2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら?チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まり、アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼はオウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な
要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

画像表現としても大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界。

たぶんですが、人類は自分を遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと、彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


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2017年04月08日

ゴースト・イン・ザ・シェル(表示以降、ネタバレです)

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↑初日にIMAXで見た記念にいただきました。

士郎正宗のコミックがクレジットされていましたが、実質は押井守監督のアニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を下敷きに実写化したもの(たぶん)。

密林のように建て込んだ高層住宅からわずかに覗く空を横切る飛行機、暗い海にダイブする主人公等々、アニメがそのまま現実化したようなシーンの数々。

映像・キャストとも限りなくゴージャスで、絵づらはイメージ通り。

観る前は、スカーレット・ヨハンソンの草薙素子って何さ...と思っていたけど、全く違和感がありませんでした(劇中、名前はキリアン少佐ですが)。

ということで、どうせ見るなら大きい画面でスカヨハを拝みましょう。

以下、ちょっとした感想のみですが、ストーリー(アニメ、実写とも)に触れています。ネタバレ絶対アウトな方はここまで。












ということで、映像は限りなく押井アニメの印象に近かったけれど、“ゴースト”は宿ってなかったって感じでしたね...。文化の深い溝を感じたというか…。

アニメと全く同じじゃマズいから、せめてストーリーは変えなくちゃって事情は当然あるでしょうが、まるで方向性がアベコベです。

ここまで映像が似てる以上、監督さんか、脚本家か、誰かはじっくりアニメを観たんだろうけど、きっと心の底では元の作品に納得いってなかったんだろうなあと思ってしまいました。

アニメでも確かに主人公の草薙素子は、全身がサイボーグの自分は、人間じゃなくて疑似の自我を持ってるだけなんじゃないかと思っていましたが、だからって自分が人間だと証明したいと思ってるわけじゃないだろうし、日本の観客は、人間らしくあるための努力を素子はなぜしない?!とか思わないのではないでしょうか。

しかしどうやら、この監督さん(あるいは監督じゃなくて、映画会社のエライ人かも知れないけど)は、どこまで人工化しようと人間はヒューマニティーを追求してるはずだと思ってるらしいし、人工物は人間のコントロール下にないと落ち着かないらしい。

だから、義体化の合理的(?)な理由も付け加えないとヘンだし、凄腕のハッカーが実はプログラムが自我を持ったもので、あまつさえ、主人公がそれと進んで融合するなんてアニメ版の話は受け入れがたかったのかもしれません。

アニメは、仮想現実やなりすましなどの事象を描いて、時代を先取りしていたと評価されていますが、いま観ても古びて見えないのは、その底にある問いが心と身体の関係、人間の存在という普遍的なものだからだし、新しく感じるのは、人工知能やロボット技術が日常的になった時代の意識のありようが描かれているからだと思うんだけど、どうでしょう。

つい、だからハリウッド映画なんて…とか、キリスト教文化圏って…とか言いたくなってしまうけど、ハリウッド映画にも『ブレードランナー』みたいな映画があるし、ここは解釈の違いと捉えるしかないんでしょうね...。

まあ、押井アニメを観てモヤモヤした人は実写版の方が納得いくだろうし、アニメ版のセリフの多さに辟易した人(→私)も今度は画面に集中でき、映像美を堪能できたのは幸いでした。キャストは全員最高だったので、続編ができれば、公安9課のメンバーにもっと活躍してほしいなぁ..。

ちなみに、大人の事情か原作リスペクトか分かりませんが、スカーレット・ヨハンソン演じるキリアン少佐が、日本人・草薙素子の脳を移植したもの(そして、移植後なぜか白人)って設定とか、ヒデオって名前の彼氏がいた(そして移植後なぜか白人)とかって設定、ありましたっけ? 一番盛り上げるはずの場面で「なんでやねん!」とIMAXの巨大スクリーンに向かって、思いっきりツッコミそうになったんですけど…。

109シネマズ二子玉川で観ました。
ここのスクリーンは巨大で、前の方で観るとスクリーン全部を見渡すのが困難。
3Dだと船酔い状態になります。
少し前過ぎる感じはありますが、F・G列ぐらいだと没入感があっていいかも。


ぴあ映画生活
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2017年02月11日

永遠のヨギー(ストーリーの結末に触れています)

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ヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダの伝記的な映画。

とは言っても映画自体の出来は、自分的には今ひとつ(ゴメン)、使われてる用語は耳慣れないし、彼の信奉者による推薦の辞だとか、本人の映像だとか、再現シーンだとかがあまり整理されずに詰め込まれている印象。

そして第一印象はずばり…

『自叙伝』の広告?

って感じなのですが、それでも、観ればいろいろと学ぶところは多いと思いました。

目力が印象的なヨガナンダさん(って呼ぶのは正しいのだろうか?)、断片的な作りの映画からでも十分その常人離れした力は伝わってきますが、非常に興味を惹かれたのは、彼が活躍した時代背景です。

彼はインドに生まれ、長じるまでその片田舎で修行していました。

縁あってアメリカに渡り思想を広めるのですが、時はちょうど1920年代。「黄金の20年代」「狂騒の20年代」と呼ばれた物質文明華やかなりし頃だった一方、人種差別が横行し、移民が排斥された時代でした。

既存の宗教を信じられず、精神的な拠り所を求める白人の善男善女に囲まれて、彼は愛と神、瞑想の精神とその科学を伝えようとします。

なんかこうやって書くと微妙にうさんくさいんですけど(…)、アメリカの人も同じ考えだったのか、あるいはあまりの影響力ゆえか、はたまた当時アメリカではご法度だった「マハトマ」・ガンジーへの公然とした支持が警戒されたせいか、彼の道場はイエロージャーナリズムの餌食になり、一時は失意のうちに撤退を余儀なくされます。

それでも彼は結局、敢然とアメリカに戻り、弟子を育成する一方で書籍を執筆。それが件の『自叙伝』という訳です。

ヨガナンダさんがこの世を去ってからも、書籍は広く読まれ、スティーブ・ジョブスやジョージ・ハリソンにも影響を与えたと言います。

いま欧米の都会へ行けば、意識高い系の人々がヨガに勤しんでいるところをあちこちで見かけますが、そのルーツをたどれば、ヨガナンダさんに行きつく、ということらしい。

彼は自分をエネルギーをもつ粒子のようなものと捉えていたようです。折しも、神よりは科学を、神秘よりは合理性を信奉する人が多かった時代だったので、そう話した方が却って分かってもらいやすい面もあったでしょうが、この考え方自体は、神秘的というより、気功にも通じる、人体と外部の見えないエネルギーについての考え方と通底しています。

物質はエネルギーの粒であり、ゆらぎである。21世紀的ですよね。
そうだとすれば、光がどこまでも届くように、彼もどこまでも届くことができるのです。

瞑想に入るとそれまで使われなかった機能が活性化するという考え方も興味深いです。普段は自意識が塞いでいるんだけど、自我を捨てると、その機能が働きだす。

つまり、ある回路のスイッチを切ると、別の回路のスイッチが入る。通常運転しているときは、そこは迂回しているんですね。

ヨガというのは健康体操なんかじゃなくて、そういう意識の状態に入るために行うものらしいのです。

しかし、今も当時も凡人はそんなに意識が高くなく、日々物質文明に溺れて暮らしているのでロクなことをしません。アメリカの人々の享楽的な暮らしぶりを見ながらヨガナンダさんは嘆きます。人々が祈りと共に暮らしているインドに帰りたい…。

そして彼は、ついに独立なったインドの指導者、ガンジーを迎える宴を終えて亡くなります。信奉者たちは悲しみ、尋ねます。どこへ行けばわが師に会えるのでしょうか。そう聞かれた導師は驚いて答えます。

師は今、あなたの目を通して見ているのですよ。

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2017年02月03日

ハドソン川の奇跡(ストーリーの結末に触れています)

「ぴあ映画生活」では毎年映画ファンによるその年のベスト映画を選ぶ投票があります。今年はお声を掛けていただいたので投票に参加しました。一次投票で数を絞り、二次投票でベスト10を選ぶのですが、高得点で二次に進んだこの映画、いつもタイミングが悪くて見逃しておりました。

支持が高い映画を観てないのに他のを推すのもどうかと思って、結局二次投票には参加しませんでしたが、年が明けてようやく映画館で観ることができ、その判断は正しかったな〜と思いました。去年観てたら絶対一位に推していたと思います。

2009年1月、アメリカの飛行機が鳥の群れと衝突したことで両エンジン停止のトラブルに見舞われ、ニューヨークのハドソン川に不時着水するという事故がありました。本作は、その実話を元にした映画です。

事故から着水までの手に汗握る再現シーンや、その後、真冬の川から乗客乗員155名全員が生還した迫真の脱出シーンも素晴らしかったのですが、実はこの作品の主題は事故時の再現ではありません。

安全確保のため死力を尽くし、英雄となってめでたしめでたし...となるべき機長が、判断ミスのため飛行機を墜落させた殺人未遂の容疑者扱いを食らうという、口あんぐりな後日譚だったのでした。

ハドソン川の奇跡を起こしたベテランパイロット・サレンバーガー(サリー)機長は、事故の原因を究明している国家運輸安全委員会に呼ばれます。調査した結果、事故機は川に着水せずとも、出発地のニューヨーク・ラガーディア空港に引き返すか、近くの別の空港に着陸できたはずだ、というのです。

サリー機長は、副操縦士のジェフと共に、自分たちの判断の正しさについて説明に努めますが、委員会は、実は片方のエンジンはわずかながら生きていたというデータや、同じ条件でコンピュータでのシミュレーションを行い、無事に空港に着陸できたという検証結果を元に、疑惑を厳しく追及し始めます。

これらのデータと、コクピットで感じた状況との違いに困惑する機長たち。エンジンも確かに止まっていたはずだと主張するのですが、実機は川に沈んで検証は不可能。二人はどんどん追い詰められて行きます。

いよいよ、検証結果と、コクピットでの二人のやり取りの録音が公開される公聴会の日となりました。開催中、リアルタイムでのパイロットによるシミュレーション中継を要求し、会に臨んだ二人。果たして彼らの判断は間違っていたのでしょうか―?


(以下、ストーリーの結末に触れています)






委員会の聴き取りから公聴会までの緊迫した状況を機長の目線から見せるパートが軸となっていますが、その合間に事故機に乗り合わせた人たちや居合わせた観光ヘリ、救助隊、機長と妻との短い電話でのやりとりなど、周辺のエピソードを効果的に配置して、当時の状況を立体的に再現しています。

同時に、短い切れ切れのシーンですが、サリー機長のこれまでのフライト人生を挿入することにより、プロフェッショナルとしての生き様も描き切っています。

いや〜ホントに機長って大変。フライト中は多くの人命を預かってる上に、必死の努力で大惨事を回避したのに、こんなやいのやいの追究されるなんて、私なら絶対折れそう...。

しかし、そこは機長。

クライマックスの公聴会シーン。かなり打撃は受けたものの、彼はとことん沈着冷静であり、委員会が動かぬ証拠として絶対視する「データ」の問題点を“人的要素”が欠如していることだ、と簡潔、かつ明確に指摘します。

そして、公聴会の場で中継される、パイロットによる再現シミュレーション。

結果はやはり、コンピュータの出した結論と同じく、空港への着陸が可能であるというもの。

しかし、機長は毅然として言います。このパイロットたちは何が起こるか、どう対処するかを事前に知らされ、訓練している。彼らの条件は未曾有の事故に直面した我々とは異なっている、と。

そして、シミュレーションパイロットたちは、事故当時と同様に、鳥に直撃されてからの対処とエンジン回復への努力の時間として35秒間待った後に、コンピュータの計算通りの行動を取ります。結果は着陸失敗、市街地での衝突と大惨事に…。

その結果を見届けた後、公聴会の参加者はヘッドホンをつけ、事故発生から着水までわずか208秒間の、コクピットでの機長と副操縦士のやりとりを聞くことになります。誰もが経験したことのない、マニュアルのない状況で2人がいかに冷静に最大限の努力をしたか、観客も共に固唾を呑んで見守ることになるのです。

聞き終わった後、委員会のメンバーはいみじくも言います。これまで何度も事故時の録音は聞いてきたが、当事者である機長と副操縦士の前で聞くのは初めてだった、と。

簡単なようで、この一言の意味は重いものがあります。

全員生還できたのは機長の働きによるもの、というコメントが紹介されたあとで、機長は、クルーや管制官、救助隊など全員の力だ、と淡々と語ります。

その言葉の通り、本作には、機長を始め、誠実に仕事を行うプロフェッショナルが全編に登場します。

最後の一人まで救助されたか何度も確認し、責任を全うして機を離れる機長。最後の最後まで事故機を安全に誘導しようと力を尽くす管制官。危機的な状況にも冷静さを失わないキャビンアテンダントたち、事故を見て即座に救助に動くフェリー...。

とにかく、みんな地道に仕事をしてるんですが、悪役?の国家運輸安全委員会も、国民的な英雄を前に予断を排し、プロフェッショナルに徹するという点では負けてないな〜と感心しました。

そして監督のクリント・イーストウッド。

だらだらと長い映画が多い中、これだけの内容を1時間半にまとめ上げたプロ中のプロの手腕に脱帽です。

遠くまで行く乗り物についての映画だというのに、お話はニューヨーク(とニュージャージー?)の中で完結してしまうんですが、お話のテンポとか、ほんのちらっと出てくる街中での描写なんかに、ニューヨークの粋を感じます。

特にラストシーン、公聴会の最後に、また同じ事態が起きたら、何か違う対処をすると思いますが、と聞かれて副操縦士の答えが一言。

「今度は7月にします」

粋だねぇ...。


早稲田松竹で観ました。
スクリーンは割合大きく、綺麗なシートや広めのトイレなど、設備面も快適。
基本は2本立て上映。
周囲もにぎやかで、家の近くなら通い詰めちゃいそうな映画館です。

ハドソン川の奇跡|映画情報のぴあ映画生活
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2017年01月26日

MX4D上映 ルパン三世 カリオストロの城

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↑劇場でいただいたポストカード

なんでまた唐突に再上映されているのでしょう、御大に何かあったのでは…ぶるぶる…と正月から縁起でもないこと考えておりました鑑賞者ですが、今年は原作ルパン三世の50周年だったんですね。

電車を乗り継いで劇場まで観に行った○十年前が昨日のことのように思い出されます。当時はすごく面白いと思ったけど、今観たらガッカリかも…と思ったけど、そんなことありませんでした。

いきなりド派手に登場するルパン三世の「お仕事紹介」のシーンから一転、のどかな田園風景やバディ・次元との息の合ったやりとり、またまたド派手なカーチェイス、雨の中、静かに現れる五右衛門…静と動のコントラストはお見事のひと言。

イタリアに行ったら、フィアットに乗ってる男子ってみんなリアルにルパンみたいなチンピラで、しかもどこからせしめてきたんだか車にルパン三世のステッカー貼ってるんで本気で驚いたんですけど、実写なら○栗さんに頼むより、イタリアでロケした方がいいんじゃ…?

と、話は逸れましたがこの作品、はるか昔、たった一回見ただけなのに、ほとんどのシーンをかなり正確に覚えていたのは、シーンのつなぎや構図、動きがよく練られていて、ピタリと決まっていたためだと思います。

せりふも節回しまで記憶の通りでしたが、こちらはやはりベテラン陣の演技力のおかげでしょうね。一度聴いたら忘れられない、山田・ルパンや、キャラにピタリとハマった納谷・銭形、小林・次元、増山・不二子のセリフ回し、セリフこんだけでギャラいくらもらったんだろう井上・五右衛門の渋い美声も、クリアな音声で蘇っています。

それにしても、なぜIMAXとかじゃなくてMX4Dなんだろうと不思議に思っていたのですが、アクションが多いし、水しぶきが出るとか、ボコボコになぐられるとか、MXのエフェクトが効くシーンが考えていた以上にてんこ盛りで、ああ、本当にマンガ映画の楽しさが味わえる作品だったんだな…と改めて思いました。

六本木ヒルズで観たんですが、観に来るガイジンさんの多いこと多いこと。日本語が全然わからない方々ばかりのようで、チケットカウンターの人が対応に追われてました。字幕ないですよ、って教えてあげないと困るんじゃないだろうか…あるいは、字幕付き上映をやるとか?

いえいえ、言葉が分からなくたって、絶対この面白さは分かりますよね。

期間限定上映だそうですので、お見逃しなく!

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8はMX4D専用です。座席は抜群の座り心地。
観やすい席はD〜Fの8,9,10番あたりでしょうか。
私は少し後ろ目が好きですが、割と段差がないので、
座高の低い方はご用心です。



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2017年01月06日

こころに剣士を(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

奈良美智の絵に出てくるような、あるいは「ロッタちゃん」の映画に出てくるような、目ヂカラのある女の子が出てくる予告に惹かれて観に行ってみましたエストニア=フィンランド=ドイツ合作映画。

例によって全く予備知識がなかったため、登場人物たちのしゃべってる言葉にまず面喰いました。

すごくフィンランド語に雰囲気が似てるんだけど、でも全然聞き取れない。

むしろ、なぜか大人は皆しゃべれるらしいロシア語の方が分かる(って言っても、ロシア語のセリフが“もしもし”とか“誰ですか”とか“ちょいとお兄さん”とか“そこの女子!”とか、初級レベルだったからですが・笑)…。

書き文字はみんなキリル文字だしロシア語だ(文書とか、街角の表示(“パン屋”とか)...と気になってたら、だんだん分かってきたのは、お話の舞台になってるエストニアはソ連に併合されているので公式にはロシア語が使われていて、エストニアの地元の人は地元の言葉でしゃべってるらしい、ということ。

冒頭に、ほんの数行の字幕で説明された時代背景が、後々重苦しくのしかかってきます。

しかし、映画全体の印象は水彩画のように素朴で淡々としていて、もろもろのことはひっそりと暗示されるだけで感動の押しつけもなければ感情の爆発も残虐シーンもなく、それでいて軽やかに、そしてしみじみと温かい気持ちが残る秀作です。

お話は第二次世界大戦後のエストニア。素朴な片田舎に、大都会・レニングラードの大学を出たという教員志望の若者・エンデルがやってきます。

見るからに人付き合いが悪そうで、子どもも好きそうには到底見えず、引きこもりな感じなのに教員志望??という第一印象は全然間違っておらず、彼は実際、人付き合いも悪ければ子どもも苦手な根暗青年で、教員になったのは単に人目を避ける必要があったからなのでした。

よくもこんな怪しげな人を簡単に採用するね...と思ったら、そこは校長先生、裏ではがっつり疑っています。

エンデルは校長の命令に従って、課外の運動部をはじめますが、用具を取り上げられたりの妨害に遭い、結局、彼自身が選手だったフェンシングの部活を立ち上げます。

例によって子どもの指導なんか全く興味なさそうなエンデルなのですが、田舎町なこととて子どもは新鮮な活動に飢えており、好奇心いっぱいで部活に参加します。その人気ぶりや、エンデルの学歴も面白くない校長はいろいろと妨害や粗さがしを始め、ついに彼のひた隠しにする秘密に辿りつきます。

一方のエンデルも、レニングラードにいる親友から目立つことはするな、もっと遠くに逃げろと忠告されるのですが、グズグズと煮え切らない態度でいるうちに、子どもたちはフェンシングの全国大会に出たいと言い出します。

開催地レニングラードに行くことはエンデルにとって、命を危険にさらすことに等しい行為です。しかし、彼にフェンシング部を立ち上げる決意をさせた女の子・マルタや、辛い状況にいる男の子・ヤーンなど、子どもたちの願いに背中を押される形で、エンデルは行動を起こします...。

少しサスペンス風味の部分もありはするものの、全体としては出来事をドラマチックに演出するでもなく、登場人物も、押しなべておとなしい感じの人たちばかりで本当にあっさりした味わいですが、それが却って時代背景の異常さを浮き立たせているかのようで好感のもてる映画です。

これ以上のストーリー紹介はネタバレになりますので、これからご覧になる方はここまで。ストーリーの結末が分かってもOKな方は、映画館の紹介以降もどうぞご覧ください。

以下、お話の結末に触れています。










最後のテロップで、このお話が実話だったのだと初めて知りました。いちおうハッピーエンドでホッと胸をなでおろしましたが、当時の身の処し方の難しさを映画館を出た後でじわじわと感じました。

エストニアは第一次大戦後、ロシアから独立したものの、ソ連の侵攻によって併合されてしまいます。そのあと、ドイツに占領され、またソ連に占領され、という繰り返しで、その間、男子は対ソ連のナチス・ドイツ軍に加わったり、ソ連の赤軍に加わったりしていました。

エンデルは第二次大戦中にドイツ軍に加わった、という理由でソ連当局から追われる身だったのです。そりゃソ連から見れば敵、しかもナチス・ドイツなんですから聞こえも悪いですが、上記のようなエストニアの状況からすると、ソ連を追い出すためにドイツ軍に加勢するという人だって当然いたことでしょう。

校長も映画で見る限りは私怨と嫉妬に駆られてエンデルを密告したようにしか思えませんが、エストニアの人がどのくらいソ連を支持していたかはともかく、ナチスの残党狩りと言えば世間も(国際的にも?)通るでしょうし、なかなか複雑です。

戦争とそれに続くこの状況で男手のほとんどないこの町では、保護者会といっても参加するのは老夫婦ばかり。大人も子どもも何かみんな精気がなく常におどおどしているような印象だし、エンデルも積極的に生徒と関わろうとはしていない感じを受けます。

しかし、彼は結局、思い切って逃げるのをやめ、フェンシング大会に出るために子どもたちを引率してレニングラードに向かいます。

元々、エンデルもそんなに決意が堅いわけではなかったと思うのですが、校長の意向に反してフェンシング部を存続させようと、ささやかな、しかし勇気ある一歩を踏み出してくれたヤーンのおじいさんや、おずおずとながら部の存続に賛成の挙手をしてくれた保護者の人たち、強い目力でエンデルに決断を迫ったマルタなど、小さな積み重ねが彼を後押ししてくれたに違いありません。

物語の舞台になったハープサルという町の湿原や森などの自然の美しさや、その駅も素朴で良い感じなのですが、今も昔もそのままの佇まいのようですね。エンデルに声を掛けた女性教師のカドリが掛けていたショールは模様からして、町特産のハープサル・ショールではないでしょうか。さりげないけれど、確かな地元への愛が伺えるのも、この映画の良さだと思います。

ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。
JR有楽町駅至近でアクセス良好。
小さい方のスクリーン2は席数も少ないですが、それなりに傾斜があるようで、まあまあな劇場です。
観やすい席はC,D列の5,6あたりです。

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2016年12月27日

オアシス:スーパーソニック

数年前、確かスカンジナビア航空かなんかに乗ったときに、離陸前ずっとキャッチ―な曲がかかっていて、気になって後で調べたら、ノエル・ギャラガ―ズ・フライング・ハイっていう、やたら長い名前のバンドのAka...What a life!という曲でした(こちらにオフィシャルMVがあります...→https://www.youtube.com/watch?v=d6m03FUYaTM が、前置きがすごく長くて、実際の曲は3:34くらいからです)。

これがまた中毒症状を呈する楽曲で、ひと頃は常に頭の中で再生されている状態だったのですが、この映画のポスターを見かけて、あ、そうだノエル・ギャラガ―って元オアシスの人だったと思い出し、どんな人なんだろうと思ってノコノコとオアシスのドキュメンタリーである、この映画を観に行ったという次第です。

ブリットポップは好きなのですが、90年代当時はブラーのファンだったので、オアシスなんか、ああ、あの兄弟仲の悪いって噂のバンドね、くらいにしか思ってませんでした。

今回、映画を観て真相を知りましたが、まさか本当だったとは…(笑)
(つか、全くの部外者にまでそんなことが知れ渡ってるバンドって一体…)

それに、私の知ってた曲が「ワンダーウォール」とか「シャンペン・スーパーノヴァ」とかスローな曲ばかりだったので(名曲だとは思ったけど)ロックバンドだという認識すらなかったのですが、いやいや、この生き様はまさにロックンロール。

初めての海外公演に出かけたオランダで、移動中、乱闘騒ぎに自ら参戦。リードボーカルのリアムは結局一曲も披露せずに強制送還されてしまい、しかしそれを聞いた契約レーベルの総帥・アラン・マッギーは「最高だ」って言った、とか(つまり、一番のつわものはマッギーだった訳ですが)。

ドラッグをやりながらステージで演奏して、伴奏と歌が別の曲だったとか(直接の原因はローディーがセットリストを間違ったせいらしいのですが、ラリッてなきゃ気が付くだろ普通)。

もし実家が魚屋だったら兄弟がマスで殴り合ってたと思うとか。

こんな妙なバンドに嫌気がさして辞めてしまったベーシストが、危機を救いに駆けつけてきてくれたのに、感謝の言葉一つ掛けるでもなく、オアシスに腰抜けは要らないと罵ってみるとか。

さんざん家庭内暴力を繰り返した父親がライブの後の打ち上げ会場に現れると、本気で殺そうとするとか。

全編いちいちこの調子、いったいこのエネルギーはどこから出てくるんでしょうか。

とにかく、折れない、曲がらない、凹まない。スーパーソニックっていうより超合金で出来てるようです。

兄弟間ばかりではなく、あらゆることに罵詈雑言、その発言は得体のしれない芸風を確立しています。口だけ番長かと思いきや、アルバムセールスも動員数も新記録を達成し、英国一のバンドにのし上がる有言実行ぶり、お見それいたしました!

映画は、こんなとんでもないバンドの中心人物である、ノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガ―兄弟の幼いころから、1996年・25万人を動員した空前のネブワース・ライブまでをとらえたドキュメンタリーです。

グラスゴーでの初登場ライブをはじめとする初期のライブやレコーディング中の映像から、ツアーの間のちょっとしたメンバーのやり取りの記録まで、よくもこんな映像残ってたものだと驚くようなものばかり。

常にいがみ合っているネコ派の兄ノエルとイヌ派の弟リアム。決して幸福とは言えない子ども時代を過ごした彼らですが、だからこそギターに没頭できたと考えるノエル、ケンカの相手に金づちで殴られて音楽に目覚めたというリアム。

共に、「悪魔的でふてくされて挑発的」と言われる彼らの音楽とは裏腹に、ポジティブという言葉が陳腐に感じるほと前向きなロック魂を感じます。発言もよく聞くと、毒舌ながら痛いとこ突いてる名言のオンパレード。

日本についての発言も入っていて、なぜかとっても日本に優しいのが却ってブキミなんですけど、「英語もできないのになんであんなに熱狂的なんだ?」という感想が鋭すぎて笑っちゃいます(褒めているらしい)。

この二人に「クレイジー」と認定していただけるとは、誠に光栄の至りであります。

正直、オアシスのファンでなければピンと来ない作りだし、残念ながら曲が途切れ途切れにしか入っていないのでミュージシャンのドキュメンタリーとしてはどうかと思うものの、登場人物のキャラクターが予想を上回る面白さでかなり挽回してると思いますし、一つの時代の象徴として観れば、90年代の熱気を体現できる貴重な作品と言えるでしょう。

ちなみに、ギャラガ―兄弟の発言があまりに面白いのですっかりハマってしまい、映画を観終わっても彼らの悪口名言集を探して読んでる毎日です。



角川シネマ有楽町で観ました。
音響も悪くないし、観やすい劇場です。

立川シネマシティで爆音上映中だそうで、そちらでも観てみたいのですが、楽曲がぶつ切りなので、却ってフラストレーションが溜まるかも…。

まあ、あの最高の音響でノエル・ギャラガ―の毒舌を聞くのも悪くないチョイスかも知れません。

ぴあ映画生活
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2016年12月24日

素晴らしき哉、人生!

皆様、メリー・クリスマス!

年明け、似たような邦題で新作映画が公開されるそうですが、こちらは1946年のアメリカ映画。フランク・キャプラ監督作品です。

舞台はクリスマス・イブの夜、アメリカの小さな町、べドフォード。激しく降りしきる雪の中で、多くの人たちがジョージ・ベイリーのために祈っています。星空の彼方(?)でそれを聞いていた天使は、二級天使クラレンスを派遣することに決定。もしジョージを救えれば翼がもらえると聞いて喜ぶクラレンスは、彼がもうすぐ自殺しようとしていると知らされます。そして、助けに行く前に、まずはそこまでのジョージの半生と事のいきさつを聞かされます。

主人公のジョージは弱きを助け強きをくじき、善良で陽気で人懐っこい、アメリカ人の理想のような青年。彼には冒険心も野心も理想もあり、小さな町を出て世界に羽ばたこうとしていました。

しかし、彼の父親が急逝し、義侠心から町の小さな住宅ローン貸付会社を引き継ぐことになります。

町は無慈悲な銀行家、ポッターが支配しており、貧しい人たちは彼の貸し出す粗末な家に住んでいました。ジョージの会社は低利で住宅の資金を融資し、彼らがマイホームを手に入れる手伝いをしていたのです。

決して裕福とは言えないけれど、人のためになる仕事をし、愛する人と温かい家庭を築いて事業も軌道に乗ってきた矢先、同じ会社で働いていた叔父がうっかり、銀行に預けるために持っていた会社の資金8000ドルを封筒に入れたまま、新聞といっしょにポッターに渡してしまうというミスをしてしまいます。

常日頃、ジョージの言動に面白からぬ思いをしていたポッターは、すぐにこの現金の意味を悟り、ここぞとばかり彼を追い詰めます。

クリスマスの夜、絶望したジョージは、周りに当たり散らし、家を飛び出して町はずれの橋の上で、暗い川面を見つめているのでした...。

実は観るまで何の予備知識もなくて、モノクロのタイトルロールが出たのに驚いてしまったのですが、最初の方のシーンが雪の降りしきる夜景や星空と、もともとモノクローム的な世界からスタートし、最初のうちは登場人物(と天使)も声だけなので、全く違和感なく、すんなりとお話に入っていけました。SF好きには、パラレルワールドものとしても楽しめます。

主人公のジョージが、ああっ、ちょっとそこでなぜハッキリ言わないの?!とか、たまには相手に譲ってもらってもいいじゃない、とかじれったいんだけど、聖人君子っていうよりは、若干要領が悪いというか、巻き込まれ型なのが良い子のスーパーヒーローと違ってホッとします。

良妻賢母を絵に描いたようなヒロインのメアリー、忘れん坊で大ピンチを招いてしまうけど憎めない叔父貴などの登場人物や、ローンを組んでも自分の「ホーム」を手に入れることが誇らしかったりする価値観とか、アメリカ映画らしいのも興味深いです。

第二次大戦が終わってすぐに撮られた映画だからか、人の善意とか、勇気とか、復興とかの要素もふんだんに詰め込まれていますが、施しを与え、人を赦し、隣人愛を確かめ、神の恩寵を感じるというクリスマスの意義を思い出させてくれます。

仇役の銀行家・ポッターも、一見、どこまでも憎々しいようではありますが、実は現金の封筒に気づいて咄嗟に、それを返すために叔父を呼び戻そうとするんですね。すぐに思いとどまりはするけれど、そういうところに救いを感じます。

それにポッターさんにも、この後きっと、ディケンズの「クリスマス・キャロル」みたいな奇跡が起こることでしょう…。

田端のシネマ・チュプキ・タバタで観ました。
クラウドファウンディングで創られた、常設のバリアフリー映画館とのことです。
入口からシアタールームまで階段を使わず直結で、車椅子でのアクセスが良いことはもちろん、目の見えない人も映画を楽しめるよう、音声ガイドもあるとのこと。今回のような映画を観るのにピッタリな劇場だと思いました。

上映が終わって、お客さんが映画館の人に良い映画を有難う、とお礼を言ったり、知らないお客さん同士で和やかに話したりしていたのは、プログラムがこの映画だったからということもあるでしょうが、この映画館だからということもあるのだと思います。

出来たばかりで設備も綺麗ですし、音もよく、画面も見やすいです。
17席しかないので、遠くから足を運ばれる方は、入場予約をした方が良いかも知れません↓
(席自体は自由席です)
http://chupki.jpn.org/about
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2016年12月21日

あなた、その川を渡らないで(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

この映画のストーリーを簡単に説明すると、こんな感じです。

昔々…じゃなくて21世紀、韓国の山奥に、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさん…とおばあさんは、山へ芝刈りに、
おばあさん…とおじいさんは、川へ洗濯に行きました
(そんでもって、おじいさんは、洗濯しているおばあさんにちょっかいを出していました)

つまり、二人はどこへでも一緒に出かけました。

そして二人はいつまでも 幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。

いやほんと、ドキュメンタリーだということを忘れてしまいそうなくらい、このまんま。

89歳になっても可愛らしいおばあさんと、
98歳になってもやんちゃなおじいさん。

二人はとても仲良しで、どこへでも手をつないで出かけます。
いつもお揃いのきれいな韓服を着ていて、とてもオシャレなカップルです。

そういえば、オリンピックの前だったと思うけど、80年代に初めて韓国に行ったとき、ソウルの街でも年配の人は民族衣装を着て、ステキな帽子を被ってましたっけ。夏だったので、白の麻の服がとても清々しく見えたものです。

2000年に入ってまた出かけたら、地方に行っても全然韓服を見かけなくなっててとても残念でした。機能的で動きやすいんじゃないかと思うのですが、実際着ると、見た目とは違うのかしら…?

と、話が逸れましたが、山間の川沿いの一軒家に暮らしている老夫婦の日常を、映画は優しく映し出します。

お手洗いが離れにあるんだ…とか、床に座ってご飯を食べるんだ...とか、縁側みたいな場所があるんだ...とか、日本の田舎によく似てると思うところもあるし、嬉しいと歌ったり踊ったり、哀しいと声を挙げて泣いたり、感情表現は開けっぴろげで日本とはだいぶ違います。

でも基本、皆さん明るいというか、楽観的だから長生きなさってるのかも知れないけど、老人会のバス旅行でディスコ風のアリランがかかると立ち上がって踊り出したり、何だか楽しそう。

とはいえ、若いころのように元気いっぱいという訳にもいきません。そうした衰えも、仕方がないことと受け入れて、一日一日を大切に生きるお二人の姿が、あたり一面の銀世界や春の花々、夏の驟雨や涼み台での食事など、四季折々の風物や自然と美しく調和しています。

以下、映画の後半に触れています。


* * *



ある日おばあさんは、お店で6着の子供服を買って、燃やし始めます。早くに亡くなった6人のお子さんのために、天国で着る服を用意していたのです。当時はまだ貧しくて、服を買ってあげられなかったのが心残りだったからと。でもなぜ今…?と思ったら、理由はすぐに分かりました。

咳が止まらなくなり、夜もよく眠れないおじいさん。おばあさんは、子どもたちに服を持って行って欲しいと言い、着る物に困らないようにと、おじいさんの普段着も少しずつ火にくべ始めます。そこまで覚悟しながら、それでもやはり、一日でもおじいさんと一緒にいたいと願うその姿にしみじみと心打たれるものを感じます。

観終わった後、身近な人をもっと大切にしようと、きっと思える映画です。

作品のサイトはこちら↓
http://anata-river.com/

ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
規模は小さいですが、アットホームな雰囲気で、
椅子もしっかりしている観やすい劇場です。
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2016年12月05日

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(ネタバレなし)

いや〜、面白かったですね〜。

ハリー・ポッターのシリーズがあまりピンと来なかったので、ましてや外伝となると、観るつもりは全然なかったのですが、「なんとかかんとかの旅」っていうタイトルに弱いのと、トランクの中に何かいる!っていう第1弾の予告が面白くて、ついつい映画館に足を運んでしまいました(釣られやすい)。

でも、釣られて正解でしたね...。

実は、前売りを買ったあとに第2弾の予告を観てしまい、そいつがイマイチだったので、げっ、騙された...と焦っておりました。何がイマイチだったかというと、そこがそれ、本映画の主役である「魔法生物」のビジュアルだったので、焦る気持ちもお分かりいただけますことでしょう。

しかし、映画の中で動いていると、ニフラーとかニフラーとかニフラーとかが、思ったより可愛かったんです。

そういえば、最近、ルイ・ヴィトンのショーウインドーにこんな連中がいるのですが、

s-ニフラーか?.jpg
ニフラーか?

s-ニフラーですよね?.jpg
ニフラーなのか??

まさかニフラーが化けてるんじゃないでしょうね...。

今回は魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公ということで、おっちょこちょいではありますが賢いこの人が大変気に入ったうえ、学校を舞台にした前作と比べるとぐっと大人っぽく、またしょっぱなからいい具合にゴシック風味が入っているのもツボにはまりました。

お話の舞台になっている1920年代のNYを縦横無尽に駆け巡る設定もいいし、主人公のニュートを初め、脇のキャラクターもそれぞれ魅力的。ストーリーは基本、逃げた動物を捕まえる話なのですが、そこにさまざまな人のさまざまな思惑が絡んできたり、ハリー・ポッターシリーズとつながっていたりして、それほど凝ってるわけではないけれど、そこそこ厚みのある物語になっています。

私はハリー・ポッターのファンじゃないんですけど(すいませんね)、ファンタスティック・ビーストはファンになれそうです。

映画を観る前に読んでしまうと、ちょいとネタバレになってしまうかも知れませんが、お話のカギとなる、アメリカ合衆国魔法議会(マクーザ)について、原作者のJ.K.ローリングさんが書いているこちらの文章(https://www.pottermore.com/writing-by-jk-rowling/macusa-jp)も、お話の背景を知るうえで興味深いです。

そうそう、アメリカが舞台といえば、アメリカの俳優とイギリスの俳優でことばをちゃんと使い分けてる上、魔法世界の用語もイギリスと違いを出すなど、イギリスファンタジーの伝統か、さすがことばの設定はきちんとしてますね。

今回のお話はそれなりに完結していますが、シリーズものだということなので、これは先が楽しみになってまいりました。

ニュート・スキャマンダーさん(尊敬すべき人なので、どうしてもさん付けで呼びたくなってしまう)のミドルネームはアルテミスっていうらしいですね(女…?)。映画の中で、お兄さんの名前はテセウスで、どうもスゴイ人っぽいようなことが匂わされていましたが、お名前のナゾも含めて、先々解明されることを期待しております!

TOHOシネマズ日本橋でみました。
ここのスクリーン7はTCXドルビーが売りの上、場所柄か、あまり混み合わないので
おススメの映画館です。後ろから2列目のLか3列目のK、14か15の席が観やすいです。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅|映画情報のぴあ映画生活
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2016年12月03日

私の少女時代 Our Times(我的少女時代)〜表記以降、ネタバレあり

台湾で2015年にナンバー・ワンヒットを記録した作品、しかも《蘭陵王》のプロデューサー・陳玉珊(フランキー・チェン)女史の初監督作品ということで、先入観バリバリで鑑賞してまいりました。

内容は、言わずと知れたド直球青春恋愛ドラマで、少女マンガがそのまま三次元になったよう。

林真心(リン・ヂェンシン)は、一流の大学を出てやりたい仕事についてステキな男性と結婚する、という夢とは裏腹に、さえない男友達を持ち、さえない職業生活を送っています。彼女はふと、不美人な平凡女子だった自分の少女時代を思い出します。

高校生の頃のこと、彼女は不幸の手紙を受けとり、それを憧れの人気者男子・欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)に因縁をつけた不良の徐太宇(シュイ・タイユィ)に転送したところ、差出人がバレてしまい、パシリとしてこき使われる羽目になる。

しかし真心は、徐が美少女・陶敏敏(タオ・ミンミン)に告白して速攻ふられたのを目の当たりにして、彼のため、ひいては陶と欧陽を引き離すため、徐と失恋同盟を組むと言い出す。そのうち、ただのワルだと思っていた徐の意外な面を知るにつけ、だんだんと彼に惹かれていくのだが…という、要するに王道の恋愛ストーリー。

さすがに、転校してきたヒロインがパンをかじりながら登校すると、出会いがしらに男子生徒とぶつかって…というお約束の展開はなかったものの、それ以外はだいたい予想つくんじゃないかと思います(笑)

でも、眼鏡ドジっ娘のヒロイン、林真心を演じたビビアン・ソンがとても上手くて、こういう真っすぐで一生懸命な青春もあるよね、きっと…とつい引き込まれるあたり、さすがにヒットメーカーの技。

少女マンガ的な作品にありがちな傾向として、女子の心理は凄くきちんとつかんでいると思うのですが、その正確さに比べると、男子の方の描写は、あり得なくね?って感じなんだけど、ま、いっか。男子の皆さん、いかがだったでしょうか…?

台湾最難関の大学を目指す進学校ってこんなものなの…?とか、受験2か月前でこの余裕は何?とか(あ、優秀だから、これでいいのか)、細かいツッコミはさておき、この手の話で上映時間2時間越えは、自分的には結構辛いものもありました。

でも、お話のほとんどが台湾の90年代の回想シーンで、小道具も凝っていたし、学校生活やお店の作り、携帯やパソコンのない日常、「不幸の手紙」やアイドル全盛期などの時代的な感覚が、同時代かそのちょっと前の日本と似ているところがあり、そういったディテールは、恋愛モノが苦手な自分にも大変興味深かったです。

挿入歌も、当時流行した、グラスホッパーの《失恋陣線連盟》とか、鳳飛飛の《追夢人》、アンディ・ラウの《忘情水》なんかが上手く使われていましたね。

たま〜に、セリフが21世紀風のことがあるのが、笑っちゃうけど…(“超”とか)。

それにあなた、欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)! すっごいキラキラネームな気がするけど、よくある名前なの? それとも、欧陽菲菲 (オウヤン・フェイフェイ)の親戚筋? 

とまあ、ツッコミも含めていろいろ楽しめるし、後味が爽やかな映画なので、機会があればどうぞご覧になってみてください。

とりあえず私は、アンディ・ラウ(劉徳華)の偉大さを改めて思い知らされました。まだ現役アイドルだなんて、華仔、いったい今年、歳、いくつ…。?

お話の細かいところはネタバレになるので、OKな方は以下をどうぞ。

新宿武蔵野館で観ました。
ずいぶん綺麗に、シネコン風(?)になってたけど、改装したのでしょうか。
せっかくだから化粧室の個室も増やしたらよかったのに…。でも、係の人は親切だし、小さい方のスクリーンも見やすいので、その他は文句なしです。

以下、ストーリーの内容に触れています。








いくつか、元の中国語が分かると面白い箇所があったので書いておくと、不良の徐太宇に説教を噛ましていたときに引き合いに出していたのが“周処”の話。

周処は三国時代の人で、地元の連中にトラやミズチと並んで「三害」認定されたワルだったのを悔い改め、最後は将軍の位を贈られ、三国一のイケメン・潘岳(はんがく)に追悼詩まで詠んでもらうほど出世しました。

中国では今でも、不良に説教するときは、映画同様、周処の話を持ち出すそうで、ワルからは一番嫌われている歴史上の人物だそうです(笑)

しかも“処”の字には発音が二つあり、ワルは必ず読み方を間違えて説教されるっていう、これまた定番のムカつくおまけつき。

それから、徐太宇が初めて林真心と出かけるシーン、メイクに気合いが入りすぎた真心を見て、「村祭りか?」というセリフがありますが、中国語では“廟会”(ミャオホイ)と言っていて、要は日本でいう、神社やお寺の縁日のことです。

でも、「縁日かよ?」って訳しても面白くないですよね…「村祭り」は上手いなっ、って思いました。

最後の、コンサートのタイトルのダブルミーニングもちょっと分かりづらかったかも知れませんね。

アンディ・ラウのコンサートのタイトルは徐太宇が考えたことになっていて、《真心愛妳》(心からあなたを愛しています)と、“真心,愛妳”([林]真心、[私は]あなたを愛してる)の意味が込められてるんですね。

90年代の風俗習慣を知るという意味では面白く観たものの、正直、映画というよりはテレビドラマっぽい作りだなあとは思いましたが、それだけに一層、フランキー・チェンの手腕には脱帽せざるを得ません。

この映画は、そもそもかなり話も単純明快だと思うのに、さらに回顧シーンの終わりには、欧陽が真心に、彼女が知らなかった徐の行動の真相を解説して聞かせます。

いちいち全部フラッシュバックで再現するのですでにくどい上に、そのときの徐の気持ちも併せて説明するので、興が削がれることおびただしいものがあります。

そもそも、徐の気持ちは回顧シーンでベタに暗示しているわけだし、最後に大人になった二人が会うシーン以降の展開が、高校生のときの徐がどう思っていたかを示しているので、それより前では敢えて説明せず、観客が補って観るように演出するのが普通の映画の定石だと思うのですが、全部セリフにして言わせてしまう。

なんか、コメンタリーつきのDVDを観てるみたい。

しかし、日ごろ映画を観なれない観客に対して、登場人物の気持ちは自分で考えろと投げ出すこれまでの映画のやり方の方が不親切で、新規市場開拓には不適切だったのかも知れません。

さらに映画が終わると、短くない時間のおまけメイキングビデオが付いていて、聖地巡礼に来いと言わんばかり(ちょっと行ってみたくなったけど・笑)、どれが名セリフだったのか、どこが名場面だったのかも、日本語吹き替えによる再現Vでガッチリ解説していただけます。

何なんだこれは…とその場では脱力しましたが、余韻と引き換えに、絶対に観客に分からなかったと言わせない、誤解させない、有無を言わせないサービス精神というかおもてなしの心というか、それを徹底したあたりが、大ヒットの秘密なのかも知れません。

となると、この映画の功労者はやはり、監督なのでしょう。アンディ・ラウという線も、残しときたかったところではあるのですが…。


ぴあ映画生活


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2016年11月29日

神水の中のナイフ

白い服を着た人たちが画面の中を横切っていきます。
白は中国では喪の色。

元からか、中国に住んでるからなのかは分かりませんが、この映画の主役である、回族(イスラム教を信奉する少数民族)の人たちにとっても白は喪の色であるらしく、つまり、埋葬のシーンから映画が始まります。

法要をどうするかで、故人の夫である老人と息子とが話をしています。四十日の法要というのを盛大に行う習慣らしく、息子は老牛を犠牲として捧げるという提案をします。老人の方は迷うところがあるらしく、老いて耕作にも向かなくなった老牛を、ためつすがめつしています。

牛は牛で何かを察知したらしく、餌を受け付けなくなります。老人は、宗教指導者のところへ行き、清水の中にナイフを見、自ら清浄を保った奇跡の牛の話を引き合いに出して、老牛を見に来るように話しますが、指導者の方は興味は示すものの、牛をさらに高い目的のために使うのだから、良いことなのだと父親を諭します。

遺品としてスカーフをもらった嫁や、故人に貸した5元を返してもらった知人など、独り言のような切れ切れのエピソードがぽつんぽつんと点描され、映画は寂寥感を深めていきます。

そこに映し出されるのは、水も食料も十分になく、最低限の物資での生活です。

それでも、家々は清潔に整えられ、貴重な水で老人は丁寧に沐浴を行います。確かに貧しい生活ですが、どこか清々しいものを感じさせます。

そして法要を前に、老人は町の市場へ行くと言いおいて、独り出かけます。雪を頂いたいくつもの盛り土が連なる場所で、彼はじっと佇んだまま…。

                     *

上映のあと、プロデューサーによるティーチ・インが行われました。

かろうじてコーランの朗誦が、やや音楽的ではあるものの、まったくBGMのないこの映画、正直、静謐すぎて気が遠くなる瞬間もあったのですが(…)、監督もオーケストラ曲を起用しようとしたものの、結局やめてしまったそうです。

正方形に近い4:3の画角にしたのは、クラシックな雰囲気を出したかったということに加えて、主人公の心の動きに集中してもらいたいという意図があったとのこと。

主人公が寡黙なのもきっと同様の意図によるのでしょうが、主人公を演じた人は実は真逆の明るい性格で、なんと外国へ行ったこともあるのだとか。彼を含め、全員が地元の素人の人たちだとは信じられないほどの自然な演技でしたが、この地で実際に生活している人たちが出演することで、映画がよりいっそう風土に結びついて感じられました。

監督は漢民族の人で、大学で回族のクラスメートに勧められてこの作品を撮ったとのことですが、原作小説の舞台になった、寧夏回族自治区の西海固に強いこだわりがあったそうで、人も含めた風土を写しとりたかったのでしょう。

回族の人たちは、いわゆる色目人(しきもくじん・マルコ・ポーロの『東方見聞録』とかに出てきましたよね)の末裔だということですが、ウイグル族とは違い、外観は漢民族と特に変わりません。しかし彼らは700年にわたって伝統を守り、イスラム教の教義に則って暮らしています。

劇中、主人公の老人が、天井から吊るした甕から滴り落ちる水で丁寧に沐浴する場面が描かれていて(まさかサービスカットじゃないよね?と思ってしまった・笑)、水が貴重だということを説明するにしてはずいぶん儀式的だと思ったら、イスラム教では大切な行為だったのですね。

プロデューサーも、実は漢民族の間でも、昔は目上の人に会う前にきちんと沐浴をしていました、と説明してくれました。日本でいう禊に近いイメージでしょうか。

それに加え、映画では雨や雪のシーンが結構重要なところで登場するので、砂漠のように見えて実際はかなり降るんだなと思ったら、実はほとんどの年が干ばつに見舞われていて、国際連合世界食糧計画によれば、地球上で最も人類が生存するのに適さない地と認定されているところなのだとか。

そうした、すべてがそぎ落とされた環境の中だからこそ、人間と動物、生と死とが、より近しく感じられるのかも知れません。

                        
                     *   
東京フィルメックス映画祭で見ました。
この映画祭はいつもユニークで心に残る作品を上映してくれるので、楽しみにしています。今年は時間の関係で2本しか見られませんでしたが、大賞の作品(『よみがえりの樹』)やその他の作品にも、見てみたいものがたくさんありました。来年も(開催されますよね?!)、ぜひ出かけたいと思っております。

朝日ホールでの上映だったのに、よみうりホールに出かけてしまい、
落語の会に入場しそうになったマヌケな観客は私です。

左端よりのブロックで見ましたが、案外観やすかったです。
音楽がなかったからかもしれませんが
(ステレオだったら音のバランスが気になってたかも)。



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2016年11月27日

湾生回家

台湾で生まれた人のことを“湾生”というそうです。

初めて聞いた...と思ったけど、そういや、香港で生まれた人のことは“港生”っていうんですよね。
確か、ジャッキー・チェン(成龍)の本名が陳港生だったはず。

しかし、この映画の“湾生”たちは日本人。台湾が植民地だったころに親が台湾に渡り、現地で生まれた日本人のことを指します。

本作品は彼ら、台湾を故郷として懐かしむ、老境の日本人たちに寄り添った、台湾の監督によるドキュメンタリーです。

前半、“湾生”の一人が台湾・花蓮の生まれ育った村に帰り、幼なじみの家を訪ねあてると、多くの人はもう鬼籍に入っています。さすがにもうはるか昔の出来事になっちゃったんだな…と思っていると、後半には、日本人の母・清子さんを持つ台湾のファミリーが、寝たきりの清子さんに代わってそのルーツを探すエピソードがあり、清子さんを台湾人に預けて日本に帰ってしまったその母・千歳さんのことをまだ覚えている人が登場したりして、まだまだ歴史のかなたの話ではないと改めて感じさせてくれました。

“湾生”たちはたまたま台湾に生まれただけなのですが、その胸中は複雑であろうことが画面から観て取れます。

敗戦後、見ず知らずの祖国・日本に「引き揚げ」、日本語の発音がおかしいといじめられ、祖国に違和感を覚えながら生きる日々。

“湾生”のふるさとは台湾以外にはあり得ない。でも、いまどきの帰国子女と違って、台湾にいる間は子供だったために意識しなかった、統治者としての自分たちの立ち位置に気づいた“湾生”たちは、ふるさとへの愛を手放しで語るには微妙な立場にいます。

そして、日本で育った彼らの子供たちは、親たちの「台湾熱」に戸惑いを抱いているのです。

そんな中にあって、ふるさとを思う彼らの心情を理解し、寄り添おうとする台湾の人たちの、穏やかで温かいまなざしには本当にホッとさせられます。

自分の狭い経験ですが、今から30年くらいまで台湾では、もっと日本人に対して厳しい見方をする年配の人が多かったし、台湾に旅行に行く人たちの多くが買春目的だったりして、若い人たちにもよく思われていなかったように思います。

月日は流れ、負の面とともに、日本が台湾にとって正の役割を果たした面も、公平に評価すると言ってくれる人たちが現れたことは、ありがたく感じるとともに、なかなかできないことであるとも思います。

そんな友情を仇で返す日が来ないよう、平和を守り続けることの大切さを改めて感じさせてくれる素晴らしい作品です。機会があれば、ぜひご覧になってみてください。

ホアン・ミンチェン監督作品
公式ホームページはこちら
予告編を観るだけで泣けます...。

岩波ホールで観ました。
映画館というより、ホントに、ホールにスクリーンをつけました、
という印象。スクリーンが逆3Dというか、引っ込んだところにあるので、すごく小さく見えます。

前から2列目くらいで観た方がいいかも。

マナーのいいお客さんばかりで、席に余裕があると、
みな、後ろの人に重ならないように座ってます。
だから、観やすいといえば観やすいです。


ぴあ映画生活

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2016年11月25日

残酷ドラゴン 血闘竜門の宿

*朗報* 2017年1月28日より、『侠女』と共に渋谷ユーロスペースで公開!
作品情報は→こちらまで http://www.shochiku.co.jp/kinghu/sp/index.html
 松竹映画っていうのがまたピッタリで…(笑)

「龍門客桟」といえば、ツイ・ハーク監督の『新龍門客桟』しか観たことがなくて、いったいオリジナルの方はどんななんだろう、『侠女』のキン・フー監督作品だから、きっと面白いに違いない…と思っていたところ、東京フィルメックス映画祭で上映してくださったので、早速観に行ってみました。

月曜日、しかも終映が夜11時半を回るにも関わらず、日劇3のそこそこ広い場内は善男善女で押すな押すなの大賑わい。昔からのアジア映画ファン/武侠映画ファンらしき方々の中に、トレンディ(死語)な若者の姿もちらほら。

そんなオシャレな映画だったかしら?

それはともかく、なかなか観る機会がない映画というのは本当で、冒頭部のクレジットによれば、台湾でデジタルリマスターを施したのでまた鑑賞できるようになった様子。

いま観ると、現代武侠映画のルーツとはいえ、時代劇にしては衣装もセットもちゃっちいし、物語なんてあってなきが如しなのですが、それが逆に良い味になっている(ような気がする)映画です。

お話は明の時代、無実の罪で処刑された忠臣の遺児が立ち寄った龍門の旅籠で、彼らを追う東廠(宦官による特務機関)を、宿の主人や、通りがかりの武芸の達人が撃退する、というもの。

観ていて、なぜかメトロポリタン・オペラのライブ・ビューイングを連想してしまったのですが、立ち回りや鳴り物入りの音楽が越劇っぽくて、伝統劇の舞台を観ているような雰囲気がある一方、ワイヤーワークやナゾの電子音楽みたいなBGMが登場したりして、なぜか最先端だったりもする不思議なミックス具合であります。

ナゾと言えば字幕もすごくて、セリフは画面の下にヨコ書き、「東廠」みたいな用語の解説がタテ書きで画面の右に入り、盛りだくさんな印象です。こういうの初めなので、アバンギャルドな印象だったんですけど、ふつうにあるものなんでしょうか???

そういえば、最初の方でやたら笑いが起こっていたのですが、たぶんセリフが“躲开(どぅおかい)”で、字幕が「どけ」だったので、「空耳アワー」状態になってたからでしょうか。

あるいは、剣の達人が次々と見せる武芸の妙技の数々が、微妙に宴会芸っぽかったからか?!

おっほん、それはさておき、最初の方は演技からプロットから、いかにもあるあるな渋めのチャンバラ劇だったのに、後半に進むにつれて雑というかムチャクチャな感じになっていき、ラスボスとの戦いでは、敵の周りを取り囲んでぐるぐる回ると相手が目を回したり(これでラスボスがホットケーキになったらさらに面白かったんだけど、ってそれは○びくろさんぼの見過ぎ)、首がすぽ〜んと飛んでったり(Dr.スランプのようにあっけらかんとしていたけど…)、どこまで本気かわからない展開になってきて、ここで終わったらウケる!と思った中途半端な瞬間に、すかさず「終劇」の2文字、案の定、お客さん超ウケていましたね〜。

しかも字幕まで、最初の正調時代劇風から、だんだん笑いを取る方向にシフトしてるあたり、芸が細かい。

正統派時代劇と見せかけて相当アバンギャルドな本作品、コメディやヒューマンドラマのスパイスも絶妙な逸品です。

日劇3で観ました。
スクリーンが上の方にあるうえ、前の席との間隔が狭く、かなり見づらい劇場です。
J列くらいでもちょっと前目かも。

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2016年11月06日

カゲロウデイズ in a day's

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(↑劇場でいただいたミニパンフレット。キャラクターデザイン集です&ムビチケ)

自分は映画関係者でもなんでもございませんが、ゼロから作品を作ることの困難さについては少しは承知しているつもりだし、特に鑑賞眼が優れているわけでもないので、「良くなかった」と思った作品の感想を書いても意味ないと思っているのですが、それにしてもこれはひどかった。

GIFアニメかと思うほど平板で簡単な動きしかないアニメを4Dや3Dにするなんて…。

そもそも、劇場で公開するレベルとも思えない。

それでもたくさんの人が関わっていたらしいことはエンドロールで分かったけれど、なぜこうなってしまったのでしょう。

話も途中から始まって途中で終わり。初見の観客のことは、一切関知していません、っていうか、ファンの皆さんはあれで満足なんでしょうか。イラストは上手いけどお話が作れない漫画家さんのマンガみたいでした。

webや紙媒体は面白かったので観に行ったんだけど、ガッカリしたというより、ビックリしました。映画しか観てない人に、この程度の作品なのかと思われたらもったいないと思わなかったのでしょうか。

すごく好意的に解釈すれば、webネイティブ世代のクリエイターの作品を、これまでのセルアニメ的な表現に押し込めようとしたことが、どだい間違っていたのかも知れません。

だったら、別に映画にしなくてもいいじゃない。
やりたい方向で頑張れ。

でも、もしまた映画を作るなら、次は新しいところを見せて欲しい。誰が悪かったのかはわからないけど、ファンだと思って観客をナメてはいけません。
本気出してください。期待しています。

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8がMX4Dの劇場です。スクリーンが小さめなので、
F列くらいが見やすいと思います。

ぴあ映画生活
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2016年11月02日

サーミ・ブラッド(表示以降、お話の結末に触れています)

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(↑ ノルウェーで購入した絵葉書より)

一昨年ノルウェーの北極圏を定期船で旅したとき、船が主催する、ヨーロッパ最北端への小さなバス旅に参加しました。

道すがら、地元のバスガイドさんは、昔からその地方に住んでいる、サーミという人たちのことを話してくれました。トナカイを放牧したり、漁業をしたりして生計を立てているそうで、彼らの歌う不思議なうたも聞かせてくれました。「ヨイク」という歌で、聴き手もトランス状態に陥りそうな、シャーマンのお祈りのうたのような感じでした。

バスは放牧地に立ち寄り、そこには民族衣装を着たサーミのおばあさんが一人、トナカイの傍らでぽつんと立っていました。ガイドさんに記念撮影をどうぞと言われ―おばあさんもそのために待っていてくれたのですが、何だか見世物扱いしているようで、複雑な心境でした。

第一、民族衣装を着ていることを除けば、サーミの人は、一般のノルウェーの人たちと特に変わったところはないように見えました。北極圏に住む先住民族はアジア系しかいないと思い込んでいた自分には、これはかなりの驚きでした。

がぜん興味が沸いたので、ベルゲンの街で船を下りたあと、サーミの人について書かれた本やCDなどを探したのですが、唯一の収穫は↑絵葉書だけ。残念に思っていたところ、サーミによるサーミの映画が上映されることを知り、鑑賞いたしました。

お話の舞台はスウェーデン。

サーミの老婦人・クリスティーナが息子に連れられ、妹の葬式に参列するためにやってきます。

しかし彼女はサーミとして扱われるのを嫌っているらしく、サーミは嘘つきで物盗りだと罵り、参列者である郷里の人々との語らいや、サーミの伝統行事に参加しようとする息子や孫娘を避けて、一人、ホテルに残ります。

参列者を見た他の旅行客たちは、食事の席でサーミについて噂し、「あの人たちはどこでもバイクで乗り入れる」「自然保護地域を破壊している」「サーミは自然と共生する人たちだと思っていたのに」等々と非難し、クリスティーナは我が意を得たかのように聞いています。

ディスコに興じる人々の間をさまよい、放牧地に向けてヘリコプターで出発する息子たちを、ホテルの窓からぼんやり眺めるクリスティーナ。その視線の先に、少女時代の思い出が蘇ります。

当時、スウェーデンでは同化政策がとられており、サーミの子供たちだけが通う寄宿学校ではサーミのことばは禁じられていました。

スウェーデン語を習い、本を読み、教師になることを夢見る賢い少女・エル=マリャは、自分のおかれた境遇に我慢できず、首都の高校に通いたいと願い出ますが、サーミには文明世界に適応する能力がない、街に出たら絶滅してしまうと教師に拒否されてしまいます。

外の世界に憧れるエル=マリャは、スウェーデン人の集まるダンスパーティーに潜り込み、教師の名・クリスティーナを名乗って、裕福そうな青年と知り合います。それをきっかけに彼女は家を出て、ウプサラの高校に入学することに成功するのですが…。

               *

少女時代のエル=マリャを演じたのはサーミの女性で、何よりも彼女がとても魅力的でした。八方ふさがりの状況の中で、何とかして自分の運命を切り開こうとする少女の冒険物語として面白く、彼女の姿に心打たれると共に、ルーツを捨てて生きることを選んだ彼女への複雑な思いも抱かせる、見事な作品でした。

東京国際映画祭で観ました。
上映後、アマンダ・ケンネル監督と主演のレーネ=セシリア・スパルロクによるティーチインがありました。ネタバレになりますので、OKな方はどうぞ以下もご覧ください。







冒頭、彼女の語った「嘘つきで物盗り」とは彼女自身のことに他ならなかったわけですが、彼女のおかれた状況からすれば、ある程度小狡く立ち回らない限り、境遇を変えることは絶望的でした。

パーティーに行ってしまった彼女をおいかけてきた妹に、スウェーデン人の少年たちから言われた侮蔑のことばをそのまま投げつけて、追い払おうとするわけですが、自ら差別する側に立って差別から逃れようとするその行動は褒められたものではないけれど、自分も同じ立場ならやってしまうかも知れない。

監督いうところの「サバイバル術」に長けていたために、彼女は意志を通すことができた。ホテルで他の宿泊客に語ったことが本当なら、彼女はその後、希望通り教師になり、サーミというルーツから逃れて成功したということになります。

しかし、老齢になって来し方を振り返ったとき、果たしてそれが理想的な生き方だったのかと彼女自身、忸怩たる思いがあったに違いありません。

誰もいなくなった教会で妹の遺骸に寄り添ったとき、彼女は捨ててきたルーツや過去とも、ようやく和解できたかのように見えました。

しかし、彼女がそんな思いをしなければならなかったのは、彼女自身のせいでは全くないのです。

ラストシーン、ヘリコプターで行くような放牧地へ、彼女は自らの力で登っていきます。そこは、昔ながらのテントが張られる一方で、非難された通り、大型のオートバイが何台も止められているところです。その印象的な光景に、自分の物差しで他者をはかり、圧迫することの愚かさをまざまざと見せつけられた気がします。

         *

上映が終わり、監督のアマンダさんと主演女優のレーネさんが登場し、ティーチインとなりました。

作品の素晴らしさに比例するように、熱心な質問がいくつも出されましたが、アマンダさんは余裕で、レーネさんは一生懸命、英語で答えてくれました。

レーネさんは普段はトナカイの放牧をして暮らしているとのことで、アマンダさんからはe-mailでコンタクトがあったそうです。今、放牧にはバイクや四駆が使われているということで、あの広大な地域を移動するのですから、そりゃあった方が便利ですよね。

映画冒頭の旅行客のセリフは、監督が本当に聞いたことを取り入れているそうです。

今、スウェーデンでは同化政策も改められ、レーネさんの世代はサーミであることに誇りを持っているといいますが、外野の人たちの考えは大して改まっていないように思えてなりません。

自然保護区を荒らしていると言っても、そこは元々サーミの職場だったのだし、そこでバイクを使うことを「サーミ特権(?)」のように非難するのはどんなもんなんでしょうか…じゃ、あなたたちのオフィスの周りを自然保護区に指定しますから、歩いて通ってね、出張も歩きですからね、と言ってやりたい…。

先住民族だからって勝手に「自然と共生してる」みたいなレッテルを貼られて、イメージ通りでないと嫌がられるっていうのも何なんだかな…バイキングの子孫なんでしょ、なんで手漕ぎ船に乗らないの。飛行機に乗るなんてあり得ない、と言ってやりたい…。

と思っていると、会場からは早速、チベットに行ったときに見た、チベットの人たちのおかれている状況に似ていると感じました、と言う発言が出ました。

するとすかさず別の方から、日本も昔、台湾や韓国を植民地にして、同じような政策を行っていました。そうした人たちはどういう意識を持つべきでしょうか、という強烈なカウンターが飛んできました。

相手の足を踏んだ人は、踏んだことを忘れてしまう。踏まれた人は痛さを忘れない、という言葉を一瞬思い出してしまいましたが、監督さんは少し考えて、静かに、こんな風に答えてくれました。

監督という仕事の良いところは、問いかけをすることはあっても、答えを提示しなくていいことです。映画とは、自分の前に立てた鏡のようなもの。自分のしたことを映し出し、自省を促して、前へと進んでいくのです。

もう一つの興味深い質問は、カメラの位置に関するものでした。

この映画は主演のレーネさんに貼りつくようにして撮られたショットが多いのですが、なぜでしょうか、という問いに対して監督は、

ヒロインのアップが多いのは意図的なものです。出来事を、他人事ではなく、彼女の目を通してとらえて欲しかったからです。だから、ほとんどのシーンに彼女の姿が映っています。

もう一つは、余計なものを排除するためです。この映画は1930年代を舞台にしているため、カメラを引くと、道端のリンゴ売りだとか、人々の衣装だとかといった、30年代の風景が入り込むことになります。そうすると、観客の関心が当時の風俗習慣の方に向いてしまう。それを避けるためです。

サーミの人びとを記録した学術映画や、人類学的な興味ではなく、ひとりの少女の物語としてこの映画を観て欲しい、という監督さんの意図が表現された演出だったのですね...これは、質問をした方もスゴイと思いました。

というわけで、かしこ可愛いサーミの少女・エル=マリャのド根性冒険物語を楽しみつつ、自らを省みさせる素晴らしい本作品、後日、日本公開もありそうだとのことですので、ぜひお見逃しなく!

ぴあ映画生活

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2016年10月31日

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた

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(劇場でいただいたポストカード)

ケルト風の歌や音楽がふんだんに持ち込まれたアイルランドのアニメーション、と聞いて、観るしかない!!と出かけてみたら、なんとビックリ、日本語吹き替え版でした。

大人のための映画館で、1日1回夜の上映しかないんだから、原語版にしてくれればいいのに…、と思ったけどひょっとして字幕版がないのかしら???

ということで、ゲール語は聞けませんでしたが、なんかこうハッキリ思い出せないんだけど、すごく日本アニメ風のキャラクター(おじゃまんが山田くん…のわけないか)と、海や岩、森などの美しい背景美術の組み合わせが面白い作品でした。

とはいえ、まるっきりほんわかファンタジーというわけでもなく、自然の風景の中にゴミなんかもちゃんと描き込まれています。

また、上のポストカード↑にありますように、お話の設定にハロウィーンが使われており、妖精たちがオーロラに乗り、人の国から自分たちの住む世界へ帰る日として登場します。

日本では大人の仮装大会に変換されているため、迷惑としか感じないこのお祭りですが、この物語の中では異界と現世がひととき交わる「お盆」的な、神秘的で、しかしどこか懐かしい雰囲気で描かれています。
 
          *

灯台守の父と暮らす少年・ベンは、母の形見の巻貝の笛を大切にしていました。ベンは、妹・シアーシャの出産と同時に母を失ってしまったために、つい妹にいじわるばかりしてしまいます。

かねてから、子どもたちの境遇を心配していた祖母は、シアーシャが6歳の誕生日に一人で海に入ってしまった事件をきっかけに、子どもたちを街で育てることにします。街の暮らしが気に入らず、逃げ帰ることばかり考えているベン。

ハロウィンの日、兄から止められていたにも関わらずシアーシャが巻貝の笛を吹くと、仮装した3人組が現れ、「セルキーを見つけた」とシアーシャを連れていってしまいます...

          *

物語も絵同様、日本ではなじみのないユニークなモチーフと、どこか懐かしい神話・伝説のモチーフとがないまぜになって、不思議な世界観を作りだしています。

子供向けのアニメですが、お父さん、どうやってお母さんと知り合ったんだろう…とか、シアーシャはどうして最後にあの選択をしたんだろう…とか、大人が観てもちょっと考えさせられるところのあるアニメです。

ガーデンシネマ恵比寿で観ました。
トム・ムーア監督
http://songofthesea.jp/

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2016年10月24日

スター・トレック Beyond (ネタバレなし)

この秋の目玉はコレでしょう! と思って観に行きましたところ、期待にたがわず滅茶苦茶でした。

いくらBeyondだからって、Beyond過ぎ(むしろ「彼岸過迄」)。

そりゃそうですよね、(自分的に)口あんぐりランキング堂々第2位の『ワイルド・スピード』の監督さんだもの、当然3位もイタダキです(ちなみに、第1位は『マッド・マックス』)。

予告がこんなん(→ https://www.youtube.com/watch?v=IVoN9lT1AqQ )だったんで、あらまジャスティン・リン監督も大人になったのね(?)、ずいぶんシンミリした話になったこと、と思っていたら、もちろん違いました。

むしろ、こっちの予告の方が映画全体のイメージに近いです
(なぜ隠す・笑)

https://www.youtube.com/watch?v=XRVD32rnzOw

前後にそれらしいストーリーをくっつけて艤装していますが、この弾けっぷり、もはや、スター・トレックでもないし、SFですらありません(笑)。

じゃあ何かっていうと、まあ…エンタープライズ号を使った『ワイルド・スピード』かな。

アメリカでは映画館の3面を使って上映するマルチ・スクリーン版

https://www.youtube.com/watch?v=lDWIc4MGirE

というのもあるそうで、なるほどピッタリ。日本でも観てみたいなあ...。

話は3行どころか30字にまとめてもネタバレになりそうなんで、やめておきますが、1つだけ。

お姉さん、なんで英語がしゃべれるの?
 →家で勉強した 

ってふざけんなあああっ! どうして学校で10年英語を勉強した日本人より上手いのよおっ!と映画館で暴れそうになったけど、これが重要な(唯一の?)伏線だったのかなあ...と1週間経ってから気がつく私にSF映画を語る資格があるのでしょうか。

いや、ない。

とっちらかった感想になりましたが、強力におススメです。
予算の許す限り、デカい! 飛び出す! 劇場で観ましょう。

今回、全編にわたって活躍したアントン・イェルチンを偲びつつ。

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2016年09月25日

君の名は。(表示以降ストーリーの結末に触れています)

東京ドームシティに「宇宙ミュージアム TenQ」というスポットがありまして、この夏、新海誠監督の展示があるというので行ってみました。

http://www.tokyo-dome.co.jp/tenq/exhibition/7/

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なぜ新海監督の展示に行ったかという話がちょっとややこしいのですが、今年行われた「ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン」というクラシック音楽の祭典のキービジュアルがとてもステキで。

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この絵を描かれたのは画家の四宮義俊という方なのだそうですが、なぜ採用されたかといえば、音楽祭のディレクター、ルネ・マルタンさんが新海監督の作品「言の葉の庭」のポスターに使われた四宮さんの作品を見て気に入ったから、という説明がされていました。
http://www.lfj.jp/lfj_2016/about/article_02.html

で、四宮さんが新海監督の新作にも協力されているということだったので見に行ってみたわけです。

スペースは小さめでしたが、映像美をじっくり堪能できる展示でした。(展示は2016年11月6日まで)

予告も上映されていて、それを見た感じでは恋愛ものにちょこっとファンタジーを絡めた、よくあるパターンのアニメなのかなと思って、こんなに映像が美しいのに、お話でガッカリしたらやだなぁと思いつつ、でも思いきって劇場に行ってまいりました。

大きなスクリーンで観る絵の美しさは格別でした。

空の色、自然の風景、街の情景。

ことに素晴らしかったのは、主人公のひとり・瀧〈たき〉が祠の中で何かに引き込まれていくようなシーン。色鉛筆で書かれたような不思議なタッチと色、観ているこちらまで引き込まれるような動きに文字通り息を呑みました。ここを観るためにもう一回映画を観たいくらい…。

ストーリーの方も、三葉〈みつは〉と瀧の主人公2人がとても好感のもてるキャラクターで、途中から思いっきり応援モードに入ってしまいました。ちょうど良い頃合いの長さの映画でしたが、この2人の微笑ましくも奇妙な日常(?)のエピソードをもっともっと観たかったなぁ...ホントに面白かった。

ずっと東京に住んでると、そんなに東京って憧れるようなところかな?といつも思うんですが(東京だって、高校生にとってのカフェ事情は三葉の故郷と同じですってば! 放課後にカフェに入り浸ってあんな高いパンケーキ食べてる高校生なんて滅多にいないって!)、ま、そこがファンタジーだって理解してあげるとしましょう。

日照時間だって長くないですよ!!!日当たり悪いんだからさ(笑)。

なんてツッコみつつも、観終わった後は良い歳して滂沱の涙で、恥ずかしくて席を立てなかったですよ。

それは、もちろん、主人公2人の物語に泣けたということもあるし、もうちょい別の意味もありました。
ただ、理由はネタバレになってしまうので、まだ観ていない方はここまで。

お話の内容が分かっても良い方は、どうぞ続きをご覧ください。











予告編を観て予想できたストーリーは、主人公の2人の心が入れ替わってしまうということと、彗星が関係ありそうだ、というところまででしたが、基本、推測通りに話は進んでいきます。

ヒロイン・三葉の住む、糸守町の全景が出てきたところで、誰もが、こりゃ隕石かなんかが落ちたクレーターのあとだろ...と思ったことでしょう。そして何度も繰り返される目覚めと夢。「時をかける少女」みたいだな、と思ってると、やはり彗星が墜ちて、町が消滅したという展開になってきました。

これは、「時をかける少女」みたいに、事件の前に何度もタイムリープして事態を打開しよう、という話になるか、萩尾望都先生の「金曜の夜の集会」みたいになるのかな(「金曜の…」のネタバレになるのでこの先は書きませんが、心打たれる素晴らしい作品なので、ぜひお読みになってみてください)、と思っていたら、そこはあまりややこしいことにはならずに、最終的には町も救われ、2人は再会できる、というハッピーエンドになっています。

観終わった後には心底ホッとするとともに、もしこの作品が10年前に作られていたら、エンディングはちょっと違っていたかも知れないな、と思いました。

瀧が、三葉のいた町が消滅すると知ったときに登場する、新聞や映像、犠牲者の名簿などの映像を観て、日本に長年住んでいる人ならきっと無意識に、恐ろしい自然災害の記憶が呼び覚まされるに違いありません。

大自然の脅威の前に、なすすべもない私たち。火山の噴火、台風、大雨、大地震、津波…21世紀の今さえ、大きな災害の前には集落1つ、村1つ、あるいは地域ごと、跡形もなくなってしまうことを、日本に住む人ならいつも心のどこかに感じているはずです。

私は東京に住んでいるので、小さいころから繰り返し繰り返し、関東大震災の恐ろしさを聞かされています。ひとたび地震がくれば、目の前のにぎやかな街もあっという間に崩れてしまうだろう。大きな火事も起きるかもしれない。そのときもし、自分が生き残って、親しい人が犠牲になったら?

そんなとき、もし災害の1日前に戻ることができて、皆を助けることができたら、どんなに良いか…。

無理だと分かっていても、3.11を経験した後でスクリーンの中でそれが観られたことに、とてつもなく安堵しました。これがハッピーエンドじゃなかったら、きっと耐えられなかったことでしょう。

この作品が世界中で観られたときに、今の思いを分かってもらうのはなかなか難しいかもしれません。何だか取って付けたような終わり方だと思われたり、非合理だという批判があるかもしれない。でもこのお話はこれで良かった。監督、本当にありがとう。

新海 誠監督

お台場シネマメディアージュで観ました。
スクリーン2はやや小さめなので、通路の前後くらいがいいかも知れません。
シートは快適です。
ここはあらかじめ予約ができない劇場なので、
ふらっと映画が観たくなったときでもたいてい席がある、
今どきとてもありがたい映画館です。

君の名は。|ぴあ映画生活

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2016年09月19日

Sparrows(Þrestir)

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飛行機でたまたま目にした、2015年のアイスランド・アカデミー賞ノミネート作品。

この映画を観られただけでも、遠路はるばるやってきた甲斐がありました。
オープニング画面↑が現れた瞬間から、もうこの作品の虜です。

お話自体は、母親と暮らしていた16歳のAri(Atli Oskar Fjalarsson)が、6年も会っていなかった父や祖母と暮らすことになり、一歩大人に近づくところまでを静かな筆致で描いたもの。

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ストーリーにさほど大きな起伏はないのですが、飲んだくれのダメ男である父の不器用な愛情表現や、Ariと彼を取り巻く人々とのやりとりが、繊細に綴られていきます。

映画の中で大きな役割を果たすのは、アイスランドの風景です。

物語の舞台になっている場所は西部フィヨルド地方だそうで、人口の少ないアイスランドの中でもさらに訪れる人の少ない、隔絶された地域という印象のある場所です…と言っても、外国人の目から見ると、いかにもアイスランドらしい景色だなあ、くらいな感じですが…。

ふつうの生活を題材にしながら、その国らしさを感じさせるというのは意外に難しいのではないかと思いますが、特に観光名所が映るわけでもないのに、画面の隅々からアイスランドらしさを感じるのも、この映画の魅力の1つかと思います。

エンドロールにエキストラの人たち全員(?)の名前が出てくるのも、手作り感というか、アイスランドらしい感じがするなあ、と思いました。

もう1つの大きな魅力は音楽です。

冒頭、Ariは聖歌隊のクリスマスコンサートで歌っていて、それがTV中継されたのを家族みんなが誇らしく思っているのが伺われます。

sparrow2.jpg

この曲に限らず、全編を素晴らしい音楽が彩っており、いったい誰の曲だろう、とまたもエンドロールを必死に見つめてしまいました。アイスランドの現代音楽の作曲家、故Magnús Blöndal Jóhannssonと、シガーロスのキーボーディストだったキャルタン・スヴェイソン(Kjartan Sveinsson)の曲が使われているようです。

冒頭の聖歌を含む予告編をこちら↓から観ることができます。
映画の雰囲気をよく伝える、秀逸な予告編だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=bvNw3WqecEo

世界の映画祭でも賞を獲っているようなので、そのうち日本でも上映してくれるのを心待ちにしています。

Rúnar Rúnarsson監督作品

公式HPはこちら→ http://nimbusfilm.dk/film/sparrows/
posted by 銀の匙 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする