2017年10月28日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編1

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《那片星空,那片海》(あの星空、あの海。)は、小さな南の島での、たった3カ月の恋を描いた物語。

桐華さんの同名小説からテレビドラマ化され、主役の呉居藍〈ウー・ジュイラン〉をウィリアム・フォンが、ヒロインの沈螺〈シェン・ルオ〉をクオ・ビーティンが演じています。

ってことで、前回のネタバレなし編に引き続きまして、今度はネタバレありで、お話を見て参りましょう。

小説を読んでみると改めて、テレビドラマは上手いことつまんで作ってるな〜と感心します。主人公の口数が少ない、という設定もあるのでしょうが、あまりセリフに頼らないで、俳優の動作や表情、カット割りに登場人物の気持ちを語らせる進行はドラマならでは。

小説の方はというと、(私の感覚では)文体とか描写とか、かなり俗っぽい印象なんですけど、最後の最後でいきなりものすごく哲学的な高みにのぼっていくという、なかなか奥深い作品であります。

小説とドラマを両方見て納得したところも結構あります。たとえば、〈時間〉にまつわる3枚の絵のエピソードとか、霊珠の効力の話とか、白魔術師がなぜ人魚王に忠義を尽くしているのかとか、その辺の話はドラマ(少なくとも第1季)では説明が端折られてるので取ってつけたような感じがするんですが、小説ではより具体的で、プロットの進行に巧みに絡んできます。

特に、「3枚の絵のエピソード」は、ドラマではすごく唐突な印象で、呉居藍よ、自分をそんな美化して描いてどうするの…(笑)としか思えなかったんですけど、なるほど、小説ではかなり印象に残る話なんですね。

この物語には大きなポイントになるテーマが2つあるのですが、エピソードの順番などの関係で、小説とドラマではそれぞれの比重が逆転していて、片方のテーマを見落としがちです。

でも、小説とドラマの両方を見ることで、それぞれが2つのテーマをきちんと織り込んでいることが分かり、もう少し深く話をとらえることができたような気がします。

と言うわけで、皆さまドラマの方はご覧になったでしょうが、いちおう、ドラマ(全32話)のおさらいもしつつ、小説(プロローグ+20章)を見ていくことにいたしましょう。



プロローグ
このパートは、小説もドラマも全く同じで、ドラマの方はナレーションが小説をそのまま読み、画面はアニメで表現されています。

月光の下、死神が鎌を振るって、ある男子の命を刈り取ろうとしています。この運命を逃れる術を尋ねる男子に、死神は、お前のために命を投げうってくれる少女を探し、その魂を差し出させれば助かるだろう、と告げます。どうやったらそんなことが出来るのか、と尋ねる男子。死神は、少女が心からお前を愛するようにすればよい、と教えます。するとまた、どうしたら心から愛してくれるのか、と尋ねる男子。

死神は、いい加減、自分でググれ!!とは言わず(よっぽど言いたかったでしょうけど)、ニヤリと笑うと、自分の心を相手に差し出せばよいのさ、と答えます。
〜〜〜
小説では、この部分が、がっつり罠になっているのですが、ドラマでは、関係あるようなないような微妙な感じです。ひょっとしたら、ドラマの第2季か3季の伏線になっているのかも知れません。分かんないけど...。

第1章
おじいちゃんの葬儀の翌朝、「私」は早く起きて、庭の掃除をしていました。ここは小さい頃住んでいた、南の島にあるおじいちゃんの古い家で、「私」はおじいちゃんの看病のために戻っていたのです。

掃除の途中で外塀にある門を開けると、上は海員服、下は観光客が履くような短パンというおかしな身なりの素足の男が、意識を失って倒れ込んできます。

助けを呼ぼうと電話をかけているうちに、男は目を覚まして、医者を呼ぶなと言ったきり黙ってしまいます。その眼を見た「私」は、まるで満天の星が輝く夏の夜の海が映し出されているような、不思議な気持ちに囚われるのでした。

“那是怎样一双惊心动魄的眼眸 K中透着靛蓝,深邃、平静、辽阔,像是风平浪静、繁星满天时的夏夜大海,整个璀璨的星空都被它吞纳,整个宇宙的秘密都藏在其间,让人忍不住凝望、探究”
(それはどんなにか心震える瞳だったことだろう―深い青を湛えたその黒い瞳は、静かで、深く、そして果てしなく、まるで風も波もない、満天に星が輝く夏の海のようで、星々を散りばめた空のすべてを、宇宙の秘密のすべてを宿し、見つめずにはいられない、その奥にあるものを知らずにはいられないと思わせた)

男が所望する水を飲ませている頃には、葬儀のために上海から祖父の家に戻ってきた父、継母、そして腹違いの弟が起きてきます。

そこへ、きちんとした身なりをした、上品な男性が訪ねてきます。遺産相続の手続きのために島外から呼ばれだ弁護士の周不聞〈チョウ・ブウェン〉氏で、彼の裁定で14歳の弟はすべての預金を相続し、25歳の「私」・沈螺〈シェン・ルオ〉はおじいさんの家を相続することになります。
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周不聞

手続きも済み、帰り際に、弟は家に残されていた古い鏡を持ちだそうとして沈螺と大ケンカになります。沈螺の抵抗もむなしく鏡は持ち去られ、独り残された彼女は、堰を切ったように泣き出します。そこで彼女は、今朝行き倒れていた男がまだその場に居て、こちらを見ていることに気づくのでした…。

〜〜〜〜〜〜

この時点では迷い込んだ野良猫を保護したような気分でいた沈螺。ボロボロの猫ほど情が移ってしまうものですが、果たして…。

ドラマの方は、つかみが大事ということか、第1話の冒頭はド派手にニューヨークのシーンから始まり(豪華な予算で結構ですこと〜☆)、視聴者は最初から、主人公の又吉…いえ、レグルスが常人ならざる人物で、女魔術師の老ヴァイオレットの招きで海からやってきたことを知ります。

レグルスは150年前、友人とばかり思っていた杜少林という男に、生命の源である「霊珠」をだまし取られ、あと3か月の命。そんなギリギリのタイミングで、ついにヴィオレットは杜少林の逃亡先である、南の島の古い家を探し出し、そこに霊珠があるはずだと彼に告げます。

もっと激怒しても良さそうなもんですが、登場したばかりのレグルスは淡々とした様子で、それほど奪回に積極的にも見えません。

(実はこの回を見ているときは気づいてなかったんですけど、後の方の回になって思い返すと、小説で重きが置かれたポイントは、実はドラマでもちゃんと初回から設定され、表現されていたんですね…。なのでこのシーンはとても重要)

ちなみに、ドラマでは継母は出てくるんですが、お父さんと弟は画面には出ません。継母役のさんは、なんとドラマの第2季にも登場します。

第2章
身内とのみっともないケンカを行き倒れの浮浪者にずっと目撃されていたと気づいて、憤る沈螺。しかし、彼が他に頼る人もない身だと分かると、彼を引き留めて、ここで働かないかと持ち掛けます。しばらくの沈黙ののち、相手は承諾し、呉居藍と名乗ります。

シャワーを浴びて、白いシャツと黒いズボン、というシンプルな服に着替えた呉居藍を見た沈螺は驚きます。
“夕阳在天,人影在地,他白衫K裤,笔直地站在那里,巍巍如孤松立,轩轩如朝霞举,眉目如画,色转皎然,几乎不像尘世中人。”
(空を染める夕陽を受けて、大地に影が伸びている。白いシャツに黒いズボンのすらりとした立ち姿は 独りそびえる松か 立ちのぼる霞を思わせた。整った目鼻立ち、抜けるような白い肌、まるでこの世のものならぬ雰囲気をまとっていた)

それでも、彼を完全に信用したわけではない沈螺は、その夜、万一の用心にと寝室のドアの前に空き瓶を立て並べて休むのでした。

〜〜〜
呉居藍の美しさに圧倒される沈螺ですが、古典的な形容詞を使って、彼が時代を超える存在であることを匂わせています。

それにしても呉居藍…。日本語で言ったら、野比のび太とか伊奈かっぺいみたいな安易なネーミング、呉居藍(吾居藍:私は藍色(=海)に住んでいる、と同音)といい、江易盛(江医師、と同音)といい、朱一様(豚みたい、と同音)、といい、巫リャンリャン(美貌の魔女の意味)といい、何でこんなに投げやりな名づけなの?とドラマを見てたときは思ったもんですが、原作を読むと江易盛は子どもの頃からあだ名が江医師だったとかって書いてある。確信犯(誤用)だったのか。

まあ、お話と切り離せば呉居藍ってなかなか素敵な名前だけど…。

小説でもドラマでも、沈螺がおじいさんから引き継いだ家がとても重要な役割を果たします。小説の家の描写は見事なんですが、ドラマの再現度もスゴイですね。住みたいな、こんな家。

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小説では、この家を周不言が気に入ったことからトラブルが始まるのですが、ドラマでは淡々として穏やかな日々の素晴らしさの象徴として、要所要所で家の風景が映ります。


第3章
翌朝、ビンが倒れずに立っているのを見て、沈螺はホッとします。窓を開けると、晴れた空の下、鮮やかな花が咲き誇る庭で、呉居藍が洗濯物を干しています。
“这么一幕简单平常的家居景象,竟然让我的心刹那变得柔软温暖”
(こんな何てこともない日常の風景に、私の心はたちまち和んで温かくなった)

…とほっこりしたのもつかの間、彼女は呉居藍が、洗濯機も使わず、いえ、洗剤も使わず、パソコンを恐らく見たことがなく、下手をするとエアコンもレンジも冷蔵庫も使ったことがないのではと気づきます。どんな山奥から来たのか、あるいは実家が信じられないほど貧乏なのかと訝るものの、プライドが高そうな呉居藍を傷つけないように、さりげなく説明書をそろえて、見ておくように促します。

そこへ、幼馴染の外科医・江易盛が、昨日の周弁護士と、その従妹の周不言を連れて遊びに来ます。礼儀正しく弁護士に接する沈螺に江医師は大笑い。実は彼は高校の頃、江医師、沈螺と仲良し三人組で、彼女に人生初のラブレターをくれた李敬(あだなは大頭〈ダートウ〉)だったのです。父親の死後、彼は島を離れ、母の再婚相手と養子縁組をして名前を変えていたのでした。

呉居藍は彼らに、自分は沈螺のいとこで、プログラマをしていると自己紹介します。無愛想だけどウソをつかないのが彼の長所だと思っていた…っつーか、さっきまでパソコンの使い方知らなかったよね?と、沈螺は驚きますが、ウソをつかないのではなく、不必要なウソはつかないのだと考えを改めます。周不言は沈螺の家が気に入り、高額の家賃で借りたいと申し出ますが、沈螺はここで民宿をするつもりだからと断ります。

〜〜〜

ドラマの呉居藍もビール瓶に侵入を阻まれますが(笑)、手で触れずに物が動かせるので意味なかったですね。ドラマの沈螺は、彼が江医師(ホアン・ミンが演じます)の連れてきた“禁欲系”という触れ込みのボーイフレンド候補だと勘違いして家に泊めてしまいます。

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情にもろいけどケンカに強い、鉄火肌?のヒロイン・沈螺

私は長年「草食系」の中国語訳が“禁欲系”なんだと勘違いしてましたが、かなり意味が違いました(恥・すみません、トレンドに疎くて)。代表的な人物は《花千骨》〈はなせんこつ〉でウォレス・フォ(霍建华)が演じた白子画あたりだそうなんですが、外見はクールでも内に秘めたる情熱が、というとむしろ《琅琊榜》(ろうやぼう)でフー・ゴー(胡歌)が演じた梅長蘇がイメージ通りなんだけど…。まぁ、いいや。

ドラマの呉居藍は小螺の同情を引き、“卖萌”(「萌え」を売ったわけね・笑)成功して置いてもらうんですが、民宿経営の人手に雇われたわけではなく、当初はただの居候です。とりあえず、恩返しのつもりか炊事したり洗濯したり掃除したり自主的にやってるんですけど、リモコンをさわったらいきなりテレビがついて…

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驚いて、壊した(笑)ので、働いて弁償するというトホホな展開に。

さて、ドラマの方の大きな改変の1つは、初盤ではおじいちゃんがまだ入院している設定になっていることです。おじいちゃんが自分亡き後の沈螺を心配して、彼氏はいないのか、連れて来なさいとしつこいために、沈螺は呉居藍を恋人に仕立てて凌ごうとします。

呉居藍は呉居藍で、彼が霊珠の行方を知っているはずだと疑い、ついにはおじいちゃんに殺されそうになります。この人の好さそうなおじいちゃんがどうして…という謎は中盤で明らかになりますが、謎解きの役割に加えて、去り行く運命のおじいちゃんと残される沈螺というプロットが、後半にリフレインされる展開になり、テーマに奥行きを与えています。

小説ではこの形でのリフレインがないのね、と思っていたら、ちょっと違う形で用意されているんですね。
そのあたりも続けて見ていきましょう!ということで、今回はここまで。

次回は →こちら からどうぞ。
posted by 銀の匙 at 16:39| Comment(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

ベイビー・ドライバー

実は先日、音の良い劇場で観ようと立川シネマシティの席を予約しといたのに、天候に阻まれて断念。それでも執念で再チャレンジいたしました。

立川まで行く時間がどうしても取れなかったのと、お金を損したのがちょっと悔しくて(←映画館のせいじゃなくて天気のせいですが)、新宿の別の映画館で観たのですが…

悪いことは言いません。
絶対音響の良い映画館で観ましょう!

クライムものは残虐だからやだなぁと思っていましたが、そんな苦手意識を吹っ飛ばす音作りに、グッとくること請け合いです。

歌や楽器で出す音だけじゃなくて、身の回りのどんな音も、町の喧噪も人の話し声も雑音も、すべては音楽だと常々思っていますが、この映画はまさにそれを体感させてくれます。

主役の「ベイビー」は幼い頃の交通事故が原因で耳鳴りが止まず、それを誤魔化すために音楽が手放せません。アーティストの演奏を聴くばかりでなく、自分でも録音機を駆使して素材を集め、ミックスして面白い音源を作り出します。その音楽に乗り、彼は自在に車を操ります。

その天才的なドライビングテクニックを見込んで、町の麻薬王が強盗の「逃がし屋」として彼を使っています。協力したくなくても、養い親やガールフレンドの安全を考えると仕事を断れないベイビー。麻薬王は、次の仕事が終われば解放してやると約束するのですが…。



全編を彩るご機嫌なナンバーはもちろん、音にピタリと嵌るベイビーの一挙一動から目が離せません。クールに見えて心の優しいベイビーは当然のこと、ガールフレンドのデボラも慎ましやかながら機転の利く良い娘で、とても魅力的です。

彼女には「ドライバーの仕事をしているが、もう辞める」と言っていたベイビーですが、無理やり仕事を手伝わされた上に、彼女が働くダイナーに仕事で組まされたワルたちを連れて入る羽目になってしまいます。

この店は嫌いだから入りたくない、と、いつも無口なベイビーが珍しく抵抗したために、却って知り合いがいると嗅ぎつけられてしまう。

ワルの一人が、注文を取りに来たデボラに「この店が嫌いなんだとよ」というと、瞬時に状況を悟って、ベイビーと知り合いということを微塵も感じさせず、震えながら「それではアンケートにご記入ください、改善させていただきます」と咄嗟に答えるシーンがとても好き。

かなりスリルのある展開の割に最後が非常にマイルドなのが、ハードボイルド好きの方の評価が辛い一因でしょうが、救いのあるこの甘い展開が清教徒っぽさを感じさせて、私は好きです。せっかくハリウッド映画なんだから、厳しい現実より、こういう人の善意を感じさせるラストでなくちゃ…。


敢えて名は秘す新宿の映画館で観ました。
音の焦点がボケててイライラしました。
担当の方は、調整頑張ってください! よろしくお願いします。

posted by 銀の匙 at 01:23| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ 2の1 ネタバレなし編

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台風と共に夏も去ってしまい、あぁ、今年も夏の海の「う」の字も見られなかった…と涙目になっております銀の匙です。

だからという訳でもないんですけど、ヤン・ミーとマーク・チャオが熱演してる《三生三世十里桃花》を途中で投げ出し(そりゃ、話も面白いし、ヒロインを演じるヤン・ミーは一児のママとは思えないほどチャーミングで素敵なドラマだったんだけど、桃は春だし崑崙山が舞台の回は季節感がなくて、って当たり前か…)、リゾート気分満載の、男子版ラブロマンス付きメアリー・ポピンズ《那片星空,那片海》(「あの星空、あの海。」)に乗り換えてしまいました。

絵面がパステルカラーで美しく、青中心のコスチュームも綺麗で大変目の保養になったのですが、ファンタジックなお話の底に、原作由来と思われる重いテーマの錨がついてて結構面白く見ました。

32話しかないから夏の終わりと共に見終わってしまったんですけど、中国語版はよく見るとタイトル文字の脇にちっさ〜く「I」の文字が。

続きがあるのね…!

早速DVDを取り寄せて観よう!と思ったら、本国でも放映自体が今年(2017年)の10月以降らしい。

なぜ、夏の話を秋にやる!?
(追記:↑ 第二季が始まりましたが、最初の方のエピソードに中秋節が出てきます。ってことは、秋の話なんですね...。失礼しました!
夏の海の続きは秋の海 ♪いまは〜もう秋〜 だれ〜もいない海〜(泣;;)


それはともかく、このロスをどうしてくれようかと思う間もなく、同じく、タイトルに原作小説からの改変と表示があったので、いっちょその原作を読んでみようかと思いたった次第(忙しいとか言って、ヒマなのか?…いえ、問題山積のため現実逃避ですホントすみません)。

てわけで、前置き長かったですが、本自体は2日もあればスキマ時間で十分読めます。ぱっと見、同じ描写を何回も使いまわしてる印象で、何これケータイ小説?みたいな箇所が多いのは否めないものの、時々ちらほらと作者の古典の素養を見せつけるような部分もあったりします。

どうやら作者はただもんじゃなさそうだし、話も単なるライトノベルって訳でもなさそうだ…とは思いはすれど、最初の1、2章は特に、格段ワクワクするようなエピソードでもないので、後ろの展開を知らないと投げ出してしまいそう。

いきなり原作から読んだ人は偉いな〜、と思ったら、作者は《宮廷女官若曦》の桐華さんなんですね。なるほど、実績があるので、みんな頑張って読んだわけか…。

ということで、これから読まれる方もいらっしゃるでしょうから、
今回は「これから読む方向け」に重大なネタバレをしない程度に簡単なあらすじ+テレビドラマとの大きな違い(ネタバレしない範囲)と感想にとどめておき、

次回は「小説は読まないと思うが、章ごとの内容が知りたい方向け(ネタバレ)」+テレビドラマとの細かい比較と感想を書く、

という構成で、さっそく参りましょう!



さて、いくらネタバレなしとは言っても登場人物の紹介ぐらいはしておくと、主人公は沈螺〈シェン・ルオ/ドラマではクオ・ビーティンが演じます〉という女性で、小説全体が彼女の一人称視点で書かれています。

つまり、プロローグ(これはテレビドラマの最初にアニメで登場した内容と全く同じ)を除いては、沈螺が知らないことは読者にも伏せられています。

なので、彼女の家に現れた謎の人物が何者なのかは、しばらく読まないと分かりません。

いきなりビックリなのですが、小説はドラマ前半の重要人物だった沈螺のおじいさんが亡くなってから始まります。逆に、テレビドラマにはついに登場しなかった沈螺のお父さん、腹違いの弟、お父さんの再婚相手(継母・こちらはドラマに登場)がしょっぱなから登場します。

ということで、ヒロインは複雑な家庭環境の紹介と共にかなり暗い雰囲気を醸し出しつつ、故郷の島のおじいさんの家の敷地で行き倒れている、服はボロボロなのに「優雅なピアニストのような手指をした」浮浪者(?)を助けるわけですが、何せ状況が立て込んでいるので哀れ浮浪者はちらっと出たきり、章の終わりの方まで放置されてしまいます。

そうこうするうち、家には父親が依頼した「周不聞〈チョウ・ブウェン/ドラマでは隋嘆良が演じます〉弁護士」がリュウとした身なりで現れ、テキパキと遺産相続の手続きが進みます。

結局、現金は弟が、おじいさんが住んでいた古い家は沈螺が相続することに決まるのですが、弟はかなりわがままな性格で、沈螺が必死に抵抗したにもかかわらず、おじいさんが残した銅鏡を取り上げ、一家は沈螺を残して今住んでいる上海に帰ってしまいます。

ようやく静かになって、おじいさんとの別れに泣き崩れた沈螺はここでようやく浮浪者の存在を思い出します(というか、思い出さざるを得なくなったのですが)。

彼がまた、助けられたというのに冷淡な態度で、無表情な上に口数も極端に少なく、待っていろと言われればじっと座って待ち、出て行けと言われれば出ていこうとする素直(?)な人物で、沈螺は仕方なく独りであれこれ喋っているうちに、彼に、この家に残って働かないかともちかけることになります。

実は沈螺は、おじいさんの介護をしようと仕事をやめて島に戻ってきてしまったため、家を民宿にして経営しようと考えており、人手が必要だったのでした。

男性はあっさりと提案を承諾し、呉居藍(ウー・ジュイラン/ドラマ版ではウィリアム・フォンが演じます)と名乗ります。

彼は掃除洗濯食事の支度と、言われた家事は完璧にこなす一方、洗濯機やテレビ、パソコンといった電化製品は見たこともなかった様子で、沈螺はいったいどんな山奥から来たのだろうかと内心驚きます。そこへ、幼馴染みの江易盛(ジャン・イーション/ドラマでは黄明が演じます)医師が、周不聞弁護士と共にやってきます。

実は周弁護士は沈螺の幼馴染みの李大頭〈リー・ダートウ〉で、父親の死後、母の再婚に伴って継父の養子になり、海外で暮らしていて島に戻ってきたところでした。

話に加わった呉居藍は、いきなり自分は沈螺の従兄だと言い出し、プログラマをしていたと自己紹介をします。ちょっと前までパソコンの使い方も知らなかった(っていうか見たことなかった?)くせに、一体この人は何者なんでしょうか…。



第3章まではこんな感じで、プロローグから始まり、全19章プラス、エピローグで終わります。ドラマをご覧になった方はお分かりかと思いますが、ここまででも小説とは内容がかなり違います。

ドラマでも、お話の舞台はいちおう中国国内になっているものの、ファンタジーっぽくぼかしているのに対して、原作はもっと中国色を濃厚に感じる設定になっています。

そして残念なお知らせですが、原作には宿敵の安佐〈アンズゥオ/ドラマではサニー・ワンが演じます〉は出ません
ドラマでは第2部の予告にまで出てるのに…しかも、クオ・ビーティンのお兄さん役で。
(予告編はこちら↓
 https://www.youtube.com/watch?v=CqD8XP_-NBU )

しかも、演じてるサニー・ワンご本人の境遇が、かなり呉居藍と被ってるんですけど(どこが被ってるかはネタバレになるから内緒。どうですか、ドラマをご覧になった皆様?)。

悲報はさておき、最初に書きました通り、小説の方は沈螺の視点から書かれているので、逆に、彼女がどんな人だか良く分かりづらいんですよね…。

描写のかなりの部分は彼女の独白が占めているのですが、情に篤い女性に見せたいらしいにも関わらず、状況説明も彼女の独白が担っているので、ずいぶんと冷静に観察・計算してる人だなという印象を受けてしまい、ドラマのような溌剌とした魅力に欠けるように思います。容姿についての描写もないし…。

呉居藍については、もう少しは描写があるのですが、どうも片側からだけライトを当てているような平板な感じな上に、あらすじですでにお分かりのように、口数が少なく、品格があって言葉で誤魔化すようなことはしない、という人物像と、咄嗟に身分を偽るようなことが言える人、という描写が矛盾しています。これについては作者もまずいと思ったのか、沈螺に後であれこれ考察させているんですけど、キャラが分裂している印象は拭えません。

ドラマの方は、一貫して寡黙なイメージを崩さず、誤解を受けたり、追及されたりすると「物凄く不機嫌そうな顔で相手を睨んで押し黙る」という、メアリー・ポピンズそっくりな必殺技で通します。

(ディズニー映画しかご覧になってない方はご存知ないかもしれませんが、ナニーとしてバンクス家に雇われているメアリー・ポピンズは、原作ではこの技でいつも雇い主を怯えさせているんですね〜♪)

一方、ドラマで気の利いたセリフがあると、ほとんどは原作からの引用のようなので、そういう面からするとさすがは人気作家さんだと感心したりもします。

それに、おおすじ韓流ドラマのあらすじで観たような内容(「星から来たあなた」とか…)に見えるけど、後ろにこの作品なりの(ドラマともやや違う)テーマが見え隠れする点が、単なるエンタメ小説とは違うところ。

でも「宮崎駿のアニメみたいな空」とかって自然描写は、小説としてどうなんだろう…。いえ、クール・ジャパンをお取り上げくださり、ありがとうございます! これからもご贔屓に!

ということで、ちょっと先になるかと思いますが、次回のエントリーではネタバレを含んでドラマと小説を共にご紹介したいと思います。

では、次回2の2、ネタバレ編→こちらにてお会いしましょう!

posted by 銀の匙 at 10:05| Comment(6) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

マンチェスター・バイ・ザ・シー(注意表記以降、ストーリーの結末に触れています)

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最初、「海辺のマンチェスター」って意味のタイトルなのかと勘違いしており、なんでイギリスの話なのに車が道路の右側を走ってるんだろう…EUから離脱して左側通行はやめたんだっけ?とか妙なことを考えてました。道路脇に星条旗が出てきたので、はっ、アメリカの話か! とようやく気づきはしたのですが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」までで、アメリカのマサチューセッツ州にある、町の名前なんですね…(恥)。

お話は、仲良くしていた兄の訃報を聞いて、その海辺の町に戻ってきた弟・リーと彼を取り巻く人々を描きます。

リーも元々この小さな町に住んでいたのですが、ある事件をきっかけに町を離れ、ボストンで修理屋として働いています。

兄は心臓の持病があり妻とも離婚していたことから、亡くなる前に高校生の息子の後見人として弟を指名し、ボストンから兄の家に引っ越して面倒を見るよう、遺言を残していました。

しかし、それはリーにとってはあまりにも辛い選択でした。甥っ子は住み慣れた場所、友達のいるこの町を離れたくないと抵抗するものの、それを打ち消すように、彼を連れて早くボストンへ戻ろうとするリー。しかし、その間にも、過去につながる記憶や人々と接点を持たざるを得なくなります。そして…。



2017年のアカデミー脚本賞を取った作品ですが、無理に作り込んだところのない自然な展開で、それだけにいっそう、主人公の鬱屈が心に沁みます。

カトリックの子だくさんで飲んだくれで喧嘩っ早くて愛想が悪くて暗くて…と、ある種ステレオタイプ(たぶんアイルランド系の人??)の人物像ではあるものの、現実にいそうな、いかにも自ら不幸を招き寄せそうな男を、ケイシー・アフレックが体現しています。

これほどの打撃を受けたあとでも、そうそう都合よく人が変われるはずもないし、救いや慰めが得られるわけもありません。ただ、主人公自身のほんの少しの変化と、彼を取り巻く人々―別れた妻や父を亡くしたばかりの甥っ子までもがー何かの形で力になろうとしているのを見ると、わずかではあるけれど、希望の光が見えてくるような気がします。


ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
補助席も出る大盛況。
今年の話題作としてまた上映される機会もあるかと思います。
どうぞお見逃しなく。

以下、ストーリーの核心に触れています。これからご覧になる方はここまで。













ボストンで孤独な暮らしを続けるリーが、兄危篤の報を受けて故郷の町へ帰り、兄の居た日々を思い出したりしているうちに向き合わざるを得なくなる事件とは、自分の不注意で自宅を全焼させ、子供たちを失い、妻とは離婚するという救いようのない出来事。

小さな町のこととて、周りは彼の名を聞けば事件を思い出すし、今は再婚している妻とも顔を合わせることになってしまい、彼はどんどん追い詰められたような感じになってくる。それでも、兄が亡くなった当初の自暴自棄のような態度からは少し冷静になってきて、自分はどうしても過去を克服できないながらも、克服できないことを自覚し、甥っ子のためにしてやれる範囲の手立てを考えてやることはできるようになっている。

これがいわゆる「感動作」だったりすると、新しい愛を見つけてみたり、甥っ子と気持ちが通ったりみたいな描写があるのでしょうが、この映画はそんな安っぽいところに逃げてない。

ただ、エンドロールの波音を聞きながら、厳しい寒さに耐えなければならないこの町の冬景色が美しいように、厳しい運命に生きるからこそ、彼の行く手に救いがあってほしいと祈るような気持ちになる、静かで力強い良作です



posted by 銀の匙 at 20:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ありがとう、 トニ・エルドマン

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暑いところに暑苦しいチラシ画像、失礼いたしました。

この毛むくじゃらの図に添えられたコピーが、全てを物語っております。

「愛は不毛じゃない」

さ…

…寒っ!

一言でこの映画の本質を表した、まさに秀逸なるコピーでありますが、お話はまさにこの通り、全編これ全然笑えない、しばらく考え込む、腹立たしくなる、あるいは気づかない、痛々しいおやじギャクがさく裂しております。

いや、ギャグというよりは、イタズラというかむしろ嫌がらせの領域に両足を突っ込んでいるのですが、それでもヴィンフリートはめげません。多国籍企業で働く氷のようなキャリアウーマン、イネスの父として、娘を心配するあまりに後をつけまわす、カルガモの逆バージョンみたいなことを平気でやってのけます。

娘の海外出張先・ルーマニアに堂々と乗り込み、明らかに厄介者扱いされるだけでは飽き足らず、妙なカツラに謎の入れ歯をはめて、勝手に人生コンサルタント、トニ・エルドマンを名乗り、娘の行くところ行くところに現れ、結果的に仕事の邪魔ばかり。

そんな強烈かまってちゃんな父親の行状に切れ者イネスもだんだん歯車が狂ってきて、上司や同僚を交えた大事な場面で、ついに突拍子もない行動に出てしまいます…。



いや〜、わたくし、リアルで行動がトニ・エルドマンそっくりの傑作なお父さんを存じ上げているのですが、端から見てるとすごく面白いんですけど、娘さんは相当ウザく思っているでしょうね...。映画館でこのお2人にトークショーをしてもらったらどうかと思うけど、娘さんはきっとうんとは言わないだろうな(笑)

もっとも、自分は娘の立場とはいえ、ヴィンフリートの気持ちはすごくよく分かります。いつまでも小さな子どもにしか見えない娘が、大人ぶって危なっかしいことばかりしている。ただもうおろおろと、後ろにくっついてちょっかいを出すことしかできない。

娘の方は絶対心底嫌なんだと思いますが(笑)、どこかで、自分の今している仕事の非道さを感じていたのでしょう。何とかそれにフタをしてクールに振る舞ってきたけれど、ついに臨界点に達するときが来る。それは、父の存在がなければ、こうも早く表面化しなかったものかも知れない。

娘と違って父は芸術家(音楽家)なので、奇行もそれなりに許されてきたのでしょうが、いきなり思い切ったことやっちゃう娘も、やはりそのDNAを受け継いでいたんでしょうかね…?

この映画を観るまで、ルーマニアってどんなところか全然知らなかったのですが、今はこんな感じなんですね。石油資源を求めて企業が群がり始めているようですが、日本でもときどきルーマニアの話を見聞きするようになったのはそのせいなんだろうか、と思ったりしていました。ちょっとトニ・エルドマンにちょっかい出されているのかも知れません。

なんて、映画を観ながらあれこれ詮索するヒマがたっぷりあります。全体に話の展開がスローだし、エルドマンは笑えないし。

ハリウッドでリメイクの企画があるそうで、それだと気の利いたエピソードやら盛り上がるシーンやらが巧みに配置され、飽きず、楽しく、感動しながら観られるのでしょう。だけど、私はこの作品の、訥々とした不器用なベタさが愛おしいです。

単館公開は終了しましたが、秋口からまた全国各地で上映されるようなので、機会があればぜひご覧になってみてください。
posted by 銀の匙 at 13:39| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

【注意表記以降、ネタバレあり】ウィリアム・フォン主演「あの星空、あの海。」(那片星空 那片海〜Starry Night Starry Sea)放映開始

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こちらには、中国のテレビドラマ《蘭陵王》に関する記事の一環として、2017年8月17日からアジアドラマチックTVにて字幕版で放映(DVDが4月4日、5月2日に発売とのこと)されていた「あの星空、あの海。(那片星空 那片海 Starry Night Starry Sea」の紹介記事を置いておりましたが、内容のほとんどを、小説とドラマとを比較しながら楽しむ記事(以下↓)に移行いたしました。

テレビ32話に対して、小説は全19章です。

南の小さな島に住む沈螺(シェン・ルオ:ドラマではクオ・ビーティンが演じました)と、ある日突然彼女の前に現れた呉居藍(ウー・ジュイラン:ドラマではウィリアム・フォンが演じました)の、たった3か月の恋を描いた物語。

ドラマでは、舞台となる島の風景や古い民家のしつらえ、海や空の描写も美しく、心癒されます。ちょっとラブコメタッチで、最後までクスリと笑えるシーンが満載なのもいい感じ。

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章(前半))→こちら
        第5回(14章(後半)〜16章(前半))→こちら 
        第6回(16章(前半)〜18章(前半))→こちら 
        第7回(18章(後半)〜エピローグ/最終回)→こちら
でご覧ください。

なお、《蘭陵王》関連の記事を最初からご覧になりたい方は、

→こちら

からどうぞ。
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2017年07月18日

タレンタイム 優しい歌

(すみません、時間がないので、ちょこっとだけ。)

マレーシアのヤスミン・アフマド監督による2009年の作品。
残念ながら監督さんは公開年に突然の脳出血により亡くなられたということですが、日本人をお祖母さまに持つという監督の出自も反映されているような、心に響く作品です。

マレーシアの、とある高校の音楽祭を舞台に、いくつかの恋模様が描かれます。高校生が主役の爽やかな物語の中に、多民族社会マレーシアならではのエピソードが、各民族の伝統曲を含む音楽の数々と共に綴られていきます。

最初は何か、東南アジアらしい、のんびりした感じの映画なのですが、途中、とある事件が起こるのをきっかけに、さまざまなエピソードが収束してテンポアップし、深みのあるストーリーになって行きます。ユーモアとペーソスがちょうど良い具合にブレンドされてる感じです。

同じ高校の中に、宗教も生活習慣も文化の背景も違う生徒たちが同じくらいずつの数集まってるというのは、楽しそうではありますが、一歩間違うとなかなか大変そうだな〜という印象です。

ヒロインの女子高生の家族、インド系らしい男子の家族、マレー系らしい男子の家族、中国系の男子の家族なんかが登場するんですが、最初の方は、誰が誰の家族かを伏せながら話が進んだりするため、ヒロインの女子高生のご家庭の構成がサッパリ理解できず(一夫多妻なのかと本気で思ってた←コラ)、なんか複雑なおうちなのかと勝手に誤解したりとか(わざとそういう展開にしたのかも知れないけど。)

そうしたよく分かんない状況の中でも(いえすみません私が分かってなかっただけです)皆をつなぐ、愛と音楽の偉大さよ。

「優しい歌」という日本語タイトルが本当にピッタリの素晴らしいラストシーン、機会があったら、是非ぜひ是非ぜひご覧ください。

全国のいくつかの映画館(東京、埼玉、長野、広島)で7月21日(金)まで、アンコール上映しているようなので、お見逃しなく。

ユジク阿佐ヶ谷で観ましたが、補助席が出る大盛況。

観終わったお客さんが口々に、映画館の人に向かって「いい映画をありがとう」とお礼を言って去るという、そんな作品でした。
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2017年05月21日

BLAME!(表示以降ネタバレあり 結末に触れています)

【祝賀】極上爆音上映1週間延長!【延長】 
*とりあえず6月9日まで延長、動員数によっては再延長もあるらしい!
詳しくは立川シネマシティ https://cinemacity.co.jp/


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↑劇場でもらったチラシ

ほとんど予備知識なく観に行きましたSFアニメ、とにかく素晴らしかった。終わったら思わず拍手しちゃった。すぐ、たくさんの人が拍手してました。攻殻機動隊も実写化されちゃったと思ったら、また一周回突き放したって感じ?

立川シネマシティの爆音上映で観たので音がヒリヒリ痛くて臨場感ありすぎでした。2週間しかやらないなんて飢餓商法かしら? チャンスがあったら絶対観てください! 以上!

…だけではあまり中身がないので、まずは観ていない方向けに推薦すると、原作があるみたいなんですが、未読でも特に理解に困難は生じません。いきなりド派手な戦闘シーンから始まります。アクションファン、アニメファン、SFファン、そして特に建築ファン・廃墟ファン・廃工場ファンには激しくおススメできる内容です。

内容は、そうですね...大して似てないのを承知で言えば、サイバーパンク+未来少年コナン+風の谷のナウシカ+攻殻機動隊+ターミネーター+シェーン(?)って感じ?

以下、まずはネタバレしない程度にあらすじをご紹介すると…(字幕が出るわけじゃないので、固有名詞の表記がサッパリ分かりませんでした。以下、間違ってたらごめんなさい)

どこまでも続くかのような“廃墟”の中を、狩りをしに出かける子供たち。どうやら大人には内緒で、「装備」とやらを持ち出してしまったらしい。

食料を探しているようですが見つからないまま、彼らはいきなり、画面いっぱいにわらわらと湧き出る、カオナシが多脚戦車に乗っかってるようにしか見えない「駆除系」(?)に追撃され始めます。もはや万事休すかと思ったそのとき、謎の武器を手にした謎の青年が…。

彼は(ナウシカの)オウムが縦長になったような「管理塔」(?)の監視にもひっかからず、駆除系をあっという間に返り討ちにしてしまいます。そして、キリイ(?)と名乗り、「ネット端末遺伝子」(?)を持っている人を探している、と告げます。

勝手に増殖していく都市、制御を失った防御ロボットたち、美少女フィギュアなんてお茶の子さいさい、食料から武器までなんでも作れてしまう自動工場、駆除に怯えながら暮らす人間…どこまでも続くディストピアの中を、武器一つを手にして、言葉少なにわたり歩いていく謎めいた主人公・キリイの探索行が、少女・づる(?)の眼を通して描かれます。

斬新な設定と、荒野をいくガンマンと、彼を助ける村人たち…という新旧さまざまな要素がブレンドされた、クールで暗い物語なのに、いつもどこかに仄かな希望の灯りがともっているような、不思議な作品です。

この手の話にしてはちょっと村人のシーンがウェットすぎる気もするんだけど、一般公開向けとしては必要な要素という判断なんでしょうかね...。

ともあれ、とても新しい、そして面白い物を観せていただき、満足度120%です。お話はここで終わってもいいし、続いてもいいし、そういう余韻も良かったです。

立川シネマシティで観ました。お腹に応える重低音、この作品にピッタリでした。

この後は、お話の結末に触れている大ネタバレです。これからご覧になる方はここまで。







よろしいでしょうか?

ヴィジュアルにも大変新しいものを感じたこの作品、設定も斬新で、ここまで開示しなくても良かったかなとは思ったけど、はてなマークいっぱいで観終わることがない程度に説明がありました。

どうやら人類は、昔はネット端末接続遺伝子とやらを介して都市の機構を制御していたのですが、感染症によってそれを失い、今や自分の設計した都市に駆除されそうになっているというのが基本の世界(らしい)。

たぶんですが、人類は自らを遺伝子操作して機械と接続する能力を補強したのでしょう。そして感染症とやらは、身から出た錆かも知れないし、何者かが作りだして故意にばらまいたのかも知れません(この点は全く説明がない)。

このまま永遠に駆除者に怯えて生きるしかないと思っていた人間たちの前に、どこからか現れたキリイ。子供たちを助けてもらったお礼にと彼の探し物を手伝う人々は、幽霊が出ると噂の直下の階を探索します。

そこにいたのは、頭部だけを残してほとんど朽ちかけていた科学者のシボ。彼女は、ネット端末遺伝子を艤装する装置をつくり、人類に機械の制御権を取り戻そうとします。

しかし、結局防御ロボットにウラをかかれ、計画は失敗。それでも、監視が届かない場所のありかを突き止めたシボは、村人たちを新天地へと誘導するのでした。

キリイは一人、追いすがる防御ロボットを足止めしてそこに残ります。彼がどうなったかは誰も知らない...。

明らかに他の人間たちとは違う能力を持っているらしいキリイ。彼が一体何者なのか、もっと早い段階で気づいてもよさそうなものだったんですが、村人に化けた防御ロボットが見破るまで、全然気づかずに見てました。

彼は盗まれた防御ロボット、って設定らしい。なるほどねー。彼の目的も気になるところですが、そっちは全然明かされませんでした。でも、この尺で、きちんとお話としてまとまっていたのは立派です。
キリイは常に孤独で誰とも群れない。ロボットだから当たり前なのかもしれないけど、
安っぽい絆とか、感動に逃げ込まない。

謎のまま現れ、謎のまま去る。お話だからといってそこに分かり易い説明なんてなくてもいい。

で、あまり面白かったので、つい、原作の方も電子本で1巻だけ読んでみたところ、これがまたスゴイ。

何がスゴイって、状況を説明するセリフがほとんどない。

とにかく次から次へとゾンビみたいな追跡者が現れ、それを滅茶苦茶に破壊する主人公・霧亥(キリイ、ってこう書くのね)がビジュアルで表現されていきます。彼自身もほとんど何も分かってないらしく、いろいろと戸惑ってるらしい様子だけが、読者と作品をつなぐ接点って感じです。

いやはや、よくもこのフレンチコミックみたいな作品にGoが出ましたね。いえ、もちろん褒めてるんですが…。人気作品ってことは、読み手もちゃんとついて行ってるってことですよね。それもスゴイ。

それを思うと映画はやっぱりちょっと説明しすぎだし、ヒューマンドラマみたいなエピソード、必要ないんじゃないかなとは思うけど、それがなくて動いてるとゲームっぽくなるからダメかな...。

取りあえず、今のところは期間限定らしいので、ぜひ劇場でご覧になってみてくださいね。

ではでは!


BLAME!|映画情報のぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン 2017 感想

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昼も

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夜も…

皆様こんばんは。今年に入ってから大きなイベント3つのお手伝いで忙しく、ようやく2つ目が終わってホッとしております。

おかげさまで期間中はお天気に恵まれ、つつがなく会期を終えましたラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン。有楽町/日比谷の国際フォーラムを主会場に開催されるゴールデン・ウィークの音楽のお祭りです。

今回も出演側に回ったため、5月4日の有料公演は1プログラムしかチケットを取っていませんでしたが、実は観客参加型の面白そうな無料公演が夜にあり、観客としては今年はそこからの参戦となりました。

今年のテーマ、「ラ・ダンス」にこれ以上ふさわしいプログラムはないのではと思わせた、「阿波踊り」です。踊りは高円寺の連が担当しましたが、お囃子はわざわざ徳島から駆けつけたそうです。

420年の歴史を誇るこの踊り、ホールEの八角形のステージを上手く使った踊りのフォーメーションも一見の価値がありましたが、音楽の催しにふさわしく、やはり演奏が凄かったですね。

なにしろ、歌がほとんどの箇所でお囃子を無視して進行します。入りもあんまり関係ないし、拍子も違うし、メロディも違います。お囃子は歌の伴奏なんかじゃなくて、自立してます。

すぐ横で音楽が鳴っているのに、敢えて外しながら歌うというのは、結構難しいんじゃないかと思います。

こういう、各パートが何らかの形でタイミングをわざと外しながら進行する音楽は、邦楽をかじった方なら特に珍しくは感じないでしょうが、クラシックやってる人にはきっと斬新だったでしょうというか、一周回って現代音楽っぽかったです。ときどき、洋楽を取り入れてるのか?と思わせる箇所があるのもエスニック音楽を取り入れた現代音楽の趣き(笑)。

ダンスもミニマルなパターンを使った複雑な進行で、洋モノを見慣れた目には新鮮です。

団長さんは天皇陛下の傘寿をお祝いして、御前で阿波踊りを披露したことがあるそうですが、そのとき宮内庁から、「踊るアホウに見る○○○」はやめてください!とお達しがあったのだとか…(ネタかしら…?)

地上で集客してから地下で演奏したのが効いたのか、スピーカーで外部に流れてたのか、とにかく、国際フォーラムガラス棟の地下は踊りが進むにつれてどんどん人が溢れだし、ものすごい熱気です。途中、観客も飛び入り参加、中から団長のお目がねにかなった数組がピックアップされて、その人たちだけで踊りを披露するという演出がありました。

日本人だけでなく、中国組、ロシア組も交じってましたが、さすが精鋭(?)だけあって、自由な発想でのびのび踊っていてお上手でした。

日本の誇るこのダンス、世界各国へ派遣されているとかで、先週はスペイン、来週はポーランド…と海外公演の過密スケジュールはX-JAPAN並み。こういうの受けるでしょうね、ホント、面白いもん。

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この後、舞台をぐるりと囲んでみんな踊り出してしまい、ステージ下も大熱狂でした

昂奮さめやらぬまま、続きましては21:45〜 ホールAでのプログラム番号116番。
フランス国立ロワール管弦楽団とピアノの小曽根真さんの競演。

トランペットのエリック宮城さんも登場し、何が始まるのかと思ったら、ラヴェルのボレロ。
そもそもボレロって曲自体が盛り上がるようにできてるから、狙い通り会場も物凄く盛り上がっていましたが、自分的にはどうもちょっと違う気がしました。

だって、少ない楽器の奏でる弱い音から始まって、どんどん音量が大きくなり、楽器も増えていくのがこの曲の基本線。全編アレンジするならともかく、基本は変えないで、一部分だけピアノを足したりトランペットを足したりすると、形が崩れちゃう。スタンディングオベーションするほどの出来だったのかどうか、甚だ疑問です。

むしろ、ちょこっとやってくれた1回目のアンコールの方が面白かったんだけど、これはショスタコーヴィチからのインプロヴィゼーションでした。そういえば、初めて小曽根さんを、そしてショスタコーヴィチを聴いたのがコレだったなあ(それ以来どっちも大ファンになったのでした)、たぶん前回と全然違うアレンジになってたと思うけど、宮城さんと息も合ってて最高でした。

翌5月5日は昼からの鑑賞。
13:45〜 ホールB7のプログラム番号223
ファンダンゴ・バロックです。

テンベンベというメキシコの民俗音楽グループが演奏するということで、ソンブレロかぶってカラムーチョ!みたいな音楽なのかなあと(←何も分かっていません)勝手に想像していたところ、バロックギターでバッハかなんかっぽい実に典雅な音楽が始まったので、かなり意表を突かれました。

と、そのうちに、その流れのまま自然といい具合にリズムとか歌あたりがカラムーチョ!になってくるんですが、それでも優雅さを失わない不思議な味のある音楽で、キレのいいバロック音楽って感じでした。

聞くところによれば、ヨーロッパで流行っていたバロックが同時代に南アメリカに流入して出来上がってきたものとのこと。なるほどねえ...舶来音楽と土着音楽のノリがミックスして出来たってあたり、J-Popみたいなもんでしょうかねえ...(←相変わらず分かってません)

続いて、同じB7のホールでプログラム番号224を聴きました。

ピアノの連弾ということで来てみたら、舞台の上は異種格闘技世界王者決定戦としか見えませんでしたが、とりあえずボリス・ベレゾフスキーとアレクサンドル・ギンジンが闘いました。

2人がお友達なのかどうかはよく分かりませんが、イスを奪いあったり(いえ、それで殴り合ったんじゃありません・笑)、ベレゾフスキーが楽譜を楽屋に忘れてきちゃったりと大変リラックスした雰囲気でした。

最初はピアノ2台で向かいあって弾いていましたが、1台を2人で連弾する曲もありました。巨漢2人が並んで演奏するありさまは窮屈ながらも微笑ましい光景でした。ビジュアルがインパクトありすぎて、耳がすっかりお留守になってしまったのが唯一の難点です。

5月6日
本日が最終日。
16:30〜 ホールCのプログラム344を聴きました。
今回諸事情によりオネゲルを聴きそびれたため、これが一番楽しみなプログラムでした。

タン・ドゥン パッサカリア〜風と鳥の秘密
ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調op.38
ヴィクトロワ 踊る天使

常にゴージャスな演奏を聴かせるウラル・フィルと、背中で魅せる指揮がモットー(?)のドミトリー・リスに加えて、巨体なのに思い切りよすぎる演奏でブレーキ壊れてるボリス・白くま・ベレゾフスキーの組み合わせ。

これは、当たるを幸い全てをなぎ倒していくであろう演奏が期待されます。

と、公演の数日前から臨戦態勢に入っていたら、事務局からプログラム344のお客様宛てメールが届きました。

すわ、また白くまが倒れたのか…(去年、それで楽しみにしてたプログラムがキャンセルに…泣)とドキドキしてメールを開くと、観客参加型なのでよかったら音源をダウンロードしてねん(はぁと)、当日リスちゃんの指揮に合わせて再生してくれたら参加できちゃうわよん(以上は意訳)という内容で一安心。

駅のホームで時々騙される電子音の鳥のさえずりによく似た音源を、熱心に聴き込んでから会場に向かいます。

タン・ドゥンのパッサカリアという作品、仕掛けの面白い曲なので、初めて聴く方は以下をちょっと飛ばしていただいた方が驚きがあっていいかも知れません。(音楽にもネタバレ注意というのがあるんですね..)



いいですか? 行きますよ?

まず、曲が始まると、指揮者はやおら観客の方を向き、おもむろに、携帯のボタンを押すよう、指示を出します。音源は全員同じ(はず)ですが、指揮者がブロックを指定して合図を出すため、スタートのタイミングが違うので、会場のあちこちで、音源が少しずつずれて再生されます。

しばらくすると、会場が林の中のように、あちこちから聴こえる鳥のさえずりで満たされます。

音源が途絶えてしまう前に、静かにオーケストラの曲が始まります。音源の中にあったモチーフも含まれていて、やがて大きくなって行きます。ビックリするほど激しくなったかと思うと、いきなりオーケストラの人たちが歌い始めます。

始まる前、楽屋から合唱の練習の声が聞こえたので、合唱団が出るのかな??と思っていたのですが、まさか楽団員が歌うという演出だったとは…。

そのうち歌はざわめきの声にも、林の中の生き物の声にも聞こえるような音に変化してゆき、かと思うと指パッチンが入ったり、また音楽に戻って映画音楽のようにドラマティックに盛り上がったり、魔術的な雰囲気を湛えたりと、林の中で道に迷って幻惑されたようなとても面白い曲でした。メリハリの効いた演奏で、すごく良かったです。

続いてはハチャトゥリアンのピアノ協奏曲。
こちらはボリス・ベレゾフスキーが登場。相当な技巧とパワーを求められる曲かと思いますが、妙に恰好をつけたり盛り上げたりせず、なんだか練習曲みたいに簡単そうに弾いていて、こっちは開いた口がふさがりませんでした。

ピアノ、オーケストラ共に迷いが全くない果断な演奏で、ソリを引いて駆ける馬車や吹き付ける雪が通り過ぎるように感じたり、目の前にぱっと大雪原が広がったり、まるで音の一大スペクタクルが繰り広げられているようでした。

曲が終わると、どうやら会心の出来だったらしく、ピアニストと指揮者がハグしていました。実はベレゾフスキーの出番はこの1曲だけで、この後、もう1曲あるからと拍手もさほど熱烈ではなかったのが悔やまれます。

最後の曲はヴィクトロワの踊る天使という日本初演の曲でした。どうやら日本の太鼓の曲にインスピレーションを得た作品らしく、かと思うと急にボードヴィルみたいな軽妙なパートにスイッチしたりする変わった曲でした。

パーカッション大活躍ですさまじかったのですが、もっと凄かったのは指揮のドミトリー・リスでした。ドラムソロを付きっ切りで指揮してるって、凄すぎる(笑)。指揮自体がキレッキレのダンスみたいでした。

最後は、作曲者のヴィクトロワさんが登場して万雷の拍手をもらっていました。

ということで、LFJが終わってはたと気づいたのは、2017年ももう半分近く過ぎているというこの事実…。いやいや、楽しい時が過ぎていくのは早いものですね。どうか、来年もつつがなく開催されますように…。

ちなみに、昨年(2016年)の感想は→こちら です。
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2017年04月08日

江戸と北京

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数々ゲットしたグッズの中の1つ(手帳)。「万寿慶典」という絵巻をモチーフにしています。

実は明日(2017年4月9日・日曜)で終わってしまうので、ご興味ある方はぜひ足をお運びいただきたい良展。

グッズ売り場も充実してます(はぁと)。上の手帳を始め、江戸代表の『熙代照覧』、北京代表の『万寿慶典』をモチーフにしたマスキングテープ、関連書籍等々、お宝集結。無料で入れますのでぜひぜひ。

18世紀の都市と暮らし、と副題にあります通り、清朝北京も江戸東京も現代と地続きの都市で、いまの北京や東京の風俗習慣とつながっているところが多々見受けられます。

双方、精緻な絵巻物が展示されており、江戸って本屋さん多かったんだな〜とか、北京って役人だらけだな〜、なんか花を這わせたお洒落なラティス状のものがあるけど何だろう?とか、こまごまと描かれた人物や町の様子を見るだけでも楽しいです。

実物も、衣食住の場面に合わせて取り揃えられており、お年玉として使われた縁起物のお金(圧歳銭)や、中国の公務員試験・科挙の答案とカンニングペーパーなど、写真で見たことはあったけど、ようやく本物を拝むことができました。

似てて、違って、おもしろい。という展覧会のコピーは全くその通りで、年中行事や子どもの遊びなど、似てるけどちょっと違うもの、てっきり中国のかと思ってたら日本のだったりするものなど、興味深いアイテムがたくさん。

会期末ということもあって、お客さんはいっぱい来てましたが、場所がゆったりしてるせいか、混雑した感じではありませんでした。

近くの隅田川でのお花見、プラス、定評ある常設展示と合わせて、ゆっくりご覧になってみてください。

博物館の7階には見晴らしのよい和食レストランがあるほか、1,2階に洋食レストランもあり。JR両国駅の飲食店も充実しています。

1階の墨田区の物産を扱うショップでは、言問団子等、江戸時代からの名物お菓子もそろっていて、東京らしいお土産選びに困っている方にもおススメです。

江戸東京博物館
" target="_blank">https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
都営地下鉄大江戸線 両国駅からほぼ直結。
JR両国駅からもすぐです。
posted by 銀の匙 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする