2016年03月01日

2014年以前の記事バックナンバー

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【関連する記事】
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2016年02月11日

エンキ・ビラル/IN BOX

s-エンキビラル.jpg
フライヤーより

実はこれまでシャネルのお店に入ったことがなかった私。

扉の脇に狛犬係の人が立ってて、入りにくいったらありゃしない。買わない人に入って欲しくないなら、ギャラリーなんか作らなきゃいいのに…って、それが嫌なら行かなきゃいいんですが、それでもエンキ・ビラルが見たいんだからしょうがない。

でも結局のところ、不景気を反映してか、こういう小規模な展示をしてくれる場所がないだけに、服飾ブランドが社会的貢献としてこういう催しを主催してくれるのは本当にありがたいことです。

都内だけでも、ここ数ヶ月でエルメスがフランスの若手芸術家の作品を紹介していたし、フランク・ゲーリー展なんて、有料展よりルイ・ヴィトンでの展示の方が数段良かったし。文化国家フランスをアピールし、ブランドイメージを高めるだけでなく、将来にわたっても大きな波及効果があると思います。

と、エラそーに書いてみたけど、どこをどう間違ってもブランド店には縁がないようにしか見えないはずですので気後れしつつ、ここは、無い勇気を振り絞り、幸いフライヤーを持っていたのでなんとなくそれを魔よけの札みたいにかざして、お店に入ってみました。

展示会場は思ったより広く、数分置きに電気が消える演出になっていました。壁にはずらりとビラルの絵。ひと目で彼の作品だと分かる、特徴的な青を使っています。

これが絵画か、といわれると答えに窮しますが、かといってイラストかと言われるとそうでもない作品。

本人へのインタビュー映像の前には、彼のバンド・デシネ(フレンチ・コミック)作品も置いてありました。彼のバンド・デシネ作品はまあまあ好き…程度ですが、映画『バンカー・パレス・ホテル』は面白かったし(メモ程度ですが、感想は→こちら)、カラー作品の色遣いには独特の個性があります。

ビラルは旧ユーゴスラビアの出身とはいえ、10歳のころからフランスで暮らしているそうなので、フランスの作家、と言ってもかまわないと思うのですが、それでもやはり彼の作品にはルーツの文化が色濃く反映されているように思えます。振り払っても払いきれないその翳りは、何の予備知識もなく見ていた頃さえ、眺めるこちらに乗り移ってくるかのようでした。

肉筆画が見られるこの機会に、ぜひ一度ご覧になってみてください。
会期後、新宿でも巡回展があります。

シャネル銀座
2016年2月14日まで
公式ホームページは→こちら

なお、この展覧会の巡回+αの姉妹展「エンキ・ビラル/OUTBOX」が
新オープンの新宿駅のルミネ ゼロにて開催予定。
入場無料です。

2016年3月25日 - 4月6日
11:00〜20:00
公式HPは→こちら


posted by 銀の匙 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

第19回 文化庁メディア芸術祭

ほとんど毎年のように観にいく文化庁メディア芸術祭。
今年もアート、エンタメ、アニメ、マンガの4部門の受賞作品展がつつがなく開催されました。

これまでに比べると、大掛かりな作品やインタラクションのある作品が減ったような印象を受けますが、アマチュアっぽい雰囲気を残した作品が選ばれていて、それはそれで面白かったです。

平和を訴える作品が目立ったのも特徴的でした。

個人的に興味を惹かれた作品は、後で説明を見るとどうも新人賞受賞作が多かったみたい。今後も期待できそうですね。

算道/山本一彰
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これ、アート…? まあ、確かに見た目にも面白いですけど。

将棋のような感じでアナログ的に操作すると遅く見えますが、2次元の計算を3次元に展開しているので、機械で処理できるようになったらかなりスゴイんじゃないかと思う。

Non-Working City/HobTingfung
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マンガ部門で一番目を惹いたのはこの作品。台北のどこかにある、働かなくていいエリアというところに迷いこんだ二人のお話だそうです。

たましい いっぱい/おくやま ゆか
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マンガ部門ではこれも面白かった。

The Sound of empty space/Adam BASANTA
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今回、インスタレーションで面白いと思ったのはこれ。

2.5次元マスク/くわがた 他
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紙工作なんですが、結構みんな注目していました。自分の顔で試せる、という参加型(?)の作品だったからじゃないでしょうか。今年はそういうインタラクションのある出品が少なかったので。

Deux Amis (Two Friends)/Natalia CHERNYSHEVA
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ロシアの新人作家さんだそうです。シンプルだけどとても洒落た作品でした。お話も「童話らしい」ちょっと残酷なところがあるのが本格的。

2016.2.3〜2.14 六本木 国立新美術館(六本木)
公式HPは→こちら 
posted by 銀の匙 at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

放浪の画家・ピロスマニ(ストーリーに触れています)

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(画集の表紙)

ジョージア(元グルジア)の画家、ニコ・ピロスマニについての映画。

この画家のことは、セルゲイ・パラジャーノフ監督の『ピロスマニのアラベスク』という作品で知りました。人々の生活や牛、ロバなどの家畜、宗教儀式、伝統など幅広い題材を描きながらも、どこかイコンを思わせる静謐な画風の画家です。

映画は、極端なまでに様式化され、切り詰めた表現で、彼の半生を語ります。風景も、人々の様子も、構図も、全てが彼の画の中から抜け出してきたようです。

セリフも少なく、キャンバスの中に物語を見るように、何が起きているかはある程度、観る人が補わなければなりません。その余白の多さがまた、束縛を嫌ったピロスマニの生き方に合致しているようにも思えます。

両親を早くに亡くして、親戚の家に世話になっていたピロスマニ。冒頭のシーンは、彼の朗読から始まります。イエスが弟子に命じてロバと子ロバを引いてこさせ、その背に上着を敷いてまたがり、エルサレムの門をくぐると、人々は口々に、あの方はどなただろう、と噂し合う、という聖書の一節です。

続くシーンでは、美しい調度に囲まれた部屋のソファの上で、高価そうな衣装に身を包んだ若い女性が泣いています。どうやらピロスマニは、引き取ってもらって姉弟のように可愛がってもらったその娘に恋してしまい、家を出る羽目になったようです。

それから町に出て、鉄道関係の仕事をして小金を貯め、友人と一緒にミルクやバター、ハチミツなどを商う店を始めます。

その店は粗末な木造の小屋ですが、入り口にはピロスマニの描いた牛の絵を掲げ、それがロケーションや素朴な店の造りにとてもよく合っていて、美しさに溜息が出ます。

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買い物に来る人たちも、身なりは素朴ですが、風景や店にマッチした独特の美しさがあります。

ピロスマニはその後、姉夫婦のせいで損をして(というほどでもないですが)、商売をやめ、町の居酒屋の壁に画を描いては酒や食事をふるまってもらうという生活をしています。

作品をたまたま見かけた画家が気に入り、彼の絵を買い画壇に推すものの、素人絵画だとけなす批評が新聞に出て、町の人からも冷たくあしらわれるようになってしまう。

彼はそれでも、自分は描きたい絵を描くと宣言しますが、失意は誰に目にも明らかでした。

復活祭の日、貧窮し、衰弱する彼の元へ御者が現れます。狭苦しいさしかけ部屋のような場所に転がっているピロスマニを見て、何をしているんだ、とたずねると、彼は「死ぬところだ」と答えます。御者は、「何を言っているんだ、今日は復活祭だよ」というと、彼を援け起こし、馬車に乗せます。

石畳の道を、彼一人を乗せた、幌のない馬車が進んでいきます。冒頭の朗読を思い起こさせるこのシーンで、映画は終わります。

強いていえば…出てくる人出てくる人、みんなヒゲおじさんで見分けがつかなかったんですけど初心者には(爆)、派手なストーリー展開も豪華なセットも全くないのに、全編、この素朴で調和の取れた画面が素晴らしく、微動だにせず見入ってしまう映画です。

ギオルギ・シェンゲラヤ監督
グルジア語版による再上映。

UPLINK渋谷で見ました。
割合大きめの部屋での上映で、予約もできて
ありがたかったです。
この映画館は、美容師さん割引や
バースデー割引(月に関係なく、誕生日に割引)など、
各種割引制度があり、定価で観る人いるのだろうかと疑問に思うほどです。
実験的な映画も臆せず上映する志の高い映画館。
学割以外はそんなに安くしなくてもいいから、
映画ファンのために、いついつまでも頑張って欲しいです。

そのほかの映画に関するエントリーは→こちらから、
フェイバリット映画100のリストは→こちら です。


posted by 銀の匙 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

カメラよカメラ、中国でいちばん美しいのは誰?(resized)

*写真サイズを訂正しました。

中国のお正月(春節)は旧暦で今年は2月8日とのこと。

この時期、映画館ではお正月映画が封切られます。昔はやっつけで作ったようなコメディが多い印象だったんだけど、最近は大作が上映されるようですね。

2016年お正月映画の話題作といえば《西遊記 三打白骨精》。ウィリアム・フォンが三蔵法師、というのは良いとして、コン・リーが「白骨精」の役って何なんだろう…しかも、往年の香港四大天王の一人、アーロン・クォックが「孫悟空」だというじゃありませんか。

昔なら、当然アーロンが三蔵法師だったでしょうに。いつまでも青年っぽかった彼も、ついに青年の座を次の世代に明け渡すことになろうとは。時の経つのは早いものよのぉ。でも、次の世代と言ったって、ウィリアム・フォンももう30代後半。

中国で三蔵法師といえば美男子の代名詞なので(→テレビドラマ「蘭陵王」第7話の3参照)、キャスティングの発表があったときは中国で結構話題になってましたが、封切り近くなったら却ってあまり話題も聞かないし、予告はまたまた例によって品の悪いCGシーンばっかりだし、皆の期待するイメージと違ったのかな、と久しぶりにウィリアム・フォンさんの微博(中国のツィッターみたいなもの)でもチェックするかと思って開けたらビックリ。

あなた様は、いったいどなた?
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(ご本人さまの微博 http://www.weibo.com/fengshaofeng)
から。本当は写真じゃなくてリンクだけ貼ろうと思ってたんですが、数日経つと流れていってしまうので、やむを得ず...。以下同です)

これ、最近の写真ですよね? 年齢不詳なんですけど、とりあえず37歳には見えませんね。
紗がかかってこうなってるのかと思ったら、普通に撮ったらしいのも大して変わりません。

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さすがは役者さん…。「西遊記」のプロモーションのときの写真のようですが、この髪型やメイクは何か別の新しい作品用なのでしょうか。こういう雰囲気も出せるんですね。

ともあれ、なんだかんだ言って中華第一美男の称号はダテじゃない。

美男子の神様といえば二郎神君、美男子の武将といえば蘭陵王、美男子のお坊さんといえば三蔵法師と、中華世界の代表的な美男子三人をコンプリートした実績は侮れませんなー。

でも、一番上、自撮りでこういう写真って…。

おっほん、綺麗な人のやることは凡人には分かりませんからこれ以上は追及しませんけど、
肝心の三蔵法師はこんな感じに仕上がっているようです。
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ポスターは加工されてますが、
「ナシとリンゴどっち」
「てんびん座だから選ばない」
とセリフが足してあります。

なるほど、白骨精っていうのは美女なのね。まさかコン・リーがガイコツ役のはずないもんね…。

しかし、季節柄、気になったのは《西遊記》の方じゃなくて、新作ドラマの《幻城》の方でした。これは全50回もあるファンタジー作品だそうで、主演のウィリアム・フォンは氷の国の王子、卡索の役。寒そうなコスチュームなのに、放映は夏になるらしい。

夏にはSF映画『三体』も公開だそうで、相変わらず忙しそうですね。この作品、原作の方は権威あるヒューゴー賞の長編小説賞を受賞しました(何を隠そう、私にも投票権があった…)。

ヒューゴー賞長編小説部門の過去の受賞者はベスター、ライリー、ハインライン、ディック、ル=グウィン、ニーブン、クラーク、ウィリスと錚々たるメンバー。ここに入るとは相当なもんです。

『幻城』の方は、『ロード・オブ・ザ・リング』でアートディレクターを務めたダン・ヘナーがスタッフに入っているそうで、だからでしょうか、この造型が非常に何かに似ている気がするのですが…。

動いているのはこんなふう( いちおう公式らしい動画 http://www.iqiyi.com/w_19rtnjfif1.html?source=www.weibo.com )

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(携帯で見てみたら、写真がすごくちっちゃくなってますね、すみません…。でもこれ以上大きくするとPCで見たときかな〜り怖い…。携帯のときはクリックしたら少しだけ大きくなるようにしておきます)

これはいくらなんでも加工しすぎなんじゃ?と思ったら、メイキングの写真も出てました。こっちの方は割と自然。

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(こちらはテレビドラマ《幻城》の微博 http://www.weibo.com/u/5508883902?refer_flag=1001600001_&is_hot=1)

他のキャストも、弟役の馬天宇とかヒロインの宋茜(ビクトリア)とか、男女とも綺麗な人ばかり。
ゲームみたいなファンタジー作品になったら嫌だけど、でも、動いたらどうなるか、見てみたいものです。

ともあれ、ファンの皆様には旧聞に属することかと思います。
お正月向けとは言え、内容の薄いエントリーで失礼しました…。
「蘭陵王」第16話の記事は、やる気をチャージ中のため、もう少々お待ちください…。
最初からお読みになりたい方は、「蘭陵王」のカテゴリー→こちら からどうぞ。
posted by 銀の匙 at 02:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

マッド・マックス 怒りのデス・ロード(表示以降 ネタバレ)

2015年のナンバーワンは、やはりこの作品で決まりですかね。
終わったかなと思ったら再上映を繰り返して、2016年2月5日まではTOHOシネマズ新宿、六本木ほかで上映しています。

*2016年2月末、4D上映も復活! 通常館のリバイバル上映もある模様。未見の方、ロスに苦しんでいる方、お近くでやっていないかチェックしましょう!

見逃していた方もぜひ観ましょう! 絶対後悔させません!
入場料を2倍払ってもお釣りが来ます!

原題の Mad Max:Fury Road を「怒りのデス・ロード」に変換した辺りからもうタダもんじゃねえ感ありあり。

アホもここまでやればご立派、てな作品なのかと思っていたら、そんな甘いもんじゃなかった。とにかくもう、すべてのシーンがすがすがしいほどバカ丸出しで、でも、物語の中では全員がどシリアスという、『300』路線のさらに斜め上を行ってる映画です。

この手の映画を見慣れないせいか、設定からデザインから着てるもんから動作まで、すごく細かいところも全ての要素が激しくオリジナルな世界観でとっても新鮮だったんですけど、カスタムカーとかが趣味の皆様には普通の光景なのかしら??

でもいくら魔改造といっても、後部座席にギター男を乗せてるってのは聞いたことないけど…。

こんな映画でもストーリーというのは一応あり、「北斗の拳」みたいな荒廃した世界(ってきっとマッドマックスがオリジナルで「北斗の拳」の方が後追いなんだろうけど)の、ある谷間の砦で、水と食料を独占して君臨する「イモータン・ジョー」の元から、イイ女6人が逃げ出そうとする、というのが基本線。

主人公のマックスは至ってマトモな人で、何で「狂気の」マックスっていうのか、前作を全然知らない私にはさっぱり分かりませんでしたが、彼を捕まえて砦につないでいた「ジョー」の手下ども(ウォー・ボーイズ)っていうのが本気でイカれており、さらには、彼らに加勢する連中だの、敵対する連中だの、とにかく全員イカレています。

他の形容詞を忘れてしまいそうなほど乱暴でイカレた連中しか出て来ませんが、描写は基本「アクション」の枠に収まっており、残忍だとか生理的にダメだとかって感じがしないのが救いです。(メタボがキライとかヘビメタが我慢ならない、とかいうメタ関係にアレルギーのある場合を除く)

出てくる男は全てダメダメで、女はイケてるのが一体誰の機嫌を取りたいんだか非常にナゾですが、だからたぶん女性が見ても腹は立たないでしょう。

刀折れ矢尽きても、何とか女たちを守ろうとするシャーリーズ・フュリオサ・セロンお姉様の傍らで、前半は特にウォー・ボーイズの輸血袋代わりに使われて、自分ひとりスタコラ逃げようとするマックスの不甲斐なさがやたらと強調されているのですが、後半も引き続き、過度にイイ人にならずに推移するところに非常に好感が持てます。

音楽もご機嫌で、こんなとんでもない映画なのに、2時間楽しく過ごせるでしょう。
劇場鑑賞が間に合う方は、お早めに。

それにしても、血液型がこんなに重要だったなんて…。

以下、ネタバレです。



====================
最初のワンシーンから開いた口がふさがらない、こんなトンデモない話のくせに、最後がハッピーエンドだというのが一番口あんぐりでしたよ。

逃げる側、追う側とも多大な犠牲を出して、全員ズタボロで、一筋の希望を胸に女たちが目指した緑の地は、今や見る影もなくなっている…呆然と立ち尽くすフュリオサお姉様の後ろ姿。それでも気を取り直し、未知の世界へ向かおうとする女気溢れるお姉様。

さすがフロンティア精神のある人たちは違うね(ってこれはオーストラリア映画だったっけ?)、お姉様、私もついていきます!と感動してたら、そこであまりこれまで役に立ってたとも思えないマックスが、砦に戻ろうと言い出す。

「狂気の」マックスってこれか〜! とハタと膝を叩いてしまいました私。だって、逃げるだけでもこんな酷い目に遭ったのに、帰ろうなんて正気の沙汰じゃない。

しかし、フュリオサお姉様はしばし黙考のあと、ファイト!一発!とばかりにマックスと握手する。…お姉様がいらっしゃるなら、私もついて行きます!

そこから後の展開が滅茶苦茶で、もう何がなんだか分かりませんでした。分かる必要全くないですが、いい意味で。

でも、終わり良ければ全ていいのだ!

久々に、この面白さは文字には出来ないな〜と思った快作でした。


ギンレイホール(飯田橋)で観ました。
昔ながらの入れ替えなし制、複数本立て。
作品セレクションの評価が高く、
たまたま見た併映作品が面白かったという声がよく聞かれます。
posted by 銀の匙 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

蘭陵王(テレビドラマ27/走馬看花編 第15話)

皆さまこんばんは、寒いですね!
今年一番の雪になったところも多かったようですね。

中国では、なんと常春の南方都市・広州で50年ぶりに雪が降り、市民がフィーバーして大変な騒ぎになりました。

市内はうっすら車に積もる程度だったようで、もっと降ったはずの高いところへ観に行こうとする人で渋滞になるだろう、と予想したのか、高速道路の電光掲示板には「白雲山にも雪は積もっていません。観に行かないでください」という標示が出たんだとか。

雪は確かに厄介だけど、少ない地域にとっては嬉しいイベント。
それは日本も中国も、平安時代も蘭陵王の時代も同じだったようです。

そうそう、雪が積もったら…どうすればいいんでしたっけね。

答えの前に、第15話を見てみましょう!

ちなみに前回の第14話はこちらから。

(〈蘭陵王〉関連の記事を最初からご覧になりたいかたは、右欄から蘭陵王のカテゴリーを選ぶか、または→こちらを最初から戻ってご覧ください。)

前回までのあらすじ

邙山〈ぼうざん〉の戦いでの奇跡のような大勝利と、民と果物一個さえ分け合うという太っ腹 気前のよさで人望厚い蘭陵王<らんりょうおう/Lanling Wang>=高長恭<こう ちょうきょう/Gao Changgong>=四爺<スーイエ/Si Ye>が、皇太子に取って変わるのでは、と恐れた皇后とその腹心の陰陽師・祖珽〈そ てい/Zu Ting〉は、蘭陵王を陥れようと画策します。

しかし、弟の安徳王〈あんとくおう/Ande Wang〉=高延宗〈こう えんそう/Gao Yanzong〉=五爺〈ウーイエ/Wu Ye〉が、傷心のまま故郷に帰ろうとしてる割には城門で足止めを食っていた楊雪舞〈よう せつぶ/Yang Xuewu〉の説得に成功。彼女は祖母の知恵を借りて、蘭陵王を救い出します。

晴れて無罪の決まった場に、福姥〈フーラオ/Fu Lao〉=皇太后が現れ、蘭陵王の正妃は楊雪舞にせよとの詔を下します。


さて、こちらは蘭陵王府(蘭陵王のお屋敷)。オープンエアの気持ちよさそうな中庭で、座ってくつろぐ皇太后に楊雪舞が挨拶をしています。

傍らの四爺が、なぜ乳母のコスプレなんかしていらしたのです。そんなオタクなご趣味をお持ちなんて、心配いたしましたという趣旨(心の声を復元してみました)を皇太后に申し上げると、向かいの五爺は、いや、兄上だってすべての出没ポイントに女の衣装を用意してるじゃないか、コスプレ好きは隔世遺伝だろ…じゃなくて、

“她是怕 雖然你有戰神的封號
但對女人 還只是紙上談兵
所以 她親自幫你督軍”

(兄上は軍神と言ったって
おなごの扱いは実戦の経験がない。
おばあ様は心配されて 自ら采配をふるいにいらしたのさ)

 
兄が将軍なのに引っ掛けて、五爺は「でも恋愛にかけては“紙上談兵”(紙上で兵を談す=机上の空論)なんだよね」とからかってるんですね。

この“紙上談兵”《史記》卷八十一 廉頗<れんぱ>・藺相如<りんしょうじょ>列伝から来ています。

中国の戦国時代、趙<ちょう>国は秦<しん>国と戦っていました。趙を守っていたのは、名将・廉颇<れん ぱ>将軍(覚えていらっしゃいますか?第7話の3こちらに登場した、“負荊”“刎頸〈ふんけい〉の交わり”という言葉の元になった人)でした。

攻めあぐねた秦はスパイを使って、「秦が恐れているのは趙括<ちょう かつ>が将軍になることだ」というガセネタを流します。

それを聞いた大臣の藺相如〈りん しょうじょ〉(廉颇将軍と「刎頸の交わり」をむすんだ人。“完璧”“怒髪天”という言葉の元になった)は病をおして趙王の下へ出向き、

「趙括<ちょう かつ>は、兵法オタクのマニュアル君。ボンドでくっつけた琴柱と一緒で融通が利かないから、実戦じゃ役に立ちません。♪ウワサを信じちゃいけないよ♪」と諌めたのに、趙王は、なんと廉颇将軍を更迭して趙括を総大将に任命してしまいました。

《史記》から続きを見てみましょう。

趙括自少時學兵法,言兵事,以天下莫能當。嘗與其父奢言兵事,奢不能難,然不謂善。
(趙括は幼いころから兵法を学び、用兵について語り、天下一詳しいと自認していた。(名将であった)父親の趙奢さえ言い負かされたが、趙奢は彼を認めなかった)

括母問奢其故,奢曰:「兵,死地也,而括易言之。使趙不將括即已,若必將之,破趙軍者必括也。」

(母親がその理由を尋ねると、趙奢は「いくさとは命がけなのに、軽率に過ぎる。将軍に取り立てられることがなければ良いが、そうなれば、軍を破滅に導くであろう」と言った。)

趙括既代廉頗,悉更約束,易置軍吏。
(趙括が廉頗に替わって将軍になると、決め事は全て反故にし、軍官も全てすげ替えた。)

秦將白起聞之,縱奇兵,詳敗走,而絕其糧道,分斷其軍為二,士卒離心。
(秦の白起〈はく き〉将軍はこれを聞き、奇計を用いて、撤退と見せかけて趙軍の糧道を断って兵力を分断したため、士卒の心は離れていった)

四十餘日,軍餓,趙括出銳卒自博戰,秦軍射殺趙括。
(四十余日が過ぎ、趙軍は飢えに見舞われた。趙括は精鋭を率いて撃って出たが、秦軍に射殺された)

括軍敗,數十萬之眾遂降秦,秦悉阬之。趙前後所亡凡四十五萬。
(趙括の軍は破れ、数十万の兵が秦に下ったが、全員穴埋めにされた。趙は前後で45万もの兵を失ったのである)

まさに、「生兵法はケガの基」を地で行くお話ですが、でも「紙上談兵」ってことは、四爺は少なくとも「談する」ことはあった、つまり、恋愛についての話はしたことある、って意味ですよね。

五爺を相手に恋バナ?

四爺はあまりそういう事しそうに見えないけど、人は見かけによらない(見かけ通りだったらどうなのかっていうと以下略)。四爺が持ってた玉佩の意味を五爺が知ってるってことは、少しはそういう話もしたことあるんでしょうかね。

で、図星(秘孔)を突かれた四爺ですが、軍神の意地を見せてか何とか反撃します。

“啊 原來是你偷偷把姥姥接進府來
讓姥姥跟雪舞見面”

(なるほど、つまりお前がこっそり手引きして
おばあ様を雪舞に引き会わせたんだな)


ちなみに「図星」とは和弓から来た言葉で、的の真ん中の黒い部分を指すそうです。そういえば以前、丹州城で文字通り図星を突いていた四爺。皇太子にも教えるほどの弓の名手だそうですけど、弓関係では痛い目を見る運命のようです。

“俗話說 大恩不言謝
四哥 你不用太感謝我
咱們兄弟倆自己知道就好了”

(世間では 大恩に礼は無用というぞ。
四兄、感謝してくれずともよい。
兄弟の間柄で水くさい)


“大恩不言謝”という言い回しは《兒女英雄伝》が出典とされています。

《兒女英雄伝》というのは、清代に書かれた小説です。

清代のキル・ビルにして戦うクンフー美少女・十三妹<シーサンメイ>と、へなちょこ主人公・安驥<アン ジー>坊ちゃんの、アクションあり(念のためですが安ぼっちゃんのアクションシーンはございません)、ロマンスありの物語。

設定が面白いせいか、映画やドラマ、マンガ(松本零士大先生作)にもなっています。

その第9回、安お坊ちゃまは、無実の罪に問われた父を救いに都へ向かいますが、山賊に襲われたところを十三妹に助けられます。

“只有安公子承这位十三妹姑娘保了资财,救了性命,安了父母,已是喜出望外。…想起自己一时的不达时务,还把他当作个歹人看待,又加上了一层懊悔,一层羞愧。只管满脸是笑,不觉得那两行眼泪就如涌泉一般,流得满面啼痕。

只听他抽抽噎噎的向那姑娘道:“姑娘,我安骥真无话可说了。自古道‘大恩不谢’。此时我倒不能说那些客套虚文,只是我安骥有数的七尺之躯,你叫我今世如何答报!”说着便呜呜的哭将起来。”


(ひとり、安公子だけが、この十三妹によって金子と命を守られ、父母を安んじることができたのだ。それだけでも望外の幸せであった。

…それなのに彼女を悪人だと思い違いをしてしまったことが悔やまれ、また恥ずかしくもあった。何とか笑みは浮かべたものの、不覚にも両の目からは泉のように涙がほとばしった。

彼はしゃくりあげながら「娘さん、わたし安驥はお礼の言葉もありません。昔から「大恩は謝せず」と申します。今のようなときに、口先ばかりの礼など無意味です。持ち物とて、この七尺ばかりのわが身しかございません。どうしたらご恩に報いることができましょう」。言いながらも公子は慟哭した)


…ってことで、出典とはなってますが、「‘昔から’大恩に礼は言わずという」いうことは、この本が書かれる前に、すでに広く使われてた言葉だということですね。

大恩にお礼を言わなくていいんだったら小恩はどうなの…?と普通思うと思いますが、実はこっちはすでにドラマに出てきています。

雪舞のセリフにありましたよね。

“奶奶曾說過受人點滴當湧泉相報”
(おばあ様は、一滴の水をもらったなら、泉をもらったつもりで恩に報いなさいと言った)
と言ってます。(第7話の3こちら

これは雪舞のおばあ様からの教えでしたね。

しかし、しみじみとするどころか、四爺は返す刀でノリツッコミです。

“好 好好好,
這樣吧 以後你要再娶小妾的話
我也把姥姥請來讓她幫你監督監督”

(分かった分かった。
ではこうしよう。この先お前が側室を娶る折には
私がおばあ様にお願いして取り仕切っていただこう)


いきなり劣勢に立たされた五爺。軍神をおちょくるから、こういうことになるんです!

“別別別 你不是不知道啊
姥姥最擔心的就是我們倆
一個沒有大老婆
一個小老婆太多嘛”

(いやいや 兄上もご存じの通り
おばあ様が一番心配なさっているのは私たち兄弟が、
一人には大奥様がおらず
一人には小奥様が多すぎる、ってことだから)


口の減らない兄弟二人を追い払おうと、皇太后は献上品のお菓子を持って来なさいといって追い出します。

この当時、どんなスイーツが流行っていたのかはよく分かりませんが、唐代のお菓子は、なんと実物が残っています。

ほらね。
s-お菓子.jpg
(《中国古代常識》より)

これは復元ではなく実物。
新疆ウイグル自治区のアスターナ古墳群に残っていた「ミイラ」。乾燥した地域だったので、そのまま残ったのでしょう。墓はちょうど蘭陵王の時代のころにあった高昌国時代から唐にかけてのものですが、この「ミイラ」は、器からして唐代(600年代)のものと思われます。

今でも横浜あたりで、似たような中国菓子を見かけますよね。

遠景には、スイーツにたかるハエのごとく追い払われた四爺、五爺が映っています。

“怎麼樣 四哥 這件事小弟辦得不錯吧”
(どうです兄上。上手いことやったでしょう)

“記你一功”
(覚えておこう)

つまり、有効ポイントとしてカウントしといてやる、ということですね。

兄に劣らず、弟も(この方面においては)相当の策士であることが分かります。ここでは特に言ってないけど、皇太后より何より、命拾いしたのは五爺のおかげなんだから、もっと感謝するように。

さて、残った皇太后は、雪舞の働きを褒め、皇太子への懸念を口にします。

“哀家活了大半輩子 陪著神武皇帝完成雄圖大業
見識過各路英雄

現在哀家還活著 必要時還能護著肅兒
總有一天 哀家要到先王神武皇帝那兒去”

(わらわの半生は 斉を打ちたてた神武帝と共にあった。
そのうち、またお側に行く日が来るのですよ)


そのときは皇太子が皇帝になっているでしょう。それが心配だ、と

ここで皇太后がいう“哀家”とは、夫を亡くした人、という意味の自称です。

皇太后の旦那さん、神武皇帝とは、蘭陵王のグランパに当たる人で、東魏の事実上の支配者ではありましたが、皇帝にはなれませんでした。神武帝という称号は、次男の高洋が斉の皇帝になったときに追贈したものです。

皇太后は名前を婁 昭君<ろう しょうくん>といい、史実でもなかなかの女傑だったようです。

多くの求婚者がいながら、一介の貧乏な士卒に過ぎなかった高歓を見初め、結婚しました。高歓は自分の馬を持ち、他の有力者と交際してステップアップしていったらしいのですが、その資金は婁氏が工面したようです。蠕蠕<ぜんぜん>国の姫君との政略結婚の話が出ると、チャンスを逃さないようにと自らは正妃の座を下り、縁組を勧めました。

そんな内助の功がある奥さんがいながら、姫君の他にもプラス8人も側室を娶った神武帝。まったく高一族のやることには開いた口がふさがりません。

まさにゲスの極み!

このとんでもない家に嫁いで来ようという雪舞も相当の勇者ですが、
さらにけなげにも、

“即便自己的性命不要
也會讓四爺平安的”

(自分の命に替えても
四爺の‘平安’をお守りします)


と言い出します。

第5話(→こちら)に引き続き、守るべきものは‘平安’だ、というメッセージが、よく分かるセリフですね。大事な伏線です(笑)


しかし皇太后さまは、伏線より、2人がいつまでも仲良く楽しく日々を送ってくれればよい、と優しいお言葉。それを受けて雪舞は、

“雪舞一定會好好照顧四爺的”
(雪舞は必ず しっかりと四爺にお仕えします)

と言いますが、ああ、「必ず」はダメだったら…!

結婚式の日取りが決まってからとんでもない事件が起きるのは中国ドラマのお約束、とよーくご存知の皇太后は、とにかく無事に婚儀が済んでほしいとおっしゃっておられます。

さすがは経験豊富な皇太后さま!

さもないと、《宮》“八阿哥”みたいに花嫁がすげ替えられちゃったり、誰かさんみたいに、全世界に向けて結婚前提で付き合ってますと宣言した彼女に逃げられちゃったり、しますからね(あ、これはドラマじゃないか)。

…いえ、申し訳ございません、ご本人には冗談じゃすみませんよね…でも、「人間万事塞翁が馬」ってことわざも、ありますから。

さて、その夜、自分が焦がした四爺ママの服を繕って返した雪舞に四爺は、雪舞のおばあ様を探し出して、この良い知らせを伝えよう、と言いますが、雪舞は、おばあ様はわざと世を避けているし、自分たちの結婚は決して望んでいない、とため息交じりに答えます。

そして雪舞は、今の自分の選択が正しいかどうか分からない、という不安を口にします。

そこで四爺は、

“我會用一輩子的時間向你奶奶證明 我們能白頭偕老”

(私は一生の時間をかけて 君のおばあ様に証明するよ。
私たちは共白髪まで添い遂げることができると。)


とおっしゃってるんですけれども、今回、四爺はついに、毎回この手の話題のときには絶対に言う「必ず」を追加するのは諦めたものと見えます。そうよね、どうせ言ったってムダだもの…。

さて、珍しくも、四爺と手をつないで画面に登場した雪舞は口ずさみます。

“白雪紛紛何所似”
(白雪 紛紛として 何に似るところぞ)

“未若柳絮因風起”
(風に起つ柳絮<りゅうじょ>に若かず)

これが柳の木だよ、と言ってる前後左右には木肌からして松の木しか見えませんけどね。
吹き替えは、そうだ、これは柳の「わた」だ、と上手く逃げました。

待てよ、こっちは“柳”というと「ヤナギ」だと思ってるけど、ひょっとして違うのかな。

日本語と中国語では、同じ漢字だと思ってると違う意味というフェイント(同形異議語)というのがあり、ときどきつまずいて大怪我するのですが、身近な植物の名前にもたまにあります。

たとえば中国語で“柏”っていうと日本で「イトスギ」だったり、“椿”は「ニワウルシ」って樹だったり。

数々の痛い目に遭ってるので念のため辞書を引いてみましたが(稀に辞書も間違ってることがあるのが泣けるけど)、中国語の“柳“は日本の「やなぎ」だったので安堵いたしました。

とすると、この手前の方に、鉢植えみたいな感じで映ってるこの樹が柳なんでしょうね。

柳っていうと「しだれ柳」をつい連想しちゃいますが、ネコヤナギとかいろいろございますように、いろんな形の樹形があるそうですので。

「柳絮」と言われても、あまり見たことない気がするのですが、北中国では春の風物詩で、5月ごろになると、柳がいっせいにワタを飛ばします。日本の俳句では春の季語にもなっています。

ただ、雪舞が諳んじたこの句は季節的には冬のお話で、《世説新語》に出てくるエピソードから取られたものです。

“謝太傅寒雪日內集,與兒女講論文義。俄而雪驟,公欣然曰:「白雪紛紛何所似?」兄子胡兒曰:「撒鹽空中差可擬。」兄女曰:「未若柳絮因風起。」公大笑樂。”

(謝太傅(=謝安)はある寒い雪の日、家の者を集めて詩文について語っていた。にわかに雪が強く降り出したので、嬉しそうに「この、ひらひらと舞い落ちる雪は何に似ているかな」とたずねた。

甥っ子の謝朗が答えて「塩を空に撒き散らしたようですよ」といった。
姪の謝道韞は「それより、柳絮が風で一面に舞っている様子、のほうが良いわ」と言った。)


謝安(320-385)は東晋の宰相で、蘭陵王の時代から200年ほど前の人。その姪っ子である謝道韞は才女として知られ、このエピソードから、才媛への褒め言葉は「詠絮<えいじょ>の才の持ち主」というようになったとのこと。

雪と才女とはどうも関連が深いらしく、『枕草子』のこんなエピソードを思い出しますね。

清少納言は、ある雪の日、お仕えする中宮さまからこんなことを聞かれます。
「少納言よ、香炉峰の雪はどうなってるかしら?」
機転の利く清少納言は、ブラインドをさっと上げました。

周りの人は、「話としては知ってたけど、とっさには出てこなかったな〜。
すごいね少納言さん!」と褒めた。


ってなお話。

解説を見ると、「香炉峰の雪は、御簾を高く上げて見る」と白楽天の詩にあり、それを知っているということは漢詩の教養があるということです、とか書いてある。

何だ、自慢じゃん!

…あ〜、ではありますが、清少納言さんとしては、雪が積もったときに予めブラインドを下げておいて、座が盛り上がったときにさっとクイズとして出してくる、中宮さまって何て気の利いたお方なのだろう、と言いたかったんでしょうね(大人のフォロー)。

話が逸れましたが、蘭陵王がそう思ったかどうかはともかく、「詠絮の才」はそれなりに知られている言葉なので、雪舞の才媛ぶりを印象づける効果はありそうです。ただ、彼もすぐに答えているということは、当然、元の故事も知っているという設定なのでしょう。

しかしです。

続いて蘭陵王は言います。

“柳 有留下的意思”
(「柳」には「留まる」という意味がある)

柳は確かに発音がLiu2なんで、留めるのLiu2と同じです。

でも皆様、どうかここで思い出してくださいませ。

第10話の3(記事は→こちら)で「蘭陵王入陣曲」のその後について触れましたが、そのとき、宋代に《蘭陵王》柳という詞が作られたというお話をしましたね。

確か第一連目はこんな感じです。

柳の並木
春霞のなか そのしなやかな枝の緑が踊る
いにしえの隋の運河の堤に立ち 幾度となく見た
枝が河面を撫で 柳絮が舞って 旅人を見送るのを


この詞に限らず、中国文学では、「柳」「柳絮」といえば、別離の暗示だと相場が決まっています。

この事実(?)は、wikiの意地悪ばあジョンである、アンサイクロペディアの「柳絮」の項にまで載っています。(↓コレね)

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%9F%B3%E7%B5%AE

(アンサイクロペディアに乗ってるんじゃ、逆に信用できない説なんじゃないの?とかツッコまないようにお願いします)

そして、ここまでご覧いただいたように、数々の古典の教養をさりげなく忍ばせてきたこのドラマの脚本家が、こんな美味しい設定を見逃すはずはありません。

もちろん!

「柳絮」を大事な思い出の1コマに持ってくることで、この先の回の似たようなシーンとの対比がさらに際立つわけですね。

しかし、残念ながら四爺は武人、さほどの文学青年ではなかったご様子で、

“感謝你拋下一切 留在了我的身邊
我也會盡我所能 一輩子留在你身邊”

(感謝する 全てを捨てて 私の元に留まってくれて
私も全ての力を尽くして 君の側にいよう)


このセリフを受けたアリエルの演技がとても好き。
言葉の意味を確かめるように、ゆっくり視線を動かします。

そこで2人がアップになるんですが、荒くれ者の視聴者には、いい雰囲気の2人よりも、四爺のスタンドカラーの中に着ている例の着回し赤シャツが、いえ、それよりも、雪舞の頬へ持っていった蘭陵王の中指の指輪が気になる...。

何だろ、この指輪。

ゴス系か、ナチの親衛隊ですか?

どちらも、回りまわって意味するところは同じようなもので、「死を想え」ということなのですが、中国のこの時代にこんなファッション、あったのでしょうか。

武人であれば弓を引くので、指輪みたいなものをつけるときはありますが、それは普通親指に嵌めます。

でもどう考えても、一歩間違えたら自分が怪我しそうなこんな指輪は嵌めないでしょうね。

まさか、メリケンサックか?(ははははは)

でも、この時代の人が全く指輪を嵌めなかったかといえばそういうことではなく、例の場所から証拠のブツも出土してございます。

例の場所ってどこかって?

ですよ、墓!

ここまでも何度かご紹介しております、北斉時代の徐顕秀墓。ここから、金の指輪が見つかっております。

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(「人本網」より)

研究によると(→http://www.asahi-net.or.jp/~YW5A-IWMT/contents/200603iwmt.pdf)、これは封泥に使う指輪型の印章で、彫られた像はゾロアスター教の神様らしい。

つまり当時、北斉とササン朝ペルシャ(イラク)とはソグド商人などを通じて行き来があり、はるばる物資も運ばれていたということなのでしょう。

一方、ドクロ模様の装身具といえば思い出すのは、西遊記で沙悟浄が首から下げてるアレですが、直接関係はなさそうですね。

ドラマの指輪がどこから来たかは分かりませんが、とりあえず、中世イギリスともパンクともゴスとも関係はなさそうです。

1956年に内モンゴル自治区の晋代の遺物からも金の指輪が出ましたが、それは鮮卑族の獣面の指輪とされています。しかし、なんとなくドクロに見えなくもありません。
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(→http://www.cssn.cn/kgx/zmkg/201503/P020150317526252985425.pdf)

「中国文化報」によれば、同じく内モンゴルで、こんな指輪も出土してるそうなので、また当たらずといえども遠からず。

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何なんだかな〜と訝っていると、そこへ子供の泣き声が。

雪舞はおなかが空いたの、何か食べに連れてってあげる、と、あっという間に四爺の存在は忘れている模様。それを呆然と見やる四爺の表情の面白いこと!

急いで二人に駆け寄ると、あらご無沙汰してましたお腹のドラえもんポケットから大金(雪舞談)を取り出して子供を厄介払いしようとする四爺。

国宝を持ち歩いてる宇文邕といい、銀両を持ち歩いてる四爺といい、格差社会のセレブの持ち物って一体…。

それを大金だと気づいた雪舞。これで銅銭を初めて見てから半年も過ぎてないんですからね。

この後の四爺の反応も相当面白いんですけど、

“讓本王比較困惑的是 你怎麼還是不學乖”
(この私を困惑させるのは、痛い目にあっても君がまだ賢くなっていないということだ)

そら出た、“本王”ですよ。見事なまでに置いてきぼりを食った分際で、何とか必死に立場を保とうという四爺がおかしくて笑っちゃいます。ここの吹き替えの訳は適訳ですね。

「君には困ったものだ。ちっとも学んでおらぬ」

言われて雪舞は口答えします。
“這不能相提並論的吧”
(それはそれ、これはこれよ)

“再說 有你在”
(それにあなたが居るんだから)

“你會保護我的呀”
(私を守ってくれるはずでしょ)

“你怎麼能如此理所當然呢”
(その当たり前のような態度は何だ)

と、ボディガード扱いの蘭陵王は言い返すんですが、雪舞は、
「自分の身は自分で守るからいいわよ!」と言い捨てて子どもと居なくなってしまいます。

あ、あの〜、お2人さん、さっきまでお互い、

「雪舞は必ず、四爺にお仕えします」
とか

「力の限り側にいます
とか

言ってたセリフは忘れちゃったのですか…?

ああ、きっと撮影した順番が違うのね、と大人の事情を慮ってみるものの、まったく天女のくせに、また罠と本物の区別もつかないのかよ、と視聴者のいらだちもマックスになる場面。

とはいえ、困った人を見ると放っておけない、というのが雪舞の基本ポリシーですからしょうがないですね。

賑やかな通りまで来てみると、おや、みんなが黄色い傘を差している。これって第14回(→こちら)の冒頭、城門前商店街で売ってた傘ですよね。ふーん、日傘だったのか。

後ろには城壁が見えるのですが、まさかまた鄴の城門前ってはずはないですよね。別の地方都市なのかしら。

今回雪舞の穿いているスカートにご注目ください。こんな風に、互い違いに合わせてツボミのようになっているのは、当時流行のデザインです。

中に着ている刺繍のブラウスもカワイイですが、こちらの方はこの時代にあった様式なのかどうかはちと不明です。

“一個大男生 這麼愛鬧別扭 是怎樣”

吹き替えは、「大の男が文句ばかり並べ立てて 誠に頑固だわ」と言ってます。

この“男生”っていうの、台湾では“男人”の替わりに普通に使うみたいですけど、標準語だと「男子学生」の略語ですよね。何か笑っちゃいます。最近は中国でも、台湾や日本の漢字語をそのまま使うこともあるみたいだから、今や“男生”と同じ意味合いなのかも知れませんけど。

“讓我一下是會死啊”
(私に譲ったら死ぬの?)

え〜っと、それはその、さっきのあの場面の続きじゃなきゃ四爺の態度も違ったとは思いますけど。

どう見ても蘭陵王は雪舞を心配してああいうことを言っているので、こんな風にいわれちゃったら理不尽ではありますが、雪舞は自分で言ってた通り、電撃婚すぎて気持ちの整理がついてないということもあるんでしょうか?

いわゆる、マリッジ・ブルーってやつですかね?

“這個時候也該追上來的呀”
「何ゆえ私を追いかけてこないのよ」

おやおや、だんだん本音が出てきましたね。

四爺に負けず劣らず雪舞も恋愛初心者のはずなんですが、その割には高度なテクを披露してますよね。

彼女がやってるのは、皆さまご存じ、『ルールズ』の技。

ご存じない方のために説明しておくと、これはアメリカのエレン・ファインさんという方が書いた女性のための結婚指南書。

つまり、彼女止まりにはなっても、結婚に結びつかない人のために、男性との駆け引きのルールを書いた本です。

アホか、そんなもの。駆け引きで恋愛してどうするのよ…と正直、私は思いますが、一方、このルールを踏まえて恋愛本を見てみると、知ってか知らずか、結婚に漕ぎつけたヒロインは見事、このワザを使っています。

「赤毛のアン」のアン・シャーリーしかり。
「高慢と偏見」のエリザベス・ベネットしかり。
「大草原の小さな家」のローラ・インガルスしかり。

「ルールズ」を非常にかいつまんで言うと、男性は手に入りそうで入らない女性が好きなもの。そういう人を追うことに夢中になるので、追いかけるのではなく、追わせるように仕向けなさい、という教え。

上記の本の場合、ヒロイン達は結婚しようとしてこのワザを使っている訳ではなく、先入観があって相手の良いところが分かっていないがために、興味なさそうにしたり誘いを断ったりしてしまう。

そうすると、お相手の方は、何とか自分の方を向かせようと躍起になるか、いつも一緒に居てもらうためにはプロポーズするしかない、と思い込んでしまう、らしい。

意識してやったらイヤな感じだけど、振り返ってみるとそういえば、と思いあたるフシ、ありません?

頼ってくる女の子がカワイイという男性もいますが、四爺ほどの大物になれば放っておいても女が寄ってくるので、大切にしないと逃げられてしまうと思えるような、魅力ある女性でなければ特別の興味が持てないのは当然です。

つまり『ルールズ』によれば、かわいそうに、鄭児の採った、女性の方から四爺に必死で追いすがるという戦略は、残念ながら裏目に出る方法なんですよね。

でもね雪舞、男の人が追っかけてきてくれるのは、獲物を捕まえるまでなんですよ。釣った魚にエサはやらないっていうでしょう?捕まったあともいつまでもゲームを続けていると、そのうち見放されるから気を付けた方がいいわよ…?

しかし有り難いことに、四爺は恋愛初心者なので、婚約したとは言ってもいちおう後はつけてきてくれたらしい。

それでも、次に雪舞に起こる災難は避けることができなかったようです...。

子どもを追いかけていって、何者かに気絶させられた雪舞が目覚めると、前に立っていたのは、

周国皇帝・宇文邕<うぶん よう/Yuwen Yong>、またの名を仔ブタ陛下

こんな絶体絶命のシチュエーションでも雪舞はハッタリをかまそうとします。

“我警告你啊 我現在可是大齊的王妃
只要我一聲叫嚷 很快就會有很多人衝出來的”

(言っておくけど、私は今や大斉国の王妃なんですからね。
一声叫べば、すぐにたくさんの人が飛び出してくるのよ)


たくさんどころか、こっそり覗いてる1人の武将さえ割って入ることができないんですが…。

これまでだったらこのタイミングで飛び出していたであろう四爺が、入ってこないのは、前に証人を切り殺しちゃったので「学習」したのか、はたまた宇文邕を泳がすつもりだったのか、雪舞を泳がすつもりだったかのかは、女媧さまのみぞ知る!

それでも、宇文邕が、姪の貞児〈ていじ/Zhen Er〉の病気を治すために周に来て欲しいと頼んでるのを聞いてる四爺は、眼が血走ってて怖いこと…。

だって、さっきも確認したけど雪舞は困ってる人を見たら放っておけないというのがポリシー。

それをよく知るこの詐欺野郎(私が言ったんじゃありません!斉の貴公子・蘭陵王高長恭殿下がおっしゃったんです!!)がまた何か小細工をしていると疑うに決まっています。

“朕貴為一國之君,從來只拜天地
 雪舞 你是朕此生以來 第一個求的人”

(朕は一国の君主たる貴い身、ひれ伏すのは天地に対してだけだ。
雪舞よ、お前は私が生まれて以来、初めて伏して助けを乞う相手なのだ)


とか言ってる割に、雪舞が断ると、いきなり短刀を抜いて自刃を図ろうとする宇文邕。

やれるもんならやってみれば…? 邙山〈ぼうざん〉の戦いの御礼参りの手間もはぶけるしさぁ…と四爺が一瞬思ったかどうかは分かりませんが、もちろん、ただでは首は差し出さない宇文邕。

“如果我國知道 皇帝死之前 是跟齊國的王妃在一起
你想他們會用什麼方法 來跟齊國討回”

(もしも我が国が、皇帝の死にあたって斉の王妃と一緒にいたと知ったら、
いかなる報復を加えるであろうな)


そういわれて雪舞も、盗み聞きしている四爺もひるみますが、よく考えたら、ひと様の国の皇子の婚約者を無断で連れ去ったりしたら、その時点で戦争ですよ?

あんたらトロイア戦争を知らないね?

最も美しい女神に捧げるとされたリンゴを巡って三人の女神が争うのですが、審判役のトロイアの王子・パリスに、それぞれ、自分を選んでくれたら権力、武力、美女を与えると約束します。

パリスは美女を選びましたが、それはスパルタ王妃ヘレネでした。
(何でよりによってスパルタ…。)

王妃ヘレネを略奪されたスパルタは、そりゃ、怒りますわな。

ギリシャ全土を巻き込んで、10年にも渡る大戦争になりますが、結局、兵士を満載した木馬の計にかかり、トロイアは滅亡してしまいます。

だから、連れ出したりしちゃダメだっつーの。

しかし、さすがの雪舞もギリシャ神話は知らなかったらしく、有効なカウンターを出せないうちに、宇文邕はさらに畳み掛けてきます。

“如果你願意去,朕保證一個月,就一個月 怎麼樣”
(もしも来てくれるなら、一か月だけでいい。約束しよう。どうだ)

“無論貞兒的病情如何
都不會有任何人為難你
朕還會親自送你回齊”

(貞児の容態がどうなろうと、
誰にも責めさせはせぬ。
それに朕が責任を持って斉に帰そう)


ここまで言っても難色を示す雪舞に宇文邕は、

“朕願意 所有被俘的齊國戰俘全部釋放”
(これまでの捕虜を全て釈放してもよい)

と言うので、じゃあ一か月だけよ、と雪舞は承諾し、

“你得先讓我回去 向蘭陵王知會一聲
否則他會擔心的”

(蘭陵王に知らせなくちゃ。
さもないと心配するわ)


そういわれて、目を伏せる皇帝陛下。

“恕難從命
貞兒危在旦夕 分秒必爭”

(申し訳ないがそれはできない。
貞の病状は一刻を争うのだ)


と言ってますが、知らせたくないのがありありです。
やっぱ詐欺師なのは変わらないのね…

今いるとこから蘭陵王府までが遠いのか、それともやっぱり城門から蘭陵王府までが半日かかる(第14話こちら)せいなんですかね(笑)

じゃ使いをやって知らせて、という頼みに、またも顔を伏せる皇帝陛下。まあ奥様ご覧くださいませ、ダニエル・チャンの演技の上手い事。後ろめたさが口元から滲み出ております。

この会話を聞いている蘭陵王の表情も良いですね。心配させたくないの、というセリフに反応しているようにも、承諾してしまったということに反応しているようにも見えます。

と、そこへ見張りが戻ってきて蘭陵王と小競り合いになるんですが、全然聞こえてないらしい皇帝陛下と雪舞。遠目には、もうラブラブです。

首尾よく近衛兵に化けた蘭陵王のところへ、2人の同僚兵士が戻ってきます。
ここ以降、台本どおりかアドリブなのか知らないけど、結構来てますよね。

「お前はいつも臭い。」

って、どんだけよ?

近衛兵はいつも仮面を着けていますが、それは

“臉上剌了字,不能以真面目示人”
(顔に文字があるので、素顔をさらけ出すことはできないが)

と言ってる通り、刑罰として顔に入れ墨をされているという設定のようです。

当時、「盗」「賊」などの入れ墨をするという刑罰がありました。唐代には上官婉兒という女官が罪を得て額にこの刑罰を受けたのですが、則天武后に重用されたので、以降、額に入れ墨のように梅の花を描く化粧が流行ったというエピソードがあります。

下々の者にもこんなに愛されている皇帝陛下。
しかし、四爺は、皇帝陛下にというより、雪舞にはらわた煮えくり返っているご様子です。

“真是個毫無戒心的笨女人
不想想自己的身份
她到底把蘭陵王放在哪兒啊?”

(まったく何の警戒心もないうつけた女人だ。
自分の立場も顧みず、
蘭陵王をないがしろにするなんて)


って、ち…小っせえ!

しかもこれから奥さんになる人に向かって“笨女人”(バカ女)とは何事ですか。

同僚からもたしなめられちゃう四爺ですが、もう一人は同情しています。

“我是蘭陵王的話 我也會暴怒”
(蘭陵王だったら、オレだってドタマに来るぜ)

“爆買”ならぬ“爆怒”と来たもんだ。そりゃスゴイ怒りっぷりでしょうよ。

さらに、周に滞在中の親密(?)な様子を聞いて、またまた冷静さのヒューズが吹っ飛ぶ四爺。化けた相手が言ったはずの情報を同僚に尋ねてしまいます。何とか忘れたと誤魔化したものの、

“你吃一點銀杏補補腦 再來點黃蓮”
(ギンナンを食べてボケを治せ。黄蓮も食っとけよ)

とアドバイスされてしまいます。

民間療法では、ギンナンは記憶力増強、黄蓮はのぼせを冷ます効果(?)があるとされているようです。

一方の蘭陵王府。

小翠はお茶を随分高い位置から注いでいますね。四川風とか、こういうアクロバティックな注ぎ方ももちろんあるんですけど、ひょっとして演出家の方が、低い卓に座ってる人にどうやってお茶を注ぐのか分かってないってことないでしょうか…?

今の中国は基本、椅子とテーブルの生活なので、屈んで給仕をするっていうのを知らなかったりして。

ま、それはともかく、五爺は机を叩いて注ぐのをやめさせています。が、もし中指でテーブルを叩いたら、それはお茶を注いでくれてありがとう、という意味です。

これはどうも地域差がある動作らしく、南のお店では普通に見ますが、北の方じゃあまり見かけません。

でも、それは私が知らないだけかも。

もともと、清の皇帝がお忍びで街中に遊びに行ったときに、お供の人たちが拝礼できないので、代わりに指で跪く真似をした、ということのようです。

お給仕もうわの空の小翠に、五爺は言います。

“你們少夫人 哪一天做事按常理出牌啊
太規矩也不像她”

(楊夫人が決まり通りの手を打つと思うか。
定石通りじゃらしくもないしな)


ここ、結婚式までは“少夫人”と、側室扱いっていうのも面白いですが、“常理出牌”という言葉も面白いですね。“牌”を出すんですから、カードが麻雀から来たことばなんじゃないかと思いますが…どっちもこの時代にはないでしょうけど。

吹き替えは、
「王妃は実に型破りなお人だからな。
まともではつまらんだろう」

と上手く訳してます。

少しほっとしたらしい小翠に五爺はちょっかいを出し始めます。おっ、この2人、いい雰囲気なのかと思ったら、その場にいた侍女たちがわらわらと群がってきます。どうやら、五爺は、見境なくナンパしてたようです…。

白山村に来たのが四爺じゃなくて五爺だったら、結構面白い展開になってたかも…と、ここを見るたび笑っちゃう視聴者でございます。

それにしても、四爺と雪舞、2人とも急に消えちゃって、この場はともかくしばらくしたら本当に皆心配すると思うんだけど、どうしたんだろう。

周の都・長安にも斉のスパイがいることは確実なので、きっとその人に託して知らせたんでしょうが、何日かはかかっちゃいますもんね。

それにですよ、遠乗りに来て、柳の下に置き去りにされてるはずの踏雪は、つながれたままだと飢え死にしちゃうんじゃない?

あ、そうか、子どもといなくなった雪舞を追っかけてくるまで時間があったのは、四爺がメッセージを書いてたせいかもしれませんね。それを踏雪に託して、家まで送り届けた、と。

…そんな伝書ハトじゃあるまいし…。

と、考えてる間もなく、仔ブタ陛下ご一行は、貞児の元へ。

周りが止めるのも聞かず、さっと帳の中に入っていく雪舞を心配そうに見つめる蘭陵王。
しかし、伝染病ではなかったようです。

話に聞く天女に会えた貞児は言います。

“是天上的神仙 或者是妖精”
(お空の神様か、「妖精」だと思ってた)

ちなみに残念なお知らせですが、中国語で“妖精”っていうと、限りなく「妖怪」に近いイメージです。
s-yaoguai.jpg

ね?
(三蔵法師が退治するのは日本語じゃ「妖怪」ですよね…)

このあと、貞児が「仔馬が阿怪と天女の話をしてくれたの。2人は仲直りしたの?」と聞くと、蘭陵王は緊張してます(笑)が、宇文邕は遮って、

“貞兒,天女姐姐是來救你的 我們得抓緊時間 所以你就乖乖地在床上好好休息”
(貞や、天女お姉さんは助けに来てくれたんだよ。早く治さなければ。ちゃんと寝ているんだぞ)

ここは吹き替えでは、
「天女さまが助けに来て下さったのだ。長くはおられぬゆえ、しかと休むのだぞ。」

という訳で、なるほどね、という感じですね。
しかし、長くはいないって、仔ブタ陛下的にはいいの…?(笑)

相変わらず、雪舞が見るたびに目を伏せる蘭陵王なんですが、雪舞は全く気付いていないようです。

そして、アシナ皇后も、天女に感謝しているものの、何となく気がかりな様子がうかがえますね。

雪舞は、痒がる貞児に“蘆薈”(ろかい)のクリームを塗ってあげていますが、これはアロエのことです。

一方、久々の登場、大冢宰〈だいちょうさい〉・宇文護〈うぶん ご/Yuwan Hu〉。
今度は玉兎もお側に侍っています。

仔ブタの手のものではないかとの、居並ぶ群臣の疑念に答え、玉兎は裏切るならすぐにでも出来ると言い、

“連銀針都探不出來”
(銀の針でも見つからぬ毒です)

と皇帝から託された毒酒を示します。

当時の毒は、砒素など硫黄を不純物として含んでいるものが多かったので、硫黄に触れると変色する性質のある銀が検出に使われたという訳です。

対して宇文護は、忠誠を誓う者に

“西域蟲酒”

を飲むよう迫ります。7日ごとに宇文護の持つ薬を服用しないと死ぬ、という話なんですが、私には仕組みがよく分かりません。7日ごとに暴れる虫なのかしら...?だって、飲む薬が虫下しだったら、退治できちゃいますもんね。

本当にこんな虫酒があるのかどうか分かりませんが、人を害するのに毒虫を使うというのは唐代を舞台にした『ライズ・オブ・シードラゴン』にも出てきました。

都の一方でこんな凄惨な場面が繰り広げられているとも知らず、『水戸黄門』並みに入浴シーンの多い本ドラマでは、こんどは貞児が入浴中です。

“等你都好了之后呢,天女姐姐教你用油紙 還有草灰
做一種東西 你把你喜歡的花瓣放進去 這樣你沐浴的時候呢
用它們 就會身體香香的”

(治ったら、お姉さんが油紙と草木の灰を使っていいものを作ってあげましょう。そこに好きな花びらを入れて、お風呂の時に使えば、良い匂いがするわよ)

“真的?”
(ほんとう?)

“真的 阿怪都見識過那個神奇呢”
(ほんとよ。阿怪だってこの魔法を知ってるんだから)

そうね、嫌がってましたけどね。

こんなほのぼのシーンが繰り広げられている湯殿の前で立ち聞きしてる蘭陵王は、同僚に見つかってしまい、あり得ない言い訳をしています。

“我是仰慕天女”
(私は天女をお慕いしているんだ)

おほほほ、“仰慕”ですって、ハイブローな言葉ですこと。一介の罪人風情の言葉遣いじゃなさそうですが、そこは気取られずに済んだようです。

“又是一條遙遙無期的不歸路啊”
(そりゃまた果てしなく遠い行きっぱなしの片思いだよなあ)

“天女 堂堂的蘭陵王妃呀”
(天女はれっきとした蘭陵王妃だぞ)

“可是她卻把蘭陵王丟在齊國”
(しかし、彼女は蘭陵王を斉に捨ててきたではないか)

あらあら…。
そんな彼をカワイそうに思ったのか、蘭陵王をdisる人も。

“蘭陵王 有什麼好的”
(蘭陵王なんかのどこがいい)
って言われたときの、何っ!って反応が面白いですね。

“還不是個娘們兒”
(腰抜け男じゃないか)

“也是 聽說是個美男子 上戰場還戴一個面具”
(だろう。美男子だって聞いてるぞ。いくさ場では仮面をつけているとか)

ここ、吹き替えでは「人見知り」にされてて笑いました。
確かに、中国語の方は褒めてるみたいに聞こえますもんね。

しかし、せっかく付き合いでdisってもらったのに蘭陵王は笑ってません(って当然か)。
理由を聞かれて律儀に答える蘭陵王。

“我對天女用情很深 蘭陵王是我的情敵
我怎麼笑的出來”

(私は天女を本気で愛してるんだ 蘭陵王は恋敵だ。
笑ったりできるものか)


そこへいきなり雪舞が出てきたため平伏する兵士2人の真ん中で、
茫然と突っ立ってる人が…。横の2人は必死で訴えます。

“我不是始作俑者”
(悪事を始めたのは私ではございません)

では誰、と雪舞に聞かれて、中国語の蘭陵王は黙ってるのですが、
日本語は

「それはコイツです。」
「この色魔」

って指摘されて一言、

「え?」

って(笑)

ちなみに、言い訳のセリフにある、
“始作俑者”
(初めてひとがたを作った人)
というのは、悪事を始めた人って意味です。

辞書を引くと、「殉葬の悪習は埴輪を作るところから始まったから」という解説を見かけます

が、それは逆では…?

と視聴者が愚考していると、

それはどうでも良いの、ちょっと話があるわ、ついてきて、と雪舞はスゴイ剣幕です。

ついにお仕置きか?
お仕置きなのか〜!?


気になる続きは、第16話(→こちら)にて!
posted by 銀の匙 at 01:07| Comment(10) | TrackBack(0) | 蘭陵王(テレビドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

ブログで記事表示が崩れる…ご参考まで

皆さま、こんばんは。

ここ数日、ブログの画面表示がヘンになって困っていたのですが、先ほど復旧しました。

同じ症状でお悩みの方が地球のどこかにいらっしゃるのではないかと思い、参考のために今回のケースの原因をメモしておきます。

このブログは、左を記事、右をサイドバー(カテゴリやカレンダー、コメント投稿通知など)に設定しています。

ところが、気がつかないうちにレイアウトが崩れ、TOPページには記事だけが残って、右コラムに載っているはずの要素が、すべてページの一番下に移動してしまっていました。

記事の体裁をいじった覚えはないし、全体的な不具合だろうかと思ってseesaaブログの掲示板を見てみましたが、特に何の通知もありません。

症状をキーワードに検索してみると、解決策がいくつか提案されていました。

1)バナーや大きな図版を貼ったせい(左右がはみ出した)なので、それを削除する

2)全部がおかしければ、スタイルシートが崩れたせいなので、HTMLを直す 閉じタグが多いか少ないはず
 またはブログパーツに不具合があるので、それを非表示にする

3)HTMLを書き換えたときにコロンや記号を間違えたせいなので、それを直す。

4)個別の記事がおかしければ、その記事に不具合があるので記事の内容を確認する

バナーも大きな図版もないので1は違います。

このブログのスタイルシートのいじり方も知らないや…と思いながらも、うっかり何かキーを押してしまったのかと思い、HTMLを表示させる方法を調べて(そこからかい…)確認してみましたが、特に間違いや足りないタグもありません。

ってことは3でもない。

「コンテンツ」を初期化してみたり、「デザイン設定」を初期値に戻したりしてみても、ブログのデザインを変更してみても、さっぱり直りません。

てことは個別の記事がヘンなのか…でも個別の記事のHTMLってどこから直すんだろ?と思いつつも、表示が崩れている記事の本文入力欄を見たら…

ま、まさかこんなところに!
本文を入力する欄に、普通の文章にまじって、なぜか<>に挟まれて、divという文字が…!
お前かっ!

しかし、お前のようなものを入力した覚えはないぞっ!

…つと、冷静に振り返ってみて思い出しましたが、実は、出先で記事をみたときに、文字が抜けていたのに気づいたので、スマートフォンから修正したんです。
(スマートフォンで文字を打つのが遅いので、滅多にやりませんが)

何度か保存に失敗したあと、OKになったのでホッとしていたのですが、そのときに、divタグが勝手に入力されてしまっていたのでした(divタグとは、<>の中にdivという文字を入力した状態のこと)。

まさか、そんな仕様になってるとは。

いや、改行したら自動でdivタグに変換するのがデフォルトなんですよね。しないような仕様に変更もできますが、そしたらいちいち改行タグを入れなきゃいけないんだと思う。

とにかく、そいつ(divタグ)を削除したら、レイアウト崩れはあっさり直りました。
何とか直そうと四苦八苦して、半徹夜で死にそうだったこの2日間は何だったんでしょう。

ひょっとしたら、同じことでお悩みの方もいらっしゃるかと思い、ご参考のために記録しておきます。

ちなみに、私はwebデザインもプログラミングも詳しくないので、webやブログの不具合に関するご質問にはお答えできません。

あしからずご了承くださいませ...<(_ _)>

posted by 銀の匙 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

ジョン・ウッド + ポール・ハリソン 「説明しにくいこともある」展

s-説明しにくい.jpg
写真はチラシから

会場を入るといきなり目に入るのは、2人3脚のサエない男性2人が、ボールマシンから繰り出されるテニスボールから逃げ惑う映像。

最初のうちはまだ余裕があるものの、機械的にボールを打ち込むマシン(って機械だから当たり前か…)は容赦なく、数分のうちに、逃げ切れずに直撃されたり、ムリやり避けて相棒が直撃されたりと事態は悲惨な方向へ。観てる側も痛い思いに乗り移られつつ、つい笑ってしまう作品です。

会場に並ぶ20作品は、ほぼ、何でこんなこと思いついたかな的な脱力系の映像作品やインスタレーションばかり。

テーブルの上に白いスポンジがあって、青い液体がこぼれると全部吸い取っちゃって真っ青に、とか、等間隔に糸が並んでるなと思ったら、上から積み木の家が降りてきて、糸をガイドに等間隔に並んだ、とか、ここで終わるか? だから何なの? みたいな映像が並んだヤマもオチもない作品(《ノート》)があるかと思えば、駐車場に止まっている車(ミニカーですけど)がドラマチックに爆破されるシーンが延々続く、ヤマしかない作品(《DIYVBIED》)とか、リアクションに困る作品がてんこ盛り。

作家の名前もジョンとかハリソンとかポールとかわざととしか思えない紛らわしさで、今日になっても組み合わせが全然覚えられません。

それでいて作風が妙にスタイリッシュで色や動きが美しいのが、またすごくムダな感じ。

深い意味があるのかも知れませんが、それを追及するのは野暮な感じ、っていうこのモンティ・パイソンな感じが、よく分かんないけどたぶんイギリスのお国柄なんだろーなーと感心してしまいました。

私が一番好きだったのは、《エルドクンデ(地球の調査)》という16分4秒の作品。

1秒かかることもあるけど16分4秒かかることもある、この説明しにくい感じ、どうぞ実地でご堪能ください。

公式ホームページは→こちら。予告の動画もあるんだけど、残念ながら、あまり面白そうに見えませんね…。

NTTインターコミュニケーション・センター(初台)
2016年2月21日まで
posted by 銀の匙 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

神なるオオカミ(表示以降、ネタバレ注意)

s-神なるオオカミ.jpg
写真はチラシから

フランスの巨匠・ジャン=ジャック・アノー監督の中仏合作映画。ロードショーはならず、「未体験ゾーンの映画たち2016」での限定公開となりました。

文化大革命の時代。北京の大学生・陳陣(チェン・ヂェン=Chen Zhen/ウィリアム・フォン)は、楊克(ヤン・クー=Yang Ke/ショーン・ドウ)と共に内モンゴルに下放されます。厳しくも美しい自然と、モンゴル族の生き方に惹かれるチェン。ことに、草原で出会ったオオカミに魅了されたチェンは、長老や現地の人たちの忠告も聞かず、こっそりオオカミの子を飼いならそうとするのですが…。

刻々と変わる空と広々とした草原が織りなす自然描写や、本当にその場で何年も生活しているような、キャストたちの騎馬シーンは見ごたえ十分。オオカミに象徴される自然とのぎりぎりの折り合いで成り立ってきた暮らしがあっけなく壊れていくさまに、感慨を覚えずにはいられません。

前作《后会有期》(いつか、また)《黄金時代》では微妙に役に嵌っておらず、主役が別の俳優さんだったらもっと良い映画になったんじゃないか…とかつい思ってしまった(ごめん!)ウィリアム・フォンですが、今回は、いかにもではありますが、純粋で未熟な知識青年を危なげなく演じていました。たま〜に60年代というよりは30年代的な表情になってるときがあったり、これで大学生ってのはちと苦しい、と思うカットもなくはなかったですけど…。

注目すべきは彼の声の演技で、ナレーション的なセリフも含め非常に良かったです。ちょこちょこはさまるモンゴル語は、上手いのかどうかは分かりませんけど現地にしばらくいるとこんな感じに混ぜこぜで話すようになるんだろうなっていう雰囲気が良く出ていました。コンビ役のショーン・ドゥは役柄その人にしか見えない好演。モンゴル族キャストもさすが本場の貫禄です。

ということで、以下はネタバレというか、個人的な感想です。

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基本、面白いと感じた映画について感想を書くようにしているのですが、今回は例外です。いちおうウィリアム・フォンの主演作品なので、資料(?)として、ということでエントリー。

頑張って作った映画だというのはよーく分かったんですけど、ハッキリいって残念な作品だと個人的には思いました。

ロケ地も良かったしキャストも好演しましたが、ニューエイジっぽい作品によくある、少数民族に肩入れして環境問題を扱ってみました的な映画に感じてしまったし、いかんせん、お話が弱かった。

オオカミと人間の関係を語る長老の言葉は重みがありましたが、言葉と行動とに微妙な齟齬が感じられ、全くのフィクションではなく実在の内モンゴルを舞台にしているだけに、お話の世界観に、どこまで現地の人の見方が反映されているのか疑問だという感じもしました。

物語的に弱かったと思う理由の一つには、主人公チェンの行動が一貫して唐突であることが挙げられます。オオカミに魅せられた原因になったはずのシーンも、あれでどうして?って感じだったし、なぜそこから子オオカミを育てることに考えが及ぶのか、セリフでは説明してたけど飛躍がありすぎです。素直そうな人柄なのに、野生の動物を、しかも牧羊地で飼うなんて、必然性も薄く誰が考えても問題が起きそうな事柄になぜ固執するのかも理解しづらい…。

彼は現地の人や文化の理解者を自認していたけれど、結果的には、他所から来て土地の自然や習慣を破壊する人たちの一員に過ぎなかった、ということなんだろうと納得はするものの、それを見せるためのご都合主義の展開に見えてしまう。

つまりは主人公の扱いが中途半端。彼に感情移入させていれば、彼が採った愚かな行為にはもっとインパクトがあっただろうし、ニュートラルな立場に置いておくなら、彼の行動自体にもっと必然性を持たせないと、異分子が異端な行動に出ているとしか映りません。

原作を読んでないので分かりませんが、ここがお話のキモなんだから、もっと丹念に描写した方が良かったんじゃないでしょうか。

しかも、彼もヤン・クーも、最後には北京に戻ってしまいますが、そこもあっさりナレーションで片づけられているので、その直前の現地に骨を埋めそうな勢いとはギャップがありすぎて、いったい何なのこの人たち、という印象。2人とも悪くない演技だったのに、もったいない…。

もったいないついでに、もう1つ言うと、オオカミの描写もイマイチに感じました。いくつかのシークエンスはオオカミが主役になっています。演技をつけた本物のオオカミなのかも知れないけど、やりすぎな感じで、かえって不自然。

ラストシーンにCGで描いたと思しきオオカミ形の雲が出てきたりして、まさか、かなりのシーンがCGの拵えものかと思ってしまいました。せっかく自然が綺麗に撮れてるのに、そんなウソっぽいシーンを最後に持ってくるなんて、損ですよね。

まあここはひとつ割り切って、モンゴルの美しい自然とウィリアム・フォンの美声(とこの映画を観て初めて認識した)を堪能するってことでもいいのかもしれません。中身を良く理解している訳でもないくせに、言いたい放題で恐縮なのですが、良い素材を微妙にダメにしている感じが、何とも惜しかったので…。


ジャン=ジャック・アノー監督
ヒューマントラストシネマ 渋谷で見ました。
一番大きなスクリーン1は、結構見やすいです。
手前に通路があるI列で観ましたが、G,H列くらいのほうが迫力があるかも知れません。
まん前に人が居なければ、ですけど…。
posted by 銀の匙 at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする