2017年12月10日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編6

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↑ 都内某所にて。まさか、こんな所に…。

12月に入ると、いきなり時間の進み具合が速くなったような気がするのは私だけではないでしょう…。2017年も、そして物語もそろそろ終盤。コメントでいただいた情報によれば、来春にはDVDも発売されるとのこと。追いつかれないうちに本題に戻らねば!

ということで、早速つづき行ってみましょう。

ここまでの詳しい話は、

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章(前半))→こちら

        第5回(14章(後半)〜16章(前半))→こちら 
でどうぞ。

第16章(後半)

声のした方を見ると、周不言と周不闻が襲撃艇の真ん中に立っているのが見えました。周不言は彼らの船に乗り移るように促します。

呉居藍はもうすぐ人魚の姿になってしまうはず。沈螺はわざとバランスを崩して、呉居藍を海へ落とします。

別の大きな船に移された沈螺は周不聞から、祖父が会いたがっていると聞かされ、豪華な船室に通されます。

そこにいたのは、三つ揃いを着た白髪の老人でした。

周老人は沈螺に、自分たちの目的を当てろと促します。

沈螺は、初めは金目のものを狙っているのかと思ったけれど、こんなに裕福なら必要ないはず。何か自分の古い家屋に関係する事だが、それが何だか分かっていないのではないか、銅鏡も目的のものではなかったのだろう、と答えます。

老人は、だいたい正しいが、最後の推測は間違いだ、といって沈螺に写真を渡します。

写っていたのは銅鏡に隠されていた革のようなものでした。

「これは何? 宝の地図なの?」

老人は意外なことを言い出します。
「この世に起死回生の霊薬があると信じるかね」

沈螺が否定すると、老人は秦の始皇帝が不老長寿の薬を探していたという伝説を話します。捜索を命じられた徐福は迷いもせず、それを海に探しに行ったのだ。

そして老人はいきなり、“鮫人”(ジャオレン)の存在を信じるかと聞いてきます。

自分の祖父は、沈螺の高祖父(おじいちゃんのおじいちゃん)・沈鱼仔(シェンユィザイ)から魚神に会った話を聞いた。沈鱼仔は嵐の日、傷ついた魚神を命がけで助けた礼として、ある秘術を授かり、漁民として大成功して幸せに暮らしたというのです。

酔った沈鱼仔がその秘術とは起死回生の霊薬だと話したと聞き、沈螺はあざ笑います。
そんな薬があるのなら、おじいちゃんも、そのおじいちゃんもなぜそれを使わなかったの?

老人は言います。自分の祖父は人を殺めてしまい、南洋に逃げる羽目になった。親友だった沈鱼仔は餞別に魚神の海図をくれた。現在知られていない材料で作られたもので、自分は“鮫人”が作ったという織物“鲛绡”だと思う。海図が本物なら、どこにあるかは分かっていないが霊薬も本物のはずだ。

興奮した老人は発作を起こして倒れてしまい、周不聞は沈螺を船室の外へ連れ出します。

周不聞は声を潜め、沈螺たちのクルーザーを調べるふりをして、海に浮輪をいくつか投げておいたと話します。また、金銭で解決しようとしたのに、沈螺の父親を事故に遭わせることになったと謝ります。

沈螺は足を止め、もし起死回生の薬があるのなら、とっくに父に飲ませているはず、そんなものは知らない、と叫びます。

そこへ周不言が現れ、周不聞を連れて去っていきます。代わりに銃を持った部下が沈螺を監禁するためについてきます。

沈螺はサファイヤの指輪を外し、これで一生遊んで暮らせると言って男に投げつけます。ボスはあんたを、私から指輪を奪って口封じのために海に突き落としたと思うでしょう。だから黙ってた方が利口よ。

そう言い捨てて、沈螺は海へと飛び込みます。

〜〜〜
ついに周兄妹のバックにいた黒幕が登場します。病に侵され、沈螺が「死の匂いがする」と直感した人物ですが、ドラマにはそのままでは登場しません。

霊珠を付け狙う黒魔術師・安佐が、何とか生き返らせようとしていた養い親のモデルになったと思われますが、穏やかな善人だった彼とは似ても似つかない、金と不老長寿に憑りつかれた人物です。ただ、養子の周不聞を可愛がっていたようで、その点は少し共通しています。

小説は、生への執着の象徴のような形で描かれていますが、ドラマの方は、こんなステレオタイプの老人を登場させるのには抵抗があったのでしょうか…。

逆に、ドラマでは一方的に悪役チックに描かれていた周不聞は、小説ではもう少し良心のある人物として描かれています。ここでははしょってしまいましたが、周不言も義兄を取られると思い込んでいたために意地の悪い行動を取っていただけで、さほどの悪女というわけでもなさそうです。

ここで出てくる徐福という人物は、秦の始皇帝に不老長寿の薬があると持ち掛け、薬を探して東方へ船出したという伝説があります。いまでも中国では日本のことを東瀛(とうえい)と書くことがありますが、これは東方にある神秘的な場所を指す雅称で、たとえばパリを「花の都」というようなものです。

第17章

海に落ちた沈螺を呉居藍はすぐさま掬い上げます。
このままでは低体温でショックが起きると心配した呉居藍は、ヴァイオレットに連絡し、沈螺には眠らないよう話しかけます。

なぜ助けを待たずに飛び降りたのかという問いに沈螺は、周老人の話を聞かせ、呉居藍が心配だったと話します。

自分と引き換えに安全を確保するようにと言ったはず、と言う呉居藍に、沈螺は本気で怒ります。

呉居藍は笑って、「客人が来た。毛布と酒を借りるとしよう」と言います。

船が近づく音がし、沈螺は自分はどうでもいいから早く潜って逃げろと呉居藍に言いますが、そんな緊迫した状況の中、いきなり沈螺が防水パックに入れて隠しもっていた携帯が鳴動します。

呉居藍は、君がずっと待ってた電話だから出ろと言います。
沈楊は沈螺が呼んでくれた名医のおかげで手術が成功したといい、「お姉ちゃん、夏になったらパパを連れて会いに行くよ」と言って電話を切ります。

弟の口からはじめて聞く「お姉ちゃん」という言葉に沈螺が呆然としていると、襲撃艇が近づいてきます。

呉居藍は悠然とヴァイオレットに電話し、先に片付けることがあるからゆっくりでいいと告げ、沈螺には、これから完全に原型に戻るので、しばらくは話ができないといいます。

だんだん意識が朦朧としてきた沈螺の耳に、天上の音楽のような歌声が聞こえてきます。

目を覚ますと、沈螺はまた周老人の船室にいました。介抱してくれたらしい呉居藍に、自分たちは捕まったのかと聞くと、彼は首を横に振ります。彼は人魚の姿のまま、船室にいたのです。

呉居藍を海へ戻すと、沈螺は船を見て回ります。驚くことに、船に乗っていた全ての人たちは皆幸せそうな笑みを浮かべて眠りこけていました。

つついたぐらいでは目は覚まさないよ、という声に沈螺が振り返ると、昇る朝日の下に呉居藍が立っていました。

ヨーロッパでは人魚の声には人の心に作用する魔力があるという。そしてその魔力は朝日と共に消えてしまうとも。

果たして、乗組員も周兄妹、周老人も目を覚まし、呉居藍と沈螺は囲まれてしまいます。

そこへ沿岸警備隊が到着、ヴァイオレットや巫靓靓、江易盛の姿も見えました。

最後まで抵抗した周老人と側近は射殺され、周兄妹は逮捕・連行されて行きました。

〜〜〜
この章はドラマの方には全く登場しません。やっと出てきたと思ったら、活躍の場も特になくラスボスはあっさり退場してしまいます。

ドラマと同様だったのは、周不聞が逮捕されるというくだりのみ。

前の方の回ではご紹介を省いてしまいましたが、呉居藍は最初に沈螺の前に人魚の姿で現れたとき、彼女を落ちつかせるために人魚の歌を使います。

都内某所の大学内(のカフェ)には、それを記念したこんな絵画も…。

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よく見ると、この人魚には尾が2つあります。とあるカフェの説明によると、これはセイレーン(サイレン)を描いたものだそうです。

セイレーンはご存じの通り、美しい声で歌をうたって船乗りたちを惑わし、船をナンパ…いや、難破させる、人面鳥身の怪物。

って、人魚じゃなくて、トリなのでは…?鳥の2本の足が、人魚と混同される過程で魚の尾になったという説明もありますが、果たして…。

ここの章で呉居藍は、元々は沈螺を捕えた者たちを皆殺しにしてしまうつもりだったらしい。でも、これから先も人間社会で生きて行かなければいけない沈螺のことを考えて、こういう措置にしたのだと事もなげに言います。

とにかく、命が惜しかったら呉居藍とカラオケに行くのはやめましょう。


第18章(前半)

ニューヨークの自宅に戻った沈螺のところに、銅鏡が戻ってきました。周家が送り返してきたのです。

海図が伝説の鲛绡で出来ているという話は本当だと呉居藍は言います。

1865年、捕らえられた呉居藍は怪我を負ったまま、急いで海に戻ったに違いない。太平洋を越えることは人魚にとって大した距離でもないはず。

「じゃ、海図をおじいちゃんのおじいちゃんに渡したのは…」
呉居藍はうなずきました。

「解毒薬は山の上にあったけれど、傷が深くて自分は姿を変えることができなかった。君の先祖は善良な人で、自分のために薬を取ってきてくれた」

沈螺は思います。高祖父が出会ったのと同じ人魚に自分も出会うなんて…。

江易盛が休暇を終えて帰国する日に合わせて、沈螺と呉居藍も島に戻ることにしましたが、呉居藍は江易盛にヴァイオレットの研究施設で検査をしてはどうかと提案します。

江易盛の家系は精神疾患の遺伝があり、父親はすでに発症して入院中でした。検査の結果によっては、予防措置が取れるだろうというのです。

最初は行く気のなかった江易盛も巫靓靓に説得されて、呉居藍のつきそいで研究施設に向かい、巫靓靓は身分証明書の手続きに出かけます。

ひとり残った沈螺は、本棚を眺めていました。デンマーク語の「アングネットと人魚」。呉居藍は読んだことがある、と言っていたけれど、それはまさにこの本を読んだという意味だったのだと沈螺は悟ります。扉にはアンデルセン本人のサインがありました。

沈螺は英語版のアンデルセン童話を手に取ります。

人魚姫は人間の姿になったとき、声を出すことができませんでした。ただ、たとえ話せなくても、意思を伝える方法はあったはず。人魚姫はひょっとして自分の意思で、王子には何も話さなかったのではないのかしら。

なのに魔女は人魚姫に匕首を渡して、王子の鮮血と命を得れば人魚姫は海に還れると勧めるのです。

物語はなぜ、生き残りゲームのようになってしまったのだろう。

考えているところに、玄関のブザーがなります。

知らない人を守衛が通すわけはないと思ったら、そこにはヴァイオレットが立っていました。

部屋に通すと、ヴァイオレットはソファに置かれた「アンデルセン童話」を手にとって尋ねます。「伝説の人魚に出会えるなんて、幸運だとは思わない?」

沈螺は答えます「私はとてもラッキーよ。でもそれは人魚に会ったからじゃない。呉居藍に会ったからなの」

ヴァイオレットは一瞬躊躇してから口を開きます。
「レグルスは、昔ニューヨークで起きた不愉快な出来事について話したはず。」

「彼は高潔な人だから、誰が裏切り者かは言わなかったでしょうね。実は私の太祖父なの」

沈螺はこの告白に息を呑みます。

「そして、太祖父の保護をレグルスに頼み、後にはバーナム博物館に火をつけてレグルスを救ったのが私の太祖母なの。太祖父はその火事で亡くなったわ」

「私の太祖母も、祖母も、レグルスに仕えた魔女なの。そして私もそう」

魔女が本当にいるなんて!

ヴァイオレットの家は先祖代々人魚の資力や知識から多くを得て、若さを保つ方法や長寿についての研究に勤しんでおり、レグルス一族の忠実な僕なのだといいます。

それなのにわざわざ呉居藍がいないときに現れたのはなぜだろう。

本能的に警戒する沈螺にヴァイオレットは、魔女からみた「人魚姫」の話を語り始めます。

人魚と人間は異なる方向へ進化してきた。人間は科学技術のような外の力を発展させたのに対して、人魚は内なる力を進化させた。人魚は体内に貴重な霊魂の珠を持っており、その霊珠と人魚の精神力とは大きな関係がある。

精神力は目には見えないけれど、たとえば人を眠らせるその歌などの形で現れる。

あるとき、人間の王子が嵐の海に落ちた。人魚姫は彼を救おうとしたけれど、それは叶わなかった。そこで自分の霊珠を与え、蘇らせた。

それが周老人の言っていた薬のことか、と沈螺が聞くと、それは物のたとえであって、たとえば昔の人が、移植手術を起死回生の術と捕らえるであろうことと同じようなものだといいます。人魚は霊珠の力で溺れた人を救うことしかできないし、救えるタイミングも限られていて、そのほかの、例えば病気などはどうすることもできないといいます。

人魚の寿命は長いので、助けた相手が亡くなったらまた霊珠を取り戻すことができる。人魚姫も王子を陸に送り届けたらしばらく海に帰るつもりだった。ところが、漁師につかまって傷を負い、霊珠を取り戻す必要に迫られた。しかし、王子は霊珠を失えば死んでしまう。

人魚は平和を愛する種族であり、霊珠のやり取りは殺し合いではなく、相手の意志によって行われる。人魚姫が進んで霊珠を与えたように、王子は進んで霊珠を返さなければならない。

しかしどうやって?

困った人魚は魔女に助けを求めた。

魔女は、人類は身勝手なものとよく知っていた。身勝手な者を無私に変え、臆病者を勇敢にできるのは、世界で一番不可思議な魔術、愛しかない。けれども王子は人魚姫の愛に気づかない。

魔女は、王子を殺して霊珠を取り戻すよう勧めるが、優しい人魚姫はそれに忍びず、魔女の哀願にもかかわらず、霊珠を諦め、自らの長い命を王子の短い命と引き換えにして、泡となって消えてしまう。王子はそんな犠牲には少しも気づかなかった…。

沈螺は身震いします。もし人間が霊珠を持ったらどうなるの?

ヴァイオレットは答えます。表面上は何も変わらないし、寿命が伸びるわけでもない。病気の治りが早くなるくらいだと。レグルスは…。

怖くなった沈螺は立ち上がり、それ以上は話させず、ヴァイオレットに部屋を出ていくよう求めます。

ヴァイオレットは、考える時間をあげましょう、と言って出ていきます。

しばし呆然としていた沈螺は、ふらふらと外をさまよい歩きます。

湖の青い水面を見ながら、沈螺は思わずにはいられません。

呉居藍がくれた優しさと幸せは私のため? 
それとも私が持っているらしい、霊珠のためなの?

〜〜〜

ドラマの江易盛は精神科医ですが、小説では外科医で、精神疾患の家系に生まれたということになっています。

彼は天才的な頭脳を持ち、何をやらせても一流でルックスもよく、外地で医科大の学生をしていたころはとにかくモテました。しかし女性たちは江易盛の父親を見るとたちまち態度が変わり、二度と連絡も寄こさなくなります。

幼なじみの沈螺は、常々そういう女性たちを計算高いと嫌っていたのに、いざ呉居藍のことが気になりだすと、彼の来歴から「クズ男を好きになるより悲惨」と考えたりしました。そういう自分は、計算高い女性たちと何が違うのかと落ち込んだりしていたのでした。

ともあれ、江易盛にとってはあまり考えたくない事柄だったので、呉居藍の提案にあまり乗り気ではなかったのでした。考えを変えさせたのは巫靓靓だったのですが、詳細は小説の方をご覧くださいませ;

さて、この章でお分かりの通り、もし周老人が霊珠を手に入れたとしても、彼を救うことは出来なかったでしょう。

ドラマではこの設定への言及はないのですが、同じだとすると、変だと思った箇所もかなり納得が行きます。

ドラマの呉居藍は、安佐によって海に突き落とされた沈螺を助けに行き、霊珠が輝いているのを見ます。多くの魚が集まり、溺れた沈螺を助けようとしているように見えます。ヴァイオレットは、その特徴は霊珠に間違いないと言います。

ヴァイオレットも巫靓靓も、当初は沈螺の祖父が、霊珠を秘密のうちに、沈螺の体内に隠していたと考えていたようです。

霊珠を取り戻したいなら、黒魔術師の魔刀を使うか、「真実の口づけ」で呼び戻すという方法があると聞かされ、呉居藍は何とか後者を実現させようと頑張るわけです。

ところが、相当自信があったらしい(?)呉居藍に、小娘の力は借りないとか言われた巫靓靓は、骨董品の1000年前のナンパテクなんて、ときっちり見切っており(事実、呉居藍は周不聞には邪魔されるわ、肝心の沈螺には拒否られるわでダメダメだったんですが…)、まずは攻略相手を知ろうと、江易盛に沈螺のことをあれこれ尋ねます。

そして、江易盛から、沈螺が以前溺れて死にそうになったことがある、と聞いた途端に顔色を変えます。

一方、必要以上に(笑)ナンパに積極的だった呉居藍は、沈螺本人の口から、以前溺れて死にかけたことがあると聞いた瞬間、手のひらを返したように冷たい態度を取るようになります。

小説を読む前は、溺れたと聞いて、なぜすぐ霊珠を使って助けたと分かるんだろうと思いましたが、ドラマでもこの設定が生きているとすれば、沈螺のおじいちゃんの態度を考え合わせると、霊珠は隠されたのではなく沈螺を助けるために使われ、それを取り戻されてしまえば沈螺は死んでしまうのだとおじいちゃんは知っていたし、呉居藍も巫靓靓も、すぐピンと来たということになります。

というわけで、安佐の努力も全くの骨折り損だったわけです。

そんなことも知らない黒魔術師って、どうなの?とつい思ってしまうわけですが、ドラマの第2季を見ると、この設定がドラマでも通用するのか、やや怪しくなってきます。途中でルール変更なんてそんな、スポーツ競技じゃあるまいし…。

まあ、その辺は大人の事情もあるかもしれない(し、私が何か見逃してるかもしれない)のであまり追及しないでおくとして、小説から読んだ人にとっては、この章は結構な衝撃度ですよね。

身勝手な者を無私に変え、臆病者を勇敢にできるのは、世界で一番不可思議な魔術が愛である、とは、ドラマにも何度か登場する言葉で、最後には愛の偉大さを語るときに使われるのですが、小説のこの部分では駆け引きの道具だという宣言に過ぎないのです。

前からちらちら触れていますが、この物語は沈螺目線で語られているため、呉居藍が本当はどんな人なのか、読者にはよく分からないんですね。だから、ここまでの呉居藍に関する情報の全ては、沈螺のまったくの思い込みだったとしても、何ら不思議じゃないわけです。

ドラマの方は、第1回の、しかも冒頭で、ニューヨークに上陸した呉居藍が、車に引かれそうになった子どもを助けるシーンがあります。

つーんと来るほどベタなシーンなのですが(泣)、ともかくこれでドラマの呉居藍がどんなキャラかは否応なく伝わります。

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↑後の「氷山」がウソのように優しげな、上陸直後の呉居藍

そうそう、親に孝行と同様、子どもには無条件で優しくするのが中国では立派な大人の絶対条件です。「子ども嫌い」とかウッカリ人前で言うと、人間扱いされないかも知れませんのでお気をつけください!

っていうか、そういえば呉居藍は人間じゃないんだった。

特に小説の呉居藍はやや不気味なところもあるし、この後どうなるんだろう、と読者を不安にさせるこの展開、続きはまた次回!

posted by 銀の匙 at 03:46| Comment(3) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編5

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↑ニューヨークにある呉居藍のステキなおうち。本棚がいっぱいあっていいなぁ…(羨ましいのはそこ?)

テレビ放映も終わり、いよいよ火がついて参りました本エントリー。師走にもなったことだし、さくさくクライマックスに行ってみましょう!

前回は、巫靓靓(ウー・リャンリャン)、江易盛(ジャン・イーション)と共にニューヨークにやってきた沈螺が呉居藍(ウー・ジュイラン)と合流し、150年前劇場で起きた、恐ろしい出来事を聞いたところまででした。

ここまでの詳しい話は、

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章)→こちら

でどうぞ。

第14章(後半)

巫靓靓(ウー・リャンリャン)は沈螺〈シェン・ルオ〉に、石が売れたこと、ボスがパーティーに招待したことを告げます。部屋には正装用のドレスまで用意されていました。

華やかな会場には、周不聞〈チョウ・ブーウェン〉兄妹の姿もありました。

周不言(チョウ・ブーウェン)は高飛車な態度で、“吃软饭的绣花枕头男朋友”(顔だけが取り柄のヒモ)が金持ちマダムにさらわれないように気をつけることね、とせせら笑いますが、沈螺は周不聞の肩に手をかけて、彼女がいながら他の女に強引に言い寄ってはねつけられる誰かさんとは違うと言い返します。

巫靓靓の祖母ヴァイオレットは司会役として、100年以上続くビジネスパートナーたちに向かい、主人レグルスを紹介すると告げます。レグルスはラテン語で王子、そして獅子心を意味する言葉。前に進み出たレグルス=呉居藍〈ウー・ジュイラン〉はまさに王者の風格を湛えていました。

そのとき沈螺は、今までのどんな瞬間よりも呉居藍が遠くなったように感じていました。

彼が王子だというなら自分は何だろう。12時前のシンデレラのように、王女様のふりをしているだけ。早くこの場から逃げたい。

突然、呉居藍はスピーチを英語から中国語に切り替えます。サファイアの指輪を手に、沈螺の前に歩み寄り、ひざまずくと、結婚する意思はあるか尋ねます。事態が呑み込めた沈螺は思わず指輪をひったくり、もちろんあるわ、と答えます。呉居藍は周不聞と周不言を睨みつけながら、会場の皆に沈螺を「フィアンセ」だと宣言します。



起こったイベント自体は同じなのに、これはまた随分、ドラマと印象が違いますね〜。

ドラマの呉居藍も沈螺を関係者に紹介するのですが、それはあくまで、自分がいなくなった後に沈螺を託すため。だからもちろん自分から求婚なんてしません。

それにしても、小説の方の沈螺はずいぶん現金ですよね。噂に聞く、『金色夜叉』みたいっすよ(ダイヤモンドに目がくらんだんでしたっけ?)。

ドラマの方は、呉居藍が余命いくばくもないことを知った沈螺が、自分が貝殻で作った指輪を隠しておいて、呉居藍に見つけさせ、敢えてプロポーズさせるという話に変えています。とても可愛らしいし、胸が痛むシーンになっているってのに…。

小説では、指輪をひったくった後、江易盛の咳払いではたと気づいた沈螺の手を取って、呉居藍が指輪を嵌めます。本来はこうよね、って早く気づけ!ですが、ドラマでは沈螺が催促してるので…実は、似たようなもんですかね。

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(またもや強制されているの図)

パーティーの席で、呉居藍は各国からのゲストの言葉を流暢にしゃべるのですが、ドラマの声優さんは大変でしたね。まさか英語やフランス語のセリフがあるなんて…。

日本人なら台本にこっそりカタカナ書くところでしょうけど、中国は漢字しかないから、みんな漢字でふりがな振ってるんですよ(意味不明)。

私のような外人には却って難しいんですけど、英語での数の数え方とか、1が“万”(発音はワン)って一体…(笑)

ネットで見つけた続きは、
吐(tu)−−2
死瑞(sirui)−−3
(fo)−−4
发爱武(faaiwu)−−5
水渴死(shuikesi)−−6

夜露死苦!

第15章

翌日、巫靓靓が用意した船で、沈螺は呉居藍、江易盛とともに海に出ます。巫靓靓の助けをはねつけ、呉居藍はマニュアルを見ながら船を操縦しますが、最新設備の整った船が初めてらしく、めちゃくちゃな操舵に江易盛は半泣きです。

溺れたって、呉居藍が助けてくれるから大丈夫よ、とのほほんと言う沈螺に、江易盛は、
“你这个有异性就没人性的家伙!算你狠!”(異性がいると人間性をなくすとは、いい根性してるぜ)と愚痴ります。

沈螺は巫靓靓が、ネットで偶然、呉居藍の動画を見つけ、祖母が持っていた古い写真にそっくりだったので確かめるために島に行ったと聞き、彼女も呉居藍の秘密を知っているのだと気がつきます。

江易盛は話に首を突っ込んできましたが、呉居藍の話題だと知ると沈螺に
「僕は男の秘密には興味ない」
「よかった、少なくともあんたと男の取り合いはしなくて済むわ」

巫靓靓は、レグルスはわざとサファイヤの婚約指輪にしたのだと言います。さらに、あの二人はわざわざ招待されたのだ、呉居藍の前で二度と周不聞に襲われそうになった話をしちゃダメといいます。あのときの目つきは本当に怖かったんだから。

不言が着けてたジュエリーだけでも100万元はするという話に江易盛は、そんな金持ちなら、彼らが襲撃してきた目的は何なんだろうと訝ります。すると、それを探るのが、彼らを招待した4つの目的のうちの1つだった、と呉居藍の声がします。

目的の1つは、周不聞たちに沈螺に危害を加えさせないために、力を誇示しておくことでした。周不聞兄妹への意趣返しも当然あったけれど、それよりさらに、周不聞が自分の前で沈螺と親しげにしていたことが気に食わなかったと大真面目に言うので、江易盛がむせると、巫靓靓は、動物の世界では、メスから他のオスを遠ざけるために戦うのは当然だと言いながら、操縦室に逃げ込んでしまいます。

大海原を見ながら、沈螺は思います。人類は月まで行ったけれど、地球の7割を占める海のことは何も知らない。考え込む沈螺に、もっと詳しく知りたければヴァイオレットに聞くといい、ディスカバリーチャンネルの「人魚」を監修しているくらいだからと呉居藍は優しく言います。

沈螺は呉居藍に、人魚の涙は真珠で出来ていると聞いたけれど本当か尋ねます。悲しみが極まればそういうこともあるらしいが、自分は泣いたことがないから分からない、と呉居藍は答えます。

やがて船の近くに十数頭のクジラが現れ、ショーを始めます。海は呉居藍の王国だと沈螺は思い出すのでした。

夜になり、満月だから海釣りでもしようか、と提案した江易盛は、突然気絶してしまいます。巫靓靓は食事に睡眠薬を混ぜたのだといい、実は自分も服用したので明日まで起きない、と宣言して船室に降りてしまいます。
〜〜〜
この章自体の内容はドラマには出てきませんが、セリフがあちこちで使われています。

“算你狠!”は、内緒で指輪を作っていた沈螺が発見されそうになり、胸に放り込んで隠したときに呉居藍がいうセリフに使われています。

ドラマではニューヨーク滞在中にヴァイオレットが真相を暴露しそうになったため、呉居藍は事実を伏せて、自分は重い病気で海に還らなければならないのだと沈螺に説明します。彼女が拗ねて別れ話を持ち出すと、呉居藍は悩んだ挙句、言われた通りに彼女を島に返してしまいます。

本心ではなかった沈螺はさらに拗ねているのですが、そこへ江易盛が現れ、むりやりお見合いを設定します。結局、こっそり成り行きを見守っていた呉居藍が邪魔に入ってしまうのですが、江易盛は巫靓靓にこっぴどく叱られた上、お見合いをセッティングしたなんて呉居藍にバレたら命がないわよと脅されます。このあたりに、この章の要素をちょっと使ってますね。


第16章(前半)

満月の夜には、呉居藍は人魚の姿に戻るので、船は陸地から遠く離れた場所まで来ていました。

10月末の夜の海は冷たかったけれど、沈螺は船の中ではなく、救命用の小さなホバークラフトに乗って呉居藍の近くにいたいと主張します。

沈螺が寒くないようにと毛布や飲み物を用意する呉居藍に沈螺は、他人のことより自分の準備をするように言いますが、彼は「必要なものは全て海から調達できる。君以外は」と淡々と答えます。

そこへ突然電話がかかってきます。異母弟の沈楊暉(シェン・ヤンホイ)からでした。開口一番、彼は口の限りに沈螺を罵ったあと、泣きながら事の経緯を話します。

銅鏡を高額で買い取りたいという人物が現れたのに、父が沈螺との約束のせいでどうしても同意せず、両親はずっとケンカしていた。今朝、一家が父の運転する車で出かけたところ、その人物から電話がかかってきて、継母がこっそり銅鏡を売ってしまったことが発覚。車内でまたケンカが始まり、ついに衝突事故を起こしてしまった。

継母と弟は無事だったものの、父親は手術中で生死の淵をさまよっているというのです。

手術が成功したら電話して、と何とか答えた沈螺に呉居藍の手が触れます、いつも通り体温が低く冷たい手、そしていつも通り何よりも暖かい手だと沈螺は思います。

人魚の姿に戻りかけた呉居藍は、近づく船の音を聞きつけます。誰かに見られたら危険だと焦る沈螺に、呉居藍は身の安全と引き換えに、自分の秘密も自分自身さえも相手に渡して構わないと言います。

まさか裏切るなんて、そんなことは絶対しない、と沈螺が言いつのっているところへ、突然、ライトが向けられ、武装した男たちを乗せた襲撃艇が迫ってきます。いくら呉居藍でも、実弾を受ければひとたまりもないでしょう。

船上から声がします。

「沈螺、腰が抜けた感想はどう?」

〜〜

ついに、小説にもスペクタクルなシーンが登場。いよいよ、物語の最初に登場したエピソードがつながり始めます。最初に出てきた弟も久々の再登場ですが、姉弟の罵り合いがホントにものすごくて(そんなことしてる場合か?)、邦訳不可能ではと思わせます。

ドラマの呉居藍を見ていると、実弾ぐらい何とかのカッパに見えますが、人魚だからキャラが違いましたね。

果たして、いきなり現れた武装集団の目的は何なのでしょうか、というところで次回→こちらに続く!
posted by 銀の匙 at 00:57| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編4

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(コメントでのやりとりから追記しました)

現在(2017年11月)放映中のドラマはいよいよ終盤かと思いますが、小説の方もいよいよ佳境に入って参りました。

第11章の前半は、ヒロイン沈螺〈シェン・ルオ〉(ドラマではクオ・ビーティンが演じます)が、呉居藍〈ウー・ジュイラン〉(ドラマではウィリアム・フォンが演じます)の 嫌がらせ 思慮深い、遠回しの拒絶にも負けず、想いを諦めないと告げて、「いいだろう」というお返事をいただいたところまででした。

ここまでのお話は、
ネタバレあり編 第1回(1話〜3話)→こちら
        第2回(4話〜7話)→こちら
        第3回(8話〜11話(前半))→こちらでどうぞ。
(今回の記事を書くにあたって、若干変更したところがあります)

第11章(後半)

呉居藍の「いいだろう」とはどういう意味か、ドラマのみならず、小説の沈螺も測り兼ねて尋ねます。ただしこちらは、ドラマとは違って、つかえつかえですが…。

小説の呉居藍は例の3枚の絵が描かれたノートを持ってきます。

どんな恐ろしいことが書いてあるのかと怯える沈螺でしたが、3枚の絵の後に、今度は呉居藍の美しい筆跡でハリール・ジブラーンの詩「愛について」が書かれていました。

これを読んで、沈螺は思います。苦しんでこの選択をしたのは私だけじゃなかった。そしてこの苦しみも愛の一部なのだと。

〜〜〜〜

いきなりポエムか! と思わず引いた純ジャパ読者(→私)と違って、中国での評判を見ると、他はけなしてる人もこの部分だけは気に入ってるらしい。それは、作者の文章はダメだけどジブラーンの詩はさすがだ、という呉居藍級のイヤ味なのか、素直に引用のセンスを褒めてるのか、これまた純ジャパ読者には測り兼ねるところではありますが…。

浅い感想なのを承知で言わせてもらえば、結構大事なシーンなのに、ここをエピソードの積み重ねで描かずに詩の引用で済ませてしまうあたりが、この小説全体の印象をお手軽というか、安っぽく見せている気がしてなりません。確かに、状況にぴったりな詩ではありますけど。


第12章

前回、気まずい別れになってしまった周不聞から、また泊まりに来ると電話がありました。周不言も一緒にやってきます。彼女の発言から沈螺は、呉居藍が古琴を弾く動画が商売のための大ウソだとして、ネットから削除されたことを知ります。

*
周不言のことばの端々に敵意を感じる沈螺。そういえば、周不聞と周不言は血がつながってはいないはず。もし彼女が兄を好きだとしたら、おかしなことではないと沈螺は思います。

夕食時に現れた江易盛はグラマラスな美女を連れていました。交流研究員として江易盛の病院に来た巫靓靓(ウー・リャンリャン)で、本物のダイヤを身に着け、女王様然としていました。

夕食のメニューは海鮮鍋。周不聞が「沈螺は小さい頃から白身魚が好きだったよね」と言いながら、具を取り皿に置きます。呉居藍の知らん顔が頭に来た沈螺は「私の彼氏は辛いものが好きだから代わりに平らげてもらうわ」と取り皿を呉居藍の前に押しやります。

全員が注目する中、ラー油をたっぷり追加した魚を淡々と口に運ぶ呉居藍。沈螺は内心、いきなり彼氏呼ばわりされた呉居藍が否定するのではないかと心配していました。


“吴居蓝沉默地放下了手中的水杯,视线从桌上的几个人脸上一一扫过,他那种食物链高端物种俯瞰食物链低端物种的冷漠,让所有人都有点禁受不住,下意识地低下头回避了。
最后,他看着江易盛,面无表情地说:“我正式宣布,沈螺是我的女人,从现在开始,如果任何人再对她有任何不良企图,我都会严惩。请在采取行动前,仔细考虑一下能否承受我的怒火。”


(呉居藍は黙ってコップを置き、テーブルについた一人ひとりの顔に例の、食物連鎖の頂点に立つ者が下位の者を見下ろすときのような冷たい視線を走らせた。全員が視線を避けて俯くと、呉居藍は江易盛の方を向いて、表情をピクリとも動かさずに言った。「これから沈螺は私のものだ。害を加えようとする者がいればただでは済まさない。何かを企む前に、私の怒りに耐えきれるか良く考えるがいい」)


全員が凍り付く中、祖母が海洋生物学者だという巫靓靓はテーブルの上の巻き貝(“海螺”)を指さして、このダイオウイトマキボラは隣のピンクガイを餌にしているのよ、と付け加えます。

そのうち婚約指輪の話になり、周不言は、沈螺はサファイアが似合うはず、口を利いて安くしましょうか、と持ち掛けます。呉居藍は値引き品を買うつもりはないといい、沈螺はそもそも宝石を買う余裕はないと言いますが、靓靓は、客間にある螺化玉だけでもオークションにかければ100万元はするというのです。そして、家に置かれたさまざまな貝の特徴を説明し、欲しい人には大変な価値のあるものだと話します。

周不言は顔色を変えると、ひと言も言わずに立ち去り、周不聞は謝りながら後を追います。

沈螺が呉居藍に、私たちが狙われたのはこのせいね、と言うと、彼は、ネットに家の写真を載せたのはひったくり事件の起きた後だったと指摘します。そして、これまで起きた4つの事件には全て関連があると思う、とも。

ひったくり、空き巣、呉居藍が襲撃された事件、あともう1件は…。

江易盛の父親が介護者と散歩をしていたとき、いきなり現れた男性に驚いた父親が転んで骨折したことがありました。江易盛には療養費が必要で、沈螺は改修費を急いで彼に返さざるを得なくなったのです。

虎の子の預金をひったくられ、友達から借りた改修費は返す羽目になり、家は空き巣に荒らされそうになった。もし呉居藍の助けがなければ、沈螺は今ごろ、家を手放す羽目に追い込まれていたはずです。

事件はきっと、自分の経済状態や交友関係をよく知っていて、家を手に入れたがっていた人物の仕業に違いありません。沈螺は信じたくない思いでした。

〜〜〜
折り返しを過ぎてようやく登場した巫靓靓(ウー・リャンリャン)。テレビドラマでは王萌黎が演じる、呉居藍に忠実なしもべにして白魔術師なのですが、小説での印象は一貫してセクシーで誰の味方か分からない不二子ちゃんっぽいです。

ドラマの方では、最初に呉居藍の怒りに触れて怖い目に遭わされるのは巫靓靓ですが、小説の方ではその場にいる全員が射程に入っています。

そして、ドラマでは周不聞が、安佐の命令を隠れ蓑にして、沈螺への思慕から呉居藍を除こうと画策しますが、小説ではこの章で、これまでの事件は沈螺や呉居藍を狙ったものではなく、おじいさんが残した家そのものがターゲットらしいことが明らかになります。後ろで糸を引いていたのは周不言、実行犯が周不聞らしいことも…。

ちなみに、鍋の辛い具を食べさせられるシーンは直接にはありませんが、沈螺は夜店でいつも辛い串焼き(?)を買い食いしてますよね。呉居藍も、ものすごく辛いイカ(?)を食べさせられてましたっけね。

第13章

沈螺は巫靓靓に相談して、貝の化石をオークションにかけることにしました。手続きのために沈螺自身が会場のニューヨークに行く必要があると聞き、身分証明がない呉居藍は国外に出られるはずもないし、残して行くのは気が進まない沈螺。しかし、呉居藍はすぐに会えるから心配するなと言います。

次の満月までに帰国したいと思った沈螺は、すぐに出発することにします。

ニューヨークまでの飛行機はファーストクラス、空港からはリムジンの出迎えが付き、この特別待遇の費用はすべて、オークションに参加する、巫靓靓の家族が代々仕えているボスが出していると聞かされ、沈螺も、同行した江易盛も驚きます。

車はセントラルパークを見下ろす建物の前に止まります。世界でも指折りの富豪しか住めない超高級住宅地のマンションです。

1852年にボス…の家族がこの土地を買ったときは、何もない場所だったそうよ、と巫靓靓は説明します。いまは巫靓靓の祖母が管理しているとのことでした。

せっかくの好待遇でしたが、沈螺は何を見ても楽しくありません。呉居藍が心配で―という以上に、しばらく離れなければならないのに何とも思っていなさそうな彼の態度が引っかかっていたからです。

夕方、江易盛、巫靓靓と異国の街に出た沈螺は二人を見失ってしまいます。

元来た場所に戻る道もわからず心細くなった沈螺の前に現れた呉居藍に、幻ではないかと驚く沈螺。
「巫靓靓から君が迷子になったと聞いて探しに来た」
「そうじゃなくて、どうやってここに来たの?入国審査は?」
「魚にパスポートが必要って話を聞いたことがある?」

呉居藍は流暢な英語で、食事会をキャンセルすると電話します。沈螺が感心すると、「人間の言葉が分かってさえ心の中は見通せないのに、分からなければ目を閉じて高速道路を歩くようなものだ」と言います。そうよね、人間の世界にいれば、ただ詩を作ったり音楽を奏でたりするだけでは済まないはず。きっとひどい目にも遭ったに違いない…。

道すがら警官に出会った沈螺はとっさにデート中のカップルらしくふるまいますが、却って怪しい素振りだったと反省します。呉居藍は謝り続ける沈螺を黙らせるかのように、そっと唇に触れます。それはまるで初雪のひとひらのような、淡く儚い口づけでした。

マンションに落ち着くと、呉居藍は書棚から1冊の本を取り出します。それはデンマーク語で書かれたアンデルセンの『アングネットと人魚』でした。沈螺が興味を示すと、呉居藍はあらすじを語ってきかせます。人間の少女アングネットと男性の人魚は8年の間一緒に暮らしたけれど、人間の生活が恋しくなったアングネットは彼の元を去り、2人は永遠に別れてしまうという物語です。

その夜、寝付けない沈螺が「オークションでお金にゆとりができたら何が一番したい?」とメッセージを送ると、呉居藍は「君は何がしたい?」と訊いてきます。

沈螺は「先に答えて」と返します。自分が答えてしまえばきっと呉居藍はそれを優先するだろう。彼には時間がたくさんあり、急ぐ必要がないからです。でも、と沈螺は思います。いつか私のことが思い出になるなら、彼の好きなことを一緒にしたときの、楽しいものであって欲しい。

*
吴居蓝の提案は、一緒に海に行くというものでした。
一緒に行くと答えた沈螺は、最後に1つだけ、と質問を投げかけます。
「ニューヨークで一番印象に残っている場所は?」
呉居藍の答えはこうでした。
「劇場だ」

〜〜〜〜〜
この章はほとんどの描写がドラマにも登場しますが、ここの、携帯にメッセージを送る場面は、かなり重要にも関わらず、ドラマには(少なくとも第1部、第2部には)登場しません。

登場しないといえば、この章をご覧になってお分かりの通り、なんと小説には「真実の口づけ」の設定が存在しないんですね…。ドラマはその設定がちょっと浮いている感じなんですが、小説の方は逆にそういうラブコメのりの話がないので、だんだんと雰囲気が重くなって参ります。


第14章(前半)

ボスはしばらく会う時間がとれないと言うし、せっかく呉居藍も来たことだし、沈螺はニューヨークを見物して回ることにします。多くの名所は呉居藍がニューヨークを離れた後に出来たので、彼も初めて見るのだと思った沈螺は、100年後、もし彼がここを訪れたら、今日のことを思い出すだろうかと少し感傷的になります。

名所めぐりの最後に、沈螺はオペラを見に行くことにしていました。呉居藍がいた時代はオペラの黄金期だったので、きっと見たことがあるに違いない。沈螺は劇場を貸し切り、19世紀当時と全く同じように演出してもらうことにしたのです。

計画の手配をした巫靓靓は言います。「祖母が言ってたわ。愛はこの世界でいちばん不思議な魔術だって。身勝手な者を無私に、臆病者を勇敢に、貪欲な者を善良に、狡猾な者を鈍感にするってね」

演目は1853年に初演の「椿姫」でしたが、沈螺は100年前、誰が呉居藍の隣でこの劇を見たのか気になりだします。その人はもういませんが、数十年経てば自分だっていなくなってしまう。100年後、誰かが同じようにするのだろうか。沈螺は気づきます。呉居藍のために計画したと思っていたけれど、これは過去と、そして未来に対する自分の嫉妬なのではないかと。

呉居藍は貸し切りだと気づいたものの落ち着かない様子で、ここから出ようと言い出します。

外へ出ると呉居藍は、人間より嗅覚や聴覚が敏感な自分にとって、劇場は拷問なのだといいます。一番印象の深い場所だというから、好きなのかと思ったと沈螺が言うと、呉居藍は空を見上げて答えます。

「徴兵されて南北戦争に従軍したとき、仲間の一人が危険な目に遭い、その恋人に頼まれて、人魚の姿で助けざるを得なくなった。戦争が終わったあと、助けた人間に祝いの席で裏切られ、毒を盛られて捕まった。劇場で見世物になる予定だったんだ」

展覧会の前日、協力者が会場となる予定だった劇場に火を付け、混乱に乗じて助けたのです。

沈螺が謝ると、呉居藍に劇場で考え込んでいたことが何か話したら許すと言われ、しぶしぶ、呉居藍が昔どんな女性と付き合っていたかということだと白状します。

呉居藍は驚いて、そもそも人間を伴侶にすること自体考えたことがなかったと言います。人間からすれば自分は化け物でしかないからだと。沈螺は、あなたは化け物なんかじゃない、と即座に否定します。それでは何なのかという呉居藍の問いに沈螺は、あなたは私の生涯愛するパートナーだと答えたのでした。

〜〜〜
この章は非常に長く、しかも小説の非常に重要な部分なのですが、前半はドラマ(の第1部)には全く出ませんでした。「3枚の絵」のエピソードでは抽象的に語られていた「障壁としての時間」が、いよいよ目に見える形で立ちはだかってくる場面です。

ここではまず、限りある命しか持たない者の感慨が、永遠の命を持つ者と対比する形で描かれていきます。
さらに言うなら、異質なものに対する人間の非情さ、残酷さもさりげなく提示されています。

小説の呉居藍は沈螺の視点から語られているので、ときどき、行動がライオンになぞらえた描写になっていたり、人魚の姿のときは特に、ドラマよりももっと獣に近い印象を受けます。

人魚の姿をしているとき、呉居藍は人魚の伝説と同様、話すことができないし(実は小説を読んで初めて、そういえばドラマでも、人魚の姿をしているときはセリフがないことに気づきました。そもそもセリフ自体が少ないのであまり突出して黙ってたという印象がなかったので分からなかったというか…(笑))、

容貌も陸上のときとは違い明らかに異形の生物なのですが、それを上回る人間たちのおぞましさ、恐ろしさがこれから明らかになっていくことでしょう…。

呉居藍が展示されそうになった劇場はバーナムミュージアムという、1865年に焼失した実在した建物です。ここではフィジーの人魚と称する物体が展示されたことがあったそうです。

スティーブン・ミルハウザーの小説『バーナム美術館』にも人魚が出てきますので、原作者はそこから思いついたのかも。

この場面で巫靓靓がいうセリフは、劇の再現のために大枚をはたこうとしている沈螺に向けられているのですが、お金のことだけではなく、沈螺があとあと自分で気づいたことも含んでいるのかもしれません。

印象深いセリフですが、ドラマでは後半、巫靓靓の祖母・ヴァイオレットが愛について語るセリフに転用されています。彼女からすれば、安佐のような者を信じていた巫靓靓、仇の子孫のために永遠の生命を捨てようとする呉居藍に向けた言葉としてまさにピッタリ。だって、ヴァイオレットは少なくとも、呉居藍と白一唅のいきさつについては知ってるはずなのですから。

っていうか、小説のここを読む限りでは、元カノの阿璃(アリ)だの、白一唅(バイ・イーハン)だの、存在しないんですけど?

これは恋愛モノのストーリーとしてはかなり大胆な変更じゃないですか…。なぜそんなことに? まさか主演男優を見て脚本を変えいやげほげほげほげほおかしいなぁインフルエンザか??

とにかくですよ、港みなとというか、時代時代にカノジョがいる人、いや人魚が何を言おうが、説得力がなさすぎて、たとえ伴侶に先立たれたとしたって泣きの涙は一瞬のこと、そのうちまた恋するチャンスもあるでしょう、頑張ってください、としか考えられないですもんね。

そこをドラマはまた力技でねじ伏せて来るんですけど、う〜ん。

ということで、次回、ついに小説はクライマックスに向かいます。第5回は→こちらからどうぞ

posted by 銀の匙 at 01:08| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編3

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↑これは中国式の指切り。中国語では“拉钩上吊一百年不许变”と言ってます。100年心変わりしちゃダメ、ということなんですが、100=一生ではないのがこの御方の困ったところだったりします。

皆様こんばんは。今回、ドラマ版の方の説明が長くなったのでかなり膨大です。でも分けるといつ終わるかわからなくなりそうなので、予定通りいきます。このパートは、小説の2つのテーマが表れている重要部分。こなすので精いっぱいでしたので、また戻って書き直すかも…。

小説の方は、ヒロイン沈螺〈シェン・ルオ〉(ドラマではクオ・ビーティンが演じます)の押しに負ける形で、呉居藍〈ウー・ジュイラン〉(ドラマではウィリアム・フォンが演じます)がついに自分の正体を明かします。

ネタバレあり編 第1回(1話〜3話)はこちらから。
        第2回(4話〜7話)はこちらからどうぞ。

第8章
呉居藍の華麗な包丁さばきはSNSで拡散されて大騒ぎになった。

彼が包丁をふるいながら朗詠した杜甫の詩の一節、“饔人受鱼鲛人手,洗鱼磨刀鱼眼红。”(漁師〈鲛人〉が魚を板さんへ 魚を洗って包丁研いで 魚は獲れたて ぴっちぴち)から、“饔子(板さん)というあだ名まで付く始末。

宿にも問い合わせが殺到したけれど、どうせ“醉翁之意不在酒”(酔翁の意は酒にあらず)、つまり呉居藍目当てに違いない。宿は休業して、一見さんお断わりのレストランとして営業することに決めた。
*
ようやく「経済危機」も一段落して余裕の出た沈螺は、呉居藍、江易盛を誘って海へ遊びに出かけます。

シュノーケリングに参加しない沈螺に呉居藍が訳をきくと、江易盛が替わりに答えます。沈螺は子どものときに溺れたことがあり、それ以来絶対に泳がない。ひいおじいさんは漁の達人で、20メートルも素潜りできたという伝説があるのに...。

江易盛がシュノーケリングをしているとき、呉居藍は改めて、事の経緯を沈螺に尋ねます。
*
私が7歳のとき、おじいちゃんは不仲の息子と嫁を心配して一家を島に呼び、仲直りさせようとしたの。ところが、おじいちゃんの出した船から海に降りて泳いでいると、両親はそこでもケンカを始めてしまった。足がつって助けを求めても全然気づいてくれない。

結局おじいちゃんが助けてくれたって聞いたけど、意識が戻ったその日、両親の離婚が決まったの。
*
全然気にしないと言えば嘘になるけど、“一切过去的事都只是过”(過ぎたことは過ぎたこと)、気にしても仕方ないわ、と沈螺はさばさばした調子で話します。

家に戻ると、なんと空き巣と鉢合わせになります。呉居藍が組み伏せ、何も盗られなかったものの、江易盛は却って心配そうな様子で、呉居藍はどう考えても怪しいと言い出します。

沈螺が特殊な訓練を受けたスパイか、タイムスリップしてきたのではと言うと、江易盛はバカバカしいテレビドラマの見過ぎだと一蹴しますが、自分も全く見当がつかないと困惑顔です。沈螺は明日は約束の満月の日だから、呉居藍は全てを説明してくれるはず、と思います。

陰暦8月15日は中秋節、沈螺の26歳の誕生日でもありました。散歩に付き合った呉居藍は沈螺に、前の満月の日と同じ海岸で落ち合おうと言いますが、誰かに付けられていることに気づくと、「走れと言ったら振り返らずに逃げろ」と厳命します。言われた通りにした沈螺は急いで江易盛を呼びに行きますが、現場に戻ってみると呉居藍の姿はどこにもありませんでした。

〜〜〜
いちばん最初のエントリーでもご紹介しましたが、活き造り(笑)のシーンはなかなか面白いですよね。
http://tv.sohu.com/20170210/n480395304.shtml

左右の手を同じように使えるというのはドラマでは出てきませんが、このシーンで見ることができます。

さて、ドラマでは皆で海に行くシーンはありませんが、沈螺が溺れた話は重要ポイントなので当然出てきます。ただ、小説とドラマではかなり状況が違います。

小説の方は、呉居藍が何者かも、沈螺のことをどう思っているかも分からないこの段階で登場し、読者がそろそろ忘れたころ、にわかに浮上してきます。

ドラマの方は、視聴者には呉居藍の目的が分かっているので、もう少し複雑に推移します。

沈螺のおじいちゃんは、かつて祖先の杜少林が呉居藍を騙して手に入れた霊珠の、「容器」を病室に隠し持っていました。霊珠は金と引き換えに黒魔術師に渡すはずだったのですが、杜少林は黒魔術師をも騙して、金と霊珠、両方を持って南の島へ逐電したのです。

孫娘の彼氏を演じていた呉居藍が、実は霊珠の本来の持ち主だったことを悟ったおじいちゃんは、彼を山林に呼び出します。返すと見せかけて呉居藍を刺そうとしますが、当然相手になりません。彼の激しい怒りに触れ、おじいちゃんはしぶしぶ「容器」を差し出すと、自分はどうなっても良いが、沈螺は何も知らないので助けてやってくれと懇願します。

呉居藍は高齢に免じて赦しを与えるといい、容器を開けようとしたところで、黒魔術の継承者である安佐〈アン・ズゥオ〉にそれを奪われます。安佐は養い親を病で失い、霊珠の力で復活させたいと狙っていたのでした。
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安佐

格闘の末、安佐から容器を取り返したものの、中には何も入っていません。その日のうちにおじいちゃんも亡くなり、かくして霊珠探索は仕切り直しになってしまいます。

諦めきれない安佐は、今度は沈螺を狙います。安佐に追い詰められた挙句、崖から海に落ちてしまいますが、助けに来た呉居藍は海中で光芒を放つ沈螺を見て、霊珠が彼女の体内に隠されていると気づきます。

白魔術師ヴァイオレットの孫娘・巫靓靓(ウー・リャンリャン)は、狡猾な杜少林の子孫らしいやり口だと憤ります。ヴァイオレットは話を聞き、霊珠を取り出す方法は2つあると告げます。1つは黒魔術師の持つ魔刀で手首から取り出すこと、もう1つは真実の口づけだと。
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巫靓靓

仇の子孫に心を許してはいけないとさんざん注意されてきたにも拘わらず、そして、常に氷山のような態度を崩さなかったにも拘わらず、沈螺を好きなことがバレバレだった呉居藍ですが、今や大義名分があるのでここぞと口説きにかかります。ところが思いがけず、自分は愛情なんか信じていないという沈螺の手ひどい拒絶に遭います。

ついには江易盛まで動員して必死の呉居藍。しかし、ひょんなことから沈螺がかつて溺れたことがあると知り、突然手のひらを返したように氷山に戻ってしまいます...。

*

なぜ溺れたと聞いただけで態度が豹変したのか、ドラマの方だけを見ていると分かったような分からないような感じなんですが、実は小説の終盤で明かされる、ドラマ版に登場しないある事柄を、呉居藍も白魔術師も知っていたからなんです。

設定が違うといえば、小説ではご覧のように、陰暦の8月15日が沈螺の誕生日です。ドラマの方は呉居藍がニセの恋人を演じる口裏合わせのために沈螺から身長体重誕生日などの個人情報を聞かれ、嫌々答えた誕生日が陰暦6月15日でした。

呉居藍は霊珠を失ったために、特に満月の日は生命力が衰え、代わりに霊珠の存在に敏感になります。明確には言ってませんでしたが、人間の体内にあると感じ取れないということなんでしょうね。そんな有様だというのに沈螺は海辺の店でサプライズの誕生日パーティーを企画してしまい、安佐の意を受けて周不聞が手配した連中に襲撃されてしまいます。

ドラマの方は襲撃失敗となるのですが、小説版は如何に…?

第9章

結局その晩も、次の日も呉居藍は帰って来ず、襲撃者もろとも消えてしまったかのようだった。夜になっても何の知らせもない。呉居藍が言っていた約束の海岸に行ってみることにした。海は荒れ始めたけれど、もうあと少しだけ待ってみよう…

だんだん海は大しけとなり、流されそうになったとき、誰かが私を助け上げた。呉居藍!

嵐が収まり満月が海を照らすと、呉居藍は距離を保ったまま、黙ってこちらを見ている。
波の上に優雅に座っているかのような姿勢で、その腰から下は銀色に輝く深い青の魚の尾びれに見えた。

私はもう死ぬのかしら?助けられたと思ったけど、死ぬ前の幻を見てるんじゃないの?
それともまさか…コスプレ?

呉居藍はそのまま泳いでみせた。その尾びれの動きの美しいこと、人に作れるものじゃない。やっぱり幻じゃないんだ... 。
*
朝が来て、呉居藍は何事もなかったように磯辺に戻ってきました。沈螺が自分の気持ちは変わらないというと、後で必ず後悔する、と彼は答えます。

沈螺が、ほんの少しでも自分が好きか聞かせてほしいと頼むと、彼は言葉では答えませんでしたが…
“勒得我几乎喘不过气来,肋骨都觉得痛,…我觉得,他不是只有一点点喜欢我,而是很多很多,就像白雪皑皑的山峰,虽然表面全是坚冰,可在地底深处,翻涌的却是滚烫的岩浆。”

(あまりに力いっぱい抱き締められたので、息が止まりそうになり、肋骨が悲鳴を上げた...ううん、ほんの少しなんて話じゃない。その逆よ。氷に閉ざされたように見える雪山も、その地下深くには灼熱の溶岩が滾っているように。)
〜〜〜

これは、小説から入った人には相当意外な展開じゃないでしょうか。月夜に変身するって言ったら、オオカミ男じゃね?って普通、思いますよねー。悪くて火星人とか…。人魚が泳ぎが得意だとか、嵐を呼ぶとか、海の上では万能ってあたりはまだ説得力ありますが、海の中に住んでるのに、ご飯作ったり楽器弾いたり、建物建てたりってスキルが、なぜ必要?

小説では明白に「海中」に住んでいるとあるのですが、ドラマはヘンだと思ったのかどうか、第2季では洞窟のような場所(つまりは陸)に住んでいる設定にしています。確かに、中国の仙人とか妖怪とかは「洞」に住んでますけど、ほとんど陸地にいるんだったら尾ひれとか要らないんじゃないでしょうか。トドと同じで陸ではゴロゴロしてるっていうなら分かるかど…。

ま、追究しても意味ないですけど。

第10章
四度めのトラブルを心配した江易盛は呉居藍に、誰がやったか分かるまで、沈螺を一人にしないでくれと頼んで帰って行きます。呉居藍はソファでハリル・ジブラーンの『預言者』という本を読んでいました。

*
襲撃者の1人は手首にホクロがあった。そういえば引ったくり犯の同じ位置にホクロがあったっけ。
それでは、私たちを狙った同じ人物の犯行ということね。でも私には心当たりがない。呉居藍は――
「ある」

でも、もう皆死んだはずだ、と呉居藍はこともなげに言います。上陸したのは3回だけで、今回は恨まれるとしたら周不聞以外にはない。前に上陸した1865年にちょっとした事件があった。でも地球の反対側だ。

その前は開元8年。西暦720年、盛唐の時代。

私は急いで《唐詩鑑賞辞典》を開いてみた。王維(720-761)唐代の詩人、字は摩詰〈まきつ〉。

「王維と知り合い?」
「ああ」
「李白は?」
「何度か酒を酌み交わして、剣も戦わせた」
「杜甫は?」
「僕は顔かたちが変わらないから、ひとところに長くはいられない。上元2年、蜀で会った」

呉居藍は淡々とした表情だったけど、私はそれ以上聞くのはやめた。繁栄の頂点から没落のどん底に落ちた時代、本で読んでも胸が痛むのに、当事者ならなおさらだ。
「そのあとはどうしたの」
「大歴6年、西暦771年に舟山群島から船にのって、日本に知人を訪ねた。あいにく亡くなって半年経っていて、唐招提寺に半年滞在したあと海に戻った」
*
呉居藍は、自分と一緒にいれば、一つの場所にずっと住み続けることはできないから、あちこち彷徨い歩くことになるだろう、知り合いも家もなく、老いた君は隣にいる自分を恐れ、恨むはずだ。襲撃者が誰かはっきりさせたら自分はここを出ていく、と言います。それでも諦めようとしない沈螺に呉居藍は3枚の絵を差し出します。

1枚目は病床に臥せている若い沈螺と呉居藍を描いたもの。
2枚目は十数年後
3枚目は数十年後。

どの絵も呉居藍は変わらないのに、自分は年老いていくという事実を突きつけられて沈螺は黙り込みます。

部屋に戻って絵を前に考えた挙句、戻ってきた彼女は呉居藍に言います。3枚の絵の中の自分は変わっても、一番必要なときに、いつもあなたがそばにいる。“不离不弃”(どんなときも傍にいる)、いい誓いじゃない?

呉居藍は呆気に取られた後、悲しげな目で遠くを見つめます。沈螺は突然、彼の視点から絵を見るようになります。自分は若いまま、相手が年老いて死んでいくのを見るのはどんな気持ちだろう...。

“很久后,他收回了目光,凝视着我,开口说道:“爱一个人应该是希望他过得快乐幸福。你很清楚自己时间有限,短暂的陪伴后,就会离开我,给我留下长久的痛苦,为什么还要坚持开始?”

(長い沈黙のあと、彼は私に視線を戻して、口を開いた。「誰かを愛したなら、相手が楽しく幸せであって欲しいと願うはず。自分の時間が限られていると知りながら、ほんの束の間そばにいて、その後の長い長い時間、苦しみの中に放っていくというなら、そもそもなぜ最初からやめておかないんだ?)

そこで沈螺はやっと気づきます。自分に必要な勇気や犠牲よりも、呉居藍の方がもっとたくさんの勇気や犠牲を必要とするのかも知れないと。

〜〜〜
ここのくだりはドラマでは少し引き延ばした感じで使われています。印象に残る場面なのですが、第2季では杜甫も李白も出て来なくてかなりガッカリです。第3季があったら出てくるんでしょうか?ないだろうな…。

小説では日本にも滞在していたんですね。唐招提寺って僧侶以外の人も泊まってよかったんでしょうか。あるいは三蔵法師として… o(・_・)9@ ハリケーンアッパー!!

3枚の絵のシーンはドラマ版にも出てきますが、ドラマの設定ではどう考えても呉居藍の方が寿命が短いので、意味が分かりづらいシーンになってしまったのはやや残念。ただ、最後まで見るとまたちょっと別の意味も見えてくる気がします。

第11章(前半)
呉居藍の問いに答えを出せないまま2日が経ったところで、呉居藍は夜勤中の江易盛に会いに病院へ行こうと言い出します。ついて行った沈螺は、病院でさまざまな光景を目にします。
“生老病死、怨憎会、爱别离、求不得―−”(生病老死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦…)

突然彼女は、階段の隅で声を忍んで泣いている男性を目にします。おじいちゃんが入院したとき、ちょうど奥さんが病気になって看病に来ていた林瀚〈リン・ハン〉でした。

軽快して退院したはずが再発し、ここ数日の命だというのです。
二人はまだ結婚したばかり、これからという矢先の出来事に、もはやどう慰めていいかもわからない沈螺は思います。

長い長い寿命を持つ呉居藍から見れば、自分はすでに不治の病に侵された病人と変わらない。

彼女は呉居藍に顔を合わせる気になれず、独り、ビールを買って海岸に歩いて行きます。

“繁星密布、星光璀璨。迷蒙的泪光中,数以万计的星辰光芒闪耀,显得离我好近,似乎伸出手就可以拥有它们。多么像吴居蓝啊!那么耀眼地出现,成了你的整片星空,让世间所有的宝石都黯然失色。但是,你只能看着,永远都不能拥有!”
(満天を埋め尽くした星々が輝いている。かすんだ目に数えきれないほどの星がきらめき、まるで手を伸ばせばつかめそうだった。何て呉居藍に似ているんだろう。目が眩むほどのきらめきで心を埋め尽くし、どんな宝石も色あせるほどなのに、ただ遠くから眺めるだけで決して手に入れることはできない)

そこへ突然呉居藍から電話が掛かってきます。咄嗟に、途中で友達に会って飲んでいると言ってしまう沈螺。
電話を切ると酒の勢いで呉居藍の名前を声の限りに叫び始めます。もしこれで返事がかえってきたら、それは運命が諦めるなと言ってるんだとめちゃくちゃなことを思いながら。しかし、声が枯れるまで叫んでも、当然返事は帰ってきません。ふと、彼女の心に1つの考えが浮かびます。もし彼を知りたいと思うなら、彼が言ったことではなく、言わないことに耳を傾けなくちゃ―。

携帯を掛けると、思った通り、どこか遠くから耳慣れた着信音が聞こえてきます。
そして何事もなかったような顔で、呉居藍が現れます。

言いたいことはいろいろあったのに、つい、こそこそ隠れて何してたのよ、と詰問する沈螺。呉居藍は淡々と、江易盛に君を一人にしないと約束したからと答えます。

ということは、最初の最初からずっと近くで目撃してたということか…。

悔しいやら悲しいやらで号泣する沈螺でしたが、ついに、
「絶対に諦めないから、死んだあとはせいぜい悲しんでちょうだい。どうせ短い命なんだからあなたに預けるわ」と言い出します。
呉居藍はじっと彼女を見つめると、

“他平静地问:“这就是你的选择?”
我坚定地说:“这就是我的选择!”
他平静地问:“就算会给你带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给我带来痛苦!”
他平静地问:“就算会给我带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给你带来痛苦!”
吴居蓝微微而笑,斩钉截铁地说:“好!”

(彼は静かに言った。これが君の答えか?
私はきっぱりと言った。  これが私の答えよ。
彼は静かに尋ねた。    たとえ痛みを伴うとしても?
私はきっぱりと答えた。  たとえ痛みを伴うとしても。
彼は静かにまた尋ねた。  僕に痛みをもたらすとしても?
私はまたきっぱりと答えた。あなたに痛みをもたらすとしても。
呉居藍はかすかに微笑んで、決然として言った。いいだろう。)

〜〜〜
ドラマでは、直接、林瀚の話は出てきませんが、冒頭でおじいちゃんの入院のシーンがあり、沈螺自身の体験として描かれています。このパートに出てくる“爱别离、求不得”は、呉居藍がかつての想い人、白一唅(バイ・イーハン)について語ったときのセリフに使われていました。仏教から来ていて、「四苦八苦」という言葉はここから来たそうです。

真ん中のお酒のシーンは、ちょっとアレンジした形で何度か出てきます。

最後のシーンは少しだけ形を変えて、ドラマ版でも3枚の絵のエピソードの最後に使われています。この後、ドラマでは、そのまま2人で家まで帰ってくると、沈螺が、さっきはどういうつもりだったか、ダメ押しして聞くんですね。

そうまでしても呉居藍がハッキリ言わないので、沈螺がちょっと拗ねて、「あなたはいつも言いたいことを半分までしか言わないので分からないわ。私はあなたのお腹の中の虫じゃないんだから、ハッキリ言って」と迫ります。

呉居藍は相変わらず何も言いませんが、今度は態度で示します。これを文字で書くと可愛くないので、ぜひドラマをご覧になってみてください。

同じシーンは小説でどうなったか、それは第4回(→こちら)でご覧ください。

posted by 銀の匙 at 22:13| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編2

*コメントのお返事から少し記事に追記しました。

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さて、前回(→こちら)に引き続きまして、《那片星空,那片海》(あの星空、あの海。)の小説の世界を、ドラマにも寄り道しながら散歩して参りましょう。

ある日突然、ヒロインの沈螺(シェン・ルオ)の前に現れた主人公・呉居藍(ウー・ジュイラン)。

テレビ版の方では沈螺(シェン・ルオ)の小間使い(?)として働いているので「メアリー・ポピンズ」ですが、小説の方は民宿の従業員(?)なので、なんだろう...「千と千尋」かな(笑)

第4章
朝起きると、中庭の机の上に朝食が置いてありました。「あなたが作ったの?」とつい聞くと、「僕じゃなければ君か?」と沸点の低い答えが。普通なら軽い冗談みたいな会話なのに、なぜか知能指数を疑われてるように聞こえるのは…私だけ?

シンプルな朝がゆは専門店並みの味、これは確かに他人の料理を一刀両断、“难吃”(まずい)とダメ出しする資格はあるわ...とダメ出しされてる沈螺は不承不承納得します。
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パソコンをいじっている呉居藍は、食物連鎖の頂点に君臨する生き物のようで冷酷な威圧感に満ちています。でもあの日、妙な服を着てよれよれだった姿を思い出すと怖くも何ともない、と沈螺はつい、呉居藍の頬をつねってしまいます。指を食いちぎらんばかりの勢いで睨まれたので、急いでその手は引っ込めたものの…。

よせばいいのに「五つ星ホテルのシェフでもおかしくないのに、どうしてこんなところで倒れてたの?」と聞く沈螺。案の定、カエルを睨む毒蛇のようなまなざしを向ける呉居藍。しかし、ややあって彼は「誰にでも上手くいかないときはある。自分は最近運が悪かった」とだけ答えます。

その言葉に呼応するかのように、銀行からおろしてきた家の改修費用をひったくられてしまう沈螺。オートバイに引きずられてケガをした彼女を、呉居藍は抱きかかえて病院に連れていきます。

心配した江易盛は呉居藍の携帯番号を聞こうとしますが、沈螺は何とか取り繕います。呉居藍が携帯はおろか、手続きのための身分証すら持っていないことに気づいたからです。

貯金もほとんど底をついたと沈螺が嘆くと「金は稼げばいい。命があってよかった」と淡々と言う呉居藍に沈螺は「運が悪くてここに来たって言ったわね。じゃ、居る間は出来る限り手助けするから」と約束します。

利き手のケガが不自由なのではと様子を見に来た江易盛と周不言でしたが、かえって呉居藍の料理を振る舞われることになります。呉居藍は取り箸で絶えずおかずを沈螺に取り分け、自分はもう一方の手で箸を使って優雅に食事をし、「自分は左右同じに使える」と事も無げに言うのでした。 

その晩、周不言がやってきて、困っているだろうから、この家を高値で買うと言い出します。ここは思い出の家だから売れない、と沈螺がやんわり断っているにもかかわらず、いつまでも食い下がる彼女に呉居藍は、「うるさい」とひと言いって鼻先で門を閉めてしまいます。
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周不言
〜〜〜

ドラマには直接同じシーンはありませんが、おじいちゃんの遺産相続に現れた継母の裏で(安佐の手先である)周不聞が暗躍していたり、兄を慕う周不言(周不聞とは血縁関係がない)が沈螺を困らせたり、という形で表れています。

安佐はドラマだけに登場する人物で、小説では最後の方に出てくる、ある人物がモデルと思われます。彼は養い親を復活させるべく、ドラマでは骨董商の周不聞を操る形で霊珠を付け狙います。やることは冷酷非道なのに動機が純粋という困った人。さらに困ったことに、彼はドラマの第2季ではヒロインのお兄さん役で登場し、またもや親孝行のために困った行動を続けるんですね...。

しかし、中国では親孝行は絶対善。

去年、中国で公開されたスター・ウォーズ《星球大战:原力觉醒》(フォースの覚醒)は、万里の長城まで使った大プロモーションを行った割に、さっぱりヒットしませんでした。

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写真は「ねとらぼ」より

なんで?と中国の人に聞いたら、IQを疑われてるかのような、まるで呉居藍が沈螺を睨むような目つきで

「中国で、子どもが親を殺すなんて親不孝な話がヒットするわけないじゃん」

と冷たく言い放たれてしまいました。あっ、そ。

第5章
思わぬアクシデントはありましたが、改修工事がスタートします。沈螺はケガをしているので、呉居藍が工事を監督しているのですが、その手厳しいこと。職人さんたちのプライドをへし折っても全然意に介していません。仕方なく、

吴居蓝扮K脸,我扮红脸,他打了棒子,我就给枣。
(呉居藍はお目付役、私がなだめ役、彼がムチなら私がアメに回るしかなかった)

一方で沈螺は思います。彼は確かにボスの私より偉そうにはしてるけど、仕事ぶりはとても真面目で丁寧だし、お願いしたことに絶対口答えしたりしないわ。

そのうち、呉居藍が賄いを作ったり、仕事の見本をみせたりすることで、職人も彼を誉めるようになります。

工事が佳境に入ると、騒音で部屋にはいられず、沈螺は離れでMP3を聴きながらおじいちゃんの愛読書《唐诗鉴赏辞典》を読み始めます。気が付くと呉居藍もやってきて、ある詩を熱心に眺めています。

それは王維の《新秦郡松树歌》という詩で、沈螺は、当時文壇でもてはやされた王維ほどの万能の美青年が、高潔でありながら優雅な松の樹に例えた相手は、一体どれほどの人物だったのかしら、と思います。呉居藍は「摩詰のお世辞なんか真剣に考えたって意味ない」と言いながら、微笑みを浮かべて嬉しそう。

何だかモヤモヤする沈螺ですが、MP3のイヤホンを片方、呉居藍に渡します。《夏夜星空海》という曲を彼も気に入ったようでした。

改修が終わって最初に来た宿泊客はなんと周不聞でした。彼は改修済の部屋ではなく、元からある部屋に泊まりたいと希望します。ところが沈螺が呉居藍に使わせていると聞いて、おじいちゃんの部屋は誰にも使わせないと思っていたのにと周不聞は驚きます。沈螺は「呉居藍は身内だから」と言い訳しますが、自分でもなぜそう思うのか、内心困惑していました。

小さい頃から不仲な両親を見て育っているので、沈螺は恋愛や結婚に何の幻想も抱いていません。もし結婚するなら、安定した生活を送り、落ち着いた周不聞は理想の相手なはず。でも…。

〜〜〜〜
“红脸”“K脸”というのは京劇の隈取から来た言葉です。京劇は隈取の色でキャラの性格が分かるようになっていて、たとえば顔の真ん中を真っ白に塗った人は道化役(だから「面白い」んですね)。

“红脸”は正義漢、“K脸”は謹厳実直、堅物の役の隈取です。

日本語の「アメ」のところが中国語では“ナツメ”なのも興味深いところ。

小説の沈螺は大卒で、貧しくて学校にも行っていないと思っていた呉居藍が唐詩の本に興味を示すのに驚くのですが、すぐに「人を低いところから見るのはイヌだけよ」と自分を叱り、ノーベル文学賞をとった莫言だって小学校も出てないと考えなおします。

2人の読んでいた本は銘柄まで指定があって(笑)上海辞书出版社《唐诗鉴赏辞典》という本です。日本で言うと古典大系みたいな本でしょうか、実在するロングセラーです。

この回も直接はドラマに登場しませんが、呉居藍がナンパの一環(?)として贈ったラブレターに詩が書いてありました。確か詩経の一節だったかと思いますが、素朴な愛情を読んだ詩として綿々と愛されているという他に、唐代の人にとっては唐詩は同時代文学(!)なので、さらに古い詩経こそ教養の証で、呉居藍もそれを見聞きしていたという意味もあるんじゃないでしょうか。

第6回
まずいことに、沈螺はどうやら呉居藍が好きになってしまったのではないかとうろたえます。

いったん気づくと、雑草のように焼き払うことも、紙ごみのように焼き捨てることもできない厄介な感情を何とか薄めようと必死になる沈螺。

“我一直认为这世界没有永恒…
不管是一段爱情,还是一个誓言;不管是一座山,还是一片海;甚至我们所在的地球、照耀我们的太阳、容纳一切的宇宙,只要有足够长的时间,都终将会死亡消失。


(この世界に永遠などないと私は思っていた。どんな愛も誓いも、山も海も、私たちの住む地球も、私たちを照らす太陽も、全てを包む宇宙でさえも、長い年月ののちにはすべて死に絶えて消えてしまうのだと)

だったら自分の取るに足らない愛情なんて、時間さえあれば消えてしまうはずと彼女は考えます。

彼女は呉居藍にいちいち「すみません」「ありがとう」「申し訳ないですが」と礼儀正しく接し、何とか距離を置こうと努めます。

満月の夜、遊びに来た江易盛に沈螺は、呉居藍が親戚でもなんでもないと告白し、自分はとても現実的なのに「あんな人を好きになるなんて、“渣男”(クズ男)を好きになるよりもっと悲惨だ」と話したのを呉居藍に聞かれてしまいます。

パソコンの検索履歴に“渣男”という言葉を発見した沈螺は、夜中になっても帰ってこない呉居藍を狂ったように探しまわります。

明け方になってようやく戻ってきた彼に必死で謝る沈螺。でも呉居藍は用事があって出かけただけだと相変わらず冷淡な態度を変えません。一方の周不聞は沈螺の慌てぶりを見て、事の真相に気づきます。彼は、自分なら安定した生活と未来が約束できると沈螺に迫りますが、沈螺はやんわり断ろうとします。

周不聞はなおも迫ろうとしましたが、中庭で何かが割れる音に我に返った様子で、自分はあきらめないと言い残し、部屋を出ていきます。

沈螺が窓の外を見ると、呉居藍が割れたグラスを片付けていました。
自分が必要と思っていたものは何だろう。食べ物も着る物も買うことができるし代わりがある。でも呉居藍はひとりしかいない...。彼女は呉居藍に向かって、ついに自分の思いを告げます。

〜〜〜
ってまだ第6章なのに…展開速っ!

とはいえ、本は実質19章で終わりだから、章数だけでいえば、32回のドラマよりはだいぶ少ないとは言えますが…。 

ドラマの沈螺は明らかに最初から呉居藍が気に入ってるのですが、しばらくは恋愛そのものを拒否する態度を取っています。ドラマの方の呉居藍はせりふでは明確に否定しているものの、態度が拒否していないという演出。

一方、小説では、呉居藍がどう思っているかの手がかりは非常に乏しく、ひょっとしたら沈螺の独り相撲かも、と思わせるように書かれています。このあたり、メディアの違いで面白いですね。

この章でもうひとつ面白いと思ったのは、あいさつ言葉に対する中国の人の考え方です。「ありがとう」「すみません」「どうぞ」…などなど、日本では人間関係の基本ですが、中国ではこれを言う対象は「よその人」で、身内じゃないってことなんですね。

第7章

这几天,我一直在思索,表白后到底有几种结果。
我愿意,我也喜欢你……
是接受。
对不起,你是个好人,但是我……
是拒绝。
太突然,我要考虑一下……
是没有接受,也没有拒绝。
应该只有这三种结果了。
那么,吴居蓝的“我知道了”算什么呢?


(ここ数日、私は考えていた。告白したら、結果はどうなるかっていうと、
僕も君が好きだった...
なら、Yes。
すまない、君は良い人だけど、僕は…
なら、No。
そんなこと急に言われても。少し考えさせてくれ…
なら、保留。
返事はこの3つしかないはずじゃない?
だったら、呉居藍の「わかった」っていうのは、何なわけ?)


どう考えても承諾ではないけど、拒否でもなさそうだし…。
でも、呉居藍は行き倒れて死にそうなときでさえ、人が作った食事を「まずい」と言い放った男。当然、恋愛の好みはもっとうるさいはずと沈螺もあきらめ顔です。

しばらくよそには行かない、と言われたのはいいけれど、ひったくりの被害と改修とで貯蓄は底をついてしまい、貝殻細工づくりも大した助けにはならず、ついに沈螺は、拒否されて部屋を引き払った周不聞に相談しようとします。呉居藍はそれを止めて、何やら流木で作りはじめます。出来上がったのは古琴。沈螺はこんなものが売れるのかといぶかりながら、密かに江易盛に文化人に声をかけるよう頼みます。

一方の呉居藍は大きなマグロを釣ってくると、古琴を見に集まった人たちから料金を徴収して「魚膾宴」を開きます。唐代で盛んだった、文人がその場で包丁をふるって刺身を振る舞うもので、二刀流の包丁さばきと、それに続く古琴での《夏夜星空海》の演奏に客人たちは大満足。

1年分の生活費に近い金額を払って客たちが帰ったあと、呉居藍はそれを全部沈螺にくれると言います。沈螺はここまでしてくれた理由は、ただ人助けのためではないはずと詰問します。呉居藍は、自分の来歴も知らないのにと言いますが、沈螺は手をつかんで離しません。ついに呉居藍は次の満月まで気が変わらなかったら、自分は、と言いさして、いつまで手をつかんでるつもりかと聞きます。

沈螺が自分のしていることに気づいて赤くなると、呉居藍はその頬をつねってひと言“礼尚往来”(礼には礼をもって返す)とだけ言うと、あっけに取られている沈螺を残して「お休み」と部屋に引っ込んでしまいます。

今ごろ仕返しするなんて!と沈螺は呆れつつ、でも絶対仕返しする気なら、もっと他のこともしとくんだった、と思うのでした。

〜〜〜
唐代の文人は詩を書くだけでなく、文武や芸事にも通じていたらしく、武器は剣、楽器は古琴をたしなむのが定番でした。日本でいえば笛みたいなものでしょうか? 李白も包丁をとって客人をもてなしたといいます。

この章は絵になる内容ということもあってか、テレビ版でもばっちり使われていますね。

宴の魚はテレビ版では“海鳳凰”と言っていますが、小説版では“蓝鳍金枪鱼”(ミナミマグロ)。日本で高値で競られてニュースになった、という描写があるので、クロマグロのつもりかもしれません。

中国ではホスト自ら腕をふるって膾をふるまうというパフォーマンスの他に、古代には、お魚はやっぱり膾じゃないと、という人もいたようです。膾好きはやはり当たる人も多かったらしく、三国時代にお刺身好きだった陳登は、寄生虫にやられて名医の華陀に助けられましたが、再発するよって言われていたのに刺身を食べるのをやめず、再発したときには華陀がいなかったので助かりませんでした。いつまでも居ると思うな、親と華陀…なんちゃって。

衛生状態がよくなかったり、素材が新鮮でないと、やはり生食は危険ですよね。だから、中国では刺身が廃れてしまったのでしょう。

時代をさかのぼると、膾にしたのは魚ばかりではなかったらしく、鴻門の会で劉邦を助けに向かった樊噲(はんかい)に、項羽がブタのショルダー肉をふるまうシーンがあります。当然これは生肉。樊噲が躊躇せず食べたので、項羽から「壮士なり」という賛辞を受けたんですね。

今はどうか分かりませんが、昔、中国で少数民族の自治区にいくと、区のお知らせとかが壁に貼ってあり、「ブタ肉を生で食べるのはやめましょう!」みたいな標語とともにマンガが描かれてました。その内容は、酒の席で勇を競って生肉を食べて倒れる...みたいな内容で、こりゃやめさせるのは無理だわ...と思った記憶があります。

さて。“礼尚往来”はテレビでもとても印象的なセリフで、こんな可愛らしいシーンに使われています。

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まったく千年も顔がフリーズしてるんだから

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この方がよっぽど可愛いわ/筆貸して 

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何したの?/礼には礼をもって返したよ

ただ、もうドラマも終盤なので、シーンとしては可愛らしいけど、シチュエーションとしては本当につらい場面ですね…。

ということで、次回は早くも小説は折り返しに入ります。

この続きは、那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編3 でそうぞ。



posted by 銀の匙 at 16:31| Comment(10) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編1

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《那片星空,那片海》(あの星空、あの海。)は、小さな南の島での、たった3カ月の恋を描いた物語。

桐華さんの同名小説からテレビドラマ化され、主役の呉居藍〈ウー・ジュイラン〉をウィリアム・フォンが、ヒロインの沈螺〈シェン・ルオ〉をクオ・ビーティンが演じています。

ってことで、前回のネタバレなし編に引き続きまして、今度はネタバレありで、お話を見て参りましょう。

小説を読んでみると改めて、テレビドラマは上手いことつまんで作ってるな〜と感心します。主人公の口数が少ない、という設定もあるのでしょうが、あまりセリフに頼らないで、俳優の動作や表情、カット割りに登場人物の気持ちを語らせる進行はドラマならでは。

小説の方はというと、(私の感覚では)文体とか描写とか、かなり俗っぽい印象なんですけど、最後の最後でいきなりものすごく哲学的な高みにのぼっていくという、なかなか奥深い作品であります。

小説とドラマを両方見て納得したところも結構あります。たとえば、〈時間〉にまつわる3枚の絵のエピソードとか、霊珠の効力の話とか、白魔術師がなぜ人魚王に忠義を尽くしているのかとか、その辺の話はドラマ(少なくとも第1部)では説明が端折られてるので取ってつけたような感じがするんですが、小説ではより具体的で、プロットの進行に巧みに絡んできます。

特に、「3枚の絵のエピソード」は、ドラマではすごく唐突な印象で、呉居藍よ、自分をそんな美化して描いてどうするの…(笑)としか思えなかったんですけど、なるほど、小説ではかなり印象に残る話なんですね。

この物語には大きなポイントになるテーマが2つあるのですが、エピソードの順番などの関係で、小説とドラマではそれぞれの比重が逆転していて、片方のテーマを見落としがちです。

でも、小説とドラマの両方を見ることで、それぞれが2つのテーマをきちんと織り込んでいることが分かり、もう少し深く話をとらえることができたような気がします。

と言うわけで、皆さまドラマの方はご覧になったでしょうが、いちおう、ドラマ(全32話)のおさらいもしつつ、小説(プロローグ+20章)を見ていくことにいたしましょう。



プロローグ
このパートは、小説もドラマも全く同じで、ドラマの方はナレーションが小説をそのまま読み、画面はアニメで表現されています。

月光の下、死神が鎌を振るって、ある男子の命を刈り取ろうとしています。この運命を逃れる術を尋ねる男子に、死神は、お前のために命を投げうってくれる少女を探し、その魂を差し出させれば助かるだろう、と告げます。どうやったらそんなことが出来るのか、と尋ねる男子。死神は、少女が心からお前を愛するようにすればよい、と教えます。するとまた、どうしたら心から愛してくれるのか、と尋ねる男子。

死神は、いい加減、自分でググれ!!とは言わず(よっぽど言いたかったでしょうけど)、ニヤリと笑うと、自分の心を相手に差し出せばよいのさ、と答えます。
〜〜〜
小説では、この部分が、がっつり罠になっているのですが、ドラマでは、関係あるようなないような微妙な感じです。ひょっとしたら、ドラマの第2部か3部の伏線になっているのかも知れません。分かんないけど...。

第1章
おじいちゃんの葬儀の翌朝、「私」は早く起きて、庭の掃除をしていました。ここは小さい頃住んでいた、南の島にあるおじいちゃんの古い家で、「私」はおじいちゃんの看病のために戻っていたのです。

掃除の途中で外塀にある門を開けると、上は海員服、下は観光客が履くような短パンというおかしな身なりの素足の男が、意識を失って倒れ込んできます。

助けを呼ぼうと電話をかけているうちに、男は目を覚まして、医者を呼ぶなと言ったきり黙ってしまいます。その眼を見た「私」は、まるで満天の星が輝く夏の夜の海が映し出されているような、不思議な気持ちに囚われるのでした。

“那是怎样一双惊心动魄的眼眸 K中透着靛蓝,深邃、平静、辽阔,像是风平浪静、繁星满天时的夏夜大海,整个璀璨的星空都被它吞纳,整个宇宙的秘密都藏在其间,让人忍不住凝望、探究”
(それはどんなにか心震える瞳だったことだろう―深い青を湛えたその黒い瞳は、静かで、深く、そして果てしなく、まるで風も波もない、満天に星が輝く夏の海のようで、星々を散りばめた空のすべてを、宇宙の秘密のすべてを宿し、見つめずにはいられない、その奥にあるものを知らずにはいられないと思わせた)

男が所望する水を飲ませている頃には、葬儀のために上海から祖父の家に戻ってきた父、継母、そして腹違いの弟が起きてきます。

そこへ、きちんとした身なりをした、上品な男性が訪ねてきます。遺産相続の手続きのために島外から呼ばれだ弁護士の周不聞〈チョウ・ブウェン〉氏で、彼の裁定で14歳の弟はすべての預金を相続し、25歳の「私」・沈螺〈シェン・ルオ〉はおじいさんの家を相続することになります。
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周不聞

手続きも済み、帰り際に、弟は家に残されていた古い鏡を持ちだそうとして沈螺と大ケンカになります。沈螺の抵抗もむなしく鏡は持ち去られ、独り残された彼女は、堰を切ったように泣き出します。そこで彼女は、今朝行き倒れていた男がまだその場に居て、こちらを見ていることに気づくのでした…。

〜〜〜〜〜〜

この時点では迷い込んだ野良猫を保護したような気分でいた沈螺。ボロボロの猫ほど情が移ってしまうものですが、果たして…。

ドラマの方は、つかみが大事ということか、第1話の冒頭はド派手にニューヨークのシーンから始まり(豪華な予算で結構ですこと〜☆)、視聴者は最初から、主人公の又吉…いえ、レグルスが常人ならざる人物で、女魔術師の老ヴァイオレットの招きで海からやってきたことを知ります。

レグルスは150年前、友人とばかり思っていた杜少林という男に、生命の源である「霊珠」をだまし取られ、あと3か月の命。そんなギリギリのタイミングで、ついにヴィオレットは杜少林の逃亡先である、南の島の古い家を探し出し、そこに霊珠があるはずだと彼に告げます。

もっと激怒しても良さそうなもんですが、登場したばかりのレグルスは淡々とした様子で、それほど奪回に積極的にも見えません。

(実はこの回を見ているときは気づいてなかったんですけど、後の方の回になって思い返すと、小説で重きが置かれたポイントは、実はドラマでもちゃんと初回から設定され、表現されていたんですね…。なのでこのシーンはとても重要)

ちなみに、ドラマでは継母は出てくるんですが、お父さんと弟は画面には出ません。

第2章
身内とのみっともないケンカを行き倒れの浮浪者にずっと目撃されていたと気づいて、憤る沈螺。しかし、彼が他に頼る人もない身だと分かると、彼を引き留めて、ここで働かないかと持ち掛けます。しばらくの沈黙ののち、相手は承諾し、呉居藍と名乗ります。

シャワーを浴びて、白いシャツと黒いズボン、というシンプルな服に着替えた呉居藍を見た沈螺は驚きます。
“夕阳在天,人影在地,他白衫K裤,笔直地站在那里,巍巍如孤松立,轩轩如朝霞举,眉目如画,色转皎然,几乎不像尘世中人。”
(空を染める夕陽を受けて、大地に影が伸びている。白いシャツに黒いズボンのすらりとした立ち姿は 独りそびえる松か 立ちのぼる霞を思わせた。整った目鼻立ち、抜けるような白い肌、まるでこの世のものならぬ雰囲気をまとっていた)

それでも、彼を完全に信用したわけではない沈螺は、その夜、万一の用心にと寝室のドアの前に空き瓶を立て並べて休むのでした。

〜〜〜
呉居藍の美しさに圧倒される沈螺ですが、古典的な形容詞を使って、彼が時代を超える存在であることを匂わせています。

それにしても呉居藍…。日本語で言ったら、野比のび太とか伊奈かっぺいみたいな安易なネーミング、呉居藍(吾居藍:私は藍色(=海)に住んでいる、と同音)といい、江易盛(江医師、と同音)といい、朱一様(豚みたい、と同音)、といい、巫リャンリャン(美貌の魔女の意味)といい、何でこんなに投げやりな名づけなの?とドラマを見てたときは思ったもんですが、原作を読むと江易盛は子どもの頃からあだ名が江医師だったとかって書いてある。確信犯(誤用)だったのか。

まあ、お話と切り離せば呉居藍ってなかなか素敵な名前だけど…。

小説でもドラマでも、沈螺がおじいさんから引き継いだ家がとても重要な役割を果たします。小説の家の描写は見事なんですが、ドラマの再現度もスゴイですね。住みたいな、こんな家。

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小説では、この家を周不言が気に入ったことからトラブルが始まるのですが、ドラマでは淡々として穏やかな日々の素晴らしさの象徴として、要所要所で家の風景が映ります。


第3章
翌朝、ビンが倒れずに立っているのを見て、沈螺はホッとします。窓を開けると、晴れた空の下、鮮やかな花が咲き誇る庭で、呉居藍が洗濯物を干しています。
“这么一幕简单平常的家居景象,竟然让我的心刹那变得柔软温暖”
(こんな何てこともない日常の風景に、私の心はたちまち和んで温かくなった)

…とほっこりしたのもつかの間、彼女は呉居藍が、洗濯機も使わず、いえ、洗剤も使わず、パソコンを恐らく見たことがなく、下手をするとエアコンもレンジも冷蔵庫も使ったことがないのではと気づきます。どんな山奥から来たのか、あるいは実家が信じられないほど貧乏なのかと訝るものの、プライドが高そうな呉居藍を傷つけないように、さりげなく説明書をそろえて、見ておくように促します。

そこへ、幼馴染の外科医・江易盛が、昨日の周弁護士と、その従妹の周不言を連れて遊びに来ます。礼儀正しく弁護士に接する沈螺に江医師は大笑い。実は彼は高校の頃、江医師、沈螺と仲良し三人組で、彼女に人生初のラブレターをくれた李敬(あだなは大頭〈ダートウ〉)だったのです。父親の死後、彼は島を離れ、母の再婚相手と養子縁組をして名前を変えていたのでした。

呉居藍は彼らに、自分は沈螺のいとこで、プログラマをしていると自己紹介します。無愛想だけどウソをつかないのが彼の長所だと思っていた…っつーか、さっきまでパソコンの使い方知らなかったよね?と、沈螺は驚きますが、ウソをつかないのではなく、不必要なウソはつかないのだと考えを改めます。周不言は沈螺の家が気に入り、高額の家賃で借りたいと申し出ますが、沈螺はここで民宿をするつもりだからと断ります。

〜〜〜

ドラマの呉居藍もビール瓶に侵入を阻まれますが(笑)、手で触れずに物が動かせるので意味なかったですね。ドラマの沈螺は、彼が江医師の連れてきた“禁欲系”という触れ込みのボーイフレンド候補だと勘違いして家に泊めてしまいます。

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情にもろいけどケンカに強い、鉄火肌?のヒロイン・沈螺

私は長年「草食系」の中国語訳が“禁欲系”なんだと勘違いしてましたが、かなり意味が違いました(恥・すみません、トレンドに疎くて)。代表的な人物は《花千骨》〈はなせんこつ〉でウォレス・フォ(霍建华)が演じた白子画あたりだそうなんですが、外見はクールでも内に秘めたる情熱が、というとむしろ《琅琊榜》(ろうやぼう)でフー・ゴー(古歌)が演じた梅長蘇がイメージ通りなんだけど…。まぁ、いいや。

ドラマの呉居藍は小螺の同情を引き、“卖萌”(「萌え」を売ったわけね・笑)成功して置いてもらうんですが、民宿経営の人手に雇われたわけではなく、当初はただの居候です。とりあえず、恩返しのつもりか炊事したり洗濯したり掃除したり自主的にやってるんですけど、リモコンをさわったらいきなりテレビがついて…

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驚いて、壊した(笑)ので、働いて弁償するというトホホな展開に。

さて、ドラマの方の大きな改変の1つは、初盤ではおじいちゃんがまだ入院している設定になっていることです。おじいちゃんが自分亡き後の沈螺を心配して、彼氏はいないのか、連れて来なさいとしつこいために、沈螺は呉居藍を恋人に仕立てて凌ごうとします。

呉居藍は呉居藍で、彼が霊珠の行方を知っているはずだと疑い、ついにはおじいちゃんに殺されそうになります。この人の好さそうなおじいちゃんがどうして…という謎は中盤で明らかになりますが、謎解きの役割に加えて、去り行く運命のおじいちゃんと残される沈螺というプロットが、後半にリフレインされる展開になり、テーマに奥行きを与えています。

小説ではこの形でのリフレインがないのね、と思っていたら、ちょっと違う形で用意されているんですね。
そのあたりも続けて見ていきましょう!ということで、今回はここまで。

次回は →こちら からどうぞ。
posted by 銀の匙 at 16:39| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ 2の1 ネタバレなし編

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台風と共に夏も去ってしまい、あぁ、今年も夏の海の「う」の字も見られなかった…と涙目になっております銀の匙です。

だからという訳でもないんですけど、ヤン・ミーとマーク・チャオが熱演してる《三生三世十里桃花》を途中で投げ出し(そりゃ、話も面白いし、ヒロインを演じるヤン・ミーは一児のママとは思えないほどチャーミングで素敵なドラマだったんだけど、桃は春だし崑崙山が舞台の回は季節感がなくて、って当たり前か…)、リゾート気分満載の、男子版ラブロマンス付きメアリー・ポピンズ《那片星空,那片海》(「あの星空、あの海。」)に乗り換えてしまいました。

絵面がパステルカラーで美しく、青中心のコスチュームも綺麗で大変目の保養になったのですが、ファンタジックなお話の底に、原作由来と思われる重いテーマの錨がついてて結構面白く見ました。

32話しかないから夏の終わりと共に見終わってしまったんですけど、中国語版はよく見るとタイトル文字の脇にちっさ〜く「I」の文字が。

続きがあるのね…!

早速DVDを取り寄せて観よう!と思ったら、本国でも放映自体が今年(2017年)の10月以降らしい。

なぜ、夏の話を秋にやる!?
(追記:↑ 第二季が始まりましたが、最初の方のエピソードに中秋節が出てきます。ってことは、秋の話なんですね...。失礼しました!
夏の海の続きは秋の海 ♪いまは〜もう秋〜 だれ〜もいない海〜(泣;;)


それはともかく、このロスをどうしてくれようかと思う間もなく、同じく、タイトルに原作小説からの改変と表示があったので、いっちょその原作を読んでみようかと思いたった次第(忙しいとか言って、ヒマなのか?…いえ、問題山積のため現実逃避ですホントすみません)。

てわけで、前置き長かったですが、本自体は2日もあればスキマ時間で十分読めます。ぱっと見、同じ描写を何回も使いまわしてる印象で、何これケータイ小説?みたいな箇所が多いのは否めないものの、時々ちらほらと作者の古典の素養を見せつけるような部分もあったりします。

どうやら作者はただもんじゃなさそうだし、話も単なるライトノベルって訳でもなさそうだ…とは思いはすれど、最初の1、2章は特に、格段ワクワクするようなエピソードでもないので、後ろの展開を知らないと投げ出してしまいそう。

いきなり原作から読んだ人は偉いな〜、と思ったら、作者は《宮廷女官若曦》の桐華さんなんですね。なるほど、実績があるので、みんな頑張って読んだわけか…。

ということで、これから読まれる方もいらっしゃるでしょうから、
今回は「これから読む方向け」に重大なネタバレをしない程度に簡単なあらすじ+テレビドラマとの大きな違い(ネタバレしない範囲)と感想にとどめておき、

次回は「小説は読まないと思うが、章ごとの内容が知りたい方向け(ネタバレ)」+テレビドラマとの細かい比較と感想を書く、

という構成で、さっそく参りましょう!



さて、いくらネタバレなしとは言っても登場人物の紹介ぐらいはしておくと、主人公は沈螺〈シェン・ルオ/ドラマではクオ・ビーティンが演じます〉という女性で、小説全体が彼女の一人称視点で書かれています。

つまり、プロローグ(これはテレビドラマの最初にアニメで登場した内容と全く同じ)を除いては、沈螺が知らないことは読者にも伏せられています。

なので、彼女の家に現れた謎の人物が何者なのかは、しばらく読まないと分かりません。

いきなりビックリなのですが、小説はドラマ前半の重要人物だった沈螺のおじいさんが亡くなってから始まります。逆に、テレビドラマにはついに登場しなかった、沈螺のお父さん、お父さんの再婚相手(継母)、腹違いの弟がしょっぱなから登場します。

ということで、ヒロインは複雑な家庭環境の紹介と共にかなり暗い雰囲気を醸し出しつつ、故郷の島のおじいさんの家の敷地で行き倒れている、服はボロボロなのに「優雅なピアニストのような手指をした」浮浪者(?)を助けるわけですが、何せ状況が立て込んでいるので哀れ浮浪者はちらっと出たきり、章の終わりの方まで放置されてしまいます。

そうこうするうち、家には父親が依頼した「周不聞〈チョウ・ブウェン/ドラマでは隋嘆良が演じます〉弁護士」がリュウとした身なりで現れ、テキパキと遺産相続の手続きが進みます。

結局、現金は弟が、おじいさんが住んでいた古い家は沈螺が相続することに決まるのですが、弟はかなりわがままな性格で、沈螺が必死に抵抗したにもかかわらず、おじいさんが残した銅鏡を取り上げ、一家は沈螺を残して今住んでいる上海に帰ってしまいます。

ようやく静かになって、おじいさんとの別れに泣き崩れた沈螺はここでようやく浮浪者の存在を思い出します(というか、思い出さざるを得なくなったのですが)。

彼がまた、助けられたというのに冷淡な態度で、無表情な上に口数も極端に少なく、待っていろと言われればじっと座って待ち、出て行けと言われれば出ていこうとする素直(?)な人物で、沈螺は仕方なく独りであれこれ喋っているうちに、彼に、この家に残って働かないかともちかけることになります。

実は沈螺は、おじいさんの介護をしようと仕事をやめて島に戻ってきてしまったため、家を民宿にして経営しようと考えており、人手が必要だったのでした。

男性はあっさりと提案を承諾し、呉居藍(ウー・ジュイラン/ドラマ版ではウィリアム・フォンが演じます)と名乗ります。

彼は掃除洗濯食事の支度と、言われた家事は完璧にこなす一方、洗濯機やテレビ、パソコンといった電化製品は見たこともなかった様子で、沈螺はいったいどんな山奥から来たのだろうかと内心驚きます。そこへ、幼馴染みの江易盛(ジャン・イーション/ドラマでは黄明が演じます)医師が、周不聞弁護士と共にやってきます。

実は周弁護士は沈螺の幼馴染みの李大頭〈リー・ダートウ〉で、父親の死後、母の再婚に伴って継父の養子になり、海外で暮らしていて島に戻ってきたところでした。

話に加わった呉居藍は、いきなり自分は沈螺の従兄だと言い出し、プログラマをしていたと自己紹介をします。ちょっと前までパソコンの使い方も知らなかった(っていうか見たことなかった?)くせに、一体この人は何者なんでしょうか…。



第3章まではこんな感じで、プロローグから始まり、全19章プラス、エピローグで終わります。ドラマをご覧になった方はお分かりかと思いますが、ここまででも小説とは内容がかなり違います。

ドラマでも、お話の舞台はいちおう中国国内になっているものの、ファンタジーっぽくぼかしているのに対して、原作はもっと中国色を濃厚に感じる設定になっています。

そして残念なお知らせですが、原作には宿敵の安佐〈アンズゥオ/ドラマではサニー・ワンが演じます〉は出ません
ドラマでは第2部の予告にまで出てるのに…しかも、クオ・ビーティンのお兄さん役で。
(予告編はこちら↓
 https://www.youtube.com/watch?v=CqD8XP_-NBU )

しかも、演じてるサニー・ワンご本人の境遇が、かなり呉居藍と被ってるんですけど(どこが被ってるかはネタバレになるから内緒。どうですか、ドラマをご覧になった皆様?)。

悲報はさておき、最初に書きました通り、小説の方は沈螺の視点から書かれているので、逆に、彼女がどんな人だか良く分かりづらいんですよね…。

描写のかなりの部分は彼女の独白が占めているのですが、情に篤い女性に見せたいらしいにも関わらず、状況説明も彼女の独白が担っているので、ずいぶんと冷静に観察・計算してる人だなという印象を受けてしまい、ドラマのような溌剌とした魅力に欠けるように思います。容姿についての描写もないし…。

呉居藍については、もう少しは描写があるのですが、どうも片側からだけライトを当てているような平板な感じな上に、あらすじですでにお分かりのように、口数が少なく、品格があって言葉で誤魔化すようなことはしない、という人物像と、咄嗟に身分を偽るようなことが言える人、という描写が矛盾しています。これについては作者もまずいと思ったのか、沈螺に後であれこれ考察させているんですけど、キャラが分裂している印象は拭えません。

ドラマの方は、一貫して寡黙なイメージを崩さず、誤解を受けたり、追及されたりすると「物凄く不機嫌そうな顔で相手を睨んで押し黙る」という、メアリー・ポピンズそっくりな必殺技で通します。

(ディズニー映画しかご覧になってない方はご存知ないかもしれませんが、ナニーとしてバンクス家に雇われているメアリー・ポピンズは、原作ではこの技でいつも雇い主を怯えさせているんですね〜♪)

一方、ドラマで気の利いたセリフがあると、ほとんどは原作からの引用のようなので、そういう面からするとさすがは人気作家さんだと感心したりもします。

それに、おおすじ韓流ドラマのあらすじで観たような内容(「星から来たあなた」とか…)に見えるけど、後ろにこの作品なりの(ドラマともやや違う)テーマが見え隠れする点が、単なるエンタメ小説とは違うところ。

でも「宮崎駿のアニメみたいな空」とかって自然描写は、小説としてどうなんだろう…。いえ、クール・ジャパンをお取り上げくださり、ありがとうございます! これからもご贔屓に!

ということで、ちょっと先になるかと思いますが、次回のエントリーではネタバレを含んでドラマと小説を共にご紹介したいと思います。

では、次回2の2、ネタバレ編→こちらにてお会いしましょう!

posted by 銀の匙 at 10:05| Comment(6) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

【注意表記以降、ネタバレあり】ウィリアム・フォン主演「あの星空、あの海。」(那片星空 那片海〜Starry Night Starry Sea)放映開始

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こちらには、中国のテレビドラマ《蘭陵王》に関する記事の一環として、2017年8月17日からアジアドラマチックTVにて字幕版で放映されていた「あの星空、あの海。(那片星空 那片海 Starry Night Starry Sea」の紹介記事を置いておりましたが、内容のほとんどを、小説とドラマとを比較しながら楽しむ記事(以下↓)に移行いたしました。

テレビ32話に対して、小説は全19章です。

南の小さな島に住む沈螺(シェン・ルオ)と、ある日突然彼女の前に現れた呉居藍(ウー・ジュイラン)の、たった3か月の恋を描いた物語。

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章(前半))→こちら
        第5回(14章(後半)〜16章(前半)→こちら 

        第6回(16章(前半)〜18章(前半)→こちら 
でご覧ください。

なお、《蘭陵王》関連の記事を最初からご覧になりたい方は、

→こちら

からどうぞ。
posted by 銀の匙 at 12:04| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

蘭陵王(テレビドラマ31/走馬看花編 第19話)

皆様、ご無沙汰しておりました。

インフルエンザやノロウィルスなど冬の定番が猛威を振るうなか、お変わりなくお過ごしでしょうか。どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

さて、残すところわずかということで今年を振り返ってみると、一番の番狂わせだったのは、米国大統領選挙ではないでしょうか。

まさかの“川普”(Chuangpu=トランプ)大統領誕生!

ホント、お金の使い道に困ってる人は羨ましいですこと、負けると分かってる大統領選に出馬して楽しむために大金はたくって、そうそう出来ることじゃないざます、庶民の想像力を超えるSF的セレブ樣ざんすね...などと思っていた視聴者(←他人事だと思って傍観)が浅はかでございました。

アメリカ国民も、何考えてんだかな〜と失礼な感想を抱きつつも、でもまあ、これはこれでアメリカらしい選択なのかも知れません。

1つの党がもう8年も政権を担当してるんだし、いい加減替えどきかも、と思ったか。

少数弱者ばかり贔屓するなんてズルい、オレたちも大変なんだぜ、と一般庶民が思ったか。

ビョーキなんて自己責任じゃねえか、てめーの失敗はてめーで落とし前つけろよ、なんでオレの稼いだ大事な金を貧乏人の医療費に使われなきゃなんねえんだよ、と思ったか。

etc.etcのセコイ理由はいろいろ考えつくけど、なんだかんだ言って、政治屋や役人どもがコソコソ何でも決めてしまうのが気に食わねえ、いっちょ素人代表にやらせてみようじゃねえか、って辺りも大きかったのではないでしょうか(こういう話題だとどうしても長屋のご隠居みたいな口調になっちゃう)。

さすがはアメリカ樣! ザッツ・フロンティア・スピリッツ!

そんなに政府が信用ならないんでしょうか。元々、開拓者精神で、あまり国に介入してほしくないという主義の人たちも多いとは聞いていますが、それにしても大胆っつーか、勇気ありますねぇ...でも日本では真似しないで欲しい。こちとら開拓者精神皆無なんで。

しかしアメリカにだって私のような小心者も少なくないのか、真剣にカナダに移民しようと思ってる人とか、やっぱり居るらしいですね。

そういえば、イギリスのEU離脱のときに、冗談じゃねえや、オレは海賊王に…いやさ、アイルランド人になる!ってパスポートを申請した人もいるみたい。

国破れても山河はあるけど、国民がいなくなったら貴族さまも食いっぱぐれてしまいますよ。ましてや、兵隊の数が国の存亡を握っている、戦乱の時代にあってはね…。

ということで、行ってみましょう、第19話
なお、前回の第18話→こちら から、第1話は→こちらから、蘭陵王関係のエントリーを最初からご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*
紆余曲折というか右往左往したものの、蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉と天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉は晴れて婚礼を執り行うこととなりました。

しかし、セレブ婚にはしきたりが付き物。細かい儀礼を押し付けられ、安眠もままならない雪舞の様子を見かねて、蘭陵王は彼女を、邙山〈ぼうざん〉の戦いの後で過ごした、長安郊外の家へと連れ出します。

お互いを阿土〈あと/A Tu〉、冰児〈ひょうじ/Bing Er〉と呼んで、のんびり暮らしているかに見える二人ですが、蘭陵王は民の心が高家から離れていることに、密かに心を痛めていました...。




さて、前回から引き続き、蘭陵王が昔お母さまと暮らしていた旧居の庭先。

画面からだと季節がよく分かりません。北中国で花が咲いてるってことは、5月から11月の間のはずだけど…。

軒先に吊るしてある赤いものは、唐辛子でしょうか。

おや、その先には女子力の高い武将が火を起こしてます。
こんなところでキャンプファイヤー!! のわけないですよね。
台所が家の外にあるんだ...冬どうするんだろ。

よく北海道の友達から聞かされる、雪国あるあるの1つに、その辺に車を止めて年末旅行に行って、帰ってみたら屋根まで埋まっちゃっててどこにあるか分かんなくなった、というのがございます。

で、どうすんの車?と聞いたら、そりゃ来春までサヨウナラ〜♪ ってあんた、関東者だと思って担いでるでしょ?!

とつい先日までは思っておりましたが、札幌大雪3日間雑魚寝のニュースを見たら、すっかり考えを改めました。ネタかと思っててごめんね。

ってことで、この地方は大雪降ったら来春まで台所よサヨウナラ〜♪なのかなぁ、と思ってるところへ、奥さんがお買い物から帰ってきます。包みを開けた四爺は、傍目にもガッカリしている様子。どうやらサツマイモはあまりお好きじゃないらしい。

ってあなた、今は阿土でしょうに。贅沢言ってる場合か?

ちなみに、日本の標準語では「サツマイモ」って言いますが、漢字で書くと薩摩芋。中南米原産の植物が、中国経由で入ってきたそうです。昔は都内の小学校なんかだと、サツマイモを栽培して江戸の飢饉を救った大岡越前と青木昆陽〈あおきこんよう〉の話とか聞かされたもんです。

中国語では“蕃薯”。中国にもともとあったものではないということが、字面からも分かります。伝わったのは明代・16世紀頃らしい。

ってことで、サツマイモ的な何かに見えますが、きっと別のものなんでしょう。ああ、よかった、これで楽屋に焼イモの差し入れができますね、皆様。

差し入れと言えば、第14話で差し入れしてもらってましたが、四爺はローストチキンがお好きなんですね...。

好物にパクつく軍神を天女が追究します。

“還不從實招來”
(まだしらを切るつもり?)
“你不是說過 夫妻同心 其利斷金嗎”
(言ったじゃない、夫婦が心を合わせれば、金属さえ切れるほどの力になるって)

“其利斷金”はとても古い言い回しで、《易経》にすでにある言葉だとか。元々は、夫婦に限らず、二人で力を合わせれば金物も切断できる、という言い方だったようで、だからこそ、ピンで何でも切ってしまう、十三代目石川五右衛門の凄さが分かろうというものです。

そうです、四爺は、斬鉄剣の使い手だったわけではなく(またつまらぬギャグを言ってしまった)、税金が重すぎて民が周に移住しようとしているのを見て悩んでたんですね。

そんな自分を支えようとしてくれる雪舞に、芝居がかった口調で四爺は言います。

“得妻如此 本王 本阿土夫復何求啊”
(かくの如き妻を得て 王たる者…いや、阿土たる者また何を求めんや)

もちろん、これは雪舞を心配させまいとして言っているのですが、この2人はこの後もずっと、ついに最終回に至るまで、この調子でお互いの心配事を相手に隠しがちなんですね。

もちろん、思いやりの気持ちから出ていることなんでしょうけど、その作戦はどうも裏目に出やすいみたいですね...。

雪舞も冗談めかした言い方ながら、

“嫁雞隨雞 嫁王也就只能當王妃了”
(ニワトリに嫁げばニワトリに従い、王に嫁げば王妃になるしかないわ)

と、四爺に言います。

このセリフ、蘭陵王カテゴリーの最初の方でもご紹介したことがありますが、元々は、「ニワトリに嫁げばニワトリに、イヌに嫁げばイヌに従うしかない」という慣用句です。王妃ってイヌ並みなのか(いえ、イヌに嫁げば、ですからつまり、誰かさんがイn…

( -_-)=○()゜O゜) ひでぶッ

そして、さんざん悩まされた宮中のしきたりについても、

“我統統都不怕 叫他們放馬過來吧”
(全然怖くないわ 全力でかかってらっしゃい)
と言います。

日本語で「かかって来い!」っていうと、人が向かってくるイメージですが、中国語だと馬を放すんですね。

…ちと、イヤかも。

ベン・ハーに乱入しかねないほど気合が入った雪舞を見て、四爺は慌てて言います。

“别 千万别变”

そのままがいい、決して変わらないで、とは誰しも思うことでしょうが、残念ながらそうは行かないのが世の習い。
さもなきゃ週刊文○がこんなに儲かったりしませんって。

幸か不幸か斉のパパラッチからの追跡の目は逃れているらしいセレブの四爺は、毎年ここに来て、阿土 冰児として暮らそう、などとお気楽なことを言っております。

そういや、中国語でパパラッチのことを“狗仔隊”(イヌ軍団)と言うんでした。おほほ。イヌ将軍にふさわしい追っかけですこと。

でもなんでイヌなんだろ?とちょっと疑問に思ったのでBaidu先生に聞いてみたところ、ちゃんと本家のパパラッチと関係あるらしい。

元々はフェリーニの1958年の映画『甘い生活』の登場人物の名前から来た言葉で、そういう人を香港では省略して「パピー」(子犬)と呼んでたらしい。プラス、獲物を追い回すイヌのイメージもあって出来た訳語だそうです。

たとえパパラッチに追いかけられようと、新婚のお二人には「甘い生活」でしょうね、お幸せに…。

と思う間もなく、すぐ次のシーンは、夜の冷たい土に触れる剝き出しの足。作業現場から逃げ出そうとしていた鄭児が捕まって、罰を受けているところ。

この後は、寺院建立の過酷な労働や官奴同士の騙し合いなど、凄惨な場面が続きます。

そしてそれが終わるとすぐ、蘭陵王府の幸せな婚礼の準備の場面。
その玄関先に倒れて、お屋敷に担ぎ込まれて介抱される鄭児…。

甘いものと辛いものを交互に出されるとついパクパク量を越してしまいますが、それにしても、なんでこう、鄭児ときたらせっかくのいいところに水を差すように現れるんだろ、邪魔よ…って思いますよね、ふつう。

もちろん、そう思わせるためにやってるんだろうけど。

あ、ちょっと先を急ぎすぎちゃいましたが、婚礼の準備をしながら、四爺に、礼部の官女を妾として娶っとけ、と厳命された五爺が(違いましたっけ?)、だいたいの女は娶っておいたが、どうしても落ちないのがいた...じゃなくて、どうしても省略できないしきたりがある、と言いだします。

“新娘來到青廬外 要由新娘的娘家這邊 最年長的長輩牽她而入”
(花嫁が入り口まできたら、花嫁の親族の中で最年長の者が手を引いて中に入らなければならない)

だけど義姉上は鄴〈ぎょう〉の都に一人の親族もいないから、と困り顔。

前回の婚礼(?)の時、ちょっとご紹介しましたが(→第4話 こちら )、これはとても古いしきたりのようで、日本でもこの習俗をまだ残している地方があります。

それから、五爺のセリフにある“青廬”というのは、漢代から唐のころまで、北中国の婚礼のときにしつらえられた黒いテントのことです。

中国語では“青”が「黒」を指すことがある、というのは第12話(→こちら)のとき、お話ししましたね。

今の中国では婚礼の色がのため、史実通りの飾りつけだと視聴者がピンと来ないと思ったのか、このドラマでは黒のテントは出てきません。

蘭陵王の時代は中国の南北で婚礼のしきたりもかなり異なっていたようで、花嫁が扇で顔を隠す“卻扇”は実は南朝の習慣です。

婚礼の衣装の方は、何色だったのかはちょっとはっきりしません。

とにかく、ではなかったんじゃないかと思いますが、この花嫁と来たら遊びほうけていてお屋敷に帰ってくるのもギリギリだし、いまさら違う色って言われてもサイズ直すだけで手いっぱいなんですよ! ルパンじゃあるまいし婚礼衣装の仮縫いしてるときクラリスを連れ出さないでくださいっ!

と、怒っている小翠がとってもキュートですね。

そんな華やかな場面も一転、お屋敷に担ぎ込まれた鄭児が目を覚まし、四爺や雪舞たちの前で、例の香袋の件(→第13話 こちら)について、膝立ちになって許しを乞います。

鄭児は香袋について、

“他告訴我 那香囊 可以保佑四爺一家安康的”
(祖珽は私に この香り袋は四爺ご一家のご清栄をお祈りするものと言いました)
と釈明していますが…。

おや...? 祖珽はそんなこと言ってましたっけ?

それを聞いてる韓暁冬の、超イラついてるッツって感じの小芝居がちょっと見ものです。

そんな視線をものともせず、鄭児の様子がだんだんエスカレートして、ついにぶっとい樹(あ、すみません。ちょっと言葉が良くないですね。恰幅の良い樹、でしょうか)に止まったセミみたいな態勢になったのを小翠が見かねてか、明日は婚礼なんだから皆休まないと、と宣言します。

せっかくの祝賀ムードに暗雲が垂れ込める一方で、婚礼のことを初めて知った鄭児は泣き崩れます。

彼女は言います。

“他怎麼能夠成親呢”
(あの人は どうして妻を娶ったりできるの)

…って、考えてみればおかしなセリフですよね。

でも、このセリフには対になってるセリフがあったのですが…。
それを思い出すまもなく、鄭児は言います。

“四爺 此刻坐在您身邊 準備大婚的 本該是我呀
我才應該是你的良配
我才應該是這棟王府的王妃啊”

(四爺、いまあなたの隣に座って婚礼の準備をしているのは、私のはず。私こそあなたの伴侶にふさわしい。私こそがこの蘭陵王府の王妃なのよ)

おいおい、ちょっと待て! 一体何を根拠に…とテレビの前の視聴者は例外なく思ってるはずですが、いや、みんな落ち着け!!

まず、鄭児は基本的に、楊雪舞に騙されたと思ってるんですね。

自分は正々堂々、お妃選びに参加した。確かに皇后の後ろ盾はあるかも知れませんが、出されたお題はきちんとこなしたし、香袋の一件を除いては、何もやましいことはしていない(と、鄭児的には認識していることでしょう)。

翻って楊雪舞は、「四爺をお願い」というようなことをわざわざ言い、油断させておいて抜け駆けした…。

だったら自分も遠慮しない、そう思うのは理の当然です。

そしてここで、思い出す人は、ハタと思い出す。

思い出すって、何を…?

しかし、今は楊雪舞の生涯最良の日、その辺のダークなことは今回の記事の最後で考えることにして、まずは花嫁の様子を見に行きましょう。

小翠マジックで美しい花嫁になった楊雪舞は、今やおなじみの“卻扇”を渡されます。これで顔を隠していないと、

“一輩子被四爺管得牢牢的”
(一生、四爺に束縛されますよ)

と忠告される雪舞。てっきりキリスト教式のヴェールみたいなものなのかと思っていたら、違うのですね。
でも、ってことは、この時代、“卻扇”さえしとけば女性もゲス放題だったのかしら? そんなことないと思うんだけど…。

どっちでもいいゴシップ記事に気を取られていたせいか(違います)、いよいよ吉時が到来して出発というところになって、小翠が付き添い人の事を思い出します。こちらの方は束縛どころではなく、それがないと、

“這婚姻不幸福的”
(不幸な結婚生活になります)

って小翠、間に合いそうもないこのタイミングで宣言するのってどうよ? と思うけど、雪舞はしっかりと答えます。

“不會的 小翠 從此以後 我會把四爺的平安 還有百姓們過的好不好 放在我個人的幸福前面”
(そんなことはないわ 小翠。これから先、四爺の「平安」と、民がよい暮らしを送れることが、自分の幸せより大事なの)

う〜む、やっぱり「平安」が…いえいえ、ホントにそうなら良かったんだけど…。

一方、花嫁の苦悩を知ってか知らずか、到着を待つ花婿の方はニコニコ嬉しそうです。

荒地の魔女みたいな毛皮の襟巻をして、黒い婚礼衣装を着た四爺は、このままシャンソンくらい歌いだしそうな雰囲気ですが、それをぶち壊すかのように、五爺が、二度めだから慣れたもんだよなあ、てなことを言います。

ここの“一回生二回熟”(1回目は未熟だけど 2回目からはベテランの域)というのは、第10話(→こちら)でも五爺が言ってましたね。

そこへ、招待客の斛律〈こくりつ〉将軍と段太師が婚礼の贈り物をします。

斛律将軍の贈り物は宿鉄刀。
段太師の贈り物は諸葛武侯(諸葛孔明)の二十四篇。

文武に長けた人にふさわしい贈り物ですね。
しかし、二人はやはり五爺と同様、雪舞の付き添い人について心配しています。

当の雪舞はさらに動揺しているのですが、そこへ現れたのが我らが皇太后さま。

四爺の頼みで、雪舞を養女、すなわち皇女として嫁がせることにしたと言います。

“你看 我這個孫兒當丈夫 夠貼心吧”
(どう、私の孫は夫として十分思いやりがあろう?)

確かにその通りですが、その四爺だって、ホームでのお式なのに、親族は五爺とおばあさましか出席してないんじゃ…? 

実質上、天涯孤独な者同士、やはりお似合いのカップルと言うべきでしょうか。

そんなお似合いの二人を前に、かなりの上座に立っている暁冬の切ない表情がグッと来ますね。

そしていよいよ花嫁が花婿と向かい合うと、幕の後ろに用意された絵が披露されます。

非常に再現度高い絵ですが、いったい誰が描いたんでしょう…?

四爺の実のお兄様(二爺)、広寧王・高孝珩〈こう こうこう〉は絵が上手く、本物そっくりの鷹の絵を描いたりしていたそうなので、お願いしたのかな?

でも、絵が上手い人ほど見てないものは描かないから、これはやはり多芸な大将軍自らが絵筆を執られたんでしょうね。さもなきゃ、お兄様に「小弟が禁衛軍に化けたところ、未来の妻に覗き魔と間違われて叱られました」等々、縷々説明しないといけなくて辛すぎる。 

そうしてみると、各幅、四爺ならではの観察眼の鋭さが伺われます。
最後の一幅、おかず3品に先にお箸をつけてるのは雪舞ですね。

奥さんになっても四爺にお料理させてるのね。

ちなみに中国ではお箸の遠い方を持つと遠いところにお嫁にいく、といわれております。この絵を見ると当たってるのかも。アンニュイな視線を飛ばしている子供は、髪型からして坊んですな。

中国で男子が尊ばれることは日本の比じゃないので、誰もがお世継ぎ(=坊ん)を待ち望んでいることを表しております。

ここで雪舞は感涙にむせんでいるのですが、それを見る新郎の嬉しそうなこと、たいていは緊張してるのが普通だから、ここまで喜んでる花婿も珍しい。

やっぱり五爺の言う通り、“一回生 二回熟”ってことで…とか言ったら殴られそうですが、普通、結婚式といえば女子の夢だと思うんだけど、付き合わされる男子の方はどう思っているのか、それがよく分かるVがございますので、早速ご覧いただきましょう。

2014年9月17日の《大牌駕到》です。
(http://v.qq.com/x/cover/wdynmjl08dxqlei/t00150h7tt0.html)

司会はこの時期、まだ華少さんでした。懐かしい!

トークは出身地の話題から入っています。

司=司会者(華少)
馮=馮紹峰(ウィリアム・フォン)

:まずは上海人ってトピックから行きましょうか。
 上海の男性というと、いろいろ評判良いですよね。
 たとえば、気遣いが細やかだとか 
 料理するのが好きだとか、
 奥さんを大事にするとか、お金にきちんとしてるとか、
 そういうところってあります?

:残念ながら、上海人が備えてる長所の多くが僕にはないです。
 たとえば、先ほどおっしゃった料理ですけど、僕は台所に立つのがすごく嫌いなんです。
 それから、上海人は割合、良い意味のこだわりがあるんですけど、僕はそのへん、大まかで。
:あなたはファッションにこだわりがあるタイプの男性じゃないんですか。
:身なりは本当にいい加減です。
 凝った時期もありましたよ。その頃はちょっと外出するのも大変でした。何を着ようか考えこんじゃって。どんなコーディネートにしようかなとか。
 でも仕事を始めると、衣装とかメイクだとかそんなことばかりでだんだん飽きてきてしまって、普段は見てくれに特別気を遣うようなことはしなくなってしまいました。今は特に何も考えずに、適当に手に取った服を着てそのまま出かける感じです。
:あなたはせっかちな方なんですか。
:そうですね、割とそうです。
  思い立ったらすぐやろうとします。
  先延ばしにするのは嫌ですね。
:怒りっぽいですか。
:ここ数年、だいぶましになりました。
  もっと若いときはすぐに腹を立ててました。
:そうなんですね。
:(ニコニコして)ええ。



なになになに…? 

ずいぶんサラッと話が進んでますけど、この人料理が出来ないの??

何せ中国は基本、共働きですから、家事のできない男性なんか伴侶として問題外です。

まあ、お金持ちなら家事は外注でしょうが、最初の頃にお話しましたけど、皆様、中国のイケメンの条件、覚えていらっしゃいますか。

「料理ができる」はマストでしたよね。



じゃ、まさか、この方は中国ではイケメンにカウントされないのでは?

しかも、すぐに激おこ?

それはちょっと、どうなの…?

…………えっと、とりあえず、気を取り直して先に行ってみましょう。



(5:08ごろから)
:上海ではバイクに乗りますよ。メカっぽいものが好きなので。BMWとか、ドュカッティとか。



そんなこと言って彼は現住所の北京でもバイクに乗ってたらしく、自虐というか自慢というかな写真記事をブログにアップしたところ、それを見た天津交通警察に、バイクに乗るときは所定の位置にプレートを掲げてくださいと叱られた上、罰金プラス点数引かれて免停になり、カワイソーに、投稿者に「馮おじさん、カッコつけたいなら交通ルールに気をつけましょう」とコメントされていました・笑。

所属事務所からは、登録もあり、プレートも免許もちゃんとしてますとコメントが出ていましたが、結局何だったんでしょうかね? ネタ?



:地獄猫(ヘルキャット)はどうですか。最高時速が260とか280とかのやつ。
:バイクですけど、あまり飛ばすのはお勧めしません。
:そうですか。事故ったことあります?
:すごく前ですが、あります。実は、そんなに飛ばしてた訳じゃないんですけど、たぶん路面が滑りやすかったか、何か思いがけないことがあって転倒したんですよ。そのまま車の下に滑りこんでしまったんです。
:そりゃツイてましたね。
:運がツイてたかどうかは知りませんけど、ナニはツイてるんで。
(いきなりの下ネタに苦笑する司会者&お客さん)

  *

この後、彼はとうとうとメカ愛を語ります。
時計、バイク、カメラ、オーディオ…金喰い虫な趣味のオンパレード(笑)

料理ができなくてキレやすくて下ネタな上に金使いが荒いわけですか。

ダメだこりゃ…。

  *

:カメラは何台持ってるんですか?
:そんな何台もじゃないですよ。
:またまた。そんなことありえないでしょ。
:いま使ってるのは、韓寒(『いつか、また』(《後会無期》の監督)がプレゼントしてくれた「微単」です。
:ああ、「微単」。



「微単」というのは、ソニーが中国向けに発売した、ミラーレスのデジタル一眼レフのことです。



:僕が腕を骨折したときあったでしょう。その骨折したときに、彼はどうもやましさを埋め合わせるためにくれたらしいんです。実際には彼には全く関係なかったですけど、それでカメラをくれた。
 それでね、カメラ本体は高いものじゃないんですけどね、自分で別売りのレンズを買ったらそれが高かった。(テロップ:大損しちゃった)
:大体推測がつきますよね。彼は本体だけくれたんでしょ。
:そうです。使い勝手はいいですよ。(テロップ:気を使いますねぇ〜(有苦难言))



少し飛ばして、番組の終わりの方の関連の話題を見てみましょう。
これは、視聴者からの質問に答えるコーナー。23:42からです。

質問は「高級車が好きだそうですね。仕事を始めたばかりで、もうスゴイ車に乗ってたとか、ホントですか」



:いま言えるのは…やっぱり見せびらかすのはよくないな、ってことです。(笑)
:(笑)バレてますかね。
:つまり僕に言えるのは…ただ車が好きってことだけです。(テロップ:しどろもどろ)
  とにかくメカが好きなんですよ。車に限りません。
:いま車何台持ってるのか聞いてもいいですか。
:2台です。
:2台ね。高いんでしょ?
:まあまあですね。(テロップ 自信満々 (底气十足))
:まあまあね。
:思うに、車をたくさん持ってるのって、意味ないですね。
  価値は下がっていくし、運転する暇もないし。
  置いておくだけって本当にもったいないです。車に申し訳ない。

 *

さて、ちょいと戻って、別の話題をみてみましょう。

《黄金時代》でウィリアム・フォンが演じた蕭軍(シャオ・ジュン/Xiao Jun:実在の作家で、映画の主人公・蕭紅の夫だった)の恋愛観についての話題から、ウィリアム自身の恋愛の話に移っています。当時彼は、女優のニーニー(倪妮)と結婚間近だと公表していました。司会者から、ふつうは隠すんじゃないんですかと聞かれて、こそこそ付き合うのは嫌だった、と答えています。

 * 

15:00ごろから
:この映画の恋愛はご自身の恋愛観に影響を及ぼすと思いますか?
:彼の間違いのいくつかは参考になりますけどね。僕は役柄と自分自身とは、はっきり分けているので。
 例えば、蕭軍は、熱しやすく気ままだった。それは僕自身の恋愛観とは全く違います。
:そこが興味深いんですけど、じゃ、あなたの恋愛観ってどんな風なんですか。
:彼の当時の心境とはもちろん違います。なぜって僕にはとても落ち着いた関係の相手がいるわけですし、全然別物ですよ。
 ときどき摩擦があったり、いろいろな出来事はありますけど、
:そりゃ、当然ですよね。
:それは乗り越えられるものです。
(中略)
:あなたは今年、もう36歳ですよね。
:ふつうは数えでいうんだとすると、37です。
:じゃ、アラフォーってことですね。それはいいことですよ。男性にとって、成熟するということは偉大なことです。
 結婚については心構えがあるんでしょうか。
:先日、友達の結婚式に出たんですけど、とても感動しました。
:では、自分でもそんな式を挙げたいと希望してるでしょう。
:それはやはりセレモニーは必要だと思います。
 人生の中では大事な部分だから、ないと何かが欠けているような…(と、なぜか非常にアンニュイな表情で語るウィリアム)
 それに皆お互いをもっと大切に思うし、見守ってもらえるわけだし、と思うんです。  
:焦ってます?
:そりゃ、両親は見たがってますよ。僕はきっといつか、自分にもそんなときが来て、同じようにそんな幸せな気持ちをお裾分けできるんじゃないかと信じているんです。



女性は、結婚式を自分をお披露目するため(?)にする、というケースもよく見聞きしますけど、男性は、周りの人のため、特に両親のために式をするという人も多いですね。

なので、昔のお式では、花婿・花嫁がまず天地に向かって、それから両親、そしてお互いに三度、礼をする、というのが結婚式のメインのセレモニーでした。

しかし、そんなしきたりに拘らない四爺と雪舞は、“卻扇”も礼拝もすっ飛ばしてしまいます。しかも二人とも、この場に両親がいないですし。

そこで五爺が気を利かせて、“夫妻對拜”(新郎新婦が互いに礼をする)をやったら?と声を掛けるんですね。

その場は和やかムードで式が進んでいますが、皆がみんな好意的に見ているとは限りません。少なくとも、祝宴に招かれなかった鄭児は、こんなことを言っています。

“既沒有高堂 又不懂拜天地 連卻扇都不用
楊雪舞 你放心 
我與四爺的婚禮絕對不會如此輕率的”

(両親もいなければ天地への礼も知らない
“卻扇”さえしない式だなんて
楊雪舞よ どうぞ安心してちょうだい
私と四爺のときは こんないい加減な婚礼はしないから)


なんかだんだん鄭児が怖くなってくるんですけど、事件になるようなストーカーの思考回路ってこんな感じなのでしょうか…?

もちろん、ストーカーは許されることじゃないですが、じゃ鄭児は雪舞から四爺を略奪しようとしてるのか、と言われれば、そこは微妙ですよね。

よく考えてみれば雪舞は、蘭陵王とは結ばれる運命ではない、と自分で言ってたんですから。

雪舞が運命に打ち克ち、やっと蘭陵王と結ばれるということは、当然そこから弾かれてしまう人がいるということ。

鄭児自身は知りようもないことですけど、おばあさまの占いによれば、蘭陵王が生涯愛するのは鄭氏の女性ただ一人。それは運命によって決められていることなのです。史実でもそうだし、この物語の中でもそのはずだった。楊雪舞はそれを変えてしまったわけです。

彼女は途中まで、お妃になる人は鄭氏なのだから、自分は身を引くとずっと公言していました。その通りなら、きっと鄭児が正妃になっていたことでしょう。

鄭児自身は運命の定めたまま、蘭陵王と知り合い、その伴侶となるルートを変えていないだけなのです。なぜこれほどまで彼に執着するのかも分からないまま…。

彼女は、いわばJR東海のようなもので、決まったレールから外れれば転覆脱線するしかない。スバル・楊雪舞・インプレッサのように、人の運命に突っ込んでも助かるような特技は持っていないんです。

楊雪舞は官奴になった鄭児を助けて欲しいというようなことを四爺に言ったり、この後も鄭児に対して強い態度が取れない。

皆、それは雪舞の優しさだと言うけれど、私は違うと思う。

略奪とは言いませんが、雪舞は占いの結果を知っているのですから、鄭児に対してどこかにやましい気持ちがあるはず。それが意識的にか無意識的にか、現れているのではないでしょうか。

脚本も、雪舞に手放しの幸福は与えません。

彼女自身は確かに当初の運命に操られることはなかった。でも、彼女の選択によって、別の人の運命が、その人が知らない、望まないうちに書き換えられてしまった。そして雪舞の方は、自分のしたことを知っている。

この先、彼女の行く手に常に影が差しているのは、このことと無関係ではないはずです。

そしてこの先どこまでが、変えたと思った運命の仕業なのか、それは雪舞の、そして鄭児はもちろん、預かり知らぬところなのです。

この回のラストの鄭児を見ると、私はいつも谷川俊太郎の「黄金の魚」という詩を思い出します。

しあわせは ふしあわせを やしないにして はなひらく

どんなよろこびの ふかいうみにも ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

運命の仕業とはいえ、なんて悲しい人なのでしょうか…。



次回は、少し趣向を変えて、お話の中盤である20番台を概観する予定です。

予定よりちょっと暗い話で終わっちゃいましたけど、もしよろしければ、続きもどうぞお楽しみに。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!



posted by 銀の匙 at 02:48| Comment(14) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月18日

蘭陵王(テレビドラマ30/走馬看花編 第18話)

皆さま、こんにちは。

不肖わたくしは違いますが、世間様は楽しい夏休み。
帰省する方もいらっしゃれば、
旅行する方もいらっしゃるかも知れませんね。

どうせなら遠くに旅したいなあ、と思われた皆さま。
実は、日本にいながらにして、1400年前の北斉にトリップできる場所があるのですよ!

ってまたまた〜、レンタルDVD屋とかっていうのがオチなんでしょ?とお疑いを受けるのは、これまでの実績からして当然の報い(?)ではございますが、いえいえ、ちゃんとリアルなものです。

ひょっとしたら夏休みを利用して都内にいらっしゃる方もおられるかもと思い、急いでエントリーしました。なので、この記事はあとから内容を追記させていただくことがあるかと思いますが、とりあえず。

なお、私が知ってるのは東京のスポットだけですが、ちゃんと調べれば、日本で他にも北斉気分を体験できるところはあるのかも。

と、思わせぶりな前ふりから早速まいりましょう、第18話
なお、前回の第17話は→こちら から、蘭陵王関係のエントリーをご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*

斉国の皇子・蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉との婚儀を間近に控えながら、敵国・周の皇帝=宇文邕<うぶん よう/Yuwen Yong>=「余を仔ブタと呼んでも良い」陛下の、姪のやまいを治してほしいとの懇願にほだされ、周の宮廷に赴いた、天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉。

ミッションを無事果たしたうえ、宿敵であった宇文護を除くことにも貢献した天女に、宇文邕はますますメロメロです。

しかし、近衛兵に身をやつして密かに雪舞を見守っていた蘭陵王が、横取りを許すはずもなし。

国境近くまで2人を追ってきた宇文邕は引き際に、3年の間は斉を攻めないと約束し、停戦協定書を手渡します。

蘭陵王は「斉の民に代わって感謝する」と、それを受け取るのですが…


*

さて、爽やかに晴れました北斉の都・鄴〈ぎょう/Ye〉の朝。
時の皇帝・武成帝の御前で、四爺が停戦について報告しています。

古代、皇帝の御前での会議は、今みたいに午後いちでミーティング、って訳じゃなく、「朝議」という言葉がありますように、朝行われていました。

朝っていってもいろいろありますが、真面目な皇帝だと「日の出」に設定したため、都の端っこに住んでる大臣とかは参内するのに夜明け前から支度しなくちゃいけなかったらしい。

とはいえ、普通は「卯の刻〈うのこく〉」(朝6時くらい)に設定されていたらしく、出勤することを“応卯”といい、そのとき、ちゃんと出勤してるかどうか点呼を取るのを“点卯”といいました。

なので、今でも点呼や出勤時にタイムレコーダーを押すのを“点卯”といったりするそうです。

まさか6時出勤じゃないとは思いますけど…。

ってことで皆さん早起きして参集しておられる中、蘭陵王は宇文邕から預かった停戦協定を渡します。

皇帝はいちおう喜んでくれているのですが、でも普通、臣下が停戦協定なんかいきなり持ってきたら疑わない?

そもそも、毎朝“点卯”してるはずなのに、突然1か月無断欠勤したわけでしょう、弟の安徳王〈あんとくおう/Ande Wang〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉=五爺〈ウーイエ/Wu Ye〉に託して説明はしたんでしょうけど、一体何て言い訳したのやら。

そんなの、本当の事を言えばいいじゃないか…とお思いでしょうが、王、王妃の身分で勝手によその国に滞在したり、あまつさえ、ディズニーランドに行ったりしたら、エライ人の逆鱗に触れるに決まっています。

しかも、この回にも出てきますが雪舞は婚礼を控えた身、親族の男性にだって接触してはいけないのですから…

そこへもってきて突然の停戦協定。使節として赴いたわけでもないし、ましてや皇帝でもないのに、蘭陵王に受け取る資格があるんだろうか…。

と、祖珽〈そ てい〉がこの場に居たら絶対ツッコんだと思うけど、誰も気が付かないのか華麗にスルーされているので仕方ありません。

皇帝はこのめでたい報せを御仏に感謝するため、寺院を建立しようと言い出します。

四爺が民の負担を思って難色を示すと、皇太子の高緯〈こう い/Gao Wei〉は「民の教化のため」「父君は頑固な頭痛を患っているが、仏寺を建立して軽快している」と言い出します。

ここで段紹〈だん しょう/〉太師が反対の理由として持ち出した、わが国では10人に1人が出家している、という話はあながち大げさでもなかったらしく、隣国・周でも同じ理由で困っていたようです。

史実の宇文邕もドラマ同様、神仏の祟りを恐れず「廃仏」を行いますが、おかげで後世の評判はさんざんで、「三武一宗の法難」なんて山○世界史の教科書にまで載っており、21世紀の日本の受験生からさえ、暗記の負担を増やしやがって…と呪われる始末です。

ちなみに「三武一宗」とは、中国史を通して仏教徒を迫害した4人の皇帝のことで、北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗のこと。

寺院を建立して今、民に恨まれるのが嫌か、
廃仏をして後々ワールドワイドにdisられるのが嫌か、
微妙なチョイスですね。

ともかく、この場は寺院建立を皇太子に任せることが決まり、蘭陵王には婚礼の祝いの品として、大玉圭〈けい〉一対が贈られます。

圭はオベリスクのような形をした平たい礼器で、それ自体になにか効能があるわけではありませんが、古くは伝説の帝・禹〈う〉が、治水で功績を挙げた功績により贈られたといわれる、由緒正しきお品です。一説には、長さを測る工具を象り、国を治める決まりを象徴しているとも言われます。

ご興味のある方はこちら↓の解説ビデオをご覧くださいませ。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjk2MDEwMDg=.html

ということで、着々と婚儀の外堀が埋まっていくのですが、現代の庶民の結婚式さえ様々なしきたりが残ってるくらいですから、当時の婚礼の煩わしさは想像に難くありません。

蘭陵王のお屋敷には中央官庁から、儀式を司るお役目の官女たちが派遣されてきます。

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このお帽子がインパクトありますよね。少し形は違いますが、唐時代の俑(よう:土でできた人形)にも似たものがあります。

s-reibu.jpg

4人はシンクロナイズドスイミングのように隊列を崩さず、入口で馬を洗っている下女に取次を頼むと、相手は挨拶もせず、マナーが全然なってません。

当然、礼部の人間としてはムカついています。

“早耳聞 四王爺待下人 太過ェ厚”
(かねがね 第四皇子殿下が 下々の者にお優しすぎるとは聞いていた)

“府上規矩 日漸松散”
(お屋敷の規律は 日ごとに緩んでいるとね)

“今日一見 果然 就連一個小丫鬟都這麼無禮”
(今日来てみれば 噂通り 卑しい下女まで無礼千万)

“聽說 這天女王妃 也是個不守禮法之人”
(聞くところでは この天女の王妃さまも 礼儀をわきまえぬお方とか)

“你們還記得嗎 皇上首次召見她”
(覚えておいでか 陛下に初めて拝謁した折に)

“她竟然為了一介百姓 讓皇上苦候多時呢” 
(一介の民草のために 陛下を長いことお待たせしたお人)

“無論如何 我們身負皇命” 
(我らは陛下からのご命令に従い 何としてでも) 

“定要讓四王爺的大婚”
(第四皇子のご婚礼を)

“一切按照禮法祖制而行
(代々のしきたりに則って進めねばならぬ)

一介の民草のために、陛下をお待たせした...とは、第11話(→こちら)で周との戦いから凱旋した折、わらじを縫って欲しいと頼まれて雪舞が参内に遅刻した、あのエピソードですよね。

もう7話も前のこと、ホントいつまでもくどくどと…。

しかし、しきたりを大事にする人たちには前例がとても大事なので、記憶力もいいのかも知れませんよね(棒読み)。

強権発動する気まんまんで家令に取り次いでもらってみれば、さっきの無作法な小娘が王妃殿下とは。

宮女四人は地面に這いつくばってはいますが、内心どんな悪態をついているか、知れたもんじゃありません。
それでもさすが言葉遣いは、

“有眼無珠”
(目が節穴でございました)

と殊勝なことをおっしゃっておられます。

こんなに礼儀にうるさいくせに、エライ人の前で帽子も脱がないのは不思議なんですが、当時の中国では帽子(冠)を被ってることが身分の証であり、礼儀だったんですね。その辺はおフランスと違います。

そして、這いつくばったが最後“平身”(おもてを上げよ)と言わないと、そのまんまらしいです。いつまでも言わなかったらどうするんだろう…?

みたいな実験はさすがにやらない雪舞ですが、それをいいことに、礼部の皆さんは公務執行に熱心なご様子です。職務柄ではあるのでしょうが、いったいナゼ?

と思っていると、宮女たちはググッと近づき、雪舞の髪型を整えると提案します。そしてその理由は、

“梳結鬟式髮式”
(結いあげたおぐしは)

“透露出巍峨瞻望的高貴”
(仰ぎ見るべき高貴なご身分を表します)

はい、そうですね。
たかが数十年の王朝で「代々のしきたり」なんて片腹痛いわ! と思ってしまいますが、たかが数十年だから、余計マナーにうるさいのです。

例えば、ヴェルサイユ宮殿。

あなたが王妃さまだったとしましょう。

ちょっと喉が渇いたから、水を飲みたい。

と、思っても、そこらのメイドさんを呼んでコップを持ってこさせる、みたいなことは出来ません。

王妃の用事を直接聞く侍女→水を持ってくる給仕係→台所に行く係→台所で水を汲む係…

と、バケツリレー状態でようやく水が届きます。

着替えともなれば、下着を渡す係と衣装を渡す係がバラバラなうえに、その場に身分が高い人が居合わせれば、その人が王妃に下着を渡す役を務めなければなりません。

かくして着替えもバケツリレー状態で、冬にそんな目にあったマリー・アントワネットは凍え死にそうになったとか。

あまりにもバカバカしく感じたのでしょうか、彼女は宮殿の女主人になるや、これらのしきたりを廃止してしまいます。それが悲劇の引き金になるとも知らずに....。

一方、蘭陵王府のばらは、まだ人の言いつけを聞かなければならない身分。

礼部の宮女たちに、
“不能留下一點話柄“
(物笑いの種になるようなことは避けなければ)

四王爺のために、と言われちゃうと、従う以外ないですよね。

“禮部侍女 真是出了名的難纏呢”
(礼部の女官は名うての手ごわさだわい…)
と、家令の王さんもタメイキです。

一方こちらはお気楽な四爺五爺ご兄弟。

なんで馬車に乗らずに歩く、皆に注目されるのが好きなの?

と五爺に聞かれて四爺は、しばらく都に帰ってなかったから懐かしい的なこと言っていますけど、庶民の街をこんなタカラヅカみたいなカッコして歩いたら、物見高い人々に取り巻かれて前に進めるわけないと思うのは私だけでしょうか。

黒マスクで変装して21世紀の上海を歩いていたって、スター様はパパラッチに追い回されているというのに、1400年前の娯楽に飢えてる田舎町で皆が見て見ぬふりしてくれるなんて、あり得ないでしょう!

しかし、あの兄弟にかかわったらヤベっ!と思われているのかエキストラの教育が行き届いているのか、道行くギャラリーからむしろ避けられてるような雰囲気の中、四爺は、

“看看有什麼好玩的東西 賣給雪舞啊”
(何か面白いものを 雪舞に買ってあげようと思って)

と言います。
 五爺が、兄上はいつも未来の“四嫂”(四兄のヨメ)の事を思ってるんだな、
とからかうと、嬉しそうにするのが良いですね。

“其實我就喜歡你四艘 無拘無束的性格“
(私はお前の義姉上の 何にもとらわれない性格が好きなんだ)

“比那些講究繁文縟節的大家閨秀 強多了。”
(些細な建前ばかり気にする良家の令嬢なんかよりずっと良い)

答える五爺の言葉を借りれば、このドラマの力関係は、

尉遅迥〈うっち けい〉<宇文邕〈うぶんよう〉<雪舞(せつぶ)

ですが、最上級はどうやら、

<礼部の官女

だったみたいですね。

二人が息抜きから戻ると、お屋敷には早速彼女たちが待ち構えています。

その「すぐやる」ぶりに、もう来たのか!と驚く四爺。

“四王爺 五王爺 請安”
(第四皇子、第五皇子にはご機嫌うるわしく)

と、お作法に則った正式な挨拶を受けると五爺は、

“在府內 叫五爺就可以了”
(屋敷では五の若様でよい)

と返します。すると官女は

“祖法禮制不可輕廢 侍女不敢造次”
(古くからのしきたりを 私めが軽々しくやめることはできません) 

と言います。

つまり、これまで聞きなれていた“四爺”“五爺”というのは実は簡素な呼び方で、正式には“四王爺”“五王爺”と呼ばなければならかったということですね。

さすがに“王爺”は皇族にしか使えませんが、“四爺”“五爺”なら、大店の坊ちゃんなどにも使える呼び方です。

ばらは何て呼んでもばらの香りがするとは言うけどね...と思っていると、そこへ突然チェブラーシカ登場…

当然、お気楽兄弟には大受けしています。
アシナ皇后の髪型ほどじゃないですが、この時代の髪型はまさに凶器ですね。
s-髪型.jpgs-髪型1.5.jpgs-髪型2.jpgs-髪型4.jpgs-髪型6.jpgs-髪型7.jpgs-髪型8.jpg

全力でよけて〜っ!

ホント、妙な髪型ですが、実は日本でも当時のヘアスタイルの様子を知ることができます。
こちらの↓ 俑〈よう〉は、東京国立博物館所蔵の唐代のものですが、
s-IMG_7515.jpg

そっくりですよね。

これから毎日この髪型なんで、慣れてくださいって言われてもな…という顔をしている雪舞の手をひっぱって、サラメシならぬ王爺メシに移行する蘭陵王ですが…。

このちゃぶ台、ちょっと低くないですか?

セットの作り方間違えてるんじゃないかしら。

そうかと思うと、五爺はちょうどよさそうなんだけど…

よく見ると全員、ちゃぶ台から上の高さがバラバラ(笑)
きっと全員、座り方がバラバラなのに違いない。

なんか急に掘りごたつ式じゃない居酒屋に座らされちゃった外人招待客みたいな面持ちで、雪舞は食事時に後ろに誰か立ってるのって慣れないわ、とほっぺを膨らませています。

五爺は、
“金枝玉葉 王妃都是如此”
(高貴な王妃さまとはこういうものなのさ)
と相変わらずからかいモード。

《金枝玉葉》といえば、『君さえいれば/金枝玉葉』って、ベタなタイトルの香港映画がありましたよね。この映画では「至高の」という意味で、別に王族は出てこなかったと思うけど、香港では『ローマの休日』を《金枝玉葉》と訳しています。

さて、セレブリティな雪舞さまですが、危なっかしい手つきで青椒肉絲っぽいおかずに手を伸ばすと、「同じおかずに4回箸をつけてはなりません。」と官女の指導が入ります。

理由が「好みを知られると毒を盛られるから」

ってそんな、全部に毒入れられたらどうすんのよ。

仔ブタ陛下なんて、唯一のスープに毒を盛られたんだから、逃げようがないじゃないですか。

まったくこういうルールって...と呆れていると、さすが“上有政策、下有対策”(上に政策があれば、下には対抗策あり)のお国柄、皇子自ら、

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“這是本王夾的。不違反祖制吧。”
(これは余が箸をつけたのだ。しきたりには反していまい)
ってそんなヘリクツ…。

と思ったら、引き続き、第6話の阿怪を彷彿とさせるおかずあげっこ合戦が始まってしまいます。
なんだか和気あいあいで楽しそうですよね。

やっぱり、煩い礼儀作法なんかやめた方が…と思ってしまいますが、本当にそれでいいのでしょうか。

ではここで、もう一度ご登場いただきましょう。
ベルサイユに咲く可憐なばら、マリー・アントワネット王妃様!

史実の彼女はわずか14歳で、母である女帝マリア・テレジアの君臨するオーストリアから、ルイ15世が君臨するフランスへ嫁いで来ます。

ヴェルサイユ宮殿では何をするにも事細かに作法が決まっており、当時皇太子妃だったマリーは辟易していたそうですが、彼女がとりわけ嫌ったのは、見物人の前で食事をするというしきたりだったと言います。

当時、地方から宮廷を訪れる人は、王や王家の人々の食事風景を見物するのが楽しみだったんだそうです。

旭山動物園じゃあるまいし、

もぐもぐタイムかよ!?

と、外国から来た皇太子妃は相当ムカついていたようで、夫のルイ16世が即位し王妃となるや、次々としきたりを取りやめてしまいます。

事細かに厳格に守られたこれらのしきたりは、当然、ブルボン王家に代々伝わる格式のあるマナーかと思われるでしょうが、実際にはその多くは、太陽王・ルイ14世の時代に定められたものでした。

そう、煩いマナーは、絶対王政の身分制度の厳格さを下々の者に思い知らせるために作られたのです。

つまり、礼部の宮女たちの言ってることはいちいちごもっとも。
さしたる能力もないくせに自分の絶対的な権威を認めさせたいのなら、しきたりの守り手であることを、常に誇示していなければならないのです。

さもないといつかは貴族や庶民にナメられ、断頭台に一直線です。

若者がついつい校則を破りたくなってしまうのも、校則を絶対破らせまいという人たちがいるのも、その延長線上なのかもしれません。

制服の裏に龍虎の刺繍をしてみたり、古代中国の衣装に肩モールつけてみたりのささやかな抵抗は、無意識のうちに相手の設定した権威に逆らおうという本能の表れなのでしょう。

さて。

ありがちな学園ドラマのラストシーンみたいに、手に手を取って、お屋敷を抜け出す二人。

でも残念ながら、ドラマはここでハッピーエンドって訳じゃない。

踏雪の迷惑も顧みず、(横幅が)大物な将軍と王妃は、2人乗りして街を出ていきます。

大向こうから“四爺!”と声がかかると、ファンの声援かしらと思い込む、このバカップルを何とかしてください、

楽しそうな2人のドライブに声を上げたのは…

蘭陵王を陥れる計画に利用された、元皇后の元侍女、鄭児〈てい じ/Zhen Er〉。

官奴として彼女が働かされていたのは、皇太子が差配する寺院の建築現場。

このシーンを観て、つい、おおっ! と声が出てしまいましたが、この第18話の最初のシーンで皇帝が「寺院を建立する」と言ったとき、私は唐招提寺みたいな木造の建物を作るんだとばかり思っておりました。

そうそう、この時代に作られていたのは、石窟寺院なんですよね。

特に北魏の時代から、北斉になっても延々と作られていた「龍門石窟」は現在世界遺産に登録されているほどです。

当時これを造らされた人から見れば、貴重な財産と労力を費やしてこんなもの、バッカじゃね?と思うのは当然ですが、結局何百年かの後に、子孫に観光資源を与えてくれるのもこういう無駄遣いな訳で、どうせやるならとことんやった方がいいんじゃないかな...? と、現在進行中の壮大な無駄遣いを負担しなければならない都民の端くれとしては、北斉の皆さまの胸中お察し申し上げますでございます。

石窟寺院には壁画や彫刻が収められており、中国の彫刻芸術の頂点にあったのは、南北朝時代と言われています。なんせ需要がありますもんね。

東京では、雪舞のヘアスタイルのフィギュアをみることができる、上野の東京国立博物館(東博)や、青山の根津美術館に、北斉時代の彫刻が展示されており、間近に見ることができます。

こちらは東博の菩薩立像。

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説明書きを読むと…
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なんと北斉の文宣帝のために造られた像です。

お次はファッションの街・表参道駅から歩いて10分ほどの、根津美術館。エントランスに飾られておりますのは、

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北斉の塑像の数々。

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ってことで、博物館に行けば今でも簡単に北斉の人に会うことができるのです!

しかも、世界史の教科書で、ガンダーラ仏の写真などをご覧になった方はご記憶かと思うのですが、彫られているものは仏さまとはいえ、モデルはやっぱり現地住民でしょうから、顔つきが土地土地で違います。

「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

と与謝野晶子さんも詠んでいますように、仏さまによっては、現地の人の理想のタイプが反映されたお顔立ちのものもあるはず。

南北朝の歴史について書かれたこちらの本の表紙↓ もそうした彫刻の1つなんでしょうけど、「蘭陵王」ってこんな顔だちだったんじゃないかな…と私は密かに考えております

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『図説中国文明史5 魏晋南北朝』(創元社)より

今、この表紙の塑像に似てるタイプの人っていえば、例えば、北方男子代表の井柏然〈ジン ボーラン/Jin Boran〉とか…。
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彼が今、ウィリアム・フォンが別れたニーニーさんのステディだということなので、そこにも何となくご縁を感じる...

いえいえ、そんなゴシップ、どうでもよいのですが、この時点で仲良しも頂点の軍神と天女は、第9話で登場した蘭陵王の幼少期の家で、おままごとのような生活を始めます。

“從現在起 我不是爺 也不是蘭陵王”
(いまから、私は皇子でもないし、蘭陵王でもない)

“妳呢,也不是天女 也不是王妃”
(君も天女でも 王妃でもない)

そういう蘭陵王をからかって、雪舞は言います。

“看你這麼一副氣宇軒昂 炯炯有神的樣子”
(気品があって堂々としていて、目力のある立派な風采だから…)

“我就叫你 阿土”
(あなたのことは、「阿土」って呼ぶわね)

ここ、笑うとこですから!

“阿〜”っていうのは、親しみを込めて相手の名前につける言葉で、日本でいえば「おしん」の「お」にあたります。

で、「おしん」とかと同じく、“小〜”“老〜”なんかに比べると、やっぱりちょっとダサい雰囲気。

それでもって、“土”とは、田舎くさい、ということ。

“土土的 tu tu de”は「超田舎くさい」

“阿土 A Tu”は「田舎っぺ」

と、そういうことです。

こんなこと言われて田舎っぺ大将軍はどういうリアクションかと思えば、

“好,我看你一副冰雪聰慧的樣子”
(よろしい、じゃ、とっても頭がよさそうだから)

“ 我就叫你 冰兒。怎麼樣?”
(君のことは“氷児”と呼ぼう。どうだい?)

“冰兒 Bing Er”という名前自体には特別な意味はないですが、蘭陵王の言った“冰雪聰慧”という言葉から連想されるように、賢い、頭が切れるというイメージがあります。

日本のスマホのサービスに、女子高生AI(?)がお友達になってレスを返してくれる、「りんな」というのがありますが、中国ではそれに先立って同様のAIが開発されており、名前はずばり、「小冰」ちゃん。

命名の由来は分かりませんが、一般に賢い美少女が連想されるんでしょうね、きっと。

なので雪舞は、

“你怎麼不取一個難聽點的名字。我就叫你阿土呢”
(なんでもっとヘンテコな名前にしないの。私はあなたを“阿土”って呼んでるのに)

と抗議しますが、

“冰兒不是很好嗎。冰雪聰明 就這樣”
(氷児はいい名前だろ。頭が切れて賢い。決まりだ)

“你明明知道我會內疚。不不不 我叫阿草好了”
(私がやましい思いをするって知ってるくせに。だめだめ、“阿草”がいいわよ)

“阿草 A Cao”にも決まった意味はありませんが、「民草」というように、草には取るに足りないもの、という意味があり、また、「草書」という言葉があるように、いい加減とか大ざっぱという意味もあります。どっちにしても、カッコ悪い名前には違いありません。

四爺は、そんな名前で奥さんを呼ぶなんて嫌なのか、全然取り合ってませんね。
優しいのね。はははは。

そんな二人の夜ご飯は麺料理。
北方中国の主食は小麦なので、庶民の主食は今でも麺料理が中心です。
お焼きやクレープ、マントウ、麺など、外でも売ってますが、家庭でも普通に粉から作ります。

さすが、粉もん文化の発祥地!

しかし、阿土は浮かない顔をしています。

皇帝からお叱りを受けたのか、周が攻めてきたのかと気をもむ氷児に、
「めんどりが半日も卵を産まなくて…」と答える阿土。

そんなこと、と呆れる氷児に阿土は答えます。

“民以食為天 老母雞不下蛋 對我來說 就是最大的事了”
(民は食を以って天と為す。めんどりが卵を産まないのは
私にとっては一番の問題だ)


いやいやそれより私ども視聴者は、あなた方の衣装の方が問題なんですが、この服装はまさか例の…。

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しかし、すでに第10話は遠い過去になってる蘭陵王は、阿土丸出しでしゃべっています。

“我現在是阿土 管她誰當皇帝啊”
(今の私は阿土だよ。誰が皇帝かなんて関係ない)

漢文を習われた方ならピンと来るでしょうが、ここの台詞は、中国で古代から理想とされる政治について話しています。

《十八史略》にこんな話が載っています。

伝説の皇帝・堯〈ぎょう〉は、仁と徳を備えた立派な皇帝でしたが、即位して五十年、果たして自分がきちんと天下を治めているかどうか、疑問に思っていました。

そこである日、お忍びで町中に出てみると、歌をうたう老人に出くわします。

ここを原文でみると…

有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、
(老人あり 哺を含みて腹を鼓し、壌を撃ちて歌いて曰く)

日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食
(日出でて作し 日入りて息う 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らう)

帝力何有於我哉
(帝力何ぞ我にあらんや、と)

老人がいた。
食べ物をほおばりながら腹鼓を打ち、地べたを踏み鳴らして歌うには、

日が出たら働き、日が沈んだら休む 井戸を掘って飲み、田を耕して食う

皇帝さまなんか わしに何の関わりもない

ここから「鼓腹撃壌〈こふくげきじょう〉」(よい政治が行われ、人々が平和で楽しむこと)という言葉ができました。

これは、「上善〈じょうぜん〉 水の如し」と一緒で、理想の政治は淡々として、無為〈むい〉であるべき、
という考え方に基づいています。

しかし、無為とは言ってますが、帝堯も太陽のような仁徳の持ち主ということで、率先垂範したので天下が泰平だったのです。

つまり、庶民の知らないところで、ハクチョウは水かきをしなくちゃ、ダメなんですよ。

いにしえの聖帝・堯とと同じ場所に国を構えた斉の皇子のくせに、♪おいらにゃ関係ねぇ♪ なんて庶民みたいなことを言ってどうするの。

そのブーメランは同じ放送時間内にたちまち返ってくるのですが、それはそのとき見るとして、一方の石窟寺院。

埃まみれの現場で、ズタボロになりながら働いている鄭児。

第17話までは、蘭陵王と宇文邕の動向が交互に描かれることが多かったですが、この第18話からは、いよいよ楊雪舞と鄭児が交互に描かれるようになっていきます。

鄭児を演じているのは、毛林林〈ニキータ・マオ/Mao Linlin〉さん。
ドラマではあまりに美人で近寄りがたい雰囲気ですが、
素顔は小粋なパリジェンヌっぽい、とてもキュートな女性です。

ということで、以下のインタビューは、ぜひ映像もご覧ください。
こちら

*

いま「蘭陵王」が放映されている関係で、たくさんの視聴者の方からいろいろなご意見をいただいてます。

このドラマはきっと人気が出るだろうとは思っていたんですけど、
ここまで熱心に観てくださり、反響が大きくなろうとは予想外でした。

いろいろなご批評について、私は聞かない、見ない、考えないというタイプではありません。
逆に、きちんと読んで、考えています。

なぜなら、視聴者の皆様が私にくださるご意見はとても大切ですし、的を射ていると思っているからです。微博には、私の至らない点について長大な論考の形でご指摘いただいている記事もあり、心から感謝しています。

ドラマに入り込んでしまって、リアルな事として受け止め、実際の私も鄭児のような人だと思っていらっしゃるご意見は、笑って見過ごせばよいのですから。

実は憎まれ役はこれがはじめてではなくて、賀軍翔〈マイク・ハー/He Junxiang〉と共演した《加油媽媽》(がんばれ、ママ)でも演じています。一度経験があるので、淡々と受け止めようという心の準備もしっかりできているんです。

それに、今ドラマはちょうど中盤。最後までご覧いただければ、どの登場人物についても、新しい見方をしていただけると信じています。このドラマでは誰もがそれぞれの辛さと悲しみを抱えているということを。

もう一度演じるチャンスがあったら、私はまた鄭児の役を選ぶと思います。私は彼女がとても愛おしいと思うし、すごいとも思う。愛のために全世界を敵に回す勇気を持っているんですから。

−鄭児は愛のために間違った道を選んでしまいました。 もしあなたの親友だったら、どうしますか。

すぐに止めます。
“硬拆一座廟 也不毀一椿姻緣” (祠を壊すことはあっても 夫婦の縁を壊してはいけない)とかって言いますけど、
もし一人の男性が世界のすべてになってしまったら、自分というものがなくなってしまいます。

私なら彼女を引っ張って、自分を見つめ直してもらいます。

欲しいものは何なのか どうしたいのか 周りにいる人たちの中で自分を分け与えて その愛の力で守る価値がある人 心を砕くべき人は誰なのか。自分のすることには責任が伴うのだと必ず忠告するでしょう。

−《蘭陵王》の中で、一番印象に残った演技は何ですか?

最期の部分でしょうね…あ、でもまだそこまで放送してないんですよね、言ってもいいですか?

あの部分については、(脚本家の)玉珊さんにとても感謝しているんです。

それから監督と、仲間たちにも。みんなで力を合わせた結果ですから。

もともとのオリジナルの脚本では、高緯〈こう い/Gao Wei〉と私が揃って死を迎えるとあるだけで、豊かに肉付けされたエピソードではありませんでした。

私は後ろ手にしばられているんですが、高緯はそれをゆるめて、手をさすってくれる。一人の男性が、命の瀬戸際に、こんな風にしてくれるなんて。

そのとき私は、その優しいしぐさに涙が滝のように流れてしまって、泣きすぎたので撮影がストップしてしまいました。

しかも彼は自分で考えて、お芝居を少し足したんですね。懐から「緯」という字が書かれた紙を取り出すんです。私たちが16歳のころ、まだ若かったときのものです。

歳月を遠く隔てて 私たちはすっかり変わってしまいました。

彼は暗君だし私は妖后。

だけど彼がその紙を取り出したとたん、私たちは戻れるんです。あの天真爛漫で、無邪気だったころに。

とても感動的なシーンで、私も心打たれました。

−共演したい俳優さんはいますか?

もちろんいますよ! すごく好きな俳優さんがいるんです。
でも向こうは私が長年彼を愛してるなんて知ってるわけないですけど。
私が好きなのは皆さんが「アイアンマン」って呼んでる、トニー(・スターク)なんです。

《復讐者連盟》(『アベンジャーズ』)でこんなセリフがあるでしょう。

敵が聞くんですね、
「お前からこのポンコツの鉄くずを除けたら何が残る」
「金持ちで慈善家でそのうえイケメンなところかな」
こんな風にちょっとヤンチャで、でも正義感にあふれているところが好きなの。

ですけど、まずはもうちょい英語ができるようにしないと共演どころじゃないですよね。さもないと私の言ってることも分かってもらえなくて意思の疎通ができないでしょうし。憧れの人のために頑張らなくちゃ。

(中略)

−鄭児は美の化身ですが、あなたが思う美とは?

そうですね、まず誠実なこと、ナチュラルで飾らないなら、女性としてすでに美しいと思います。いま、女性の目標はいろいろありますよね。欧米の女優さんだったり、韓国の女優さんだったり。

だけど、自分の持っているものを捨ててはいけないと思います。純粋で素朴なところをね。だってそれは得難いものだからです。

私はアリエル・リンがとても好きなんです。正直に言うと、彼女が出たドラマをたくさん見てはいませんし、しかも最初からラストまで見た作品もなかったんですけど、共演してから《我可能不會愛你》(『イタズラな恋愛白書』)を見て、すごく自然な演技だと感じました。

実際の彼女もとても誠実な人なんです。彼女は自分に必要なものが分かっていて、現場で撮影の合間に英語の本を読んでいます。留学の準備で。人にも優しいし、とても彼女が好きですね。

私はもちろん、自分の母も好きです。それは母が私の母だからだし、スーパーマンみたいに360度死角がなく、私を守ってくれます。とても愛してるし、私も母を守るでしょう。

―女優以外にしたい仕事はありますか?

そういえば子どもの頃はいろいろな事をしました。昔は絵を習っていたんです。そのあとひょんなきっかけで
演技の勉強をすることになりました。

北京に来てから仕事があまり順調ではなかったこともありました。

子ども番組の司会をしたり、現代劇に出演したり。学校での代表作は《三毛流浪記》で、私は男装して三毛を演じました。

もし将来チャンスがあれば、デザインにかかわる仕事がしてみたいです。
なぜって私には他に得意なこともないし、お芝居以外で、絵だけが少しだけ自信を持たせてくれるものなんです。将来、デザインにかかわれればいいですね。

―10月8日はお誕生日ですね。どんな風に過ごす予定ですか。

お仕事が入らないといいなあと思いますね。そうすれば自然に目が覚めるまでゆっくり寝ていられるので。

朝寝坊の心配をしなくてもいい、 こんな大事な一日に目にくまができてないかとか心配しなくていい。

誕生日に願い事をするとしたら、若さを保ちたいってことですね。
大事ですよ、特に女性にとっては。

年々、今年は26歳なんでしょ、27歳なんでしょ、と言われるのが耐えられなくなってくるんですよ。
ですから、今年のお願いとしては、年を取りませんように、ってことですね。


最後は、若手女優さんならではのやりとりだったですかね... 。

鄭児同様、とってもけなげなニキータですが、可哀想に、庶民にはやっぱりかなり役柄とだぶって誤解されてるらしく、ウィリアム・フォンのお母様は息子さんに「悪人の役だけはやっちゃだめ。毛林林も(高緯役の)翟天臨も悪者のイメージがついちゃったでしょ」と諭しておられました...(哀)

さて、物語の中の鄭児はといえば、世間知らずで純粋な部分がクローズアップされています。

のちのち、なんであそこまでストーカーをこじらせたんだろうかと、観ている皆がイライラすることになるんですが、つまりは彼女があまりにも世間が狭く、あまりにも純粋であったのがその大きな原因だということが、しっかり描写されています。

そして雪舞だって、世間を知らず純粋だったことは、鄭児とあまり変わらなかった。

だから、実はこの二人は、本当にちょっとした違いで、運命が分かれてしまったとも言えるんじゃないでしょうか。

…ですが、それは物語全体の重要なキーだと私は考えているので、現段階ではあまり突っ込まずに先に行ってみましょう。

鄭児は、同じ境遇の官奴の女性に簡単に心を許し、打ち明け話をしてしまう。

そういえば、こんな感じの人、他にもいませんでしたっけ?

別れ際、命を懸けて忘れ物を届けた相手に、お礼として、

「あまり簡単に人を信じるなよ」

というアドバイスだけを受け取って返されちゃった人が。

信じた相手が悪かった(いや、もう一人の人の信じた相手も相当悪かったですが)鄭児は、蘭陵王からもらった大事な金の細工物を失う羽目になってしまったうえに、言葉通りに逃げ出してみたもののそれは罠で、見張りの兵につかまってしまう。

なんかこう、鄭児が必要以上にツイてないのも、なぜか観てる人をイライラさせるんですが、物語の表面には出てこない、その理由に思い至ると、このお話は本当に良くできてるなーと改めて感動を覚えます。

それはさておき。

二人のために世界はある状態のバカップルのおままごとにはますます拍車がかかっております。

白山村で鍛えた雪舞…いや、氷児の鍼治療の腕前は確かなようで、卵は大豊作。

阿土は、天女の名もだてではないな、
これはちょっと“大材小用”だ、と少しからかうように言います。

“大材小用”というのは、大物をつまらない用事に使うという意味。
だから、ご自分で言ってはダメですよ!

日本語では「役不足」が適訳なはずなのですが、こう訳すと一般の人(⊃自分)は「力不足」の意味に取るケースが過半数(文化庁調べ)なので、訳語に使えません...。

さて、何が不足かはともかく、天女様は偉大だということは、阿土も認める紛れもない事実。しかし、お話はこれから先、どんどん雪舞を「役不足」の方向へ追いやっていくんですね。

ここは本当に何気ないシーンだし、特に大きな意味はないのかも知れませんが、第1話で蘭陵王と会ったのは、メンドリの江夫人が逃げ出したことからだったのを思い出すと、本作の周到な脚本家のこと、このシーンにもさりげなく伏線が張られているような気がしてなりません。

一億総活躍社会の21世紀日本でさえ、一般女性ならば早く孫の顔をみたいとせっつかれ、東宮妃ならばその存在価値は御世継ぎを産むこと、というシビアな事実から考えますに、1400年前の宮廷で、蘭陵王の言うような、何事にもとらわれない女性でいることは難しい。

このシーンは、中盤以降のドラマの成り行きを暗示すると共に、雪舞のこれから置かれる立場の象徴とも言えます。

一般論として良いか悪いかという話ではなく、幸せのかたちは本当に人それぞれ。

一人の子のよい母でいることが似合う人もいれば、
雪舞のように、民全体のために働くことを運命づけられた人もいる。

お屋敷の中に彼女を閉じ込めとくのが良いことなのか、それはこれからおいおい分かることでしょう。

聡明な氷児は、もちろん言わせっぱなしではありません。

“我這還好,待會啊 有個大齊戰神 有去賣雞蛋啦”
(こっちはまだマシよ。しばらくするとね、大斉国の軍神が、卵を売りに行くそうよ)

…ってことで、卵を売りに行く羽目になる阿土。

よくヤンキーが駐車場でやってるような姿勢で地べたにしゃがんでますね。

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この姿勢、もともとは田んぼのあぜ道で休むときのもの、と聞いたことあるんだけど、
いま試しにちょっと真似してみたら、疲れるんですけど! 休めないんですけど!(((( ゚д゚))) 
運動不足がヤバい…(悪い意味で)

阿土の方は、商売あがったりではあるものの、
向かいの屋台で親子が、

「停戦は蘭陵王のおかげ」
「本当に斉の国の“棟樑”(大黒柱)だよ」

と言うのを聞いて嬉しそう。

しかし彼らの間には、周に移住すれば、良田をもらえて、三年は税も免除される、という、宇文邕の新公約が知れわたっている様子。

“哪像咱們的高家皇帝 停戰之後 只知道建什麼鬼佛寺的”
(うちの高家の皇帝は似ても似つかないな 停戦したら くだらない寺を作るしか能がないなんて)

とまあ、言いたい放題。

宇文邕が停戦した狙いはまさにコレ。
産業を立て直して、国力もつけて、その後、斉を滅ぼそうという算段。

人口が増える=生産人口と兵隊の数に直結してた当時は(今でも基本、そのようですが)、民を引き付けておくことも結構大事だったみたいですね。

こっちの政治が良くないと思えば、さっさと国を乗り換えるドライさも(今でも基本、そのようですが)、長年の蓄積あったればこそ。

「鼓腹撃壌」なんて言ってないで頑張らないと、民に逃げられちゃいますよ、高家の旦那さま。

違った、今は阿土でしたね。
彼が、もしもホントに庶民だったら、実はこんな情けない人だったのかも…。
でも、しっかり者の奥さんがいるから、大丈夫。

ここはアリエルの声の演技がとっても可愛いので、ぜひぜひ中国語の音声でご覧くださいね。

“老闆 我要買蛋”
(店長さん、卵くださいな)

“老闆 laoban”というのは、お店のご主人のこと。だけど今は結構、ボスとか、シャチョーさん、みたいな意味でもよく使います。

どうみても“老闆”にゃー見えない阿土は浮かない顔をしています。 
そんな様子じゃ売れないわ、と雪舞に言われて、立ち上がり、笠も脱いで呼び込みをかけるのですが、

“來 買 買雞蛋”
(さぁ、買った買った、たまご…)

と、途中でふにゃふにゃに…。

五爺が煽った割には、蘭陵王って庶民に知られてないんでしょうか。

いや、そもそも、知られてなくたって、兜を脱いだら兵士が見とれるほどの美貌のはずなんだけど...。

雪舞はここでレジェンドのネジを巻きに入ります。

“你平時是怎麼鼓勵你的士兵們 打仗的呀 你的士氣呢 快”
(いつもはどうやって部下を激励して戦わせてるのよ あなたの士気はどうしたの、早く!)

と、ここで“加油”(頑張って)もらうために、文字通り燃料を補給してる氷児ですが、ウィリアム・フォンの顔が真っ赤なのは、

1)アリエルのアドリブだったのでビックリした
2)芝居です。演劇大学出の一流俳優様だもん、当然でしょ
3)アリエルに密かに喉輪を決められた

のどれでしょう?

やっぱ、オレンジのチークかな?

とにかく給油効果は絶大で、張震さんのいい声がさらにスケールアップ。

“這裡的雞蛋 最滋補!”
(うちの卵は栄養たっぷり!)

たちまちあたりは黒山の人だかりに。

ちなみに、押すな押すなの大賑わいのことを、中国語では“下水餃” (水餃子を鍋に入れる)
と言います。

特に海やプールが人でいっぱい、なんて時は鉄板のフレーズ。

確かに、水餃子をゆでると、鍋の中で押し合いへし合いプカプカ浮いてるので言いえて妙。

まさに夫唱婦随のエール交換で、がっぽり稼いだ二人。
阿土は、ほくほく顔です。

“我覺的我們應該去大吃一頓”
(ぱーっと景気よく食べに行かなくちゃ)

“慶祝我阿土的事業 飛黃騰達”
(阿土の商売が トントン拍子に行ったんだから)

“飛黃騰達”第16話でご紹介したトーク番組(→こちら)http://palantir2.seesaa.net/article/437126292.htmlで、アーロン・クォックの話の中に出てきた表現ですね。

そういや蘭陵王は以前、子どもを追い払おうと、大金を渡してたって実績がありましたね。

阿土になっても、治ってないな?

当然、しまり屋さんの氷児はそんなこと許しません。

“持家不易啊 哪能隨意吃喝”
(家計の切り盛りは大変なのよ 無駄遣いしちゃだめ)

“我先去買一些你愛吃的食材”
(あなたの好きな食材を買っておくわ)

“黃昏時刻 家裡見”
(夕方におうちで落ち合いましょ)

ん〜、氷児、いい奥さんになれるよ、と言うべきところで!
阿土は全世界の視聴者を代表してツッコみます。

“可是我記得你只會煮蛋”
(だけど君は確か ゆで卵しか作れないんじゃなかった?)

“哪有啊”
(そんなことないわよ)

籠でぶたれて物理的に距離が縮まったのをいいことに(?)阿土は雪舞の手を取っていいます。

“一個只會煮蛋 一個只賣雞蛋”
(一人は卵をゆでるしか能がないし、一人は卵を売るしか能がない)

“我們真是太配了”
(私たちは本当にお似合いだ)

“你在說什麼”
(何を言い出すのよ全く)

ご本人たちが言うまでもなく、実にお似合いのお二人さまと比べるかのように、寺院建築の現場では、鄭児がさらに悲惨な目に遭わされています。

人々は彼女に、どこかで聞いたような陰口を投げつけます。

「人を信じすぎる」 
「次に生まれてくるときは、もう少し賢くなるんだな」…

そして光と影の交差は、次の第19話でクライマックスに達します。

光あるところに、影がある。

人生の栄光と挫折を1話のうちに織りなす、次回・第19話→こちらのエントリーをお楽しみに。


posted by 銀の匙 at 01:34| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

蘭陵王(テレビドラマ29/走馬看花編 第17話)

はぁい、皆さま、いつの間にか端午の節句も終わっちゃいましたね。

…って今もう7(ひち)月じゃねーか、いつの話でぇ?って、ただでさえ周りを江戸っ子に囲まれてると月日が経つのが3倍速いんですけど(赤いのか?)、中国じゃ年中行事は農暦なんで、今年(2016年)の端午の節句は6月9日だったそうなんですよ。

端午の節句といえば五月人形ですが、「金太郎」や「桃太郎」に並んで、「蘭陵王」(雅楽の方ですが)っていうのもあるのに気が付きました。

へぇ、と思って人形屋さんのサイトを見ると、何とひな飾りの中に「蘭陵王」を突っ込んでるセットを発見。そんな、何でも増量すりゃ良いってものでもないでしょうに…。

かと思えば、「博多祇園山笠」(7月1〜15日)の舁(か)き山笠に「秀麗陵王鬼面勲(しゅうれいりょうおうきめんのいさおし)」なるものがあることをニュースで発見。

西日本新聞の記事にはちゃんと、

「女性のような顔立ちのため、鬼面を付けて戦ったという6世紀中国の蘭陵王の人形は、躍動感あふれるポーズが印象的。川崎さんは「今年は赤にこだわった。遠くからでもひと目で分かる鮮やかな色彩を見てほしい」と話した。

と、キャラの由来や色までガッツリ紹介されております。

さて、年中行事のうち、日付が移動する祝日になってる行事は旧暦1月の春節、4月の清明節、5月の端午節、8月15日の中秋節の4つ。

地方によって行事食に違いはありますが、メジャーどころで春節は餃子、清明節は草餅、中秋節は月餅を食べます。

じゃ、端午の節句には何を食べるか、というと、それはチマキ。

ちょうどこの時期、横浜中華街に行ったので頂いてまいりました。

なんで端午節にチマキを食べるか、は実際にはナゾなんですが、楚の政治家にして詩人・屈原<くつげん>が国を憂いて入水したとき、お魚のエサにならないように楚の人たちが河へチマキを投げ入れたのが始まり、というお話が伝えられております。

♪ち〜ま〜き食べ食べ、兄さんが〜
測ってくれた背の丈〜♪

なんて、のどかな光景が喜べるのも平和だからこそ。
権謀術数渦巻く1400年前の北周では、悲しい思い出にしかならないのでした。

それに、もう7月も半ばなんで、江戸っ子の本拠地・神田では、チマキじゃなくて、

「冷やし特バカ」

を食べる季節なんですよ。

私ゃ全国的にこのメニューは同じ名前なのかと思っていたので、非常に恥ずかしい思いをしたことがございますが…。

いえ、中国語の雪舞さまに認定されたあの方のかき氷、という訳ではございません。
じゃ、なんでしょうか?

が分かるかも知れないので、行ってみましょう、第17話

今回は割に短く終わってしまいました。インタビュー紹介等はまた次回以降ということで、サクサク参ります。

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

前回・第16話→こちらをご覧ください。

*   *   *

巫族〈ふぞく〉の天女・楊雪舞〈Yang Xuewu/よう せつぶ〉は、斉〈Qi/せい〉国の皇子・高長恭〈Gao Changgong/こう ちょうきょう〉=蘭陵王〈Lanling Wang/らんりょうおう〉=四爺〈Si Ye〉との婚礼を間近に控えた身でありながら、隣国の周〈Zhou/しゅう〉の皇帝・宇文邕〈Yuwen Yong/うぶん よう〉=仔ブタ(と呼んで、と自分で言ってた)陛下に、姪の病を治して欲しいと請われるがまま、都・長安(Chang'an/ちょうあん)の宮殿に滞在しています。

近衛兵に身をやつして周に潜入していた蘭陵王は、宮廷内に不穏な動きがあることを察知し、夜闇にまぎれて雪舞の部屋に現れるのですが…。


*   *   *

第16話からヘンタイまたぎで始まりました、冒頭シーン。

“變態”って言葉が中国語でも、さなぎが蝶になるぅ(はぁと)以外の意味で使われるようになったことは前回ご紹介いたしました。

よくも悪くも日本のサブカルが世界にダダ漏れの昨今、中国もその例外ではありません。言葉もどんどん知れ渡ってゆき、よくもこんなものまで…という言葉が漢字ならそのまま使われてたり、しっかり訳されてたりは当然として、あまりになじんで独自の意味が追加された言葉まであります。

特に解説は致しませんが、
“正太”“二次元”“眼鏡娘”あたりはそのまんま。
“姐姐控”“蘿莉控”は音訳が混ざってます。“控”「〜コン」の訳ですね。「シスコン」「ロリコン」…以下、数えきれないほどあります。

そのほか、ツンデレ“傲嬌”)、ドジっ娘“冒失娘”)あたりはちゃんと(?)翻訳ですが、スゴイのがこれ、

“殺必死”

意味、お分かりですか? 読みはコレ→ sha bi si

そう、サービス。でも、サービスはサービスでもサービスカットとかそっち方面に使うようですね…
まさに悩殺ってヤツでしょうか。

も一つ面白いのは“腹黒”
これは日本語そのままの「腹黒い」という意味のほかに、「小悪魔的な萌え」ってニュアンスも付け加わっているそうです。

そんな良い意味で腹黒(??)な皇帝の元からとっとと逃げ出そうとする蘭陵王。

私だ私だってあんた、オレオレ詐欺じゃないんだから、
名前くらい名乗ったらどう?

“你還猜不出我是誰阿?”
(私が誰かまだ分からないのか)

って言われてもさ。
このニヤけた二重あごのおっさんは誰なんでしょう?
マスクを取った後すらわかんないわよ。

思うにウィリアム・フォンさんはこの頃が一番栄養が良かったのではないでしょうか。
今はまた以前同様痩せ細って、御膝元のファンの皆さんのみならず、白骨精役の大女優コン・リーにまで、ちゃんと食べてるの?と心配されてたそうです。

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(雑誌のカバー写真。2016年度ご本人さまの微博より。何だかどんどん若くなっていくような気がするけど気のせい?)

普通、写真に撮ると実物より膨張して見えますから、写真でさえ細く見えるなら相当なものでしょう…。

しかし、この時点ではまだ膨張気味の蘭陵王は尋ねます。

“想我嗎”
(私が恋しくなかった?)

“想”+○○は 〇〇を恋しく思う、会いたいと思う、という意味です。
第10話(→こちら)で宇文邕が、都にいる宇文護を思い起こしながら、

“宇文護現在必定是按捺不住”
(宇文護も待ちきれぬ思いだろう)

“朕也很想你呀”
(朕もそなたに会いたく思うぞ)

って言ってました(笑)。

そういや前回、ずっと離れたままだと死んじゃうとまで言っていてましたよね雪舞は。当然、ようやく再会出来て大喜び…なのかと思いきや、最初に出てきたセリフがコレ。

“你為什麼偷看貞兒洗澡”
(どうして貞児の湯あみを覗いたりしたのよ)

聞いた蘭陵王は不服そうな顔をしてます。ってそりゃそうだろ。
しかし雪舞は四爺の気持ちにはお構いなしの様子で、まるで相手が悪いような責めっぷり。

“你在這裡假扮多久了”
(いつから紛れ込んでいたのよ)

以前の回ならブチ切れてたかも知れないのに、周の同僚たちに揉まれたおかげか四爺はおとなしく答えます。

“我一直都偷偷跟著你”
(最初からそっと付けていたんだが)

どうもこのシーンの四爺は何だか表情がぼんやりしてて、
しかも相変わらず眠そうですよね…。

しばらく仮面に隠れて見えなかった間に中味が入れ替わってたりして…。
いや、そんな《宮》(『パレス〜時をかける宮女』)じゃあるまいし。

“你不知道你的身份 在這里很危險的嗎”

直訳すると、あなたの身分でここにいたらどんなに危ないか、分からないの?ということですが、意味するところは、敵国の皇子の身分でうろうろすんな、宇文邕に捕まったら目ぇくり抜かれっぞ、ってことですよね…あぁ、いえ、突然のことにパニックになってるのがよく分かります。

ってか、それを言うなら、あなただって敵国の皇子のヨメの身分でここにいるってご存知ですか? まさか、自覚がないのかな…?

まぁでも分かりますよね。すごく会いたいと思う気持ちの裏返しで、優しい言葉よりこういう態度に出てしまうっていうのは。

四爺もそれはもちろん分かっているので、当然のごとく、さあ帰ろうと促しますが、
当然、喜んで一緒に帰ってくれると思いきや、ここに残ると言い出す雪舞。

それを聞いて思わず後ずさりする四爺のリアクション、何度見てもおかしいです。

“每次他看到你的時候就像 就像沙漠里一隻野獸 渴了好幾個月了
看到了水 那麼飢渴 那麼淫穢”

(奴ときたら君を見るたび、まるで砂漠の獣が何か月かぶりに
やっと水を見つけたときのように 飢えたいやらしい様子をしているのに)


またもヒューズが飛んだ四爺は、言いながら一人で興奮してるんですけど、
ほんとこれ、前回雪舞が言ったように、相手の目ぐらいくり抜きかねないって。

しかし、そこはやけに冷静に返す雪舞。

“野獸不過是看到水 為什麼覺得淫穢呢?”
(獣は水を見つけただけでしょ?なんでいやらしいのよ)

ここの日本語吹き替えはとても上手いと思うのですが(ま、いつも上手いですが)、
「水」を「いずみ」と訳しています。

中国語でも“水”は「水」なんですが、“山水画”という言葉もありますように、
日本語で言う、河とか湖とかを指すことも多いんですね。

ここのセリフも、『スターウォーズ フォースの覚醒』の、砂漠の中に設置された水飲み場みたいなものではなく、オアシスとか、ちょっとした小川みたいなものがイメージされているはずなので、「水」ではなく「いずみ」と訳したのではと思います。(口の形とか、秒数とか、テクニカルな理由もあるのかも知れませんが…)

たった一文字のことですが、翻訳って大変だなあと思います。

と、視聴者が勝手に掘り下げていると四爺は、

“你不要跟本王深究這些 總而言之 他就對你有意思。
(そんなことは詮索しなくてよろしい。ともかく、
あいつは君に気がある)


と言い出します。
なんだ太っ腹は見てくれだけかぁ…と皆が見切っているのに、

“不要深究這些”
(そんなとこにツッコむな)

と言われてもねぇ…。

ちなみにここの四爺のセリフにある、

“意思”

という言葉はなかなか面白いです。

ここでは、“有意思”で「気持ちがある」=まさに「気がある」って意味なんですが、
同じ字面で「面白い(interesting)」という意味になることもあります。

この言葉を使ったテッパンの小話というのがありまして、こんな感じです。

エライ人が“紅包”赤い袋。ご記憶でしょうか、お年玉はこんな袋に入ってるんでしたよね)を渡されて…
 
“你这是什么意思?”  (これはいったい何の意味かな)  
 
“没什么意思,意思意思。”(何てことありませんよ、つまらない物です)  
 
“你这就不够意思了。”  (こんなことをしてもらっては困るな) 
 
“小意思,小意思。”   (ほんのちょっとした気持ちでして)   
 
“你这人真有意思。”  (あなたって人は本当に面白い人だな) 
 
“其实也没有别的意思。” (いえいえ、特に何かってことでもないんで)  
 
“那我就不好意思了。”  (じゃあ済まんがいただいとくよ) 
 
“是我不好意思。”    (お礼なんて却って申し訳ございませんですよ)

李安〈Li An/り あん〉とか祖珽〈Zu Ting/そ てい〉とか、しょっちゅうやってそう(笑)

忘れがちになりますが、そういや四爺は紅包をもらう方の立場の人だったんでした。
そして皆さまの予想通り、ここから先、四爺の自称は“本王”一点張りです。

“全天下人看得出來了 就是你沒有看出來”
(誰が見たって分かるのに、君だけが気づいていないんだ)

全天下人 (全世界の人)と来ましたね!そんな大げさな。あはははは。
雪舞もここぞとばかりに言い返します。

“你這是在醋意大發嗎?”
(それって巨大なヤキモチ?)

“醋”(酢)にヤキモチという意味があることは、第12回→こちら
でお話しましたね。

“我不管 反正你就是本王的 你就是本王的”
(何とでも言え とにかく君は私のものだ 君は私のものだ)

おやおや、いきなりこのお子ちゃまぶり、前回(第16話)で雪舞が宇文邕に話したことは本当だったんだ...と
、蘭陵王の豹変ぶりに驚愕する視聴者ですが、雪舞は慣れたものです。

王に対する庶民の態度とは思えないこの馴れ馴れしい態度、いやこれは宇文邕へのハッタリ君ではなく、ホントに日頃蘭陵王をつねっていたとしか思えない…

“現在才發覺 你的妻子有多麼國色天香了 是嗎”
(今ごろになって、あなたの奥さんは絶世の美女だったって気づいたんでしょ)

“國色天香”とは国を代表する名花という意味。百度先生によりますと、現代中国では国花は決めていないそうなのですが、この言葉の出来た唐代、それは“牡丹”を指していました。

「立てば芍薬、歩けば牡丹…」と、美女を花になぞらえるのは日中共通。

しかし中国語には、日本にはない“校花”という「名花」が存在します。
平たく言えば、ミス・キャンパスという意味ですが、必ずしもコンテストで決まるわけではなく、誰もが認める学校一の美女、を指すようです。

そんな“校花”を手に入れた男子は鼻高々、なのですが、当然、そんな特典を享受するにあたっては、考えようによっちゃ大変厳しい条件を耐え忍ばなければダメらしい。

その厳しい条件とは、“校花”はみんなのもの、という、暗黙の男子間ルール(笑)。
地域や年代によって違うのかも知れませんが、少なくとも北京ではそうでした。

私の直接知ってるケースは、当時としては珍しい、理系の才媛(写真を見せてもらいましたが、ホントにめちゃ美人)だったのですが、今はもういい歳をしたおばあちゃまなのに、表敬訪問と称してひっきりなしに昔のクラスメートが訪ねてきます。

そのたびに、旦那さんはニコニコしながらお茶を入れ、野郎共をもてなし、昔話に付き合わなければならないのです。

誰もが羨む学校一の美女と結婚できたってことは、旦那さん本人として嬉しくなくはなくないんでしょうけど(どっちだ)、延々そんなことに付き合わなきゃいけないなんて、疲れそう。

ましてや四爺のあの性格。ムリムリ…。

“開始擔心了? 你真可愛。”
(心配になった? 可愛い人ね)

1400年前にもそんなルールがあったのか、雪舞はしきりに四爺をからかいますが、どうやら必要十分条件を満たすことはできなさそうな四爺は、

“我不跟你說這些啊”
(この話はおしまいだ)

と話を打ち切ろうとします。直訳すると、もう君とこういった話はしませんよ、ということですね。

“我今天通知五弟 在邊關等我們”
(今日、五弟に国境へ迎えにくるよう知らせておいた)

この話を聞いたとたん、雪舞は四爺に抱きつきます。

“雪舞真的好高興”
(雪舞は本当に嬉しいの)
こう言って四爺を嬉しがらせておいて、

“就一天咱們回家了”
(あと一日いたら帰りましょ)

って要求を出すなんて、
雪舞も策士よのぉ…。

五爺まで呼んで帰国の手筈を整えてしまった以上は、最終兵器を出さないとお許しが出ない、とのとっさの判断だったんでしょうね。

ただ、さっきの優しい言葉が滞在を引き延ばすためのお芝居のように聞こえて、喜んだ四爺がちょっと可哀想な気がしますけどね…。

“求求你嘛 拜託你啦”
(ねぇ どうかお願いよ…) 

と、これも高一族直伝のおねだりワザを開陳されると、四爺はたちまちメロメロに。 
“這跟要挾本王有何區別 你知道我是拒絕不了你的”
(これじゃゆすりと変わらないな 
私に君の頼みは断れないんだから)


そんなこと言っちゃって、ホントに学習しないお人ですね。
いまこんな目に遭ってるのだって、元はといえば、第6話で阿怪を庇う雪舞のおねだりを聞き入れてしまったからではありませんか。

でもま、美女のおねだりを聞いて取り返しのつかない結果になるのは、中国史の伝統だからしょうがないか。

王の膝の上に侍ったまま、飲みホーダイで夏を滅ぼした末喜〈ばっき〉ちゃん。
酒池肉林の宴を催して、ゴージャス三昧で殷を滅ぼした妲己〈だっき〉ちゃん。
戦闘の合図の狼煙をお笑いのネタにして、周を滅ぼした褒姒〈ほうじ〉ちゃん。
名前不明だけど、ミンクのコートを貢がれて、敵を逃がしちゃった寵姫ちゃん。

など、など、など、など、さすが中国、人材豊富!

そういやこのドラマにも、先々国を滅ぼすおねだり寵姫ちゃんが登場するんだった。

しかしそこまでの予言はできないらしい天女の雪舞は、ニコニコと四爺を見送りながら、心の中ではおばあ様の予言した、

“兩狼互殺” (二匹のオオカミの死闘)

を思い出しています。

この二人、相手を思いやるあまり自分の心配事を相手に伝えない、という困った傾向があり、それが後々事態を悪化させていきます。これまでもたびたび、そういった例がさりげなく描写されていましたが、このシーンもその1つですね。

さて、雪舞の思いが呼び起こしたのか、仔ブタ陛下は来し方を思い、感慨にふけっております。

貞児のパパ・松本幸四郎…いや、宇文毓〈うぶん いく〉は史実でも宇文邕と仲がよかったとのこと。文武両道に長けていたとのことなので、きっとドラマ同様、宇文邕にもいろいろ教えていたのでしょう。

かわいそうに、死の床についたお兄様は、

“病入膏肓”(病、膏肓〈こうこう〉に入〈い〉る。もう助からない)

と話していますが、膏肓というのはツボの1つで、実際にはココが痛いからって死ぬわけではありません。

じゃ膏肓ってどこか、は意外に知られていませんが、背中の自分ではしっかり押せないところにあたり、肩甲骨〈けんこうこつ〉のちょうど上下の真ん中で、背骨側のヘリにあります。

ここのツボは胃酸過多とかダイエットに効くと言われていますが、要は、ストレスが溜まると痛むところなんですね〜。だからといって、むやみに押してはいけません。東洋医学は何でもそうですが、体質と症状によって処方が違うので、どこのツボを押したらいいかは人それぞれ。

動かしづらい場所なので、運動するとき意識して動かすくらいがちょうど良いのではと思います。

と、ヘルスケアに関するトリビアも虚しく、お兄様は(史実では息子の)貞児と弟の宇文邕を守るため、宇文護に毒を盛られても敢えて防がずに亡くなってしまいます。

隣の高一族同様、北周の宇文一族も血で血を洗う抗争を繰り広げたわけですが、宇文護は宇文邕からすると従兄にあたり、斉の皇太子・高緯〈こう い/Gao Wei〉にとっての蘭陵王と同じような立場の人なのです。

蘭陵王は建国の功労者の長子の子ですが、宇文護は建国の功労者の兄の子。一族の序列でいえば上の立場なのに、臣下の扱いなのは面白くなかったに違いありません。

宇文一族の出身でありながら臣下扱いの人として、ドラマでは他に宇文神挙〈うぶん しんきょ/Yuwen Shenju〉が出てきますが、川本芳昭先生の『中国の歴史5 中華の崩壊と拡大』によりますと、その他にも、鮮卑〈せんぴ〉族にはこんな習慣があったそうです。

「西魏二十四軍政制を見るとき(中略)…興味深い現象が見られる。それは各軍府の府兵はその軍府の長官の姓を名乗ったと考えられることである。

こうした習慣は胡族のもつ古い伝統に根ざすもので、自らが属する部族の長の名を自己の氏姓とするということが鮮卑や匈奴、烏丸などの北方民族の間では広く見られ、北魏の時代になっても受け継がれていた。」

「これは隋末のことであるが、隋末の英雄である李密が隋の煬帝を弑殺した宇文化及を非難して『卿はもともと匈奴の奴隷・破野頭の出である。それなのに父兄子弟はみな隋室の厚き恩を受けたのだぞ。…』と述べたことがある(隋書 李密伝)。」

「この李密の非難は、宇文化及の先祖の姓は破野頭といったが、その先祖が北魏の初めに宇文俟豆帰という人物に従属したので、のちその主に従って宇文氏を名乗ったことを踏まえているが(隋書 宇文述伝)、このことは北魏建国から200年以上たった七世紀初頭の時代にあっても、少なくともこうした主人の姓に従って自らの姓を名乗るという風習があったことを持ち出し、他人をからかうことが可能であったことを伝えている。」(274pp)


この場合、宇文氏に仕えた人が、主人の苗字をいただいて同じく宇文氏を名乗ったということになります。

日本で言えば、伊達家の家臣が、伊達の苗字を許される、てなとこでしょうか。

武将レベルでも相当な恩典ですが、これが皇帝の苗字ともなれば「国姓」としてそのステイタスたるや大変なもので、最大級の働きをした英雄に与えられることになります。

明代の終わり、清に抵抗して戦い、台湾からオランダを打ち払って有名となった鄭成功〈てい せいこう〉は、皇帝から明の国姓“朱”を賜ります。国姓を名乗るエライ人、ということで付いた呼び名が「国姓爺」〈こくせいや)。

歌舞伎の演目『国姓爺合戦』でも有名ですね。

一方、生まれついての国姓爺・宇文邕ですが、自分に兄上を毒殺させようなど“異想天開”だ、と泣き叫んでいます。

この言葉、日本語の「奇想天外」に当たるものだと思っていましたが、使われ方を見ると、どうやらちょっとニュアンスは違うみたいですね。

さて、お相手の宇文護の方ですが、すでに宇文邕を始末して皇位に付く気満々です。

皇帝のお召し物である金の“龍袍”にスダレ冠(第7話こちら に登場しましたね)をがっつり誂え、コスプレの用意も万端です。

もっとも、龍を刺しゅうした金や黄色の服が皇帝の衣装と定められたのはもっと後の時代のようですが…。ナショナル・カラーはですから、宇文邕のカラスルックが周的には正しいです。

で、ブラック皇帝陛下は朝ごはんに竜骨湯を召し上がるわけですが、医食同源の中華では、メニューにもいちいち効能があり、このスープは、

うつ病に効く

とされております。

何でそんなもの処方されてるんだか、うざいほどポジティブなのに…。
(あ、いつもそういうものを飲んでいるから鉄のメンタルなのか)

ところで、「竜骨」とはすなわち、動物の化石のことです。甲骨文字は、漢方にしようと竜骨を買った清代の学者先生が、そこに刻まれた模様を見て、これは文字だと気づいたことから発見されたとか。

何でも薬材扱いの困った習慣が、珍しくも良い方へ転んだ例ですね。

お飲物が貴重な古代の遺物かも知れないとはご存じない仔ブタ陛下、飲もうとレンゲを持ち上げたところに宇文神挙が来たので、実際には口をつけていません。

だから料理番がどっちの手先だろうと、きっと何ともなかったはずです。
お料理にがっつかないというのには、こんなメリットもあるのですね。

と、ティファニーのマナーブックを片手に鑑賞していると、お下品な方々が禁止事項ガン無視で乗り込んできます。

いまはそんなことないと思いますが、ひと昔前の中国の列車には、話に聞く日本の買い出し列車みたいに、ありとあらゆるものが持ち込まれていました。

ふとん、なべ、自転車などは可愛い方で、人の背丈ほどもある米袋とか(それ、手荷物っていうか普通)、ヤギとか(もちろん生きてるヤツね)、センザンコウとか(もちろん生きてるヤツね)、理解に苦しむアイテムも少なくありませんでした。

絶対ダメって繰り返し放送してるのに、花火を大量に持ち込む不届き者とか(天女さま、あなたのことです)。

当然、むくろもダメですよ!

と言ってみても、宇文護も不届き者なんで聞いちゃーいません。
そんな人たちに真顔で説教する宇文神挙はホントに怖いもの知らずというか何というか。

当然のごとく、手下どもに刀を突き付けられておりますが、よくも殺られなかったものだと…ぶるぶる(あまりに不自然なんで、実は最初見たとき、彼もグルなのではと思ってました。許して、宇文神挙!)

スープを飲んでもいないくせに、毒を盛られた…と、虫の息の宇文邕。皇帝だというのに俳優なみのスゴイ演技力です。つか仔ブタちゃん、その血糊はどこから…まさか『ズートピア』じゃあるまいし、ケチャップとかじゃないですよね。

それにしてもよく分からないんですが、宇文護はなんで今頃になって皇帝の座を狙い始めたんでしょうか。どうせなら宇文邕がもっと若いうちの方が良かったんじゃ?

とはいうものの、きっかけもなくクーデターを起こせば、さきざき歴史書にどう書かれるかは火を見るより明らか。

意外な気もしますが、こういう人たちは通信簿を気にする夏休み前の小学生みたいなマインドの持ち主だったようです。

小学生なのは宇文邕にも言える、というのはもうしばらくすると分かります。

ここで、宇文護は宇文邕に譲位の詔〈みことのり〉を出させようとします。宇文邕は寝殿に引っ込んでしまいましたが、李安はそこへサインした文書を取りに行くのを嫌がります。

宇文護の子分のくせに、なぜ肝心の詔を取りに行かないのかははっきり説明されていませんが、恐らく、宇文邕が「先」帝(笑)という身分になったとしても皇帝は皇帝、その身体(玉体)に触れたり、直接何かを受け取ることは、禁忌だったからだと思われます。

第8話(→こちら)でお話しました通り、直接声を掛けることさえ、本当は許されないくらいなんですから、いつもは遠く階段の上にいる皇帝陛下のお側へ、大冢宰ならぬ李安の分際で近寄ることなど考えづらかったのでしょう。

そんなら自分で行く(はぁと)と、さすがは宇文邕の想い人(笑)らしく、ずいぶん気軽に詔を取りに来た宇文護に刀をつきつける、仔ブタ陛下。

積年の恨み重なる従兄に“老狐狸”(悪賢い古だぬきよ)と呼びかけています。

おや、これまでは自分をオオカミに育ててくれたオオカミだと思ってたんじゃなかったでしたっけ。オオカミになったりタヌキになったり忙しいお人です。

ちなみに、中国語の“狐狸”は「キツネとタヌキ」ではなく、現代ではこの2文字で1語で、「キツネ」を意味します。

詐欺師一族としては、どっちもどっちのキツネとタヌキの化かし合い、なんでしょうけど。

ということで、キツネ(江戸前は油揚げ)とタヌキ(同天かす)両方入りの冷やしそば大盛りのことを、一部では「冷やし特バカ」と申します。

背筋も凍る夏の納涼メニュー、どうぞお試しあれ!

腹心が護ってくれるはずと信じていたのに宇文邕の計にはまり、自ら手にかけていたことを知り、大船どころか納涼屋形船に乗り組んだと悟った宇文護は、

“反間計…”(離間の策か)とつぶやいていますが、これは以前ご紹介した《孫子兵法》用間篇にある言葉です。

相手の力を削ぐために、大事な仲間と仲たがいさせようとする。

高緯に蘭陵王の悪口を吹き込んだ祖珽が企んでいると、第10話(→こちら)で雪舞がなじった計略ですね。

さあ、ついに宇文護を追い詰めた宇文邕。してやったりといつにもましてドヤ顔の特盛り状態です。とっとと決着を付ければいいものを、この後延々と過去のいきさつを語ります。

なんせあと放送時間が10分も残ってますしね。

ということもあるでしょうが、宇文邕としては、この後、本当の皇帝になるために、この場にいる全ての人(除:宇文神挙)が思っているであろう、

宇文邕はヘタレ
宇文邕は兄皇殺し
宇文邕は尉遅迥を見捨てた

という誤解をといておかなければいけないのでしょうね。
皆に思われているってことは、歴史書にもそういう記録が残ってしまうということでもありますし。

そうです。宇文邕も、通信簿に何て書かれるかを気にしなければいけない立場なんですね。

そして、我らが四爺も、スケールはやや小さいとはいえ、そこんとこの基本は一緒。何せ第9話(→こちら)で、史官に書かせるセリフのことまで皮算用してましたよね。

現代日本での存在感のなさからは想像がつきにくいことですが、古代中国で歴史を書く係の人は偉かったのです。

地位が高かったというだけではありません。地位の高さに見合うだけの、その根性が偉かったのです。

『春秋左氏伝』にこんなエピソードが伝わっています。

大史書曰 崔杼弑其君 崔子殺之 其弟嗣書 而死者二人 其弟又書 乃舍之 南史氏聞大史盡死 執簡以往 聞既書矣 乃還
(歴史を書く係である太史が「崔杼は自分の君主を殺した」と記録したので、崔杼に殺された。跡を継いだ弟も同じことを書いて殺され、死者は二人となった。するとその弟がまた同じことを書いたので、ついに赦された。

別の史官は太史たちが殺されたと聞き、「崔杼は自分の君主を殺した」という記録を残そうと竹簡(第16話参照)を持って駆け付けたところ、すでに史書に記されたと聞いて、帰っていった)


崔杼は、このドラマでいえば宇文護のような、当時の実力者です。彼が公位を簒奪したため、史官は簡潔にそう書きました。殺しても殺しても、次に史官になった者が記述を変えないので、ついには諦めた、という話です。

ま、殺された君主の方もロクな人じゃなかったのですが、それはまた別のところに書いてあります。毀誉褒貶は別にして、事実は事実として記録に残すというのが史官の仕事なのです。

この話は「太史の簡」という言葉になって残っています。意味は、どんな困難にあっても仕事をおろそかにしない、ということです。

だから第9話で四爺は史官に書かせるセリフなんか考えていますが、その通り書いてもらうのは、たぶんムリ。

史官のど根性といえば、中国でもっともよく知られた歴史家の1人、司馬遷のエピソードも思い出されます。

彼は当時の将軍をかばったために刑罰を受けますが、執筆中だった史書『史記』を完成させるためだけに生きている、書き終えたら極刑に処されようと構わない、と言い放った話は有名です。

こうまでして作られた書物に書かれた記録は、当然重きを置かれ、子子孫孫語り継がれると考えられています。

なので、後世、残った記録で自分の悪評が定まるのを恐れて、皇位を狙う者たちはウラの事実がどうであれ、表面的には禅譲が行われた(前任者に位を譲られた)と史書に書かせようとするのです。

何だかなーとお思いになるかも知れませんが、後世の評判を気にするのは、何も古代中国の話だけじゃありません。

たとえば、アメリカ初の黒人大統領オバマさん。

あらゆる意味で物議を醸してる後任選びのおかげか、すっかり影が薄くなりつつありますが、彼も任期の終盤を迎え、「どんなレガシーを遺すか」が注目されています。

レガシーとは遺産、この場合は業績ということですが、それはまさにのちの世に、何をした、どんな大統領だったと伝えられるかを意識することに他なりません。

で当然、記録のために回ってるであろうビデオカメラを意識しすぎたのか、宇文邕はセリフを引っ張り過ぎてしまい、その隙に貞児を人質に取られるという大失態を招いてしまいます。

宇文邕がどうなろうが(ヘタすりゃここでライバルが消滅してくれたらラッキーくらいに思っていたのかも)、

とにかくとっととこの場を立ち去りたい蘭陵王は、宮中の大混乱に飛び込もうとする雪舞に、

“這不關你的事”
(これは君には関係のないことだ)

と言いますが、もちろんそんなこと聞く雪舞じゃありませんって。

一方、貞児を放せとすごむ宇文邕に、

「取引できる立場ではなかろう」という声がかかります。
相変わらず上手い訳っすね。ここの原文は、

“討價還價”

値段の駆け引きをする、という意味です。

そこへ飛び込んでくる楊雪舞。突然の招かれざるゲストの登場に、当然、みんなはビックリです。

自己紹介も兼ねて、出た出た 雪舞のお得意、 

ハッタリ君!

何か物凄い魔法使いなのかしら?と、その場のみんなが思わず固まっていると、後ろからこっそり、蘭陵王が李安に近づきます。

ああ、李安〜! 後ろ後ろ!

四爺は何のためらいもなく、この場で最初に剣を振るったくせに、その後は左右をキョロキョロ見てるのが何ともはや。

その後、そんなに宇文邕の命令を聞くのが不服なのか、御意といいつつあからさまに不承不承で笑わせてもらいました。

しかし、笑ってる余裕もないこの場の宇文邕と宇文護。

最後の大逆転を賭けて、宇文護はこの一言を繰り出します。

“我是大周國的開國大將”
(私は周国開国の功労者だぞ)

你的父皇宇文泰 曾經下令 後代君王均不得殺之 你豈敢”
(そなたの父、宇文泰は、この先、皇帝といえども宇文護を殺めてはならぬと命をくだしたのだ。それを敢えて破ろうというのか)

父親に背くのか!とは、ダースベイダーがルークに投げつけそうなセリフですね。…

儒教社会、ましてや人の手本たる皇帝であれば、親の言いつけに背くことは重大な倫理違反な上に、開国の皇帝・宇文泰が下したのは、宇文護に、いわゆる“免死金牌”を与えるという命令で、これを無視することはできまい、という言わば二重の脅しです。

“免死金牌”とは、建国の功労者に皇帝が与える特権です。

“金書鐵券”“丹書鐵券”というのも基本的に内容は同じで、恩賞や特典をメダルや金属の板に書く、一種の契約書で、半分、またはいくつかに割って、割符の片方は他の人が持っていました(第7話→こちらで、祖珽が高緯に「勝ったも同然」という意味で“勝券在握”と言ってましたね)。

そこに、お前さんの働きで勝てたら、死罪に値することをやっても9回までは無効ね、とか、お前の子孫も死罪を免除してあげるよ、等々の約束事が書いてあるわけです。

なんでそんな面倒くさいことを…とお思いの方には、日本の戦国時代を連想していただければ分かりやすいと思うのですが、これから国を作るってことになれば代々の忠義者とかはいませんので、武将も当然、これやって何のメリットがあるわけ?と思っています。

なので、合戦とかで一番に斬り込んだり、勇猛な働きをしてもらったりしようと思えば、やっぱりインセンティブで釣るのが一番な訳です。

最初はご褒美や領地を約束した契約だった“鐡券”ですが、死罪を免じるという恩典がついたのが、ちょうどドラマの時代、南北朝だったと言われています。それには戦乱の時代ならではの切実な側面がありました。

これは第1話で雪舞のおばあ様も言っていましたが(→こちら)、兎を捕まえれば猟犬は始末されるのが世の倣い。

功労のあった将軍は、疑心暗鬼に駆られる新皇帝の側にいて、褒美を期待するどころか、場合によっては命の心配をしなければなりませんでした。

それが、のちのち皇位を簒奪するかもしれない親戚筋ならなおさらのことで、建国にあたって助太刀した他民族とかも同様です。

だから、皇帝は将軍や親戚や帰順してきた他民族の武将たちに、私も、そして後継者たちもあなたに危害は加えません、という約束を与えておくことで、頑張って働いてもらおうとするわけです。

これが簡単にひっくり返せるようなら、約束になりません。いくら皇帝でも、重要な約束を反故にするようならば家臣は離反するはずです。なので宇文護も、絶体絶命の瀬戸際にこの話を持ち出してきたのでしょう。

でも、いくら取り決めだって、自分の命が危ないときに、それを守ろうという皇帝もいないでしょうね…。

結局、宇文邕は剣を振るい、

“朕即天下”
(朕こそが天下だ!)

と宣言するに至ります。

ってことで、宇文護によるクーデターはどこぞと同様失敗に終わり、ひれ伏す皆さん。とりあえず、長安市民に被害が及ばなくて済みましたね、は良いんですが、ここで宇文護の付き人も全員どさくさにまぎれてバンザイ側に回ってるんですけど…。

とまあいろいろありましたが、西暦572年、“韜光養晦”(才能を隠して外に出さなかった)12年の忍耐を経て、宇文邕は実権を手にしました。これは史実も同様で、ツメを隠して12年、ボンクラ皇帝を演じてきたその演技力と知力はやはり大したものと言わざるを得ません。

宮殿内外の様子を報告する宇文神挙にいろいろ確認事項もあるだろうに、質問の2つめが、“那天女呢?”(で、天女はどうだ)ってあたり、まだ演技が抜けきってなかったのかも知れませんが。

宇文邕が雪舞の不在に気が付くまでにどのくらい時間がかかったのか分かりませんが、四爺と雪舞は夜になって、国境までたどり着いたようです。

が、五爺と落ち合う予定の旅館で馬を下りると、周りをぐるりと周兵に囲まれてしまいます。

こんなにいっぱい人が潜んでたのに気配さえ察知してないとは、大丈夫ですか、この将軍?

しかもそこへ、四爺的に二度と見たくなかったであろう、宇文邕が現れます。

“怎麼要走了 也不跟我說一下”
(出ていくというのに、一言もなしか)

お取込み中だったみたいですからね…。

“原來你 一直潛伏在周國”
(おまえがずっと周に潜伏していたとはな)

言われた蘭陵王は黙って宇文邕を睨んでいます。
宇文邕が蘭陵王を見るのはここまでで、後はずっと雪舞を見たままです。

“宇文邕 我知道你是好人 你放了我們吧”
(宇文邕、あなたが良い人だって知ってるわ。私たちを放してちょうだい)

言われた腹黒陛下は実に微妙な表情をしています。

“朕最害怕的 就是你走”
(朕がもっとも恐れることは、そなたが去っていくことだ)

続けて、その理由を述べられますが、そこのセリフはなんていうか、出来の悪いバラードの歌詞みたいです。“朕”だからまだ見てられるんですけど、主語を「僕」とかに変えたら、おやつのゆで卵を吹き出してしまいそうですよ。

我慢してご紹介しますと、

“從來沒有一個女子 可以不把朕當皇帝看
(これまでどんな女子も 朕を皇帝としてしか見なかったというのに)

卻又跟朕如此地沒有距離
(少しも距離を感じさせることなく)

讓朕毫無防備之心 吐露真言
(朕の心を開かせ 胸の思いを話させてしまう)

當你涉險去救貞兒的時候 朕第一次感到擔心
(そなたが危険を冒して貞児を救ったとき 朕は初めて怖れた)

從來沒有一個女子 可以讓朕如此地擔憂
(いままでこれほどまでに 案じた女子はいない)

朕 真的很想把你留在身邊”
(朕は何としてでも そなたを側に置きたい)

あの一連のゲス騒動でさえ起こらなかった、
婚約者の目の前で女をくどくという、あり得ないシチュエーション。

かくも長いセリフの間、蘭陵王は宇文邕を睨んだり目をそらしたりと
バリエーションをつけつつ反応してるわけですが、よくも黙ってたもんだ。

そりゃもちろん、台本にセリフがないからでしょうけどさ。

でも、中国の人は一般に、日本人みたいに人の話にひっきりなしに相槌打ったりしないみたいです。なので電話で中国人のお友達が愚痴って来たら、スピーカーフォンにしてずっとしゃべらしとけば特に問題ないらしい。お試しください。

逆に、てきとーに相槌を打つと、「私の話にさっき賛成したじゃない!」と言われて修羅場になったり、アメリカ人に至っては、頻繁に相槌を打たれると逆に「人の話をちゃんと聞かない」「こちらの話をやめさせようとしている」と不愉快に思う人もいるらしい。気を付けませう。

黙って聞いてたのは雪舞も同じですが、言わせておくと切りがないと思ったのか、いきなり話を打ち切る方向に持っていきます。

“我都要成為他地妻子了”
(だってすぐ私はこの人に嫁ぐのよ) 

ここに「どか〜ん」って効果音が入っているように聞こえるのですが、空耳でしょうか。

言われて、宇文邕はまるで今初めて聞いた話みたいに蘭陵王の方を見てますけど、周に来る直前の時点で、雪舞はちゃんと宇文邕にそう言ってましたよね?
都合の悪いことは、知らんふり♪ なのでしょうか。

それでも宇文邕は皇帝、当たって砕けろ♪ みたいなことはせずに、

“要是因為你 讓朕弄得跟土匪一般
那還真是貽笑大方
楊雪舞 你可要記著 對朕有過承諾
把朕當成是一輩子的朋友”

(もしそなたのために、盗賊のような真似でもしたら、
それこそいい物笑いの種だな。
楊雪舞よ 忘れるな 朕に約束したことを
朕と一生の友でいることをな)


さすがは陛下、民草のお手本なだけはあります。

“蘭陵王你也幫朕最不喜歡欠人情”
(蘭陵王 お前にも助けられた。
朕が何よりも嫌うのは借りを作ることだ)


とも言っていますが、どの時点で蘭陵王が助けたと分かったのでしょう。

太刀さばきか?

とにかく、宇文邕は約束を守る男。
捕虜は全員解放したし、自ら斉国まで雪舞を送り届けましたよ(誰も頼んでないけど…)。

どこかの誰かさんとは大違いですよね。

さらに何か虫の報せでもあったのか、こんなことを言い出します。

“但是在我有生之年 若你讓楊雪舞受傷離開你
朕在也不會讓她回到你的身邊”

(朕の目の黒いうちに もし雪舞が傷ついてお前の元を離れたなら、
二度と帰しはしないぞ)


蘭陵王も、理由は聞かずにまともに返します。

“對不起 就算天塌下來 你也不會再有這種機會了”
(悪いが、天が崩れてきたとしても 二度とそんな機会はないだろう)

そう言われた雪舞が、にっこりして蘭陵王を見るのもいいですね。

そこへ、長ゼリフの間に神挙が一生懸命書いたのか、停戦協定書が運ばれてきます。

“這份停戰協議 我替大齊的子民謝謝你”
(この協定書 大斉国の民に替わって礼を言う)

それはそうと、もらったものの重大さに比べて、片手で受け取ったり、返事の“謝謝你”(どーも)っての軽く聞こえるんだけど、どうなんでしょ。

真紅の大優勝旗を贈呈する」
「どーも」

レジオン・ド・ヌール勲章を授与する」
「どーも」

AKBのセンターを命ずる」
「どーも」

どーも違う…。

恐らく単純に喜んでいる雪舞とは違って、四爺はこの協定書の別の意味も、いちおうは考えているものと思われます。宇文邕は渡すときちゃんと言っていますが、政権が代わったばかりで不安定なので、国力を養うために停戦したい、ということは、力がついたら何してくるか分かったものではないからです。

私の一番好きなマンガ、藤崎竜先生の『封神演義』に、実に深〜い一言があります(このマンガ、いかにもな少年向けマンガと見せかけて、あちこちズブズブ深いところがあるのですが)。

お話の舞台は殷〈いん〉から周に替わる時代、今から3000年以上昔の、紀元前1027年ごろのこと。
(この周は一番古い時代の周。非常に長く続いた王朝のため、この周にあやかってか、中国史には何度も周という国号が登場します。宇文邕が皇帝をしている周もその一つなので、区別するため歴史上では「北周」と呼んでいます)

主人公の太公望・呂望〈たいこうぼう りょぼう〉(72才)は周を援けて、妲己〈だっき〉に乗っ取られた殷を滅ぼそうとします。

しかし、妲己ちゃんは恐るべき妖力と、スーパー宝貝〈バオベイ/戦闘アイテム〉を持つ狡猾な仙女でしかも美女でプリプリプリンちゃんと来てるので(え?)、太公望を初めとする仙人・道士たちが束になってもかないません。

お話も終盤(第17巻)、太公望は助けを得ようと、伝説の大仙人、太上老君〈たいじょうろうくん〉(?000才)を探しに出かけます。

面倒くさがりで滅多に起きてこない太上老君を何とか探し当てると、これがまたジャニーズ系の飛び切りなイケメンであります。

そもそもこのマンガ、主要な登場人物の年齢がだいたい60才以上〜3000才程度の超高齢者ばかりなんですが、主人公の太公望にしてから72才なのに、見てくれ16、7才の青少年に見えます…というところで、私はハタ、と膝を打ちました。

この話、元々が中国明代の古典小説なのに、内容も実は終盤まで、ほとんどマンガと一緒です。つまり、殷と周すなわち、神話と歴史の時代が交代する時期の史実をベースにしつつ、仙人・道士・人間・妖怪が入り乱れ、各々アイテムを駆使して相手を倒し、封神榜(打倒リスト)を完遂するというもの。

大事なことなので3回言いますけど、このファンタジーゲームそっくりなあらすじは、今から500年以上前に成立した原作(古典小説)通りなんですよ!

で、小説の挿絵は実年齢(?)にふさわしくおじいさんばっかりですが、マンガの方はイケてるビジュアルの登場人物ばかり。何でよ...?と思ったけど、そうだった、仙人・道士は不老不死、つまり、いつまでも若いんです! だから挿絵の方がまちがい。

何で今までそこに気づかなかったんだろう? そう思った瞬間、私はこのマンガのトリコに…。

あ、話が逸れちゃった。

そのイケメンな太上老君が最強というにはあまりにもダラダラしているせいか、太公望は自分のダラダラぶりを棚に上げて尋ねます。

「おぬし 妲己より強いか?」

太上老君はいつになくキリッとして答えます。

「彼女には決して負けない」

ここでページが変わって、次のセリフは、

「なぜなら 戦わないから!」

それを聞いた太公望は膝かっくん、となるわけですが、孫子の兵法のなんたるかを知り、ドラマもここまでご覧になった皆さまにはよくお分かりのことでしょう、この言葉の深さが。

そう、戦わなければ負けることはないのです。
そして、戦わないということは、いかに困難であることか!

このあたり、ちゃんと中国哲学の基本を押さえてオリジナルなお話にしてるところがまた素晴らしい。

このマンガ、またちょっと先で登場することになるので(え、まだやるの?)今回はここまでにしておくとして、宇文邕が実権を握って最初にしたことは、実にウルトラCなことでした。

いまこの不安定な国内情勢のまま攻められたら、下手すると国ごとなくなっちゃうかも知れません。
それを、いかにも恩着せがましく防いだわけです。さすが忍従12年は伊達じゃない!

そして、受け取る側の人にとっても、コイツは非常に悩ましいアイテムなのですが(宇文邕がくれた、ってことを差し引いても、四爺は実は受け取りたくなかったことでしょうよ…)、それは次回以降のお話。

宇文邕はじっと雪舞を見たあと目をそらして、

“在朕反悔之前你們走把”
(気が変わる前に去れ)

と言い、言われなくてもそうする、と書いてある四爺の背中を見送りつつ、

“好不容易找到懂朕心的人 朕卻不能把她留下”
(ようやく心が安らぐ相手を見つけたのに、そばに置けぬとは惜しい)

と独りごちます。

そのつぶやきを聞いてうなだれる宇文神挙。

あなたの心を分かっている人は、雪舞の他にもちゃんといるわ、仔ブタちゃん!
部下と奥様を大切にね! とエールを送って次回へ続くこちら


posted by 銀の匙 at 02:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

蘭陵王(テレビドラマ28/走馬看花編 第16話)

このたびの九州方面の地震で被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

日本のどこにいても地震に見舞われる可能性があるので、他人事とは全く思えませんが、日本ばかりでなく、お隣りの台湾もあちこちで頻繁に地震があるようですね。

テレビドラマ《惡作劇之吻》(「イタズラなkiss」)を見ると、第1話目にして物語の一番大きな転換点は、アリエル・リン演じるところの主人公、袁湘琴(Yuan Xiangqing)の新築の自宅が震度2の地震で倒壊してしまったことでした。

いきなり随分な展開だこと、と思ったら、どうやらこれは日本の原作コミック通りなんですね?(→まだ読んでなくてすみません…)

ドラマでは幸いケガ人は出ませんでしたが、突然に家を失った湘琴は、父と共に、父の友人宅で暮らす羽目になります。

初めの頃こそサイテーな成り行きでしたが、結局はそのおかげで、彼女には幸せが訪れるんですね…。

いま大変な状況の皆さまには何の慰めにもならない話とは思いますが、いつかきっと皆さまにも、湘琴のように、少しは苦しみを補ってくれるような良い事が訪れると信じています。

というこことで、アリエルつながりから参りましょう、第16話

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

前回・第15話は→こちらをご覧ください。

前回までのあらすじ

紆余曲折を経て、晴れて斉国の将軍、蘭陵王〈らんりょうおう/Lan Lingwang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉の元へ嫁ぐことが決まった、巫族の天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉。

見せたいものがあるからと四爺に案内された、柳の立ち並ぶ、とある場所で(マジでどこなんでしょう?)、せっかくのデートだったにもかかわらず四爺と口論になり、挙句の果てにかつて助けた周の皇帝、宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉=またの名を仔ブタ陛下(って自分で言った)に かどわかされ 懇願され、皇帝の姪・貞児〈Zhen Er〉の治療のため周に赴く羽目に(全く、何やってんの…)

四爺は衛兵に成りすまして秘かに周の宮廷へと同行するのですが…。

 
    *     *     *

つか、まさか「王族動向」とかってお触れ書きが貼りだされるわけでもあるまいに、いくら誘き出したとはいえ、敵国の皇帝にお屋敷からいつ遠出するかとか、スケジュールがすっかり筒抜けな蘭陵王府って、一体使用人にどういう教育してるんだか他人事ながら心配です。

一歩間違えば最近のとんでもない監禁事件の被害者のようだったかも知れない、(たぶん)10代の楊雪舞ですが、幸い周の宮廷では重用され、すっかり貞児(と仔ブタ)に懐かれています。

JKだったころのウジウジおどおどした態度はどこへやら(おっと、これは別のドラマ)、すっかり大斉国の未来の王妃が板についたアリエルは、ドロンジョさまばりのおしおきキャラぶりを発揮しています。

さすが、ドS・高一族のヨメになるだけはある!

その雪舞様は、のぞきの現行犯でつかまえた四爺に説教をかましています。

“我已經是人家的妻子了
若身子不小心給別人看了 可就對不起我的夫君了”

(私はもう人妻なのよ。
もし身体を他の人に見られでもしたら、旦那様に申し訳が立たないでしょ)


これは、第2話(→こちら)で、周兵の襲撃に遭って温泉場で倒れたときに、こんなあられもない姿を誰かに見られでもしたらお嫁にいけない、と言っていた話と呼応しています。

“告訴你 我夫君呢 可是大名鼎鼎的戰神”
(言っときますけど、私の旦那様は名高い軍神なんですからね)

だからといって四爺も、相手の目をくり抜いたりするのはイヤでしょう…!

と思ったけど、そうだった、ヨメにちょっかい出そうものなら、トラのオヤツにされてしまうんだった。

目をくり抜くどこの騒ぎじゃありませんでしたね。
高一族の血は争えません。くわばらくわばら。

しかし、怖いフリもここまでで、いちおう後悔はしているらしい楊雪舞。

“都怪我不好 沒聽他的才會這樣”
(私が悪いのよ 言うことを聞かなかったから)

と言われてうなずいてるのか何か、深く下を向いてる四爺。

“你有妻子嗎“
(あなた奥さんはいるの?)

聞かれた四爺はうんうんとうなずきます。

“你在乎她 就好像我很在乎四爺一樣”
(あなたが奥さんを愛しく思うように 私も四爺が愛しいの)

ここでちょっと細目で雪舞を見ている四爺が映ります。

“我們很在乎彼此 很愛對方的兩個人”
(私たちはお互いを思い合い 愛し合う2人なのよ)

ここで、四爺は仮面を被っていてもわかるほど、優しげな表情になっております。

“在乎”というのは、面白い言葉ですね。
実は私もこのドラマで初めてこの形で使われているのを聞きました。通常、よく聞くのは否定の表現“不在乎”(心に留めない、気にしない)の方じゃないでしょうか。

第14話(→こちら) で、牢に囚われた四爺のところに現れた雪舞が、

“我曾經很害怕 我們不可能有結果的但是我已經不在乎了”
 (これまで私は恐れていた 私たちは結ばれる縁ではないことを。
だけどもうそんなこと どうでもいいの)


と言ってましたね。

ちょうど当てはまる言葉は日本語の標準語にはないんじゃないでしょうか。
英語だと、careとかcare forにニュアンスが近いように思います。
“I don't care”は気にしない、“care for you”は、ま、ほとんど、好きだって意味ですよね。

“所以啦 如果做出讓對方擔心的事情 那就是不負責任
總之呢 不管怎麼樣 你都得幫我探聽到這件事情 知道嗎”

(だから、相手を心配させるようなことをしたなら無責任だわ。
そういう訳で、(蘭陵王にちゃんと伝言をしたか)絶対聞き出してほしいの。わかった?)


四爺は思わず、口に出して「うん」と言ってしまいます。
(中国語では目上の人にも「うん」って言うんですね)

このシーンはちょっと面白いんですけど、四爺は雪舞が遠ざかると同じだけ前に出て、戻ると同じだけ引っ込むので、なんだか2人の間に磁力が働いているようです。

その割に、マスクを外して、という雪舞のリクエストに応えようとする四爺ですが、だったら「うん」以外に何か言ったらいいのに。

外で誰かに見られてはマズいので黙っているのかと思ったら、そうでもないらしい。

まさか「サプラ〜イズ(はぁと)」とか、やるつもりだったのかしら(殴)

マジメそうな顔しちゃって、実はそれぐらいやってもおかしくないキャラだったってことは、10番台も半ばになると、すでにバレバレです。

今回の最後で、宇文邕にさえバレちゃいました(てへっ)。

自称軍神の割に中身がお子ちゃまな蘭陵王は、雪舞を見送りつつ思います。

“算你有良心 知道掛念本王”
(この私を気に掛けるだけの良心はあると見えるな)

ほらほら、また“本王”ですよ。
ボクちゃん、威張れるところはそこだけなの?
かわいそうにねぇ…

でも、久しぶりに雪舞と話ができたので、ちょっと嬉しそうな感じもしますね。

と、思ったら、あらこちらも大変お久しぶり、ここで尉遅迥〈うっち けい/Yuchi Jiong〉将軍の復活です。しばらく見ていなかったせいか、だいぶお痩せになったような…

それとも、比較の対象となる方が…いぇ、な〜んでもございませんっ♪

それよりも『三国志』ファンの皆様におかれましては、宇文邕が背中にしょってる変顔…もとい、扁額が気になって仕方ないことでしょう。

“寧靜致遠”

とは、手元の中日辞典を見ますと

「穏やかな態度で奥義を極めること」とあり、諸葛孔明の言葉としています。

孔明は亡くなる間際、息子への教え《誡子書》を記しており、その中に

「心を静かに保つことができなければ 遙か遠くの目標に達することはできない」

という一文があります。

軽はずみに行動することよりも、自重して静かに自らを高めることを尊んだ軍師・諸葛亮の人柄が表れている言葉ですね。

実は《誡子書》のベースになっている考えは紀元前2世紀に淮南王〈わいなんおう〉・劉安によって編纂された《淮南子》<えなんじ>にあります。この本、以前第10話の4(→こちら)でもご紹介しましたが、元々、この言葉も《淮南子》の主述訓から取られたもので、

人主之居也,如日月之明也。
(君主の地位は日月の如く明らかで、)

天下之所同側目而視,側耳而聽,延頸舉踵而望也。
(天下の誰もが目を見開いて視、耳をそばだてて聴き、
首を伸ばし、かかとを挙げて望み仰ぐところである。)


是故非澹薄無以明コ,非寧靜無以致遠,
(それゆえに淡泊でなければ美徳を示すことはできず、
心を静かに保たなければ遠くに到ることもできない。)


非ェ大無以兼覆,非慈厚無以懷眾,非平正無以制斷。
(寛大であればこそ一切を覆い包むことができ、仁慈の心があればこそ民が懐き、公平であればこそ裁断を下すことができるのだ…)

“九五之尊”(人として最高の位にある者)として尊崇を受けるはずの皇帝でありながら、臣下の専横に黙って耐え、時を待つしかない…宇文邕の心境をよく表している言葉ではないでしょうか。

ここで尉遅迥将軍は皇帝・宇文邕に向かって、邙山〈ぼうざん〉の戦い(第9話。記事は→こちら)で、宇文護から牽制され、持ち場を離れてごめんなさい、と謝ります。

宇文邕は、

職場放棄なんて You're fired! 
クビだあっつ!

などと“川普”〈Chuangpu=トランプ〉のようには怒らずに、逆に、愛用の剣を将軍に与えるという(誰かさんと違ってこちらは態度だけ)太っ腹なところを見せます。

そして、おお、取りいだしたるは邙山の戦いの折、ヤンキータイマンの場=蘭陵王と一騎打ちしたとき抜いてた剣ではありませんか。

第9話を見ながら、何でこんな妙なシーンがあるんだろう、と常々不思議に思っておりましたが、今回使うためにフィーチャーしていたのですね。こんなとこにまで伏線を張っておくとは、さすがです!(いや違うだろ)

そして迎えた大冢宰〈だいちょうさい〉・宇文護〈Yuwen Hu/うぶん ご〉のお誕生日会。

はあ、でも待ってください?
そもそも中国の古代に、お誕生日なんて祝う習慣あったのでしょうか。

だって昔は、生まれた時が1歳で、新年になると、皆、いっせいに年齢が1歳増えたんですね。これを「数え年」と言います。

お正月(旧正月)には、中国の子どもも“壓歲錢”(お年玉)をもらえるそうなんですが、これは年度の変わり目にやってくる“年”という怪物を追い払って無事に年を越せるようにするため(…要はワイロ?)。

百度先生によりますと、お年玉の習俗は、元は立春の行事“散錢”から来たものとのこと。“散錢”が具体的にどんなものかは書かれていませんが、文字づらからすると、お金をばらまいたのでしょう。そして撒いたお金は普通のコインではなく、厄除けの特別な文字が刻まれたものだったと思われます。

その後、春節(旧正月)が祝われるようになると、この行事もその時期にスライドし、やがて年長者が厄除けのお守りとして、赤い糸を通したコインを年少者に与えるようになった、ということです。

現代中国ではお年玉を赤いご祝儀袋に入れて子どもに渡すので、“紅包”とも呼ばれています。中国ではお祝い事の色はだというのは第4話(→こちら)でご紹介しましたね。

実際どんなものか、2016年のお正月番組から、ご覧いただきましょう。途中でなぜか古式ゆかしい?“散銭”も見ることができますので、どうぞお楽しみください。

それでは、2016年1月26日の『大牌駕到』をどうぞ。

同じ番組で別の回にウィリアムが出演したときの様子は、すでに第11話(→こちら)、第12話(→こちら)でご紹介しておりましたが、司会者は当時の華少<ホワ シャオ/Hua Shao>さんから交替して、阿雅<アヤ/A Ya>さん(女性)と小サ<シャオ ヂャオ/Xiao Zhao>さん(男性)のコンビになっています。

今回は、お正月映画《西遊記之孫悟空三打白骨精》のプロモのため、主要キャストがゲストで登場しています。

それぞれ、映画での役を意識して発言していますが、特にウィリアムは挙措動作も役柄の三蔵法師になりきっており、なかなか面白いです。

映像はこちら↓から(公式HP)
http://v.qq.com/cover/s/sa7l2jifb8qq14l.html

【司会】
=阿雅さん
=小サさん

【ゲスト】
=郭富城(アーロン・クォック)
=小瀋陽(シャオシェンヤン)
=馮紹峰(ウィリアム・フォン)
=羅仲謙(ヒム・ロー)

1:10ごろから

:拍手でお迎えください、沙悟浄役の羅仲謙<ヒム・ロー/Him Law>。
:ようこそ。
:お年玉取ってくださいね。
(ステージの入り口にお年玉の下がったゲートがしつらえられています)

ヒム・ローは香港の俳優さんです。《西遊記》シリーズの前作(

《西遊記之大鬧天宮》
)に恵岸行者の役で出演しています。『欲望の街』シリーズの最新作にも出演してたんですね。

:二番弟子、小瀋陽<シャオシェンヤン/Xiao Shenyang>。
:まあ、イケメンの猪八戒ね 

小瀋陽はもともと民間芸能のお笑い芸人だった人ですが、ウォン・カーウァイ、チャン・イーモウといった巨匠監督の映画にも出演しています。

:大唐国の高僧、馮紹峰<ウィリアム・フォン/Feng Xiaofeng>
:測定器の針がふり切れるほどイケメン値が高い三蔵法師ね。

:それでは最後に黄色い声でお呼びしましょう 一番弟子、郭富城<アーロン・クォック/Aaron Kwok>!

ゲストの中で一番の格上は、香港の大スター、アーロン・クォック。前作に出演しましたが、そのときは牛魔王(哀)の役でした。前作で孫悟空を演じたこちらも大スターのドニー・イェンはスケジュールが合わず、続投できなかったようです。

ちなみに、前作には中国の神様の中でもっともイケメンとされる二郎神<じろうしん>も登場してますが、日本語吹き替えは蘭陵王の声と同様、内田夕夜さんが担当されてます。

:それじゃまずはお師匠様に、「長寿」のご挨拶を…
(テロップ:大失態!)
(ここでいきなり小瀋陽が「お母様 還暦おめでとう」
《祝媽媽長壽》)ってな歌をうたいはじめる。元歌は朝鮮族の民謡だそうです)

:歌 上手いね。
:「新年」のご挨拶を、でしたね。
:では拙僧が新年を祝して。
 騰訊の友人の皆さん、ネット視聴者の皆さん、
 申年おめでとうございます。良い年になりますように。
“飛黄騰達、事事順利”(がんがん成り上がれますように!) 
“猴年行大運”(申年に幸運が訪れますように)


アーロンの言った新年の挨拶は、イケイケドンドンの香港ではよく聞くのでしょうが、人によっては悪い意味に取る人もいるので、司会者がすぐフォローしたものと思われます。
それなのに、アーロンは...

:その通り。健康第一ですよ。“恭喜発財!”(儲かりますように!)

って、フォローにならないんですけど……。

“恭喜発財!”(儲かりますように!)も、現在でこそ全国区になっていますが、さすがに社会主義国では体裁悪いって事なのか、ひと頃は香港以外では使わ/えなかったようで、金儲けOKの2000年代に突入してなお、「俗っぽい」「品がない」と眉をひそめる人も多い言葉です。

ここでいきなり小瀋陽が「儲かりますように!」(恭喜発財!)ってな歌をうたいはじめる。元歌は香港四大天王の一人、アンディ・ラウの歌です。

この番組、画面上にニコ動みたいに視聴者のツッコミコメント(弾幕)が流れるのですが、「郭天王の前で劉天王の歌を歌うなんてバカじゃね?」的なコメントが…(哀)

ご存じの皆様には今さらな豆知識ですが、香港の四大天王とは、郭富城(アーロン・クォック)、劉徳華(アンディ・ラウ)、張学友(ジャッキー・チュン)、黎明(レオン・ライ)のことです。それぞれソロなのですが、いずれも歌、ダンス、演技が上手く、長らく香港の芸能界のトップアーティストとして活躍してきた人たちです。映画にも多数出演しているので、ご存じの方も多いことでしょう。

この中で一人だけ北京出身のレオン・ライは、《鴻門宴》(『項羽と劉邦』)の劉邦役でウィリアムと共演しています。

四大天王の歌がどんな感じか知りたい方は、番組の後半、24:40頃から、司会者のモノマネで紹介がありますので、ぜひご覧ください。

なお、香港では四大天王がずいぶん長いことトップに君臨していて、若手がさっぱり育ちませんでした。人気の若手を無理やりまとめて四小天王とか呼んだときもあったのですが、誰を入れるかもまちまちで、どうもパッとせず...。

ちなみに、仔ブタ陛下ことダニエル・チャンを四小天王にカウントする人もいます。


3:20ごろから

:皆さん、手元にお年玉袋持っていますよね。この中にそれぞれ任務が書かれてるんですよ。それでは沙和尚さん、最初にどうぞ。と言いつつも、羅から指示の書かれたカードをひったくって読む)
 「ステージにいる人全員で、《八戒八戒》のダンスを踊ること」
:映画は公開前ですけど、この曲、もう“広場舞”になってるんですよ、アーロン、“広場舞”って知ってます?
:おばさんたちが踊るやつでしょう?知ってますよ。
:しかもおばさんたちが踊ると必ずヒットするんですよね。

“広場舞”というのは、公園におばさんたちが集まって音楽に合わせて踊るダンスのこと。フィットネス目的なんだと思いますが、ド派手な赤い扇を広げて踊ったり、騒音で揉めたりと、なかなかお騒がせな様子。

ここで話題になっている、映画の押しソング《八戒八戒》の公式サイトはこちら↓ 
https://www.youtube.com/watch?v=-3n8tooc0n4

MVには猪八戒を演じた小瀋陽が出演しています。
単純なメロディーと映画の決め台詞をまぶした歌詞は中毒性が高く、「神ソング」「洗脳曲」と評価されています。

これを“広場舞”用にアレンジした振り付けはこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=o77vuBGRgkA

広場でおばさんたちが歌ってる映像があればもっと面白いんですが、取りあえずは、コレオグラファー本人のYouTubeから。

一曲通しで踊り終わったあと、解説つきでゆっくりした振り付けの説明があるので、メチャクチャ分かりやすいです。これなら私も踊れそう(笑)

忘年会の出し物でやってみようかしら。誰も知らないだろうけど…

:師匠、お命じください。
:八戒 おやりなさい。
:わかりました、師匠!
  (テロップ:返事は良いけどメチャ不満) 
  じゃ、教えてやる。
:(逃げる)
:あの二人(と、郭と馮を指さす)は、動かしようねぇからよ。オレが動かせるのはお前だけだから、ホレ。
(テロップ:“專挑軟柿子捏”やわらかい柿ばかり選んでつぶす=弱い者イジメ)
:(仕方なく付き合う)
(テロップ:orz 2番もあるの?)

:どうでした、兄者。
:(キリッとウィリアムに向き直って)師匠、いかがです。
:(テロップ:何か言いたげだけど飲み込んでる)
:(ウィリアムに)なんとか誤魔化せましたね。
:悟空の言う通りです。
(テロップ:神ロジック「悟空の言うことは何でも正しい!」)

(続いて、小瀋陽が指示書を読む)
:こりゃスゴイよ。歌つきで《對你愛不完》を踊ること。
:あらまあ。
:何だかよく知ってる気がするよ。誰の歌かなぁ?
(テロップ:わざとら)

《對你愛不完》はアーロンの代表曲で、中華圏では知らない人はいない大ヒットソング。歌もキャッチーなんですが、サビの部分の振り付けも誰もが知っています。日本で言ったら、ピンクレディーのUFOみたいなものでしょうか(古い?)

:この世界で歌って踊れる実力派アイドルといえば、それは、
:知ってるよ。
:アーロン・クォックでしょ。
:違うっ。オレ様。
:(テロップ:反論不能)
:あなたの自信家なとこが好きよ。
(テロップ:一体その自信はどこから…)
:師匠?
:教えてあげてもよいですよ。
(振り付きで歌う) 
 〽 對你 愛 愛 愛不完 
(あなたへの愛は終わらない)

なぜかここで、BGMが琴に(笑)。

:セクシーですね。
:(琴のBGMをバックに、しずしずと歌い踊るウィリアム)
 〽 我可以天天月月年年到永遠
 (来る日も来る月も来る年も永遠に)

:お師匠さま、すごく優しい感じ。
:素晴らしい。
:これはアーロンから習ったの。だから、僕のはオリジナルです。
:正規版ね。
:そう、正規版。
:伝授しました。

番組内でも紹介されていますが、《三打白骨精》のメイキングで、カリアゲのウィリアムがアーロンから振り付けを教えてもらっている動画が相当ウケたらしい。

《三打》チームは映画の宣伝のために浙江衛視の《王牌対王牌》(キングvsキング)というチーム対抗番組にも出演しています。

このときは北中国のイケメン代表・井柏然s-井柏然.jpg
を擁する《捉妖記》(モンスター・・ハント)チームと対戦したのですが、《三打》チームのかくし芸の目玉として、ウィリアムがまるまる一曲踊っています。ついでにマイケル・ジャクソンまで躍らされてました。芸達者ですね、ホント。(動画はこちら↓公式HPです。
https://www.youtube.com/watch?v=biervrdaw4U&feature=youtube )

:じゃ優しいお師匠さま、お手元のお年玉袋には何が?
:(覗いて)こいつはイイぞ。
:(読む)「ゲストの未婚野郎の皆さん、結婚はいつですか」
(さっと小瀋陽の方を向いて)いつ?
(テロップ:これ、あなたへの質問なんじゃ?)
:これはオレ様向けの質問じゃないね。オレ、もうすぐ爺ちゃまだから。
(テロップ:よく言うよ)
:(ウケる)

小瀋陽はこう見えて(どう見えて?)既婚で、お子さんもいます。そういえばヒム・ローも結婚してるんじゃなかったっけ?ってことは、やっぱり、この質問は…

:仲謙、君の答えは?
:僕ですか。ご縁でしょう。

まさか自分に飛び火するとは思わず、お返事に困った様子。

:お師匠さまはノープランでしょう?
:南無阿弥陀仏…経典を手にしておりませぬので…。まだその時にあらずと。
:その時じゃないんですね。その時になれば、自然にそうなると。
  善いかな、善いかな。(拝む)
  じゃ、お師匠さまには《對你愛不完》を踊っといてもらいましょう。
:この質問ホントにナイスだよな。
(踊るウィリアム。テロップ:言われるままに飄々と踊ってます)
:次はあなたですよ。
:(読む)「騰訊娯楽」の製作陣の皆さん、私たちにお年玉をあげてください。
(テロップ:「見学者の皆さんにお年玉をあげてください」と書いてある)
:悟空はやっぱりいたずら好きね。
:お利口さんでちゅからね〜。
(テロップ:三歳児ですか、全くもう)
:ここはやはり師匠に正していただきましょう。いったい何が書いてあるんでしょうか。
:(アーロンの方に向かって)悟空や。

またBGMが琴に(笑)

:私はときどき目がかすむことがあるのです。お前がそう思えばそうなのですよ。
:それじゃお読みしますよ。「「騰訊娯楽」社の皆さん、私たち師弟四人にお年玉をあげてください。できましたら白骨精にもお願いします」

って七夕じゃないんだから、願い事書いてどうする!?

:(テロップ:福があれば分け合い、金があれば分け合う)善いかな。善いかな。
:私たち「騰訊娯楽」はケチじゃありませんよ。一人6元のお年玉を出しましょう。皆さんどうですか?!
(テロップ:礼は軽いが情けは厚い)
“六六大順”(すべてが順調に進む)ですよ。

“六六大順”というのは、「いっぽんでもニンジン」のような数え歌というか、数字をいう時の決まり文句です。

今もやってるか知りませんが、以前は居酒屋に行くと“猜拳”という遊びをしている人たちをよく見ました。

これは2人でやる少し複雑なじゃんけんみたいなもので、ラップみたいに、“三星高照”“十全十美”など、数字の入った決まり文句を言い合い、言い手と相手の双方が出した指の数の合計がその数字と一致すると、相手が罰として一杯飲まなければなりません。

使われる文句には他にも、「」には“双喜臨門”第12回こちらで出ましたね)、「」には“三桃園”(三国志の故事から来たんでしょうかね)などがあります。

」は“六六大順”が使われます。
出どころははっきりしませんが、たぶん、サイコロ賭博から来た言葉ではないかと思います。

(全員にお年玉を配る)
:ホントに六元だ。「騰訊」さんよ、すげえ金持ち会社だね。
  断固抗議するぞ!こんな大会社が六元っていったら六元こっきりなのかよ。
  オレらに六元ぽっちよこすのかよ!
:これ、六元と言ったのだから、きちんと六元くださったのです。約束を守ることが大事なのですよ。
:この六元はお布施だよ。
:(お年玉袋を開けながら)あれっ、変だよ、僕の、なぜ一角が入ってるの?
  (紙幣を数えて)結局僕のは六角だ…。
(急いで自分のお年玉袋の中身を確かめる郭富城)

字幕には出てないですが、三蔵法師は、「どうやら師匠の待遇は弟子に及ばぬとみえる...」とグチっておられます。

中国の通貨単位は元で、10角=1元。つまりお弟子さんたちの10分の1ってことですね…。

:じゃ幸先よい新年のために、スタジオにおいでの皆さんにお年玉を撒いていただきましょうか。
*   *    *

さて、話はだいぶ遠回りしましたが、お年玉まで渡して(不満そうな方も一部おられましたが)、後の時代には爆竹を鳴らしてまでも“年”を退けようとしたのは、“年”が害をなす化け物というほかに、年を取ることへの畏れもあったのではないでしょうか。

中国ばかりではなく、日本を含む周辺国も、昔は数え年といって、お正月に一斉に一歳増えることになっていたんです。

第2話で雪舞が髪を笄〈こうがい〉で結い上げる、成人式がありましたね。40歳を不惑〈ふわく〉、60歳を還暦〈かんれき〉というように、女子は15歳で成人を迎えるため、その年を笄年〈けいねん〉といいます。

邙山〈ぼうざん〉の戦いのときに冬を越してますので、ただいま楊雪舞は16歳のはずです。奥様は16歳(…って古いか)、若妻っすね。ま、「十五でねえやは嫁に行き」って歌詞もあるくらいなんで、当時は別に珍しくもないんでしょうけど。

さて、中国では今でも日常的に数えで年齢を言う人がいます。
たとえば、《大牌駕倒》なんか見ておりますと、司会者(お懐かしや、この頃はまだ華少さんですね)がゲストの方とこんなやり取りをしておられます。
(もとのインタビュー映像はこちら→http://v.qq.com/x/cover/wdynmjl08dxqlei/t00150h7tt0.html 
このインタビューの他の部分は第19話でもう少し詳しくご紹介する予定です)

司会者  「今年もう36ですよね?」
ウィリアム・フォン「普通、数え年で言うんだとすると、今年37です」
司会者「アラフォーですか。まあでももちろん良いことですよね。
   男性にとって成熟していくというのは素晴らしいことですよ」

さすが司会者、ナイス・フォローよね、と感心してる場合かなのですが、取り合えず古代には、年齢は「日」よりは「年」単位で意識されていたと思われます。

例外は生後100日のお祝いです。

恐らく、古代には乳幼児の死亡率が現在よりもずっと高かったので、何とか最初の三か月を生き延びて、今後も育ってくれそうだ、という確信がもてたのがこの時期だったのでしょうか。

その日は親戚が集まって飲み食いしたり、子どもの前に筆や弓などを並べて選ばせ、将来を占う“抓周”という儀式が行われる習俗がありました。

日本でもこの行事の残っている地方があるそうですが、現代の中国では、“抓周”はそれほどポピュラーではないようです。それでも字典や筆あたりはまだしも、計算機やマウス、人民元なんかを並べるお宅もあるそうですね。

ちなみに、“六六大順”にちなんで、選ばせるものの数は6の倍数にするそうです。

子どもが人民元選んだら親は嬉しいのかな?
お金に困らないのは、良い事なのでしょうけれど…。

このお祝いについての一番古い記録が残っているのは、何を隠そうドラマの背景になっている、魏晋南北朝時代。

蘭陵王のお宅拝見の回(第12話の2こちら)でもお世話になった資料、《顔氏家訓》の風操篇には、当時、文化の進んだ江南地方では、子どもが一歳の誕生日に“試兒”“抓周”と同様の行事)など盛大なお祝いをするのが流行したと記されています。

裕福なおうちでは、一歳といわず毎年バースデーパーチ―が開かれた模様で、唐代になると皇帝のの記録があったりします。

とはいえ大冢宰は皇帝でもなんでもないんですが、少なくとも周では皇帝よりエライので、次々と異国の使者が現れて祝福のコメント、アンド貢物を披露します。

残念ながら、当時のバースデーパーチ―の図は残ってませんが、529年ころ南朝で描かれた《職貢図》という絵の模写が残っており(絵はこちら↓で見られます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E8%B2%A2%E5%9B%B3 

当時の北朝は斉・周の一個前の北魏の時代でした。そこにはがっつり我が日本代表「倭国」の代表も登場しております。

残念ながら、日本代表のユニフォームがいまいちダサいのは1500年前も今のW杯もあまり変わりませんね…(哀)。

当時の日本は古墳時代で、そろそろ国も統一されたということで使者をよこしたのか、それとも国内でまだ揉めてたので、金印でも頂戴して権威を高めようという算段だったのかはわかりませんが、惜しい事に、成長株の北朝にではなく、のちに滅亡する南朝の方に挨拶まわりに行ってしまいました。若干、貢ぎ先のリサーチが足りなかったようです。

ドラマでは、ゲストとして“孺孺族”の皆さんが登場してますが、これは恐らく、蘭陵王のじっちゃん高歓が側室として娶った騎馬民族、“蠕蠕族”のことでしょう。

彼らに限らず、外交の使者たちはプレゼントを持ってくるのですが、来られる側ではたいてい、同等かそれ以上のお返しをしなくちゃなりません。

なんだ〜押し売りかよ〜迷惑なんだよな〜頼んでねーよ〜と思わないこともなかったでしょうが、当時の力関係としては、宇文邕の奥さん・アシナ皇后がそうであるように、中国の真ん中に住んでる人より、周りに住んでる匈奴<きょうど>や蠕蠕<ぜんぜん>の方が押し気味だったと思われます。

そもそも、宇文一族自体、漢民族じゃなくて、鮮卑<せんぴ>族なんで。

そんな地位の高い方々が訪問してくださる、アンド、前にも書きましたように、国が南北、東西に分裂している状況なので、外国から使者が来るということは、来られる側にとってもそれなりにメリットがあったのでしょう。

周の国の正史である《北周書》なんか読んでおりますと、宇文邕の治世について書かれた記事には、○○が使者を派遣して“土産”(特産品)を置いてった、てな文章がしょっちゅう出てきます。

意外に思われるかも知れませんが、「○○」の中には斉国も含まれています。
ケンカしてるけどキューバにはオバマ大統領も来るよ、てなもんでしょうか。

今回の記事のちょっと先の方でまたお話ししますが、史実では西暦569年、斉の武成帝が亡くなったときに、周の国からも葬儀への使者が斉へ派遣され、お悔やみの品も届けたと史書に書かれています。

ドラマじゃ、特に招待されてない人も、こっそり斉から紛れ込んでるみたいですけどね…。

さて皆さんが和気藹々と楽しんでいるところに宇文邕が現れ、参列者は跪いて挨拶します。しかし、宇文護は酒を飲む動作をやめません。

宇文邕としては、宇文護にガン無視されようとも、

“福如東海 壽比南山”
(いつまでもお幸せで お健やかに)

と心にもないお祝いの言葉をかけます。

これは目上の人の誕生日を祝う決まり文句で、文字通りには

“福如東海長流水 壽比南山不老松”
(幸運は東海のように果てしなく 長寿は終南山の松のようにとこしえでありますように)

ということ。

いちおう上座には通される宇文邕ですが、そこへ佞臣の李安が現れ、先帝遺愛の美酒を献上します。

もちろんこれは、宇文邕がやってくると予測して仕込んでおいた小道具なんでしょうね。宇文護は酒にかこつけて、先帝の元で打ちたてた功績について押しつけがましく吹聴し、反比例して寿命が縮んでくとおぼしき宇文邕は、

“没有大冢宰,就没有周国今日的繁荣”
(大冢宰なくしては、今日の我が国の繁栄はなかった)

と感謝の辞を述べます。

“没有〜 就没有〜”は、何々がなければ何々はない=何々があったからこそ、何々があるのだ、という決まり文句です。試験に出るので覚えておくように。

中国の人にこれで例文を作れ、といったら十中八九同じ文章を作ってくると思いますが、CMソングがいかに効果的かという見本みたいなものですね。

♪没有○○党 就没有新中国♪
(共○○がなければ 新しい中国はなかった)

ま、ある意味その通りではありますが、本当はかなりいろんなものが、空欄に代入される資格はあると思いますけどね。

さて、絶賛お追従中の宇文邕は、宇文護を本当の父皇とも慕っていると述べます。

関係ない人を自分の父と呼ぶことは、相手の絶対的権威を認める、という意味です。その命令には絶対服従です。

だから、ウィリアム項羽も亜父・范増〈はん ぞう〉には服従したし、無敵の孫悟空もその師父・ウィリアム三蔵法師に頭が上がらないのです。

それにしても日本語ではなぜ、兄弟子、弟弟子とは言うのに、師のことは師父とは普通呼ばずに師匠っていうんでしょうか。教えて、エライひと!

は〜い、ボクですか〜(はぁと)とは言わなかったけどちょうどそのタイミングで宇文護が来駕の礼だと言って呼び入れたのは、

…尉遅迥<うっち けい/Yuchi Jiong>将軍。

邙山<ぼうざん>の戦い(第9話こちら)で数万の軍を率いていながら、たった五百騎の蘭陵王に敗れるとは言語道断、と大冢宰はエラくご立腹です。

もちろん、これは宇文邕への当てつけですね。

宇文邕は罪人扱いの尉遅迥を庇うそぶりを見せますが、大冢宰は数万の精兵を失ったけじめを付けるべく、彼を“五馬分屍”(八つ裂きの刑)に処すと言い、参列者たちも同調します。

これは第14話こちら)で誰かさんが危うくやられそうだった刑ですね。

将軍同士、仲の良いこと…。

当然視聴者も、過去のエピソードを思い出すでしょう。
尉遅迥の傍らには、彼を必死に救い出そうとする五爺のような人が居てくれなかったということに、彼我の違いを感じます。

しかし、ここで比べるべきは、尉遅迥と蘭陵王ではありません。

ここで比べられているのは、宇文邕と蘭陵王なのです。

宇文邕はこの場面で冷酷にも、宇文護を呼び捨てにすることは死罪に値するという理由で尉遅迥を手にかけます。この時代、エライ人を呼び捨てにするとどうなるか…ぶるぶる。
誕生祝いにこういう余興は勘弁してほしいもんです。

まあそれはともかく、宇文邕には果たすべき務めがあり、そのためにはこうするしかなかったと、この時点では皆、納得するでしょう。

ところが、物語が後半に入ると、蘭陵王が同様の決断を迫られるシーンがあるのです。

そのとき、彼はどうしたか。

そこに宇文邕との差が歴然と現れます。
その差をどう見るかが、また悩ましい訳ですが...。

さて、先の話はさておき、取りあえずドラマでの現在に戻ると、ここで宇文邕が機転を利かせれば、尉遅迥一人の命は助けることができたかも知れません。

しかしそれでは、災厄を除き、第二、第三の尉遅迥を助けることはできなくなるという判断だったってことですね。

斉陣営にはさんざんコケにされてきた尉遅将軍ですが、宇文邕にとっては数少ない腹心の部下だったのでしょう。大冢宰に向き直った後のダニエル・チャンの鬼気迫る演技のスゴイこと…
ホント、素晴らしい!

って思っていたら、こんなシリアスな場面こそ、視聴者ツッコミ隊の恰好の獲物だったらしい。

以下のNG番組、いい加減見飽きた方も多いでしょうが、ようやくネタバレしない回まで来たのでご紹介しましょう。

この作品は、何仙姑夫さんという方が作ってるパロディ動画シリーズなのですが、数々の人気ドラマや映画の間違いに画像でツッコむというのと、せっせと週一更新というのが凄すぎて、中央電視台(日本でいうNHK)でも取り上げられたほどです。

司会進行役で出てくるブタさんは「マクダル」という香港の人気キャラ(のパロディー…?)で、日本でもアニメが劇場公開されています。映画版は香港四大天王の一人、アンディ・ラウを始め、豪華な声優キャストが出演してることでも知られます。

動画はこちらから↓
http://v.youku.com/v_show/id_XNjAxOTY0OTQw.html?from=s1.8-1-1.2

では、以下拙訳でご覧くださいませ。

<マグダル>
さて、ボクが思うに今日取り上げるドラマは、有史以来、ポカの最も多いドラマです。
タイトルは「蘭陵王」。無駄話はやめて、早速行きましょう。

まずはこのドラマのポスターですが、グローバルスタンダードで
もつれる激しい恋のトライアングルを表現してますネ。
その後でアメリカのドラマ「ヴァンパイア・ダイアリー」を見ると、ここまであからさまにパクる必要アリなのかと。

現代のものに関係するNGとしては、雪舞が窓を開けたときに、
コレですけど、 ビッカピカのステンレスの蝶番ですよネ。

そしてココを見ると、コンセントが出現しています。

それから兵士が街を見回っているときに、蛍光色のゴム靴を履いています。

6歳以下のお子様向けドラマですかネ?

蘭陵王はこのとき、弓には1本しか矢がありません。

予備の矢もありませんが、
しかし城門までやってくると 三連続で矢を放っています。

この動作、悶絶級のカッコよさですけど、
でもさっきまで矢は一本でしたよね。あとの二本は宝くじで当てたのでしょうか。

斛律須達<こくりつ しゅだつ>が馬で陣地を出るとき、タテガミは黄色でした。

だけどしばらく経つと、セピア色に変わっています。
途中の美容室でカラーリングでもしたのでしょうか。

蘭陵王と雪舞のおばあ様が庭で話をしているとき、カメラが引くと、
Tシャツを着た男性が隅っこにしゃがみ込んで2人を見ています。

それから、このシーンに注目してください。

ピンクのキャップを被った娘さんが通り過ぎてます。

監督、わらっとくってそんなに難しいんですか。

宇文邕<うぶん よう>は大殿で尉遅迥<うっち けい>を殺します。

ご注目ください。宇文邕の右頬に血はついていません。
しかし彼は外に出ると、突然右側にも血がついています。
乾癬なんでしょうか。結構広がってますよネ。

蘭陵王が矢に当たったとき、位置を良く見てください。鎧の丸い部分に当たっていますネ。

しかし助け起こされると、矢の位置が上に変わっています。
まさか自虐ギャグで、抜いてから別の場所に差したんですかネ。

最後にまとめてドラマの中の人たちのNGをお見せしましょう。

戦に勝って、この兵士が抱擁しているのは現代人ですよネ、
髪が横わけですけど。

偉い人が話してるときに、このエキストラの人はガバッと兜を脱いでます。

官軍が鄭児を捕まえて、殴っているときに、さっきの半そで男子がまた出現しています。
カメラが回っていることに気づいてまた戻っています。
お兄さん、恥ずかしがらないでくださいネ。

蘭陵王:古代に存在しないモノについてのNGはたくさん見つかりましたが、最悪なのは、まだ指摘がないですね。

雪舞:なんですのん?

蘭陵王:それは君をヒロインにしたことですよ。
口を開ければ香港・台湾なまり。どうしたって現代ドラマっぽいですよ。

雪舞:あんた、ほんまにイケズやわ!
何でそんなしょーもないこと…うちのどこが台湾なまりやって!
*   *    *

…すいませんすいません台湾なまりどころかニセ関西弁で…。

今は昔、中国ではオサレなトレンディードラマといえば香港や台湾製作の作品で、ドラマのセリフが新語や流行語として広まったので、台湾・香港の中国語=現代ドラマって印象があるみたいですね。

実は私だって、このドラマを観はじめた当初は、

なんで古代の北中国に台湾中国語で喋る女が出てくるのよ!
(いちおうは)標準語をしゃべってるウィリアム・フォンを吹き替えるより、
アリエル・リンに声優さん使った方がいいんじゃないの? 

とかバチ当たりなことを考えてたりしましたが、
それをやったら(時代劇だけど)トレンヂーぢゃなくなるからダメなのね?

と、そこへウワサの香港出身のオシャレな皇帝と台湾出身のモダンな天女が登場し、北中国の古都・長安なはずの画面の緯度が一気に低くなってまいります。

そんな大げさな、北と南で言葉が違うったって、同じ漢民族だったら分からないってほどじゃないよね…

と思ったあなた様、それではどうぞこちらの番組をご覧くださいませ。

お年玉のところでご紹介した、《大牌駕到》の後半部分です。

ここでは、皆が帰省するお正月時期の放送にふさわしく、

香港出身の郭富城・羅仲謙、
上海出身の馮紹峰、
遼寧省(中国東北部)出身の小瀋陽、
そして台湾出身の司会者・阿雅

が、それぞれのふるさとの習俗やことばの話で盛り上がります。

9:40ごろから
:それでは皆さん、一緒に火鍋を囲みましょうか。
:火鍋!
(テロップ:“典型吃貨一枚”典型的な食いしん坊

:上海では年越しのとき、何を食べるんですか。
:上海で年越しのときは…年越しのときの料理ですね。
:お宅ではそういう習慣ないんですか。うちは魚を食べるんですけど、片側だけ食べて、それから裏返すんです。で、ひっくり返した面は、新年に改めて食べます。
:魚ね。魚なら“劃過來”(漕いできた)面でしょ。
:つまり“年年有余”(毎年余裕がある)という意味です。

*
“魚 yu”“余 yu”が同じ音なので、ひっかけているんですね。
*

:だから“劃過來”(漕いで)来ないとね。
:海で仕事する人は縁起かつぎで、つまり漁師さんは、食べないでしょう、

裏返しにした魚は。そうすると船が「ひっくり返る」から。
:だから“翻”(ひっくり返した)面と言ってはダメ。“劃”(漕いだ)と言わないと。“翻”の字はタブーです。
:あなたのお家もそうですか?
:僕たち(中国の)東北地方は餃子ですね。昼は火鍋です。
(テロップ:餃子は“招財進宝”を意味しています)

おっ、懐かしや“招財進宝”第2話以来ご無沙汰ですね…(第2話は→こちら

:昼と夜は豚足もでます。

と、共食い…?

:あとはカニ。“発横材”(思わぬ儲け)の意味です。

:香港の皆さんはどうですか。
:香港では“樹shu菜”ですね。
:(“素菜”(精進料理)と言いたかったらしいアーロンの発音を直して)
“素 su”

標準語しゃべりづらそうですね...
ここはちょっと面白い例です。

広東語にはshuという発音がないので、本当はsuは言えてshuの方が言えないはずなんですが、入れ替わってしまってます。標準語はshuって言うんだ!と過剰に適応した結果ですね。

実は日本語が母語の人にも同じようなことがあるんです。
たとえば、日本語には[ R ]の発音がないので、英語の[ R ]の発音が苦手ってよく言いますよね。
ところが、英語っぽく発音しようとするあまり、本当は[ L ]のところまで、全部[R]で言ってる人が多いんだそうです。

だから、むしろ[ L ]の発音をしっかり練習した方がいいらしいです。

:母が一番得意な料理は“斋菜”(精進料理)でしたね。必ず母が作ってくれるのを待って食べました。
:そうですよね。あるお料理に特別な思い出や意味があるんですよね。そのお料理には何か特別な意味があるんですか。
:具がたくさん入っているんですけど、たとえば“髪菜”とか。これは“発財”の意味ですね。“生菜”“生財”の意味です。“蠔豉”“好事”に通じます。つまり、良くなるということです。いろいろな意味が込められているんですね。
:近い音の言葉をもじってるんですね。
:ってことは上海料理が一番つまらないってことでしょうかね。  
“年糕 niangao”(餅米料理)があるじゃないですか。
  “年年高升nian nian gao sheng”(年を重ねるごとに高く上る)という意味がありますよね。
:あと、“蛋餃”(玉子餃子)がありました。黄金で出来た“元宝”(昔のお金)に似てるでしょ。
:どんな習慣があるかっておっしゃいましたけど、仕事でずっと外にいますから。
:一家団欒の機会は大事なんですね。


13:10
ようやく新作映画の話になって…

:僕たちは現世によみがえった“四師徒 sishitu”なんですよ。
:大変ですよねこの、標準語をしゃべるっていうのはホント。
(アンディのコップにオレンジジュースを注ぐウィリアム)
:あら良いお師匠さまですこと。まずはジュースで口を滑らかにしてということですね。


先ほども出ましたが、shの発音は南方系の言葉にはないので、皆さん習得に苦労してます。特にsiとの組み合わせは北中国の人でも口が回らなくなるらしく、失敗率の高い早口ことばとしてポピュラーなものに

石 獅 寺 有 四 十 四 隻 石 獅 子…というのがございます。
shi shi si you si shi si zhi shi shi zi

アーロン、ナイストライ!

17:18
:お師匠様(ウィリアム)は優しいんですよ。とても優しい人なんです。
“所以你差點要被他掰彎了”(だから危うくあっちの趣味に引きずりこまれそうになったでしょ)
:実はほんのちょっと…

このあたり、ギャグを交えつつも出演者はお互い褒め合っているわけですが、上に流れる視聴者のコメントはだんだん辛辣に…。

最近は何でもゲイっぽく演出してヤダヤダ…みたいな番組への批判はともかく、
その年で若い女の子を口説きまくって、とっかえひっかえお試し数年でポイ捨てなんて無責任な、とかヒドイこと書かれています。
なるほど、そういうイメージで見られているわけね…。
こればっかりは片方だけの責任じゃないのでは?とは思いますが、

ま、頑張れ!


20:15ごろ
:じゃ、仲謙は皆と上手くお話は出来ました? アーロンが広東語風標準語だったんで目立たなくて済んだんじゃない?
“四師徒”シーンのフラッシュバック)
:僕、実は瀋陽さんとのお芝居が多かったんですけど、俳優としては、まずコミュニケーションを取らないとダメでしょう。だから、まずは日常の小さな事でやりとりをしたんですけど、実はお互い全然何言ってるかわからなくて、あっ、僕が全然分かってなくてすごい困りました。分かったふりしなくちゃいけなくて。
:今ごろあれが「ふり」だったって知ったよ。

21:35
:東北語は教えてもらいました?
:ありました。でも覚えられないです。(キッパリ)
:そんなことないでしょう。
:僕に広東語が覚えられないのと一緒ですよ。
:広東語ってすごく難しいんでしょう?
(口々に)難しいですね。
:広東語には声調(トーン)が七つあるんですって?
:九つです。
:東北語はどうですか。
:東北語は実のところ標準語の一種ですよ。
  方言を混ぜなかったら完璧に聞き取れますよ。
  例えば、「あなた綺麗ですね」「すごく素敵ですよ」
  「僕はものすごく“磕磣”です」とか。
  “磕磣”「ブサイク」って意味です。

“磕磣”の元の意味はデコボコしてる(のデコの方)ってことです。
なるほど、これでブサイクね。

:話しているうちに方言が出ちゃうんですよね。
  “整點酒”(酒注いで)とか。
:東北語の成語ってたくさんありますよね。
  飲み過ぎて“五迷三道”とか。東北の三つの省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)の中でも、遼寧省は方言がいちばんキツくないですか。
:(遼寧省のアクセントで)「ディエンワを掛ける」
:(真似して)「ディエンワを掛ける」????
:「電話を掛ける」です。
:いちばん歌っぽいのは葫蘆島語ですね。
  錦州です。
:錦州。

錦州は東北地区の交通の要所で、戦前はいわゆる「満州国」の統治下にありました。国共内戦の折の激戦区でもあります。

:「なにしてぇえんの?」
  「ごはんたべぇえた?」
  「娘っこずいぶんきれいになったよぉぉおなぁ?」
  「長いシカートはいてんのぉお」
   “裙子”(qunzi:スカート)を“純子”(chunzi)っていうんですよ。
:それはともかく、なんで態度が偉そうなおじさんみたいになるんですか。
  錦州語をしゃべりだすと、顔全体がこんな風に…(しゃくりあげるマネ)。
:語尾が…。
:「何言ってんだぁあね?」
(真似する テロップ:コピー&ペースト)
:「なぁあんでメシを食わしてくんないぃんだぁあね?」

ゲストの目の前に火鍋セットが用意されているのですが、着火されてすらいません(哀)

:お師匠!
:(小瀋陽に向かって上海語で)“侬啊啥”‎?(お前はどうしたの)

で、またBGMが琴…!(悶絶)

:上海語が参戦してきたわ。
:全くわかんねぇ。
:(上海語で)「スカートだなんて」「冷えるじゃないの」

ただでさえ上海語ははんなりしてるのに、ウィリアムがしゃべるとさらにフニャフニャに…

:そろそろ広東語も出るころじゃないですか。
:(広東語で)“係嘞 hai la”(そうですね)“啱嘞 aam la”(その通りです)
馮:(真似して)あ〜〜むら。
“識聴 唔識講嘞”(聞き取れるけどしゃべれないわ)
“請小心車門嘞”(閉まるドアにお気を付けください)
:ドアに気を付けて…?
:香港に行くと一番印象に残るのが、地下鉄の「ドアにお気を付けください」ってアナウンスなんですよ。

中国の首都から遠く離れた広東は、昔から独自の文化が栄えた土地です。
言葉もだいぶ標準語とは違い、発音・語彙はともかく、文法にも違いがあるほどです。

アーロンの最初の返事は、標準語だったら“是的 shide”(そうです)“対了duile”(その通りです)となるところ。全然違いますよね。

広東語の返事の「はい」はとても特徴的ですが、幕末に広東に行った武士たちが、当時、Yesに当たる日本語がなかったので覚えて広めたって説があるんだけど、ホントかしら?

ともあれ、
“天不怕 地不怕 就怕廣東人說的普通話”
(どんなものでも恐れはせぬが 広東人の標準語だけは怖い)
って茶化し文句にまでなっています。

逆もまたしかりで、他の地域の人に広東語の習得はなかなか難しいらしい。そう考えると、北京出身なのに、広東語でポップスを歌い、香港映画でヒロインを演じちゃう王菲(フェイ・ウォン)のスゴさが分かります。

:(ヒム・ローに)あなたは兄弟子と長い事一緒にいたんだから、少しは東北語も身に付けないと。兄弟子ってのは名ばかりじゃないから。
:よし、一言教えてやる。
  「あのネエちゃんなかなか別嬪さんだぁあね」
:「あのらららら…?」
:大丈夫、あなた?(前が標準語で後ろが広東語になってしまっている)
“杯子 beizi”?  (コップ)
“妹子 meizi”!!(女の子)
:酔っぱらった東北人みたいです。
:少しは似てます??


〆の方でヒム・ローは、自分はふだん香港で仕事をしているので、北の方の人と共演できるチャンスは貴重でした、という話をしていて、中国ってホント広いな〜としみじみしてしまいました。

さらに、中国には漢民族ばかりでなく55もの少数民族がいて、お札(人民元)にも主だった民族の文字が記されています。地方に行けば、その土地の言葉と標準語のバイリンガル(?)放送や表記を見る事ができます。

しかし現実問題としては、家の中では地元の言葉でも学校へ行ったら標準語、というのは普通にあるパターンですし、標準語が出来ないと少なからぬハンデがあることは否めません。

今の世の中、別に強要はされてないけど、英語ができないと頭打ちになってしまうのとやや似ています。

さらに、アナウンサーや中国語の先生など、標準語ができなければならない職業の人たちもいます。当然、標準語から母語が遠ければ遠いほど習得が難しいため、ハンデになります。中国の標準語は専門家たちの話し合いで決まったのですが、当時は南北中国の主導権争いで相当揉めたと聞きました。

いまでは“普通话水平测试”(標準語レベルテスト)なるものがあり、これにパスしないと就けない仕事もあるそうです。シビアですね…。

日本じゃ放送局の社内とかではテストがあるのかも知れませんが、いくら標準語は人工的とは言え、戦前はともかく21世紀に、国がそんなテスト作ったら大問題になりますよね…。


番組ではこの後、ここまであまり出番のなかった司会の小サが一芸を披露します。
四大天王の一人、アンディ・ラウの≪咱們屯里人≫という歌を四大天王全員のモノマネでやる、という芸です。

これはモノマネ芸人がアンディのマネをして歌ったのがウケたのが始まりだったのですが、なぜか本人がこれを広東語でセルフカバー(って言うのかこの場合?)、本家がモノマネを超越するという訳の分からない事態を招いたスーパー田舎くさい歌です。

小サによるモノマネですが、四大天王の中で一人だけ中国出身のレオン・ライのが一番似てるような気がします。

さて、この後、アーロンは仕事で香港に帰ってしまいますが、残ったキャスト3人で、四大天王がいかに自分たちのアイドルだったか、という話になります。

それにしても司会者の阿雅さん、
「はい、じゃ、ここからは彼のワルクチも言えますね!」ってどういう進行よ…?


29:25ごろから

:あなたは小さい頃、誰かのファンでした?
:小瀋陽です。
:(テロップ:いいね!を100進呈 はにかむウィリアム)
:実際、アーロンがすごく好きでした。四大天王の中でダンスが一番上手かったから。それに、すごくアクティブで、明るくて、エネルギッシュだし。
:あなた自身はどんなタイプの子だったの。
:バイクに乗るのが好きでした。
(テロップ:超級バイクおたく)
:ふだんは大人しくしてて、演劇学校に通っていたときには、みんな僕のことは、毎日バイクに乗ってる人って認識だったと思います。
:彼、いつもはすごくしおらしくて鈍くさいから、どんな人だか良く分かんないでしょ?
だけどウラではものすごくお茶目なんですよ。しお茶。
そうでしょ、お師匠?
:これ八戒。いたずらが過ぎますよ。
(テロップ:おっとまた憑依されている…)

鈍くさいのは良いんですが、しょっちゅう大ケガしてますよね、この御方は。
「蘭陵王」で踏雪に踏まれて骨折する前には、自分で事故ってマイカー大破とか、「いつか、また」ではセットが倒れてきて腕を骨折、「三打」では馬が暴れて落馬。

先ほどご紹介した、《王牌vs.王牌》では、物まねダンスの練習中に足をねんざ(をいをいをい…)。

郭碧婷〈グオ・ビーティン〉と共演する新作《那片星空那片海》(あの星空とあの海と、くらいの意味でしょうかね)では撮影に入ってわずか5日目に、移動中の船で背中を打撲したとかで、一時完治4か月というニュースが流れていました。その後、それほど重傷でもないという情報も流れてきて錯綜しておりますが…。

俳優さんは身体が資本、本当に気を付けていただきたいですね。

ちなみに、ウィリアムが成りきっている三蔵法師とは、有り難いお経を取りに天竺に行った人なのですが、持って帰ってきた経典とは、《般若心経》のこと。

はて、般若…? なんかどっかで聞いたことのある単語だわ…?(わざとら)
まさかその関係で般若の面が大フィーチャーなのでしょうか(違)

一方、皇帝の仮面をつけてはいるけど、実際には血の通った人間なのよ、と雪舞に指摘された、マスカレードの似合うトレンディ―な男・宇文邕。

ここまで宇文神挙の前では万能の皇帝を演じてた宇文邕も、今回はついに彼に泣いてるところを見せてしまったくらいですから、雪舞の前で落ち込んだ表情を隠すことは、ま、無理でしょう。

宇文邕が貞児に聞かせたホラー小話(と、宇文邕自身が言ってたけど)を小耳にはさんだ雪舞は、まさか以前(第4話こちら)おちょくられていた相手が亡くなったとも知らず宇文邕に向かって、聞き様によっちゃ結構ショッキングな発言をかまします。

“又是誰 為你爾死呢”
(今度は誰が あなたのために死んだの?)

しかし、そんなことでは挫けない、鉄のメンタル・仔ブタ陛下はけなげに答えます。

“不論我付出什麼代價 做出什麼事情 朕一定會成為一代明君”
(朕はいかなる代価を払い いかなる事をしてでも かならず一代の名君になってみせる)

このシーンが面白いと思うのは、雪舞が宇文邕に、弱さがあってもいい、周りの期待通りに振る舞わなくてもいい、と言っていることです。

脚本と、それからもちろんアリエル・リンの上手いところだと思うのですが、雪舞は蘭陵王に接するときと、宇文邕に接する時ではかなり態度が違います。

もちろん、好きな人と、単なる友だちに対する態度の違いということはありますが、韓暁冬に対する友だち扱いともまた違って、語弊を恐れずに言えば、常に「上から」なんですよね。

それは、「天女」として遇されているからという理由もあるでしょう。

ただ、それ以上に、出会ったときの雪舞の状態が、蘭陵王のときと宇文邕のときとでは真逆だったというのが大きいと思います。

思い出してください。蘭陵王に出会ったとき、雪舞には今と同程度の知識や能力があったのですが、おばあ様や村娘たちにいつも役立たずと貶められていた(と思っていた)。蘭陵王は自信のなかった彼女を引っ張り上げる役割を果たしました。

だから、彼女はずっと蘭陵王を(「よんじい」とはいえ)尊称で呼んでいるし、冗談を言い合うほどの近い間柄になっても、どこかに、よく言えば憧憬の、ややもすれば遠慮しているような態度を見せます。

宇文邕に対しては、最初から、自分の能力を使って援ける立場だったので、常に同等か、ややもすると上位の態度を見せているんですね。よく宇文邕も許してると思うけど、外国人(笑)だし、天女なので、周りが咎めないからOKなんでしょう。

遠慮がない分、傍目からは親しく見えますが…。

雪舞は「友達だから」と言ってますが、宇文邕は雪舞が気を許せる相手という他に、出会った当初から彼女の能力に助けられているので、それを高く買っているようで、好きなように言わせています。

雪舞の次の発言なんか、カウンセラーか顧問みたいです。

“我倒希望 你是一個有血有肉 會開心 會難過的正常人
因為只有這樣 你才會懂得百姓要什麼”

(私は逆に、あなたには 血の通った 喜びや悲しみを知る普通の人でいてほしい。
そうしてはじめて あなたには庶民の望む事が分かるはず)


...と雪舞は簡単に言いますが、どう思います、この発言?

よく政治家を批判するときに、庶民感覚からズレてる、みたいなこと言ったりしますよね。
だけど、名宰相、名大統領の条件として、そういう弱さが必要なのかどうか…。

しかも、ここは21世紀の中南海でも永田町でもワシントンでもなく1400年前の北周。

隣にはクレイジーな一族が君臨する国があり、南にはカルチャー面でぐいぐい圧をかけてくる国もある危うい情勢なのです。
(ん? ここだけ見るとあまり21世紀と変わらない気もするな)

だって、涙が出ちゃう。皇帝なんだもん。
(「アタック No.1」なんて、みんな、知らないよね...しかも元ネタは21世紀には男女差別で放禁かも…)

なんて、言ってる場合じゃありません!

だけど、悲しかったら泣いてもいいから、と言われてさらに心が動いているらしい宇文邕。

いい父親はいい皇帝になれる…という雪舞の言葉は、しつけが厳しすぎてグレてしまった皇太子を持つ史実の宇文邕第11話こちら )には皮肉ですが、それよりは、ここで友達のために思いっきり悲しんで泣いたらいいのよ、と雪舞が腕にタッチしながら言ったあとの、ダニエルの細かい演技に注目した方が楽しいですね。

視聴者の目にはあからさまな、そして雪舞だけが気づいてないらしいそんな不実に、鋭い奥さんが気がつかないわけはありません。

アシナ皇后は将棋のお相手をしながら、それとなく宇文邕に探りを入れています。
それを受けて、皇帝の仮面をしっかり被りながら、どう見てもアヤシイよな〜、こいつ、と思わせるという、ここのダニエルの演技もお見事。

心ここにあらずの仔ブタ陛下を見送りながら、アシナ皇后は涙ぐみます。

“皇上 熱衷於象棋的您 連我動了您的棋子 您都渾然不知
天女 難道也虜獲了您的心嗎”

(陛下、あれほど将棋がお好きなのに、駒を動かしたことさえお気づきでない。
天女よ、まさかあなたは陛下の心さえも虜にしたの?)


ああ、こんな良い奥さんを泣かせるなんて…。そしてここもドラマ後半への大事な伏線ですね。

さて将棋。

中国語では“象棋”と言いますが、日本では、「日本将棋」と区別するために、「中国将棋」と言ったり、「シャンチー」と言ったりします。

現代の中国でも、街で対局を見かけますし、道端では賭け将棋をしているセミプロも見ることがあります。

紛らわしいので、以下、“象棋”と書きますが、一見してすぐ気づく日本の将棋との違いは、駒が丸いことです。

同じくボードゲームの「囲碁」は丸い碁石を使いますが、面白いことに、魏晋南北朝の時代まで、中国の碁石は四角だったようです。

実は、史実の宇文邕は盤面を陰陽五行や兵法になぞらえ、《象経》という本を書いており、“象棋”の開祖とまで言われてます。

史書によると、宇文邕が《象経》を執筆した西暦569年は、なかなか大変な年だったようです。

その年の正月、隣国・斉の武成帝が亡くなります。周の国からも葬儀への使者が派遣され、朝議も停止されます。これは恐らく、喪に服するためでしょう。

2月8日、宇文邕は大徳殿に大臣たちや道士、僧侶を集め、仏教と道教の教義について議論をさせます。

2月10日、人の頭ほどの流星が現れ、消えた後に雷鳴のような音が響きました。
4月10日、斉の使者が参内します。恐らく葬儀の返礼のためでしょう。
そして5月1日、皇帝は《象経》を完成させ、大臣たちを集めて講釈します。
 
“象棋”というゲームの直接のルーツが遡れるのは唐代くらいまでですが、言葉自体は紀元前からあり、当時はサイコロを振って遊ぶゲームだったようです。

こちらの↓陶器は“六博”の対戦をしている人たちをかたどっています。漢代の出土品で、これもサイコロゲームの一種です。
六博.jpg
河南博物院のHPから(斉の都・洛陽〈らくよう〉は河南省にあります)

宇文邕の時代の“象棋”(象戯)も実際には今の将棋ではなくて、やはり、さいころを振って遊ぶ、今でいうすごろくみたいなゲームだったらしい。盤面に人生を読むって意味からすると、「人生ゲーム」かな。

ドラマの中で仔ブタ陛下とアシナ皇后が遊んでるゲームは、どうみても「人生ゲーム」にゃ見えないので、未来の国からドラえもんによってもたらされた「オーパーツ」であることが否定できません。

え、本ドラマにはドラえもんなんか出てこないって?
いるじゃないですか、何でもお腹から出してくる太っ腹な御方が、なぜか周の国に…。

太っ腹で思い出しましたが(ナゼ?・笑)、『項羽と劉邦』ファンの皆様としては、盤上の「楚河」「漢界」の文字に気を取られて、 仔ブタ陛下どころじゃないと思います。

ただ、ドラマの盤面はどう見たって現代“象棋”のものなので、当時こんな盤面が存在したのかどうかはもちろんナゾです。が、「オーパーツ」だったら、現代の盤面と同じでもしゃあないので諦めていただいて画面をご覧いただくと、対峙する二人の陣地の真ん中に、線が引いていない箇所があります。この空間を「河界」といい、ここにでっかく「楚河」「漢界」と書いてあります。

これは、現代で言えば国境を隔てるライン河みたいなもので、その昔、劉邦の漢と項羽の楚が停戦協定を結びながらも、河を隔てて対峙していた故事によるものです。

そしてこちら、いよいよ“将軍”(王手)どころか成り駒で“皇帝”になろうとでも言うのか、すでに臣下と見せかける気すらなくなったらしい大冢宰は、ついに帝位を乗っ取るべく、李安に皇帝毒殺の計画を話しています。

それを月兎が盗み聞きしてますが、カメラが引くと、部屋の中から月兎のシルエットがちゃんと見えるという、ヒッチコックが知ったら殴られそうな見え見えの演出はちょっとどうかと思う。



翌朝、柳の枝を手に、雪舞は物想いにふけっています。
この小道具を視聴者にしっかり印象付けようという、こちらも見え見えの演出はちょっとどうかと思う。

それはさておき、

“我離開他太久 我們兩個都會死的。”
(長いこと彼の元から離れていたら 私たち二人とも死んでしまうわ)

“我會因為過度思念爾死的。”
(彼のことを思うあまり 死んでしまうのよ)

“就好像 魚兒跑出水面 因為 他呢 是我很重要的人”
(魚が水から上がってしまうようにね。だって彼はとても大切な人だから)

おやおや、こんな風に思っているのなら、なぜ今ここに居るんだか…。

すると貞児は、一番好きな人は誰か、当てっこしよう、と言います。

貞兒のジェスチャーを見て、雪舞は、

“茶壺一樣的人” 

と言うのですが、私は一瞬、「茶つぼ」のような人?と思ってしまいました。
(急須、が正解ですね)
危ない、危ない…
(大体、茶つぼのような人ってどんな人よ…きんどーちゃん…か?)↓
http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%81%BB%E3%81%86%E3%82%8C%E3%82%93%E8%8D%98 
(「マカロニほうれんそう」、懐かしい)

そこへ仔ブタ陛下がやってくるので、貞児は仔ブタちゃんの一番好きな人は誰? と聞きます。

そこでなんで、雪舞は気まずそうな視線を仔ブタに送るんだか…
この思わせぶりな演出も、ちょっとどうかと思う。

宇文邕も貞児の前では穏当に、雪舞に治療の礼を述べたあと、

“跟朕去一個地方”
(案内したい場所がある)

このセリフと雪舞のこの表情、第15話で蘭陵王が雪舞を散歩に連れ出すときに言った、

“有一個地方 我一定要帶你去”
(君をどうしても連れて行きたい場所がある)

というセリフと、そのときの雪舞の表情を彷彿させますね。

二人が向かった先は皇帝の書庫。なぜか蘭陵王が先回りして戸口に立っています。
(まさか尾行してる訳でもあるまいに、どういう野生の勘なんだか…
宇文邕とお互い、センサーでもついてるのかしら)

掃除をする宮女たちの噂する、天女という言葉に敏感に反応する蘭陵王。
このあからさまな反応を気にも留めず(ってかワザと?)、皇帝と天女のラブラブっぷりを開陳する近衛軍同僚の二人。いいんですか、そんな、雇い主の個人情報をさらしたりして…。
人生、積みますよ?

そこへ皇帝と天女のお成りです。

積み上がるお宝本(と竹簡)を前に、雪舞は大興奮です。

セリフに出てくる
《化物総要》
《考工記》
《九章奇巧》

以外にも《斉民要術》などの書名が確認できます。

どれもこれも、失われたと言われていた貴重書だわ!と言ってますが、《考工記》《斉民要術》は現代まで伝わってる実在する書物です。前者は、戦国時代の斉で書かれた手工業関係の技術書、後者は蘭陵王パパの時代に書かれた、今でいう農業・畜産の技術書です。
後者の方は、このすぐ先の回でまたご紹介する機会があるでしょう。

《九章奇巧》という本はたぶんないですが、《九章算術》は現存する中国最古の数学書なので、そのあたりから名前をとったのでしょう。いずれにしても、雪舞が喜びそうな本です。

宇文邕はこともなげに、これは蔵書だから好きなだけ持ってって、みたいなこと言っていますが、書籍は当時から大変に貴重なものでした。

それが貴重書ともなれば考えられないような値段がついており、その金喰い虫ぶりを称して、

“三百六十行生意,不如鬻書於毛氏”
(どんな商売よりも、毛さんに本を売るのが儲かる)

という言い回しがあったくらいです。毛さんというのは明代の蔵書家・毛晋〈もう しん〉のことで、金に糸目を付けずに本を買ったと言われています。

雪舞は、写すからいいわ、と言ってますが、コピー機なんかなかった当時、写本というのも大変な作業でした。

第6話(→こちら)で瞬時に蘭陵王の弱みを把握した宇文邕。雪舞の好みを掌握するのも「手のひらを返すように簡単」なはずです。

趣味が同じなのはお付き合いの上でとても大事ですよね。
当然、話は盛り上がっております。

それを障子の影から覗いてる、カワイそうな蘭陵王は忌々しげにつぶやきます。

“好皇帝又怎麼樣”
(良い皇帝がどうした)

おや、四爺様、ついに負け惜しみですか...。
負け〜て悔しい花いちもんめ♪
(グリグリと塩を擦りこんでみたり)

ちなみに、「負け犬の遠吠え」を中国語で言うと、本当は“虛張聲勢”とかになるんでしょうけど(いやむしろこの語の意味は「ハッタリをかます」かしら)、最近は日本のアニメとかマンガとかドラマとかでどんどん日本の「漢語」が入ってきていて、いちいち訳すのがメンドくさいのか、“敗犬的遠吠”って、本のタイトルなんてもうそのまんま。

意味分かんのかな、これで。

と思ったら、全然心配する必要なんかないらしく、

“敗犬女”

って言葉もあるみたい。要らん事、よくご存じだこと。

ってことでこれは女性にしか使えないらしいので四爺は残念ながら除外ですが(“残念”って言葉も中国語になってるらしいですね。“很残念”って用法、何か笑っちゃいます)

“留在周國吧”
(周に残ってくれないか)
というセリフを聴いたときの、ものすごくショックを受けてる四爺のリアクションが最高です。続いて、

“不行,我拒絕”
(ダメよ お断りだわ)

“是因為蘭陵王嗎?”
(蘭陵王がいるからか?)

このやりとりを聞いている四爺の安堵したというか、ちょっと得意そうな顔がいいですね。

だけど、安心しちゃダメだと思いますけど。
雪舞はニッコリはしていますが、実はこの問いに直接答えてはいません。

“朕是皇帝 朕可以給你一切”
(朕は皇帝だ)

“比你做一個小小的王妃 要得到的多”
(王妃などになるよりも、得られるものは多いぞ)
自分だって名ばかり皇帝で、いつも宇文護の尻に敷かれている(とは言わないか、この場合?)くせに、なに強気なこと言っちゃってるのでしょうか。

ほら、ごらんなさい、雪舞だって思いっきり呆れています。

“我怎麼可能以我能得到多少來決定我留在哪裡呢”
(どこに居るかは得られるものの量で決めるわけじゃないわ)

あなたには「愛」は分からないに決まってる、という雪舞に、宇文邕は、
“男歡女愛 食色性也 人之必然 有何難懂”
(睦みあうこと 食べることは人として当然の行いだ 分からぬはずがない)
と、反論しますが、雪舞は、

“真正的愛情啊 是要交心的”
(本当の愛情はね 心のやりとりなのよ)

と答えます。

このセリフのあとの四爺の表情もいいっすね。

雪舞は具体例を挙げて説明します。たとえば気が晴れないときは、

“像我呢,我就會捏捏我心愛的人的臉 罵他幾句”
(私だったらね、大好きな人の頬をつねって、悪態をつくのよ)

こう言われると、雪舞が言う悪態ってどんなのか、知りたくなりますよね。
(前回、誰かさんは「この色魔」とか言われてましたっけね)
ドラマでは答えが出てこないんで残念です(あ、雪舞から四爺にはあるか。それは第18話のお楽しみですね)

ちなみに、中国では仲良し夫婦ですと、
“臭老婆”(クソBBA)
“去死的”((死に損ない)
などと呼び合うことは珍しくありません(いや、ホント…)

このような会話を聞いた周りの人は、
「まぁ〜微笑ましいこと」
「仲のおよろしいことで」
と冷やかすのがデフォルトです。

いえ、軍神と天女がそのように呼び合っているという意味ぢゃございません!
誤解なきように。

しかし、ここでなぜか得意そうな顔の四爺が映ります。
テレビで見ると、宇文邕たちがいる部屋の中と、四爺の立ってる外はつながってるんだけど、
当然別々のタイミングで撮っているんですよね。
撮影シーンの様子を想像すると、何かマヌケな感じで笑える…。

後宮に三千人の妃がいても、そのうちの誰かを‘心肝小寶貝’
(かわいいベイビーちゃん)
って呼んだりはできないでしょ?と指摘する雪舞に、仔ブタ陛下はものすごく真面目な表情で、

“那蘭陵王也是王那他就會讓你捏捏他的臉叫他心肝寶貝啊”
(蘭陵王も王であろう。そなたに頬をつねらせて「かわいいベイビーちゃん」と呼ばせるのか)

このトンデモ質問に、雪舞が即答した、

“那當然”
(もちろんよ)

って答えに驚く蘭陵王。

いえ、あなた様ばかりでなく、視聴者も驚いてるんですが、いつの間にそんな事に?
何話か見逃したんでしょうか?あるいは雪舞お得意の

ハッタリ君?

暴露証言が出たその夜、このままにしとくとやっぱり仔ブタに取られてしまう、と野生の勘で悟ったのか、はたまた、これ以上雪舞の口から内情(笑)がバレるとヤバいと思ったのか、四爺は直接、雪舞の部屋を訪ねます。

つか、宮廷内なのにお付きの人も誰もいないなんて、蘭陵王府並みに不用心ですよね、ここ。
…まさか、周りの人たちを全員なぎ倒して…ぶるぶる。

雪舞も危険を察知したもようで、蘭陵王に向かって
“原來你是個變態”
(あなたって人は、実は変態だったのね!)

と吠えたてますが、ヘ、ヘンタイって…。
ああ、ここにも人生積んだ人が…。

ちなみに、中国語にも元々“変態”って言葉はありますが、この“變態”(ってどのヘンタイ?)日本からの借用語らしいですね。

つまり、“很残念”なことに、ヘンタイって称号は、「古代にないもののNG」に付け足すべき事項だったんですね〜(例のツッコミ番組の続編作ったら、ぜひ追加していただきたいものです)

日本のアニメ、ドラマが大人気の中国圏では、他にも日本由来のヘンタイ用語が多数流通しております。どんなものがあるのかは、テストに出るので調べておくように!

では、次回はこのネタからお会いしましょう。

莎喲娜拉 (shayonala),再見!

第17話→こちらに続く!
posted by 銀の匙 at 01:44| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

春なのに 春だから

皆さま、こんばんは。

こちらには、テレビドラマ《蘭陵王》の関連記事として、バラエティー番組《大牌駕到》からアーロン・クォック、ウィリアム・フォン、小瀋陽、ヒム・ローが出演した回をご紹介しておりました。

第16話の紹介記事が完成しましたので、内容はそちらに移動いたします。
(→ こちら)

ご興味のある方は、どうぞ第16話をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


posted by 銀の匙 at 03:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

カメラよカメラ、中国でいちばん美しいのは誰?(resized)

*写真サイズを訂正しました。

中国のお正月(春節)は旧暦で今年は2月8日とのこと。

この時期、映画館ではお正月映画が封切られます。昔はやっつけで作ったようなコメディが多い印象だったんだけど、最近は大作が上映されるようですね。

2016年お正月映画の話題作といえば《西遊記 三打白骨精》。ウィリアム・フォンが三蔵法師、というのは良いとして、コン・リーが「白骨精」の役って何なんだろう…しかも、往年の香港四大天王の一人、アーロン・クォックが「孫悟空」だというじゃありませんか。

昔なら、当然アーロンが三蔵法師だったでしょうに。いつまでも青年っぽかった彼も、ついに青年の座を次の世代に明け渡すことになろうとは。時の経つのは早いものよのぉ。でも、次の世代と言ったって、ウィリアム・フォンももう30代後半。

中国で三蔵法師といえば美男子の代名詞なので(→テレビドラマ「蘭陵王」第7話の3参照)、キャスティングの発表があったときは中国で結構話題になってましたが、封切り近くなったら却ってあまり話題も聞かないし、予告はまたまた例によって品の悪いCGシーンばっかりだし、皆の期待するイメージと違ったのかな、と久しぶりにウィリアム・フォンさんの微博(中国のツィッターみたいなもの)でもチェックするかと思って開けたらビックリ。

あなた様は、いったいどなた?
s-weibo1.jpg

(ご本人さまの微博 http://www.weibo.com/fengshaofeng)
から。本当は写真じゃなくてリンクだけ貼ろうと思ってたんですが、数日経つと流れていってしまうので、やむを得ず...。以下同です)

これ、最近の写真ですよね? 年齢不詳なんですけど、とりあえず37歳には見えませんね。
紗がかかってこうなってるのかと思ったら、普通に撮ったらしいのも大して変わりません。

s-weibo.jpg

さすがは役者さん…。「西遊記」のプロモーションのときの写真のようですが、この髪型やメイクは何か別の新しい作品用なのでしょうか。こういう雰囲気も出せるんですね。

ともあれ、なんだかんだ言って中華第一美男の称号はダテじゃない。

美男子の神様といえば二郎神君、美男子の武将といえば蘭陵王、美男子のお坊さんといえば三蔵法師と、中華世界の代表的な美男子三人をコンプリートした実績は侮れませんなー。

でも、一番上、自撮りでこういう写真って…。

おっほん、綺麗な人のやることは凡人には分かりませんからこれ以上は追及しませんけど、
肝心の三蔵法師はこんな感じに仕上がっているようです。
s-sandabaigujing.jpg

ポスターは加工されてますが、
「ナシとリンゴどっち」
「てんびん座だから選ばない」
とセリフが足してあります。

なるほど、白骨精っていうのは美女なのね。まさかコン・リーがガイコツ役のはずないもんね…。

しかし、季節柄、気になったのは《西遊記》の方じゃなくて、新作ドラマの《幻城》の方でした。これは全50回もあるファンタジー作品だそうで、主演のウィリアム・フォンは氷の国の王子、卡索の役。寒そうなコスチュームなのに、放映は夏になるらしい。

夏にはSF映画『三体』も公開だそうで、相変わらず忙しそうですね。この作品、原作の方は権威あるヒューゴー賞の長編小説賞を受賞しました(何を隠そう、私にも投票権があった…)。

ヒューゴー賞長編小説部門の過去の受賞者はベスター、ライリー、ハインライン、ディック、ル=グウィン、ニーブン、クラーク、ウィリスと錚々たるメンバー。ここに入るとは相当なもんです。

『幻城』の方は、『ロード・オブ・ザ・リング』でアートディレクターを務めたダン・ヘナーがスタッフに入っているそうで、だからでしょうか、この造型が非常に何かに似ている気がするのですが…。

動いているのはこんなふう( いちおう公式らしい動画 http://www.iqiyi.com/w_19rtnjfif1.html?source=www.weibo.com )

s-huanchengkasuo2.jpg
(携帯で見てみたら、写真がすごくちっちゃくなってますね、すみません…。でもこれ以上大きくするとPCで見たときかな〜り怖い…。携帯のときはクリックしたら少しだけ大きくなるようにしておきます)

これはいくらなんでも加工しすぎなんじゃ?と思ったら、メイキングの写真も出てました。こっちの方は割と自然。

s-kasuo2.jpg
(こちらはテレビドラマ《幻城》の微博 http://www.weibo.com/u/5508883902?refer_flag=1001600001_&is_hot=1)

他のキャストも、弟役の馬天宇とかヒロインの宋茜(ビクトリア)とか、男女とも綺麗な人ばかり。
ゲームみたいなファンタジー作品になったら嫌だけど、でも、動いたらどうなるか、見てみたいものです。

ともあれ、ファンの皆様には旧聞に属することかと思います。
お正月向けとは言え、内容の薄いエントリーで失礼しました…。
「蘭陵王」第16話の記事は、やる気をチャージ中のため、もう少々お待ちください…。
最初からお読みになりたい方は、「蘭陵王」のカテゴリー→こちら からどうぞ。
posted by 銀の匙 at 02:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

蘭陵王(テレビドラマ27/走馬看花編 第15話)

皆さまこんばんは、寒いですね!
今年一番の雪になったところも多かったようですね。

中国では、なんと常春の南方都市・広州で50年ぶりに雪が降り、市民がフィーバーして大変な騒ぎになりました。

市内はうっすら車に積もる程度だったようで、もっと降ったはずの高いところへ観に行こうとする人で渋滞になるだろう、と予想したのか、高速道路の電光掲示板には「白雲山にも雪は積もっていません。観に行かないでください」という標示が出たんだとか。

雪は確かに厄介だけど、少ない地域にとっては嬉しいイベント。
それは日本も中国も、平安時代も蘭陵王の時代も同じだったようです。

そうそう、雪が積もったら…どうすればいいんでしたっけね。

答えの前に、第15話を見てみましょう!

ちなみに前回の第14話はこちらから。

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

前回までのあらすじ

邙山〈ぼうざん〉の戦いでの奇跡のような大勝利と、民と果物一個さえ分け合うという太っ腹 気前のよさで人望厚い蘭陵王<らんりょうおう/Lanling Wang>=高長恭<こう ちょうきょう/Gao Changgong>=四爺<スーイエ/Si Ye>が、皇太子に取って変わるのでは、と恐れた皇后とその腹心の陰陽師・祖珽〈そ てい/Zu Ting〉は、蘭陵王を陥れようと画策します。

しかし、弟の安徳王〈あんとくおう/Ande Wang〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉=五爺〈ウーイエ/Wu Ye〉が、傷心のまま故郷に帰ろうとしてる割には城門で足止めを食っていた楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉の説得に成功。彼女は祖母の知恵を借りて、蘭陵王を救い出します。

晴れて無罪の決まった場に、福姥〈フーラオ/Fu Lao〉=皇太后が現れ、蘭陵王の正妃は楊雪舞にせよとの詔を下します。


さて、こちらは蘭陵王府(蘭陵王のお屋敷)。オープンエアの気持ちよさそうな中庭で、座ってくつろぐ皇太后に楊雪舞が挨拶をしています。

傍らの四爺が、なぜ乳母のコスプレなんかしていらしたのです。そんなオタクなご趣味をお持ちなんて、心配いたしましたという趣旨(心の声を復元してみました)を皇太后に申し上げると、向かいの五爺は、いや、兄上だってすべての出没ポイントに女の衣装を用意してるじゃないか、コスプレ好きは隔世遺伝だろ…じゃなくて、

“她是怕 雖然你有戰神的封號
但對女人 還只是紙上談兵
所以 她親自幫你督軍”

(兄上は軍神と言ったって
おなごの扱いは実戦の経験がない。
おばあ様は心配されて 自ら采配をふるいにいらしたのさ)

 
兄が将軍なのに引っ掛けて、五爺は「でも恋愛にかけては“紙上談兵”(紙上で兵を談す=机上の空論)なんだよね」とからかってるんですね。

この“紙上談兵”《史記》卷八十一 廉頗<れんぱ>・藺相如<りんしょうじょ>列伝から来ています。

中国の戦国時代、趙<ちょう>国は秦<しん>国と戦っていました。趙を守っていたのは、名将・廉颇<れん ぱ>将軍(覚えていらっしゃいますか?第7話の3こちらに登場した、“負荊”“刎頸〈ふんけい〉の交わり”という言葉の元になった人)でした。

攻めあぐねた秦はスパイを使って、「秦が恐れているのは趙括<ちょう かつ>が将軍になることだ」というガセネタを流します。

それを聞いた大臣の藺相如〈りん しょうじょ〉(廉颇将軍と「刎頸の交わり」をむすんだ人。“完璧”“怒髪天”という言葉の元になった)は病をおして趙王の下へ出向き、

「趙括<ちょう かつ>は、兵法オタクのマニュアル君。ボンドでくっつけた琴柱と一緒で融通が利かないから、実戦じゃ役に立ちません。♪ウワサを信じちゃいけないよ♪」と諌めたのに、趙王は、なんと廉颇将軍を更迭して趙括を総大将に任命してしまいました。

《史記》から続きを見てみましょう。

趙括自少時學兵法,言兵事,以天下莫能當。嘗與其父奢言兵事,奢不能難,然不謂善。
(趙括は幼いころから兵法を学び、用兵について語り、天下一詳しいと自認していた。(名将であった)父親の趙奢さえ言い負かされたが、趙奢は彼を認めなかった)

括母問奢其故,奢曰:「兵,死地也,而括易言之。使趙不將括即已,若必將之,破趙軍者必括也。」

(母親がその理由を尋ねると、趙奢は「いくさとは命がけなのに、軽率に過ぎる。将軍に取り立てられることがなければ良いが、そうなれば、軍を破滅に導くであろう」と言った。)

趙括既代廉頗,悉更約束,易置軍吏。
(趙括が廉頗に替わって将軍になると、決め事は全て反故にし、軍官も全てすげ替えた。)

秦將白起聞之,縱奇兵,詳敗走,而絕其糧道,分斷其軍為二,士卒離心。
(秦の白起〈はく き〉将軍はこれを聞き、奇計を用いて、撤退と見せかけて趙軍の糧道を断って兵力を分断したため、士卒の心は離れていった)

四十餘日,軍餓,趙括出銳卒自博戰,秦軍射殺趙括。
(四十余日が過ぎ、趙軍は飢えに見舞われた。趙括は精鋭を率いて撃って出たが、秦軍に射殺された)

括軍敗,數十萬之眾遂降秦,秦悉阬之。趙前後所亡凡四十五萬。
(趙括の軍は破れ、数十万の兵が秦に下ったが、全員穴埋めにされた。趙は前後で45万もの兵を失ったのである)

まさに、「生兵法はケガの基」を地で行くお話ですが、でも「紙上談兵」ってことは、四爺は少なくとも「談する」ことはあった、つまり、恋愛についての話はしたことある、って意味ですよね。

五爺を相手に恋バナ?

四爺はあまりそういう事しそうに見えないけど、人は見かけによらない(見かけ通りだったらどうなのかっていうと以下略)。四爺が持ってた玉佩の意味を五爺が知ってるってことは、少しはそういう話もしたことあるんでしょうかね。

で、図星(秘孔)を突かれた四爺ですが、軍神の意地を見せてか何とか反撃します。

“啊 原來是你偷偷把姥姥接進府來
讓姥姥跟雪舞見面”

(なるほど、つまりお前がこっそり手引きして
おばあ様を雪舞に引き会わせたんだな)


ちなみに「図星」とは和弓から来た言葉で、的の真ん中の黒い部分を指すそうです。そういえば以前、丹州城で文字通り図星を突いていた四爺。皇太子にも教えるほどの弓の名手だそうですけど、弓関係では痛い目を見る運命のようです。

“俗話說 大恩不言謝
四哥 你不用太感謝我
咱們兄弟倆自己知道就好了”

(世間では 大恩に礼は無用というぞ。
四兄、感謝してくれずともよい。
兄弟の間柄で水くさい)


“大恩不言謝”という言い回しは《兒女英雄伝》が出典とされています。

《兒女英雄伝》というのは、清代に書かれた小説です。

清代のキル・ビルにして戦うクンフー美少女・十三妹<シーサンメイ>と、へなちょこ主人公・安驥<アン ジー>坊ちゃんの、アクションあり(念のためですが安ぼっちゃんのアクションシーンはございません)、ロマンスありの物語。

設定が面白いせいか、映画やドラマ、マンガ(松本零士大先生作)にもなっています。

その第9回、安お坊ちゃまは、無実の罪に問われた父を救いに都へ向かいますが、山賊に襲われたところを十三妹に助けられます。

“只有安公子承这位十三妹姑娘保了资财,救了性命,安了父母,已是喜出望外。…想起自己一时的不达时务,还把他当作个歹人看待,又加上了一层懊悔,一层羞愧。只管满脸是笑,不觉得那两行眼泪就如涌泉一般,流得满面啼痕。

只听他抽抽噎噎的向那姑娘道:“姑娘,我安骥真无话可说了。自古道‘大恩不谢’。此时我倒不能说那些客套虚文,只是我安骥有数的七尺之躯,你叫我今世如何答报!”说着便呜呜的哭将起来。”


(ひとり、安公子だけが、この十三妹によって金子と命を守られ、父母を安んじることができたのだ。それだけでも望外の幸せであった。

…それなのに彼女を悪人だと思い違いをしてしまったことが悔やまれ、また恥ずかしくもあった。何とか笑みは浮かべたものの、不覚にも両の目からは泉のように涙がほとばしった。

彼はしゃくりあげながら「娘さん、わたし安驥はお礼の言葉もありません。昔から「大恩は謝せず」と申します。今のようなときに、口先ばかりの礼など無意味です。持ち物とて、この七尺ばかりのわが身しかございません。どうしたらご恩に報いることができましょう」。言いながらも公子は慟哭した)


…ってことで、出典とはなってますが、「‘昔から’大恩に礼は言わずという」いうことは、この本が書かれる前に、すでに広く使われてた言葉だということですね。

大恩にお礼を言わなくていいんだったら小恩はどうなの…?と普通思うと思いますが、実はこっちはすでにドラマに出てきています。

雪舞のセリフにありましたよね。

“奶奶曾說過受人點滴當湧泉相報”
(おばあ様は、一滴の水をもらったなら、泉をもらったつもりで恩に報いなさいと言った)
と言ってます。(第7話の3こちら

これは雪舞のおばあ様からの教えでしたね。

しかし、しみじみとするどころか、四爺は返す刀でノリツッコミです。

“好 好好好,
這樣吧 以後你要再娶小妾的話
我也把姥姥請來讓她幫你監督監督”

(分かった分かった。
ではこうしよう。この先お前が側室を娶る折には
私がおばあ様にお願いして取り仕切っていただこう)


いきなり劣勢に立たされた五爺。軍神をおちょくるから、こういうことになるんです!

“別別別 你不是不知道啊
姥姥最擔心的就是我們倆
一個沒有大老婆
一個小老婆太多嘛”

(いやいや 兄上もご存じの通り
おばあ様が一番心配なさっているのは私たち兄弟が、
一人には大奥様がおらず
一人には小奥様が多すぎる、ってことだから)


口の減らない兄弟二人を追い払おうと、皇太后は献上品のお菓子を持って来なさいといって追い出します。

この当時、どんなスイーツが流行っていたのかはよく分かりませんが、唐代のお菓子は、なんと実物が残っています。

ほらね。
s-お菓子.jpg
(《中国古代常識》より)

これは復元ではなく実物。
新疆ウイグル自治区のアスターナ古墳群に残っていた「ミイラ」。乾燥した地域だったので、そのまま残ったのでしょう。墓はちょうど蘭陵王の時代のころにあった高昌国時代から唐にかけてのものですが、この「ミイラ」は、器からして唐代(600年代)のものと思われます。

今でも横浜あたりで、似たような中国菓子を見かけますよね。

遠景には、スイーツにたかるハエのごとく追い払われた四爺、五爺が映っています。

“怎麼樣 四哥 這件事小弟辦得不錯吧”
(どうです兄上。上手いことやったでしょう)

“記你一功”
(覚えておこう)

つまり、有効ポイントとしてカウントしといてやる、ということですね。

兄に劣らず、弟も(この方面においては)相当の策士であることが分かります。ここでは特に言ってないけど、皇太后より何より、命拾いしたのは五爺のおかげなんだから、もっと感謝するように。

さて、残った皇太后は、雪舞の働きを褒め、皇太子への懸念を口にします。

“哀家活了大半輩子 陪著神武皇帝完成雄圖大業
見識過各路英雄

現在哀家還活著 必要時還能護著肅兒
總有一天 哀家要到先王神武皇帝那兒去”

(わらわの半生は 斉を打ちたてた神武帝と共にあった。
そのうち、またお側に行く日が来るのですよ)


そのときは皇太子が皇帝になっているでしょう。それが心配だ、と

ここで皇太后がいう“哀家”とは、夫を亡くした人、という意味の自称です。

皇太后の旦那さん、神武皇帝とは、蘭陵王のグランパに当たる人で、東魏の事実上の支配者ではありましたが、皇帝にはなれませんでした。神武帝という称号は、次男の高洋が斉の皇帝になったときに追贈したものです。

皇太后は名前を婁 昭君<ろう しょうくん>といい、史実でもなかなかの女傑だったようです。

多くの求婚者がいながら、一介の貧乏な士卒に過ぎなかった高歓を見初め、結婚しました。高歓は自分の馬を持ち、他の有力者と交際してステップアップしていったらしいのですが、その資金は婁氏が工面したようです。蠕蠕<ぜんぜん>国の姫君との政略結婚の話が出ると、チャンスを逃さないようにと自らは正妃の座を下り、縁組を勧めました。

そんな内助の功がある奥さんがいながら、姫君の他にもプラス8人も側室を娶った神武帝。まったく高一族のやることには開いた口がふさがりません。

まさにゲスの極み!

このとんでもない家に嫁いで来ようという雪舞も相当の勇者ですが、
さらにけなげにも、

“即便自己的性命不要
也會讓四爺平安的”

(自分の命に替えても
四爺の‘平安’をお守りします)


と言い出します。

第5話(→こちら)に引き続き、守るべきものは‘平安’だ、というメッセージが、よく分かるセリフですね。大事な伏線です(笑)


しかし皇太后さまは、伏線より、2人がいつまでも仲良く楽しく日々を送ってくれればよい、と優しいお言葉。それを受けて雪舞は、

“雪舞一定會好好照顧四爺的”
(雪舞は必ず しっかりと四爺にお仕えします)

と言いますが、ああ、「必ず」はダメだったら…!

結婚式の日取りが決まってからとんでもない事件が起きるのは中国ドラマのお約束、とよーくご存知の皇太后は、とにかく無事に婚儀が済んでほしいとおっしゃっておられます。

さすがは経験豊富な皇太后さま!

さもないと、《宮》“八阿哥”みたいに花嫁がすげ替えられちゃったり、誰かさんみたいに、全世界に向けて結婚前提で付き合ってますと宣言した彼女に逃げられちゃったり、しますからね(あ、これはドラマじゃないか)。

…いえ、申し訳ございません、ご本人には冗談じゃすみませんよね…でも、「人間万事塞翁が馬」ってことわざも、ありますから。

さて、その夜、自分が焦がした四爺ママの服を繕って返した雪舞に四爺は、雪舞のおばあ様を探し出して、この良い知らせを伝えよう、と言いますが、雪舞は、おばあ様はわざと世を避けているし、自分たちの結婚は決して望んでいない、とため息交じりに答えます。

そして雪舞は、今の自分の選択が正しいかどうか分からない、という不安を口にします。

そこで四爺は、

“我會用一輩子的時間向你奶奶證明 我們能白頭偕老”

(私は一生の時間をかけて 君のおばあ様に証明するよ。
私たちは共白髪まで添い遂げることができると。)


とおっしゃってるんですけれども、今回、四爺はついに、毎回この手の話題のときには絶対に言う「必ず」を追加するのは諦めたものと見えます。そうよね、どうせ言ったってムダだもの…。

さて、珍しくも、四爺と手をつないで画面に登場した雪舞は口ずさみます。

“白雪紛紛何所似”
(白雪 紛紛として 何に似るところぞ)

“未若柳絮因風起”
(風に起つ柳絮<りゅうじょ>に若かず)

これが柳の木だよ、と言ってる前後左右には木肌からして松の木しか見えませんけどね。
吹き替えは、そうだ、これは柳の「わた」だ、と上手く逃げました。

待てよ、こっちは“柳”というと「ヤナギ」だと思ってるけど、ひょっとして違うのかな。

日本語と中国語では、同じ漢字だと思ってると違う意味というフェイント(同形異議語)というのがあり、ときどきつまずいて大怪我するのですが、身近な植物の名前にもたまにあります。

たとえば中国語で“柏”っていうと日本で「イトスギ」だったり、“椿”は「ニワウルシ」って樹だったり。

数々の痛い目に遭ってるので念のため辞書を引いてみましたが(稀に辞書も間違ってることがあるのが泣けるけど)、中国語の“柳“は日本の「やなぎ」だったので安堵いたしました。

とすると、この手前の方に、鉢植えみたいな感じで映ってるこの樹が柳なんでしょうね。

柳っていうと「しだれ柳」をつい連想しちゃいますが、ネコヤナギとかいろいろございますように、いろんな形の樹形があるそうですので。

「柳絮」と言われても、あまり見たことない気がするのですが、北中国では春の風物詩で、5月ごろになると、柳がいっせいにワタを飛ばします。日本の俳句では春の季語にもなっています。

ただ、雪舞が諳んじたこの句は季節的には冬のお話で、《世説新語》に出てくるエピソードから取られたものです。

“謝太傅寒雪日內集,與兒女講論文義。俄而雪驟,公欣然曰:「白雪紛紛何所似?」兄子胡兒曰:「撒鹽空中差可擬。」兄女曰:「未若柳絮因風起。」公大笑樂。”

(謝太傅(=謝安)はある寒い雪の日、家の者を集めて詩文について語っていた。にわかに雪が強く降り出したので、嬉しそうに「この、ひらひらと舞い落ちる雪は何に似ているかな」とたずねた。

甥っ子の謝朗が答えて「塩を空に撒き散らしたようですよ」といった。
姪の謝道韞は「それより、柳絮が風で一面に舞っている様子、のほうが良いわ」と言った。)


謝安(320-385)は東晋の宰相で、蘭陵王の時代から200年ほど前の人。その姪っ子である謝道韞は才女として知られ、このエピソードから、才媛への褒め言葉は「詠絮<えいじょ>の才の持ち主」というようになったとのこと。

雪と才女とはどうも関連が深いらしく、『枕草子』のこんなエピソードを思い出しますね。

清少納言は、ある雪の日、お仕えする中宮さまからこんなことを聞かれます。
「少納言よ、香炉峰の雪はどうなってるかしら?」
機転の利く清少納言は、ブラインドをさっと上げました。

周りの人は、「話としては知ってたけど、とっさには出てこなかったな〜。
すごいね少納言さん!」と褒めた。


ってなお話。

解説を見ると、「香炉峰の雪は、御簾を高く上げて見る」と白楽天の詩にあり、それを知っているということは漢詩の教養があるということです、とか書いてある。

何だ、自慢じゃん!

…あ〜、ではありますが、清少納言さんとしては、雪が積もったときに予めブラインドを下げておいて、座が盛り上がったときにさっとクイズとして出してくる、中宮さまって何て気の利いたお方なのだろう、と言いたかったんでしょうね(大人のフォロー)。

話が逸れましたが、蘭陵王がそう思ったかどうかはともかく、「詠絮の才」はそれなりに知られている言葉なので、雪舞の才媛ぶりを印象づける効果はありそうです。ただ、彼もすぐに答えているということは、当然、元の故事も知っているという設定なのでしょう。

しかしです。

続いて蘭陵王は言います。

“柳 有留下的意思”
(「柳」には「留まる」という意味がある)

柳は確かに発音がLiu2なんで、留めるのLiu2と同じです。

でも皆様、どうかここで思い出してくださいませ。

第10話の3(記事は→こちら)で「蘭陵王入陣曲」のその後について触れましたが、そのとき、宋代に《蘭陵王》柳という詞が作られたというお話をしましたね。

確か第一連目はこんな感じです。

柳の並木
春霞のなか そのしなやかな枝の緑が踊る
いにしえの隋の運河の堤に立ち 幾度となく見た
枝が河面を撫で 柳絮が舞って 旅人を見送るのを


この詞に限らず、中国文学では、「柳」「柳絮」といえば、別離の暗示だと相場が決まっています。

この事実(?)は、wikiの意地悪ばあジョンである、アンサイクロペディアの「柳絮」の項にまで載っています。(↓コレね)

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%9F%B3%E7%B5%AE

(アンサイクロペディアに乗ってるんじゃ、逆に信用できない説なんじゃないの?とかツッコまないようにお願いします)

そして、ここまでご覧いただいたように、数々の古典の教養をさりげなく忍ばせてきたこのドラマの脚本家が、こんな美味しい設定を見逃すはずはありません。

もちろん!

「柳絮」を大事な思い出の1コマに持ってくることで、この先の回の似たようなシーンとの対比がさらに際立つわけですね。

しかし、残念ながら四爺は武人、さほどの文学青年ではなかったご様子で、

“感謝你拋下一切 留在了我的身邊
我也會盡我所能 一輩子留在你身邊”

(感謝する 全てを捨てて 私の元に留まってくれて
私も全ての力を尽くして 君の側にいよう)


このセリフを受けたアリエルの演技がとても好き。
言葉の意味を確かめるように、ゆっくり視線を動かします。

そこで2人がアップになるんですが、荒くれ者の視聴者には、いい雰囲気の2人よりも、四爺のスタンドカラーの中に着ている例の着回し赤シャツが、いえ、それよりも、雪舞の頬へ持っていった蘭陵王の中指の指輪が気になる...。

何だろ、この指輪。

ゴス系か、ナチの親衛隊ですか?

どちらも、回りまわって意味するところは同じようなもので、「死を想え」ということなのですが、中国のこの時代にこんなファッション、あったのでしょうか。

武人であれば弓を引くので、指輪みたいなものをつけるときはありますが、それは普通親指に嵌めます。

でもどう考えても、一歩間違えたら自分が怪我しそうなこんな指輪は嵌めないでしょうね。

まさか、メリケンサックか?(ははははは)

でも、この時代の人が全く指輪を嵌めなかったかといえばそういうことではなく、例の場所から証拠のブツも出土してございます。

例の場所ってどこかって?

ですよ、墓!

ここまでも何度かご紹介しております、北斉時代の徐顕秀墓。ここから、金の指輪が見つかっております。

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(「人本網」より)

研究によると(→http://www.asahi-net.or.jp/~YW5A-IWMT/contents/200603iwmt.pdf)、これは封泥に使う指輪型の印章で、彫られた像はゾロアスター教の神様らしい。

つまり当時、北斉とササン朝ペルシャ(イラク)とはソグド商人などを通じて行き来があり、はるばる物資も運ばれていたということなのでしょう。

一方、ドクロ模様の装身具といえば思い出すのは、西遊記で沙悟浄が首から下げてるアレですが、直接関係はなさそうですね。

ドラマの指輪がどこから来たかは分かりませんが、とりあえず、中世イギリスともパンクともゴスとも関係はなさそうです。

1956年に内モンゴル自治区の晋代の遺物からも金の指輪が出ましたが、それは鮮卑族の獣面の指輪とされています。しかし、なんとなくドクロに見えなくもありません。
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(→http://www.cssn.cn/kgx/zmkg/201503/P020150317526252985425.pdf)

「中国文化報」によれば、同じく内モンゴルで、こんな指輪も出土してるそうなので、また当たらずといえども遠からず。

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何なんだかな〜と訝っていると、そこへ子供の泣き声が。

雪舞はおなかが空いたの、何か食べに連れてってあげる、と、あっという間に四爺の存在は忘れている模様。それを呆然と見やる四爺の表情の面白いこと!

急いで二人に駆け寄ると、あらご無沙汰してましたお腹のドラえもんポケットから大金(雪舞談)を取り出して子供を厄介払いしようとする四爺。

国宝を持ち歩いてる宇文邕といい、銀両を持ち歩いてる四爺といい、格差社会のセレブの持ち物って一体…。

それを大金だと気づいた雪舞。これで銅銭を初めて見てから半年も過ぎてないんですからね。

この後の四爺の反応も相当面白いんですけど、

“讓本王比較困惑的是 你怎麼還是不學乖”
(この私を困惑させるのは、痛い目にあっても君がまだ賢くなっていないということだ)

そら出た、“本王”ですよ。見事なまでに置いてきぼりを食った分際で、何とか必死に立場を保とうという四爺がおかしくて笑っちゃいます。ここの吹き替えの訳は適訳ですね。

「君には困ったものだ。ちっとも学んでおらぬ」

言われて雪舞は口答えします。
“這不能相提並論的吧”
(それはそれ、これはこれよ)

“再說 有你在”
(それにあなたが居るんだから)

“你會保護我的呀”
(私を守ってくれるはずでしょ)

“你怎麼能如此理所當然呢”
(その当たり前のような態度は何だ)

と、ボディガード扱いの蘭陵王は言い返すんですが、雪舞は、
「自分の身は自分で守るからいいわよ!」と言い捨てて子どもと居なくなってしまいます。

あ、あの〜、お2人さん、さっきまでお互い、

「雪舞は必ず、四爺にお仕えします」
とか

「力の限り側にいます
とか

言ってたセリフは忘れちゃったのですか…?

ああ、きっと撮影した順番が違うのね、と大人の事情を慮ってみるものの、まったく天女のくせに、また罠と本物の区別もつかないのかよ、と視聴者のいらだちもマックスになる場面。

とはいえ、困った人を見ると放っておけない、というのが雪舞の基本ポリシーですからしょうがないですね。

賑やかな通りまで来てみると、おや、みんなが黄色い傘を差している。これって第14回(→こちら)の冒頭、城門前商店街で売ってた傘ですよね。ふーん、日傘だったのか。

後ろには城壁が見えるのですが、まさかまた鄴の城門前ってはずはないですよね。別の地方都市なのかしら。

今回雪舞の穿いているスカートにご注目ください。こんな風に、互い違いに合わせてツボミのようになっているのは、当時流行のデザインです。

中に着ている刺繍のブラウスもカワイイですが、こちらの方はこの時代にあった様式なのかどうかはちと不明です。

“一個大男生 這麼愛鬧別扭 是怎樣”

吹き替えは、「大の男が文句ばかり並べ立てて 誠に頑固だわ」と言ってます。

この“男生”っていうの、台湾では“男人”の替わりに普通に使うみたいですけど、標準語だと「男子学生」の略語ですよね。何か笑っちゃいます。最近は中国でも、台湾や日本の漢字語をそのまま使うこともあるみたいだから、今や“男生”と同じ意味合いなのかも知れませんけど。

“讓我一下是會死啊”
(私に譲ったら死ぬの?)

え〜っと、それはその、さっきのあの場面の続きじゃなきゃ四爺の態度も違ったとは思いますけど。

どう見ても蘭陵王は雪舞を心配してああいうことを言っているので、こんな風にいわれちゃったら理不尽ではありますが、雪舞は自分で言ってた通り、電撃婚すぎて気持ちの整理がついてないということもあるんでしょうか?

いわゆる、マリッジ・ブルーってやつですかね?

“這個時候也該追上來的呀”
「何ゆえ私を追いかけてこないのよ」

おやおや、だんだん本音が出てきましたね。

四爺に負けず劣らず雪舞も恋愛初心者のはずなんですが、その割には高度なテクを披露してますよね。

彼女がやってるのは、皆さまご存じ、『ルールズ』の技。

ご存じない方のために説明しておくと、これはアメリカのエレン・ファインさんという方が書いた女性のための結婚指南書。

つまり、彼女止まりにはなっても、結婚に結びつかない人のために、男性との駆け引きのルールを書いた本です。

アホか、そんなもの。駆け引きで恋愛してどうするのよ…と正直、私は思いますが、一方、このルールを踏まえて恋愛本を見てみると、知ってか知らずか、結婚に漕ぎつけたヒロインは見事、このワザを使っています。

「赤毛のアン」のアン・シャーリーしかり。
「高慢と偏見」のエリザベス・ベネットしかり。
「大草原の小さな家」のローラ・インガルスしかり。

「ルールズ」を非常にかいつまんで言うと、男性は手に入りそうで入らない女性が好きなもの。そういう人を追うことに夢中になるので、追いかけるのではなく、追わせるように仕向けなさい、という教え。

上記の本の場合、ヒロイン達は結婚しようとしてこのワザを使っている訳ではなく、先入観があって相手の良いところが分かっていないがために、興味なさそうにしたり誘いを断ったりしてしまう。

そうすると、お相手の方は、何とか自分の方を向かせようと躍起になるか、いつも一緒に居てもらうためにはプロポーズするしかない、と思い込んでしまう、らしい。

意識してやったらイヤな感じだけど、振り返ってみるとそういえば、と思いあたるフシ、ありません?

頼ってくる女の子がカワイイという男性もいますが、四爺ほどの大物になれば放っておいても女が寄ってくるので、大切にしないと逃げられてしまうと思えるような、魅力ある女性でなければ特別の興味が持てないのは当然です。

つまり『ルールズ』によれば、かわいそうに、鄭児の採った、女性の方から四爺に必死で追いすがるという戦略は、残念ながら裏目に出る方法なんですよね。

でもね雪舞、男の人が追っかけてきてくれるのは、獲物を捕まえるまでなんですよ。釣った魚にエサはやらないっていうでしょう?捕まったあともいつまでもゲームを続けていると、そのうち見放されるから気を付けた方がいいわよ…?

しかし有り難いことに、四爺は恋愛初心者なので、婚約したとは言ってもいちおう後はつけてきてくれたらしい。

それでも、次に雪舞に起こる災難は避けることができなかったようです...。

子どもを追いかけていって、何者かに気絶させられた雪舞が目覚めると、前に立っていたのは、

周国皇帝・宇文邕<うぶん よう/Yuwen Yong>、またの名を仔ブタ陛下

こんな絶体絶命のシチュエーションでも雪舞はハッタリをかまそうとします。

“我警告你啊 我現在可是大齊的王妃
只要我一聲叫嚷 很快就會有很多人衝出來的”

(言っておくけど、私は今や大斉国の王妃なんですからね。
一声叫べば、すぐにたくさんの人が飛び出してくるのよ)


たくさんどころか、こっそり覗いてる1人の武将さえ割って入ることができないんですが…。

これまでだったらこのタイミングで飛び出していたであろう四爺が、入ってこないのは、前に証人を切り殺しちゃったので「学習」したのか、はたまた宇文邕を泳がすつもりだったのか、雪舞を泳がすつもりだったかのかは、女媧さまのみぞ知る!

それでも、宇文邕が、姪の貞児〈ていじ/Zhen Er〉の病気を治すために周に来て欲しいと頼んでるのを聞いてる四爺は、眼が血走ってて怖いこと…。

だって、さっきも確認したけど雪舞は困ってる人を見たら放っておけないというのがポリシー。

それをよく知るこの詐欺野郎(私が言ったんじゃありません!斉の貴公子・蘭陵王高長恭殿下がおっしゃったんです!!)がまた何か小細工をしていると疑うに決まっています。

“朕貴為一國之君,從來只拜天地
 雪舞 你是朕此生以來 第一個求的人”

(朕は一国の君主たる貴い身、ひれ伏すのは天地に対してだけだ。
雪舞よ、お前は私が生まれて以来、初めて伏して助けを乞う相手なのだ)


とか言ってる割に、雪舞が断ると、いきなり短刀を抜いて自刃を図ろうとする宇文邕。

やれるもんならやってみれば…? 邙山〈ぼうざん〉の戦いの御礼参りの手間もはぶけるしさぁ…と四爺が一瞬思ったかどうかは分かりませんが、もちろん、ただでは首は差し出さない宇文邕。

“如果我國知道 皇帝死之前 是跟齊國的王妃在一起
你想他們會用什麼方法 來跟齊國討回”

(もしも我が国が、皇帝の死にあたって斉の王妃と一緒にいたと知ったら、
いかなる報復を加えるであろうな)


そういわれて雪舞も、盗み聞きしている四爺もひるみますが、よく考えたら、ひと様の国の皇子の婚約者を無断で連れ去ったりしたら、その時点で戦争ですよ?

あんたらトロイア戦争を知らないね?

最も美しい女神に捧げるとされたリンゴを巡って三人の女神が争うのですが、審判役のトロイアの王子・パリスに、それぞれ、自分を選んでくれたら権力、武力、美女を与えると約束します。

パリスは美女を選びましたが、それはスパルタ王妃ヘレネでした。
(何でよりによってスパルタ…。)

王妃ヘレネを略奪されたスパルタは、そりゃ、怒りますわな。

ギリシャ全土を巻き込んで、10年にも渡る大戦争になりますが、結局、兵士を満載した木馬の計にかかり、トロイアは滅亡してしまいます。

だから、連れ出したりしちゃダメだっつーの。

しかし、さすがの雪舞もギリシャ神話は知らなかったらしく、有効なカウンターを出せないうちに、宇文邕はさらに畳み掛けてきます。

“如果你願意去,朕保證一個月,就一個月 怎麼樣”
(もしも来てくれるなら、一か月だけでいい。約束しよう。どうだ)

“無論貞兒的病情如何
都不會有任何人為難你
朕還會親自送你回齊”

(貞児の容態がどうなろうと、
誰にも責めさせはせぬ。
それに朕が責任を持って斉に帰そう)


ここまで言っても難色を示す雪舞に宇文邕は、

“朕願意 所有被俘的齊國戰俘全部釋放”
(これまでの捕虜を全て釈放してもよい)

と言うので、じゃあ一か月だけよ、と雪舞は承諾し、

“你得先讓我回去 向蘭陵王知會一聲
否則他會擔心的”

(蘭陵王に知らせなくちゃ。
さもないと心配するわ)


そういわれて、目を伏せる皇帝陛下。

“恕難從命
貞兒危在旦夕 分秒必爭”

(申し訳ないがそれはできない。
貞の病状は一刻を争うのだ)


と言ってますが、知らせたくないのがありありです。
やっぱ詐欺師なのは変わらないのね…

今いるとこから蘭陵王府までが遠いのか、それともやっぱり城門から蘭陵王府までが半日かかる(第14話こちら)せいなんですかね(笑)

じゃ使いをやって知らせて、という頼みに、またも顔を伏せる皇帝陛下。まあ奥様ご覧くださいませ、ダニエル・チャンの演技の上手い事。後ろめたさが口元から滲み出ております。

この会話を聞いている蘭陵王の表情も良いですね。心配させたくないの、というセリフに反応しているようにも、承諾してしまったということに反応しているようにも見えます。

と、そこへ見張りが戻ってきて蘭陵王と小競り合いになるんですが、全然聞こえてないらしい皇帝陛下と雪舞。遠目には、もうラブラブです。

首尾よく近衛兵に化けた蘭陵王のところへ、2人の同僚兵士が戻ってきます。
ここ以降、台本どおりかアドリブなのか知らないけど、結構来てますよね。

「お前はいつも臭い。」

って、どんだけよ?

近衛兵はいつも仮面を着けていますが、それは

“臉上剌了字,不能以真面目示人”
(顔に文字があるので、素顔をさらけ出すことはできないが)

と言ってる通り、刑罰として顔に入れ墨をされているという設定のようです。

当時、「盗」「賊」などの入れ墨をするという刑罰がありました。唐代には上官婉兒という女官が罪を得て額にこの刑罰を受けたのですが、則天武后に重用されたので、以降、額に入れ墨のように梅の花を描く化粧が流行ったというエピソードがあります。

下々の者にもこんなに愛されている皇帝陛下。
しかし、四爺は、皇帝陛下にというより、雪舞にはらわた煮えくり返っているご様子です。

“真是個毫無戒心的笨女人
不想想自己的身份
她到底把蘭陵王放在哪兒啊?”

(まったく何の警戒心もないうつけた女人だ。
自分の立場も顧みず、
蘭陵王をないがしろにするなんて)


って、ち…小っせえ!

しかもこれから奥さんになる人に向かって“笨女人”(バカ女)とは何事ですか。

同僚からもたしなめられちゃう四爺ですが、もう一人は同情しています。

“我是蘭陵王的話 我也會暴怒”
(蘭陵王だったら、オレだってドタマに来るぜ)

“爆買”ならぬ“爆怒”と来たもんだ。そりゃスゴイ怒りっぷりでしょうよ。

さらに、周に滞在中の親密(?)な様子を聞いて、またまた冷静さのヒューズが吹っ飛ぶ四爺。化けた相手が言ったはずの情報を同僚に尋ねてしまいます。何とか忘れたと誤魔化したものの、

“你吃一點銀杏補補腦 再來點黃蓮”
(ギンナンを食べてボケを治せ。黄蓮も食っとけよ)

とアドバイスされてしまいます。

民間療法では、ギンナンは記憶力増強、黄蓮はのぼせを冷ます効果(?)があるとされているようです。

一方の蘭陵王府。

小翠はお茶を随分高い位置から注いでいますね。四川風とか、こういうアクロバティックな注ぎ方ももちろんあるんですけど、ひょっとして演出家の方が、低い卓に座ってる人にどうやってお茶を注ぐのか分かってないってことないでしょうか…?

今の中国は基本、椅子とテーブルの生活なので、屈んで給仕をするっていうのを知らなかったりして。

ま、それはともかく、五爺は机を叩いて注ぐのをやめさせています。が、もし中指でテーブルを叩いたら、それはお茶を注いでくれてありがとう、という意味です。

これはどうも地域差がある動作らしく、南のお店では普通に見ますが、北の方じゃあまり見かけません。

でも、それは私が知らないだけかも。

もともと、清の皇帝がお忍びで街中に遊びに行ったときに、お供の人たちが拝礼できないので、代わりに指で跪く真似をした、ということのようです。

お給仕もうわの空の小翠に、五爺は言います。

“你們少夫人 哪一天做事按常理出牌啊
太規矩也不像她”

(楊夫人が決まり通りの手を打つと思うか。
定石通りじゃらしくもないしな)


ここ、結婚式までは“少夫人”と、側室扱いっていうのも面白いですが、“常理出牌”という言葉も面白いですね。“牌”を出すんですから、カードが麻雀から来たことばなんじゃないかと思いますが…どっちもこの時代にはないでしょうけど。

吹き替えは、
「王妃は実に型破りなお人だからな。
まともではつまらんだろう」

と上手く訳してます。

少しほっとしたらしい小翠に五爺はちょっかいを出し始めます。おっ、この2人、いい雰囲気なのかと思ったら、その場にいた侍女たちがわらわらと群がってきます。どうやら、五爺は、見境なくナンパしてたようです…。

白山村に来たのが四爺じゃなくて五爺だったら、結構面白い展開になってたかも…と、ここを見るたび笑っちゃう視聴者でございます。

それにしても、四爺と雪舞、2人とも急に消えちゃって、この場はともかくしばらくしたら本当に皆心配すると思うんだけど、どうしたんだろう。

周の都・長安にも斉のスパイがいることは確実なので、きっとその人に託して知らせたんでしょうが、何日かはかかっちゃいますもんね。

それにですよ、遠乗りに来て、柳の下に置き去りにされてるはずの踏雪は、つながれたままだと飢え死にしちゃうんじゃない?

あ、そうか、子どもといなくなった雪舞を追っかけてくるまで時間があったのは、四爺がメッセージを書いてたせいかもしれませんね。それを踏雪に託して、家まで送り届けた、と。

…そんな伝書ハトじゃあるまいし…。

と、考えてる間もなく、仔ブタ陛下ご一行は、貞児の元へ。

周りが止めるのも聞かず、さっと帳の中に入っていく雪舞を心配そうに見つめる蘭陵王。
しかし、伝染病ではなかったようです。

話に聞く天女に会えた貞児は言います。

“是天上的神仙 或者是妖精”
(お空の神様か、「妖精」だと思ってた)

ちなみに残念なお知らせですが、中国語で“妖精”っていうと、限りなく「妖怪」に近いイメージです。
s-yaoguai.jpg

ね?
(三蔵法師が退治するのは日本語じゃ「妖怪」ですよね…)

このあと、貞児が「仔馬が阿怪と天女の話をしてくれたの。2人は仲直りしたの?」と聞くと、蘭陵王は緊張してます(笑)が、宇文邕は遮って、

“貞兒,天女姐姐是來救你的 我們得抓緊時間 所以你就乖乖地在床上好好休息”
(貞や、天女お姉さんは助けに来てくれたんだよ。早く治さなければ。ちゃんと寝ているんだぞ)

ここは吹き替えでは、
「天女さまが助けに来て下さったのだ。長くはおられぬゆえ、しかと休むのだぞ。」

という訳で、なるほどね、という感じですね。
しかし、長くはいないって、仔ブタ陛下的にはいいの…?(笑)

相変わらず、雪舞が見るたびに目を伏せる蘭陵王なんですが、雪舞は全く気付いていないようです。

そして、アシナ皇后も、天女に感謝しているものの、何となく気がかりな様子がうかがえますね。

雪舞は、痒がる貞児に“蘆薈”(ろかい)のクリームを塗ってあげていますが、これはアロエのことです。

一方、久々の登場、大冢宰〈だいちょうさい〉・宇文護〈うぶん ご/Yuwan Hu〉。
今度は玉兎もお側に侍っています。

仔ブタの手のものではないかとの、居並ぶ群臣の疑念に答え、玉兎は裏切るならすぐにでも出来ると言い、

“連銀針都探不出來”
(銀の針でも見つからぬ毒です)

と皇帝から託された毒酒を示します。

当時の毒は、砒素など硫黄を不純物として含んでいるものが多かったので、硫黄に触れると変色する性質のある銀が検出に使われたという訳です。

対して宇文護は、忠誠を誓う者に

“西域蟲酒”

を飲むよう迫ります。7日ごとに宇文護の持つ薬を服用しないと死ぬ、という話なんですが、私には仕組みがよく分かりません。7日ごとに暴れる虫なのかしら...?だって、飲む薬が虫下しだったら、退治できちゃいますもんね。

本当にこんな虫酒があるのかどうか分かりませんが、人を害するのに毒虫を使うというのは唐代を舞台にした『ライズ・オブ・シードラゴン』にも出てきました。

都の一方でこんな凄惨な場面が繰り広げられているとも知らず、『水戸黄門』並みに入浴シーンの多い本ドラマでは、こんどは貞児が入浴中です。

“等你都好了之后呢,天女姐姐教你用油紙 還有草灰
做一種東西 你把你喜歡的花瓣放進去 這樣你沐浴的時候呢
用它們 就會身體香香的”

(治ったら、お姉さんが油紙と草木の灰を使っていいものを作ってあげましょう。そこに好きな花びらを入れて、お風呂の時に使えば、良い匂いがするわよ)

“真的?”
(ほんとう?)

“真的 阿怪都見識過那個神奇呢”
(ほんとよ。阿怪だってこの魔法を知ってるんだから)

そうね、嫌がってましたけどね。

こんなほのぼのシーンが繰り広げられている湯殿の前で立ち聞きしてる蘭陵王は、同僚に見つかってしまい、あり得ない言い訳をしています。

“我是仰慕天女”
(私は天女をお慕いしているんだ)

おほほほ、“仰慕”ですって、ハイブローな言葉ですこと。一介の罪人風情の言葉遣いじゃなさそうですが、そこは気取られずに済んだようです。

“又是一條遙遙無期的不歸路啊”
(そりゃまた果てしなく遠い行きっぱなしの片思いだよなあ)

“天女 堂堂的蘭陵王妃呀”
(天女はれっきとした蘭陵王妃だぞ)

“可是她卻把蘭陵王丟在齊國”
(しかし、彼女は蘭陵王を斉に捨ててきたではないか)

あらあら…。
そんな彼をカワイそうに思ったのか、蘭陵王をdisる人も。

“蘭陵王 有什麼好的”
(蘭陵王なんかのどこがいい)
って言われたときの、何っ!って反応が面白いですね。

“還不是個娘們兒”
(腰抜け男じゃないか)

“也是 聽說是個美男子 上戰場還戴一個面具”
(だろう。美男子だって聞いてるぞ。いくさ場では仮面をつけているとか)

ここ、吹き替えでは「人見知り」にされてて笑いました。
確かに、中国語の方は褒めてるみたいに聞こえますもんね。

しかし、せっかく付き合いでdisってもらったのに蘭陵王は笑ってません(って当然か)。
理由を聞かれて律儀に答える蘭陵王。

“我對天女用情很深 蘭陵王是我的情敵
我怎麼笑的出來”

(私は天女を本気で愛してるんだ 蘭陵王は恋敵だ。
笑ったりできるものか)


そこへいきなり雪舞が出てきたため平伏する兵士2人の真ん中で、
茫然と突っ立ってる人が…。横の2人は必死で訴えます。

“我不是始作俑者”
(悪事を始めたのは私ではございません)

では誰、と雪舞に聞かれて、中国語の蘭陵王は黙ってるのですが、
日本語は

「それはコイツです。」
「この色魔」

って指摘されて一言、

「え?」

って(笑)

ちなみに、言い訳のセリフにある、
“始作俑者”
(初めてひとがたを作った人)
というのは、悪事を始めた人って意味です。

辞書を引くと、「殉葬の悪習は埴輪を作るところから始まったから」という解説を見かけます

が、それは逆では…?

と視聴者が愚考していると、

それはどうでも良いの、ちょっと話があるわ、ついてきて、と雪舞はスゴイ剣幕です。

ついにお仕置きか?
お仕置きなのか〜!?


気になる続きは、第16話(→こちら)にて!
posted by 銀の匙 at 01:07| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

蘭陵王(テレビドラマ26/走馬看花編 第14話)

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

前回・第13話は→こちらをご覧ください。

皆さま、メリー・クリスマス♪(遅い)

おかしいな、この前ハロウィーンだったのに…(っておかしいのは私か…)。

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のサントラを聴き込みすぎて、SW廃人と化している私。
クリスマスプレゼントには、やっぱりオレンジ色のニクい奴が欲しいなと…

…すみません、知らない人の方が多いですよね。あの『夕刊フジ』がTVコマーシャルを打っていた時代もあったのですよ、遠い昔、はるか銀河系のかなたで…

と、何の話の出だしかわからなくなったところで、いってみましょう、第14話
ちなみに、プレゼントは絶賛受付中です!!

お妃選びにかこつけて、蘭陵王<らんりょうおう/Lanling Wang>=高長恭<こう ちょうきょう/Gao Changgong>=四爺<スーイエ/Si Ye>を陥れようとする皇后と臣下の祖珽〈そ てい/Zu Ting〉は、宮女の鄭児〈ていじ/Zhen'er〉をお妃候補として送り込みます。

どうしても蘭陵王を振り向かせることができないと知った鄭児は、祖珽から愛情を得るまじないの品、と偽って渡された香袋を、ヒロイン楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉がかどわかされた隙に、蘭陵王の屋敷にある雪舞の部屋に隠します。

この騒動で雪舞の安否を案じた蘭陵王は、彼女を故郷に帰そうと決意します。

雪舞が去った翌朝、まさに正妃を決めようというときに祖珽が屋敷に現れ、蘭陵王が皇帝を呪詛しているとして捜索を始めます。ほどなくして雪舞の部屋から見つかったのは、ルークが失くしたライトセーバー…じゃなくて、鮮卑の呪符なる代物。皇帝を呪詛した咎で、蘭陵王は捕えられてしまいます…。


さて、そんな騒動になっているとはつゆ知らず、韓暁冬〈かん きょうとう/Han Xiaodong〉が御す馬車に乗り、雪舞がやってきたのは、斉の都・鄴〈ぎょう/Ye〉の城門前商店街。

辻では黄色い傘?のようなものが売られ、“冰糖葫蘆”売りの声がします。

そう、四爺が鄭児からカツアゲしたあの駄菓子、「サンザシの飴がけ」です。
基本的には北中国の冬のお菓子です。

そんな駄菓子をいっぱい刺した竹ぼうきに乗って飛んできたのか、魔法使い...にしか見えない怪しいボロずきんの人物こそ、ジェダイの騎士…でもなくて楊雪舞のおばあ様、楊林氏。

未来を予言し甲骨をも打ち砕く、強大なフォースの持ち主であるマスター・アイアンフェストは語ります。

“你消瘦了很多 傻孩子
這段時間 你吃苦了吧
明知道會分開 你還要寄情蘭陵王
你何苦傷害自己 徒搨ノ苦而已”


(ずいぶんとやつれてしまったこと、この子ときたら
だいぶ苦労をしたのであろうよ
分かれる運命と知りながら 蘭陵王を慕うとは
なぜ自ら傷つこうとする
いたずらに痛みが増すばかりではないか)


言われた雪舞は、すべては自分のせい、おばあ様の面倒も見ずにごめんなさいと泣いています。

一方、街中では手回しよく、蘭陵王と雪舞の罪状を記したお触れ書きが貼り出されています。

お触れ書きに描かれた似顔絵は美男美女でなかなかステキですよね。
宮廷絵師さん、Good Job! 
絵師さんは、きっと雪舞本人には会ったことがなくて、顔立ちは獄中の四爺の自己申告なんだろうなぁ…。

美人画に群がってる人たちの格好を見ると、いかにも漢民族の庶民、みたいな人たちに混じって、回族(イスラム系)のような格好をした人、モンゴル族のような帽子をかぶった人なんかもいます。

そこへ現れ出でたるは、戦勝報告の朝議に、雪舞と蘭陵王が遅刻する原因となり、結果的に、蘭陵王は驕っている、という印象を朝廷内にバッチリ植えつけてしまった、阿文とその母上の2人組。

それにしても、前回は突っ込まないでおいてあげましたが、四爺と雪舞が参内に遅れた理由が、

「街中で突然見知らぬおばあさんにせきとめられて靴縫ってました」

ってすごくない?

そんな突飛な言い訳、信じる人いないって…。

でも、ホントの話なのに、誰も信じてくれない遅刻の理由ってありますよねぇ。

出勤の途中でバッタリ、こんなところで会うはずのない知り合いに出くわして、「スター・ウォーズ」一緒にリピート鑑賞しませんか、とお誘いしてたとか(まさに一昨日の私がそれ)、

陸橋を渡ろうとしてたらいきなりコンサートが終わって、一瞬にしてすごい人ごみになり、全然前に進めなくなったとか(人がゴミのようだ...)、

駅を出た途端に半べその外国人女子に入国管理局への行き方を聞かれたとか(結局、大手町まで付き添って行った)、

札幌への行き方を聞かれたとか(ここは東京なんですけど!!??)、

自転車のスポークにストールが絡まったとか(暑くなったので前かごに入れてました。首に掛けてたのだったら私は今ごろ別の場所にいると思う)、

前の路地が銃撃戦になったりとか(日本じゃないけどね)、

酔っ払いに絡まれたとか(これは日本ね)、

乗ってた列車が鹿と衝突したとか(鹿ってレールを舐めて鉄分補給するらしいですね)、

台風で目の前が土砂崩れになったとか(そして迂回路でバスの運転手が道を間違えたり)、

かと思うと、遅刻してきた同僚が、車内で消火器が倒れて電車が止まったとか言うんで、あはは、そのくらいで〜♪と皆で笑ってたら、新聞に載るほどの大アクシデントだったとか。

これらはネタじゃないんです!!! 
すべて、実話なんです!!!
信じて武成帝!!!

と訴える2人に感化されて、居合わせた人たちも座り込み、蘭陵王と天女はネタじゃないんです!と無実を訴えている…はずなんですが、なぜかすぐ次のシーンでは同じ人たちが大通りをぞろぞろ歩いてたり…。

そうこうするうちに、雪舞の馬車に城門の手前で安徳王〈あんとくおう/Ande Wang〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉=五爺〈ウーイエ/Wu Ye〉が追いつきます。そんなに急いでるはずなのに、なぜか先ほど大通りにいたモブに追いつかれてる五爺の馬って実は牛なのかしら。

“昨夜城門緊閉 便趕來城門看看
幸好攔到你了”

(昨日の晩は城門が固く閉ざされていたので、
いそいで門まで来てみたんだ。
君が出られなかったのは幸いだった)


牛歩戦術を採用した(してません)五爺が言うとおり、確かに、お尋ね者がいるとなれば城門は閉ざされて、よほどのことがなければノーチェックで外には出られないでしょうが、じゃ、夜に蘭陵王府を出た後、翌昼のひなかまで、雪舞はおばあ様にも会わず、いったいどこにいたのでしょう。

だって、このシーンでようやくおばあ様に会ったみたいですもんね。

まさか蘭陵王府から城門まで半日かかったんでしょうか…? あるいは、車を引いてる動物、てっきり馬だと思ってたけどあれは五爺の乗り物と一緒で牛車かゆるキャラの被り物だったんでしょうか…いや鹿…なんでもない。

幸い、似顔絵が似てなかったせいで(つ、使えねぇ…)、誰にもお尋ね者とはバレていないらしい楊雪舞。

ああ、そうか、本人とは分からないほど美人な似顔絵を描かせる。
これも斉の戦神・蘭陵王の策だったのね。
ぐはっ!!!∵;.(Д゚(○(へ´#)o

こんなとんでもない策を弄したバチが当たったのか、四爺の頭部は風前の灯です。
五爺は急いで雪舞に告げます。

“四哥要被砍頭了”
(四兄が首を刎ねられそうなんだ)

いきなりの衝撃発言に雪舞は仰天。
“什麼?”
(何ですって?)

“不可能的呀”
(そんなまさか)

“他還沒娶鄭妃,他不該現在死的”
(まだ鄭妃も娶ってないのに、いま死ぬはずがないわ)

やぶから棒に言われた割には、事態の行き着く先を冷静に把握しているらしい楊雪舞。さすが天女の美称はダテじゃありませんね。

五爺はそんな雪舞の超能力に気づく余裕もないのか、
“什麼不可能 都發生了
連你都被當成妖女通緝”

(まさかって何だ、もう起こってることなんだぞ。
君まで妖術使いとしてお尋ね者になってるんだ)


呪符は雪舞の部屋から出てきたのだから、彼女自身が申し開きをすれば、兄上は助かるかもしれないという五爺。

それでも迷う雪舞に、

“我不懂 你明明很喜歡四哥 為什麼一定要離他而去呢”
(なぜなんだ 四兄の事を好きなんだろう、なぜ出て行く)

言われて雪舞は、胸元にしまった玉佩<ぎょくはい>を取り出して眺めます。その様子に五爺は、

“四哥一定沒有告訴過你
這玉佩是他娘親唯一留下來的東西”

(四兄はどうせ君には言ってないだろうけど、
この玉佩は母親の唯一の形見なんだ)


“他曾經說過 這玉佩 只會給他此生最愛的人
也是他唯一愛的人”

(兄上は言ってた この玉佩は最愛の人に贈ると
生涯ただひとり愛する人に)


“他在你離開時把玉佩交給了你
就代表他終身不娶了”

(別れ際、君に玉佩を渡したのなら、
それは他に誰も娶る気はないという意味だ)


さあ、ここでようやく、このドラマでの“玉佩 yupei”の意味がはっきりしました。

この玉佩は四爺にとっては母の形見であり、結婚相手に贈るつもりのものだった。

ということで、第5話(→こちら)で彼が雪舞に“敬酒”をしたもう1つの意味が分かったように思います。

思い出していただけますでしょうか。

わざわざ白山村から仮面を渡しにやってきて、囚われた義兄弟を救うための芝居を手伝ってくれた雪舞に、四爺は路銀がわりにと軽い感じで玉佩を手渡します。

その後すぐ、危機を察して舞い戻り、四爺一行の逃走を手伝ってくれた雪舞を、陣地に連れて帰った四爺は、わざわざ彼女だけのために宴席を設けて“敬酒”をしますが、別れを告げただけで、翌朝は見送りにさえ来ませんでした。

つまり、雪舞には言わなかったけれど、彼としては雪舞と、婚礼に相当する“敬酒”の儀式をして、この先は誰とも結婚しないつもりだったのでしょう。

第5話の時点では、四爺は雪舞を村に帰して、自分は身を引くつもりだったからです。

同じく第5話こちら)で、玉佩の意味の一部についてお話しました。玉佩は一般に、肌身離さず身に着けている装身具であることから、詩や小説などの文芸作品では、愛情を象徴する小道具として使われています。

四爺の中の人、ウィリアム・フォンが、カンフー界のセレブのおバカ二世・容寛〈よう かん/Rong Kuan〉を演じた、わたくしお気に入りのテレビドラマ《虎山行》あたりを見ておりますと、こういうチープなドラマにありがちな小道具として、玉佩もバッチリ登場してまいります。

《虎山行》での玉佩の使われ方はこんな感じです。

ヒロインの姜文英〈きょう ぶんえい/Jiang Wenying〉は槍術の名家に生まれましたが、他に家を継ぐ男子がいないために、生まれる前から父親の義兄弟の子と結婚の約束が交わされていて、そのしるしにと、お互いが玉佩の片割れを持っていた。

容寛から想いを寄せられた姜文英は、彼とは別の若者が、離れ離れになった婚約者だと知るのですが、相手は文英が婚約者と知りながら、なぜか名乗らなかった。それには、とある理由がありました。

それが、本当にあっと驚く理由だったので(歴史に詳しい人なら気が付くかも知れないですが)、なかなかやるなって感じ。

ウィリアム演じる容寛は、カンフーの技はたいしたことないけど、「甘えておねだりする技」が免許皆伝の腕前で大変ほほえましい(でも身近にいたら、きっとウザったい)はまり役でございました。

話は逸れましたが、このように、お話の世界での玉佩は、大事な相手に贈る小道具として大活躍です。

しかしそもそも歴史上、中国における玉の価値は、恋愛の小道具どころじゃありませんでした。

日本では国の統治権を持つものである証は「八咫鏡」<やたのかがみ>、「八尺瓊勾玉」<やさかにのまがたま>、「草薙剣」<くさなぎのたち>の三種の神器。

中国にも同様に、三種の神器的な意味を持つ宝がありました。

王権の象徴であるその宝は、“九鼎”<きゅうてい〉というもので、ハニー、じゃなくて、青銅でできた三本足の祭祀用具でした。

しかし、その重要な宝物は戦国時代、すなわち周から秦に王朝が移る戦乱の時期に失われてしまいました。

そこで、続く秦の始皇帝の時代(紀元前221年−紀元前207年)、王権の象徴として新たに、玉材で出来たハンコ(“璽”)が作られます。その宝物は国を伝える皇帝のハンコ、すなわち“伝国璽”<でんこくじ>と呼ばれました。

北斉にも、文宣帝の時代に南朝から脱出してきた者によってもたらされ、五胡十国の時代に紛失するまで各王朝の皇帝に受け継がれました。

玉は秦代に最上位とされて以来、印材としての価値はなんと金・銀よりも上だったのです。

時代が下るにつれて玉の価値は下がってきますが、それでも高価なのでそう幾つもは所有できなかったことから、身分やその人自身をを象徴するものとみなされてきました。

そのような“玉”の役割をよく表す史実として知られているエピソードは、実は本ドラマと多いに関係があるのです。

ちょっとドラマとは出現順が前後しますが、ネタバレってほどでもないので、ここでご紹介しておきましょう。

それでは、《北斉書》巻十二から、高百年の最期にまつわるエピソードをご覧ください。

樂陵王百年,孝昭第二子也(中略)
(楽陵王・高百年は考昭帝の第2子であった)

河清三年五月,白虹圍日再重,又貫而不達。
(564年5月、白虹が太陽の周りに二重にかかった。虹は太陽を貫く手前で止まっていた)

赤星見,帝以盆水承星影而蓋之,一夜盆自破。
(赤い星が現れ、帝(武成帝・高湛<こう たん>)は鉢に星を映すと蓋をしたが、一夜にして鉢は割れてしまった)

欲以百年厭之。
(帝は、かつて皇太子に立てられた百年が呪詛しているのではと疑った)

會博陵人賈コ胄教百年書,百年嘗作數「勑」字,コ胄封以奏。
(博陵の人・賈コ胄は百年を教えていたが、百年がかつて、「勑」という字を何度か書いたことがあると上奏した)

帝乃發怒,使召百年。
(武成帝は激怒すると、百年を召しだした)

百年被召,自知不免,割帶玦留與妃斛律氏。
(百年は災いを逃れられないことを悟り、帯に吊るした玉佩を割って、妃の斛律〈こくりつ〉氏に渡した)

見帝於玄都苑涼風堂,使百年書「勑」字,驗與コ胄所奏相似,
(武成帝は玄都苑涼風堂で百年に謁見し、「勑」の字を書かせると、賈コ胄が差し出した書の字とそっくりだった)

遣左右亂捶擊之,又令人曳百年繞堂且走且打,所過處血皆遍地。
(帝は左右の者に百年を殴打させ、さらには堂の中を引き回して打たせたので、あたりは血で染まった)

氣息將盡,曰:「乞命,願與阿叔作奴。」
(百年は息も絶えだえに、「どうか命ばかりはお助けを。奴隷となって叔父上にお仕えしますから」と言ったが、)

遂斬之,棄諸池,池水盡赤,於後園親看埋之。
(斬首して池に捨てさせると、池の水も真っ赤に染まった。そして、帝自らが見守る中で、裏手に埋めさせた)

妃把玦哀號,不肯食,月餘亦死,
(妃は玉佩を握り締めると慟哭し、何も口にせず、ひと月あまりで亡くなった)

玦猶在手,拳不可開,時年十四,
(手は玉佩を握ったままで、どうしても開かせることができなかった。享年は14である)

其父光自擘之,乃開。
(その手は父である斛律光がこじあけて、ようやく開いたのである)

「白虹<はっこう> 日を貫く」として、古来から裏切りの予兆である天文現象が起こり、兵乱の凶兆とされる赤い星まで出現したうえに、呪いの封が破られるという怪異が発生する。

そこで武成帝は、かつて兄が皇太子の位につけていた高百年の謀反の兆しではと疑う。都合よく、そういえば高百年は皇帝だけに許される「勑」(皇帝の命令)の字を練習したりなんかしてましたよ、と証拠を持ってきて讒言する者まで現れる。

そこで試しに「勑」の字を書かせてみると筆跡が一致したので、武成帝は怒り狂い、実の甥である高百年を撲殺させてしまった。

夫の百年が惨殺されたと聞いて、わずか14才の幼い妃は絶食の末に息絶え、手放すまいとするように、夫の形見の玉佩を、父の斛律光将軍がその手を無理に開かせるまでは握り締めたままだった。

愛の物語というにはあまりにも壮絶すぎるこのエピソードですが、実はドラマ《蘭陵王》のエンディングのクレジットに高百年の名前を見つけて、おっと、さすがはラブ史劇、このホラーみたいな話が登場するんだろうか、と思っていたら、残念ながら、ちょっとエピソードの中身が違ってました... 。

高百年はこの先、登場はするのですが…ま、それはおいおい、ドラマを見ていただくことにいたしましょう。

五爺に気を取られてすっかり忘れていましたが、おばあ様は形勢不利を悟り、いきなり、この先、白山村が移転するから会えなくなるのよ〜と伝家のライトセイバーを振り下ろしてきます。

明らかに利害が衝突しているおばあ様と五爺。お互いに言葉も視線も全く交わさず、互いの存在を無視していますが、ついに五爺もライトセーバーで応戦します。

“你留 我四哥有機會活下來
你走 我四哥必死”

(君が残れば、我らが四兄は生きながらえるかも知れない。
でも、君が行ってしまえば、死は免れない)


これまで、単に“四哥”と言っていた五爺が、ここで“我四哥”と言っていることに注意してください。

自分の大切な兄弟が、という感情を表現するため「私の」を追加した、という意味はもちろんあるでしょうが、中国語では自分の属しているファミリーや組織について言うとき、“我們”(私たちの)とは言わず、“我”と言います。

日本の「わが国が」というニュアンスに近いでしょうか。「日本国が」というより、ぐっと対象を引き寄せてる感じがしますよね。

そんな大事な兄上がどんな危険にさらされているかといえば、
“是五馬分屍 四哥身後 將落個死無全屍”
(「五馬分屍」の刑で 亡骸さえも残らない)

「五馬分屍」とは、罪人の首と両手両足に縄をつけて、五頭の馬に別々の方向へ向かって引っ張らせるという、聞くだに残虐な刑罰。

ああ、いくばくもしないうちに、そんな酷い目に遭いそうなご本人はどうしているのでしょうか。
ここでちょっと、四爺にズームインしてみましょう。

獄につながれている四爺の元へ、2人の牢番が現れます。
「カンパしておかずを買って参りました」と言ってる人は、確か第4話→こちら)の丹州城の隠れ家で四爺を出迎えた人ですね。

せっかく気を利かせてくれたのに、四爺はローストチキンをお気に召さないようで…

と思ったら、この先の回を見ると、四爺はお肉大好きなんですよね。好物も喉を通らないほど憔悴している、という割には栄養良さそうではありますけれども(それは言わないお約束)、もう雪舞もいないし、蘭陵王にしては珍しく、あきらめモードに入っている様子です。

そこへ五爺が突然登場。牢番は驚いて、

“五爺 您怎麼進來了”
(第五皇子、どうやってお入りに?)

“五爺朋友最多 進來會難嗎?”
(私は知り合いが多くてね。入るのは簡単さ)

いや、入るのは誰にだって簡単ですよ、出るのが難しいんじゃないの、と要らんことツッこまないでよろしい、と自分にツッコミをしてみましたが、そうしてる間に、五爺は自分のことを“五爺”って呼んでいますね。

入るのも簡単なら人払いも簡単らしく、あっさり一刻の猶予をもらって近寄る五爺に、四爺がまず聞いたのはコレ。

“家裡怎麼樣 沒把大家嚇著吧”
(屋敷の様子はどうだ。さぞ皆を驚かせただろう)

当然ながら五爺はこう返します。

“都什麼時候了
你該擔心的是你自己”

(そんなこと言ってる場合か。
自分の心配をしたらどうだ)


自分のことより、他人の安否を気遣ってしまう人なの、と雪舞が言うとおりのお人柄ですよね。こういう思考回路を、中国語では“替別人著想”と言います。日本語では、「思いやり」とか「他人に気を遣う」「人の立場で考える」という意味でしょうか。

これはもちろん、中国でも美徳とされています。
それが証拠に、蘭陵王の中の人、ウィリアム・フォンも、この美点の持ち主であることが強調されてるんですね。では、彼が登場するインタビュー番組から、ご覧いただきましょう!

(2015年冒頭、ドラマについての記事を書くヒマがなく、このインタビューをご紹介したことがありました。今回の記事のために一年前から準備しておいた素材でしたのに、まさか実際に使うのがこんな先になるとは…。遅くてすみません&すでにご覧になった皆様はデジャヴですみません!)

テレビドラマ《宮鎖心玉》で共演した、中国の女優さん、杨幂(ヤン・ミー)と、蘭陵王役のウィリアム・フォンの2人が《超級訪問》(スーパー・ヴィジット)(司会:李静・女性/戴軍・男性)という番組に出たときの後半部分です。…うっ、元の公式画像がもう見つからない…。

(ちなみに、前半をご覧になりたい方はこちらをどうぞ)

杨幂(ヤン・ミー)、馮紹峰(フォン・シャオフォン=ウィリアム・フォン)

(15:50ごろから)

ヤン・ミーの口癖は何でしょうか?

:(ボードに「多大點事兒」(大したことじゃない)と書く)

:私もそうじゃないかと思った。北京の女の子は良くこういうわよね。ヤン・ミー、自分では「有的有的」(あるある)だと思うの?

:共演してるときにしょっちゅう、「〜ってことがあると思う?」って聞くから、「あるある」って答えてたので。

:じゃ、あなたの方はどうしてこう書いたか教えて。

:僕は割と心配性なので、彼女と仕事のことについて話しているときとかに、彼女は僕を安心させようと思って「大したことないわよ、心配することなんかないわ」って言ってました。

:確かにそういうとき、「大したことじゃないわよ」って言ってましたね。

:それでは、紹峰がヤン・ミーに贈った、
:最初のプレゼントは何でしょう。

:え、何だろう。それって、ドラマのとき?それとも正式なプレゼント?

:正式、にしときましょうか。(客席大笑い)

:(苦笑い)そういう意味じゃなくて…。

:じゃ、補足しますか。誕生日プレゼントです。
  まず、紹峰のを見ましょう。

:ボードを見せてください。紹峰が書いたのは「靴子」(靴)…

:違います。「鏈子」(チェーン)です。

:恥ずかしさのあまり、顔を隠してしまう。でも確かに読みづらいですよね…)

:(ボードに「項鏈」(ネックレス)と書いている)

:なぜ「ネックレス」を贈ろうと思ったの?

:ちょうど彼女が誕生日で…彼女が誕生日だって知って、それでドラマの撮影のときにちょうど上海に帰省したのでちょうど買い物に行って、それで思い出して…

:「ちょうど」が多いわね。

:偶然が三つ重なっただけなのね。

:はい、彼女がお誕生日だったのでネックレスをあげました…!

:いくらした?

:大した値段では…

:(大笑い)

:すごく高かったと思う。

:嬉しかったですか、ネックレスを見て。

:「なんでネックレスなんかくれるわけ?」と聞きました。

:ホントに奥手なんですね…。

:そうですね(笑)

:で、彼は何て答えました?

:だってそのときは本当に、まだあまり親しくもなかったので、
  「なぜネックレスなんかくれるの」、と…

:だから僕は言ったんです。「大したことじゃないわよ」って。

:そうそう(笑)。「君、誕生日だろう、だからあげる」。
  ありがと。

:あなたに気があったのでくれたんだと思う?それとも、周りの女の子にはみんな…

:違いますってば。本当にまだ全然良く知らなくて、そのときは。

:じゃ、よく知ってからは何を贈るの?

:最初のより太いネックレスなんじゃない?(客席爆笑)

:ネックレスの件でも分かるけど、紹峰はよく気が付く人なのね。

:気配りの人ですね。

:気遣いが細やかです。

:ホントに良い人ね。さ、次。ヤン・ミーの好きな俳優は誰でしょう。

:いいですか、男性ですよ!

:中国の男優ね。

:(ボードに「謝廷鋒」(ニコラス・ツェー)と書いている)

:あらぁ、なぜ知ってるの?

:彼女、いつも言ってるから。

:このことは、(奥さんの)張柏芝(セシリア・チャン)は知らないですよね。(客席大うけ)

:ヤン・ミー、顔が赤いわよ。(ウィリアムに)どうして彼女がいつも言うんだと思う?

:彼女はああいう形の…(と、がっしりしたボディのジェスチャー)ああいうタイプの男性が好きなんです。

:違うったら。奥さんに優しいから好きなのよ。

:そうそうそう、だからそれがタイプなんです。

*
どうやら、馮紹峰は負けを認めたがらない性格らしい(笑)。

この後、ストレス発散のために何をするかという話題に移ると、ウィリアムは音楽を聞くと答えますが、好きな歌手を聞かれて、いきなり歌わされてる…。

これは、フェイ・ウォンが元歌で、カリル・フォン(方大同)がカバーした、すごく有名な《紅豆》って曲です。(リンク先→こちら)はワーナーの公式MVです。)

言われてみれば、カリル・フォンの歌声って、ウィリアム・フォンの地声にすごく似てますよね〜。しかしこの曲はハッキリ言ってD難度。いきなり挑戦しようなんてどういう勇者だか…。

ヤン・ミーは読書だそうですが、家から本を持ってきてウィリアムに貸してる上に、ちゃんと読んだかチェックするために、毎回感想文を書かせてるそうです。

あはははは。ヤン・ミー、本当最高。

(24:00ごろから)

:それでは、最後のお題です。
  ボードに、相手の長所と短所を書いてください。
  どちらのを先に見ましょうか。

:ヤン・ミーのにしましょう。
  彼女は、隣に座ってるこのイケメンをどう思っているんでしょうか。

:どれどれ。一番の長所は…“温柔体贴”(優しくて思いやりがあるところ)、一番の短所は“太温柔太体贴”(優しすぎて思いやりがありすぎ)。  

:(大笑い)さあ、早いとこその理由を話してくださいな。

:私はね、紹峰は…周りにとても気を遣う人だと思うんです。
  心が寛いし、すごく思いやりがあるんだけど…
  ただ…ときどきそれが度を越してて、周りの人がどう思うかを気にしすぎるんですね。だから、きっと日常生活でも気を遣い過ぎて疲れるんじゃないかと…

 “就是因为他可能会替别人考虑得太多”(それは彼が他人の身になって考えることが多すぎるせいじゃないんでしょうか。)
だから私はしょっちゅう、彼に言うんです。何でそんなに気に回す必要があるの、
  それって、あなたが気遣わなくちゃいけないこと?
  大したことじゃないから、気にしない方がいいわよって。
  
  たとえば以前ネットで、私たち2人がどうこうとか、そんなたぐいのこと書かれて、彼はどうしよう誤解されたらとか、君、嫌なんじゃない?とか、だけど彼がそう考えるのは…私のためにそう言ってくれてるんですね。
  そんな風に、いつも私の立場で考えてくれるんです。

で、私のスタッフに、ヤン・ミーさん、怒ってないですか、落ち込んでませんかとか聞いて、皆さんも慰めてあげてとか何とか、お願いして回ってるんです。私の周りにいる人みんなに、メールしたり電話したりして、優しくしてあげてとか…私が不愉快な思いをしてるんじゃないかと、気にしてくれてるんです。 
*
そういうことするから誤解(?)されるんじゃ…
*
:でも私はそういう人好きよ。

:とても優しいと思いますけど。

:だけど私自身は別に何ともないと思ってるのに、彼はものすごく気にしてて。

:じゃ、ちょっと説明して欲しいんですけど、(ソファの端にへばりついているウィリアムに)あなた、もう少しソファの真ん中よりに座ったら?

:彼女が不機嫌になるんじゃないかと心配で。

:彼女はしょっちゅう機嫌が悪くなる人なの?

:そんなことないです。

:そんなことないんだけど、彼と一緒にいると、ちょっとイラつくことがあるんです。彼は割合のんびりしてるので…
前に、彼が運転してる車で、私は助手席に乗ってたんだけど、左に曲がるとき、左折信号の時間は短いでしょ(中国は右側通行なので、日本でいう右折信号にあたる)、1回の信号で、私たちの車1台しか曲がれなかったんです。

:(困ってマフラーの房をいじっている) 

:だって彼は、歩行者がみんな横断するまでじっと待って、その後、右左何度もよく確認して、それから曲がるのね。後ろの車はみんなクラクションを鳴らして…(ウィリアムに)信じないでしょうけど、後ろの車という車全部よ。

:そんなことない、ない、話盛り過ぎ…

:なくない、あなたが遅いの。

:僕はスピードは出しません。確かにヘタレ運転ですよ。
  彼女はね、耐えられないの。あなた、運転が気弱すぎ、とか何とか。

:でも、車が歩行者を待つのはマナーでしょ。
:そりゃそうです。だけど、あなたは誰も道を渡ってなくても、それでも待つんだもん。 

:(苦笑)

李:彼は特に慎重派なんでしょ。他に通行人がいないかまたよ〜く確認して、それから曲がるのよね。それで信号が変わっちゃう。
  だけど、私は紹峰みたいなタイプの人、よく分かるわ。いろいろ気を遣っちゃうのよね、疲れません?

:う〜ん…いつもそうしてるから馴れで…僕は何だかんだ考えちゃう方なんです。
  僕たち2人、友達づきあいとか、仕事で組んだりとかするときに、僕の方は彼女に気を遣うけど、彼女の方は僕が気にしすぎないようにしてくれて、そういうところはいいなと思ってます。

:それじゃ聞きますけど、昨日の晩、今日この番組で司会者に何聞かれるだろうとか、上手く答えられるかなとか、何を着て行こうか、雰囲気に合わなかったらどうしよう、コーディネートはこれでいいかなとか、思いました?

:考えたに決まってる)

:この服…この服は昨日準備しておいたんです。

:(大笑い)ほらね。私なんか今朝決めたもの。

:僕は昨日決めておいたの。何を聞かれるかは、インタビューの番組でしょう、僕も見たことあるし、

:やっぱり気にしてるんだ。

:ううん、見たことあるし、と思って寝ました。(客席爆笑)  
*
ウィリアム・フォンは、この少しあとに《背後的故事》(ビハインド・ストーリー)という別のインタビュー番組に出ています。

そのときは単独出演だったのですが、別の回に出演したヤン・ミーのVが召喚されており、それによると、《宮》で共演したときに演技が上手く合わず、ヤン・ミーが

「あなたはもう大人でしょ。私が演技を教えなくちゃいけないの?」

と一喝したことがあったらしい。

ヤン・ミーが軽い気持ちで言ったこの一言に、ウィリアム・フォンは一晩眠れなかったらしいです…。

さて、このあと、話はヤン・ミーの長所と短所に移ります。《蘭陵王》とは全然関係ないんだけど、漫才みたいであまりに面白いのでちょっとご紹介しますね。
*
ヤン・ミーの長所は率直なところ、短所は率直すぎるところ、気に入らない人とは口も利かない、という話のあとで、

:たとえば?

:たとえば、《宮鎖心玉》の撮影が始まったときと後とでは、彼女は全然別の人みたいでした。(“完全不一样的两个人”)

:なんだ、自分が例なの?!

:じゃ、スタッフとはどんな風に会話を…

:お互いにけなし合います。

:どんな風に?

:いつもお願いしてるメイクさんがいるんですけど、とても長い付き合いなんです。
  あるとき、自分でメイクを直してたらあぶら取り紙を切らしてるのに気付いて、電話したんですね。
  「いま何してる?」
  「あれ、なんでか寝てたら自然に目が覚めた。誰かさんみたいに早起きじゃないからさぁ」
  「ものすごいヒマ人だけが自然に目を覚ますまで寝てるのよ。ね、あぶら取り紙切らしちゃったの、持ってきてくれない?だけど、5円で買えるような安いやつなら要らないから。
   使って三本ひっかき傷ができちゃうの嫌だもん」 
  「ありえねーだろ、そんながさつな肌してて」だって。

:(大笑い)

: 北京の女の子ってこうよね。遠慮のないのが良い友達なの。

: マネージャーともそんな風に話すの?

:以前に、「ほんとあんたたちって吸血鬼よね、うちの事務所、毎日こんなにスケジュールきっちきち突っ込んで疲れて死にそうよ」って言ったことあるんですね、そしたら、
  「そんな程度の小芸人の分際で、仕事があるだけマシと思え、足るを知れ」って。

:(机に突っ伏して笑ってる)

:あらまあ、私は紹峰に同情するわ、馴れるまで時間かかったでしょう。

:(曖昧にうなずく)

:でも、お互い、補いあってるんじゃない?逆に好きでしょ、ああいう口の利き方とか、ああいう女の子とか?

馮:(しばらくして、何だかよく分かっていない感じで頷く)
*
はは、反応が鈍い…
*
:紹峰、周りに、お互いこんな風にけなし合える友だちいないの?

馮:僕は、永遠にけなされる側の人間です。

:嬉しそうねぇ…

*
だ、ダメだこりゃ…。

いやぁ、残念でしたね。彼を「馮おじさん」と呼んで親しんでいた(?)らしいヤン・ミーは他の人と結婚しちゃうし、ご自身は別の彼女と別れちゃったみたいだし。

状況証拠から愚考するに、どうやら彼には、中国の女優さんにしてみると、結婚相手としては「見栄えが良くて努力家で優しくて思いやりがある」という長所を打ち消して余りある、困ったところがあるらしい。

その状況証拠については、この先書くかもしれないし書かないかもしれませんが、中の人はともかく、まずは目の前の四爺、四爺!

五爺に、人のことより自分の心配をしたらどうだ、って言われた答えがコレ。

“我有什麼好擔心的 無牽無掛”
(心配することなどあるものか。私には心残りさえないのに)

あらあら、目の前に五爺も居るのに…
しかし五爺はそこには突っ込まずに、
(突っ込んでる場合か、って怒られちゃうか…)
それでも気に掛かる人はいるはずだ、と雪舞を招き入れます。

結局、雪舞は四爺の元に残ることを選んだのですね。

おばあ様との別れ際、彼女が言ったことは大変重要です。

“也許我們都沒有辦法 擺脫我們的命運
但是像這樣的亂世 需要四爺這樣的人存在”
(私たちは、運命から逃れることはできないのかもしれない。
でもこんな乱世には四爺のような人が必要なの)


“我也許沒有辦法選擇的身為天女
但是我要選擇自己的命運”
(自ら選んで天女になったわけではなくても、
自分の運命は自分で選びたいの)


ああ、よかった。このセリフを聞いたらちっとは安堵しましたよ。
第5話以降は、一番重要なことを忘れてるのかと思ってましたもん。

そう、雪舞が蘭陵王のそばにいるのは、お妃になるためじゃないんでしたよね。

おばあ様の予言は、蘭陵王が最も天下に君たる者に近い、ということ。
そして、彼は「貴人」の援けがなければ、すぐに潰えてしまう、ということ。

それを聞いていた幼い雪舞は、蘭陵王が自分の運命に打ち勝てるように祈ろう、と思うんですね(第1話)。

だから、元々の雪舞の志からすれば、鄭児がいようがどうしようが、彼の元に留まるのが正しかったわけですよ。

しかし彼女は途中から、彼の愛する人は鄭姓の女性ただ独りだから、自分は傷つかないうちに村へ帰ろう、と思うようになる。当初から考えたらおかしいでしょう、この変節は。

こういうところが視聴者をイライラさせるんですが、この第14話でようやく悟ったのかと思いきや、性懲りもなく、この先も…。

ま、ラブ史劇だから、しょうがないんですけどさ。

この時点で、人が出来たおばあ様の方は、
“也許奶奶本來就不可能讓你回頭 這都是天意吧”
(お前の考えを変えることなど、そもそも無理だったのかも知れぬ。これも天意であろうよ)

と、諦めることにする。そして、雪舞に当面の策を授けると言い、

“錦囊”

を渡します。

でました、“錦囊”

《三国志》ファンなら胸躍るこの単語、いわずとしれた、諸葛孔明が策を授けるときに使う小道具です。

錦で作ったポーチの中に、ピンチを切り抜けるアイディアが書かれたメモが入ってるんですね。

しかし、お分かりのとおり、手品じゃあるまいし後から紙切れを中に追加するわけには行きません。ってことは、おばあ様は予め、雪舞とは別れることになるという結末は予想していながらも、一縷の望みをかけて説得に当たっていたってことなのでしょう。

おばあ様との別れのシーンでは、例のぐちゃぐちゃ泣きを見せるアリエル。家族への思いが篭もっていて、全編でほとんど唯一、あらくれ者の視聴者と言えどももらい泣きしました。

このあと雪舞は牢に囚われた蘭陵王に会って、やはり目に涙を溜めているのですが、そこでは決意を秘めた、もっと抑えた演技をしています。この対比が素晴らしい。

“現在只能留在這兒了”
(私はもう、ここに残るしかないの)

蘭陵王に向かって由紀さおり...いえ、雪舞が搾り出したこのセリフを受けて、どんな演技をするかにオスカーが掛かってるんだけど、ウィリアム・フォンはどんな演技を見せるでしょう!

ここから二人の関係性が変わる、ラブ史劇にとっては全編で一番重要なシーンです。

私はすごくすごく期待しました。で…、

“你現在想回也回不去了”
(この先は帰ろうったって帰れないよ)

.......の、この軽い表情はナシでしょう!!!!

監督っ、ちょっとここに来て座ってくださいっ!
(がひょっ)
はいっ、釈放されちゃうウィリアムの代わりに、あなたが手錠してここに残ってくださいっ!

念のため言っときますけど、チキンは一日一羽までですから!

“曾經 我很害怕改變你的命運
但是我已經改變了
我曾經很害怕 我們不可能有結果的
但是我已經不在乎了”

(これまで私は恐れていた あなたの運命を変えてしまうことを。
だけどもう変えてしまったわ。
 これまで私は恐れていた 私たちは結ばれる縁ではないことを。
だけどもうそんなこと どうでもいいの)


ここで新宿の母ならぬ鄴城の母とかが登場して、

はい、そうですね。天命を変えてはいけないとあなたは思っていたけれど、
変えなきゃ蘭陵王は結局早死して、民を救えないんですよ。
よく気がつきました!

四爺の運命を変えたことで、
ラブも上手くいくかも知れませんよ。
しかし、二兎を追う者は一兎を得ず。
後半の運勢に注意してね!


などとアドバイスを与えてあげたらよかったでしょうが、
残念ながら牢屋の中に占い師は居ませんでしたね。

つか、雪舞が占い師のはずなんだけどな。自分のことを占うのはご法度なんでしょうね。

ここで雪舞が玉佩を取り出すのを見た四爺の表情が、(まさか返す気か?)と、一瞬驚いたように見えるのは私だけでしょうか(笑)。

“這塊玉佩的意義 我明白了”
(この玉佩がどんな意味を持つか よく分かったわ)

このときの四爺の表情は怒ってるように見えるくらい真剣です。

“我要留下它 不再逃避
勇敢地待在你身邊”

(もう返したりしないわ。逃げもしない。
勇気をもってあなたの側にいる)


雪舞にこう言われて、少し表情が緩んだあと、小さく何度か頷いて、また真顔に戻る四爺…。

と、「返品不可」宣言からこの一連の割にカジュアルなウィリアムの演技を見て、正直、最初は何じゃこりゃ、でしたよ。アリエルの深刻さと比べると、テンションが違いすぎる。

ただ、かばう訳じゃないけど、ウィリアム・フォンの演技に沿ってこの場面の解釈を考え直すべきかも知れない。

当初私が期待したのは、グズグズ泣いて去ってしまった楊雪舞が、戻ってきたときは自立した、運命を自分で切り開こうとする女性に変わっていたのを見て、四爺自身がもう少し驚くというか、心が動いたと見える表現でした。

それは、「帰ろうったって帰れないよ」じゃなくて、「これからは君を手放すつもりはない」という感じの重みがある演技だったわけです。

だけど考えてみれば、四爺自身は最初から、占いだの運命だの信じていなかったわけですから、ようやくそれに気づいた雪舞に、ほら、だから言っただろ、みたいな軽い表情で「今はもう帰ろうにも帰れないってわけだ」と言うほうが自然かもしれない。

それに、もう後戻りはできない以上、そこまでして戻ってくれたのか、的な深刻さで返さずに、ね、私の思った通りになったでしょ、みたいなノリにしたところに、ある種の思いやりも感じられる。

雪舞は今ようやく決意が固まったので、すごく大げさな表情になっていますが、四爺はもっと前からずっとこの決意だったので、その時点が今の雪舞と同じテンションの演技だったんですよね。

と、何となく納得したところで、場面は斉の宮廷内に移ります。

逃亡したはずが、もう逃れられないと悟って戻ってきたと思われてもしょうがない雪舞に対し、皇帝陛下は意外と冷静に対応します。

雪舞に「陛下のお力をお借りしたく存じます」

とリクエストされると、あっさり、

「必要とあらば 何なりと申せ」

と許してもらったんですが、「何なりと」で、用意してもらったのが山盛りの…ショウガ?

だったら、まだ予算も余ってますよね。
じゃ追加でBB−8...って誰がクリスマス・プレゼントのリクエストかっ?!

さて、ショウガもスタンバったところで、いよいよショーの始まりです。召集された面々は、

“太卜宮 掌管著朝廷的吉凶祭祀”
(朝廷の吉凶祭祀をつかさどる 太卜宮)

“大理寺卿 掌刑獄”
(刑罰をつかさどる 大理寺卿)

“大宗正寺 則掌管著 皇室的宗室事件”
(皇室の案件をつかさどる 大宗正寺)

に勤務する方々。

その場に引き出されてくる容疑者・四爺は囚人服がとてもよく似合ってる...というか、このシーンが痩せてるだけですかね。

囚人服というと、アメリカのシマ模様とかオレンジとかの囚人服を思い出しますが、あれは逃亡したとき目立つようにということらしいです。

中国の時代劇に出てくる囚人服はどうやら白が多いようですが、白は中国ではお葬式の色だし、「一番階級の低い色」「染めていないで生地のまま」だから、ということらしい。

しかし、実際の古代中国の囚人服は“赭衣”と呼ばれており、赤土で染めた衣装でした。日本でも明治からはその色だったようです。

ここで四爺は正座をしていますが、中国では机と椅子の生活になっても、罰として“罰跪”という座り方をする習慣はあるようです。

現代では“罰跪”というと、いわゆる「膝立ち」の座り方を指すようなんですが、古代にはここで四爺がしている姿勢、すなわち正座を指していたのだろうという人もいます。

足のしびれを我慢してるところへ(たぶん)、入ってきた雪舞を見てビックリしたような表情の四爺。

あれれ、こうなるって知らなかったのでしょうか?
だいぶ痩せてるし、直前の牢屋でのシーンとは少し離れた時期に撮影したんでしょうか。

とりあえずは、床にちんまり座って、雪舞の方を見やるポーズが可愛いですね。

雪舞の方は斉国の創建時から伝わる神の火で罪びとを炙りだす…みたいなこと言っているのですが、そもそも建国からだって何十年も経ってるわけじゃなし。

ただ、気になってた香炉があぶり出しのときは役に立つ、ということが分かりました。ここでは生姜を使っていますが、子どもがよくやるのはミカンの汁とかですよね。、

こんな子どもの遊びに追い詰められて、ついに罪を認めた祖珽は、なぜかようなことを、と皇帝陛下に聞かれて、咄嗟に、

セクハラしようとしたところ、咎められたのを恨みに思い、

って言い訳させられるのも何か気の毒。

一方、四爺の方は、晴れて着せられてた濡れ衣が乾きました。

濡れ衣を着せられてる状態のことは、中国語では“背K鍋”といいます。
辞書を見ると、鍋を背負うと背中が黒くなるから、みたいな解釈が書いてありますが、なぜ黒くなると冤罪の意味なのかは分からないままです。

由来には諸説あり、先ほどの、ネギを背負わずルクルーゼを背負ったトレンディなカモ説のほかにも、

元々の字は“被黒過”で、「過失を押し付けられた」という意味だったというダジャレ説、

古代、行軍の折に、過失のあった者が鍋を背負ったことから転じた罰ゲーム説、

などがございますが、どうも決め手に欠けます。

そもそも、日本語の「濡れ衣を着せる」もよく分かんない言い回しですよね。濡れた服を着たら、風邪は引きますが罪ではないのでは…と視聴者が愚考していると、さすがに皇帝も、トンデモ語源説で人を殺めてはいかん、と我が非を悟ったらしく、

“這件案子是朕的失察
今日乃是你選妃的大喜日子
朕再另擇良日
為你風風光光地再辦一次”

(この件は朕の失態であった。
本来はそなたが正妃を選ぶ佳き日、
朕が改めて吉日を定め、
いま一度、妃選びを盛大に行おうぞ)


と提案してきます。

げげ、そうだ忘れてた。一難去ってまた一難ってヤツかしら、やな脚本だこと…って思ったら、そこへ、この桜吹雪が見えねえかっ、と黄門さまならぬ福姥(フーラオ)がいきなり登場(ってか桜吹雪は黄門さまじゃないし)。

それまで立ちんぼうだった皆さんが、いっせいに跪いて礼をします。

“皇太后千歲千歲千千歲”
(皇太后さま 千歳千歳千千歳)

大方の予想通り、福さんは仕込みだったのですね。しかも一国のラスボストップだったとは。道理で、お茶を「入れてもらう」のに慣れた態度だったわけですよ。

しかも、なに、私の寿命は万歳の息子の10分の1なわけ?などと怒ったりはしない皇太后は、鷹揚な方のようです。

さらに、四爺、五爺、雪舞に至っては、礼すらしてませんが、なに、私に礼もしないわけ?などと怒ったりしない皇太后は(以下略)

皇帝陛下だって、ちゃんとご挨拶をするのに!

さすがに無礼を悟ってか、四爺もくっついてご挨拶をします。皇太后は、

“水落石出 社稷也回復安邦”
(水位が下がって石が現れるように真相が明らかになった。お国にもこれで平和が戻ってきた)

と寿ぎ、円満解決を祝した後に、“粛児”<スーアル/Suer>のためにお妃選びをしてやろう、とのお心遣い。

おほほ、いいおじさんに向かって“粛児”!(“粛児”は四爺の幼名でしたよね)

それも笑っちゃいますが、お妃選びの話が出た途端にニヤリとする五爺…むむ?

と、またいきなり、

“蘭陵王的王妃就是楊雪舞”
(蘭陵王の王妃は楊雪舞である)

とのご託宣。

“近日來 我私下暗訪 深入觀察各家名門千金
都不如哀家親眼所見的楊雪舞”

(ここのところ、わらわは秘かに名家の令嬢たちの動向を探っておったが、誰ひとり、この目でしかと検分した楊雪舞には適わなんだ)

と言ってるせりふの合間にチラチラと五爺が映ります(笑)

皆が、巻き添えは勘弁、ばっはは〜い!とバックれる中、雪舞だけは見捨てることなく感心感心、と褒める皇太后に向かって、雪舞もいちおう、自分は側室が分相応…と言い出しますが、

“喜歡吃醋 又不服輸的你
心甘情願肅兒去娶別的女人嗎”

(ヤキモチ焼きで負けず嫌いのそなたのこと、粛児が他の女人をヨメにもらって平気なはずもなかろう)

と、皇帝や朝臣の居並ぶ前で雪舞の困ったちゃんぶりを暴露してしまいます。

そんで粛児、あんたはどうなの、と水を向けられた四爺は、ほいほい承諾して雪舞を焦らせます。

ヨメの皇后が、
“皇室正妃講的是門當戶對
楊雪舞 既不是名門 又不是望族 不合適吧”

(皇室の正妃は釣りあう家柄の出でなければ。
楊雪舞は名門の出でもなければ貴族の家柄でもございません。ふさわしくないのでは)


とやんわり抗議すると、皇太后はいきなり《列子》の黄帝篇を持ち出します(絶対何か言われると思って、考えといたんでしょうね。用意周到なお方だこと)。

《列子》というのは紀元前400年くらいに成立したとされる哲学書で、その黄帝篇は“朝三暮四”という言葉の出典にもなっています。

ちなみに、いま普通に使ってる“男尊女卑”という言葉も、《列子》の天瑞篇から来たことばです。

“有神巫自齊來 處於鄭 名曰巫咸”
(祈祷師が斉から来たる。鄭に居し、名を巫咸といった)

雪舞は天女で巫咸の末裔、祖先の居住地である鄭を姓として与えましょう、

“無可厚非”
(問題なかろう)

鄭は皇族の氏、皇室の出なのだから文句ないでしょ、とのお言葉。

中国では結婚しても姓を変えないほど、姓は重要なもの。逆に、だからなのか、この手の「改姓」は歴史上にいくつも例があり、史書に特記されています。

そして史実では、何と皇太后さま自身も自分の姓を変更していたんですね。
皇太后さまのお名前は婁昭君ですが、

大宁年春,太后寝疾,衣忽自挙,用巫媪言改姓石氏。
(562年の春、婁太后は病に伏した。衣服が自ら動くという怪異が起こり、巫女の言葉を容れて姓を石とした。

ここは恐らく厄払いのような意味があるのか、あるいは「婁」氏に取り憑こうとする怪異を、名前を変えることで避けようとしたのかも知れません。(以前、なぜ周りの人が四爺をいみなの「高粛」と呼んではいけないのか、という話をしましたね)

しかし、ぶっ飛んだ事態に適応できないのか、わたしの姓が鄭なの?とぶつぶつ言ってる雪舞に、

“你不是一直很喜歡姓鄭嗎
哀家不止一次地聽你到念鄭妃鄭妃”

(そなたはずっと鄭姓に憧れておったようではないか。
わらわは一度ならず、そなたが鄭妃鄭妃とこぼすのを聞いたぞよ)


ここで四爺が思いっきり笑ってます。鄭妃鄭妃の最大の被害者、四爺は、よっぽど困ってたんしょうね。こんな風にいなしてもらって、耳のタコもようやくとれたんでしょう。

耳スッキリ!な四爺はこっそり雪舞に言います。

“這下你贏了 我果真娶了鄭妃了”
(これで君の勝ちだな。
私は本当に鄭妃を娶ることになったよ)


ここの2人は本当に可愛らしいですね。全編中、このシーンのウィリアム・フォンが一番好きです。ま、この先にも2人の可愛らしいシーンはいくつかあるんですけど、ここは衣装も似合ってるし…(って、何で囚人の衣装が一番似合ってるんだか知らないけど)

だけど、巫族の予言をこんな風に笑い話にしていいのかどうか、それはドラマの先を見なくちゃわかりませんよ…。

そもそも、《列子》で皇太后が引用した箇所をよく読んでみると、こんなことが書いてあります。

“有神巫自齊來處於鄭,命曰季咸,知人死生、存亡、禍福、壽夭,期以歲、月、旬、日,如神。鄭人見之,皆避而走”
(祈祷師が斉からやってきて鄭に居を構えた。名を季咸といい、人の生き死にや存亡、禍福、寿命を当てることができた。予言の年や月、季節、日の正確なことは神のようであった。鄭の人々はそれを見て、皆逃げていった)

さて…。

プレゼンのツボをおさえた皇太后の活躍で、正妃は雪舞と決まり、ひと月後に婚姻の儀が行われることに決まりました。

韓暁冬がこのビッグニュースを街中に触れてまわっています。

おめでたいニュースを貼ろうとしている掲示板に残っている紙切れは、先の指名手配書でしょうか。それなら、確か綺麗に剥がして持ってったはずだけど…。

ま、いいか。別の場所かも知れないし。

町民の皆さんが、

“咱們一定要共襄盛舉
祝他們白頭偕老”

(皆で盛大にお祝いしようじゃないか。
共白髪までお幸せにと)


とお祝いするなか、暁冬は複雑な表情です。さっと潮が引いたように誰もいなくなった町を、とぼとぼと歩いていく暁冬の後ろ姿がいいですね。



ところ変わって、ここは宮殿の中。
皇帝は皇后に、鄭児の処置について問いかけます。
どこまでもしらを切ろうとする皇后に、皇帝はついに怒り爆発。

お家の恥と思うから、あの場では収めておいてやったが、あんなセクハラなんて理由、信じると思うのかあっつ!って、陛下、祖珽ならやりかねません、史実でも確か、そんな人…。

しかし怒りの収まらない皇帝は、がんがん追及します。
責められた皇后は、

“臣妾何罪之有 爭權奪利 無須手軟
血親亦然”

(わらわに如何なる罪がございましょう。
権力のためには 犠牲もやむを得ませぬ
親族とて例外ではございません)


いやー、危ない、危ない。

一度目に観たときは、“臣妾何罪之有”を「何の罪がございましょう」じゃなくて、「何の罪もございます」かと勘違いしていました。

どこに誤訳の罠があるか分かりません。ちなみに、何の罪でもある、といいたいなら、“臣妾何罪有”ですね。

ここまで言うと皇帝は

“大膽!”
(無礼な!)

と一喝します。おのれそこまでやるとは、という意味なのかと思ったら、続いて意外な言葉が…。

“你難道暗指朕 為了皇位可以手足相殘
你就可以 是嗎”

(おまえはよもや朕を当てこすっておるのか。
皇帝の座のために親族をも抹殺したのなら、
おのれも同じことをしても構わぬと そうであろう)


ひ、ひぃっ、こ、このお言葉は一体…。

そう言いながらも、罪を皇太子に及ぼすことは何とか思いとどまった皇帝は、

“將皇后褪去后服 打入冷宮”
(皇后たる衣装を剥いで、軟禁せよ)

と命じると、入れ替わりに祖珽が入ってきます。
最初は命乞いをしていた祖珽ですが、下された刑を聞いて一変、ひと思いにご処置をと泣きすがります。拷問はお家芸、

げに恐ろしや、ドS集団・高一族!

何でこんな連中ばっかりやねん、と頭痛に襲われたらしい皇帝は、

“家門不幸 家門不幸啊”
(何たる不幸な家であることよ)

とまるで他人事のようなセリフを呟いています。

ですけど。

先ほどご紹介した史実の高百年のエピソードの終わりのほうに、高緯が宮殿を増築しようと地面を掘ると、そこから緋の衣装に金の帯をつけた屍が出てくる。皆は楽陵王・百年ではないか、いやひょっとして、太原王・紹徳ではないか、と噂するという話が出てくるんですね。

高紹徳といえばほら、例の、武成帝が兄貴の嫁さん・李祖蛾<り そが>を強奪した挙句、生まれた娘が生後すぐに亡くなったので、李祖蛾が殺したのではと疑い、李と兄との子、高紹徳を惨殺した、って話(第9話の2→こちら)に出てきた人ですよ。

あんた、他人事ちゃうやろ。

と思わずニセ関西弁になってツッコんでしまいたくなる、呆れた行状。

まったくもって、高一族と来たら…。

とこの先の回で誰かさんが言うセリフ、言い得て妙過ぎです。

さて、こんなお家騒動寸前だった斉の宮廷に続きまして、場面はお久しぶり、周の宮殿へ。

貞兒<ていじ/Zhener>の病状が思わしくないため、周国皇帝・宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉こと仔ブタ陛下は、御用医を全員打ち首だなどとメチャクチャ言っております。

それを聞いたプリンセス・貞児、奇病にかかったのはお医者様のせいじゃないから、ともっともなご発言。

けなげな貞児の言葉に、仔ブタ陛下ならずとも、何でも好きなものを用意してあげよう、と言いたくなりますよね。

起きたら天女さまのお話をしてね、というリクエストを、例によって聞いちゃ〜いねー宇文邕は、どこをどう解釈したんだか、

「よーし、パパ、BB-8を買ってあげちゃうぞ〜」

じゃなくて(それ欲しいのは私か…)

“等你一覺醒過來 我一定帶天女來”
(次に目が覚めたときには 天女に会わせてあげるからね)

ってあんたそれ、貞児のリクエスト違うやん。

勝手な解釈で行動する叔父さんに、思わずまたもニセ関西弁でツッコまずにはいられないこの展開。

まったく高一族といい、宇文一族といい…。

しかし、誰かさんと違って皇帝陛下は、絶対に約束は違えない男!

さて、鄭児へのプレゼントはどうなる!?
やっぱBB-8か??(←ってしつこい)

その続きは第15話こちらにて!!


posted by 銀の匙 at 01:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

蘭陵王(テレビドラマ25/走馬看花編 第13話)

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

2015年11月末のスケートNHK杯、すごかったですね。

優勝した女子の宮原選手も綺麗だったし、
中国の男子・金博洋選手もがんばりましたが、
結局、世界最高記録で羽生選手が話題を全部持って行っちゃった感じでした。

フリーで演じた「陰陽師」は、日本人なら(たぶん)誰もが知っている、
歴史上の人物・安倍晴明<あべのせいめい>の話からインスピレーションを得た物語。

狩衣風の衣装に和楽器をフィーチャーした音楽。
いかにも和の雰囲気満点ですが、
まあ大体予測はつくと思いますけど、陰陽師もルーツをたどればやっぱり行き着く先は中国。

前の方の回でも何度か登場しましたが、
斉の国のナショナルカラーがだったり、蘭陵王のマントに朱雀が描かれてたり、
といった事象の根底にあるのが、世界の根本原理を「陰陽」に求める「陰陽五行説」

中国では「陰陽師」という職業こそ存在しませんが、
天文や地相、人相を見て吉凶を占ったり、呪術を操ったりする“太卜 taibu”という職責は存在します。

日本の陰陽師は、すなわち中国では“太卜”...

はて、どっかに居ましたよね、そんな呼び名の方が…?

では参りましょう、第13話
この回は、中盤のヤマになりますが、描写が露骨に少女マンガっぽすぎたせいか、私は全然やる気が出ませんでした...

かなり手抜きな記事ですみません。次回にご期待ください!(とほほほほ…。)

前回のお話はこちら(→第12話の2)にて!

北斉の都、鄴<ぎょう/Ye>に帰還した蘭陵王<らんりょうおう/Lanling Wang>=高長恭<こう ちょうきょう/Gao Changgong>=四爺<よんじい スーイエ/Si Ye>は、皇帝の命により、正妃を選ばなくてはならなくなりました。

お妃候補者は、蘭陵王の祖母である、皇太后の出したお題をクリアしなければなりません。

側室としてお屋敷にとどまっている楊雪舞<Yang Xuewu/よう せつぶ>は、蘭陵王府の使用人・福姥<フーラオ/Fu Lao>の手助けで、何とか最初のお題をこなします。

しかし雪舞は、祖母が予言したとおり、正妃となるはずの鄭児<ていじ/Zhen Er>が現れたことで、身を引く決意を固めていました。馬車の用意を頼まれた韓暁冬<かん きょうとう/Han Xiaodong>は、都で雪舞の祖母から手紙を託されるのでした。

一方、お妃選びに乗じて、皇太子の実母・胡皇后と忠臣の太卜<たいぼく/役職名です>・祖珽<そ てい/Zu Ting>は、鄭児を操って蘭陵王を陥れようと画策します...。


*

今や中尾ミエ以外には見えない皇后陛下と祖珽の前に、鄭児が現れます。

花も恥じらう美しさの見本のような鄭児に皇后は褒め言葉を掛けますが、鄭児は浮かない顔をしています。

“蘭陵王對你不好嗎?”
(蘭陵王はお前を粗略に扱っておるのかえ)

“王爺沒有待鄭兒不好 是鄭兒無能”
(殿下はお優しくしてくださいます。ただわたくしの力が及ばず)

“沒有辦法讓王爺傾心 鄭兒要讓皇后娘娘失望了。”
(お心を得ることはできませんでした。皇后さまのご期待に添えぬことになるかと)

どうやら鄭児は、この時点くらいまでは自分の立場を割合客観的にわきまえていたようですよね。

そこへ、祖珽が口を挟みます。
「蘭陵王に愛されたいであろう。」というのは、原文では、

“想不想讓蘭陵王鍾愛你一個人呢”
(蘭陵王にそなた一人を愛させたくはないかな)
と言ってます。

そして取り出だしたるは式神…じゃないや、髪飾りと香袋です。

日本語では「縁切りの呪符」とだけ言っていますが、この香袋は、

“鮮卑族的斷緣符”
(鮮卑〈せんぴ〉族の縁切りの呪符)

なるもの。

鮮卑族はご存じ、北周の皇帝・宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉が属する民族です。
蘭陵王たちの時代の一個前の王朝は「北魏」でしたが、その皇帝も鮮卑族でした。

騎馬民族であり戦闘能力の高い鮮卑の人たちは、戦乱のこの時代には高い地位にありました。
その中には、進んで漢民族を真似た為政者もいましたし、逆に、宇文一族のように、いったん漢民族化した習俗を鮮卑風に改めた人たちもいます。

そして高一族はといえば、出身地(渤海〈ぼっかい〉)が鮮卑の勢力範囲であったためか、ひょっとしたら漢化した鮮卑人ではないかとの伝承がずっとつきまとっています。

高い地位を反映して、当時は鮮卑語で書かれた書物などもあったようなのですが、全て散逸して現代に伝わっていません。なので、果たして文字があったのかどうかも謎のままです。どんな言葉だったかを探った有名な研究者の一人はなんと日本人で、白鳥庫吉〈しらとり くらきち〉という大先生です。

白鳥先生によれば、今に残る、はっきり鮮卑のことばと分かる単語はモンゴル系のようですが、鮮卑自体も、一つの民族というよりは、多民族の集合体だったようですね。

ってことで、何を参考に鮮卑文字を再現したのか分かりませんが、考証の結果が反映されてるとしたら、このドラマで一番価値のあるシーンとなるわけですけど、どんなもんでしょう。

さて、この話題は後に譲るとして、呪符を渡しつつ、祖珽は、

“調虎離山 聲東擊西”
(虎を山から誘いだし、東と見せて西を撃つ)

という作戦で援護するから、と約束します。この2つの計略、いままでも何度か登場しましたね。

あっち向いてホイの相手が欲しい…ということなのかどうか、雪舞は朝っぱらから鄭児を呼び出して、藪から棒に四爺が好きかと尋ねます。鄭児が頷くと、四爺を大事にして欲しいと頼みます。

鄭児はどこへいらっしゃるおつもりですか、と尋ねます。ホント、賢い女性ですね。
雪舞は直接は答えずに、

“四爺他常常把他人的安危 放在自己之前
所以 你一定要多多叮囑他”

(四爺はいつも他の人の身の安全を自分よりも優先しがちなの。
だから、よく気を付けてあげてね)


“他從六歲入宮后 便是自己一個人
其實心裡 非常非常寂寞
所以往後的日子 希望你能盡量陪著他”

(六歳で参内してから、いつも独りぼっちで、
心の中はそれは寂しい人なの。
だからこれからは、できる限りお側にいてあげて欲しい)


“如果可以的話 就陪著四爺隱居山林
那是再好不過的了
因為 那是他一生的夢想”

(できることなら、人里離れた場所で静かに暮らせたら、
それ以上の事はないわ。
だって、それこそが四爺の望みだから)


“我相信 你會比我更適合他”
(私は信じてる。あなたの方が私よりも四爺にふさわしいわ)

ここの日本語を聞いてみてビックリしたのですが、雪舞は鄭児のことを「鄭さま」って呼んでいるんですね。

そんな、「杉さま」じゃあるまいし…

中国語は、他のところでは“鄭姑娘”と言うこともありますが、この場面ではとにかく“你”(あなた)で押し通しています。中国語では、面と向かって「あなた」と言っても、特に失礼にはならないみたいですね。

そこへ五爺が現れ、皇太后からの第2のお題として

“傷病村”(傷痍兵の村)

へ行くように告げます。

四爺が大切にしている方々が住まう割には匂いが悪いらしく、お嬢様がたは鼻をつまんでいます。
どこまでも口だけ将軍な四爺のおかげで衛生状態が悪いらしい。そんなん大切言うなら、もっと何とかしてあげたら良いのに。
どうですか、レポーターの村人Aさん?

はい、村人Aです。あっ、そうか。無償で村を楽しいレクリエーションキャンプに変えた実績のある方がいましたっけね。まさかそんなボランティアな働きが正妃に期待されてるんでしょうか?
マイク、スタジオにお返しします。

村にいる子供たち(モブ)は、エキストラではなさそうですが、四爺に向かって、

“乾爹”
(お義父さん)
と呼び、隣のこのお姉さんは誰?と聞きます。

“她是雪舞姐姐 乾爹的妻子”
(この人は雪舞お姉さんだよ。義父さんの奥さんだ)

こらこら子供をダシに、勝手な既成事実化はやめるように。
まったく無敵の将軍のくせに、やること姑息なんだから…。

おっと、中国語で“姑息”というと、それは際限なく甘やかす、放任するって意味だった。

第一、日本語でも、「卑怯者」っていうのは誤用で、「姑=いっとき/息=休息する→一時しのぎ」というのが本来の意味らしい。

『デジタル大辞泉』によりますと、

文化庁が発表した平成22年度「国語に関する世論調査」では、「姑息な手段」を、「一時しのぎ」の意味で使う人が15.0パーセント、「ひきょうな」の意味で使う人が70.9パーセントという結果が出ている。

とのことなんで、私もメインストリームに乗ってるわ(はぁと)と、安堵のため息。

まあ、間違いはどこにでもありますよ。たとえば、

“原來是乾娘”
(なんだ、お義母さんだったんだ)

って、違うでしょっ!と思ったら、ありゃま、四爺はドヤ顔で雪舞を見ています。
コレ、本当に皇太后さまのお題なんでしょうか…?(というのは後になれば分かるかも)

そうこうするうちに、子供たちと四爺・五爺そして雪舞がその場を離れそうになったので、鄭児は、子供を庇って倒れた風に装います。

怪我をした鄭児は、もらった傷薬は大事なものだからお屋敷に置いてきてしまったので、自分をお屋敷まで送ってもらえないかと四爺に頼みます。

四爺は承知しますが、去り際に雪舞に、

“你跟小孩子玩的時候 千萬要小心 別摔跤”
(子どもと遊ぶときは よくよく気をつけるように。転ぶなよ)

とわざわざ注意します。

雪舞だってそのくらい知ってるわよ、過保護ねぇ…ということではなくて、ここの鄭児の切なげな顔を見れば分かります通り、これは、

“關心”
(相手を気にかけている)

という気持ちを言葉で表す、一種の愛情表現なんですね…。

しかしここの鄭児はホントに美人(この後もだけど)。
いや〜、私なら鄭児にしとくけどねぇ…。

一方の雪舞は立ち去る二人を背中で感じている。ここのアリエルの演技も上手いですね。

*

ところ替わって、こちらは雪舞のおばあ様。

すぐに自分とここを離れなければ、蘭陵王と雪舞には大きな災いが降りかかる。
今晩すぐに雪舞を連れてこい、と言われて、急いで出かける韓暁冬。

危ないな、燃えてる赤いロウソク落として…。

つか、それよりもっと衝撃的な事実が!

おばあ様の居るこの部屋、いったいどこなんだか何なんだかよく分からない部屋ですが、よく見ると壁に、例のカラオケの歌詞第4話こちら参照)!!

一体なぜ!!??

かは私も全然分かりません(そして、このドラマが終わって1年以上経った今も分かってない)。

まさか、「このカラオケ屋も殿下の御領地!」(by 楊士深)という縄張り宣言なんでしょうか...?

いや、考えたって分からないから先行きましょう、先!



場面は戻って、ここは傷病者の村。雪舞は子どもたちと鬼ごっこをしています。中国語ではこの遊びを“捉迷藏”と言います。

子どもの差し出す水を飲んで気を失った雪舞を連れ出す男性は2人がかり…うーむ、やっぱり独りで雪舞を抱っこできる蘭陵王って、力持ちなんですね〜、とヘンなところで感心する私。

一方、鄭児の傷の手当が済んだと聞いて、一人、傷病村に戻ろうとする四爺を鄭児は引き止めます。

“四爺 可不可以 為了鄭兒留下。”
(第四皇子殿下、鄭児のために残ってくださるわけにはいきませんか)

その次のセリフは、日本語では「心より殿下をお慕いしております」なのですが、中国語では、

“四爺就這麼不喜歡鄭兒嗎”
(第四皇子殿下はそこまで鄭児のことがおいやなのですか)

と言っているので、四爺はあまり強い態度には出られません。
日本語の方は、この先に似ている「私は雪舞さまの足元にも及ばぬのですか」というセリフがあるので、そちらにまとめたのでしょう。

それでも引きとめた手をどけてしまう四爺に、傷心を隠せない鄭児。
四爺は言います。

“鄭姑娘知道何為喜歡嗎
你要是知道什麼是喜歡的話,
你此刻就能理解我的心情了”

(鄭どのは愛するとはどのような事かご存じですか。
分かっておられるのならば、
私の気持ちもお分かりのはずでしょう)


聞きながら鄭児は、素晴らしい“哭戲”(泣きの演技)を見せているのですが、全然見ちゃーいない四爺。

この後は柄にもなく、四爺おじさんは勝手に自分の世界に入って独りで語っていますので、
そのこっ恥ずかしいセリフをさらし物にしてあげましょう。

しかもここの演技が、確かに、非常にリアルなのは認めますけど、21世紀のバカップルの片割れとかだったら…

でも、時代劇の演技じゃ、ないですよね…。よくもこれでOK出したわ、監督も。ホント、あり得ない。

ここは中国語、日本語とも、吹き替え担当の声が頑張りました。声の演技が、画面の違和感を相当軽減しています。

ためしに音声を消して、見返してみてください。
うっ、厳しい、コレ...。

“雖然才短短的幾個時辰
但我覺得 已經像有好幾年
沒有見到她那麼漫長了。”

(たった数時間会わないだけで
それが何年もの間、
離れ離れだったように感じてしまう)


少なくとも、相手の気持ちがあんまり理解できてないのはお互いさまらしくて、
相手が自分を好きだと知っていながら、四爺はこういう残酷な事を平気で言います。

鄭児はぼろぼろに傷つきながら、それでも深追いしようとします。

“四爺 是不是覺得 鄭兒比不上雪舞姑娘啊”
(第四皇子殿下は、ひょっとして、鄭児は雪舞さまの足元にも及ばないとお思いなのですか)

ここで、いきなり時代劇に戻る四爺は、言下に否定します。

“不不不,是她比不上你
她沒有你天生麗質
也沒有你落落大方
也沒有你知書達理”

(いやいやいや、あちらの方があなたに及ばないのだ。
雪舞にはあなたのように生まれついての美貌も、
あなたのような気品も
あなたのような教養もない)


なんだ、雪舞は全然ダメなんじゃん(笑)。

みんなは四爺の審美眼は変わってる、と言いますが、美人の基準は四爺だって、やっぱり他の人と同じなんですね、このセリフから判断する限り。

“可是 她的身影就是在我心裡面
形影不離 揮之不去”

(しかし、雪舞の面影がいつも心の中にあって、
片時も離れず、振り払うこともできない)


“我晚上做夢也是她
醒來我就想見到她”

(夢の中で見るのも雪舞、
目覚めてすぐに会いたいのも雪舞)


“我喜歡聽著她 喊我四爺
喜歡她跟我無理取鬧”

(私を“四爺”<スーイエ>と呼ぶのを聞くのも
私を困らせるようなことを言うのも好きだ)


“我拿她一點兒辦法都沒有”
(私には全くどうすることもできない)

“我為何會愛上如此...
如此這樣一個 不受我控制的楊雪舞來折磨我自己
我也不知道”

(なぜ私は愛したのだろう なぜこんな…
こんな、まるで言うことを聞かない雪舞に翻弄されるがままなのか
自分でも分からない)


ここで思わず、それはあなた様がドMだからでは…とツッコんでしまう視聴者に、
このようなラブ史劇を鑑賞する資格があるのでしょうか。いや、ない。

“但我就是對她非常傾心
我心裡面只有她
真的很抱歉
我還是不能接受你”

(しかし私には雪舞が愛おしい。
心の中には雪舞しかいない。
誠に相すまぬ仕儀ではあるが、
あなたを受け入れることはできない)


それでは正妃選びはどうするのですか、と訴える鄭児に、皇帝陛下に、やはり自分の愛するのは雪舞だけだと申し上げるしかない、と言った後、それまでのニヤけた顔つきから一転、真剣な表情で四爺は、

“我也不願意雪舞 與人共時侍一夫”
(私も雪舞が、他の女人と共に一夫に仕えるのは望まない)

と言います。

これは、第10話→こちら)で四爺が語ったとおり、顔も覚えてないほど女を侍らせてた父に仕えたお母様と同じ悲しみを妻には味わわせたくないからですね。

しかしまあ、比べる基準が中華第一プレイボーイじゃ、極端っちゃ極端ですけど。

それでも諦めない鄭児に向かって彼は、正妃を選ぶようにという命令に従うことは簡単だけれど、

“但你得不到你應該得到的幸福 雪舞也不會快樂”
(しかしあなたは、得るはずの幸せを得られないし、雪舞も傷つく)

と諭して席を立ちます。

鄭児もいつまでも未練がましいなぁ...とつい思っちゃうシーンですが、この時代、皇帝の一族ともなれば、お妃が一人だけみたいな人のほうが珍しく、史書に特筆されちゃうくらいです。

日本だって第二次世界大戦が終わるころまでは、資産家にお妾さんがいるなんて当たり前でした。

宮廷の(しかも風紀が乱れ切ってる北斉の)暮らししか知らない鄭児にしてみれば、権力者が何人も妻を持つのは当然のことで、他に何人いようと、才覚と美貌さえあれば寵愛を得られる事を知り尽くしているはず。

それに、四爺の言葉をそっくりそのままお返しすれば、

なぜ、他の人のことをこんなに好きだと言ってる四爺なんか愛したのか、
自分でも分からない。しかし、心の中には四爺しかいない。


って事なのでしょう。

誰を好きになるかは、残念ながら自分では選べない。

運命なんか信じていない四爺でさえもそうなのだから、ましてや、外の世界を知らず、他にすがるものとてない鄭児にはなおさらです。

それこそが、このシーンの、そしてこの回の真に注目すべきテーマなのでしょう。

「雪舞と長恭サマ」のロマンチックな恋愛シーン満載の回、と見せかけて、この回の真の主役は鄭児であり、言わんとすることは主人公2人にとって、実に辛辣。

このパターンは、先の回でも何度も登場します。そのたびに脚本は、視聴者の意識下に、「とあること」を働きかけているんですが、ストーカー鄭児憎しに誘導されてる視聴者はほとんど気づかない…。

本当にこの脚本(とニキータ・マオの演技)は上手いですよね。

そこへ五爺が現れて急を告げます。二人はさらわれた雪舞の跡を馬で追うのですが…いくらなんでも、四爺が刀で跳ね返した矢が、射た人に当たるってことはないでしょう(笑)。
失敗したので、始末されちゃったんですかね、可哀想に…。

刺客は、

“天女一命值千金”
(天女の命は千金に値する)
と言っています。

思い出しますね、北宋の詩人・蘇軾(そ しょく/=蘇東坡)の「春夜」を。

春宵一刻値千金 

花有清香月有陰

歌管楼台声細細

鞦韆院落夜沈沈

春宵一刻 値<あたい>千金<せんきん>
花に清香<せいこう>あり 月に陰あり
歌管楼台<かかんろうだい> 声細細<こえ せいせい>
鞦韆院落<しゅうせんいんらく> 夜沈沈<よる しんしん>


春の宵は ひとときにも千金の値打ちがあるね
花は香しいし 月はおぼろげで
高殿からは 密やかな楽の音が流れてくる
庭のブランコもひっそりとして 夜は静かに更けていく


そんなしっとりとした、春の艶かしい風情も冬だから関係なかったのか、証人は生かしておいてという五爺の忠告も間に合わず、速攻、刺客を斬り殺してしまう四爺(こ、怖…)

そして、雪舞をお姫さま抱っこすると、外に出て行きます。
(ほら、一馬力で十分でしょう…?)
それにしても本当に軽々運びますねこの人も。

独り、屋敷に残された鄭児は、このチャンスに香包を雪舞の寝室にセットしに行きますが、それにしても、前の日の夜にこの呪詛の品を式神 鄭児に渡した祖珽は、なぜ彼らが傷病者村に行くってことを知ってたんでしょうか。

子どもに渡すように眠り薬を仕込んだり、刺客を配置したりするなんて、さらに前からだったと思うんだけど。

まさか、鄭児の髪飾りに、超小型マイクとカメラが仕掛けてあったとか…?

しかしまた、こんな大ごとがあったにも関わらず、雪舞の部屋にノーマークで近づける韓暁冬。
このお屋敷、将軍の自宅だっつーのにセキュリティ大丈夫なんですかね…?
ホワイトハウス並みにザルなのか?

しかもいくら怪我が痛いからって、暁冬の気配に気づかない武将って、いいのか…?
(ちなみに、斬られたのとはまた別のとこが痛むみたいだけど、雪舞はおばあ様譲りの鉄拳の持ち主なんでしょうか(笑))

五爺<ウーイエ/Wu Ye>=安徳王<あんとくおう/Ande Wang>=高延宗<こう えんそう/Gao Yanzong>は四爺に、刺客から“官銀”が見つかった、と報告します。

官銀とは“銀鋌”(銀製の貨幣)の一種です。

ちょうどこのドラマの時代、魏晋南北朝のころから使われるようになりました。

「官銀」というからには、民間で出している「私銀」というのもあり、一般に、発行者や産地、鋳造年、鋳造地や鋳造者名などの銘文が入っていて、当初は量って使うものでした。そのうち、価値が一定しなくなり(混ぜ物とかでもしたのでせうか…)、額面いくらいくら、と決められるようになったようです。

形も、ドラマに出てくるような長方形のものや、舟形のものなどいろいろありました。地図で銀行を表す記号https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E8%A8%98%E5%8F%B7%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#/media/File:Bank%28tizukigou%29.png(分銅の形から来ているそうです)にそっくりな形のものもあります。

元代のころからは馬蹄型が一般的になり、「元の宝」=元宝、とよばれるようになります。

中国の北方では、お正月(春節)に、年越しソバならぬ年越し餃子を食べます。

餃子自体は漢代からありましたが、名前は一定せず、南北朝のころは「混沌」(わんたん?)と呼ばれてたそうです。お椀の中にごにょごにょふにゃふにゃ固まってる食べ物、という程度の意味でしょうか(マズそうなんですけど)。

そんな景気悪そうな食べ物のくせに、おめでたい席で食べられるようになった由来についてはいろいろな説がありますが、そのひとつが、形が“大元宝”に似ているから、儲かりますように、ってことで。っつうのがございます。

餃子の中に栗とか棗とかを仕込んで、当たった人は子宝に恵まれる、とか、地方によってもいろいろな習俗があるようです。切り分けたときにソラマメが入ってた人がラッキーという、フランスの「王のケーキ」、ガレット・デ・ロワみたいなものでしょうか。

しかし、王のケーキを食べてお祭り気分にはとてもなれそうもないこちらの王様は、官銀だとて“鉄証”(動かぬ証拠)ではない、と憂い顔です。

そうね、“鉄証”はご自分で始末しちゃったもんね。

今や雪舞の身の安全を考えると冷静では居られない、とおっしゃってますが、何をいまさら(笑)。最初の最初っから、雪舞が絡むと何事も冷静じゃ居られないくせに…。

一方、荷物をまとめた雪舞は、ベッドの上の玉佩を見やります。

最後まで持っていくかどうか、迷ったのでしょうか。

それとも、最後にひと目見てから置いて行きたかったのか、暁冬に伴われて部屋を出るときも、振り返って眺めてから出て行きます。

入るときもノーマークなら、出るときも誰にも咎められずに済むらしい蘭陵王府…と思ったら、さすがに大門を開けると、そこには人影が。

主なのに外に締め出されてたんでしょうか(笑)、不審な馬車が来たので呼ばれたのでしょうか、取りあえず、なぜかお屋敷の外にしばらく立ってたらしい四爺が入ってきます。

そして、またこういうシーンになると、バックに主題歌を流すこのB級演出、本当にどうにかしてほしいもんです。

我慢してセリフを聞くと、四爺は雪舞に向かって、また自分を何もない状態にしてしまうつもりなんですね、と恨みごとを言ってます。

“我記得那天我說 我從來不曾真正擁有什麼
是你鼓勵我 給我力量 你告訴我 你會永遠陪伴我
可現在 你又讓我回到 一無所有的狀態了”

(私は覚えている あの日、私は言った これまで何一つ私が手にしたものはないと 私を力づけ、励ましたのは君だ 君は言った 永遠に私の側にいると
しかしいま 君はまた私を 何一つ持たぬ者に戻してしまうのだ)


この未練がましい態度、かなり矛盾してますよね。

だって、ついさっきは、五爺に、雪舞の安全を考えたら、村に帰らせた方が良い、と言ってた訳でしょう。こんなことを言い出して、雪舞がやっぱり蘭陵王の元に残ると言い出したらどうする気なんでしょう。

雪舞は泣きながら、
“可是我一定得會去 我不屬於這裡”
(だけど私は行かなければ 私はここにいるべき人間じゃないの)

と言います。

相変わらずよく分からない雪舞のロジックですが、涙目を何とか隠そうとしている四爺は、明日の正妃選びには、皇后が推薦する鄭児を選ぶしかないだろう、雪舞の言う通り、自分は他の人と一緒になる運命だと静かに言います。

私たちの婚約は単なるお芝居だと思ってもらってよい、たった今から、二人の間にはもうどんな関わりもないと。

そうです、四爺自身は微塵も思っていないことをわざわざ…。

本当は、さっきもこういう態度でなければいけなかったんですが、どうしてもそれが出来なかったんでしょうね。

そして雪舞は去り際に、

“保重,四爺”
(お元気で、四爺<スーイエ>)

と言います。

この一言に、彼は耐えきれない。だって、彼は雪舞が自分の事を“四爺”と呼ぶ、あの呼び方がとても好きだったんですよね。

ついに四爺はわざわざ彼女を引き留めて聞きます。

“你心里是有我的 對嗎”
(君の心には私がいる そうでしょう?)

雪舞は振り向くことをせずに、黙ってうなずきます。
次のせりふは、

“如果是那樣的話,我 高長恭 此生足矣”
(だとすれば この高長恭、生まれた甲斐があったというものだ)

この部分は、つまり第2話→こちら)のリフレインなのでしょう。あのときも本当は、雪舞のために何も言わずに出ていくはずだったのが、四爺にはどうしてもそれが出来ずに、雪舞が伴侶を選ぶ、成人の場に残ってしまった。

今回は逆転して、四爺が伴侶を選ぶ場面になるのですが、どうしても、どうしても、雪舞のことは忘れて予定通りに正妃を選ぶつもりでいる、という芝居をやり通すことができずに、つい、未練がましい行動に出てしまう。

あるいは、事ここに到っては、今生の別れなのだから、本心を言ったほうがいいと思ったのかもしれない。

それでも、ついに一度も振り向かない雪舞は、四爺がそっとまた荷物に玉佩を忍ばせたのにも気づかないまま、何かひとこと言って、去っていきます。

だけど、主題歌の音量が大きすぎて、中国語版の方は、よく聞こえません…。

涙目で彼女を見送る四爺。
老王に、ちゃんとスピーカー直しとけって言い含めておけばよかった…と後悔の念でいっぱいなのでしょう。か?

一夜明けて武成帝の元へ、祖珽が駆け込んできます。
蘭陵王府に謀叛の兆しがあり、捕まえた道士が

“鎮魘”(呪いの人型)

を持っていたというのです。

呪いの人型の割にマヌケな印象ですが、他にも呪術の証拠が蘭陵王府に残されていると、祖珽は兵を引率して蘭陵王府に押し入ります。

迎える四爺はリンゴのお供え物を前に、呪いの人型同様、なんだか寝起きのようなマヌケな表情をしていますが…。

雪舞の部屋から首尾よく証拠の品を見つけた祖珽に、これは一体何だと聞かれた四爺は、そりゃあなたの方がよく知ってるでしょう、と冷静に答えます。広い屋敷の中で真っ直ぐここに入ってきて、すぐ証拠の品を見つけるなんて、って、そりゃそうだ。

しかし、おっつけ登場した皇帝陛下は頭に血が上ってるのか、

“混帳高長恭”
(高長恭、このたわけ者が)

って、そんなお言葉、庶民じゃあるまいし。

日本語はあくまでも上品に、
「何と愚かなことを」って、おっしゃってますが...。

祖珽は呪いの品について説明しています。鮮卑の古文字が書かれた呪符だと…。

最初にも書きましたとおり、そんなの書けたら世界遺産ものの特技なんですけど。

だから、鮮卑の古文字なんて知らない、という蘭陵王に、周りもそりゃーそうだろって顔をしていますが、楊雪舞の名前が出ると事態は一変。

だって自称・天女だなんて、どう考えても怪しいですもんね。

四爺も五爺も、楊雪舞の身に危険が及ぶところまでは思い至ったものの、それすら四爺を陥れるための罠の一部だとは全く気が付いていなかったのでしょう。さすがは祖珽!(って誰の味方よ…)

しかし、史実によれば、鮮卑の古文字に誰よりも詳しいのは祖珽大卜その人。
バレバレじゃないのか、そんなもん書いて。

と、シャーロック・ホームズならひと目で看破するところでしたが、残念ながらここは北斉。名探偵登場や世界遺産登録には1000年以上早いです。

ギャラリーの中に鄭児もいるのですが、その場で一言、自分が騙されたと言えば、後の展開は全然違ったでしょうに、なかなか咄嗟に言い出すって出来ないんでしょうね。四爺にどう思われるかも分からないし…。

四爺が謀叛の罪で処刑されてしまっては、どう思うも思わないもないんですけど、彼女はともかく祖珽に、自分はどうなろうと皇帝陛下に四爺の無実を訴えるつもりが、まんまと祖珽の罠にはまって囚われてしまいます。

さて、四爺の運命やいかに…?

ってことで、続きはまた次回、第14話(→こちらにて!
posted by 銀の匙 at 00:32| Comment(7) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

蘭陵王(テレビドラマ24/走馬看花編 第12話)の2

〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。

ハ〜イ、みなさま、ハッピー・ハロウィーン!

…って、アメリカじゃ言うらしいけど、いくら韻を踏んでたって、ハッピーとハロウィーンとはどうも食べ合わせ悪そうなんだけど、と秘かに思う今日この頃。

っていうか、もうハロウィーンは過ぎちゃったし(←完璧に乗り遅れている)。

この時期、東京の繁華街はさながらリアル「百鬼夜行図」(昼もだった)と化しているため、絶対通りたくないので用事の滞ること。しかし、ゾンビの餌食になるくらいなら、納期遅れで叱責された方が百倍マシ

このお祭り、元は冬の訪れと共に,死者の霊を迎えるためのものだったってことで、日本で近い行事っていったらむしろ「お盆」。

だからでしょうか、日本で怪談といえば夏ですが、英米の怪談はこれからがオンシーズン。

諸事情考えあわせると、なんで日本でハロウィーンが大人のコスプレ祭りになっているのかイマイチ理解できません。

どうせ跡形もなくアレンジするんだったら、カボチャ投げとかにしたらどう? 洛陽城の城壁から落としてみたら、今度はリアル「阿鼻叫喚の図」になりそうだけど…。

って、仮面をつけてコスプレしてるドラマを見ながらそんなこと愚痴ってみたって説得力なさすぎなので、とっとと始めますか。

正調ハロウィーンは、仮面をつけて悪霊追い払ったりもしてたみたいではありますが。

前話(第12話の1→こちら)までのあらすじ。

(蘭陵王関連の記事を最初からご覧になりたい方は、「蘭陵王」のカテゴリー(→こちら)を戻ってご覧ください)

恐喝、泣き落とし、おねだりと、持てる限りの先祖伝来のナンパ術を駆使して、楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉をお屋敷に連れ込んだ蘭陵王〈らんりょうおう/Langling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺(スーイエ/Si Ye〉
…って、何か違ってましたっけ?

ま、いいや、要約すると当たらずと言えども遠からずのこの状況下から離脱を図る楊雪舞は、韓暁冬〈かん きょうとう/Han Xiaodong〉に、故郷に帰るための馬車を調達するよう頼みます。

一方、可愛い孫娘を取り戻さんと、ボロずきんちゃん…じゃなくて、雪舞のおばあさまが、奔走する韓暁冬の前に姿を現します…。


にしても暁冬よ、

「ばあさん」

って、コラ、無礼者!そこに直らっしゃい!
年長者を何と心得る。

中国語はまあ、“老人家”(ご老体)だから許しといてやろう。

このなご老体が、まぁ、一服、って差し出した物体、最初はマリファナか葉巻かと思いました(笑)が、これはお手紙。当時の手紙は革に書いてたんでしょうか? 第7話(→こちら)の“雞毛信”(緊急の軍事郵便)も革製でしたけど。

驚く暁冬に、「雪舞に」と言って渡す手が、蘭陵王に引き続き、また手タレのようにキレイ(甲骨をも打ち砕く鉄拳なのに…)。

それにしてもおばあ様は、鳥かごを持って歩いてるのですが、“八旗子弟”じゃあるまいし、いったいなぜでしょう。

ちなみに“八旗子弟”というのは特権階級にあぐらをかいて遊び暮らしてる、高官の子弟たちのこと。

清(しん:1644ー1912)の時代は満州人の天下でしたが、支配階層である彼らは8つの軍事グループに編成されており、それを“八旗”といいました。ここに属する人たちは黙っていても実入りがあったため、だんだんに怠けて遊び暮らすようになります。

そのうち、道楽息子全般を指して“八旗子弟”というようになりました。

彼らはヒマだしお金があるので(いいなぁ〜)、いろいろとオタッキーな趣味に走るのですが、その一つが鳥を飼って籠に入れ、散歩させて歩くこと。

“八旗子弟”といえばコレ、ということなのか、《虎山行》でウィリアム・フォンが演じた「武道家のドラ息子」容寛〈よう かん/Rong Kuan〉も、登場シーンで鳥籠もってぶらついてたし、《宮》では康熙帝の第8皇子、つまり文字通りの“八旗子弟”の役なので、ちゃんと鳥かごと一緒にフレームに収まってるシーンがあります。

一方で、鳥とのお散歩は高齢者の間ではポピュラーな趣味で、90年代くらいまでは、朝、香港や広州の街中を歩いていると、鳥籠を手にしたお爺さんが公園を散歩していたり、飲茶屋さんに集まって、“早茶”(モーニングティー)などを嗜んでいたりする光景を見る事ができたものです。今もやってるのかな?

と話が逸れましたが、連れているのはナビがわりの五色鳥なんでしょうね。まさかコレがいないとおばあ様さえ村に帰れなかったりして…。

ですけど、第1話で、楊堅〈よう けん/Yang Jian〉は10年に一度、おばあ様を訪ねて占ってもらう特典を得ているという話でした。彼も鳥がいないと村の位置が分からないんですよね?ってことは、次の10年のために鳥を持って出ないと、二度と来られなくなるんじゃないでしょうか(10年の間に鳥がインフルエンザにでもなったら、それで終了?)。

その辺、どういう仕組みか分かりませんが、ひょっとしたら丹州城の門番のお兄さんみたいに、五色鳥にも兄弟がたくさんいるのかも知れません。

*

一方、こちらは蘭陵王のお屋敷。とっとと出ていくつもりの雪舞は、何かを繕っているのですが、あの〜、繕ったら却ってみっともないことになるのでは…、と部外者ながら心配です。

そこへ、邸内をノーマークで移動して、老女が現れます。

雪舞の安否が心配だからって四爺にさんざん頼まれてたのに、五爺=安徳王〈あんとくおう〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉は言われたことをちゃんと守ってるんでしょうか、ホント…(と思わせる演出がニクイ)。

老女は“福姥”(フーラオ/Fulao/福ばあや)と名乗り、雪舞の身の周りのお世話をすると言い出します。力いっぱい辞退する雪舞ですが、何とかここに置かせてと懇願する福姥を追い出すわけにも行かず、困り顔です。

一方の福姥は、さりげなくご主人自慢を始めます。

“四爺休兵回府 向來不是讀書就是習武 從沒聽他說過中意哪家姑娘”
(四若様は戦地からお戻りになると、お勉強でなければ武術の稽古、どこかのお嬢様を見初めたようなお話はついぞ聞いたことがございませんでした)

“雪舞姑娘能得到四爺的青睞 妳必定有著閉月羞花之貌”
(若様のお目がねにかなうとは、雪舞さまはさぞや花も恥じらうご器量であろうと…)

“得到青睞”(お目がねにかなう)“青”は、“睞”は眼のこと。

♪青い目をしたお人形は〜♪ ウィリアム・フォンが大事にしてたらしい、のですが(この話はまた後ほど)、ここの“青睞”はドラマの時代背景である魏晋南北朝と関係のある言葉です。

戦乱の時代だった当時、浮世に嫌気がさした貴族たちは、浮世離れした議論を交わす“清談”というのに走っていました。その代表格が「竹林の七賢」で知られる奇人たちで、寒食散(第8話→こちら)を常用していた美男子ジャンキー(この時代、美男子多すぎでお腹いっぱいなのですが、やはり見た目が物を言った時代だったようですね)嵆康〈けい こう〉や、奇行で知られる阮籍〈げん せき〉もその一人でした。

阮籍は、自分の気に入るお客がくると“青睞”で、気に入らないお客が来ると“白眼”で出迎えた、ということから、“青睞”は歓迎する、“白眼”は嫌う、敵視する、という意味になったんだそうです。

「白い眼で見る」「白眼視する」というのは、ここから来た表現なんですね。
でも、よく考えたら、嫌いな人のところへ行って白目剥かれるなんて…ホラーかっ!

…という状態も、あったかもですが、これは要するに、マンガなんかでよくある、ふんっ!って斜めや横を向いたりしたときに、相手には白目の部分が多く見える状態を言うんでしょうね。

で、ふーん、阮籍って尉遅真金みたいに目が青かったんだ〜ということなのかと思ったらそうじゃなくて、ここの“青”は黒、“睞”は目線のこと。なので、「黒い目で見る」、ということです。

昔、何かのテレビ番組で、気に入ったものを見るとき、人間は自然に瞳孔が開く、という実験をやってました。瞳が黒い人だとあんまり違いが分かりませんが、青とか茶色とか目の色が薄い人だと明らかに濃い色の部分の面積が広くなるんですよね。

中国の人は瞳が真っ黒っていうより茶色の人が多いから、観察眼の鋭い人が、人間、好きなものを見ると目が黒っぽくなるな、と気づいたのかも。

まあ、ここではたぶん、相手を真っ直ぐに見る(「白眼視」に比べると黒目が多く見える)、ということなのでしょうが…。

ちなみに中国語では“青”が黒の意味になる言葉は他にもあり、例えば、“青衣”とは黒い服のことを指します。

」が「」なんて変なの〜とは思いますが、日本語だって「」が「」の意味のことがあるので(「青葉」とか、「青信号」とかね)、人のことは言えません。

四爺の瞳孔が開いてたかどうかはともかく、器量のことを言われると、途端に困っちゃう雪舞は、

“只能說 你家四爺的審美觀跟其他男人不太一樣”
(それはつまり、お宅の四若様の審美眼は他の男性とだいぶ違うということでしょうね)

と、謙遜ともとれるセリフを言いますが、福姥は、下を向くような動作をして、

“呸呸呸”〈pei pei pei〉

と言います。

ここ、面白いので中国語音声の方でご覧になってみてください。日本語には訳しづらい箇所ですが、このジェスチュアは文字通り「唾棄する」ということで、ナンセンス!!というときの芝居がかった表現です。日常では、日本語だったら「ちぇっ!」と言うような場面でに、“呸”と言ったりします。

“您的美是那種獨樹一幟的 與眾不同的美”
(あなたさまの美しさは独特のもの よそにはございませんよ)

“我們四爺是誰呀 奴婢相信四爺的眼光”
(私どもの若様をどなたと心得ておいでです。私は若様が人を見る目を信じております)

てことで、あはは、結局は四爺自慢ってことですよね、福姥。

ここで、福姥はセクハラまがいのマッサージに走ろうとしますが、雪舞が逃げるので、自分の手に力が入らないせいで嫌がられてしまうのだと言い出し、

“難道我真的老了 該告老還鄉啦”
(わたくしめも寄る年波で これではお暇をいただいて故郷に帰った方が)

と言います。

おや、このセリフは聞き覚えがありますね。

そうそう、周のラスボス(←@銀さん もうコレに決定)、大冢宰〈だいちょうさい〉・宇文護〈うぶん ご/Yuwen Hu〉のセリフにありましたよね。

こんなおバカな皇帝がいるなんて、あたしの監督不行き届きなんで、引退して国に帰らせていただきます。

てなこと、おっしゃってました。

宇文護はてっきり雪舞のおばあ様と対決するのかと思っていたけど、実は北周・北斉のラスボス対決は、宇文護と福姥だったのか…と予感される伏線が張られておりますね(ないない)。

雪舞がフォローすると調子に乗った福姥は、雪舞は子宝に恵まれそうな腰をしてると言い出し、

“個個都像我們四爺一樣 英俊彪悍”
(いずれも私どもの若様とおんなじ きりりと美しい皇子達でございましょう)

と言います。

これで分かる通り、雪舞に期待されてるのは蘭陵王のお世継ぎ、つまりは男の子を生むことなんですね…。

ところが、この時点ではお世継ぎどころかヨメにも来ないつもりの雪舞の他人事的な反応に、福姥は、いきなり必殺技を噛ましてきます。

“有五位千金將參加選妃...都入住到咱們府裡了”
(五人のお嬢様方がお妃選びに参加なさるそうですよ。皆さま、お屋敷の中にお泊りになられるとか)

こう言われて、途端に気になりだす雪舞。おっほっほ、第2話(→こちら)で、雪舞に求婚する男子をひと目みようと、つい成人式の会場周辺に居残ってしまった誰かさんのようですね。まったく似た者同士でお似合いですこと(←棒読み)。

しかし、視聴者として気になるのはセリフの中の“千金”って言葉。「一攫千金」(いっかくせんきん)の「千金」と同じですが、ここでは「お嬢様」の意味です。

この“千金”、大枚のお宝、という意味に違いはないんですが、サイト《互動》先生によりますと、初出は《史記》の項羽〈こう う/Xiang Yu〉本紀。

それによれば、

項王乃曰:「吾聞漢購我頭千金,邑萬戶,吾為若コ。」
(項王〈項羽〉は言った。「聞くところでは、漢は俺の首に黄金千金と万戸の領地の褒賞をかけたそうだな。お前にそれを恵んでやろう」)

ここの“千金”は文字通り、黄金千金分(本当の金ではなかったようですが)という意味です。

ちなみにこれは、項羽が漢に追い詰められ、ついに自害する直前に発した、今生最後の言葉。言われている人は、彼を裏切って漢についた人なのです。あぁ…。

時代が下ると、この言葉は黄金千金にも値する「男子」の意味に使われるようになりますが、元代くらいになると、未婚の女性の意味で使われた例が出てきます。

一方、千金=女子と結びつく、別系統の話もあります。

紀元前522年の春秋時代、楚〈そ〉国の伍子胥〈ご ししょ〉は父と兄を殺され、呉国に逃亡します。その途中、食べ物を恵んでくれた女子に、自分の行先を秘密にして欲しいと頼んだところ、彼女は石を抱いて河に身を投げてしまいます。驚いた伍子胥は、10年の後、必ず戻って恩返しをすると誓いました。

その後、恩に報いるために戻ってきた伍子胥は、女子が身投げをした場所に千金を投げ込んだという、それが“千金小姐”の由来だとか。

うーん、この話はちょっと出来すぎかも。

さて、場面は変わりまして、こちらは敵将・尉遅迥〈うっち けい〉将軍に“黄金千金”の褒賞を懸けられた斉の軍神・蘭陵王殿下の「お妃選び」メイン会場から中継でお届けしております。

主役の四爺は、これまた“千金”の名に恥じない、熱帯魚ばりにきらびやかなお嬢様がたを前に、いかにも慣れてない感じで挨拶の口上を述べています。

“令我王府蓬蓽生輝”
(わが陋屋に華を添えてくださり…)

“蓬蓽”とは、荒れ放題で雑草が生えてるようなあばら家、という意味…ですが、良いとこのお嬢様が、お付きの侍女たちも連れて住み込むくらいの大きな家をあばら家って言われちゃったら、将来そのあばら家に住まなきゃいけなくなるお嬢様方はどうフォローすれば…と余計な心配をしてしまうのは視聴者だけで、お嬢様方は、選ばれる気まんまんです。

そこへ、いきなり転がり込んでくる行儀の悪い召使い、もとい、天女・楊雪舞。
お嬢様方は眉をひそめて、
“哪裡來的丫鬟”
(どこから出てきた下女かしら)
と呆れておいでです。

“丫鬟”(メイド)の最初の漢字はアルファベットのYに似てますが、これで「ヤー」と読みます。この回に出てくる下女たちの髪型、まさにY字ですよね。
要は、髪の毛を真ん中で分けてそれぞれをアップにする髪型のことで、その髪型をしてる人というのが元々の意味です。

日本でも「縦ロール」はお嬢さま、「アフロ」は具志堅、と決まっていますよね(そうかな?)。

私たちが中国娘というと思いだす、頭の両サイドにお団子を作ってる髪型、あれも“丫鬟”の一種です。

髪型が職業(?)を表すといえば、「たまねぎ部隊」って人たちもいましたよね。マリネラ国王パタリロに、忠実に使える親衛隊。タマネギ頭とサングラス、ひし形の口で統一されたその素顔は絶世の美青年、らしいのですが…。

ある時は口元涼しきパタリロ殿下、またある時は敵国の親衛隊に紛れ込んでタマネギ部隊な我が主人公・その正体はドレッド四爺(かよ)ではありますが、何だかんだ言ってやっぱりお妃選びが気になってるらしい雪舞を見て、余裕の態度です。

“要聽就進來聽,就算在外面偷聽也要安分守己一點”
(聞きたいのなら入って聞くがよい 盗み聞きなら静かに頼む)

んなこと言いつつも見るからに“得意”(嬉しそう)な四爺の元へ、報せが飛び込みます。

“英國公遺女 鄭千金到”
(英国公形見の鄭お嬢様ご到着)

それを聞いて、思わず雪舞を見る四爺。

“四爺 許久不見”
(第四皇子殿下 お久しぶりでございます)

思い出せない四爺ですが、そこへかんざしを差し出す鄭児。
この様子だと、昔かんざしを贈ったことがあるのかと、思いますよね、ふつう。

“許久不見 你出落大方”
(これはしばらく。立派な娘御になられて)

という、四爺の返事は、まあ、親戚のお嬢さんなんかに久しぶりに会ったときの挨拶としては良くあるパターンですね。

“出落”というのは、娘さんが年頃になって綺麗になる、ということ。
“大方”というのは、優雅で上品だという、年頃の娘さんへの褒め言葉です。

しかし、これは決まり文句なので、文字通りには受け取らないのが普通。

普通はね。

ここの日本語吹き替えは実に上手いですね。
「ああ、あのときの。久方ぶりにて見違えた。」

“曾受四爺恩惠”
(かつて第四皇子殿下からは格別のお計らいをいただきました)

と何だかものすごく訳ありっぽい雰囲気を醸し出す鄭児。こういう発言を何気なくスル―してしまう四爺は、鈍いとしか言いようがありません。

「鈍いひと」
と、第12話で日本語吹き替えの雪舞が指摘した通りです。

ところで、噂に聞く天女さまはどこですか、と鄭児に聞かれて、きょろきょろあたりを見回す千金の皆さん。全員、雪舞が視界に入っていながら、他を探すのが、何とも言えずカワイそう。

そこで、パワハラ&セクハラの権化と化した四爺、いきなり雪舞を抱き寄せて、

“視如珍宝”(何よりも大切な宝)と言って紹介します。

「速報!! あの、第3話(→こちらで魅せた(あ、字が違う?)“衣冠禽獣”は演技ではなかった!!」と、斉の「東ス○」にスっパ抜かれそうなこの態度、当然女性の評判はさんざんで、千金の皆さんは言いたい放題。四爺は頭おかしいんじゃないの、くらいな勢いです。

ところが鄭児は雪舞に近づき、殿下は非凡な御方、きっと雪舞さまには特別なところがおありなのでしょう、と言います。

鄭兒の賢いこと、ここで咄嗟に四爺の反感を買わないような物言いが出来るとは、やはり宮廷で苦労して育ったからでしょうか。でも、このセリフも結局、雪舞を認めているというよりは、四爺を持ち上げてるってことですよね。

一方、こんなこと書くまでもないかと思いますが、四爺があのようなセクハラ行為に出たのは、「鄭妃」が現れてみたところで、自分が宝と思っているのは楊雪舞なんです、と公衆の面前で紹介したでしょ、と雪舞に納得してもらうためだと思います。

どうみても、ただのセクハラ部長が取引先に女子社員を紹介するときに、いやぁうちの○○クンは良い子でしてね〜ってどさくさに紛れて触ってるようにしか見えなくて迷惑なんですけど。

と、そこに五爺が“懿旨”(皇太后さまの命令)を読み上げにきたとの報が届きます。

“懿旨”は皇太后、皇后などの命令を指し、皇帝の命令ならば“聖旨”と言います。

“懿旨”“聖旨”ではどっちが上か! というのは微妙な問題なんですが、孝行が基本の古代社会では、とりあえずは“懿旨”の方を上と見做したのではないかと思われます。皇帝の命令とぶつかっていれば、臣下が必死で調整したのでしょう。

と、そのような最重要指令が届いた瞬間、ウィリアムは息を呑むという細かい演技をしてるんですが、なぜなんでしょう…?(笑)

皇太后さまは、今回、自らお妃選びのお題を出すおつもりだそう。後ほど、その真の理由は明らかになりますが、この回では孫バカ+ババ孝行を強要する、ワガママ成分多めな印象です。

この「お妃選び」というアイディアはなかなか秀逸なので、ドラマではもうちょい膨らませても面白かったかと思いますが、でもちょっと待ってくださいよ。なんか…違和感ありませんか?

この手の、求婚相手に試練を課して、勝ち残った者が愛を手にする、というパターンは世界中に類話があります。誰でもすぐ思い出すのは「かぐや姫」でしょうが、「長くつをはいた猫」とかもそうですよね。

これらの話に共通しているのは、「試練をくぐりぬけ」たあと、勝ち取るものは「お姫さま」だってことです。でもこのドラマの場合、試練に遭うのはお妃候補たちで、獲得する賞品(?)は四爺。さすが、女人に見まごう美形の軍神なので、「お姫さま」待遇なんですかね? 「トロフィーワイフ」ならぬ、「トロフィーハズバンド」ってヤツかしら?

と、攻守入れ替わってはおりますが、この手の類型のお話を「難題婿譚」(なんだいむこたん)といいます。

思うにこの作品は、意識的なのかどうかは分かりませんが(たぶん、計算してやってるんでしょうけど)、「貴種流離譚」の変形バージョンなど、物語の類型の枠を巧みに使っています。

ぱっと見、何だかいろんな少女マンガを継ぎはぎしたような作品だなぁという印象なんですが、実は、そのさらに内側に、こういう民話のパターンが隠されているんですね。だから、観る人の潜在意識に働きかける力も強いのでしょう。そもそも、少女マンガ自体、パターンを利用していたりするのですが…。

このドラマのプロット全体もそうしたパターンの1つを見事に利用していると私は見ていますが、そのパターンを分析するには最終回の内容が鍵となるので、最後に改めて振り返り、考察してみたいと思います。

なお、史実として、“選妃”というのはありますが、正妃はほとんど政略結婚なので、それ以下の“貴妃”“美人”を選ぶときに“選妃”を行ったようです。つまり、宦官たちが宮女を容姿や妃にふさわしい立ち居振る舞いかどうかで篩にかけてゆき、残った人が選ばれるというシステムだったようです。

さて、1,000両に相当する懸賞金・四爺争奪戦の第1問は、蘭陵王はお祖母さま孝行な孫なので、その妃にもぜひ同じようにしてほしい、との願いから、皇太后の御膳を用意するようにとのこと。

どうせ、お嬢様方なんて、ご自分でお野菜を洗ったこともないんでしょう、私はお妃選びに参加しなくていいからよかったわ、と喜ぶ雪舞に五爺は、ダメダメ、皇太后さまは、雪舞にも参加するようにと特にお申しつけになった、といい、これからお言葉を読み上げる、と言います。

で、五爺がここで四爺に、ウィンクしてますね。この意味は、のちのち明らかになるでしょう。

この勧進帳の場、必死に笑いを堪えながら聞いている四爺の後ろで、真面目くさって聞いている千金の皆さんが笑えます。

雪舞について、わざわざ設定された、

“未能通過考核 我都不會接納 孫媳婦 請她另選出路”
(もしも全うできなければ、孫の側室扱いなど許しません。出て行ってもらいます)

という「失格条項」が読み上げられると、なんとまあ、鄭児は今から嬉しそう…。

雪舞は相変わらず、私はお料理もヘタだもの、今すぐ出てってもいいわ、と、横で四爺が尉遅迥もビビらすほどの物凄い顔をして睨んでいるのに、涼しい顔をしています。

五爺はそこで、そんな箒で掃きだされるみたいに簡単には行きませんよ、出ていくときは百叩きの刑ですからね、と、これもスゴイ顔をして言います(ぜひ、DVDを止めて見てみてください(笑))。

この“杖打一百大板”という刑罰、お尻ペンペンなんていうのとは訳が違います。

何せ、この場に生き証人がいますから。ね、五爺。

それでは動かぬ証拠、正史《北斉書》巻11を見てみましょう…しかし…これはまたお下劣な…お食事中の方、下ネタ勘弁な方はどうかスルーお願いいたします。

“為定州刺史,於樓上大便,使人在下張口承之。以蒸猪糝和人糞以飼左右,有難色者鞭之。孝昭帝聞之,使趙道コ就州杖之一百。道コ以延宗受杖不謹,又加三十。”

(安徳王・高延宗は)定州刺史(長官)だったとき、階上で大をして、階下にいる者に口で受け止めさせた。蒸し豚に人○を混ぜて左右の者に供し、嫌がった者を鞭で打った。報告を受けた孝昭帝(斉の第3代皇帝)は趙道コを遣わして延宗を百叩きにした。しかし、反省の態度が見られなかったとして、道徳はさらに追加で三十回叩かせた。

こらこらっ!! 何やってるんだか高一族はもう…。
史書の続きを見ると、五爺は相当体力があった人らしく、なので100回叩かれても悪びれる様子もなかったんでしょうが、この刑罰で亡くなる人もいるくらい、本来は酷刑。

こんな、百叩きが常態化してるような家にヨメに行くなんてとんでもないわ!と憤慨してるかと思いきや、

「仲良き事は美しき哉」(かぼちゃ)

と、揮毫していると思しき雪舞。頑張っているっぽいのですが、タマネギだのカブだのの絵を描いて料理ができるようになるんでしょうか…?と視聴者が心配するまでもなく、もうこの時点でほぼギブアップの様相です。そりゃ〜、あのエオウィンスープ(第7話こちら)を皇太后さまに差し出した時点で、ゲームオーバー&百叩きは確実です。

でも、絵はなかなか上手いですよね?(←褒めるとこはそこか?)

家の中では明るさが足りないのか、なぜか屋外で作業していますが、机の上を見るとこんな感じです。

s-硯.jpg

火薬同様に中国で発明され、当時ようやく一般にも普及しだした“紙”を惜しげもなく使い、硯で墨を擦って筆で描いています。

この、硯・墨・紙・筆の四つを総称して「文房四宝」(ぶんぼうしほう)といい、文人たちは昔から、ブランド硯やブランド墨にこだわりました。いつの時代にも形から入る人はいるもんです。

“文房”という言葉は、どうやらこのドラマの時代である南北朝あたりから使われ出したらしく、そもそもは文人の“房”(部屋)つまり、書斎を指しました。そこに必携の道具として備えられたのが、硯、墨、紙、筆というわけです。

上の写真の硯は、豪華ではありますが、今でも作られていそうな石製の硯のようですね。中国では古くから、いろいろな材質の硯が使われていたようなのですが、隋、唐あたりまで主流だったのは石製ではなく、陶器で出来たもの。

形は四角もありましたが、当時好まれたのは円型だったようで、出土品は、これは何かって聞かれたら、京○ラ製の大根おろしですか…?としか答えようのない代物。

s-suzuri.jpg

ご丁寧に色つきのものまであります。

s-陶硯.jpg

同じタイプの硯は日本でも作られていて、奈良時代のものが東京国立博物館に展示されています。

IMG_7437.jpg

そんな白い服着てお習字なんてしてると汚すわよ…と視聴者をスリルとサスペンスの世界に誘っている雪舞とは違って、賢いお嬢様方は、「将を射んとすれば、まず馬を射よ」とばかりに、安徳王攻略に乗り出しています。

この故事の出典は杜甫の詩《前出塞》にあり、元々は「人を射らばまず馬を射るべし」でした。相手を倒そうと思ったら、まず相手の大きな力を削ぐべしというほどの意味だったのでしょうが、今はもっぱらラブ方面で、結婚したい娘がいたら、まずお父さんに気に入られるべし、というような場合に言ったりしますね。

それを忠実に実行して、見事ヤン・ミーのお母様に気に入られるという、なかなか策士なところを見せた、ウィリアム・フォンこと中の人でしたが…。

では、ちょこっとだけ、その顛末をご覧いただきましょう。
2012年1月のインタビュー番組、《非常静距離》http://video.sina.com.cn/m/fcjjl_61643533.htmlから。
検索エンジンによってはヒットしないことがあるみたいです。Googleだと見られました

ゲストは楊冪〈ヤン・ミー/Yang Mi〉と馮紹峰〈ウィリアム・フォン/フォン・シャオフォン〉ですが、別々に出演しています。2011年にテレビドラマ≪宮≫で共演した二人は、この番組でもほとんどカップルのように扱われています。

これからご紹介する箇所は、番組中、ウィリアムが出演した部分です。司会の李静お姐さんが、ヤン・ミーに電話を掛けています。

=李静
=ヤン・ミー
=ウィリアム・フォン

10:00ごろから

:ヤン・ミー、ニーハオ。
:あ、李お姐さん。

思い出していただけますでしょうか。こうして相手の名前を呼ぶのは親しい同士の挨拶の代わりですね。親しみと敬意を示すために“姐”を付けています。

:いまね、紹峰が私の向かいに座ってるの。何かメッセージはありますか?
分かってもらえると思いますけど、今日の話題はずっとお二人に関してなんだけど。早いとこ答えを聞かせてくれないかしら。

(電話中、お芝居か天然か分かりませんが、ずっと物凄いボリュームで咳払いしているウィリアム)

:みんながその時になったら…ちょっと、紹峰。ダメよ。わざと私たちの会話を邪魔しないように。
ヤン・ミー、あなたのお父さんは、すごく彼が気に入ってるんですって?
:母がすごく気に入ってるんですよ。
:どうして?
:母は私を見るたびに、聞くんです。ほら、紹峰は最近どうしてるの?
どう、あの作品に出てるけど、どうかしらね。最近、連絡取ってるの?
:あなた自身はどうなの。お母さんはもう二人で付き合ったらいいじゃないの、って言おうとしてるんじゃないの?
:私が、そんなに彼のことが気になるんだったら、番号教えるから自分で電話したら、って言ったら、母はね、
(すごく落ち着かないウィリアムが映る)
もう電話もらったわよって。



はははは。
馬は落としたけど人は陥ちなかったみたい。残念でしたね。

そんな効果の薄い策を弄しているうちに、将を落とすどころか、弟の五爺に
“將你一軍”
と、「王手」を掛けられてしまう実に不甲斐ない四爺。中国では、将棋って宇文邕〈うぶん よう〉が発明したと言われているんですが、そんな敵の皇帝の遊びを楽しんでていいのでしょうか。それとも攻略のための研究かしら?

古来、士大夫(したいふ。ドラマの時代背景になっている魏晋南北朝のころは上流階級の人を指しました)が身につけるべき嗜みとしては、“琴”“棋”“書”“画”“剣”がありました。

“琴”は7弦の「古琴」のこと。弾くとぼよよよ〜ん、と渋い音がします。諸葛孔明が「空城の計」のとき、余裕がありそうに見せかけるため奏でていたのがコレですね。

“書”は書道のこと、
“画”は中国画。
“剣”は武器の剣ですが、文人は剣を佩び、武人は刀を佩びる、と言われます。一種の装身具として持ってた人もいるし、道士がお祓いのために必ず剣を持っているように、“避邪”(へきじゃ;魔除け)の意味もあるのでしょう。日本では魔除けの武具といえば「矢」ですが…。

また、“棋”が入っていますが、これは実は「将棋」ではなく、「囲碁」のこと。現代語では“圍棋”と言います。だから、史実の蘭陵王府で指していたとすれば、将棋よりはむしろ囲碁のはずです。

当時、他にどんな遊びが盛んだったかということを知るうえで、面白い資料が《顔氏家訓》という本に出ています。

この本は、顔之推〈がん しすい〉という人が、子孫のために記した家訓です。もともと、南朝の梁にいた顔之推は、内乱や戦乱に翻弄され、何度か捕虜になった挙句に、北斉に逃げ込みました。

斉では文宣帝(第2代皇帝。四爺パパの弟)に仕え、斉が周に滅ぼされると周に、周が隋に滅ぼされると隋に仕えた、ということで、まんまこのドラマの背景になった激動の時代を生き抜いた知識人です。

つまり、ちょうど蘭陵王の時代に宮廷に出入りしていた人物であり、なんと、「蘭陵王のお宅訪問」もしていたことが分かります。では、著作《顔氏家訓》から、そのことが分かる「雑芸」の巻を見てみましょう。

この本、平凡社の東洋文庫から訳が出ていたのですが、何と絶版になってしまい、参照できる資料がないので、和訳は超テキトーです(図書館にはあるかも知れないけど、ちょっと行くヒマがなくて)。

投壺之禮,近世愈精。古者,實以小豆,為其矢之躍也。今則唯欲其驍,益多益喜,乃有倚竿、帶劍、狼壺、豹尾、龍首之名。其尤妙者,有蓮花驍。汝南周璝,弘正之子,會稽賀徽,賀革之子,並能一箭四十餘驍。賀又嘗為小障,置壺其外,隔障投之,無所失也。至鄴以來,亦見廣寧、蘭陵諸王,有此校具,舉國遂無投得一驍者。彈棋亦近世雅戲,消愁釋憒,時可為之。

「投壺の礼」は、近年ますます精緻になってきた。昔は、壺の中に小豆を詰めて、矢が外へ弾き出されないようにしていたが、今では逆で、いったん入ってから外に弾き出される矢が多ければ多いほど良く、倚竿、佩剣、狼壺、豹尾、龍首などの名がついている。中でも最も華麗な技は「蓮花驍」であろう。汝南の人・周璝は周弘正の息子で、会稽の人・賀徽は賀革の息子であるが、2人とも1本の矢を投げて、40数回も跳ねかえらすことができた。賀徽はまた、小さな衝立をつくり、その外側に壺を置いて、衝立越しに矢を投げたが、外したことがなかった。
 私は鄴〈ぎょう〉の都に来てからというもの、広寧王(蘭陵王の2番目のお兄さん。画才で有名で、後年、周の捕虜になりました)や蘭陵王のところでこの類の屏風を見かけたことがあったが、この国では、矢を投げて跳ね返らせることのできる者はない。
 「弾棋」(おはじきのようなゲーム)も最近の風雅な遊びである。手持ちぶさたの折に、たまに遊ぶこともある。


「投壺」とは、ダーツの的が壺になったような遊びで、最初は投げ入れた矢の数を競っていたのが、だんだん、どんな風に刺さるかとか、リバウンドした矢を連続何回入れられるか、みたいなことを競うようになったようですね。

投壺の「礼」と書いてあります通り、もともとは礼の一環で、高貴な方々の酒席で遊ばれたゲームでした。南朝では大変盛んで、臣下が遅刻してきたので怒り狂った皇帝に、「昨晩、投壺でフィーバーしちゃって…」(古っ!)って言い訳したら、投壺ファンの皇帝は大喜びで、妙技を披露させて褒美を下した、なんてエピソードもあります。

それはともかく、同時代の特権(?)を行かして、高兄弟のおうちにお呼ばれに行くなんて、羨まし過ぎる。当時は、南朝の文化の方が洗練されていたので、そこから来た知識人ということで厚遇されたのでしょう(例の「却扇」の詩を書いた、当時の人気詩人、庾信〈ゆ しん〉(第4話。→こちら)と似たパターンですね)。

南朝ではあんなに盛んだった投壺も、質実剛健な北朝の斉に来てみると、道具だけは揃ってるんだけど、きちんとしたプレーヤーがいなかった模様。

それにしても高兄弟も、遊びもしないのに最新式のゲームグッズを揃えてるなんて、流行り物に弱かったのかしら...。

と、華やかなパーティーゲームの歓声に引き寄せられるように、東屋から走り寄る雪舞。

実はこのシーン、中国語の雪舞にはセリフがないので、なぜわざわざお嬢様方のいる場所へ近づいて行ったのか積年(ってか半年)のナゾでございました。吹き替え版は、

「何を話してるのかしら」

と補ってますね。ナイス補足。

皇太后さまのお好みを教えてくださいませ〜(はぁと)と、お嬢様方に迫られている四爺を見て、女に全然不自由してないくせに、五爺は兄上を、

“艷福不淺”
(モテモテだな)とからかいます。

この言葉、日本でも「艶福家」とそのまま使ったりしますが、中国語では“眼福”“耳福”“口福”(目の保養、耳の保養、口の保養)に並ぶ“福”の1つ。

こういう「現世の楽しみ」を否定しないあたり、中国文化もなかなかのラテン系とみました。

でも、非モテ歴二十数年の四爺はモテてる状態に馴れてないらしく、お嬢様方はすぐ安徳王の攻略に切り替えます。実際、安徳王の方が人気あるんですよね。「堅物」の四爺は、高一家の中では変わり者なのでしょう。

五爺みたいな、女にモテモテな人を“桃花運”がある、と言ったりします。あぁ、桃はピンクだから…とかそういうことではなく(そもそも、中国語でそっち方面は“黄色”)、もっと古式ゆかしい、中国最初の詩集《詩経》の詩から来た言葉です。

桃之夭夭,灼灼其華,之子于帰,宜其室家。
桃之夭夭,有蕡其實,之子于帰,宜其家室。
桃之夭夭,其葉蓁蓁,之子于帰,宜其室人。


桃の夭夭〈ようよう〉たる  灼灼〈しゃくしゃく〉たり其〈そ〉の華〈はな〉
之〈こ〉の子于〈ゆ〉き帰〈とつぐ〉ぐ 其の室家〈しつか〉に宜〈よろし〉しからん

桃の夭夭たる 蕡〈ふん〉たる有〈あ〉り其の実〈み〉
之の子于き帰ぐ 其の家室に宜 しからん

桃の夭夭たる 其の葉 蓁蓁〈しんしん〉たり
之の子于き帰ぐ 其の家人に宜しからん


教科書に必ず載ってる有名な詩なので、ご存じの方も多いと思います。

瑞々しい桃の 鮮やかなその花。
この子は嫁いでいく きっと婚家にふさわしい


以下同、てな詩ですね。

日本でいうと「万葉集」に収録されてる歌みたいな、素朴な詠いぶりが日本でも好まれているこの詩ですが、中国の人はこの詩を見ると、咄嗟に「高跳び」を連想しちゃって、ぐふっと笑っちゃうらしい。

たまたま、桃之夭夭 tao zhi yaoyao が、
逃之遙遙(とっととズラかる)と同音だかららしくて…。

実は、“桃花運”の由来として、この詩の他にもう1つよく知られているのは、“人面桃花”という故事。

相思相愛の男女が故あって別れたあと、別れた女性を男性が追慕する、というロマンチックな意味なんですが(又の名を「未練がましい」ともいう)、私なんかこっちの方がぐふっと笑っちゃうんですけど。

だってどうしても!「人面魚」を思い出しちゃうんだもの…(♪ポ〜ニョ ポ〜ニョポニョ…
( -_-)=○)゚O゚)ぐはっ!

...カボチャ投げは危険ですのでご遠慮ください。

さて、実はバックグラウンドで高跳びプログラム走行中の楊雪舞ですが、表面的には何事もなかったかのように、ゲーム会場に姿を現します。

その有様を見て、よっこらしょ、と立ち上がった四爺。
(お屋敷は椅子じゃなくてお座敷が中心らしく、座る動作に慣れてないらしいウィリアム・フォンは、その姿勢から立ち上がるまでも結構大変そう)

ここは中国語が面白いですね。

“我不知道你為了留在我身邊那麼拼命
把字都寫到腦袋上去了”

(知らなかった、君が私の側に留まるために、そんなにも必死だなんて。額に字を書いてまで)

“不如我直接告訴你 我姥姥喜歡吃什麼吧”
(いっそ、直接君に伝えた方がいいな、私のおばあ様がお好きな物を)

“我不聽”(聴かないわよ)

“我得告訴你 我告訴你 我告訴你啊”
(さあさあ、教えてあげるから)

おほほほほ〜! つかまえてご覧なさい〜って、いつの少女マンガよこれは、とこのバカップルに開いた口がふさがらないお嬢様方を前に、五爺が何とかこの場をフォローします。
“大家都看見 我四哥的態度了。”
(さて皆さま方、我が兄上の態度はご覧になったでしょう)
あとは自分で何とかしてね〜、と勝手にセルフサービスの店宣言です。

…ちょっと奥様、どうなんでしょう、鄭児と真逆の、四爺のこの態度。

お妃選びに参加してるのは建国の元勲のお嬢様方ですよ。
こんな態度で、要らない敵を作らなきゃいいですけどね…。

ところが、心配するのは視聴者ばかりなりで、お嬢様方はドライなものです。
“四爺的眼光是不是有問題啊”
(四爺さまの人を見る目にはどこか問題があるんじゃないの?)

ご発言、誠にごもっともではございますが、こんなん言ってる相手にまだ嫁ごうとするとは、お嬢様方にも問題あるんじゃないかと、ついついついつい思ってしまう視聴者。

しかし、この時代(ひょっとすると今も)、女性の地位は嫁ぐ相手によって決まるので、相手が“衣冠禽獣”だろうが“眼光有問題”だろうがどうでもよく、王妃の座はやはり魅力的だということなのでしょう。

なので、また似たような地位の花婿候補が現れれば、さっくりそちらに乗り換えるだろうから、お妃選びの戦いに八百長があってもそれほど大ごとにはならなさそうという読みもあるのでしょうが、ひとり、鄭児の本気らしい様子は、さすがの四爺も気になるようです。

“不傷和氣”
(何とか穏便に済ませたい)

なんて、そんなの、ストーカー女と後腐れなく別れようなんて、恋愛初心者には無理じゃないでしょうか。

ウィリアム・フォンのお母さまが忌み嫌う(第9話→こちら)、あの天下の遊び人・沈朝宗〈しん ちょうそう/Shen Zhaozong〉ですら失敗したのに…。

一方、雪舞は自室に戻り、ヤケ酒ならぬヤケ茶をあおります。

“他應該是姓鄭的人 共結連理 我姓楊”
(彼は鄭って苗字の人と結ばれるはずなの。私の苗字は楊よ)

“共結連理”とはまたまたクラシックな言い回しですが、これはもともと、2本の樹の枝が互いに絡み合って離れない状態である、“連理枝”から来ています。

絡み合った枝というと、「トリスタンとイゾルデ」の話を思い出しますが、自然界では結構あることなんでしょうか…?

また、“連理枝”といえば、白居易の有名な詩、《長恨歌》を思い出す方もおられるでしょう。

在天愿作比翼鳥 在地愿為連理枝

楊貴妃と玄宗皇帝のカップルは、天にあっては、(翼を並べて飛ぶという)比翼の鳥に、地にあっては連理の枝に、というほどの仲でした、という詩ですが、“比翼鳥”“連理枝”はおしどり夫婦の形容としてよく使われます。

ここで雪舞は、つと、隣の福姥にお茶を渡します。もらって飲んで、お茶碗を返す福姥の様子が実に良い演技なんでご注目くださいませ。

福姥が、自己紹介した通りの人ならば、ご主人からお茶をいただいての一連の動作は、全くお作法にかなっていませんが…。

でもここの思い悩む雪舞の態度がとってもカワイイから、おじさん、許しちゃうぞ!(←ダレ?)

おじさんじゃない福姥は、とっとと仕事を始めますが、ここでベッドの様子が映りますのでご覧になってください。掛け布団は筒状にして奥に寄せてありますね。これは第2話(→こちら)で四爺がやっていた方法と同じです。

ベッドメイクをしようとして咳き込む福さんのために、雪舞が取りいだしたるは一枚のハンカチ。
おや、これって、四爺を救った例のハンケチですかね。

感激する福姥には悪いけど、ちゃんと消毒したのかな〜、と、つい思っちゃいますよね。

そうこうしてるうちに約束の酉の刻、すなわち夕飯どきになり、いよいよ第一ラウンドの開始です。

この重要シーンの四爺がまた眠そうで…せっかく料理を作ったお嬢様方が、この人大丈夫…?という不安のまなざしで見つめる中、プレゼンテーションが始まります。

婁〈ろう〉将軍家のお嬢様が作ったお料理は、次のようないわくつきのもの。

“南齊書 虞愿傳 載 宋明帝 素能食”
(《南斉書》の虞愿伝には、宋明帝が平素は健啖家であったと伝えております。)

ってことなので、《南斉書》の該当箇所を見てみましょう。

列伝第34巻 良政
帝寢疾,愿常侍醫藥。帝素能食,尤好逐夷,以銀缽盛蜜漬之,一食數缽。謂揚州刺史王景文曰:「此是奇味,卿頗足不?」景文曰:「臣夙好此物,貧素致之甚難。」帝甚ス。食逐夷積多,胷腹痞脹,氣將絕。左右啓飲數升酢酒,乃消。疾大困,一食汁滓猶至三升,水患積久,藥不復效。大漸日,正坐,呼道人,合掌便絕。愿以侍疾久,轉正員郎。


(南朝・宋の)明帝が病に伏せっていたとき、臣下の虞愿はいつも薬を持って控えていた。明帝は平素から大食いで、ことに“逐夷”(えびすを平らげるの意)が好物だった。銀製の器ではちみつ漬けにし、何杯も平らげた。王は、楊州刺史(長官)の史王景文に言った。「これなる珍味を卿は飽きるまで食べたことがあるかね」王景文は答えていわく、「昔からの好物ですが、貧しくてなかなか口にはできません」。帝はこれを聞くと大変喜んだ。“逐夷”を食すること重なるに及んで、腹は膨らみ、息も絶えそうになった。周りの者が酢酒を勧めてようやくこなした。病が重くなっても、一度に三升のかす汁を飲んだ。水膨れになり、薬も効かなくなった。いよいよの日、正座し、僧侶に声をかけ、合掌をすると息絶えた。虞愿は長らく病床の傍らで仕えたので、正員郎に引き上げられた。)

長々と引用しましたが、“逐夷”すなわち、「異民族を追い出す」という意味のこの食べ物、確かに将軍家にはふさわしい名前ですが、いったい何なんでしょうか。

これは、魚の浮き袋か、ワタを塩漬けにした食品のことらしい。香港ではいまでも、魚の浮き袋を使ったスープはご馳走として高級レストランで供されます。

しかし、ここは内陸の鄴のみやこ。魚は遠くの沿岸部から運んでこなければなりません。四爺は、そんな浪費はお気に召さないようです。

他のお嬢様方の料理も似たり寄ったりで教養をひけらかしつつ、高価な材料を使った手の込んだもの。四爺は礼儀上、丁寧な態度は崩しませんが、いささか食傷気味の様子です。

対して鄭児は、豪華に金箔を散らしているとは言え、お粥を作ってきます。

雪舞が福姥からアドバイスをもらってようやく気付いたことを、自分で(たぶん)思いついたところに、頭の良さをうかがわせますね。しかも、シンプルなおかゆの中にも“学問”(道理)がある、と《名藥列錄》を引用するなど、教養の高さも伺えます。金箔を散らしたのも皇太后の健康を慮ってのこと、と披露。

本当に皇太后のためを思って作ったとおぼしきこのお料理はお気に召したらしく、四爺は初めて褒めたあとに、鄭児の切り傷を見て、愛用の傷薬を差し出します。

恩を受けたら必ず返す、という四爺の行動原理が行動に現れていますよね。しかし、脈のない人に優しくするというのは、一番罪作りなように思うんですが、まあ何ていうか、お父さんのDNAですかね…。

その有様を目撃した、同じDVAを受け継いでる&女の扱いに慣れてる五爺の、ものすごく何か言いたげな表情がナイス演技です。

お料理の紹介も終わり、いい加減締切時間が過ぎたころに、雪舞が飛び込んできます。

持ち込まれた料理らしきもの(?)を見て、五爺はひとこと。

“這三碗混濁的東西它 也是粥嗎?”
(この三椀の混濁した物体は…これも粥か?)

いえ、違います!
♪ ♪ ♪
ここで、せっかくテーマソングも流れたので、「雪舞さんの30時間クッキング!」と行きたいとこですが、時間がないので説明ははしょらせていただきます。

ちなみに、3分クッキングのテーマソングはクラシック音楽のアレンジですが、「きょうの料理」の方のテーマソングはオリジナル。「のだめカンタービレ」で、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」とまぜこぜになってしまい、結局コンクールに失敗する原因になった、あの着メロの曲です。資料を見たら、何と作曲者は電子音楽の雄・冨田勲先生でビックリ。

「未来少年コナン」の池辺晋一郎先生とか、「赤毛のアン」の三善晃先生とか、贅沢な作曲家の人選してるな〜と思う番組は多々ありますが、意外性では「きょうの料理」はピカいちでした。

おっと、放置しちゃいました雪舞の30時間クッキングの成果物の方ですが、、濁り湯…いや混濁スープのうち、セロリ(キンサイ)のスープ、ナシとリンゴのスープはともかく、バナナのスープは、はっきり言ってその当時、婁将軍家のお料理より材料の入手が困難だと思うんですが…。

80年代に入ってからさえ、長距離列車に乗り合わせた北中国の人に南中国の人が、持ってたバナナをすすめると、止める間もなく皮ごと食べちゃった、という実話がございます。つまり、一般の中国の人にとってバナナとはごくごく最近まで、それほどまでに珍しいものでした。

中国ばかりじゃございません。日本でも以前はバナナが珍しく、台湾から輸入される貴重品だったと聞いたことがあります。

たぶん、この脚本家はバナナが身近にある、台湾の方なんでしょうね。中国側のスタッフも気づきそうなもんだけど、こだわるポイントでもないから、スルーしちゃったのかな…。

それとも、皇太后さまの高貴な身分に合せて、豪奢な材料を使ってみたのでしょうか??

日本語はその辺、漢字を音読みしてるので何となく漢方薬っぽくなって上手く誤魔化してますね…。

次のセリフも日本語は、
「お通じが滞りやすいけれど、これを飲めばたちまちスッキリよ」
と言っていますが、中国の方は、もう少し分かりやすい表現になっております…ま、ここでご披露するのは遠慮しておきましょう。

そして、スープの効能について述べるくだりは、薬売りの口上みたいです。
“胸悶頭疼芹菜湯 
清喉化痰水梨蘋果湯
如廁困難香蕉湯”

(胸のつかえにセロリスープ、のどのイガイガにナシリンゴスープ、お通じすっきりバナナスープよ)

そこへ、先ほど博学なところを披露した鄭児がコメントします。
“雪舞姑娘真是博學啊”
(雪舞さまは本当に博学でいらっしゃるのですね)

そのあと、含みがあるのかないのか、もう一言付け足します。
「だけどこれだけではお腹が空きませんか?」

すると雪舞はこう返します。
“如果單指要吃飽 那些還不夠嗎?
(もしお腹を満たすというなら、そこにお料理がたくさんあるでしょう?それでは足りない?)

自分が作ったのは、消化によくてもたれないもの、と説明する雪舞に、五爺は興味深いけど、どうやって考え付いたアイディアなの?と聞きます。

雪舞が、四爺が手配してくれた“福佬”からは、いろいろ学ぶことが多かった、と答えますが、そこで分かったのは、この見た目は超地味なスープ“養生湯” のアイディアソースである「乳母」“福佬”は3年前に亡くなった、ということ。

“奶娘”(乳母)なのに“佬”(ばあや)なんだ...20歳で乳母をやってたとしても、20年数年後に「ばあや」はヒドイですよねぇ。

四爺、ひょっとしてご自身の年齢、サバ読んでないですか?

と、日本語はサバ疑惑を回避するためか、「世話係」にしてますね。ナイス補足。

おっほん、それはいいんですけど、自分で言わないまでも使用人からヒントを言わせるなんて、ずいぶんエコヒイキですよねぇ。

それでは、ここで、エコヒイキがトレードマークの方にご登場いただきましょう。
幼少の頃よりエコヒイキ人生を歩んで来られた、ウィリアム・フォンさんです。

引き続き、今度は今年(2015年)3月1日のインタビュー番組、《非常静距離》、https://www.youtube.com/watch?v=JpdzH63FP2Aから、ご覧ください。
検索エンジンによってはヒットしないことがあるみたいです。Googleだと見られました

李静(リー・ジン)
馮紹峰(フォン・シャオフォンFeng Shaofeng/ウィリアム・フォン)

6:42から
:今日は他にも可愛いゲストをお呼びしています。さ、拍手でお迎えしましょう。
:マダ兄貴!
:じゃ、紹峰に紹介してもらいましょう。
《后会無期》のマダガスカルです。
:(客席に)覚えてる?映画《后会無期》(邦題「いつか、また」)見ましたか?
:マダ、お手。ほら、お手。
(伏せてしまう)
:なんだよ、僕と握手したくないのか、うん?
  食べ物をこっちにもらえる? そしたらお手すると思うから。
  …マダ、ご覧、何持ってるかな?
(投げると食べるマダ)
:いいぞ、さ、お手だ。
:動物ってホント可愛いわね。
(やっとお手してくれる)
:紹峰、この子との撮影時のエピソードを教えて。
  そのときいくつくらいだったの?ちっちゃかった?
:僕の手に粗相しただろ、覚えてる?
:イヌは人間の手にウンチなんかしないもんでしょう…
:仔イヌだから。
 (客席:笑)
  マダ兄貴、水飲もうか。
  飲んで飲んで。いいから。
 (自分のカップから水を飲ませる)
:慌てないで。
:どう、オオカミに似てない?
:ええと、ハスキー犬はちょっと似てますよね。
:次のゲストにもそのカップ使ってもらうわ。
:僕の水、全部飲んじゃった。
  じゃ、李お姐さんのも飲もうか。
  (引っ張って向きを変えようとするが、全然無視される)
:おすわり、おすわり。
  (座る気配すらないマダガスカル)
:このままじゃメンツ丸つぶれよねえ…。
  全然聞いてないわ。
:おすわり。
  (全然聞いてない)
  わかった。僕が座るよ。
  (ソファから下りて、スタジオの床にあぐらをかくウィリアム)

:オオカミだって馴らしたっていうのに…。
  この犬とオオカミって…
:全然違いますよ。犬は人を主人だと認めるけど、あ〜もちろん、彼は僕を主人とは思ってませんけど(ウケる客席)、だけど、
:見てあの絵づら。笑っちゃうわ。
:オオカミは友だち止まりです。(マダに)いいから、もうおやめ。
  探したって食べるものはないよ。落ち着け。
:そうやってずっとイヌと話していられるの。
:僕…バカみたいですよね…?
:草原地帯から帰ってきてからずっと、
:(マダに)こら、その花は食べられないぞ。花をむしっちゃダメ。
  内モンゴルから帰ってきてからっていうもの僕は、動物と付き合う術を身に着けたっていうか、特にオオカミとはですね、(と、表情が固まる)
:お飲み。
  (李お姐さんのカップからも水を飲むマダ)
:李お姐さんの水は僕のよりちょっと甘いだろ。
:舐めちゃいなさい。…行っちゃった。
:行っちゃった。
:ご主人様を探しに行ったのよ。バイバイ。
:さあ、李お姐さん、お水をどうぞ。
  (マダガスカルが舐めたコップに水を注ぐ)
:あなたこそ、どうぞどうぞ。
:李お姐さんも飲まないもの、僕も飲まないぞ。
:悪い人ねぇ…。

(ナレーション:馮紹峰は上海・万航渡路の古い路地裏で生まれました。幼いころから多芸多才で、幼稚園時代から舞台やコンクールに出場、数々の賞を受けました。芸術的な環境に恵まれて育ったおかげで、高校三年生のときに芸術系の入試を受験して、上海戯劇学院にストレートで合格しました。)
*
万航渡路ですか…ホントに街の真ん中ですね。
*
:今回は非常に彼を良く知っているクラスメートをゲストとしてこの場にお呼びすることができました。
  いきなり出ていただきますけど。
:いきなりですか。
:あなたは…大学時代に女子学生と恋愛経験がありますか。
:(すごく微妙な表情)
(客席:(冷やかして)おぉ〜!)
:あるいは、誰かが秘かにあなたに恋していたとかは?
:それは、知りようがないですね。
(客席:バカ受け)
:じゃ、誰かを秘かに恋したことは?
:(こずるい表情で)それは、言えませんね。
(客席:バカ受け)
:それでは、クラスメートですけど、もうすくこの場に現れますが、
 3つまで質問して良いですよ。私はイエス、ノーでお答えします。
 当てられるかしら。
:男性ですか?
:イエス。
(ウィリアムのアップにかぶせて)
:この場に女を呼べると思うの?
(客席:バカ受け)
:二つ目の質問。
:僕と寮は同室でしたか?
:イエス。
  同じ部屋だったかどうかは知らないけど、同じクラスです。

*
今は違うと思いますが、以前、中国の大学は全寮制でした。ウィリアムは地元出身ですが、それでも寮生活だったんですね。

話の省略した部分に出てくるのですが、寮の建物が地元の人とそうじゃない人用に分かれていたようです。ただし、彼は授業が終わると寮には泊まらず、バイクに乗ってさっさと家に帰っちゃってたらしい。大学でおとなしくしてた彼は、名前ではなく、「授業が終わるとバイクで帰っちゃう人」と認識されていたそうです...。
*

:…じゃ、この質問はナシでいいですか。
  同じクラスかなんて、聞く必要ありますか。
(客席:バカ受け)
:じゃ、三つ目の質問。
(唖然とするウィリアム)

:男性で、あなたと同じクラスで…
:同じクラスっていうの、質問にカウントしないでもらっても…?
(未練がましい態度に客席大ウケ)
:だって…ク・ラ・ス・メ・ー・トを呼んだんですよねぇ?
:そうですよ…。で、三つ目の質問ね。
  もう一つ質問できますよ。
:(あくまでも食い下がる気)クラスメートだって、あなたが言ったんですよね?
:そうです!
:だったら二番目の質問はナシでしょう!

*
このくらいのことで何をムキになってるのでしょうか…。
でも皆さま、分かりましたか。実は、彼はそーとーな負けず嫌いですよね、私の見るところ。の割に、ふにゃふにゃとツッコんでくるので、攻撃されている相手すらそうと気づかないあたり、タチが悪いわ…。
*

:わかった、じゃもう、あなたが当てられるかどうか、やってもらおうじゃないの。
  ほら、質問質問。
:僕と同室…あ、知らないのか…
:違います。
:違うんですね。
:僕とクラスメートで同室じゃなくて、しかもしょっちゅうこの番組に登場する、

*
ウィリアムが、刑事さんばりにものすごく真剣に聞いているのが笑えるんですけど…
*

:皆さん、よくご存じの男性スターと同室でした。
  クラスメートの佟…あの、目が細い…
(ウケる客席)
:佟大為。
:そう、彼と同室だったんですよ。
:佟大為のところは三人部屋だったんだ。その三人のうち、可能性があると言ったら、委員長しかいない。
:それは誰か、もう聞かなくてもいいですね。皆さん、拍手でお呼びしましょう、
  そうです、彼は、クラス委員長さん!
:馮師!

*
中国では、俳優さんや漫才師など、演芸関係の仕事をしている人に対しての敬称は、学校の先生への敬称と同じで“老師”といいます)
*

:(陝西なまりで)任山(レンシャン)!
(ハグする)
:委員長さん、ようこそ!
  あなたのドラマ、最近人気爆発ですね。
  彼、(《武媚娘伝奇》で)魏王を演じてるのよ、観てます、みんな?
(客席:観てる〜!)

(中略)

17:30ごろから

*
当時、クラスで誰が一番イケメンだったかという話になって…
*

:あのころ、一番イケてたのは厳寛(厳屹寛)だと思う。
(客席:おお〜っ!)

*
厳屹寛は、ウィリアム・フォンとヤン・ミーが出演したテレビドラマ《宮》で、現代でのヤン・ミーの婚約者を演じた人。最初と最後の回に登場します。彼は、確かに正統派の二枚目ですね。
*

:彼も確かに二枚目だ。だけど、この人(ウィリアム)も二枚目で、品格が違うもんな。
:佟大為もモテたよね。
:特にあの胸板がね…。
(客席:バカ受け)
*
そのあと、同窓生の暴露ビデオが登場。
*
(ビデオ:楊結宇)
:彼はね〜、クラスの中でも飛びぬけてイケメンだったの。
 それにね、普段もすごくオシャレに気を遣ってて、外出するときもバチッとキメないと気が済まないの。特に印象に残ってるのは、僕らの時代だとムースとかって、誰もが持ってるわけじゃなかったんだけどさ、紹峰は持ってたんだよね…外出するときは髪型とかキッチリしてさ…

 もう1つ印象に残ってるのは、オートバイのライダーが着るようなスーツね、物凄くピッタリしたやつ、ハイウェストの。アレを着て、凄くカッコ良かったな。
 出かけるときは小ぎれいにしてライダースーツ着て髪にはムースでしょ。
 見たとこ、なんだか弱っちい書生みたいなのに、あの大人しそうな外見の下のハートは、結構大胆でね。

 大学一年のときに、発表会があったんだけど、マイケル・ジャクソンを踊ってさ、ステージの下のクラスメートは男女を問わず熱狂してたね。ダンス、凄く上手かったよ。

*
ふ〜ん、そーなんだー、と、他人事みたいに聞いてるウィリアム・フォンですが、そんな特技があったのかとしっかりディレクターにチェックされた模様で、2016年の旧正月に「西遊記」のプロモでテレビに出演したとき、しっかり踊らされてました。

おっ、出来るじゃん、ムーンウォーク!

ってことで、気になる方はこちらからご覧ください。
《王牌対王牌》という対決番組で、《西遊記》チームの一員として32:20秒ごろから踊ってます。
https://www.youtube.com/watch?v=biervrdaw4U&feature=youtu.be

ちなみに、その直前に、アーロン・クォックご本人の目の前で、彼のヒット曲《對你愛不完》を歌わされる&踊らされるという、罰ゲームか?なシーンもあります(すごく上手いけどね)ので、気になる方はついでに30:00くらいからどうぞ。

*

:良く覚えてるわねえ、彼。
:彼が僕と同室だったんですよ。
:一緒に寝てたんですよねー。
:ムース持ってたとか覚えてるのねぇ〜はは!あの当時ね。
:任山だって、使ったことあるって言ってますよ。
:オレはこっそり失敬したの…ゴメンな。
:道理で、そう言われて僕、どうして覚えてないのかなって思ったよ。
:お前がいるとこで使うわけないだろう。
:ムースって、あのプシューって白い泡が出るやつ。
:そうです。
:持ってる人は珍しかったわ。
:その通り。
:紹峰のスゴイこと。革のジャケットとかどうやって手に入れたの。
:淘宝(中国のオークションサイト)で。いや、当時はまだ存在してなかった(笑)。

:まだその服のこと覚えてる?
:覚えてますよ。ハッキリとね。ライダー用のジャケットって黒もあるけど、彼のは色がついてて、二本線がね。
:あら、全部覚えてるのね。
:肩が盛り上がって丸くなってるやつね。
  彼は痩せてるんで、着るとピターっとしてて、それにジーンズね。
  それから、ハイカットの黒いブーツ。とにかくカッコいいの。
  注目の的だったんですよ。ヤマハの250を転がしてさ、見ない女はいませんよ。
  妬けるね、ホント、妬けますよ。
:私はてっきり、男性は女性しか眼中にないのかと思ってたけど、
  男のこともしっかり見てるのねぇ…。
:誰だって好きでしょ、綺麗な顔して足が長かったらさ、オレだって好きだもん。
:彼だって、足は長いですよ。

:紹峰、当時、あなたを追っかけてた女の子、たくさんいた?学校で。
:いませんって。(任山に)いた?
:この人(ウィリアム)はね、絶対いますけどね、あまり口を利かなかったんで、たぶん、女の子たちは近寄り難かったんでしょうね。
:女の子にジョーク言ったりふざけたりはしないの?
:ないですね。取り澄ました感じでね。実働部隊はオレらだったんで。
:(はは〜ん、という感じで任山を見る)
:学校ではどんな学生でした?
:はにかみ屋で内気でしたね。すぐ顔が赤くなるし。
:僕は実際、目立たなかったと思います。学校では。
  あまり目に止めた人もいなかったんじゃないかと。
:この頃はわざと目立たないようにして誤魔化してたんですよ。
  やや、気が小さかったですからね。
  シャイでしょ。女の子のこと話題にすると、すぐ顔が赤くなるんですよ。
  先生に注意されても顔が赤くなるし。
:学生のときの恋愛っていうと大学じゃなくて、中学(中国で中学というと、高校も含まれます)のときです。
  だから大学のときにはない…
:だけど、大学のときに良い感じだった女子もいたんですよ。あの二人、付き合ったらお似合いだな〜って感じのがね。覚えてる?
:(考えている)
:だけどもう結婚して子どももいるからさ。やめとこ。
:な〜んだ。
:こっそり教えてあげてもいいよ。
:こっそり教えて(笑)。
:(耳打ちする)どう。
:ああ、彼女(顔が赤い)。
:だもんで、当時はよく彼女のこと話題にしたんですよ。
  ひとつには、二人がくっついて欲しかったからで、もう1つは、赤くなるのが見たかった(笑)
:(赤くなっている
:だけど、そういう性格が、俳優をやるには良い方に働いてるかもしれないわ。
  妙にすれた感じもしないし、ずっと気が張ってる感じを保ってるでしょう。
  私とだって知り合って割合長いのに、それでもちょっと緊張してるものね。
  こういう気質は、俳優をやっていく上では大事よ。
:任に、さっきマダが舐めたカップを勧めている)
:(にっこりして)飲んでもいいんですか?
:いいですよ。さっき、あなたが恵みの雨を降らせてくれて、だいぶ持ち上げてもらったから、ここは水を飲んで頂こうっていうことなんでしょう。
:(飲んで)ありがとう。

:彼の実家は結構金持ちで、僕らを家に呼んで、すごいご馳走を振る舞ってくれました。あのとき君んとこのおばあちゃんもいたよね。おやじさんも。

*
この話題が出たときのウィリアム・フォンの手つきを見てください。やきもきしている気持ちが手に現われてるような…。

実は彼には、ものすごい資産家の跡取り、という噂が付きまとっており、ここでいきなり、真実を知るクラスメートが何か暴露するのではないかと焦ってる、ようにしか見えないからヤメた方がいいのに、その動作(笑) 
*

 (中略)
:あのときは10数人…20数人…のクラスメートが一斉に家に来て…あのころ家を買ったばっかりで、小さな家で100平米ぐらいしかなくて…

*
上海で100平米だったら十分大きいよ!!と思うのは、私がウサギ小屋に住んでるからでしょうか。
でも四爺のウサギが住んでる小屋は絶対、私んちより大きいと思いますけどね(僻み)
*  

:部屋にはまだ何もなくて、テレビが一台だけ。それで、クラスメートを呼んでパーティーしたんだけど、テレビを見て、みんな手足を投げ出して、そのまま寝ちゃった。次の朝、父が入ってきたら、床にはいきなり、数十足の靴が…!
:いったい何のパーティーなんだよ。
:父はへなへなと崩れちゃいました。だってドアを開けたら僕たち全員、雑魚寝してるんだもん。
:そりゃまた印象深いわね。しかも部屋にはテレビしかなくて。あなた方、その、ドキュメンタリーを見るパーティーしてたわけね。
(意味ありげに笑う)

:では、お次の暴露VTR参りましょう。

(ビデオ:楊蓉
:彼はボディシェイプ(基礎的な身体訓練のことです)のクラスはあまり得意じゃなかった。
  ですけど、先生方は彼が特にお気に入りだったんですよ。
  彼にはね、上海語でいう、“搗漿糊”(むにゃむにゃとごまかす)ってワザがあるの。
  たとえば、宿題やってないとするでしょう、私だとしたら、良くて、「私やってきませんでした」って言って、怒られるときは怒られるって感じなんですけど、彼だとね、「僕、やってきませんでした。先生、僕ね、どうしてやって来なかったかって言うとね…」ってこうムニャムニャっとね、
  おしまいには先生が、ああ、いいから、次やってくればいいのよ、って。
  彼にはこういう特技があるの。

*
“搗漿糊”(ダオジャンフ/dao jianghu)!これ、上海語なんだ..? 昔何かの本で見た気がするけどこんなところで再会しようとは。ウィリアム・フォンは、常にこのワザ、愛用してますよね〜。

2007年に、彼は《虎山行》というテレビドラマに出演します。武侠世界の実力者にして人徳者・容蒼海〈ロン・ツァンハイ/Rong Canghai〉の跡取り息子・容寛〈ロン クァン/Rong Kuan〉の役どころ。

カンフーの師匠の家に生まれた容寛ですが、正義感あふれる好青年ながら、甘ったれで何事も親がかりのドラ息子。それなりに武術もできるのが間違いの始まりで、やることなすこと親や周囲に大迷惑を引き起こしてしまいます。

その彼が、武芸百般にもまして使い手なのが、甘えてワガママを通そうとする、この“搗漿糊”のワザ。まさか、ご本人も得意技だったとは…!!(←呆れている)

《虎山行》は80年代の香港ドラマのリメイクなうえに、全国放送じゃなかったみたいでそれほど話題になっていませんが、民国期を舞台に、広東省の佛山そして上海を行き来する、スパッと単純明快な物語、武林にその名を轟かす2人の達人・容蒼海と姜鉄山役の2人ののシブい演技や、脇を固める名優たちの熱演も見どころで、気に入っている作品です。

ウィリアム・フォンは、たま〜にオーバーアクトな時もありますが、自然な演技でなかなかハマり役だと思います。

日本語のDVDが出ているかどうか、ちょっと分からないのですが、中国語は全巻セットのDVDがあります。参考URLはこちら→http://www.yesasia.com/global/%E8%99%8E%E5%B1%B1%E8%A1%8C-dvd-%E5%AE%8C-%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%89%88/1023596871-0-0-0-zh_CN/info.html(私は利用したことがないので、もし購入される場合は
申し訳ありませんが、自己責任でお願いいたします)

と、何の話でしたっけ? そうそう、ご本人さまの必殺技の話でしたね。

*
:彼女の「ぶりっ子(するウィリアム・フォン)のマネ」がカワいすぎる。あなた、よくぶりっ子してたの?認める?
:ないです。あった?
:あるだろ。
:(爆笑)
:(苦笑いして頷く)
:委員長さんがあるって言うならあるのよ。
:彼の性格にもおかしなところがあるんですよ。パッと見はね、
:(何かヤバいことがバレそうと悟ったのか、必死に阻止して)
  そうそう、思い出した。その、その先生が、僕にはすごく…
:お気に入りでしたね。
:特に李莉先生。実は入試のときに、特にひいきしてくれたんですよ。
  どういう理由だかわからないんだけど、僕が踊ったマイケル・ジャクソンに惹かれたのかも…
:魅入られたんだな。
:実は僕、ダンスを習ったことがなくて全然できないし、股関節が硬くて、開脚ができないんです。それで、入試のときに、三次試験だったんですけど、全員で180度開脚するっていうのがあって、僕はちょっと…角度が足りなくて…他の人は左右開脚とか前後開脚とかできるのに。そしたらボディシェイプクラスの先生が、まったくあなた、紹峰、試験のときにジーパン穿いてきちゃダメでしょ、ごらんなさい、開脚できないじゃないの。
(客席:笑)
:(笑)
:って一言。
:ハシゴを掛けてくれたわけね。
:それで通りました。
:えこひいき過ぎる。
:入学したあと、レッスンで頑張って練習しましたよ。だって先生に…
:実はテストのときだってジーパンなんか穿いてなかったんでしょ。濃い青のストレッチパンツを穿いてたんじゃない? それでも開脚できなかったんじゃ?
:とにかく、何を穿いてたにしても、できませんでした!

*
ウィリアム・フォンはほかのインタビュー番組(《鲁豫有约》)に、同室だったクラスメートと一緒に出てるのですが、ストレートで入学した学生は皆、このクラスがダメだったようです。戯劇学院は、1年生のときの学年末の試験の成績が悪いと退学になるらしく、放課後必死で練習したと2人は言っていました。

開脚が出来なきゃ、カンフードラマの役なんて受けられなかったでしょうよ。先生に感謝しないとね…。それにしても、中国で役者になるなら、歌やバイオリンはもちろん、カンフーも練習しとくに越したことはなさそうですね。

どうやらドラマでは、えっ、こんな人も使い手だったの ? みたいな意外性が求められるようなので、一見できそうもない人ほど抜擢されがちらしい。

それにしても、幼稚園時代から、何でも文字通りの「顔パス」だったウィリアム・フォンのエコヒイキ人生。ここまで来るとあっぱれ。
*

:(大笑い)紹峰は学校では他に、どんな風だったの?
:彼はやっぱり、よく勉強した方だと思いますね。何せ、“重点高中”の出ですからね。

*
“高中”というのは“高級中学”の略で、日本の高等学校に当たります。

“重点高中”というのは昔の呼び方で、現在は“示範性中学”というそうですが、要は進学校のことで、現在では上海市内に53校あります。ずいぶんたくさんあるように感じますが、高校進学率ほぼ100パーセントの上海において上位10パーセントくらいの生徒が合格するとのことで、狭き門には違いありません。

特に、ウィリアムが通っていたとされる高校は、“示範性中学”の中でもさらに市内に28校ある“実験性示範性高中”の1つに指定されているほどなので、相当なエリート校と思われます。

ウィリアムが受験した当時はまだ一人っ子政策の時代じゃなかったから、きっと結構な競争率だったことでしょう…。
*

:成績面での「おかしら」ですね。
“重点高中”の出なの。成績は良かったですか、当時。
:絶対良いです。
:ええっと…“重点中学”の中では悪かったです。
(客席・笑)
:だけど、大学では、
:成績は良かった。
:だって、ほとんどの人は、高校から直接進学するわけじゃないですから。
  芸術系の大学は。
:社会人で受ける人が多いわよね。
:自活したり、社会経験を積んでますからね。
  彼はクラスでは文系の成績トップでした。だけど他の人に比べると、歳も若いし、社会人経験もないので、短編を作るなんて課題の面では不利で、先生に年かさのクラスメートに話を聞いて来いって言われて僕のところに来てましたね。
:そしたらいつも、怪談ばっかり聞かせてさ。
:怖がらせたかったの。
:夜、怖かったよ。
:彼は良い子で大事に育てられたからね。さもなきゃそんなに色白のはずないし。

(中略)
28:28ごろから

:なんで彼に陝西方言を教えたかっていうとね、彼も僕らの荒くれた、ワイルドな雰囲気を身に付けたかったんでしょうね。それに僕らもときどきは、彼のお上品なところから引きずり下ろしたかったの。だって、絶対マネできないですもん。育った環境が丸ごと違いますし。

*
陝西省は中国の西北寄りにあり、中国では“北方”(北中国)出身の人はガサツで乱暴者、“南方”(南中国)、特に上海や蘇州など江南の人は優雅で気取り屋というイメージがあります。

この違いはもちろん、気候風土によるものなんでしょうが、蘭陵王の時代、つまり魏晋南北朝の時代に、江南地方には「六朝文化」と呼ばれる貴族文化が栄えたこととも無縁ではないと私は思います。その時代から現代まで脈々と続く伝統の力は、やはり無視できないんじゃないでしょうか。
*

:ホントに皮肉ね。それで《狼圖騰》(神なるオオカミ)を演じたんだから。あの乱暴な(笑)。
:絶対、僕らが教えたおかげだと思いますよ。ねえ。
(客席、大拍手)

(中略)
:僕ら、彼のことを陰で“十万个为什么”(10万回のなぜ?)って呼んでました。
  いつも聞いてばっかりいるんで。「なんでそんな風にするの?」
  「なんでそんな風に着るの?」「なんでそんな風に食べるの?」

*
“十万个为什么”というのは、中国では誰もが知っている児童書シリーズのタイトルで、「なぜキリンの首は長いの」とか「なぜイギリスの裁判官はかつらを被っているの」とかっていう素朴な疑問に短いエッセイで答える形式の科学読み物のことです。
*

:そうだっけ?
:質問ばっかりで。
:いま、思い出した。
:思い出したの(笑)。
:自分を解放する、というワークショップで、動物を演じるっていう課題のときに、やっとそれが出来たの。そういえば、演じたのはオオカミだった。 

(中略)

*  
このあと、馮紹峰が演じた喜劇のVTRが流れる。「面白い」って言葉がありますが、中国の劇では伝統的に、顔を白く塗ってるのは笑いをとる役の人なんですよね
*

:卒業したあとはどうしたの?
:実は、僕たち同じ職場だったんですよ当時。
:どこ?
:「上海話劇中心(上海現代劇センター)です。
:それはすごいじゃない?選ばれたわけでしょう?
:それはそうですが、僕たちのクラスからは12人入ったんですよ。
  約半分ですね。わりあい優秀なクラスだったので。それにまあ、割にイケメンで(笑)。
:入ったあとに、紹峰、あなた、性格的に上手くやっていけたの?
:最初は結構大変でした。人見知りしたから。
:うん。
:在学中だって内向的だったのに、人と打ち解けるのが苦手で。
:人に取り入るのがね。
:受け身なんですね、いつも。今でも覚えてるけど、とある監督さんが、本当は僕を起用してくれようとしてたみたいで、隣に座ってね、  
  僕は、監督、こんにちは。
  (監督は)やあ、こんにちは。
  それきり僕、何も言うことがなくて。
:彼は僕たちが普通やってるような、相手と近づきになったり、自分を分かってもらおうみたいな社交的なことがあんまり得意じゃないんですね。
:僕は監督が演じ手を探してるって聞いてたから、絶対、監督の方から、何か撮りたいんだけど…演じるのはこんな役柄で…みたいな話があると思ったんですよ。それにつなげて発言しないと、何だか唐突な感じがするかなと思って。
:それで結局どのくらい黙ってたの。そこに座って。
:じっとそこに30分間、座ったっきり黙りこくってました。
(客席 笑)
:それで、落ち込んだりしなかった? 俳優だったら自分を売り込まないとダメでしょう。
  そうでないとチャンスも来ないし。当時、挫折感とかそんなものを味わったりしなかった?
:いつもクラスメートに頼んでました。皆が撮影に行くので、僕は、
:あら、皆、映画に出たのね。
:いっぱいいましたよ。
:僕は遅かったですけどね。
:僕、自分が一番最後だと思ってた。
:焦りました?
:僕は、何かチャンスがあれば、カメラテストがあるの?連れて行ってくれない?とか頼んで、それでやっと行って、受かったんです。
:でも、それでどうしたの。シャイで顔が赤くなっちゃうんでしょ。どのくらい経ってた?
:それでも、《宮鎖心玉》(宮〜パレス)の後だったと思います。
:だったら、《宮》は? 卒業してどのくらい経ってたの?
:10年でしょう。
:だいたい10年かな。

*
いま気が付きましたが、後ろに流れてるBGM(ピアノ)って、ライブ演奏なんですかね?
話が「宮」になったら、さりげなく、「宮」の主題歌の伴奏に変わったけど…。
スゴイな、無声映画みたいです。
*

:それじゃ10年の間は、俳優をやってはいたけど、ずっと…
:たぶん、知ってる人はいたと思うけど、主演もしたし。だけど、すごく知られてるとは言えなかったと思います。
:そうね、だって当時、私はてっきり、あなたが全くの新人で、ぱっと人気に火が付いたんだと思っていたわ。私はテレビドラマを見ないし…どんだけ忙しいか。
  じゃ、その10年、芽が出なかったのは性格のせいじゃないの?
:芽が出ないって…(苦笑)、そんなの、50本は出ましたよ、《宮》の前に。そんなに出てたのに、あなたもご存じなかったでしょ。
:だからね、クラスメートはみんな俳優でしょう。私もたくさんの俳優さんたちにインタビューしたけれど、心の持ちようがとても大事だと思うのね。
 
 スターになるっていうのは運でしょう。でも、俳優というのは仕事でしょ。自分の大好きな仕事のわけですよね。だから気持ちがしっかりしてないとダメだと思う。クラスメートの中には先に有名になる人もいる。遅れて人気が出る人もいる。

 一方で、一生、さほど有名にはなれない人もいる。だけど、演じるお仕事はできる。
  そこそこのお給料でちゃんと生活もできるわけだから、心がけが大事なのよ。
  委員長さんがおっしゃってたのも、そういうことでしょう。クラスメートの人たちと、いつもそういうお話をされてたんですよね。

:会えばいつも言ってましたね。まずは心がけだよなって。
  彼はね、自分なりのやり方で、いつもきちんと自分を律していました。
  だって僕、この目で見たんですよ。ぼくたちの劇団のジム棟の5階でね、トレーナーの友だちに、毎日トレーニングに付き添ってもらって筋トレしてたんですよ。僕も舞台に出るので鍛えてたんですけど、心の中では、モヤシっ子が筋トレしてどうすんだよって。
(客席:笑)
:だけど一か月経ったら、効果が出てたんですよ。これが努力の積み重ねってやつなんだなと思いましたね。
:トレーニングの成果ね。
:ジムの5階で鍛え上げたと。
:そうですよ。
:(笑)
:(ドヤ顔で)今だって、筋トレしてますからね。
:今も?
:僕、腹筋8パックですから。
(客席:ウケる)

*
なるほどね。皆(←自分)、太っ腹だとかなんだとか言いたい放題言ってるけど(←自分)、あれは腹筋だったんですねぇ…。
*

:あなた、着込み過ぎよ。
:だけど、ここで脱ぐわけにもいきませんよ。
:いいんじゃない?
:(咳払いして、手を振る)
:そりゃ委員長さんの前では無理ですよね。
  見て、委員長の逞しいこと。
:そんなの、そんなの、とんでもないです。
:ぴっちぴちのセーターだって着ちゃうのよ。
:歳も食ってしまいましたので。

:じゃ、ここでお手紙を読みましょうね。
  あなたの、世界で一番大切な方からのお便りです。とても良い手紙なのよ。
  こういうお手紙を読ませていただくのは、いつだって嬉しいですね。
  お母様から。
:(なるほど、といった感じで頷く)
:この番組のためにお寄せくださいました。
  (読む)
  紹峰、ずいぶん長いこと会えないけど、お仕事は順調かしら。
  いつもお前の事を思っていますよ。
  2014年も慌ただしく過ぎてしまったけれど、
  《后会无期》(いつかまた)と《黄金時代》という2本の素晴らしい作品を残してくれましたね。
  南中国で生まれ育った男の子が、
  北中国の荒々しい殿方を演じるなんて
  それがどんなに難しいか、よく分かりますよ。

*  
と、なぜそこへ金髪のお人形さんを抱きかかえた子ども時代のウィリアム・フォンの写真を映すかな?
*

:(読む)
   どんな作品にも精一杯取り組めるのは、どんなときでも挫けない、強い前向きな気持ちがあるからこそ。あなたが日と、よりよく演じ、成長し続けているのを感じていますよ。

   内モンゴルの大草原でロケ地を訪ねて、あなたがたの苦労を直接目にしました。危険を冒して大自然や狼たちと対峙する、常人には想像もつかない大変な毎日を送ったのでしょう。
   母はどれほど心配していたことか。
   この映画が観客の皆さまから好意を持って迎えられることを願っています。
   それと同時に、どんな時でも、健康に気を付けて欲しい。無理をしすぎないで、
   怪我をしないで、あなたを大事に思ってくれるお友達の皆さんを心配させないで。
      
   我が子よ どうかこの一年、あなたが健康で、心安らかに、幸せで楽しく過ごせますように。
   お疲れさま。あなたに感謝している母より。

:わぁ…お母様は何をなさっている方なの? 素晴らしい文才をお持ちなのね。
:(ものすごく嬉しそう)
“戦天闘狼”(天と戦い、オオカミと闘う)ですって!

*
っていうかお母様、“爺們”(殿方)って書いちゃうのがステキなんですけど。
*

:母はいつも…ものすごく大変で劣悪な環境なんじゃないかと想像して心配してるんです。
:俳優さんは大変よね。身体が資本なんだから大事にしなくちゃ。愛してくれる家族のためにも。 
 (深くうなずく)

ってことで、ウィリアム・フォンは怪談が苦手だったんですね〜(←こんなに長々紹介しといて、結論はコレ?)

四爺は、何事もなかったように福ばあやの「幽霊」の話をしてますけど…。

“大費周折趕回來 因為你根本就不想走”
(ばあやも、そんなに手間をかけて戻ってきてくれなくても良かったのに。だって君はまったく出ていく気なんてないんだから)

言われて雪舞は、
「ずいぶんと驕っていらっしゃいますこと。
あなたは鄭妃を迎えて、私は村に帰るさだめなの。」

日本語の雪舞はこの程度ですけど、中国語の雪舞はもっと嫌味たらたらです。

“你少自以為是了這位高長恭公子 我恨不得後天的選妃快點來到”
(あら随分お偉くていらっしゃいますこと、こちらの高長恭公子様は。私はね、とにかく早く明後日のお妃選びが始まればいいのにって思っているの)

ずいぶんな言われようですが、四爺はそれでも優しく雪舞の手を取って、
“我是在無法相信 這雙為了夫婿 親手做養生湯的手的主人願意離開 我看 這手都已經紅腫了”
(信じられないな。夫君のために手ずから「養生湯」を作ってくれた手の持ち主が、出て行こうとしているなんて。ほら、手がこんなに赤く腫れているのに)

ここでもやっぱり、自分のために何かしてくれた人をねぎらうことは、デフォルトなのですね。

その答え、
「自惚れだわ」
という訳は正しいんですが、中国語の字面は相変わらずスゴイですね。
“少臭美”(思い上がるのも大概にしたら)

百叩きの刑に遭うのが嫌なだけ、という雪舞に四爺が、

“你們白山村的女人 說話都怎麼不乾脆嗎”
(白山村の女性は、素直にものが言えないものなのかな)

と言うと雪舞はなぜかつっけんどんに、
“你們村外的男人 一點矜持美コ都沒有”
(あなたがたよその男性こそ自尊心ってものがないのね)

“隨隨便便就可以跨人家氣質都好 長大以後漂亮的都認不出來”
(ひとさまに軽々しく 家柄にふさわしいお心映えだとか、美しく成長されてどなたか分からなかったとか言うなんて)

日本語では、2つのセリフを併せてこんな風。
「お嬢様たちにお世辞ばっかり言って、見た目も中身も娘御みたい」
だから雪舞よ…どこが美人のお姐さんなんじゃい…

しかし、女の人についおべっかを使ってしまうのは、ご本人さまも同様らしい。

《大牌駕到》
https://www.youtube.com/watch?v=3QxeQllrVH4

に似たような受け答えがあるんで笑っちゃいます。

21:10 ごろから
検索エンジンによってはヒットしないことがあるみたいです。Googleだと見られました

司会者が、共演した女優さんたちについて聞いています。

華少(ホワ・シャオ/Hua Shao)
馮紹峰(フォン・シャオフォン/Feng Shaofeng/ウィリアム・フォン)

 :もし彼女たちの中で、「萌え」「悪女」「引きこもり」「男前」を選ぶとしたらどうですかね。
 :「オトコ前」って言ったらアンジェラ・ベイビーでしょう。自分で認めてますもんね。
 :「萌え」は誰ですか。
 :全員、すごく「萌え」ですよ。
 :じゃ、一番の「悪女」は?
 :(即答)「悪女」はいません!

(テロップ:マジあったまいい〜!)

 :共演した女優さんたちはみんな良い人でした。
: (苦笑)むちゃくちゃ上海人らしいな。どこへでも良い顔しようっていう。
   じゃ、引きこもりだったのは?
 :ヤン・ミーだと思いますね。
   だって、撮影してるとき以外は、彼女を全く見かけませんでしたから。
   撮り終わると永遠に自室に籠っちゃいます。

*
あ〜、それは、共演者によって…いや、何でもない。
*

 :じゃ、いちばん優しかったのは?
 :みんなそれぞれに優しいところがありますよ。
 
(テロップ:誰の恨みも買いたくないらしい)

:つまり、どんな時にどう優しいかがそれぞれ違うんです。
   アンジェラ・ベイビーはいつも差し入れしてくれて、
   僕が退屈そうにしてると、自分がやってるゲームを見せてくれたりとか。
   皆が和やかなムードになるように気を遣ってくれます。

(テロップ:アンジェラ・ベイビー :優しい、気遣いのひと)
   
 :ヤン・ミーは僕があまり気分が乗っていないとき、近寄って来てなだめてくれます。
   彼女はエネルギッシュな人なので、ポジティブな気づきを与えてくれるんです。

(テロップ:ヤン・ミー 魂の鶏スープ)

*
おほほ、中華圏でチキン・スープと言えば、滋養を与えてくれるものの代名詞なんですね。
誰かさんも、一生懸命作ってたけど…。
*

:ファン・ビンビンはサバサバしてるというか…。オーラがあるんですよね。

(テロップ:ファンの旦那 強大なオーラの持ち主)

:最近、タン・ウェイとも共演したそうで。
:タン・ウェイとは誕生日が一緒なんですよ。

(テロップ:縁がある!)

:同じ星座なんですね。
:だから僕たちお互いに、何も言わなくても分かりあえるところがあるんです。
  (中略)

(テロップ:タン・ウェイ:心が通じてる) 

*
こういうことしてるから逃げられ(ごほごほごほごほ)えぇ、でも、まー、見てください、雪舞の、ヤキモチ妬いてるとしか思えない発言を聞いてホッとしたというか嬉しそうなこの四爺の表情。

この後のセリフが面白いですよ。
“你 吃醋了? 哎呀,醋意很濃啊。”

直訳するとこんな感じ。
(君は酢を飲んだのかな? おや、ものすごく酸っぱい匂いがするなあ。)

中国語では「ヤキモチを焼く」ことを“吃醋”(酢を飲む)と言います。確かに、胸やけしそう。

ここの日本語は、「香ばしい匂いだ」と上手く訳しました。
私なら、「焦げ臭い」くらい訳しちゃうところですが(笑)、もちろん、ここはちょっとしたヤキモチな上に、四爺には、雪舞のやることが何でも可愛く見えるんですから、プラスイメージの訳語を使うのが正しいですね。

こういうちょっとしたヤキモチは、カワイイもんですよね。

ちょっとした ヤキモチならね…。

そこへ鄭妃が通りかかるんですが(何しに来たの)、ちょうど四爺が、
“我不會要她 即便她是皇后的人”
(私は彼女を選ぶことはない 皇后陛下の人であってもだ)って言っているところだったので、涙ぐんでしまいます。

それにしても、中国のお屋敷って全然プライバシーないんですね。
盗み聞き放題じゃん...。

しかも、不法侵入三昧でもあるらしく、四爺が去ったあと、いきなり現れる韓暁冬。
雪舞に差し出したのは、ボ…おばあ様から預かった、“五色籤”(五色箋)なるもの。

こういう特別な書式があったのがどうかは分かりませんが、“五色”というのは第9話→こちら)でご紹介した、五行に対応する色のことで、 を指します。

画面で見る限りでは、単色の地に、この五色で模様が描いてあるみたい。五行(世の中の根本原理)を表す色だから、神秘的な呪力のようなものが籠ってるイメージなのでしょうか。おばあ様の連れてる鳥も「五色鳥」だし。

「五色」って言われて私がすぐ連想するのは、麻雀牌なんだけど…。

さて、五色で公式文書というと、この場所に縁がある、もう1つの言葉があります。それは陸翽〈りく かい〉という人が記した《鄴中記》〈ぎょうちゅうき〉という本に書かれています。

何代もの王朝の都となった鄴の様子を記した貴重なこの本は、早くに失われてしまったものの、いろいろな文献に引用されて一部が遺っています。

その中に、五胡十六国時代(三国→晋→五胡十六国→北魏→南北朝)の覇者の一人だった石虎〈せき こ〉の浪費と乱脈ぶりを記した箇所があります。

石季龍與皇后在觀上為詔書 五色紙著鳯口中
鳯既銜詔 侍人放 數百丈緋繩轆轤回轉
鳯凰飛下 謂之鳯詔 鳯凰以木作之 五色漆畫 腳皆用金


石季龍(石虎の名で知られる。後趙〈こうちょう〉の武帝〈295―349〉)は皇后と一緒に高殿に登り、五色紙の上にお触れを記した詔書〈しょうしょ〉をしたため、鳳凰の口の中に収めて、下僕が街中を触れて回った。鳳凰は数百丈の赤い縄でウインチにつながれ、回転した。飛翔する鳳凰によって触れられるので「鳳詔」と呼ばれた。この鳳凰は木製で、五色の漆で彩色され、足は金色だった。

こんなことやっているので国がとっとと滅んでしまうのですが、まあ、この時代の人はエネルギー余っていたのか本当にやることがメチャクチャです。それはともかく、この故事から、詔書のことを“五色詔”と呼んだりします。なので、「五色箋」という言葉自体に、権威があるというか、一種の命令的なニュアンスも感じます。

そこに書かれていたのは漢字二文字だけ。暁冬のみならず私も読めませんでしたが、雪舞によるとこれは、Shan qiと読みます。

“山蘄 當歸的別稱”(さんきは、「当帰」の別名よ)

“應當歸去”(意味は、まさに帰るべし)

この二文字は漢方薬の生薬「当帰」〈とうき〉の別名。当は「まさに〜すべし」の意味なので、つまり、帰んなさい、という暗号だってことです。

こんなオヤジギャグでそんな真剣な顔されても…と視聴者は呑気に構えていますが、暁冬は落ち合う場所や時間を決める、と具体的に話を詰めてきます。言われて雪舞は、

“那不就代表我得離開四爺啊”
(それは四爺のお側を離れなければいけないということ?)
と寝言をかまします。

あんたに頼まれて苦労して馬車を探しに行ったんだぞ、四爺のおねだり癖+叶えたら放置の癖が伝染ったのかよ、みたいなことは言わない優しい暁冬は、

“這麼說 你還是捨不得四爺啊 那就留下吧”
(ということは、やっぱり四爺を諦められないんだ。じゃ、残れよ)

と言いますが、雪舞は、

“鄭妃都已經出現了 我更沒有留下的必要了”
(鄭妃もすでに現れたのだもの、私にはますます残る必要はなくなったのよ)

と言います。それを「五色箋」に仕込んだマイクで聞いているのか、ボロ…おばあ様は、

“你該接受自己的命運”
(自分の運命を受け入れなければ)
と嘆息します。

皇太后さま、ボロず…おばあ様、いずれも孫を想う祖母の情が表れた回でしたが、果たしてそんな心遣いが奏功するのか? 

何せ、ここはハロウィーンの渋谷も真っ青な、魑魅魍魎の跋扈する、北斉は鄴のみやこ。いかなる魔物が潜んでいるか分かったもんじゃありません。

その正体は次回、第13話こちらにて!
posted by 銀の匙 at 12:58| Comment(8) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

蘭陵王(テレビドラマ23/走馬看花編 第12話)の1

皆さま、こんにちは。

9月9日の重陽の節句も過ぎまして、いい加減夏も終わったはずなのに、やたら蒸し暑い東京地方でございます。

今年の夏もキツかった。

仕事で2度ほど九州に行きましたが東京の方が暑かった。
(ウワサによれば、北海道の方が沖縄より暑い日があったらしいけど)。

しかし、そんな日々も終わり、何かしなくちゃいけないんですが、相変わらずダラダラと更新もせず、そのうち、ひたいの上に、

けれど けれどで
なんにもしない

みつを


って紙貼られちゃうんじゃないかとビビっている今日この頃です。

封印される前に、先に行きましょう。

第12話ね…(ため息)

この回は珍しく、斉でのシーンしか出てきませんが、思えばこの回から、主人公の蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈よんじいスーイエ/Si Ye〉とヒロイン・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉の困った行動パターンのループが始まるのでありました。

ここまでは、雪舞が四爺を突き放すような事を言うと、四爺はただ困惑するばかりだったのですが、物語の舞台が北斉の都・鄴〈ぎょう/Ye〉、つまりホームに移ったせいか、今度は四爺まで子どもじみた、拗ねたような行動を採るようになるので、だんだんすれ違いが修復しづらくなってくるんですよね…。

こんな展開になろうとは、一桁台の頃は思ってもおりませなんだ。トホホホホ。

現時点では、状況悪化の原因はひとり雪舞にある、と私は思うのですが、しかし、この回の雪舞がホント、可愛いんだな…。おじさん、もう何やっても許しちゃうよ?(←なぜかおじさんモードに入っている

ということで、しぶしぶとですが参りましょう、第12話

今回、かなり長くなってしまいました。
いい気になってトーク番組を紹介してたら結構なボリュームで…。あまり記事が長いと読みづらいので、2回に分けてお届けいたします。

前回のお話(第11話)は→こちらへどうぞ。

前回は、蘭陵王一行が北周との戦いから凱旋し、洛陽での皇太子主催の祝賀の宴も終わり、都に帰って、帰宅もせずに朝議に出席したところ、戦勝報告の席で「正妃選び大会」の話が降ってわいた、ってまるでゆかの後方伸身宙返り4回ひねり(シライ)のような展開になったとこまででした。

さて、いきなり登場、「蘭陵王府」(蘭陵王の邸宅)。
正面にはど〜んと「朱雀」のマーク。
周の禁衛軍のマークは「黒色馴鹿」でしたが、斉のマークはコレらしい。蘭陵王のマントにも描かれていましたね。

ちなみに、ドラマでは北周のマークは“馴鹿”(トナカイ)になってます。

は、北周のナショナル・カラーでしたね。それは史書に記載があるんですが、マークの方は、本当に“馴鹿”だったのかどうか、資料は見つかりませんでした。

ただ、彼らのルーツである“鮮卑”〈せんぴ/Xianbei〉族のトーテムは、確かに“馴鹿”だったらしく、中国の「中国林業網」(http://zgslgy.forestry.gov.cn/portal/slgy/s/2328/content-514344.html)の説明によりますと、鮮卑族はもともと、現在では大興安嶺〈だいこうあんれい〉と呼ばれている、トナカイが棲息する場所に住んでいて、そこを「大鮮卑山」と呼んでいたらしい。

鮮卑族は、紀元2世紀ごろに南へ大移動を開始しますが、それを先導したのも“馴鹿”だった、ということで、マークにも採用されたのでしょうか。

牛に引かれるのは善光寺参りですが、トナカイに引かれるのはサンタと相場が決まっています。

てことは、あの人もサンタの一味だったのか。

黒い衣装のブラック・サンタはちとイヤですが、実際のとこ、クリスマス前には「深夜残業」や「サビ残」必須ですからね…。

ともあれ、いまでも大興安嶺のあたりにはトナカイが棲息しており、少数民族であるエヴェンキ族が、トナカイを家畜として生活しているそうです(別にプレゼントを配って歩いているわけではないと思いますが)。

一方、北斉のマークが“朱雀”〈すざく/Zhuque〉なのは、高洋の墓の壁画に、でっかい朱雀の絵が描いてあったからなんでしょうかね…?(「中国新聞網」→http://www.chinanews.com/cul/2012/01-30/3629638.shtmlに復刻の様子が出ています)

相変わらず、肝心なところはテキトーに、妙なところは細かく考証してるとおぼしき本ドラマであります。

お屋敷の立派な門構えの外には盆栽、中には幾重にも鳥居が連なり、石灯籠が配置されているのが見えます。

家の中は、宮殿同様、入るなり大きな香炉があって、やっぱり寺っぽいしつらえです。

外は神社で、中はお寺。パーソナル神仏習合って感じ?

もちろん、盆栽は中国がルーツだし(中国語では“盆景”といいます)、石灯籠だって中国にあるし、鳥居にしたって、諸説はありますが、恐らく元をたどれば中国に行きつくのでしょう。

形が似てるってことでいうと、第4話で、楊士深〈よう ししん/Yang Shishen〉御するところの暴走馬車が破壊しまくった街の門(“牌坊”)があります。

意味が似てるってことでいうと、今も雲南省など、稲作をしている少数民族の地域に残っている、鳥がてっぺんに止まった形の柱があります。

文字通り「鳥」「居」る柱ですね。(どんなものかご覧になりたい方は、松岡正剛さんが、こちら→https://1000ya.isis.ne.jp/1141.htmlに写真つきで紹介されています)

いま、鳥居の習俗を遺している少数民族は、日本からは遠い西南地域に住んでいますが、昔々は長江流域に住んでいたそうなので、ここから稲作のノウハウと一緒に鳥居が日本に伝わってきたというのは十分あり得る話です。

ま、このドラマで鳥居が登場するのは、恐らく、第10話(記事は→こちら)で見た通り、今も陵王の舞いが残っている、厳島神社との絡みでしょうけど…。後ろの灯篭の並びっぷりもそっくりですし。真実はぜひ、監督さんに伺いたいものですね。

さて、邸宅の門をくぐると、中では必死の大掃除が行われています。皇太子の発言によれば、蘭陵王はもう1年も都に帰っていないとのことだったので、当然、使用人は遊び暮らしていたに違いありません。

そこへ現場監督らしき人が現れて、スタッフを叱りとばします。
“四爺從不責罵下人 四爺對你們好全把你們慣壞了”
(四若様はこれまで使用人をお咎めになったことがなかった。良くしすぎて、お前たちをダメにしている)

意味としては、四爺が使用人に甘いから、皆付け上がってサボっている、ということなんですが、それは別に四爺が悪いんじゃないでしょ。

これは恐らく、「蘭陵王が宮中に参内したら、お付きの者が勝手にいなくなってしまったけれど、王は独りで戻ってきて、特にお咎めはなかった」、という史実のエピソードを敷衍したものかと思われます。

使用人に厳しくてもdisられ、優しくてもdisられと、ご主人も楽じゃないっすね。

ここで、主を迎えるのにお茶を用意する様子が出てきます。

お茶は南方の作物ですので、魏晋南北朝の当時、北方では、まだ貴重な飲み物だったのでしょうか。

お茶が薄いぞ…って怒られた、侍女頭(?)の“小翠”〈しょうすい/Xiao Cui〉は、以前、(薄いと思って)お茶を入れ替えたら、無駄をするなと若様にお小言を頂戴しました、と口答えしています。

ほら、お小言いうときだってあるんじゃない。

吉川英治『三国志』のファーストシーンは、確か、劉備が、洛陽から運ばれてきたお茶を買いに行くシーンだったように記憶しているのですが、あとがきかなにかで、当時はお茶が貴重品だったのでこういうエピソードを入れた、と書いてあったように思います(すみません、引っ越しで本が見当たらず、うろおぼえです...)。

だとすると、同じ回の後半に、韓暁冬が露天でお茶を頼んでるシーンがありますが、そんな庶民レベルまで行きわたってたとも思えないんですが…。

しかし一方で、むしろ宋代まで、茶は庶民の間でも広く飲まれた廉価な飲み物で、魏晋南北朝の王侯貴族は質素倹約の美風を示す…あるいはひけらかす…ためにお茶を飲んだ、という説もあります(→こちら)。

確かに、宴席を設けてお酒を出していれば、やれ肉だ何だと費用がかさんだでしょうが、宴会やお供え物に酒ではなくお茶を供していれば、茶菓の接待で済みますからね。

ってことで、韓暁冬のお茶シーンもそうそうあり得ない話じゃないみたい。あるいは当時、もうすでに現代と同じように、庶民用のお茶もあれば高級茶葉もあったのかも知れません。

お茶といえば、1980年代に、西安にある法門寺の地下に地下宮殿が見つかり、そこから当時(唐代・860年ごろ)の茶道具が出土しました。調査の結果、当時は今の日本と同じように、使っていた茶葉は抹茶だったようです。

日常的にそうだったのか、茶会の時だけだったのかは分かりませんが、少なくとも7世紀までは、茶葉を固めたものを粉にしてお湯に溶かす方式が主流だったようです。

さて、1年以上都を空けていたあるじと五弟が家に帰ってくると、お屋敷の中は新車発表会のような飾り付けがされていて、何だか見慣れない様子です。

あぁ、また留守の間に勝手にモーターショーかパーティー開催してたな?と察した五爺は(いえ違います)、

“連鴛鴦紅布幔都給掛上了”
(赤いオシドリの幕まで飾り付けてるんだな)
と言います。

それはともかく、四爺の服もかみしも風で、隣に立ってるモールばりばり肩章ございます宝塚な五爺と並ぶと、一体いつの時代のどの場所なんだか、画面には時空を超えた、謎のエキゾチックムードが充満しております。

時代考証にこだわりがあるのか、ないのか、ややこしいので、できればどっちかにしてもらいたいものです。

それにしてもウィリアム・フォンは本当にベージュが似合いませんね。
この回、映りが非常に悪いですが、衣装のせいもあると思う。
衣装係の方には、ヨコシマとベージュはやめるように進言したいです。

いえ、衣装はどうでも良いですが、オシドリが夫婦仲良しの象徴なのは中国も同様です。

しかし、鳥関係のHPをみると(これとか→http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1399.html)、実は冬ごとにパートナーを替えてるらしいので、実はそんな含みも…ごほごほごほごほ。

そういえば、“鴛鴦”で思い出すものにもう1つ、香港のレトロ風喫茶店に行くと必ず出るメニューがあったんでした。

それは“鴛鴦茶”というものなんですが、何だかお分かりでしょうか。

実は、インスタントコーヒーとティーバックの紅茶を混ぜたもの(ぶふー!)。

お店の人の説明を聞いた途端、別のにします、と速攻断ってしまった私ですが、香港人の間では、「寿司にコーラ」と同じくらい定番のソウルフードメニューらしく、誰に聞いても「普通においしいよ」って言うし、スーパーに行くと、「緑茶」「紅茶」「プーアル茶」のティーバックと並んで「鴛鴦茶」のティーバックが並んでいるんですね…。

そんな(部外者にとっては)食い合わせの悪そうな2つの事柄が、関係者の皆様にとっては好ましいということがあるらしく、使用人の皆様にとって、側室と正室を一緒に娶るということは大変ラッキーな組み合わせのようで、こんなお祝いが述べられます。

“恭喜四爺雙喜臨門
府上不僅多了一位少夫人
四爺還將選娶正妃”

(四若様、重ねての吉事お祝い申し上げます。ご側室を迎えられただけでなく、正妃もお迎えになられるとはおめでたい)

日本では、七五三などお祝い事には奇数が尊ばれますが、中国では対になる数字が喜ばれるので、一度に二つのお祝いがある、というのはとてもおめでたいことなのです。

ダブルハピネス、と香港では言ってましたが、喜びが二つある、ということでこんな字まで発明されています。



この字はシー(xi)と読むらしいです。

と、当の主役2人は、喜ぶどころか、どちらも浮かない顔をしています。

日本語で聞いているとそれほどでもないですが、中国語では前にも申しました通り、事あるごとにきっちり相手の称号を呼ぶのが敬語がわり。

当然ここではいちいち、使用人たちが雪舞の事を“少夫人”(ご側室さま)と呼ぶので、呼ばれる方はそーとー気に障ってると思いますね。

四爺も皆が呼ぶたびにハラハラした表情を隠せません。
寿命縮みそう、こんな生活。

ちなみに日本語吹き替えの方では、「楊夫人」と訳しています(英語だったら、マダム・ヤ〜ン♪ ☆(゚o゚(○=(-_-○. )
つい聞き流してしまいますが、何とか上記のニュアンスを出そうという工夫とご苦労をひしひしと感じますね。

中国の人は通常、結婚しても苗字を変えませんが、その理由の一端には、恐らく一夫多妻の習慣があったのではないかと私は睨んでおります。

つまり、同じ家に何人も夫人がいるうえ、素封家の出ともなれば、それぞれが実家の権勢を背負っていますので、その人は出身(苗字)とセットで認識されているということですね。

だから、ここの翻訳の「楊夫人」という呼び名には、他に「李夫人」だの「王夫人」だのが出現する可能性がありますよ、という含みを持たせているんでしょうね。

中国女性の結婚後の苗字については、もう1つ別のパターンもあるのですが、実はこのドラマにも目立たないながら重要なシーンで登場するので、そのときご紹介いたしましょう。

小翠と呼ばれていた侍女頭も、先ほどまで明るい顔をしていたのに何だか浮かない表情になり、
“我們大家表現的不夠好”(私たちの歓迎の仕方がお気に召さなかったのかしら)と言います。

“表現”という単語、日中に共通ですが、こんな風に使い方は全然違うんですね。ここでは「態度」というような意味です。

心優しい五爺は慌てて言います。
“你們別放在心上啊” (お前たち、どうか気にしないでおくれよ)

“放在心上”は「心の上に置く」=気にする、という意味です。
ってことでこの後、五爺はずっと、至らぬ兄上のフォローをすることになるのでありました。

お屋敷にやってきた一日目から、使用人を困惑させ、四爺の寿命を縮ませ(あ、さすがにコレの主語は雪舞じゃないか)、五爺にフォローさせるなど、全く何てヨメでしょう…と、と責めるわけにもいかない使用人頭は、

“老王早將西房整理好了”(わたくしめ、西のお部屋をご用意しておきました)

と、何とか場を持たせようと頑張ります。

おお、この方は王さんっていうのですね。第12話も3分を回ったところで、ようやく判明です。ただし、この方の役職はハッキリしません。

“老王”というのは、
“安徳“蘭陵“老
っつー訳ではなく、王って苗字の人への呼び名です。

若いときには“小王”〈シャオワン/Xiao Wang〉と呼ばれてたことでしょう“老王”〈ラオワン/Lao Wang〉さん、何か誰かに似ているような気がしますが、どうしても思い出せません。間寛平?…違うな…分かった方、コメント欄で教えてください!

取りあえず、現段階では、「天才バカボン」が中華圏でリメイクされたら、パパ役に抜擢されそうなビジュアル、とだけ申し上げておきましょう。

さて、この時代の住宅については、陶器でできた家の模型が出土していたりしますが、物見やぐらみたいな建物があって、周りは塀に囲まれた場所だったようです。

北魏の時代に書かれた《洛陽伽藍記》という本によると、洛陽にある鮮卑貴族の屋敷には、必ず園林があったらしい。

都市の中は区画整理されているため、貴族は一般に400平方メートルの敷地に屋敷を建造していました。

王府なら一般貴族の邸宅よりは広いのでしょうが、400平米っていうと、242畳分、約120坪、東京ドーム約0.085個分なので、すごく広いって訳でもないですね。たとえば、日本で120坪の土地に家を建てたらこんな感じ。→http://www.ttj-studio.jp/heimen.html

ただし、手狭なのは街中の家であって、貴族は郊外に荘園を持っており、第10話の1(→こちら)でちょっとご紹介した、当代の詩にも読まれた“金谷園”のように、その中は小川が流れ、園林が築かれるなど、贅沢三昧なしつらえだったようです。

さらに、自分ちではありませんが、自分の領地となればもっと広大です。以前、楊士深が“賤民村”を焼き払おうとしたときに、ここも殿下のご領地、と言っていましたね。蘭陵王は“蘭陵郡”を領地としてもらってるので蘭陵王と呼ばれるのですが、他にも戦功があるたびに、褒美として領地をもらってて(“加封”と言います)、全部合わせれば相当な面積だろうと思います。

さて、ドラマでの建物は、当時そうだったかどうかはともかく、“四合院”風に見えます。

四合院〈しごういん/siheyuan〉とはどういう建物なのかは、「中国文化」(YouTubeの動画です。音(ナレーション)が出ますので気を付けてください→こちらや、「中華文物網」(→こちら)に、北京の例ですが詳しい紹介があるので、興味のある方はぜひどうぞ。

ドラマでは、王族の邸宅なので、「文物網」の図版の中では下から二番目の、恭王府あたりを参考にしているのではと思われます。…あるいは、セットをまんま流用してるのかも^^;

この様式の建築の特徴は、ひと言でいうと、アメリカにあるという、ゲーテッドコミュニティの個人平屋版みたいなものです。

まず、敷地をぐるりと塀で囲み、大門を設けます。

大門を入ると、正面には目隠しになる衝立のような壁があり、回り込んで入ると、中庭があります。大きな邸宅であれば、中庭にたどりつくまでに、いくつか庭を通る形になります。大きな中庭を囲んで正面北側に主室、その左右に寝室、庭をはさんで東西に部屋を配置します。

主家の男子の部屋は東におかれ、女子は西の部屋に住みます。

中国の有名な古典恋愛小説に《西廂記》(西の部屋の記)というのがありますが、これは、ヒロインの住まうお部屋から来ているタイトルなのでしょう。

ちなみに、西洋では恋を取り持つのは「キューピッド」ですが、中国では“紅娘”(ホンニャン/Hongniang)と言います。それは、このお話で主人公2人の中を取り持つ侍女の名前から来ています。

さて、中国の住居建築として、四合院スタイルはかなり古い歴史があるらしく、なんと周の時代の遺跡からも出てくるようです。

しかし、南北朝時代は一般に、四合院のように敷地の真ん中に大きな空間を作るのではなく、お寺の境内のように、直線状に建物を配置するのが流行っていたようです。

こちらは唐代のお屋敷の様子です↓が、たぶんこれに近い感じでしょうね。
s-唐代の家 中国古代常識.jpg
(《中国古代常識》より)



ここで王さんは、
“按照王府祖例 四爺的側室房外 須建造守福花園”
(先祖伝来のしきたりにならって、若様の側室のお部屋のそとには、「守福花園」をしつらえなければなりません)
と言っていますが…。

は? “守福花園”って何じゃらほい。

香港では安っぽいマンションの名前“○○花園”って付いてることが多く(きっと、英語の○○Garden…って住宅地の名前からの連想でしょう)、“○○飯店”がレストランだかホテルだか分かりにくいのと同様、激しく外国人を翻弄するのですが、それはともかく、建ててどうするのよ、自分とこの部屋の外にそんな安っぽい名前のマンション。

ってゆうか、そんな習慣、聞いたこともないし…と言う前に、建国15年かそこらでしきたりもへったくれもないでしょう…! 

と、無駄遣いはダメだとお小言を喰らったのにもめげず、視聴者がへそで茶を沸かし直していると、白山村のエリカ様もガーデンプレイスなんかよりヒルズ住人を目指しているらしく、

“反正我也不會長住”
(どうせ私も長くは住まないし)

と冷たいお言葉です。

そんな2人の会話を不作法にも立ち聞きしている四爺。ついに雪舞に向かって吠えたてます。

“你就這麼不想住在府裡嗎”
(それほどまで屋敷に住みたくないのか)

言われた雪舞の態度は全然カワイくないですが、表情は百恵ちゃんぽくて、ひょっとして全ドラマ中一番好きかも。

しかし、ツンデレって言葉もなかろう南北朝の四爺は、鑑賞の余裕もなさそうです。
というか、彼女と目を合わせるのが怖いらしい。

この後の「どうしたら良いか分からない!」という動作は、時代劇っぽいですね。

“就算選妃的事情發生又如何。
這并不表示本王就可以讓你走”

(「お妃選び」の話が出たからといって、何事のほどもなかろう。立ち去る許しを与えた事にはなるまい)

と、手を振る動作もそうですね。手のひらが見えますが、生命線長いな…じゃなくて、ほら出た! “本王”ですよ。
何とか自分の権威を絶対的に見せよう(そして、言う事を聞いてもらおう)、という心理が働いてるんでしょうね。

でも、あなただって、腐っても(?)斉の軍神。

向かいから強そうなドブネズミが来ると、いきなり立ち上がったり毛を逆立てたり、2倍のサイズになって何とかビビらせようとする、弱っちいネコみたいな真似はやめたらどうですか。

いえ、雪舞がドブネズミ並みだとか言いたいわけではなく、日本語は続くセリフとつなげて訳していますが、若干、原文とはニュアンスが変わっています。

「なぜ かように嫌がる。后選びを行うと言うのも、屋敷を出ていかせるつもりはない。側室として、気兼ねなどせずに、堂々としておればよいのだ」

この訳は、先ほどの次のセリフと次のセリフの合体ワザです。
“你還是本王的妾”
“也沒有人不允許你 享受少夫人的待遇嘛”

せっかく第11話では“妾”「妻」と訳していたんですから、こここそ、日本語にするなら「私の妻」でしょうね。

あなたは私の妻なのだし、その待遇を受ける資格がある、ということです。
ここで「側室」と訳してしまうと、正妻じゃないけど側室の扱いは受けられるから、という別のニュアンスが加わってしまいそうです。

ここで“妾”が見下だす意味になっていないことは、次の雪舞のセリフでわかります。

“這世界上 不是是是都如人意的。
四爺 你一定會輸
把少夫人的待遇浪費在過客的身上 有何意義呢”

(この世の中、何事も人の思う通りという訳にはいかないわ。
四爺、あなたは必ず負ける。
ただ通り過ぎる者のために、あたら妻のための(豪華な)しつらえをするなんて、
どんな意味があるというの)


ここで雪舞の言う「人間の意思通りにはいかない」というのは、
平たくいえば、運命に逆らうことなどできない、という意味ですね。

雪舞は、四爺には天命とか、運命とかっていう言葉が響かないので、逆側から表現したのでしょう。
“浪費”(無駄に使う)という言い方からして、ここでの“少夫人的待遇”とは、側室あつかい、ということではなく、「厚遇」ということなのでしょう。

このセリフで雪舞の言った“過客”とは、『おくのほそ道』の冒頭、「月日〈つきひ〉は百代〈はくたい〉の過客〈かかく〉にして 行きかう年もまた旅人なり」の「過客」と同じ意味です。

松尾芭蕉によって書かれたこの文章は、唐の詩人・李白の《春夜宴桃李園序》(春夜桃李園に宴するの序)の冒頭、「夫れ天地は万物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり」を踏まえています。

ついでなので、李白の方を見てみましょう。

夫天地者 萬物之逆旅也 天地は万物の旅籠であって
光陰者 百代之過客也  年月は永遠の旅人なのだ

而浮生若夢 為歡幾何  浮世は夢のようなもの 楽しめるときは幾らもない
古人秉燭夜遊,良有以也 古の人は夜も蠟燭を灯して遊んだが それも道理だ

況陽春召我以煙景    まして時は春、たなびく霞は招き
大塊假我以文章     大自然は文〈あや〉を与えたもう

會桃李之芳園      桃李の香る庭園につどい
序天倫之樂事      兄弟打ち解けて語らおうではないか 

羣季俊秀 皆為惠連   諸弟は謝恵連のごとき才の持ち主
吾人詠歌 獨慚康樂   わが歌はその従兄・謝霊運に並びもつかぬ

幽賞未已 高談轉清   幽玄なる景色を愛で 風雅な語らいは尽きず  
開瓊筵以坐花      華やかな敷物に坐して花を眺め
飛羽觴而醉月      酒杯は飛び交い月に酔いしれる

不有佳作 何伸雅懷   佳き詩を詠めばこそ 風流というもの
如詩不成 罰依金谷酒數 詠めぬ者は 金谷園に倣って罰杯を受けよ

4行目、いにしえの人はロウソクを灯して夜も遊んだ、という件は、《古詩十九首》

生年不满百 常懷千歲憂 生きて寿命は百なのに 千年の憂いを溜めこむなんて 
昼短苦夜長 何不秉燭遊昼は短く 辛い夜は長い 蠟燭を手に 遊ぼうじゃないか

を踏まえていると言われます。

最終行の“金谷園”は、これまでにも何度か出ましたね。

金谷園は晋の時代、洛陽郊外に築かれた豪華な庭園で、あるじの石崇〈せき すう〉が、ここで詩を詠めなかったものは罰として酒三斗を飲むべし、という文を作ったことから、のちに、酒席の罰は酒三杯になったと言われております。

なんと「駆けつけ三杯」のルーツは、こんなところにあったんですねぇ…(←ホントかどうか知らないけど)

この石崇も美男子で有名で、蘭陵王と同じく渤海出身の人です。古代、あのあたりには美男のDNAでも流通していたのでしょうか?

そんでまた、詩が作れなければ一気飲みだ!とか、独り身の者は結婚してはならぬ。どうしてもと言うなら阿呆とするがよい、尼寺へ行け!とか、そんなにイヤなら、部屋住まいはやめろ、薪小屋に住め!とか、いきなりステーキ、じゃなくいきなり極端なこと言い出すDNAも受け継いでいるらしいですよね(ハムレットも渤海出身だったのか…

ステーキがお好きかどうかは分かりませんが、渤海出身の貴族様はたいそうご機嫌を損ねていらっしゃいます。

“好啊 那你連夫人的房都別住了 住柴房去好了。
現在就走”

(それなら夫人の部屋に留まることもなかろう。薪小屋に行くがよい。すぐにだ!)

ああ、こんな事言う四爺も「らしく」なければ、雪舞が、あっ、そう、とばかりに出ていこうとすると、すぐに前言を翻して、

“本王不是那個意思。本王說氣話而已”
(本心で申したのではない。腹立ちまぎれに言ったまでのこと)

とご機嫌取りをするのも「らしく」ない…。

そして、何を言い出すかと思えば、

“按照我們的賭注,本王還沒有輸 別得意的太早。”(賭けにだって負けたわけではないぞ。喜ぶのはまだ早い)

と捨て台詞(って言うのか、この場合??)を残して去ってゆきます。もうホント、どうしたら良いか分かんないんでしょうね。少なくとも、それは分かりました。

しかし、最初ドラマを見たときは、彼のこういう態度はこの場だけの、むしろ相手を想うあまりに採ってしまった行動だろうと思っていたんですけど、先の回を見ると、実は冷静に見えて、激高しやすいというか、感情的なことが絡むとこういう後先のことをよく考えない行動を採る人だってことが、割合シビアに描かれていくんですね。

思い出せば前の方の回にだって、少しずつ小出しにこの性格が描写されていました。むむ、この脚本家、できるな…。

つーかさぁ、雪舞は最初っから実家に帰るって言ってるんですから。
四爺、人の話聞いてる?
聞く気あるの?

と思ったかどうか、日本語の雪舞はそれでも可愛げを忘れず、

「鈍いひと。私が喜ぶと?」

って言っていますが、中国語の雪舞様はそんなもんじゃ済みませんから。

“傻瓜。 我怎麼會得意呢”
(バカ。なんで私が喜ばなくちゃいけないのよ)

ちょっと、奥様、お聞きになりました?
なんと、皇族さまに向かって

“傻瓜。”(シャーグワ/shagua/バカ。)

ですってよ。

そんな国家機密を漏らして、生きて斉の国境を出られるとでも?

しかし、ひどい事言われてる間にも、四爺は雪舞の安全を案じ、五爺に相談しています。

自分は太子の取り巻きたちにとって、

“眼中釘 肉中刺”
(目の中の釘、肉の中のトゲだ)

とおっしゃっていますが、字づらからして、邪魔者っていうより痛そう。この言い回し自体は割合新しく、清代くらいからの用例しかないようです。

五爺は、祖珽〈そ てい/Zu Ting〉に手を出させるような真似はさせない、と力強くおっしゃっていますが、果たして…。

さて、祖珽の方は皇后と対策を協議中。
祖珽いわくの四爺の人物評とは、

“為人嚴謹 無偏好 又不好女色”
(人柄は厳格にして公正、女色も好みません)

って、何か褒めてるように聞こえるのは私だけ?

四爺なんか、前の前の回(→第10話。こちら)で、祖珽のお尻にカンザシ投げつけて転ばしたあげく、

“怎麼摔了個狗吃屎啊
以後走路小心點 千萬別再摔了”

(何だってフンを喰らう犬のように、よつん這いに倒れていらっしゃるのです。
歩くときは気を付けて、二度と転ばぬようになさることですな)


なんて、聞くに堪えない言葉まで投げつけたくせに、これのどこが厳格で公正よ?!

となぜか祖珽の肩を持ってしまう視聴者ですが、祖珽は酔っぱらってて覚えてないのかしら?

ま、

つまずいたって
いいじゃないか
にんげんだもの。


一方の日本語訳は上手いこと、四爺をこき下ろしてる感じを出しました。
「なにしろ高長恭は風流をしらぬ堅物。色事を好みませぬゆえ、あやつがこれだと選ぶ娘を送り込むとなると、たやすくはありますまい。」

ふーん、いっちょまえに選り好みか〜。

そこで皇后が選んだのが“鄭兒”〈ヂェンアル/Zhenr〉。
名前はまだない。

つか、みんな鄭兒って呼んでるけど、この人、名前が鄭なんですか?
それとも、苗字が鄭なの?

そもそも、雪舞がしょっちゅう言ってる“鄭妃”って誰?

という私の疑問に答えてくれるものは何もないんですが、とりあえずドラマの方から言うと、“英国公”の遺児で皇后の宮女になり、皇太子・高緯〈ガオ ウェイ/Gao Wei〉とも顔見知りである、という設定になっています。

“英国公”という爵位自体は唐代以降に設置されたようなので、この設定はフィクションでしょうが、“国公”は臣下への爵位としては最高位なので、その子女であれば、王妃どころか皇后に選ばれたとしてもおかしくはない身分と思われます。

一方、史実の方は、正史に
“長恭謂妃鄭氏曰”
(長恭はその妃、鄭氏に言った。)

とされているだけで、名前も分からず、続いてセリフが1行あるだけ。

“妃曰:「何不求見天顏。」”
(妃は言った。「なぜ、皇帝陛下にお目通りを願わないのですか」)

アホちゃうか、皇帝から毒を賜ってるのにお目通りもないもんだ...と思いますが(あらいけない。雪舞につられて言葉が汚くなってしまいましたわ)、この夫妻、どうやらどちらも、あまり世間ずれしていない模様です。

この記述、プラス、安徳王の伝記に、

蘭陵死、妃鄭氏以頸珠施佛。廣寧王使贖之。延宗手書以諫、而淚滿紙。
(蘭陵王が亡くなると、妃の鄭氏は首飾りを寄進した。広寧王(二爺)はこれを買い戻そうとした。延宗(五爺)は手紙を書いてそれを諌めたが、便箋は涙でぐちゃぐちゃだった。)

という記述があるので、蘭陵王のお妃は“鄭妃”だとされているわけです。

何と言っても、彼女は皇族の正妃。その辺の踏雪の…いや、ウマの骨とは違って(踏雪ゴメン!)、どこか良いとこのお嬢さんのはず、というのはドラマのこの回を見ても分かりますね。

そして、“鄭妃”というからには、彼女の苗字は“鄭”のはず。

では、いったい彼女は何者なのでしょうか。

ここは名探偵ディー判事を召喚したいところですが、場所は洛陽で近いけど、時代は唐代はまだ先なのでちと諦め、近場で探すことにしましょう。

まず、私がやってみたのは、《北斉書》の列伝の検索。

この時代の史料である《北斉書》は列伝体で書かれていますので、つまり人物エピソード毎の記録だということです。

皇帝の事績が書かれた〈帝紀〉の次は、皇后や臣下について書かれた〈列伝〉になります。

有力貴族からお妃を選ぶとすれば、列伝に一族が誰かは必ず入ってるはず…と思ったけど、列伝42巻まであるのに鄭姓の人ってなかなか出てこないな〜。40巻にいる鄭仲礼は外戚、と…。

ちょっと待て。

“鄭”って苗字の女性、そういや前にも出てきた気がする。名前は確か…鄭大車〈てい だいしゃ/Cheng Dache〉

さきほどの鄭仲礼は滎陽郡開封出身で、その姉は…鄭大車。

あんまり思い出したくないけど、第9話の2(→こちら)でご紹介した、この御方。

四爺のパパ・高澄〈こう ちょう/Gao Cheng〉の義母のくせに、高澄と密通した人です。

“馮翊太妃鄭氏,名大車,嚴祖妹也。初為魏廣平王妃。遷鄴後,神武納之,寵冠後庭…”
(馮翊太妃〈ひょうよくたいひ〉鄭氏〈ていし〉は名を大車と言った。鄭厳祖〈てい げんそ〉の妹であった。はじめ、魏の広平王の妃であった。東魏が鄴〈ぎょう〉に遷都して後、神武帝に側室として迎えられ、誰よりも寵愛を受けた…)

神武之征劉蠡升,文襄蒸於大車。神武還,一婢告之,二婢為證。神武杖文襄一百而幽之,武明后亦見隔絕。
(高歓が劉蠡升〈りゅう れいしょう〉の討伐に遠征していたとき、高澄は大車と密通した。帝が帰京すると、1人の召使い女がこれを密告し、2人がその証人となった。高歓は高澄を百叩きの刑に処し、幽閉したうえ、その母たる皇后とも行き来を断ってしまった。)

つまり、蘭陵王のじっちゃんである高歓の側室でありながら、蘭陵王のパパ・高澄とも懇ろになったうえにですよ、ここには書いてないけど、高歓との間の実子、馮翊王・高潤(高澄の異母弟。33歳の若さで亡くなりましたが、この人もイケメンだったと史書にある)とも関係があったと噂されている人物。

鄭姓で妃となれば、この鄭大車と親戚とか?

まさかね。

…でも気になるな。そこで、ちょっと「兄」と書かれている鄭厳祖の方を調べてみると…。

《北史》の校勘によると、彼は鄭大車の兄ではなく父だったらしく、滎陽郡開封県(現在の河南省開封市)の人で、その父は鄭道昭

なんと…!

つまり、鄭大車という人は、校勘が正しければ、北魏(→東魏→北斉となります)の有名な書道家、鄭道昭の孫にあたる女性なのです。

書道をやった方はご存知かと思いますが、鄭道昭の書は日本の書道に大きな影響を与えています。wikiによれば、あの相田みつをさんの書道界デビュー作品は、鄭道昭の代表作、《鄭文公碑》の模写(臨模)だったらしい。

よもや、こんなとこでつながってるとは…。

何だかだんだん話がズレてきましたが(いいかげんだもの)、この大物文人・鄭道昭は兄弟がみな北魏の重臣。つまり、滎陽開封がルーツの鄭氏は、古代から綿々と続く名門の一族なのです。

当時、北中国では鮮卑などの胡族が支配者階級に君臨していましたが、彼らだけでは中国を統治することはできませんでした。また、彼らも、中国の支配者となったからには、周辺民族ではなく、中華の王として、洗練された南朝の文化のような貴族社会を築くことを目指していました。

貴族であるためには、結婚相手もつりあう家柄であることが大切です。そこで、北魏(→東魏→北斉と続きます)の時代に、帝室と通婚できる家柄を認定しました。

そのうち、第一級の貴族とされたのが、范陽〈はんよう〉の蘆〈ろ〉氏、清河の崔〈さい〉氏、滎陽の鄭氏、太原の王氏、趙郡の李氏でした。(川勝義雄『魏晋南北朝』

この鄭一族、現代まで続くその歴史が、中国中央テレビの歴史番組でもわざわざ特集で取り上げられているほどです。(→こちら

詳しくは、上の動画でご覧いただければと思いますが、そのルーツは周代(仔ブタ陛下の周じゃなくて、殷の次の周)、紀元前806年に遡ります。周王の一族なんで、そのときは王と同じ“姫”姓でした。

その年に封じられた国の名が鄭だったのですが、のちに鄭国は滅ぼされてしまい、国名を取って“鄭”氏を名乗った、とされています。

皇帝の末裔で、苗字を他からいただいちゃうなんて、なんだか、どっかで聞いたような話ですね。

ま、それは後々詮索するように致しますが、北斉の成り上がり王族、高氏にしてみれば、彼らのような由緒ただしき名門と縁組をすることは大変重要だったことでしょう。なので、蘭陵王の妃・鄭妃も、この名門・滎陽開封の鄭一族の出身だったはずです。

ちなみに、高緯の異母弟、南陽王・高綽〈こう しゃく/Gao Chuo〉のお妃も鄭妃と言いました。

彼女も滎陽開封の鄭氏出身と思われますが、高綽が高緯に殺され、北斉が滅びた後、北周の皇帝・宇文邕〈うぶん よう/Yuwen Yong〉に寵愛されたと言われています。

旦那さんが亡くなって、宇文邕の寵愛を受ける。
これもなんだか、どっかで聞いたような話ですね。

それはともかく。

鄭大車のような、あの高澄パパも手を出すほどの名高い美女がいる一族の出身と思しく、さらに「蘭陵王は皇帝から褒美に美女を送られても、一人を受け取っただけで後は返してしまった」と史書にあるように、大変な寵愛を受けた蘭陵王妃・鄭妃は、ビジュアル、もしくは人柄が、それなりの人だったと思われます。

史書にも記載がある以上、ドラマに鄭妃が登場するのは必然なのですが、「蘭陵王に釣りあう身分」「美女」「(最初は)良い人柄」の3点も、それなりに史実に沿って、ドラマの鄭児の設定に反映されているものと思われます。

さて、そんな鄭児は、蘭陵王のお妃候補に選ばれて、秘かに彼女に恋する皇太子・高緯〈こう い/Gao Wei〉の落胆も知らず、追憶にふけっています。

このシーンで鄭児と一緒に宮中を抜け出したのが、同じく宮女の馮小憐〈ふう しょうれん/Feng Xiaolian〉。 

彼女も史実の人物で、琵琶と歌舞に優れ、北斉を滅ぼした傾国の美女とされ、唐代の大詩人・李商隠がそのトンデモぶりを、がっつり詩に詠んでいるほどです。

ドラマではあっと驚く仕掛けになっておりますが、相当先のお話なので、ここはとりあえず、戻って回想シーンの方に参りましょう。

こっそり宮中を抜け出して、街へ遊びに行ったと思しき鄭児と小憐の2人。見回りの兵士に見つかりそうになり、物陰に隠れますが、鄭児は通路にかんざしを落としてしまいます。

兵士が不審に思ったところに、四爺が登場して、こう言います。

「私の侍女のものだ。安徳王の宴が始まった。行くがよい。」

ここは少し若い表情をして、吹き替えの声も頑張って若い感じにしていますね。

ウィリアム・フォンは以前インタビューで(→第9話の2)、同時期に《錦鎖秋》《虎山行》の2つのドラマを撮ったと言っていました。

この2本、片方は「文」、片方は「武」の芝居、とカテゴリーは違うものの、時代は民国初頭、お話の舞台は南中国、お召し物は長衫、髪型はスケベ分け 断髪、どっちもいいとこのぼんぼんで遊び人、と、かなり似通ったキャラ。

その割には、どちらも全く別の人に見える好演だったんですが、年齢自体も10歳は違って見えました。なので、同じドラマで同じ人物を10年演じ分けるくらいは訳ない…はずです(同じキャラでそう見えないときがある、っていうのは問題だけど)。

そりゃいいんですけど、このときの衣装が、数年後?のシーンと全くおんなじですよね。
さすが贅沢を嫌う蘭陵王、着たきり雀なんでしょうか。

しかし、相手が朱雀ではなく雀とは夢にも思ってない(おばあ様さえ高緯が雀だと思ってたくらいだし)、二人に向かって、さすがはあの中国史きってのプレイボーイ・高澄の皇子の面目躍如か、ニッコリして話しかけます。

“我見過你” (どこかで会ったね)

こんなの、いまどき渋谷のニセスカウト野郎でも言わないって。
と思うようなセリフを聞いて、ちょっと嬉しそうな鄭児。

ですが続くセリフは、

“你不是皇后的侍女嗎? 難道你不知道這兒的規矩嗎?”(皇后さまの侍女では? 宮中の決まりを知らないわけではあるまい)

だったので、ちょっとバツが悪そう。

この時代の決まりがどうだったのかはよく分かりませんが、《宮》なんか見てると、宮殿には入るのも難しいけど、出るのも特別な許しが必要だったらしい。

しかし、宮女の境遇に同情していた四爺は、イエローカードを出しただけで立ち去ろうとします。

“以後出來的時候 小心點,啊”(次に抜け出すときは注意することだ、わかったね)

しかし、逆ナンパを忘れていない鄭児は(こちらも、さすがは鄭大車の親戚。あ、ドラマは違うのか)、助けの手を差し伸べてくれた王子様の名前を聞き出し、

“日後有機會 一定會報答王爺的”
(この先機会があれば、必ず殿下に御恩をお返しいたします)と誓います。

言われた四爺は、もうあんまり関わりあいになりたくなかったのかどうか、宮女が手にもっていたものを取りあげて、

“這個就算你報恩了 以後要小心點”(これで借りは返してもらったことにしよう。次からは気を付けるんだよ)と言って去ってゆきます。

このまゆ玉のような真っ赤なお菓子は、サンザシの実の飴がけ、“糖葫蘆”〈タンフールー/tanghulu〉ですね。北中国では、冬になると屋台でたくさん売っています。売り歩く人もいました。食べたことないけど…。

それにしても、こんな庶民のオヤツを取り上げたばっかりに…高くついたなこりゃ。

しかも、この人、奥から出てきて、また奥に戻ってしまいましたが、何しに出てきたんでしょう…?五爺主催の宴会には、出なくていいの?

ね、カツアゲはいいけど、元々の用事、忘れてないですか四爺。

…いや、久しぶりに女の子と口を利いたので、結構、心臓バクバクだったりして。

だって中の人も、クールな顔して女の子の前にでると…。

アラフォーの今になっても相変わらずで、クラスメートからさんざんっぱらからかわれている、女の子を前にするとつい出てしまうウィリアム・フォンのくせとは何でしょう。

長くなったので、その答えはまた次回!(記事はこちら第12話の2
posted by 銀の匙 at 01:53| Comment(8) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

取り急ぎ、残暑にお見舞いしてしまいます…。

こちらには、記事の素材の一部として、インタビューをアップしておりました。コメントをいただきましたので、記事タイトルを残しておきます。

インタビュー自体は、第9話の2(→こちら)に移設いたしました。ご覧になりたい方は、そちらをどうぞ。

posted by 銀の匙 at 01:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする