2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

posted by 銀の匙 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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