2018年04月29日

パディントン/パディントン2(ストーリーに触れています)

「くまのパディントン」シリーズが大好きで、繰り返し繰り返し読んでいました。

暗黒の地ペルーから密航し、ロンドンのパディントン駅でブラウンさん一家に拾われた子グマの物語。
礼儀正しいジェントル熊(?)のパディントンは、おっちょこちょいだけど街の人気者です。

ブラウンさん一家の日常や骨董屋のグルーバーさんと楽しむ「お11時」のお茶など、お話から垣間見える古き良きイギリスの暮らしに憧れたもんです。

そんな児童文学の傑作を、生きてるようなモフモフのCGで映画化? しかも舞台は現在? 

いやいやガッカリするだけだもん、絶対観ませんよ☆ と思っていたんですけど…。

泣けるから絶対観ろ!という周囲の推薦の辞も何だかなぁと思いながら観始めたら、いきなり原作にないペルーでの回想シーン?が始まり、CGはやけにリアルで可愛くないし、パディントンのおっちょこちょい具合が何となく下品でウザいし、街並みは現在のロンドンだし、子どもたちは現代っ子で小憎らしいし、本のちょっとレトロな良さが全然出てないなぁとガッカリ感半端ありませんでした。

最初はね。


拾ってくれたブラウン一家からも、お母さん(おや、ルーシー・モードさん↠記事はこちら じゃありませんか、また画家の役なのね・笑)を除いては、厄介者扱いのパディントン。そこがまた原作ファンにはガッカリなのですが、ともかく役場に連れて行くか、他に引き取ってくれる人を探そうということになり、パディントンがロンドンに来るきっかけを作った、英国からの探検家を尋ねることになります。

ところが、探検家協会に行ってみると、ペルーに行った人なんかいませんとけんもほろろの扱い。諦めきれないパディントンは資料室に潜入し、ことの真偽を確かめようとするのでした...。




パディントンの造形がややブキミだと思っていたのも最初のうちだけで、挿絵じゃなくて本当のパディントン(というのも変な表現ですが)がいたら、こんな感じだろうなあと納得してしまう演出恐るべし。

そして、バンクス一家の趣味や隣人の職業など、ちょっとした設定も伏線になっていて、鮮やかに大団円につなぐ脚本はお見事のひと言。BBCの「シャーロック・ホームズ」しかり、「ラブ・アクチュアリー」「キングスマン」しかり、パズルのように鮮やかにピースをはめていく劇作の上手さはさすがイギリス。

実はレトロなスパイスも、1では探検家協会のシーン、2ではお話のカギとなる飛び出す絵本のシーンなどに、しっかり効かせてあります。ロンドンの名所を取り上げて、ちゃっかり観光アピールしているのも微笑ましい。

中南米っぽいバンドが狂言回し的に登場し、映画のあちこちに移民排斥への異議申し立てのメッセージが挟まれているのは、時節柄よく理解できるんだけど、ここまで露骨にこのお話に絡ませなくても…と思いかけてハッとしました。

ペルーからの密航者・パディントン。トボけたクマの挿絵の横にそんな文字が躍っていると大げさでユーモラスですが、実は原作者もパディントンに戦争孤児や移民の姿を重ねていたのかも知れない。映画の冒頭、戦争のときに孤児を進んで引き取った、優しいロンドンの人たちを想起するシーンがありますが、原作者の意を汲んで追加したシーンなのかも知れません。

という訳で、原作へのリスペクトもしっかり込められたシリーズ2作、吹き替えキャストの豪華さにびっくりですが、大人の皆様には上級階級からロンドン子までバラエティーに富んだイギリス英語を楽しめる字幕版もおススメです。

泣けるかって? う〜ん、すみません、私はつい、泣いちゃいました...。


関東地区と近畿地区では5月中旬までの上映です。お見逃しなく!





おススメの辞は以上で、以下はご覧になった方向けにちょこっとだけ、個人的感想です。


最後にイギリスに行ってから、もう10年以上経ってしまいましたが(月日の経つのは早いですね)、ロンドン・オリンピックの成功で、かなり多文化共生的な雰囲気になったと聞いている一方、EU 離脱など非寛容な動きがあることも耳にします。

そんな中で、世界に向けて、しかも子ども向けの作品で正面切ってメッセージを打ち出してきたのは素直に偉いと思うし、制作者の良心を感じますが、別の意味でイギリス(と、その遺伝子を受け継いでいるであろうハリウッド)のスゴさも感じました。

この映画は、かつての英国の偉大な探検家たちがやらかしたことを皮肉り、移民といえば泥棒と見なす同胞をたしなめていて、とても勇気があるし立派だと思います。こういう面をちゃんと描いて反省してから、名誉をはく奪されてもクマたちを守った探検家やパディントンを助けた町の人たちを描いている。

それは良いんだけど、そもそも、近代以降、世界のあれこれの紛争(とその結果としての難民流出)の原因を作ってきた立役者は誰あろう、大英帝国様じゃないですか。

ロンドンにいる移民には、元のイギリス植民地からやってきた人たちも少なくないはず。

なのにいつも、いつの間にかイギリスがちゃっかり正義の味方の側に回ってるんだけど、ホントに良いのかしら?

「敗戦国&植民地経営組のおめーが言うな」と突っ込まれそうだから、これ以上の追究はやめておくけど、イギリス人は本当に賢いな…と思い知らされてしまう今日この頃なのであります。




posted by 銀の匙 at 16:57| Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月22日

コードネームは孫中山(行動代號:孫中山)  (表記以降、お話の結末に触れています)

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大阪アジアン映画祭でグランプリと観客賞の2冠を獲得した作品という、おうわさはかねがね伺っていたのですが、何せその後も数回しか上映されず、どうしてもお会いできませんでした。

今回、台湾文化センターでの無料上映にチャレンジ。ネットで先着順だったのですが、主催者によれば募集後8分で満席になってしまったとか。

見れば人気も頷ける面白さ。だって、この絵づら↑ですよ(笑)
さすが大阪の観客の皆様はお目が高い。

相当笑ってちょっとホロっと来る、イー・ツーイェン(易智言)監督による脚本も、街中でスカウトされたという高校生キャストの演技も秀逸でした。

舞台は台湾のどこにでもありそうな高校。

学級費を払えとしつこく催促されたアーツゥオ(阿左)ですが、そんなお金はどこにもない。そこで突飛な作戦を思いつきます。それは、倉庫に置かれた孫中山像を盗み出し、くず鉄屋に売ってお金を稼ぐこと。

計画に乗った3人の仲間と共に周到な準備(笑)を整えていると、その前に立ちはだかる驚愕の出来事(あり得ないし・笑)が!!

果たして彼らは無事、孫中山像を売り飛ばして学級費を支払うことができるのでしょうか!?



学校の備品を盗んで売ろうだなんて、とんでもない…とは一瞬も思えないのは、主役のアーツゥオ君がどう見ても人懐っこい良い子だから。なかなか頭も良いのに、どこか天然ボケが入ってほんわかしたアーツゥオは、演じた・懷雲くんの素のまんま。

(こちら↓に・懷雲くん編のメイキングがありますが、とても可愛らしい) https://www.youtube.com/watch?v=Tc3U04sA-1s
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彼の前に立ちはだかる、影のある少年を演じたウェイ・ハンディン(魏漢鼎)との対比も良かったです。

今回、字幕にもトボけた味わいがあり、かなりの人が字幕で笑ってました。

無名の高校生たちが主役のこの映画、大作でもないしキャスティングも地味(有名な俳優さんも出てはいるけどほんの脇訳)、でも見ればきっとお気に入りの1本になるはず。もっとたくさんの人に観る機会がありますように、と心から願っております!

終わったあとのトークショーで2人のその後についても紹介がありました。

この映画の後、・懷雲(ヂャン・ホワイユン)くんはアリエル・リンが主演の映画に出演、魏漢鼎(マシュー・ウェイ・ハンディン)くんは《再見,在也不見》という作品に出演しましたが、学業を優先し、大学に進学したそうです。

所属はイー・ツーイェン監督の事務所だそうですが、今後も俳優を続けるかどうかは彼らに任せると監督は仰っているのだとか。

ということで、ストーリーはあまり知らない方が面白いと思うので、未見の方はここまで。ネタバレOKの方は、どうぞ以下もご覧ください。








さて。


監視カメラ対策に、お面を用意し(安かったけど粗悪材料なので顔がかぶれるらしい・笑)、色仕掛けで倉庫のカギをゲット、かなり重めの女子が載っても壊れない台車も用意してリハーサルまで済ませた彼らが、学校近くの路上で発見したのは1冊のノート。そこには何と、同様の孫中山像強奪計画が記されているではありませんか!!(マジか…)

アーツゥオは持ち主を探し出し、計画の実行日を聞き出して先駆けしようと尾行します。

ノートを回収したのは同じ学校の、どこかミステリアスな少年。この尾行シーンがまた笑えます。

ついに2人は直接ことばを交わすことになるのですが、どちらがより銅像を盗む資格があるかを競い合う「貧乏自慢」のシーンが切実なんですけど、どことなく可笑しい。

人の良いアーツゥオは、野良猫のように警戒心の強い少年に、一緒に組もうと呼びかけ、計画の詳細を説明し、準備した品々を置いた隠れ家に彼を案内してしまいます。

互いを紹介しようとアーツゥオと仲間が隠れ家を尋ねると、そこはもぬけのから。

抜け駆けされたと知った仲間は怒りますが、アーツゥオは余裕しゃくしゃく。自分たちも彼らと同じお面をつけて出かけ、彼らが首尾よく銅像を運び出したら、それをドラックに載せて運び出してしまえばいい。

事はアーツゥオの思い通り進むのですが、対抗グループは首尾よく倉庫に忍び込んだものの、なかなか出てきません。

守衛が連続ドラマを見てるうちに運びださないとバレる、と焦るアーツゥオ。1人、また1人と様子を見に行ったメンバーが戻らないため、ついに4人とも倉庫の中へ。なんと、銅像が重すぎて台車に載せられなかったのでした(アホか…)

8人がかりでようやく銅像は台車に載り、順調かと思いきや、無情にもドラマが終わってしまい、守衛とその彼女に発見されてしまいます。しかし、ブキミなお面が功を奏したのか、キョンシーの真似が効いたのか、彼らは守衛をビビらすことに成功(というか、守衛はこの機に乗じて彼女とよろしくやっているわけですが)銅像を軽トラに積み込みます。

とここで、対抗グループ側は人数が多いことに気が付き(遅いよ!)、つかみ合いの事態に。

何とか振り切って車を発進させたアーツゥオでしたが、走って追いかけてきた例の少年がケガをしたらしいのに気づき、心配して車を止めてしまいます。救いの手を拒んで、あくまで自分1人で銅像を手に入れようとする少年でしたが、何と、どこかで荷台から銅像が落ちてしまったことが発覚。

戻ってみれば台湾の繁華街・西門町の交差点に鎮座まします孫中山像が…。

あくまで協力を拒む少年とアーツゥオが取っ組み合いになっていると、ついにパトカーが来てしまいます。

ニュース沙汰になるわ、生活指導の教官には絞られるわ、結果は惨憺たるありさま。

ひと教室に集められ、おとなしく反省文を書いて提出した生徒に、教官は、また警察に戻りたいのか、最初から書き直せ、3000字以上書け!と命じます。

少年たちは自問します。

最初からって、最初はどこなんだ。

学級費を催促されたところから?

一週間前に孫中山の銅像を見つけたところから?

もっと前、卒業旅行の経費が払えないところから?

いや、おやじの工場が倒産したところから?

そこでまた、彼らの「貧乏自慢」が始まります。倒産なら任せとけ、じいちゃんのじいちゃんのそのまたじいちゃんから貧乏で…。

すると例の少年が一喝します。自分たちの孫の孫の代まで、貧乏でいいのか!

後日、スーパーで試食していたアーツゥオの前に少年が現れます。今までアーツゥオが何度名乗っても自分の名前を明かさなかった少年は、最後に自分がシャオティエン(小天)だと教えます。

お前は賢い。俺は腕っぷしが強い。2人が組んだら、きっと大きなことが出来るはずだ。

いつも秘密の計画を相談してきた歩道橋に仲間たちが集い、俺たちも乗るよ、という合図で、映画は爽やかに幕を閉じます。




日本で言えば「二宮金次郎」みたいな、どこにでもあった銅像が文字通りお蔵入りしていて、それが学校の廊下だの、日本でいえば歌舞伎町か新橋みたいな場所の交差点だのに突然出現する様子が、本当にあり得なくて笑っちゃうんですけど、そうは言ってもこの銅像は「二宮金次郎」でも「ハナ肇」でもなく、国父・孫文/中山先生なのだから、そこはやはり重みが違います。

交差点に銅像置きっぱなし事件がニュースになり、レポーターが「高校生のいたずら」としながらも、何か他に意図があるのか捜査中、と付け加えていたように、場合によっちゃ冗談ごとじゃ済まないし、ひと昔前なら高校生じゃなくて監督が警察にお世話になってたかも知れないなあ...と感慨深いものがございました。

手に「三民主義」と書いた本をお持ちの孫文先生、立場によって毀誉褒貶・見方はいろいろございましょうが、彼が象徴していることの1つは封建社会の終焉。

私は、どう頑張っても身分を変えることは出来なかった昔より、もっと言えば、国父様でジョークを飛ばすと要注意人物扱いだった昔より、現代はずっと進歩してると信じたいけど、現実はまだこんなものなのかと思って観るひとも多かったことでしょう。


上映後、解説トークで伺ったのですが、台湾でも貧困はかなり深刻な問題で、その大きな理由の1つは独り親家庭が多いこと、そして突き詰めれば離婚率が高いことだと仰っていました。


映画では、どこまでも諦めないで、何とかしようと考える子どもたちの姿を、ユーモアいっぱいに描いているところに救いがありました。現実にはなかなか難しい問題だけど、100年前の孫文先生の時代に比べたら、まだまだ庶民にだって未来は変えられると思わせてくれる作品です。

posted by 銀の匙 at 11:11| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

ブラックパンサー

この映画で何が驚いたってキャストですよ。

ビルボとゴラムが夢の競演!

聞いてないよ! 
皆さんご存じなんですよね? 私は本当にビックリしましたよ…だって、黒人キャストだけって聞いてたんだもん。

でも、マーティン・フリーマンとアンディ・サーキス、このビッグな2人が出演を快諾したであろうイカす映画、それがこの「ブラックパンサー」なのであります。

予告を観たときは、セレブがパワードスーツを着て暴れまくる、いや、正義のために戦う、アイアンマンかバットマンの黒人版なのかなと思ってましたが、全然違います。

いちばん近い映画はもしかして…「バーフバリ」?
いちばん近い小説はもしかして…「吉里吉里国」?

とにかく、音楽、衣装、アクション、ガジェット、そしてシンプルでぶれないメッセージに至るまで、映画の根底の部分のカルチャーがこれまでのヒーロー映画とかなり違っていて、とても新鮮でした。

日本の映画やアニメを初めて観た外国の人のワオ!って感激はこんな感じなのかも。

お話はアフリカののどかな農村国、ワガンダから始まります。そこは世界で一番夕日が美しいとされているところ。逆にいえば、それ以外は何もない場所です。

しかしワガンダはなぜか世界中にスパイを放っており、その一人の元へ突然ワガンダ国王が現れます。

動揺するスパイ。彼は国家の最高機密である謎の鉱石・ヴィブラニウムを持ち出していたのです。国王は彼に、帰国して評議会に出るよう促します。しかし…。



この後、お話は子ども世代に移り、超高層ビルが林立する中をリニアモーターカーやらVRで動くマシンやらが行きかうもんのすごいハイテク都市が舞台になるので、てっきり遠い未来のお話かとしばらく状況が呑み込めなかったんだけど、つまりワガンダは表向きは農業国で、地下では謎の鉱石のおかげで超未来的なハイテク国だったのです。

ワガンダは長きにわたってこの秘密を守り、繁栄を謳歌してきました。しかし、自分たちが良ければそれで良いのか、と考える人たちが現れます。彼らは、弱い者たちを守るために最強の鉱石で作った武器をばらまき、
決起させるのだと息まきます。

ワガンダの新国王ティ・チャラは苦悩します。もちろん武器をばらまくことは阻止しなければならない。だが、このまま他人の不幸を見て見ぬふりでよいのか…?

しかし、ちんたら考えている間に、彼は国王の座を追われることになってしまうのでした!



どこかの元大統領を思わせる、良い人なんだけどイマイチ煮え切らない指導者の下で、事態は最悪の方向に転がっていく、というストーリーが現実味ありすぎなんですけど、大丈夫です! 彼にはしっかり者のハイテク妹、しっかり者のキングマザー、しっかり者のキレッキレアクション女将軍がついてるから。

要所要所で女性が大活躍しますが、みなキャラが立っており、「政治的な正しさ」のために女性科学者をキャスティングしてるみたいなレベルではありません。白人ももちろん大活躍。アンディ・サーキスの嬉々とした怪演をお見逃しなく!

マーティンがアメリカ人役はちょっと納得いかないけど、まぁいいや。相変わらず良いように巻き込まれてるわこの人。

で、映画を観ていて思いました。アフリカの小国に素晴らしいハイテク医療、世界を驚かせるハイテク技術がある、という事態は言うにおよばず、映画のメッセージそのものが今はファンタジー。

でも、本作品は黒人による黒人のためのダイバーシティ称賛映画の枠に留まらず、観た人を変えるパワーを秘めています。

ゆめ、エンタメの力を侮るなかれ!

立川シネマシティで観ました。
ドラムや槍(!)、効果音の素晴らしい本作品にピッタリの爆音上映。
良い映画館をお持ちの、お近くにお住まいの皆様がうらやましい!
posted by 銀の匙 at 11:27| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

【revised】二代妖精之今生有幸(Hanson and the Beast) 表記以降、ネタバレ注意

【revused】最初の5分間視聴できるリンクを追加しました

hongmen.jpg

お姫様抱っこシーン(『項羽と劉邦 White Vengeance』)で名高い二人が6年目には…

haibao2.jpg
こうなります、とネタになってました。なんでこんなことに(トホホ)

袁帥(ユエン・シュアイ=ウィリアム・フォンが演じます)は、団結動物園の飼育係としてゾウ舎に住み込みで働く傍ら、逆玉の輿を目指してせっせとお見合いする毎日。

金持ちマダムとレストランで会ったはいいものの、釣書を出すなりせせら笑われ「結婚なんて思い上がりも甚だしい、まあ顔は悪くないから、特殊プレイに付き合うなら金は出すわよ」と言われ、さすがに怒ってテーブルの上のケーキを持ち上げ...たけど、そのままゾウ舎まで持って帰るという情けない三十路男です。

これしきで落ち込む余裕もなく次のお見合い場所に向かうと、そこに現れたのは清楚な美少女・白繊楚(バイ・チェンチュ=リウ・イーフェイが演じます)。しかし、彼女は金魚鉢から水を飲んだり、自分をキツネの精だと言ってみたり、ちょっと頭のネジが緩んでいる様子。

そこへ、ガラの悪い三人組が袁帥を探しにやってきます。どうやら彼らは借金の取り立てに来たようなのですが…。

        * * *

オモテ看板としてはいちおう、コメディータッチの人×妖ラブストーリー、なんですが、とにかく主演のウィリアム・フォンが捨て身過ぎる。

冒頭からまさかのストリーキングは序の口で、女装させられるわ妙な被り物はかぶらされるわ散々な目に遭うのですが、捨て身なのはフィジカル面だけじゃございません。

・蘭陽演劇大学は出たものの5年も芽が出ず(ご本尊さま下積み10年)

・「琅琊壮士榜」「抗日神鵬侠侶」などにご出演
  (ご本尊さまがかすってもいない人気作品の、三番煎じっぽいタイトル…)

・お見合いに励む毎日(ご本尊さま曰く親に騙されて)

・イケメンなだけが取り柄で、名前が袁帥(=生まれつきイケメンという意味。しかしながら劇中は自虐ネタ扱い)

・英語名までHanson(and the Beastで「美男と野獣」ってあなた…)

・でもさっぱり結婚できず(ご本尊さま高・富・帥(笑)なのに)

・相手につられて思わず上海語をしゃべり(ご本尊さま上海出身)
(↓こちらは会員用のサイトですが、最初の5分視聴できます。最後にウィリアム・フォンが話している
セリフが上海語です。
https://v.qq.com/x/cover/y6hdzchhaapdqtp/j0025r7uqfo.html)

・芸人の分際でサービス精神に欠けると罵られ
 (ご本尊さま別作品インタビューにてご披露済み)

・道端で倒れていると、痩せすぎだとか腹筋はあるとか言われ
 (ご本尊さま別作品インタビューにてご披露済み)

・やむを得ずとは言えワンピースをご着用あそばされ
 (ご本尊さま幼少のみぎりご着用済み)

・お相手は映画出世作のヒロイン、リウ・イーフェイ
 (今回は虞美人が(ほぼ)覇王なんですけど)

・そもそも、映画のタイトルからして「二代妖精」
 (ご本尊さま「富二代」(富豪の跡取り)との噂)

・あなたの隣にも妖怪がって…国民のお義父さまがなぜここにっ!
 (小説家・映画監督の韓寒がカメオ出演。いいお友達(笑)ですねっ) 

etc.,etc.,ご本人を知らない観客は『白蛇伝』の焼き直しかコレ、と思うでしょうが、知っている皆様には「進ぬ 電波少年」「テラスハウス」あたりかと…って、リアリティー・ショーかっつうの!

ファン・サービスというか内輪受けというか(こんなことやあんなことまで知ってる自分がイヤ( ;∀;))、ご本人にまつわるネタがストーリーに絡んでいるんですが、これは知っている人しか観に来ないという前提なのか、国民の常識として知られているのか何なんでしょう??

ここまで来ると、ゴシップを逆手にとったパロディというより、まさかホントに劇中の袁帥同様、巨額の製作費を負担した作品がコケて、借金返済のためにこんな映画に出演しなくちゃいけなくなったのかしら、と心配になってしまいます…おっと、こんな映画呼ばわりは失礼でした。

実は、けばけばしい予告映像やポスターを観て、どんなクズ映画かと思いっきりハードルが下がっていたせいか、案外ちゃんとした映画だったのでちょっとホッとしたのでした(あくまで「案外」ですが…)。

特にタイトルロールは、短いですが上海の旧市街と新市街の両方をバックに撮られていて、なかなかオシャレ。

それに、袁帥は情けないとはいえ割合ふつうな人で、コメディ部分はもっぱらリウ・イーフェイの担当。こっちは本当にここまでやるかな捨て身の演技で、その根性の座りっぷりには敬服いたしました、いちおう美人女優さんなのに…。

彼女に比べれば、ウィリアム・フォンの捨て身度は全然足りてませんが、そこそこのルックスで良い人なんだけど影が薄い一般人、の人物造詣はお見事でした。課題があるとすれば「おどろく」演技かな...。

妖怪管理局局長・雲中鶴(=李光潔が演じます)と入れ替わったところの演技は結構面白かったです。李光潔の方は、短いながら自身に扮した袁帥を演じるシーンがあり、上手い俳優さんだなと思いました。

お話の方は予測可能な範囲内に終始しちゃったのと、もうちょい「お笑い」にも力を入れて欲しかったって感じですかね。このポスターのノリが本編にも欲しかった…。ちなみに、本作品、サブタイトルが付いてるってことは続編作る気満々なんでしょうね...。画皮と違って、8まではどうかと思うけど。

huapi8.jpg
画皮8への出演はやめとこう

ということで、DVD鑑賞になる方が大半かと思いますが、この映画、単なるファンサービス映画かと思えばまたそれもちょっと違うのかもね、と個人的には思いましたということで、お話の詳細が分かっても良い方は以下をどうぞ。
(以下、ネタバレです)







一時期、マジメな文芸作品に舵を切ったかと思ったのに、最近またぞろ微妙な作品に、しかも大量に出演しておられますウィリアム・フォン(冯绍峰)さん。

まさか本当に借金のカタに売られたのでは…(ぶるぶる)と思わなくもない今日この頃、まあこの映画に出演したのはプロデューサーがヒットメーカーの陳国富さんということもあるのかも。

それから劇中のセリフにある通り、前回超ド級文芸作品《黄金時代》に出演したとき、巨匠アン・ホイに「俳優なんてサービス業なんだから」と言われたのが引っかかっているのかも。(インタビューで断片的に見たので、どういうシチュエーションで言われたのか分からないけど、監督も余計な事を…)

それはともかくこの映画、ドアタマのナレーションからしてすでに堂々のネタバレです。

むかしむかし、妖怪管理局のせいで、人間と妖怪は結婚どころか友だちにさえなれなかったけれど、パパがお見合いしたあの日からすっかり変わってしまったの

ってことは、画面には出てこないけど、ナレーションしている子(最後に袁份(ユエン・フェン)=缘分(ご縁がある。いま風にいえば、きずなちゃん?)という名前だと分かります)が「二代妖精」なんですね。

でもって、ってことは、彼のパパ・袁帥(ユエン・シュアイ)は無事結婚したわけで、途中はともかくハッピーエンドは予約済みって訳です。

しかも、話全体は「むかし人間に助けられた妖怪が、恩返しのためにその妻になって助ける」という内容から一歩も離れないので、ナイトクラブとか「横店」(中国の映画村)とか上海の街並みとか、舞台装置は現代風なものの、何かどっかで観たな...という印象は拭えません。

結局はウィリアム・フォンとリウ・イーフェイのファンのためのアイドル映画だよね、という結論も動かしがたいものはあるのですが、そんな、まともに品評されないエンタメ映画だからこそ、こっそり仕掛けたこともあるのでは、と勘ぐってしまうアマノジャクな観客(←私)。

この映画はいちおうコメデイですが、香港の喜劇王・周星馳の映画とは違い、ある意味コメディの王道を行く作品。つまり、動作やセリフで観客を笑わせるというよりは、チクチクと世情を風刺するタイプのコメディなんですね。

タイトルの《二代妖精》にしても、ウィリアム・フォンが主演したからネタっぽく流してもらえるけど、すぐ連想されるのは「富二代」という言葉。これは、金持ちのボンボンばかりが幅を利かす、情けない世情を示します。

主人公の袁帥は、中味よりは見てくればかりをもてはやす、最近の風潮のアイコン。

彼は、俳優を夢見て演劇大学に入り頑張ったけれど、そんな夢の世界でさえ、求められるのはとにかくカネ、カネ、カネ。ファンだと言ってすり寄ってきた人物に出資を持ち掛けられた挙句、映画は失敗。同じ映画人の仲間から、借金の取り立てに追われる毎日。

カネが原因で父親は心を病んで入院生活。自分の資本は顔だけなので、金持ちと結婚することで借金を返そうとします。

そんな彼にもいちおう矜持はあり、夜のお相手にという提案に激怒する一方、幼いころ袁帥に助けられ、美女に変化して恩を返しに現れた銀ギツネの妖怪・白繊楚に、自分が女だったらナイトクラブで働いて借金を返すのに、と言ってしまいます。

本当にナイトクラブに稼ぎにいった白繊楚を探しに行く袁帥。そこには、同じく彼女を人間の「汚染」から遠ざけようと画策する妖怪管理局の長、雲中鶴が乗り込んできます。

なかなか白繊楚を連れ戻せない雲中鶴は、袁帥がカネに困っているのに目をつけ、手助けをすれば多額の報奨金を支払うと約束するのでした。



結局、袁帥に危害が及ぶのを恐れた白繊楚は囚われの身になってしまうのですが、それを救いに行こうとする袁帥が、妖怪は袖の下は受け取るのかとか、何とかコネを探そうとするあたりもさりげなくチクチク来るし、人間と妖怪を引き離すために妖怪管理局が画策する陰謀も、見方によっては(何せ勤め先が「団結」動物園ですものね)結構チクチクやってるな〜という印象です。


物語の舞台が上海なのも効いていて、資本家や外国人の支配から逃れるために革命を起こした土地柄のはずが、一夜あければ夜総会(ナイトクラブ)が林立し、地獄の沙汰も金次第の革命前に逆戻り。


袁パパのような昔気質の人にしてみれば、同志を大勢亡くした挙げ句の果てがこの有様では、アタマがおかしくもなろうと言うものです。


風刺があるから作品が高尚という訳でもないし、そもそも、高尚な作品が上でエンタメが下とは夢にも思っていないのですが、袁帥と一緒で、見てくれももちろん、骨も観てね、ということでしょうかね。

2017年 
肖洋監督作品
posted by 銀の匙 at 14:13| Comment(12) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

バーフバリ 伝説誕生/バーフバリ 王の凱旋(表示以降 ネタバレあり)

(以下、「ネタバレ注意」表示以降で、ストーリーの細部に触れています)

大作映画も数あれど、自分の観た中では大作感歴代堂々ナンバーワンの映画でした。

轟音と共に流れまくる滝、荒れ狂う稲妻、画面狭しとウンカのごとく沸き起こる兵士などなど、物量、風景、画面のエネルギー、とにかく凄まじいスケールで冒頭から押しに押しまくります。

全編ツッコミどころ満載!というかほぼツッコミどころしかないのですが、最初こそ、何このムダな大作感…と思っていたのに、気づけばどんどんエスカレートする荒唐無稽さ、「300」のナナメ上を行くキレッキレの戦闘シーンの連続に、これこそVFXの正しい使い方だよなぁ、やっぱり映画はこうじゃないと等と感心を通り越して感動している始末。

ヒーローはあくまでも強く賢く茶目っ気もあり、次から次へと(インド映画的に)カッコいいシーンを見せられているうちに、髭むさいオヤジ(ごめん!)という第一印象が、映画が終わるころにはあら不思議、いかすイケメンに思えてしまうインド映画マジック、まさに「レジェンド」のタイトルに恥じません!

お話の方は、どことなく「■−ド・オブ・ザ・リング」とか「ゲーム・オブ・ス■ーン」を彷彿とさせる、物語世界の場所紹介から始まります。

今こういうの流行りよね〜と醒めつつ見ていると、背中に矢の刺さったおばさんが、凄まじい水量の滝をバックに、赤ん坊を追っ手から逃がそうと急いでいます。

セリフからすると自分の子ではないらしく、でも乳母の割にはものすごい大仰なセリフ回し。真面目なシーンなんだけど、例によってムダに大げさな上、スケキヨとかアルウェンとか自分の中にいろいろなものが去来して笑わずには見られませんでした...。

で、この赤ん坊はシヴドゥと名付けられ、あっという間に髭むさいオヤジ凛々しい、しかしなぜか滝を上りたがる若者に成長。流れついた木彫りの仮面の持ち主を探そうとするうち、とうとう滝上りにも成功します。

そこで見たのは、野郎ども軍団に追われて走る、か弱い美女。助けようかと機を伺うシヴドゥですが、なんと女は無敵の剣士。その上、あたりに伏兵がおり、野郎ども軍団はもろくも壊滅してしまいます。

興味を覚えたシヴドゥは女戦士の後をつけてアジトに潜入し、何とかかんとかという王国何とかかんとかという王妃が捉えられていること(名前長いんだもん)、彼らがその解放を目指していることを知ります。

正直王妃はどうでもよく、女戦士をナンパしたいがために宮廷に潜入したシヴドゥは、首尾よく王妃を奪還します。そこへ追っ手が到来、老人ながら凄腕の剣士が斬りかかってくるのですが、彼はシヴドゥの顔を見るなり、その場に崩れてしまいます...



物量大作戦とVFXがウリの映画かと思ったら、なかなかどうして脚本が面白く、前後合わせて5時間越えの長丁場が短く感じるくらいでした。

今回リバイバル上映だったので一気に観ることができましたが、前編の「伝説誕生」が、ちょっと何、そこで終わる!!??という超絶クリフハンガーだったため、間を空けて後編の「王の凱旋」を観た人は続きが気になってしょうがなかったでしょうね...。

現在、後編だけが上映中ですが、有難いことに冒頭、秀逸な前作のストーリー紹介がついており、実は私もそれを観て、前編の登場人物がよく理解できました(笑)

ですので、後編だけ観ても面白いです。

じわじわファンが増えたこともあってか、春休み以降、再上映や特集上映が予定されています。音楽も素晴らしいので、この先予定されている、立川シネマシティでの極音上映はねらい目かも。他にも、お近くで上映があれば、ぜひ!

ストーリーの結末が分かってしまっても十分面白いとは思いますが、これからご覧になる方はお楽しみということで、ここまで。続きをお知りになりたい方は、以下↓の「ネタバレ注意」表示以降もご覧ください。

キネカ大森で観ました。
特集上映をありがとう。キネカ大森を称えよ!!

では謹んで、ネタバレ感想に参りましょう。







この映画は簡単にいうと、

1)主人公シヴドゥ(実はマヒシュマティ王国の王位継承者マヘンドラ・バーフバリ)が成長するお話
2)シヴドゥの偉大な父の事績とその悲劇を、一部始終を知る忠臣カッタッパが回想するお話
3)マヒシュマティ王国の真の王であるシヴドゥが、簒奪者を倒して王位につくお話

の各パートから成り立っています。

前編の「伝説誕生」は1)と、2)の前半、後編の「王の凱旋」は2)の後半と3)を語ります。

見てると、サル山のボスと一緒で並外れた力の持ち主じゃないと王は務まらないな、というのが率直な感想ですが(違)、当然インド映画はそれだけじゃありません。

マヒシュマティ王国は豊かなな富と広大な領地を持つ強国でしたが、生まれたばかりの王子バーフバリを残して国王と王妃が急逝したため、王座が空位となってしまいます。

王兄は国事を見ることができず、その妃、シヴァガミが家臣の謀反を防ぎ、国事を代行するようになりました。王の遺児バーフバリとシヴァガミの子バラーラデーヴァには等しく王位継承権があり、国母と呼ばれるようになったシヴァガミは、どちらか優れた方を王位につけると宣言します。

しかし二人は優劣つけがたく、侵略してきた部族の長をどちらが倒すかで決着をつけることになりました。バーフバリは族長を追い詰めたものの、最後のとどめを刺したのはバラーラデーヴァでした。しかし、シヴァガミはバーフバリを王とすることに決めます。敵を倒すことのみにかまけていた従兄と異なり、バーフバリは民を傷つけないように心を砕いていたからでした。

「百人の敵を倒す者を英雄と呼ぶ。
だが、一人の命を救うものは神である」


さすが国母様、言うことが違います!

そこまで聞いて、武勇と人徳を備えた偉大なるバーフバリ王に一目お会いしたいと、シブドゥの育ての母は切望しますが、忠臣カッタッパは悲しげに、バーフバリ様は味方の裏切りに遭って亡くなられ、会うことは叶わないと告げます。驚く一同にとどめを刺すように、カッタッパは声を上げます。

「その裏切り者は私なのです」



劇終!


ってここで終わりかよーー!!と、エンドロールと共に映画館に阿鼻叫喚の声がこだましたことは想像に難くありませんが、安心してください! 続編の「王の凱旋」は日本でも全国でバッチリ上映中です。

では、急いで続きを見ることにいたしましょう。

危機が降りかかるたび、国母様が、

かったっぱ〜!!

と叫ぶや、背後から飛び出して一撃で相手を倒す、忠臣にして天下無双のカッタッパ。まるで、アラゴルンがひと言叫ぶと背後から飛び出してくる「■―ド・オブ・ザ・リング」のレゴラスのようだ(ビジュアルは相当違うけど)と思いながら観ていたら、なぜそんな恐ろしい展開に??

しかし回想の中では、カッタッパとバーフバリはまるで実の親子のように仲良し。戴冠を前に地方の視察に出るよう、国母に命じられた二人は、クンタラ王国の武芸の達人にして絶世の美女、デーヴァセーナに出会います。

乱暴な女がタイプなのは一族男子の血統なのか、案の定、鉄火肌のデーヴァ―セーナ兄貴の虜になるバーフバリ。

それを知った従兄は一計を案じ、先手を打って国母にクンタラ王国の王女を娶りたいと申し出ます。国母シヴァガミ様は、実の息子を王位から遠ざけたという自責の念からか、息子が望む結婚の成就を約束します。しかしそれは何としても王位につきたい息子の仕掛けた罠でした。

密かにバーフバリを見初めていた上に、マヒシュマティ王国からの高飛車な婚姻の申し出に怒ったデーヴァセーナは、挑発するような返事を寄こします。怒り狂った国母は、巡察で近くにいるはずのバーフバリに伝書鷹を飛ばし、王女を生け捕りにして届けるよう命じます。

その命令を王女と自分の結婚のためと勘違いしたバーフバリは、王女に身分を明かし、安心して共に来るよう促します。王女は国母の前で無礼を詫びて許されますが、結婚相手がバーフバリの従兄と知り、またもや怒り狂います。

さすが代々好みが一致してるというべきか、国母も王女とそっくりな性格で、宮廷内は一触即発状態に。バーフバリは嫁姑バトルのただ中で、王座を捨てて王女を取ると宣言します。

かくして、王座は従兄の手に移り、バーフバリは国軍の長に。しかし戴冠式の日、民衆は王の名よりもバーフバリの名を高く叫びます。当然、新王が面白かろうはずもなし。バーフバリを宮廷から追うと、彼はどこへ行っても民に慕われ、王者のように崇められています。

何をやっても人気者の従弟に勝てない王に、同情すべき点はなくもないですが、「蘭陵王」とかもそうだけど、王族の兄弟とか親戚同士の骨肉の争いって、ホントに恐ろしいですよね。

いよいよバーフバリが許せなくなった王は一計を案じ、デーヴァセーナの従兄クマラ・ヴァルマに、バーフバリ暗殺を計画する王を除くようわざと宮廷に忍び込ませ、クマラこそ王の暗殺を企てた逆賊で、首謀者はバーフバリだと国母に信じ込ませます。

筋肉野郎かと思ってたら結構アタマいいのね、とちょっと感心しちゃう王の計略でしたが、国母は民衆に人気のあるバーフバリを処刑すれば内乱が起きるのではと恐れます。そこでカッタッパに暗殺の命が下ります。

命に背くこともできず、自分を斬って欲しいと懇願するカッタッパ。国母は、ならば自らが暗殺の手を下すと迫り、ついに彼に命を承諾させます。

カッタッパは王に捕えられて刑を受けるという芝居でバーフバリをおびき出します。姿を現したバーフバリに自分を置いて逃げて欲しいと頼みますが、当然彼はどこまでもカッタッパを助けようとします。王が密かに見守る中、ついにカッタッパはバーフバリに手を掛けます。勝ち誇った王は、バーフバリの愚かさを罵ります。

それを聞いたカッタッパは王の計略を悟り、国母にそれを告げます。バーフバリの忘れ形見を抱いて国母の前に現れたデーヴァセーナは激しく国母をなじります。激怒するかと思いきや、国母はデーヴァセーナの足元にひれ伏して罪を認め、幼子こそが王だと宣言するのでした。

国王は国母と幼子を亡き者にしようと刺客を差し向けますが、国母は秘密の通路から逃走。背中に矢を受けながら、川に流されていきます…。



ということで、ようやく話は「伝説誕生」の最初のシーンにつながるんですね。あの大げさなおばさんは、乳母じゃなくて国母シヴァガミ様だったのか!と4時間以上見てやっと分かった鈍感な観客(私)をお赦しくだ
さい(だって、皆同じに見えるんだもん)。

この映画、ヒーローはあくまでも清く正しく、仇役は絶対的な悪で、最後は父の仇を討ったバーフバリが王座につくという、予定調和で勧善懲悪なストーリー。

ではありますが、一方の女性は国母シヴァガミといい、王女デーヴァセーナといい、知恵もあり正義のために行動することが却って悲劇をもたらす存在として、物語に奥行きを与えています。

そして気になるのは物語の要となる忠臣カッタッパ。彼はどういう存在なのでしょうか。

彼は忠義一徹で善人、武芸の達人ながら謙虚で人好きのする人物です。彼は国母の命とバーフバリ(1世)への情に挟まれ、結局、命を遂行しました。彼が暗殺者であることをデーヴァセーナは承知していたでしょうが、彼を責めたりはしていません。

しかし、映画の冒頭、王宮の広場に鎖で繋がれたデーヴァセーナを、警備が手薄なのに乗じて解放しようとしたカッタッパの申し出を、彼女は一言の下に拒否しています。

母として息子の凱旋を心から信じていたからということもありましょうが、息子の祖父替わりとも頼んでいたのに裏切ったカッタッパに救われたくないという矜持も当然あったのではないでしょうか。

英雄でもなく、神でもなく、命じられるがままに良心の呵責を感じながら、でも実行してしまうカッタッパ。彼の姿は業務という名のもとに悪い事とは知りながら、なぜかその片棒を担ぐ羽目になってしまう普通の人間の代表のように見えました。

で、一鑑賞者としては、性格悪いとは言え文武両道で優秀だった前王の後釜として、偉大な父の息子だからって、武はともかく文が怪しくてもちゃっかり座った息子バーフバリとその王国の行方がちょっぴり心配なんだけど、それはきっとまた別のお話、ですよね。

posted by 銀の匙 at 22:22| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス

shiawa.jpg

カナダの画家、モード・ルイスの伝記的映画。

タイトルはふわふわしてるし、作品を使ったポスターの絵はほんわかしてるし、舞台はカナダのノヴァスコシアだしで、ほんわか観ようと思えば観られないこともない映画。

確かにモードの描く絵は可愛くて、映画の中では町の人に「うちの子の描く絵にそっくり」とか言われています。

でも重いリューマチで身体は不自由、週に25セントのお給料、同居してるのは甲斐性ゼロのくせにオレ様なイーサン・ホーク、とくれば、絵が可愛いことで何とか他のキビシイ状況と釣り合いが取れていると言えなくもありません。

なにせ主人公であるモードの、家の中での順位は、

 1. オレ様(エヴェレット)
 2. オレ様(エヴェレット)のイヌ
 3. オレ様(エヴェレット)のニワトリ
  ↓
  ↓
  ↓
    お情けで置いてやっている、厄介者の家政婦(モード)
なんで。

もう一方のロクでなし、モードの兄貴は、事業に失敗して借金取りに追われる身。住んでいた家は売り払われ、叔母にも邪魔者扱いされたモードは、町はずれで魚の行商をして暮らしているエヴェレットが家政婦を募集していると知り、彼の家に向かいます。

家政どころか掃除も片づけもできないモードを追い出そうとするエヴェレットですが、モードが予想外の根性を発揮したうえに、エヴェレット本人もオレ様に見えて根が善良なため、ずるずるとモードに居座られる羽目に。

一見ひ弱そうなモードですが、内面ではややエキセントリックなゲージツ家魂が爆発しており、誰の言いなりにもならないそのエネルギーには並外れたものがあります。周りを動かして、ときに小狡く、ときに賢く立ち回る彼女を、サリー・ホーキンスが可愛げたっぷりに演じます。

そんな彼女に振り回され、すごく迷惑そうな、しかし内心嬉しくてしょうがないエヴェレットをイーサン・ホークが演じます。無骨な行商人がとても似合ってますが、着こなしや挙措動作に隠し切れないセレブテイストが…。

キャスティングって大変ですよね…。そしてそれ以上に、ゲージツ家と暮らすって大変ですよね……。モードと暮らして面白いこともいっぱいあったとは思いますし、結局、モードが絵に没頭できるように、エヴェレットが家政婦をやってたのも(口では言わないけれど)彼女の才能を認めていたからなのでしょうが、「お前はイヌより手がかかる」というセリフもかなり本音なんだろうなあと同情申し上げる今日この頃です。

アシュリング・ウォルシュ監督

posted by 銀の匙 at 23:29| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

すばらしき映画音楽たち 

すばらしき.jpg
(写真はパンフレットの表紙から)

観終わったあと、とても感動しておきながら、忙しくて感想を書きかけたままになっていました。啓蟄と共に何とか思い出してエントリー(虫かよ)。

ハリウッド映画を彩る数々の映画音楽を紹介するドキュメンタリー。無声映画の、効果音からBGMまですべての音響をこなす、エレクトーンの親玉のようなオルガンとか↓(これを映像に合わせてライブで演奏したとか)
oru.jpg
ビッグバンドが主役になったり、ポップスが主役になったりといったサウンドの変遷とか、いろいろな切り口があって楽しめました。

名曲と共に名画も多数登場。記憶に新しいところでは、『マッドマックス2』や『アベンジャーズ』、久しぶりに大画面で観た『ロード・オブ・ザ・リング』も感涙モノ。

名曲が誕生する瞬間はもちろん、すでに出来上がっている音楽をミキシングする段階で、使われている楽器の音量調節によって映画のクライマックスを作るという局所的なテクニックも興味深かったです。

実際の画面(『トランスフォーマー』だったかな?)を観ながら、普通のバランスで音楽を流したときと、ホルンのパートを強調したときを比べると、明らかに後者の方が盛り上がっています。割と地味な楽器なイメージがあるだけに、とても意外でした。

意外といえば、音楽がイケイケドンドンなハンス・ジマー(『パイレーツ・オブ・カリビアン』などを担当)の自信なさげな態度は想定外でした(笑)。

最近は映画1本に掛ける予算や広告費も天文学的な数字になっているらしく、制作のかなり終わりの方の工程に位置する作曲家にかかるプレッシャーは並々ならぬものがあると言います。期待されるのはいいですけど、ヒットは君次第だって、そりゃ作曲家に圧を掛け過ぎでは…。

映画音楽は楽器や音源に制限がないため、いつか使う気なのか変わった楽器を集めまくって楽器博物館みたいになってる本末転倒な作曲家のお仕事場訪問も面白かったです。なんだかんだ言って、このお仕事をとても楽しんでいるんですね...。

デザイナーもそうだと思いますが、依頼主が言葉(あるいは、この場合は映像)でしか説明できないイメージをいかに具現化するか、または真っ向ぶつかって新しい命を吹き込めるかという難しいチャレンジを体感するのはとても刺激的です。映画ファンはもちろん、お仕事煮詰まっている皆様にもおススメの良作です。

マット・シュレーダー監督
立川シネマシティで観ました。さすがの音響で感動2割増し。
2018年2月末から山形、3月からは福井や吉祥寺など、いくつかの映画館で再上映されます。
お近くで上映があったら、絶対お見逃しなく!!!!
posted by 銀の匙 at 22:11| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

2017年一番面白かった映画はコレ:WE ARE X

ローグワン.jpg

皆さま、こんばんは。
映画ファンにとって栄誉あるイベント、ぴあ映画生活ユーザー大賞の投票も終わりまして、1月上旬に予定されている、ベスト10の発表が楽しみです。(ちなみに、ノミネート作品:ベスト50はこちら

ということで、この機会に2017年に何を劇場で観たか振り返ってみました。

大作メジロ押しでベスト10さえ選ぶのは到底ムリだと思った2016年に比べると、飛びぬけて大作感のある作品は少なかったように感じましたが、逆に、粋な映画だなぁ〜と思った作品は多かったです。

そういえば、2017年は映画祭の時期がちょうど忙しく、社会人になって初めて、1度も映画祭に行かなかった年でした…。諸事情により映画以外の作品を大量に観なければいけなかったせいもあって、邦画も劇場ではほとんど見られなかったのが残念です。

だからという訳でもないのですが、今年観た映画の中で断トツに気に入ったのは「WE ARE X]。次点は「BLAME!」とどちらも邦画でした。

以下、(大体の)観た順にちょこっと感想をば。リバイバルも含みます。すべて劇場での鑑賞で、DVDだけで観たものは除いています。

ローグ・ワン
「スター・ウォーズ」のスピン・オフ。
“ならず者”どもの集まりということで、全員「漢字倶楽部」(笑)のメンバーみたいなビジュアルでしたが、正統派の美男美女が主役だった新三部作の時代ならともかく、今や本編の方も「総員漢字倶楽部」的な雰囲気だし、何より、いい加減デス・スターはお腹いっぱいだと思ってしまいました(哀)。

個人的には姜文とドニー・イェンが出てくれたのはすごく嬉しかったし、2人のコンビはとても面白かった半面、物語にどうしても彼らの存在が必要だったわけではなく、市場開拓のために起用しただけという大人の事情なのでは…という邪念の呪いであまり楽しめなかったのも事実。そんなこと、作品の価値には全然関係ないのですが…。

こころに剣士を
エストニアという自分にとっては馴染みのない地域の映画でしたが、しみじみ心に残りました。
感想は→こちら

永遠のヨギー
こういうのを観ると、ヨガは健康体操とはまるで違うものだということを思い知らされます。一方で、「お天道さまがみてる」という考えを説明しづらいのと一緒で、ヨガの文化の外側にいる自分は、まるで明後日の方向に理解しているのではないかという気もしています。
感想は→こちら


カリオストロの城
4D上映があったので観ました。冒険活劇の楽しさ溢れる作品。
感想は→こちら

ハドソン川の奇跡
投票後にしか観られなくて残念! 2016年度イチ押しの作品。
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バベットの晩餐会
とても気に入っている作品。映画館でまた観たかったのでリバイバルが嬉しかったです。原作小説もとても好きです。前回観たときは気が付かなかったのですが、哀れウミガメが鳴いてたのに気づきました...。

ティファニーで朝食を
劇場では初めて観ました。オードリーの魅力に負けない、ティファニーの店員さんのイキな提案も素敵。

鳥居を通り過ぎて風
映像は清々しかったですが、かすかに引っかかるものを感じました。外国育ちの日系2世が日本の神社を訪れ、その心に触れるという内容ですが、内容紹介では「映像詩」「ものがたり」とされているので、フィクションなのでしょうか。

もしドキュメンタリーでないなら、なぜ外国人の眼を通さなければいけないのかが謎でした。別に日本人が日本の神社を再発見したって不思議はないと思うのですが。

というのも、英語による少女のモノローグのナレーションが、日本について外国人に言って欲しい感想、日本人として外国人に説明したい事柄が凝縮されている印象で、本当に日系2世の少女が感じたこと、知りたいこととは、やや離れているような気がしたので…。

ラ・ラ・ランド
音楽、登場人物、ストーリーともに、チャーミングで大人のミュージカル。

ゴースト・イン・ザ・シェル
感想は→こちら

ターシャ・チューダー 静かな水の物語

WE ARE X
表現者の業のようなものをひしひしと感じたドキュメンタリー。実はX-Japanというバンド名しか知らず、メンバーの名前も映画で知ったような体たらく(すいません、ホントに…)。遅ればせながら、良い音響で曲を聴く機会に恵まれてラッキーでした。映画化に心より感謝する次第です。

BLAME!
今年唯一劇場で観たアニメ。
感想は→こちら

ワンダー・ウーマン
この世界の片隅に
ほとんど同時期に観ました。どちらも戦争を背景にした、女性が主人公の映画です。

庶民にとって戦争は天災であり、自分はただ被害者なのか。それとも、自分も加害者の1人でありうると自覚し、そこから行動するのか。今かろうじて平和な時代だからこそ、2人の投げかける問いは重いと思います。

ありがとう、トニ・エルドマン
父と娘の何とも言い難い微妙な空気感を描いた秀逸な作品。
感想は→こちら

メッセージ
原作「あなたの人生の物語」の大ファンです。ビジュアル的には原作にとても忠実だったかと思いますが、ばかうけだのイカ刺しだの、こうも酒のつまみに好適な絵面だったとは、ちょっと想像力が及んでませんでした
(^^ゞ

映画もおおむねとても良かったんですが、現実の国際政治に絡めた映画オリジナルの部分が、中国人のというよりはアメリカ人の予想する行動パターンまんまの気がしちゃって…。コミュニケーションについての映画なのに、異文化理解がリサーチよりも先入観に基づいている雰囲気なのがイマイチ残念。

タレン・タイム 優しい歌
心に沁みる珠玉のマレーシア映画。リバイバルで観ました。
感想は→こちら

ダンサー、セルゲイ・ボルーニン 優雅なる野獣
確かに彼のバレエは凄いです。同時に、彼のバレエには何かが欠けている気がする。バレエカンパニーを離れた今はむしろ、その欠落感が良いのでしょうが…。

ガーディアンズ オブ ギャラクシー:リミックス
I am Groot.

LOGAN/ローガン
『X-man』のスピンオフ作品。良い作品でしたけど…正直、観るのが辛い映画ではありました。

キングスマン
暴力シーン満載の上品な映画。それにしても、イギリスはどうしてもアメリカを意識しなくてはいられないんでしょうね...。

ベイビードライバー
こちらも暴力シーンはありますが、青春映画っぽいところもある作品。
感想は→こちら

ドリーム
NASAで活躍した3人の黒人女性の奮闘を描く、事実に基づくドラマ。3人のモデルになった方々のお写真がエンドロールに出ましたが、見るからに頭がよさそう。(^^♪ やっぱり中味は顔に出てしまうのでしょうか。

ひなぎく 
リバイバルで観たチェコ映画。評判通り、とてもオシャレでアンニュイ。この映画が時代を超越しているのかも知れないけど、女の子はいつだって、こんな風に時代を超越できるものなのかも。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
感想は→こちら

ブレードランナー2049
個人的には、独立した内容で十分面白かったので、直接「ブレードランナー」とリンクしない方が良かったようにも思いますが、重厚でフレンチコミックのようなアーティスティックな味わいがある意欲作。

星空
ジミーの絵本を元にした台湾映画。少年少女が主人公の実写映画をほとんど観たことがないので新鮮でした。ただ、その年代に向けてだとちょっと長いし、大人向けとしては少し単調だったかも。エンドロールに絵本の絵が出てきますがとても良かった。

smoke
リバイバルで観ました。ニューヨークが舞台の、でも少しひなびた感じがホッとする小粋な名作。
感想は→こちら

スターウォーズ エピソード8
新しいキャラクターが活躍し、旧シリーズからの脱皮を図る一方で、旧シリーズへのオマージュも散りばめ、主人公を演じたマーク・ハミルとキャリー・フィッシャーの名演が心に残ります。

ことに、追い詰められた石の惑星で、放置されていた基地の防御壁の後ろに立ち、衣装の襟から目元をのぞかせたレイア姫の姿は全編の白眉。

感想は→こちら

それでは、どうか皆様、今年もよろしくお願いいたします。
お勧めの映画があれば、どうぞお教えくださいませ!

posted by 銀の匙 at 01:04| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

スターウォーズ8 最後のジェダイ(表記以降ネタバレあり)

starwars8.jpg

いや〜面白かったですねー! 私はエピソードWが一番好きなのですが、その次に好きかも。

エピソード8は、新シリーズの真ん中の1本に当たるので、どう転んでもOKな一方で、面白く作るのはなかなか難しいチャレンジだったはず。

今回はその点、かなり定石を外しにかかってきて(いちおうシリーズの枠内ではあったけど)新鮮だったし、光と闇の間を描くことで、話としても深みが出たし、ヒーロー/ヒロインと悪との戦いという構図から抜け出して、大人が見ても楽しめる複雑さが加わったと思います。

BB-8も前作以上に活躍したし、予告通り、あっと驚く展開もあったし、メカもたくさん出たし、大満足。

毎回、エンドロールでロケ地のクレジットにぞろぞろ並ぶ見慣れない人名を眺めるのを楽しみにしてるのですが、今回も期待にたがわず、いろいろな記号がいっぱいついた人名がずらりと並びました(アイスランド、アイルランド、ボリビア、クロアチア等々で撮影された模様)。

そして、エンドロールの楽しみといえば音楽ですが、こちらはキャストの名前の最後に珍しくピアノソロになったと思ったら、それはレイア姫のテーマで、私たちのプリンセス キャリー・フィッシャー、とテロップが出ました。ここにも字幕を付けたら良かったのに…。

ということで、以下はお話の内容に触れています。まだ見ていない方はここまで。













さて。

足柄山のキンタローを彷彿とさせる(ごめんね!)アジア系女性を思いっきりフィーチャーし、前作にもまして、女、非白人、凡人推しの度合いをパワーアップしている本作ですが、このシリーズのタイトルが「スター・ウォーズ」であることを、改めて強烈に意識させられたエピソードでもありました。

冒頭、いきなり画面狭しと多数のスターデストロイヤーが出現し、多頭飼いのネコみたいに犇めき合うありさまを見て感涙にむせんでいると、反乱軍側がXウィングを繰り出し、のっけから激しい戦闘シーンが始まります。

多大な犠牲を出すも戦果を上げ、鼻高々のパイロット、ポー・ダメロンに、レイア将軍が思いっきりダメを出します。(ダメロンだけに…って、いやいやいや口が滑りました)

この時点からすでに、冷静で正義感溢れ、余裕しゃくしゃくの女性陣と、お子ちゃまだったり意気地がなかったり日和見だったりする男性陣という構図が確立されており、いくらなんでもこのシリーズの忠実なお客さんである男性ファンに配慮がなさすぎなのでは、とつい余計な心配をしてしまうほどでした。

そして、さんざん戦闘シーンの見せ場を作ったあと、敵の戦隊の追跡を振り切るために暗号破りの達人を探しに行ったカジノで、新キャラクターのローズはフィンに、ここに出入りできるほどの富を蓄える方法は一つしかない、戦争よ、と言います。

なんだか、「戦争」を映画にして稼いでる、自分たちへの皮肉みたいですが…。この監督さん、定石を外してくるところといい、このシリーズの根本原理を派手にぶち壊しにかかってきたところといい、かなりの勇者とみました。

まあそれはともかく、そのカジノからの脱出行や、追跡され、包囲された状況からの脱出、石の惑星での戦闘シーンでも、称賛されるのは戦って相手を倒す戦果ではなく、例えささやかな数だったとしてもいかに誰かを助けたか、命を救ったか、という点なのです。

一方で物語は、武器商人がファーストオーダー側ばかりでなく、反乱軍にも武器を供給していることを語ります。うさんくさいコードブレイカー、結局は味方を窮地に陥れたポーとフィン、レイに心の内をみせたカイロ・レン、どんな暗黒卿よりも酷い決断をしたルーク…すべては光と闇の間を揺れ動き、絶対の善もなければ絶対の悪もない、まさにルークが語った「フォース」そのものの様相を見せます。

サブタイトルの最後のジェダイはルークのことだったのですが、彼がレイに伝えた通り、ジェダイがフォースを司っているわけでも、ジェダイの中にフォースがあるわけでもなく、最後のジェダイがいなくなったとしても、光と闇のバランスを取るものとしてフォースは全てに流れ続けているのでした。

フォースは血統ではなく、名もなき両親の子であるレイ(少なくとも8の段階では。ただ、ラストシーンで箒を引き寄せていた子も似た境遇でしょうから、恐らくそのはず)にも使えるというのは、凡人推しの一面はありますが、この流れからすると自然だし、そうあるべきなのでしょう。

とはいえ、凡人ならぬマスター・ヨーダの言うことは、やはり賢者ならではの含蓄があり、しみじみと噛みしめてしまいました。ルークがレイアを救いに行ったのは、R2-D2の機知がきっかけだったでしょうが、一度は師としての重荷を放棄していたのに、行動を通して最後のジェダイとしての責任を全うし、レイを―あるいはカイロ・レンをも―導くことになったのは、きっとヨーダのおかげなのでしょうから。

となると、過去を捨て去るとはいいつつ、スター・ウォーズの一番の英雄は今回も、緑色で小さな老人、マスター・ヨーダということで…。

ということで、定石外し+大事なお約束は受け継いだ本作品、
感想も定番の挨拶で〆るといたしましょう。

ではでは、2018年もフォースと共にあれ!

posted by 銀の匙 at 03:24| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

smoke(スモーク)

smoke.jpg

私はタバコが苦手なので(喫煙室に入ると確実に喉をやられてしばらく声が出ない)、味?の良しあしは分かりませんが、タバコが作り出す「間(ま)」というのは、なかなか他を以て代えがたいものがあるとは常々感じております。

箱から取り出し、火をつけて、最初に呼吸するまでの、あの独特の時間。

前後はともかく、吸っている瞬間には、その場に何人いようと必ず訪れる沈黙。

この間合いに、得も言われぬ妙味が凝縮されているような気がします。

ニューヨーク、ブルックリンの街角にある小さなタバコ屋。店主・オーギーの人柄ゆえか、店内では客たちが、一服しながら野球談議や小話で盛り上がったりしています。

インテリ風の男がタバコにまつわるちょっとしたエピソードを話します。エリザベス一世の時代、寵臣のウォルター・ローリー卿が宮廷でタバコを流行らせた。彼は得意の機知で、タバコの煙の重さを量ってみせた…。

いきなり場を高級にして立ち去った男に、残されたシケた感じの男たちが唖然としていると、オーギーが、彼は小説家だが、このすぐ先の銀行で起こった強盗事件で妻を亡くして以来、ずっと何も書いていないと話します。

その作家、ポール・ベンジャミンは店を出てふらふら歩いているうちに、車に跳ねられそうになります。とっさに彼を救った黒人の少年に、ポールは礼をしたいと申し出ますが、彼は受け取ろうとしません。結局、レモネードを一杯おごり、ポールは気が変わったら尋ねてきてほしいと、自分の住所を渡します。

数日後、ブザーがなり、思いもかけず少年が現れます。ラシードと名乗る少年をポールは2泊くらいならと泊めてやりますが、結局仕事の邪魔になるというので帰したところ、しばらくして、またブザーが鳴り、今度は彼の叔母と名乗る婦人が現れます…。

いかにも訳アリそうな、でも素直で純真そうな少年ラシード、街角の写真を取り続け、街の渋い魅力を象徴するかのような店主オーギー、傷心を抱えつつ、ニューヨーカーの良心を体現しているかのような作家ポールのエピソードをゆるく絡ませながら、タバコを燻らせているときのような、落ち着いたテンポで進む物語です。

郊外に向かう列車が長く伸びていく場面。大混乱の末に、各々無言でピクニックのテーブルを囲む場面。
何ともいえない独特の妙味を、映像からも感じます。

登場人物たちはしょっちゅうウソをついていたり、犯罪すれすれのことに手を出したり、荒れた生活を送っていたりと完璧な人たちばかりではないのですが、肝心なところでは自分の良心に従い、さりげなく人に救いの手を差し伸べます。

心温まる、でも決してベタベタしないその距離感が、いかにもニューヨークの粋を感じさせ、感心しつつ観ておりましたら、なんと脚本がポール・オースターだったとは。

サンタクロースももみの木も雪景色も出てきませんが、クリスマスにふさわしいこの映画、デジタル・リマスター版が2017年12月17日から恵比寿ガーデンシネマ他、全国でロードショーとのこと。

まだ見ていない方も、思い出の1本となっている方にも、強くおススメいたします!

ウェイン・ワン監督
113分

excite ism に制作の裏話も含めた、とても読み応えのある紹介文が出ています(あらすじがかなり詳しいので、ネタバレを気にされる方は、ご鑑賞後にご覧になった方がいいかも)↓

http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1481685885166/





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2017年09月30日

ベイビー・ドライバー

実は先日、音の良い劇場で観ようと立川シネマシティの席を予約しといたのに、天候に阻まれて断念。それでも執念で再チャレンジいたしました。

立川まで行く時間がどうしても取れなかったのと、お金を損したのがちょっと悔しくて(←映画館のせいじゃなくて天気のせいですが)、新宿の別の映画館で観たのですが…

悪いことは言いません。
絶対音響の良い映画館で観ましょう!

クライムものは残虐だからやだなぁと思っていましたが、そんな苦手意識を吹っ飛ばす音作りに、グッとくること請け合いです。

歌や楽器で出す音だけじゃなくて、身の回りのどんな音も、町の喧噪も人の話し声も雑音も、すべては音楽だと常々思っていますが、この映画はまさにそれを体感させてくれます。

主役の「ベイビー」は幼い頃の交通事故が原因で耳鳴りが止まず、それを誤魔化すために音楽が手放せません。アーティストの演奏を聴くばかりでなく、自分でも録音機を駆使して素材を集め、ミックスして面白い音源を作り出します。その音楽に乗り、彼は自在に車を操ります。

その天才的なドライビングテクニックを見込んで、町の麻薬王が強盗の「逃がし屋」として彼を使っています。協力したくなくても、養い親やガールフレンドの安全を考えると仕事を断れないベイビー。麻薬王は、次の仕事が終われば解放してやると約束するのですが…。



全編を彩るご機嫌なナンバーはもちろん、音にピタリと嵌るベイビーの一挙一動から目が離せません。クールに見えて心の優しいベイビーは当然のこと、ガールフレンドのデボラも慎ましやかながら機転の利く良い娘で、とても魅力的です。

彼女には「ドライバーの仕事をしているが、もう辞める」と言っていたベイビーですが、無理やり仕事を手伝わされた上に、彼女が働くダイナーに仕事で組まされたワルたちを連れて入る羽目になってしまいます。

この店は嫌いだから入りたくない、と、いつも無口なベイビーが珍しく抵抗したために、却って知り合いがいると嗅ぎつけられてしまう。

ワルの一人が、注文を取りに来たデボラに「この店が嫌いなんだとよ」というと、瞬時に状況を悟って、ベイビーと知り合いということを微塵も感じさせず、震えながら「それではアンケートにご記入ください、改善させていただきます」と咄嗟に答えるシーンがとても好き。

かなりスリルのある展開の割に最後が非常にマイルドなのが、ハードボイルド好きの方の評価が辛い一因でしょうが、救いのあるこの甘い展開が清教徒っぽさを感じさせて、私は好きです。せっかくハリウッド映画なんだから、厳しい現実より、こういう人の善意を感じさせるラストでなくちゃ…。


敢えて名は秘す新宿の映画館で観ました。
音の焦点がボケててイライラしました。
担当の方は、調整頑張ってください! よろしくお願いします。

posted by 銀の匙 at 01:23| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

マンチェスター・バイ・ザ・シー(注意表記以降、ストーリーの結末に触れています)

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最初、「海辺のマンチェスター」って意味のタイトルなのかと勘違いしており、なんでイギリスの話なのに車が道路の右側を走ってるんだろう…EUから離脱して左側通行はやめたんだっけ?とか妙なことを考えてました。道路脇に星条旗が出てきたので、はっ、アメリカの話か! とようやく気づきはしたのですが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」までで、アメリカのマサチューセッツ州にある、町の名前なんですね…(恥)。

お話は、仲良くしていた兄の訃報を聞いて、その海辺の町に戻ってきた弟・リーと彼を取り巻く人々を描きます。

リーも元々この小さな町に住んでいたのですが、ある事件をきっかけに町を離れ、ボストンで修理屋として働いています。

兄は心臓の持病があり妻とも離婚していたことから、亡くなる前に高校生の息子の後見人として弟を指名し、ボストンから兄の家に引っ越して面倒を見るよう、遺言を残していました。

しかし、それはリーにとってはあまりにも辛い選択でした。甥っ子は住み慣れた場所、友達のいるこの町を離れたくないと抵抗するものの、それを打ち消すように、彼を連れて早くボストンへ戻ろうとするリー。しかし、その間にも、過去につながる記憶や人々と接点を持たざるを得なくなります。そして…。



2017年のアカデミー脚本賞を取った作品ですが、無理に作り込んだところのない自然な展開で、それだけにいっそう、主人公の鬱屈が心に沁みます。

カトリックの子だくさんで飲んだくれで喧嘩っ早くて愛想が悪くて暗くて…と、ある種ステレオタイプ(たぶんアイルランド系の人??)の人物像ではあるものの、現実にいそうな、いかにも自ら不幸を招き寄せそうな男を、ケイシー・アフレックが体現しています。

これほどの打撃を受けたあとでも、そうそう都合よく人が変われるはずもないし、救いや慰めが得られるわけもありません。ただ、主人公自身のほんの少しの変化と、彼を取り巻く人々―別れた妻や父を亡くしたばかりの甥っ子までもがー何かの形で力になろうとしているのを見ると、わずかではあるけれど、希望の光が見えてくるような気がします。


ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
補助席も出る大盛況。
今年の話題作としてまた上映される機会もあるかと思います。
どうぞお見逃しなく。

以下、ストーリーの核心に触れています。これからご覧になる方はここまで。













ボストンで孤独な暮らしを続けるリーが、兄危篤の報を受けて故郷の町へ帰り、兄の居た日々を思い出したりしているうちに向き合わざるを得なくなる事件とは、自分の不注意で自宅を全焼させ、子供たちを失い、妻とは離婚するという救いようのない出来事。

小さな町のこととて、周りは彼の名を聞けば事件を思い出すし、今は再婚している妻とも顔を合わせることになってしまい、彼はどんどん追い詰められたような感じになってくる。それでも、兄が亡くなった当初の自暴自棄のような態度からは少し冷静になってきて、自分はどうしても過去を克服できないながらも、克服できないことを自覚し、甥っ子のためにしてやれる範囲の手立てを考えてやることはできるようになっている。

これがいわゆる「感動作」だったりすると、新しい愛を見つけてみたり、甥っ子と気持ちが通ったりみたいな描写があるのでしょうが、この映画はそんな安っぽいところに逃げてない。

ただ、エンドロールの波音を聞きながら、厳しい寒さに耐えなければならないこの町の冬景色が美しいように、厳しい運命に生きるからこそ、彼の行く手に救いがあってほしいと祈るような気持ちになる、静かで力強い良作です



posted by 銀の匙 at 20:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ありがとう、 トニ・エルドマン

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暑いところに暑苦しいチラシ画像、失礼いたしました。

この毛むくじゃらの図に添えられたコピーが、全てを物語っております。

「愛は不毛じゃない」

さ…

…寒っ!

一言でこの映画の本質を表した、まさに秀逸なるコピーでありますが、お話はまさにこの通り、全編これ全然笑えない、しばらく考え込む、腹立たしくなる、あるいは気づかない、痛々しいおやじギャクがさく裂しております。

いや、ギャグというよりは、イタズラというかむしろ嫌がらせの領域に両足を突っ込んでいるのですが、それでもヴィンフリートはめげません。多国籍企業で働く氷のようなキャリアウーマン、イネスの父として、娘を心配するあまりに後をつけまわす、カルガモの逆バージョンみたいなことを平気でやってのけます。

娘の海外出張先・ルーマニアに堂々と乗り込み、明らかに厄介者扱いされるだけでは飽き足らず、妙なカツラに謎の入れ歯をはめて、勝手に人生コンサルタント、トニ・エルドマンを名乗り、娘の行くところ行くところに現れ、結果的に仕事の邪魔ばかり。

そんな強烈かまってちゃんな父親の行状に切れ者イネスもだんだん歯車が狂ってきて、上司や同僚を交えた大事な場面で、ついに突拍子もない行動に出てしまいます…。



いや〜、わたくし、リアルで行動がトニ・エルドマンそっくりの傑作なお父さんを存じ上げているのですが、端から見てるとすごく面白いんですけど、娘さんは相当ウザく思っているでしょうね...。映画館でこのお2人にトークショーをしてもらったらどうかと思うけど、娘さんはきっとうんとは言わないだろうな(笑)

もっとも、自分は娘の立場とはいえ、ヴィンフリートの気持ちはすごくよく分かります。いつまでも小さな子どもにしか見えない娘が、大人ぶって危なっかしいことばかりしている。ただもうおろおろと、後ろにくっついてちょっかいを出すことしかできない。

娘の方は絶対心底嫌なんだと思いますが(笑)、どこかで、自分の今している仕事の非道さを感じていたのでしょう。何とかそれにフタをしてクールに振る舞ってきたけれど、ついに臨界点に達するときが来る。それは、父の存在がなければ、こうも早く表面化しなかったものかも知れない。

娘と違って父は芸術家(音楽家)なので、奇行もそれなりに許されてきたのでしょうが、いきなり思い切ったことやっちゃう娘も、やはりそのDNAを受け継いでいたんでしょうかね…?

この映画を観るまで、ルーマニアってどんなところか全然知らなかったのですが、今はこんな感じなんですね。石油資源を求めて企業が群がり始めているようですが、日本でもときどきルーマニアの話を見聞きするようになったのはそのせいなんだろうか、と思ったりしていました。ちょっとトニ・エルドマンにちょっかい出されているのかも知れません。

なんて、映画を観ながらあれこれ詮索するヒマがたっぷりあります。全体に話の展開がスローだし、エルドマンは笑えないし。

ハリウッドでリメイクの企画があるそうで、それだと気の利いたエピソードやら盛り上がるシーンやらが巧みに配置され、飽きず、楽しく、感動しながら観られるのでしょう。だけど、私はこの作品の、訥々とした不器用なベタさが愛おしいです。

単館公開は終了しましたが、秋口からまた全国各地で上映されるようなので、機会があればぜひご覧になってみてください。
posted by 銀の匙 at 13:39| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

タレンタイム 優しい歌

(すみません、時間がないので、ちょこっとだけ。)

マレーシアのヤスミン・アフマド監督による2009年の作品。
残念ながら監督さんは公開年に突然の脳出血により亡くなられたということですが、日本人をお祖母さまに持つという監督の出自も反映されているような、心に響く作品です。

マレーシアの、とある高校の音楽祭を舞台に、いくつかの恋模様が描かれます。高校生が主役の爽やかな物語の中に、多民族社会マレーシアならではのエピソードが、各民族の伝統曲を含む音楽の数々と共に綴られていきます。

最初は何か、東南アジアらしい、のんびりした感じの映画なのですが、途中、とある事件が起こるのをきっかけに、さまざまなエピソードが収束してテンポアップし、深みのあるストーリーになって行きます。ユーモアとペーソスがちょうど良い具合にブレンドされてる感じです。

同じ高校の中に、宗教も生活習慣も文化の背景も違う生徒たちが同じくらいずつの数集まってるというのは、楽しそうではありますが、一歩間違うとなかなか大変そうだな〜という印象です。

ヒロインの女子高生の家族、インド系らしい男子の家族、マレー系らしい男子の家族、中国系の男子の家族なんかが登場するんですが、最初の方は、誰が誰の家族かを伏せながら話が進んだりするため、ヒロインの女子高生のご家庭の構成がサッパリ理解できず(一夫多妻なのかと本気で思ってた←コラ)、なんか複雑なおうちなのかと勝手に誤解したりとか(わざとそういう展開にしたのかも知れないけど。)

そうしたよく分かんない状況の中でも(いえすみません私が分かってなかっただけです)皆をつなぐ、愛と音楽の偉大さよ。

「優しい歌」という日本語タイトルが本当にピッタリの素晴らしいラストシーン、機会があったら、是非ぜひ是非ぜひご覧ください。

全国のいくつかの映画館(東京、埼玉、長野、広島)で7月21日(金)まで、アンコール上映しているようなので、お見逃しなく。

ユジク阿佐ヶ谷で観ましたが、補助席が出る大盛況。

観終わったお客さんが口々に、映画館の人に向かって「いい映画をありがとう」とお礼を言って去るという、そんな作品でした。
posted by 銀の匙 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


BLAME!|映画情報のぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

ゴースト・イン・ザ・シェル(表示以降、ネタバレです)

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↑初日にIMAXで見た記念にいただきました。

士郎正宗のコミックがクレジットされていましたが、実質は押井守監督のアニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を下敷きに実写化したもの(たぶん)。

密林のように建て込んだ高層住宅からわずかに覗く空を横切る飛行機、暗い海にダイブする主人公等々、アニメがそのまま現実化したようなシーンの数々。

映像・キャストとも限りなくゴージャスで、絵づらはイメージ通り。

観る前は、スカーレット・ヨハンソンの草薙素子って何さ...と思っていたけど、全く違和感がありませんでした(劇中、名前はキリアン少佐ですが)。

ということで、どうせ見るなら大きい画面でスカヨハを拝みましょう。

以下、ちょっとした感想のみですが、ストーリー(アニメ、実写とも)に触れています。ネタバレ絶対アウトな方はここまで。












ということで、映像は限りなく押井アニメの印象に近かったけれど、“ゴースト”は宿ってなかったって感じでしたね...。文化の深い溝を感じたというか…。

アニメと全く同じじゃマズいから、せめてストーリーは変えなくちゃって事情は当然あるでしょうが、まるで方向性がアベコベです。

ここまで映像が似てる以上、監督さんか、脚本家か、誰かはじっくりアニメを観たんだろうけど、きっと心の底では元の作品に納得いってなかったんだろうなあと思ってしまいました。

アニメでも確かに主人公の草薙素子は、全身がサイボーグの自分は、人間じゃなくて疑似の自我を持ってるだけなんじゃないかと思っていましたが、だからって自分が人間だと証明したいと思ってるわけじゃないだろうし、日本の観客は、人間らしくあるための努力を素子はなぜしない?!とか思わないのではないでしょうか。

しかしどうやら、この監督さん(あるいは監督じゃなくて、映画会社のエライ人かも知れないけど)は、どこまで人工化しようと人間はヒューマニティーを追求してるはずだと思ってるらしいし、人工物は人間のコントロール下にないと落ち着かないらしい。

だから、義体化の合理的(?)な理由も付け加えないとヘンだし、凄腕のハッカーが実はプログラムが自我を持ったもので、あまつさえ、主人公がそれと進んで融合するなんてアニメ版の話は受け入れがたかったのかもしれません。

アニメは、仮想現実やなりすましなどの事象を描いて、時代を先取りしていたと評価されていますが、いま観ても古びて見えないのは、その底にある問いが心と身体の関係、人間の存在という普遍的なものだからだし、新しく感じるのは、人工知能やロボット技術が日常的になった時代の意識のありようが描かれているからだと思うんだけど、どうでしょう。

つい、だからハリウッド映画なんて…とか、キリスト教文化圏って…とか言いたくなってしまうけど、ハリウッド映画にも『ブレードランナー』みたいな映画があるし、ここは解釈の違いと捉えるしかないんでしょうね...。

まあ、押井アニメを観てモヤモヤした人は実写版の方が納得いくだろうし、アニメ版のセリフの多さに辟易した人(→私)も今度は画面に集中でき、映像美を堪能できたのは幸いでした。キャストは全員最高だったので、続編ができれば、公安9課のメンバーにもっと活躍してほしいなぁ..。

ちなみに、大人の事情か原作リスペクトか分かりませんが、スカーレット・ヨハンソン演じるキリアン少佐が、日本人・草薙素子の脳を移植したもの(そして、移植後なぜか白人)って設定とか、ヒデオって名前の彼氏がいた(そして移植後なぜか白人)とかって設定、ありましたっけ? 一番盛り上げるはずの場面で「なんでやねん!」とIMAXの巨大スクリーンに向かって、思いっきりツッコミそうになったんですけど…。

109シネマズ二子玉川で観ました。
ここのスクリーンは巨大で、前の方で観るとスクリーン全部を見渡すのが困難。
3Dだと船酔い状態になります。
少し前過ぎる感じはありますが、F・G列ぐらいだと没入感があっていいかも。


ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 03:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

posted by 銀の匙 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

ハドソン川の奇跡(ストーリーの結末に触れています)

「ぴあ映画生活」では毎年映画ファンによるその年のベスト映画を選ぶ投票があります。今年はお声を掛けていただいたので投票に参加しました。一次投票で数を絞り、二次投票でベスト10を選ぶのですが、高得点で二次に進んだこの映画、いつもタイミングが悪くて見逃しておりました。

支持が高い映画を観てないのに他のを推すのもどうかと思って、結局二次投票には参加しませんでしたが、年が明けてようやく映画館で観ることができ、その判断は正しかったな〜と思いました。去年観てたら絶対一位に推していたと思います。

2009年1月、アメリカの飛行機が鳥の群れと衝突したことで両エンジン停止のトラブルに見舞われ、ニューヨークのハドソン川に不時着水するという事故がありました。本作は、その実話を元にした映画です。

事故から着水までの手に汗握る再現シーンや、その後、真冬の川から乗客乗員155名全員が生還した迫真の脱出シーンも素晴らしかったのですが、実はこの作品の主題は事故時の再現ではありません。

安全確保のため死力を尽くし、英雄となってめでたしめでたし...となるべき機長が、判断ミスのため飛行機を墜落させた殺人未遂の容疑者扱いを食らうという、口あんぐりな後日譚だったのでした。

ハドソン川の奇跡を起こしたベテランパイロット・サレンバーガー(サリー)機長は、事故の原因を究明している国家運輸安全委員会に呼ばれます。調査した結果、事故機は川に着水せずとも、出発地のニューヨーク・ラガーディア空港に引き返すか、近くの別の空港に着陸できたはずだ、というのです。

サリー機長は、副操縦士のジェフと共に、自分たちの判断の正しさについて説明に努めますが、委員会は、実は片方のエンジンはわずかながら生きていたというデータや、同じ条件でコンピュータでのシミュレーションを行い、無事に空港に着陸できたという検証結果を元に、疑惑を厳しく追及し始めます。

これらのデータと、コクピットで感じた状況との違いに困惑する機長たち。エンジンも確かに止まっていたはずだと主張するのですが、実機は川に沈んで検証は不可能。二人はどんどん追い詰められて行きます。

いよいよ、検証結果と、コクピットでの二人のやり取りの録音が公開される公聴会の日となりました。開催中、リアルタイムでのパイロットによるシミュレーション中継を要求し、会に臨んだ二人。果たして彼らの判断は間違っていたのでしょうか―?


(以下、ストーリーの結末に触れています)






委員会の聴き取りから公聴会までの緊迫した状況を機長の目線から見せるパートが軸となっていますが、その合間に事故機に乗り合わせた人たちや居合わせた観光ヘリ、救助隊、機長と妻との短い電話でのやりとりなど、周辺のエピソードを効果的に配置して、当時の状況を立体的に再現しています。

同時に、短い切れ切れのシーンですが、サリー機長のこれまでのフライト人生を挿入することにより、プロフェッショナルとしての生き様も描き切っています。

いや〜ホントに機長って大変。フライト中は多くの人命を預かってる上に、必死の努力で大惨事を回避したのに、こんなやいのやいの追究されるなんて、私なら絶対折れそう...。

しかし、そこは機長。

クライマックスの公聴会シーン。かなり打撃は受けたものの、彼はとことん沈着冷静であり、委員会が動かぬ証拠として絶対視する「データ」の問題点を“人的要素”が欠如していることだ、と簡潔、かつ明確に指摘します。

そして、公聴会の場で中継される、パイロットによる再現シミュレーション。

結果はやはり、コンピュータの出した結論と同じく、空港への着陸が可能であるというもの。

しかし、機長は毅然として言います。このパイロットたちは何が起こるか、どう対処するかを事前に知らされ、訓練している。彼らの条件は未曾有の事故に直面した我々とは異なっている、と。

そして、シミュレーションパイロットたちは、事故当時と同様に、鳥に直撃されてからの対処とエンジン回復への努力の時間として35秒間待った後に、コンピュータの計算通りの行動を取ります。結果は着陸失敗、市街地での衝突と大惨事に…。

その結果を見届けた後、公聴会の参加者はヘッドホンをつけ、事故発生から着水までわずか208秒間の、コクピットでの機長と副操縦士のやりとりを聞くことになります。誰もが経験したことのない、マニュアルのない状況で2人がいかに冷静に最大限の努力をしたか、観客も共に固唾を呑んで見守ることになるのです。

聞き終わった後、委員会のメンバーはいみじくも言います。これまで何度も事故時の録音は聞いてきたが、当事者である機長と副操縦士の前で聞くのは初めてだった、と。

簡単なようで、この一言の意味は重いものがあります。

全員生還できたのは機長の働きによるもの、というコメントが紹介されたあとで、機長は、クルーや管制官、救助隊など全員の力だ、と淡々と語ります。

その言葉の通り、本作には、機長を始め、誠実に仕事を行うプロフェッショナルが全編に登場します。

最後の一人まで救助されたか何度も確認し、責任を全うして機を離れる機長。最後の最後まで事故機を安全に誘導しようと力を尽くす管制官。危機的な状況にも冷静さを失わないキャビンアテンダントたち、事故を見て即座に救助に動くフェリー...。

とにかく、みんな地道に仕事をしてるんですが、悪役?の国家運輸安全委員会も、国民的な英雄を前に予断を排し、プロフェッショナルに徹するという点では負けてないな〜と感心しました。

そして監督のクリント・イーストウッド。

だらだらと長い映画が多い中、これだけの内容を1時間半にまとめ上げたプロ中のプロの手腕に脱帽です。

遠くまで行く乗り物についての映画だというのに、お話はニューヨーク(とニュージャージー?)の中で完結してしまうんですが、お話のテンポとか、ほんのちらっと出てくる街中での描写なんかに、ニューヨークの粋を感じます。

特にラストシーン、公聴会の最後に、また同じ事態が起きたら、何か違う対処をすると思いますが、と聞かれて副操縦士の答えが一言。

「今度は7月にします」

粋だねぇ...。


早稲田松竹で観ました。
スクリーンは割合大きく、綺麗なシートや広めのトイレなど、設備面も快適。
基本は2本立て上映。
周囲もにぎやかで、家の近くなら通い詰めちゃいそうな映画館です。

ハドソン川の奇跡|映画情報のぴあ映画生活
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2017年01月26日

MX4D上映 ルパン三世 カリオストロの城

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↑劇場でいただいたポストカード

なんでまた唐突に再上映されているのでしょう、御大に何かあったのでは…ぶるぶる…と正月から縁起でもないこと考えておりました鑑賞者ですが、今年は原作ルパン三世の50周年だったんですね。

電車を乗り継いで劇場まで観に行った○十年前が昨日のことのように思い出されます。当時はすごく面白いと思ったけど、今観たらガッカリかも…と思ったけど、そんなことありませんでした。

いきなりド派手に登場するルパン三世の「お仕事紹介」のシーンから一転、のどかな田園風景やバディ・次元との息の合ったやりとり、またまたド派手なカーチェイス、雨の中、静かに現れる五右衛門…静と動のコントラストはお見事のひと言。

イタリアに行ったら、フィアットに乗ってる男子ってみんなリアルにルパンみたいなチンピラで、しかもどこからせしめてきたんだか車にルパン三世のステッカー貼ってるんで本気で驚いたんですけど、実写なら○栗さんに頼むより、イタリアでロケした方がいいんじゃ…?

と、話は逸れましたがこの作品、はるか昔、たった一回見ただけなのに、ほとんどのシーンをかなり正確に覚えていたのは、シーンのつなぎや構図、動きがよく練られていて、ピタリと決まっていたためだと思います。

せりふも節回しまで記憶の通りでしたが、こちらはやはりベテラン陣の演技力のおかげでしょうね。一度聴いたら忘れられない、山田・ルパンや、キャラにピタリとハマった納谷・銭形、小林・次元、増山・不二子のセリフ回し、セリフこんだけでギャラいくらもらったんだろう井上・五右衛門の渋い美声も、クリアな音声で蘇っています。

それにしても、なぜIMAXとかじゃなくてMX4Dなんだろうと不思議に思っていたのですが、アクションが多いし、水しぶきが出るとか、ボコボコになぐられるとか、MXのエフェクトが効くシーンが考えていた以上にてんこ盛りで、ああ、本当にマンガ映画の楽しさが味わえる作品だったんだな…と改めて思いました。

六本木ヒルズで観たんですが、観に来るガイジンさんの多いこと多いこと。日本語が全然わからない方々ばかりのようで、チケットカウンターの人が対応に追われてました。字幕ないですよ、って教えてあげないと困るんじゃないだろうか…あるいは、字幕付き上映をやるとか?

いえいえ、言葉が分からなくたって、絶対この面白さは分かりますよね。

期間限定上映だそうですので、お見逃しなく!

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8はMX4D専用です。座席は抜群の座り心地。
観やすい席はD〜Fの8,9,10番あたりでしょうか。
私は少し後ろ目が好きですが、割と段差がないので、
座高の低い方はご用心です。



posted by 銀の匙 at 00:07| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

こころに剣士を(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

奈良美智の絵に出てくるような、あるいは「ロッタちゃん」の映画に出てくるような、目ヂカラのある女の子が出てくる予告に惹かれて観に行ってみましたエストニア=フィンランド=ドイツ合作映画。

例によって全く予備知識がなかったため、登場人物たちのしゃべってる言葉にまず面喰いました。

すごくフィンランド語に雰囲気が似てるんだけど、でも全然聞き取れない。

むしろ、なぜか大人は皆しゃべれるらしいロシア語の方が分かる(って言っても、ロシア語のセリフが“もしもし”とか“誰ですか”とか“ちょいとお兄さん”とか“そこの女子!”とか、初級レベルだったからですが・笑)…。

書き文字はみんなキリル文字だしロシア語だ(文書とか、街角の表示(“パン屋”とか)...と気になってたら、だんだん分かってきたのは、お話の舞台になってるエストニアはソ連に併合されているので公式にはロシア語が使われていて、エストニアの地元の人は地元の言葉でしゃべってるらしい、ということ。

冒頭に、ほんの数行の字幕で説明された時代背景が、後々重苦しくのしかかってきます。

しかし、映画全体の印象は水彩画のように素朴で淡々としていて、もろもろのことはひっそりと暗示されるだけで感動の押しつけもなければ感情の爆発も残虐シーンもなく、それでいて軽やかに、そしてしみじみと温かい気持ちが残る秀作です。

お話は第二次世界大戦後のエストニア。素朴な片田舎に、大都会・レニングラードの大学を出たという教員志望の若者・エンデルがやってきます。

見るからに人付き合いが悪そうで、子どもも好きそうには到底見えず、引きこもりな感じなのに教員志望??という第一印象は全然間違っておらず、彼は実際、人付き合いも悪ければ子どもも苦手な根暗青年で、教員になったのは単に人目を避ける必要があったからなのでした。

よくもこんな怪しげな人を簡単に採用するね...と思ったら、そこは校長先生、裏ではがっつり疑っています。

エンデルは校長の命令に従って、課外の運動部をはじめますが、用具を取り上げられたりの妨害に遭い、結局、彼自身が選手だったフェンシングの部活を立ち上げます。

例によって子どもの指導なんか全く興味なさそうなエンデルなのですが、田舎町なこととて子どもは新鮮な活動に飢えており、好奇心いっぱいで部活に参加します。その人気ぶりや、エンデルの学歴も面白くない校長はいろいろと妨害や粗さがしを始め、ついに彼のひた隠しにする秘密に辿りつきます。

一方のエンデルも、レニングラードにいる親友から目立つことはするな、もっと遠くに逃げろと忠告されるのですが、グズグズと煮え切らない態度でいるうちに、子どもたちはフェンシングの全国大会に出たいと言い出します。

開催地レニングラードに行くことはエンデルにとって、命を危険にさらすことに等しい行為です。しかし、彼にフェンシング部を立ち上げる決意をさせた女の子・マルタや、辛い状況にいる男の子・ヤーンなど、子どもたちの願いに背中を押される形で、エンデルは行動を起こします...。

少しサスペンス風味の部分もありはするものの、全体としては出来事をドラマチックに演出するでもなく、登場人物も、押しなべておとなしい感じの人たちばかりで本当にあっさりした味わいですが、それが却って時代背景の異常さを浮き立たせているかのようで好感のもてる映画です。

これ以上のストーリー紹介はネタバレになりますので、これからご覧になる方はここまで。ストーリーの結末が分かってもOKな方は、映画館の紹介以降もどうぞご覧ください。

以下、お話の結末に触れています。










最後のテロップで、このお話が実話だったのだと初めて知りました。いちおうハッピーエンドでホッと胸をなでおろしましたが、当時の身の処し方の難しさを映画館を出た後でじわじわと感じました。

エストニアは第一次大戦後、ロシアから独立したものの、ソ連の侵攻によって併合されてしまいます。そのあと、ドイツに占領され、またソ連に占領され、という繰り返しで、その間、男子は対ソ連のナチス・ドイツ軍に加わったり、ソ連の赤軍に加わったりしていました。

エンデルは第二次大戦中にドイツ軍に加わった、という理由でソ連当局から追われる身だったのです。そりゃソ連から見れば敵、しかもナチス・ドイツなんですから聞こえも悪いですが、上記のようなエストニアの状況からすると、ソ連を追い出すためにドイツ軍に加勢するという人だって当然いたことでしょう。

校長も映画で見る限りは私怨と嫉妬に駆られてエンデルを密告したようにしか思えませんが、エストニアの人がどのくらいソ連を支持していたかはともかく、ナチスの残党狩りと言えば世間も(国際的にも?)通るでしょうし、なかなか複雑です。

戦争とそれに続くこの状況で男手のほとんどないこの町では、保護者会といっても参加するのは老夫婦ばかり。大人も子どもも何かみんな精気がなく常におどおどしているような印象だし、エンデルも積極的に生徒と関わろうとはしていない感じを受けます。

しかし、彼は結局、思い切って逃げるのをやめ、フェンシング大会に出るために子どもたちを引率してレニングラードに向かいます。

元々、エンデルもそんなに決意が堅いわけではなかったと思うのですが、校長の意向に反してフェンシング部を存続させようと、ささやかな、しかし勇気ある一歩を踏み出してくれたヤーンのおじいさんや、おずおずとながら部の存続に賛成の挙手をしてくれた保護者の人たち、強い目力でエンデルに決断を迫ったマルタなど、小さな積み重ねが彼を後押ししてくれたに違いありません。

物語の舞台になったハープサルという町の湿原や森などの自然の美しさや、その駅も素朴で良い感じなのですが、今も昔もそのままの佇まいのようですね。エンデルに声を掛けた女性教師のカドリが掛けていたショールは模様からして、町特産のハープサル・ショールではないでしょうか。さりげないけれど、確かな地元への愛が伺えるのも、この映画の良さだと思います。

ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。
JR有楽町駅至近でアクセス良好。
小さい方のスクリーン2は席数も少ないですが、それなりに傾斜があるようで、まあまあな劇場です。
観やすい席はC,D列の5,6あたりです。

posted by 銀の匙 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする