2018年01月07日

2017年一番面白かった映画はコレ:WE ARE X

ローグワン.jpg

皆さま、こんばんは。
映画ファンにとって栄誉あるイベント、ぴあ映画生活ユーザー大賞の投票も終わりまして、1月上旬に予定されている、ベスト10の発表が楽しみです。(ちなみに、ノミネート作品:ベスト50はこちら

ということで、この機会に2017年に何を劇場で観たか振り返ってみました。

大作メジロ押しでベスト10さえ選ぶのは到底ムリだと思った2016年に比べると、飛びぬけて大作感のある作品は少なかったように感じましたが、逆に、粋な映画だなぁ〜と思った作品は多かったです。

そういえば、2017年は映画祭の時期がちょうど忙しく、社会人になって初めて、1度も映画祭に行かなかった年でした…。諸事情により映画以外の作品を大量に観なければいけなかったせいもあって、邦画も劇場ではほとんど見られなかったのが残念です。

だからという訳でもないのですが、今年観た映画の中で断トツに気に入ったのは「WE ARE X]。次点は「BLAME!」とどちらも邦画でした。

以下、(大体の)観た順にちょこっと感想をば。リバイバルも含みます。すべて劇場での鑑賞で、DVDだけで観たものは除いています。

ローグ・ワン
「スター・ウォーズ」のスピン・オフ。
“ならず者”どもの集まりということで、全員「漢字倶楽部」(笑)のメンバーみたいなビジュアルでしたが、正統派の美男美女が主役だった新三部作の時代ならともかく、今や本編の方も「総員漢字倶楽部」的な雰囲気だし、何より、いい加減デス・スターはお腹いっぱいだと思ってしまいました(哀)。

個人的には姜文とドニー・イェンが出てくれたのはすごく嬉しかったし、2人のコンビはとても面白かった半面、物語にどうしても彼らの存在が必要だったわけではなく、市場開拓のために起用しただけという大人の事情なのでは…という邪念の呪いであまり楽しめなかったのも事実。そんなこと、作品の価値には全然関係ないのですが…。

こころに剣士を
エストニアという自分にとっては馴染みのない地域の映画でしたが、しみじみ心に残りました。
感想は→こちら

永遠のヨギー
こういうのを観ると、ヨガは健康体操とはまるで違うものだということを思い知らされます。一方で、「お天道さまがみてる」という考えを説明しづらいのと一緒で、ヨガの文化の外側にいる自分は、まるで明後日の方向に理解しているのではないかという気もしています。
感想は→こちら


カリオストロの城
4D上映があったので観ました。冒険活劇の楽しさ溢れる作品。
感想は→こちら

ハドソン川の奇跡
投票後にしか観られなくて残念! 2016年度イチ押しの作品。
感想は→こちら

バベットの晩餐会
とても気に入っている作品。映画館でまた観たかったのでリバイバルが嬉しかったです。原作小説もとても好きです。前回観たときは気が付かなかったのですが、哀れウミガメが鳴いてたのに気づきました...。

ティファニーで朝食を
劇場では初めて観ました。オードリーの魅力に負けない、ティファニーの店員さんのイキな提案も素敵。

鳥居を通り過ぎて風
映像は清々しかったですが、かすかに引っかかるものを感じました。外国育ちの日系2世が日本の神社を訪れ、その心に触れるという内容ですが、内容紹介では「映像詩」「ものがたり」とされているので、フィクションなのでしょうか。

もしドキュメンタリーでないなら、なぜ外国人の眼を通さなければいけないのかが謎でした。別に日本人が日本の神社を再発見したって不思議はないと思うのですが。

というのも、英語による少女のモノローグのナレーションが、日本について外国人に言って欲しい感想、日本人として外国人に説明したい事柄が凝縮されている印象で、本当に日系2世の少女が感じたこと、知りたいこととは、やや離れているような気がしたので…。

ラ・ラ・ランド
音楽、登場人物、ストーリーともに、チャーミングで大人のミュージカル。

ゴースト・イン・ザ・シェル
感想は→こちら

ターシャ・チューダー 静かな水の物語

WE ARE X
表現者の業のようなものをひしひしと感じたドキュメンタリー。実はX-Japanというバンド名しか知らず、メンバーの名前も映画で知ったような体たらく(すいません、ホントに…)。遅ればせながら、良い音響で曲を聴く機会に恵まれてラッキーでした。映画化に心より感謝する次第です。

BLAME!
今年唯一劇場で観たアニメ。
感想は→こちら

ワンダー・ウーマン
この世界の片隅に
ほとんど同時期に観ました。どちらも戦争を背景にした、女性が主人公の映画です。

庶民にとって戦争は天災であり、自分はただ被害者なのか。それとも、自分も加害者の1人でありうると自覚し、そこから行動するのか。今かろうじて平和な時代だからこそ、2人の投げかける問いは重いと思います。

ありがとう、トニ・エルドマン
父と娘の何とも言い難い微妙な空気感を描いた秀逸な作品。
感想は→こちら

メッセージ
原作「あなたの人生の物語」の大ファンです。ビジュアル的には原作にとても忠実だったかと思いますが、ばかうけだのイカ刺しだの、こうも酒のつまみに好適な絵面だったとは、ちょっと想像力が及んでませんでした
(^^ゞ

映画もおおむねとても良かったんですが、現実の国際政治に絡めた映画オリジナルの部分が、中国人のというよりはアメリカ人の予想する行動パターンまんまの気がしちゃって…。コミュニケーションについての映画なのに、異文化理解がリサーチよりも先入観に基づいている雰囲気なのがイマイチ残念。

タレン・タイム 優しい歌
心に沁みる珠玉のマレーシア映画。リバイバルで観ました。
感想は→こちら

ダンサー、セルゲイ・ボルーニン 優雅なる野獣
確かに彼のバレエは凄いです。同時に、彼のバレエには何かが欠けている気がする。バレエカンパニーを離れた今はむしろ、その欠落感が良いのでしょうが…。

ガーディアンズ オブ ギャラクシー:リミックス
I am Groot.

LOGAN/ローガン
『X-man』のスピンオフ作品。良い作品でしたけど…正直、観るのが辛い映画ではありました。

キングスマン
暴力シーン満載の上品な映画。それにしても、イギリスはどうしてもアメリカを意識しなくてはいられないんでしょうね...。

ベイビードライバー
こちらも暴力シーンはありますが、青春映画っぽいところもある作品。
感想は→こちら

ドリーム
NASAで活躍した3人の黒人女性の奮闘を描く、事実に基づくドラマ。3人のモデルになった方々のお写真がエンドロールに出ましたが、見るからに頭がよさそう。(^^♪ やっぱり中味は顔に出てしまうのでしょうか。

ひなぎく 
リバイバルで観たチェコ映画。評判通り、とてもオシャレでアンニュイ。この映画が時代を超越しているのかも知れないけど、女の子はいつだって、こんな風に時代を超越できるものなのかも。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
感想は→こちら

ブレードランナー2049
個人的には、独立した内容で十分面白かったので、直接「ブレードランナー」とリンクしない方が良かったようにも思いますが、重厚でフレンチコミックのようなアーティスティックな味わいがある意欲作。

星空
ジミーの絵本を元にした台湾映画。少年少女が主人公の実写映画をほとんど観たことがないので新鮮でした。ただ、その年代に向けてだとちょっと長いし、大人向けとしては少し単調だったかも。エンドロールに絵本の絵が出てきますがとても良かった。

smoke
リバイバルで観ました。ニューヨークが舞台の、でも少しひなびた感じがホッとする小粋な名作。
感想は→こちら

スターウォーズ エピソード8
新しいキャラクターが活躍し、旧シリーズからの脱皮を図る一方で、旧シリーズへのオマージュも散りばめ、主人公を演じたマーク・ハミルとキャリー・フィッシャーの名演が心に残ります。

ことに、追い詰められた石の惑星で、放置されていた基地の防御壁の後ろに立ち、衣装の襟から目元をのぞかせたレイア姫の姿は全編の白眉。

感想は→こちら

それでは、どうか皆様、今年もよろしくお願いいたします。
お勧めの映画があれば、どうぞお教えくださいませ!

posted by 銀の匙 at 01:04| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

スターウォーズ8 最後のジェダイ(表記以降ネタバレあり)

starwars8.jpg

いや〜面白かったですねー! 私はエピソードWが一番好きなのですが、その次に好きかも。

エピソード8は、新シリーズの真ん中の1本に当たるので、どう転んでもOKな一方で、面白く作るのはなかなか難しいチャレンジだったはず。

今回はその点、かなり定石を外しにかかってきて(いちおうシリーズの枠内ではあったけど)新鮮だったし、光と闇の間を描くことで、話としても深みが出たし、ヒーロー/ヒロインと悪との戦いという構図から抜け出して、大人が見ても楽しめる複雑さが加わったと思います。

BB-8も前作以上に活躍したし、予告通り、あっと驚く展開もあったし、メカもたくさん出たし、大満足。

毎回、エンドロールでロケ地のクレジットにぞろぞろ並ぶ見慣れない人名を眺めるのを楽しみにしてるのですが、今回も期待にたがわず、いろいろな記号がいっぱいついた人名がずらりと並びました(アイスランド、アイルランド、ボリビア、クロアチア等々で撮影された模様)。

そして、エンドロールの楽しみといえば音楽ですが、こちらはキャストの名前の最後に珍しくピアノソロになったと思ったら、それはレイア姫のテーマで、私たちのプリンセス キャリー・フィッシャー、とテロップが出ました。ここにも字幕を付けたら良かったのに…。

ということで、以下はお話の内容に触れています。まだ見ていない方はここまで。













さて。

足柄山のキンタローを彷彿とさせる(ごめんね!)アジア系女性を思いっきりフィーチャーし、前作にもまして、女、非白人、凡人推しの度合いをパワーアップしている本作ですが、このシリーズのタイトルが「スター・ウォーズ」であることを、改めて強烈に意識させられたエピソードでもありました。

冒頭、いきなり画面狭しと多数のスターデストロイヤーが出現し、多頭飼いのネコみたいに犇めき合うありさまを見て感涙にむせんでいると、反乱軍側がXウィングを繰り出し、のっけから激しい戦闘シーンが始まります。

多大な犠牲を出すも戦果を上げ、鼻高々のパイロット、ポー・ダメロンに、レイア将軍が思いっきりダメを出します。(ダメロンだけに…って、いやいやいや口が滑りました)

この時点からすでに、冷静で正義感溢れ、余裕しゃくしゃくの女性陣と、お子ちゃまだったり意気地がなかったり日和見だったりする男性陣という構図が確立されており、いくらなんでもこのシリーズの忠実なお客さんである男性ファンに配慮がなさすぎなのでは、とつい余計な心配をしてしまうほどでした。

そして、さんざん戦闘シーンの見せ場を作ったあと、敵の戦隊の追跡を振り切るために暗号破りの達人を探しに行ったカジノで、新キャラクターのローズはフィンに、ここに出入りできるほどの富を蓄える方法は一つしかない、戦争よ、と言います。

なんだか、「戦争」を映画にして稼いでる、自分たちへの皮肉みたいですが…。この監督さん、定石を外してくるところといい、このシリーズの根本原理を派手にぶち壊しにかかってきたところといい、かなりの勇者とみました。

まあそれはともかく、そのカジノからの脱出行や、追跡され、包囲された状況からの脱出、石の惑星での戦闘シーンでも、称賛されるのは戦って相手を倒す戦果ではなく、例えささやかな数だったとしてもいかに誰かを助けたか、命を救ったか、という点なのです。

一方で物語は、武器商人がファーストオーダー側ばかりでなく、反乱軍にも武器を供給していることを語ります。うさんくさいコードブレイカー、結局は味方を窮地に陥れたポーとフィン、レイに心の内をみせたカイロ・レン、どんな暗黒卿よりも酷い決断をしたルーク…すべては光と闇の間を揺れ動き、絶対の善もなければ絶対の悪もない、まさにルークが語った「フォース」そのものの様相を見せます。

サブタイトルの最後のジェダイはルークのことだったのですが、彼がレイに伝えた通り、ジェダイがフォースを司っているわけでも、ジェダイの中にフォースがあるわけでもなく、最後のジェダイがいなくなったとしても、光と闇のバランスを取るものとしてフォースは全てに流れ続けているのでした。

フォースは血統ではなく、名もなき両親の子であるレイ(少なくとも8の段階では。ただ、ラストシーンで箒を引き寄せていた子も似た境遇でしょうから、恐らくそのはず)にも使えるというのは、凡人推しの一面はありますが、この流れからすると自然だし、そうあるべきなのでしょう。

とはいえ、凡人ならぬマスター・ヨーダの言うことは、やはり賢者ならではの含蓄があり、しみじみと噛みしめてしまいました。ルークがレイアを救いに行ったのは、R2-D2の機知がきっかけだったでしょうが、一度は師としての重荷を放棄していたのに、行動を通して最後のジェダイとしての責任を全うし、レイを―あるいはカイロ・レンをも―導くことになったのは、きっとヨーダのおかげなのでしょうから。

となると、過去を捨て去るとはいいつつ、スター・ウォーズの一番の英雄は今回も、緑色で小さな老人、マスター・ヨーダということで…。

ということで、定石外し+大事なお約束は受け継いだ本作品、
感想も定番の挨拶で〆るといたしましょう。

ではでは、2018年もフォースと共にあれ!

posted by 銀の匙 at 03:24| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

smoke(スモーク)

smoke.jpg

私はタバコが苦手なので(喫煙室に入ると確実に喉をやられてしばらく声が出ない)、味?の良しあしは分かりませんが、タバコが作り出す「間(ま)」というのは、なかなか他を以て代えがたいものがあるとは常々感じております。

箱から取り出し、火をつけて、最初に呼吸するまでの、あの独特の時間。

前後はともかく、吸っている瞬間には、その場に何人いようと必ず訪れる沈黙。

この間合いに、得も言われぬ妙味が凝縮されているような気がします。

ニューヨーク、ブルックリンの街角にある小さなタバコ屋。店主・オーギーの人柄ゆえか、店内では客たちが、一服しながら野球談議や小話で盛り上がったりしています。

インテリ風の男がタバコにまつわるちょっとしたエピソードを話します。エリザベス一世の時代、寵臣のウォルター・ローリー卿が宮廷でタバコを流行らせた。彼は得意の機知で、タバコの煙の重さを量ってみせた…。

いきなり場を高級にして立ち去った男に、残されたシケた感じの男たちが唖然としていると、オーギーが、彼は小説家だが、このすぐ先の銀行で起こった強盗事件で妻を亡くして以来、ずっと何も書いていないと話します。

その作家、ポール・ベンジャミンは店を出てふらふら歩いているうちに、車に跳ねられそうになります。とっさに彼を救った黒人の少年に、ポールは礼をしたいと申し出ますが、彼は受け取ろうとしません。結局、レモネードを一杯おごり、ポールは気が変わったら尋ねてきてほしいと、自分の住所を渡します。

数日後、ブザーがなり、思いもかけず少年が現れます。ラシードと名乗る少年をポールは2泊くらいならと泊めてやりますが、結局仕事の邪魔になるというので帰したところ、しばらくして、またブザーが鳴り、今度は彼の叔母と名乗る婦人が現れます…。

いかにも訳アリそうな、でも素直で純真そうな少年ラシード、街角の写真を取り続け、街の渋い魅力を象徴するかのような店主オーギー、傷心を抱えつつ、ニューヨーカーの良心を体現しているかのような作家ポールのエピソードをゆるく絡ませながら、タバコを燻らせているときのような、落ち着いたテンポで進む物語です。

郊外に向かう列車が長く伸びていく場面。大混乱の末に、各々無言でピクニックのテーブルを囲む場面。
何ともいえない独特の妙味を、映像からも感じます。

登場人物たちはしょっちゅうウソをついていたり、犯罪すれすれのことに手を出したり、荒れた生活を送っていたりと完璧な人たちばかりではないのですが、肝心なところでは自分の良心に従い、さりげなく人に救いの手を差し伸べます。

心温まる、でも決してベタベタしないその距離感が、いかにもニューヨークの粋を感じさせ、感心しつつ観ておりましたら、なんと脚本がポール・オースターだったとは。

サンタクロースももみの木も雪景色も出てきませんが、クリスマスにふさわしいこの映画、デジタル・リマスター版が2017年12月17日から恵比寿ガーデンシネマ他、全国でロードショーとのこと。

まだ見ていない方も、思い出の1本となっている方にも、強くおススメいたします!

ウェイン・ワン監督
113分

excite ism に制作の裏話も含めた、とても読み応えのある紹介文が出ています(あらすじがかなり詳しいので、ネタバレを気にされる方は、ご鑑賞後にご覧になった方がいいかも)↓

http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1481685885166/





posted by 銀の匙 at 12:45| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

ベイビー・ドライバー

実は先日、音の良い劇場で観ようと立川シネマシティの席を予約しといたのに、天候に阻まれて断念。それでも執念で再チャレンジいたしました。

立川まで行く時間がどうしても取れなかったのと、お金を損したのがちょっと悔しくて(←映画館のせいじゃなくて天気のせいですが)、新宿の別の映画館で観たのですが…

悪いことは言いません。
絶対音響の良い映画館で観ましょう!

クライムものは残虐だからやだなぁと思っていましたが、そんな苦手意識を吹っ飛ばす音作りに、グッとくること請け合いです。

歌や楽器で出す音だけじゃなくて、身の回りのどんな音も、町の喧噪も人の話し声も雑音も、すべては音楽だと常々思っていますが、この映画はまさにそれを体感させてくれます。

主役の「ベイビー」は幼い頃の交通事故が原因で耳鳴りが止まず、それを誤魔化すために音楽が手放せません。アーティストの演奏を聴くばかりでなく、自分でも録音機を駆使して素材を集め、ミックスして面白い音源を作り出します。その音楽に乗り、彼は自在に車を操ります。

その天才的なドライビングテクニックを見込んで、町の麻薬王が強盗の「逃がし屋」として彼を使っています。協力したくなくても、養い親やガールフレンドの安全を考えると仕事を断れないベイビー。麻薬王は、次の仕事が終われば解放してやると約束するのですが…。



全編を彩るご機嫌なナンバーはもちろん、音にピタリと嵌るベイビーの一挙一動から目が離せません。クールに見えて心の優しいベイビーは当然のこと、ガールフレンドのデボラも慎ましやかながら機転の利く良い娘で、とても魅力的です。

彼女には「ドライバーの仕事をしているが、もう辞める」と言っていたベイビーですが、無理やり仕事を手伝わされた上に、彼女が働くダイナーに仕事で組まされたワルたちを連れて入る羽目になってしまいます。

この店は嫌いだから入りたくない、と、いつも無口なベイビーが珍しく抵抗したために、却って知り合いがいると嗅ぎつけられてしまう。

ワルの一人が、注文を取りに来たデボラに「この店が嫌いなんだとよ」というと、瞬時に状況を悟って、ベイビーと知り合いということを微塵も感じさせず、震えながら「それではアンケートにご記入ください、改善させていただきます」と咄嗟に答えるシーンがとても好き。

かなりスリルのある展開の割に最後が非常にマイルドなのが、ハードボイルド好きの方の評価が辛い一因でしょうが、救いのあるこの甘い展開が清教徒っぽさを感じさせて、私は好きです。せっかくハリウッド映画なんだから、厳しい現実より、こういう人の善意を感じさせるラストでなくちゃ…。


敢えて名は秘す新宿の映画館で観ました。
音の焦点がボケててイライラしました。
担当の方は、調整頑張ってください! よろしくお願いします。

posted by 銀の匙 at 01:23| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

マンチェスター・バイ・ザ・シー(注意表記以降、ストーリーの結末に触れています)

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最初、「海辺のマンチェスター」って意味のタイトルなのかと勘違いしており、なんでイギリスの話なのに車が道路の右側を走ってるんだろう…EUから離脱して左側通行はやめたんだっけ?とか妙なことを考えてました。道路脇に星条旗が出てきたので、はっ、アメリカの話か! とようやく気づきはしたのですが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」までで、アメリカのマサチューセッツ州にある、町の名前なんですね…(恥)。

お話は、仲良くしていた兄の訃報を聞いて、その海辺の町に戻ってきた弟・リーと彼を取り巻く人々を描きます。

リーも元々この小さな町に住んでいたのですが、ある事件をきっかけに町を離れ、ボストンで修理屋として働いています。

兄は心臓の持病があり妻とも離婚していたことから、亡くなる前に高校生の息子の後見人として弟を指名し、ボストンから兄の家に引っ越して面倒を見るよう、遺言を残していました。

しかし、それはリーにとってはあまりにも辛い選択でした。甥っ子は住み慣れた場所、友達のいるこの町を離れたくないと抵抗するものの、それを打ち消すように、彼を連れて早くボストンへ戻ろうとするリー。しかし、その間にも、過去につながる記憶や人々と接点を持たざるを得なくなります。そして…。



2017年のアカデミー脚本賞を取った作品ですが、無理に作り込んだところのない自然な展開で、それだけにいっそう、主人公の鬱屈が心に沁みます。

カトリックの子だくさんで飲んだくれで喧嘩っ早くて愛想が悪くて暗くて…と、ある種ステレオタイプ(たぶんアイルランド系の人??)の人物像ではあるものの、現実にいそうな、いかにも自ら不幸を招き寄せそうな男を、ケイシー・アフレックが体現しています。

これほどの打撃を受けたあとでも、そうそう都合よく人が変われるはずもないし、救いや慰めが得られるわけもありません。ただ、主人公自身のほんの少しの変化と、彼を取り巻く人々―別れた妻や父を亡くしたばかりの甥っ子までもがー何かの形で力になろうとしているのを見ると、わずかではあるけれど、希望の光が見えてくるような気がします。


ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
補助席も出る大盛況。
今年の話題作としてまた上映される機会もあるかと思います。
どうぞお見逃しなく。

以下、ストーリーの核心に触れています。これからご覧になる方はここまで。













ボストンで孤独な暮らしを続けるリーが、兄危篤の報を受けて故郷の町へ帰り、兄の居た日々を思い出したりしているうちに向き合わざるを得なくなる事件とは、自分の不注意で自宅を全焼させ、子供たちを失い、妻とは離婚するという救いようのない出来事。

小さな町のこととて、周りは彼の名を聞けば事件を思い出すし、今は再婚している妻とも顔を合わせることになってしまい、彼はどんどん追い詰められたような感じになってくる。それでも、兄が亡くなった当初の自暴自棄のような態度からは少し冷静になってきて、自分はどうしても過去を克服できないながらも、克服できないことを自覚し、甥っ子のためにしてやれる範囲の手立てを考えてやることはできるようになっている。

これがいわゆる「感動作」だったりすると、新しい愛を見つけてみたり、甥っ子と気持ちが通ったりみたいな描写があるのでしょうが、この映画はそんな安っぽいところに逃げてない。

ただ、エンドロールの波音を聞きながら、厳しい寒さに耐えなければならないこの町の冬景色が美しいように、厳しい運命に生きるからこそ、彼の行く手に救いがあってほしいと祈るような気持ちになる、静かで力強い良作です



posted by 銀の匙 at 20:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ありがとう、 トニ・エルドマン

s-tonierdmann.jpg

暑いところに暑苦しいチラシ画像、失礼いたしました。

この毛むくじゃらの図に添えられたコピーが、全てを物語っております。

「愛は不毛じゃない」

さ…

…寒っ!

一言でこの映画の本質を表した、まさに秀逸なるコピーでありますが、お話はまさにこの通り、全編これ全然笑えない、しばらく考え込む、腹立たしくなる、あるいは気づかない、痛々しいおやじギャクがさく裂しております。

いや、ギャグというよりは、イタズラというかむしろ嫌がらせの領域に両足を突っ込んでいるのですが、それでもヴィンフリートはめげません。多国籍企業で働く氷のようなキャリアウーマン、イネスの父として、娘を心配するあまりに後をつけまわす、カルガモの逆バージョンみたいなことを平気でやってのけます。

娘の海外出張先・ルーマニアに堂々と乗り込み、明らかに厄介者扱いされるだけでは飽き足らず、妙なカツラに謎の入れ歯をはめて、勝手に人生コンサルタント、トニ・エルドマンを名乗り、娘の行くところ行くところに現れ、結果的に仕事の邪魔ばかり。

そんな強烈かまってちゃんな父親の行状に切れ者イネスもだんだん歯車が狂ってきて、上司や同僚を交えた大事な場面で、ついに突拍子もない行動に出てしまいます…。



いや〜、わたくし、リアルで行動がトニ・エルドマンそっくりの傑作なお父さんを存じ上げているのですが、端から見てるとすごく面白いんですけど、娘さんは相当ウザく思っているでしょうね...。映画館でこのお2人にトークショーをしてもらったらどうかと思うけど、娘さんはきっとうんとは言わないだろうな(笑)

もっとも、自分は娘の立場とはいえ、ヴィンフリートの気持ちはすごくよく分かります。いつまでも小さな子どもにしか見えない娘が、大人ぶって危なっかしいことばかりしている。ただもうおろおろと、後ろにくっついてちょっかいを出すことしかできない。

娘の方は絶対心底嫌なんだと思いますが(笑)、どこかで、自分の今している仕事の非道さを感じていたのでしょう。何とかそれにフタをしてクールに振る舞ってきたけれど、ついに臨界点に達するときが来る。それは、父の存在がなければ、こうも早く表面化しなかったものかも知れない。

娘と違って父は芸術家(音楽家)なので、奇行もそれなりに許されてきたのでしょうが、いきなり思い切ったことやっちゃう娘も、やはりそのDNAを受け継いでいたんでしょうかね…?

この映画を観るまで、ルーマニアってどんなところか全然知らなかったのですが、今はこんな感じなんですね。石油資源を求めて企業が群がり始めているようですが、日本でもときどきルーマニアの話を見聞きするようになったのはそのせいなんだろうか、と思ったりしていました。ちょっとトニ・エルドマンにちょっかい出されているのかも知れません。

なんて、映画を観ながらあれこれ詮索するヒマがたっぷりあります。全体に話の展開がスローだし、エルドマンは笑えないし。

ハリウッドでリメイクの企画があるそうで、それだと気の利いたエピソードやら盛り上がるシーンやらが巧みに配置され、飽きず、楽しく、感動しながら観られるのでしょう。だけど、私はこの作品の、訥々とした不器用なベタさが愛おしいです。

単館公開は終了しましたが、秋口からまた全国各地で上映されるようなので、機会があればぜひご覧になってみてください。
posted by 銀の匙 at 13:39| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

タレンタイム 優しい歌

(すみません、時間がないので、ちょこっとだけ。)

マレーシアのヤスミン・アフマド監督による2009年の作品。
残念ながら監督さんは公開年に突然の脳出血により亡くなられたということですが、日本人をお祖母さまに持つという監督の出自も反映されているような、心に響く作品です。

マレーシアの、とある高校の音楽祭を舞台に、いくつかの恋模様が描かれます。高校生が主役の爽やかな物語の中に、多民族社会マレーシアならではのエピソードが、各民族の伝統曲を含む音楽の数々と共に綴られていきます。

最初は何か、東南アジアらしい、のんびりした感じの映画なのですが、途中、とある事件が起こるのをきっかけに、さまざまなエピソードが収束してテンポアップし、深みのあるストーリーになって行きます。ユーモアとペーソスがちょうど良い具合にブレンドされてる感じです。

同じ高校の中に、宗教も生活習慣も文化の背景も違う生徒たちが同じくらいずつの数集まってるというのは、楽しそうではありますが、一歩間違うとなかなか大変そうだな〜という印象です。

ヒロインの女子高生の家族、インド系らしい男子の家族、マレー系らしい男子の家族、中国系の男子の家族なんかが登場するんですが、最初の方は、誰が誰の家族かを伏せながら話が進んだりするため、ヒロインの女子高生のご家庭の構成がサッパリ理解できず(一夫多妻なのかと本気で思ってた←コラ)、なんか複雑なおうちなのかと勝手に誤解したりとか(わざとそういう展開にしたのかも知れないけど。)

そうしたよく分かんない状況の中でも(いえすみません私が分かってなかっただけです)皆をつなぐ、愛と音楽の偉大さよ。

「優しい歌」という日本語タイトルが本当にピッタリの素晴らしいラストシーン、機会があったら、是非ぜひ是非ぜひご覧ください。

全国のいくつかの映画館(東京、埼玉、長野、広島)で7月21日(金)まで、アンコール上映しているようなので、お見逃しなく。

ユジク阿佐ヶ谷で観ましたが、補助席が出る大盛況。

観終わったお客さんが口々に、映画館の人に向かって「いい映画をありがとう」とお礼を言って去るという、そんな作品でした。
posted by 銀の匙 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


BLAME!|映画情報のぴあ映画生活
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2017年04月08日

ゴースト・イン・ザ・シェル(表示以降、ネタバレです)

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↑初日にIMAXで見た記念にいただきました。

士郎正宗のコミックがクレジットされていましたが、実質は押井守監督のアニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を下敷きに実写化したもの(たぶん)。

密林のように建て込んだ高層住宅からわずかに覗く空を横切る飛行機、暗い海にダイブする主人公等々、アニメがそのまま現実化したようなシーンの数々。

映像・キャストとも限りなくゴージャスで、絵づらはイメージ通り。

観る前は、スカーレット・ヨハンソンの草薙素子って何さ...と思っていたけど、全く違和感がありませんでした(劇中、名前はキリアン少佐ですが)。

ということで、どうせ見るなら大きい画面でスカヨハを拝みましょう。

以下、ちょっとした感想のみですが、ストーリー(アニメ、実写とも)に触れています。ネタバレ絶対アウトな方はここまで。












ということで、映像は限りなく押井アニメの印象に近かったけれど、“ゴースト”は宿ってなかったって感じでしたね...。文化の深い溝を感じたというか…。

アニメと全く同じじゃマズいから、せめてストーリーは変えなくちゃって事情は当然あるでしょうが、まるで方向性がアベコベです。

ここまで映像が似てる以上、監督さんか、脚本家か、誰かはじっくりアニメを観たんだろうけど、きっと心の底では元の作品に納得いってなかったんだろうなあと思ってしまいました。

アニメでも確かに主人公の草薙素子は、全身がサイボーグの自分は、人間じゃなくて疑似の自我を持ってるだけなんじゃないかと思っていましたが、だからって自分が人間だと証明したいと思ってるわけじゃないだろうし、日本の観客は、人間らしくあるための努力を素子はなぜしない?!とか思わないのではないでしょうか。

しかしどうやら、この監督さん(あるいは監督じゃなくて、映画会社のエライ人かも知れないけど)は、どこまで人工化しようと人間はヒューマニティーを追求してるはずだと思ってるらしいし、人工物は人間のコントロール下にないと落ち着かないらしい。

だから、義体化の合理的(?)な理由も付け加えないとヘンだし、凄腕のハッカーが実はプログラムが自我を持ったもので、あまつさえ、主人公がそれと進んで融合するなんてアニメ版の話は受け入れがたかったのかもしれません。

アニメは、仮想現実やなりすましなどの事象を描いて、時代を先取りしていたと評価されていますが、いま観ても古びて見えないのは、その底にある問いが心と身体の関係、人間の存在という普遍的なものだからだし、新しく感じるのは、人工知能やロボット技術が日常的になった時代の意識のありようが描かれているからだと思うんだけど、どうでしょう。

つい、だからハリウッド映画なんて…とか、キリスト教文化圏って…とか言いたくなってしまうけど、ハリウッド映画にも『ブレードランナー』みたいな映画があるし、ここは解釈の違いと捉えるしかないんでしょうね...。

まあ、押井アニメを観てモヤモヤした人は実写版の方が納得いくだろうし、アニメ版のセリフの多さに辟易した人(→私)も今度は画面に集中でき、映像美を堪能できたのは幸いでした。キャストは全員最高だったので、続編ができれば、公安9課のメンバーにもっと活躍してほしいなぁ..。

ちなみに、大人の事情か原作リスペクトか分かりませんが、スカーレット・ヨハンソン演じるキリアン少佐が、日本人・草薙素子の脳を移植したもの(そして、移植後なぜか白人)って設定とか、ヒデオって名前の彼氏がいた(そして移植後なぜか白人)とかって設定、ありましたっけ? 一番盛り上げるはずの場面で「なんでやねん!」とIMAXの巨大スクリーンに向かって、思いっきりツッコミそうになったんですけど…。

109シネマズ二子玉川で観ました。
ここのスクリーンは巨大で、前の方で観るとスクリーン全部を見渡すのが困難。
3Dだと船酔い状態になります。
少し前過ぎる感じはありますが、F・G列ぐらいだと没入感があっていいかも。


ぴあ映画生活
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2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

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2017年02月03日

ハドソン川の奇跡(ストーリーの結末に触れています)

「ぴあ映画生活」では毎年映画ファンによるその年のベスト映画を選ぶ投票があります。今年はお声を掛けていただいたので投票に参加しました。一次投票で数を絞り、二次投票でベスト10を選ぶのですが、高得点で二次に進んだこの映画、いつもタイミングが悪くて見逃しておりました。

支持が高い映画を観てないのに他のを推すのもどうかと思って、結局二次投票には参加しませんでしたが、年が明けてようやく映画館で観ることができ、その判断は正しかったな〜と思いました。去年観てたら絶対一位に推していたと思います。

2009年1月、アメリカの飛行機が鳥の群れと衝突したことで両エンジン停止のトラブルに見舞われ、ニューヨークのハドソン川に不時着水するという事故がありました。本作は、その実話を元にした映画です。

事故から着水までの手に汗握る再現シーンや、その後、真冬の川から乗客乗員155名全員が生還した迫真の脱出シーンも素晴らしかったのですが、実はこの作品の主題は事故時の再現ではありません。

安全確保のため死力を尽くし、英雄となってめでたしめでたし...となるべき機長が、判断ミスのため飛行機を墜落させた殺人未遂の容疑者扱いを食らうという、口あんぐりな後日譚だったのでした。

ハドソン川の奇跡を起こしたベテランパイロット・サレンバーガー(サリー)機長は、事故の原因を究明している国家運輸安全委員会に呼ばれます。調査した結果、事故機は川に着水せずとも、出発地のニューヨーク・ラガーディア空港に引き返すか、近くの別の空港に着陸できたはずだ、というのです。

サリー機長は、副操縦士のジェフと共に、自分たちの判断の正しさについて説明に努めますが、委員会は、実は片方のエンジンはわずかながら生きていたというデータや、同じ条件でコンピュータでのシミュレーションを行い、無事に空港に着陸できたという検証結果を元に、疑惑を厳しく追及し始めます。

これらのデータと、コクピットで感じた状況との違いに困惑する機長たち。エンジンも確かに止まっていたはずだと主張するのですが、実機は川に沈んで検証は不可能。二人はどんどん追い詰められて行きます。

いよいよ、検証結果と、コクピットでの二人のやり取りの録音が公開される公聴会の日となりました。開催中、リアルタイムでのパイロットによるシミュレーション中継を要求し、会に臨んだ二人。果たして彼らの判断は間違っていたのでしょうか―?


(以下、ストーリーの結末に触れています)






委員会の聴き取りから公聴会までの緊迫した状況を機長の目線から見せるパートが軸となっていますが、その合間に事故機に乗り合わせた人たちや居合わせた観光ヘリ、救助隊、機長と妻との短い電話でのやりとりなど、周辺のエピソードを効果的に配置して、当時の状況を立体的に再現しています。

同時に、短い切れ切れのシーンですが、サリー機長のこれまでのフライト人生を挿入することにより、プロフェッショナルとしての生き様も描き切っています。

いや〜ホントに機長って大変。フライト中は多くの人命を預かってる上に、必死の努力で大惨事を回避したのに、こんなやいのやいの追究されるなんて、私なら絶対折れそう...。

しかし、そこは機長。

クライマックスの公聴会シーン。かなり打撃は受けたものの、彼はとことん沈着冷静であり、委員会が動かぬ証拠として絶対視する「データ」の問題点を“人的要素”が欠如していることだ、と簡潔、かつ明確に指摘します。

そして、公聴会の場で中継される、パイロットによる再現シミュレーション。

結果はやはり、コンピュータの出した結論と同じく、空港への着陸が可能であるというもの。

しかし、機長は毅然として言います。このパイロットたちは何が起こるか、どう対処するかを事前に知らされ、訓練している。彼らの条件は未曾有の事故に直面した我々とは異なっている、と。

そして、シミュレーションパイロットたちは、事故当時と同様に、鳥に直撃されてからの対処とエンジン回復への努力の時間として35秒間待った後に、コンピュータの計算通りの行動を取ります。結果は着陸失敗、市街地での衝突と大惨事に…。

その結果を見届けた後、公聴会の参加者はヘッドホンをつけ、事故発生から着水までわずか208秒間の、コクピットでの機長と副操縦士のやりとりを聞くことになります。誰もが経験したことのない、マニュアルのない状況で2人がいかに冷静に最大限の努力をしたか、観客も共に固唾を呑んで見守ることになるのです。

聞き終わった後、委員会のメンバーはいみじくも言います。これまで何度も事故時の録音は聞いてきたが、当事者である機長と副操縦士の前で聞くのは初めてだった、と。

簡単なようで、この一言の意味は重いものがあります。

全員生還できたのは機長の働きによるもの、というコメントが紹介されたあとで、機長は、クルーや管制官、救助隊など全員の力だ、と淡々と語ります。

その言葉の通り、本作には、機長を始め、誠実に仕事を行うプロフェッショナルが全編に登場します。

最後の一人まで救助されたか何度も確認し、責任を全うして機を離れる機長。最後の最後まで事故機を安全に誘導しようと力を尽くす管制官。危機的な状況にも冷静さを失わないキャビンアテンダントたち、事故を見て即座に救助に動くフェリー...。

とにかく、みんな地道に仕事をしてるんですが、悪役?の国家運輸安全委員会も、国民的な英雄を前に予断を排し、プロフェッショナルに徹するという点では負けてないな〜と感心しました。

そして監督のクリント・イーストウッド。

だらだらと長い映画が多い中、これだけの内容を1時間半にまとめ上げたプロ中のプロの手腕に脱帽です。

遠くまで行く乗り物についての映画だというのに、お話はニューヨーク(とニュージャージー?)の中で完結してしまうんですが、お話のテンポとか、ほんのちらっと出てくる街中での描写なんかに、ニューヨークの粋を感じます。

特にラストシーン、公聴会の最後に、また同じ事態が起きたら、何か違う対処をすると思いますが、と聞かれて副操縦士の答えが一言。

「今度は7月にします」

粋だねぇ...。


早稲田松竹で観ました。
スクリーンは割合大きく、綺麗なシートや広めのトイレなど、設備面も快適。
基本は2本立て上映。
周囲もにぎやかで、家の近くなら通い詰めちゃいそうな映画館です。

ハドソン川の奇跡|映画情報のぴあ映画生活
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2017年01月26日

MX4D上映 ルパン三世 カリオストロの城

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↑劇場でいただいたポストカード

なんでまた唐突に再上映されているのでしょう、御大に何かあったのでは…ぶるぶる…と正月から縁起でもないこと考えておりました鑑賞者ですが、今年は原作ルパン三世の50周年だったんですね。

電車を乗り継いで劇場まで観に行った○十年前が昨日のことのように思い出されます。当時はすごく面白いと思ったけど、今観たらガッカリかも…と思ったけど、そんなことありませんでした。

いきなりド派手に登場するルパン三世の「お仕事紹介」のシーンから一転、のどかな田園風景やバディ・次元との息の合ったやりとり、またまたド派手なカーチェイス、雨の中、静かに現れる五右衛門…静と動のコントラストはお見事のひと言。

イタリアに行ったら、フィアットに乗ってる男子ってみんなリアルにルパンみたいなチンピラで、しかもどこからせしめてきたんだか車にルパン三世のステッカー貼ってるんで本気で驚いたんですけど、実写なら○栗さんに頼むより、イタリアでロケした方がいいんじゃ…?

と、話は逸れましたがこの作品、はるか昔、たった一回見ただけなのに、ほとんどのシーンをかなり正確に覚えていたのは、シーンのつなぎや構図、動きがよく練られていて、ピタリと決まっていたためだと思います。

せりふも節回しまで記憶の通りでしたが、こちらはやはりベテラン陣の演技力のおかげでしょうね。一度聴いたら忘れられない、山田・ルパンや、キャラにピタリとハマった納谷・銭形、小林・次元、増山・不二子のセリフ回し、セリフこんだけでギャラいくらもらったんだろう井上・五右衛門の渋い美声も、クリアな音声で蘇っています。

それにしても、なぜIMAXとかじゃなくてMX4Dなんだろうと不思議に思っていたのですが、アクションが多いし、水しぶきが出るとか、ボコボコになぐられるとか、MXのエフェクトが効くシーンが考えていた以上にてんこ盛りで、ああ、本当にマンガ映画の楽しさが味わえる作品だったんだな…と改めて思いました。

六本木ヒルズで観たんですが、観に来るガイジンさんの多いこと多いこと。日本語が全然わからない方々ばかりのようで、チケットカウンターの人が対応に追われてました。字幕ないですよ、って教えてあげないと困るんじゃないだろうか…あるいは、字幕付き上映をやるとか?

いえいえ、言葉が分からなくたって、絶対この面白さは分かりますよね。

期間限定上映だそうですので、お見逃しなく!

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8はMX4D専用です。座席は抜群の座り心地。
観やすい席はD〜Fの8,9,10番あたりでしょうか。
私は少し後ろ目が好きですが、割と段差がないので、
座高の低い方はご用心です。



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2017年01月06日

こころに剣士を(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

奈良美智の絵に出てくるような、あるいは「ロッタちゃん」の映画に出てくるような、目ヂカラのある女の子が出てくる予告に惹かれて観に行ってみましたエストニア=フィンランド=ドイツ合作映画。

例によって全く予備知識がなかったため、登場人物たちのしゃべってる言葉にまず面喰いました。

すごくフィンランド語に雰囲気が似てるんだけど、でも全然聞き取れない。

むしろ、なぜか大人は皆しゃべれるらしいロシア語の方が分かる(って言っても、ロシア語のセリフが“もしもし”とか“誰ですか”とか“ちょいとお兄さん”とか“そこの女子!”とか、初級レベルだったからですが・笑)…。

書き文字はみんなキリル文字だしロシア語だ(文書とか、街角の表示(“パン屋”とか)...と気になってたら、だんだん分かってきたのは、お話の舞台になってるエストニアはソ連に併合されているので公式にはロシア語が使われていて、エストニアの地元の人は地元の言葉でしゃべってるらしい、ということ。

冒頭に、ほんの数行の字幕で説明された時代背景が、後々重苦しくのしかかってきます。

しかし、映画全体の印象は水彩画のように素朴で淡々としていて、もろもろのことはひっそりと暗示されるだけで感動の押しつけもなければ感情の爆発も残虐シーンもなく、それでいて軽やかに、そしてしみじみと温かい気持ちが残る秀作です。

お話は第二次世界大戦後のエストニア。素朴な片田舎に、大都会・レニングラードの大学を出たという教員志望の若者・エンデルがやってきます。

見るからに人付き合いが悪そうで、子どもも好きそうには到底見えず、引きこもりな感じなのに教員志望??という第一印象は全然間違っておらず、彼は実際、人付き合いも悪ければ子どもも苦手な根暗青年で、教員になったのは単に人目を避ける必要があったからなのでした。

よくもこんな怪しげな人を簡単に採用するね...と思ったら、そこは校長先生、裏ではがっつり疑っています。

エンデルは校長の命令に従って、課外の運動部をはじめますが、用具を取り上げられたりの妨害に遭い、結局、彼自身が選手だったフェンシングの部活を立ち上げます。

例によって子どもの指導なんか全く興味なさそうなエンデルなのですが、田舎町なこととて子どもは新鮮な活動に飢えており、好奇心いっぱいで部活に参加します。その人気ぶりや、エンデルの学歴も面白くない校長はいろいろと妨害や粗さがしを始め、ついに彼のひた隠しにする秘密に辿りつきます。

一方のエンデルも、レニングラードにいる親友から目立つことはするな、もっと遠くに逃げろと忠告されるのですが、グズグズと煮え切らない態度でいるうちに、子どもたちはフェンシングの全国大会に出たいと言い出します。

開催地レニングラードに行くことはエンデルにとって、命を危険にさらすことに等しい行為です。しかし、彼にフェンシング部を立ち上げる決意をさせた女の子・マルタや、辛い状況にいる男の子・ヤーンなど、子どもたちの願いに背中を押される形で、エンデルは行動を起こします...。

少しサスペンス風味の部分もありはするものの、全体としては出来事をドラマチックに演出するでもなく、登場人物も、押しなべておとなしい感じの人たちばかりで本当にあっさりした味わいですが、それが却って時代背景の異常さを浮き立たせているかのようで好感のもてる映画です。

これ以上のストーリー紹介はネタバレになりますので、これからご覧になる方はここまで。ストーリーの結末が分かってもOKな方は、映画館の紹介以降もどうぞご覧ください。

以下、お話の結末に触れています。










最後のテロップで、このお話が実話だったのだと初めて知りました。いちおうハッピーエンドでホッと胸をなでおろしましたが、当時の身の処し方の難しさを映画館を出た後でじわじわと感じました。

エストニアは第一次大戦後、ロシアから独立したものの、ソ連の侵攻によって併合されてしまいます。そのあと、ドイツに占領され、またソ連に占領され、という繰り返しで、その間、男子は対ソ連のナチス・ドイツ軍に加わったり、ソ連の赤軍に加わったりしていました。

エンデルは第二次大戦中にドイツ軍に加わった、という理由でソ連当局から追われる身だったのです。そりゃソ連から見れば敵、しかもナチス・ドイツなんですから聞こえも悪いですが、上記のようなエストニアの状況からすると、ソ連を追い出すためにドイツ軍に加勢するという人だって当然いたことでしょう。

校長も映画で見る限りは私怨と嫉妬に駆られてエンデルを密告したようにしか思えませんが、エストニアの人がどのくらいソ連を支持していたかはともかく、ナチスの残党狩りと言えば世間も(国際的にも?)通るでしょうし、なかなか複雑です。

戦争とそれに続くこの状況で男手のほとんどないこの町では、保護者会といっても参加するのは老夫婦ばかり。大人も子どもも何かみんな精気がなく常におどおどしているような印象だし、エンデルも積極的に生徒と関わろうとはしていない感じを受けます。

しかし、彼は結局、思い切って逃げるのをやめ、フェンシング大会に出るために子どもたちを引率してレニングラードに向かいます。

元々、エンデルもそんなに決意が堅いわけではなかったと思うのですが、校長の意向に反してフェンシング部を存続させようと、ささやかな、しかし勇気ある一歩を踏み出してくれたヤーンのおじいさんや、おずおずとながら部の存続に賛成の挙手をしてくれた保護者の人たち、強い目力でエンデルに決断を迫ったマルタなど、小さな積み重ねが彼を後押ししてくれたに違いありません。

物語の舞台になったハープサルという町の湿原や森などの自然の美しさや、その駅も素朴で良い感じなのですが、今も昔もそのままの佇まいのようですね。エンデルに声を掛けた女性教師のカドリが掛けていたショールは模様からして、町特産のハープサル・ショールではないでしょうか。さりげないけれど、確かな地元への愛が伺えるのも、この映画の良さだと思います。

ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。
JR有楽町駅至近でアクセス良好。
小さい方のスクリーン2は席数も少ないですが、それなりに傾斜があるようで、まあまあな劇場です。
観やすい席はC,D列の5,6あたりです。

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2016年12月27日

オアシス:スーパーソニック

数年前、確かスカンジナビア航空かなんかに乗ったときに、離陸前ずっとキャッチ―な曲がかかっていて、気になって後で調べたら、ノエル・ギャラガ―ズ・フライング・ハイっていう、やたら長い名前のバンドのAka...What a life!という曲でした(こちらにオフィシャルMVがあります...→https://www.youtube.com/watch?v=d6m03FUYaTM が、前置きがすごく長くて、実際の曲は3:34くらいからです)。

これがまた中毒症状を呈する楽曲で、ひと頃は常に頭の中で再生されている状態だったのですが、この映画のポスターを見かけて、あ、そうだノエル・ギャラガ―って元オアシスの人だったと思い出し、どんな人なんだろうと思ってノコノコとオアシスのドキュメンタリーである、この映画を観に行ったという次第です。

ブリットポップは好きなのですが、90年代当時はブラーのファンだったので、オアシスなんか、ああ、あの兄弟仲の悪いって噂のバンドね、くらいにしか思ってませんでした。

今回、映画を観て真相を知りましたが、まさか本当だったとは…(笑)
(つか、全くの部外者にまでそんなことが知れ渡ってるバンドって一体…)

それに、私の知ってた曲が「ワンダーウォール」とか「シャンペン・スーパーノヴァ」とかスローな曲ばかりだったので(名曲だとは思ったけど)ロックバンドだという認識すらなかったのですが、いやいや、この生き様はまさにロックンロール。

初めての海外公演に出かけたオランダで、移動中、乱闘騒ぎに自ら参戦。リードボーカルのリアムは結局一曲も披露せずに強制送還されてしまい、しかしそれを聞いた契約レーベルの総帥・アラン・マッギーは「最高だ」って言った、とか(つまり、一番のつわものはマッギーだった訳ですが)。

ドラッグをやりながらステージで演奏して、伴奏と歌が別の曲だったとか(直接の原因はローディーがセットリストを間違ったせいらしいのですが、ラリッてなきゃ気が付くだろ普通)。

もし実家が魚屋だったら兄弟がマスで殴り合ってたと思うとか。

こんな妙なバンドに嫌気がさして辞めてしまったベーシストが、危機を救いに駆けつけてきてくれたのに、感謝の言葉一つ掛けるでもなく、オアシスに腰抜けは要らないと罵ってみるとか。

さんざん家庭内暴力を繰り返した父親がライブの後の打ち上げ会場に現れると、本気で殺そうとするとか。

全編いちいちこの調子、いったいこのエネルギーはどこから出てくるんでしょうか。

とにかく、折れない、曲がらない、凹まない。スーパーソニックっていうより超合金で出来てるようです。

兄弟間ばかりではなく、あらゆることに罵詈雑言、その発言は得体のしれない芸風を確立しています。口だけ番長かと思いきや、アルバムセールスも動員数も新記録を達成し、英国一のバンドにのし上がる有言実行ぶり、お見それいたしました!

映画は、こんなとんでもないバンドの中心人物である、ノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガ―兄弟の幼いころから、1996年・25万人を動員した空前のネブワース・ライブまでをとらえたドキュメンタリーです。

グラスゴーでの初登場ライブをはじめとする初期のライブやレコーディング中の映像から、ツアーの間のちょっとしたメンバーのやり取りの記録まで、よくもこんな映像残ってたものだと驚くようなものばかり。

常にいがみ合っているネコ派の兄ノエルとイヌ派の弟リアム。決して幸福とは言えない子ども時代を過ごした彼らですが、だからこそギターに没頭できたと考えるノエル、ケンカの相手に金づちで殴られて音楽に目覚めたというリアム。

共に、「悪魔的でふてくされて挑発的」と言われる彼らの音楽とは裏腹に、ポジティブという言葉が陳腐に感じるほと前向きなロック魂を感じます。発言もよく聞くと、毒舌ながら痛いとこ突いてる名言のオンパレード。

日本についての発言も入っていて、なぜかとっても日本に優しいのが却ってブキミなんですけど、「英語もできないのになんであんなに熱狂的なんだ?」という感想が鋭すぎて笑っちゃいます(褒めているらしい)。

この二人に「クレイジー」と認定していただけるとは、誠に光栄の至りであります。

正直、オアシスのファンでなければピンと来ない作りだし、残念ながら曲が途切れ途切れにしか入っていないのでミュージシャンのドキュメンタリーとしてはどうかと思うものの、登場人物のキャラクターが予想を上回る面白さでかなり挽回してると思いますし、一つの時代の象徴として観れば、90年代の熱気を体現できる貴重な作品と言えるでしょう。

ちなみに、ギャラガ―兄弟の発言があまりに面白いのですっかりハマってしまい、映画を観終わっても彼らの悪口名言集を探して読んでる毎日です。



角川シネマ有楽町で観ました。
音響も悪くないし、観やすい劇場です。

立川シネマシティで爆音上映中だそうで、そちらでも観てみたいのですが、楽曲がぶつ切りなので、却ってフラストレーションが溜まるかも…。

まあ、あの最高の音響でノエル・ギャラガ―の毒舌を聞くのも悪くないチョイスかも知れません。

ぴあ映画生活
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2016年12月24日

素晴らしき哉、人生!

*2017年も田端のシネマ・チュプキ・タバタで上映されるそうです。
素晴らしい映画館で、素晴らしい映画を!*

http://chupki.jpn.org/about

皆様、メリー・クリスマス!

年明け、似たような邦題で新作映画が公開されるそうですが、こちらは1946年のアメリカ映画。フランク・キャプラ監督作品です。

舞台はクリスマス・イブの夜、アメリカの小さな町、べドフォード。激しく降りしきる雪の中で、多くの人たちがジョージ・ベイリーのために祈っています。星空の彼方(?)でそれを聞いていた天使は、二級天使クラレンスを派遣することに決定。もしジョージを救えれば翼がもらえると聞いて喜ぶクラレンスは、彼がもうすぐ自殺しようとしていると知らされます。そして、助けに行く前に、まずはそこまでのジョージの半生と事のいきさつを聞かされます。

主人公のジョージは弱きを助け強きをくじき、善良で陽気で人懐っこい、アメリカ人の理想のような青年。彼には冒険心も野心も理想もあり、小さな町を出て世界に羽ばたこうとしていました。

しかし、彼の父親が急逝し、義侠心から町の小さな住宅ローン貸付会社を引き継ぐことになります。

町は無慈悲な銀行家、ポッターが支配しており、貧しい人たちは彼の貸し出す粗末な家に住んでいました。ジョージの会社は低利で住宅の資金を融資し、彼らがマイホームを手に入れる手伝いをしていたのです。

決して裕福とは言えないけれど、人のためになる仕事をし、愛する人と温かい家庭を築いて事業も軌道に乗ってきた矢先、同じ会社で働いていた叔父がうっかり、銀行に預けるために持っていた会社の資金8000ドルを封筒に入れたまま、新聞といっしょにポッターに渡してしまうというミスをしてしまいます。

常日頃、ジョージの言動に面白からぬ思いをしていたポッターは、すぐにこの現金の意味を悟り、ここぞとばかり彼を追い詰めます。

クリスマスの夜、絶望したジョージは、周りに当たり散らし、家を飛び出して町はずれの橋の上で、暗い川面を見つめているのでした...。

実は観るまで何の予備知識もなくて、モノクロのタイトルロールが出たのに驚いてしまったのですが、最初の方のシーンが雪の降りしきる夜景や星空と、もともとモノクローム的な世界からスタートし、最初のうちは登場人物(と天使)も声だけなので、全く違和感なく、すんなりとお話に入っていけました。SF好きには、パラレルワールドものとしても楽しめます。

主人公のジョージが、ああっ、ちょっとそこでなぜハッキリ言わないの?!とか、たまには相手に譲ってもらってもいいじゃない、とかじれったいんだけど、聖人君子っていうよりは、若干要領が悪いというか、巻き込まれ型なのが良い子のスーパーヒーローと違ってホッとします。

良妻賢母を絵に描いたようなヒロインのメアリー、忘れん坊で大ピンチを招いてしまうけど憎めない叔父貴などの登場人物や、ローンを組んでも自分の「ホーム」を手に入れることが誇らしかったりする価値観とか、アメリカ映画らしいのも興味深いです。

第二次大戦が終わってすぐに撮られた映画だからか、人の善意とか、勇気とか、復興とかの要素もふんだんに詰め込まれていますが、施しを与え、人を赦し、隣人愛を確かめ、神の恩寵を感じるというクリスマスの意義を思い出させてくれます。

仇役の銀行家・ポッターも、一見、どこまでも憎々しいようではありますが、実は現金の封筒に気づいて咄嗟に、それを返すために叔父を呼び戻そうとするんですね。すぐに思いとどまりはするけれど、そういうところに救いを感じます。

それにポッターさんにも、この後きっと、ディケンズの「クリスマス・キャロル」みたいな奇跡が起こることでしょう…。

田端のシネマ・チュプキ・タバタで観ました。
クラウドファウンディングで創られた、常設のバリアフリー映画館とのことです。
入口からシアタールームまで階段を使わず直結で、車椅子でのアクセスが良いことはもちろん、目の見えない人も映画を楽しめるよう、音声ガイドもあるとのこと。今回のような映画を観るのにピッタリな劇場だと思いました。

上映が終わって、お客さんが映画館の人に良い映画を有難う、とお礼を言ったり、知らないお客さん同士で和やかに話したりしていたのは、プログラムがこの映画だったからということもあるでしょうが、この映画館だからということもあるのだと思います。

出来たばかりで設備も綺麗ですし、音もよく、画面も見やすいです。
17席しかないので、遠くから足を運ばれる方は、入場予約をした方が良いかも知れません↓
(席自体は自由席です)
http://chupki.jpn.org/about
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2016年12月21日

あなた、その川を渡らないで(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

この映画のストーリーを簡単に説明すると、こんな感じです。

昔々…じゃなくて21世紀、韓国の山奥に、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさん…とおばあさんは、山へ芝刈りに、
おばあさん…とおじいさんは、川へ洗濯に行きました
(そんでもって、おじいさんは、洗濯しているおばあさんにちょっかいを出していました)

つまり、二人はどこへでも一緒に出かけました。

そして二人はいつまでも 幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。

いやほんと、ドキュメンタリーだということを忘れてしまいそうなくらい、このまんま。

89歳になっても可愛らしいおばあさんと、
98歳になってもやんちゃなおじいさん。

二人はとても仲良しで、どこへでも手をつないで出かけます。
いつもお揃いのきれいな韓服を着ていて、とてもオシャレなカップルです。

そういえば、オリンピックの前だったと思うけど、80年代に初めて韓国に行ったとき、ソウルの街でも年配の人は民族衣装を着て、ステキな帽子を被ってましたっけ。夏だったので、白の麻の服がとても清々しく見えたものです。

2000年に入ってまた出かけたら、地方に行っても全然韓服を見かけなくなっててとても残念でした。機能的で動きやすいんじゃないかと思うのですが、実際着ると、見た目とは違うのかしら…?

と、話が逸れましたが、山間の川沿いの一軒家に暮らしている老夫婦の日常を、映画は優しく映し出します。

お手洗いが離れにあるんだ…とか、床に座ってご飯を食べるんだ...とか、縁側みたいな場所があるんだ...とか、日本の田舎によく似てると思うところもあるし、嬉しいと歌ったり踊ったり、哀しいと声を挙げて泣いたり、感情表現は開けっぴろげで日本とはだいぶ違います。

でも基本、皆さん明るいというか、楽観的だから長生きなさってるのかも知れないけど、老人会のバス旅行でディスコ風のアリランがかかると立ち上がって踊り出したり、何だか楽しそう。

とはいえ、若いころのように元気いっぱいという訳にもいきません。そうした衰えも、仕方がないことと受け入れて、一日一日を大切に生きるお二人の姿が、あたり一面の銀世界や春の花々、夏の驟雨や涼み台での食事など、四季折々の風物や自然と美しく調和しています。

以下、映画の後半に触れています。


* * *



ある日おばあさんは、お店で6着の子供服を買って、燃やし始めます。早くに亡くなった6人のお子さんのために、天国で着る服を用意していたのです。当時はまだ貧しくて、服を買ってあげられなかったのが心残りだったからと。でもなぜ今…?と思ったら、理由はすぐに分かりました。

咳が止まらなくなり、夜もよく眠れないおじいさん。おばあさんは、子どもたちに服を持って行って欲しいと言い、着る物に困らないようにと、おじいさんの普段着も少しずつ火にくべ始めます。そこまで覚悟しながら、それでもやはり、一日でもおじいさんと一緒にいたいと願うその姿にしみじみと心打たれるものを感じます。

観終わった後、身近な人をもっと大切にしようと、きっと思える映画です。

作品のサイトはこちら↓
http://anata-river.com/

ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
規模は小さいですが、アットホームな雰囲気で、
椅子もしっかりしている観やすい劇場です。
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2016年12月05日

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(ネタバレなし)

いや〜、面白かったですね〜。

ハリー・ポッターのシリーズがあまりピンと来なかったので、ましてや外伝となると、観るつもりは全然なかったのですが、「なんとかかんとかの旅」っていうタイトルに弱いのと、トランクの中に何かいる!っていう第1弾の予告が面白くて、ついつい映画館に足を運んでしまいました(釣られやすい)。

でも、釣られて正解でしたね...。

実は、前売りを買ったあとに第2弾の予告を観てしまい、そいつがイマイチだったので、げっ、騙された...と焦っておりました。何がイマイチだったかというと、そこがそれ、本映画の主役である「魔法生物」のビジュアルだったので、焦る気持ちもお分かりいただけますことでしょう。

しかし、映画の中で動いていると、ニフラーとかニフラーとかニフラーとかが、思ったより可愛かったんです。

そういえば、最近、ルイ・ヴィトンのショーウインドーにこんな連中がいるのですが、

s-ニフラーか?.jpg
ニフラーか?

s-ニフラーですよね?.jpg
ニフラーなのか??

まさかニフラーが化けてるんじゃないでしょうね...。

今回は魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公ということで、おっちょこちょいではありますが賢いこの人が大変気に入ったうえ、学校を舞台にした前作と比べるとぐっと大人っぽく、またしょっぱなからいい具合にゴシック風味が入っているのもツボにはまりました。

お話の舞台になっている1920年代のNYを縦横無尽に駆け巡る設定もいいし、主人公のニュートを初め、脇のキャラクターもそれぞれ魅力的。ストーリーは基本、逃げた動物を捕まえる話なのですが、そこにさまざまな人のさまざまな思惑が絡んできたり、ハリー・ポッターシリーズとつながっていたりして、それほど凝ってるわけではないけれど、そこそこ厚みのある物語になっています。

私はハリー・ポッターのファンじゃないんですけど(すいませんね)、ファンタスティック・ビーストはファンになれそうです。

映画を観る前に読んでしまうと、ちょいとネタバレになってしまうかも知れませんが、お話のカギとなる、アメリカ合衆国魔法議会(マクーザ)について、原作者のJ.K.ローリングさんが書いているこちらの文章(https://www.pottermore.com/writing-by-jk-rowling/macusa-jp)も、お話の背景を知るうえで興味深いです。

そうそう、アメリカが舞台といえば、アメリカの俳優とイギリスの俳優でことばをちゃんと使い分けてる上、魔法世界の用語もイギリスと違いを出すなど、イギリスファンタジーの伝統か、さすがことばの設定はきちんとしてますね。

今回のお話はそれなりに完結していますが、シリーズものだということなので、これは先が楽しみになってまいりました。

ニュート・スキャマンダーさん(尊敬すべき人なので、どうしてもさん付けで呼びたくなってしまう)のミドルネームはアルテミスっていうらしいですね(女…?)。映画の中で、お兄さんの名前はテセウスで、どうもスゴイ人っぽいようなことが匂わされていましたが、お名前のナゾも含めて、先々解明されることを期待しております!

TOHOシネマズ日本橋でみました。
ここのスクリーン7はTCXドルビーが売りの上、場所柄か、あまり混み合わないので
おススメの映画館です。後ろから2列目のLか3列目のK、14か15の席が観やすいです。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅|映画情報のぴあ映画生活
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2016年12月03日

私の少女時代 Our Times(我的少女時代)〜表記以降、ネタバレあり

台湾で2015年にナンバー・ワンヒットを記録した作品、しかも《蘭陵王》のプロデューサー・陳玉珊(フランキー・チェン)女史の初監督作品ということで、先入観バリバリで鑑賞してまいりました。

内容は、言わずと知れたド直球青春恋愛ドラマで、少女マンガがそのまま三次元になったよう。

林真心(リン・ヂェンシン)は、一流の大学を出てやりたい仕事についてステキな男性と結婚する、という夢とは裏腹に、さえない男友達を持ち、さえない職業生活を送っています。彼女はふと、不美人な平凡女子だった自分の少女時代を思い出します。

高校生の頃のこと、彼女は不幸の手紙を受けとり、それを憧れの人気者男子・欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)に因縁をつけた不良の徐太宇(シュイ・タイユィ)に転送したところ、差出人がバレてしまい、パシリとしてこき使われる羽目になる。

しかし真心は、徐が美少女・陶敏敏(タオ・ミンミン)に告白して速攻ふられたのを目の当たりにして、彼のため、ひいては陶と欧陽を引き離すため、徐と失恋同盟を組むと言い出す。そのうち、ただのワルだと思っていた徐の意外な面を知るにつけ、だんだんと彼に惹かれていくのだが…という、要するに王道の恋愛ストーリー。

さすがに、転校してきたヒロインがパンをかじりながら登校すると、出会いがしらに男子生徒とぶつかって…というお約束の展開はなかったものの、それ以外はだいたい予想つくんじゃないかと思います(笑)

でも、眼鏡ドジっ娘のヒロイン、林真心を演じたビビアン・ソンがとても上手くて、こういう真っすぐで一生懸命な青春もあるよね、きっと…とつい引き込まれるあたり、さすがにヒットメーカーの技。

少女マンガ的な作品にありがちな傾向として、女子の心理は凄くきちんとつかんでいると思うのですが、その正確さに比べると、男子の方の描写は、あり得なくね?って感じなんだけど、ま、いっか。男子の皆さん、いかがだったでしょうか…?

台湾最難関の大学を目指す進学校ってこんなものなの…?とか、受験2か月前でこの余裕は何?とか(あ、優秀だから、これでいいのか)、細かいツッコミはさておき、この手の話で上映時間2時間越えは、自分的には結構辛いものもありました。

でも、お話のほとんどが台湾の90年代の回想シーンで、小道具も凝っていたし、学校生活やお店の作り、携帯やパソコンのない日常、「不幸の手紙」やアイドル全盛期などの時代的な感覚が、同時代かそのちょっと前の日本と似ているところがあり、そういったディテールは、恋愛モノが苦手な自分にも大変興味深かったです。

挿入歌も、当時流行した、グラスホッパーの《失恋陣線連盟》とか、鳳飛飛の《追夢人》、アンディ・ラウの《忘情水》なんかが上手く使われていましたね。

たま〜に、セリフが21世紀風のことがあるのが、笑っちゃうけど…(“超”とか)。

それにあなた、欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)! すっごいキラキラネームな気がするけど、よくある名前なの? それとも、欧陽菲菲 (オウヤン・フェイフェイ)の親戚筋? 

とまあ、ツッコミも含めていろいろ楽しめるし、後味が爽やかな映画なので、機会があればどうぞご覧になってみてください。

とりあえず私は、アンディ・ラウ(劉徳華)の偉大さを改めて思い知らされました。まだ現役アイドルだなんて、華仔、いったい今年、歳、いくつ…。?

お話の細かいところはネタバレになるので、OKな方は以下をどうぞ。

新宿武蔵野館で観ました。
ずいぶん綺麗に、シネコン風(?)になってたけど、改装したのでしょうか。
せっかくだから化粧室の個室も増やしたらよかったのに…。でも、係の人は親切だし、小さい方のスクリーンも見やすいので、その他は文句なしです。

以下、ストーリーの内容に触れています。








いくつか、元の中国語が分かると面白い箇所があったので書いておくと、不良の徐太宇に説教を噛ましていたときに引き合いに出していたのが“周処”の話。

周処は三国時代の人で、地元の連中にトラやミズチと並んで「三害」認定されたワルだったのを悔い改め、最後は将軍の位を贈られ、三国一のイケメン・潘岳(はんがく)に追悼詩まで詠んでもらうほど出世しました。

中国では今でも、不良に説教するときは、映画同様、周処の話を持ち出すそうで、ワルからは一番嫌われている歴史上の人物だそうです(笑)

しかも“処”の字には発音が二つあり、ワルは必ず読み方を間違えて説教されるっていう、これまた定番のムカつくおまけつき。

それから、徐太宇が初めて林真心と出かけるシーン、メイクに気合いが入りすぎた真心を見て、「村祭りか?」というセリフがありますが、中国語では“廟会”(ミャオホイ)と言っていて、要は日本でいう、神社やお寺の縁日のことです。

でも、「縁日かよ?」って訳しても面白くないですよね…「村祭り」は上手いなっ、って思いました。

最後の、コンサートのタイトルのダブルミーニングもちょっと分かりづらかったかも知れませんね。

アンディ・ラウのコンサートのタイトルは徐太宇が考えたことになっていて、《真心愛妳》(心からあなたを愛しています)と、“真心,愛妳”([林]真心、[私は]あなたを愛してる)の意味が込められてるんですね。

90年代の風俗習慣を知るという意味では面白く観たものの、正直、映画というよりはテレビドラマっぽい作りだなあとは思いましたが、それだけに一層、フランキー・チェンの手腕には脱帽せざるを得ません。

この映画は、そもそもかなり話も単純明快だと思うのに、さらに回顧シーンの終わりには、欧陽が真心に、彼女が知らなかった徐の行動の真相を解説して聞かせます。

いちいち全部フラッシュバックで再現するのですでにくどい上に、そのときの徐の気持ちも併せて説明するので、興が削がれることおびただしいものがあります。

そもそも、徐の気持ちは回顧シーンでベタに暗示しているわけだし、最後に大人になった二人が会うシーン以降の展開が、高校生のときの徐がどう思っていたかを示しているので、それより前では敢えて説明せず、観客が補って観るように演出するのが普通の映画の定石だと思うのですが、全部セリフにして言わせてしまう。

なんか、コメンタリーつきのDVDを観てるみたい。

しかし、日ごろ映画を観なれない観客に対して、登場人物の気持ちは自分で考えろと投げ出すこれまでの映画のやり方の方が不親切で、新規市場開拓には不適切だったのかも知れません。

さらに映画が終わると、短くない時間のおまけメイキングビデオが付いていて、聖地巡礼に来いと言わんばかり(ちょっと行ってみたくなったけど・笑)、どれが名セリフだったのか、どこが名場面だったのかも、日本語吹き替えによる再現Vでガッチリ解説していただけます。

何なんだこれは…とその場では脱力しましたが、余韻と引き換えに、絶対に観客に分からなかったと言わせない、誤解させない、有無を言わせないサービス精神というかおもてなしの心というか、それを徹底したあたりが、大ヒットの秘密なのかも知れません。

となると、この映画の功労者はやはり、監督なのでしょう。アンディ・ラウという線も、残しときたかったところではあるのですが…。


ぴあ映画生活


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2016年11月29日

神水の中のナイフ

白い服を着た人たちが画面の中を横切っていきます。
白は中国では喪の色。

元からか、中国に住んでるからなのかは分かりませんが、この映画の主役である、回族(イスラム教を信奉する少数民族)の人たちにとっても白は喪の色であるらしく、つまり、埋葬のシーンから映画が始まります。

法要をどうするかで、故人の夫である老人と息子とが話をしています。四十日の法要というのを盛大に行う習慣らしく、息子は老牛を犠牲として捧げるという提案をします。老人の方は迷うところがあるらしく、老いて耕作にも向かなくなった老牛を、ためつすがめつしています。

牛は牛で何かを察知したらしく、餌を受け付けなくなります。老人は、宗教指導者のところへ行き、清水の中にナイフを見、自ら清浄を保った奇跡の牛の話を引き合いに出して、老牛を見に来るように話しますが、指導者の方は興味は示すものの、牛をさらに高い目的のために使うのだから、良いことなのだと父親を諭します。

遺品としてスカーフをもらった嫁や、故人に貸した5元を返してもらった知人など、独り言のような切れ切れのエピソードがぽつんぽつんと点描され、映画は寂寥感を深めていきます。

そこに映し出されるのは、水も食料も十分になく、最低限の物資での生活です。

それでも、家々は清潔に整えられ、貴重な水で老人は丁寧に沐浴を行います。確かに貧しい生活ですが、どこか清々しいものを感じさせます。

そして法要を前に、老人は町の市場へ行くと言いおいて、独り出かけます。雪を頂いたいくつもの盛り土が連なる場所で、彼はじっと佇んだまま…。

                     *

上映のあと、プロデューサーによるティーチ・インが行われました。

かろうじてコーランの朗誦が、やや音楽的ではあるものの、まったくBGMのないこの映画、正直、静謐すぎて気が遠くなる瞬間もあったのですが(…)、監督もオーケストラ曲を起用しようとしたものの、結局やめてしまったそうです。

正方形に近い4:3の画角にしたのは、クラシックな雰囲気を出したかったということに加えて、主人公の心の動きに集中してもらいたいという意図があったとのこと。

主人公が寡黙なのもきっと同様の意図によるのでしょうが、主人公を演じた人は実は真逆の明るい性格で、なんと外国へ行ったこともあるのだとか。彼を含め、全員が地元の素人の人たちだとは信じられないほどの自然な演技でしたが、この地で実際に生活している人たちが出演することで、映画がよりいっそう風土に結びついて感じられました。

監督は漢民族の人で、大学で回族のクラスメートに勧められてこの作品を撮ったとのことですが、原作小説の舞台になった、寧夏回族自治区の西海固に強いこだわりがあったそうで、人も含めた風土を写しとりたかったのでしょう。

回族の人たちは、いわゆる色目人(しきもくじん・マルコ・ポーロの『東方見聞録』とかに出てきましたよね)の末裔だということですが、ウイグル族とは違い、外観は漢民族と特に変わりません。しかし彼らは700年にわたって伝統を守り、イスラム教の教義に則って暮らしています。

劇中、主人公の老人が、天井から吊るした甕から滴り落ちる水で丁寧に沐浴する場面が描かれていて(まさかサービスカットじゃないよね?と思ってしまった・笑)、水が貴重だということを説明するにしてはずいぶん儀式的だと思ったら、イスラム教では大切な行為だったのですね。

プロデューサーも、実は漢民族の間でも、昔は目上の人に会う前にきちんと沐浴をしていました、と説明してくれました。日本でいう禊に近いイメージでしょうか。

それに加え、映画では雨や雪のシーンが結構重要なところで登場するので、砂漠のように見えて実際はかなり降るんだなと思ったら、実はほとんどの年が干ばつに見舞われていて、国際連合世界食糧計画によれば、地球上で最も人類が生存するのに適さない地と認定されているところなのだとか。

そうした、すべてがそぎ落とされた環境の中だからこそ、人間と動物、生と死とが、より近しく感じられるのかも知れません。

                        
                     *   
東京フィルメックス映画祭で見ました。
この映画祭はいつもユニークで心に残る作品を上映してくれるので、楽しみにしています。今年は時間の関係で2本しか見られませんでしたが、大賞の作品(『よみがえりの樹』)やその他の作品にも、見てみたいものがたくさんありました。来年も(開催されますよね?!)、ぜひ出かけたいと思っております。

朝日ホールでの上映だったのに、よみうりホールに出かけてしまい、
落語の会に入場しそうになったマヌケな観客は私です。

左端よりのブロックで見ましたが、案外観やすかったです。
音楽がなかったからかもしれませんが
(ステレオだったら音のバランスが気になってたかも)。



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2016年11月27日

湾生回家

台湾で生まれた人のことを“湾生”というそうです。

初めて聞いた...と思ったけど、そういや、香港で生まれた人のことは“港生”っていうんですよね。
確か、ジャッキー・チェン(成龍)の本名が陳港生だったはず。

しかし、この映画の“湾生”たちは日本人。台湾が植民地だったころに親が台湾に渡り、現地で生まれた日本人のことを指します。

本作品は彼ら、台湾を故郷として懐かしむ、老境の日本人たちに寄り添った、台湾の監督によるドキュメンタリーです。

前半、“湾生”の一人が台湾・花蓮の生まれ育った村に帰り、幼なじみの家を訪ねあてると、多くの人はもう鬼籍に入っています。さすがにもうはるか昔の出来事になっちゃったんだな…と思っていると、後半には、日本人の母・清子さんを持つ台湾のファミリーが、寝たきりの清子さんに代わってそのルーツを探すエピソードがあり、清子さんを台湾人に預けて日本に帰ってしまったその母・千歳さんのことをまだ覚えている人が登場したりして、まだまだ歴史のかなたの話ではないと改めて感じさせてくれました。

“湾生”たちはたまたま台湾に生まれただけなのですが、その胸中は複雑であろうことが画面から観て取れます。

敗戦後、見ず知らずの祖国・日本に「引き揚げ」、日本語の発音がおかしいといじめられ、祖国に違和感を覚えながら生きる日々。

“湾生”のふるさとは台湾以外にはあり得ない。でも、いまどきの帰国子女と違って、台湾にいる間は子供だったために意識しなかった、統治者としての自分たちの立ち位置に気づいた“湾生”たちは、ふるさとへの愛を手放しで語るには微妙な立場にいます。

そして、日本で育った彼らの子供たちは、親たちの「台湾熱」に戸惑いを抱いているのです。

そんな中にあって、ふるさとを思う彼らの心情を理解し、寄り添おうとする台湾の人たちの、穏やかで温かいまなざしには本当にホッとさせられます。

自分の狭い経験ですが、今から30年くらいまで台湾では、もっと日本人に対して厳しい見方をする年配の人が多かったし、台湾に旅行に行く人たちの多くが買春目的だったりして、若い人たちにもよく思われていなかったように思います。

月日は流れ、負の面とともに、日本が台湾にとって正の役割を果たした面も、公平に評価すると言ってくれる人たちが現れたことは、ありがたく感じるとともに、なかなかできないことであるとも思います。

そんな友情を仇で返す日が来ないよう、平和を守り続けることの大切さを改めて感じさせてくれる素晴らしい作品です。機会があれば、ぜひご覧になってみてください。

ホアン・ミンチェン監督作品
公式ホームページはこちら
予告編を観るだけで泣けます...。

岩波ホールで観ました。
映画館というより、ホントに、ホールにスクリーンをつけました、
という印象。スクリーンが逆3Dというか、引っ込んだところにあるので、すごく小さく見えます。

前から2列目くらいで観た方がいいかも。

マナーのいいお客さんばかりで、席に余裕があると、
みな、後ろの人に重ならないように座ってます。
だから、観やすいといえば観やすいです。


ぴあ映画生活

posted by 銀の匙 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする