2018年02月03日

【revised】2月〜3月のリマインダー

2月に入りましたが、なんと休みが2日しかないことが判明(土日はいちおう休みなんだけど、今日もお仕事…)。代休も取れそうにない…

こういうときに限って観たいものがメジロ押し。どうか皆様、私の代わりにご覧になってくださいまし〜!
Over my dead body...!(哀)

バーフバリ 王の凱旋
これは2作目。実は1を見逃しちゃったけど、せめて2は観たい…
上映中
キネカ大森

タレンタイム 優しい歌
とにかく観てください、お願い!
上映中
渋谷アップリンク

バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズカット版
観てよかった...ときっと思える超おススメ映画
上映中
TOHOシネマズ午前十時の映画祭

スリー・ビルボード
予告しか観てませんが、ものすごく面白そう。
上映中 TOHOシネマズシャンテ ほか

欲望の翼
いわずと知れた、香港映画の金字塔。スクリーンで観られるこの機会をお見逃しなく!!!!
2月3日〜 ル・シネマほか

苦い銭
ベネチア映画祭脚本賞&ヒューマンライツ賞受賞、東京フィルメックスで好評だったドキュメンタリー。中国の現実もキビシイわ...
2月3日 シアターイメージフォーラムほか
http://www.moviola.jp/nigai-zeni/

ホドロフスキーのDUNE
ホドロフスキー監督の怪人ぶりがよく分かるドキュメンタリー。
SFファン必見
2月8,9日
アップリンク渋谷

ギルバート・グレープ
ジョニデもデカプリオもなぜ今あんなことに…とほほ。
2月10日〜23日
全国TOHOシネマズ系にて

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)
ウィリアム・フォン、クオ・ビーティン主演のTVドラマ。全31話。
2月15日〜
アジアドラマチックTVにて再放送
http://www.so-netme.co.jp/adtv/content/ad_SO0000008063.html

長江 愛の詩
2月17日〜
恵比寿ガーデンシネマほかにて

グレイテスト・ショーマン
ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル。
劇場予告では言ってませんでしたが、伝説の大興行師、P.T.バーナムに扮していたんですね。
歌もダンスもさすがのクオリティ。
2月17日〜
全国ロードショー

メイド・イン・ホンコン

4Kデジタルリマスター版で上映
3月10日〜
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか

ベイビー・ドライバー
去年のいろいろなランキングベスト10に入ってますが、
もっともっと評価されていい映画だと思う。
2月25日〜28日
池袋新文芸座

3月10日〜16日
早稲田松竹

posted by 銀の匙 at 10:21| Comment(2) | 催し物 リマインダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

2017年一番面白かった映画はコレ:WE ARE X

ローグワン.jpg

皆さま、こんばんは。
映画ファンにとって栄誉あるイベント、ぴあ映画生活ユーザー大賞の投票も終わりまして、1月上旬に予定されている、ベスト10の発表が楽しみです。(ちなみに、ノミネート作品:ベスト50はこちら

ということで、この機会に2017年に何を劇場で観たか振り返ってみました。

大作メジロ押しでベスト10さえ選ぶのは到底ムリだと思った2016年に比べると、飛びぬけて大作感のある作品は少なかったように感じましたが、逆に、粋な映画だなぁ〜と思った作品は多かったです。

そういえば、2017年は映画祭の時期がちょうど忙しく、社会人になって初めて、1度も映画祭に行かなかった年でした…。諸事情により映画以外の作品を大量に観なければいけなかったせいもあって、邦画も劇場ではほとんど見られなかったのが残念です。

だからという訳でもないのですが、今年観た映画の中で断トツに気に入ったのは「WE ARE X]。次点は「BLAME!」とどちらも邦画でした。

以下、(大体の)観た順にちょこっと感想をば。リバイバルも含みます。すべて劇場での鑑賞で、DVDだけで観たものは除いています。

ローグ・ワン
「スター・ウォーズ」のスピン・オフ。
“ならず者”どもの集まりということで、全員「漢字倶楽部」(笑)のメンバーみたいなビジュアルでしたが、正統派の美男美女が主役だった新三部作の時代ならともかく、今や本編の方も「総員漢字倶楽部」的な雰囲気だし、何より、いい加減デス・スターはお腹いっぱいだと思ってしまいました(哀)。

個人的には姜文とドニー・イェンが出てくれたのはすごく嬉しかったし、2人のコンビはとても面白かった半面、物語にどうしても彼らの存在が必要だったわけではなく、市場開拓のために起用しただけという大人の事情なのでは…という邪念の呪いであまり楽しめなかったのも事実。そんなこと、作品の価値には全然関係ないのですが…。

こころに剣士を
エストニアという自分にとっては馴染みのない地域の映画でしたが、しみじみ心に残りました。
感想は→こちら

永遠のヨギー
こういうのを観ると、ヨガは健康体操とはまるで違うものだということを思い知らされます。一方で、「お天道さまがみてる」という考えを説明しづらいのと一緒で、ヨガの文化の外側にいる自分は、まるで明後日の方向に理解しているのではないかという気もしています。
感想は→こちら


カリオストロの城
4D上映があったので観ました。冒険活劇の楽しさ溢れる作品。
感想は→こちら

ハドソン川の奇跡
投票後にしか観られなくて残念! 2016年度イチ押しの作品。
感想は→こちら

バベットの晩餐会
とても気に入っている作品。映画館でまた観たかったのでリバイバルが嬉しかったです。原作小説もとても好きです。前回観たときは気が付かなかったのですが、哀れウミガメが鳴いてたのに気づきました...。

ティファニーで朝食を
劇場では初めて観ました。オードリーの魅力に負けない、ティファニーの店員さんのイキな提案も素敵。

鳥居を通り過ぎて風
映像は清々しかったですが、かすかに引っかかるものを感じました。外国育ちの日系2世が日本の神社を訪れ、その心に触れるという内容ですが、内容紹介では「映像詩」「ものがたり」とされているので、フィクションなのでしょうか。

もしドキュメンタリーでないなら、なぜ外国人の眼を通さなければいけないのかが謎でした。別に日本人が日本の神社を再発見したって不思議はないと思うのですが。

というのも、英語による少女のモノローグのナレーションが、日本について外国人に言って欲しい感想、日本人として外国人に説明したい事柄が凝縮されている印象で、本当に日系2世の少女が感じたこと、知りたいこととは、やや離れているような気がしたので…。

ラ・ラ・ランド
音楽、登場人物、ストーリーともに、チャーミングで大人のミュージカル。

ゴースト・イン・ザ・シェル
感想は→こちら

ターシャ・チューダー 静かな水の物語

WE ARE X
表現者の業のようなものをひしひしと感じたドキュメンタリー。実はX-Japanというバンド名しか知らず、メンバーの名前も映画で知ったような体たらく(すいません、ホントに…)。遅ればせながら、良い音響で曲を聴く機会に恵まれてラッキーでした。映画化に心より感謝する次第です。

BLAME!
今年唯一劇場で観たアニメ。
感想は→こちら

ワンダー・ウーマン
この世界の片隅に
ほとんど同時期に観ました。どちらも戦争を背景にした、女性が主人公の映画です。

庶民にとって戦争は天災であり、自分はただ被害者なのか。それとも、自分も加害者の1人でありうると自覚し、そこから行動するのか。今かろうじて平和な時代だからこそ、2人の投げかける問いは重いと思います。

ありがとう、トニ・エルドマン
父と娘の何とも言い難い微妙な空気感を描いた秀逸な作品。
感想は→こちら

メッセージ
原作「あなたの人生の物語」の大ファンです。ビジュアル的には原作にとても忠実だったかと思いますが、ばかうけだのイカ刺しだの、こうも酒のつまみに好適な絵面だったとは、ちょっと想像力が及んでませんでした
(^^ゞ

映画もおおむねとても良かったんですが、現実の国際政治に絡めた映画オリジナルの部分が、中国人のというよりはアメリカ人の予想する行動パターンまんまの気がしちゃって…。コミュニケーションについての映画なのに、異文化理解がリサーチよりも先入観に基づいている雰囲気なのがイマイチ残念。

タレン・タイム 優しい歌
心に沁みる珠玉のマレーシア映画。リバイバルで観ました。
感想は→こちら

ダンサー、セルゲイ・ボルーニン 優雅なる野獣
確かに彼のバレエは凄いです。同時に、彼のバレエには何かが欠けている気がする。バレエカンパニーを離れた今はむしろ、その欠落感が良いのでしょうが…。

ガーディアンズ オブ ギャラクシー:リミックス
I am Groot.

LOGAN/ローガン
『X-man』のスピンオフ作品。良い作品でしたけど…正直、観るのが辛い映画ではありました。

キングスマン
暴力シーン満載の上品な映画。それにしても、イギリスはどうしてもアメリカを意識しなくてはいられないんでしょうね...。

ベイビードライバー
こちらも暴力シーンはありますが、青春映画っぽいところもある作品。
感想は→こちら

ドリーム
NASAで活躍した3人の黒人女性の奮闘を描く、事実に基づくドラマ。3人のモデルになった方々のお写真がエンドロールに出ましたが、見るからに頭がよさそう。(^^♪ やっぱり中味は顔に出てしまうのでしょうか。

ひなぎく 
リバイバルで観たチェコ映画。評判通り、とてもオシャレでアンニュイ。この映画が時代を超越しているのかも知れないけど、女の子はいつだって、こんな風に時代を超越できるものなのかも。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
感想は→こちら

ブレードランナー2049
個人的には、独立した内容で十分面白かったので、直接「ブレードランナー」とリンクしない方が良かったようにも思いますが、重厚でフレンチコミックのようなアーティスティックな味わいがある意欲作。

星空
ジミーの絵本を元にした台湾映画。少年少女が主人公の実写映画をほとんど観たことがないので新鮮でした。ただ、その年代に向けてだとちょっと長いし、大人向けとしては少し単調だったかも。エンドロールに絵本の絵が出てきますがとても良かった。

smoke
リバイバルで観ました。ニューヨークが舞台の、でも少しひなびた感じがホッとする小粋な名作。
感想は→こちら

スターウォーズ エピソード8
新しいキャラクターが活躍し、旧シリーズからの脱皮を図る一方で、旧シリーズへのオマージュも散りばめ、主人公を演じたマーク・ハミルとキャリー・フィッシャーの名演が心に残ります。

ことに、追い詰められた石の惑星で、放置されていた基地の防御壁の後ろに立ち、衣装の襟から目元をのぞかせたレイア姫の姿は全編の白眉。

感想は→こちら

それでは、どうか皆様、今年もよろしくお願いいたします。
お勧めの映画があれば、どうぞお教えくださいませ!

posted by 銀の匙 at 01:04| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編7(最終回)

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画面左から、呉居藍、沈螺、巫靓靓、江易盛。ドラマでは、巫靓靓を演じた王萌黎(モリー・ワン)、江易盛を演じた黄明(ホアン・ミン)の好演も光りました。特に黄明はイケメン担当から一歩前進して、演技の幅が広いところを見せてくれたので、これからも楽しみですね。

テレビドラマ《蘭陵王》のエントリーとして続けておりました《那片星空,那片海(あの星空、あの海。)》。

夏の話を年末まで引っ張ってしまいました、すいません…。

この作品は個人的に非常に深い思い入れがあり、しかも今この時期にふさわしい物語ではあると思うのですが、もたもたしてるうちに巷ではすでに、ウィリアム・フォンに関する話題の焦点は主演映画の《二代妖精》のほう。

こっちの彼は人間役で、お相手が妖獣なんですが、男性が人魚で女性が人間という本ドラマより、男性が人間で女性が異界の者という《二代妖精》式の組み合わせの方が圧倒的にメジャーですよね。

それなのに逆パターンが許されるようになった理由の一つは、野暮を承知で考察すれば、女性の力が強くなったからじゃないでしょうか。

現実ではまだまだ、文化的に優位なほう、財力が上のほうにある者が結婚相手を選ぶ世界です。だから、お話とは言え妖怪変化だの宇宙人だの外国人だのが自分の縄張りの中の女性を娶るというのは、それだけで負けた感じがして、あまりウケなかったんじゃないでしょうかね。

このドラマはさらに、男性の呉居藍が家事をするという、「逃げ恥」とは男女入れ替わったパターン。それもひと昔前では成立しづらかったんじゃないでしょうか。

そおいえば石器時代に、『奥様は魔女』なんて米ドラマもありましたよね(再放送もしてるけど)。あれも「魔女」だから奥様でよかったけど、男性の魔法使いが家事をしてたら、ちょっと無理があったことでしょう。

女に向かって「家に居ろ」と言ったら今や発言者の人間性が疑われる時代なのに、男が主夫をしてたら何だかんだイヤミを言われるってどうなんだ…、と21世紀に放送された本ドラマの呉居藍を見てて義憤に駆られることもございましたが、ま、本ドラマの主旨からは外れるので、道草はこれくらいにしておきましょう。

今回、小説とドラマ、両方の最終回に触れています。2018年春に日本でもドラマのDVDが発売されるとのことなので、ネタバレ厳禁の方はDVDをご覧になるまで、以下のエントリーの閲覧はもう少々お待ちください!

では、まずは小説の方の最終章一つ手前から観て参りましょう。

ここまでの詳しい話は、

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章(前半))→こちら
        第5回(14章(後半)〜16章(前半))→こちら 
        第6回(16章(前半)〜18章(前半))→こちら 

からどうぞ。

第18章(後半)

私はあの朝のことを思い出していた。

ボロボロの服で裸足のまま、庭に倒れ込んできた呉居藍(ウー・ジュイラン)。

二人の出会いは偶然なんかじゃまるでなかった。彼は自分の霊珠を取り戻しに来ただけだったのよ。

当初、彼から殺意さえ感じたのは思い過ごしではなかった。自分はとっくに溺れ死んでいたはずなのだから、もともと彼の持ちものだった霊珠を力づくで奪回されたとしても文句は言えない。

だけど、彼は思いもかけず私から、「一滴の水」の恩を受けてしまった。霊珠を力づくで奪回するか、喜んで差し出すように仕向けるか、その選択の間で悩んだはず…。

しかし沈螺(シェン・ルオ)は、彼の動機が何であれ、そして彼の今の心情がどうであれ、自分の気持ちは変わることがないと思います。

部屋へ戻ろうと歩き出した沈螺をヴァイオレットが呼び止めます。

これは私と呉居藍の間のことだから放っておいて、と叫んだ沈螺は首に違和感を感じ、そのまま倒れ伏してしまいます。

〜〜〜
小説はここに来て「プロローグ」の罠が不気味に効いてきます。

自分が助かりたいと思うなら、少女に心を差し出させればよい。
そのためには、まず自分の心を少女に差し出すことだ…。

不仲の両親から幼いうちに半ば見捨てられ、やっと見つけたと思った愛情は霊珠を取り戻すための道具に過ぎなかった。もっと悪いことに、沈螺は、呉居藍の殺意に薄々気がついていた…いやはや、その状態からよくもたったあれしきのページ数で告白まで持って行ったものだと驚いてるのは沈螺より読者なんですが、それはドラマの脚本を書いた人も思ったのかも知れません。

ドラマではエピソードの順番を変えることで上手く処理していて、呉居藍は当初、霊珠をもっているのは沈螺のおじいちゃんだと思っていました。それでも結構、態度がコワかったですが、それは沈螺が仇の子孫だったから。

仇(だと思っていた)であるおじいちゃんがナイフで襲撃した時ですら許した呉居藍が、初めて会った時点から親切にしてくれた沈螺に、冷たくはしても、本気で命を取ろうとするはずないですもんね(しかもドラマの設定では、相手を殺したって霊珠は戻ってきませんし)。

なので、最終回の手前(第30話)で巫靓靓(ウー・リャンリャン)から真相を知らされたとき、「最初は殺意さえ感じた」っていう原作のセリフをそのまま沈螺に言わせたのは、ちょっとやり過ぎな気もします。確かに海に置き去りは酷かったけど、いちおう助けには来たし。

一方小説の方は「人魚姫」の話と同じで、相手を殺せば霊珠が戻ってくるらしい。ただ、「人魚姫」の魔法使いと違ってヴァイオレットは呉居藍に助言するのではなく、自らが実行者として接近してきたのです。

なぜ?

第19章

目覚めてみると、沈螺は手術台の上にいました。逃げようとした彼女の前に、巫靓靓が現れます。

祖母が自分を島に向かわせたのは、愛情なんて当てにならないから強硬策を取ろうとしていたのだ、と巫靓靓は言います。

沈螺は、最初に巫靓靓が現れた夜、巻貝を見ながら言っていたことを思い出します。

それを聞いて呉居藍は、沈螺を害そうと企図する者は許さないと言いました。つまり、夕食の席で警告された相手は、周兄妹だけではなかったのです。

衆人環視の中、いきなりプロポーズしたのも、ヴァイオレットの前で参会者に沈螺を紹介したのも、沈螺の安全を考えてのことだったのでしょう。

巫靓靓は沈螺に、いま自分たちがしているやり方で霊珠が取り出せるのかどうかは実は分からない。祖母は、あなたが主体的に、霊珠を呉居藍に返してくれることを願っていると告げます。

沈螺が、今の事態を呉居藍は知っているのかと尋ねると、巫靓靓は「あなたはどう思う?」と尋ねます。

沈螺の表情を見て、巫靓靓は言います。

「あなたに、これが呉居藍の望みだと思わせるのは無理だと祖母には言っておいたわ」
「こんなことをして呉居藍が怖くないの? 彼はどこ!?」

沈螺の詰問に答えて巫靓靓がブラインドを上げると、壁は一面、ガラス張りの水槽になっており、そこに鎖につながれ、意識を失っているらしい人魚の姿の呉居藍がいました。

沈螺が巫靓靓に詰め寄ると、これは呉居藍本人の命令だと言います。

江易盛の発病を防ぐために、呉居藍は人魚の姿に戻って精神力を極度まで使う必要があり、そのとき水槽を壊してしまわないように自分をつないだというのです。

ヴァイオレットもやって来て言います。

霊珠を失った人魚が精神力を使うのは困難なこと。レグルスだからこそ、ここまで出来るのだ。周老人の件では、彼の力なら全ての人間を始末するのは簡単なことだったけれど、沈螺がショックを受けるのを恐れ、精神力を使って人々を眠らせた。江易盛(ジャン・イーション)の治療も今のレグルスにとっては大きな負担だけれど、沈螺の大事な友人だと思うからこそ代償を惜しまないのだと。

レグルスは強大な力を保っているように見えるけれど、実は相当弱っている。彼の厚意に応えて、どうか霊珠を返してあげて欲しい…

巫靓靓の制止も振り切り、ヴァイオレットは催眠をかけるかのように沈螺に語りかけます。

沈螺の口から、喜んで返すわ、という言葉が出そうになったとき、部屋が揺れ始めます。

ヴァイオレットは焦ります。

「レグルスが目覚めるわ。そのときには、元通りにしてあげたいでしょう?霊珠を返すと言うだけで、彼は全ての力を取り戻せるのよ」

それを聞いた沈螺は答えます。「愛は世界でいちばん不思議な魔術だと言ったわね。臆病者を勇敢にもするし、善良な者をわがままにもすると」「あなたの考えている愛は身勝手よ。相手のために犠牲になるとしても、相手が望んでいるかどうかを確かめなければ、相手を幸福にするどころか、悲しみしか残さないかもしれないわ」

〜〜〜
ひぇ〜! 恐ろしい。ヴァイオレットたちは沈螺を殺して霊珠を取り出そうとしていたのですね。ヴァイオレットが現れたのは、呉居藍が絶対この選択はしないと悟ったからなのでしょう。

沈螺がヴァイオレットに言ったのは、原文ではコレ。

“我想说,你对爱情的理解太自以为是了!
就算是不顾一切的牺牲也要问对方愿不愿意接受!否则,也许给予的不是幸福,而是遗恨!”

ドラマでもほぼ原文通りに出て来ますが、霊珠を返そうとした沈螺に向かって呉居藍が言うセリフに使われています。

同じセリフだというのに、言う人によって小説とドラマの違いが鮮明に浮かび上がる場面。

小説では、次の沈螺のセリフがダメ押しをします。

“就算我要离开,我也要好好地和吴居蓝告别,确定他接受我的选择,会继续好好地生活,因为我牵挂他,不放心他,我不能就这样无声无息地离开他,这就是我的自私和怯懦!”
「呉居藍が私の選択を受け入れて生きていくつもりか確かめるまでは、お別れは出来ない。だって心配だもの。何も言わずに消えてしまうなんてできない。わがままでしょう、臆病よね、だって愛しているんだもの!」

ドラマの沈螺は最後まで呉居藍に霊珠を返すつもりでいるのですが、ヴァイオレットが魔刀を振るおうとすると、「呉居藍にお別れも言わずに消えてしまいたくない」と抵抗します(第31話)。つまり、ここで屈服しない理由は、呉居藍が納得しないという気持ちももちろんあるでしょうが、沈螺側の心の準備ができていないという方に重点があり、小説とはかなり違います。

小説の沈螺は、ドラマの呉居藍が沈螺に言ったこと、つまり、「相手を残して自分が犠牲になるのは、相手が望むこととは限らない」ということを自覚しているんですね。

それが、次の、読者にとっては意外なシーンにつながっていきます。小説の続きを見てみましょう。

〜〜〜

ヴァイオレットがあっさり引き下がったのに驚く沈螺でしたが、巫靓靓は、ボスがあなたを一生の伴侶だと宣言した以上、傷つけることはできないわ。あなたがそう命令しない限りは、と言います。

沈螺は自分も水槽に入れて欲しいと頼みます。

意識を取り戻した呉居藍に沈螺は、喜んで霊珠を返すつもりだと言うと、呉居藍はよく分かっていると言って微笑みます。

ようやく沈螺は、当初、呉居藍が拒絶する態度を取っていたのは、沈螺がではなく、自分の命が限られていたからだと気づきます。告白していなければ何も知らせないまま、呉居藍は消え去るつもりだったのでしょう。

満天の星空の下で彼が尋ねた問いの意味を、沈螺は今になって悟ったのです。

これはあなたの選んだこと。たとえ痛みをもたらすとしても。

「僕にはとてもよく分かっている。犠牲になる者には勇気がいるが、その相手にはもっと勇気が必要だ」
その言葉を聞く沈螺の頬に、呉居藍の瞳から落ちた幾粒もの真珠が伝って落ちていきます。

吴居蓝说:“对不起!”
我微笑着摇头,对不起什么呢?
对不起你选择了爱我吗?对不起你选择了让我活下去吗?


呉居藍は「すまない」と言った。
私は微笑んで首を振った。何を謝るの?
私を愛すると決めたこと? 私を生きながらえさせると決めたこと?


如果这是你的选择,也就是我的选择。
我看着一颗颗落在我们身上的珍珠,含着泪,微笑着说:
“这就是我的选择!就算会给我带来痛苦,就算会给你带来痛苦!”


これがあなたの答えなら、それは私の答えでもあるのよ。
ひと粒、またひと粒とふたりの身体を伝って落ちていく真珠を見つめながら、涙を溜めて私は微笑んだ。
「これが私の答えなの。たとえ傷ついたとしても。あなたを苦しめたとしても」


爱情和人生一模一样,永远都是鲜花与荆棘同在。
如果我的爱情是鲜花,我愿意拥抱它的美丽芬芳;
如果我的爱情是荆棘,我也会毫不犹豫地拥抱它的尖锐疼痛。


愛は人生そのもの。美しい花と棘とが共にある。
もし愛が花ならば、私はその美を抱きしめるでしょう。
もし愛が棘ならば、迷うことなくその痛みを抱きしめるわ。


〜〜〜
…初めてこの部分を読んだときは正直、絶句しましたよ。
まさかヒロインがこんなにもあっさりと、自分が生き残るって方を選ぶとは。

最後まで呉居藍を助けようとし続けたドラマの健気な沈螺とは、だいぶ違うじゃないですか。

周不聞との文字通り最後の死闘の末、大けがを負った呉居藍。容態を見に訪れた巫靓靓が堪えきれずに部屋を出ると、沈螺は彼女を追いかけて周不聞が残した、呉居藍と沈螺のどちらかしか生き残ることができない、という言葉の意味を尋ねます(第30話)。

巫靓靓は、呉居藍が150年前、信頼していた人間の友・杜小林に裏切られ、生命の源である霊珠を奪いとられ、そのためにもうすぐ命が尽きること、杜小林は黒魔術師の追跡を逃れるため島に渡り、沈林と改名したことを告げます。

自分が霊珠を持っているらしいと知った沈螺は、霊珠を返す方法を巫靓靓に尋ねます。巫靓靓は聞き返します。霊珠を失えばあなたも死ぬ。それでも知りたいかと。

二人の会話はここまでですが、沈螺がそれでも知りたいと答えたことは容易に想像がつきます。彼女はその夜、呉居藍と散歩に出かけ、霊珠を返そうとします。それを知った呉居藍は、自分はこの世の苦しみを知り尽くして、それでも最後に素晴らしい人に出会うことができた。もう何も思い残すことはない、どうか自分の代わりに生きて欲しいと頼みます。

彼女は、結婚しようという呉居藍の最後の望みを静かに聞き入れ、その場では何も言いません。

ウェディングドレスに身を包んだ沈螺の元を尋ねた巫靓靓は、何かできることはないか尋ねます。その答えを聞いた巫靓靓は、沈螺の元を辞して江易盛に会ったあと、泣き崩れます。

最後の最後まで、沈螺が自分の命を捨てて、呉居藍を救うことを諦めていなかったからです。

それに比べて小説の沈螺ときたら、こんなヨメさん、どうなんだ…と一瞬思った私ですが、そのトンデモ女の傍らで、かわいそうに呉居藍は、ずーーーっと泣き続けてる。
一体、なぜ?

それを考えたときに、一見ライトなこの小説の深淵に、読み手は触れることになるでしょう。

ドラマでも、最終回は結局は似たような展開をたどります。

沈螺は何とかして呉居藍を救えないかとずっと考えています。呉居藍に、霊珠を取り戻さないのは沈螺のためでもあるし、自分のためでもある、と言われた沈螺は、それでも諦めません。いよいよ最後の一日が終わるとき、彼女は巫靓靓から手に入れた、人魚を麻痺させる毒を祝杯に混ぜて、「真実の口づけ」をしようとします(第32話)。呉居藍が海に飛び込むと、彼女も後を追い、泡と化し始めた呉居藍に口づけをする。

この後は非常に微妙ですが、霊珠が光っているように見え、でも呉居藍は、一粒の真珠を残して消えてしまい、沈螺は海の底へ沈んでいきます。

そのあと、何かが光芒を放ちます。

一番あり得るのは、霊珠が沈螺の元に留まったために、彼女一人が助かるというもの。沈螺も霊珠を失い、霊珠だけが残った可能性もなくはないですが、いずれにしても二人とも画面から消えているので、結末は定かではありません。

ともあれ、こういう曖昧な終わり方なので、呉居藍の涙も何通りにも解釈できます。

沈螺との別れを悲しんで、というシンプルなところから、やっと彼が望んでいた結末(千年前に救うことができなかった女性を最後に救うことができた)を得たので安堵して、あるいは、ようやく会えたと思ったのも束の間だったという悲しみ、またはそれらが合わさったものなど…。

観る人によってさまざまに解釈できるであろうこの結末、このドラマにふさわしくとても美しく撮れてもいるし、大変心に残るラストシーンだと思います。

一方、小説の方は前からの流れを受けて、もう少し別の解釈も考えられるのではないでしょうか。

彼は三枚の絵を描いて沈螺に見せたとき、遺された側の苦痛について、残酷なまでに明確に沈螺に伝えていました。沈螺はそれを知ったうえで結論を下したのです。まさか、自分がその側に立つとは思っていなかったのですが…。

身近な人間の生病老死を何十、何百と千年以上にわたって見聞きしてきた呉居藍が、その辛さを愛する人に味わわせなければならないと実感したとき、彼の悲しみも極まるものがあったことでしょう。

人魚が涙を流すのは悲しみも極まったときだと、原作でもドラマでも呉居藍は言っています。自分のために悲しんだことは、彼にも幾らでもあったことでしょう。しかし、それでもこれまで涙を流したことがなかったと言っているのだから、そうなるには特別の理由があるはず。

つまり、呉居藍は自分のために泣いたのではなく、沈螺を悲しむ側に残して去ることが辛いのだと。

小説の本文はここで終わり、物語はエピローグに入ります。実はここからが、作者の真骨頂であり、この物語はいきなり別の次元にのぼっていきます。引き続き、ご覧いただきましょう。

〜〜
エピローグ

島に戻った二人は、海に浮かぶ船の上で結婚式を挙げます。

招待客はヴァイオレットと巫靓靓、江易盛と異母弟の沈楊晖(シェン・ヤンホイ)だけ。
二人はそのまま、船に乗ってハネムーンに出かけます。

夜、満点の星空の下で、星を取ろうかとするように伸ばした沈螺の手に、呉居藍が指を絡ませます。

沈螺は思います。

いま輝いている星の中には、遥か昔に消えてしまったものもたくさんあるはず。
でも私たちの眼は、数千万光年の彼方で消滅した星の光をとらえ、
生きている星々と分け隔てなく、そのきらめきを眺めているのね。

この宇宙の中では、そもそも、生と死を分かつことなどできない。

恒星の運命に生まれた星は、どんなに遠くにあろうと、たとえ消滅しようと、その輝きが星空の中で変わることなく、あなたを照らし続けるの。

〜〜

ドラマは、小説のこの最後の部分をそのまま採用しています。しかし、セリフの前半部分を呉居藍に、「恒星の…」以降を沈螺に言わせることによって、小説と同じ言葉がまったく違った意味合いを持ってきます。

生と死とは、満天の星のどれがすでに消滅しているかが分からないように、分かちがたいものなのだと呟く呉居藍の言葉に、沈螺は静かに答えます。

「でも恒星の運命に生まれた人は、私の星空の中でいつまでも輝き続けるのよ」

彼女にとって、自分は取るに足らないものであり、呉居藍こそが恒星の運命であるべき存在なのです。

そもそも、もし自分が犠牲になることで相手が助かると知っているなら、沈螺のような行動を取ろうとする人は決して少なくないでしょう。自分の家族、友人は言うに及ばず、災害や事故の最中に、見ず知らずの人のために自分を犠牲にした人々さえたくさんいるのですから。

しかし、そうして相手を失ったあと、遺された方の辛さがどれほどのものか。

自分語りで恐縮ですが、幸か不幸か、ごく短い期間の間に、危うく両方を体験しそうになったことがあります。

相方が大病に罹り、思いもよらなかった自分は当時相当心配しました。世の中の多くの人が思うであろうように、自分が代わったらいいのにとも思いました。幸運にも手術が奏功したのですが、望みが叶ったというべきか、こちらは心配している間にみるみるうちに抵抗力を失い、半年たたないうちに同じ病気に罹りました。

入院している間、私が思ったことは、確かにここで死ぬのは残念ではあるけれど、相手に死なれるよりは数百数千倍マシだという、ただそれだけでした。

だから私には、このドラマが全く別の世界の出来事だとは到底思えなかったし(ま、他にもこの話が他人事と思えない理由は多々あるのですがそれはともかく)、多くの人がいつかは身に沁みて感じる話だと思う。

しかし小説は、その境地をさらに踏み越えていきます。

いま、この瞬間に生きるという「悟り」とはまた別の次元で、もっと長いスパンで捕らえたとき、生きて輝いていることの意義を提示した、大いなる慰めとでもいいますか。

それに比べると、ドラマは最後が、相手のために自分を犠牲にすることを厭わない、という場面で終わるので印象が薄まってしまっていますが、そのために小説にはない良さも感じました。

小説もドラマも最終章は海に浮かぶ船の上ですが、小説が非日常(ニューヨーク)から非日常(ハネムーン)で終わるのに対して、ドラマはハネムーンに出かけるまで、最後の日々をいつも通りに過ごそうとします。

残された最後の一日、何がしたいか尋ねる呉居藍に沈螺は静かに答えます。
ごく普通の夫婦のようにごく普通の一日が過ごしたい。

炊事をして、掃除をして、食事をして…

そんな何でもない日常が、花々に彩られた古い民家の佇まいを背景に美しく撮られていて、日々の生活、今このとき自分が手にしている生活が、どれほど眩しくかけがえのないものであるか、映像を通して観る者の胸に迫ります。

ドラマは最初の方から最終回に向けて、日常生活の描写を丁寧に積み重ねてきていて、それが素晴らしい効果を挙げていると思います。この辺りはドラマならではの強みですね。

このように、ドラマはどちらかというと身近なテーマの方がクローズアップされていますが、小説のエピローグに通じるテーマもきちんと織り込まれていたと思います。

呉居藍は別れ際、ヴァイオレットに言います。

天下没有不散的筵席

この世に終わらない宴はない。

中国の人が、名残り惜しいですが、という代わりによく使う言葉で、このセリフをいう呉居藍の表情には、一種の諦念のようなものを感じます。

思い起こせばドラマの冒頭、ヴァイオレットはレグルス(呉居藍)に残された期限があと3か月というところで霊珠の行方を突き止め、彼を呼び戻します。

ニューヨークに上陸したレグルスは、150年前から現在までの街の移り変わりを一瞬にして幻視し、用意された馬車に乗り(陸地の変化で彼を驚かせないようにと、150年前と同様にしようとした彼女の配慮でしょうか)、ヴァイオレットの邸で彼女の話を聞きます。

かつての親友の手ひどい裏切りをまざまざと思い出させられたはずのこの場面で、レグルスの表情は水面のように静かでした。ここのウィリアム・フォンの演技は実に上手いですが、つまりこの時点では(久しぶりに陸に上がったのでぼーっとしてた、というツッコミはさておき)、彼は自分の生命の源である霊珠を取り返すことに、それほど執着してはいなかったと思われます。

つまり、ドラマの方もちゃんと小説のツボは押さえていたということですね。

生の意義を、不死を引き合いに出すことで示す作品は、それこそ神話からアニメまで、過去にもいろいろあります。

J.R.R.トールキンが書いた『指輪物語』の中で、私が一番惹きつけられたのは、実は本編ではなく、追補編という、エピローグにあたる部分の描写でした。

この物語の中では、エルフという美しい種族がおり、彼らはこの世と共に生まれ、この世が終わるまでは不死の存在とされています。そのエルフの王女、アルウェンは人間のアラゴルンと結ばれます。小説も、そして映画『ロード・オブ・ザ・リング』も、本編はそこでめでたく終わりますが、追補編はその先の物語を語ります。

アラゴルンは人間の中では長寿にあたる人々に属してはいましたが、やがて彼の命も尽きる日がやってきます。アルウェンは愛する人を失ったあと、永遠に時のはざまを漂うことになるのです。

限りある命しかもたない者は不老不死に執着しますが、限りない命をもつ者の悲劇は永遠に終わることがないとは…。

話がちょっとネガティブな方向に向かってしまいましたが、小説もドラマも、長い寿命は呉居藍にとって重荷でしかないことを匂わせているようです。

一方、生と死は分かつことができないというのはかなり抽象的ですが、それを補うように、小説にもドラマにもこの抽象的な概念を具現化するイベントが起こります。

ドラマの呉居藍は、もはや余命いくばくもないと悟っているので、沈螺が自分を忘れるように仕向けようとします。結局それは失敗に終わったうえに、巫靓靓から真実を知った沈螺は、進んで呉居藍にプロポーズします。

そのときは周不聞の妨害に遭い、婚礼は途中で中断してしまうのですが、沈螺が霊珠を返そうとした夜、今度は呉居藍が結婚しようと言い出します。

ドラマでは最終回にもう一回結婚式をしているし、小説ではエピローグで式を挙げていますが、中断したとは言え一度結婚式は挙げているので、当然彼が言っているのはただ儀式を行うという意味ではないでしょう。

ドラマではいきなり村長さんが困ったことを言い出して二人を困惑させたり、最後に貝殻を売りに行ったとき、二人が子どもたちに取り囲まれたりしています。それは小説でエピローグに書かれていることを敷衍してるのでしょうが、小説で言いたかったことは、恐らくもっと本来的な意味での結びつきのことなのでしょう。

この段階で小説の二人は―ドラマではまだ呉居藍だけかも知れないけれど、もはや生と死とは同格であると考えているからです。

かつて新年は万物がまた一年、新しい生命を得る変わり目の時でした。

生きるということがどういうことなのかは、その対極にあるものを知らなければ分からないということなのかも知れません。

ドラマの呉居藍は、沈螺と別れなければならないことを悲しむ一方で、自分の命が相手を救うことで終わることに安堵しているようにも見えます。

あるいは、小説で三枚の絵の意味を呉居藍が考え抜いたように、ドラマの呉居藍も言わないだけで、自分の選択の意味を噛み締めていたのかも知れませんが。

という訳で、今年も最後の一日になってようやく、《蘭陵王》のエントリーを続けるにあたって欠けていたピースが揃いました。

ということで、この後は《蘭陵王》の記事に続きます。

《蘭陵王》関連の記事を最初からご覧になりたい方は、

→こちら

からどうぞ。

それでは皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
そして、どうか機会があれば、《那片星空,那片海》の小説の方もご覧になってみてくださいませ。

なお、本エントリーでは、コメント欄に寄せられた晴川さんからのご質問に、私なりにお答えする形で記事を補足した箇所が多数ございます。改めまして、貴重なご質問・ご感想に心より感謝いたします。
posted by 銀の匙 at 15:41| Comment(12) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

スターウォーズ8 最後のジェダイ(表記以降ネタバレあり)

starwars8.jpg

いや〜面白かったですねー! 私はエピソードWが一番好きなのですが、その次に好きかも。

エピソード8は、新シリーズの真ん中の1本に当たるので、どう転んでもOKな一方で、面白く作るのはなかなか難しいチャレンジだったはず。

今回はその点、かなり定石を外しにかかってきて(いちおうシリーズの枠内ではあったけど)新鮮だったし、光と闇の間を描くことで、話としても深みが出たし、ヒーロー/ヒロインと悪との戦いという構図から抜け出して、大人が見ても楽しめる複雑さが加わったと思います。

BB-8も前作以上に活躍したし、予告通り、あっと驚く展開もあったし、メカもたくさん出たし、大満足。

毎回、エンドロールでロケ地のクレジットにぞろぞろ並ぶ見慣れない人名を眺めるのを楽しみにしてるのですが、今回も期待にたがわず、いろいろな記号がいっぱいついた人名がずらりと並びました(アイスランド、アイルランド、ボリビア、クロアチア等々で撮影された模様)。

そして、エンドロールの楽しみといえば音楽ですが、こちらはキャストの名前の最後に珍しくピアノソロになったと思ったら、それはレイア姫のテーマで、私たちのプリンセス キャリー・フィッシャー、とテロップが出ました。ここにも字幕を付けたら良かったのに…。

ということで、以下はお話の内容に触れています。まだ見ていない方はここまで。













さて。

足柄山のキンタローを彷彿とさせる(ごめんね!)アジア系女性を思いっきりフィーチャーし、前作にもまして、女、非白人、凡人推しの度合いをパワーアップしている本作ですが、このシリーズのタイトルが「スター・ウォーズ」であることを、改めて強烈に意識させられたエピソードでもありました。

冒頭、いきなり画面狭しと多数のスターデストロイヤーが出現し、多頭飼いのネコみたいに犇めき合うありさまを見て感涙にむせんでいると、反乱軍側がXウィングを繰り出し、のっけから激しい戦闘シーンが始まります。

多大な犠牲を出すも戦果を上げ、鼻高々のパイロット、ポー・ダメロンに、レイア将軍が思いっきりダメを出します。(ダメロンだけに…って、いやいやいや口が滑りました)

この時点からすでに、冷静で正義感溢れ、余裕しゃくしゃくの女性陣と、お子ちゃまだったり意気地がなかったり日和見だったりする男性陣という構図が確立されており、いくらなんでもこのシリーズの忠実なお客さんである男性ファンに配慮がなさすぎなのでは、とつい余計な心配をしてしまうほどでした。

そして、さんざん戦闘シーンの見せ場を作ったあと、敵の戦隊の追跡を振り切るために暗号破りの達人を探しに行ったカジノで、新キャラクターのローズはフィンに、ここに出入りできるほどの富を蓄える方法は一つしかない、戦争よ、と言います。

なんだか、「戦争」を映画にして稼いでる、自分たちへの皮肉みたいですが…。この監督さん、定石を外してくるところといい、このシリーズの根本原理を派手にぶち壊しにかかってきたところといい、かなりの勇者とみました。

まあそれはともかく、そのカジノからの脱出行や、追跡され、包囲された状況からの脱出、石の惑星での戦闘シーンでも、称賛されるのは戦って相手を倒す戦果ではなく、例えささやかな数だったとしてもいかに誰かを助けたか、命を救ったか、という点なのです。

一方で物語は、武器商人がファーストオーダー側ばかりでなく、反乱軍にも武器を供給していることを語ります。うさんくさいコードブレイカー、結局は味方を窮地に陥れたポーとフィン、レイに心の内をみせたカイロ・レン、どんな暗黒卿よりも酷い決断をしたルーク…すべては光と闇の間を揺れ動き、絶対の善もなければ絶対の悪もない、まさにルークが語った「フォース」そのものの様相を見せます。

サブタイトルの最後のジェダイはルークのことだったのですが、彼がレイに伝えた通り、ジェダイがフォースを司っているわけでも、ジェダイの中にフォースがあるわけでもなく、最後のジェダイがいなくなったとしても、光と闇のバランスを取るものとしてフォースは全てに流れ続けているのでした。

フォースは血統ではなく、名もなき両親の子であるレイ(少なくとも8の段階では。ただ、ラストシーンで箒を引き寄せていた子も似た境遇でしょうから、恐らくそのはず)にも使えるというのは、凡人推しの一面はありますが、この流れからすると自然だし、そうあるべきなのでしょう。

とはいえ、凡人ならぬマスター・ヨーダの言うことは、やはり賢者ならではの含蓄があり、しみじみと噛みしめてしまいました。ルークがレイアを救いに行ったのは、R2-D2の機知がきっかけだったでしょうが、一度は師としての重荷を放棄していたのに、行動を通して最後のジェダイとしての責任を全うし、レイを―あるいはカイロ・レンをも―導くことになったのは、きっとヨーダのおかげなのでしょうから。

となると、過去を捨て去るとはいいつつ、スター・ウォーズの一番の英雄は今回も、緑色で小さな老人、マスター・ヨーダということで…。

ということで、定石外し+大事なお約束は受け継いだ本作品、
感想も定番の挨拶で〆るといたしましょう。

ではでは、2018年もフォースと共にあれ!

posted by 銀の匙 at 03:24| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

smoke(スモーク)

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私はタバコが苦手なので(喫煙室に入ると確実に喉をやられてしばらく声が出ない)、味?の良しあしは分かりませんが、タバコが作り出す「間(ま)」というのは、なかなか他を以て代えがたいものがあるとは常々感じております。

箱から取り出し、火をつけて、最初に呼吸するまでの、あの独特の時間。

前後はともかく、吸っている瞬間には、その場に何人いようと必ず訪れる沈黙。

この間合いに、得も言われぬ妙味が凝縮されているような気がします。

ニューヨーク、ブルックリンの街角にある小さなタバコ屋。店主・オーギーの人柄ゆえか、店内では客たちが、一服しながら野球談議や小話で盛り上がったりしています。

インテリ風の男がタバコにまつわるちょっとしたエピソードを話します。エリザベス一世の時代、寵臣のウォルター・ローリー卿が宮廷でタバコを流行らせた。彼は得意の機知で、タバコの煙の重さを量ってみせた…。

いきなり場を高級にして立ち去った男に、残されたシケた感じの男たちが唖然としていると、オーギーが、彼は小説家だが、このすぐ先の銀行で起こった強盗事件で妻を亡くして以来、ずっと何も書いていないと話します。

その作家、ポール・ベンジャミンは店を出てふらふら歩いているうちに、車に跳ねられそうになります。とっさに彼を救った黒人の少年に、ポールは礼をしたいと申し出ますが、彼は受け取ろうとしません。結局、レモネードを一杯おごり、ポールは気が変わったら尋ねてきてほしいと、自分の住所を渡します。

数日後、ブザーがなり、思いもかけず少年が現れます。ラシードと名乗る少年をポールは2泊くらいならと泊めてやりますが、結局仕事の邪魔になるというので帰したところ、しばらくして、またブザーが鳴り、今度は彼の叔母と名乗る婦人が現れます…。

いかにも訳アリそうな、でも素直で純真そうな少年ラシード、街角の写真を取り続け、街の渋い魅力を象徴するかのような店主オーギー、傷心を抱えつつ、ニューヨーカーの良心を体現しているかのような作家ポールのエピソードをゆるく絡ませながら、タバコを燻らせているときのような、落ち着いたテンポで進む物語です。

郊外に向かう列車が長く伸びていく場面。大混乱の末に、各々無言でピクニックのテーブルを囲む場面。
何ともいえない独特の妙味を、映像からも感じます。

登場人物たちはしょっちゅうウソをついていたり、犯罪すれすれのことに手を出したり、荒れた生活を送っていたりと完璧な人たちばかりではないのですが、肝心なところでは自分の良心に従い、さりげなく人に救いの手を差し伸べます。

心温まる、でも決してベタベタしないその距離感が、いかにもニューヨークの粋を感じさせ、感心しつつ観ておりましたら、なんと脚本がポール・オースターだったとは。

サンタクロースももみの木も雪景色も出てきませんが、クリスマスにふさわしいこの映画、デジタル・リマスター版が2017年12月17日から恵比寿ガーデンシネマ他、全国でロードショーとのこと。

まだ見ていない方も、思い出の1本となっている方にも、強くおススメいたします!

ウェイン・ワン監督
113分

excite ism に制作の裏話も含めた、とても読み応えのある紹介文が出ています(あらすじがかなり詳しいので、ネタバレを気にされる方は、ご鑑賞後にご覧になった方がいいかも)↓

http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1481685885166/





posted by 銀の匙 at 12:45| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

in your time

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NTTインターコミュニケーションセンターで開催された、坂本龍一のソロコンサート。
小さな美術館の一角で行われたため、入場者は300人限定でスタンディング。
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いきなり、3メートルくらいの距離で教授が演奏を始めてビックリ。
高いステージがしつらえられたわけではないので、ほぼ、目の高さ。

髪は真っ白。力強くて長い指。
表情が手に取るように分かります。

間近にいたから見えたけど、3,4列後ろになると、何が起こっているのかさっぱり分からなかったはず。
コンサートが終わったあと、皆、写真を撮りまくっていましたが、見えなかったせいもあると思う。

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ピアニカサイズの鍵盤楽器を弾いたり、チェロをこすったり、人の手が加わった電子音楽。
左端のアクリルの衝立のようなものをこすって出した音は、人の声に似ていました。

通奏低音のように響くノイズ系の音響に耳を傾けながら、鍵盤に指を置いていく教授の様子は、まるで孤高の棋士のよう。

鍵盤をぐっと押し込んで離したときのカタンという確かな音が、鳴らした音階にまして刺さってくる。

周りを取り囲むすべてが音の場をつくるけれど、聞く者に決まりきった形を与えない音楽。

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何かハッキリしたメロディがあったわけでも、リズムがあったわけでもないのに、家に帰った今も、その場で受け取った音の「残り香」を波動として感じています。

音楽は時間の芸術というけれど、時間さえも意味をなさないような、音の体験でした。


posted by 銀の匙 at 00:43| Comment(0) | 舞台/パフォーマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編6

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↑ 都内某所にて。まさか、こんな所に…。

12月に入ると、いきなり時間の進み具合が速くなったような気がするのは私だけではないでしょう…。2017年も、そして物語もそろそろ終盤。コメントでいただいた情報によれば、来春にはDVDも発売されるとのこと。追いつかれないうちに本題に戻らねば!

ということで、早速つづき行ってみましょう。

ここまでの詳しい話は、

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章(前半))→こちら

        第5回(14章(後半)〜16章(前半))→こちら 
でどうぞ。

第16章(後半)

声のした方を見ると、周不言と周不闻が襲撃艇の真ん中に立っているのが見えました。周不言は彼らの船に乗り移るように促します。

呉居藍はもうすぐ人魚の姿になってしまうはず。沈螺はわざとバランスを崩して、呉居藍を海へ落とします。

別の大きな船に移された沈螺は周不聞から、祖父が会いたがっていると聞かされ、豪華な船室に通されます。

そこにいたのは、三つ揃いを着た白髪の老人でした。

周老人は沈螺に、自分たちの目的を当てろと促します。

沈螺は、初めは金目のものを狙っているのかと思ったけれど、こんなに裕福なら必要ないはず。何か自分の古い家屋に関係する事だが、それが何だか分かっていないのではないか、銅鏡も目的のものではなかったのだろう、と答えます。

老人は、だいたい正しいが、最後の推測は間違いだ、といって沈螺に写真を渡します。

写っていたのは銅鏡に隠されていた革のようなものでした。

「これは何? 宝の地図なの?」

老人は意外なことを言い出します。
「この世に起死回生の霊薬があると信じるかね」

沈螺が否定すると、老人は秦の始皇帝が不老長寿の薬を探していたという伝説を話します。捜索を命じられた徐福は迷いもせず、それを海に探しに行ったのだ。

そして老人はいきなり、“鮫人”(ジャオレン)の存在を信じるかと聞いてきます。

自分の祖父は、沈螺の高祖父(おじいちゃんのおじいちゃん)・沈鱼仔(シェンユィザイ)から魚神に会った話を聞いた。沈鱼仔は嵐の日、傷ついた魚神を命がけで助けた礼として、ある秘術を授かり、漁民として大成功して幸せに暮らしたというのです。

酔った沈鱼仔がその秘術とは起死回生の霊薬だと話したと聞き、沈螺はあざ笑います。
そんな薬があるのなら、おじいちゃんも、そのおじいちゃんもなぜそれを使わなかったの?

老人は言います。自分の祖父は人を殺めてしまい、南洋に逃げる羽目になった。親友だった沈鱼仔は餞別に魚神の海図をくれた。現在知られていない材料で作られたもので、自分は“鮫人”が作ったという織物“鲛绡”だと思う。海図が本物なら、どこにあるかは分かっていないが霊薬も本物のはずだ。

興奮した老人は発作を起こして倒れてしまい、周不聞は沈螺を船室の外へ連れ出します。

周不聞は声を潜め、沈螺たちのクルーザーを調べるふりをして、海に浮輪をいくつか投げておいたと話します。また、金銭で解決しようとしたのに、沈螺の父親を事故に遭わせることになったと謝ります。

沈螺は足を止め、もし起死回生の薬があるのなら、とっくに父に飲ませているはず、そんなものは知らない、と叫びます。

そこへ周不言が現れ、周不聞を連れて去っていきます。代わりに銃を持った部下が沈螺を監禁するためについてきます。

沈螺はサファイヤの指輪を外し、これで一生遊んで暮らせると言って男に投げつけます。ボスはあんたを、私から指輪を奪って口封じのために海に突き落としたと思うでしょう。だから黙ってた方が利口よ。

そう言い捨てて、沈螺は海へと飛び込みます。

〜〜〜
ついに周兄妹のバックにいた黒幕が登場します。病に侵され、沈螺が「死の匂いがする」と直感した人物ですが、ドラマにはそのままでは登場しません。

霊珠を付け狙う黒魔術師・安佐が、何とか生き返らせようとしていた養い親のモデルになったと思われますが、穏やかな善人だった彼とは似ても似つかない、金と不老長寿に憑りつかれた人物です。ただ、養子の周不聞を可愛がっていたようで、その点は少し共通しています。

小説は、生への執着の象徴のような形で描かれていますが、ドラマの方は、こんなステレオタイプの老人を登場させるのには抵抗があったのでしょうか…。

逆に、ドラマでは一方的に悪役チックに描かれていた周不聞は、小説ではもう少し良心のある人物として描かれています。ここでははしょってしまいましたが、周不言も義兄を取られると思い込んでいたために意地の悪い行動を取っていただけで、さほどの悪女というわけでもなさそうです。

ここで出てくる徐福という人物は、秦の始皇帝に不老長寿の薬があると持ち掛け、薬を探して東方へ船出したという伝説があります。いまでも中国では日本のことを東瀛(とうえい)と書くことがありますが、これは東方にある神秘的な場所を指す雅称で、たとえばパリを「花の都」というようなものです。

第17章

海に落ちた沈螺を呉居藍はすぐさま掬い上げます。
このままでは低体温でショックが起きると心配した呉居藍は、ヴァイオレットに連絡し、沈螺には眠らないよう話しかけます。

なぜ助けを待たずに飛び降りたのかという問いに沈螺は、周老人の話を聞かせ、呉居藍が心配だったと話します。

自分と引き換えに安全を確保するようにと言ったはず、と言う呉居藍に、沈螺は本気で怒ります。

呉居藍は笑って、「客人が来た。毛布と酒を借りるとしよう」と言います。

船が近づく音がし、沈螺は自分はどうでもいいから早く潜って逃げろと呉居藍に言いますが、そんな緊迫した状況の中、いきなり沈螺が防水パックに入れて隠しもっていた携帯が鳴動します。

呉居藍は、君がずっと待ってた電話だから出ろと言います。
沈楊は沈螺が呼んでくれた名医のおかげで手術が成功したといい、「お姉ちゃん、夏になったらパパを連れて会いに行くよ」と言って電話を切ります。

弟の口からはじめて聞く「お姉ちゃん」という言葉に沈螺が呆然としていると、襲撃艇が近づいてきます。

呉居藍は悠然とヴァイオレットに電話し、先に片付けることがあるからゆっくりでいいと告げ、沈螺には、これから完全に原型に戻るので、しばらくは話ができないといいます。

だんだん意識が朦朧としてきた沈螺の耳に、天上の音楽のような歌声が聞こえてきます。

目を覚ますと、沈螺はまた周老人の船室にいました。介抱してくれたらしい呉居藍に、自分たちは捕まったのかと聞くと、彼は首を横に振ります。彼は人魚の姿のまま、船室にいたのです。

呉居藍を海へ戻すと、沈螺は船を見て回ります。驚くことに、船に乗っていた全ての人たちは皆幸せそうな笑みを浮かべて眠りこけていました。

つついたぐらいでは目は覚まさないよ、という声に沈螺が振り返ると、昇る朝日の下に呉居藍が立っていました。

ヨーロッパでは人魚の声には人の心に作用する魔力があるという。そしてその魔力は朝日と共に消えてしまうとも。

果たして、乗組員も周兄妹、周老人も目を覚まし、呉居藍と沈螺は囲まれてしまいます。

そこへ沿岸警備隊が到着、ヴァイオレットや巫靓靓、江易盛の姿も見えました。

最後まで抵抗した周老人と側近は射殺され、周兄妹は逮捕・連行されて行きました。

〜〜〜
この章はドラマの方には全く登場しません。やっと出てきたと思ったら、活躍の場も特になくラスボスはあっさり退場してしまいます。

ドラマと同様だったのは、周不聞が逮捕されるというくだりのみ。

前の方の回ではご紹介を省いてしまいましたが、呉居藍は最初に沈螺の前に人魚の姿で現れたとき、彼女を落ちつかせるために人魚の歌を使います。

都内某所の大学内(のカフェ)には、それを記念したこんな絵画も…。

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よく見ると、この人魚には尾が2つあります。とあるカフェの説明によると、これはセイレーン(サイレン)を描いたものだそうです。

セイレーンはご存じの通り、美しい声で歌をうたって船乗りたちを惑わし、船をナンパ…いや、難破させる、人面鳥身の怪物。

って、人魚じゃなくて、トリなのでは…?鳥の2本の足が、人魚と混同される過程で魚の尾になったという説明もありますが、果たして…。

ここの章で呉居藍は、元々は沈螺を捕えた者たちを皆殺しにしてしまうつもりだったらしい。でも、これから先も人間社会で生きて行かなければいけない沈螺のことを考えて、こういう措置にしたのだと事もなげに言います。

とにかく、命が惜しかったら呉居藍とカラオケに行くのはやめましょう。


第18章(前半)

ニューヨークの自宅に戻った沈螺のところに、銅鏡が戻ってきました。周家が送り返してきたのです。

海図が伝説の鲛绡で出来ているという話は本当だと呉居藍は言います。

1865年、捕らえられた呉居藍は怪我を負ったまま、急いで海に戻ったに違いない。太平洋を越えることは人魚にとって大した距離でもないはず。

「じゃ、海図をおじいちゃんのおじいちゃんに渡したのは…」
呉居藍はうなずきました。

「解毒薬は山の上にあったけれど、傷が深くて自分は姿を変えることができなかった。君の先祖は善良な人で、自分のために薬を取ってきてくれた」

沈螺は思います。高祖父が出会ったのと同じ人魚に自分も出会うなんて…。

江易盛が休暇を終えて帰国する日に合わせて、沈螺と呉居藍も島に戻ることにしましたが、呉居藍は江易盛にヴァイオレットの研究施設で検査をしてはどうかと提案します。

江易盛の家系は精神疾患の遺伝があり、父親はすでに発症して入院中でした。検査の結果によっては、予防措置が取れるだろうというのです。

最初は行く気のなかった江易盛も巫靓靓に説得されて、呉居藍のつきそいで研究施設に向かい、巫靓靓は身分証明書の手続きに出かけます。

ひとり残った沈螺は、本棚を眺めていました。デンマーク語の「アングネットと人魚」。呉居藍は読んだことがある、と言っていたけれど、それはまさにこの本を読んだという意味だったのだと沈螺は悟ります。扉にはアンデルセン本人のサインがありました。

沈螺は英語版のアンデルセン童話を手に取ります。

人魚姫は人間の姿になったとき、声を出すことができませんでした。ただ、たとえ話せなくても、意思を伝える方法はあったはず。人魚姫はひょっとして自分の意思で、王子には何も話さなかったのではないのかしら。

なのに魔女は人魚姫に匕首を渡して、王子の鮮血と命を得れば人魚姫は海に還れると勧めるのです。

物語はなぜ、生き残りゲームのようになってしまったのだろう。

考えているところに、玄関のブザーがなります。

知らない人を守衛が通すわけはないと思ったら、そこにはヴァイオレットが立っていました。

部屋に通すと、ヴァイオレットはソファに置かれた「アンデルセン童話」を手にとって尋ねます。「伝説の人魚に出会えるなんて、幸運だとは思わない?」

沈螺は答えます「私はとてもラッキーよ。でもそれは人魚に会ったからじゃない。呉居藍に会ったからなの」

ヴァイオレットは一瞬躊躇してから口を開きます。
「レグルスは、昔ニューヨークで起きた不愉快な出来事について話したはず。」

「彼は高潔な人だから、誰が裏切り者かは言わなかったでしょうね。実は私の太祖父なの」

沈螺はこの告白に息を呑みます。

「そして、太祖父の保護をレグルスに頼み、後にはバーナム博物館に火をつけてレグルスを救ったのが私の太祖母なの。太祖父はその火事で亡くなったわ」

「私の太祖母も、祖母も、レグルスに仕えた魔女なの。そして私もそう」

魔女が本当にいるなんて!

ヴァイオレットの家は先祖代々人魚の資力や知識から多くを得て、若さを保つ方法や長寿についての研究に勤しんでおり、レグルス一族の忠実な僕なのだといいます。

それなのにわざわざ呉居藍がいないときに現れたのはなぜだろう。

本能的に警戒する沈螺にヴァイオレットは、魔女からみた「人魚姫」の話を語り始めます。

人魚と人間は異なる方向へ進化してきた。人間は科学技術のような外の力を発展させたのに対して、人魚は内なる力を進化させた。人魚は体内に貴重な霊魂の珠を持っており、その霊珠と人魚の精神力とは大きな関係がある。

精神力は目には見えないけれど、たとえば人を眠らせるその歌などの形で現れる。

あるとき、人間の王子が嵐の海に落ちた。人魚姫は彼を救おうとしたけれど、それは叶わなかった。そこで自分の霊珠を与え、蘇らせた。

それが周老人の言っていた薬のことか、と沈螺が聞くと、それは物のたとえであって、たとえば昔の人が、移植手術を起死回生の術と捕らえるであろうことと同じようなものだといいます。人魚は霊珠の力で溺れた人を救うことしかできないし、救えるタイミングも限られていて、そのほかの、例えば病気などはどうすることもできないといいます。

人魚の寿命は長いので、助けた相手が亡くなったらまた霊珠を取り戻すことができる。人魚姫も王子を陸に送り届けたらしばらく海に帰るつもりだった。ところが、漁師につかまって傷を負い、霊珠を取り戻す必要に迫られた。しかし、王子は霊珠を失えば死んでしまう。

人魚は平和を愛する種族であり、霊珠のやり取りは殺し合いではなく、相手の意志によって行われる。人魚姫が進んで霊珠を与えたように、王子は進んで霊珠を返さなければならない。

しかしどうやって?

困った人魚は魔女に助けを求めた。

魔女は、人類は身勝手なものとよく知っていた。身勝手な者を無私に変え、臆病者を勇敢にできるのは、世界で一番不可思議な魔術、愛しかない。けれども王子は人魚姫の愛に気づかない。

魔女は、王子を殺して霊珠を取り戻すよう勧めるが、優しい人魚姫はそれに忍びず、魔女の哀願にもかかわらず、霊珠を諦め、自らの長い命を王子の短い命と引き換えにして、泡となって消えてしまう。王子はそんな犠牲には少しも気づかなかった…。

沈螺は身震いします。もし人間が霊珠を持ったらどうなるの?

ヴァイオレットは答えます。表面上は何も変わらないし、寿命が伸びるわけでもない。病気の治りが早くなるくらいだと。レグルスは…。

怖くなった沈螺は立ち上がり、それ以上は話させず、ヴァイオレットに部屋を出ていくよう求めます。

ヴァイオレットは、考える時間をあげましょう、と言って出ていきます。

しばし呆然としていた沈螺は、ふらふらと外をさまよい歩きます。

湖の青い水面を見ながら、沈螺は思わずにはいられません。

呉居藍がくれた優しさと幸せは私のため? 
それとも私が持っているらしい、霊珠のためなの?

〜〜〜

ドラマの江易盛は精神科医ですが、小説では外科医で、精神疾患の家系に生まれたということになっています。

彼は天才的な頭脳を持ち、何をやらせても一流でルックスもよく、外地で医科大の学生をしていたころはとにかくモテました。しかし女性たちは江易盛の父親を見るとたちまち態度が変わり、二度と連絡も寄こさなくなります。

幼なじみの沈螺は、常々そういう女性たちを計算高いと嫌っていたのに、いざ呉居藍のことが気になりだすと、彼の来歴から「クズ男を好きになるより悲惨」と考えたりしました。そういう自分は、計算高い女性たちと何が違うのかと落ち込んだりしていたのでした。

ともあれ、江易盛にとってはあまり考えたくない事柄だったので、呉居藍の提案にあまり乗り気ではなかったのでした。考えを変えさせたのは巫靓靓だったのですが、詳細は小説の方をご覧くださいませ;

さて、この章でお分かりの通り、もし周老人が霊珠を手に入れたとしても、彼を救うことは出来なかったでしょう。

ドラマではこの設定への言及はないのですが、同じだとすると、変だと思った箇所もかなり納得が行きます。

ドラマの呉居藍は、安佐によって海に突き落とされた沈螺を助けに行き、霊珠が輝いているのを見ます。多くの魚が集まり、溺れた沈螺を助けようとしているように見えます。ヴァイオレットは、その特徴は霊珠に間違いないと言います。

ヴァイオレットも巫靓靓も、当初は沈螺の祖父が、霊珠を秘密のうちに、沈螺の体内に隠していたと考えていたようです。

霊珠を取り戻したいなら、黒魔術師の魔刀を使うか、「真実の口づけ」で呼び戻すという方法があると聞かされ、呉居藍は何とか後者を実現させようと頑張るわけです。

ところが、相当自信があったらしい(?)呉居藍に、小娘の力は借りないとか言われた巫靓靓は、骨董品の1000年前のナンパテクなんて、ときっちり見切っており(事実、呉居藍は周不聞には邪魔されるわ、肝心の沈螺には拒否られるわでダメダメだったんですが…)、まずは攻略相手を知ろうと、江易盛に沈螺のことをあれこれ尋ねます。

そして、江易盛から、沈螺が以前溺れて死にそうになったことがある、と聞いた途端に顔色を変えます。

一方、必要以上に(笑)ナンパに積極的だった呉居藍は、沈螺本人の口から、以前溺れて死にかけたことがあると聞いた瞬間、手のひらを返したように冷たい態度を取るようになります。

小説を読む前は、溺れたと聞いて、なぜすぐ霊珠を使って助けたと分かるんだろうと思いましたが、ドラマでもこの設定が生きているとすれば、沈螺のおじいちゃんの態度を考え合わせると、霊珠は隠されたのではなく沈螺を助けるために使われ、それを取り戻されてしまえば沈螺は死んでしまうのだとおじいちゃんは知っていたし、呉居藍も巫靓靓も、すぐピンと来たということになります。

というわけで、安佐の努力も全くの骨折り損だったわけです。

そんなことも知らない黒魔術師って、どうなの?とつい思ってしまうわけですが、ドラマの第2季を見ると、この設定がドラマでも通用するのか、やや怪しくなってきます。途中でルール変更なんてそんな、スポーツ競技じゃあるまいし…。

まあ、その辺は大人の事情もあるかもしれない(し、私が何か見逃してるかもしれない)のであまり追及しないでおくとして、小説から読んだ人にとっては、この章は結構な衝撃度ですよね。

身勝手な者を無私に変え、臆病者を勇敢にできる、世界で一番不可思議な魔術が愛である、とは、ドラマにも何度か登場する言葉で、最後には愛の偉大さを語るときに使われるのですが、小説のこの部分では駆け引きの道具だという宣言に過ぎないのです。

前からちらちら触れていますが、この物語は沈螺目線で語られているため、呉居藍が本当はどんな人なのか、読者にはよく分からないんですね。だから、ここまでの呉居藍に関する情報の全ては、沈螺のまったくの思い込みだったとしても、何ら不思議じゃないわけです。

ドラマの方は、第1回の、しかも冒頭で、ニューヨークに上陸した呉居藍が、車に引かれそうになった子どもを助けるシーンがあります。

つーんと来るほどベタなシーンなのですが(泣)、ともかくこれでドラマの呉居藍がどんなキャラかは否応なく伝わります。

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↑後の「氷山」がウソのように優しげな、上陸直後の呉居藍

そうそう、親に孝行と同様、子どもには無条件で優しくするのが中国では立派な大人の絶対条件です。「子ども嫌い」とかウッカリ人前で言うと、人間扱いされないかも知れませんのでお気をつけください!

っていうか、そういえば呉居藍は人間じゃないんだった。

特に小説の呉居藍はやや不気味なところもあるし、この後どうなるんだろう、と読者を不安にさせるこの展開、次回、いよいよ小説は最終章へ。→こちら
posted by 銀の匙 at 03:46| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編5

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↑ニューヨークにある呉居藍のステキなおうち。本棚がいっぱいあっていいなぁ…(羨ましいのはそこ?)

テレビ放映も終わり、いよいよ火がついて参りました本エントリー。師走にもなったことだし、さくさくクライマックスに行ってみましょう!

前回は、巫靓靓(ウー・リャンリャン)、江易盛(ジャン・イーション)と共にニューヨークにやってきた沈螺が呉居藍(ウー・ジュイラン)と合流し、150年前劇場で起きた、恐ろしい出来事を聞いたところまででした。

ここまでの詳しい話は、

ネタバレなし編 →こちら

ネタバレあり編 第1回(1章〜3章)→こちら
        第2回(4章〜7章)→こちら
        第3回(8章〜11章(前半))→こちら
        第4回(11章(後半)〜14章)→こちら

でどうぞ。

第14章(後半)

巫靓靓(ウー・リャンリャン)は沈螺〈シェン・ルオ〉に、石が売れたこと、ボスがパーティーに招待したことを告げます。部屋には正装用のドレスまで用意されていました。

華やかな会場には、周不聞〈チョウ・ブーウェン〉兄妹の姿もありました。

周不言(チョウ・ブーイェン)は高飛車な態度で、“吃软饭的绣花枕头男朋友”(顔だけが取り柄のヒモ)が金持ちマダムにさらわれないように気をつけることね、とせせら笑いますが、沈螺は周不聞の肩に手をかけて、彼女がいながら他の女に強引に言い寄ってはねつけられる誰かさんとは違うと言い返します。

巫靓靓の祖母ヴァイオレットは司会役として、100年以上続くビジネスパートナーたちに向かい、主人レグルスを紹介すると告げます。レグルスはラテン語で王子、そして獅子心を意味する言葉。前に進み出たレグルス=呉居藍〈ウー・ジュイラン〉はまさに王者の風格を湛えていました。

そのとき沈螺は、今までのどんな瞬間よりも呉居藍が遠くなったように感じていました。

彼が王子だというなら自分は何だろう。12時前のシンデレラのように、王女様のふりをしているだけ。早くこの場から逃げたい。

突然、呉居藍はスピーチを英語から中国語に切り替えます。サファイアの指輪を手に、沈螺の前に歩み寄り、ひざまずくと、結婚する意思はあるか尋ねます。事態が呑み込めた沈螺は思わず指輪をひったくり、もちろんあるわ、と答えます。呉居藍は周不聞と周不言を睨みつけながら、会場の皆に沈螺を「フィアンセ」だと宣言します。



起こったイベント自体は同じなのに、これはまた随分、ドラマと印象が違いますね〜。

ドラマの呉居藍も沈螺を関係者に紹介するのですが、それはあくまで、自分がいなくなった後に沈螺を託すため。だからもちろん自分から求婚なんてしません。

それにしても、小説の方の沈螺はずいぶん現金ですよね。噂に聞く、『金色夜叉』みたいっすよ(ダイヤモンドに目がくらんだんでしたっけ?)。

ドラマの方は、呉居藍が余命いくばくもないことを知った沈螺が、自分が貝殻で作った指輪を隠しておいて、呉居藍に見つけさせ、敢えてプロポーズさせるという話に変えています。とても可愛らしいし、胸が痛むシーンになっているってのに…。

小説では、指輪をひったくった後、江易盛の咳払いではたと気づいた沈螺の手を取って、呉居藍が指輪を嵌めます。本来はこうよね、って早く気づけ!ですが、ドラマでは沈螺が催促してるので…実は、似たようなもんですかね。

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(またもや強制されているの図)

パーティーの席で、呉居藍は各国からのゲストの言葉を流暢にしゃべるのですが、ドラマの声優さんは大変でしたね。まさか英語やフランス語のセリフがあるなんて…。

日本人なら台本にこっそりカタカナ書くところでしょうけど、中国は漢字しかないから、みんな漢字でふりがな振ってるんですよ(意味不明)。

私のような外人には却って難しいんですけど、英語での数の数え方とか、1が“万”(発音はワン)って一体…(笑)

ネットで見つけた続きは、
吐(tu)−−2
死瑞(sirui)−−3
(fo)−−4
发爱武(faaiwu)−−5
水渴死(shuikesi)−−6

夜露死苦!

第15章

翌日、巫靓靓が用意した船で、沈螺は呉居藍、江易盛とともに海に出ます。巫靓靓の助けをはねつけ、呉居藍はマニュアルを見ながら船を操縦しますが、最新設備の整った船が初めてらしく、めちゃくちゃな操舵に江易盛は半泣きです。

溺れたって、呉居藍が助けてくれるから大丈夫よ、とのほほんと言う沈螺に、江易盛は、
“你这个有异性就没人性的家伙!算你狠!”(異性がいると人間性をなくすとは、いい根性してるぜ)と愚痴ります。

沈螺は巫靓靓が、ネットで偶然、呉居藍の動画を見つけ、祖母が持っていた古い写真にそっくりだったので確かめるために島に行ったと聞き、彼女も呉居藍の秘密を知っているのだと気がつきます。

江易盛は話に首を突っ込んできましたが、呉居藍の話題だと知ると沈螺に
「僕は男の秘密には興味ない」
「よかった、少なくともあんたと男の取り合いはしなくて済むわ」

巫靓靓は、レグルスはわざとサファイヤの婚約指輪にしたのだと言います。さらに、あの二人はわざわざ招待されたのだ、呉居藍の前で二度と周不聞に襲われそうになった話をしちゃダメといいます。あのときの目つきは本当に怖かったんだから。

不言が着けてたジュエリーだけでも100万元はするという話に江易盛は、そんな金持ちなら、彼らが襲撃してきた目的は何なんだろうと訝ります。すると、それを探るのが、彼らを招待した4つの目的のうちの1つだった、と呉居藍の声がします。

目的の1つは、周不聞たちに沈螺に危害を加えさせないために、力を誇示しておくことでした。周不聞兄妹への意趣返しも当然あったけれど、それよりさらに、周不聞が自分の前で沈螺と親しげにしていたことが気に食わなかったと大真面目に言うので、江易盛がむせると、巫靓靓は、動物の世界では、メスから他のオスを遠ざけるために戦うのは当然だと言いながら、操縦室に逃げ込んでしまいます。

大海原を見ながら、沈螺は思います。人類は月まで行ったけれど、地球の7割を占める海のことは何も知らない。考え込む沈螺に、もっと詳しく知りたければヴァイオレットに聞くといい、ディスカバリーチャンネルの「人魚」を監修しているくらいだからと呉居藍は優しく言います。

沈螺は呉居藍に、人魚の涙は真珠で出来ていると聞いたけれど本当か尋ねます。悲しみが極まればそういうこともあるらしいが、自分は泣いたことがないから分からない、と呉居藍は答えます。

やがて船の近くに十数頭のクジラが現れ、ショーを始めます。海は呉居藍の王国だと沈螺は思い出すのでした。

夜になり、満月だから海釣りでもしようか、と提案した江易盛は、突然気絶してしまいます。巫靓靓は食事に睡眠薬を混ぜたのだといい、実は自分も服用したので明日まで起きない、と宣言して船室に降りてしまいます。
〜〜〜
この章自体の内容はドラマには出てきませんが、セリフがあちこちで使われています。

“算你狠!”は、内緒で指輪を作っていた沈螺が発見されそうになり、胸に放り込んで隠したときに呉居藍がいうセリフに使われています。

ドラマではニューヨーク滞在中にヴァイオレットが真相を暴露しそうになったため、呉居藍は事実を伏せて、自分は重い病気で海に還らなければならないのだと沈螺に説明します。彼女が拗ねて別れ話を持ち出すと、呉居藍は悩んだ挙句、言われた通りに彼女を島に返してしまいます。

本心ではなかった沈螺はさらに拗ねているのですが、そこへ江易盛が現れ、むりやりお見合いを設定します。結局、こっそり成り行きを見守っていた呉居藍が邪魔に入ってしまうのですが、江易盛は巫靓靓にこっぴどく叱られた上、お見合いをセッティングしたなんて呉居藍にバレたら命がないわよと脅されます。このあたりに、この章の要素をちょっと使ってますね。


第16章(前半)

満月の夜には、呉居藍は人魚の姿に戻るので、船は陸地から遠く離れた場所まで来ていました。

10月末の夜の海は冷たかったけれど、沈螺は船の中ではなく、救命用の小さなホバークラフトに乗って呉居藍の近くにいたいと主張します。

沈螺が寒くないようにと毛布や飲み物を用意する呉居藍に沈螺は、他人のことより自分の準備をするように言いますが、彼は「必要なものは全て海から調達できる。君以外は」と淡々と答えます。

そこへ突然電話がかかってきます。異母弟の沈楊暉(シェン・ヤンホイ)からでした。開口一番、彼は口の限りに沈螺を罵ったあと、泣きながら事の経緯を話します。

銅鏡を高額で買い取りたいという人物が現れたのに、父が沈螺との約束のせいでどうしても同意せず、両親はずっとケンカしていた。今朝、一家が父の運転する車で出かけたところ、その人物から電話がかかってきて、継母がこっそり銅鏡を売ってしまったことが発覚。車内でまたケンカが始まり、ついに衝突事故を起こしてしまった。

継母と弟は無事だったものの、父親は手術中で生死の淵をさまよっているというのです。

手術が成功したら電話して、と何とか答えた沈螺に呉居藍の手が触れます、いつも通り体温が低く冷たい手、そしていつも通り何よりも暖かい手だと沈螺は思います。

人魚の姿に戻りかけた呉居藍は、近づく船の音を聞きつけます。誰かに見られたら危険だと焦る沈螺に、呉居藍は身の安全と引き換えに、自分の秘密も自分自身さえも相手に渡して構わないと言います。

まさか裏切るなんて、そんなことは絶対しない、と沈螺が言いつのっているところへ、突然、ライトが向けられ、武装した男たちを乗せた襲撃艇が迫ってきます。いくら呉居藍でも、実弾を受ければひとたまりもないでしょう。

船上から声がします。

「沈螺、腰が抜けた感想はどう?」

〜〜

ついに、小説にもスペクタクルなシーンが登場。いよいよ、物語の最初に登場したエピソードがつながり始めます。最初に出てきた弟も久々の再登場ですが、姉弟の罵り合いがホントにものすごくて(そんなことしてる場合か?)、邦訳不可能ではと思わせます。

ドラマの呉居藍を見ていると、実弾ぐらい何とかのカッパに見えますが、人魚だからキャラが違いましたね。

果たして、いきなり現れた武装集団の目的は何なのでしょうか、というところで次回→こちらに続く!
posted by 銀の匙 at 00:57| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編4

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(コメントでのやりとりから追記しました)

現在(2017年11月)放映中のドラマはいよいよ終盤かと思いますが、小説の方もいよいよ佳境に入って参りました。

第11章の前半は、ヒロイン沈螺〈シェン・ルオ〉(ドラマではクオ・ビーティンが演じます)が、呉居藍〈ウー・ジュイラン〉(ドラマではウィリアム・フォンが演じます)の 嫌がらせ 思慮深い、遠回しの拒絶にも負けず、想いを諦めないと告げて、「いいだろう」というお返事をいただいたところまででした。

ここまでのお話は、
ネタバレあり編 第1回(1話〜3話)→こちら
        第2回(4話〜7話)→こちら
        第3回(8話〜11話(前半))→こちらでどうぞ。
(今回の記事を書くにあたって、若干変更したところがあります)

第11章(後半)

呉居藍の「いいだろう」とはどういう意味か、ドラマのみならず、小説の沈螺も測り兼ねて尋ねます。ただしこちらは、ドラマとは違って、つかえつかえですが…。

小説の呉居藍は例の3枚の絵が描かれたノートを持ってきます。

どんな恐ろしいことが書いてあるのかと怯える沈螺でしたが、3枚の絵の後に、今度は呉居藍の美しい筆跡でハリール・ジブラーンの詩「愛について」が書かれていました。

これを読んで、沈螺は思います。苦しんでこの選択をしたのは私だけじゃなかった。そしてこの苦しみも愛の一部なのだと。

〜〜〜〜

いきなりポエムか! と思わず引いた純ジャパ読者(→私)と違って、中国での評判を見ると、他はけなしてる人もこの部分だけは気に入ってるらしい。それは、作者の文章はダメだけどジブラーンの詩はさすがだ、という呉居藍級のイヤ味なのか、素直に引用のセンスを褒めてるのか、これまた純ジャパ読者には測り兼ねるところではありますが…。

浅い感想なのを承知で言わせてもらえば、結構大事なシーンなのに、ここをエピソードの積み重ねで描かずに詩の引用で済ませてしまうあたりが、この小説全体の印象をお手軽というか、安っぽく見せている気がしてなりません。確かに、状況にぴったりな詩ではありますけど。


第12章

前回、気まずい別れになってしまった周不聞から、また泊まりに来ると電話がありました。周不言も一緒にやってきます。彼女の発言から沈螺は、呉居藍が古琴を弾く動画が商売のための大ウソだとして、ネットから削除されたことを知ります。

*
周不言のことばの端々に敵意を感じる沈螺。そういえば、周不聞と周不言は血がつながってはいないはず。もし彼女が兄を好きだとしたら、おかしなことではないと沈螺は思います。

夕食時に現れた江易盛はグラマラスな美女を連れていました。交流研究員として江易盛の病院に来た巫靓靓(ウー・リャンリャン)で、本物のダイヤを身に着け、女王様然としていました。

夕食のメニューは海鮮鍋。周不聞が「沈螺は小さい頃から白身魚が好きだったよね」と言いながら、具を取り皿に置きます。呉居藍の知らん顔が頭に来た沈螺は「私の彼氏は辛いものが好きだから代わりに平らげてもらうわ」と取り皿を呉居藍の前に押しやります。

全員が注目する中、ラー油をたっぷり追加した魚を淡々と口に運ぶ呉居藍。沈螺は内心、いきなり彼氏呼ばわりされた呉居藍が否定するのではないかと心配していました。


“吴居蓝沉默地放下了手中的水杯,视线从桌上的几个人脸上一一扫过,他那种食物链高端物种俯瞰食物链低端物种的冷漠,让所有人都有点禁受不住,下意识地低下头回避了。
最后,他看着江易盛,面无表情地说:“我正式宣布,沈螺是我的女人,从现在开始,如果任何人再对她有任何不良企图,我都会严惩。请在采取行动前,仔细考虑一下能否承受我的怒火。”


(呉居藍は黙ってコップを置き、テーブルについた一人ひとりの顔に例の、食物連鎖の頂点に立つ者が下位の者を見下ろすときのような冷たい視線を走らせた。全員が視線を避けて俯くと、呉居藍は江易盛の方を向いて、表情をピクリとも動かさずに言った。「これから沈螺は私のものだ。害を加えようとする者がいればただでは済まさない。何かを企む前に、私の怒りに耐えきれるか良く考えるがいい」)


全員が凍り付く中、祖母が海洋生物学者だという巫靓靓はテーブルの上の巻き貝(“海螺”)を指さして、このダイオウイトマキボラは隣のピンクガイを餌にしているのよ、と付け加えます。

そのうち婚約指輪の話になり、周不言は、沈螺はサファイアが似合うはず、口を利いて安くしましょうか、と持ち掛けます。呉居藍は値引き品を買うつもりはないといい、沈螺はそもそも宝石を買う余裕はないと言いますが、靓靓は、客間にある螺化玉だけでもオークションにかければ100万元はするというのです。そして、家に置かれたさまざまな貝の特徴を説明し、欲しい人には大変な価値のあるものだと話します。

周不言は顔色を変えると、ひと言も言わずに立ち去り、周不聞は謝りながら後を追います。

沈螺が呉居藍に、私たちが狙われたのはこのせいね、と言うと、彼は、ネットに家の写真を載せたのはひったくり事件の起きた後だったと指摘します。そして、これまで起きた4つの事件には全て関連があると思う、とも。

ひったくり、空き巣、呉居藍が襲撃された事件、あともう1件は…。

江易盛の父親が介護者と散歩をしていたとき、いきなり現れた男性に驚いた父親が転んで骨折したことがありました。江易盛には療養費が必要で、沈螺は改修費を急いで彼に返さざるを得なくなったのです。

虎の子の預金をひったくられ、友達から借りた改修費は返す羽目になり、家は空き巣に荒らされそうになった。もし呉居藍の助けがなければ、沈螺は今ごろ、家を手放す羽目に追い込まれていたはずです。

事件はきっと、自分の経済状態や交友関係をよく知っていて、家を手に入れたがっていた人物の仕業に違いありません。沈螺は信じたくない思いでした。

〜〜〜
折り返しを過ぎてようやく登場した巫靓靓(ウー・リャンリャン)。テレビドラマでは王萌黎が演じる、呉居藍に忠実なしもべにして白魔術師なのですが、小説での印象は一貫してセクシーで誰の味方か分からない不二子ちゃんっぽいです。

ドラマの方では、最初に呉居藍の怒りに触れて怖い目に遭わされるのは巫靓靓ですが、小説の方ではその場にいる全員が射程に入っています。

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超音波でお部屋の器具を粉々に…巫靓靓すらビビらす呉居藍の怖いこと。でもこのドラマでは激怒するシーンで常に美人。ははは。

そして、ドラマでは周不聞が、安佐の命令を隠れ蓑にして、沈螺への思慕から呉居藍を除こうと画策しますが、小説ではこの章で、これまでの事件は沈螺や呉居藍を狙ったものではなく、おじいさんが残した家そのものがターゲットらしいことが明らかになります。後ろで糸を引いていたのは周不言、実行犯が周不聞らしいことも…。

ちなみに、鍋の辛い具を食べさせられるシーンは直接にはありませんが、沈螺は夜店でいつも辛い串焼き(?)を買い食いしてますよね。呉居藍も、ものすごく辛いイカ(?)を食べさせられてましたっけね。

第13章

沈螺は巫靓靓に相談して、貝の化石をオークションにかけることにしました。手続きのために沈螺自身が会場のニューヨークに行く必要があると聞き、身分証明がない呉居藍は国外に出られるはずもないし、残して行くのは気が進まない沈螺。しかし、呉居藍はすぐに会えるから心配するなと言います。

次の満月までに帰国したいと思った沈螺は、すぐに出発することにします。

ニューヨークまでの飛行機はファーストクラス、空港からはリムジンの出迎えが付き、この特別待遇の費用はすべて、オークションに参加する、巫靓靓の家族が代々仕えているボスが出していると聞かされ、沈螺も、同行した江易盛も驚きます。

車はセントラルパークを見下ろす建物の前に止まります。世界でも指折りの富豪しか住めない超高級住宅地のマンションです。

1852年にボス…の家族がこの土地を買ったときは、何もない場所だったそうよ、と巫靓靓は説明します。いまは巫靓靓の祖母が管理しているとのことでした。

せっかくの好待遇でしたが、沈螺は何を見ても楽しくありません。呉居藍が心配で―という以上に、しばらく離れなければならないのに何とも思っていなさそうな彼の態度が引っかかっていたからです。

夕方、江易盛、巫靓靓と異国の街に出た沈螺は二人を見失ってしまいます。

元来た場所に戻る道もわからず心細くなった沈螺の前に現れた呉居藍に、幻ではないかと驚く沈螺。
「巫靓靓から君が迷子になったと聞いて探しに来た」
「そうじゃなくて、どうやってここに来たの?入国審査は?」
「魚にパスポートが必要って話を聞いたことがある?」

呉居藍は流暢な英語で、食事会をキャンセルすると電話します。沈螺が感心すると、「人間の言葉が分かってさえ心の中は見通せないのに、分からなければ目を閉じて高速道路を歩くようなものだ」と言います。そうよね、人間の世界にいれば、ただ詩を作ったり音楽を奏でたりするだけでは済まないはず。きっとひどい目にも遭ったに違いない…。

道すがら警官に出会った沈螺はとっさにデート中のカップルらしくふるまいますが、却って怪しい素振りだったと反省します。呉居藍は謝り続ける沈螺を黙らせるかのように、そっと唇に触れます。それはまるで初雪のひとひらのような、淡く儚い口づけでした。

マンションに落ち着くと、呉居藍は書棚から1冊の本を取り出します。それはデンマーク語で書かれたアンデルセンの『アングネットと人魚』でした。沈螺が興味を示すと、呉居藍はあらすじを語ってきかせます。人間の少女アングネットと男性の人魚は8年の間一緒に暮らしたけれど、人間の生活が恋しくなったアングネットは彼の元を去り、2人は永遠に別れてしまうという物語です。

その夜、寝付けない沈螺が「オークションでお金にゆとりができたら何が一番したい?」とメッセージを送ると、呉居藍は「君は何がしたい?」と訊いてきます。

沈螺は「先に答えて」と返します。自分が答えてしまえばきっと呉居藍はそれを優先するだろう。彼には時間がたくさんあり、急ぐ必要がないからです。でも、と沈螺は思います。いつか私のことが思い出になるなら、彼の好きなことを一緒にしたときの、楽しいものであって欲しい。

*
吴居蓝の提案は、一緒に海に行くというものでした。
一緒に行くと答えた沈螺は、最後に1つだけ、と質問を投げかけます。
「ニューヨークで一番印象に残っている場所は?」
呉居藍の答えはこうでした。
「劇場だ」

〜〜〜〜〜
この章はほとんどの描写がドラマにも登場しますが、ここの、携帯にメッセージを送る場面は、かなり重要にも関わらず、ドラマには(少なくとも第1部、第2部には)登場しません。

登場しないといえば、この章をご覧になってお分かりの通り、なんと小説には「真実の口づけ」の設定が存在しないんですね…。ドラマはその設定がちょっと浮いている感じなんですが、小説の方は逆にそういうラブコメのりの話がないので、だんだんと雰囲気が重くなって参ります。


第14章(前半)

ボスはしばらく会う時間がとれないと言うし、せっかく呉居藍も来たことだし、沈螺はニューヨークを見物して回ることにします。多くの名所は呉居藍がニューヨークを離れた後に出来たので、彼も初めて見るのだと思った沈螺は、100年後、もし彼がここを訪れたら、今日のことを思い出すだろうかと少し感傷的になります。

名所めぐりの最後に、沈螺はオペラを見に行くことにしていました。呉居藍がいた時代はオペラの黄金期だったので、きっと見たことがあるに違いない。沈螺は劇場を貸し切り、19世紀当時と全く同じように演出してもらうことにしたのです。

計画の手配をした巫靓靓は言います。「祖母が言ってたわ。愛はこの世界でいちばん不思議な魔術だって。身勝手な者を無私に、臆病者を勇敢に、貪欲な者を善良に、狡猾な者を鈍感にするってね」

演目は1853年に初演の「椿姫」でしたが、沈螺は100年前、誰が呉居藍の隣でこの劇を見たのか気になりだします。その人はもういませんが、数十年経てば自分だっていなくなってしまう。100年後、誰かが同じようにするのだろうか。沈螺は気づきます。呉居藍のために計画したと思っていたけれど、これは過去と、そして未来に対する自分の嫉妬なのではないかと。

呉居藍は貸し切りだと気づいたものの落ち着かない様子で、ここから出ようと言い出します。

外へ出ると呉居藍は、人間より嗅覚や聴覚が敏感な自分にとって、劇場は拷問なのだといいます。一番印象の深い場所だというから、好きなのかと思ったと沈螺が言うと、呉居藍は空を見上げて答えます。

「徴兵されて南北戦争に従軍したとき、仲間の一人が危険な目に遭い、その恋人に頼まれて、人魚の姿で助けざるを得なくなった。戦争が終わったあと、助けた人間に祝いの席で裏切られ、毒を盛られて捕まった。劇場で見世物になる予定だったんだ」

展覧会の前日、協力者が会場となる予定だった劇場に火を付け、混乱に乗じて助けたのです。

沈螺が謝ると、呉居藍に劇場で考え込んでいたことが何か話したら許すと言われ、しぶしぶ、呉居藍が昔どんな女性と付き合っていたかということだと白状します。

呉居藍は驚いて、そもそも人間を伴侶にすること自体考えたことがなかったと言います。人間からすれば自分は化け物でしかないからだと。沈螺は、あなたは化け物なんかじゃない、と即座に否定します。それでは何なのかという呉居藍の問いに沈螺は、あなたは私の生涯愛するパートナーだと答えたのでした。

〜〜〜
この章は非常に長く、しかも小説の非常に重要な部分なのですが、前半はドラマ(の第1部)には全く出ませんでした。「3枚の絵」のエピソードでは抽象的に語られていた「障壁としての時間」が、いよいよ目に見える形で立ちはだかってくる場面です。

ここではまず、限りある命しか持たない者の感慨が、永遠の命を持つ者と対比する形で描かれていきます。
さらに言うなら、異質なものに対する人間の非情さ、残酷さもさりげなく提示されています。

小説の呉居藍は沈螺の視点から語られているので、ときどき、行動がライオンになぞらえた描写になっていたり、人魚の姿のときは特に、ドラマよりももっと獣に近い印象を受けます。

人魚の姿をしているとき、呉居藍は人魚の伝説と同様、話すことができないし(実は小説を読んで初めて、そういえばドラマでも、人魚の姿をしているときはセリフがないことに気づきました。そもそもセリフ自体が少ないのであまり突出して黙ってたという印象がなかったので分からなかったというか…(笑))、

容貌も陸上のときとは違い明らかに異形の生物なのですが、それを上回る人間たちのおぞましさ、恐ろしさがこれから明らかになっていくことでしょう…。

呉居藍が展示されそうになった劇場はバーナムミュージアムという、1865年に焼失した実在した建物です。ここではフィジーの人魚と称する物体が展示されたことがあったそうです。

スティーブン・ミルハウザーの小説『バーナム美術館』にも人魚が出てきますので、原作者はそこから思いついたのかも。

ちなみに、劇場の名前はアメリカの伝説の興行師、P.T.バーナムにちなんだもの。2018年、ヒュー・ジャックマンが、そのバーナムを演じる映画『グレイテスト・ショーマン』が日本公開だそうです。
(追記:バーナム劇場がどんな場所だか知りたいばかりに『グレイテスト・ショーマン』を観に行ってしまいました。博物館も劇場も人魚も(セリフの中だけだけど)バッチリ出てきましたね!)

さて、この場面で巫靓靓がいうセリフは、劇の再現のために大枚をはたこうとしている沈螺に向けられているのですが、お金のことだけではなく、沈螺があとあと自分で気づいたことも含んでいるのかもしれません。

印象深いセリフですが、ドラマでは後半、巫靓靓の祖母・ヴァイオレットが愛について語るセリフに転用されています。彼女からすれば、安佐のような者を信じていた巫靓靓、仇の子孫のために永遠の生命を捨てようとする呉居藍に向けた言葉としてまさにピッタリ。だって、ヴァイオレットは少なくとも、呉居藍と白一唅のいきさつについては知ってるはずなのですから。

っていうか、小説のここを読む限りでは、元カノの阿璃(アリ)だの、白一唅(バイ・イーハン)だの、存在しないんですけど?

これは恋愛モノのストーリーとしてはかなり大胆な変更じゃないですか…。なぜそんなことに? まさか主演男優を見て脚本を変えいやげほげほげほげほおかしいなぁインフルエンザか??

とにかくですよ、港みなとというか、時代時代にカノジョがいる人、いや人魚が何を言おうが、説得力がなさすぎて、たとえ伴侶に先立たれたとしたって泣きの涙は一瞬のこと、そのうちまた恋するチャンスもあるでしょう、頑張ってください、としか考えられないですもんね。

そこをドラマはまた力技でねじ伏せて来るんですけど、う〜ん。

ということで、次回、ついに小説はクライマックスに向かいます。第5回は→こちらからどうぞ

posted by 銀の匙 at 01:08| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

那片星空,那片海(あの星空、あの海。)小説vs.テレビドラマ2の2 ネタバレあり編3

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↑これは中国式の指切り。中国語では“拉钩上吊一百年不许变”と言ってます。100年心変わりしちゃダメ、ということなんですが、100=一生ではないのがこの御方の困ったところだったりします。

皆様こんばんは。今回、ドラマ版の方の説明が長くなったのでかなり膨大です。でも分けるといつ終わるかわからなくなりそうなので、予定通りいきます。このパートは、小説の2つのテーマが表れている重要部分。こなすので精いっぱいでしたので、また戻って書き直すかも…。

小説の方は、ヒロイン沈螺〈シェン・ルオ〉(ドラマではクオ・ビーティンが演じます)の押しに負ける形で、呉居藍〈ウー・ジュイラン〉(ドラマではウィリアム・フォンが演じます)がついに自分の正体を明かします。

ネタバレあり編 第1回(1話〜3話)はこちらから。
        第2回(4話〜7話)はこちらからどうぞ。

第8章
呉居藍の華麗な包丁さばきはSNSで拡散されて大騒ぎになった。

彼が包丁をふるいながら朗詠した杜甫の詩の一節、“饔人受鱼鲛人手,洗鱼磨刀鱼眼红。”(漁師〈鲛人〉が魚を板さんへ 魚を洗って包丁研いで 魚は獲れたて ぴっちぴち)から、“饔子(板さん)というあだ名まで付く始末。

宿にも問い合わせが殺到したけれど、どうせ“醉翁之意不在酒”(酔翁の意は酒にあらず)、つまり呉居藍目当てに違いない。宿は休業して、一見さんお断わりのレストランとして営業することに決めた。
*
ようやく「経済危機」も一段落して余裕の出た沈螺は、呉居藍、江易盛を誘って海へ遊びに出かけます。

シュノーケリングに参加しない沈螺に呉居藍が訳をきくと、江易盛が替わりに答えます。沈螺は子どものときに溺れたことがあり、それ以来絶対に泳がない。ひいおじいさんは漁の達人で、20メートルも素潜りできたという伝説があるのに...。

江易盛がシュノーケリングをしているとき、呉居藍は改めて、事の経緯を沈螺に尋ねます。
*
私が7歳のとき、おじいちゃんは不仲の息子と嫁を心配して一家を島に呼び、仲直りさせようとしたの。ところが、おじいちゃんの出した船から海に降りて泳いでいると、両親はそこでもケンカを始めてしまった。足がつって助けを求めても全然気づいてくれない。

結局おじいちゃんが助けてくれたって聞いたけど、意識が戻ったその日、両親の離婚が決まったの。
*
全然気にしないと言えば嘘になるけど、“一切过去的事都只是过”(過ぎたことは過ぎたこと)、気にしても仕方ないわ、と沈螺はさばさばした調子で話します。

家に戻ると、なんと空き巣と鉢合わせになります。呉居藍が組み伏せ、何も盗られなかったものの、江易盛は却って心配そうな様子で、呉居藍はどう考えても怪しいと言い出します。

沈螺が特殊な訓練を受けたスパイか、タイムスリップしてきたのではと言うと、江易盛はバカバカしいテレビドラマの見過ぎだと一蹴しますが、自分も全く見当がつかないと困惑顔です。沈螺は明日は約束の満月の日だから、呉居藍は全てを説明してくれるはず、と思います。

陰暦8月15日は中秋節、沈螺の26歳の誕生日でもありました。散歩に付き合った呉居藍は沈螺に、前の満月の日と同じ海岸で落ち合おうと言いますが、誰かに付けられていることに気づくと、「走れと言ったら振り返らずに逃げろ」と厳命します。言われた通りにした沈螺は急いで江易盛を呼びに行きますが、現場に戻ってみると呉居藍の姿はどこにもありませんでした。

〜〜〜
いちばん最初のエントリーでもご紹介しましたが、活き造り(笑)のシーンはなかなか面白いですよね。
http://tv.sohu.com/20170210/n480395304.shtml

左右の手を同じように使えるというのはドラマでは出てきませんが、このシーンで見ることができます。

さて、ドラマでは皆で海に行くシーンはありませんが、沈螺が溺れた話は重要ポイントなので当然出てきます。ただ、小説とドラマではかなり状況が違います。

小説の方は、呉居藍が何者かも、沈螺のことをどう思っているかも分からないこの段階で登場し、読者がそろそろ忘れたころ、にわかに浮上してきます。

ドラマの方は、視聴者には呉居藍の目的が分かっているので、もう少し複雑に推移します。

沈螺のおじいちゃんは、かつて祖先の杜少林が呉居藍を騙して手に入れた霊珠の、「容器」を病室に隠し持っていました。霊珠は金と引き換えに黒魔術師に渡すはずだったのですが、杜少林は黒魔術師をも騙して、金と霊珠、両方を持って南の島へ逐電したのです。

孫娘の彼氏を演じていた呉居藍が、実は霊珠の本来の持ち主だったことを悟ったおじいちゃんは、彼を山林に呼び出します。返すと見せかけて呉居藍を刺そうとしますが、当然相手になりません。彼の激しい怒りに触れ、おじいちゃんはしぶしぶ「容器」を差し出すと、自分はどうなっても良いが、沈螺は何も知らないので助けてやってくれと懇願します。

呉居藍は高齢に免じて赦しを与えるといい、容器を開けようとしたところで、黒魔術の継承者である安佐〈アン・ズゥオ〉にそれを奪われます。安佐は養い親を病で失い、霊珠の力で復活させたいと狙っていたのでした。
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安佐

格闘の末、安佐から容器を取り返したものの、中には何も入っていません。その日のうちにおじいちゃんも亡くなり、かくして霊珠探索は仕切り直しになってしまいます。

諦めきれない安佐は、今度は沈螺を狙います。安佐に追い詰められた挙句、崖から海に落ちてしまいますが、助けに来た呉居藍は海中で光芒を放つ沈螺を見て、霊珠が彼女の体内に隠されていると気づきます。

白魔術師ヴァイオレットの孫娘・巫靓靓(ウー・リャンリャン)は、狡猾な杜少林の子孫らしいやり口だと憤ります。ヴァイオレットは話を聞き、霊珠を取り出す方法は2つあると告げます。1つは黒魔術師の持つ魔刀で手首から取り出すこと、もう1つは真実の口づけだと。
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巫靓靓

仇の子孫に心を許してはいけないとさんざん注意されてきたにも拘わらず、そして、常に氷山のような態度を崩さなかったにも拘わらず、沈螺を好きなことがバレバレだった呉居藍ですが、今や大義名分があるのでここぞと口説きにかかります。ところが思いがけず、自分は愛情なんか信じていないという沈螺の手ひどい拒絶に遭います。

ついには江易盛まで動員して必死の呉居藍。しかし、ひょんなことから沈螺がかつて溺れたことがあると知り、突然手のひらを返したように氷山に戻ってしまいます...。

*

なぜ溺れたと聞いただけで態度が豹変したのか、ドラマの方だけを見ていると分かったような分からないような感じなんですが、実は小説の終盤で明かされる、ドラマ版に登場しないある事柄を、呉居藍も白魔術師も知っていたからなんです。

設定が違うといえば、小説ではご覧のように、陰暦の8月15日が沈螺の誕生日です。ドラマの方は呉居藍がニセの恋人を演じる口裏合わせのために沈螺から身長体重誕生日などの個人情報を聞かれ、嫌々答えた誕生日が陰暦6月15日でした。

呉居藍は霊珠を失ったために、特に満月の日は生命力が衰え、代わりに霊珠の存在に敏感になります。明確には言ってませんでしたが、人間の体内にあると感じ取れないということなんでしょうね。そんな有様だというのに沈螺は海辺の店でサプライズの誕生日パーティーを企画してしまい、安佐の意を受けて周不聞が手配した連中に襲撃されてしまいます。

ドラマの方は襲撃失敗となるのですが、小説版は如何に…?

第9章

結局その晩も、次の日も呉居藍は帰って来ず、襲撃者もろとも消えてしまったかのようだった。夜になっても何の知らせもない。呉居藍が言っていた約束の海岸に行ってみることにした。海は荒れ始めたけれど、もうあと少しだけ待ってみよう…

だんだん海は大しけとなり、流されそうになったとき、誰かが私を助け上げた。呉居藍!

嵐が収まり満月が海を照らすと、呉居藍は距離を保ったまま、黙ってこちらを見ている。
波の上に優雅に座っているかのような姿勢で、その腰から下は銀色に輝く深い青の魚の尾びれに見えた。

私はもう死ぬのかしら?助けられたと思ったけど、死ぬ前の幻を見てるんじゃないの?
それともまさか…コスプレ?

呉居藍はそのまま泳いでみせた。その尾びれの動きの美しいこと、人に作れるものじゃない。やっぱり幻じゃないんだ... 。
*
朝が来て、呉居藍は何事もなかったように磯辺に戻ってきました。沈螺が自分の気持ちは変わらないというと、後で必ず後悔する、と彼は答えます。

沈螺が、ほんの少しでも自分が好きか聞かせてほしいと頼むと、彼は言葉では答えませんでしたが…
“勒得我几乎喘不过气来,肋骨都觉得痛,…我觉得,他不是只有一点点喜欢我,而是很多很多,就像白雪皑皑的山峰,虽然表面全是坚冰,可在地底深处,翻涌的却是滚烫的岩浆。”

(あまりに力いっぱい抱き締められたので、息が止まりそうになり、肋骨が悲鳴を上げた...ううん、ほんの少しなんて話じゃない。その逆よ。氷に閉ざされたように見える雪山も、その地下深くには灼熱の溶岩が滾っているように。)
〜〜〜

これは、小説から入った人には相当意外な展開じゃないでしょうか。月夜に変身するって言ったら、オオカミ男じゃね?って普通、思いますよねー。悪くて火星人とか…。人魚が泳ぎが得意だとか、嵐を呼ぶとか、海の上では万能ってあたりはまだ説得力ありますが、海の中に住んでるのに、ご飯作ったり楽器弾いたり、建物建てたりってスキルが、なぜ必要?

小説では明白に「海中」に住んでいるとあるのですが、ドラマはヘンだと思ったのかどうか、第2季では洞窟のような場所(つまりは陸)に住んでいる設定にしています。確かに、中国の仙人とか妖怪とかは「洞」に住んでますけど、ほとんど陸地にいるんだったら尾ひれとか要らないんじゃないでしょうか。トドと同じで陸ではゴロゴロしてるっていうなら分かるかど…。

ま、追究しても意味ないですけど。

第10章
四度めのトラブルを心配した江易盛は呉居藍に、誰がやったか分かるまで、沈螺を一人にしないでくれと頼んで帰って行きます。呉居藍はソファでハリル・ジブラーンの『預言者』という本を読んでいました。

*
襲撃者の1人は手首にホクロがあった。そういえば引ったくり犯の同じ位置にホクロがあったっけ。
それでは、私たちを狙った同じ人物の犯行ということね。でも私には心当たりがない。呉居藍は――
「ある」

でも、もう皆死んだはずだ、と呉居藍はこともなげに言います。上陸したのは3回だけで、今回は恨まれるとしたら周不聞以外にはない。前に上陸した1865年にちょっとした事件があった。でも地球の反対側だ。

その前は開元8年。西暦720年、盛唐の時代。

私は急いで《唐詩鑑賞辞典》を開いてみた。王維(720-761)唐代の詩人、字は摩詰〈まきつ〉。

「王維と知り合い?」
「ああ」
「李白は?」
「何度か酒を酌み交わして、剣も戦わせた」
「杜甫は?」
「僕は顔かたちが変わらないから、ひとところに長くはいられない。上元2年、蜀で会った」

呉居藍は淡々とした表情だったけど、私はそれ以上聞くのはやめた。繁栄の頂点から没落のどん底に落ちた時代、本で読んでも胸が痛むのに、当事者ならなおさらだ。
「そのあとはどうしたの」
「大歴6年、西暦771年に舟山群島から船にのって、日本に知人を訪ねた。あいにく亡くなって半年経っていて、唐招提寺に半年滞在したあと海に戻った」
*
呉居藍は、自分と一緒にいれば、一つの場所にずっと住み続けることはできないから、あちこち彷徨い歩くことになるだろう、知り合いも家もなく、老いた君は隣にいる自分を恐れ、恨むはずだ。襲撃者が誰かはっきりさせたら自分はここを出ていく、と言います。それでも諦めようとしない沈螺に呉居藍は3枚の絵を差し出します。

1枚目は病床に臥せている若い沈螺と呉居藍を描いたもの。
2枚目は十数年後
3枚目は数十年後。

どの絵も呉居藍は変わらないのに、自分は年老いていくという事実を突きつけられて沈螺は黙り込みます。

部屋に戻って絵を前に考えた挙句、戻ってきた彼女は呉居藍に言います。3枚の絵の中の自分は変わっても、一番必要なときに、いつもあなたがそばにいる。“不离不弃”(どんなときも傍にいる)、いい誓いじゃない?

呉居藍は呆気に取られた後、悲しげな目で遠くを見つめます。沈螺は突然、彼の視点から絵を見るようになります。自分は若いまま、相手が年老いて死んでいくのを見るのはどんな気持ちだろう...。

“很久后,他收回了目光,凝视着我,开口说道:“爱一个人应该是希望他过得快乐幸福。你很清楚自己时间有限,短暂的陪伴后,就会离开我,给我留下长久的痛苦,为什么还要坚持开始?”

(長い沈黙のあと、彼は私に視線を戻して、口を開いた。「誰かを愛したなら、相手が楽しく幸せであって欲しいと願うはず。自分の時間が限られていると知りながら、ほんの束の間そばにいて、その後の長い長い時間、苦しみの中に放っていくというなら、そもそもなぜ最初からやめておかないんだ?)

そこで沈螺はやっと気づきます。自分に必要な勇気や犠牲よりも、呉居藍の方がもっとたくさんの勇気や犠牲を必要とするのかも知れないと。

〜〜〜
ここのくだりはドラマでは少し引き延ばした感じで使われています。印象に残る場面なのですが、第2季では杜甫も李白も出て来なくてかなりガッカリです。第3季があったら出てくるんでしょうか?ないだろうな…。

小説では日本にも滞在していたんですね。唐招提寺って僧侶以外の人も泊まってよかったんでしょうか。あるいは三蔵法師として… o(・_・)9@ ハリケーンアッパー!!

3枚の絵のシーンはドラマ版にも出てきますが、ドラマの設定ではどう考えても呉居藍の方が寿命が短いので、意味が分かりづらいシーンになってしまったのはやや残念。ただ、最後まで見るとまたちょっと別の意味も見えてくる気がします。

第11章(前半)
呉居藍の問いに答えを出せないまま2日が経ったところで、呉居藍は夜勤中の江易盛に会いに病院へ行こうと言い出します。ついて行った沈螺は、病院でさまざまな光景を目にします。
“生老病死、怨憎会、爱别离、求不得―−”(生病老死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦…)

突然彼女は、階段の隅で声を忍んで泣いている男性を目にします。おじいちゃんが入院したとき、ちょうど奥さんが病気になって看病に来ていた林瀚〈リン・ハン〉でした。

軽快して退院したはずが再発し、ここ数日の命だというのです。
二人はまだ結婚したばかり、これからという矢先の出来事に、もはやどう慰めていいかもわからない沈螺は思います。

長い長い寿命を持つ呉居藍から見れば、自分はすでに不治の病に侵された病人と変わらない。

彼女は呉居藍に顔を合わせる気になれず、独り、ビールを買って海岸に歩いて行きます。

“繁星密布、星光璀璨。迷蒙的泪光中,数以万计的星辰光芒闪耀,显得离我好近,似乎伸出手就可以拥有它们。多么像吴居蓝啊!那么耀眼地出现,成了你的整片星空,让世间所有的宝石都黯然失色。但是,你只能看着,永远都不能拥有!”
(満天を埋め尽くした星々が輝いている。かすんだ目に数えきれないほどの星がきらめき、まるで手を伸ばせばつかめそうだった。何て呉居藍に似ているんだろう。目が眩むほどのきらめきで心を埋め尽くし、どんな宝石も色あせるほどなのに、ただ遠くから眺めるだけで決して手に入れることはできない)

そこへ突然呉居藍から電話が掛かってきます。咄嗟に、途中で友達に会って飲んでいると言ってしまう沈螺。
電話を切ると酒の勢いで呉居藍の名前を声の限りに叫び始めます。もしこれで返事がかえってきたら、それは運命が諦めるなと言ってるんだとめちゃくちゃなことを思いながら。しかし、声が枯れるまで叫んでも、当然返事は帰ってきません。ふと、彼女の心に1つの考えが浮かびます。もし彼を知りたいと思うなら、彼が言ったことではなく、言わないことに耳を傾けなくちゃ―。

携帯を掛けると、思った通り、どこか遠くから耳慣れた着信音が聞こえてきます。
そして何事もなかったような顔で、呉居藍が現れます。

言いたいことはいろいろあったのに、つい、こそこそ隠れて何してたのよ、と詰問する沈螺。呉居藍は淡々と、江易盛に君を一人にしないと約束したからと答えます。

ということは、最初の最初からずっと近くで目撃してたということか…。

悔しいやら悲しいやらで号泣する沈螺でしたが、ついに、
「絶対に諦めないから、死んだあとはせいぜい悲しんでちょうだい。どうせ短い命なんだからあなたに預けるわ」と言い出します。
呉居藍はじっと彼女を見つめると、

“他平静地问:“这就是你的选择?”
我坚定地说:“这就是我的选择!”
他平静地问:“就算会给你带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给我带来痛苦!”
他平静地问:“就算会给我带来痛苦?”
我坚定地说:“就算会给你带来痛苦!”
吴居蓝微微而笑,斩钉截铁地说:“好!”

(彼は静かに言った。これが君の答えか?
私はきっぱりと言った。  これが私の答えよ。
彼は静かに尋ねた。    たとえ痛みを伴うとしても?
私はきっぱりと答えた。  たとえ痛みを伴うとしても。
彼は静かにまた尋ねた。  僕に痛みをもたらすとしても?
私はまたきっぱりと答えた。あなたに痛みをもたらすとしても。
呉居藍はかすかに微笑んで、決然として言った。いいだろう。)

〜〜〜
ドラマでは、直接、林瀚の話は出てきませんが、冒頭でおじいちゃんの入院のシーンがあり、沈螺自身の体験として描かれています。このパートに出てくる“爱别离、求不得”は、呉居藍がかつての想い人、白一唅(バイ・イーハン)について語ったときのセリフに使われていました。仏教から来ていて、「四苦八苦」という言葉はここから来たそうです。

真ん中のお酒のシーンは、ちょっとアレンジした形で何度か出てきます。

最後のシーンは少しだけ形を変えて、ドラマ版でも3枚の絵のエピソードの最後に使われています。この後、ドラマでは、そのまま2人で家まで帰ってくると、沈螺が、さっきはどういうつもりだったか、ダメ押しして聞くんですね。

そうまでしても呉居藍がハッキリ言わないので、沈螺がちょっと拗ねて、「あなたはいつも言いたいことを半分までしか言わないので分からないわ。私はあなたのお腹の中の虫じゃないんだから、ハッキリ言って」と迫ります。

呉居藍は相変わらず何も言いませんが、今度は態度で示します。これを文字で書くと可愛くないので、ぜひドラマをご覧になってみてください。

同じシーンは小説でどうなったか、それは第4回(→こちら)でご覧ください。

posted by 銀の匙 at 22:13| Comment(8) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする