2017年02月04日

Mayday(五月天) Re:DNA 2017復刻版コンサート

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(コンサート終了後、撮影させていただきました)

台湾の5ピース・バンド、五月天の日本武道館公演に行ってまいりました。

何せ、日本公演があると知ったのが1週間前。慌ててチケットぴあをポチッとしたら、何と、すでに金曜の公演の最後の一枚でした...(どんだけ情弱なんだ)。

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ちょっと現場で確認したいことがあったので大枚(8,800円)はたいて入場いたしましたが、実は彼らの曲は3曲くらいしか知らず、最上階までギッチリ埋まった座席を見下ろしながら、野暮用で席を占領しちゃってごめんなさい…と、心で謝っておりました。

事前にはリードボーカル・阿信〈アシン〉の名前しか知らない体たらくでしたが、さすが台湾のナンバーワン・バンド、キャッチ―な曲が次から次へと繰り出されてきます。演出もとても洗練されていて、正面のビジュアルと会場のライティングが同期するという演出なども見応えがありました。

日本のお客さんもかなり入っているはずなのですが、何しろ武道館は巨大なので、印象としては8割くらいが台湾の人って感じでした。

香港でコンサートに行くと、ホイッスルを吹いたり曲の間に叫んだり(コンサートに音の出るものを持参するな、バカたれがっ!)、マナーの悪い観客に悩まされてきたのでちょっと心配でしたが、わざわざ日本に来るような大人ばかりだからか、台湾の観客は熱狂的な曲では立って踊り、バラードではきちんと座って聞くなど演出に合わせたメリハリのある行動を取り、とても好感のもてるマナーでした。

台湾のコンサートは参加型なのか、お客とステージが掛け合いで歌ったり、「知足」という曲では携帯のライトを星のように点灯させたりと皆さん息が合ってます。

私はステージ脇に近い、正面が観づらい席に座っていたんですが、そのおかけで、ステージの向かい、ボーカリストの正面に見える2階席のバルコニーに、巨大な電光掲示版カンペが出ているのに気が付きました。

おーっほっほ、正義は勝つ!

今のところみんなの生演奏つきカラオケ大会の後塵を拝しているけれど、そのうち知ってる曲をやったら高歌放吟してくれる!

と、後半に入って、こんなニワカな私にも優しい、《傷心的人別聴慢歌》とか、大ヒットナンバーをいくつかやってくれたのですが、彼らの代表作だからか、なぜか全部日本語歌詞で歌っていて、お客さんが微妙に引いていました。

いえ、ボーカルは外国語を歌ってるとは思わせない伸びのある歌唱で、すごくクリアな発音で上手かったですけど、お客さんはほら、一緒に歌う気満々だったのに日本語じゃちょっと…せめて1番を日本語、2番を中国語とかにしてくれたら、みんなハッピーだったのに。

途中、MCが入るとステージ奥のスクリーンに機械翻訳(? 良く見えなかったので不明)が出るようでしたが、メンバーは面白がって皆でむちゃくちゃ言っていました。

アンコールが終わっても、まだお客さんが続きを要求するので、「会場使用時間がオーバーしちゃってるんだけど…」といいつつも、お正月だし、お年玉だと思って…ところで日本にお年玉なんてあるんだっけ?日本のお客さん、答えてください!みたいなやり取りもありました。(みんな「ある〜(はぁと)」って日本語で答えてたのがスゴイな。)

アンコールのアンコールにやってくれた、新曲のSong for you は日本語でしたが、やはりキャッチ―でいい曲でしたね...聞いてみたい方はこちらにサンプルが→ http://www.mayday.jp/jiden/

ということで公演1日目は無事終了。

♪君がいる〜から〜とコーラスパートを口ずさみつつ、やっぱりライブは予習してナンボよね、と毎回同じ反省をしつつ、家路についたのでございます。




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2017年02月03日

ハドソン川の奇跡(ストーリーの結末に触れています)

「ぴあ映画生活」では毎年映画ファンによるその年のベスト映画を選ぶ投票があります。今年はお声を掛けていただいたので投票に参加しました。一次投票で数を絞り、二次投票でベスト10を選ぶのですが、高得点で二次に進んだこの映画、いつもタイミングが悪くて見逃しておりました。

支持が高い映画を観てないのに他のを推すのもどうかと思って、結局二次投票には参加しませんでしたが、年が明けてようやく映画館で観ることができ、その判断は正しかったな〜と思いました。去年観てたら絶対一位に推していたと思います。

2009年1月、アメリカの飛行機が鳥の群れと衝突したことで両エンジン停止のトラブルに見舞われ、ニューヨークのハドソン川に不時着水するという事故がありました。本作は、その実話を元にした映画です。

事故から着水までの手に汗握る再現シーンや、その後、真冬の川から乗客乗員155名全員が生還した迫真の脱出シーンも素晴らしかったのですが、実はこの作品の主題は事故時の再現ではありません。

安全確保のため死力を尽くし、英雄となってめでたしめでたし...となるべき機長が、判断ミスのため飛行機を墜落させた殺人未遂の容疑者扱いを食らうという、口あんぐりな後日譚だったのでした。

ハドソン川の奇跡を起こしたベテランパイロット・サレンバーガー(サリー)機長は、事故の原因を究明している国家運輸安全委員会に呼ばれます。調査した結果、事故機は川に着水せずとも、出発地のニューヨーク・ラガーディア空港に引き返すか、近くの別の空港に着陸できたはずだ、というのです。

サリー機長は、副操縦士のジェフと共に、自分たちの判断の正しさについて説明に努めますが、委員会は、実は片方のエンジンはわずかながら生きていたというデータや、同じ条件でコンピュータでのシミュレーションを行い、無事に空港に着陸できたという検証結果を元に、疑惑を厳しく追及し始めます。

これらのデータと、コクピットで感じた状況との違いに困惑する機長たち。エンジンも確かに止まっていたはずだと主張するのですが、実機は川に沈んで検証は不可能。二人はどんどん追い詰められて行きます。

いよいよ、検証結果と、コクピットでの二人のやり取りの録音が公開される公聴会の日となりました。開催中、リアルタイムでのパイロットによるシミュレーション中継を要求し、会に臨んだ二人。果たして彼らの判断は間違っていたのでしょうか―?


(以下、ストーリーの結末に触れています)






委員会の聴き取りから公聴会までの緊迫した状況を機長の目線から見せるパートが軸となっていますが、その合間に事故機に乗り合わせた人たちや居合わせた観光ヘリ、救助隊、機長と妻との短い電話でのやりとりなど、周辺のエピソードを効果的に配置して、当時の状況を立体的に再現しています。

同時に、短い切れ切れのシーンですが、サリー機長のこれまでのフライト人生を挿入することにより、プロフェッショナルとしての生き様も描き切っています。

いや〜ホントに機長って大変。フライト中は多くの人命を預かってる上に、必死の努力で大惨事を回避したのに、こんなやいのやいの追究されるなんて、私なら絶対折れそう...。

しかし、そこは機長。

クライマックスの公聴会シーン。かなり打撃は受けたものの、彼はとことん沈着冷静であり、委員会が動かぬ証拠として絶対視する「データ」の問題点を“人的要素”が欠如していることだ、と簡潔、かつ明確に指摘します。

そして、公聴会の場で中継される、パイロットによる再現シミュレーション。

結果はやはり、コンピュータの出した結論と同じく、空港への着陸が可能であるというもの。

しかし、機長は毅然として言います。このパイロットたちは何が起こるか、どう対処するかを事前に知らされ、訓練している。彼らの条件は未曾有の事故に直面した我々とは異なっている、と。

そして、シミュレーションパイロットたちは、事故当時と同様に、鳥に直撃されてからの対処とエンジン回復への努力の時間として35秒間待った後に、コンピュータの計算通りの行動を取ります。結果は着陸失敗、市街地での衝突と大惨事に…。

その結果を見届けた後、公聴会の参加者はヘッドホンをつけ、事故発生から着水までわずか208秒間の、コクピットでの機長と副操縦士のやりとりを聞くことになります。誰もが経験したことのない、マニュアルのない状況で2人がいかに冷静に最大限の努力をしたか、観客も共に固唾を呑んで見守ることになるのです。

聞き終わった後、委員会のメンバーはいみじくも言います。これまで何度も事故時の録音は聞いてきたが、当事者である機長と副操縦士の前で聞くのは初めてだった、と。

簡単なようで、この一言の意味は重いものがあります。

全員生還できたのは機長の働きによるもの、というコメントが紹介されたあとで、機長は、クルーや管制官、救助隊など全員の力だ、と淡々と語ります。

その言葉の通り、本作には、機長を始め、誠実に仕事を行うプロフェッショナルが全編に登場します。

最後の一人まで救助されたか何度も確認し、責任を全うして機を離れる機長。最後の最後まで事故機を安全に誘導しようと力を尽くす管制官。危機的な状況にも冷静さを失わないキャビンアテンダントたち、事故を見て即座に救助に動くフェリー...。

とにかく、みんな地道に仕事をしてるんですが、悪役?の国家運輸安全委員会も、国民的な英雄を前に予断を排し、プロフェッショナルに徹するという点では負けてないな〜と感心しました。

そして監督のクリント・イーストウッド。

だらだらと長い映画が多い中、これだけの内容を1時間半にまとめ上げたプロ中のプロの手腕に脱帽です。

遠くまで行く乗り物についての映画だというのに、お話はニューヨーク(とニュージャージー?)の中で完結してしまうんですが、お話のテンポとか、ほんのちらっと出てくる街中での描写なんかに、ニューヨークの粋を感じます。

特にラストシーン、公聴会の最後に、また同じ事態が起きたら、何か違う対処をすると思いますが、と聞かれて副操縦士の答えが一言。

「今度は7月にします」

粋だねぇ...。


早稲田松竹で観ました。
スクリーンは割合大きく、綺麗なシートや広めのトイレなど、設備面も快適。
基本は2本立て上映。
周囲もにぎやかで、家の近くなら通い詰めちゃいそうな映画館です。

ハドソン川の奇跡|映画情報のぴあ映画生活
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2017年01月26日

MX4D上映 ルパン三世 カリオストロの城

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↑劇場でいただいたポストカード

なんでまた唐突に再上映されているのでしょう、御大に何かあったのでは…ぶるぶる…と正月から縁起でもないこと考えておりました鑑賞者ですが、今年は原作ルパン三世の50周年だったんですね。

電車を乗り継いで劇場まで観に行った○十年前が昨日のことのように思い出されます。当時はすごく面白いと思ったけど、今観たらガッカリかも…と思ったけど、そんなことありませんでした。

いきなりド派手に登場するルパン三世の「お仕事紹介」のシーンから一転、のどかな田園風景やバディ・次元との息の合ったやりとり、またまたド派手なカーチェイス、雨の中、静かに現れる五右衛門…静と動のコントラストはお見事のひと言。

イタリアに行ったら、フィアットに乗ってる男子ってみんなリアルにルパンみたいなチンピラで、しかもどこからせしめてきたんだか車にルパン三世のステッカー貼ってるんで本気で驚いたんですけど、実写なら○栗さんに頼むより、イタリアでロケした方がいいんじゃ…?

と、話は逸れましたがこの作品、はるか昔、たった一回見ただけなのに、ほとんどのシーンをかなり正確に覚えていたのは、シーンのつなぎや構図、動きがよく練られていて、ピタリと決まっていたためだと思います。

せりふも節回しまで記憶の通りでしたが、こちらはやはりベテラン陣の演技力のおかげでしょうね。一度聴いたら忘れられない、山田・ルパンや、キャラにピタリとハマった納谷・銭形、小林・次元、増山・不二子のセリフ回し、セリフこんだけでギャラいくらもらったんだろう井上・五右衛門の渋い美声も、クリアな音声で蘇っています。

それにしても、なぜIMAXとかじゃなくてMX4Dなんだろうと不思議に思っていたのですが、アクションが多いし、水しぶきが出るとか、ボコボコになぐられるとか、MXのエフェクトが効くシーンが考えていた以上にてんこ盛りで、ああ、本当にマンガ映画の楽しさが味わえる作品だったんだな…と改めて思いました。

六本木ヒルズで観たんですが、観に来るガイジンさんの多いこと多いこと。日本語が全然わからない方々ばかりのようで、チケットカウンターの人が対応に追われてました。字幕ないですよ、って教えてあげないと困るんじゃないだろうか…あるいは、字幕付き上映をやるとか?

いえいえ、言葉が分からなくたって、絶対この面白さは分かりますよね。

期間限定上映だそうですので、お見逃しなく!

TOHOシネマズ六本木で観ました。
スクリーン8はMX4D専用です。座席は抜群の座り心地。
観やすい席はD〜Fの8,9,10番あたりでしょうか。
私は少し後ろ目が好きですが、割と段差がないので、
座高の低い方はご用心です。



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2017年01月06日

こころに剣士を(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

奈良美智の絵に出てくるような、あるいは「ロッタちゃん」の映画に出てくるような、目ヂカラのある女の子が出てくる予告に惹かれて観に行ってみましたエストニア=フィンランド=ドイツ合作映画。

例によって全く予備知識がなかったため、登場人物たちのしゃべってる言葉にまず面喰いました。

すごくフィンランド語に雰囲気が似てるんだけど、でも全然聞き取れない。

むしろ、なぜか大人は皆しゃべれるらしいロシア語の方が分かる(って言っても、ロシア語のセリフが“もしもし”とか“誰ですか”とか“ちょいとお兄さん”とか“そこの女子!”とか、初級レベルだったからですが・笑)…。

書き文字はみんなキリル文字だしロシア語だ(文書とか、街角の表示(“パン屋”とか)...と気になってたら、だんだん分かってきたのは、お話の舞台になってるエストニアはソ連に併合されているので公式にはロシア語が使われていて、エストニアの地元の人は地元の言葉でしゃべってるらしい、ということ。

冒頭に、ほんの数行の字幕で説明された時代背景が、後々重苦しくのしかかってきます。

しかし、映画全体の印象は水彩画のように素朴で淡々としていて、もろもろのことはひっそりと暗示されるだけで感動の押しつけもなければ感情の爆発も残虐シーンもなく、それでいて軽やかに、そしてしみじみと温かい気持ちが残る秀作です。

お話は第二次世界大戦後のエストニア。素朴な片田舎に、大都会・レニングラードの大学を出たという教員志望の若者・エンデルがやってきます。

見るからに人付き合いが悪そうで、子どもも好きそうには到底見えず、引きこもりな感じなのに教員志望??という第一印象は全然間違っておらず、彼は実際、人付き合いも悪ければ子どもも苦手な根暗青年で、教員になったのは単に人目を避ける必要があったからなのでした。

よくもこんな怪しげな人を簡単に採用するね...と思ったら、そこは校長先生、裏ではがっつり疑っています。

エンデルは校長の命令に従って、課外の運動部をはじめますが、用具を取り上げられたりの妨害に遭い、結局、彼自身が選手だったフェンシングの部活を立ち上げます。

例によって子どもの指導なんか全く興味なさそうなエンデルなのですが、田舎町なこととて子どもは新鮮な活動に飢えており、好奇心いっぱいで部活に参加します。その人気ぶりや、エンデルの学歴も面白くない校長はいろいろと妨害や粗さがしを始め、ついに彼のひた隠しにする秘密に辿りつきます。

一方のエンデルも、レニングラードにいる親友から目立つことはするな、もっと遠くに逃げろと忠告されるのですが、グズグズと煮え切らない態度でいるうちに、子どもたちはフェンシングの全国大会に出たいと言い出します。

開催地レニングラードに行くことはエンデルにとって、命を危険にさらすことに等しい行為です。しかし、彼にフェンシング部を立ち上げる決意をさせた女の子・マルタや、辛い状況にいる男の子・ヤーンなど、子どもたちの願いに背中を押される形で、エンデルは行動を起こします...。

少しサスペンス風味の部分もありはするものの、全体としては出来事をドラマチックに演出するでもなく、登場人物も、押しなべておとなしい感じの人たちばかりで本当にあっさりした味わいですが、それが却って時代背景の異常さを浮き立たせているかのようで好感のもてる映画です。

これ以上のストーリー紹介はネタバレになりますので、これからご覧になる方はここまで。ストーリーの結末が分かってもOKな方は、映画館の紹介以降もどうぞご覧ください。

以下、お話の結末に触れています。










最後のテロップで、このお話が実話だったのだと初めて知りました。いちおうハッピーエンドでホッと胸をなでおろしましたが、当時の身の処し方の難しさを映画館を出た後でじわじわと感じました。

エストニアは第一次大戦後、ロシアから独立したものの、ソ連の侵攻によって併合されてしまいます。そのあと、ドイツに占領され、またソ連に占領され、という繰り返しで、その間、男子は対ソ連のナチス・ドイツ軍に加わったり、ソ連の赤軍に加わったりしていました。

エンデルは第二次大戦中にドイツ軍に加わった、という理由でソ連当局から追われる身だったのです。そりゃソ連から見れば敵、しかもナチス・ドイツなんですから聞こえも悪いですが、上記のようなエストニアの状況からすると、ソ連を追い出すためにドイツ軍に加勢するという人だって当然いたことでしょう。

校長も映画で見る限りは私怨と嫉妬に駆られてエンデルを密告したようにしか思えませんが、エストニアの人がどのくらいソ連を支持していたかはともかく、ナチスの残党狩りと言えば世間も(国際的にも?)通るでしょうし、なかなか複雑です。

戦争とそれに続くこの状況で男手のほとんどないこの町では、保護者会といっても参加するのは老夫婦ばかり。大人も子どもも何かみんな精気がなく常におどおどしているような印象だし、エンデルも積極的に生徒と関わろうとはしていない感じを受けます。

しかし、彼は結局、思い切って逃げるのをやめ、フェンシング大会に出るために子どもたちを引率してレニングラードに向かいます。

元々、エンデルもそんなに決意が堅いわけではなかったと思うのですが、校長の意向に反してフェンシング部を存続させようと、ささやかな、しかし勇気ある一歩を踏み出してくれたヤーンのおじいさんや、おずおずとながら部の存続に賛成の挙手をしてくれた保護者の人たち、強い目力でエンデルに決断を迫ったマルタなど、小さな積み重ねが彼を後押ししてくれたに違いありません。

物語の舞台になったハープサルという町の湿原や森などの自然の美しさや、その駅も素朴で良い感じなのですが、今も昔もそのままの佇まいのようですね。エンデルに声を掛けた女性教師のカドリが掛けていたショールは模様からして、町特産のハープサル・ショールではないでしょうか。さりげないけれど、確かな地元への愛が伺えるのも、この映画の良さだと思います。

ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。
JR有楽町駅至近でアクセス良好。
小さい方のスクリーン2は席数も少ないですが、それなりに傾斜があるようで、まあまあな劇場です。
観やすい席はC,D列の5,6あたりです。

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2016年12月31日

蘭陵王(テレビドラマ31/走馬看花編 第19話)

皆様、ご無沙汰しておりました。

インフルエンザやノロウィルスなど冬の定番が猛威を振るうなか、お変わりなくお過ごしでしょうか。どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

さて、残すところわずかということで今年を振り返ってみると、一番の番狂わせだったのは、米国大統領選挙ではないでしょうか。

まさかの“川普”(Chuangpu=トランプ)大統領誕生!

ホント、お金の使い道に困ってる人は羨ましいですこと、負けると分かってる大統領選に出馬して楽しむために大金はたくって、そうそう出来ることじゃないざます、庶民の想像力を超えるSF的セレブ樣ざんすね...などと思っていた視聴者(←他人事だと思って傍観)が浅はかでございました。

アメリカ国民も、何考えてんだかな〜と失礼な感想を抱きつつも、でもまあ、これはこれでアメリカらしい選択なのかも知れません。

1つの党がもう8年も政権を担当してるんだし、いい加減替えどきかも、と思ったか。

少数弱者ばかり贔屓するなんてズルい、オレたちも大変なんだぜ、と一般庶民が思ったか。

ビョーキなんて自己責任じゃねえか、てめーの失敗はてめーで落とし前つけろよ、なんでオレの稼いだ大事な金を貧乏人の医療費に使われなきゃなんねえんだよ、と思ったか。

etc.etcのセコイ理由はいろいろ考えつくけど、なんだかんだ言って、政治屋や役人どもがコソコソ何でも決めてしまうのが気に食わねえ、いっちょ素人代表にやらせてみようじゃねえか、って辺りも大きかったのではないでしょうか(こういう話題だとどうしても長屋のご隠居みたいな口調になっちゃう)。

さすがはアメリカ樣! ザッツ・フロンティア・スピリッツ!

そんなに政府が信用ならないんでしょうか。元々、開拓者精神で、あまり国に介入してほしくないという主義の人たちも多いとは聞いていますが、それにしても大胆っつーか、勇気ありますねぇ...でも日本では真似しないで欲しい。こちとら開拓者精神皆無なんで。

しかしアメリカにだって私のような小心者も少なくないのか、真剣にカナダに移民しようと思ってる人とか、やっぱり居るらしいですね。

そういえば、イギリスのEU離脱のときに、冗談じゃねえや、オレは海賊王に…いやさ、アイルランド人になる!ってパスポートを申請した人もいるみたい。

国破れても山河はあるけど、国民がいなくなったら貴族さまも食いっぱぐれてしまいますよ。ましてや、兵隊の数が国の存亡を握っている、戦乱の時代にあってはね…。

ということで、行ってみましょう、第19話
なお、前回の第18話→こちら から、第1話は→こちらから、蘭陵王関係のエントリーを最初からご覧になりたい方は→史実編 または→蘭陵王のカテゴリー からご覧ください。

*
紆余曲折というか右往左往したものの、蘭陵王〈らんりょうおう/Lanling Wang〉=高長恭〈こう ちょうきょう/Gao Changgong〉=四爺〈スーイエ/Si Ye〉と天女・楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉は晴れて婚礼を執り行うこととなりました。

しかし、セレブ婚にはしきたりが付き物。細かい儀礼を押し付けられ、安眠もままならない雪舞の様子を見かねて、蘭陵王は彼女を、邙山〈ぼうざん〉の戦いの後で過ごした、長安郊外の家へと連れ出します。

お互いを阿土〈あと/A Tu〉、冰児〈ひょうじ/Bing Er〉と呼んで、のんびり暮らしているかに見える二人ですが、蘭陵王は民の心が高家から離れていることに、密かに心を痛めていました...。




さて、前回から引き続き、蘭陵王が昔お母さまと暮らしていた旧居の庭先。

画面からだと季節がよく分かりません。北中国で花が咲いてるってことは、5月から11月の間のはずだけど…。

軒先に吊るしてある赤いものは、唐辛子でしょうか。

おや、その先には女子力の高い武将が火を起こしてます。
こんなところでキャンプファイヤー!! のわけないですよね。
台所が家の外にあるんだ...冬どうするんだろ。

よく北海道の友達から聞かされる、雪国あるあるの1つに、その辺に車を止めて年末旅行に行って、帰ってみたら屋根まで埋まっちゃっててどこにあるか分かんなくなった、というのがございます。

で、どうすんの車?と聞いたら、そりゃ来春までサヨウナラ〜♪ ってあんた、関東者だと思って担いでるでしょ?!

とつい先日までは思っておりましたが、札幌大雪3日間雑魚寝のニュースを見たら、すっかり考えを改めました。ネタかと思っててごめんね。

ってことで、この地方は大雪降ったら来春まで台所よサヨウナラ〜♪なのかなぁ、と思ってるところへ、奥さんがお買い物から帰ってきます。包みを開けた四爺は、傍目にもガッカリしている様子。どうやらサツマイモはあまりお好きじゃないらしい。

ってあなた、今は阿土でしょうに。贅沢言ってる場合か?

ちなみに、日本の標準語では「サツマイモ」って言いますが、漢字で書くと薩摩芋。中南米原産の植物が、中国経由で入ってきたそうです。昔は都内の小学校なんかだと、サツマイモを栽培して江戸の飢饉を救った大岡越前と青木昆陽〈あおきこんよう〉の話とか聞かされたもんです。

中国語では“蕃薯”。中国にもともとあったものではないということが、字面からも分かります。伝わったのは明代・16世紀頃らしい。

ってことで、サツマイモ的な何かに見えますが、きっと別のものなんでしょう。ああ、よかった、これで楽屋に焼イモの差し入れができますね、皆様。

差し入れと言えば、第14話で差し入れしてもらってましたが、四爺はローストチキンがお好きなんですね...。

好物にパクつく軍神を天女が追究します。

“還不從實招來”
(まだしらを切るつもり?)
“你不是說過 夫妻同心 其利斷金嗎”
(言ったじゃない、夫婦が心を合わせれば、金属さえ切れるほどの力になるって)

“其利斷金”はとても古い言い回しで、《易経》にすでにある言葉だとか。元々は、夫婦に限らず、二人で力を合わせれば金物も切断できる、という言い方だったようで、だからこそ、ピンで何でも切ってしまう、十三代目石川五右衛門の凄さが分かろうというものです。

そうです、四爺は、斬鉄剣の使い手だったわけではなく(またつまらぬギャグを言ってしまった)、税金が重すぎて民が周に移住しようとしているのを見て悩んでたんですね。

そんな自分を支えようとしてくれる雪舞に、芝居がかった口調で四爺は言います。

“得妻如此 本王 本阿土夫復何求啊”
(かくの如き妻を得て 王たる者…いや、阿土たる者また何を求めんや)

もちろん、これは雪舞を心配させまいとして言っているのですが、この2人はこの後もずっと、ついに最終回に至るまで、この調子でお互いの心配事を相手に隠しがちなんですね。

もちろん、思いやりの気持ちから出ていることなんでしょうけど、その作戦はどうも裏目に出やすいみたいですね...。

雪舞も冗談めかした言い方ながら、

“嫁雞隨雞 嫁王也就只能當王妃了”
(ニワトリに嫁げばニワトリに従い、王に嫁げば王妃になるしかないわ)

と、四爺に言います。

このセリフ、蘭陵王カテゴリーの最初の方でもご紹介したことがありますが、元々は、「ニワトリに嫁げばニワトリに、イヌに嫁げばイヌに従うしかない」という慣用句です。王妃ってイヌ並みなのか(いえ、イヌに嫁げば、ですからつまり、誰かさんがイn…

( -_-)=○()゜O゜) ひでぶッ

そして、さんざん悩まされた宮中のしきたりについても、

“我統統都不怕 叫他們放馬過來吧”
(全然怖くないわ 全力でかかってらっしゃい)
と言います。

日本語で「かかって来い!」っていうと、人が向かってくるイメージですが、中国語だと馬を放すんですね。

…ちと、イヤかも。

ベン・ハーに乱入しかねないほど気合が入った雪舞を見て、四爺は慌てて言います。

“别 千万别变”

そのままがいい、決して変わらないで、とは誰しも思うことでしょうが、残念ながらそうは行かないのが世の習い。
さもなきゃ週刊文○がこんなに儲かったりしませんって。

幸か不幸か斉のパパラッチからの追跡の目は逃れているらしいセレブの四爺は、毎年ここに来て、阿土 冰児として暮らそう、などとお気楽なことを言っております。

そういや、中国語でパパラッチのことを“狗仔隊”(イヌ軍団)と言うんでした。おほほ。イヌ将軍にふさわしい追っかけですこと。

でもなんでイヌなんだろ?とちょっと疑問に思ったのでBaidu先生に聞いてみたところ、ちゃんと本家のパパラッチと関係あるらしい。

元々はフェリーニの1958年の映画『甘い生活』の登場人物の名前から来た言葉で、そういう人を香港では省略して「パピー」(子犬)と呼んでたらしい。プラス、獲物を追い回すイヌのイメージもあって出来た訳語だそうです。

たとえパパラッチに追いかけられようと、新婚のお二人には「甘い生活」でしょうね、お幸せに…。

と思う間もなく、すぐ次のシーンは、夜の冷たい土に触れる剝き出しの足。作業現場から逃げ出そうとしていた鄭児が捕まって、罰を受けているところ。

この後は、寺院建立の過酷な労働や官奴同士の騙し合いなど、凄惨な場面が続きます。

そしてそれが終わるとすぐ、蘭陵王府の幸せな婚礼の準備の場面。
その玄関先に倒れて、お屋敷に担ぎ込まれて介抱される鄭児…。

甘いものと辛いものを交互に出されるとついパクパク量を越してしまいますが、それにしても、なんでこう、鄭児ときたらせっかくのいいところに水を差すように現れるんだろ、邪魔よ…って思いますよね、ふつう。

もちろん、そう思わせるためにやってるんだろうけど。

あ、ちょっと先を急ぎすぎちゃいましたが、婚礼の準備をしながら、四爺に、礼部の官女を妾として娶っとけ、と厳命された五爺が(違いましたっけ?)、だいたいの女は娶っておいたが、どうしても落ちないのがいた...じゃなくて、どうしても省略できないしきたりがある、と言いだします。

“新娘來到青廬外 要由新娘的娘家這邊 最年長的長輩牽她而入”
(花嫁が入り口まできたら、花嫁の親族の中で最年長の者が手を引いて中に入らなければならない)

だけど義姉上は鄴〈ぎょう〉の都に一人の親族もいないから、と困り顔。

前回の婚礼(?)の時、ちょっとご紹介しましたが(→第4話 こちら )、これはとても古いしきたりのようで、日本でもこの習俗をまだ残している地方があります。

それから、五爺のセリフにある“青廬”というのは、漢代から唐のころまで、北中国の婚礼のときにしつらえられた黒いテントのことです。

中国語では“青”が「黒」を指すことがある、というのは第12話(→こちら)のとき、お話ししましたね。

今の中国では婚礼の色がのため、史実通りの飾りつけだと視聴者がピンと来ないと思ったのか、このドラマでは黒のテントは出てきません。

蘭陵王の時代は中国の南北で婚礼のしきたりもかなり異なっていたようで、花嫁が扇で顔を隠す“卻扇”は実は南朝の習慣です。

婚礼の衣装の方は、何色だったのかはちょっとはっきりしません。

とにかく、ではなかったんじゃないかと思いますが、この花嫁と来たら遊びほうけていてお屋敷に帰ってくるのもギリギリだし、いまさら違う色って言われてもサイズ直すだけで手いっぱいなんですよ! ルパンじゃあるまいし婚礼衣装の仮縫いしてるときクラリスを連れ出さないでくださいっ!

と、怒っている小翠がとってもキュートですね。

そんな華やかな場面も一転、お屋敷に担ぎ込まれた鄭児が目を覚まし、四爺や雪舞たちの前で、例の香袋の件(→第13話 こちら)について、膝立ちになって許しを乞います。

鄭児は香袋について、

“他告訴我 那香囊 可以保佑四爺一家安康的”
(祖珽は私に この香り袋は四爺ご一家のご清栄をお祈りするものと言いました)
と釈明していますが…。

おや...? 祖珽はそんなこと言ってましたっけ?

それを聞いてる韓暁冬の、超イラついてるッツって感じの小芝居がちょっと見ものです。

そんな視線をものともせず、鄭児の様子がだんだんエスカレートして、ついにぶっとい樹(あ、すみません。ちょっと言葉が良くないですね。恰幅の良い樹、でしょうか)に止まったセミみたいな態勢になったのを小翠が見かねてか、明日は婚礼なんだから皆休まないと、と宣言します。

せっかくの祝賀ムードに暗雲が垂れ込める一方で、婚礼のことを初めて知った鄭児は泣き崩れます。

彼女は言います。

“他怎麼能夠成親呢”
(あの人は どうして妻を娶ったりできるの)

…って、考えてみればおかしなセリフですよね。

でも、このセリフには対になってるセリフがあったのですが…。
それを思い出すまもなく、鄭児は言います。

“四爺 此刻坐在您身邊 準備大婚的 本該是我呀
我才應該是你的良配
我才應該是這棟王府的王妃啊”

(四爺、いまあなたの隣に座って婚礼の準備をしているのは、私のはず。私こそあなたの伴侶にふさわしい。私こそがこの蘭陵王府の王妃なのよ)

おいおい、ちょっと待て! 一体何を根拠に…とテレビの前の視聴者は例外なく思ってるはずですが、いや、みんな落ち着け!!

まず、鄭児は基本的に、楊雪舞に騙されたと思ってるんですね。

自分は正々堂々、お妃選びに参加した。確かに皇后の後ろ盾はあるかも知れませんが、出されたお題はきちんとこなしたし、香袋の一件を除いては、何もやましいことはしていない(と、鄭児的には認識していることでしょう)。

翻って楊雪舞は、「四爺をお願い」というようなことをわざわざ言い、油断させておいて抜け駆けした…。

だったら自分も遠慮しない、そう思うのは理の当然です。

そしてここで、思い出す人は、ハタと思い出す。

思い出すって、何を…?

しかし、今は楊雪舞の生涯最良の日、その辺のダークなことは今回の記事の最後で考えることにして、まずは花嫁の様子を見に行きましょう。

小翠マジックで美しい花嫁になった楊雪舞は、今やおなじみの“卻扇”を渡されます。これで顔を隠していないと、

“一輩子被四爺管得牢牢的”
(一生、四爺に束縛されますよ)

と忠告される雪舞。てっきりキリスト教式のヴェールみたいなものなのかと思っていたら、違うのですね。
でも、ってことは、この時代、“卻扇”さえしとけば女性もゲス放題だったのかしら? そんなことないと思うんだけど…。

どっちでもいいゴシップ記事に気を取られていたせいか(違います)、いよいよ吉時が到来して出発というところになって、小翠が付き添い人の事を思い出します。こちらの方は束縛どころではなく、それがないと、

“這婚姻不幸福的”
(不幸な結婚生活になります)

って小翠、間に合いそうもないこのタイミングで宣言するのってどうよ? と思うけど、雪舞はしっかりと答えます。

“不會的 小翠 從此以後 我會把四爺的平安 還有百姓們過的好不好 放在我個人的幸福前面”
(そんなことはないわ 小翠。これから先、四爺の「平安」と、民がよい暮らしを送れることが、自分の幸せより大事なの)

う〜む、やっぱり「平安」が…いえいえ、ホントにそうなら良かったんだけど…。

一方、花嫁の苦悩を知ってか知らずか、到着を待つ花婿の方はニコニコ嬉しそうです。

荒地の魔女みたいな毛皮の襟巻をして、黒い婚礼衣装を着た四爺は、このままシャンソンくらい歌いだしそうな雰囲気ですが、それをぶち壊すかのように、五爺が、二度めだから慣れたもんだよなあ、てなことを言います。

ここの“一回生二回熟”(1回目は未熟だけど 2回目からはベテランの域)というのは、第10話(→こちら)でも五爺が言ってましたね。

そこへ、招待客の斛律〈こくりつ〉将軍と段太師が婚礼の贈り物をします。

斛律将軍の贈り物は宿鉄刀。
段太師の贈り物は諸葛武侯(諸葛孔明)の二十四篇。

文武に長けた人にふさわしい贈り物ですね。
しかし、二人はやはり五爺と同様、雪舞の付き添い人について心配しています。

当の雪舞はさらに動揺しているのですが、そこへ現れたのが我らが皇太后さま。

四爺の頼みで、雪舞を養女、すなわち皇女として嫁がせることにしたと言います。

“你看 我這個孫兒當丈夫 夠貼心吧”
(どう、私の孫は夫として十分思いやりがあろう?)

確かにその通りですが、その四爺だって、ホームでのお式なのに、親族は五爺とおばあさましか出席してないんじゃ…? 

実質上、天涯孤独な者同士、やはりお似合いのカップルと言うべきでしょうか。

そんなお似合いの二人を前に、かなりの上座に立っている暁冬の切ない表情がグッと来ますね。

そしていよいよ花嫁が花婿と向かい合うと、幕の後ろに用意された絵が披露されます。

非常に再現度高い絵ですが、いったい誰が描いたんでしょう…?

四爺の実のお兄様(二爺)、広寧王・高孝珩〈こう こうこう〉は絵が上手く、本物そっくりの鷹の絵を描いたりしていたそうなので、お願いしたのかな?

でも、絵が上手い人ほど見てないものは描かないから、これはやはり多芸な大将軍自らが絵筆を執られたんでしょうね。さもなきゃ、お兄様に「小弟が禁衛軍に化けたところ、未来の妻に覗き魔と間違われて叱られました」等々、縷々説明しないといけなくて辛すぎる。 

そうしてみると、各幅、四爺ならではの観察眼の鋭さが伺われます。
最後の一幅、おかず3品に先にお箸をつけてるのは雪舞ですね。

奥さんになっても四爺にお料理させてるのね。

ちなみに中国ではお箸の遠い方を持つと遠いところにお嫁にいく、といわれております。この絵を見ると当たってるのかも。アンニュイな視線を飛ばしている子供は、髪型からして坊んですな。

中国で男子が尊ばれることは日本の比じゃないので、誰もがお世継ぎ(=坊ん)を待ち望んでいることを表しております。

ここで雪舞は感涙にむせんでいるのですが、それを見る新郎の嬉しそうなこと、たいていは緊張してるのが普通だから、ここまで喜んでる花婿も珍しい。

やっぱり五爺の言う通り、“一回生 二回熟”ってことで…とか言ったら殴られそうですが、普通、結婚式といえば女子の夢だと思うんだけど、付き合わされる男子の方はどう思っているのか、それがよく分かるVがございますので、早速ご覧いただきましょう。

2014年9月17日の《大牌駕到》です。
(http://v.qq.com/x/cover/wdynmjl08dxqlei/t00150h7tt0.html)

司会はこの時期、まだ華少さんでした。懐かしい!

トークは出身地の話題から入っています。

司=司会者(華少)
馮=馮紹峰(ウィリアム・フォン)

:まずは上海人ってトピックから行きましょうか。
 上海の男性というと、いろいろ評判良いですよね。
 たとえば、気遣いが細やかだとか 
 料理するのが好きだとか、
 奥さんを大事にするとか、お金にきちんとしてるとか、
 そういうところってあります?

:残念ながら、上海人が備えてる長所の多くが僕にはないです。
 たとえば、先ほどおっしゃった料理ですけど、僕は台所に立つのがすごく嫌いなんです。
 それから、上海人は割合、良い意味のこだわりがあるんですけど、僕はそのへん、大まかで。
:あなたはファッションにこだわりがあるタイプの男性じゃないんですか。
:身なりは本当にいい加減です。
 凝った時期もありましたよ。その頃はちょっと外出するのも大変でした。何を着ようか考えこんじゃって。どんなコーディネートにしようかなとか。
 でも仕事を始めると、衣装とかメイクだとかそんなことばかりでだんだん飽きてきてしまって、普段は見てくれに特別気を遣うようなことはしなくなってしまいました。今は特に何も考えずに、適当に手に取った服を着てそのまま出かける感じです。
:あなたはせっかちな方なんですか。
:そうですね、割とそうです。
  思い立ったらすぐやろうとします。
  先延ばしにするのは嫌ですね。
:怒りっぽいですか。
:ここ数年、だいぶましになりました。
  もっと若いときはすぐに腹を立ててました。
:そうなんですね。
:(ニコニコして)ええ。



なになになに…? 

ずいぶんサラッと話が進んでますけど、この人料理が出来ないの??

何せ中国は基本、共働きですから、家事のできない男性なんか伴侶として問題外です。

まあ、お金持ちなら家事は外注でしょうが、最初の頃にお話しましたけど、皆様、中国のイケメンの条件、覚えていらっしゃいますか。

「料理ができる」はマストでしたよね。



じゃ、まさか、この方は中国ではイケメンにカウントされないのでは?

しかも、すぐに激おこ?

それはちょっと、どうなの…?

…………えっと、とりあえず、気を取り直して先に行ってみましょう。



(5:08ごろから)
:上海ではバイクに乗りますよ。メカっぽいものが好きなので。BMWとか、ドュカッティとか。



そんなこと言って彼は現住所の北京でもバイクに乗ってたらしく、自虐というか自慢というかな写真記事をブログにアップしたところ、それを見た天津交通警察に、バイクに乗るときは所定の位置にプレートを掲げてくださいと叱られた上、罰金プラス点数引かれて免停になり、カワイソーに、投稿者に「馮おじさん、カッコつけたいなら交通ルールに気をつけましょう」とコメントされていました・笑。

所属事務所からは、登録もあり、プレートも免許もちゃんとしてますとコメントが出ていましたが、結局何だったんでしょうかね? ネタ?



:地獄猫(ヘルキャット)はどうですか。最高時速が260とか280とかのやつ。
:バイクですけど、あまり飛ばすのはお勧めしません。
:そうですか。事故ったことあります?
:すごく前ですが、あります。実は、そんなに飛ばしてた訳じゃないんですけど、たぶん路面が滑りやすかったか、何か思いがけないことがあって転倒したんですよ。そのまま車の下に滑りこんでしまったんです。
:そりゃツイてましたね。
:運がツイてたかどうかは知りませんけど、ナニはツイてるんで。
(いきなりの下ネタに苦笑する司会者&お客さん)

  *

この後、彼はとうとうとメカ愛を語ります。
時計、バイク、カメラ、オーディオ…金喰い虫な趣味のオンパレード(笑)

料理ができなくてキレやすくて下ネタな上に金使いが荒いわけですか。

ダメだこりゃ…。

  *

:カメラは何台持ってるんですか?
:そんな何台もじゃないですよ。
:またまた。そんなことありえないでしょ。
:いま使ってるのは、韓寒(『いつか、また』(《後会無期》の監督)がプレゼントしてくれた「微単」です。
:ああ、「微単」。



「微単」というのは、ソニーが中国向けに発売した、ミラーレスのデジタル一眼レフのことです。



:僕が腕を骨折したときあったでしょう。その骨折したときに、彼はどうもやましさを埋め合わせるためにくれたらしいんです。実際には彼には全く関係なかったですけど、それでカメラをくれた。
 それでね、カメラ本体は高いものじゃないんですけどね、自分で別売りのレンズを買ったらそれが高かった。(テロップ:大損しちゃった)
:大体推測がつきますよね。彼は本体だけくれたんでしょ。
:そうです。使い勝手はいいですよ。(テロップ:気を使いますねぇ〜(有苦难言))



少し飛ばして、番組の終わりの方の関連の話題を見てみましょう。
これは、視聴者からの質問に答えるコーナー。23:42からです。

質問は「高級車が好きだそうですね。仕事を始めたばかりで、もうスゴイ車に乗ってたとか、ホントですか」



:いま言えるのは…やっぱり見せびらかすのはよくないな、ってことです。(笑)
:(笑)バレてますかね。
:つまり僕に言えるのは…ただ車が好きってことだけです。(テロップ:しどろもどろ)
  とにかくメカが好きなんですよ。車に限りません。
:いま車何台持ってるのか聞いてもいいですか。
:2台です。
:2台ね。高いんでしょ?
:まあまあですね。(テロップ 自信満々 (底气十足))
:まあまあね。
:思うに、車をたくさん持ってるのって、意味ないですね。
  価値は下がっていくし、運転する暇もないし。
  置いておくだけって本当にもったいないです。車に申し訳ない。

 *

さて、ちょいと戻って、別の話題をみてみましょう。

《黄金時代》でウィリアム・フォンが演じた蕭軍(シャオ・ジュン/Xiao Jun:実在の作家で、映画の主人公・蕭紅の夫だった)の恋愛観についての話題から、ウィリアム自身の恋愛の話に移っています。当時彼は、女優のニーニー(倪妮)と結婚間近だと公表していました。司会者から、ふつうは隠すんじゃないんですかと聞かれて、こそこそ付き合うのは嫌だった、と答えています。

 * 

15:00ごろから
:この映画の恋愛はご自身の恋愛観に影響を及ぼすと思いますか?
:彼の間違いのいくつかは参考になりますけどね。僕は役柄と自分自身とは、はっきり分けているので。
 例えば、蕭軍は、熱しやすく気ままだった。それは僕自身の恋愛観とは全く違います。
:そこが興味深いんですけど、じゃ、あなたの恋愛観ってどんな風なんですか。
:彼の当時の心境とはもちろん違います。なぜって僕にはとても落ち着いた関係の相手がいるわけですし、全然別物ですよ。
 ときどき摩擦があったり、いろいろな出来事はありますけど、
:そりゃ、当然ですよね。
:それは乗り越えられるものです。
(中略)
:あなたは今年、もう36歳ですよね。
:ふつうは数えでいうんだとすると、37です。
:じゃ、アラフォーってことですね。それはいいことですよ。男性にとって、成熟するということは偉大なことです。
 結婚については心構えがあるんでしょうか。
:先日、友達の結婚式に出たんですけど、とても感動しました。
:では、自分でもそんな式を挙げたいと希望してるでしょう。
:それはやはりセレモニーは必要だと思います。
 人生の中では大事な部分だから、ないと何かが欠けているような…(と、なぜか非常にアンニュイな表情で語るウィリアム)
 それに皆お互いをもっと大切に思うし、見守ってもらえるわけだし、と思うんです。  
:焦ってます?
:そりゃ、両親は見たがってますよ。僕はきっといつか、自分にもそんなときが来て、同じようにそんな幸せな気持ちをお裾分けできるんじゃないかと信じているんです。



女性は、結婚式を自分をお披露目するため(?)にする、というケースもよく見聞きしますけど、男性は、周りの人のため、特に両親のために式をするという人も多いですね。

なので、昔のお式では、花婿・花嫁がまず天地に向かって、それから両親、そしてお互いに三度、礼をする、というのが結婚式のメインのセレモニーでした。

しかし、そんなしきたりに拘らない四爺と雪舞は、“卻扇”も礼拝もすっ飛ばしてしまいます。しかも二人とも、この場に両親がいないですし。

そこで五爺が気を利かせて、“夫妻對拜”(新郎新婦が互いに礼をする)をやったら?と声を掛けるんですね。

その場は和やかムードで式が進んでいますが、皆がみんな好意的に見ているとは限りません。少なくとも、祝宴に招かれなかった鄭児は、こんなことを言っています。

“既沒有高堂 又不懂拜天地 連卻扇都不用
楊雪舞 你放心 
我與四爺的婚禮絕對不會如此輕率的”

(両親もいなければ天地への礼も知らない
“卻扇”さえしない式だなんて
楊雪舞よ どうぞ安心してちょうだい
私と四爺のときは こんないい加減な婚礼はしないから)


なんかだんだん鄭児が怖くなってくるんですけど、事件になるようなストーカーの思考回路ってこんな感じなのでしょうか…?

もちろん、ストーカーは許されることじゃないですが、じゃ鄭児は雪舞から四爺を略奪しようとしてるのか、と言われれば、そこは微妙ですよね。

よく考えてみれば雪舞は、蘭陵王とは結ばれる運命ではない、と自分で言ってたんですから。

雪舞が運命に打ち克ち、やっと蘭陵王と結ばれるということは、当然そこから弾かれてしまう人がいるということ。

鄭児自身は知りようもないことですけど、おばあさまの占いによれば、蘭陵王が生涯愛するのは鄭氏の女性ただ一人。それは運命によって決められていることなのです。史実でもそうだし、この物語の中でもそのはずだった。楊雪舞はそれを変えてしまったわけです。

彼女は途中まで、お妃になる人は鄭氏なのだから、自分は身を引くとずっと公言していました。その通りなら、きっと鄭児が正妃になっていたことでしょう。

鄭児自身は運命の定めたまま、蘭陵王と知り合い、その伴侶となるルートを変えていないだけなのです。なぜこれほどまで彼に執着するのかも分からないまま…。

彼女は、いわばJR東海のようなもので、決まったレールから外れれば転覆脱線するしかない。スバル・楊雪舞・インプレッサのように、人の運命に突っ込んでも助かるような特技は持っていないんです。

楊雪舞は官奴になった鄭児を助けて欲しいというようなことを四爺に言ったり、この後も鄭児に対して強い態度が取れない。

皆、それは雪舞の優しさだと言うけれど、私は違うと思う。

略奪とは言いませんが、雪舞は占いの結果を知っているのですから、鄭児に対してどこかにやましい気持ちがあるはず。それが意識的にか無意識的にか、現れているのではないでしょうか。

脚本も、雪舞に手放しの幸福は与えません。

彼女自身は確かに当初の運命に操られることはなかった。でも、彼女の選択によって、別の人の運命が、その人が知らない、望まないうちに書き換えられてしまった。そして雪舞の方は、自分のしたことを知っている。

この先、彼女の行く手に常に影が差しているのは、このことと無関係ではないはずです。

そしてこの先どこまでが、変えたと思った運命の仕業なのか、それは雪舞の、そして鄭児はもちろん、預かり知らぬところなのです。

この回のラストの鄭児を見ると、私はいつも谷川俊太郎の「黄金の魚」という詩を思い出します。

しあわせは ふしあわせを やしないにして はなひらく

どんなよろこびの ふかいうみにも ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

運命の仕業とはいえ、なんて悲しい人なのでしょうか…。



次回は、少し趣向を変えて、お話の中盤である20番台を概観する予定です。

予定よりちょっと暗い話で終わっちゃいましたけど、もしよろしければ、続きもどうぞお楽しみに。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!



posted by 銀の匙 at 02:48| Comment(14) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

オアシス:スーパーソニック

数年前、確かスカンジナビア航空かなんかに乗ったときに、離陸前ずっとキャッチ―な曲がかかっていて、気になって後で調べたら、ノエル・ギャラガ―ズ・フライング・ハイっていう、やたら長い名前のバンドのAka...What a life!という曲でした(こちらにオフィシャルMVがあります...→https://www.youtube.com/watch?v=d6m03FUYaTM が、前置きがすごく長くて、実際の曲は3:34くらいからです)。

これがまた中毒症状を呈する楽曲で、ひと頃は常に頭の中で再生されている状態だったのですが、この映画のポスターを見かけて、あ、そうだノエル・ギャラガ―って元オアシスの人だったと思い出し、どんな人なんだろうと思ってノコノコとオアシスのドキュメンタリーである、この映画を観に行ったという次第です。

ブリットポップは好きなのですが、90年代当時はブラーのファンだったので、オアシスなんか、ああ、あの兄弟仲の悪いって噂のバンドね、くらいにしか思ってませんでした。

今回、映画を観て真相を知りましたが、まさか本当だったとは…(笑)
(つか、全くの部外者にまでそんなことが知れ渡ってるバンドって一体…)

それに、私の知ってた曲が「ワンダーウォール」とか「シャンペン・スーパーノヴァ」とかスローな曲ばかりだったので(名曲だとは思ったけど)ロックバンドだという認識すらなかったのですが、いやいや、この生き様はまさにロックンロール。

初めての海外公演に出かけたオランダで、移動中、乱闘騒ぎに自ら参戦。リードボーカルのリアムは結局一曲も披露せずに強制送還されてしまい、しかしそれを聞いた契約レーベルの総帥・アラン・マッギーは「最高だ」って言った、とか(つまり、一番のつわものはマッギーだった訳ですが)。

ドラッグをやりながらステージで演奏して、伴奏と歌が別の曲だったとか(直接の原因はローディーがセットリストを間違ったせいらしいのですが、ラリッてなきゃ気が付くだろ普通)。

もし実家が魚屋だったら兄弟がマスで殴り合ってたと思うとか。

こんな妙なバンドに嫌気がさして辞めてしまったベーシストが、危機を救いに駆けつけてきてくれたのに、感謝の言葉一つ掛けるでもなく、オアシスに腰抜けは要らないと罵ってみるとか。

さんざん家庭内暴力を繰り返した父親がライブの後の打ち上げ会場に現れると、本気で殺そうとするとか。

全編いちいちこの調子、いったいこのエネルギーはどこから出てくるんでしょうか。

とにかく、折れない、曲がらない、凹まない。スーパーソニックっていうより超合金で出来てるようです。

兄弟間ばかりではなく、あらゆることに罵詈雑言、その発言は得体のしれない芸風を確立しています。口だけ番長かと思いきや、アルバムセールスも動員数も新記録を達成し、英国一のバンドにのし上がる有言実行ぶり、お見それいたしました!

映画は、こんなとんでもないバンドの中心人物である、ノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガ―兄弟の幼いころから、1996年・25万人を動員した空前のネブワース・ライブまでをとらえたドキュメンタリーです。

グラスゴーでの初登場ライブをはじめとする初期のライブやレコーディング中の映像から、ツアーの間のちょっとしたメンバーのやり取りの記録まで、よくもこんな映像残ってたものだと驚くようなものばかり。

常にいがみ合っているネコ派の兄ノエルとイヌ派の弟リアム。決して幸福とは言えない子ども時代を過ごした彼らですが、だからこそギターに没頭できたと考えるノエル、ケンカの相手に金づちで殴られて音楽に目覚めたというリアム。

共に、「悪魔的でふてくされて挑発的」と言われる彼らの音楽とは裏腹に、ポジティブという言葉が陳腐に感じるほと前向きなロック魂を感じます。発言もよく聞くと、毒舌ながら痛いとこ突いてる名言のオンパレード。

日本についての発言も入っていて、なぜかとっても日本に優しいのが却ってブキミなんですけど、「英語もできないのになんであんなに熱狂的なんだ?」という感想が鋭すぎて笑っちゃいます(褒めているらしい)。

この二人に「クレイジー」と認定していただけるとは、誠に光栄の至りであります。

正直、オアシスのファンでなければピンと来ない作りだし、残念ながら曲が途切れ途切れにしか入っていないのでミュージシャンのドキュメンタリーとしてはどうかと思うものの、登場人物のキャラクターが予想を上回る面白さでかなり挽回してると思いますし、一つの時代の象徴として観れば、90年代の熱気を体現できる貴重な作品と言えるでしょう。

ちなみに、ギャラガ―兄弟の発言があまりに面白いのですっかりハマってしまい、映画を観終わっても彼らの悪口名言集を探して読んでる毎日です。



角川シネマ有楽町で観ました。
音響も悪くないし、観やすい劇場です。

立川シネマシティで爆音上映中だそうで、そちらでも観てみたいのですが、楽曲がぶつ切りなので、却ってフラストレーションが溜まるかも…。

まあ、あの最高の音響でノエル・ギャラガ―の毒舌を聞くのも悪くないチョイスかも知れません。

ぴあ映画生活
posted by 銀の匙 at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

素晴らしき哉、人生!

皆様、メリー・クリスマス!

年明け、似たような邦題で新作映画が公開されるそうですが、こちらは1946年のアメリカ映画。フランク・キャプラ監督作品です。

舞台はクリスマス・イブの夜、アメリカの小さな町、べドフォード。激しく降りしきる雪の中で、多くの人たちがジョージ・ベイリーのために祈っています。星空の彼方(?)でそれを聞いていた天使は、二級天使クラレンスを派遣することに決定。もしジョージを救えれば翼がもらえると聞いて喜ぶクラレンスは、彼がもうすぐ自殺しようとしていると知らされます。そして、助けに行く前に、まずはそこまでのジョージの半生と事のいきさつを聞かされます。

主人公のジョージは弱きを助け強きをくじき、善良で陽気で人懐っこい、アメリカ人の理想のような青年。彼には冒険心も野心も理想もあり、小さな町を出て世界に羽ばたこうとしていました。

しかし、彼の父親が急逝し、義侠心から町の小さな住宅ローン貸付会社を引き継ぐことになります。

町は無慈悲な銀行家、ポッターが支配しており、貧しい人たちは彼の貸し出す粗末な家に住んでいました。ジョージの会社は低利で住宅の資金を融資し、彼らがマイホームを手に入れる手伝いをしていたのです。

決して裕福とは言えないけれど、人のためになる仕事をし、愛する人と温かい家庭を築いて事業も軌道に乗ってきた矢先、同じ会社で働いていた叔父がうっかり、銀行に預けるために持っていた会社の資金8000ドルを封筒に入れたまま、新聞といっしょにポッターに渡してしまうというミスをしてしまいます。

常日頃、ジョージの言動に面白からぬ思いをしていたポッターは、すぐにこの現金の意味を悟り、ここぞとばかり彼を追い詰めます。

クリスマスの夜、絶望したジョージは、周りに当たり散らし、家を飛び出して町はずれの橋の上で、暗い川面を見つめているのでした...。

実は観るまで何の予備知識もなくて、モノクロのタイトルロールが出たのに驚いてしまったのですが、最初の方のシーンが雪の降りしきる夜景や星空と、もともとモノクローム的な世界からスタートし、最初のうちは登場人物(と天使)も声だけなので、全く違和感なく、すんなりとお話に入っていけました。SF好きには、パラレルワールドものとしても楽しめます。

主人公のジョージが、ああっ、ちょっとそこでなぜハッキリ言わないの?!とか、たまには相手に譲ってもらってもいいじゃない、とかじれったいんだけど、聖人君子っていうよりは、若干要領が悪いというか、巻き込まれ型なのが良い子のスーパーヒーローと違ってホッとします。

良妻賢母を絵に描いたようなヒロインのメアリー、忘れん坊で大ピンチを招いてしまうけど憎めない叔父貴などの登場人物や、ローンを組んでも自分の「ホーム」を手に入れることが誇らしかったりする価値観とか、アメリカ映画らしいのも興味深いです。

第二次大戦が終わってすぐに撮られた映画だからか、人の善意とか、勇気とか、復興とかの要素もふんだんに詰め込まれていますが、施しを与え、人を赦し、隣人愛を確かめ、神の恩寵を感じるというクリスマスの意義を思い出させてくれます。

仇役の銀行家・ポッターも、一見、どこまでも憎々しいようではありますが、実は現金の封筒に気づいて咄嗟に、それを返すために叔父を呼び戻そうとするんですね。すぐに思いとどまりはするけれど、そういうところに救いを感じます。

それにポッターさんにも、この後きっと、ディケンズの「クリスマス・キャロル」みたいな奇跡が起こることでしょう…。

田端のシネマ・チュプキ・タバタで観ました。
クラウドファウンディングで創られた、常設のバリアフリー映画館とのことです。
入口からシアタールームまで階段を使わず直結で、車椅子でのアクセスが良いことはもちろん、目の見えない人も映画を楽しめるよう、音声ガイドもあるとのこと。今回のような映画を観るのにピッタリな劇場だと思いました。

上映が終わって、お客さんが映画館の人に良い映画を有難う、とお礼を言ったり、知らないお客さん同士で和やかに話したりしていたのは、プログラムがこの映画だったからということもあるでしょうが、この映画館だからということもあるのだと思います。

出来たばかりで設備も綺麗ですし、音もよく、画面も見やすいです。
17席しかないので、遠くから足を運ばれる方は、入場予約をした方が良いかも知れません↓
(席自体は自由席です)
http://chupki.jpn.org/about
posted by 銀の匙 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

あなた、その川を渡らないで(表示以降、ストーリーの結末に触れています)

この映画のストーリーを簡単に説明すると、こんな感じです。

昔々…じゃなくて21世紀、韓国の山奥に、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさん…とおばあさんは、山へ芝刈りに、
おばあさん…とおじいさんは、川へ洗濯に行きました
(そんでもって、おじいさんは、洗濯しているおばあさんにちょっかいを出していました)

つまり、二人はどこへでも一緒に出かけました。

そして二人はいつまでも 幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。

いやほんと、ドキュメンタリーだということを忘れてしまいそうなくらい、このまんま。

89歳になっても可愛らしいおばあさんと、
98歳になってもやんちゃなおじいさん。

二人はとても仲良しで、どこへでも手をつないで出かけます。
いつもお揃いのきれいな韓服を着ていて、とてもオシャレなカップルです。

そういえば、オリンピックの前だったと思うけど、80年代に初めて韓国に行ったとき、ソウルの街でも年配の人は民族衣装を着て、ステキな帽子を被ってましたっけ。夏だったので、白の麻の服がとても清々しく見えたものです。

2000年に入ってまた出かけたら、地方に行っても全然韓服を見かけなくなっててとても残念でした。機能的で動きやすいんじゃないかと思うのですが、実際着ると、見た目とは違うのかしら…?

と、話が逸れましたが、山間の川沿いの一軒家に暮らしている老夫婦の日常を、映画は優しく映し出します。

お手洗いが離れにあるんだ…とか、床に座ってご飯を食べるんだ...とか、縁側みたいな場所があるんだ...とか、日本の田舎によく似てると思うところもあるし、嬉しいと歌ったり踊ったり、哀しいと声を挙げて泣いたり、感情表現は開けっぴろげで日本とはだいぶ違います。

でも基本、皆さん明るいというか、楽観的だから長生きなさってるのかも知れないけど、老人会のバス旅行でディスコ風のアリランがかかると立ち上がって踊り出したり、何だか楽しそう。

とはいえ、若いころのように元気いっぱいという訳にもいきません。そうした衰えも、仕方がないことと受け入れて、一日一日を大切に生きるお二人の姿が、あたり一面の銀世界や春の花々、夏の驟雨や涼み台での食事など、四季折々の風物や自然と美しく調和しています。

以下、映画の後半に触れています。


* * *



ある日おばあさんは、お店で6着の子供服を買って、燃やし始めます。早くに亡くなった6人のお子さんのために、天国で着る服を用意していたのです。当時はまだ貧しくて、服を買ってあげられなかったのが心残りだったからと。でもなぜ今…?と思ったら、理由はすぐに分かりました。

咳が止まらなくなり、夜もよく眠れないおじいさん。おばあさんは、子どもたちに服を持って行って欲しいと言い、着る物に困らないようにと、おじいさんの普段着も少しずつ火にくべ始めます。そこまで覚悟しながら、それでもやはり、一日でもおじいさんと一緒にいたいと願うその姿にしみじみと心打たれるものを感じます。

観終わった後、身近な人をもっと大切にしようと、きっと思える映画です。

作品のサイトはこちら↓
http://anata-river.com/

ユジク阿佐ヶ谷で観ました。
規模は小さいですが、アットホームな雰囲気で、
椅子もしっかりしている観やすい劇場です。
posted by 銀の匙 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(ネタバレなし)

いや〜、面白かったですね〜。

ハリー・ポッターのシリーズがあまりピンと来なかったので、ましてや外伝となると、観るつもりは全然なかったのですが、「なんとかかんとかの旅」っていうタイトルに弱いのと、トランクの中に何かいる!っていう第1弾の予告が面白くて、ついつい映画館に足を運んでしまいました(釣られやすい)。

でも、釣られて正解でしたね...。

実は、前売りを買ったあとに第2弾の予告を観てしまい、そいつがイマイチだったので、げっ、騙された...と焦っておりました。何がイマイチだったかというと、そこがそれ、本映画の主役である「魔法生物」のビジュアルだったので、焦る気持ちもお分かりいただけますことでしょう。

しかし、映画の中で動いていると、ニフラーとかニフラーとかニフラーとかが、思ったより可愛かったんです。

そういえば、最近、ルイ・ヴィトンのショーウインドーにこんな連中がいるのですが、

s-ニフラーか?.jpg
ニフラーか?

s-ニフラーですよね?.jpg
ニフラーなのか??

まさかニフラーが化けてるんじゃないでしょうね...。

今回は魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公ということで、おっちょこちょいではありますが賢いこの人が大変気に入ったうえ、学校を舞台にした前作と比べるとぐっと大人っぽく、またしょっぱなからいい具合にゴシック風味が入っているのもツボにはまりました。

お話の舞台になっている1920年代のNYを縦横無尽に駆け巡る設定もいいし、主人公のニュートを初め、脇のキャラクターもそれぞれ魅力的。ストーリーは基本、逃げた動物を捕まえる話なのですが、そこにさまざまな人のさまざまな思惑が絡んできたり、ハリー・ポッターシリーズとつながっていたりして、それほど凝ってるわけではないけれど、そこそこ厚みのある物語になっています。

私はハリー・ポッターのファンじゃないんですけど(すいませんね)、ファンタスティック・ビーストはファンになれそうです。

映画を観る前に読んでしまうと、ちょいとネタバレになってしまうかも知れませんが、お話のカギとなる、アメリカ合衆国魔法議会(マクーザ)について、原作者のJ.K.ローリングさんが書いているこちらの文章(https://www.pottermore.com/writing-by-jk-rowling/macusa-jp)も、お話の背景を知るうえで興味深いです。

そうそう、アメリカが舞台といえば、アメリカの俳優とイギリスの俳優でことばをちゃんと使い分けてる上、魔法世界の用語もイギリスと違いを出すなど、イギリスファンタジーの伝統か、さすがことばの設定はきちんとしてますね。

今回のお話はそれなりに完結していますが、シリーズものだということなので、これは先が楽しみになってまいりました。

ニュート・スキャマンダーさん(尊敬すべき人なので、どうしてもさん付けで呼びたくなってしまう)のミドルネームはアルテミスっていうらしいですね(女…?)。映画の中で、お兄さんの名前はテセウスで、どうもスゴイ人っぽいようなことが匂わされていましたが、お名前のナゾも含めて、先々解明されることを期待しております!

TOHOシネマズ日本橋でみました。
ここのスクリーン7はTCXドルビーが売りの上、場所柄か、あまり混み合わないので
おススメの映画館です。後ろから2列目のLか3列目のK、14か15の席が観やすいです。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅|映画情報のぴあ映画生活
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2016年12月03日

私の少女時代 Our Times(我的少女時代)〜表記以降、ネタバレあり

台湾で2015年にナンバー・ワンヒットを記録した作品、しかも《蘭陵王》のプロデューサー・陳玉珊(フランキー・チェン)女史の初監督作品ということで、先入観バリバリで鑑賞してまいりました。

内容は、言わずと知れたド直球青春恋愛ドラマで、少女マンガがそのまま三次元になったよう。

林真心(リン・ヂェンシン)は、一流の大学を出てやりたい仕事についてステキな男性と結婚する、という夢とは裏腹に、さえない男友達を持ち、さえない職業生活を送っています。彼女はふと、不美人な平凡女子だった自分の少女時代を思い出します。

高校生の頃のこと、彼女は不幸の手紙を受けとり、それを憧れの人気者男子・欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)に因縁をつけた不良の徐太宇(シュイ・タイユィ)に転送したところ、差出人がバレてしまい、パシリとしてこき使われる羽目になる。

しかし真心は、徐が美少女・陶敏敏(タオ・ミンミン)に告白して速攻ふられたのを目の当たりにして、彼のため、ひいては陶と欧陽を引き離すため、徐と失恋同盟を組むと言い出す。そのうち、ただのワルだと思っていた徐の意外な面を知るにつけ、だんだんと彼に惹かれていくのだが…という、要するに王道の恋愛ストーリー。

さすがに、転校してきたヒロインがパンをかじりながら登校すると、出会いがしらに男子生徒とぶつかって…というお約束の展開はなかったものの、それ以外はだいたい予想つくんじゃないかと思います(笑)

でも、眼鏡ドジっ娘のヒロイン、林真心を演じたビビアン・ソンがとても上手くて、こういう真っすぐで一生懸命な青春もあるよね、きっと…とつい引き込まれるあたり、さすがにヒットメーカーの技。

少女マンガ的な作品にありがちな傾向として、女子の心理は凄くきちんとつかんでいると思うのですが、その正確さに比べると、男子の方の描写は、あり得なくね?って感じなんだけど、ま、いっか。男子の皆さん、いかがだったでしょうか…?

台湾最難関の大学を目指す進学校ってこんなものなの…?とか、受験2か月前でこの余裕は何?とか(あ、優秀だから、これでいいのか)、細かいツッコミはさておき、この手の話で上映時間2時間越えは、自分的には結構辛いものもありました。

でも、お話のほとんどが台湾の90年代の回想シーンで、小道具も凝っていたし、学校生活やお店の作り、携帯やパソコンのない日常、「不幸の手紙」やアイドル全盛期などの時代的な感覚が、同時代かそのちょっと前の日本と似ているところがあり、そういったディテールは、恋愛モノが苦手な自分にも大変興味深かったです。

挿入歌も、当時流行した、グラスホッパーの《失恋陣線連盟》とか、鳳飛飛の《追夢人》、アンディ・ラウの《忘情水》なんかが上手く使われていましたね。

たま〜に、セリフが21世紀風のことがあるのが、笑っちゃうけど…(“超”とか)。

それにあなた、欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)! すっごいキラキラネームな気がするけど、よくある名前なの? それとも、欧陽菲菲 (オウヤン・フェイフェイ)の親戚筋? 

とまあ、ツッコミも含めていろいろ楽しめるし、後味が爽やかな映画なので、機会があればどうぞご覧になってみてください。

とりあえず私は、アンディ・ラウ(劉徳華)の偉大さを改めて思い知らされました。まだ現役アイドルだなんて、華仔、いったい今年、歳、いくつ…。?

お話の細かいところはネタバレになるので、OKな方は以下をどうぞ。

新宿武蔵野館で観ました。
ずいぶん綺麗に、シネコン風(?)になってたけど、改装したのでしょうか。
せっかくだから化粧室の個室も増やしたらよかったのに…。でも、係の人は親切だし、小さい方のスクリーンも見やすいので、その他は文句なしです。

以下、ストーリーの内容に触れています。








いくつか、元の中国語が分かると面白い箇所があったので書いておくと、不良の徐太宇に説教を噛ましていたときに引き合いに出していたのが“周処”の話。

周処は三国時代の人で、地元の連中にトラやミズチと並んで「三害」認定されたワルだったのを悔い改め、最後は将軍の位を贈られ、三国一のイケメン・潘岳(はんがく)に追悼詩まで詠んでもらうほど出世しました。

中国では今でも、不良に説教するときは、映画同様、周処の話を持ち出すそうで、ワルからは一番嫌われている歴史上の人物だそうです(笑)

しかも“処”の字には発音が二つあり、ワルは必ず読み方を間違えて説教されるっていう、これまた定番のムカつくおまけつき。

それから、徐太宇が初めて林真心と出かけるシーン、メイクに気合いが入りすぎた真心を見て、「村祭りか?」というセリフがありますが、中国語では“廟会”(ミャオホイ)と言っていて、要は日本でいう、神社やお寺の縁日のことです。

でも、「縁日かよ?」って訳しても面白くないですよね…「村祭り」は上手いなっ、って思いました。

最後の、コンサートのタイトルのダブルミーニングもちょっと分かりづらかったかも知れませんね。

アンディ・ラウのコンサートのタイトルは徐太宇が考えたことになっていて、《真心愛妳》(心からあなたを愛しています)と、“真心,愛妳”([林]真心、[私は]あなたを愛してる)の意味が込められてるんですね。

90年代の風俗習慣を知るという意味では面白く観たものの、正直、映画というよりはテレビドラマっぽい作りだなあとは思いましたが、それだけに一層、フランキー・チェンの手腕には脱帽せざるを得ません。

この映画は、そもそもかなり話も単純明快だと思うのに、さらに回顧シーンの終わりには、欧陽が真心に、彼女が知らなかった徐の行動の真相を解説して聞かせます。

いちいち全部フラッシュバックで再現するのですでにくどい上に、そのときの徐の気持ちも併せて説明するので、興が削がれることおびただしいものがあります。

そもそも、徐の気持ちは回顧シーンでベタに暗示しているわけだし、最後に大人になった二人が会うシーン以降の展開が、高校生のときの徐がどう思っていたかを示しているので、それより前では敢えて説明せず、観客が補って観るように演出するのが普通の映画の定石だと思うのですが、全部セリフにして言わせてしまう。

なんか、コメンタリーつきのDVDを観てるみたい。

しかし、日ごろ映画を観なれない観客に対して、登場人物の気持ちは自分で考えろと投げ出すこれまでの映画のやり方の方が不親切で、新規市場開拓には不適切だったのかも知れません。

さらに映画が終わると、短くない時間のおまけメイキングビデオが付いていて、聖地巡礼に来いと言わんばかり(ちょっと行ってみたくなったけど・笑)、どれが名セリフだったのか、どこが名場面だったのかも、日本語吹き替えによる再現Vでガッチリ解説していただけます。

何なんだこれは…とその場では脱力しましたが、余韻と引き換えに、絶対に観客に分からなかったと言わせない、誤解させない、有無を言わせないサービス精神というかおもてなしの心というか、それを徹底したあたりが、大ヒットの秘密なのかも知れません。

となると、この映画の功労者はやはり、監督なのでしょう。アンディ・ラウという線も、残しときたかったところではあるのですが…。


ぴあ映画生活


posted by 銀の匙 at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする