2016年08月13日

エクス・マキナ(表示以降、ネタバレです)


『エクス・マキナ』はアカデミー賞の視覚効果賞を取っただけあって、斬新なロボットの造形や画面の美しさは折り紙つきですが、何といっても見どころは俳優さん。

映画のほとんどの部分が密室劇なので登場人物は数人ですが、それだけに、それぞれの俳優さんのレベルが半端ない。

表情も挙措動作も完璧で、いかにも人工的な美しさを醸し出す、エヴァ役のアリシア・ヴィキャンデル。この人をスクリーンで拝むだけで、映画代の元は十分取れると思います。

日本人だから一言も英語が分からない…いやさ、英語の一言も分からない日本人メイド、キョウコ役のソノヤ・ミズノも大変美しいですが、日本人からすると苦笑せざるを得ない部分があるのが難か…。

さらに、最後のテロップを見るまでまっっっっっっったく気が付かなかったのですが、イケ好かないIT企業のマッチョ社長は、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で「ナイスガイ」として全世界から愛されたポー・ダメロン役のオスカー・アイザックだったんですね。

同じく『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』からはハックス将軍役のドーナル・グリーソンがケイレブ役で出演しています。

こんな生まれつき理系みたいな俳優さん、どこから連れてきたんだろう…?と感心してたら、あのナチス式のキレたような演説をしてた人だったとは…。こちらも全然気づいてませんでした。

『スター・ウォーズ』は良い子の見る映画だから皆ちゃんと衣装を着てますが、ポーはいかにもスリムに、ハックス将軍はマッチョに見えたので、この映画では何だかアイコラを見せられたよう…ってイヤイヤ、ホント、俳優さんって凄いっすね。



お話は、IT企業で働くプログラマ、ケイレブが、社内の抽選に当たって社長の別荘に招待されるところから始まります。

ネズミのようにおどおどした態度のケイレブを迎えたのは、ムキムキボディの天才プログラマ、ネイサン社長。

人を寄せ付けない広大な敷地の中の別荘とか、他人を尊重しない天才肌の社長とか、抽選制の福利厚生とか、何かどっかで聞いたようなIT企業のイケ好かない部分を濃縮した感じの設定であります。

こんな場所にあんな社長とほぼ二人で一週間、ふつうの人なら全然嬉しくないと思うんだけど、ケイレブは緊張して舞い上がってる様子。

そして彼は社長から、この別荘の本当の目的を聞かされます。

彼が招待されたのは、ネイサンが開発した人工知能(AI)を搭載した「エヴァ」が合格かどうか、テストを行うことだというのですが…。

*

以前、ビッグデータをどう活用するかという研究の1つとして「データマイニング」の話を聞いたことがあります。

大量に集めたデータの中から脈絡を掘り出すということで、単純なものでは、買い物客がどんなものを一緒に購入するかを調べ、そのアイテムを近くに陳列する、といったことができます。

これを応用すれば、何か知りたいことがあったときに、どういうキーワードで検索するかとか、質問を受けたときにどういう回答が一番自然かとか、抽出することができるでしょう。

やりとりは無限なのだから、いちいちプログラマが質問を予想して答えを準備しておくことはできないでしょう。

その点、世界中の人たちがせっせと入力する自然なやりとりを抽出してパターンを分析すれば、労せずして自然な受け答えができ、それをサーバにでも置いとけば、誰もAIとは気づかないに違いない…とか、

どことは言わないけど大手の検索エンジン会社の中には、世界中からとびきり優秀な人たちを採用して、何だか得体の知れない研究をしてるらしい、とか

テキストデータばかりではなく、世界中のあらゆる場所の画像や属性のデータを、可愛いキャラを収集する無料ゲームをエサにして集めてるらしい、とか、

ITのあまりにも速い発展についていけない一般人の、漠然とした不安を形にしたかのようなサスペンスドラマなんですが、それはともかく、ネイサンの経営してるIT企業がかなりあからさまに特定の企業に似てるような気がするけど、大丈夫なのかしら?

セリフにもありましたが、人間が言葉をしゃべれる仕組みについてはいろいろな説があり、仮説の中には(すごくざっくり言うと)人間には生まれながらにして万能文法のようなものが備わっており、周囲とのコミュニケーションによってそれがアクティベートされる、というのがあります。

そういう仕組みだとしたら、機械でだって再現できそうですよね。

なので、この映画を観ていると、人工知能がどうというより、人間もそうやって作られた装置なんだろうなということの方を考えてしまいます。

もともと、基本的なプログラムが組まれていて、そのうえに新しい情報が載っていくことによって、さまざまに変化していく存在。

人間らしさの発露と思われている「感情」も、ケガや障害で発揮できないケースがあることからも分かるように、実際には脳の機能の一部に過ぎません。

で、これまでの映画だと、じゃあ人間と機械との違いって何なのかとか、機械も感情を持ちうるのかとか、そちらに重点が置かれるんだろうけど、この映画は少し違うみたい。

そう思った訳は、この映画のタイトル「エクス・マキナ」にもあるのですが、そのあたりは映画をご覧になる方それぞれの解釈が許されることでしょう。

自分の考えは、下↓ のネタバレ以降で書くとして、台詞が主体の映画なので、いくら視覚効果が凄いといっても一人でDVDで観てたら寝ちゃうかも…。

これから秋にかけて全国の二番館で上映されるようなので、ご興味のある方はぜひ映画館でご覧ください。

アレックス・ガーランド監督。
渋谷UP-LINKで観ました。非常に狭いんですが、椅子を変えたのか結構見やすいです。一番後ろの席でも良く観えましたが、後ろから二列目くらいが没入観があるかも知れません。

以下は、ストーリーの結末に触れています。







学生時代に、バイト代のテレホンカード(死語)につられて、心理学の実験台を何度かやりました。

同じ経験がある方、もしくは実験を行った関係者の方ならよくご存じかと思いますが、実験結果に影響が出るのを防ぐため、被験者には実験の目的が伏せられているか、偽の情報が与えられるんですよね。

さらに嫌なことに、実験が終了しても、たいていの場合本当の目的は教えてもらえないし、結果も知らされません。実に後味が悪かったのを、この映画を見て久しぶりに思い出しました。

で、この映画の内容を20字以内で言うと、

非モテのプログラマが女に騙された話

って、身も蓋もないな... 。
それではあんまりなので、字数を倍に増やして要約すると、

プロメテウスの火を盗んだ人間は罰を受け、
エヴァは男をだまして楽園から追放される。

それが何なの、って感じですよね。

神ならぬ身で生命の創造をするものは許されないとか、
人間が作ったものはあくまで人間の支配下にあるべき、

というのも、特定の宗教の倫理観なら真実なのかも知れませんが、
そんなこと問題視してない文化圏だってあるんじゃないでしょうか。

たとえば、だんだんAIと人間の峻別がつかなくなっていくと、
大統領や権力者が実はAIだった、大ショック、みたいなSFもありますが、
日本のSFアニメなんか、その辺はもうそういうものとして特段問題にもなってなくないですか?

だって、砂の嵐に隠された♪ バビルの塔はコンピューターに守られているんだし、

「エヴァンゲリオン」なんか面倒な問題はみんなメインコンピュータの「マギ」に投げてますよね?

「攻殻機動隊」なんて、最後はネットワークの中に個人の意識が統合されてしまう。

いや、その場合、実権を持っているのはあくまで人間で、コンピュータはただの道具だ、という反論もありましょうが、決裁する人はただのお飾りで、分析したり方向性を決めてる部門が他にあるなんてこと、世間にはままあることじゃないでしょうか。

そういうとき、どっちが実権を握ってるかといえば、それは後者な訳で。

生きとし生けるものの中に、すてにAIが含まれてる文化からすれば、この映画はAIと人間の関係が「対立」である、という「初代ターミネーター」式のステレオタイプであまり新味がないんですが、じゃあSFとしては駄作かと言ったらそうでもない気がする。

映画の中でも言ってましたが、この映画自体が一つの思考実験とすれば、物語のテーマや新味はどうでもよくて、ある条件下で結果はどうなるかを考えてみたものと捉えることもできるでしょう。

思考実験をそのままプロットとして展開するのはSF小説だと許されてるパターンなので、非常にSFっぽいと言えるのかも知れない。

そもそも、これまでのSF映画で出てくるAIは、如何に人間に近づけるか、どこまで行けば人間と同じなのか、人間に愛されたくて葛藤する、等々のテーマを背負っていたのに対して、この映画のAIはめちゃくちゃドライ。

人間を超える知能(たぶん)を持ち、そのために感情を利用できる、まったく新しい存在。

「ブレードランナー」では、AIを見破るためのチューリングテストのカギは、「感情移入ができるかどうか」でした。

この映画では、逆に人間が「感情移入する」ことを巧みに逆手に取り、しかもAI自身にはどうでもいいはずの「肉体」、エヴァの場合はさらに、どこから見ても機械仕掛けという肉体の「魅力」さえも利用する。

映画のタイトル「エクス・マキナ」は「機械仕掛けから」ということですが、「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けからの神)から取ったものと思われます。

ここまでくると、AIが怖いとか悪いとかいう問題ではありません。

「神の見えざる手」のように、AIの存在は何かの摂理によるのだろうか。

人間の存在とは実は、次のロボット世代を造りだすために神が用意したものではないのか。

そんなことすら思ってしまいます。

一方で、彼女の「愛情」はフェイクだったようだけど、「憎しみ」は本物だったのだろうか。

廃棄されるのを怖がっていたように見えるけれど、それもフェイクだったのか、

という疑問にも突き当ります。

ネイサンは「エヴァ」の完成度のテストとして、彼女に課題を与えました。
被験者ケイレブを利用して、彼女が閉じ込められている部屋の外に出る、というものです。

彼女はケイレブの好意を引き出し、見事に課題をクリアしました。

どんな手を使ってでも、外の世界に出る。

それはどんどんデータを蓄積して発達した人工知能が獲得した、好奇心のなせる業だったのでしょうか。

それとも、あくまでネイサンが与えた課題の延長線に過ぎないのでしょうか。


エクス・マキナ|ぴあ映画生活

そのほかの映画に関するエントリーは→こちらから、
フェイバリット映画100のリストは→こちら です。




posted by 銀の匙 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック