

聞かれて雪舞は答えます。

“四爺 你相信我奶奶 能夠看見過去 也見得著未來嗎?”
(四爺、あなたは信じる? 私のおばあ様は過去も未来も見透せるということを)

四爺は、無言で頷いてます。

“那如果奶奶說 我倆並無緣份 你也仍然相信嗎?”
(じゃ、もしおばあ様が私たちには縁がないのだと言ったら、それも信じる?)

この後が細かい芝居なのですが、四爺は下を向いて、一回、ちょっと首を横に振って、それでまた頷いてますね。

四爺としては、話は信じるつもりがないけど、ここで「信じない」と言えば、それは「おばあ様を信じない」という意味になり、雪舞を傷つけると気づいたので、慌てて頷いたものと思われます。

これを、話が通じたしるしと受け取ったのか、雪舞は言いつのります。

「世の中には大勢の女性がいるわ。私は運命の相手ではないの。
もう私にこだわらないで。」


日本語の方は、日本の視聴者に合わせて上手く訳していますが、元の中国語では典拠のある、ちょっとひねった表現になっています。

“弱水三千 你偏偏只取一瓢飲
我既不是你命中注定的那個女人
你何苦對雪舞苦苦糾纏嘛”

(弱水は三千里もあるのに 
あなたはその中のひと掬いの水しか飲まないと言うの?
私はあなたの運命の女人ではないのよ。
なぜわざわざ雪舞にこだわるの)


これはこれは、後の展開を暗示する、実に上手い言い回しを持ってきましたね…。

セリフの冒頭は、中国古典でもっとも有名なラブストーリー《紅楼夢》(こうろうむ/Hongloumeng)から取られたものと思われます。

《紅楼夢》は、《西遊記》《水滸伝》《三国志演義》と並んで中国四大小説に数えられる古典なのですが、他の3つに比べると日本での知名度はどうもイマイチな印象。

ストーリー運びの面白さが身上の他の3作と違って、大貴族の邸宅を舞台にしたセリフ中心のお話なので、退屈してしまうのでしょうか…。

ただ、有名な古典だけに、物語自体の映画化、ドラマ化はもちろんのこと、登場する固有名詞やエピソード、ちょっとした言い回しなどが現代のドラマや小説、映画、ポップスなど、あらゆるジャンルで引用されており、もとの《紅楼夢》と重ね合わせると、解釈が深みを増すしくみとなっております。

前回は『源氏』で引っ張って、今度は《紅楼夢》なの…?とうんざりする向きもおられましょうが、本ドラマも「いちおう」ラブストーリーなので、同ジャンルの傑作に敬意を表して、ちょっと寄り道してみることに致しましょう。

本編の始まる前に、まずプロローグがあります。

その昔、神々が戦い、天空に開いた穴を、“女媧”〈じょか〉さまが石で繕いました。しかし、一つだけ補修に使われなかった石が嘆いていたところ、道士と僧侶が通りかかります。石は彼らに頼み、人間世界に連れていってもらいます。

一方、天上界で働いていた“神瑛侍者”〈しんえいじしゃ〉は、人間世界に興味を抱いて下りてゆき、彼が毎日、甘露をかけて世話をしたために人間になれた“絳珠草”〈こうじゅそう〉も、恩返しのために後を追います。

神瑛侍者は女媧の石を口に含んで賈宝玉〈か ほうぎょく〉という男子として転生し、絳珠草は林黛玉〈りん たいぎょく〉という女子として転生しました。

ここから本編となり、宝玉はやがて、豪華な庭園・大観園の中に、金陵十二釵〈きんりょうじゅうにさ〉と称えられる、黛玉はじめ12人の美女たちと暮らすことになります。ちなみに、金陵とは南京の古名。南京の12大美女、ってなところですね。

宝玉と黛玉は素直になれないながらも、互いに惹かれあう仲でしたが、実は天上に居た時点から、宝玉にはすでに薛宝釵〈せつ ほうさ〉という女性を娶るという運命が決まっていました。

黛玉は儚げな美少女ではありましたが嫉妬心が強く、いつも自分の運命を悲観しており、宝玉が宝釵を娶ったときに亡くなります。宝玉も、黛玉だとばかり思っていた花嫁が宝釵だったと知り、後に出奔してしまいます...。

女媧さまと言い、運命の女性と言い、何かどっかで聞いたことのある組み合わせ。しかもほら、件のニー・ニー(倪妮)さんがブレイクしたのは、チャン・イーモウ(張芸謀)監督の映画《金陵十三釵》に出演したからってオマケもついてます。このタイトル、もちろん《紅楼夢》から取ったのでしょう。物語の舞台は大戦中の南京ですが…。

で、さきほどの雪舞のセリフは第91回に出てきます。
まずは原文で読んでみましょう。清代の小説なので、古文というより、かなり現代語に近いです。

黛玉道:
「寶姐姐和你好,你怎麼樣?
 寶姐姐不和你好,你怎麼樣?

 寶姐姐前兒和你好,如今不和你好,你怎麼樣?
 今兒和你好,後來不和你好,你怎麼樣?

 你和她好,她偏不和你好,你怎麼樣?
 你不和她好,她偏要和你好,你怎麼樣?」

寶玉呆了半晌,忽然大笑道:
「任憑弱水三千,我只取一瓢飲。」

黛玉道:
「瓢之漂水,奈何?」

寶玉道:
「非瓢漂水,水自流,瓢自漂耳。」


現代語の読める人なら、だいたい意味は取れると思いますが、
中国古典大系(平凡社)伊藤漱平先生の訳で見てみましょう。

得たりと黛玉、こう言いました。
「宝釵 なんじと好〈よ〉ければ、なんじ 作麼生〈そもさん〉?
 宝釵 なんじと好からざれば、なんじ 作麼生?
 宝釵 先般はなんじと好く、いまなんじと好からざれば、なんじ 作麼生?
 今日なんじと好く、向後〈きょうこう〉なんじと好からざれば なんじ 作麼生?
 なんじ かれと好からんと欲すとも、かれ偏〈ひと〉えになんじと好からじと欲せば、なんじ 作麼生?
 なんじ かれと好からざらんと欲すとも、かれ偏えになんじと好からんと欲せば、なんじ 作麼生?」

宝玉はしばし茫然としていましたが、突如、からからと笑いだし、
「よしえやし 弱水 三千なりとも、われはただ 一瓢の 飲をとりなむ」
「瓢の水に漂いなば、いかにせむ?」
「瓢の水に漂うにあらず。水はおのずと流れ、瓢はおのずと漂うのみ」


うっ、すいません。新訳が手元になくて…。結構難しい日本語ですね。
これは、二人の会話が禅問答の真似っこになっているので、わざとそれっぽく訳しているのかと思います。もっと平たく直してみると…。

黛玉は言います。
「宝釵姉さまがあなたの事好きなら、どうするの?
 宝釵姉さまがあなたの事嫌いなら、どうするの?
 
 前はあなたと仲良くしたかったみたいだけど、
 今はそうでもない。だったらどう?
 今はあなたと仲が良いけど、この先そうじゃない。だったらどう?

 あなたは仲良くしたいけど、あちらは絶対お断り。それならどう?
 あなたがすげなくしても、あちらはどうしても仲良くしたい。それならどう?」
 
宝玉はしばし茫然としていましたが、突然爆笑して言うには、
「弱水が三千里だと言ったって、ぼくは瓢箪のひしゃく一杯分の水しか飲まないよ」

「じゃあ、ひしゃくが河に流されちゃったら?」
「ひしゃくが河に流されるんじゃないよ。河は自分で流れるし、ひしゃくは自分で漂うのさ」


弱水というのは、《西遊記》にも出てきますが、果てしなく広く、その水は弱くて、ガチョウの羽根さえ浮かないと言われる伝説上の難所です。

ここで宝玉が言っているのは、広い広い河の中でも、自分が飲むのはその1杯だけ、つまり、女性がどんなにたくさんいようと、自分が想う人は1人だ、ということです。

この話を逆手に取って、そんなムチャクチャ言うもんじゃないわ…と、雪舞は説得にかかってるわけですね。運命の人は他にいる、というのも《紅楼夢》のストーリーと巧みに被ってます。

ただ、元ネタが清代だから、ちょっとタイムスリップ気味ではありますが、でも他の武侠小説なんかにも出てくるセリフらしいし、第八皇子の“電脳”よりはマシか。

ここで四爺はちょっと考えます。
いえ、“電脳”って何だろ?ということではなく、どんな恐ろしい話を聞かされるかと思えばこんな事か、と割合軽く考えてるに違いありません。

この後の発言を聞けば分かる通り、彼は運命だとか占いだとかを心の底では信じていないのです。

と言って言い過ぎなら、信じたとしてもそれほど重要だとは思っていないのでしょう。

それに雪舞は、彼のことを何とも思っていないだとか、他に好きな人がいるとか、言わなかったですもんね。これを脈があると思わないでどう思えと…。

“本王就知道”
(私が知っているのは)
さあ、ここで伝家の宝刀、“本王”を抜いてきましたね。

“如果今天讓你走了 本王定會相思成疾終身遺憾
這是我預料到的未來”

(もしもいま君を手放したら、思い余って病に倒れ、一生後悔することになるだろう。それが私の予測する未来だ)

吹き替えはなかなか良い感じで、

「私には分かる いま君を手放したら一生後悔して過ごすことになると。
それだけは確かなのだ」


と言ってじっと雪舞を見ています。ここまで何度もあっさり引き下がってきた四爺ですが、今回は必死です。何しろ、手放したら敵の皇帝に持っていかれちゃうかも知れないんですから。皇帝と彼を比べただけで壁ドンだったのに、そんなこと、絶対に我慢できっこありません(あ〜怖)

しかし雪舞は、宇文邕同様、四爺も、さっぱりおばあ様の力が分かっていないと感じていることでしょう。「それが私の予測する未来」だなんて、巫族の予言を何だと思ってるのでしょうか。

そこで、事の重要性を認識してもらおうと思ったのか、雪舞は一番言いたくないことを口にします。

実は以前(→第5話)、酔っぱらってすでに暴露してしまったのですが、本人は覚えていないでしょう(四爺にも、はっきりとは聞こえてなかった模様)。

で、雪舞は

「この後「鄭」という苗字の女性が現れる、その人こそあなたのただ1人の妻なのよ」

ってなことを、さも重大そうに宣言してるのですが、四爺は聞いちゃぁいません。っていうか、ほとんど呆れたような表情をしています。

この発言を聞いて、雪舞の絶望とは裏腹に、四爺は、雪舞は絶対本心では自分が好きなのだと確信したに違いありません。だって予言のせいだから諦めてくれ、という事はイコール、自分の意思ではない、って言ってるに等しいですもんね。

今や彼のライバルは宇文邕じゃなくて、彼自身は実はどうでもいいと思っている「おばあ様の予言」なのです。

それでも四爺は宇文邕とはアプローチが違います(さすがは中国史でも名うてのプレイボーイの血を引くだけはある)。

「予言など信じない!」と言い捨てて終了、の陛下とは違って、いちおう全否定は避け、「『もし』鄭という人が現れなかったら?」と条件闘争に切り替えます。

それを聞いた雪舞は、

ダメだこの人、やっぱり話が通じてない

…と呆れ顔です。

四爺は、信じてはいないけどいちおう聞いてる証として、「予言が当たったら私は諦めるけど、当たらなかったら永遠に側にいると約束して」という方向へ話を持っていこうとします。

そして、賭け事大好きだったこの時代の人らしく(→第10話の2)、

“好 咱們要賭就賭大點”
(よろしい、どうせ賭けをするなら大きく賭けよう)

と言い出します。

中国では、「私」というときは胸の真ん中を指すんですね。ここでは左手で指しています。このドラマ、画面に向かって左に立っている人が、左手でジェスチャーをするシーンが多いですね。利き手に関係なく、どっちの手で指してもいい、ということなのか、カメラ側(視聴者側)に手を出すと画面の絵づらとして邪魔だから演出としてこうしてるのかは良く分かりません。

さて、四爺はここで例の「斉の法律では皇族を騙したら重罪」(→第7話の3)というのを持ち出しますが、前にも申しました通り、こんな法律ちゃんと施行したら、高一族で生き残れる人いないって。

当然雪舞は、そんな賭けには乗れない、村に帰る、と言います。すると四爺は、

“如果本王要你留下呢?”

ここのとこずっと自称は“我”だったのが、ここでまた“本王”にスイッチしました。

こんなにエライ人が、あなたに残れと言ってるんです。

そんなこと言われたって、と雪舞は振り返り、反駁しようとします。

“我...”(わたしは…)

ここの日本語のタイミングは最高に上手いっすね。

「私は村に戻りたいの。」
「私が留まれと言ったら?」(ここは原文通り、一種の命令ですね)
「私は…」
 と言いさして、雪舞が振り向くと、なんと蘭陵王が泣いている…。
「頼むから」(の後のこのタメが絶妙すぎる)「私のそばにいてくれ」

ここの箇所、原語はさらに断りづらく、

“本王求你 為我留下來吧”
(あなたにお願いする 私のために残ってくれないか)

後半部分はお願いというより哀訴です。

こんなにエライ人が、あなたにお願いしてるんです。
私のためと思って残って欲しいと…

お願いされると断れない雪舞 しかも四爺泣いてるし。

洛陽郊外の夜にされた話を思い出したら、ここで四爺を置き去りにすることは到底できないと雪舞は思ったことでしょう。ただ、

“好”(いいわ)

と、いやにあっさり前言を覆したときのアリエルは、全く四爺を見ません。
分かりますね、彼女が何を考えてるか。

“我答應你 但是只要那個鄭妃一出現,請四爺言出必行 立刻放我走”

「残るわ。ただし、鄭妃が現れたときは 必ず約束を守って 私を行かせてね」

言われた四爺の、この決めゼリフ。

“一言為定”
「約束は守る」

出ました四爺の得意技・「必ず」守る。確信犯(誤用の方)だわ。ダメだ、こりゃ。

この後雪舞は、皇太子と祖珽の事に触れて、おばあ様の予言では…と四爺に忠告を与えようとしますが、四爺は彼女の言葉を遮ってしまいます。

“我不怕 不管未來怎樣 本王只看眼前
本王只求問心無愧”

「大丈夫だ。未来はどうあれ、私は今しか見ない。
ただ己に正直に生きるのみ」


ご覧のとおり、ここまでは主語が“本王”なので、そういう立場の人間としてしゃべっています。

最後の一言は、日本語吹き替えでは前の格調高さを守るためか、

「何も恐れるな」

と言っていますが、実は原語では突然、くだけた間柄の口調になっています。

つまり最後の一言だけは、「高長恭」が直接、雪舞に話しかけているトーンになっているんですね。

“不要擔心了”
(心配しないで)

いいえ、四爺、少しは心配した方が良いのでは…とおおかたの視聴者が思う通りになるのか、続きはまた回を改めて!

ドラマはこの第10話で1つの区切りとなり、また別のステージへと進みます。ってことで、次回第11話は、これまでとは少し趣向を変えてお届けいたします。

今回の一言はこちら、

“一言為定” YĪ yán wéi dìng

約束は守る、と行きますかどうか、とりあえず、また次回お会いいたしましょう!(第11話は→こちら
posted by 銀の匙 at 02:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はようございます!
今回のポスト、めちゃめちゃ面白かったのに、面白かった分だけ書きたいコメントが多くて、逆に時間がかかってしまいました(>_<)

ディーン・フジオカという俳優さん、不勉強にして存じ上げず、お名前だけ見た時ふとミッキー・カーチスを連想してしまったのですが(なぜ!!!)、お若い方だったのですね、失礼^^;

それにしても、日本人がチンギス・ハンを演じるって、とても不思議な感じがするのですが・・・源義経=チンギス・ハン説とは別に関係ないんですよね?^^;

で・・・
待ってましたロマンティック部門!
しかも今回は「宮 パレス」ネタまで^^

私も、特に12話・17話・18話あたりの蘭陵王がほとんど別人のようにキャラが違うのがちょっと不思議だったのですが、今年に入って「宮〜パレス」を見て、「あー、これか!」と思いました。
蘭陵王、ときどき八阿哥に憑依されるというか、先祖返り・・あ、先祖じゃなくて子孫返り(なんじゃそりゃ)しますよね^m^

ちなみに「宮〜パレス2」は、第1話と最終話だけ見ましたが・・・ほとんど、つっこむところしかないような(笑)。

現代に来ちゃって、戸籍どうすんの?という現実的な部分には目をつぶったものの、どうして車の免許は取れたの?
ていうか免許取れるなら仕事できるだろー!
確かに生活力はなさそうだけど、あれじゃヒモですよね^^;;;

ということで、「宮」についてはこのへんで置いといて・・・

「蘭陵王入陣曲」のあとの高緯と雪舞のやり取りの時の蘭陵王の表情、面白いですよね。
しゃべっているのは雪舞なのに、いつも雪舞より蘭陵王に注目してしまいます。

「蘭陵王入陣曲」、歌の部分も撮影されていたんですかね〜。
このドラマ、どれだけ未収録部分があるんだろう・・・。見られないのがとっても残念です。

高緯の演技はこのへんから凄みを増してきますね。ちょっとイッチャッてる感じが何とも怖くて。
いい俳優だなあと思います。

そしてそして、またまた原語の解説、ありがとうございます!!
このシーンでも、「我」と「本王」を使い分けているんですね。
ソティ(こう書くと妙にカワイイのがイヤですが。笑)に投げつけた嘲りの言葉、あんなにくだけた言葉だったとは。
さすが庶民派(笑)

雪舞のセリフの解説もありがとうございます。
「紅楼夢」がベースなのか・・・
こんな風にあちこちで悲恋を匂わせてあって、中国語ネイティブの方々には事前に覚悟ができる仕掛けになっているのですね。

おばあ様の予言を盾に自分をこばもうとする雪舞への態度、いつも自分よりも相手を思いやる蘭陵王の人柄と、でも今回だけは譲るわけにはいかないという雪舞への想いの両方が表れていて好きです^^
無私無欲で生きてきた蘭陵王が初めて抱いた「欲」だったかもしれませんね。

またまた長くなってしまいましたが、新装開店?の11話以降も楽しみにしています!!


P.S.
”ドジっ子コピーライターだけど明るく人情派の亮亮”、ウケました^m^
Posted by 銀 at 2015年06月11日 08:55
銀の匙さま

今回も秀作ありがとうございます。銀の匙さまの手元に蘭陵王百科全集があるかのように、すらすらと紅楼夢とのリンクなど、説明してあり驚嘆です。中学生の頃、図書室に紅楼夢、水滸伝、西遊記が1冊になった本があり、紅楼夢のタイトルが不思議でした。ドラマは途中で、挫折。
そんなに有名な小説なんですね。
確かに栄枯盛衰はドラマになるのですよね。

コメント書く前に例の別れ話のニュースをチェック。やっとこさ1本、字幕付きをみつけ。あら、原因言ってるじゃないと思って、見ていると、その後にわからないと言ってるんですね。時間かかり、コメントもおそくなり、ごめんなさい。

西澤治彦著『中国食事文化の研究』大和和紀著現代版源氏物語絵巻、ビギナーズクラシック源氏を購入。読むのに時間かかりそうで、レンタルでは間に合いそうもなかったもので。積ん読中がどんどん増加中!
えらいことになってます。

一言為定です。続く限り、溺れながら、楽しむつもりです。

N◎Kのテキスト『テレビで中国語』売り切れてたんです。
壇◎つ効果でしょうか。深夜11時に何度も素敵な笑顔が見られて、勉強にもなる。他のテキストは山積みでした。
新装開店の次回楽しみにしております。本当にありがとう。
Posted by 深雪 at 2015年06月12日 00:39
銀さん、おはようございます。

さすがロマンティック部門ご担当、お忙しい中、気合いのこもった^^コメントを頂き感謝感激です。

そういや、いましたね、ミッキー・カーチス!言われてみれば、ビジュアルもなんとなく似てるかも、と思って、wikiを見たら、何だかすさまじい経歴の方ですね。登場する関係者全員、お名前が漢字とカタカナ交じり。

ディーンさんはお父さんが中国系、お母さんが日本系でたぶん英語の名前は英文名ってやつなのでしょうが、カーチスさんはご両親とも日本+イギリス。戦前は上海の共同租界で暮らしてたって、どんな生活だったんだろう…。

日本の時代劇でウィリアム・フォンが義経を演じたら、は? ってなりそうですが(面白い企画だとは思うけど)、モンゴルの映画界的には、浅野さんがチンギス・ハンでも特に問題ないんでしょうか…。

それから、黄泉がえり…じゃないや、子孫がえりですが、なるほど、あれは「憑依」だったのですね。取りつかれてるんじゃ、本人のせいじゃないからしょうがないか。

ごくたまにですが、あれっ、この演技どうなの?と思うことがあるけど、あれもきっと野菜(大根など)に憑依されてるんだろうなぁ…願わくば、今後サモ・ハン・キンポーあたりに取りつかれないように(以下略)

いかにも女子力皆無な八阿哥ですが、芸術関係のスキルはなかなか高いとみました。劇中劇のシーンで歌ってる声は、吹き替えじゃなくて、たぶんご本人様ですよね。それに、彼が書けば絶対真筆なんだから、「にんげんだもの」とか「カボチャの絵」とか書いて、ヒロインの骨董屋で売ればいいのに。

さて、蘭陵王の表情ですが、雪舞が話してる間は割と雪舞を見てますよね。礼儀的にはあれでいいんだろうか…。ソティを見てもしょうがないということは分かりますが…。

でも確かに、カタカナでソティって書くと小粋(?)な感じですね。

ポーク・ソティ。

「ラヴ」・ソティ・イン・ブルー。

エリック・ソティ。

うーむ、しゃれおつ。


ところでリャンリャン、朝遅刻しそうになって、慌ててお供するのはトーストですよ。
ビール瓶のカケラとかは、やめとくように。

ということで、コメントはさっぱりロマンティックになりませんでしたが、そこはぜひ、担当の銀さんに補完していただくべく、次回もどうぞよろしくお願いいたします(強要)。


Posted by 銀の匙 at 2015年06月13日 11:07
深雪さん、こんにちは。

>紅楼夢、水滸伝、西遊記が1冊になった本

って、すごくオトクな本ですね。紅楼夢だけ全然テイストが違う気がするけど、前の方だけ読む人と、後ろの方だけ読む人に、はっきり分かれそう。

例のゴシップの件、30代後半の人が20代後半の人と付き合うってそんなに珍しいかな〜と思ったけど、年の差10歳って言われると結構考えちゃいますよね。

直接は全然存じ上げない方ですけど、毎週見てると近所のお兄さんのように感じてしまうせいか、余計なお世話とは知りつつも、独身主義という訳でもなさそうだし、ご両親が結構がっかりしてそうだし、つい、次は良縁がありますように、と思ってしまう私です。

そして壇蜜効果がこれほどのものだとは!
来年あたり、他の語学と取り合いになったりして(笑)

だんだん暑くなる中、読書とお勉強の両方で大変ですが、楽しく続けられますように、涼しくしてお過ごしくださいね!
Posted by 銀の匙 at 2015年06月13日 11:31
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