2016年06月26日

世界を救った男たち(表記以降、ストーリーに触れています)

s-lelaki.jpg
(写真は映画館サイトより)

ひょっとしたら初マレーシア映画鑑賞かも。

「アベンジャーズ」のサブタイトルみたいな題名なんですが、本国では劇場公開はされたものの、特に娯楽映画という扱いではなかったらしいです。

ただ、日本での上映は、今のところ、なら映画祭と、横浜のシネマ・ジャック&ベティでの限定公開(昨日、本日6月26日14:50〜)のみ。ですので、もしタイトルが気になったら、迷わず横浜・黄金町に行きましょう!

私は、貰ったチラシの写真↑ に凄く興味を惹かれて出かけてみました。
上映後に伺った字幕翻訳家の方の解説によると、これは、マレーシアや周辺国で伝統的に行われていた(る)家の引っ越し法だということで、大がかりな御神輿みたいに見えるんですが、伝統的な家屋は地面にしっかりと固定されているわけではないため、このように担ぐことが出来るらしい、ということでした。

お話は、結婚する娘のために家を用意しようと奮闘する花嫁の父・アワンが、森の中の廃屋を移動し、補修して使おうとしたことから始まります。

みんなが力を合わせれば、結構大きな一軒家を動かすほどの大きなことができるのですが、その一方で、団結力が思わぬところでアダになる出来事が…。

マレーシアの農村に題材を取ったドタバタストーリーではありながら、実は世界中どこででも、どんな時代でも起きそうなことをシンプルな出来事に凝縮していて、上手いなっ、と思った映画でした。大人の俳優も子役さんたちもいきいきとしていたし、どうやって食事をするのかとか、イスラム教徒だから挨拶、アラビア語なんだ!?と驚いたりとか、マレーシア初心者にとっては、農村での日常生活の様子も何気なく伝わってきて興味深かったです。

上映の情報はこちら→シネマ ジャック&ベティ



さて、こういう映画でネタバレも何もないのですが、ご覧になれる方はここまで、ということにしていただいて、以下はもうちょいお話の続きを。





アワンさんのために、村の男たちは総出で手を貸すのですが、一気に目的地まで家を移動するのはムリなので、何日かかけて動かします。

もともと、森の中に廃屋なんてお化け屋敷だ、くらいにマイルドにビビっていた村人たちは、そのうちの一人が夜、家に悪魔がいるのを見た、と騒いだのを機に、急激に不安を募らせていきます。

最初のうちは迷信だと一蹴していた村長も、同時に起こったいくつかの難題に手を焼いているうちに、アワンさんの希望通りには村人を動かせなくなってしまいます。

村人の方は、化け物退治のために女装して自警団を結成するなど、騒ぎはどんどんエスカレート。アワンさんは迫害される身となり、ついにはキレて悪魔上等とばかり、化け物に扮して自分が村人を脅かす側に回ってしまいます。

実は、最初に村人が目撃したのは、警察に追われて逃げ出し、くだんの家に勝手に住み着いた、よそ者の黒人だったのですが、彼は危機管理能力があるというか非常に機転の利く人で、村人が尊敬しているらしい政治家のポスターを見て、とっさに彼の友人だと名乗る。で、村人は彼を全く疑わず、ついに黒人と鉢合わせした化け物にコスプレ中のアワンさんを捕まえようと駆け出していく…



上映後の解説によりますと、映画はどうやら、マレーシアのムラ社会あるある、といった内容がふんだんに盛り込まれているそうで、映画的にアレンジしたり、誇張したりはあるものの、人々が心の中ではお化けの存在を堅く信じていたり、商売熱心で怪しげな祈祷師にカモられたり、うさんくさい政治家を村ぐるみで応援していたり、催しに政治家が必ず遅刻してきて、お出迎えするころには皆疲れ切っていたり…といったネタが惜しげもなく詰め込まれているらしい。

そういう訳で、上映時には当地の映画人が、「マレー人をバカにしている」と言う理由で、公開しないように抗議したり、結構議論があったらしいです。幸いにというか、映画は無事上映され、本国できちんと賞も取ったとのこと。

そしてこの映画、実は日本人が見ても、若干アイテムを入れ替えるだけで、あぁ、日本でもあるある、って感じです。

まずは、お化け(精霊)を信じてるなんて、未開民族みたいでマレー系のご本人達的にはイヤだ!ってことらしいんですが、日本人だって八百万の神は信じてるし、祟りが怖くて祈祷や太鼓で追い払おうとする(これは映画的な誇張らしいです)のも、日本だって事務的とはいえ地鎮祭とかやるし、似てますよね。

だから、迷信と言われようがどうしようが、そういうことをしないと落ち着かないという気持ちはとても良く理解できます。

それを面白おかしく描写されたら、バカにしてるって腹が立つという気持ちも分かります。例えば、お祭りで毎回死人が出る、とかいうと、どんな土人の風習かと思いますが、日本にもその手の命がけなお祭りはあるし、日本だけじゃなくて、スペインとかにだってありますよね。よその人は野蛮だとか言うけど、土地の人にとっては神聖なもので、他人にとやかく言われたくない。

ただ、監督さんが描きたかったのは、迷信深いマレー人たちが引き起こしたくだらない騒動の話、というのではなくて、一人ひとりは純朴で親切で良い人でも、集団になると途端に矛盾に気が付かなくなったり、別の意見が言えなくなったりしちゃう、という怖さなんでしょう。

ムラどころか世界中かなりの場所で多かれ少なかれ、こういうことがあるんじゃないでしょうか。

解説で翻訳家の方が、原題には「希望」、英文タイトルには「世界を救う」という言葉が使われてるけど、希望もないし、世界も救わなかったです、とおっしゃってウケていましたが、このタイトルに込められている意味について、ぜひ監督さんに伺ってみたいものです。

たとえば、健康法なんか最たるものですが、何かを世間的にいったん信じてしまうと、根拠が薄弱だろうがそれに異を唱えるのは難しいし、そもそも中に居る人には常識なので気づくことすら難しい。監督さんはマレー系ではないそうなので、余計非難の対象になったんでしょうが、解説の通り、外から見て初めて気が付くことというのはあるものなんでしょうね。

アワンさんは芸能生活をやめてしまった歌手、という設定になっていて、最初、みんなが家の引っ越しを手伝うとき、行きのトラックで請われて、しぶしぶ歌をうたうシーンがあります。みんなが知ってて唱和するのですが、何となく日本の演歌的な哀愁を感じます。

上映後、その歌の歌詞の中でキャッサバとチーズになぞらえていた事柄について質問がありました。

どうやら該当箇所はマレーシアの言葉ではないようで、翻訳家によると、インドネシアでは前者は貧困層を、後者は富裕層を象徴するということは分かったのだけれど、ということでした。

映画のエンドロールにはこの歌が流れ、最後の唱和の部分も劇中そのままに使われて終わります。良い方に作用すれば素晴らしい団結力がいとも簡単に集団いじめの方向へ転換してしまう滑稽さ(迫害される本人にとっては、恐怖以外の何ものでもないでしょうが、傍から見てると一部始終がバカバカしいです)とやるせなさを、見事に表現したエンディングだと思いました。

リュウ・センタット監督
映画の公式HPは→こちら


ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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